【bayfm78】ビートルズから始まる。8【小林克也】

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1ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)


前スレ
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/

2ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/03(火) 18:20:39.04 ID:???0
※では改めて7月1日の最初から。

■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月1日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョンとヨーコとジュリアン、ジュリアンはジョンと前の上さんとの子供ですね。
  それからキョーコ、これはヨーコの前の旦那との子供。
  この4人を乗せてスコットランドのゴルスピー(Golspie)という所にジョン・レノンが車を運転する途中。
  これはね、子供たちにね、自分が幼少に過ごしたスコットランドの知り合いの所へ行こうとしてたんですけど。
  もう、田舎道で、でっかい道じゃないんだって、細い道だって。
  それとジョンは、極度の運転ベタ、近眼でしょう、それから視野が普通の人より狭いと言われていましたね。
  でも、「あんたが運転して!」っていうことでw、そのころ鬼嫁のイメージがあったヨーコがジョンの尻を叩いて運転させて。
  結果、交通事故。
  落っこっちゃうんですよ、他の車を、対向車を避けようとして畑に落っこっちゃうわけですね。
  楽しいはずの旅行が悲劇になって、結果、ヨーコは14針顔を縫う、娘さんのキョーコは唇を4針、ジョンは頭を17針縫うと。
  で、ヨーコは悪い事に妊娠中で、安静を言い渡される と。
  だからアルバム「アビーロード」のスタジオに行ってベッドを持ち込んで、
  ベッドに入ってビートルズを眺めていた、という有名なエピソードはこの事故から来ているわけですね。
  それで、ちょっとヨーコは怒ったということで、この時の事故車をですね、自分たちの屋敷の庭に当分飾っていた、というw。
  ええw、そういう。
  ジョンとヨーコとキョーコの3人で暮らしていた時期もあるんですよね。
  で、1972年に親権が認められて、アンソニーというヨーコの昔の旦那です。
  まあ芸術家、ミュージシャンでもある、アンソニー・コックスがね。
  彼の元にキョーコが行く、ということになります。
3ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/03(火) 18:21:41.16 ID:???0
  じゃあ、ちょっと季節外れっていうか、この季節に聴くからこの曲良いのかもわかりませんが。
  冒頭に、ジュリアンとキョーコへ(お父さんと)お母さんが呼びかけている、それも、ヒソヒソ声で呼びかけている、例の曲。
  これを聴いてみる。

  〜 John Lennon / Happy Xmas (War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg  

  (小林)Happy Xmas カッコして War Is Over。
  War Is Over てのがこの曲のヘソというか、何というんでしょうね、今でもね不安な国なんかけっこうありますよね。
  だからこの曲ってのは、いつも何か感じさせて引っかかってくれるんですよね。
  ジョン・レノンそしてオノ・ヨーコの名曲を聴いていただきました。
4ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/03(火) 18:24:07.95 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「若い制作スタッフをリバプールのキャバーンにまで来させたと思ったら、次は元日早々のロンドンでのオーディション。
  いやあ、いくらデッカレコードが業界の大手だと言っても、これはちょっと引っぱり過ぎだと思ったよ。
  連中はほんとにビートルズと契約する気が有るのか無いのか?。
  気の短いブライアンは心中穏やかではなかったと思うね。」
  こんな証言をするのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人=アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  ビートルズのデッカオーディションの実情、もう少し探ってみよう。


  いくら煮えきらない返事であろうとも、決定に時間がかかろうとも、当時まったくの無名バンドだったビートルズは、オーディションを受けさせて頂く立場。
  ブライアンもいら立つ気持ちをグッと押さえるしかなかった。
  ビートルズの4人と数人のスタッフの全員、不安を抱えながらも、皮肉な事にオーディションの日は翌日に迫って来た。
  1961年も大晦日である。
  大雪が降る中、ブライアンは列車でロンドンに向かった。
  ロンドンの北部の高級住宅街ハムステッドには、ブライアンを幼いころから可愛がってくれたフリーダ叔母さんの家が有り、
  そこに泊めてもらうことになっていたのである。
  一方、ビートルズのロードマネージャー兼運転手二ール・アスピノールが友人から借りたいつもより少し大きなバンは、
  アンプやドラムセットなどの楽器を荷台に詰め込み、メンバーを乗せリバプールを出発した。
  実はこの時まで二ールは、ただの一度もロンドンに行ったことが無かった。
  不安材料を満載したまま、オンボロ車はロンドンを目指すのであった。
5ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/03(火) 22:22:43.25 ID:???0
  〜 The Beatles / Two of Us(Naked)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DFw914VZPDE
  
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jc8p7RLgG_I

  (小林)「Let It Be」のセッション I've Got a Feeling.
  これは「Let It Be」ではなくて「Anthology 3」に入っているバージョン。
  
  そしてその前は、有名な Two of Us。
  これはマッカートニーがプロデュースした「Let It Be...Naked」の中に入っている曲です。
6ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/03(火) 22:26:01.29 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「いやあれは、すごい悪天候だったよ。よりによってデッカオーディションの前日。
  1961年の大晦日が猛吹雪。
  リバプールも一応は北国だから雪ぐらいは降るけど、あの時の雪は『何年に一度』とか、それぐらいの感じだったね。
  運が良いのか悪いのか、まったく不思議な運命に操られてたね。ビートルズは。」
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  さて、デビューまでまだ時間を必要としているビートルズの物語、もう少し続けてみよう。


  ビートルズは大晦日の昼ごろ、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールの運転する大型のバンでロンドンを目指して出発した。
  荷台には楽器が満載。車内は冷蔵庫のように冷え切っていた。
  しかし、運転手ががんばらないとメンバーも凹んでしまうと考えた二ールは、カラ元気を出してこう言った。
  『なあに!、ロンドンったって、たかだか600キロぐらいだろう。
  普通に走っていれば夕方には到着してホテルにチェックイン出来るさ。
  みんな!、寝てればいいよ!。目が覚めたらロンドンって寸法よ。』
  もちろん、この時点ではメンバー全員心配など少しもしてはいなかった。
  とりあえず、ひと眠りしようとしたが ヒーターが壊れているのか寒過ぎてとても寝られたものではなかった。
  おまけに運転手の二ールは、しょっちゅう車を路肩に止めてロードマップとにらめっこしている。
  たまりかねたジョンが問い詰めた。
  『おい、二ール。お前ほんとに道順が分かってるのか?。ロンドン行った事あるのか?。』
  二ールは答えた。
  『ああ、地図は何度も確認してきたけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。』
7ホワイトアルバムさん:2012/07/04(水) 00:26:37.90 ID:38bIcR690
8ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/04(水) 20:22:08.33 ID:???0
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zz92iBUKvvw

  〜 Mary Hopkin / Those were the days(悲しき天使)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-9JOmU2jFUo

  (小林)これは(2曲目)もうすっごいヒットでしたね。
  イギリスではもちろんナンバーワン、アメリカでは2位。
  なぜ2位だったかというと Hey Jude が長い間1位を…w。1位になれなかったっていうw。
  だけどまあ、全世界で一千万枚以上売れた。ロシア民謡を基にした Those were the days。
  プロデュースがポール・マッカートニー。

  その前は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入っている(1曲目)Helter Skelter。
9ホワイトアルバムさん:2012/07/04(水) 20:24:11.96 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「おい、二ール!お前ほんとうに道順が分かっているのか?ロンドン行った事があるのか?」
  この苛立ったジョンの問いかけに、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールは答えた。
  「ああ、地図は何度も確認はして来たけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。」
  これは1961年の大晦日。
  翌日にデッカレコードでのオーディションを控えたビートルズが、リバプールからロンドンに向かう機材車の中でのやりとり。
  こんな調子のあと、どんな結末になったのか、もう少し様子を見てみよう。

  通常であれば、リバプールからロンドンまではおよそ※600q程度、一人で運転するのは少し厳しいにしても、途中休憩を入れても6時間ぐらいで到着する行程である。
  しかしこの日は事情が違っていた。ロンドンまでの道のりのほとんどが猛吹雪に見舞われていたのである。
  運転手の二ールは何度も地図を確認したが、それでも道路標識が雪で覆われていたため道を間違えてしまい、結局10時間以上もかかってやっとロンドンに到着した。
  時刻は、日付けが変わり、元日の0時過ぎ。
  とりあえずマネージャーのブライアン・エプスタインが予約してくれたホテルにチェックインし、冷えて疲れ切った体を休めることにした。
  それでも、初めてのロンドンは物珍しいものが多い。
  まだ20歳前後のビートルズにとって、この街は憧れの土地でもあった。
  とりあえず周辺をブラつき、ブライアンが知っているレストランで食事をとった。
  スープの値段がリバプールの3倍、これには全員驚いた。
  食事を終えてホテルに帰る途中、公園にいた不良連中に紙に巻かれたイケナイ物を勧められたが、
  4人とも経験が無かったためすっかり怖気付いてしまい、丁重にお断りすることにした。
  翌朝に運命のオーディションが待っている。
  ビートルズのロンドン初体験の夜は、こうして更けていくのであった。


  (※ロンドン〜リバプール間は直線距離で約300km。東京〜新潟ぐらい?。)
10ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:34:56.78 ID:???0
  〜 The Beatles / Across The Universe (No One's Gonna Change Our World Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hTgOVCTmzDg
 
  (小林)お馴染みのバージョンじゃ、ちょっとないと思いますけど。
  これは 「No One's Gonna Change Our World」“だれもが世界を変えちゃいけない”ていうチャリティアルバム。
  これは1969年世界自然保護基金のためにビートルズが出したアルバム、の中から、Across The Universe
11ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:37:19.33 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお返しとして送っております。
  メールは [email protected]

  (千葉県市川市/男性)
  キース・リチャーズ(Keith Richards)の自伝「ライフ」最近読んでいます。
  その中にビートルズ関連のエピソードも多いんです。
  克也さんもおっしゃっていたように、ストーンズは初めは曲を作る気は無かった。
  マネージャーに「お前ら、もっと売れるように、ビートルズみたいに曲を作れ!」と言われて、イヤイヤ作るようになったとか。
  ビートルズは親たちにも愛されるクリーンなイメージ。
  だからストーンズは「あんな男たちを彼氏にするんじゃありません!」と、親から怒られるような不良のイメージで売り出して行った、とか。
  興味深いエピソードがいっぱいです。
  最近、ビートルズを聴いている十代の子たちのメールが番組内でよく読まれていますので、私からその子たちに、この本をお奨めします。
  ネットで調べると図書館にもあったりします。
  君たち!ローリングストーンズも いいよ!。
  かつて克也さんの番組とともに十代を過ごした41歳のおっさんから。
  リクエストは
  「キース自身はシングルにするのを嫌がっていたが、勝手に出されてしまい、結果、初の全米シングルチャートナンバーワンになった。」
  そんなことが書いてあるんですが。
  この Satisfaction !。  

  〜 Rolling Stones / Satisfaction
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3a7cHPy04s8&feature=related
12ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:39:06.07 ID:???0
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4

  (小林)
  というわけで、これは Think For Yourself ていう曲が流れましたけど。
  (中野区/女性)
  先日、ビートルズの「イエローサブマリン」ブルーレイ発売記念試写会に行きました。
  ビートルズおたくですが、実は初めて見ました。
  ストーリーも歌詞もすごく深く、味わいがあり、今こそ みんな見るべきだ、と思います。
  「大切な事を見失っていないかな?。地球上の生き物はみんな仲間。ここがどこなのか、自分が誰なのか?。
  それは誰かが勝手に決めただけ。全ては想像上のことだ。見たい物だけを見て、他の事はごまかすような生活でいいの?」
  こんなメッセージが伝わって来た気がします。
  タイトル曲の「イエローサブマリン」も能天気なふりをして、すごく重要な意味が込められている、と思います。
  ビートルズから始まって、いろんな音楽を聴いて、またビートルズに戻って来ました。
  やっぱり最高です。
  リクエストは、1曲選ぶのは難しいけど、私はジョージファンなので Think For Yourself。
  (小林)
  ジョージの歌声でお送りしました。
13ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:46:05.87 ID:???0
  (茨城県笠間市/男性)
  リクエスト Nod Your Head をお願いします。ポールのアルバム「Memory Almost Full」から。
  私はビートルズの解散後に「LetItBe」からファンになりました。
  その代わりにレノンとマッカートニーは最初からバリバリ現役で楽しんでました。 (小林)あー、ソロはね。
  今でもレノン・マッカートニーを中心に音楽人生を楽しんでいます。
  ほんとうに楽しかったです。(今もですが)
  特に、マッカートニーはもうすぐ70歳。まだ現役ですよ。すっごい人です。見習います。
  まだ行けるよ、小林さんがんばって!      (小林)って言うw
  そんな人が手掛けるとは思えないパワーがこの曲にはありますよね。
  今年はビートルズ生誕50周年の年。エリザベス女王60周年祭。布袋さんの移住も決まり、オリンピックもあります。
  もう心ウキウキしています。マッカートニー・布袋 共作なんて実現したらすごいじゃないですか。
  でも夢は楽しんでもいいと思うからね。さらに実現したらベスト。
  (小林)
  どうもありがとう。あなたのリクエストです。
  
  〜 Paul McCartney / Nod Your Head
  ttp://www.youtube.com/watch?v=shUHtmo6f2c

  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LCV0YXXyuHc

  (小林)ポールからジョン・レノンへつながりましたね。
  (千葉市美浜区/男性)
  デッカレコードオーディションの話し、どんな話しが出てくるか楽しんでいます。
  じっくり聴かせて下さい。
  リクエストですが I'm a Loser をホワイトアルバムからお願いします。
  歌詞が、ちょっと今までとは違うかなぁ?と思って初めて聴いた時、そう思った記憶がある曲でした。
  あんまり リクエストが無い曲じゃないですか?
14ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:47:08.78 ID:???0
  (小林)
  そうですね。
  おそらく歌詞だとか雰囲気が違ったのは、間奏なんかがカントリーっぽく聴こえる、ちょっとカントリーぽいもんね。
  だから、ジョンがディランから影響受けたとか言われますけど。
  なんとなく「ジョンが珍らしいな、こんな曲をやるのは?」ていう。
  カントリーみたいなことは、やったことない人ですからね。ポールならいざ知らず。
  というわけで、ポール・マッカートニー、ジョン・レノンと歌声が続きました。
15ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/06(金) 20:48:42.47 ID:???0

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  デッカレコードの有名な、ビートルズが落っこちるオーディションの話し。
  リバプールからロンドンへ行くんだよ。それも大晦日だよ。
  で、1月1日から仕事だからねえ。
  それも仕事ったって、受かるかどうか判らないオーディションを受けるわけで。
  で、大雪で、道を間違えて、着いたら正月、1月1日っていう、面白い話しですよ。これは、ねえ。
  僕は、もうほんとに自分勝手にね、古い人間ですから、討ち入りの話し、赤穂浪士の討ち入りの話しなんかw思い出したりするんですよw。
  まったく関係ないですが。
  
  リクエストお待ちしております。
  もし良かったら、自分なりのエピソード。これは自由ですからね。それを付け加えてください。
  あらゆる年齢の方がリクエストくれるんでね。
  よろしくお願いしますね。
  [email protected]
16ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/09(月) 21:06:56.40 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月8日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  日本に来たちょっと後ですね。
  マネージャーのブライアン・エプスタインがロンドン空港に到着します。めちゃくちゃ怒っています。
  で、彼はすぐ発表します。
  「フィリピンでのうちのタレント、シーラ・ブラック(Cilla Black)たちのコンサートをキャンセルする。」
  と発表したのが、46年前の今日。
  これは実はですね、この頃の模様は、この番組で何年か前に詳しくお伝えしたことがあるんですが。
  日本に来たあと、ビートルズはマニラに行きますね、フィリピンへね。
  フィリピンの大統領は当時マルコス大統領。まあいちおう民主主義で選ばれた大統領ですけれども。
  何て言うんですかね、専制君主みたいな政治が始まるわけですよ。
  で、大統領夫人がイメルダ・マルコス。贅沢がかなり好きな夫人だったらしいんですが。
  ビートルズが来たということでね、金持ちの子弟だけを集めて特別のパーティをやる、と。
  で、ビートルズに「来てくれ」と言うわけです。
  ところがビートルズは疲れてて、「そんな。行けない」って断るんです。
  そのイメルダそしてマルコスの招待を断ったことで、ビートルズはフィリピンという国全体を敵にします。
  コンサートが終わって帰る時に、マニラの空港で、もう暴徒に襲われたり、ジョージ・ハリスンなんかぶっ飛ばされたり、
  ブライアンもぶっ飛ばされたり。
  ブライアンはビートルズの売上金なんかもほったらかしで命からがら飛行機に乗って帰るわけです。
  「もう、フィリピンみたいな所は絶対行かない。うちのタレントのコンサートなんか絶対やらせない」
  という発表があったのが、46年前の今日の事。
17ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/09(月) 21:08:58.61 ID:???0
  実はですね、66年というのはビートルズ受難の年なんですけど。
  ちょうどこの日はですね、
  NEMSつまりブライアン・エプスタイン=ビートルズの会社のアメリカの付属アーティストが、アメリカ人のアーティストがですね、
  ポール・サイモン(Paul Simon)が曲を書いて、この曲が2位にランクされているんですよ。
  で、その頃もちろん1位はビートルズの Paperback Writerが1位。
  だから、この曲がひょっとしてビートルズの Paperback Writer がいなかったら、ビートルズの同じ事務所のタレントなんですけども、1位になっていたかもわからない。
  2位止まりだった。
  それをちょっと、いま改めて聴いていただきます。この時代の事がよく分かるよ。
  ポール・サイモンが作っています。アメリカのシンガーです。でも、イギリスの香りプンプンです。
  グループの名前は「Cyrkle」と言います。
  じゃあその、全米2位の、その当時の曲ですね。

  〜 The Cyrkle / Red Rubber Ball
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a9aHrgtf2zY  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ThH9UrJiG4o&feature=related (TV Show)

  (小林)というわけで、グループは The Cyrkleの Red Rubber Ball。「赤いゴムまり」ですねw。
  こういうやっぱり十代を意識した曲をポール・サイモンたちは書いたわけですね。
  これをやっていたのはアメリカ人。
  Cyrkleの…えーと、サークルってCIRCLEなんだけど、そのIをYに変えたり、CをKに変えたりした。
  これは、ジョン・レノンが「普通のCircleだったらあれだから、ちょっと字を変えれば、ちょっと個性が出るから…。」
  見事成功します。
  で、ビートルズが1位をとっていたので、アメリカのチャートでは2位に終わった、という曲をお送りしました。
18ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/11(水) 20:52:42.08 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「なーんだ?、そのボロアンプは?。リバプールみたいな田舎じゃわからんが、ロンドンじゃそんなもの使えねえな。
  ほら、グズグズすんなよ!。こっちのを使えよ、こっちのアンプを!。そう言ってんだよ!」
  ビートルズが初めてオーディションを受けようとしている、ロンドンのデッカレコードでのひとコマ。
  言葉の主は、スタジオ専属のエンジニアの一人。
  わざわざリバプールから車で運んで来たビートルズのアンプを散々けなされてしまった。
  スタジオのスタッフの雰囲気も、リバプールとは違う。
  ビートルズの四人はまるでケンカを売られている気分であった。
  血の気の多いジョンとジョージは完全に臨戦の態勢。
  ブライアン・エプスタインがマネージャーになってやっと漕ぎ着けたロンドンのメジャーレーベルのオーディション。
  リバプールからは道に迷いながらも、10時間かけてやっとロンドンにたどり着いた。
  ホテルで横になったにはなったが、四人とも充分な睡眠はとれていない。
  おまけに真冬の寒さのせいもあり、やはり全員の背中がゾクゾクする。これは間違いなく風邪の症状。
  こんな最悪のコンディションの中、朝早くスタジオにやって来たというのに、エンジニアからは冷たい仕打ちである。
  こんな最悪の状態ではあったが、1962年1月1日の時点でビートルズは、すでに数百回のライブを経験した百戦錬磨のバンドであった。
  イギリス国内のみならず、ドイツの港町でありヨーロッパ一の賑わいを見せるハンブルグにも何度か長期巡業に行った経験もある。
  オーディション演奏なんて文字どおり朝飯前のはずであったが、人間やはり体調が全て。
  この時ばかりは、ジョンもポールもすっかり緊張しまくっていた。
  それでも本番の時間はやって来た。
  まずは、ポールの持ち歌からスタートしたのである。
19ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/11(水) 20:53:55.13 ID:???0
  〜 The Beatles / Searchin
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0FE4639lChw
  
  〜 The Beatles / Crying, Waiting, Hoping
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6wPRyGAQYdE 

  (小林)いかがですか? 2曲続きました。
  まず(1曲目)Searchin。これはビートルズの「アンソロジー1」に入っています。
  もちろん、あのデッカでオーディションをやった時の、そのままの音です。
  ポール・マッカートニーが歌っていました。Searchin。
  そしていまの(2曲目)Crying, Waiting, Hoping はバディ・ホリー(Buddy Holly)のヒット曲、それをジョージ・ハリスンがリードボーカルで歌っていました。
  デッカのオーディション、2曲聴いたところで。
20ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/11(水) 20:56:03.81 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「あれ?おかしいいぞ?。俺、緊張してる。こんなの高校生の時以来だ。変だぞー。
  ボーカルの音程が甘すぎる。これじゃ、ただのヘタクソなアマチュアバンドだ。
  どうしたんだ?。たかだかデッカのオーディションだろ?。
  落ちつけ、落ちつくんだ!。」
  これは1962年1月1日、元旦のデッカレコードスタジオでの景色。
  今年70歳となった、あのポール・マッカートニーの、心の中のつぶやきである。
  いくらハンブルグで、一晩10回ステージという過酷な状況の中で鍛えられたとはいえ。
  この時のビートルズは、まだ本来の意味でのプロでは無かった。
  その最大の理由は「ロンドンを知らなかった」ということ。
  もちろんこの時点で、すでにビートルズはリバプールのトップバンドであった。
  本拠地であるクラブ・キャバーンは、常に満員御礼。
  失神状態で熱狂するファンの熱気のせいで、穴倉の天井からは水滴がしたたり落ちた。
  それに、千人以上を収容する大きなホールでのライブも何度となく経験していた。
  なのに、なぜ?。
  この緊張はポールだけではなかった。
  心臓に毛が生えたような男=ジョン・レノンもいつになく慌てている。
  やはり前日の10時間の移動と、ロンドンの寒さにやられて風邪にも影響を受けている。
  おかしい。これじゃ、いつも行く所敵無しのビートルズとは違う。
  数年前のアマチュアバンド=クオーリメンに逆戻りじゃないか。
  唯一いつもと同じ平常心を保っていたのは、最年少18歳の少年=ジョージ・ハリスン。
  ちょっと前までは、ジョン・レノンが率いる不良グループの舎弟扱かいだったジョージも、すっかり一人前になったのか。  
  それとも、まだまだ子供過ぎてオーディションの何たるかも理解出来ていなかったのか。
  いずれにしても、ブライアン・エプスタインの作戦どおり、リードシンガーを固定しないというスタイルでの演奏は続いた。
  次の曲もオリジナルではなく、酒場の客相手のアメリカのヒット曲であった。
21ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/11(水) 20:59:42.94 ID:???0
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  http://www.youtube.com/watch?v=bCvf_RKQK0M

  〜 The Beatles / Take Good Care of my Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fMuNC2dm-Eo

  (小林)2曲続きました。
  いずれもデッカレコードでのオーディションでビートルズがやった、そのままの音ですけれども。 
  2曲ともジョージ・ハリスンがリードボーカルを珍しく録っていましたね。
  Take Good Care of my Baby てのは、知っていますかねえ、キャロル・キング(Carole King)。
  彼女が作曲家ソングライター時代に残した自分の旦那さんと書いた名曲。
  これをボビー・ビー(Bobby Vee)というシンガーが歌って、デッカオーディションの前の年、アメリカで1位の大ヒット曲。
  それをビートルズがカバーしました。

  そしてその前は、ジョージ・ハリスンが歌っていました Three Cool Cats。
  これは、ビートルズの「アンソロジー」に入っていますが、やっぱりデッカのオーディションの音であります
22ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 17:23:33.14 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「なんだよ、この曲。前にハンブルグでたった一回だけ、酔っ払い客相手にやっただけの曲じゃないか。
  こんなの営業用の歌だよ。俺たちのスタイルじゃない。
  ちっきしょう、ムッカつくなあ。
  早く終わんないかな、このクソオーディション!」
  これは当時21歳ジョン・レノンの心の中のつぶやきである。

  時は1962年1月1日、ビートルズはデッカオーディションの真っ最中。
  とにかくジョンは全てが気に入らなかった。
  先ずは選曲。
  それはみんな、新米マネージャー=ブライアン・エプスタインのアイデアだった。
  このオーディションを受けるに当たって、ビートルズとブライアンは幾度となく選曲ミーティングの場を設けた。
  「デッカのオーディションは絶対に失敗できない。
  ビートルズのロックバンドとしてのパフォーマンスは間違いなく素晴らしい。
  いままでのイギリスのどんなアーティストよりも上を行っている。
  これは自惚れではなく絶対的なものである。」
  という確固たる自信があった。
  しかし、問題は彼らが認められている地域がリバプールを中心とするマージーサイドと、すでに2回ばかり赴いているドイツのハンブルグだけ。
  ロンドンではいったい何が好まれるのか?。皆目見当がつかなかった。

  ジョンは発言した。
  「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとリズム&ブルースを持っているじゃないか。
  それにオリジナルだってもう何十曲もある。
  何ならそのオーディション、全部オリジナルで行ってもいいんだぜ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」
  しかし、ジョンのこの勝気なアイデアは採用されることはなかった。
  ブライアンのアイデアどおり、曲はほとんどが当たり障りのない十数曲に決定したのである。
23ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 17:24:32.65 ID:???0
  〜 The Beatles / To Know Her is to Love Her
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QSVQDJaktHc

  〜 The Beatles / Like Dreamers Do
  ttp://www.youtube.com/watch?v=d5iWVsVCupw
 
  (小林)2曲続きました。
  つまり、今までかかった6曲は全部デッカのオーディションの録音っていうことで。
  今の(2曲目)Like Dreamers Do、これはオリジナルですね。ポールが歌っていました。
  
  そしてその前の曲は(1曲目)To Know Her is to Love He。
  元歌はフィル・スペクター(Phillip Spector)。もう有名なプロデューサー。
  名前は聞いたことあると思いますが、彼が高校生の時作っていたバンドがこの曲をやって、全米で1位になりました。
  すごい才能だったんですね、フィル・スペクターはね。それをカバーしました。
  ジョン・レノンがボーカルを録っていました。
  デッカオーディションの模様からですね、6曲を聴いたわけです。
24ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 18:43:42.45 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (東京都江戸川区/男性)
  ビートルズは今年デビュー50周年ですが、もう一つ今年デビュー50周年のグループ、ビーチボーイズ(The Beach Boys)の新譜からタイトル曲をお願いします。
  (小林)ということで、そうなんです。
  ビーチボーイズはビートルズと良い競争関係にあったわけですが。
  今回は、50周年を記念しての世界ツアー、そしてオリジナルアルバムを出していますね。
  そのタイトル曲であります「神が創りしラジオ」ていう邦題が日本語のタイトルが付いています。

  〜 The Beach Boys / That's Why God Made the Radio
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OGke6pnT1d0

  〜 The Lovin' Spoonful / Summer In The City
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s1_8909dNJ0

  (小林)The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityが流れました。
  (千葉市稲毛区/女性)
  先日、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリー映画を観てきました。
  長年シャンプーを愛用していましたが、それが実在するスタイリストの名前だったとは全く知りませんでした。
  彼は「サスーンカット」と言われる斬新なカットと技術で、60年代のファッションシーンを牽引し、世界に革命を起こした美容界のビートルズだったんですねえ。      
                               (小林)僕もこれ、ちょっと観たことがありますねえ。
  リクエストは、Revolution(革命)にしようかと思いましたが、映画で使われていた曲がとてもカッコ良かったので、
  The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityをお願いします。
  (小林)
  かけました。
25ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 18:45:05.16 ID:???0
  (東京都江東区/男性)
  今年はビートルズのデビュー50周年ということで、例年にも増してビートルズの話題が増えることを期待しています。
  ビートルズを聴き始めて35年。私も6月23日で50歳を迎えます。
  中学生だった自分が50歳になるとは、非常に驚きです。
  今後は10年単位で目標を決めていろいろな事を実行したいと思います。  (小林)いいことです。
  リクエストはジョン・レノンが「百年経っても飽きない何かがある」とインタビューで語っているこの曲をお願いします。
   
  〜 The Beatles / I'am The Walrus
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pr1GukmGV0U
26ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 18:47:19.29 ID:???0
  〜 The Crusaders & Randy Crawford / Street Life (Extended album version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NSOQhIl_kXU 

  (小林)
  いかがですか? I'am The Walrus に引き続いて、いつもとは違う世界でしょう。
  これはクルセイダーズ(Crusaders)フィーチャーはランディ・クロフォード(Randy Crawford)という シンガーです。
  Street Life を聴きましたが。 
  
  (茅ヶ崎市/男性)50歳
  湘南からちょっとノイズ入りのBayFMを聴いています。
  ビートルズは一番聴きこんでいたのは たぶん高校時代。
  北海道の田舎の高校生だったので、誰かが大枚をはたいて買ったLPレコードを、お互いに貸し借りして聴き。
  山本泰三さんのライナーの訳詩も穴が開くほど眺め。
  当時文庫で出ていた片岡義男訳の日本語歌詞本も買って読み。
  そんなこんなが、ロクに英語も読めないくせに勢いだけでやってる今の海外関係の仕事にも何か影響しているのかな?
  ちなみに、このメールも出張先のマレーシアのクアラルンプールから書いています。
  そんな高校生活も終わりに近く、ビートルズ一辺倒だった私たちに「もっと別の曲も聴いてみれば?」と問いかけてくれたのが、
  その頃のフュージョンブームだったのかもしれません。
  いなか暮らしの高校生には、おしゃれな曲調。
  曲のタイトルが、まだ見ぬ都会への憧れとともにキラキラ輝いて見えました。
  実際はそんなに素敵な事を歌っているわけではないのに気付いたのは、ずっと後になってのことです。
  そんなわけで、ちょっと長い曲なんですが、出来れば完奏して欲しい。
  私のビートルズから始まった二歩目の曲です。
  (小林)
  ということで、クルセイダーズ。
  もし気に入った方は、クルセイダーズをチェック!。
27ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/13(金) 18:48:25.48 ID:???0
□エンディング  
  (小林)
  というわけで、きょうはいかがでしたか?
  ビートルズの話しの方も、デッカオーディションの頃でね、一番ほんとに面白い頃だよね。
  
  それから、リクエスト。
  「ヴィダル・サスーンの話し」といい。
  「ビートルズから始まって、二歩目はフュージョンに入った」といい。
  やっぱり「ビートルズから始まって」なんかいろいろ動いている、ていう。
  やっぱり生きているっていう事を感じさせていただきました。
  そういう風なリクエストもお待ちしております。 
  もちろん初心者のリクエストも大歓迎です。
  よろしく。
  採用の方には(ry
28ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/18(水) 17:39:38.25 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月15日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  ビートルズが世界的になった年。「A HARD DAY'S NIGHT」がイギリスでナンバーワンになりました。
  いきなり、発売と同時にナンバーワンです。
  これはイギリスのチャートは、今でもあるNMEのチャートです。New Musical Expressのチャート。
  で、その時点においてNMEのアルバムチャートで「WITH THE BEATLES」のアルバムは24周目のランクイン。トップ30の中で。
  もうビートルズの天下の時代ですよね。
  この「A HARD DAY'S NIGHT」なんですけど、もちろんアメリカの最初の1位ですが、イントロが衝撃的だ、ていう。
  まあイントロのチラッとした話しになるんですけど。
  一説にはですね、Dm7F ていうコードと D7sus4(onG) という二つのコードを同時にガーンと鳴らしてるって言われています。
  で、ギターが「リッケンバッカー・360/12」という12弦ギターがロックの音を塗り替えました、これが使われていて。
  全米制覇するまでは楽器は自前で月賦でビートルズは買っておりましたが。
  有名になってからはメーカーなんかから提供を受けることがしばしばありまして。
  ジョージのこの12弦は最初のアメリカに渡る際に、ミネアポリスのショップからもらった、プレゼントされました。
  これ以来12弦サウンドはジョージのトレードマークになります。
  最も影響を受けたのはバーズ(Byrds)のロジャー・マギン(Roger McGuinn)「Mr. Tambourine Man」ボブ・ディラン(Bob Dylan)のヒット曲でお馴染み。
  あと、ビーチボーイズ(Beach Boys)のカール・ウィルソン(Carl Wilson)は、
  ジョージ・ハリスンのポスターをビートルズのポスターを自分の部屋に飾ってて兄貴のブライアンから怒られていた、ていう。
  シングルヒットの「Dance, Dance, Dance」なんかにも取り入れていると。
  そのあとクロスビースティルスアンドナッシュ(Crosby, Stills & Nash)とか、トム・ペティ(Tom Petty)、REM、多くのアーティストが真似をしています。
  ジョージ・ハリスンから始まった、この曲から始まった。
29ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/18(水) 17:40:59.05 ID:???0
  そして何と言っても、タイトルと歌詞はほんとに面白いですけど。
  リンゴ・スターが、もうビートルズが忙しくなって、「今日は忙しい日の夜だったよねー。」て言う。
  リンゴは時々、ほら、日本語じゃなくて、英語がおかしいわけですよね。
  「ああ、お前、面白いこと言うね。今日は忙しい日の夜だった?。なになに、それタイトルにしちゃおう。」
  ていうことで「A Hard Day's Night」てのが生まれたわけですよね。
  改めて聴いてみましょうか、イントロ、ちょっと注目して下さい。

  〜 The Beatles / A Hard Day's Night 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lutb5xOlqLc

  (小林)いかがですか? ビートルズの A Hard Day's Night。
  イントロすごかったでしょう?。
  で、今の終わりのアウトロって言うんですけども、チャララ、ラララララ♪っていうところは
  また転調しているという、けっこう、いろんなものが入っているんですね、ビートルズの傑作はね。
30ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/18(水) 17:49:39.44 ID:ZdKUQTz+0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとR&Bを持ってるじゃないか。
  それに、オリジナルだってもう何十曲もあるよ。
  なんならそのオーディション、全部オリジナルでもいいんだよ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」

  これは、あの伝説的なデッカオーディションを受けるに際して、ジョン・レノンが語った言葉。
  マネージャーになったばかりのブライアンは、「このオーディションは全体に失敗できない」と考え、
  ロンドンのメジャーカンパニーであるデッカの制作スタッフに何としても気に入ってもらおうと作戦を練っていた。
  オーディションをクリアするため最も大切なのが、選曲。曲選びである。
  すっかり熱くなっているジョンに対し、ブライアンはなだめるように発言した。

  「そうだね、ジョン。君の言っていることは間違いない。
  確かにビートルズの魅力は、ハードなロックンロールとオリジナルの黒人にも負けていないイカしたR&Bにある。
  もちろん、ジョンとポールのコンビが書いたオリジナルナンバーもなかなかのものだ。
  だけどね、ジョン。ここからが肝心だ。
  ロンドンの連中を納得させるには、卓越した演奏力と、音楽性の幅広さを見せることが最優先だと思うんだよ。
  そして、契約さえしてしまえば、そりゃあもう、こっちのものだよ。
  次から次へとオリジナルをプレゼンして、さらにアルバムにはいつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bのナンバーを収録すればいいだろう。
  そのためにはねえ、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決だ。
  ジョンもみんなも分かってもらえるかな?」
  
  最後まで納得のいかなかったジョンであったが、自分の得意ナンバーも入れてもらうという条件付きでやっと首を縦に振った。
  しかし、営業用の曲に交じって演奏されたロックな2曲は、どこか実力を発揮できないものに終わってしまったのである。
31ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/19(木) 21:19:14.42 ID:???0
  〜 The Beatles / Money (That's What I Want) (Decca) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ncxbe6pqIfw
 
  〜 The Beatles / Memphis (Decca)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TB8VAtEiehE
 
  (小林)ジョンがやった2曲がつながりましたね。
  Money をやりました。これはモータウンのバレット・ストロング(Barrett Strong)ていう人のヒット曲のカバーです。

  で、Memphis っていうのはチャック・ベリー(Chuck Berry)の有名なヒットで、これもカバーです。
  でも、ちょっと実力が発揮できなかったかなあ?っていう感じ。
32ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/19(木) 21:20:34.50 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「契約さえしてしまえば…。
  それにもうこっちのものになるだろう?
  次から次へとオリジナルをプレゼンして。
  さらにアルバムには、いつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bナンバーを収録すれば良いじゃないか。
  そのためにはね、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決なんだ。
  ジョンもみんなも、分かってもらえるかな?」

  これは1961年の12月、ビートルズのマネージャーとなったブライアン・エプスタインの発言。
  年明け早々、元日にロンドンで行なわれるメジャーレーベル=デッカレコードのオーディションに臨む曲選びのミーティングの席でのことである。  
  
さすがイギリス北部で最大の利益を上げているレコードショップNEMSの経営者だけあって、ブライアンはそのバランスを良く考えて発言していた。
  当時のイギリスの音楽シーンは、ことロックに関しては発展途上であった。
  もちろん、アメリカで産声を上げたロックンロールがものすごい人気であったことは間違いない。  
  エルビス・プレスリー(Elvis Presley)の出すレコードは、軒並みイギリスチャートトップに輝き。
  もちろん、ビートルズが最も参考にしていたバディ・ホリー(Buddy Holly)にも本国アメリカ以上の支持が集まっていた。
  白人シンガーだけではない、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)リトル・リチャード(Little Richard)といった黒人ロッカーの人気も凄まじいものがあった。
  しかし、自前のロック、つまり、イギリス人が演奏するオリジナルのロックとなると1962年1月の時点では、クリフ・リチャード(Cliff Richard )とシャドウズ(The Shadows)ぐらいしか存在していなかった。
  もちろんリバプールを中心とする、マージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースの大流行。
  若き日のミック・ジャガー(Mick Jagger)やキース・リチャーズ(Keith Richards)エリック・クラプトン(Eric Clapton)などは、まだまだアマチュア修行中でメジャーデビューを夢見る少年であった。
  この“メジャーデビュー”という言葉、それはすなわち“レコードデビュー”を指していたことは言うまでも無い。
33ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/19(木) 21:21:34.36 ID:???0
  〜 The Shadows / Shadoogie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cxGMrdo4C5Q

  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4

  (小林)
  そうですねえ、ビートルズのデッカレコードのオーディションの頃は、
  やっぱりイギリスの音楽界というのは「ロックはみんなアメリカのもの」ていう。
  9割以上はアメリカのもの。
  「自分たちのやる音楽ていうのは二流」というふうな意識があって。
  まあ一流ぐらい、と目されていたのは、お送りしたシャドウズぐらい。
  で、シャドウズの(1曲目)Shadoogieていう曲です。
  シャドウとブギを組み合わせた Shadoogieていう、これは1961年の曲。
  そして今聴いたやつが、(2曲目)Everybody's Trying To Be My Baby。
  アメリカのカール・パーキンス(Carl Perkins)のカバーをビートルズが「ビートルズフォーセール」のアルバムでやっていたものです。
34ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/19(木) 21:24:28.26 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズがデッカレコードのオーディションを受けた1962年1月の時点では、
  イギリスのメジャーなロックミュージシャンはクリフ・リチャードとシャドウズくらいしか存在しなかった。
  もちろん、リバプールを中心とするマージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースが大流行。
  若き日のミック・ジャガーやキース・リチャーズ、エリック・クラプトンなどは、まだまだアマチュア修行中で、メジャーデビューを夢見る少年であった。
  とにかく誰もがライブハウスのステージに立ちたがり、メジャーなレコード会社からのレコードデビューを目指して日夜励んでいた時代である。
 
  肝心のビートルズのデッカオーディションであるが、
  実力を100%は発揮できないままに終わったとは言え、やるべき事は全てやったという充実感はあった。
  現場を担当したアシスタントディレクターのマイク・スミスは「お疲れ様!。素晴らしい演奏でしたよ!」と褒めてくれた。
  ロンドンのいわゆる業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受け止め、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格。」と思って疑わず、
  ビートルズの四人、ジョン・レノン、ポール、ジョージ、そしてドラマーのピート・ベスト、それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてのレストランに入り、祝杯を挙げた。
  まったく、気が早くてオメデタイ話しである。
  実はこの日、ビートルズのオーディションを朝一番に入れたのは、全てデッカ側の都合であった。
  ランチタイムを挟んで午後にはもう一つのバンド、地元ロンドン出身のブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )のオーディションが控えていた。
  そんな事とは露知らず、ハイボールで祝杯を挙げる“のん気で幸せなリバプール勢”であった。
35ジョン・キロックノン:2012/07/19(木) 21:25:24.55 ID:???0
なんかもう、アリステア・テイラーの証言話しではなくなってきている様子w。
36ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/19(木) 21:26:53.97 ID:???0
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Twist And Shout
ttp://www.youtube.com/watch?v=iA-LMH5Fm00

  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
ttp://www.youtube.com/watch?v=9BPQEmR6iCY
 
  (小林)2曲、初期のお馴染みの曲が続いたんですけど。
  これはビートルズの(2曲目)Please Mr. Postman。マーべレッツの曲のカバー1963年。
  その前の(1曲目)Twist And Shout はなんかビートルズっぽいけど違うなあ っていう。
  そうですよ、ビートルズじゃなくて…。
  ビートルズは午前オーディションを受けましたが、午後はロンドンの、結局こっちが採用になるんですけど、ブライアン・プール&トレメローズの Twist And Shout。
  ビートルズの Twist And Shoutに較べるとちょっとねえ。ジョン・レノンのシャウトが耳に慣れてるから、
  「あ、これ、ちょっと物足りない」と思われた方、正解です。
37ジョン・キロックノン !ninja:2012/07/20(金) 21:01:11.60 ID:???0
□リクエスト
  (小林)リクエストはメール・FAX・ハガキで受け付けています。
  ハガキの場合は 〒261-7127 BayFM「ビートルズから始まる」
  FAXもあります。043-351-8011
  その人の字の癖とかね、そういうの見ながら、その人のことを判断した時代が懐かしいです。
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  リクエストする方、ちょっとがんばって、よろしくお願いします。

  (千葉市中央区/男性)40代、厄年
  克也さんこんばんは。最近のエピソードを聴いていると、ビートルズの誕生は危なっかしいですねえ。
  大成功後の姿しか知らない僕にとっては、話しがとても新鮮です。
  さて、MTV世代の僕には、ロックはアメリカ産と思い込んでる時期がありましたが、
  けっきょく好きなアーティストはほとんどがイギリス出身でした。
  エリック・クラプトン、スティング、ポリス、クイーン、そしてビリー・ジョエルも大のビートルズファン。
  ビリー・ジョエルはアメリカ人ですけど。
  みんな「ビートルズから始まる」ということですかねえ。 
  (小林)
  イギリスは、なんて言うんですかね、本家じゃないっていう意識がありますから、イギリスの中で屈折して出て来てるよね。
  そこが日本人なんかにも良く分かる、っていうことじゃないでしょうか。結果ですけど。
  「ビリー・ジョエルがソ連で歌ったという」そう、ビリー・ジョエルは共産圏でコンサートをやった比較的早い人でしたが、
  ポール・マッカートニーのあの曲をやっています。

  〜 Billy Joel / Back In The USSR
  ttp://www.youtube.com/watch?v=42Tah0DCubg

  〜 The Beatles / Help!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM

  (小林)やあ、ビリー・ジョエルからいきなりHelp!につながりました。
38ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/20(金) 21:07:43.43 ID:???0
  (小林)
  ビリー・ジョエルはね、昔はね、僕がニューヨークに行って、ニューヨークのラジオスタジオにいて、
  東京のラジオスタジオに桑田佳祐がいて、で、ビリー・ジョエルが遊びに来る、っていう構図があった時にね。
  ビリー・ジョエルはビートルズの…「俺は、いつもビートルズの5番目のメンバーだと思ってた。」っていう風な事を言って、
  桑田佳祐が「ああ、自分もそう思ってたのに・・」という体験があったんですよ。
  だから、ビリー・ジョエルからビートルズへ上手く繋がりますよね。ビートルズはHelp!。

  (板橋区/男性)
  自分は今年41になるんですが、初めてレンタルレコードで借りたのがビートルズの「HELP!」でした、アルバム。
  あとで判ったんですが、アメリカ盤の派手なサントラでした。
  あの時は中学一年生で、1984年、何度も聴いて、自分がこの世の中でHelp!が一番多く聴いた曲です。
  5000回はHelp!を聴いたと思います。ビートルズの曲は飽きないですね。
  で、リクエストはHelp!
  (小林)ていうことでw
39ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/20(金) 21:09:42.03 ID:???0
  (流山市/男性)50代
  今までずっとサイレントリスナーでしたが、初めてメールします。
  いつも一週間分のアイロンをかけながら、犬と散歩しながら拝聴しています。
  さて、8年越しの夢をかなえニューヨークに初出張しました。
  昔、克也さんにも「百万人の英語」を通して教わりましたが、私の努力不足で英会話というより英単語といったレベル。
  英文メールも真っ赤に添削されてしまう毎日です。が、幸い注文も取れ、実績も上がって来ているのが何よりの励みです。
  ニューヨークではセントラルパークに行って、ジョン・レノン・メモリアルで祈りを奉げてきました。
  心残りなのは、ジャズライブに行けなかったこと。 
  また出張機会があれば、ぜひ訪ねたいと、次の夢を追いながら50の手習い、もうすぐ60の英語に取り組んでいます。
                                           (小林)がんばってね。
  リクエストはそのジャズっぽいやつですね。マンハッタントランスファーの Birdland、これをよろしくお願いします。 
  (小林)
  さあそれじゃ、リクエストです。 

  〜 The Manhattan Transfer / Birdland
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6QOQr0gzS48
40ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/20(金) 21:11:46.79 ID:???0
  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band - With A Little Help From My Friends
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yOTBL9dThOI (3曲メドレー)

  (小林)はい、ここまでお送りしましたよ。
  (江戸川区/女性)
  主人が高校生の時にビートルズのコピーバンドをしていて、ドラムスでした。
  その主人が毎週、晩御飯も食べずに聴いています。        (小林)うわあ、すごいね。
  主人のために大好きな、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドをリクエストします。
  (小林)
  この気持ちはわかりますね。
  あのね、ご飯を食べるとね、ご飯を食べる音がするんですよ。
  例えば、ご飯ぐらいだったらね、普通のご飯だったら大したあれじゃないんだけどw
  固いものだとか、バリバリするものだとか、野菜だとかサラダだと、耳に響くんですよ。
  そうすると、それが邪魔になるんですよ。ねえ。わかりますよ。
  だから、そんな晩ご飯お預け状態で聴いているというw、御主人のために Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandから
  つながっているんだから、リンゴ・スターまで行っちゃえってことでw。
  今日は御主人のために、お預け状態の御主人のために特別サービスでWith A Little Help From My Friendsもかけました。ワン!。
41ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/20(金) 21:13:12.31 ID:???0
□エンディング  
  (小林) 今日はいかがでしたでしょうか?
  「もうビートルズのこの頃の話しを聴いていると、危なっかしいですねぇ」ていうリクエスト、その通りだと思いますよ。
  結果は我々は知ってるわけですけども。
ほんとに、本人たちはどうなるかわかんないんですよね。
  で、ブライアン・プールとトレメローズの Twist And Shoutを聴いたけど、あれも良く出来ていたじゃないですか。
  だから、あっちが採用になるっていうのも分かりますよね。
  ねえ、運命っていうのは面白いもんです。
  みなさんも、ヒヤヒヤしながら、自分との関わり、音楽との関わり、ビートルズの関わりなんかをリクエストにしてお寄せ下さい。
42ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/23(月) 20:06:58.02 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月22日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  何回も言いますが、1963年はイギリス国内でビートルズが、すごい人気になった年なんですが。
  49年前の今日、ビートルズはジェリー&ペイスメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)と新人のトミー・クイックリー(Tommy Quickly)とツアーをスタート。
  ツアーと言っても、そんなにでっかいツアーじゃないらしいんですが。
  ウエストンスーパーメアー(Weston-super-Mare)ていう観光地のオデオンシネマていう所で、コンサートをやっています。
  面白いのはね、この日やるでしょう、それから5日後 同じ所でやるんですよ。
  その間の4日間はビートルズは何もしていない。
  ビートルズは4日間休んでいた、という推測が成り立つんです。
  というのは1963年は、ビートルズはほんとうに死に物狂いで仕事をしています。
  で、改革的な事が起きるのは、いろんなツアーをやってて、
  だいたい大きなツアーになると、中心というかトリというか最後に出て来るのはアメリカのロックスターなんですよ。
  春、この年ビートルズはもちろん前座ですよ。
  クリス・モンテンス(Chris Montez)という人、それとトミー・ロウ(Tommy Roe)ていうアメリカで売れている人たちが最後に出るわけだけども、
  ビートルズが前座だったんだけども、ビートルズの人気がすごいんで、最初はアメリカのアーティストが最後(トリ)なんだけど、
  ビートルズが逆転してトリになる、という。
  今までね、アメリカの連中の前座しかやっていなかったイギリスの連中ね、ビートルズが最初にトリになっちゃったっていう、その年であります。
  その年の今日は、観光地でライブをやっていた。ていう。
  で、一緒にやっていたのがジェリー&ペイスメーカーズ。
  これはまあ因縁がありますね。同じ事務所なんだけど、ライバル同士ですよね。
43ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/23(月) 20:09:16.76 ID:???0
  それから、ジョージ・マーチンが「ビートルズは、まずオリジナルはちょっと無理じゃないか?」ということで、プロの作詞作曲家による「How Do You Do It?」
  これをやってくれって言う、ビートルズに頼みますよね。
  で、ジョン・レノンが「冗談じゃない!、自分たちはオリジナルをやるんだ!」って突っぱねますよね。 
  あの曲をジェリー&ペイスメーカーズはやって、イギリスで1位になるわけですよ。
  で、その次のシングルもイギリスで1位になるんですが。
  それじゃ今日はですね、その次のシングル、つまりビートルズのライバルだったジェリー&ペイスメーカーズはどんな音をしていたのか、どんなバンドだったのか。
  これはもう我々の耳の中では、ビートルズが“王様”になっちゃっているから、ジェリー&ペイスメーカーズなんて屁と思って聴いちゃうけど。
  正直な耳で聴くとね、なかなか良いバンドなんですよ。ビートルズと同じぐらい良いバンドです。
  それをちょっと確かめてください、ジェリー&ペイスメーカーズ I like it。

  〜 Gerry and the Pacemakers / I like it 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aoRcpbsD-Vk 

  (小林)Gerry and the Pacemakers の I like it。
  これが2枚目のシングル。これもイギリスでナンバーワンになっている。
  つまり、イギリスの2大バンドっていうか、ビートルズの人気っていうのは、「ビートルマニア」っていうね、
  ビートルズへのヒステリー状態っていう言葉が生まれるぐらいすごいんですけども。
  人気バンドが2本立てぐらいでツアーをやったのが、49年前の今日です。
44ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/25(水) 18:30:50.62 ID:???0
□デッカオーディション
 ・「お疲れ様!素晴らしい演奏でしたよ!」という労(ねぎら)いの言葉主は、デッカレコードの制作マン=マイク・スミス。
  まだ20代のアシスタントディレクターが、1962年1月1日元旦のオーディションを担当した。
  まだ充分な経験も無い若いスタッフにオーディションを任せたこと自体、ビートルズは舐められていた、と考えても無理はなかった。
  しかし、ロンドンの業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受けとめ、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格!」と思って疑わず、
  ビートルズの4人、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてドラマーのピート・ベスト、
  それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてレストランに入り、ワインをボトルで注文し祝杯を挙げた。
  それはあまりに幸せでオメデタイ連中であった。

  正直なところ、ビートルズはこの日の自分たちの演奏に満足はしていなかった。
  マネージャーの意見を尊重して受け入れた曲選びにも、違和感は最後まで残っていた。
  ポールの声は緊張から何度もかすれて音程を外し、ジョージの指は重く、思うようなイカしたギタープレイには程遠いものだったし、
  チャック・ベリーのメンフィスを歌うジョンの存在は、どこか場違いなものに見えた。
  ピート・ベストのドラムスもリズムのノリにバリエーションが無く、ただ辛抱強くそこで叩いているかのような印象を与える結果となったのである。

  一応は大人の社交辞令として、ビートルズを労ったデッカレコードのスミスであったが、
  彼の考えは実のところ、すでにグラつき始めていた。
  というのも、ビートルズと同じ日の午後、やはりこのデッカでオーディションを受けたブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )
  の方が、どこか洗練されていて印象が良かったから、であり、
  スミスの評価はトレメローズに移って行ったからであった。
45ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/25(水) 18:35:53.90 ID:???0
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Do You Love Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xH5_Z46h-o4&feature=related

  〜 The Beatles / Till There Was You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qk4ohb870yU
 
  (小林)いかがですか? いま聴いたのがビートルズの(2曲目)Till There Was You。
  これはブロードウェイのミュージカルから来た歌で、ペギー・リー(Peggy Lee)という女性のシンガーが歌ってヒットした曲なんですが。
  それをビートルズがカバーした。これがデッカのオーディションでビートルズがやったやつですよ。

  その前が、結果的にはビートルズに勝っちゃうやつなんですけどBrian Poole and the Tremeroles。
  ロンドンのバンドで (1曲目)Do You Love Me。

  どうですか?、どれを、皆さんが審査員ていうか、決定しなきゃだめな立場にいたら…。
  ビートルズにするかトレメローズにするか、ていうところですよねえ。
46ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/25(水) 18:39:39.15 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズ…うーん…。リバプールのキャバーンで見た時は、もっとワイルドでブルージーな印象だったんだけどなあ。
  今回のオーディション、なんか肩透かしを喰らった感じだな。
  こっちが期待してたのは、あんなチャラけた曲じゃないんだよなあ。
  ところで、ビートルズの次にオーディションを受けに来たトレメローズ、あれはまあまあ良かったな。
  さすがロンドンのバンド、洗練されていて卒が無い。
  いずれにしても、どちらか一つに絞らないといけない。
  さあ、どうすりゃいいんだろう?。」
  これは、1962年1月1日、ビートルズのオーディションに立ち会ったデッカレコードの制作マン=マイク・スミスのオーディションの後のつぶやき。
  この日のオーディションに関しては上司のディック・ロウから、その全てを一任されていた。
  自分の仕事ぶりを認めてもらい任されることは嬉しいことではあったが、今回の任務は少し荷が重かった。

  上司からの命令はこうである。
  「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  とにかく、君がプロの耳を持っているかどうか、その真価を問われるのが今回のオーディションだと思ってもらいたい。
  さあ、がんばってくれ。」

  スミスは迷いに迷っていた。確かにトレメローズはロンドンのバンドらしく洗練されていて、演奏も卒が無い。
  地元のバンドであれば連絡も取りやすいし、ビジネスとしては楽である。
  それに対して、ビートルズはリバプールのバンド。
  この頃のイギリスの音楽業界そのものが、リバプールの事をまだ何も理解していなかった。
  実はそこには、ビートルズに並ぶ魅力的なバンドやシンガーがひしめいていたのである。
47ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/27(金) 22:57:51.11 ID:???0
  〜 The Swinging Blue Jeans / Hippy Hippy Shake
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1Ke8mzgex4U&feature=related

  〜 The Searchers / When You Walk In The Room
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4XWQCLqab4o

  (小林)というわけで、また2曲続きましたけども。
  そうなんだよねえ。
  ビートルズがオーディション受けた時は、正月には、午前中が田舎のリバプール 午後が地元のロンドンのバンドだったわけですよ。
  リバプールのことは、ほんとに良く分かっていなかったんだけど。
  この番組で何回か、リバプールっていう港町はね、けっこうリズム&ブルースはロンドンなんかより早いよ、みたいな話もしましたけども。
  そのリバプールのグループです。
  スウィンギング・ブルー・ジーンズ(The Swinging Blue Jeans)がやっていた。いずれもカバーですよ、今日はね。
  (1曲目)Hippy Hippy Shake、有名なロックンロールのナンバー。
  そしてザ・サーチャーズ(The Searchers)の(2曲目)When You Walk In The Room。
  2曲続きました。
48ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/27(金) 22:59:18.03 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  さあ、がんばってくれ。頼んだぞ!。」
  これは1962年の元旦早々、ビートルズのオーディションを担当したデッカレコードの若き制作マン=マイク・スミスが上司のディック・ロウから言い渡された業務命令である。
 

  この日は午前中にリバプールからやって来たビートルズ、そして午後が地元ロンドンのグループ=ブライアン・プール&トレメローズの2組のオーディションが行なわれた。
  優等生的なバンドであるトレメローズに比べると、ビートルズはプロっぽくは無い。
  だけど、オリジナリティという点では、どんなバンドにも負けていない。
  なのに、このオーディションでは本来の得意のナンバーはほとんど無く、広い音楽ファンに受けそうな曲を集め、それで勝負を賭けてきた。
  確かにビートルズの本来とは違った側面を見ることができて、担当したマイク・スミスも興味を持った事は確かである。
  しかし、数週間前にリバプールで見たビートルズとは少し“キャラ”が違っていた。
  ビートルズの持ち味であるハードなギターサウンドもブルージーな歌い方も、デッカのオーディションではすっかり封印されていたのである。
  スミスはいよいよ迷ってしまった。
  いや、迷ったというよりは、ビートルズが判らなくなった、と言った方が正しいのかもしれない。
  わざわざリバプールまで出張し、あの狭苦しいクラブ「キャバーン」で直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあったはずなのに。
  今回はそれは、ほとんど見受けられない。
  正直、演奏だけであれば、軍配はトレメローズに上げたくなる。
  こうして、ますます「新人バンド選びのスパイラル」に巻き込まれていくマイク・スミスであった。
49ホワイトアルバムさん:2012/07/28(土) 03:07:58.57 ID:???0
いつもありがとう
50ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/29(日) 01:46:19.29 ID:???0
  〜 The Beatles / Money(That's What I Want)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ilnz6hyk3oU

  〜 The Beatles / In My Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
 
  (小林)まあ「話し」としては、ビートルズがレコードを出す前の話しなんですがけども。
  レコードを出すようになってから。直後に出した、ビートルズの(1曲目)Money。
  これはモータウンのヒット曲のカバーですけれども。
  逞しくなってますよねえ、というか、もうすでに逞しかったんだと思いますけど。
  それから、この頃になるとソングライティングも深みが加わって来ます。
  1965年ジョンの傑作です、(2曲目)In My Life / The Beatles。
  
51ジョン・キロックノン !ninj:2012/07/29(日) 01:51:19.15 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (草加市/女性)
  10代の頃から小林克也さんに影響されて洋楽好きになった30代の主婦です。 
                 (小林)責任重大ですw。どうですか?洋楽好きになって。人生は良い方に向かっていますか?w
  高校時代隣の席だった女の子がポールのファンで当時は私はマイケル・ジャクソンのファンだったので
  休み時間によく Say Say Sayや The Girl Is Mineをデュエットして歌っていました。  
                     (小林)やあ、レベル高いですねぇ。
  調べてみると他にもデュエット曲には The Manという曲があるみたいですね。この曲をリクエストします。
  (小林)あなたのリクエスト。 

  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / The Man
  http://www.youtube.com/watch?v=rXgim4YXLXk
  
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / Say Say Say
  http://www.youtube.com/watch?v=b9jGSdGVNFI

  (小林)
  というわけでポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエットが2曲続きましたね。
  これは(2曲目)Say Say Say 80年代の大ヒットですが。
  (川崎市中原区/男性)
  先月はポールの誕生日とマイケル・ジャクソンの命日があったので二人が共演した Say Say Say をリクエストします。
52ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/29(日) 01:52:48.58 ID:???0
  (小林)
  ポールとマイケルのデュエットは、もちろんマイケル・ジャクソンの方から仕掛けたわけですよね。
  住所とかいろいろ聞いてポールにいきなり電話をして「なんかやろうよ」っていう。
  で、この二人は仲良くなるんですけど、ただポール・マッカートニーによると、一つ後悔していることがあると。
  それはですね、マイケル・ジャクソンがメチャクチャお金がガンガン入って来て。 
  冗談半分に「おまえ、ビートルズの歌の権利を買えば?」ていうようなことを言って
  マイケルはサッと買っちゃったんですよね。
  だから、マイケル・ジャクソンがビートルズのほとんどの曲の権利を買ってる、ていうことはお馴染みだと思いますが。
  ポールが「買ったら?」って。「しまった!俺が買うんだった!」「ほんとだったら、買っとかなきゃだめなのに・・・」
  ていうような事をインタビューで言っております。
53ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/29(日) 01:54:20.06 ID:???0
  (宇都宮市/男性)
  ビートルズチルドレンとも言える日本のバンド「チューリップ」が結成40周年を記念してツアーをすることになりました。
  少年の頃に好きだったバンドをまた見られるということで、娯楽に飢えている昨今、生活に張りが出てきました。
  この年になって聴くとなおさら深みを感じるフェイバリットソングの一つ The Love Map Shopをよろしくお願いします。
  
  〜 チューリップ / The Love Map Shop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6trmvy0gD6k

  〜 The Beatles / I'll Follow the Sun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9N2FqdRl8ts

  (船橋市/男性)
  先日の放送で「フォーセール」のアルバムの何曲かかかって嬉しくて、そして懐かしく感じました。
  「フォーセール」は僕が初めて買ったビートルズのアルバムです。
  当時はジャケットが気に入り買った記憶があります。
           (小林)みんなどうだったろうwアルバムは買うのはジャケットが気に入って買ったよね。そうだよねw。
  他のアルバムに較べると埋もれた感は否めませんが、でも良い曲入っていると思います。
54ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/29(日) 01:56:07.78 ID:???0

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  いろんなリクエストがあっていいですから。
  型にはまる必要はまったく無いですから。よろしく。
  (メール、FAX、ハガキも可です。)
  リクエストは、定番ていうような書き方があるとすれば、そういうのは破って下さい。
  それがビートルズの精神です。
  
  というわけで、ビートルズがオーディション受かるかどうかっていうことで。
  結局は、なんといのうか、妥協したわけですよね、ビートルズがね。
  ほんとうは、自分たちの好きなやつをやらせればよかったんだけど、「大人のやり方」でやって。
  結果ですけど、デッカはダメになるんですけど。
  だから、やっぱりジョン・レノンなんてのは一番ロック魂にあふれた人でしょう。
  そういう風なものがぜんぜん無かったんですよ。
  結果落ちるわけですが、この頃の話しは面白いです。
  また来週もお楽しみに。
  
55ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/30(月) 20:06:06.47 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月29日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  ビートルズが「アップル」ていう会社を作ったのはご存知だと思います。
  これはですね、音楽ばっかりじゃなくて映画だとか、それからファッションで自分たちがいろいろチャレンジしていこう。
  それも、商売にしていこう、という会社なわけですね。
  で、その一環として「アップルストア」て言うと、今「えっ。その店なの?」って間違われるといけませんけどもね。
  実は正確に言うと「ブティックアップル」ていうのをロンドンに立ち上げるわけですよ。
  ところがビートルズはデザイナーじゃないし、野心は面白かったんだけどね、それを実際に服を集めたりする人間がダメだったわけで。
  もうアップルは結局「ダメな店」になって行くわけですよ。すぐ。
  ヒッピー連中に食い物にされるっていう。
  で、これがですね、今から44年前の今日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが来て。
  「もうアップルを閉める」っていうんで、アップルストアの目ぼしい物を、ジョンとヨーコが持ってった、ていう。
  それが今日なんですよね。
  ちょっとこれ関係あるかもわかりませんが、
  ジョン・レノンを崇拝するリアム・ギャラガー(Liam Gallagher)っているじゃないですか。
  あれが、やっぱりファッションブランドをスタートさせて、青山の、東京のね、青山に自分のレーベル名の「プリティグーリン」てのをオープンして
  こないだ本人が来てパーティやったんですよね。そういう野心があったんですよね。
  そういったのは最近では、ヒップホップの連中なんかにも受け継がれているみたいですが。
56ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/30(月) 20:08:58.82 ID:???0
  さて、今から44年前の今日は、スタジオでジョンとポールが、ポールが書いたあの名曲。
  実は、ジョンがオノ・ヨーコと一緒になっちゃって、ジョンの最初の子供がね「寂しい」って言うわけで、ポールがジュリアンを励ますために作った曲ですよね。
  ヘイ・ジュード(Hey Jude)。
  これを二人が手直しをしています。
  そこで、そのバージョンをちょっと聴いて頂きたいと思うんですが。
  これ何回も録ってるみたいなんですよね。
  で、今日聴くバージョンはですねえ、特に冒頭のジョンとポールのやり取りが面白い。
  ジョンとポールは打ち合わせでやるんじゃないんですよ。
  ジョンが何か言い出すとね、ポールがそれに付け加えて、面白くしてその曲に持って行くっていう。
  曲、何回も録ると、けっきょく面白くないじゃないですか。
  だからいかに彼らは何回テイクしても楽しむために、いろいろ工夫をしていたっていうのがわかります。
  ジョン・レノンが話し始めるんですよ、
  そうするとポールが「うん、そう、それはボストンでの物語。じつはその恋の物語は…」なんて事を言いながら、
  ちょうどいい所でヘイジュードに持って行くんですね。
  その模様を聴いていただきましょう。
  
  〜 The Beatles / Hey Jude (Short Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mhmXfyX-3-k 

  (小林)というわけで、今から44年前のきょう、スタジオで、やり直したっていう。ジョンとポールが作って。
  これはシンプルな編成ですけども、これは今日録ったやつは実は採用されないで、後で録り直したやつが採用されるという。
  でも、でもw、一つ一つ味があって面白いねえ、ビートルズはねえ・・・。
57ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/01(水) 22:09:31.01 ID:???0
□デッカオーディション
 ・「年末に、わざわざリバプールまで出張してあの狭苦しいクラブ・キャバーンで直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあった。
  今回のオーディションではそれが感じられないし、歌も演奏もいま一つ。あの曲選びのせいだろうか?
  うーん…彼らはもっと魅力的だったはずなんだけどなあ。」
  これは1962年1月1日、元旦のオーディションを担当した、デッカレコードの制作マン=マイク・スミスのつぶやき。
  まだ20代のアシスタントディレクターがオーディションを仕切り、契約するバンドの決定まで任されていたのである。
  同じ元日の午後には、デッカのオーディションを受けたのは、地元ロンドンで結成され活躍するブライアン・プール&トレメローズ
  彼らの演奏はとにかく卒が無い。
  つまり、トレメローズを不合格にしてビートルズと契約するための理由が見当たらないのである。

  マイクは自問自答した。
  「弱ったなあ、確かにビートルズはこのオーディションでは力を出し切っていないし。俺もどこか釈然としないことがある。
  でも、トレメローズよりすごいか、って言われると、それも決定的な結論は出ないなあ。
  よし、ビートルズのマネージャー=エプスタインさんには申し訳ないけど、今回はトレメローズと契約しよう。
  何てったってロンドンのバンドなら、連絡は取りやすいし、ビジネスプランも立てやすいしな。
  それにしても、あのリバプールのロックバンドムーブメント、すごいことだけは確かだ。
  キャバーンに出てるバンドもみんなパワーがあってセンスもいい。
  この先、どんなバンドがリバプールから出て来るのか、それだけは楽しみだなあ。」

  このように、スミスがリバプールの音楽シーンに興味を持ったのも無理はない。
  なんせ当時、リバプールだけでもバンドの数は500以上。
  このあといくつものバンドがリバプールからロンドンにやって来て、イギリスのロックシーンの中心となるのも、もはや時間の問題であった。
58ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/01(水) 22:14:07.56 ID:???0
  〜 The Big Three / Some Other Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5mbj6do2t6E
  
  〜 Gerry & The Pacemakers / Ferry Cross The Mersey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VEzMDPAV8MQ
 
  (小林)リバプールの音が、2曲続きました。
  ビックスリー(The Big Three)という、ビートルズのちょっと先輩のバンド、リバプールで人気があったそうです。
  (1曲目)Some Other Guy。

  そしていま聴いたのが、このところビートルズと一緒にコンサートをやった話しなんかお伝えしてますが、
  同じ事務所のジェリー&ペイスメイカーズ(Gerry & The Pacemakers)、この曲はジェリー・マースデン(Gerry Marsden)が書いた。
  これはなかなかいい曲でありまして、(2曲目)Ferry Cross The Mersey という有名な曲ですよね。
  イギリスで8位まで、アメリカで6位まで上がるヒットになります。Ferry Cross The Mersey ていう曲をお送りしました。
59ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/01(水) 22:43:21.39 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「ロンドンのデッカレコードからまだ連絡はないのか?。
  元日にオーディションを受けてから、もう2ヵ月経つんだぞ!。
  一体全体どうなってるんだ?、あのデッカって会社は!」
  怒りまくっている声の主はブライアン・エプスタイン。

  この時1962年3月から2年足らずで、ビートルズを世界一のロックバンドに仕立て上げた伝説のマネージャーである。
  しかし、この時点ではまだビートルズのマネジメント事務所としては、ほとんど利益を出してはいなかった。
  収入源のほとんどは、父親から任されているレコードショップNEMSの売り上げ。
  1962年の元旦のデッカのオーディションを受けたあとも、ブライアンはしょっちゅうロンドンに出かけ、音楽業界の関係者を追いかけ回していたので、
  NEMSの創業者である父親の怒りも、そろそろ頂点に達する寸前であった。
  ブライアンは出来るだけ父親と顔を合わせないようにと、オフィスを構えるホワイトチャペルの店ではなく他のショップに出かけては何とか時間を稼いでいた。
  それにしても、「ロックバンドをロンドンのメジャーカンパニーと契約させてレコードデビューさせるのに、こんなに時間がかかるものか?。」
  ブライアンはそろそろキレる時期に差しかかっていた。
  
  そんな中、3月に入ってブライアンが最初に交渉したデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンスから電話があった。
  その話の内容は
  「アーティストと契約し実際にレコードを制作する部署のプロデューサー=ディック・ロウから話しがあるので、ロンドンまでお越し頂けないでしょうか?」
  というもの。
  当然ブライアンは「ようし!ついに来たか!」と、一度は期待に胸を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  なにしろ返事が遅すぎるのだ。
  しかし、どんな時でも「ビートルズは世界一になる」と信じて疑わないブライアンも、またそこにいた。
  この前向きな姿勢こそ、カリスママネージャーたる所以(ゆえん)だったのである。
60ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/03(金) 18:14:57.92 ID:???0
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw

  〜 The Beatles / Baby You Can Drive My Car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nVGcndog-yY

  (小林)2曲続きました。
  初期の、というか、これはEPレコードですよね。
  1964年6月に出たそうですが。
  ジョージ・マーチン・プロデューサーの元「じゃあ、このカバーを」ってやったら、テイクワンでOK!だったそうです。
  Long Tall Sally。
  ポール・マッカートニー得意中の得意の曲です。

  そして Drive My Car 「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っています。
  ポール・マッカートニーのリクエストで、
  ジョージは、スティーブ・クロッパー(Steve Cropper)つまり60年代のソウルミュージックで有名なギタリストですが、
  「そのように弾いてくれる?」ていうリクエストがあったそうです。
  Drive My Car。
61ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/03(金) 18:18:55.81 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「あ、エプスタインさんですか? お正月はわざわざオーディションのためにロンドンまで御出で頂きありがとうございました。
  また、今日までお時間をいただいて、本当にお待たせいたしました。
  実はですね、そのビートルズに関して、以前エプスタインさんもお会いになっているかと思いますが。
  制作部のプロデューサー=ディック・ロウが、直接お会いしてお話しをしたいと申しております。
  それで、どうでしょう、ご足労をおかけしますが、近いうちにロンドンまでお越し頂けないでしょうか?。」

  この電話の主は、ビートルズの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインが最初にコンタクトをとったデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンス。
  ビートルズを最初に制作部に紹介してくれた人物である。
  当然ブライアンは「よし!ついに来たか!」と一度は胸に期待を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  返事がおそ過ぎるのだ。
  どんなに車内で検討するのに時間がかかったといっても、2ヵ月は長過ぎる。
  「俺は、舐められているのか?」ブライアンはそう呟いてみた。
  もしそうだとしても、相手に背中を見せるわけには行かない。

  そして翌週、ブライアンはロンドンにいた。精神状態は不安定なままである。
  再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋が、ビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか。上等だよ、望む所だ。」
ブライアンはそう呟き、臨戦態勢に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰が柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・」
  部屋の温度が一気に5度下がったように感じたブライアンであった。
62ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/03(金) 18:28:14.62 ID:???0
誤字誤文スマソ

×胸に期待を膨らませ
○期待に胸を膨らませ

×車内で検討
○社内で検討
63ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/05(日) 01:22:42.72 ID:???0
  〜 The Beatles / For You Blue
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e_UvXbKyPnk

  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Me4yCKIUt5o
 
  (小林)2曲続きました。渋い曲が続きましたね。
  If I Needed Someone、ジョージ・ハリスンの名曲というか。
  これ聴いて、音楽古いのを聴いてる方はね、
  バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)とかクロスビースティルスナッシュ(Crosby, Stills, Nash & Young)とか思い出されたと思います。
  それをやってたんですよね、もうね、「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入ってますからね。
  楽器によって、歌の明るさだとか表情がだいぶ変わりますけど、ジョージ・ハリスンはリッケンバッカー360/12っていうのを弾いていました。

  その前の曲は For You Blue。
  これは「レットイットビー(LET IT BE)」に入っている曲なんですけど。
  ジョン・レノンはフェンダーラップスティールっていう、膝に置いて弾くスティールギターですよね。
  ジョン・レノンがやっています。
  これもちょっとアメリカのカントリーブルースっぽい感じでしたね。
   For You Blue。
64ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/05(日) 01:28:04.83 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせて頂きます。
  不採用の方、申し訳ないですけど…これに懲りずに…。
  メールアドレスは [email protected]

  (三鷹市/男性)
  僕がビートルズに興味を持ったのは中一のころ、よく学校の英語の先生がビートルズの曲を流してくれたのでいつのまにか心惹かれてました。
  ちなみに先生が流してくれたのは「Yellow Submarine」「Let It Be」「Obladi Oblada」の3曲です。   (小林)先生が好きだったんだ。
  今僕の中で一番好きなビートルズのアルバムは「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」。
  メンバーそれぞれの個性的な歌がとても大好きです。
  ここで僕はこの「ホワイトアルバム」の中から「Happiness Is A Warm Gun」をリクエストします。
  初めは静かに始まりますが、最後のあたりで激しくなるところが、とても大好きです。
  (小林)
  この曲はまいっちゃうよね。ジョン・レノンの作品ですけど。
  タイトルが「幸せは暖かい鉄砲」ていうか暖かいライフル。
  「おお、何の事を歌ってるんだ?」と、頭の中バーッっと脹らむけど、
  その脹らみ以上のことを体験させてくれる歌です。

  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GiYxCWPKqq8
65ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/05(日) 01:29:38.20 ID:???0
  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q

  (小林)いやあw、ジョン・レノンの Happiness Is A Warm Gunからパフィーへ来たら、けっこう繋がりましたね。
  イイ感じになってきましたねえ。

  (千葉市美浜区/女性)
  ビートルズ結成50年ということで、いろいろ盛り上がっていますね。
  この番組も何かしら企画があるのでしょうか?
  でも、いつものように変わらないのが克也さんらしくて、いいかも。
  リクエストさせていただきます、パフィーの「これが私の生きる道」
  これは初めて聴いた時「あれ?どこかで聴いた事のあるメロディが出るなあ」と思っていたら、
  ビートルズのメロディが何曲も入っているので、パフィーもカッコいいと思いました。
  もし、ほかにもあったら教えてください。

  (小林)
  まあこれは、ビートルズ好きの井上陽水・奥田民生がw、もう本当に遊んだ、思う存分遊んだ。
  ビートルズをリスペクトするっていうかね、
  ビートルズにいかにやられているか、っていうことを見せつけた。
  そしてまたパフィーが、すごいイイ仕事しているわけですよね。パフィーの味がまたすごい。
  ほらだから、アニメの作品がアメリカで受けたっていうのも、ちょっと頷(うなず)けますよね。
  はい、14年前ですよ、これが。
66ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/05(日) 01:37:39.93 ID:???0
  (四街道市/女性)
  先日NHKで海外ドラマ「グリー(GLEE)」が放送されていました。
  合唱部がダンスをしながら、ビートルズの「Don't say goodbye,I say hello」と歌っていました。
  オリジナルも良いんですけが、グリーも素敵で一緒に口ずさんでしまいました。リクエストします。
  (小林)
  あなたのリクエスト。

  〜 Glee Cast / Hello Goodbye
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P26-9ee5gGg

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=psuXzEIM05s

  (小林)
  All You Need Is Loveがかかっています。
  (神栖市/女性)
  いつも仕事中でメール出来ないんですが、
  今回旅行でニューヨークのセントラルパークにあるジョンのモニュメントに行って来たので、初メールさせて頂きます。
  私はビートルズには詳しくないんですが、ラジオを楽しみにしています。
  セントラルパークの中でも片隅にあり、判り辛い場所なんですが、たくさんの人が献花やロウソクを焚いていました。
  近くではビートルズの曲を奏でるバンドマンたちがいて、改めて広い世代と多くの人に愛されていたんだなと、実感しました。
  (小林)
  ニューヨークで、あの場所からですね、すぐ、路が近いじゃないですか、路に出るとその向かい辺りが“ダコタアパートメント”ですよ。
  今でもオノ・ヨーコさんたちが住んでいる、という。
  それも、見ました?見ましたかw?
67ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/05(日) 01:39:21.80 ID:???0
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか?
  ビートルズがデッカレコードという所でオーディションを受けて、2ヵ月も待たされてw。
  で、ロンドンに呼び出されるわけですよね。
  来週いよいよ、その答えがわかります。
  これはもう、名作を見るみたい。
  ストーリーは判ってるんだけども楽しみだ、っていうw。
  そんな感じじゃないかと、思います。
  でもねえ、やっぱりあのデッカの7階行くと、すっごい豪華なんだってね。
  そこで、偉い人がみんな集まって、むっつり昼ご飯を食べて、その後で言い渡されるんですよ。w
  ハイ、お楽しみに。
  
  リクエスト、今週は女性が多かったですね。
  女性の方の、それも20代30代の方なのかな、多かったですけど。
  全世代ウェルカムです。
  ひとつよろしく。
  採用の方には・・・(ry
68ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/06(月) 20:56:14.45 ID:3yi7LBFO0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月5日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  あら?ちょっと俺の声おかしいな。そうなんです。風邪をひいています。ちょっと響きがちがう。
  イギリスで「リボルバー(Revolver)」のアルバムが、当時はLPとも言いました、「リボルバー」のLPが発売になります。
  そして同じ日、シングルで両A面で「エリナリグビー(Eleanor Rigby)」と「イエローサブマリン(Yellow submarine)」
  この組み合わせがまたすごいよねえw。
  エリナリグビー、今バックに流れてるのエリナリグビーですよ。
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EwNr5fnq-d (Eleanor Rigby - String Alchemy)
  悲しい曲wなんですよ。
  悲しい曲と、ほんと能天気な曲がw、組み合わせ。
  両A面だってw、ファンも迷っちゃうよね。

  でこのアルバム「リボルバー」っていうのはですね、ちょっとビートルズの歴史を変える様なところがあります。
  実は1966年、今から46年前、ビートルズが日本に来てますよね。
  その時点では、もう「リボルバー」は録音してたんだけども、日本だとかいろんな国でコンサート奏るじゃない。
  ぜんぜんリボルバーの曲を奏らなかった。
  どうして奏らなかったのか、て言うと「生では再現できなかったんだ。」ていうようなことが言われています。
  例えばですね、最初に取りかかった「Tomorrow Never Knows」という曲、
  これはインド風のサイケデリックが聴こえたりするぶっ飛んだ曲ですけれども。
  この曲はジョン・レノンの曲ですが。
  ジョン・レノンが「ダライラマがヒマラヤの山の頂上から説教しているようなサウンドが欲しい」という注文をつけて、
  アシスタントから大抜擢されたジェフ・エメリック(Geoff Emerick)、これはエンジニアですが。
  彼がビートルズのメンバーの注文を聴くのに大活躍します。
  ジョンのボーカルをですね、
  回転式のスピーカーに通したりとか、テープの逆回転をやったりとか、ループていう同じ所をくり返すような、テープを切り刻んだり

  いろんな事をやっています。
69ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/06(月) 20:57:50.68 ID:???0
  では、今から46年前の今日、イギリスで発売になった「リボルバー」の第1曲目、これはジョージ・ハリスンの作品です。
  ビートルズの歌は、ほとんどがラブソングがずっと多かったんですけど、これはラブソングじゃないんですよ。
  税務署員の、税務署がね、「なんと、95%も税を取って行くんだよ」というような事をいきなり歌いはじめる。
  これは、ファンはビックリしちゃいます、これ聴くと。
  で、これはねえ、まあいろいろ(音を)重ねて作ったと思われます。
  ジョージ・ハリスンの声でカウントがある中で、ポール・マッカートニーもカウントを出している。
  あのこれね、頭から注意して聴いて下さいw。面白いですからw、ビートルズのお馴染みの Taxman.

  〜 The Beatles / Taxman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A  

  (小林)
  いかがですか。これが46年前の今日発売になった「リボルバー」の1曲目 Taxman。
  税務署がw…、いきなりお前すごいなあwっていう感じですよねえw。
  これ20分の一しか残らないわけですよ、ビートルズ。
  一億稼ぐと、500万しか残らないわけですよ。
  あと9500万、税務署が持って行くっていう。
  こりゃあもう歌にしなきゃって、ジョージがw怒ってやったんでしょうね。
  で、ジョージの作品だけど、ポールのギターが大活躍ですよ。ポールですよ、ギターがね。
70ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/07(火) 23:53:52.95 ID:???0
□デッカオーディション
 ・1962年3月、イギリスはリバプール、きちんとした身なりの男の心中は穏やかではなかった。
  男の名はブライアン・エプスタイン。
  彼はイングランド北部はもとより、今やロンドンの業界でも有名なレコードショップNEMS(North End Music Stores)の支配人であり、
  さらにはこの時点ではまだ無名のロックバンド「ビートルズ」のマネージャーでもあった。
  もちろん、この2年後ブライアンはビートルズを全世界で大ブレイクさせ「音楽の歴史上最も成功したロックバンドのマネージャー」の称号を頂くことになる。
  そのブライアンの心中がなぜ穏やかではなかったのか?  
  それは、2ヵ月前の1962年の元旦、ビートルズがロンドンの大手レコード会社デッカの新人オーディションを受けたことに原因があった。

  そのオーディションは、ビートルズの得意とするワイルドなロックンロールやリズム&ブルースのレパートリーは極力外し、
  ポップ路線で行ったおかげで、オーディション担当者の受けは良かった。
  と、ブライアンはそう信じていた。
  「音楽のビジネスに関して、俺は失敗をしたことが無い。ビートルズだって絶対上手くいくに決まってる。」
  そう信じて疑わなかったブライアンではあったが、今回は少し事情が違っていた。
  なんせデッカからの連絡が無いのである。

  そして2カ月が過ぎたある日、そのデッカから電話が入った。
  翌週、再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋がビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ、望むところだ!」
  ブライアンはそう呟き、臨戦体制に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰は柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・・」
  ブライアンは神妙な面持ちで、その言葉に耳を傾けたのである。
71ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/10(金) 00:07:47.19 ID:???0
熱さで録音データのあるメインPCが
物故割れましたので
しばらくお休みします。
72ホワイトアルバムさん:2012/08/10(金) 11:14:34.61 ID:???0
夏は自分よりもボロPC優先に扇風機当ててやらないと壊れるよな。
73ホワイトアルバムさん:2012/08/12(日) 22:38:52.31 ID:???0
きょうは聞けなかったけど、どこまで話し行ったの?
先週は、不合格と告げられるところだったけど
74ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/08/13(月) 21:01:06.79 ID:???0
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4

  〜 The Beatles / Fixing a Hole
  http://www.youtube.com/watch?v=xJZehOcygi0  

  (小林)2曲続きました。
  Fixing a Hole(2曲目)これは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」に入っている曲。
  奇妙な曲ですよねえw。1967年。
  
  そしてその前は、これはジョージ・ハリスンの作品、(1曲目)Think For You Self。
  ポールはファズをかけたベースを弾いておりました。
75ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/08/13(月) 23:13:10.71 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ。望むところだ。」
  これは1962年の3月、ロンドンのデッカレコードの本社ビルに呼び出された時の、ブライアン・エプスタインの心の中の呟き。
  もちろん、この時ブライアンは事実上のビートルズのマネージャーであり、2ヶ月以上前に受けたオーディションの結果通知を、
  「まだか、まだか」と待たされていたのである。
  デッカレコードに到着し、ブライアンが通されたのは「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  リバプールでビジネスに成功した裕福なユダヤ人家庭に生まれ、何不自由なく育ったブライアンではあったが、さすがにこの部屋にはビックリした。
  自分の父親の自己資本だけで一代で叩き上げたNEMSに較べると、まるで規模が違った。
  やはりここでも、貴族を中心とした資本者階級と労働者階級のはっきりとした棲み分けがある。
  イギリスの階級制度、もっと簡単に言うと「身分制度」を目の当たりにした。
76ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/08/13(月) 23:14:42.62 ID:???0
  豪華なランチが済むと、ビートルズのオーディションには立ち会わなかったものの、決定権のある責任者=ディック・ロウが無表情で話し始めた。
  豪華な応接室に緊張が走る。
  「率直に申し上げますが、エプスタインさん。私どもはあなたのバンド“ビートルズ”の音楽に興味を持ちませんでした。
  バンドの時代はもう終わりです。特にギターリストが二人いる四人組みはもう流行りません。
  バディ・ホリーだってもう亡くなっているんです。」

  ブライアンは煮えたぎる怒りを顔に出さないようにして、こう答えた。
  「あなたのお考えは、理解できません。ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になるという絶対的な自信があるんです。」
  
  ブライアンの執拗な食い下がりに、デッカの面々は顔にこそ出さなかったものの辟易としていた。
  オーディションを受けに来る若いミュージシャンなんて掃いて捨てるほどいる。
  こういう類の人間はアーティストを商売道具、つまり金としか考えていないのが見え見えであった。
77ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/08/13(月) 23:18:00.49 ID:???0
  〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LbOBHk3Wogg

  〜 The Beatles / Something (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gp935slKcVE

  (小林)いやあ、これはジョージ・ハリスンのみんなよく知っている最高傑作のひとつ(2曲目) Something。
  でもこれは「アンソロジー3」に入っている。
  で、録音ていうのは1969年の2月25日、ジョージ・ハリスンの誕生日に録音されたっていう。
  これは別の曲に聴こえるぐらい。
  面白いですねえ、これねえ。
  もう一回聴きたいでしょうw。

  その前が有名な曲(1曲目) Give Me Your Money。ポール・マッカートニーの曲で。
  これは、またw、今日はビートルズの金の歌がw2曲続けられたからw、あの Taxmanねw。
  それからこれもw、お金の歌があるんだね。まだ他にも お金の歌あるからねえw。
78ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 18:59:10.31 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「あなたのお考えは理解できません。
  ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。 
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になる、という絶対的な自信があるんです。」
  これは、ビートルズの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインが、オーディションを受けたデッカレコードに呼び出され
  不合格を言い渡された後の発言。
  男一代ブライアンの啖呵であった。
  
  しかし、ブライアンはこの日は何とか平静を装ってデッカを後にしたものの、後日この不合格の決定を覆そうと、何度もデッカを訪れている。
  出来る限りの努力をしようと、一人でロンドンに出向いては、
  決定の判断を下したプロデューサー=ディック・ロウにアポイントメントを取っては執拗に食い下がった。
  ロウがだめなら、ブライアンが最初に話を持ちかけた営業セクションのピーチャー・スティーブンスを説き伏せようとした。
  さらには、小売部門にまで足を運び、自分が大手レコードショップの経営陣であることを武器に話を進めようともした。

  当事者であるデッカのプロデューサー=ディック・ロウは、こう語ってくれた。
  「あとで聞いた話なんですが、
  ブライアンは『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』
  という条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来てくれていたら、ストーリーは変わっていたと思うんです。
  なんせ、当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは、面白いものであると同時に、実に残酷なものなんですねえ。」
79ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 19:01:10.70 ID:???0
  〜 The Beatles / Besame Mucho(Decca Demo)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xaLlA7GeQZ4

  〜 The Beatles / Medley: Rip it up/Shake, Rattle and Roll/Blue Suede Shoes(Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=l8PeVr_GmoA
 
  (小林)古いやつのカバーが続きましたね。
  最初はデッカオーディションで奏ったやつですよ。
  きっとハンブルグ時代に覚えたんじゃないかと思いますが、Besame Mucho。
  すっごい速いテンポですよねえ。
  
  で、(2曲目)これは1969年、アップルスタジオで録音をしたやつです。
  Shake, Rattle and Rollはポールが歌って、
  Blue Suede Shoes のジョン・レノンのちょっと気が抜けたアレがちょっとパンクっぽくて良いんですよね、ボーカルがね。
  ピアノがビリー・プレストンが奏っておりました。
  「アンソロジー3」に入っております。
80ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 19:03:18.18 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールでやる方は [email protected]
  ハガキなんかでもいいですよ、〒216-7127 BAYFM「ビートルズから始まる」
  FAXは 043-351-8011

  FAXは個性が出ますからねえ。絵を描いたりすることも出来からねえw。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。

  (習志野市/女性)
  先日の放送で、克也さんは「みなさん、ジャケットでアルバム買ったんですねえ」っておっしゃってましたが。
  ジャケットはいいですよねえ。
  実家の壁には母の趣味でサイモンとガーファンクル、エルビス・プレスリーなどのアルバムジャケットがたくさん飾られていました。
  今のCDのジャケットも、いいものがたくさんありますよね。レコードサイズじゃなくて残念。
  リクエストは、音楽が気に入ってジャケットで買ったやつ。
  (小林)
  そうかあ、まあだけど、音楽はもともと気に入っていたんだね。
  昔はレコード屋さん行くと興奮するんですよ。特にお金を多めに持ってたら、ちょっと要注意です。
  まるで、デパ地下に腹を減らして行くようなもので、もう必要以上に買っちゃうんだよね。うんw。
  あなたが「音楽が気に入ってジャケットで買った」のはノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)のハイファインバーズ(High Flying Birds)ていうグループです。
  曲は AKA... What A Life!
    
  〜 Noel Gallagher's High Flying Birds / AKA... What A Life!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lwHpLDgWonM
81ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 19:05:41.42 ID:???0
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=J6JaUplB5JE

  (小林)
  Black Bird かかりましたよ。
  前の(1曲目)ノエルの曲もすごかったですよね。
  だけど、オアシスみたいな、ほんとオアシスみたいな感じがするんだよねw。
  まあ兄弟別れ別れでやっているっていう。 

  (千葉県鎌ヶ谷市/女性)
  テレビはあまり見ないので「ビートルズから始まる」を聴くと「明日からまた一週間が始まるなあ」という気持ちが締まります。
  大学を卒業して一年と余りフリーター生活をしていましたが、このたびやっと就職が決まり、明日からやっと社会人になります。
  少し遅れをとったけど「このフリーター生活も無駄じゃなかった」と胸を張って言えます。
  素敵な人たちに出会い、素敵な思い出がたくさん出来ました。
  そんな充実したアルバイト先で毎日のように聴いていた、思い出の曲。(Black Bird)
  (小林)
  やあ、これは良い曲が思い出の曲だねえ。
  これが好きだって言う人いるよ。
  最近も、あなた、ファン(Fun)て知ってる?、アメリカの3人組の「We are young」っていうのがすごいヒットしてる。
  あのリードボーカル、名前は忘れたけど。彼が「Black Birdが一番好きだ」って言ってたから。
82ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 19:07:42.32 ID:???0
  (鹿沼市/女性)
  初めて読まれたときのあの衝撃。夢のようでした。  (小林)こないだ、読んだんですね。
  克也さんはビートルズにリアルタイムで会ったことはありますか?
                             (小林)リアルタイムで会ったことは・・・
                             リアルタイムは、リンゴと、電話で話をしたことがあるんですけどねえ。
                             ビートルズの頃ねえ。
                             あと、ポールには実際にテレビのインタビューで会いました。
  私はポールに会いたい。 
                        (小林)ていうような事を、書いています。Night Befor なんですが、リクエスト。
  この曲の好きな部分は基本的に全部ですけど、特にポールの声が響いてる感じが爽やかで風を感じる感じ?
  これが最高なんです。
  (小林)
  じゃあ、あなたのリクエストで、ポールが歌っています。       
  
  〜 The Beatles / Night Befor
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u0mQGH7cq4Y

  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

  (鎌ヶ谷市/男性)
  仕事が運送なのでなかなかメールできなくて、今回初メールです。
  現在34歳で、ビートルズを知ったのは中学校の音楽の授業です。
  そこからビートルズのCDをいろいろ買って聴いて嵌りました。
  克也さんのビートルズの歴史を聴いていて興味をそそられて、自分でも調べたりもしています。
  初めて聴いた曲 Yesterdayをリクエストします。
  (小林)
  かかりましたよ。
83ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/14(火) 19:09:14.42 ID:???0
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  「話」は、ほんとうに面白いでしょう?
  あのビートルズが不採用、不合格、っていうw。
  結果がわかっているのにw、なんであんなに面白いんだろうねw。
  なんていうの、ビートルズが後々になって大成功するっていうの わかってるから面白いんだろうね。
  
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方には…(ry
84ホワイトアルバムさん:2012/08/14(火) 19:57:28.73 ID:???0
随分頑張ったな。
85ホワイトアルバムさん:2012/08/15(水) 21:36:17.28 ID:???0
ありがとう
86ホワイトアルバムさん:2012/08/15(水) 22:42:29.20 ID:???0
毎回ありがとうございます!
87ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:34:14.15 ID:???0
OSが(Win7に)変わったら、環境激変、なんかいろいろ不調。(´・ω・`)
WAVEデバイスがどうとかで、留守録を拒否されたりw
新しいメディアプレーヤーも使いづらくなったw
Janeも連投規制とか長文規制とか出たしw 
こまったw
88ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:35:00.53 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー 
は録音に失敗しました。
89ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:36:29.73 ID:???0
□デッカオーディション
 ・「あとで聞いた話ですが、ブライアンは
  『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』という
  条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、
  私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来ていてくれたら、ストーリは変わっていたと思うんです。
  なんせ当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは面白いものであると同時に、残酷なものなんですねえ。」
  
  これはビートルズがはじめて受けたオーディション、通称「デッカオーディション」を審査し、
  不合格の烙印を押したデッカのプロデューサー=ディック・ロウの発言。
  とても興味深いものである。
90ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:37:45.36 ID:???0
  ロックの歴史を振り返って見ると、そこには必ず「ビートルズ以前」と「ビートルズ以後」というキーワードにぶち当たる。
  つまり、ロックが発明されたのはアメリカ。
  もちろんロック以前のジャズやリズム&ブルースといった黒人音楽をルーツとする音楽はアメリカが本国。
  つまり、本場。
  これに対してイギリスは、その輸入国ということになる。
  「ビートルズ以前」には、イギリス産の音楽はイギリス国内やその周辺の国だけで聴かれ、ビジネス的にもそれほど大きいものではなかった。
  しかし「ビートルズ以降」、特に1964年2月にビートルズがアメリカ大陸に上陸して以来、それは急変する。
  イギリスとはまるで人口が違い、エンターテイメント大国であるアメリカでは、レコードの売り上げ枚数がまるで違う、
  エルビス・プレスリーに至っては、デビューしてすぐ百万枚の売り上げ、ミリオンセラーを連発していた。
  これに対してイギリスでは、数千枚の売り上げでも充分にビジネスとして成立したのである。
  もし、ビートルズがシングルを出すごとに3千枚のレコードを買い取るという提案が受け入れられ、デッカと契約していたら・・・。
  今となっては、すべて仮定ではあるが、ロックの歴史は「違ったビートルズ以降」になっていたことは、間違いないのである。
91ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:39:56.67 ID:???0
  〜 Elvis Presley / One Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e8-hAM8tdr0

  〜 The Beatles / Oh! Darling  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lG3sgOJuugM
 
  (小林)いやあ、プレスリーとポール・マッカートニーの勝負ですよねえ。
  ロッカバラードって言いますけどね、こういうのね。
  二連ちゃん聴き比べを、特にボーカルの聴き比べ。

  プレスリーは(1曲目)One Night、1958年ですよ。
  ポールやジョンが高校生の頃ヒット曲で。

  で、(2曲目)これは69年、約10年経ったあとのポール・マッカートニーの Oh! Darling。
  どうですか?、僕はプレスリーなんかよく聴いてますから、プレスリーのファンの間では、さっきの話じゃないけど
  「ビートルズ以前」じゃないけど、プレスリーは兵隊に行くんですよね。
  「兵役前」「兵役後」ていうのがあって、兵役前のボーカルはおそらくジョンもポールも大好きなんですよ。w
  兵役後はちょっと変わるんですよね。エルビスは。もう、大御所っぽい感じ。
  で、Oh! Darlingは、どっちかって言うと兵役後っぽいエルビスの声っぽいですよね。ポール・マッカートニーはね。
  そんなことはどうでもいいかもわかりませんけども。
92ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:42:59.33 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズがシングルを出すたびに3千枚のレコードを買い取る。」
  このブライアンの提案はデッカの営業部でストップしていた。
  アーティストとの契約に関しての決定権を持つプロデューサー=ディック・ロウの耳には届いていなかった。
  これはデッカが大企業であるせいで、横の伝達・コミニュケーションが上手くできていなかったせいなのか。
  あるいは、営業セクションが「これ以上ビートルズとかいうリバプールから来た分けのわかんないバンドに関わりたくなかった」ためなのか。
  今となっては、原因などはわからない。
  とにかく、デッカのプロデューサー=ディック・ロウはビートルズではなく、地元ロンドンのグループ「ブライアンプール&トレメローズ」を選んだ。

  この事実は数年たってビートルズの耳にも届いた。
  もちろん、彼らはすでに世界制覇を果たしていたが、これに関してポールはこうコメントした。
  「あのディック・なんとかっていうプロデューサー、後悔してもしきれないだろうなあ。」
  ジョンはもっと辛辣だった。
  「あんなやつ、後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ。」

  マネージャーのブライアン・エプスタインが「ビートルズはエルビスよりも偉大な存在になる」という発言をした時、
  デッカのディック・ロウと営業部のピーチャー・スティーブンスは目を丸くして驚いた。
  連中は年がら年中 新人アーティストの売り込みを受けていたのであるが、
  その中でもブライアンほど理性的で紳士的なマネージャーはいなかった。
  「最も評判の良いマネージャー」として通っていたのである。
  そのブライアンが、「あんな感情に走った大人気ない発言をするなんて・・・。」
  同じ部屋にいた人間は、みんなそう解釈し理解た。
  しかし彼らは間違っていた。
  それはビートルズが世界的にブレイクした1964年から解散する1970年までにEMIパーロフォンから発売された全てのレコードを聴けば
  誰でも判る事実であることは言うまでもない。
93ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:43:52.90 ID:???0
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yuSo60w0K_I

  〜 The Beatles / The Long & Winding Road
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUO7N-zSMYc

  (小林)わかりましたかね。ビートルズのアメリカデビューから最後のシングル2曲。
  こんな並び方で、かけたの初めてですよね。
  I Want To Hold Your Hand 1964年1月に出て、アメリカでは本当に大ヒットでした。
  そして1970年の5月、アメリカでの最後のシングル The Long & Winding Road。
  これも大ヒットしました。
94ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/16(木) 21:47:54.93 ID:???0
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、あいにく我々デッカレコードはビートルズと契約は出来ません。
  私の経験上あのバンドは売れないと思いますよ。
  私たちは音楽業界のプロです。
  ヒットするものしないもの、その業界でのウラ事情などなど、何でもわかります。
  あなたはリバプールでNEMSという素晴らしいレコード店を経営しておられる。
  それで 充分賞賛に値します。
  ですから、マネージメント業からは早く手を引いて、本来のビジネスに専念すべきです。」

  この言葉の主は、オーディションの結果ビートルズを不合格、不採用にした張本人、デッカレコードのプロデューサー=ディック・ロウ。
  最初の不合格通達にどうしても納得のいかないブライアンは、何度もロンドンに足を運びディック・ロウを説得しようと頑張った。
  しかし、ビートルズが不合格であれば、同じ日にオーディションを受け、運良く合格となったバンドもある。
  デッカはすでにそのバンドと正式なレコーディング契約を結んでいたため、ビートルズの不合格を取り消し契約するということは
  会社の規定上どうしても無理なことであった。
  普段ならスマートで清潔感があり最も紳士的なマネージャーとして有名だったブライアンが、こうも粘着質な男だった、なんて。
  ディック・ロウもいいかげん辟易していた。

  ブライアンも落胆はしていたが、顔には出さなかった。
  ビートルズを信じて、いつか絶対にチャンスは訪れると、四人のメンバーを励まし続けた。
  リバプールの若者をあれだけ熱狂させているバンドに、将来全国的なブレイクの可能性が無いなんて、どうしても信じられない。
  じゃあなんで、デッカの連中はビートルズにオーディションを受けさせたのか?
  ブライアンにはその理由が理解できなかった。
  そこには業界に在りがちな「大人の事情」が存在していたのである。
95ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/17(金) 20:40:17.87 ID:IAtj2s6z0
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down ("Let It Be... Naked" version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=02RB3rEghDA

  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GlpMs_R3P6U

  (小林)I Feel Fine、これは1964年アメリカでもナンバーワン、もちろん日本でも他の国でも大ヒット。
  そしてその前は、Dont Let Me Down 実は2003年にポール・マッカートニーが中心になって、やり直したようなアルバムがありましたね。
  「ネイキッド(Let It Be...Naked)」あの中に入っているバージョンです。 Dont Let Me Down。
96ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/17(金) 20:41:44.24 ID:???0
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  FAXやハガキでも受け付けています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送っております。

  (?不明/女性)
  ビートルズ初心者です。高校生の甥っ子もビートルズ初心者なんですが。
  年代を超えて話せるミュージシャンの方は少ないので、先ずどんなCDを買えば良いですかねえ。
  初心者入門編という感じで入りやすいアルバムを教えてください。よろしくお願いします。
  (小林)
  やっぱり、いわゆるベストアルバムから入る、ていうのが良いかと思います。
  ビートルズの場合「赤盤」「青盤」ていうのがあってね。初期のベストを集めた「赤盤」これをお勧めします。
  それじゃ、曲目の指定が無いので「赤盤」の中で、僕の一番好きな曲w、というか申し訳ない、
  これです!。

  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4

  〜 The Beatles / Birthday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m_Nz9B1XFio

  (小林)
  いやあ Birthdayがかかっちゃいました。She Loves You + Birthday。
  (船橋市/男性)
  「ホワイトアルバム」は大好きなアルバムで、この中からリクエストさせてください。
  たぶん「レボリューション9」なんかリクエストしてもかかりそうも無いので、Birthdayをリクエストします。
  ちょっと早いけど妻と子供が8月誕生日なのでよろしくお願いしまーす。
  (小林)
  レボリューション… うーん「レボリューション9(Revolution #9)」ね、この番組でかけたもんねーw。知らないんだもんねーw。
97ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/17(金) 20:43:38.89 ID:???0
  (府中市/男性)独身に戻った男。
  親父の米寿の祝いで8月末、故郷の沖縄に一緒に帰ります。
  高校までそこで暮らして、そこでビートルズの音楽にも出会いました。
  沖縄の白い砂浜で学生時代に聴いていた、スーパートランプ(Supertramp)の Breakfast in Americaをぜひ。
  ところでオンエアーされているんでしょうか?(一部音声不明瞭)
  なんといっても娘と私をつなげる大事な架け橋なのですから。
  (小林)
  ビートルズぽいよね、考えてみると、スーパートランプはね。
   Breakfast in America 大ヒットでした。
    
  〜 Supertramp / Breakfast in America
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aJH83DkNd9Q

  〜 The Rolling Stones / Sympathy for the Devil
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vBecM3CQVD8

  (小林)お聴きのサウンドは、ローリングストーンズの有名な「悪魔を哀れむ歌=Sympathy for the Devil」。
  よく、ビートルズとローリングストーンズは較べられるけど、ビートルズにはこんな世界は無いね。 
  (千葉県八千代市/男性)
  イギリスのローリングストーンズが1962年にロンドンで初演奏してから、7月12日で50年を迎えます。
  これまで、メンバーの脱退加入などいろいろありますが、人気バンドが一度も解散せずに半世紀も続いていることはすごいと思います。
  ミック・ジャガーはBBC放送のインタビューで、
  「音楽界で最も偉大なのは、エルビス・プレスリーとビートルズだ。でもエルビスは10年間ぐらいしか持たなかった。」
  と感慨深げに答えたそうです。
  いずれにしても、ストーンズもビートルズに引けをとらないスーパーバンドだと、改めて思いました。
  おいらがストーンズの楽曲で一番好きな Sympathy for the Devil リクエストします。
  (小林)
  いや、これはストーンズらしくて、ねえ、いい曲ですよ。
  どうもリクエストありがとう。
98ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/17(金) 20:44:57.52 ID:???0
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  最後のストーンズなんかがかかって、ビートルズのファンはどういう風に感じたでしょうかね。
  ビートルズに無い世界だからね。
  ほんとね、ストーンズはビートルズの影でビートルズの真似っこをしながら、途中で自分たちを発見して、すごいグループになるんですけど。
  まあ、ビートルズばっかりじゃなくて、いろんなものを平等に聴くってのが いいんじゃないでしょうかw。
  もし良かったら、いろんな曲かけますからね、リクエストください。
  [email protected]


  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
99ホワイトアルバムさん:2012/08/19(日) 19:17:50.38 ID:???0
また、トニー・バーロウの話に戻ってしまった
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月19日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 8月19日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  (冒頭部分録音失敗)〜ついでに、ワシントン・コロシアムとカーネギーホールでビートルズはコンサートをやります。
  この時もやっぱりすごかったんだけども、ビートルズは「世界の国が待っている」ということで。
  6月になるとデンマークに行って、香港、オーストラリア、ニュージーランド、なぜか日本には来なかった。
  で、8月9月が最初の全米ツアーです。
  どこの町へ行っても、もうビートルズはすごいんですよね。
  空港に行くと何千人も出迎え。
  ビートルズをホテルまで追っかけるとか。
  コンサートは、脱出方法を地元の警察と打ち合わせをして、こういったビートルズファンから逃げる作戦をビートルズは展開するわけです。
 
  コンサートで、実はこれからお送りする曲を、ビートルズが演奏します。
  ビートルズがこの曲を奏ったら、これは合図になるわけですね。
  スタッフはスタンバイ状態になって、アンコールを答えるふりをするわけです。
  だからビートルズは絶対「グッドナイト、お休みー」とか絶対言わないことにしてます。
  そうするとファンが外へ行って「出待ち」をするわけですよね。
  だけど、この曲がかかるとメンバーはですね、終わったら直ぐに、リムジンまで全力疾走して。
  でもホテルに戻ると、何とかファンが待ち構えていて
  下手すると、メンバーの部屋のベッドに不法侵入する、なんてエピソードがあるくらいですね。
  この頃のビートルズのすごさっていうのは、アメリカだとかイギリスでね、いっぱい本が出ていますね。
  もし興味がある人は、どれくらいすごかったか、そういう本を買って見るといいかもわかんないですが。
  さあ、それじゃ
  コンサートでファンをかわすために、もうこの曲が流れるとメンバーはスタッフはスタンバイって言ってた曲をお送りします。
  ロックンロールでカバーです。

  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw  

  (小林)Long Tall Sallyが流れました
□デッカオーディション
 ・「おや?この手紙、リバプールの消印が押してあるな。差出人がブライアン・エプスタイン。
  だれだ?このブライアン・エプスタインって人は。」
  手紙の受取人の名はトニー・バーロウ(Tony Barrow)。
  彼はリバプール出身の音楽ライターで、
  その当時1961年の12月にはロンドンのデッカレコードの契約社員として、
  シングルやアルバムの裏ジャケットに印刷されるライナーノーツを書いたり、
  アメリカから持ち込まれるいわゆる輸入盤のライナーの綴りを、アメリカスタイルからイギリス風に書き直す
  という仕事を任されていた。

  さらにこのバーロウという人物の歴史を遡ると、
  彼はロックンロールの創生期である1954年から地元リバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版に
  「オフザレコード」という、レコード評論のコラムを連載していた。
  しかし、このコラムを書く際、バーロウが使っていたのは本名では無くて「ディスカー」というペンネーム。
  友人たちはみんな不思議に思っていた。
  しかし、その理由は簡単。当時バーロウはまだ高校に通う17歳の少年だったのである。
  17歳ながら大人顔負けの視点と文章力を持つバーロウ少年は、リバプールエコー誌にとっては喜ばしいことではあったが、
  いかんせん17歳はマズイ。
  当時の常識としては、勉学を全うすべき高校生に新聞の記事、それもポップ音楽のコラムを書かせる、などもっての他。
  しかし、ライターとしての実力は間違いなく大人顔負けである。
  リバプールエコー編集部の担当者は、苦肉の策としてペンネームを使わせることにした。
  そのペンネームとは、聴きなれない言葉である「ディスカー」というペンネーム。
  これは当時のヒットレコードを連発する人気シンガーを指す言葉で、
  ディスク、つまりレコードをたくさん売りまくる人、という意味。
  特にアメリカのトップシンガー達に使われていた。
  
  さて、その"ディスカー”に届いたブライアン・エプスタインからの手紙。
  ビートルズのマネージャーとしての仕事を始めたばかりのブライアンは、いったい何を企んでいたのであろうか。
1961年の12月ということは4ヶ月前にタイムスリップですねえ
  〜 Paul McCartney / Singing The Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MbCHXVOtDP4&feature=related

  〜 The Beatles / Honey Don't
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jmLy4y1P05s
 
  (小林)ビートルズが伝えようとしているのは、50年代から60年代ですね、
  ロックンロールとかロカビリーとか呼ばれていた音楽。

  (1曲目)ポール・マッカートニーは例のMTVのアンプラグドのシリーズに出ました。
  そしてポールが中学生のころのイギリスやアメリカのナンバーワンソングの Singing The Bluesっていう曲。
  これはガイ・ミッチェル(Guy Mitchell)という人の曲なんですが。これをカバーしておりました。

  そして(2曲目)Honey Don'tていうのは Blue Suede Shoes なんかで、お馴染みのシンガーソングライターなんですよ。
  実はね、「シンガーソングライター」ていう言葉は(当時)無かったんですけども、
  カール・パーキンス(Carl Perkins)という、
  カントリーでありロックシンガーでありロックンローラーであった人の Honey Don't。
  これをビートルズは「Beatles For Sale」のアルバムで奏っておりました。
□デッカオーディション(続き)
 ・「私の事務所NEMSエンタープライズに所属するビートルズの音楽のことを、
  貴殿が執筆されている『オフザレコード』で取り上げては頂けないでしょうか?。」
  リバプールのロックバンド=ビートルズのマネージャーだと名乗る人物ブライアン・エプスタインからの手紙には、単刀直入にそう書いてあった。
  受け取ったのはリバプール出身でロンドンのデッカレコードで契約社員としてライナーノーツを書いていたトニー・バーロウ。
  バーロウは、地方新聞リバプールエコーの土曜版に音楽コラムの連載を持っていたが、
  そのライターとしてのデビューが17歳の時であったため、ペンネームである「ディスカー」を名乗っていた。
  ブライアンはそのディスカーに宛てて「ビートルズを取り上げて欲しい」と売り込みの手紙を書いたというわけである。
  そしてその手紙はリバプールエコーの編集部から転送され、バーロウが勤務していたロンドンのデッカレコードの部署に届いていた。
  しかし、このブライアンのバーロウに対してのアプローチは適切ではなかった。
  というのも「ディスカー」ことトニー・バーロウのコラム「オフザレコード」が取り上げるネタは、
  全てすでにレコーディングアーティストとしてデビューしているミュージシャンに限られていた。
  結果、バーロウはブライアン宛に「残念ですが、今回はビートルズを取り上げることはできません。
  早くレコードデビューできるように頑張ってください。」とロンドンから返事を書いた。
  すると、ブライアンはその翌週わざわざロンドンまでデッカレコードを訪ねたのである。
  通された部屋は社屋の隅にある、部屋とも呼べないスペース。
  当時ライナーを手がける部署などというものは、そんな扱いであり、単なる付録程度でしか考えられていなかった。
  しかし、訪ねてきた男ブライアン・エプスタインは、バーロウに興味を持たせるに充分なカリスマとオーラを放っていたのである。
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bm70jrf1ICY

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever(Love)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xOkzg8TQKUI

  (小林)これはビートルズの(2曲目)Strawberry Fields Forever。
  もうだいぶ前になるんだなあ、2006年「LOVE」のアルバム。
  ビートルズのプロデューサー=ジョージ・マーチンと彼の息子が、プロデュースとかいろいろ手がけましたけど。
  なかなかいい出来のアルバムですが。
  
  その前は(1曲目)Drive My Car、「ラバーソウル」に入っているお馴染みの曲。
□デッカオーディション(続き)
 ・「残念ですが、今回はビートルズを取り上げる事は出来ません。
  早くレコードデビュー出来るように がんばって下さい。」
  ビートルズの伝説的なカリスママネージャーとなるブライアン・エプスタインは、売り込みに失敗した。
  相手は「リバプールエコー」という地方新聞に「オフザレコード」という週末の音楽コラムを連載していたライターの「ディスカー」ことトニー・バーロウ。
  彼はロンドンのデッカレコードの契約社員でもあった。
  配属はレコードジャケットとライナーを担当する小さな部署。
  ここにバーロウから返事を受け取ったブライアンが訪ねて来た。
  「返事に納得できなかったんだよ。」

  ブライアンとバーロウはもちろん初対面ではあったが、お互い生まれも育ちもリバプール。同じ匂いを感じ取った。
  ブライアンは持参したキャバーンでのライブ音源をバーロウに聴かせた。
  かろうじて、どんな曲が演奏しているか判るものの、音のバランスは最悪。
  聴こえて来るものは、ほとんどが十代の女の子の熱狂的な叫び声。
  毎日きちんとミックスされたジャズやポップスのレコードを聴くのが仕事だったバーロウにとって、
  このライブ音源を聴かされることは、苦痛以外の何物でもなかった。

  しかし不思議なことに、バーロウは訪ねてきたブライアンに強く興味を惹かれた。
  先ず、そのきちんとした身なりに好印象を持った。
  それは、高級感そのものであり、髪も癖っ毛ではあるが丁寧に散髪されていた。
  握手しようと差し出した手の爪はきれいに磨かれ、透明のマニキュアが塗ってある。
  スーツはもちろんオーダーメイドで、キャメルのコートも超高級品で、それに合うスカーフも見事である。
  靴も、今その辺で磨いてきたと思われる光沢があり、バーロウの目に焼き付いた。
  そしてさらに印象的だったのは、ブライアンにはリバプール訛りのかけらも無かったのだ。
  まるでBBCのアナウンサーか有名大学出身者のような、華麗な言葉を話した。
  会ってまだ5分というのに、バーロウはすっかり魅了されてしまったのである。
107ホワイトアルバムさん:2012/08/22(水) 20:14:22.43 ID:???0
だめだ、ワクワク感を抑えられない。
早く続き読みたいです。
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-SbCIFbJQDk
 
  (小林)ちょっと優雅な感じがするロックですよね。
  バロック・ロックだって言う人もおりますが。
  ポール・マッカートニーの Martha My Dear。例の「ホワイトアルバム」に入っています。
  ほんとだったら結婚するはずだった、恋人の飼ってた犬の名前。
  犬に捧げて、犬に語りかけてる曲です。
□リクエスト
  (小林)リクエストは、ほとんどはメールなんですが。 
  メールアドレスは [email protected]
  FAXやハガキなど、もちろん可能ですよ。
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (船橋市/男性)
  以前、克也さんの番組で「ジョー・コッカーは今夜歌うことが出来るんだろうか?」ていう曲が流れていましたが。
  だれの曲だったか、なかなか渋い曲だったんですが、
  今回はそのジョー・コッカー本人の She came in through the bathroom windowをお願いします。
  (小林)
  まあこれは、ジョー・コッカー(Joe Cocker)という人なんですけど、
  そうですねえ、アメリカで60年代から70年代、すっごい声を持っている、アメリカで人気の…。
  まあ、イギリスの白人シンガーなんですけど。
  なんていうんですかねえ、声を聴いていただくとすぐ分ると思いますが、すっごい声なんです。
  で、ジョー・コッカーが今夜歌うことが出来るかどうか、っていうのはね、
  ジョー・コッカーはすごい酒飲みで、ウィスキーだとかビールとか、いろんな酒を飲んでステージに出るんですよ。
  それで、だいたい酔い潰れるときもあるんです。  
  日本に来た時もそうでしたが、代々木公園なんかで、代々木でやったときは、途中でステージの脇に行って吐いてるんですよ。
  それで、彼の偉いところは、またステージのセンターへ来て歌うんですよね。
  すっごい滅茶苦茶な生き方をした人で、もう声が、おそらく今では無くなってると思いますが、すごかった声が。
  じゃあ、ビートルズの「アビーロード」の中に入っているメドレーの例の曲です。

  〜 Joe Cocker / She came in through the bathroom window
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N1gUfCIaDvA
  〜 The Beatles / Please Mr Postman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=svPkYVD1E6k

  (千葉市稲毛区/女性)
  ロンドンオリンピックの開会式は見られましたか?
                           (小林)僕は見ませんでした。あとでニュースで見たり、違う映像で見たり。
  私はポール・マッカートニーを見るために朝3時から、テレビ前を張っていました。
  やっぱり最高にカッコよかったです。
  イギリスの選手が開会式で着ていたのはステラ・マッカートニーがデザインしたものだから、親子で大活躍ですね。
  ところで、ポールの前でギターを弾いていた人は、ダニーじゃなかったか。    (小林)ダーニなんですね。
  ダーニ・ハリスン(Dhani Harrison)に似てたと思ったんですが、あれは、誰ですか。
  (小林)
  人に訊いても「ジョージの息子は出てなかった」ていうことで
  ポールのあのいつものバンドのメンバーだったと思われます。
  リクエストにお応えしました。
  けっこう見てますねえ、ポールをね。
  (東京都中野区/男性)20代
  先週のロンドンオリンピックの開会式は最高でした。
  特にエリザベス女王が007と一緒にヘリコプターから降下してくる演出は素晴らしかったです。
  ただ、やはりお目当ての開会式のトリを飾るポール。
  これまでポールのライブ映像は何度も何度も見てきたんですが、生の映像は初めてでした。
  短いながらもポールのライブに大興奮。早起きして大正解。
  早く、日本でもまたライブをして欲しいな、と強く思いました。
  今回はポールのアルバム「フレーミングパイ」の Beautiful Nightをリクエストします
  あの開会式のライブにリンゴも参加して欲しかったと思うのは、自分だけではないはずです。

  〜 Paul McCartney / Beautiful Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MbwLqFXivWw
  〜 The Beatles / Across the Universe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZxNA4E5BcHM

  (小林)ジョン・レノンの名曲 Across the Universe が流れています。  

  (神奈川県茅ヶ崎市/男性)
  インドの出張から戻ってきたばかりです。
  ムンバイからさらにプロペラ機や列車で何時間もかかるところで、毎日朝早く出発して夜遅くホテルに戻る生活で
  食事も満足にとれず、州の法律で酒の販売が制限されているので、楽しみの晩酌もままならない日々でした。
  加えて、下手くそな英語はロクに通じず、相手のインド訛りの英語はまともに聞き取れない、という最低な毎日でした。
  そんな連続して起こるあれやこれやの時、なぜか脳内に浮かんでくるのは、印象的なギターのイントロと
  「何一つ僕の気持ちを変えはしない」というリフレイン。
  ほとんどそのリフに励まされて帰ってきたようなものでした。
  それにしても、ジョンもそうとうインドで痛い目に遭っただろうに、
  どうしてあんなにポエティックできれいな旋律が出来たのだろう?、ということに思い至り、
  帰ってから調べてみたら、なんとこの曲は、ジョンがインドに行く前に作った曲なんですねえ。
  蛇足ですが、その出張の時にインドの会社数社に依頼した製品サンプルは、ひと月経った今現在何一つ手元に届いていません。

  (小林)
  あなたがなんでインドに行ったか、意味が無いじゃないですか。えへへw
  まあ、インドでは意味が無いっていうことじゃなくて、相当な勉強をしてきてるはずですよ。体験をね。
  『ということで、インド出張中ずっと脳内でかかっていた Across the Universe を』 っていう。
  そうなんだよねえ、やっぱり(あなた)の手紙を見て、改めて聴くとちょっと、ちょっと違う風に聴こえましたよこの Across the Universeが。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  リクエストはけっこう個人的な意見だとか、個人的な生活を覗かせていただいたりして、面白いですね。
  やっぱり、どんな風にビートルズを聴かれているのか、その人それぞれ、どのへんにビートルズが位置しているのか、とか。
  この番組ではいちおう「ビートルズから始まる」っていうわけで、ビートルズがど真ん中にいるわけですが。  
  僕たちの生活の中では、まあ人によって違うと思いますが、ビートルズは多くの柱の一つにしか過ぎないんですが、
  どうでしょう? ビートルズにどれぐらい関わっているかっていうことをね、もう少し匂わせながらリクエストをお願いしますよ。
  採用の方には、イシイのミートボールなどセットにして・・・。
  そうするとねえ、その人のねえリクエストを読んだ後で、聴くと曲がちょっと違って聴こえるんですよね。面白いですよね。
  よろしくお願いしますね。
  個人的なお願いみたいですが。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月26日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 8月26日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  アメリカで「Hey Jude」が発売になりました。アメリカでね。
  この頃はご存知のとおりA面B面ってあったんですが、B面は「Revolution」。  
  この「 Hey Jude」はビートルズ最大のヒットになります。
  そして、ビートルズが始めたアップルレコードから出た第一号です。
  700万枚売れます。すごいでしょう。
  でも、同じアップルレコードからこの年メリー・ホプキン(Mary Hopkin)の
  これはポール・マッカートニーがプロデュースした「Those Were The Days」これが発売され、2000万枚を超えちゃう。
  これもすっごいヒットですよね。
  アップル・レコードは、やっぱりビートルズがスタートさせたということもあって大成功です。
  ただ、ビートルズはビジネスマンじゃなかったっていうことで、このアップルレコードは衰退していくわけですが。
 
  この年のある日、自分たちのレコードをかけてパーティをやっていたミック・ジャガーの所に
  ポール・マッカートニーが「Hey Judeが出来た」っていうんで
  「みんな聴いてくれ〜」っていうんでこの「Hey Jude」をかけたら、場がシーンとなった。
  あまりにもすごかったということですよね、これはね。
  ポールは歓迎されたんだけども、全員が“ドン引き”した。
  でもう、このパーティがきっかけでポール・マッカートニーとミック・ジャガーは口を聞かなくなるほど仲が悪くなる、
  っていう話しもあるくらいなんですが。
  最初はね、この曲はねえ「Hey Jules」だったんですよね。
  ジョン・レノンの息子を励まそうとした曲、であったというのは有名ですよね。
  ジョンが、最初の上さんと別れてオノ・ヨーコとと一緒になったもんで、ちょとガックリ来ていた息子を励ます曲だった。
  でも、これはジョン・レノンがアドバイスして「Hey Jules ていうのは良くないよ、Hey Judeにしようよ」って言って
  この曲はタイトルが変わった、と言われています。
  ジョン・レノンがこの大傑作のために協力しているわけですね。
  ちょっと仲が悪くなってるんだけど協力してます。

  で、このB面が180度違う曲調です。まあポールは「ど真ん中」ですよ。
  でも、「オルタナのジョン」という感じがします。
  ピアノがストーンズの録音でも有名なニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)が入っているんですが。
  このジョン・レノンの世界は、ポールの Hey Judeはポップスだけど、これはほんとにロックの精神がいっぱい、という曲で。
  今日はそのB面の方を聴きますね。

  〜 The Beatles / Revolution 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hheXSIdQLkw (PV)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fxyi9Rd0cQM (2009CD)

  (小林)
  44年前の今日アメリカで発売された「Hey Jude」の、当時の言い方でいうとB面がこの「Revolution」。
  当時はシングルを出す時、特にビートルズの中盤はですね、ジョン・レノンにも気を使って、ポールにも気を使って
  誰のシングルがA面になるか、ていうのを、当時は代わりばんこに出してたみたいであります。
□トニー・バーロウの物語
 ・「リバプールエコー新聞の音楽コラム『オフザレコード』でビートルズを取り上げて頂けない、
  というお話し、了解しました。
  確かに、ビートルズはまだデビュー前の身分ですから、それには納得ができます。
  しかし、ビートルズは今、リバプールでは一番人気のバンドであることは確かです。
  ぜひ一度、このテープを聴いてもらえないでしょうか?」

  これは、ビートルズのあの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインと、
  後にブライアンの会社NEMSエンタープライゼスに入社しビートルズの広報担当として、
  その類まれな才能を発揮するトニー・バーロウ(Tony Barrow)との初対面の会話。
  時はまだビートルズのデビュー前、1961年12月のことである。
  残念なことに、ブライアンが持参したキャバーンでのライブ音源は最悪であった。
  素人がマイクロフォン一発だけで録音したことに加え、女の子の熱狂的な叫び声で演奏は完全にかき消されている。
  それでも、その熱狂ぶりにはバーロウも圧倒された。

  しかしそれよりも、バーロウは訪ねてきたブライアンに強く興味を惹かれた。
  まずその、キチンとした身なりに好印象を持った。
  それは高級感そのもの。
  そしてさらに印象的だったのは、ブライアンにはリバプール訛りのかけらもなかったのだ。
  まるでBBCのアナウンサーかオックスフォードやケンブリッジなどの有名大学出身者のような華麗な言葉を話した。
  会ってまだ5分だというのに、バーロウはすっかりブライアンに魅了されてしまったのである。
  それまでバーロウが仕事上で付き合いのあった連中といえば、
  音楽出版社やアーティストの事務所関係者、はたまたコンサートプロモーターといった、ひと癖もふた癖もある人種。
  銜えタバコでやって来ては乱暴な言葉で話す、というのが定番であった。
  そういった連中に比べるとブライアンはまさに純粋培養、見事にカットされ磨かれたダイヤモンドのようであった。
  この日から、ブライアンとバーロウの関係は始まったのである。
  〜 The Beatles / Two of Us
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cfiE_5O9Dn0
  
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (LOVE)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nNTJ-j_y-_0
 
  (小林)
  これは While My Guitar Gently Weeps、ビートルズ。
  これは「LOVE」から時々かけていますが、2006年のアルバムの中に入ってます。
  だから、最初のエリック・クラプトンが入って奏っているやつとはまるで違うでしょう、印象がね。
  ジョージ・ハリスンの作品。

  そしてその前は、「Let It Be」のアルバムから Two of Us。
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「初対面の時のブライアンは、とにかく洗練されていたし、話す言葉も華麗だったね。」
  こう話すのは、後にビートルズの広報担当としてレコードを宣伝し世界中のツアーにも同行した、カリスマ広報マン=トニー・バーロウ。
  1961年12月、この時点でバーロウはロンドンのデッカレコードでジャケットとライナーを担当する部署にいた。
  もちろん正社員ではなく契約社員。
  それと同時に、生まれ故郷であるリバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版の音楽コラム「オフザレコード」を
  かれこれ10年近くも担当していたのである。

  この日ブライアンが持ってきた音源は当時試聴用によく使われていたアセテート盤。
  ブライアンは丁寧にお願いした。
  「このデモディスク、ビートルズのライブなんですが、一度聴いて頂けないでしょうか?」
  ブライアンはそう訊いてきた。
  「いいですよ。このオーディオセットご自由にお使いください。」
  バーロウが親切にそう答えると、ブライアンはディスクをターンテーブルに乗せた。
  バーロウは興味のあるふりを装ったが、爆音で酷く興奮した絶叫とヘビーなバックビートのリズムしか聴こえてこなかった。
  どんな曲が演奏されているのか、それはまったく判らない状態。
  
  ブライアンはその音源が 
  「独立系のテレビ局グラナダテレビによる、ビートルズの特別番組のために録音したもので、収録エンジニアの腕が悪かった」
  と言い訳をした。
  バーロウはその熱狂ぶりに興味を持ったことは事実であるが、
  「自分は一介のライナーノーツのライターであるから、然(しか)るべき部署から連絡をさせます」と約束し、
  この日はブライアンにお引取りを願うことにした。
  ブライアンはバーロウの目をじっと見つめ、こう言い残した「ビートルズはエルビスを超える存在になりますよ。」
  その口調その目は、間違いなく本気だったのである。
  〜 Elvis Presley / Marie's the name (his latest flame)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rZ91R6xlH-Y

  〜 Paul McCartney / It's Now Or Never
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mNtmLTqVEOw

  (小林)エヘヘw。
  というわけで、エルビス関係の曲が2曲。
  だってね、マネージャーが「ビートルズはエルビスを超える存在になりますよ」って言うわけですよね。
  このブライアン・エプスタインとトニー・バーロウ、今お話しを続けていますが。
  この二人が会ったころのイギリスでのナンバーワンは、
  さっき聴いたエルビス・プレスリーの(1曲目)Marie's the name of his latest flame,っていう
  「最近付き合ってるスケの名前はマリーって言うんだぜ」みたいなw 曲ですよね。
  
  で、ポール・マッカートニーはエルビス・プレスリーの(2曲目)It's Now Or Neverという大ヒット曲をカバーしています。
  これは、「ニューミュージカルエクスプレス(New Musical Express)」というイギリスの音楽新聞なんですよね。
  音楽新聞がリスナーにタダで配った、コンピレーション・アルバムがあるんですが、
  これはチャリティのアルバムなんですが、
  その中に一曲、ポール・マッカートニーがプレスリーをカバーしていたやつが入っていました。
  これはちょっと貴重な音源ですね。
  2曲お送りしました。

□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「ビートルズは、エルビスを超える存在になりますよ。」
  マネージャーになったばかりのブライアンは、後にブライアンの部下となる広報マン=バーロウの目をじっと見つめ、そう言い残した。
  この時バーロウは、フリーランスの音楽ライターでありながら、ロンドンのデッカレコードの契約社員。
  ブライアンのその口調、そしてその目は、間違いなく本気だったのである。

  ブライアンが帰ったあと、バーロウは聴かせてもらったビートルズのライブ音源のことを少し思い出していた。
  公正な立場で考えてみると、キャバーンに集まった客が起こした聴覚的騒乱に埋もれてしまってはいたものの、
  「もし演奏がちゃんと聴こえさえすれば、バンドは悪くない音を出していたのではないか?。」
  と、バーロウは好意的な方向に考え直した。

  もっとも、ブライアンが言い訳として語った「グラナダテレビ」の一件は、完全なるウソであることが数ヵ月後に判明。
  なぜなら、そのグラナダが特別番組のための映像素材としてキャバーンにやって来たのは、翌1962年の夏だったからである。  
  実情は、ブライアンがキャバーンの熱狂的な客の中に交じり、
  家庭用のテープレコーダーにたった一本のマイクロフォンを頭上高く持ち上げての録音であった。
  その音質の悪さの言い訳として、「グラナダ云々の話」をでっち上げたのである。
  
  バーロウはこのブライアン・エプスタインという男の存在が気になってしまい、
  レコードジャケットとライナーの担当部署であることを忘れ、会社の営業部に内線電話を入れた。
  今日自分の部屋に訪ねて来たブライアン・エプスタインという人物のこと、
  そのエプスタインがロックバンドをマネジメントしていること、
  そして、エプスタインの本業はマージーサイドで多くの店舗展開を誇る大型レコードショップNEMS=North End Music Storesの支配人であること、
  等々である。
  案の定、営業部の社員はこのエサに食い付いて来た。
  しっかりとした手応えを感じるバーロウであった。
  〜 The Beatles / She is the woman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUSd87X-Aj4
 
  (小林)She is the woman
  これはねえ、実は IFeelFineのB面なんだよね。1964年のね。
  B面にしてはもったいないぐらいの。
  どうなんだろうねえ。
  ビートルズのイメージがあって、ビートルズのイメージとちょっと違って、リズム&ブルースサイドっていうか。
  すっごい強い曲だけどねえ。渋い曲だけど。
  これがB面。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  リクエスト採用になるとイシイのミートボールなどをセットにしてもれなくプレゼントしている、ということなんで。
  よろしく。

  (我孫子市/女性)
  昔の曲の日本語タイトルは、レコード会社の社員が頭を絞ったようですね。
  洋画の邦題もいろいろ工夫されていたようですが。
  私共45年以上もビートルズファンをやっている夫婦ですが、よくビートルズの日本語の曲名について
  「こんな曲もあった」「あんなタイトルの曲もあった」と言い出しあっては笑っています。
  なかなか上手く付けたなあ、と思うのは
  「恋する二人=I Should Have Known Better」、「パーティはそのままに=I Don't Want To Spoil The Party」
  「抱きしめたい」は「I Want To Hold Your Hand」、「夢の人」は「I've Just Seen a Face 」
  「今日の誓い」は「Things We Said Today」などなど。
  逆に「う〜ん、これは?」と微妙なタイトルに今では笑ってしまうのが、
  「みんないい子」「Everbody's Trying To Be My Baby」、「涙の乗車券」「Ticket To Ride」、(小林)演歌っぽいですね、これはね。
  「素敵なダンス」「I'm Happy Just to Dance With You」、「嘘つき女」「Think for yourself」でしょうか。
  こういうタイトルの付け方、若い人はいったいどう感じてるのかな。
                          (小林)おそらくあなたと同じ様な感じじゃないでしょうか。
                              今もそんなにね、人が変われどタイトルの付け方は変わってないですから。
  克也さんはどう思われますか? 
  (小林)
  僕はあんまり気にしないように、あくまでも補助的なものだと思ってるんで、そういうふうに考えたほうが良いんじゃないかな。
  オリジナルタイトルを、そのアーティストが付けたオリジナルタイトルてのが、ほんとのタイトルだからね。
  っていうふうに思うんですが。
  さあ、(あななた)のリクエストはそんな中から「みんないい子」!
  
  〜 The Beatles / Everbody's Trying To Be My Baby 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4
  〜 ROXY MUSIC Bryan Ferry / Jealous Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JY1RJ585Fvk

  (八千代市/男性)16歳高校一年生
  最近のデッカオーディションの裏話が、とても興味深いと感じています。
  落ちたことは知っていましたが、そんな裏話があるなんて知らなかったんで、聴いてとても面白いです。
  さてリクエストですが、以前 リンゴが亡きジョージに送った「Never Without You」が流れたり
  ジョージが亡きジョンに送った「All Thous Years Ago」が流れましたね。
  なので今回は、ポールがジョンに送った「Here Today」にしようかとも思ったんですが、
  以前にも流れていた気がしましたし、12月8日ごろリクエストした方がやっぱりいいと思ったので、
  今回は「元ビートルズメンバー以外の人が歌った、ジョンへの追悼曲」としてリクエストします。
  ROXY MUSIC の Bryan Ferry。
  (小林)
  ジョン・レノンの Jealous Guyを取り上げましたが、これが流れました。
  ブライアン・フェリーっていう人は、とてもカバー好きなんですよね、この人はね。
  だから、二ール・ヤング(Neil Young)だとかボブ・ディラン(Bob Dylan)だとか、自分が気に入った人のカバーをよくやっています。
  (千葉市花見川区/女性)
  高校の時、ビートルズシネクラブの会員に少しの間なっていました。
  会員の通販でビデオが入っている福袋があったので、高校生にとっては少し高かったんですが、
  毎月2千円のお小遣いの中から捻出したお金で、意を決して購入しました。
  さっそく届いたビデオを見ると、そこに映っていたのはビートルズではなく「ずうとるび」でした。
  途中からビートルズが出てくるかと思って早送りしたんですが、最後まで「ずうとるび」で終わってしまいました。
  ファンクラブの事務局にはがきを書いてビートルズのビデオと無事交換することができたんですが、その時のガッカリ感はよーく覚えています。
  今では笑い話なので(リクエストは)ずうとるび。ビートルズじゃなくてw
  (小林)
  若い方は「ずうとるび」のことを知らないと思うけど。
  ビートルズがすごかったんで、世界各国でね、ビートルズにあやかろうと、いろーんな、もうほんと。
  中には良いのもありましたけど、普通のやつがいっぱい出ているんですよ。
  日本では、これは「笑点」という今でも続いてる番組からスタートした「ずうとるび」
  「みかん色の恋」を聴きましょう。
  
  〜 ずうとるび / みかん色の恋
  ttp://www.youtube.com/watch?v=B-iOs8zyzKU
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4

  (小林)
  わぁ、何回聴いても、この曲はエネルギーがいっぱい入ってる。

  (千葉県/男性)
  今回初めてメールを送ります。
  私がこの番組を知ったのは今から8年前。当時はBAYFMが入らないエリアに住んでいましたので千葉に来たときに聴いておりました。
  ちょうど6年前家を千葉県に新築しましたのでそれから毎回欠かさず拝聴しています。
  さらにMDに録音して、マイカーのBGMとしてくり返し聴いております。
  小林さんの健康とともに、ビートルズファンにとって貴重なこの番組が益々継続されることを期待してます。
  リクエストは、私が1977年夏にビートルズサウンドを初めて聴いた曲、She Loves Youです。
  当時はEP盤で、しかも直接録音が出来なかったので、スピーカーから流れてくる音をラジカセで録音しました。
  今では他のメディアに短時間で録音できるのと違い、ずっと聞き耳を立ててノイズが入らないか気にしていた事が、とても懐かしく感じられます。
  (小林)
  ということで、リクエストどうも。
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  お伝えしてる話は、だんだん面白くなって来るから、楽しみにしててくださいね。
  
  リクエストもよろしくお願いします。
  メールアドレスは [email protected]
  採用の方には(以下略)

  初めてのリクエスト大歓迎です。
  ドシドシ送ってください。
  待っております。
  
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U   
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月2日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  ちょっと地味な日ですが。
  この日の一週間前に、マネージャーのブライアン・エプスタインが32歳で亡くなっています。
  とても若くして、睡眠薬の多量摂取で。
  でも、ビートルズがツアーをやめて ちょっと暇になった。
  ちょっと心に穴が開いたような感じだったんだと思いますよね。彼は。
  でも、もちろんNEMSの社長ですから、いろんな仕事をしてたわけですけども、
  まあ、いろんなプレッシャーが有ったんでしょうね、睡眠薬の多量摂取で亡くなっています。
  で、本当だったら、生きていたら、ブライアン・エプスタインがニューヨークへ行く日だったんですよ。本当だったら。
  だから地味だって言いましたけど。
  
  この日ポール・マッカートニーはみんなに発表しています。「亡くなったブライアンの代わりは誰もいない。」
  ほんとに代わりはいない。
  だから「マネージャー無しで 自分たちはやっていく」っていう風な事をポール・マッカートニーは言うんです。
  ポール・マッカートニーは、もう後半はビートルズの実質的なリーダーで、音楽的にもいろいろまとめたり、
  それからお金の面でもポール・マッカートニーは他の3人に比べると特に几帳面だった。
  
  例えばですよ、給料を渡すじゃないですか。
  そうすると、リンゴ・スターは、明細を、実は読めないわけですよね、読めないのでそのまましまっちゃう。
  ジョン・レノンは、その明細書をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てちゃう。ちょっとジョン・レノンぽいでしょ。
  ジョージは、ちょっと眺めて一応は確認する。
  でもポールは、明細の項目ごとにブライアンに「これは何だ?これは何なの?」ていう風に質問していた。  
  そんなポールが「彼の代わりはいない。だからマネージメントは自分たちでやって行く。」って発表した。
  それが、45年前の今日のこと。
  ブライアンが亡くなった1967年の11月、シングルとして発売され、イギリスでもアメリカでも1位になったこの曲は、
  じつはブライアンの追悼の曲ではなかったのか、と言われています。
  その曲を聴きましょう。
  
  〜 The Beatles / Hello Goodby
  http://www.youtube.com/watch?v=HBZ8ulc5NTg (PV)  

  (小林)ビートルズの Hello Goodby。
  この今(流れている) ♪Hela heba helloa っていうのはビートルズの癖ですよね。
  なんか、チェイサーみたいなのってわかりますか?
  例えば芸人だとかシンガーがステージから去るときに こういう(演奏をする)、ステージの後テーマみたいな感じがするでしょうw。
  でもこれは Hello Goodbyってのは、追悼の曲だって言われるとよく分かりますよね。  
  「男と女の恋の歌かなあ?」と思って、これ聴くわけですよね。
  「ええ?そうかなあ?そういう男と女の行き違いがあるのかなあ?」て思うでしょ。
  ところが、でもこの歌のサビってのは「君はグッバイて言う。僕はハローて言うんだけども。何でグッバイって言うんだ?。」
  それを繰り返しているところを聴くと、やっぱりそうかあ、悲しさを何か…何ていうんですかねえ 独特のもので紛らわしていて、
  それがかえって悲しさみたいなのを呼ぶっていう、ね。
  なかなか、そう言われて聴くといい曲だっていう。
  今頃になって言っても遅いですけどw。
  そう思いませんか? ねえ。
129ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=19,xxxPT】(1+0:8) :2012/09/05(水) 20:57:18.24 ID:0hB+os7Y0
□トニー・バーロウの物語
 ・「ビートルズはいずれ、エルビス・プレスリーにも匹敵する存在になりますよ。」
  ロンドンの大手レコード会社デッカのジャケットデザインとライナーノーツ担当の部署に勤務する人物トニー・バーロウに対して
  こう発言して去っていったのは、ブライアン・エプスタイン。
  もちろん、あのビートルズのマネージャーとして君臨した、ロック史上最重要人物の一人である。

  バーロウは、このエプスタインという男の存在が気になってしまい、自分の仕事を忘れ、営業部に内線電話を入れた。
  伝えたのは、今日自分の部屋を訪れて来たブライアン・エプスタインという人物のこと。
  そのエプスタインがロックバンドをマネージメントしていること、
  そして彼の本業はマージーサイドで多くの店舗展開を誇る大型レコードショップNEMS=North End Music Storesの支配人であること、
  などなどである。
  案の定 営業部の社員はこのエサに喰い付いてきた。
  この手ごたえに、なぜかバーロウは快感を覚えた。
  もちろん彼がビートルズやブライアンと同じリバプールの出身であったことも、その大きな理由の一つであったことは間違いない。

  営業部の一人は、NEMSがかなりの大きな割合でセールスを伸ばしている事を理由に、
  「そのお得意様のご要望とあらば、お抱えのバンドのオーディションの機会を設けることは当然の事だ。」と主張した。
  もちろんこういったいわゆる政治的物件はクリエイティブな部署のスタッフには最も嫌われるものであるが、
  そこは百戦錬磨の営業部、社内のいろいろな権力者に根回しを行ない、
  とりあえずビートルズをオーディションのステージに乗せること、にこぎ着けた。
  ここまで来たら、あとはもう野となれ山となれである。
  オーディションで落とそうが、シングル一枚だけの発売でサヨナラしようが、逃げ道はいくらでもある。
  それにしても、メジャーデビューまでの道は まだまだ遠いビートルズであった。
130ジョン・キロックノン !ninja:2012/09/05(水) 20:58:18.31 ID:???0
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4
  
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xTU2Y0VFH0E
 
  (小林)いかがですか?ビートルズの、まあ何ていうのかなあ、こういう曲が出来るからビートルズだっていう。
  いま活躍している若いロッカーたちに、アメリカ・イギリスのロッカーたちに会うんですけど。
  テキストブックみたいに、教科書みたいな感じで彼らはこういうのをよーく知っていますよね。
  日本の若者はどうでしょうか?。
  ビートルズの Hey Bulldog、そして Happiness Is A Warm Gun、これは個性的なジョン・レノンの歌です。
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「リバプールで人気のビートルズ?そんなバンド知らねえなあ。
  えっ?売り込み?。そんなの適当に門前払いでも喰らわせときゃいいだろう。
  えっ?マネージメントがあのNEMSの支配人?。なんだよ、それを先に言えっていうんだよ。
  あんな大手のクライアント、ロンドンにもそうはいないんだから。上手くやれよ、いいな!。」

  これはブライアン・エプスタインが同郷の音楽ライター=トニー・バーロウを頼って、
  ロンドンの大手レコード会社デッカを訪ねた直後の社内営業部の反応である。
  バーロウは、このあとブライアンの会社NEMSの重要な幹部となる人物。
  アーティスト事務所の業務の中でもかなり大切な広報PRの担当責任者として、全ての記者会見そして世界ツアーにも同行することになる。

  そのバーロウは、高校生の頃から地元リバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版に掲載されている音楽コラム「オフザレコード」のコーナーを担当するライターでもあった。
  学校を卒業するとバーロウはロンドンのデッカに契約社員として就職し、ロンドンに住むようになる。
  もちろん、音楽コラム「オフザレコード」の連載は続いていた。
  ライターとしてのペンネームが「ディスカー」。
  この「ディスカー」という名前のおかげで、バーロウはその素姓がバレることなく
  リバプールでもそしてロンドンでも音楽業界の仕事に専念することができたのである。

  しかし、この1961年の時点でイギリスの首都であるロンドンと、
  はるか北西部の港町リバプールは、音楽的にほとんど関係を持っていなかった。
  音楽や映画演劇などの娯楽産業は、あくまでもロンドンが中心。
  このころロンドンではトラッドジャズの人気は下火になり、新しくブルーズやリズム&ブルースがクラブで演奏されるようになっていた。
  後にビートルズの最大のライバルとなり、2012年に現在でも現役バンドとして活躍するあのローリングストーンズ(The Rolling Stones)も
  まだ正式には結成されていな時代のお話しである。
  〜 The Rolling Stones / Satisfaction
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3a7cHPy04s8

  〜 The Yardbirds / I Ain't Got you
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XjHQoWRbMf8

  (小林)2曲続きました。
  いま聴いたのは(2曲目)ヤードバーズ(The Yardbirds)の I Ain't Got you、有名な曲なんですけど。1964年。
  60年代の初めからヤードバーズはね、けっこう重要なグループなんですよ。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)だとかジミー・ペイジ(Jimmy Page)ジェフ・べック(Jeff Beck)、
  この三人がギタリストで働いたことがあるわけですからね。すごいですよね。
  いま聴いた I Ain't Got youは二十歳前後のエリック・クラプトンですよ、ねぇ。
  そしてこれは、けっこうブルースでしょう。
  
  その前は(1曲目)お馴染みローリングストーンズの(I Can't Get No)Satisfaction、1965年のストーンズのヒットですが。
  その頃の60年代に入った頃のロンドンの音楽、まだヤードバーズだとかローリングストーンズは生まれていないけど、
  もうジャズってのが、下火になってロンドンではリズム&ブルースが、いま聴いた音楽みたいなのがロンドンで来るわけですよね。
  でも、リバプールとロンドンはぜんぜん違っていた、っていうことで、
  ビートルズの宣伝を担当するトニー・バーロウを中心のお話しをしております。
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「リバプールは新しいロックの街。ロンドンはもう古いね。流行に乗り遅れるな!。」
  当時イギリスのある革新的な音楽ライターはそう語った。

  1961年から62年にかけてイギリスの音楽シーンは大きく変わろうとしていた。
  エンターテイメントの世界はロンドンが中心で当たり前、というのはもちろん真実であった。
  しかし、そういった考え方は、もっと強い刺激を求める10代20代の若者には完全に古い、前の時代のものとしか理解されなかった。
  50年代中盤からアメリカで巨大なブームとなり世界中の音楽の景色を塗り替えたロックンロールは、いったいどこからやって来たのか。
  エルビス・プレスリーの音楽はメンフィスを経てナッシュビルで生まれ、
  二人の偉大なるピアノロッカー=ファッツ・ドミノ(Fats Domino)とリトル・リチャード(Little Richard)のレコードはニューオルリンズでレコーディングされ、
  超個性的なメガネロッカーであるバディ・ホリー(Buddy Holly)の才能と、これまた個性的なサウンドはテキサスの田舎町の小さなスタジオで発明され。
  アメリカ全土を超え、イギリスのロンドンやリバプールでも大人気となった。
  その他にも、圧倒的な歌唱力を持つロイ・オービソン(Roy Orbison)、不良のカリスマ=ジェリーリー・ルイス(Jerry Lee Lewis)
  ハイスクールの学園生活をギターのビートに乗せた詩人=チャック・ベリー(Chuck Berry)
  そしてロックのスタンダードとなる「Blue Suede Shoes」を書いたギターロッカー=カール・パーキンス(Carl perkins)
  さらにはカントリーの世界からロックに飛び出してきたジョニー・キャッシュ(Johnny Cash) 
  などなど。

  多くのロックンロールのアーティストたちは、ブロードウェイやハリウッドといった、それまでのエンターテイメントの中心からではなく、
  アメリカ南部のいろいろな田舎町から発信されていた。
  そういった、アメリカで生まれた、大人の手垢の付いていないメッセージは大西洋を越え、
  リバプールやロンドンの若者たちの青春時代のサウンドトラックとなっていったのである。
134ホワイトアルバムさん:2012/09/05(水) 21:39:44.82 ID:???0
いつの間に主人公変わったんだ?
  〜 Jerry Lee Lewis / Great Balls of Fire
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sX5L288USMg

  〜 Carl perkins / Honey Don't
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rNqYiRQtCSc&feature=fvwrel
 
  (小林)いかがですか?こういう風な音はどういう風に聴いていますかねえ?特に若い人たちは。
  Carl perkinsの「Honey Don't」、1955年、つまりプレスリーが有名になる前の曲です。
  でもビートルズの連中はこういうのが大好きだったんですよね。
  特にリンゴ・スターは、この曲は「ビートルズフォーセール」のアルバムの中でカバーしてますね。

  その前のJerry Lee Lewisの「Great Balls of Fire」、これはプレスリーの頃の時代のヒット曲なんですが
  ピアノを弾きながら、何ていうんですか、ピアノで暴れるっていうか、エルトン・ジョンが一時やっていましたけど
  靴を履いたままピアノの鍵盤をグワ〜ッてやったりするようなスタイルのジェリーリー・ルイスのロック。
  こういう風な若者たちが、イギリスの若者アメリカの若者が夢中になったロックンロールは
  みんなアメリカの田舎から出てきたんだっていう。
  だからロンドンでも面白いことに、ロンドンじゃなくて、ロンドン子がバカにしたリバプールから、
  すっごい波が出て来ようとしてたんだっていうことを、言おうとしているんだよ。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (横浜市/男性)
                         (小林)50代ももうわずかですねwあなたw。
  この時期は日も短くなって、子供の頃夏休みの宿題に追われていたこと、
  大人になった今でも、燃える恋をしていた、甘いそして苦い若い頃を思い出したりします。
  そんな時、ふと、この曲が聴きたくなります。
  (小林)
  なかなかいい曲ですねえ。
  あなたはおそらく、いろんな音楽を聴かれたんだと思います。
  彼女は今度、発表されていないけど、60年代有名だったイギリスのグループと何か一緒に録音するみたいですよ。
  
  〜 松任谷由美 / 残暑
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NQiuAYgN0AU
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S7uBrx5aJ20

  (四街道市/匿名)
  ビートルズは私が小学校5年生ぐらいから聴き始めました。当時からすごい人気なのは分かっていました。
  音楽的には荒いように感じていました。アンチビートルズでした。
  そんな中、ビートルズの I Feel Fine の出だしを聴いてから、この人たちは只者ではない、と思えてきたのでした。
  それからというもの、ビートルズの音楽を頭の中で空想するようになりました。
  自分の予想通りの音楽が次から次へと出てくるから不思議です。
  こういう経験は自分だけでしょうか?
  リアルタイムで聴いてきた人は少なからずあるように思うのですが、どんなものでしょうか。
  それを決定的にしたのが Strawberry Fields Forever でした。
  私はあの曲が出る前に、あの曲が頭の中にすでにあったんです。
  と言っても誰も信じてくれないだろうから、今まで黙っていました。
  まあいいです。
  (小林)
  っていうw。『まあ、いいです。』ていうのがいいねw。
  それはねえ、若者は絶対あるんですよ。そういうの、あなたみたいな感じじゃないけど。
  「ああ、この人は俺の歌を歌ってるんだ!。」とか「あ、これ私の歌だ!」とか、そういう気持ちって絶対、若い時あるはずなんですよね。
  それがちょっと、あなたはもっともっと極端な感じだね。ちょっと面白いですね。
  (住所不明/匿名)
  私はビートルズファンの中一です。
  突然ですが、克也さんはビートルズの曲は何が一番好きですか?
                      (小林)僕はね、けっこう変わってきましたね、いろいろ。  
                          例えばきょうかかったHappiness Is A Warm Gun あれも好きな頃がありましたよ。
  私は「Old Brown Shoe」です。
  ジョージのリードボーカルが最高です。
  この曲をお願いします。
  (小林)
  住所とか書いてないんですけど、おそらくこれは女性だと思われますね。
  女の子でしょうね、中一のね。
  それじゃあジョージ・ハリスンのリードボーカルで・・・
  
  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AFi69XquuVw
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?。
  リクエスト、けっこう匿名希望、残念ながら匿名希望の人でしたけど、面白かったよねえ。
  みなさんもリクエスト参加してください。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げております。
  メールは [email protected] です。
  ファックスは 043-351-8011  ファックスはめったに来ないけど、もったいないなw。
  ハガキとかも郵便番号は 〒261-7127 BAYFM「ビートルズから始まる」
  こっちで、よろしくおねがいしまーす。

  >>134ビートルズのお話しの方は、ちょっと分かりにくいところがあるかもわかんないですけどね。
  トニー・バーロウっていう、今で言う音楽ライター。
  だけど リバプールの男なんですよ。
  で、やっぱり才能があったんでしょうね、リバプールの新聞で音楽のコラムを担当していた。
  でも、やっぱり音楽の仕事をやりたかったから、ロンドンまで上京して。
  ビートルズが撥ねられるデッカレコードでライナーノーツなんかを書いたりする仕事をしていた、っていう。
  そのトニー・バーロウが語るビートルズのお話しなんですけど。

  きょうはビートルズが出てきた60年代はね、どんな時代だったのか、っていう説明をしました。
  アメリカっていうのは地方文化の国で、日本だとちょっと考えられないんだけど、
  東京が中心だとか、大都市が中心みたいなところがあるけど。
  アメリカは地方文化ですから。
  これは音楽の世界で面白いものが、特に50年代から60年代にかけて、田舎・地方都市から全部出てきてるんですよね。
  で、ロンドンはと言いますと、狭いイギリスですけども、ロンドンがやっぱり圧倒的な中心。
  だけど、リバプールっていうのは、港があって、これがいろんな世界とつながっていて、
  そこに、アメリカなんかの新しいものが入って来るんですよね。
  だから、そういったことを分かっていてビートルズの話しを聴いたりすると、良く理解できるんで。
  よろしくお願いしますw。
140ホワイトアルバムさん:2012/09/07(金) 21:11:13.91 ID:???0
安価の部分は文体が似すぎていて克也サンが言ってたのかキロックノンさんが書いてるのかよく分からん
>>140
すみません。小林さんの発言です。
アンカー付けたのは 134さんへの答えになっているかと思い余計な事をしてしまいましたm(_ _)m
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 9月9日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  イギリスで「エリナー・リグビー(Elenor Rigby)」がナンバーワンになった日です。
  (ttp://www.youtube.com/watch?v=KcORZTd3LRo)
  今聴こえているのは実はエリナー・リグビーでw、これはボーカルが無いバージョンで、
  「アンソロジー2」の中に入っているやつがテーマになっているわけですが。
  イギリスでは「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」と両A面シングルとして発売になって。
  イギリスは予約が30万枚、年内には45万5千枚売れたっていう。
  イギリスでそんなに売れるっていうのは大変なヒットですよ。
  1966年度のシングルの最高売り上げを記録しています。
  この頃は音楽の雑誌が、週刊雑誌なんですけど、チャートをやっていて、
  「ニューミュージカルエクスプレス(NME)」のチャートと「メロディメーカー」のチャートがあったんだけども。
  両方で、NMEは4週連続1位で、メロディメーカーは3週連続1位。
  かなり、でっかいヒットだよね。

  でもアメリカでは、1位にならなかった。
  おそらくこの「エリナー・リグビー」の歌詞がね、暗い。暗い歌だからじゃないかと思うんですけど。
  3本のバイオリンに2本のビオラ、2本のチェロ、弦楽7重奏ですね。弦楽セプテットのスタイルでアレンジされています。
  「イエスタデイ(Yesterday)」は弦楽4重奏、あれにポールのアコースティックギターが入っていたんですけども。
  「エリナー・リグビー」は演奏はクラシックのミュージシャンのみでやって、コーラスでジョンとジョージが加わっていると。
  なかなかこの曲は面白い曲だと思うんですが、この、暗い詩はね…。
  だいたい、ビートルズの場合、例えばポールの曲だと、ポールが作曲して作詞もポールじゃないですか。
  でもジョン・レノンはこの曲に関しては「ほとんど自分が書いたも同然」ていうようなことを言っています。
  まあ、クレジットはレノン・マッカートニーになるわけですけども。どっちが書いても。

  ポールの書く歌詞なんですが、恋愛ソングじゃないんですよね。
  物語風のものがこのあと「レイディマドンナ(Lady Madonna)」とか「アナザーデイ(Another Day)」てのがあるんですけども、それはウィングス時代。
  ソロになってからもツアーでポールは好んで披露しています。
  じゃあ、改めて聴いてみますかね、これをね、「エリナー・リグビー」を。
  
  〜 The Beatles / Elenor Rigby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CDJWkyCGQrk 

  (小林)やっぱ見事ですねえ。
  ビートルズの Elenor Rigbyを改めて聴きました。
□デッカオーディション
 ・「リバプールのライブハウスが盛り上がってるんだって?。そんなの聞いたことないねえ。
  だいたい、ロンドンの他にライブハウスなんてあるのか?」
  イギリスのある業界人は、当時そう言い放ったそうだ。 
  1961年から62年にかけてのイギリスの音楽シーンは、もちろんロンドンが中心。
  当然レコード業界も、ロンドンにあるいくつかの会社による独占ならぬ寡占状態。
  アメリカ南部のインディーレーベルから発明されたロックンロールに較べ、あまりにも保守的であった。
  もちろん、アメリカから入ってくるロックやリズム&ブルースのレコードはかなり売れてはいた。
  「キング」のニックネームを持つエルビス・プレスリー(Elvis Presley)はイギリスで、もちろん超ビッグスターである。
  UKチャートのナンバーワンヒットの何曲も叩き出した。
  しかしそれに影響された国産、つまりイギリス産のロックスターといえば、まず最初に思い浮かぶのが、クリフ・リチャード(Cliff Richard)。
  端正な甘いルックスを持った好青年シンガーである。
  このクリフ・リチャードをサポートするバンドが、これまた格式高いサウンドを持つザ・シャドウズ(The Shadows)。
  ひずむようなギターサウンドと上品なジャズのハーモニーを取り入れたアレンジで人気は高かったのであるが、
  アメリカのベンチャーズや、その他星の数ほどあるガレージバンドに比べると、馬力とかワイルドさの面でやはり同じ土俵に上がるべきものは無かった。

  そんな中、クリフ・リチャードと同い年のジョン・レノン率いるビートルズは、リバプールとドイツのハンブルグを股にかけ、
  文字通りアンダーグラウンドで、そのメジャーデビューを今か今かと待ち望んでいた。
  当時のジョン・レノンの口癖はこうであった
  「俺たちの目標はあのインチキ=クリフ・リチャードとか、そんなヤワなもんじゃない。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)の、さらにそのまた天辺を目指すんだ!
  それまでおれは絶対にロックは辞めないからな!」
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE 
 
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kOPCwnqcg4Q
 
  (小林)ビートルズの2曲。 Bad Boy・・・ いずれもカバーです。
   Bad Boy、これはラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のヒットのカバーであります。
  
  そしてもう一つは、チャック・ベリーの有名な曲の・・・。(Roll Over Beethoven)
  日本語のタイトルが間違ってるっていうやつ。
  「ベートーベンをぶっ飛ばせ」とかっていうんじゃなくて、「ベートーベンもお墓でロールオーバーしているよ」っていう
  「世の中変わってきてるからね」っていう、ロックの時代だから、っていう歌ですが。
  これはジョン・レノンの持ち歌だったんだよね、元々ね。
  だけど、アルバムを作ってるうちに「おいおい、ジョージ・ハリスンの歌が無いな」っていうことで
  ジョージ・ハリスンにジョン・レノンが譲っています。
□デッカオーディション(続き)
 ・「俺たちの目標は、あのインチキ=クリフ・リチャードとか、なんて、そんなヤワなもんじゃない。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)の、さらにそのまた天辺を目指すんだ。
  それまで俺は絶対にロックは辞めないからな!。」
  これは1960年代初期、まだまだメジャーデビュー前のジョン・レノンの口癖であった。
  
  もしかすると、こういった“ビッグマウス”大風呂敷発言をすることで自分の意識を覚醒し、自ら尻をたたいていたのではないのか。
  そうかもしれない。
  こういう超攻撃的で自意識過剰な男をリーダーに持つバンド=ビートルズは、
  リバプールとハンブルグを中心にライブをこなすことで、なんとか食いつないでいた。

  そこへ突然現れた若き実業家=ブライアン・エプスタインによって、メジャーへの道に一気に光が当てられた。
  ブライアンはビートルズのバッドボーイ風なイメージを一新、お揃いのスーツとモップヘアーで、キュートなアイドル風な4人に変身させた。
  毎週きちんとギャラを配分するのはもちろん、楽器屋の月賦も肩代わりしてやり、金銭面ではメンバーからの信頼を一気に高めることに成功。
  次に着手したのは、ロンドンのメジャーレコード会社との契約。
  NEMSとういうレコードショップチェーンの支配人でもあるブライアンは、ありとあらゆるコネを使って
  なんとか大手デッカレコードのオーディションを受けられる、というところまで漕ぎ着けた。
   しかしロックの歴史上では有名な話しになっているとおり、結果は不合格。
  それでもなんとかこの不合格を撤回してもらおうと、幾度となくロンドンに足を運ぶブライアンであったが、交渉は失敗。
  結果が覆ることはなかった。

  しかし、ここからが勝負どころである。
  どのジャンルであれ、成功した人間は必ず一度は挫折を味わっているものである。  
  そのどん底から這い上がってこそ、真の勝利者となるもの。
  果たして、ここからブライアンはどう勝負に出るのであろうか?。
  〜 The Beatles / Getting Better
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jk0dBZ1meio

  〜 Jimi Hendrix / The Wind Cries Mary
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LK69zlAA4K0

  (小林)1967年の音が2曲、続いたわけですが。
  物語の方は、ビートルズの話しの方は60年代の初めの事をやっているんですけど。

  60年代もね、いろいろ変わってくるんですよ。66年を過ぎたあたりから、もう音がサイケデリックな音っていうんですかね。
  ビートルズもそういった流行に貢献しているわけです。
  「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's lonely hearts club band)」ね。
  その中から Getting Better。

  そしてサージェントペパーズが気に入ったジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)がビートルズをカバーしたりするわけですが。
  これは1967年の The Wind Cries Mary。
□デッカオーディション(続き)
 ・「実のところ、僕はビートルズの方が良いと思ったんですよ。」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当したマイク・スミスというアシスタントプロデューサーの発言。
  「なんだ、今さらそんなことを言うのか。」と思われてもしょうがないが、
  どうやらスミスのこの発言は 嘘や言い逃れではないらしい。
  事実、1962年元旦のデッカオーディションでは 本来担当すべきであったプロデューサーのディック・ロウは出席しなかった
  アシスタントのスミスに全てを託した。
  所詮、営業部が持ってきた政治的物件としか見なしていなかったのである。

  そしてこの日から遡ること数週間前、スミスはビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの起っての希望でリバプールにやって来た。
  ブライアンはこの絶好のチャンスを逃してはならないと、準備は万端で用意した。
  予約した急行列車の席は特等席、もちろん駅までの送り迎えはNEMSでも最高の車。
  ライブの前には最高級のレストランのフランス料理で、ロンドンからの客をもてなした。
  そしこの接待の一番の目的であったビートルズのホームグラウンド「キャバーン」でのライブ。
  出来はもちろん いつも通り。
  店は熱狂の渦である。
  デッカのマイク・スミス青年は高級ワインで気持ち良くなっていたせいもあり、このキャバーンでのライブにはかなりの好感触を示していた。

  そして年が明けて1962年、元旦のオーディション。
  スミスの持っていたビートルズの印象と、この日のビートルズの演奏はあまりにかけ離れていた。
  メンバー全員が長旅で風邪を引いていたせいもあり、歌も演奏もかなり悪い出来であった。
  それに、ブライアンの提案で ロックよりもポップ路線でまとめた選曲にも問題があった。
  現場でこれを見てスミスは思った。
  「なんだこれは。あのキャバーンの客を熱狂させていたロックンロールやR&Bはどこへ消えてしまったんだ?
  ビートルズ、もっとがんばれ。僕は君たちと一緒に仕事をしたいんだ!。」
  〜 The Beatles / Twist And Shout
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6Kux9cLhrno

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M
 
  (小林)ジョン・レノンの歌声が続きましたね。
   Twist And Shout そして Nowhere Man。
  「ラバーソウル」のアルバムからお送りしました。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしております。
  メールは [email protected]

  (浦安市/男性)
  この前まで行われていたロンドンオリンピック、日本人選手の連日のメダルラッシュにも興奮しましたが、
  開会式のポールから閉会式のザ・フーまでの あの怒涛のブリティッシュアーティストのパフォーマンスすごかった。
  ロックを世界に誇れる文化としているなんて、なんてうらやましくてカッコいい国なんだろうなあ、と思いました。
  なんか音楽の浸透度合いが深いというか、日本人が思う以上により高い位置付けになってるんでしょうね。
  ビートルズがデビューして50年後、ロックがこれほどまで市民権を得ているなんて当時は誰も想像していなかったことでしょう。
  東京も2020年の大会に立候補していますが、こういう素晴らしい演出ネタあるのかな?そっちの方が心配になってきます。
  リクエストは、イントロが始まった途端、瞬間鳥肌ものだった「イマジン(Imagine)」にしようかと思ったんですが、
  観客も選手も大合唱したオアシスの「Wonderwall」をお願いします。
  (小林)
  上等です。
  
  〜 Oasis / Wonderwall
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6hzrDeceEKc

  〜 Michael Jackson / Come Together
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m7UigJpzF1k&feature=player_detailpage

  (草加市/女性)
  先日、家でビートルズの曲をかけていたら9歳の息子が「この曲知ってるよ。ずいぶんゆっくりだね。」と言っていました。
  息子は私が持っていたマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク(Moonwalker)」の映画のDVDを好んで見ていたので
  そこでマイケルが歌っている「カムトゥゲザー」に耳が慣れてしまっているようです。
  「ビートルズの曲なんだよ。」って教えてあげましたが、息子はマイケルの「カムトゥゲザー」の方が気に入っているようです。
  ということでマイケルのバージョンを。
  (小林)
  この時点でマイケルは、ビートルズのこの曲を含めた歌の権利を持っていましたからね。
  堂々と歌ったんだと思います。
  (茨城県笠間市/男性)
  デッカオーディションの話しはおかしくもあり、今思えばイギリスにとっても大変な一大事件でありましたね。
  当時のギターバンド編成を否定する内容でしたから、当然納得できないですよね。
  今のポピュラー音楽はそこが出発点でもあり、ビートルズは多大な発見・発展・貢献者でしたから。
  ビートルズがいなかったらどのようになっていたのか。
  これとは関係ないことと思いますが、ポールはこんな形で新しいバンド編成の実験をしていましたのを思い出しました。
  リクエストします。
  非常に難しいですが、合点のいく内容で面白い感覚を覚える曲だったと思います。
  (小林)
  あなたのリクエストいきますよ、ポール・マッカートニーの「ロケストラのテーマ」。
      
  〜 Paul McCartney & Wings, David Gilmour / Rockestra Theme
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qn3KUEMhOB0
  〜 Boz Scaggs / We're all alone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Y39Nn-2JdQ0

  (小林)ポール・マッカートニーの実験的なね「ロケストラのテーマ」すっごかったねw。
  あれ、そうそうたるメンバーがいっぱい入っていたわけですが。
  それから、ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)の We're all alone と見事に変わりましたね。

  (三郷市/男性)
  マイケル・マクドナルド(Michael McDonald)、ボズ・スキャッグス、ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)の三人来日するみたいですが。

  (小林)
  そうなんですよ。聞いてビックリしましたよ。
  11月には武道館でこの三人が一緒にやって。
  マイケル・マクドナルドっていうと ドゥービー(The Doobie Brothers)の曲とかね。
  ボズ・スキャッグスは自分のヒットがあるでしょ。いま聴いたような曲。
  ドナルド・フェイゲンはやっぱりスティーリー・ダン(Steely Dan)の曲なんかをやったりする。
  どういうステージになるのかわかりませんが。
  ボズ・スキャッグス、お送りした曲は、リタ・クーリッジ(Rita Coolidge)がカバーしてちょっとヒットした曲なんですが。
  ボズ・スキャッグスはね、これが出来た時は大満足したらしいんですよ。めちゃくちゃ良いメロディだからね。
  だから、歌詞がね、ふつ〜うのラブソングなんですよ。このおっさんが作った曲は。
  だけど歌詞(楽曲?)がめちゃくちゃいいから、総合ではもう上出来っていう感じですよね。
  これは日本ではコマーシャルなんかに使われて大ヒットしました。
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか。
  リクエストお待ちしています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  メールは [email protected]  
  
  いろんな人のね、生活だとか意見だとか音楽体験が入ってくると、やっぱりリクエストもちょっと違う風に聴こえたりしませんか?
  みなさんのリクエスト、協力願います。

  それから、ビートルズのお話しの方は、ビートルズが売れる前ですよ。
  売れる2年ぐらい前の話しですかね。
  ここら辺がね、ほんとに毎回言うんですが、一番面白いと思います。
  来週はどんな話になるのか、期待して頂きたい と。
   
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
154ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=26,xxxPT】(1+0:8) :2012/09/15(土) 15:01:19.39 ID:kyuJnfU10
あげ
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 9月16日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  ビートルズが大変になるのは64年でしょう。
  63年に「She Loves You」がアメリカで発売されています。
  これはビートルズにちょっと詳しい方は「えっ?I Want To Hold Your Hand の前に?」っていう。
  そうなんです、実はビートルズはイギリスで大変なことになるけども、これはもう皆さんご存知のとおり。
  アメリカのキャピトル、本当だったらキャピトルがビートルズを出さなきゃだめなんだけど、
  「ええっ、こんなのアメリカで売れないよ〜w」っていうんで相手にしなかったもんで、
  イギリスのレコード会社はアメリカで出してくれるところを探すわけですよね。
  で、「スワン(Swan)」という、この会社小さい会社です。ツキがない会社なんですよ。
  スリーディグリース(Three Degrees)とかねダニー&ザジュ二アース(Danny And The Juniors Pony Express)とか
  有名なアーティストと契約するんだけど、それは売れないときの契約なんですよねw。
  これは果たしてどうなるかと言うと、売れないわけです、全然売れないわけです。チャートにはまったく出てこない。
  で、ビートルズがキャピトルが「まあ、やってみるか」っていうことでと本気を出して売れますよね。
  その後で、翌年の2月になって。
  だから「スワン」ていう貧乏な無名なレコード会社はですね、これが売れちゃうわけです。
  だから小さなレコード会社としては思ってもみなかったような、宝くじに当たったようなお金が入る、ということなんですけど。
  この「She Loves You」っていう曲自体は歴史的な曲です。
  内容的にね、例えば「彼女がお前を愛している」ていう、作詞のアプローチが全く斬新で、これはビートルズらしい。
  それから作曲もそうです。アレンジもそうです。
  レノンとマッカートニーが、実際にこの曲は顔と頭を突き合わせて曲を書いたんですけども。
  当初はマッカートニーが目立つコーラスアレンジだったんですけども、最終的には今のスタイルに落ち着いています。
  それから、あの「ヤア!ヤア!ヤア!」っていうのはトレードマークになりました。
  それがwアメリカから小さいレコード会社から、49年前の今日発売されたけどwアメリカで売れなかったっていう、面白い話しですよね。
  改めて聴いてみましょう。She Loves You。  

  〜 The Beatles / She Loves You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc 

  (小林)ザ・ビートルズの She Loves You。
  もうこれはファンには聴きなれた曲かもわかりませんけども、ビートルズの原点の一つ。
  ビートルズの側近たち それからレコード会社の側近たちも、この曲が一番ビートルズのエネルギーが入っている曲だっていう証言もあるほどです。
□デッカオーディション
 ・「俺たちの目標は、あのインチキ・クリフ・リチャードとか、そんなヤワなもんじゃないんだよ。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)のさらにそのまた天辺を目指すんだ。
  それまで俺は絶対にロックは辞めないからな!。」
  これはまだレコードデビュー前のジョン・レノンの口癖であった。

  この負けん気の強いキャラクターによって、ジョンはあの下手くそだったシルバービートルズを、
  リバプールを中心とするマージーサイドの地域でも1,2を争う人気バンドにまで仕立て上げた。
  もちろん、その功労者はジョンだけではない。
  的確なアレンジを提案し、自らもジョンと二枚看板のシンガーとしてがんばるポール・マッカートニーの存在は大きかった。
  それでも、この時点でのビートルズのリーダーは間違いなくジョンであったし、 
  デビューして2年間くらいはジョンがビートルズの顔であった。
  と、多くの関係者は認めている。

  そのジョンが、いつものキレを失っていたのが、1962年1月1日元旦に行われたロンドンのデッカレコードでのオーディション。
  この日デッカのスタジオで演奏されたのは、シャープなロックンロールでも不良の匂いが立ちこめるリズム&ブルースでもなく
  ハンブルグで酔っ払った船乗りを相手に明け方まで演奏していた、当時の流行歌ばかり。
  もちろん、これにはちゃんとした目論見があった。
  マネージャーになったばかりのブライアン・エプスタイン、この時ロックの何たるかをよく理解していなかった。
  レコードショップチェーンの支配人でもあったブライアンは、
  ビートルズをまず「万人受けするプロのバンド」として、デッカレコードのスタッフにプレゼンしたかったのである。
  しかし、リバプールからの吹雪きの中の長旅や寝不足などにも祟られ、この日の出来は最悪。
  地元のキャバーンクラブでのライブの半分にも及ばない結果となった。
  もうこれはデッカの制作陣の判断を仰ぐしかない状態となったのである。
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zdeSp-FQV7A
  
  〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ou-y8u0crNI
 
  (小林)
  いかがですか?。これは比べ聴きですね。
  デッカのオーディションで残っているビートルズのカバーが、コースターズ(The Coasters)の Three Cool Cats。
   Three Cool Catsっていうのは三人のクールな、男ですよキャッツはね、ネコじゃなくて。
  でスリークールチックス(Three cool chicks)三人の女性との出会い。
  これはちょっとスタンダードぽい昔の曲なんだけれども、それをカバーしている。

  これに比べると悪い条件下で、ビートルズがイギリスでもすでにデビューした後ですけども、
  ハンブルグに残ってる仕事があるっていうんでスタークラブへ行きます。
  もう、ちょっとこれ余裕で、だけどすっごい勢いがあるビートルズの Sweet Little Sixteen。
  ちょっと比べて聴いて頂きましたが、どうでしたか?
□デッカオーディション(続き)
 ・「なんだこれは?。あのキャバーンの客を熱狂させたロックンロールやリズム&ブルースはどこへ消えてしまったんだ?
  ほら、ビートルズ、もっとがんばれよ!。僕は君たちと一緒に仕事がしたいんだから。」
  これは1962年の元旦、ビートルズが受けたデッカレコードのオーディションに立ち会ったアシスタントプロデューサー=マイク・スミスの心の中の呟き。
  
  この数週間前、ロンドンから特急列車でリバプールに訪れ、今や伝説となっているキャバーンクラブでビートルズのライブパフォーマンスを体験したスミスにとって
  この日のビートルズの選曲と演奏は、文字通り「なんだこりゃ?」であった。
  「ウソだぁ。ビートルズはこんな曲をやるバンドじゃない。
  僕がキャバーンで見たあのハードにドライブするロックンロール。
  そしてジョンがヘビーに決めるリズム&ブルースはいったいどこへ行っちまったんだ?。
  マズイぞ、ビートルズ。このままじゃ不合格だ。」

  実のところ、デッカの中でビートルズの才能と魅力を理解しているのは、この時まだ20代の制作マン=マイク・スミスだけであった。
  本来ならばスミスの直属の上司であるチーフプロデューサーのディック・ロウが担当する懸案であるはずのビートルズであったが、
  ロウはこの仕事から逃げ、部下のスミスに押し付けたのが事実であった。
  なにせ、ビートルズを売り込みに来たブライアン・エプスタインは、NEMSという大手レコードショップチェーンの創業者の息子で支配人。
  若き実業家であり、デッカの大手お得意様でもあった。
  そうなると、もうこれは立派な「政治物件」であり、全ては「大人の事情」の世界で動くのが世の常。
  こうしたディック・ロウに代表されれる「少し汚れてしまった大人たち」に対して、アシスタントのマイク・スミスはまだ「無垢な青年」であった。
  1960年代に入り、間違いなく低迷してきているロックの音楽を 自分たちの手で盛り上げたいと純粋に考えていたのである。
  そこに現れたビートルズは、スミスにとって正に「夢」とも言える存在であった。
160ホワイトアルバムさん:2012/09/20(木) 07:32:45.97 ID:???0
心の中のつぶやきを、だれがどうやって確認したのか
  〜 The Beatles / I saw her standing there
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HhllDK6C6eQ

  〜 Gerry & The Pacemakers / How Do You Do It?
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sPLHiGQwHnA

  (小林)1963年の初期のサウンドですね。
  ビートルズの I saw her standing there。
  これはもう有名な曲で、アルバムはイギリスでは1963年「プリーズプリーズミー(Please Please Me)」の中に入っています。

  そして、その頃とほぼ同じ頃のイギリスのナンバーワンです。
  ビートルズの仲間というか同じ事務所関係 Gerry & The Pacemakersの How Do You Do It?。
□デッカオーディション(続き)
 ・「デッカのオーディションなんだけどね。
  あれは、選曲・演奏・ルックス、そのどれを取ってもビートルズの対抗馬のバンドの方が良かったらしいんだよ。
  でもね、オーディションに立ち会ったマイク・スミスは、それでもビートルズを推したい って僕に言うんだよね。
  よっぽどビートルズの内面からにじみ出る何かに魅力を感じていたんだろうね。」
  こう証言するのは、1962年当時リバプールの地方新聞「リバプールエコー」の土曜版に音楽コラムの連載を持ち、 
  さらにロンドンのデッカレコードの契約社員として、ジャケットとライナーノートの部署を担当するという
  「二足のわらじ」でがんばっていた青年、トニー・バーロウ(Tony Barrow)。
  この数ヶ月(後)ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインに懇願されPR広報担当責任者として
  ブライアンの事務所NEMSに入社する人物である。
  もちろん、バーロウはビートルズの世界ツアー、そして最も大切な記者会見にも必ず同席するという重要な任務をこなしていく
  ブライアンにとっての片腕となることも、付け加えておこう。
  
  オーディションを担当したデッカのマイク・スミスの好感触を聞きつけ、バーロウはさっそくリバプールエコーに途中経過をレポートすることになった。
  オーディション自体が、バーロウの口利きによるものだったことはもちろんであるが、
  バーロウはこの同郷のロックバンドが、この先どうなって行くのか、ものすごく興味を感じた。
  なにせ、この頃のイギリスのショウビズ界は、全てロンドンが中心。
  リバプールから全国区のミュージシャンが出てくるなんて、誰も想像すらしていなかった。
  もしこれが現実となれば、それはもう超特ダネである。
  バーロウは気合を入れてペンを取った。

  「リバプール出身 ビートルズの成功物語における最新エピソード。
  先日受けたデッカのレコーディングテストについて、
  プロデューサーであるマイク・スミスが『ビートルズは素晴らしかった!』とコメントした。
  そのテープは30分に及び、デッカはきっとビートルズをスターにする確信を持った、という。
  最新情報は随時お知らせいたします。」
  〜 The Beatles / Take Good Care Of My Baby(Decca Audition)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LhdCiRCj6KU

  〜 Elvis Plesry / Rock A Hula Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=H8MlZ6J4rTo
 
  (小林)これはどうでしょう? 
  若い方の耳にはどういう風に聴こえているのかなあ、っていう感じがしますが。
  ビートルズがオーディションを受けたやつですね。
  デッカのオーディションで奏った(1曲目)Take Good Care Of My Baby、ビートルズバージョン。
  これは若き日のキャロル・キング(Carole King)たちが作ったポップスの名曲ですね。
  
  それからプレスリーの同じ頃の、これはイギリスでもナンバーワンになりました、
  (2曲目)Rock A Hula Babyっていう曲であります。
  
  これはね、どういうことかって言うとね。
  ヤワ(柔)なソフトなポップスの名曲なんだよね。これは、実は2曲とも。
  で、どういうことを言いたいかというと。
  この頃からも今も同じですけども、ロックだとかポップスの世界は、ハードなトガ(尖)ったものっていうのが必要なんですよ。
  絶対、バランス的に。
  ところが、アメリカもね、ヤワ(柔)くなっていたっていうことなんだよね。w 
  で、ビートルズがオーディションで奏ったっていうのは、ヤワなやつを奏ったんですよね。
  ところが、若者たちはハードなものを、ちょっとトガったものを探していた。
  だから、デッカのマイクは、そういうことをマイク・スミスは欲しかったんですよ。
  ビートルズに出てきて欲しかった。
  そういうことを言いたいんです。
□リクエスト
  (小林)
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  これはほんとありがたいんですw。
  メールアドレスは [email protected]
  
  (板橋区/男性)49歳
  ビートルズ歴は中1からなので37〜8年。
  先日ロンドンオリンピックの開会式でポールの元気な姿を見て感激しました。
  自分も一緒にヘイジュードを歌いてえ。日本に来てくれないかなあ。
  私が高校2年の時ウィングス来日の発表を聞いて、受験中にもかかわらず徹夜でチケットを手に入れましたが、大麻騒ぎでコンサート中止。
  それ以来、来日してもコンサートに行くチャンスがありません。
  ポールが見たい。
  高校のとき毎日聴いていた「ウィングスUSA」のライブから1曲目のメドレーをリクエストお願いします。
  プレーヤーが無いので何年聴いてないっすかねえ。
  (小林)っていう。
  レコードは持ってるわけだ。実家にレコードプレーヤーがあるわけですね。
  はい、あなたのリクエスト… 

  〜 Paul McCartney / Venus and Mars-Rock Show-Jet(1976live)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lNn5Q7H-FeA&feature=related 

  〜 The Kinks / Waterloo Sunset
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5J3gX47rHGg

  (小林)
  キンクスの Waterloo Sunsetが流れています。
  (鎌ヶ谷市/男性)
  ロンドンオリンピックの閉会式でザ・フーやクイーンを真近で見られたオリンピック選手たちがうらやましいですね。
  キンクスがこの曲を演奏したとき時差で日本は朝でした。美しい夕暮れの曲ですので、この番組でお願いします。
  (船橋市/男性)
  先日、元ツイストの松浦さんの「スライドギターの教則」DVDを購入しました。
  その中で、彼は「デュアン・オールマン、ジョー・ウォルシュ、ジョージ・ハリスン、がスライドの天才だ」と言っています。
  また雑誌ローリングストーンで「百人の偉大なギターリスト」の11位にジョージが選ばれていました。
  彼のギタープレイに対する評価が近年高まっている気がして嬉しく思います。
  彼はどう言うでしょう?「そんなこと、どうでもいい」とでも言うでしょうか。
  リクエストは「クラッカーボックス・パレス」ジョージのスライドギターを楽しめる曲だと思います。
  (小林)ではあなたのリクエストです。  
  
  〜 George Harrison / Crackerbox Palace
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PpYYA3hBCo0
  
  〜 The Beatles / She's Leaving Home[Mono Mix]
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8kTPGNxFf10

  (小林)
  サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)から She's Leaving Home。
  (木更津市/女性)
  私がビートルズのアルバムを最初に購入したのは今から32年前の昭和55年5月5日、偶然5の重なる日。
  当時中学生だった私のクラスでもビートルズのファンが数名いましたが、
  サージェントペパーズはだれも持っておらず、思い切って貯めた小遣いで購入しました。
  「私が生まれた頃にこのような音楽があったのか」と、とても不思議な気持ちでした。
  (小林)
  というわけで She's Leaving Homeよく聴いた、というね。
  ちなみにね これは、いろいろうるさい方のために、モノーラル盤でお送りしました。
  キーが半音近く高いんですね。
  やっぱりビートルズはモノーラルです。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがですか?
  やっぱり、いちばんビートルズのデッカオーディションの頃の話しってのが、ほんとに面白いんでね。
  いろんな角度からお送りしてますけど。
  まあビートルズは不採用になるんだけど、採用になって欲しいと思ったのはビートルズ関係者以外にもいたっていうわけですよね。
  
  それから、リクエストよろしく。(略)
  
  今日はちょっと欲張って、いっぱいリクエスト(曲に)お応えしたので、
  皆さんのリクエストの書いた文章の半分ぐらいをちょっと読みましたけど。
  いつもだったらね、フルに紹介しますので、自由にわがままにいろんなことを書いてリクエストください。
  待っております。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 9月23日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  これは面白い話しなんだよねえ、音楽マニアにとっては。
  あの「Happiness is a Warm Gun(ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン)」
  この時はまだ「Happiness is a Warm Gun in Your Hand」ていうタイトルだったんだね。
  これはスヌーピーの有名な漫画に「Happiness is a Warm Puppy」「幸せは暖かい子犬ちゃん」ていうような文があったんだけど
  それをジョン・レノンの頭にはちょっと違ってw 響いていたのかわかんないけど。
  「Happiness is a Warm Gun in Your Hand」「幸せはあなたが手に持っている、まだ暖かい銃」だから暖かい銃ってのは発射したばかりなのかなw。
  それとも「Warm Gun(ウォームガン)」ていうのは違う意味があるのかな。
  それですよ。
  これの録音を、今から44年前の今日 やった日で。
  これ面白いのはね、プロデューサーが、クリス・トーマス(Chris Thomas)というプロデューサーをやり始めたばっかり。
  その前はアシスタントだったんですよ。ビートルズのスタジオではね。
  で、クリス・トーマスはセックスピストルズ(Sex Pistols)だとか、ポール・マッカートニーだとか、
  後になってね、いろいろプロデュースする有名なプロデューサーなんですけれども。
  なんとこの日、この「Happiness is a Warm Gun」の、45回録音してるんだよね。
  4人で一発録りで45回やっていて。
  これは、資料を見ると、その翌日は同じことを46回から70テイク。(25テイク分)
  だから一日目に45テイクやって、その次に46から70テイクやって、
  またその翌日、膨大な録音を全部聴くわけです。
  で、第53テイク、53回目にやった前半部分と、65回目にやった後半部分がベストだ、っていうことを判断して、この二つを繋いで。
  それに新たにジョンのボーカルだとか3人のコーラスだとか、
  「オルガン、ピアノ、ベース、チューバ、スネヤドラム、タンバリン、これを録音して、そして完成に至る。」とありますけども。
  この頃はもう、ビートルズのそういうふうにやって、重ねて重ねて作っちゃう絶頂期ですよね。
  また、曲はジョン・レノンにしか書けなかった曲。
  改めて、そういうことを頭に入れて聴いてくださいね。
  ビートルズの Happiness is a Warm Gun。

  〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m9-xpE7YxzQ 

  (小林)改めて聴いてみましたが、どうですか?、どのように響きましたか?
169ホワイトアルバムさん:2012/09/27(木) 19:49:27.51 ID:???0
最近この曲かけすぎじゃね?
170ホワイトアルバムさん:2012/09/28(金) 21:47:06.51 ID:???0
>>169
克也さんお勧めの曲だからねえw
□デッカオーディション
 ・「リバプール出身ビートルズの成功物語における最新エピソード。
  先日受けたデッカのレコーディングテストについて、
  プロデューサーのマイク・スミスが『ビートルズは素晴らしかった』とコメントした。
  そのテープは30分におよび、デッカはきっとビートルズをスターにする確信を持ったという。
  最新情報は随時お知らせします。」

  これは1962年1月の時点で音楽ライター=トニー・バーロウが地方新聞である「リバプールエコー」の音楽コラム「オフザレコード」に向けた文章である。
  リバプール出身のバーロウは、当時ロンドンのデッカレコードの契約社員で、レコードジャケットとライナーノートを担当する部署にいた。
  ビートルズのマネージャーになったばかりのブライアン・エプスタインは、リバプールエコーを頼りにバーロウの居場所を着き止め。
  そのバーロウの紹介で、デッカのオーディションを受けることになった。
  というのが、ここまでのストーリー。
   
  この時バーロウは、そのオーディションのテープを聴かずに、録音を担当した若きアシスタントプロデューサー=マイク・スミスからの話を元に記事を書いた。
  これに関してバーロウはこのように語っている。
  「もしあの記事を書く前に、オーディションのテープを僕が聴いていたら、早まって記事を書くという勇み足を踏むことは無かったと思うよ。
  そのデッカテープでのビートルズは強い印象を残すものではなく、誰もがみんな『いいね』とは言わなかった。
  だから担当したスミスが、いくら贔屓目でビートルズに一票を投じたとしても、それに左右されることは無かったよね。
  やはりチーフプロデューサー=ディック・ロウの判断は間違っていないと、誰もが確信していたわけだ。
  もちろん、全ての話しはビートルズのあの圧倒的なライブパフォーマンスを見たことの無い状況での判断だからねえ。
  マイク・スミスだけがリバプールで現場を目撃していたわけだから、こりゃもう悲劇の始まりとしか言いようがないね。」
  〜 The Beatles / Money [Live]
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nKxPv7LSe7o
  
  〜 The Beatles / You've Really Got to Hold On Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7JPgwXYqWzc
 
  (小林)2曲続きましたね。1963年当時のね。
  ビートルズのMoney、これはすっごい迫力だったけど、「アンソロジー1」に入っているやつで
  ストックホルム、スウェーデンのテレビショウで客を入れたやつで。
  これはすごいでしょう、ビートルズは。すごい迫力ですよねえ。

  で、You've Really Got to Hold On Me、ちょっとメロディが違うなあ・・・
  そうなんですよ、これは、モータウンですよ。
  スモーキー・ロビンソン(Smokey' Robinson)が作った曲。
  それをビートルズがカバーしていました。
  「With The Beatles」のアルバムに入っています。
□デッカオーディション(続き)
 ・「もちろんデッカオーディションにおける全ての話しは、ビートルズのあの圧倒的な『ライブ』を見たことのない状況での判断だから。
  マイク・スミスだけが、リバプールでその現場を目撃していたわけだから、
  もっとその目撃者の意見に聴く耳を持つべきだったと思う。
  でも、もう遅い。誰もが言うように、これはもう悲劇の始まりとしか言いようがないね。」

  これは1962年当時、リバプールの新聞の音楽コラムのライターとして、ロンドンのデッカレコードの契約社員、
  そして後にビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインにヘッドハンティングされ、
  バンドの広報PR担当責任者となる人物、トニー・バーロウの証言。
  もちろん彼は世界ツアーにも全て同行し、大切な記者会見の席でも必ずビートルズの傍にいた。
  いわば「生き証人」である。

  デッカのチーフプロデューサーであるディック・ロウは、クリスマスと正月の休暇から戻る前に、
  オーディションに立ち会ったアシスタントのマイク・スミスから届いたテープを聴きながら、
  採用するのは「ビートルズ」かそれともロンドンのグループである「ブライアンプール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeloes)」なのか、じっくり考えていた。
  そして、やはり採用するつまり契約するのは「トレメローズ」であることをスミスに伝えた。
  もちろんロウは、ビートルズがデッカの営業セクションから持ち込まれた、いわゆる「政治的物件」であることは充分に理解していた。
  レコード会社の営業部にとっては、ブライアンが経営するレコードショップチェーンNEMSは重要なクライアントであった。
  しかしこのディック・ロウのような「自分は優れたクリエーターである」と自負しているような人種にとっては、
  営業部からの推薦など「邪魔なもの」あるいは「余計なお世話」に他ならない。
  天下のデッカレコードの敏腕プロデューサーも、すっかり冷静さを失っていた。
  宝の山を目の前にして、引き返すも同然の決断であった。
  〜 The Beatles / Revolution (PV)  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ceISGri7y78 

  〜 The Beatles / I feel fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk

  (小林)2曲続きました。
  Revolution、これはあの名曲「ヘイジュード」のB面だったわけですね。
  A面がポールでB面がジョン。だけど僕はこれはとてもいい曲だと思っています。Revolution 。
  
  そして、I feel fine。これは1964年、イギリスでもアメリカでもナンバーワンになった有名曲。
□デッカオーディション(続き)
 ・「僕はリバプールのクラブキャバーンでデビュー前のビートルズのライブパフォーマンスを体験した。
  そりゃあもう異次元の世界さ。
  上手いとかワイルドだとか、そんなひと言では言い表わせない。『すごい』と表現するのが取り合えず近いかな。
  もしあの時1961年12月に、僕の上司も一緒に来てくれていたら、僕らの歴史は変わっていただろうね。」

  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当したマイク・スミスというアシスタントプロデューサーの発言。
  「なんだ今さら、そんなことを言うのか?」と思われてもしょうがないが。
  これは彼の本心なのだろう。

  デッカがビートルズを採用せず、ロンドンのバンド「ブライアンプール&トレメロ−ズ」と契約した事はロックの歴史上有名なことではあるが。
  その理由は2つ考えられる。
  
  まず、担当責任者であるディック・ロウにとって、営業部から強引に持ち込まれたビートルズに、よい印象を持っていなかったこと。
  いつの時代も、どこの国でも同じように クリエイティブな部署の人間はプライドが高い。
  そして自分のセンスを信じるあまり 時として運命的な判断を誤ってしまう傾向にある。
  ご多聞にもれず、ロウも判断を誤った。

  そして二つ目。
  ビートルズがリバプールのバンドであったということ。
  この当時1960年代の初頭、イギリスにおけるロックやポップ音楽のビジネスは、あくまでもロンドンを中心に回っていた。
  もちろんリバプールなどの地方都市にもライブのシーンはあり、音楽の現場は存在していた。
  しかし、ことレコードビジネスとなると ほとんど皆無であった。
  ブライアンのようにレコードを販売して利益を得るという図式はあっても
  その音楽そのものを制作したり録音したりする設備などロンドンにしか存在しない。
  言い替えるならば、音楽業界の人間にとってリバプールなど「遠い外国」それも途上国に等しかった。
  ビートルズにとって苦難の歴史は、まだしばらく続くのである。
  〜 The Beatles / Misery
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jyCt2C3TJDc
 
  (小林)これは1963年の「Please Please Me」のアルバムに入っています。
177ホワイトアルバムさん:2012/10/01(月) 23:42:58.46 ID:???0
いつも思うんだけど、猛烈に話の進行が遅くない?
結局先週から話進んでね〜! とラジオの前で地団駄踏む事
何十回!
前回と今回での被りもあるし、CM明けでも被ってるから、
1回で本にしたら20行分位しか進まない。
特にウザいのがキャラ紹介、もうト二ーバーロウと
ジョージマーティンとエプスタインたちのキャッチフレーズを
何百回聞かされた事か。
178ホワイトアルバムさん:2012/10/01(月) 23:44:53.98 ID:???0
小林克也いくらお気に入りだからと言って
ハピネスイズウォームガン流し過ぎ。
もう歳だから前回流したのがいつかも
忘れてるんじゃなかろうか。
  (小林)この番組に届いたリクエストにお応えしていきますが、
  その前に、すごいお知らせです。これは恒例のお知らせなんですが。
  
□公開録音のお知らせ
  「ビートルズから始まる」恒例のスペシャルパーティ。
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  パーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。
  ワインとイシイ食品のアレンジされた豪華なご馳走をご用意。
  応募はBAYFMのHP携帯サイト
  http://www.bayfm.co.jp/  か
  ハガキの場合 〒261-7127「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは 043-351-8011

  締め切りは10月14日(日)です。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなどセットにして採用の方にはお贈りしています。
  メールアドレス [email protected]

  (江東区/女性)
  クイーンの Crazy Little Thing Called Loveをリクエストします。
  エルビス・プレスリーを意識した曲だと思います。    (小林)まあ、これはプレスリーばかりじゃなくて
                                          ジェームス・ブラウンとか、R&Bの要素が入ってるね。
  ビートルズのジョン・レノンはこの曲を聴いて、5年間の活動休止を終えて音楽活動への意欲を再び持つようになったと聞いたことがあります。
  プレスリー・ビートルズ、そしてクイーンという、
  それぞれの時代の輝かしいアーティストの存在がこの曲によって繋がりあったのではないかと思います。
  そしてそのような音楽の世界の楽しさを初めて教えてくれたのがビートルズです。
  私の音楽人生は、まさに「It all started whith The Beatles」ビートルズから始まるのです。
  (小林)
  あなたのリクエスト。

  〜 Queen / Crazy Little Thing Called Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zO6D_BAuYCI

  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

  (小林)イエスタデイが流れましたねえ。
  (佐倉市/男性)48歳
  中学時代初めての英語の授業で先生が、英語を歌を通して親しむようにと歌詞を渡されたのが「イエスタデイ」でした。
  ぜひ「イエスタデイ」リクエストをお願いします。
  それ以来ビートルズが生活の一部ですし、洋楽の原点、尊敬するアーティストです。
  (小林)
  と書いてありますが、2回目の「イエスタデイ」をわざとスペルを間違えたのは、これは意図したことなのだろうかw。
  (茨城県日立市/女性)
  最近、ダイアモンド?ユカイさんをよくテレビで見るようになりました。
  芸人扱いをされてる感も無きにしも非ずで、すっかり「面白いおじさん」になっているユカイさんですが、
  昔は「RED WARRIORS」というバンドのボーカルで、今のイメージとはけっこう違うんですよね。
  ビートルズファンでもある彼のWARRIORS時代の中から「バラとワイン」をお願いします。
  
  〜 RED WARRIORS / バラとワイン
  http://www.youtube.com/watch?v=2KiFBsNEoxc

  〜 B'z / Farewell song
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PyWZgTaoCAw

  (古河市/男性)
  ビートルズへのオマージュソングを発見しました。
  B'zの「セブンスブルース(The 7th Blues)」というアルバムに入っている「フェアウェルソング」で。
  この曲は「ヘイジュード」へのオマージュとして作られたそうでw、エンディングにそっくりなコーラスが登場します。
  ちなみに日本一の売り上げを誇るB'zですが、結成は「オー!ダーリン」と「レットイットビー」をセッションしたのがきっかけだとかいうことです。
  (小林)
  というわけで、リクエストにお応えしました。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  やっぱり、あの、毎回言ってるんですけどw
  ビートルズが売れる前のお話しっていうのはね、けっこう面白くて。
  デッカオーディション、ビートルズは結局受からないわけですけども。
  毎週お伝えしてるのを聴いて、
  「ああ、そうだったのか。ビートルズはなぜデッカに受からなかったのか」
  っていうのが、理由が判ったと思いますけど。
  まだまだ、この話しは続きます。よろしく。
  
  リクエストの方も、採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  今日はちょっとバラエティにあふれた曲がかかりましたが、
  まあ、ビートルズから始まるというわけでね、いろんなものけっこうOKです。
  みなさん、わがままにリクエストして下さい。
   
  公開録音のお知らせ(略 
  >>179 参照
1962年10月5日 英国で「Love Me Do」がEMIパーロフォンから発売。
2012年10月5日がビートルズのレコードデビュー50周年ですね。
それに向けてストーリを展開するのかと思いきや w
本編では、デッカで足踏みのゴタゴタが続いている模様ですw。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 9月30日)
 ・1966年(今から43年前の今日)  
  「コールドターキー(Cold Turkey)」って知っていますか?「コールドターキー」っていう曲。
  これを録音した日です。あの有名な曲を。
  元々ビートルズで録音しようとしたんですけど、ジョン・レノンは。
  でもポールたち3人が大反対して、結局ヨーコと一緒にやっている「プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)」で発表します。
  同じ年の「パワートゥザピープル(Power to the People)」に続く2枚目のシングルになるわけですが。
  レコーディングしてから3週間ちょっとでイギリスで発売しています。
  で、コールドターキー 冷たい七面鳥、ですよね、
  この頃はドラッグカルチャーの時代でして、ドラッグだとかヘロインだとか、ああいった中毒症状に陥る者・・・。
  だから、中にはお菓子中毒の方いますね、お菓子なんかの中毒の場合でもコールドターキーは使えるんです。
  禁断症状のことを「コールドターキー」て言うんです。
  でもね、結局この曲は、ちょっと内容が…、そんなに、まあ(詩は)抽象的なもんだから、過激でもないんだけど。
  タイトルがいけなかったのかな。
  国営放送のイギリスのBBC、それからアメリカのラジオ局なんかでも、放送自粛をするわけですよね。
  それがあんまりヒットしなかったていう。結局イギリスで14位、アメリカで30位。
  で、ジョン・レノンは、実際これで頭に来るわけですよ。
  頭に来てなにをやったかというと、エリザベス女王からもらったMBE勲章を返しちゃったんですよね。
  で、その理由っていうのが「イギリスがナイジェリア、ビアフラ問題に頭を突っ込んでるけど、これは良くない。」
  っていうことで、抗議して返した。
  でもその実態は、実はこの「コールドターキー」が売れなかったからだ、と言われております。
  そういう話を聴くと「コールドターキー」どうしても聴いてみたくなるでしょう?。
  ジョン・レノンがリードボーカルです、それからリズムギターです。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)がリードギターです。クラウス・ブアマン(Klaus Voormann)がベースギターです。
  リンゴ・スターがドラムスです。
  それじゃ、それを聴いていただきましょう。
  あの流れるようなメロディの所はエリック・クラプトンと…、
  あ、リフだね、リフはエリック・クラプトンとジョン・レノンが一緒にやっています。

  〜 John Lennon & Plastic Ono Band / Cold Turkey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_b-Cr9a6eVo&feature=related
    
  (小林)
  プラスティック・オノバンド、コールドターキー、ジョン・レノンの世界です。
  ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、大反対。
  でも、リンゴ・スターは結局参加しています。
  問題作です。
  いかがですか?
訂正します。

>>184
1969年(今から43年前の今日) 

です。
□デッカオーディション
 ・「ビートルズ?。なんだよ、このバンド、リバプールの連中じゃないか?。
  そんな田舎から来たやつら、オーディションなんか通るわけないだろ。
  おまけに、あのリバプールじゃ有名なレコードショップのチェーンNEMSがマネージメントしてるんだろ?
  そうかあ、それで営業の連中が『ビートルズをよろしく。』ってネジ込んできたわけだ。
  営業が制作に口を出すなんて、ますます気に食わねえ。
  まあいいか、肝心の演奏も今ひとつだし、不合格でいいだろう。」

  これは1962年元旦、ビートルズが初めて受けたオーディションの相手デッカレコードのチーフプロデューサー=ディック・ロウの心のつぶやき。
  この時のオーディションに関して、ロウはまったくやる気ゼロであった。
  欧米の会社員に多いケースであるが、クリスマスから新年にかけて長い休暇を取り、特に難しい仕事でなければ部下に任せてしまうこともよくある話。
  ロウの場合はまさにこのパターンであった。
  「年明けの新人オーディション、君に任せるから、よろしくたのんだよ!」
  任されたのはデッカ制作部のアシスタントプロデューサー=マイク・スミス。
  やる気のある若いクリエイターにとっては、たとえその仕事が上司から押し付けられたものであっても、任されるという事は嬉しいことであるし、
  自分の評価にもつながる。
  スミスは喜んで引き受けた。

  ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの招待でリバプールを訪れ、本拠地であるキャバーンでビートルズを見たのが、12月の中旬。
  オーディションを受けさせ評価するバンドの、下調べもできた。
  もちろんこの時点で、スミスはビートルズのライブパフォーマンスに圧倒され、すっかりファンになってしまっていた。
  「ああ、早くビートルズがデッカと契約して、シングル盤、そしてアルバムをレコーディングする日が来ないかなあ。」
  スミスは心からそう思っていた。
  少なくとも、年明けのオーディション本番が終わるまでは、そう願っていたのである。
  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lG3sgOJuugM
  
  〜 The Beatles / You're Gonna Lose That Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xVpq58PBjQI
189ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/08(月) 20:45:10.54 ID:hCjB4Rxx0
□デッカオーディション(続き)
 ・「ああ、早くビートルズがデッカと契約して、シングル盤アルバムをレコーディングする日が来ないかなあ。」
  会社のデスクに座りながら、心からそう願っている青年の名は、マイク・スミス。
  ロンドンの大手レコード会社デッカの制作部に勤務する若きクリエイター。
  いや、この時点ではクリエイターの卵だったかもしれない。
  しかし、そのスミスの願いも実現することは無かった。

  上司であるプロデューサーのディック・ロウは、テープに録音されたオーディションでのビートルズの演奏を聴き、全く興味を示すことは無かった。
  それもそのはず、テープレコーダーから聴こえてくる演奏は部下であるスミスから聞かされていた「リバプールのキャバーンでの熱演」
  とはあまりにかけ離れていたものだった。
  ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインの作戦であった「ハードなロックンロールや不良っぽいR&Bは極力抑えて、万人受けするヒット曲中心で行こう」
  という目論見は大失敗に終わったのである。
  オーディションから数週間経ったある日、ブライアンはデッカレコードに呼ばれ、豪華なランチの接待を受けた後、チーフプロデューサーのディック・ロウから今回のオーディションの結果を言い渡された。
  それは率直なものであった。
  「エプスタインさん、はっきり申し上げましょう。あなたが抱えているバンドですが、そのサウンドに問題があります。
  そもそも、ギターバンドはもう流行りません。
  それに、あなたはリバプールでとても成功しているレコードビジネスをお持ちなのだし、そちらに専念されてはいかがでしょうか?」
  
  ブライアンはこの言葉を"最高に無礼なもの”として受け止めた。
  そしてロウのこの「ビートルズを見逃した」という決断は、彼の音楽業界人としてのキャリアーに二度と消すことの出来ない大きな汚点を残すことになるのである。 
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zSm0M-BbVdY

  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

  (小林)あまりにも有名なヒットが2曲続きました。
  こういったものをみんなw オーディションでビートルズを採用しない事によって、みんな逃がしちゃったわけですよねw。
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、はっきり申し上げましょう。あなたが抱えているバンドですが、サウンドに問題があります。
  そもそも、ギターバンドはもう流行りません。
  それに、あなたはリバプールでとても成功しているレコードビジネスをお持ちなのだし、そちらに専念されてはいかがでしょうか?」

  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエイター=マイク・スミスの上司、チーフプロデューサー=ディック・ロウの発言。
  聞き役に回っているのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  もちろん、ブライアンの怒りはほぼ頂点に達している。
  それ以上にこのロウという人物が、あまりにも世の中のことを知らないことに増々腹が立ってきた。
  彼が言う「ギターバンドのブームはもうお仕舞い」というのは、
  アメリカでのロックンロール音楽が衰退しつつあるという事実を元に、何でもかんでも分類したがり、ブームを捏造しては終息させ、また次のブームをでっち上げると言う音楽業界のたちの悪い習慣の縮図であった。
  しかし、音楽の現場をロンドンではなく北西に数百キロ離れたリバプールを中心に見ると、どうであろう。
  リバプールを中心とする「マージーサイド」と呼ばれる地域には、ロックのギターバンドだけで300以上、いや、一説には700以上のバンドが存在していた。
  と言われている。
  
  この事実をロウは全く知っていなかった。
  それだけ当時の業界人はロンドン至上主義で、地方都市の現状などまったく興味を示していなかった。
  文字通り「井の中の蛙」である。
  もちろん、ロウの判断は大失敗に他ならない。
  ビートルズを不合格にしたという事実だけで、デッカの社内だけではなく、ロウは全世界のマスコミ・ロックファンから「世界一無能な音楽プロデューサー」と非難されることになる。
  そしてデッカは、この事件から程なくして、あのローリングストーンズを射止め、契約を結ぶのであった。
192ホワイトアルバムさん:2012/10/08(月) 21:51:18.93 ID:???0
オーダーリンの途中に台風情報読んだ奴はゆるさんぞ
193五関敏之:2012/10/09(火) 20:51:31.62 ID:???0
せやったなあ
  〜 The Rolling Stones / Get Off Of My Cloud
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-_Rz3oz96xg&feature=related

  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI

  (小林)ローリングストーンズとビートルズを比べてみました。
  同じ頃、1965年、同じ頃の作品です。
  
  デッカレコードはビートルズを落としたけど、ローリングストーンズをゲットしたっていう。
  これはこの番組で、前にお伝えしましたけど
  ビートルズが売れて1年か2年も経ってないと思いますけども。
  ジョージ・ハリスンと、このロウさんていうプロデューサーがBBCの番組「Juke Box Jury」という番組でね、審査員になるわけです。
  並ぶわけですよね。
  ジョージ・ハリスンは、ローリングストーンズのことを友達で紹介するんですよ。
  「ローリングストーンズっていう いいグループがあるよ」って。「今度は失敗しなきゃいいね。」とかなんか言うわけですよね。
  ジョージ・ハリスンがやさしい、ビートルズの余裕、王者の余裕、っていう。
  それを物語るエピソードです。
□公開録音パーティのお知らせ
  「ビートルズから始まる」恒例の公開録音パーティ。
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  コンサートと食事会が一緒。
  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  パーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。
  イシイ食品の誇る豪華なご馳走とワインをご用意。
  応募はBAYFMのHP携帯サイト か
  ハガキの場合 〒261-7127「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは 043-351-8011

  締め切りは10月14日(日)です。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいております。
  メールアドレスは [email protected]

  (千葉市緑区/男性)
  6月にこの番組を知ってから欠かさず聴いています。
  私は48歳ですが、35年以上ビートルズファンをやっています。
  きっかけは「イエスタデイ」でした。
  中学の頃NHKで、主人公が独裁者の牛耳る国へタイムスリップ。SF小説が放映されていました。
  この国では、クラシック音楽以外聴くことができない。聴くと罰せられる。
  主人公の少年を匿(かくま)った家で、家の主人が隠し持っていたレコードをこっそり聴く場面がありました。
  この時、息を殺して命がけで聴いた曲が「イエスタデイ」でした。
  このときの感動が今でも忘れられません。
  ということでリクエストはイエスタデイと言いたいところですが、先日かかったので。(小林)wきょうもかかったw
  二番目に印象深い「アイソーハースタンディングゼア」お願いします。
  初めて買ったLPが「プリーズプリーズミー」、当時LPは2200円、小遣いは2000円だったので前借りして買いました。
  EP盤用の卓上ステレオに無理やりセット。いきなりポールのカウントに身震いしたのを覚えています。
  身震い、というものを初めて体験した瞬間でした。
  (小林)
  いやあ、いい話しですね。あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AEfyeAS5aVA
  〜 The Beatles / All my Loving
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kg1YAKcIlyc&feature=related

  (小林)
  いやあ、いさぎ良い曲ですよねえ。

  (木更津市/男性)
  ビートルズといえば、イントロ無しでいきなり歌うことから始める先駆者として知られていると思いますが。
  私がビートルズの中で、イントロが無く歌詞から入る曲で最も気に入っているのがこの「オール・マイ・ラヴィング」
  この曲が収録されている「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中でも一番よく聴いています。
  僅か2分7秒の中に含まれる軽快な曲調、演奏の間に無音の箇所があり、ビートルズの演奏に対する工夫が見て取れます。
  聴いていて なぜかワクワクしてくる不思議な曲です。
  (小林)
  ありがとうございます。
  (東京都江東区/女性)
  小学6年生の頃からこの番組を聴いていて、                                (小林)あははwすごいなw
  何度もリクエストを読んでいただいているんですが。
  ただ、まだ一度もビートルズの曲をリクエストしたことがありません。                 (小林)へそ曲がりかな?。
  なので今回もビートルズのジョージ・ハリスンの名曲サムシングをエルビス・プレスリーのカバーでお願いします。 (小林)いやあ、へそ曲がりだねえw
  独創的でメロディアスな音楽を生み出すビートルズと、圧倒的な歌唱力のエルビス・プレスリー。
  この二つの異なる音楽性が一つになったのが、この曲ではないかと思っています。
  (小林)
  じゃあ、有名なハワイからの衛星生放送のライブで、これはレコードにもなっているわけですが、
  エルビス・プレスリーでジョージ・ハリスンのこの曲。

  〜 Elvis Presley / Something (Hawaii1973)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iz-_S-v2p6s
  〜 The Beatles / Honey Pie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_cNixglFTTk

  (小林)
  いやあ、ポール・マッカートニーの独特の世界ですね。Honey Pie ビートルズ。
  その前はプレスリーが歌うビートルズ。

  (住所不明/男性)ジョン・ポール・マキ
  私はいわゆる放送注意語「ビートルズ・ピー」です。何百万円もお金をかけています。
  最もビートルズ・ピーはどこにでもいます。            (小林)「ピー」は消している音です。
  ビートルズは別格です。他のバンドとまるっきり違う。
  人を惹きつけるカリスマ性、曲の多様性、ハードロックから子守唄まで何でもある、楽器のいろいろ。
  言語もフランス語ドイツ語、音楽の原点、哀愁感のある歌い方。
  飽きない、だからファン層が老若男女、労働者からインテリ層、幅が広い。
  ただのロックばかりじゃない、全員が作詞作曲して歌えるし。
  ボンジョビが「ビートルズは今でも世界一のバンドだ」って言っています。納得します。
  ホームセンター、ラーメン屋でも一日中かかっています。
  彼らの幅広い音楽性を象徴する曲・・・    
  (小林)
  もう、べた褒めですけども。
  あなたのリクエストに応えました。
  BGM=Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたか?
  もう一度、公開録音パーティのお知らせをします。

  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  イシイ食品の誇る豪華なご馳走とワインをいっぱいご用意。飲んで食べて大騒ぎ。
  このパーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。 
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/
  締め切りは10月14日(日)です。
  (略)

  リクエストの方も忘れないようにお願いします。
  メールが圧倒的に多いんですが、メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  お相手は小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月7日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 10月7日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  この年に世界的に売れたビートルズ。
  48年前の今日 何をやってるかと言うと、ビートルズの4人とマネージャーのブライアンと、  
  それから映画のプロデューサー=ウォルター・シェンソン(Walter Shenson)が、次の映画のことで打ち合わせをしています。
  この時点でビートルズの「A Hard Day's Night」がイギリスのアルバムチャートのトップを独走していて。
  これは最終的に、一年の半分まで行かないけど21週間連続1位の記録を作るわけですね。
  映画出演の方は、ビートルズのマネージャーのブライアンの作戦、マルチメディア戦略、
  つまり、レコード、ラジオ、コンサートツアー、映画、そしてテレビを網羅すると、もう世界中のファンを獲得できるっていうことで、映画を大切に考えていた。 
  で、映画はアメリカのユナイテッドアーティストという映画会社と契約をしているわけですよね。
  このユナイテッドアーティストはビートルズのサントラ盤も出すことが出来るわけなんですよ。
  一作目の「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)」っていうのは監督のリチャード・レスター(Richard Lester)がやって、
  制作プロデューサー=ウォルター・シェンソンで、共にアメリカ人で大成功。
  リチャード・レスターは当時のイギリスの若者文化を描いた「ザ・ナック(The Knack)」という作品で世界的に評価されてカンヌで賞を取ったりして。
  プロデューサーのシェンソンはあまり有名ではありませんけれども、
  まあ、いちばん話がわかるのがプロデューサーですから。
  「次の作品はどうしようか?」っていうことで、メンバーを全員(集めて)それぞれ意見を言ったりする。
  面白いのは、映画の世界の連中はね、娯楽ではエンターテイメントでは「映画が一番だ」って考えているんですよね。
  「レコードは二番か三番」みたいに考えています。
  ところがビートルズの偉いのは、「自分たちの作る音楽が一番、映画なんて二の次だ」っていうように思っているところが、またビートルズの考え方の新しさなんですよね。
  さあ、その次の作品は「Eight Arms To Hold You」「あなたを抱く8本の腕」 これは意味はわかりますよね。4人だから8本ね。
  こういうちょっと面白いタイトルで制作されていましたが、曲の構成が変わって、強烈な曲ができて、タイトルはこのタイトルになりました。

  〜 The Beatles / Help! 
  http://www.youtube.com/watch?v=_nPoMzUM_uI 

  (小林)いや、久しぶりにこのHelpを聴きましたけど、強烈な曲ですよねえ。ええ。
  ジョン・レノンの閃(ひらめ)きですよね。
  だから次の映画のタイトルは「Help!」になっちゃったわけですね。
□デッカオーディション
 ・「あーあ、やっぱりビートルズは不合格になっちゃったのか。
  たしかに、オーディションを通過したブライアンプール&トレメローズ(Brian Poole & The Tremeloes)の演奏は卒が無かったな。
  それにロンドンのバンドだからレコーディングもプロモーションもやりやすいなあ。
  しかし、それにしてもうちのボスは我が国のロックの事情に疎すぎるんじゃないかな?。
  リバプールでのあのビートルズの人気、すごかったのに。」

  こう呟くのは、1962年の元旦、ビートルズの初めてのオーディションを担当したデッカレコードの若き制作マン=マイク・スミス。
  彼はオーディションの数週間前、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの招待でリバプールを訪れていた。
  もちろん、リバプールに行くのも、ビートルズを体験するのも、すべて初めて。
  ブライアンから最高のもてなしを受けたこともあり、リバプールの印象は一気に良いものとなった。
  そして、ディナーの後に連れて行かれたクラブ・キャバーン、
  もちろん当時のビートルズの本拠地にして、マージービートロックのメッカでもあった。

  キャバーンでの体験をスミスはこう語っている。
  「いや、やっぱりリバプールはロンドンとは違っていたね。
  店の客も若かったし、雇われてる用心棒も、いかにもって感じで強そうなんだ。
  ビートルズの前に出たいくつかのバンドもかなりのレベルだったし、店の専属DJのボブ・ウーラーのしゃべりも楽しくて、
  その上、かかる曲みんなイカしてるんだ。
  ロンドンの流りはジャズとブルースだったけど、ここではもっと多彩で強いビートを持つR&Bに人気が集まっていたみたいだね。
  リバプールはやっぱり港町だよ。ロンドンよりもアメリカに近いってことが肌で感じられたんだ。
  それにしても、あの夜の最後に登場したビートルズ、曲選びもセンスも良かったし、ボーカルも力強かったね。
  レコードデビューこそしていなかったけど、連中はもう"プロのバンドマン”って感じだった。
  特にジョンとポール、あの二人はもう最強タッグ、向かうところ敵無しだったよねえ。」
  〜 The Beatles / She loves you (Royal Variety Performance)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M6F9CHh_mNo
  
  〜 The Beatles / It Won't Be Long
  http://www.youtube.com/watch?v=uUmXXFbhokc
 
  (小林)2曲、ビートルズの初期の音が流れました。

  It Won't Be Long これは、1963年「With the Beatles」のアルバムに入っています。

  そしてその前は、She loves you、ライブでしたが、あの拍手が気にならなかったですか?
  拍手が行儀の良い拍手でしたね。キャーっていう音は無くてね。
  これは行儀の良いのは当たり前です。
  1963年、ほらジョン・レノンが「貴族やお金持ちの方々、宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」っていう有名な発言ですが、
  あのコンサートでの、イギリス王室のためのコンサートでの She loves you 。
  2曲お送りしました。
□デッカオーディション(続き)
 ・「それにしても、あの夜の最後に登場したビートルズ、曲選びもセンスも良かったし、ボーカルも力強かった。
  レコードデビューこそしていなかったけど、連中はもう"プロのバンドマン”って感じだった。
  特にジョンとポール、あの二人はもう最強タッグ、向かうところ敵無しだったよね。」

  こう証言するのは、ビートルズのあの有名なデッカオーディショを担当したマイク・スミス。
  オーディションの前にはリバプールを訪れ、キャバーンクラブでビートルズ体験の洗礼を受けた、まさにニュージェネレイションであった。
  彼は「ライブでの最高な状態のビートルズ」を体験していただけに、年明けのデッカオーディションでの4人の不甲斐なさを心から悔しがった。

  「こんな古臭いバンドなんか契約できるわけは無いだろう」とテープを聴くやいなや全否定で責めてくる上司ディック・ロウに対し
  「いや、ボス、ボス、ちょっと待ってくださいよ。ビートルズはあんなものじゃないです。
  僕が思うに、今回のオーディションは単なる選曲のミスだと思うんです。
  リバプールでのパフォーマンスは、ほんとにすごくてロックでブルージーで、ものすごいパワーとカリスマがあって、
  とにかく、あんなものじゃないです。
  もちろん今回の演奏では、トレメローズの方が演奏もボーカルも上手いし、ロンドンのバンドだっていうメリットもあります。
  それは認めます。でも僕は、本当に見たんです。あのものすごいパフォーマンスを。
  彼らのステージを見て思いました。
  イギリスのユナイテッドキングダムのロックの歴史は“ビートルズから始まる”んじゃないかってことを。
  いやすでに、もう始まっているのかもしれません。
  トレメローズはもちろん素晴らしいです。
  でも、ビートルズとも契約するっていうことは…、そうはいかないでしょうか?ボス、お願いします。」
  〜 The Beatles / All My Loving(Ed Sullivan Show)
  http://www.youtube.com/watch?v=_5ejt-TTExA

  〜 The Beatles / Ticket to Ride
  ttp://www.youtube.com/watch?v=36pi9YTOvPo

  (小林)ビートルズが2曲続きました。

   All My Loving その前に、これはもう聴いたら判ると思いますが、キャ〜っていうすごい、あれはアメリカの女の子たちの喚声。
  そしてあの司会者の声がありましたね「レディスアンドジェントルメン!ザ・ビートルズ!」って言うのは、有名なエド・サリバン。
  エド・サリバンは、「エドサリバンショー」っていうのがありますけど
  あの人はアナウンサーだとかそういうエンターテイナーじゃなくて、元々新聞記者で、プロデューサーとしてテレビに出てたわけですね。
  だから話術とか面白さじゃなくて、自分が「世界から面白いものを集めて紹介するんだ」っていうショーだったわけですよね。
  エド・サリバンの声がチラッと聞こえました。

  Ticket to Ride、これは1965年。
  今日冒頭でお話しました2作目の映画「Help!」の中で、オーストリアアルプスでスキーをするシーンで流れていた曲であります。
□デッカオーディション(続き)
 ・「僕はほんとうに見たんです。あの、ものすごいパフォーマンスを。
  彼らのステージを見て思いました。
  イギリスのユナイテッドキングダムのロックの歴史は“ビートルズから始まる”んじゃないか、ってことを。
  いやすでに、もう始まっているのかもしれません。
  トレメローズはもちろん素晴らしいです。でも、ビートルズとも契約するってことには、行かないでしょうか?
  ボス、お願いしますよ。」

  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエーター=マイク・スミスが
  上司でチーフプロデューサー=ディック・ロウに執拗に食い下がっているシーンである。
  ふだんは大人しく上司の命令に従っている忠実な青年マイク・スミスが、
  ここまで食い下がっている理由とそのパワーはいったいどこにあるのか。
  それはやはり、リバプールのクラブキャバーンで見たビートルズの圧倒的なパフォーマンス。
  そしてそれを中心として盛り上がっているマージーサイドのロック事情。
  ロンドンの大きなレコード会社で安定したサラリーをもらい、デスクとスタジオだけで仕事をしてきたチーフプロデューサーには理解できないエネルギーだったに違いない。
  しかし、スミスはそれを目撃し体験しロンドンに持ち帰った。
  しかし、持ち帰っただけで、そのエネルギーを自分の仕事に還元し、作品として世の中に発表するまでには至っていない。
  そのジレンマにも苦しんだ。
   
  ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインに向かって、ディック・ロウが
  「エプスタインさん、ビートルズのサウンズはもう古い。ギターバンドの時代はもう終わるんです。」
  と断言した予測も、スミスにはどうしても賛成できなかった。
  そして自分なりに、もう一度その未来を予測してみた。
  「もしビートルズがあのライブパフォーマンスの通りにレコーディングし、シングルやアルバムを発表したら。
  そりゃあもう、間違いなくロックの歴史を塗り変えてしまうだろう。」
  マイク・スミスのこの予測は、2年後には証明されるのである。
208ホワイトアルバムさん:2012/10/17(水) 20:05:01.30 ID:???0
公開録音に10代の人って来てる?
やっぱおっさんばっかりなの?
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand (Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-dVaGL-E9ts

  〜 The Beatles / I Should Have Known Better(Movie)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lhPvtDDxEV0&feature=related
 
  (小林)いやあ、有名な曲が2曲つながりましたねえ。

  ライブで、これはATVスタジオでのスタジオライブです。「Anthology 1」に入っていました。
  ビートルズの I Want To Hold Your Hand。
 
  そして I Should Have Known Better。これは「A Hard Day's Night」の中に入っています。
  というか、映画ではジョージ・ハリスンがパティ・ボイドと出会うシーンですね。
  ここで流れておりました。
  甘いねェw。
□リクエスト
  公開録音のお知らせ(10月14日締め切りのため省略) 

  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントするという。
  メールアドレスは [email protected]

  (横浜市鶴見区/男性)
  最近のビートルズのデビュー前の話は、とても新鮮でワクワクしています。
  僕とビートルズの思い出は、父親から赤盤を誕生日にプレゼントされたことが、ビートルズを初めて知った時でした。
  そこからあっという間に虜(とりこ)になってしまった僕は、毎月の小遣いの許す限りCDを買い漁っていました。
  それから時間が経つと共に様々なジャンルの音楽も聴くようになり、21になった今も父親とビートルズやストーンズの話しもしています。
                                 (小林)ビートルズから、文字通り始まったわけですね。
  僕が洋楽を聴くきっかけとなったビートルズは今でも大好きです。リクエストは・・・
                                 (小林)ほらwアルバムの指定から来た、これw。
  リクエストはアルバム「Rubber Soul」から Wait をお願いします。
  
  〜 The Beatles / Wait
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fj-digT2uNY

  〜 The Beatles / The Inner Light
  http://www.youtube.com/watch?v=DORTbu44PNY

  (小林)いやあw いい世界ですね。
  これは「Lady Madonna」の当時はB面だった曲です。 
  (国分寺市/男性)
  この番組があると知らず、行きつけの床屋で「She is Leaving Home」がかかり驚きました。
  自分は1967年8月26日生まれのサマーオブラブに生まれたフラワーチルドレンで、今でも合言葉は「ラブアンドピース」です。
                                                (小林)いいねえw
  さて、私はビートルズの中で遅咲きなジョージ・ハリスンが好きなので、彼の初めてのシングルとなった The Inner Lightをリクエストします。
  どうぞカツヤ・コバヤシ残暑に負けずナンバーワンなウルフボイスでシャウトしてください。
  (小林)はいww ありがとうw
  (千葉県市原市/女性)
  21歳の教員を目指す女子大生です。
  教育実習が辛く、先生に怒られて毎日泣いていた時期によくビートルズの曲を聴いて「子供が好きだ」という自分の教師観の原点に戻り、
  実習中を無事に乗り切りました。
  ビートルズがたくさんかかるこのラジオが大好きです。
  素敵な先生になるために、これからもこのラジオを聴いて、辛いことも乗り切りたいです。
  (小林)
  やあ、せんせい(宣誓)みたいに聞こえますね。「せんせい」と言うのは「選手宣誓」みたいにね。w
  あなたのリクエストで、
  
  〜 The Beatles / I will be back
  ttp://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI

  (福岡市/男性)
  当方福岡市在住の49歳。この番組はインターネットで毎週楽しみに聴いています。
  約40年前になりますが、私には6歳上の兄がおりまして。当時中学生だったその兄がビートルズを聴き出しておりました。
  弟の私もそれに釣られてすっかりハマってしまい、毎日小学校から帰ってきて聴いたものです。
  ある日、早めに学校から帰宅して、一人でいつものようにビートルズを家の古めかしいステレオセットで聴いていましたら
  ドラムの音とギターの音が左右のスピーカーから別々に発することが気が付きまして、それはものすごい衝撃で、私は腰を抜かさんばかりに驚きました。
  今では幼稚園児でもそれくらいは知っているでしょうが、私はステレオの仕組みなど知らなかったんです。
  後ろから頭を「ガーン!」と殴られたほどのショックでした。
  小学校3年のころ、昭和47年、1972年の秋だったと記憶しています。
  とてもショックを受けた曲 Day Tripperをリクエスト。
  (小林)
  ただし、今日はですね、一番音が良いモノーラル盤で、新しいモノーラルの音で聴きました。
  当時は、擬似ステレオだったんですよね。
  ステレオっていうのがあるっていうんでね、擬似ステレオ、ほんとのステレオじゃなかったんだと思いますが。
  (福岡市/男性 続き)
  でも当時、家のステレオは観音扉が付いており、超が付く高級品でした。
  私たちの父親は家のステレオで息子たちがロックを聴くのを快く思っておらず、すぐに止めに来たことを懐かしく思い出します。
  (小林)
  www いい話を、どうもありがとうございます。
  (成田市/女性)
  先日テレビ番組にザ・ビーチボーイズが出てきました。かなり高齢なのに歌声は若々しくとっても素敵でした。
  ビートルズもみんな元気で解散しないで、こんな風に歳をとってもバンドを続けていたら素敵だったのになあ、って思ってしまいました。
  (小林)
  まあ、事情が違いますからね。
  ビートルズには二人天才がおりました。
  ビーチボーイズには天才は一人だけ。
  そのためビーチボーイズはね、営業担当と制作担当に分かれました。
  天才が一人、制作担当をしていました。
  他のメンバーはみんな営業に向かいました。
  だから、いまだに、もう70以上になるんですけど、いまだに営業をやっているんですよ。
  すごいですよ、だから声が若々しいの当たり前ですよね。
  まあそんな話しは、とりあえず。
  あなたのリクエストで、例の定番です。

  〜 The Beach Boys / Surfin' USA
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gbRKfieMsdQ
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)公開録音のお知らせ(略)
  
  リクエストもハガキ・FAX・メールで
  メールは [email protected]
  こちらで待ってます。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月14日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 10月14日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  発表がありました。それは、ノーザンソングス(Northern Songs)という出版社。
  これはポール・マッカートニーとジョン・レノンが、各作品を管理する出版社です。音楽出版社。
  利益が61万4000ポンドあった、ということが46年前の今日発表されています。
  これは、数字を言うとちょっと「えー?その数字はわかんないよ」っていう人がいます。
  今の日本円に翻訳するとですね、数十億円は軽く行ってるね。
  ジョンとポールの曲がだよ。ビートルズの曲がだよ。すごいでしょう。
  ノーザンソングスという会社はですね、ビートルズの版権の9割を所有していた。
  ブライアン・エプスタインとディック・ジェイムスというビートルズに縁(ゆかり)のある人間が立ち上げた会社なんだけども、
  資本的にはブライアンなんかはユダヤ系ですけども,、ユダヤ系の人が最初の1年とか2年は相当儲けたという話しを聞いていますよね。
  ジョンとポールの取り分が少なかったんですが、それが改正されて、ジョンとポールはこの会社の株主。

  で、ジョージは というとですね。
  才能のあるジョージは、この会社の「契約ソングライター」という扱いに過ぎなかった。面白いですよね。
  だからジョージ・ハリスンはこの会社を皮肉って「オンリーアノーザンソング(Only A Northern Song)」ていう曲を書いています。
  これはアニメ作品のサントラ的なアルバム「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」の中に入っているわけですが。
  1969年のアルバムに入っているんですが。
  その歌詞の内容は「どんなにがんばっても曲を書いても、どんなコードを弾いても、結局はノーザンソングなんだ。結局オレの歌じゃないんだ。」
  っていうようなことをやっています。
  ジョージ・ハリスンはご存知の通り、こういうふうな事を時々書く人で、
  「タックスマン(Taxman)」「いくら稼いだって、9割は持ってかれるんだ」っていうようなね、ことを書いたのはジョージ・ハリスンですからね。
  「いくら俺ががんばってもなあ、ジョンとポールに持ってかれるんだよなあ。」みたいなw。 
  だからジョージ・ハリスンは、力を得たときに「ハリソングス(Harrisongs Ltd.)」、ハリソンとソングを掛けて「ハリソングス」という出版社を、
  自分の出版社を立ち上げます。 
  ソロになると「ダークホース(Dark Horse)」っていう自分のレーベルをスタートするのもお馴染みですが。
  じゃあその、批判めいた歌、改め、批判めいてる歌だって聞くと、またちょっとニュアンスが違う風に聴こえるんで、面白いですよ。
  いいですか、Only A Northern Song。

  〜 The Beatles / Only A Northern Song 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xzh5uWgOmDU 

  (小林)
  ジョージ・ハリスンが書いた曲。ビートルズ、Only A Northern Song。
  後半はけっこうハードになってくるよね、これは。やっぱり後半はすごいよね、この曲はね。
  キツイことを言ってるわけですね。歌ってるわけですね。
□デッカオーディション
 ・「エプスタインさん、はっきり申し上げます。
  審査の結果、我々デッカレコードは、あなたがマネジメントしているビートルズと契約することは出来ない、という結論に達しました。
  それで、不躾(ぶしつけ)ながら私からの助言を言わせてください。
  我々音楽業界人の長年の経験から推測するに、もうロックの時代は終わります。
  事実、アメリカでは1959年を境にロックンロールは急激に下火になっています。
  特にビートルズのようなギターバンドは、今年中にも姿を消してしまうでしょう。
  そしてエプスタインさん、あなたはNEMS、つまり North End Music Storesという立派なレコードショップチェーンを経営しておられる。
  若くしてその事業を成功させ、イギリスでも有数の企業に成長させた、と聞いております。
  素晴らしいことです。
  余計なお世話かもしれませんが、エプスタインさん、あなたはNEMSの経営者、それで充分じゃないですか?
  ビートルズなどという将来性の無いバンドに関わらずに、今まで通りレコード店のビジネスに全力を尽くすべきだと思いますよ。」

  これはビートルズを不合格にした、というロック史上最大の失敗をやらかした、デッカレコードのチーフプロデューサー=ディック・ロウ(Dick Lowe)の発言。
  時は1962年2月6日、場所はロンドンのデッカレコードの超豪華な応接室でのこと。
  「エプスタインさん」とは、もちろんビートルズのマネージャーとしてロックの歴史に重大な足跡を残した人物ブライアン・エプスタイン。
  ブライアンはこのロウの忠告を全く1%も信じていなかった。
  いつもは冷静なことで有名なブライアンも、この時ばかりは、あまりの怒りにその頬を紅潮させており、彼のはらわたは正に煮えくり返っていた。
  しかし彼は感情を抑え、心の中で激しく呟いていた。
  「くそう、この男。ビートルズのオーディションの時はクリスマス休暇で現場は下っ端に任せっきりだったじゃないか。
  いいよ、覚えてろ。レコード会社は貴様らデッカだけじゃないんだから。」
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4
  
  〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds(Love)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9gW8_QBITLw 

  (小林)
   Lucy in the Sky with Diamonds、これは2006年のジョージ・マーティン親子がプロデュースした、あの有名な「LOVE」。
  なかなか良い出来です。
  Tomorrow Never Knowsていう ジョンのちょっと分けのわからないwやつをくっつけることによって、
  Lucy in the Sky with Diamonds がもっと分からないような世界になちゃってるよね。
  
  その前はお馴染みの Hey Bulldog。
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、あなたはイギリスでも有数のレコードショップNEMSの経営者。それで充分じゃないですか?
  ビートルズなどという将来性の無いバンドに関わらずに、レコード店の繁栄に全力を尽くすべきだと思いますよぉ。」
  「くそう、こいつら何様のつもりだ!。いったいどこの、誰の口がしゃべっているんだ。覚えておけよ!。
  レコード会社は貴様らデッカだけじゃないんだぞ!。」

  ロンドンにあるレコード会社デッカのチーフプロデューサー=ディック・ロウは、物腰こそ紳士的ではあったが、
  その発言は、完全に上から目線。失礼極まりないものであった。
  そして、その偉そうな発言は、これで終わりではなかった。
  ロウはさらにこう続けたのである。

  「エプスタインさん、おそらくあなたは、うちのデッカのオーディションでのビートルズの演奏を気に入っておられないんじゃあないですか?
  もしそうでしたら、的確なデモテープをレコーディングしてくれるうちのスタッフを紹介しましょう。
  以前シャドウズでドラムを叩いていたミュージシャン上がりのプロデューサーで、ト二ー・ミーハン(Tony Meehan)と言います。
  彼だったら、きちんと演奏や歌そしてもちろん選曲に関してのアドバイスもしてくれるし、費用だって100ポンドもあれば充分です。
  どうでしょうか?」
  
  ブライアンの怒りはもうすぐ頂点に達しそうになった。
  が、ほんの1%だけ残っていた理性というものがブライアンを抑制してくれた。
  「分かりました。確かに私たちはオーディションの何たるかが分かっていなかったのかもしれません。
  すぐにそのミーハン氏にお会いしたと思います。
  じゃあさっそく、明日参ります。何時がよろしいでしょうか?」
  これがブライアンに出来る、最大の大人としての受け答えであった。
  〜 The Coasters / Searchin'
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kZgdFeytJdw

  〜 Bobby Vee / Take Good Care Of My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=awNqLO6auQA

  (小林)
  ビートルズはご存知の通り、デッカでね「ダメ」って言われるわけですけど。
  そのデッカで歌った曲、デッカオーディションの中に入っている2曲はカバーです。
  今聴いたのが Take Good Care Of My Baby これはアメリカで1位、イギリスでも3位の大ヒット。
  でも1961年、ビートルズがちょっと一年前ぐらいの新しいやつを取り上げたわけですよね。
  この頃はアメリカのロックがダメになっている時代、と言われた。
  だけど、キャロル・キング(Carole King)夫婦が曲を作っていました。Take Good Care Of My Baby。
  
  その前はコースターズ(The Coasters)という黒人のコーラスグループです。
  プレスリーなんかにも曲を提供してて、有名なレイバー・ストラー(Jerry Leiber and Mike Stoller )この二人がプロデュースしていました。
  ビートルズはこの渋い曲に目をつけていたんですね。Searchin'という曲。
  これはちなみに、アメリカでは3位、イギリスでは30位ぐらいのヒットでした。

  ビートルズが取り上げた2曲。
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、我々デッカレコードはビートルズとは契約できません。
  しかし、もっと体裁の良いデモテープを作る手助けはできます。いかがでしょう?エプスタインさん。
  いいチャンスだと思いますよ。」

  これはビートルズを不合格にした男であり、
  のちの「ロックの歴史上最も使えないプロデューサー」の汚名を着せられることになったデッカのプロデューサー=ディック・ロウの、
  1962年2月上旬の発言である。
  「エプスタインさん」とはもちろん、のちに「5人目のビートルズ」の異名をとるカリスママネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  もっともこの時点では、まだビートルズはレコード会社とは契約すらしていない。
  ブライアンもカリスマどころか、ただのマネージャー一年生であった。
  とにかくブライアンはロウの提案どおり、彼に紹介されたト二ー・ミーハンというデッカのプロデューサーに会いに行った。
  
  ミーハンはそれ以前、シャドウズ(The Shadows)というバンドのドラマーとして活躍していた人物。
  シャドウズはハンク・マーヴィン(Hank Marvin)という素晴らしいギタリストを中心とする、歌の無い、いわゆるインストゥルメンタルの人気グループであった。
  しかし、英国ロックの歴史上は、そのキャリアよりも、あの国民的ロックスター=クリフ・リチャード(Cliff Richard)のバックバンドとしての方がずっと有名である。
  そのミーハンは自分のプロデュース能力を信じ、シャドウズのメンバーとしてのキャリアを捨て、デッカに入社していたのである。
  このミーハンに会うため、再びデッカのディック・ロウを訪ねたブライアンはミーハンを紹介され、近くのパブで話しを聴くことになった。
  
  するとミーハンは開口一番
  「エプスタインさん。ロウも私もすごく忙しいんです。大まかな話は伺ってます。
  体裁の良いデモテープが欲しいんですよね?。私の秘書に連絡してスケジュールを決めてください。」
  ブライアンはこの事務的な仕事の進め方に、ついにブチ切れてしまった。
  このあとブライアンがデッカの門をくぐる事は、二度と無かったのである。
222ホワイトアルバムさん:2012/10/20(土) 14:03:10.18 ID:???0
あれ?ブライアンはもっと粘着してディック・ロウにしつこくせまっていたのではなかったか。
>>94のあたりではそういう感じ
223ホワイトアルバムさん:2012/10/20(土) 19:02:16.31 ID:???0
福岡の人がインターネットで聴いてるって投稿してるけど福岡なら聴けるのかな
うちはどうやっても無理みたいなんだけど
224ホワイトアルバムさん:2012/10/20(土) 19:52:06.55 ID:???0
プロバイダによっては、Radikoの地域判定が東京になる場合がある
ってことでしょ
225ホワイトアルバムさん:2012/10/20(土) 20:47:27.87 ID:???0
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE
 
  (小林)
  もちろんオリジナルじゃなくて、ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)というシンガーのカバーです。
  面白い歌ですよこれは。
  アルバム的にはアメリカでのビートルズのコンピレーションの中に入っていましたね。1965年の。
□リクエスト
  公開録音のお知らせ(略)
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  メールアドレスは [email protected]

  (千葉市美浜区/男性)
  ビートルズ大好きのファンの皆様のメールを、素晴らしいMCを聴いて、毎週新しい発見です。
  こんな聴き方もあるんだと聴き直してしまいます。
  50年経っても新鮮さを感じさせるビートルズはすごいです。
  こないだ久しぶりに「PAST MASTERS」のB面…      (小林)あ、LPのね。
  聴きました。
  1曲目が「Long Tall Sally 」で最後が「I'm Down」です。
  そういえば東京公演も最後が「I'm Down」でした。
  きょうはポールの のたうち回るようなシャウトをお願いします。
  (小林)
  というわけであなたのリクエストで、

  〜 The Beatles / I'm Down
  http://www.youtube.com/watch?v=X3rTprsWCp8

  〜 Frank Sinatra / My Way
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6E2hYDIFDIU

  (小林)
  いやあ、フランク・シナトラの「マイウェイ(My Way)」が、かかっちゃいましたよ。
  (三郷市/男性)
  やっぱりエルビスの「Something」は残念なことになってましたねえ。 
  (小林)
  この番組でリクエストに応えて、プレスリーの「Something」やったんだけど。まあ、ちょっと…。
  だからこのシナトラ聴いて分かったと思いますけど、
  ジャンルはどこでもいいんですけど、歌とか音楽に魂が入っているかどうか、っていうことだよね。w
  ということであなたのリクエスト。
  (新座市/男性)
  いつも録音して聴いています。
  ビートルズの話はいろいろあって本当に面白いですね。
  ところでビートルズにはいい曲がたくさんあるけど、人それぞれ嫌いな曲もあるんじゃないでしょうか?
  僕が嫌いな曲は「バンガロービル」です。
  イントロのフラメンコ調のギターはいいんだけど、途中から出てくるあの女の声がどうも気持ち悪い。
  うちの上さんも“よう子”だからあんまり文句言いたくないんだけど。
  それとバンガロービルって誰ですか?キャンプ場の管理人?
  克也さん嫌いな曲ってありますか? 
  あえて嫌いな曲「Bungalow Bill」をお願いします。
  (小林)
  嫌いな曲をリクエストするっていうのが、ちょっとビートルズ的じゃないですか。まあ、人はね。
  僕なんかは番組やってると、いつもポピュラーなやつは今は聴きたくないなあ、と思うけど。
  こういうやつっていつも聴かないから、かえって聴きたいと思うんで、リクエストかけましょう。
  応えましょう。
   
  〜 The Beatles / The Continuing Story of Bungalow Bill
  ttp://www.youtube.com/watch?v=O0rzbB9hhcY

  (小林)えへへ、バンガロービルのね話、どうですか。
  これ、嫌いな人がいるんですかねえ。
  ジョン・レノンたちのことがよーく分かる。
  ジョン・レノンは本を出したりリトグラフを描いたりして、芸術活動の一部としてやってるんだと思いますけど。
  こういうユーモアの精神があるから、彼のすごい切り込んでくるロックが生きているっていうふうに聞いて。
  あなた、ちょと考え方を変えた方がいいんじゃないか、と思いましたね。
  (小林)
  住所名前が無いんですけど、
  (住所不明/男性)
  ボーカルにデイビッド・リー・ロス(David Lee Roth)が戻ってきたヴァン・ヘイレン(Van Halen)の久々の来日公演を楽しみにしていましたが、
  エディ(Edward Van Halen)の緊急手術のため延期となりとても残念です。
  高校の頃デビュー時からリアルタイムで聴いていた私にとって、エディ・ヴァン・ヘイレンは永遠に色褪せることの無いギターヒーローの一人。
  あの切れ味鋭いギタープレイがまた聴けることを信じて、一日も早い回復を祈っています。
  (小林)
  最近のライブだとアレだって?
  テープで、ほらこれキーボードで、テープでキーボードが来るんだって?w。
  それで、あとでギターが来たらw、もうすっごいことになるんだってw。
  残念だねえ、延期になっちゃってね。
  さあ Jump です。

  〜 Van Halen / Jump
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OgtGrs-9LTI
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)きょうはいかがでしたか?
  いやもう、ビートルズがデッカレコードに振られるシーンていうのは、
  もう、いい奴と悪い奴が出てくる勧善懲悪の話しの、主人公がいじめられるシーンだよねw。
  そんなふうになっちゃったw。
  最後にw、もう、正義がビートルズに下るわけですからねえ。w
  というわけで
  (公開録音のお知らせ=略)
231ホワイトアルバムさん:2012/10/21(日) 11:29:35.30 ID:???0
10年前、00年ごろの放送を聴きたいのですが、当時エアチェックをされていた方いらっしゃいますか?
232ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2012/10/22(月) 18:27:04.71 ID:F6LdIIQB0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月21日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 10月21日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  これは運命の日ですよね。
  ビートルズの、あるいはロックの未来・運命を変えた曲。
  I Want To Hold Your Hand。
  これが完成した日。これが終わった日です。
  どんなことをやったのかというと、もう録音してあるわけですね。
  で、スタジオ1。スタジオ2はいつも録音なんかのために使いますが、
  スタジオ1で作業が行なわれて、午前中は I Want To Hold Your Hand、あれのモノミックスをやりました。
  テイク17が採用された、と。まあこれは、マニアのためねw。
  それから、This Boy これはB面です。This Boy これのリミックスを、トラックダウンとでも言いますか。
  それを2つやっています。
  使われたのはテイク15。テイク15が使われました。
  そしてThis Boy の編集もやっています。
  切って貼ったりしたわけですね。
  プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアはノーマン・スミスです。
  この日が I Want To Hold Your Hand と This Boy。この日をもって終わり、とあります。
  デビュー曲はビートルズは Love Me Do、それから Please please Me これはイギリスでの話しね。
  Please please Me からイギリスではもう1位の連続です。大変なことになる。
  しかし、こんなおいしいビートルズのヒットをアメリカのレコード会社キャピトル(Capitol)は「なんだ、こんなのは?」って言う。
  まだまだ、まだまだ、生意気な態度を取っていたわけですよね。
  しょうがなくて、マイナーレーベルの「Swan」とか「Vee-Jay」で Please please Meとかね、出すわけですけども、アメリカではヒットしない。
  しかし、この I Want To Hold Your Hand からキャピトルが重い腰を上げて、12月に発売して。
  年が明けた1964年1月に全米ナンバーワンになった、というわけです。
  49年前の今日、それが全てが終了した日なんですね。
  今日はB面を聴こうと思うんですが。
  ビートルズは絶対にA面もB面も自分たちのオリジナルで勝負するっていうポリシーがありました。
  きょうはそのミックスをやったって言いましたよね。
  ノーマン・スミスが編集の達人と呼ばれるわけですが、This Boyに至っては「あ、ここが編集点じゃないかな?」って推測することができます。
  聴きながら、「ここが編集したんじゃないかな?」っていうふうなのを、皆さん自分の耳で確かめて下さい。
  後に「リンゴのテーマ」と呼ばれる曲です。 This Boy。

  〜 The Beatles / This Boy
  ttp://www.dailymotion.com/video/x8nmg8_the-beatles-this-boy_music

  (小林)
  いかがですか?ビートルズの This Boy、B面です。
  2番の後半の ♪This Boy〜 って歌い始める時に、表情がちょこっと、ちょこっと違うっていうのが、あれは明らかだと思う。
  他にあるのかどうかはわかりませんけど。
  あれは、確かな編集ポイント…でしょう!。
□デッカオーディション
 ・「初めまして、エプスタインさん。デッカの制作プロデューサー、トニー・ミーハン(Tony Meehan)です。
  申し訳ありませんが、ロウも私もすごく忙しいんです。大まかな話しは伺っています。
  体裁の良いデモテープを作って欲しい、ということでいいですよね?。
  私の秘書に連絡をしてスケジュールを決めて下さい。」

  言葉の主は、元人気グループ「シャドウス(The Shadows)」のドラマーにして、現在はデッカの社員であるトニー・ミーハン。
  彼が「ロウ」と呼んでいるのは「ビートルズを逃した男」として、その汚名をロック史上未来永劫に残すことになる、デッカレコードのディック・ロウ(Dick Lowe)。
  このロウがビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインに対し、
  オーディションで不合格にした手土産にと、「改めてデモテープを録音したらどうか?」と持ちかけたのである。
  いつも沈着冷静なブライアンも、一連のデッカレコードの無礼な態度にそろそろ切れかかってはいたが、そこはグッとこらえてプロの意見に従った。
  確かにオーディションの際に録音した演奏は、お世辞にも良いものとは言えない。
  しかし、ブライアンの堪忍袋の緒も、もはやここまでであった。
  ロンドンまで呼び出しておいて「私共は すごく忙しいんです。」とは、いったいどういうことだ。
  ブライアンは、この横柄で事務的な仕事の進め方に、ついにブチ切れてしまった。
  もちろん、ブチ切れた感情は彼の心の中に留まった。
  しかし、これでお仕舞い。このあとブライアンがデッカの門をくぐる事は二度と無かったのである。
  
  これ以降、地元リバプール近辺、そしてドイツのハンブルグでのライブで食いつなぐビートルズのスケジュール管理と平行して、
  ブライアンは何度もロンドンに出張して、いくつかのレコード会社の門を叩いては、ビートルズを売り込んだと言われている。
  そして、どうやらその際に携えていたのは、例の「デッカテープ」だったのである。
  〜 The Beatles / Money (Decca Audition)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3If5AWP5eL4
  
  〜 John Lennon / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K7FSlekmNz8
 
  (小林)有名なカバーが2曲続きました。
  Be Bop A Lula これはジョン・レノンがカバーした、1956年、プレスリーが出てきたその真裏ぐらいにいた人です。
  プレスリーほどメジャーじゃないけども、イギリスなんかではプレスリーより人気があったジーン・ビンセント(Gene Vincent)の一発大ヒットの。
  これはジョン・レノンの「ロックンロール」の中に入っている、1975年のアルバムの中に入っていますが。
  
  そして、ビートルズはモータウン(Motown)をけっこうカバーしていますよね。
  その一つ Money。
□デッカオーディション(続き)
 ・「すいません、昨日お電話さし上げました、NEMSのエプスタインです。ビートルズのテープをお持ちしたんですが・・・。」
  デッカのオーディションを落とされて以来、
  マネージャーのブライアン・エプスタインは、ロンドンにあるメジャーなレコード会社の門を順に叩いて回った。
  レコード会社と言っても、ここはイギリス、アメリカのようなエンターテイメント大国とは違って規模も会社の数も少ない。
  なんせ人口が少ない。
  それに「リバプールのバンドなんですが。」と切り出しただけで、そのレコード会社のオフィス全体の空気が変わる。
  事務仕事をしていたスタッフ全員の手が止まり、一瞬 部屋の温度が下がるのがわかる。
  最初はこれが何を表しているのか、ブライアンにはよく分からなかった。

  しかし、この2ヶ月ほど前。
  デッカの若き制作マン=マイク・スミスがビートルズの演奏力をその人気ぶりを確認しようと、リバプールまでやってきた時の発言を思い出した。
  スミスはこう語っていた。  
  「エプスタインさん、ここだけの話ですが、うちのデッカレコードのプロデューサー連中の感覚はもう古すぎるんです。
  もちろん、僕のボスのディック・ロウだって同じ。
  それに、感覚が古いどころか、ビジネス的にも臆病すぎる。
  どんなアーティストを育てたいとか、『こんなシンガーを売り出したらイギリス中の若者がびっくりするぞ』とか
  そんな考えを持っている社員は一人もいません。
  ただみんな『このアーティストなら契約しても、大きな失敗は無いだろう』といった具合で、ただただ守りに入っているだけです。
  それに音楽業界は全てロンドンのもので、まさかリバプールから新人バンドが出て来て、それが売れるなんて誰一人予測すらしていないんです。
  僕はビートルズが本当に素晴らしいということが、充分に分かりました。
  エプスタインさん、20代の僕らの感覚で革命を起こしましょう。」
  〜 The Beatles / Any Time At All
  ttp://www.dailymotion.com/video/x3zfi2_the-beatles-any-time-at-all_music?search_algo=2

  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo

  (小林)2曲有名な曲が続いています。
  While My Guitar Gently Weeps「 ビートルズ(THE BEATLES)」のアルバムに入っています。68年。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)が大活躍、クレジットは無いけどねw。
  
  そしてその前は Any Time At All 「A Hard Day's Night」のアルバムからお送りしました。
□デッカオーディション(続き)
 ・「音楽業界の人間は、その全てがロンドンのもので、まさかリバプールから新人バンドが出て来てそれが売れるだなんて、誰一人予想していないんです。
  僕は今回ビートルズが本当に素晴らしいということが充分に分かりました。
  エプスタインさん、20代の僕らの感覚でロックの世界に革命を起こしましょう。」

  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエーター=マイク・スミスが、
  オーディションの2週間ほど前にリバプールを訪れ、ビートルズのライブパフォーマンスを見たあとでの発言。
  かなり興奮しているのがわかる。
  
  この確信を元に、スミスは上司にレポートを上げ、年明けすぐのオーディションをセッティングしたのである。
  しかし、オーディションの当日の演奏はボロボロ、いい所はほとんど無かった。
  それでもスミスは、まさかビートルズがこれで終わるわけがない、と上司であるプロデューサーのディック・ロウに勇気を振り絞って直談判した。
  「ボス、ビートルズはあんなもんじゃありません。
  きっとロンドンに来るだけでくたびれてしまって、本調子じゃなかったんだと思います。
  確かにボスが合格にしたブライアンプールとトレメローズは、演奏力があるしルックスも合格点です。
  ですが、ビートルズは、そしてリバプールは本当にすごいんです。
  ボス、なんとかならないでしょうか?」
  
  しかし、上司のロウはこの発言でスミスをねじ伏せた。
  「マイク、お前なあ、リバプールのバンドと契約するってことが、どういうことか分かってるか?
  レコーディング、プロモーション、ラジオ出演、そのたびに何百キロも向こうからロンドンまで来させるっていうのか?
  その費用はどうするんだ?
  この話しはもういい。少し頭を冷やせ。今日はもう帰っていい。」

  1962年、ビートルズがデビューするこの年、ロンドンから見たリバプールはイングランドの果て、ただの遠い北国だったのである。
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lY5i4-rWh44

  〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eCss0kZXeyE
 
  (小林)レノンらしい曲、マッカートニーらしい曲、典型的な2曲。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (船橋市/男性)
  この番組を幼稚園の頃から聴き続けています。日曜日に家族で買い物に行く時カーラジオから必ずこの番組が流れていました。
  今から3年前ビートルズのリマスター盤が発売されると、僕は本格的にビートルズにはまりました。
  今ではリマスター版を含むCDを全て買い揃え、さらにはオークションで限定品の来日公演の写真集を買うほどの大ファンになりました。
  そこで、僕が一番最初に好きになった曲であり一番大好きなこの曲をリクエストします。  
  (小林)
  いいですねえ。小林お父さんとしてはですね、いい方向に君は来た。
  早くこの番組を卒業して、荒海へたくましく旅立って行って欲しいと、切に願いますね。
  もちろんw、この番組は聴き続けてくださいねw。
  あなたのリクエストは…。

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jejuho9aXDQ

  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  http://www.youtube.com/watch?v=1boFmzL0AVo

  (小林)
  番組の頭でも言いましたけど、49年前の今日、この曲(I Want To Hold Your Hand)の全てが終了したっていうことですよね。
  (鎌ヶ谷市/男性)
  この時間は風呂に入りながら欠かさず聴いています。
  気が付けば、日曜の夕方はこの番組を中心に予定を組んでいるようなもんです。
  この曲は小生がビートルズを聴き始めるきっかけになった曲で、40年ほど前に夏祭りに向かうため友人宅に寄った際、
  「カッコいい曲があるからちょっと聴いてみてよ!」と言われ、当時流行の大型のステレオで聴かせてもらったところ、
  あまりの衝撃にぶっ飛んでしまい、それ以来、今日に至るまでビートルズにはまっている次第であります。
  何十年経っても色あせることの無いカッコいい曲。
  (小林)
  いいねえ、みんな 思い出話が。40年前か。
  (船橋市/男性)
  今、アメリカ出張中です。
  最近は何を話していらっしゃるか、ちょっと寂しいです。放送が聴けないので。
  帰ったら留守録してあるやつをまとめて聴きます。
  単身で終末が暇なので、先日ロスアンゼルスに行ってきました。
  暇に任せて、今までは寄り付きもしなかった「ウォークオブフェイム」なんて所にも行きました。
  ビートルズの4人のものもあって、ジョン、ジョージ、リンゴ、ポールの順で仲良く並んでおりました。
  ただですね、場所がはずれなんですよw。ヴァインストリートという場所で。
  マイケルのやつがチャイニーズシアターの前、あそこが中心とすれば、はずれもはずれです。
  終わりに近い寂しい場所なんですよ。
  ジョンの平和活動のせいかな?、とも勘ぐったりもしますが、
  ジェイムス・スチュアートやジェイムス・ディーンの近くなので正しくはないでしょう。
  なにはともあれ、名前だけでもこの四人が並んでいる風景はとても嬉しいものでした。
  名前だけ、なのにね。我ながらバカだと思います。
  リクエストは、これもまた四人の近くにあったw、ジュディ・ガーランド「オーバーザレインボウ」
  できれば、カーネギーホールのやつで。

  〜 Judy Garland / Over The Rainbow
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P7XBU5NBUXQ
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jCyGM6tLePY

  (小林)
  リクエストは(古河市/男性)懐かしい名前ですね。
  あなたはここら辺が好きなんだよねw ♪DaDaDaDa Hey Jude Ju Jula Jula Jula Jula♪、さっきのところですね。
 (古河市/男性)
  先週の土曜日は妻とカラオケに行きビートルズばかり熱唱しました。
  私にとってビートルズはオンタイムではありませんが、中学時代に歌詞をほとんど覚え、いい英語の教材になりました。
  高校時代野球部で雨の日「おい、一年!余興せんかい。」と言われ、教室で「イエスタデイ」を歌ったのが懐かしいです。
  今日は妻が私のシャウトに苦笑いしてた「ヘイジュード」をお願いします。
  あそこがたまらんほど好きなんです。♪Ju Jula Jula Jula Jula〜ってところが。
  六本木の外人バーで、外人から拍手喝采されたのはもう23年前ですが。
  (小林)
  ここら辺でフェードアウトします。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか? 
  今日のお話しは、リバプールっていうのが、いかにロンドンでは僻地だというね、そういう感覚が伝われば、
  ということですよね。
  リバプールはロンドンなんかとノリが全く違ってた、ということなんですよね。  
  ロンドンなんかよりも、リズム&ブルースがすっごく盛んで、ロンドンはちょっとスカした音楽だった、ていう。
  その地域性とかそういうことが判っていただければ、と思います。
  
  リクエストの方も、今日の幼稚園の頃から聴いていたとかですね、いいお話をいっぱいありがとうございました。
  ああいう風な話しだとか、もうまるで関係ないような話しでもいいですよ。
  わがままにリクエストくださいね。
  イシイの(以下略)
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月28日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月28日)
 ・1961年(今から51年前の今日)
  もうずいぶん昔だね。
  それも正確に午後3時。レイモンド・ジョーンズという10代の男の子です。
  「ビートルズの“マイボニー”っていうレコードはありますか?」と言って、リバプールのブライアン・エプスタイン、
  後にマネージャーになるブライアン・エプスタインのやっているレコード屋さんに、尋ねて来ます。
  で、またしばらく経ったら、すぐ他の若者が「ビートルズのレコードありますか?」ていうことを尋ねてくる。
  それで、ブライアン・エプスタインがやっていたこのレコードショップはですね、モットーがあって、
  『どんなレコードでも、うちは取り寄せることが出来る』『取り寄せない商品は無い』というNEMSのモットーがあったので。
  ブライアンは調べるわけですよ、ビートルズを。
  ところがこれが、イギリスでは無い、イギリスでは出てない。
  ドイツのポリドールのロンドン支店から、結局25枚をその店に取り寄せます。
  25枚が最低の枚数だったんですよね。
  で、その日にそのレコード屋に女の子二人がやってきて、やはり「マイボニーはないか?」と尋ねた。
  いずれもビートルズの「マイボニー」。
  で、ブライアンは最終的には、このビートルズの「マイボニー」をこの店で1000枚完売します。
  1000枚売れたんですよ、大変な事ですよね。
  で、ブライアン・エプスタインは「このビートルズっていったい何なんだろう?」っていうことで、知らなかったわけです。
  で調べたら、500メートル先のクラブに出てるっていうことでビートルズとの出会いが始まる、ということです。
  でもね、ここからが大切なんですけども。
  レイモンド・ジョーンズっていうのは、実はウソだっていう話しもあります。
  それはですね、ブライアンの秘書をやっていて後にアップルの総支配人になる、この番組ではおなじみのアリステア・テイラーが
  「店に来る多くの客があまりに『ビートルズのマイボニー』『ビートルズのマイボニー』って言うんで、もっともらしい話しを自分で作ってブライアンに報告した」
  と彼は言っているんです。
  さあ、どれが本当でしょう。
  ビートルズのね、「レイモンド・ジョーンズっていう若者がやって来て尋ねた」っていうことは伝説の一部になっています。
  だから皆さんの、どうでしょう頭の中では、そういう風な事なんだけども、ひょっとしたらウソではないかもしれないな、っていうのは知っておいて下さいね。
  今のウィキペディア(Wikipedia)なんかもそうなんですよ。
  自分が本人のウィキペディアで見て言うんだから確かなんですけど。
  ウソがあるんですよ。ウソが。
  人が書いたりするもんだからね、捏造されたものがw、ほんとにありますから。
  まあ世の中、パッといろんな話しを聞いてすぐ100%信じてはいけない、ということですね。
  そしてですよ、「ビートルズのマイボニー」って言ったって、ビートルズがリードボーカルじゃないんで、主役じゃないんですよね。
  トニー・シェリダン(Tony Sheridan)が主役で、ビートルズはバックを務めていただけなんですよ。
  じゃあそれを改めて、もう皆さんご存知の話しだと思いますが、この曲を聴いて下さい。
 
  〜 Tony Sheridan with The Beatles / My Bonnie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=uW1-iDuIURg
  ttp://www.youtube.com/watch?v=UBZ2Mc-yjSI
  
  (小林)トニー・シェリダンとビートルズの My Bonnie。
  リードボーカルはトニー・シェリダン。で、コーラスなんかでビートルズのポールたちの声が聴こえておりましたけども。
  きっとあれですよね、キャバーンクラブで、キャバーンクラブは自分たちの根城みたいなものですから、
  そのお客に「やあ、ハンブルグ行ってる時にさあ、レコーディングしたんだよ。それ、ひょっとしたらイギリスでも来て売れてるかもわかんないねえ。」
  みたいな話しをしたから、ファンが来たわけですよね。ええ。
  そういうことです。
□デッカオーディション
 ・「マイク、お前なあ、リバプールのバンドと契約するってこと、分かってるか?
  レコーディング、プロモーション、ラジオ出演、そのたびに何百キロ向こうからロンドンまで来させるっていうか、
  その費用はどうするんだよ?いいか?。
  とにかく我々デッカはビートルズとは契約しない。以上。今日は帰ってよし!。」
  
  この自分の部下に対し、高圧的な言い方をしている人物の名前は、ディック・ロウ(Dick Lowe)。
  「ビートルズを不合格にした男」として、ロックの歴史上未来永劫消えることの無い汚名を残したデッカレコードのチーフプロデューサーである。
  そしてビートルズをなんとかデッカのアーティストとして契約したい、と食い下がっていたのは
  リバプールのクラブキャバーンで彼らのライブパフォーマンスに遭遇して以来、
  すっかりファンになってしまった若きアシスタントプロデューサー=マイク・スミス(Mike Smith)。
  この時の上司であるロウとのやり取りに関してスミスは語っている。

  「当時僕は、上司の命令に簡単に屈してしまったわけだから『なんだ、今さら言い訳か』って言われても、そりゃあもうどうしようもない。
  もちろん、自分のセンスだけが優れていて上司は全く分かっていなかった、なんて言うつもりはない。
  ただ、ことロック音楽に関して言わせてもらうと、その魅力は間違いなくライブパフォーマンスの中にあったことだけは間違いない。
  この点においてビートルズと、彼らを筆頭とするマージーサイドの連中は、ロンドンのバンドよりも優れていたね。
  特に1961年の12月、キャバーンで見たビートルズは、すでにカリスマ的な何かがあったんだ。
  もちろん、店の雰囲気も独特だった。
  DJのボブ・ウーラーのかける曲、お客の煽り方、そして集まるファンのセンス。
  全てにおいてロンドンとは違ったワイルドなパワーがあったんだ。
  デッカレコードの社員の中でそれが分かっていたのは、まだ駆け出しの僕だけだったのは、あまりにも残念な事実だったよね。」
  〜 The Beatles / It Won't Be Long
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LYa0S65E3vo

  〜 The Beatles / Ask Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=RVzYeqdEyoY
 
  (小林)1963年の曲が2曲続きました。
  1曲目は It Won't Be Long。
  
  Ask me why(2曲目) これは「Please Please Me」のB面に入っていた曲で、これはもちろんビートルズのオリジナルですけれども、
  50年代の持っているポップスの甘さみたいなのを、ビートルズは出すことが出来る。  
  ロックのハードさ、エッジも出せるし、甘さも持っていたことが分かります。
□デッカオーディション(続き)
 ・「ロック音楽に関して言わせてもらうと、その魅力は間違いなくライブパフォーマンスの中にあったと思う。
  その点でビートルズと彼らを筆頭とするマージーサイドの連中は、ロンドンのバンドよりも優れていたね。
  特に1961年の12月、僕がキャバーンで見たビートルズはすでにカリスマ的な何かがあった。」
  これはロンドンのメジャーなレコード会社のスタッフの中で、唯一デビュー契約前のビートルズのライブを体験した人物=マイク・スミスの証言である。
  スミスはデッカのアシスタントプロデューサーで、その後受けるオーディションで不合格を言い渡すことになるプロデューサー=ディック・ロウの部下であった。

  たしかにイギリスの首都であるロンドンは、今も昔もしゃれた街であり独特の風格と美意識を持った文化都市である。
  もちろんロンドンでも、1950年代は多くの若者がエルビス・プレスリーをはじめとするロックンロールの洗礼を受け、
  それに伴なって「自分でも演奏がしたい」とバンドを組む連中も少なくはなかった。
  しかしこの歴史ある国において、ロックンロールを職業とし、それで食べて行く、という確信を持つ者はそう多くはなかった。
  それよりも、ロックに対しての偏見と嫌悪感を示す親世代の割合は、もはやアメリカの比ではなかった。
  ここでもやはりロックは「悪魔の音楽」として忌み嫌われていたのである。

  そんな状況の中でも北西に何百キロも離れた北の港町リバプールでは、
  ジョン・レノンをリーダーとするクォーリメンが、シルヴァビートルズ、そしてビートルズとバンド名を変えライブで食い繋いでいた。
  そしてその仕事の場所は、リバプールを中心とするマージーサイドだけでなく、海を渡ったドイツのハンブルグにまで広がり、彼らの演奏力はどんどん上達した。
  アメリカでは終焉を見せたかのように思われていたロックンロールのDNAは、こうしてヨーロッパで生息を続けていたのである。
  〜 Paul McCartney / Twenty Flight Rock
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XcRUba8aFyY(Russian Sessions)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ODjdXrtK5jI(TokyoDome1993)

  〜 Ringo Starr / Only You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fkANAlvPRP8

  (小林)2曲続きました。
  この(2曲目)Only Youっていうのは、カバーです。
  リンゴ・スターのソロアルバムのためにジョン・レノンがプロデュースした。
  ジョン・レノンはこの頃ロサンゼルスに住んでいてね。
  ちょっとヨーコからニューヨークから追っ払われていた状態の頃です。
  ジョンがプロデュースして、コーラスなんかはすごかったでしょう?
  プラターズ(The Platters)のオリジナル知っている人は、また味わい深いと思いますけど。
  それからあれですね、フィルスペクター(Phil Spector)という有名なプロデューサーの影響を受けていますから。
  ♪ウ〜ウ ウ〜♪というコーラスも独特。
  で、声はあれですね、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)ていう、今は亡くなった、ジョンレノンの、この頃は仲が良かった歌手なんかがやって。
  ジョンレノンの仲間がみんなバックを務めてるわけですよ。
  
  その前の局は、ポール・マッカートニーがやった、これもカバーです。
  Twenty Flight Rockていうのは1950年代プレスリーなんかの影にいたエディ・コクラン(Eddie Cochran)ていう、バディ・ホリー(Buddy Holly)なんかと並んで有名な。
  イギリスでメチャクチャ人気のあった人なんですよね、エディ・コクランは。
  Twenty Flight Rockていうのはエディ・コクランの傑作で、これはもうみんなカバーした。
  だからローリングストーンズ(The Rolling Stones)も Twenty Flight Rockはやってるし。
  ポール・マッカートニーの「ロシアンアルバム(Снова в СССР)」に入っている Twenty Flight Rock。
□デッカオーディション(続き)
 ・「僕はビートルズに本当に打ちのめされていた。
  キャバーンでライブを見たことは生涯忘れることのできないショッキングな出来事だったね。
  ただ、会社に雇われているサラリーマンにとって上司の命令は絶対的なもの。
  いくら僕がビートルズの実力を説明しても、そりゃ無駄だったね。
  ボスのディック・ロウにとってアシスタントの僕なんて、ただの家来みたいなもんだったんだ。」

  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエイター=マイク・スミスの発言。
  彼の言う言葉には確かに弁解めいたところもあるが、本心であることは想像がつく。
  こうしてデッカはビートルズを不合格にしたことによって、この先少なくとも50年以上は確実に手にすることの出来た天文学的な額の売り上げを失うことになる。
  ビートルズを不合格にしたプロデューサー=ディック・ロウは、マネージャーのブライアン・エプスタインに対し、
  新しくデモテープを作ることを助言し、デッカの社内のプロデューサーを紹介したが、その制作費用はあまりに高額であること。
  そして担当者の態度が、これまた高飛車であったことがブライアンの逆鱗にふれた。
  
  ロンドンから何の手土産もなくリバプールに戻ったブライアンは、ライム・ストリート駅に着くとすぐにポール・マッカートニーに電話した。
  「ああ、ポールか?ブライアンだけど、きょうは確かライブの無い日だったね。
  悪いけどメンバーに電話して、これからデュークストリートのジョーズカフェに集まるように伝えて欲しいんだ。」
  数時間後、集まったビートルズの四人とブライアンは、お茶を何杯もお代りし、いろいろな話しをした。
  しかし全員気を使っていたのか、オーディションの結果については誰も話題にしなかった、が。
  ついに、口火を切ったのはジョージ・ハリスン。

  「ところで。ねえ、ブライアン。例のデッカのオーディションはどうなったの?」
  〜 The Beatles / Taxman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A

  〜 The Beatles / Being for the benefit of Mr.Kite
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1dxFngZj2QE
 
  (小林)ビートルズの中期、とでも言いますかね。
  1966年の「リボルバー(Revolver)」の中に入っているジョージ・ハリスンの Taxman。
  これはもう「税務署は90%以上取るんだもんね」っていうw歌だよねw。
  
  1967年の Being for the benefit of Mr.Kite、ていうのは「Sgt Peppers Lonely Heart Club Band」の中に入っているジョン・レノンの作品で。 
  だいたいポールがこういうやつが得意ですが、ジョン・レノンもやっています。
  このころのビートルズの音楽はけっこう何でもありで、イギリスの古くからある歌謡的なものもやってるわけだし、それからクラシックも入って来て。
  このクラシックなんかも取り入れたっていう事が、すぐあとにプログレッシブの時代になって、
  クラシックをイエス(Yes)がやったりエマーソン・レイク&パーマー(Emerson, Lake & Palmer )がやったり、
  そういう風なつながりっていうのは、ビートルズのここら辺にあるわけですね。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  これは文字通りオイシイですよ。

  (船橋市/男性)
  ビートルズは中学時代東京の某FM局でベスト集をしょっちゅうやっていたので夢中で聴いていました。
                          (小林)ビートルズをやるとねえ、あの頃はねえ、数字が、まあレイティングが上がったんですよね。
  一番最初好きになったのが「ヘイジュード(Hey Jude)」です。
  ポールの上手い曲作りと甘い声で、なんていい曲だろう、と感動して聴いていたのを覚えています。
  ビートルズが日本に来た頃の熱狂は良く覚えていて、66年は私はまだ10歳でしたが、
  大人でも行けないビートルズの日本公演に本気で行きたいと、なぜか考えていました。
  リクエスト曲は、ビートルズが終焉を迎えようとしていた1971年、黒い炎…    
  (小林)
  チェイス(Chase)か。これはまあなんていうんですかねえ、ビートルズの影響を受けていると思いますけど。
  なんていうかねえ、この頃の流行語が「Get It On」で、もうその、セックス的なものとかドラッグ的なものとか含んでいた。
  やっちゃえ!やろう!とか、そういう風な意味ですよ。
  で、歌詞とか何にもない。なんか、何もないけど勢いだけがすっごい曲です。

  〜 Chase / Get It On
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_f19NqDCOZA
  (小林)ねえ、すごいでしょう?
  「黒い炎」というタイトルがなぜか付いておりますけども。
  もうこのブラスのスタイルはですね、日本の、例えば欧陽菲菲とか和田アキ子とかああいう風な人たちの曲まで影響しています。
  で、このグループはですね、もともとラスベガスでショーのバックを勤めていたトランペットのビル・チェイス(Bill Chase)という人が、
  すごいトランペットのテクニックを持っていた人で、「俺もう、ロックのグループをやろう」っていうことで、自分で若い者を集めるんですよ。
  それで作った。
  例えば、シカゴ(Chicago)なんかもね、実は60年代の後半 67年まではラスべガスでラウンジで演奏してて、ビートルズの「サージェント」を聴いて
  「俺たち、もうロックやろう!」ってラスベガスを辞めるわけですけども。
  そういった感じの人たちだったんですよね。
  やっぱり、ビートルズの影響ってのは強いですよw。 
 (古河市/男性)
  10月5日はビートルズの「Love Me Do」が発売されて50年のアニバーサリーでした。
  私はこの日、寝るまでずっとビートルズを聴きまくりました。
  多彩な音楽に惚れ惚れしたもんです。
  ビートルズは私を英語を好きにさせてくれた克也さんと共に師匠です。
  そこで、ビートルズ川柳を一句。
  「A取らず あえて俺たち B取るぞ」
                          (小林)「B取るぞ」ビートルズにかけました。
                             申し訳ありません、とは書いてないけどw。
  そこで、リクエストはビートルズのバースデイ(Birthday)をお願いします。
  何のつながりも あらへんやん〜。
  (小林)
  w あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Birthday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZvtpY4-5Zf0
  〜 Deep Purple / Help
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6aOtMId_mGI

  (小林)
  どうですか?ディープパープルのって自然に言っちゃいましたけど、「ディープパープルの」と言った方がいいよね。
  「ハードロックの王者」とかいろいろ言われたりしていますが。
  Helpをこんな、クラシックも入っているし、インドも入ってるし、サイケデリックっていうのがね、この時代ならではの。
  (江戸川区/男性)
  リクエストはあのハードロックの王者=ディープパープルで Helpをお願いします。
  あのディープパープルもビートルズから始まるんでしたねえ。
  (小林)
  まあビートルズから始まったのか、どこから始まったのか、ちょっと分かりませんけど。いい解釈ですよねえ。
  途中キーボードで大活躍をしていたジョン・ロード(Jon Lord)っていうメンバーは中心的な人でしたが、こないだ亡くなってしまいましたけども。
  ディープパープルのデビューアルバムの中から。
  ディープパープルは(小林歌う)♪ギャギャギャ〜ギャギャッギャギャ〜♪でお馴染みだと思いますけど。
  ディープパープルという名前がデビューアルバムと一番マッチしているんですよね。
  デビューアルバムを聴くと、なぜディープパープルって言う、かなりグループの名前自体にもメッセージがこもっています。
  後半は、なんか かけ離れてくるんですけどもねえw。
  はい、いいリクエストありがとう。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  話しの方は、やっぱり毎回言ってますけど、ビートルズの一番面白い頃のお話しをお送りしています。
  
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  リクエストも、このビートルズってのは幅広いですからねえ。
  もうほんとに、我がままに・・・。
  ただ、いつも感心するんですけど、たとえばこないだのジュディ・ガーランドの Over The Rainbowだとか。
  リスナーからのサジェスチョンが我々を刺激してくれて。
  今日のディープパープルのHelpなんかもそうですよね。
  とても、皆さんのリクエストがあるからこそ、いい選曲になる、ということで。
  そして、あれですよ、採用されるとイシイのミートボールなど(略)
258ホワイトアルバムさん:2012/11/06(火) 07:41:24.51 ID:???0
>>251
68年のあの公式伝記だと、ピートだけは結果を知らされてなくて、
かなり経った後にメンバーがふと漏らしたのを聞いて知った、とあったような。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年11月4日(日)18:00〜19:00 放送内容 

□スペシャルパーティ
 ・会場:舞浜 クラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)  
  司会:小林克也
  出演:平原綾香、Chika  
  〈曲目〉
  〜 平原綾香 / スマイル スマイル(ライブ)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hl1946ZMVK8 (PV)
  
  〜 平原綾香 / In My Life (ビートルズ カバー)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=63skAbv6D0U (ビートルズ/訳詩付)

  〜 平原綾香 / ジュピター(アンコール)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1JS3NB_clmI (TV)
  以上 ピアノ:扇谷研人 ギター:古川昌義

  〜 Chika / New York State Of Mind(ビリー・ジョエル カバー)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=UJCJXfP4Mho (TV)

  〜 Chika / Yesterday(ビートルズ カバー)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oPMN5xQPp1U (Another Jazz Vocalist)

  〜 Chika / Day by Day (インプロヴァイゼーション)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=THxDrwzH6VI (Chika PV)

  〜 Chika+平原綾香 / Let It Be(ビートルズ カバー)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JWNOY2hZ5mQ (Allison Crowe)
  以上 ピアノ:田中祐士

 (※リンクした映像は当日の演奏ではなく、楽曲のイメージ参考用です。)
260ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2012/11/12(月) 18:08:32.26 ID:vgGDXLpW0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年11月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月11日)
 ・1977年(今から35年前の今日)
  ビートルズが、もちろん解散して7年目ですかね。4人ともソロでやっています。
  でもまあ、ソロで最も精力的に活動して成功したのはポール・マッカートニーですよねえ。
  やっぱり彼はすごい「仕事」をする人ですからねえ。
  ソロのアルバムを2枚出して、嫁さんのリンダ・マッカートニーとWingsを結成して、
  最初はちょっとサプライズで、大学とか学園祭回りからスタートして
  1975年は大掛かりな全米ツアーをやります。
  3枚組みのLPのライブアルバム「Wings Over America」でもうトップに立っちゃうっていう。
  今から35年前の今日「マル・オブ・キンタイア(Mull of Kintyre)」「キンタイア岬の歌」がイギリスで発売された。
  このキンタイア岬というのはですね、ポールが60年代に買った農場付きの牧場付きの広大な家があるんですが。
  ハイパーク、その近く。
  ここは、そのころ付き合っていたジェーン・アッシャー(Jane Asher)との隠れ家的なものだったわけですけど。
  曲はポール・マッカートニーが1974年くらいから、書き溜めておいたもの。
  自分のルーツがスコットランドなんで、新しい世代のためのスコットランド民謡。
  この歌詞を聴くと、やっぱり東洋でも西洋でも地名を歌って地名を讃えるような歌っていうのは共通なんですよね。
  だから、いつもの歌詞とは違うんですよ。
  ポールが作るような歌の歌詞とはちょっと違うんです。
  でも、1976年にギタリストとしてWingsに入ったデニー・レイン(Denny Laine)の手を借りて完成して。
  このレコーディングはポールの農場に17人編成のキャンベルタウン・パイプバンド、バグパイプのバンドを招いて
  一発撮りで行われた、とあります。
  日本よりもレコード市場としてイギリスは狭いんですけども。
  その狭いイギリスで200万枚以上売り上げる。
  これは大記録を創っています。それまでの記録はビートルズの「She Loves You」が150万枚。
  これは200万枚売れました。
  改めて、そのポールの作品を聴いてみましょう。

  〜 Paul McCartney & Wings / Mull of Kintyre(夢の旅人) 
  http://www.youtube.com/watch?v=K5626WzsfMw

  (小林)
  いかがですか?
  今から35年前の今日。
  これがイギリスで発売になって、結果的には200万を超える大記録を打ち建てました。
□デッカオーディション
 ・「ああ、ポールか?ブライアンだけど、きょうは確かライブの無い日だったよね?。
  悪いけどメンバーに電話して、これからデュークストリートのジョーズカフェに集まるように伝えて欲しいいんだ。」
  1962年の1月の末、ロンドンから戻ってきたブライアンはポールに電話でこう伝えた。
  ブライアンとは、もちろん最初にビートルズをスカウトしマネージメント契約を結び、
  この二年後には彼らを世界一のロックバンドに押し上げたカリスママネージャー=ブライアン・エプスタインのこと。
  
  数時間後、集まったビートルズの四人とブライアンはお茶を何杯もお代りし、いろいろな話しをした。
  しかし、なかなか話しが本題に到達しない中、ついに口火を切ったのは最年少、この時まだ18歳のジョージ・ハリスン。
  「ところで。ねえ、ブライアン。こないだのデッカのオーディションはどうなったの?」
  するとブライアンは顔色一つ変えずにこう答えた。
  「ああ、デッカか。悪いけどあそこはダメだ。きっぱり断られたんだ。」
  ビートルズの四人は特に驚きもせず、冷静に受け止めた。
  どうやらブライアンがロンドンに行っている間に、その結果を推測し、すっかり心の準備は出来ていたのである。
  むしろショックを受けたのは、直接不合格を言い渡されたブライアンであった。

  それからというもの、ブライアンは支配人を務めるレコード店NEMSの業務を、すっかり秘書のアリステア・テイラーに任せ。
  グループの最高責任者である父親の目を盗んでは、幾度と無くロンドンに出かけて行った。
  ブライアンがコンタクトを取ってビートルズを売り込みに行っていたのは、
  後にキンクス(The Kinks)をブレイクさせるパイレコード(Pye Records)やフィリップスといったメジャーレコード会社の他
  いくつかのマイナーなレーベルを運営するレコード会社。
  しかし、この時点では、その全ての会社が相手にもしてくれなかったのである。
  〜 The Beatles / Memphis
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ai8Vo5RPaxk
  
  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1bJpJsw-Juo
 
  (小林)2曲続いています。
  いずれもチャック・ベリー(Chuck Berry)の1950年代の有名な曲です。
  いろんな人がカバーした Memphis。
  これは1962年のデッカレコードでのボーカルです。Memphis。

  それから Sweet Little Sixteen。
  これは1975年になってジョン・レノンがソロアルバム「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」というのを出すんですが、
  その中に入っている。
  フィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースした Sweet Little Sixteen。
□デッカオーディション(続き)
 ・「ああ、デッカね。悪いけどあそこはダメだ。きっぱり断られたんだ。」
  1962年1月末、ロンドンから戻ったブライアンはビートルズの四人に対し、あえて簡潔に伝えた。
  もちろんこのブライアンとは「世界で最も成功したロックのマネージャー」として有名なブライアン・エプスタイン。
  この淡々とした業務連絡に対し、ビートルズの四人は特に驚きもせず冷静に受け止めた。
  どうやらブライアンがロンドンに行ってる間にその結果を推測し、すっかり心の準備は出来ていたのである。
  
  ビートルズはなかなか芳しいニュースを持って来てくれないマネージャーに対し責めるどころか、むしろ懸命に彼を元気付け
  「次には運が向いてくるさ。」と励ました。
  ジョン・レノンに至っては、
  「もしメジャーが契約してくれないのであれば、ディスカウントショップ専門の、もしくは通信販売専門のレーベルと契約したらどうか?」
  などと冗談半分で笑いを取ったりもしていた。
  
  そして、そんな時ジョンはいつもの決め言葉でメンバー三人に気合を入れるのだ。
  ジュディ・ガーランド(Judy Garland )とミッキー・ルーニー(Mickey Rooney)のコンビで出ていた1940年代の古い娯楽映画のあるシーンを
  アメリカ人のアクセントで安っぽく演じるのである。
  「なあ、みんな。俺たちは今どこを目指しているんだ?。
  トップだよジョニー。
  そのトップっていったいどこにあるのかな?
  ポップ音楽のトップだよ、ジョニー。
  いやそりゃ、ちょっと違うな。
  そりゃあなあ、ロックのトップのトップの、そのまたずーっと天辺の頂上の先のことだぁ。
  そうさ、ジョニー!。俺たちそこを目指そうぜ!」
 
  ジョン・レノンという男は、ライブが出来て、女が寄ってきて、こういう愉快なジョークが言えれば、
  それで充分なシンプルな人間だったのである。
  〜 The Beatles / Revolution
  ttp://www.youtube.com/watch?v=KrkwgTBrW78

  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N5dD-Tm1I9c

  (小林)やあ、二曲続いて・・・。
  If I Need Someone これはジョージ・ハリスンのね、いい曲ですよ。なかなかね。
  「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っています。
  ジョージ・ハリスンが12弦をやっています。
  
  その前が(Revolution)これはB面なんです。
  ジョンとポール、どっちがA面B面かって、これは順番にしたらしいですけれどもね。
  この時はやっぱりA面が Hey Jude ですからね。B面は仕方ないですよね。
  Revolution は1968年。
□デッカオーディション(続き)
 ・「ブライアン、心配はいらないよ。
  メジャーが契約してくれなくても、俺たちにはライブに来てくれるファンが大勢いる。
  それで食いつなげるさ。
  もしレコードを出せなくても、大勢の女の子が寄って来てくれればそれで良い。」
  ジョン・レノンはそういうタイプの人間であったが、ポールはかなり違っていた。

  もちろん、生まれながらのエンターテイナーであるポール・マッカートニーのこと、ライブパフォーマンスは大好きである。
  いくら体力的にきつくても聴いてくれる客さえいれば、何時間でも何ヶ月間でも頑張ることができた。
  しかし、ポールの目標は「世界で一番になること」
  それはヒットチャートの1位になるとか、そういう具体的な事以上に
  「世界一良い曲を書けて、演奏が出来る。」といった、
  少し抽象的ではあるが、音楽家なら誰でも到達したい、けれどもどこかで諦めてしまう大きな命題を抱えていた。
  そのためには、このリバプールを出てロンドンのメジャーなレコード会社と契約し、プロの現場でレコーディングし
  それがヒットし、アメリカにも進出し、次には世界中にそのニュースが届き、ワールドツアーを成功させる、
  という「ポールの中での計画書」が立派に完成していた。
  もちろんすでにオリジナル楽曲は数十曲はあるが、ポールはその出来には満足していなかった。
  もっと良い曲が書きたい。でもそのためには何をしたらいいのか、よく分からない。
  それにはプロフェッショナルなアドバイスが必要である。
  じゃあそのプロフェッショナルはどこにいるのか?
  リバプールか?いや、ロンドンにはリバプール以上に多くの音楽のプロがいるに違いない。
  なんせリバプールにはレコード会社すら存在しない。
  いくら何百というバンドがしのぎを削りあっていても、レコードが出せないんじゃあどうしようもない。
  「さあ、どうするか?」
  日々悶々とする、まだ19歳のポール・マッカートニーであった。
  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TvSvT8p0igg

  〜 Paul McCartney / My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eKuFyHwG188
 
  (小林)ポール・マッカートニーの作品が続きました。
  1967年の「マジカルミステリーツアー(Magical Mystery Tour)」の中に入っている The Fool On The Hill。
  メロディもちょっと不思議だし。この歌の中の世界がね、ポール・マッカートニーがよく書いたと思われる。

  でも、ソロになって「レッド・ローズ・スピードウェイ(Red Rose Speedway)」の中には、ラブソングでポール・マッカートニーらしいメロディの曲がありました。
  My Love。これはアメリカで1位。ただ、イギリスでは9位の曲です。
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。採用の方にね。
  メールは [email protected]

  (埼玉県白岡市/男性)
  先日、ヘソ曲がりを自称する超常連リスナーがいらっしゃいましたが、僕も10年来番組を拝聴させて頂いておりまして。
  ここ2年ほどは小林さん特に「SheLovesYou」を初めとした初期の曲を一押しにしておられるみたいですが。
  僕もあの一本のマイクを取り合うハーモニーの姿は、マイケルのダンスにも劣らないカッコ良さを感じます。
                               (小林)やあ、例えがいいね。
  ギターで左右対称のツインボーカルというのは他にないかと思っていたら、ありました、しかも「SheLovesYou」と同じ63年。
  ルーフトップシンガーズ(The Rooftop Singers)のビル・スワーノ(Bill Svanoe)とエリック・ダーリン(Erik Darling)の二人が、
  紅一点のリン・テーラー(Lynne Taylor)を囲んで、なんともジェントルです。
  その名も「行け!行け!ドンドン」という日本語のタイトルが付いて。
                               (小林)wだれが付けたんだろうねえ。
  朗々と歌っていながら、ちょっぴり影を感じるのはディランだけでなく、ノーリプライ(No Reply)にもちょっぴり影響してるのかなと思ったりします。

  (小林)
  どうでしょうか、それはね。ちょっと聴いてみる?

  〜 The Rooftop Singers / Walk Right In
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XQ2kgV62ivo
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8hpPuFnq85A&feature=related(TV1963)
  〜 The Beatles / Twist And Shout
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6Kux9cLhrno

  (小林)Twist And Shoutが流れました。
  (千葉市/女性)17歳。
  突然ですが、高校での私の英語の先生がとてもユニークです。
  一番上のSクラス担当の先生で授業が厳しい事で知られていて、弾丸のごとく生徒を指名して問題を答えさせるんです。
  その指名方法なんですが、今までは生徒番号で当てていたんですが、この秋から変わりました。
  先生の好きな洋楽が生徒一人に一曲ずつ割り当てられ、先生がランダムに曲を流します。
  そして自分に割り当てられた曲が流れたら、その人が問題に答えるという方法になりました。
  洋楽は60年代から80年代ぐらいのもの。
  もちろんビートルズも入っています。
  ほとんどの人は知らない曲ばかりでつまんなさそうですが、私を含め数人の洋楽ファンにとっては嬉しいかぎりです。
  正解するまで座れないのが辛かったけど、曲が流れてるとなんだかなごみます。
  将来イギリスで暮らすのが目標なんで大変だけど音楽パワーでがんばります。
  先生、もしラジオで聞いていたらごめんなさい。
                          (小林)wなかなかいいよ、これはねえ。
  で、私に割り当てられた曲が Twist And Shout。
  (小林)
  Twist And Shoutがかかると、あなたは起立して答えなきゃだめなんですねえw。
  (所沢市/男性)
  きょうは妻のリクエストで、イングランド・ダンとジョンフォード・コーリーの「秋風の恋」をお願いします。
  小学校の時にラジオで聴いてすぐに好きになったそうです。
  しかしその後ラジオ番組にリクエストしても、なかなかかけてもらえなかった。
  先日CD屋へ行ったところ、今年再発された、なんだかすごくプッシュされた感じのアルバムの中にこの曲が一曲目に入っていた。
  家に帰って聴かせてくれて。「これよ!これなの!」この曲と久々の再会となったようです。
  (小林)
  というわけで、あなたの奥さんがリクエストしています。
  これはねえ、日本語のタイトル誰が付けたのか知りませんけど。秋とはまるで関係ないw。
  とにかくあなたと一緒にいたい、そういう思いの曲です。
  
  〜 England Dan & John Ford Coley / I'd Really Love to See You Tonight(秋風の恋)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qqwLjkqj8Gw

  〜 The Beatles / Hello Goodbye
  ttp://www.youtube.com/watch?v=l-MKJBSzu7A(Mono)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HBZ8ulc5NTg&feature=related(PV Remastered)

  (小林)
  ポール・マッカートニーの作品。不思議な感じの歌詞だよね。 Hello Goodbyeという言葉遊びの歌ですが。
  (八千代市/男性)
  うちの中学二年生の息子が英語が苦手なんですが、洋楽が好きなんですよ。
  お勧めの「英語が好きになるような一曲」をお願いします。
  (小林)
  ということで、まあビートルズの曲でいくと何でもいいですよ。何でも。
  んで、一番大切なのは、歌詞を声を出して歌う。それも、声を出す時に意味が分かって歌う。
  意味が分かって声を出して歌うと、三倍早く英語をマスターできると思います。
  それくらい効果があるから。
  だから好きだったらね、歌詞は、今はネットで簡単に取り出せますからね。
  それで、その意味が分かる、その歌詞で、これはこういうふうな意味なんだ、っていう。
  そこまでがちょっと難しいかもわかんないけど、それからもう声出して歌えばOK。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  さっきのリクエストのところで、僕は大学のクラスメートのことを思い出しましたね。
  英語をしゃべれないんだけど、ビートルズが大好きなやつで。w
  ビートルズの歌詞を電車の中で言うんですよ。
  「It's been a hard day's night。」 「Yah Yah Yah!」
  みんなその友達と歌詞を交換して、英語をしゃべってるような格好をするんですよね。ええ。
  ビートルズなんか、とか洋楽でもそうですけど、遊び、上手く遊ぶといいですよね。
  
  それからリクエストをよろしくお願いします。
  採用の方には…(略)
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年11月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 11月18日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  これはねえ、ビートルズにとっては誇らしい一日になります。
  EMIの本社の6階で、EMIレコードのお偉方、そしてプロデューサーのジョージ・マーティン、マネージャーのブライアン・エプスタイン、ビートルズの四人、ここで昼食会。
  昼食会と言ってもね、おそらく豪華な昼食会だったと思います。
  というのはどうしてかと言うと、ビートルズが大変なことになっているわけです。
  ビートルズはEMIの色物っぽいレーベルから、主流じゃないレーベルからレコードを出して、一枚目はダメだったんですけども。
  ダメっていうか、中ぐらいだったんですが。
  2枚目の「PleasePleaseMe」ナンバーワン、「FromMeToYou」それもナンバーワン、「SheLovesYou」これもナンバーワン、もうすごいでしょう。
  ほんとに最初はバカにしていたEMIも「おっ!これはすごいことをやってくれるな。この若造たちは。」と思ったわけですね。
  それで大々的に昼食会があった。

  で、ビートルズはすごいっていうのは、
  その前日に「ロイヤル・コマンド・パフォーマンス」のコンサートのことをビートルズファンは知っていると思いますけども。
  イギリスの王室のためのコンサートをやるじゃないですか。
  で、ジョン・レノンが皮肉をこめて
  「安い席の皆さんは、手を鳴らして拍手をお願いします。高い席の方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」っていうね、
  これが放送された日なんですよ。その前の日は。
  だからもうビートルズはすごいことになって、ビートルズメニア(Beatlemania)と呼ばれる「ビートルズ狂」これも社会現象となっています。
  さあ今日はですね、49年前のちょうどこの時期にイギリスにナンバーワンです。
  セールスの記録も塗り変えました。
  ビートルズによる、最もビートルズらしい曲!

  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc

  (小林)49年前のちょうど今ごろ、イギリスでナンバーワン。
  イギリスではビートルズはすごいことになっていますが。
  このニュースはぜんぜんイギリス以外の国には伝わっていない。
  まあビートルズのニュースは伝わったかもわからないけども、ビートルズはアメリカなんかでは影も形も無いわけですよねw。
  その翌年ですよね、大変なことになるのはね。
□ストーリー
 ・ビートルズと最初にマネージメント契約を結び、2年後には彼らを世界最大のロックアイドルに仕立てた伝説のマネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  先週までのビートルズストーリーは、そのブライアンがロンドンのメジャーなレコード会社と契約しようと四苦八苦する様をお送りして来たが。
  今週からは、時代を数年遡(さかのぼ)り、十代のころの彼らの青春群像を探ってみることにしようと思う。
  言い換えれば、これが「ロック誕生のストーリー」なのかもしれない。

  1956年はイギリスの親たちが不安を抱き始めた年であった。
  大英帝国の伝統的で堅苦しいビクトリア王朝のどこかで、何かが狂い始めたのである。
  ジョン・ウィンストン・レノン、後にビートルズのリーダーとなるジョン・レノンが生まれる前の世代は、
  両親や祖父母とほぼ同じ価値観やルールに従って暮らしていた。
  つまりひとことで言えば、ビクトリア朝の根底を成す「敬意」が最も大切なもので、目上の者や年長者に対して人々はこの敬意を持つことを忘れてはならないと教え込まれた。
  そして誰もが、その頂点にいるとされる女王を敬っていた。
   
  ところが1956年、親たちは自分たちの子供から敬われていないということに突然気付かされたのである。
  さらにイギリスでは、流行り言葉の中にも幾つか当惑するような新しい意言葉が入り込んできた。
  中でも特に惑わされるのが「ティーンエイジャー(Teenager)」という単語。
  1956年より前のイギリスに「ティーンエイジャー」などという存在は無かった。
  存在するのは「子供」か「大人」だけ。
  それでは、どこからが大人か、というと、それは16歳、
  その年齢になると少年は父親のようにツイードのジャケットを羽織るようになり、少女はニットのアンサンブルを着てパーマをかけた淑女に変わった。
  男子の場合は二年間の国民の兵役、つまり徴兵により大人への変換が完了する。
  唯一これを免除される大学生は少数派であり、当時もその大部分は貴族階級などの上流階級の子息であったことは言うまでもない。
  〜 Doris Day / Que? sera sera
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aImZEjetK5w
  
  〜 Chuck Berry / Almost Grown
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mc7oGWgeA8s
 
  (小林)いかがですか?。2曲続きました。
  50年代です、いずれも。
  ドリス・デイ(Doris Day)の「ケセラセラ(Que? sera sera)」
  これはね、ヒッチコックのとても有名な映画のテーマだったんで、今の若い人も「ああ、聴いた事があるなあ」っていう。
  ♪Que? sera sera〜ですよね。

  それからチャック・ベリー(Chuck Berry)の「オールモストグロウ(Almost Grown)」
  これはでっかいヒットには至りませんでしたけども、何しろチャック・ベリーっていう人はロックンロールをスタートさせた重大な大切な一人ですよ。
  このころはプレスリーだとかね、エディ・コクラン(Eddie Cochran)だとか、バディ・ホリー(Buddy Holly)だとか、いろんなロックンローラーたちの音楽が世界を変えていくんだけども。
  このチャック・ベリーっていう人の歌詞なんか聴くとですね、もうほとんど「オールモストグロウ」ていう曲「ほとんど大人」っていうことなんですよ。
  つまりそれが「ティーンエイジャー」。
  で、ちなみに「ティーンエイジャー」っていう言葉はイギリスにも無かった。
  どういう事かと言うと、アメリカで発明された言葉なんですよ。ティーンエイジャー。
  それが日本にも来た。
  日本には、やはり同じようなイギリスと同じようなけっこう保守的な国であったわけだからね。
  「ティーンエイジャー」だとか、あと日本の場合は「デモクラシー」とかね。
  「デモクラシー」もアメリカで発明された言葉、で日本に伝わって来ている。
  いろんな人たちの考え方だとか、音楽が相当変わったわけですが。

  つまり、今日からは、ポール・マッカートニーとかジョン・レノンたちが味わったと同じ様な空気の、空気感と言うのかな。
  音楽を通して感じていただこうというわけで、ストーリーもちょっと50年代。
  50年代ってのは、とても面白いです。
  ほんとに面白いです。特に後半はロックが誕生しました。
  というわけで、話しは続きます。
□ストーリー(続き)
 ・第二次大戦後の世界の一流国でいることを何よりも重要と考え、伝統を守るという最重要事項にがんじがらめになっていた1956年のイギリス。
  この国の若者たちのファッションはどんどん突飛で過激になって行った。
  それはある意味「恐ろしい格好」と形容される場合もあった。
  ベルベットのトリミングの付いたトレープジャケット、その下にはフリルのシャツと細身のスラックス。
  それらのファッションはエドワード朝の影響を受けながら、同時にハリウッド映画に出てくるギャンブラーやガンマンからもヒントを得ていた。
  全てがくすんだ色に染め抜かれていた戦後のイギリスで、彼らの姿は正に異常に映った。
  いまだに刈り上げのアーミーカットだらけの国で、彼らの髪は浮いていた。
  グリースで固めたトサカのような髪を額の上で高々と上げ、脇は耳の後ろになで付けて絶えず櫛で整え、
  「ダックテイル」つまり「アヒルの尻尾」のように二筋に跳ね上げておく。
  ソックスは蛍光色のピンクかオレンジ。靴は7センチの厚底のラバーソウル。
  まるで映画のように、ジャックナイフやカミソリ、あるいは自転車のチェーンなどの武器を持ち歩いていることは、誰もが感付いていた。
  彼らにはそんなファッションや持ち物のほかにも夢中になっているものがあり、それもまた周囲の人間を怯えさせた。
  コーヒーバー(Coffee Bar)とロックンロールがそれである。
  1956年のイギリス人にとってコーヒーバーはいけない場所であった。
  イタリア系住民たちの中からいきなり降って湧いたように生まれたコーヒーバーは、50年代におけるモダンデザインの突飛な大流行に後押しされた。
  暗い店内は籐の椅子と植物の緑で彩られ、ラ・ランテルナとかラ・フィエスタなどのイタリア語でその店の名前が付けられた。
  
  この時ジョン・レノン少年は14歳から15歳にさしかかる歳。
  大人として認められるまでには、まだ少し時間を要するのである。
  〜 John Lennon / Rip It Up - Ready Teddy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a-W2rGRTYpk

  〜 Julie London / Cry Me A River
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bOLGv3WPnVQ

  (小林)ジョン・レノンがやってるメドレーで Rip It Up と、そして Ready Teddy。
  これはみんな50年代のジョン・レノンが、14、5歳の時でしょうかね、
  聴いたような音楽をジョン・レノンが改めて1975年になって「ロックンロール(Rock N Roll)」のアルバムの中でやってるわけですよね。
  
  そして(2曲目) Cry Me A River これは有名な大ヒット曲です。  
  ジュリー・ロンドンの Cry Me A River 。
  これはイギリスやアメリカでもそうですが、日本でもそうです。
  ティーンエイジャーなんて言葉が出てこない昔風の音楽ですよね。
  だから、50年代はこういう風な音楽が混在していたわけです。
  これは Cry Me A River ていうのはジャズからのポピュラー音楽なんですけども。

  だから、50年代は面白い。
  日本の50年代も、イギリスの50年代も、同じだったと思います。
  その50年代を、空気をですね、空気感というものを、音楽を通して
  ジョン・レノンとポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターたちと同じような体験をしていただきたい。
  というわけで、この50年代のストーリーまだまだ続きます。
□ストーリー(続き)
 ・ロックンロールが「悪魔の音楽」と忌み嫌われていた1956年。
  この年、イギリス人にとってコーヒーバーに行くことはロックンロールで踊ることと同じくらい、いけない事であった。
  イタリア系移民の間からいきなり降って湧いたように生まれたコーヒーバーは、50年代におけるモダンデザインの突然の大流行にも後押しされた。
  暗い店内は籐の椅子と植物の緑で彩られ、ラ・ランテルナとかラ・フィエスタなどのイタリア語の店の名前が付けられた。
  それまで見たことの無いような、大きなシルバーの器具から出てくる泡立った液体が、イギリス人たちにはエスプレッソコーヒーだとはすぐに分からなかった。
  イギリスではエスプレッソなどのイタリアンコーヒーの本格的な作り方など、誰も見たことがなかったのである。
  こういったおしゃれで新しい店にテディボーイやテディガールが集まり、そこには必ずジュークボックスが置かれていた。
  このジュークボックスがテディボーイとロックンロールをイギリスでさらに蔓延させていった。
  ロックンロールとは、分別のあるイギリス人なら誰でも知っているとおり、いかにもアメリカ人的なふざけた行為であり。
  週替わりのニュース映画の最後に紹介される「おもしろ海外ニュース」のネタの一つくらいにしか考えられていなかった。
  「ダンスマラソン」とか「パイの早食い競争」などと同じ扱いであった。

  そして今度さらに出て来たのは、ろくに歌も歌えないのに腰をよじるだけで、ギターもろくすっぽ弾けないと思われたメンフィスの若者であった。
  それでもアメリカの女性たちはフランクシナトラの甘い声よりも、この若者に陶酔した。
  若者の名は「エルビス・プレスリー(Elvis Presley)」
  後にビートルズとなるリバプールの少年たちも、もちろんこのエルビスの登場には度肝を抜かれたのである。
  〜 Elvis Presley / Heartbreak Hotel
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PotB76gi2_4

  〜 Paul McCartney / Blue Jean Bop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jApNq1mdoi0
 
  (小林)50年代のことをお伝えしています。
  これはビートルズの面々が少年時代に体験したこと。これを感じていただいておりますが。
  エルビス・プレスリーの「ハートブレイクホテル(Heartbreak Hotel)」
  1956年の春にいきなり。
  まあ大人たちはプレスリー、一番問題だと思ったわけですよね。
  腰の振り方、エド・サリバン・ショーでは、それを映さなかったのは有名な話しですけど。
  エルビスの出世作が「ハートブレイクホテル」。

  で(2曲目)ポール・マッカートニーのカバーです。
  これは Blue Jean Bop という、あんまりヒットしなかった曲ですが。
  当時エルビス・プレスリーと並んで、エルビスのまるで影の部分にいるような。
  でもエルビスよりけっこう病的な感じで、イギリスなんかのファンにはかえって受けた、ジーン・ビンセント(Gene Vincent)というロックンローラがいたんですが。
  彼のちょっとしたヒットをポール・マッカートニーが、好きだったわけですよね。
  カバーしておりました。  
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  でも、最初の方はハガキで来ました。
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして全員にプレゼントしております。

  (埼玉県蓮田市/男性)50歳
  ビートルズ歴37年目に突入しました。
  さて、克也さんはディスク誌なるものを存じていますでしょうか?
  私は30年近く前に手に入れたんですが、新聞かと思ったら音楽誌だったんですね。
                 (小林)そうですね。けっこう50年代60年代70年代、音楽雑誌。  
                     それも新聞のタブロイド版みたいな感じなんだよね。
                     それがいっぱいありましたよね。その一つですね。
  このディスク誌には1964年3月7日、つまり「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」の撮影中のものでした。
  ちょうど列車内の撮影のところが載っています。
  いつの日か克也さんにもお見せしたいです。
  リクエストはやっぱり A Hard Day's Nightをお願いします。
  (小林)あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zSm0M-BbVdY
  〜 Oasis / Don't Look Back In Anger
  ttp://www.youtube.com/watch?v=r8OipmKFDeM

  (小林)A Hard Day's Nightから、いい流れになっちゃいましたね。
  (川崎市中原区/男性)
  自分は最近になってオアシス(Oasis)を聴くようになったんですが、
  Don't Look Back In Angerのイントロのピアノがジョンのイマジン(Imagine)とそっくりだなあ、と思いました。
                                    (小林)よく似てるね。
  そしてこの曲の最初の方に
  「So I start the revolution from my bed」「Cos you said the brains I have went to my head」
  という歌詞があって
  この曲はジョンへのトリビュート的な意味合いもあるのかな、と勝手に思っています。
  (小林)
  勝手に思うっていうのは正解。いいことですよ。
  つまり「So I start the revolution from my bed」
  「ベッドから革命を始めようと思う」「ヘッドがイカれてると君が言うから」
  まあ「ヘッド」と「ベッド」をかけているんだけど。
  レボリューションだとかね、ベッドでレボリューションというとまあ二重の意味があるよね。
  ジョン・レノンは「ベッドイン」をやったですよね、オノ・ヨーコと。
  で、レボリューション(Revolution)は彼の曲でもあるし。
  やっぱりこれは、完璧にそうですよね。ジョンへのトリビュートですよね。
  自分勝手な勢いがないと、そういう風な曲の良さっていうのは分かんないですから。
  やっぱり頭を、想像力を相当使ってね、曲を楽しむっていうのは素晴らしいことです。
  (取手市/男性)
  スタジオ・イクスピアリでスペシャルパーティ参加しました。
                            (小林)ああ、ラッキーだったね。
  20年以上その声に魅了されていた小林克也さんにお会いでき。
  さらに素晴らしい音楽とおいしい食事。その上抽選会に当選し、克也さんと握手までさせて頂きました。
  とても良い思い出をありがとうございました。
  リクエストは小林克也さんへの気持ちを込めて、男から恐縮ですが。(小林)www
  All My Loving。
  (小林)
  それでは、あなたのリクエスト All My Loving!

  〜 The Beatles / All My Loving
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jYKgtEu90bY
 〜 The Beatles / Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4spkG8LizyE&feature=fvwrel

  (小林)
  ゴールデンスランバー(Golden Slumbers)にリクエストがありましたが、
  ゴールデンスランバーっていうと、ここまでかけなきゃ、かけたことにならないからね。ええ。
  (ラジオネーム/コロスケ)
  私はゴールデンスランバーという曲が好きです。
  子守唄のような曲で、これを聴くとその夜はなんだか不安が消えて、気持ち良く眠れます。
  ぜひ、ラジオでこの曲を。
  (小林)
  つまり、子守唄で眠り始めると、夢が始まって行くんだよねえ。
  ビートルズの独特の世界ですよねえ。
  そういう風に、さっきも言いましたが、想像力を使って楽しんでいただけたら。
  ゴールデンスランバーからキャリーザットウェイト、ジ・エンドまでお送りしました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)
  というわけで、50年代っていうのはね、若い方にとって遠い過去みたいかも知れないよね。
  こないだまで80年代がブームだったのに。
  そう、70年代よりも実は60年代が僕は面白いと思うし。
  その元になった50年代も、面白いですよ。
   
  リクエストもよろしくお願いします。
285ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2012/11/26(月) 17:38:23.89 ID:t06HNdgN0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年11月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月25日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  いわゆる「ホワイトアルバム」がアメリカで発売になります。「The BEATLES」というアルバム。
  イギリスではちょっと前に発売になるわけですが。
  このアルバムにはね、いろいろな意味があって、
  先ず、ビートルズはアップルという会社をスタートさせて、夏に「ヘイジュード(Hey Jude)」てのを、シングルを出して、これがねえ700万枚以上行って。
  ポール・マッカートニーがプロデュースしたメリー・ホプキン(Mary Hopkin)の「Those Were The Days」これが2000万枚行っちゃうっていう。
  他のアーティストもやるっていうアップルのスタートね。
  で、アップルからホワイトアルバムが出たわけですね。

  あと一つは、インドとの決別。
  ジョージ・ハリスンのマイブームから始まって、「俺たちも、じゃあインド行こうよ」っていうことでビートルズみんなインドへ行きますよね。
  で、インドへ行ったら、その正体が分かったわけですよね。インドの聖人と呼ばれた人たちの。
  それで、だけどしょうがないっていうんで、インドで曲を書くわけですね。
  だから、ホワイトアルバムの半分以上はインドで作られた。
  インドに遊びに行ったんだけども、結局、経済効果は抜群であった。
  インドの成果がこのホワイトアルバムに入っている。

  もう一つは、実はですね、ビートルズというグループから離れて、それぞれがソロをやったようなもんなんですよ。
  よくほらグループがある時期が経つとみんなソロアルバム出したりするじゃないですか。
  ビートルズはそれが無かったんだけど、ソロを集めてそれを2枚組みにした、みたいな感じなんです。
  だから、今までのアルバムとは違って、それぞれのアーティストの良さが、また強烈さがはっきり色分けされて出ているっていうアルバムなんですよ。
  まあ、いろんなタイプの楽曲が目白押しなんですけども。
286ホワイトアルバムさん:2012/11/26(月) 17:39:23.62 ID:???0
  その中から、今日はですね、とても実験的なことをやっているこの曲を…。
  こんなのも入っているわけですからね。もう、好き勝手やったわけですね。

  〜 The Beatles / Revolution Number 9
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fx1kkpWVK2g  

  (小林)かなり実験的なことをやってて、これは延々と、ご存知のとおり続くわけですが。
  ビートルズは、特にジョン・レノンはこんな事もやりたかった。
  しかし、この影にはオノ・ヨーコという存在がいて、オノ・ヨーコがいなかったらこんな音の世界は展開されなかたであろう、という。
  まあビートルズを知ろうとすると、そんなとこまで来ますよね。
  ここからだんだんだんだん、いろんな不仲だとかね、いろんな。
  このホワイトアルバムの中にいろんな芽が入っていると、考えてもいいんではないでしょうかねw。
  Revolution Number 9 をお送りしました。
□ストーリー
 ・1956年のイギリスの若者文化を語る上で、欠かすことのできないキーワード、それは「コーヒーバー」。
  そして「ロックンロール」である。
  イタリア系住民がティーンエイジャーのために、おしゃれな社交場としてオープンしたコーヒーバーは、イギリスにおいて初めてイタリアンスタイルのコーヒーを提供する店として、たちまち流行した。
  照明を極力落とした店内には、モダンなデザインの家具が置かれ、それまでの格調高い大英帝国の伝統とは違った開放感があった。
  そして、そんなコーヒーバーには必ずと言っていいほどジュークボックスが置かれ、
  ここから流れるアメリカの新しい音楽「ロックンロール」を目当てに、テディボーイやテディガールたちが集まった。

  ロックンロールは当時のイギリスでは、週替わりのニュース映画の最後に紹介される「面白海外ニュース」のネタの一つぐらいにしか考えられていなかった。
  「ダンスマラソン」とか「パイの早食い競争」などと同じ扱いである。
  そしてこのロックンロールのスターとして登場したのが、メンフィスの若者、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)。
  ろくに歌も歌えないのに、腰をよじるだけで、ギターもろくすっぽ弾けない、と思われたエルビスであったが、
  急上昇する人気を誰も押さえる事ができず、ついにはアメリカの女性たちは、フランク・シナトラの甘い声よりも、この若者に陶酔するようになった。
  その如何(いかが)わしいとされた腰を振りまくるステージアクションは社会的な問題となり。
  人気テレビ番組「エド・サリバン ショー」出演の際には、なんとエルビスの下半身は全く映されず、上半身だけの出演となった。

  それでも「こうしたロックンロールの騒ぎはアメリカで収まるだろう」と普通のイギリス人は考えていた。
  ところがその狂気の沙汰であるロックンロールは、次第にイギリスへも伝わりつつあった。
  その引き金となったのが1955年に上映されたアメリカ映画「Blackboard Jungle」黒板のジャングル、つまり「暴力教室」だったのである。
  
  〜 Bill Haley & His Comets / Rock Around The Clock 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ud_JZcC0tHI

  〜 Tennessee ernie Ford / Sixteen Tons
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2zE1-48AAYc&feature=fvwrel
 
  (小林)1956年イギリスではね、アメリカで1955年、つまりビートルズの連中が中学生高校生の頃聴いていたヒット曲。
  いずれもナンバーワンですよ。

  ビル・ヘイリー&コメッツの(1曲目)Rock Around The Clock、これはこのすぐあと紹介する「暴力教室」のテーマです。

  で、(2曲目)テネシー・アーニー・フォードの Sixteen Tons。
□ストーリー(続き)
 ・1955年くらいから、アメリカで新しい若者文化として支持され始めた音楽「ロックンロール」。
  この最初のスターとなったのが、腰を振るステージアクションから「ぺルビス(Pelvis)」「骨盤」というニックネームで呼ばれたエルビス・プレスリー。
  人気テレビ番組「エドサリバンショー」出演の際には、なんとエルビスの下半身は全く映されず、上半身だけの出演となった。
  それでも「こうしたロックンロールの騒ぎはアメリカで収まるだろう」とイギリスの多くの人は考えていた。
  ところがその狂気の沙汰であるロックンロールは、次第にイギリスへも伝わりつつあった。
  その引き金となったのが1955年に上映されたアメリカ映画「Blackboard Jungle」=「暴力教室」。
  ニューヨークの高校に赴任したある教師が、不良少年が集まった暴力が支配するクラスの担任となり、必死で奮闘するも、
  彼の家族までもが生徒たちの標的となり、暴力に暴力で対抗せざるを得なくなって行く、という当時の荒れた学園の世相をテーマにした社会派の作品であった。
  この映画は、ビル・ヘイリーと彼のコメッツによる主題歌Rock Around The Clockとともに語り継がれている。
  この曲は1954年に発表された当時は、それほど注目を集めなかったが、この「暴力教室」で起用されると全米チャートで8週連続1位の大ヒット。
  ロックンロール時代の幕開けを象徴する作品となったのである。
  
  さらにこの曲は、映画がヒットしたという経緯もあり、年を越した1956年の1月にはイギリスでも2週連続の1位を獲得するまでの大ヒットとなっている。
  それでもまだ、イギリスの大人たちはこのロックンロールを「一過性のバカ騒ぎである」と軽く見ていた。
  国営放送であるBBCは、ステーションのイメージと格式を損なわないように、冷えたカスタードクリームのような手堅い曲ばかりをオンエアーし続けたのであるが。
  そんな中、1956年2月、ついにあのエルビス・プレスリーのレコードがイギリスで発売されたのである。
  
  〜 Elvis Presley / Heartbreak Hotel
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PotB76gi2_4

  〜 Kay Starr / Rock And Roll Waltz
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pJcJIK5olDo

  (小林)50年代の、50年代半ばの空気を味わっていただいていますが。
  プレスリーが出てきた時は、若者は全員ショックを受けています。世界中の。
  もういろんな国でナンバーワンになったり、大ヒット。
  
  エルビス・プレスリー「Heartbreak Hotel」。1956年ですよね。

  で、その次のケイ・スター。
  いま聴いたやつは、ちょっと「ええ?これはなんかダセえの、これがロック?」って。
  そうなんです。「ロックンロールワルツ」というタイトルで、これは便乗ですよね。
  つまり、その頃の事がよく分かるじゃないですか。
  ロックンロールが話題だから「ロックンロールをネタに曲を作っちゃおう」という、大人たちが考えたやつ。
  でもこれ、ヒットした曲なんですよね。
□ストーリー(続き)
 ・アメリカの学園映画「Blackboard Jungle」=「暴力教室」のイギリスでのヒットにより、若者たちは「ロックンロール」に夢中になった。
  それでもまだイギリスの大人たちは、このロックンロールを一過性のものと軽く見ていた。
  国営放送であるBBCは、ステーションのイメージと格式を損なわないように「冷えたカスタードクリーム」と形容されるような手堅い曲ばかりをオンエアーし続けた。
  そんな中1956年2月、ついにあのエルビス・プレスリーのレコード「ハートブレイクホテル」がイギリスで発売されたのである。
  発売元のレーベルは、それまで家族で一緒に聴けるような上品なレコードばかりを専門とし続けてきたHMV。
  「ハートブレイクホテル」は発売されて数日のうちに、他の甘ったるいヒット曲を蹴散らしてイギリスのチャートに姿を現わし、最終的には2位を記録した。
  そして21週間ものチャートインのあと、さらには次のシングル「ブルースウェイシューズ」も軽々とトップ10入りを果たした。
  イギリスの親たちは聴き取れる限り、理解できる限り、この歌詞に耳を澄ませた。
  そして理解しようとしたのである。
  しかし、この曲を歌うシンガーは、延々論理的な矛盾など気にもせず。
  「俺の青いスウェードの靴を踏むんじゃない!」と叫び続けていたのである。
  そしてその夏に発売された「ハウンドドッグ(Hound Dog)」が少しづつラジオから流れるようになると、親たちの中にもこのエルビス・プレスリーの曲を理解し楽しむ人が増えてきた。
  アメリカの歴史に詳しい人たちの中には、エルビスは黒人の歌い方を手本として、それを自分の解釈で堂々と歌っていること、を認める人もいた。
  つまり「これは白人によるアメリカンブルースの変形であり、ジャズと同じ立派なルーツを持つ音楽である」という理解であった。

  このエルビスの「ブラックフィーリング」に、ジョン・レノンもポール・マッカートニーも勉強そっちのけで夢中になったのである。
  〜 Elvis Presley / Blue Suede Shoes
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4QmuMD634vU

  〜 Paul McCartney / All Shook Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=726-Ufz5Ado
 
  (小林)というわけで、エルビス・プレスリーの Blue Suede Shoes。
  これカッコ良かったでしょう?。
  ねえ、1956年ですよw。
  だから、何年前だ?。
  もうほんとに すごいですよね。
  
  そしてポール・マッカートニーがやったのは1999年、カバーをやりました。
  これは、ポール・マッカートニーがわざとプレスリー風じゃなくてハードロック風にしてるところがいいんですよw。
  こういうの、分かってほしいんですけどw。
  どうですか? All Shook Up。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  イシイのミートボールなどをセットにして採用された方には全員差し上げております。

  (八千代市/男性)
  我が家に小学校2年の娘がいます。
  その娘が最近学校から楽譜を持ち帰り、一生懸命キーボードで弾いている姿をよく見ますが。
  その弾いている曲「どこかで聴いた曲だなあ?」と思っていたら、ビートルズの曲でした。
  ふだんジャニーズ系のJポップしか聴かない娘が洋楽に興味を持ち始め、しかも演奏しているなんて。
  洋楽好きな父親にしたら、たまらない出来事でした。
  これを期にビートルズを含め、もっと洋楽を聴いて欲しいなあ、と。
  (小林)
  まあ、これからの時代、洋楽とか邦楽の境をつけるのは良くないみたいですよね。良いものは良いということで。
  邦楽にも良いのがあるし、ダメな曲もあるし、っていうことでw。どうでしょう? 
  娘さんがビートルズをやっているっていうのを、最初は分かんなかったんですよね。
  ほら、あの、小学校2年生だから、あんまり上手く最初は弾けないじゃないですか。
  「うん?なんかやってるな…。おーっ、ビートルズだ!」っていう発見でしょ。
  それが、この曲でしたか。

  〜 The Beatles / Obladi Oblada   
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fj6ajN-iF4g
  〜 The Beatles / Come Together
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N8LZGQ4MkvQ

  (小林)
  Obladi Obladaに続いて Come Togetherが流れました。
  これは歌詞がメチャクチャっていう、有名な。
  ジョン・レノンが実際にやった時も、カンペを見ながら…やって。
  これは歌詞がつながらないですもんね。なかなかねw。
  歌われた方はきっと「これは難しい」と思ってると思いますけどw。
  (匿名/男性)
  こんばんは。ジョンの命日12月8日は今年も日本武道館でヨーコがコンサートをされるみたいです。
  遅くて私は行けませんが、いつかヨーコを見に行きたいと思います。
  (小林)
  「遅くて」って言うことは、けっこう学生なんだよね。若いんだね。行けないっていう。
  だけど、この集まりっていうのは、いろんな日本のアーティストとかが集まってやるんですけど。
  オノ・ヨーコのパフォーマンスとか作品ていうのは、興味がある方はぜひ見られた方が、僕はいいと思いますね。
  アバンギャルドな、できれば冒険をしている彼女の姿、けっこうぶっ飛んだ彼女の姿。
  レコードなんかももちろんありますけど、CDなんかも出ていますけど。
  彼女は「いったいどんな人なんだろう?」ビートルズファンは責任がありますよ、オノ・ヨーコのことを知る。
  いわゆる「ビートルズが解散した影の悪者はオノ・ヨーコとリンダ・マッカートニーである」っていう風なことがね、あるんですけど。
  ほんとに、ビートルズっていうすごいグループが、その二人によって解散しちゃうのか?っていうことですよね。
  だから「リンダ・マッカートニーとは?オノ・ヨーコとは?どんな人なのか?」ていうのを見極めるっていうのも、ビートルズファンの責任としてあるんじゃないかと思います。

  だけどね、僕はね。一回ね、オノ・ヨーコと。
  これ一回話ししたかなあ?。
  (オノ・ヨーコと)会った時に、
  ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」は絶対に、あれはヨーコ節だと思うんですよ。あの歌詞は。
  で「オノヨーコさんと二人で共作したんですか?」って訊いたんですよ。
  と、オノヨーコさんは
  「いや、確かなことは、私はジョンがあの曲を作ったピアノに座って作った時に『私は隣にいた』という事だけです。」
  それ(以外)あとは察して欲しい、という答えでしたよ。
  (川越市/男性)
  久しぶりにリクエストします。
  なぜだか、今この曲が聴きたいんです。
  この曲が流行っていたころ、まだ中学生だったと思うんですが、
  来月、中学生だった頃の同窓会があるので、ぜひこの曲を聴かせてください。
  あのころを思い出して一瞬でも浸りたいので、よろしくお願いします。
  (小林)
  そうですか、 ビージーズ(Bee Gees)ですね。 Melody Fair。
  
  〜 The Bee Gees / Melody Fair
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6r3CcgcXkig

  〜 The Beatles / And I Love Her
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JaJIQmIei14

  (江戸川区/女性)
  毎週毎週日曜日の午後6時を主人が楽しみに待っています。
  最近はパソコンでラジオを聴くことを覚えてしまったので、一人で集中して楽しい時間を過ごしています。
  こないだは「リクエストが流れた!」と喜んで降りてきました。
  ところで11月3日は私たちの結婚記念日です。挙げたのは27年前ですが。
  交際していた時に主人が大好きなビートルズのレコードをカセットテープに録音してくれました。
  その中で弾き語りで歌って録音してくれた曲があります。
  私は秘かに「プロポーズなのでは?」と思い込んでいる曲です。
  最近はあの頃のようにフワフワしている時は過ごせないけど、いつまでもビートルズが大好きなお父さんでいて下さいね。
  (小林)
  っていう。その曲ですね。
  これは、ビートルズには珍しくナイロン弦のクラシックギターで演奏されたという。
  それを、あなたの旦那さんがw、カセットで、混ぜてたんだw、ビートルズの曲の中に。へぇ〜w。
  リクエスト お応えしました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか?
  1950年代の空気を味わったことの無い人が、大半だと思いますけども。
  50年代というのは、とても面白い時代です。
  この番組では「ビートルズから始まる」っていうことで1960年代、ビートルズが出て来ますね。
  ビートルズが1964年世界的に出て来た時は、そんなに世界は抵抗は無かったんですよね。
  まあ、大騒ぎはいたしましたけど。
  しかし、50年代、エルビス・プレスリーが出て来た時は、特に母国アメリカでは大騒ぎです。
  だいたいですね。PTAを中心に親たちは、もうプレスリーやプレスリーの音楽や、あの格好なんかに、もう本当に抵抗しました。
  もう押さえつけようとしたんですよね。
  でも、50年代、プレスリーを皮切りにロックンロールが世界に広がって行くわけですけども。
  だから、50年代の音楽の、なんて言うの、もうほんとに音楽はね。
  60年代になると、いろいろあるんですけど。
  50年代はほんとに、何かわけの分かんない混ぜ物のような世界があります。
  まあ音楽だから、みんな悪者はそんなにいないんですよ。
  だけど、こうやって今、客観的に見るとね。
  そういったものを選んで 皆さんにお伝えして行こうと思います。
  話しも、ビートルズが少年、青年になる前の頃のお話しになります。
  
  リクエストよろしくお願いします。 
  採用の方にはイシイの(略)
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年12月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月2日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  ビートルズが世界的にブレイクしたこの年。
  今日、リンゴ・スターがロンドンのユニバーシティ カレッジ ホスピタルに入院します。
  これはどういう事かと言うと、扁桃腺の手術をするためにです。
  実はこの年、ビートルズが世界的に有名になってから、もう本当に忙しい休みが無いような毎日が続いて。
  特に6月の、オランダ・ホンコン・オーストラリア公演の時は、リンゴはダウンして、
  セッションドラマーの、スタジオで活躍していたドラマーのジミー・ニコルという人が代役としてツアーに参加します。
  ジミー・ニコルは、もうこの時の嬉しさをですね
  「自分はわずかな瞬間だけど、ビートルズのメンバーだった」
  ていう風な事をインタビューの中で語っていますけど。
  これはトリビアですけども、大金が入ったので自分の人生が狂っちゃって、翌年には自己破産しています。
  11日で回復したリンゴ・スターは、オーストラリアツアーの途中から復帰するわけですが。
  この入院中はですね、
  「ポール・マッカートニーとかジョージだとかジョンが、お忍びで夜中に病院に忍び込んできてはイタズラし放題だった」
  とか、書いてあります。
  そしてこの同じ日、48年前の今日ビートルズの「I Feel Fine」がイギリスでナンバーワンになります。
  結局イギリスで80万枚を売る大ヒットになったわけですが。
  やっぱり、この頃はほんとにすごい。
  1964年を締めくくるシングルとして、これを聴いて頂きましょう。
  ジョンが作って、ジョンが歌ってる曲ですが。
  ちなみに、アコースティックギターでジョンがリフを弾いてるそうです。
  これはエレキに聴こえるんだけども、アコースティックギターだっていう。
  実はですね、この曲はロックの世界で初めてフィードバックを、「ハウリング」って言われる、嫌われるものですよね。
  これを、わざと意図的に使っているわけです。
  ここら辺がビートルズの、やっぱり「ロック根性」ですよね。
  そしてリンゴ・スターのラテンソウル風のドラミングもかなりイカしております。イカしております。
  ビートルズ 行きます!。I Feel Fine!

  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk
  
  (小林)
  ロックの世界で始めてフィードバックを使った、意図的に使った曲でもあります。
□ストーリー
 ・1955年から56年にかけてのイギリスには、それまでの格式高い大英帝国の伝統から少し違った空気が流れていた。
  そのほとんどは大西洋を隔てた大きな国、アメリカ合衆国からの影響であった。
  先ず最初は「ティーンエイジャー」という概念からやってきた。
  それまでのイギリスに存在していたのは「大人」と「子供」だけであり
  「ティーンエイジャー」などという世代を特別に考える大人など、まず見当たらなかった。

  その危うい十代を象徴するような映画が、これまたアメリカからやって来た。
  タイトルは「Blackboard Jungle」=「暴力教室」
  ニューヨークの高校に赴任したある教師が、不良行為少年が集まった暴力が支配するクラスの担任となり、必死で奮闘するも
  彼の家族までもが生徒たちの標的となり、暴力に暴力で対抗せざるを得なくなって行く。
  という、当時の荒れた学園の世代ををテーマにした社会派の作品であった。
  この映画にはストーリーや演技もさることながら、それ以上に強力なセールスポイントがあった。
  それは、Bill Haley & His Cometsによる主題歌「ロックアラウンザクロック(Rock Around The Clock)」
  全米チャートで8週連続1位の大ヒットとなったこの曲は、ロックンロール時代の幕開けを象徴する作品となり、
  映画のヒットも追い風となって、年を越した1956年の1月にはイギリスでも2週連続の1位を獲得するまでの大ヒットとなった。

  そしてさらに、イギリスでのロックンロールブームの決定打となるシンガーが、ついにデビューを果たす。
  その人物とは、アメリカ南部のメンフィスでトラックの運転手をしていた白人青年=エルビス・プレスリー(Elvis Presley)。
  当時の黒人音楽にありがちな、象徴的で少し単純すぎる歌詞であっても、このエルビスが歌うとまったく違ったキラメキを見せた。
  そのキラメキにイギリスのティーンエイジャーたちはノックアウトされた。
  当時リバプールの片隅でラジオを聴いていた少年たちも、その例外ではなかったのである。
  〜 Elvis Presley / Hound Dog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GR3i3H2nR-A  

  〜 Chuck Berry / Roll Over Beethoven  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WXQLyzeysGU
 
  (小林)
  1956年のロックンロールの大ヒットが2曲続きました。
  エルビス・プレスリーの「ハウンドドッグ(Hound Dog)」

  そして、チャック・ベリー(Chuck Berry)の「ロールオーバーベートーベン(Roll Over Beethoven)」
  もうベートーベンは墓の中にいるわけですけどw、
  「墓の中で寝返りを打ってベートーベン。大変な事がこっちの世界では起きてるんだ!。チャイコフスキーにそのニュースを伝えろ!」
  っていう。
  チャック・ベリーらしい歌詞が生きています。

  2曲お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・アメリカ映画「Blackboard Jungle」=「暴力教室」の主題歌として大西洋をまたいで大ヒットした Bill Haley & His Cometsの「Rock Around The Clock」に続き、
  イギリスでのロックンロールブームの決定打となるシンガーがデビューを果たした。
  アメリカ南部メンフィスでトラックの運転手をしていた白人青年=エルビス・プレスリー。
  彼のヒット曲の多くはアメリカの黒人音楽のカバーであり、その黒いフィーリングにイギリスのティーンエイジャーたちはノックアウトされた。
  当時リバプールでラジオを聴いていたジョン・レノンやポール・マッカートニーも、その例外ではなかった。
  イギリスでもアメリカと同じように、白人が黒人のように歌うという発想そのものが猥褻であり、してはいけない事の一つであった。
  しかしこのタブー、これこそがロックンロールの持つ不良的なパワーの裏付けとなった。
  「その昔、ジャングルのドラムなどの打楽器が先住民族を駆り立てたように、今ロックンロールは若者の心を駆り立て、暴力的で危険なものである。」
  と、学校の先生や良識ぶっている大人たちが勝手に差別的なイメージを持ち、先入観だけで毛嫌いした。
  しかしそれと同時に、アメリカで流行っている「なんとかプレスリー」なんていうものなど「長続きするわけがない」と軽く考えていた。
  彼らは皆「エルビスやロックンロールのブームなど半年で終わる。」と思っていた。

  イングランドの北西部の町リバプールで、クオリーバンクグラマースクールに通う15歳の少年ジョン・レノン。
  当然、彼らこそがエルビス・プレスリーにノックアウトされた世代である。
  親友のピート・ショットンとジョンは学校をサボると、よくリバプールの繁華街をうろついた。
  そんな時目に入ってきたのが、アメリカやロンドンで流行しているテディボーイのファッション。
  つまり、不良少年の服装であった。
  ジョンやピートを唖然とさせたそのファッション、ほとんどは船乗り連中の間で流行っていたのである。
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9q5IjOeu5g4

  〜 Gene Vincent and His Blue Caps / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nk3LoqCbAPI

  (小林)2曲続きました。  
  ビートルズがやっている、ラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のヒット曲です、Bad Boy。
  
  それから、ジーン・ビンセントと彼のブルーキャップス、Be Bop A Lula。
  これはやはり1956年のプレスリーが世界的になった年のヒット曲なんですが。
  プレスリーの裏で、こういうジーン・ビンセント、いたわけです。

  ちなみに、プレスリーはカバーしないジョン。
  プレスリー好きだったら、ほんとはプレスリーの地味な歌をカバーしたかもわかんないんだけど。
  この曲はジョンはカバーしてるからね。
□ストーリー(続き)
 ・イングランドの北西部の町リバプールで、クオリーバンク グラマースクールに通う15歳の少年ジョン・レノンと親友ピート・ショットンは、
  学校をサボるとよくリバプールの繁華街をうろついた。
  そんな時目に入って来たのが、アメリカやロンドンで流行しているテディボーイのファッション。
  つまり、不良少年の服装であった。
  そのファッションのほとんどは船乗り連中の間で流行っていたもの。
  そんな中1956年の初め、ジョンは学校の友達からアメリカのヒットチャートで1位になっているレコードを聴かされた。
  「ハートブレイクホテル」エルビス・プレスリー。
  それは耳をつんざく様な、あるいは心を直接つかまれる様な、とにかくジョンが生まれてから15年間で経験したことの無い、なんとも形容しがたい、全く新しい感覚であった。

  ジョンの育ての親であるミミ伯母さんはこう語っている。
  「それからというものは、寝ても覚めてもエルビス・プレスリー、それ一色。
  ジョンにとっての平穏な時間は無くなってしまったわ。
  しまいには、私も怒ったの。
  『ジョン!。エルビスもおおいに結構だけど、朝食に夕食にその上お茶の時間にまで聴きたい音楽じゃないわ!。少しは考えてちょうだい。』
  ってね。」

  それでもまだ、ジョンは家を出ると、まずまずいい子を装っていた。
  ミミ伯母さんの目が届く範囲では一応、伯母さんの買ってくれたブレザージャケットを着ていた。
  しかし、ミミの監視を離れ実の母親であるジュリアの家に出入りする時には、もうすでにテディボーイに成り立ての格好をするようになった。
  姉のミミに比べてると自由奔放な性格であったジョン・レノンの母ジュリアは、ジョンにカラーシャツを買い与え、制服のズボンを細くするために仕立て屋に払うお金を工面してやったのだ。
  こうしてジョンは、メンローヴ・アヴェニューのミミ伯母さんの家から出かける時はキチンとした学生らしい格好、
  そして母ジュリアの家では、テディボーイに変身するという、正に「二重生活」を始めていたのである。
  〜 Elvis Presley / Heartbreak Hotel
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PotB76gi2_4

  〜 The Beatles / Julia
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kUKRGCTHNxA

  (小林)2曲続きました。
  エルビス・プレスリーの出世作、1956年の Heartbreak Hotel。
   
  そして、ビートルズの Julia。
  これはもちろん、ジョン・レノンのお母さんに奉げた歌。
  ジョンにとっては、お母さんてのは大きな人生のテーマみたいな感じだったんですよ。

  今の話でちょっと、ビートルズの初心者の方は分からない所があると思います。
  なぜ、お母さんの所でジョンは不良で、伯母さんの所ではいい子なのかって。
  実はですね、ジョンが幼少の頃お母さん、まあもちろん結婚していて、お父さんは遠洋航海に出るような仕事だったんですよね。
  で、お父さんが、日本の昔の言葉で言うと「蒸発」しちゃって、お母さんは一人で暮らすようになって。
  まあ他の男の人と、生活が不安定なので、結局ジョンは伯母さんの家に預けられたわけですね。
  伯母さんが だけど厳しかった。
  それが、ジョンが15歳のころ、実はお母さんは、日本で言うとバス停一つか二つぐらい離れた所に住んでいるってことが分かって。
  たびたびお母さんの家に遊びに行くようになっていて。
  だけど、お母さんはちょっと自由奔放だったわけですね。
  そのことを知っておいてください。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (千葉県香取市/女性)
  昔集めていたビートルズのCDを引っぱり出して聴いていたら、中一の息子が「なにこれ?、変なの!」と冷たく言われてしまいました。
  なんだか悔しい私は、ビートルズを好きになってもらえるよう作戦を考えました。
  現在英語を習い始めたばかりなので、彼にも何とか分かる程度のやさしい歌詞の曲で好みの曲はないかしら、と。
  私の学生時代は「Let It Be」なんかを授業でやった記憶はありますが。
  まだ難しいかな、と思ったりして。
  私は当時「Please Mr.Postman」を一生懸命辞書を引きながら訳した思い出があります。
  克也さんお勧めの曲はありませんか?どうかよろしく。
  (小林)
  これはね、お勧めの曲っていうよりもね、息子さんにビートルズを聴かせるんですよ。CDあるでしょ。
  で、「お前何が一番好き?」それにしたらいいですよ。
  だから、好きな曲で攻めるんですよね。まあ、攻めるっていうかw、好きになってもらうんですね。
  さあそれじゃその昔、辞書を調べて、これは意味は結局分かりましたか?
  あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
  http://www.youtube.com/watch?v=N8BPcNUQy-0
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dmU07H460so

  (習志野市/匿名)
  私は高2でビートルズ世代ではまったくありませんが。
  ほんとうにクールでロックな彼らの世界に虜(とりこ)です。
  私とビートルズの出会いは、YouTubeでスティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の曲を聴いていて、
  関連動画でスティービーとポール・マッカートニーが歌う「Ebony And Ivory」を聴いていてw、
  そこからさらに関連動画のビートルズを見て行った、という
                        (小林)いやあ、時間がかかりましたねえ。回り道ですね。
  でも知ってる曲ばかりで、「Across the Universe」なんかはCMでお馴染み、「Let It Be」はもちろん知っていました。
  知らない曲で初めて衝撃を受けたのが「Don't Let Me Down」
  ジョンのウネウネするような歌い方を見た時の鳥肌は、忘れられません。
  どうしてその時代に生まれていなかったのか、ほんとうに惜しいです。
  (小林)
  匿名希望ですね、残念だねえ。名前知りたかったのにね。
  はい、どうもありがとうございます。  
  (神奈川県南足柄市/男性)
  ママスアンドパパス(The Mamas & The Papas)のファーストアルバムから「I Call Your Name」リクエストよろしくお願いします。
  ビートルズのカバーでも最も素晴らしい出来だと思います。
  グループのリーダーだったジョン・フィリップ(John Philip)主催の67年のモンタレーポップフェスティバルでも
  フー(The Who)やジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)とともに出演していたママスアンドパパスはこの曲もライブ披露していました。
  (小林)
  じゃあその I Call Your Name。

  〜 The Mamas & the Papas / I Call Your Name
  ttp://www.youtube.com/watch?v=X_WlLYBfL-k
  〜 松任谷由美&プロコル・ハルム / A Whiter Shade Of Pale(青い影)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oUWY67tBl34

  (小林)これは途中ですが、
  ユーミンがプロコル・ハルム(Procol Harum)といっしょに、プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)とやっているやつにリクエストが来ています。
  (江東区/女性)
  ビートルズの歴史、「カレンダー」から聴いています。
  ユーミンの「青い影」お願いします。
  アビーロードスタジオで録音したそうですね。あそこにスタジオはあるんでしょうか?。
  (小林)
  なんか、売りに出てるのを誰かが買ったんだと思いますけどね。
  実はこのプロコル・ハルムの音楽は、ユーミンが中学時代に聴いて音楽を志すきっかけとなったような曲。
  まあ、彼女の原点のひとつで。今年の秋にロンドンに行って一緒に録音をしました。
  というわけで、なんかね、一緒にやっているw。
  ジョン・レノンが「1967年の歌で、一番良い!」って言ったのはこれで、いつも聴いていたらしいですからね。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  リクエストも、幅広いリクエスト、ほんとにありがとう。
  
  お話しの方は、1950年代、ロックが生まれた時代ですよ。
  その頃、ジョン・レノンが15歳ぐらい、ポール・マッカートニーが13歳ぐらいですよね。
  その頃影響を受けた頃のこと、音楽なんかを交えて話しを聴いていただいてます。
  ちょうど、ジョン・レノンが15の時、さっきもお母さんの話しをしましたが。
  ジョン・レノンはやっぱり、お母さんっていうのが、なんかずーっと亡くなるまで、ね。
  だからオノ・ヨーコにもお母さんを求めたのかもわからないし、
  それから曲でも、「マザー(Mother)」とか聴いたことあります?
  あれは、お母さんばっかりじゃなくて、お母さんへも「帰って来い」とか、お父さんへも「なんで捨てたんだ!」みたいな。
  そういう叫びの歌があるんですけども、今日は「ジュリア」っていうテーマ。
  そうやって、私生活のこともちょっと知っておくとですね、やっぱり音楽の響きってものが違ってくるので。
  この番組でもそういったことをお伝えしますのでね、なるべく聴いてくださいよ。
  
  リクエストも下さい。
  リクエスト下さるとイシイの〜(略)
  よろしくお願いします。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年12月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月9日)
 ・1995年(今から17年前の今日)
  ビートルズの「アンソロジー1」のアルバムが、いきなりビルボードチャートで1位に輝きました。
  これは実はすごいことだったんですよ。
  ちなみにこの年の年末、年末商戦の目玉、「ウィンドウズ95」、それからこのビートルズの「アンソロジー1」
  で、この「アンソロジー1」は今まで聴いたことが無いような、ビートルズの発表されなかった・・・。
  まあ同じ曲が発表されても、テイクなになにとかね、違うところで録ったやつとか、そいういふうな珍しいやつがあったんで。
  その中に一つ、燦然と輝いていたのが、ビートルズの再結成。
  17年経って、いや17年じゃないかwちがうか、えーと、もう20何年経ってねw。
  ジョン・レノンが亡くなりましたが、その時オノ・ヨーコから「ジョンがカセットテープを残してる」と
  ピアノの弾き語りのデモテープが3人に渡されました。
  そして、ポールとジョージとリンゴ、それから彼らの友達、プロデューサー、ELOのジェフ・リン(Jeff Lynne)がプロデュースを担当して、あの曲が出たわけです。
  これはビックリしましたよ。これが入っていたおかげで、アルバムチャートで1位になったと思われますが。

  そのほか重要な役目を果たしていたのが、
  1995年になるとね、アメリカのラジオではね、
  もう「70年代以降の曲は懐メロとしてかけてもいけど、もう60年代はかけるのよそう」ってことで
  つまりビートルズですよね、ビートルズがかからなくなっていたんです。
  それが、アメリカのラジオでかかるようになって。
  やっぱり「昔の曲はいいんだ!」っていうことが分かったわけですよね。
  つまりこれは、一種の革命ですよね。人間の時差の感覚のね。
  そういう風なお釣りもありました。
  さあそれでは、
  ポールはジョージのスライドギターを聴いてね、
  「これはもう、あの頃のジョージじゃないなあ、と思った」って言うぐらい。
  ビートルズは実はそれぞれが成長してたっていうことも考えられますが。
  1995年 今から17年前に実現したビートルズの再結成。曲名は Free As A Bird。  

  〜 The Beatles / Free As A Bird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=UqHjXF1gUWU

  (小林)というわけで、この曲はね、やっぱりありがたかったでしょ?。
  ビートルズが解散して25年。ジョンが暗殺後15年。
  ビートルズが音楽の上で再結成を果たしたわけですよ。
   Free As A Bird 。
□ストーリー
 ・「“ハートブレイクホテル”をラジオで聴いてからというもの、寝ても覚めてもエルビス・プレスリー、それ一色。
  ジョンにとっての平穏な時間なくなってしまったわ。
  しまいには私も怒ったの、
  『ジョン! エルビスも大いに結構だけど、
  朝食に夕食にその上お茶の時間にまで聴きたい音楽じゃないわ。少しは考えてちょうだい!』
  ってね」

  これはジョン・レノンの育ての親であるミミ伯母さんの証言。
  当時15歳の少年にとって、エルビス・プレスリーとの遭遇はあまりに強烈な衝撃であった。
  この瞬間からジョンは、生きる基準がロックンロールそのものになり、ファッションもそれらしくテディボーイ風に変わって行った。
  当時そういう格好をすることが一般社会に真っ向から反発することであったが、実はそれ以上にロックンロールを聴くこと自体、簡単なことではなかった。
  当時のイギリスの何千人という若者がしていたと同じように、ジョンも夜遅くにベッドにもぐり込んでラジオを聴いた。
  国営放送のBBCはロックンロールを流さなかったので、唯一の音源は外国放送のラジオ・ルクセンブルグだった。
  ドーバー海峡を隔てた大陸からの電波も、イギリスでは夜8時からなら聴くことができ。
  エルビスのヒットレコードは雑音混じりに、途切れ途切れに聴こえてきた。
  毎晩同じ時間に聴いていると、エルビスだけではなく、それに続いて初めて聴くシンガーの名前や、そのヒット曲のタイトルも増え、
  ジョンはますますロックンロールにのめり込んで行った。
  ビル・ヘイリー(Bill Haley)、チャック・ベリー(Chuck Berry)、リトル・リチャード(Little Richard)、
  それらはあまり安定してくれない電波状況の中で、聴こえたかと思うと またすぐに消えていく。その繰り返しであった。
  こんな状態であるから、タイトルが分かってもサウンドまではなかなか把握できない。
  それでもその魔法の音楽の全貌を知りたいと、ジョンは毎晩毎晩ラジオを抱きしめながら ロックンロールの迷宮にはまり込んで行くのであった。
  〜 Little Richard / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GsJVT8Jr_pM

  〜 The Beatles / Rip It Up- Shake, Rattle and Roll- Blue Suede Shoes
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HeRSOvNimhM
 
  (小林)いや、あははw、けっこうリラックスしたw スタジオの模様が伝わってきます。
  これはアップルスタジオ、1969年1月26日、この模様は「アンソロジー3」に入っていました。
  Rip It Up- Shake, Rattle and Roll という有名な曲、それから Blese way shoes という有名な曲。
  ビリー・プレストン(Billy Preston)なんかも入っていました。
  
  その前は、リトル・リチャードのこれはオリジナルです。
  Long Tall Sally。
□ストーリー(続き)
 ・1956年のイギリスでは、ロックンロールは「してはいけない事」の一つであった。
  国営放送のBBCは、もちろんロックンロールを流さなかったので、唯一の音源は外国放送のラジオ・ルクセンブルグ。
  ドーバー海峡を隔てた大陸からの電波も、イギリスでは夜8時からなら何とか聴くことができた。
  毎晩同じ時間に聴いていると、一番人気のエルビスだけではなく、それに続いて初めて聞くシンガーの名前やそのヒット曲のタイトルも増え、
  当時15歳のジョン・レノンは、ますますロックンロールにのめり込んで行った。

  そんなある日の夜遅く、ラジオから新たなメッセージが届けられた。
  イギリスで人気の高かったトロンボーン奏者でバンドマスターのクリス・バーバー(Chris Barber)、
  ジャズバンドにいたバンジョー奏者が自分のグループを結成し、「ロック・アイランド・ライン(Rock Island Line)」というフォークソングをレコーディングしたというのである。
  この曲は、ジャズファンにはすでに「スキッフル」と呼ばれるジャンルのものとして知られており、元々は貧しいアメリカ南部から生まれたスタイルであった。
  ルイジアナ、ミシシッピー、アーカンソーといった南部の地域の住民たちは「レントパーティ」つまり「家賃を稼ぐために自宅で行うパーティ」を開いた。
  彼らはおもちゃの笛であるカズーやブリキ缶や洗濯に使うタライを使って自分たちでこしらえた楽器を演奏したのである。
   
  そうした文化を背景に持つスキッフルのシンガー=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)は、ブルースを思わせる胸を突くような切ない声でリズムに乗せて歌った。
  主なリズムセクションは、どこの家にでもある洗濯板で、これを指ぬきを嵌めて叩いたりこすったりするといった、一種のパーカッションであった。
  こうして「ロック・アイランド・ライン」はイギリスを熱狂に巻き込んでいった。
  その人気の理由の一つには、スキッフルバンドなら誰でもすぐに結成できる、ということが上げられる。
  この時15歳のジョン・レノンも同じ事を考えていた。
  〜 Lonnie Donegan / Rock Island Line
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K_aIQ1_sAVg

  〜 Carl Perkins / Blue suede shoes
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_znXjz8K99U

  (小林)有名な Blue suede shoes、1956年。
  プレスリーが有名にした曲ですが、オリジナルはこのカール・パーキンス。
  ビートルズも大好きだった。
  お金もちになって、わざわざカール・パーキンスをアメリカから呼ぶんですよね。
  
  それから、同じ年、これはイギリスでもアメリカでも売れましたが、
  特にスキッフルバンド、ジョン・レノンがそれを作ることになります。スキッフルバンドをね。
  ロニー・ドネガンの Rock Island Line。
□ストーリー(続き)
 ・バンジョーやギターをかき鳴らしながら歌うスキッフルのシンガー=ロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」は
  イギリスで最高位8位のヒットとなった。
  アメリカ南部の文化を背景に持つロニー・ドネガンは、ブルースを思わせる胸を突くような切ない声でリズムに乗せて歌った。
  そしてイギリス国民の注意を引いたポイントは、主なリズムセクションは、どこの家にでもある洗濯板である、ということ。

  「スキッフルバンドなら誰でもすぐに結成できる」、当時15歳のジョン・レノンも多くの若者と同じくそう考えた。
  そしてある日、ジョンは親代わりであるミミ伯母さんに「ギターが欲しい」そうせがんだ。
  そして一緒に暮らしていない母親のジュリアが訪ねてくるたびに「お金が欲しいんだけど」とせがみ、
  時には「貸してくれるだけでいいんだけど」とまで交渉するようになった。
  ジュリアは少しだけではあるが、バンジョーが弾けた。
  船乗りになって陸(おか)にはめったに戻ってこない失踪同然の夫、つまりジョンの父親であるフレッドがジュリアに教えていたのである。
  ジョンのこのおねだり攻撃についに折れてしまったのは、母親のジュリアではなく、意外にも伯母のミミであった。
  ある土曜日の朝、ミミは外出用のコートを着て、財布の中身を確認すると突然ジョンに向かってこう言った。
  「ジョン!すぐに出かけるから、一緒に来てちょうだい。髪なんかボサボサでいいから!とにかく早くして」
  ジョンはすぐに仕度をすると、ミミに付いて街まで出かけた。
  リバプールの繁華街ホワイトチャペルにある店の名は「ヘッシーズ」
  ギターを豊富に取り揃えているこの店のオーナー=フランク・ヘッシーは、定期的に自分の運転するバンでロンドンに行き、
  ソーホーのマーケットで買い込めるだけ買い込んでリバプールの店にギターを並べた。
  ジョンにとってそこは、まるで夢の世界であったことは言うまでもない。
  〜 The Beatles / Help!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iUpb3BMu1zs

  〜 Bob Dylan / Like A Rolling Stone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cLiLSRKms30
 
  (小林)ボブ・ディランの Like A Rolling Stoneが流れています。
  これは1965年の夏のヒット曲なんだけども、アメリカのチャートだけ見ると、アメリカでは2位で終わっています。
  1位になれなかったのは、一つ年上のジョン・レノンがいたからです。

  ジョン・レノンのさっきかけた「Help!」、これは1位になって、このおかげでボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」は2位です。
  ボブ・ディランは、もう71(歳)かな。最新アルバム出してね、このアルバムが今年の最新アルバムチャート1位になってますからね。
319ホワイトアルバムさん:2012/12/15(土) 03:55:09.35 ID:???0
小林克也って容姿がずっと変わらないイメージを勝手に抱いていたけど
かなりヨボヨボになってきたよなー…
320ホワイトアルバムさん:2012/12/15(土) 15:56:51.73 ID:???0
>>319
御歳71歳にしてはがんばってるでしょw
321ホワイトアルバムさん:2012/12/15(土) 17:19:50.80 ID:???0
僕の学校の先生に似過ぎです
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用されるとイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (船橋市/男性)中学3年
  僕がビートルズを好きになったのは、小学生の頃。
  テレビでビートルズがアメリカに上陸した時のドキュメンタリー番組をやっていて、
  その時に「All My Loving」や「I Want To Hold Your Hand」を聴いて感動しました。
  リクエストは「All My Loving」にしようと思ったんですが、最近流れていたので「Please Please Me」をお願いします。
  (小林)
  あれだね、きっとまだアルバムを聴く体験ってあんまり無いと思います。
  最近は、シングルとかねダウンロードで買えたりするんで、アルバムを聴かなくなっていますけど、
  お金を貯めたら、どのアルバムでもいいから一枚ゲットして聴くとねえ、また違う感動を味わうことになるよぉ。
  それじゃ、あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / Please Please Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bPOGVBYI4OY
  〜 Jimi Hendrix / Day Tripper(BBC Radio Session)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qGRw2Tcw5ow

  (小林)へへw、
  ジミ・ヘンドリックスのBBC Radio1のライブから Day Tripperをお送りしました。
  (横浜市/男性)
  こんばんは克也さん。僕は1967年生まれなんですが。
                          (小林)やったねえw。
  高校の頃MTVの放送が始まり、克也さんの「ベストヒットUSA」はもちろん、たくさんの洋楽番組をほとんど全部見ていました。
  本当に洋楽が熱い時代でしたね。
  その後大学に受かって東京に上京し、バンド活動も始めました。
  初めのころは やはり「ビートルズから始まる」ってな感じで、彼らの曲をいっぱいカバーしました。
  しかし僕のポリシーで「コピーは絶対やらない」ていうのがありまして、好き勝手に演奏していたのが今となっては恥ずかしい限りです。
                          (小林)いやあ、それがいいんじゃないでしょうか。
  ある時は音楽雑誌で「ビートルズをやりたい」という人たちを発見して、いっしょにスタジオに入ることになりました。
  スタジオに行ってみると、マッシュルームカットのポール風のお兄さんと、長髪丸メガネのジョンなお兄さん二人がいました。
  その時「I Saw Her Standing There」や「Money」をやったんですが、僕はなんとマーシャルアンプで思いっきりジミ・ヘンドリックスのようにギターを弾いてしまいました。
  当然の結果ですが、その後連絡が来ることはありませんでした。
  今でも、あのお二人さんには申し訳けなかった、と思っています。
  (小林)
  まあ、ビートルズのコピーっていうことは、実は“最もビートルズらしくない”ことだからねえ。
  ビートルズらしいことを、あなたはやったんじゃないでしょうかねえ。
  (所沢市/男性)
  今年は10月5日でビートルズが誕生して早50年となりました。
  小学校6年からビートルズにはまり、高校2年からは「いかに良いサウンドで聴こうか」とオーディオの泥沼に足を踏み入れてしまいました。
  使ったお金は、記憶にあるだけでもう、ん百万になったと思います。
  おかげで今でも時折ビートルズをアナログで楽しんでおります。当時の温もりがよみがえる思いです。
  元気なうちに、もう一度ポールの来日を祈っております。
  さて私もあと2年でこの思いになるのでしょうか? When I'm Sixty Four、64歳。
  この番組を聴き始めてもう7年になります。克也さん、張りのある声で末永くDJを。
  年齢61歳、ビートルズの愛人歴49歳。
  (小林)そうですかwww。
  これはぜいたくですよね。ん百万でしょ?。そういうあれでビートルズのアナログを聴いてるんでしょ。
  こんどはまた、リマスターでビートルズの塩化ビニールのLPが出るんですけどね。
  どうしますかね。あなたね。
  リクエスト行きます。

  〜 The Beatles / When I'm Sixty Four
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Wwkd2YFX_S0
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (流山市/男性)
  僕は今 中学1年です。
  ビートルズが好きになったのは小学4年のときに、おじちゃんの家の近くのライブハウスに(行って)
                                  (小林)いい環境ですねえ。おじさんでしょ。
  東大生のビートルズ部のライブを見て、
                                  (小林)ビートルズ部ってのがあるんだ。
  ビートルズの虜(とりこ)になりました。
  ビートルズの一番好きな曲「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」をお願いします。
  (小林)
  リクエストに応えましたよ。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  50年代の空気を分かっていただこうと、
  ジョン・レノンとかポール・マッカートニーが中学生高校生のころです。
  この頃の音楽ってほんとうに面白いんですよ。
  だけどまあビートルズが中心になるから、どうしても60年ぽくなるんですけど。
  50年ぽい世界っていうのも、なかなか良いんですよ、ほんとはね。
  
  リクエストよろしくお願いします。
  採用の方にはイシイの・・・(略)
  
  メールは [email protected] 
327ホワイトアルバムさん:2012/12/15(土) 23:53:51.55 ID:???0
東大のビートルズ行ったわ
東京アビーロードだっけか
328ホワイトアルバムさん:2012/12/16(日) 14:32:57.64 ID:???0
いつも乙!!
329ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2012/12/19(水) 13:08:13.45 ID:Gfbg0TNl0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年12月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月16日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョン・レノンとオノ・ヨーコはカナダのトロントに「ピースフェスティバル」に参加するために行っています。
  滞在するのはロニー・ホーキンズ(Ronnie Hawkins)の牧場付きのでっかい所に滞在します。
  トロントの郊外にある家なんですけれども。
  ロニー・ホーキンズという人は60年代後半はとても人気のあったロッカーで、バンドが「ザ・バンド(The Band)」
  その当時は「ホークス(The Hawks)」と言ったんですけれども。
  ロニー・ホーキンズのバックバンドとして「ザ・バンド」ていうのは始まったわけですね。
  でも、ジョン・レノンと親しくて彼の家に泊まるわけですが。
  これはですね、実はあとで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが国際電話でインタビューを受けまくって、電話代を払わないで帰国したっていう。
  これ、電話代、当時は国際電話ってメチャクチャ高かったんで、おそらく何十万って行ったんじゃ、何十万とか百万とか超えたんじゃないかと思いますけど。
  これで揉めたっていう話もあります。
  それから同じ日、「戦争は終わった」「War Is Over」これはジョン・レノンとオノ・ヨーコの作った有名なコピーです。
  「もう戦争は終わり」っていう、このコピーを付けた看板が、でっかい看板が世界の11の都市でお目見えした。
  ニューヨーク、ロサンゼルス、トロント、ローマ、アテネ、アムステルダム、ベルリン、パリ、ロンドン、東京、香港、そしてヘルシンキ。
  これはすごいことですよ、お金を払ってるわけですよね。
  で、「ビートルズから始まる」だけども、ビートルズが始めたのは“宣伝の上手さ”なんですよね。
  だけど、これはオノ・ヨーコが加わることによって、もっと戦略的なムーヴメントを起こしたりする事が得意なグループとしてもお馴染みになるわけですが。
  オノ・ヨーコは2001年911のテロの後も「イマジン・ピース(Imagine Peace)」の無名広告を、1面を買ってですね、
  そして「イマジン・ピース」ていう「平和を想像してごらん」ていう、こういうメッセージ広告をやったりするわけです。
  1960年代の終わり「War Is Over」、ジョンとヨーコが作った名コピーですが、このコピーはこの曲にも使われているんですよ。
  カッコして(War Is Over)ですからね。この曲です。

  〜 John Lennon / Happy Xmas (War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S84RLgnz7Rs 

  (小林)
  ねえ、この曲は、今の時期に聴くと本当に心に来るよね。
  クリスマスを祝わない国だってあるわけです、世界的にはね。
  だけど、年末年始ってのは今までを振り返って未来のことを思う時に、やっぱりこういう風な歌は必要でしょう。
  で「メリークリスマス」「ハッピークリスマス」「ウォーイズオーバー」「戦争は終わり!」っていう風に歌われています。
□ストーリー
 ・「ジョン!すぐ出かけるから、いっしょに来てちょうだい。
  もう、髪なんかどうでもいいわよ!。ボサボサでいいから、とにかく早くして!。」
  これはジョン・レノンの育ての親である伯母ミミの言葉。
  1956年ジョンが16歳になる年のある日のことであった。
  この時ミミがジョンを街に連れ出す目的は、楽器屋に行ってジョンにギターを買ってあげること。
  この年の初めにラジオでエルビス・プレスリーの「ハートブレイクホテル」を聴いて以来、ジョンの興味はロックンロールとギター、ただそれだけになってしまった。
  もちろん当時のギターは、たとえそれが安物であったとしても高校生の小遣いの範囲内で買える物ではない。
  こうなると、もうしょうがない。ジョンはミミ伯母さんにねだり続けた。
  厳しい伯母さんが、まさか買ってくれるとは思ってもいなかったジョンであったが、
  買ってくれるとなった今はもう、鬼の首でも獲ったも同然、すぐに仕度をするとジョンはミミ伯母さんに付いて街まで出かけた。
   
  リバプールの繁華街ホワイトチャペルにある店の名は「ヘッシーズ」。
  ギターを豊富に取り揃えている店のオーナー=フランク・ヘッシーは、定期的に自分の運転するバンでロンドンに行き、
  ソーホーのマーケットで買い込めるだけ買い込んで、リバプールの店にギターを並べた。
  ジョンにとって、そこはまるで夢の世界。
  ここの店長であるジム・グレッティはウェスタンスタイルのギタリストであり、
  毎週店の二階で初心者向けのギター教室を開き、壁にチョークで初歩的なコードの押さえ方を書いて教えていた。
  この日ジョンとミミにギターを売ったのもこのジム。
  ジョンが買って欲しいと言ったギターは、スチール弦が張ってあるスパニッシュモデル。
  これを見てミミ伯母さんが叫んだ。
  「ええっ!こんなギターが17ポンドもするなんて。一ケタ間違ってるんじゃないの?」
  〜 The Beatles / Ain't She Sweet
  ttps://www.youtube.com/watch?v=e1FSRMfNtLU 

  〜 Del Shannon / Runaway
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DLLNifSKnqc
 
  (小林)2曲続きましたよ。
  これは Runawayというのは1961年、イギリスでもアメリカでもナンバーワンなんですけども。
  その前に Ain't She Sweet。ビートルズの、これはハンブルグでの録音ですが。
  これを録音したのが、ちょうど今かかった Runawayがイギリスで1位だった頃であります。
  ビートルズがハンブルグで録音していた。
  この模様は「アンソロジー1」(?)1990年代になって発売された、ビートルズのアンソロジーに入っております。
□ストーリー(続き)
 ・「ええっ!こんなギターが17ポンドもするなんて。一ケタ間違ってるんじゃないの?」
  こう叫んだのは、ジョン・レノンの育ての親であるミミ伯母さん。
  ジョンが買って欲しいと言ったギターは、スチール弦が張ってある小型のスパニッシュモデルで「絶対に割れません」というラベルがぶら下がっていた。
  「こんなチンケなギターが17ポンドだなんて。制服のブレザーでさえも12ポンドよ。世の中間違ってるわ!。」
  そうは言っても、妹の子でありながら実の息子のように可愛がっているジョンの願いである、
  この時ばかりはミミの財布のひもも緩くなった。
  ギターは買うことにした。
  この瞬間からジョンはある意味「道を外した」とも言えるし、あるいは「進むべき道に進むことになった」と言うべきかもしれない。

  ジョンの友人のナイジェル・ウォーリーが語るには、こうである。
  「それまで悪ガキ仲間だったジョンが、部屋に引きこもって出てこなくなったんだよ。
  時間も忘れてギターの練習をしてた、って言うんだよ。
  張りの強いスチール弦のせいで、指先が割れて痛むのも我慢して、ただひたすらにギターのコードを押さえる練習をしてたんだね。
  ジョンに訊いたところによると、最初は母親のジュリアから簡単に憶えられるバンジョーのコードを教わって、それを練習したそうなんだ。
  おれもジョンがそうやって、コードを弾くのを横で見てたけど。
  ギターを鳴らしながら、頭に浮かんだことを支離滅裂にまるで呪文でも唱えるみたいに歌ってるんだよ。
  10分も経たないうちに、曲が出来上がってしまうんだ。
  もしかして、こいつはものすごい才能を持ってるんじゃないか?、って思ったね。
  それから10年も経った時は、やつは世界有数のソングライターになってたわけだから、俺の見る目もまんざらでもなかったってことかな。
  自分で言うのも、ちょっと照れくさいけど。」
  〜 The Beatles / Lucy in The Sky With Diamonds
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s

  〜 Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA

  (小林)というわけでw 2曲続きましたねえw。サイケデリックですよねw。
  サイケデリックっていう言葉もこの時代の感じなんですが。
  1967年のビートルズのあの「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」のアルバムに入っている Lucy in The Sky With Diamonds ですね。

  で、このアルバムが出た頃の、シングルのイギリスでのナンバーワンていうのが、プロコルハルムの A Whiter Shade Of Pale、青い影、という。
  ジョン・レノンがとても気に入って「これはもう、最高の歌だねえ」っていうことで、
  しょっちゅうこの曲を聴いていた、という話しもあります。
□ストーリー(続き)
 ・「ギターを鳴らしながら、頭に浮かんだことを支離滅裂にまるで呪文でも唱えてるみたいに歌ってると、
  10分も経たないうちに、曲が出来てしまうんだな。
  もしかして、こいつはものすごい才能を持ってるんじゃないか?、って思ったね。
  それが、ジョン・レノンって男だよ。まだ、高校生だったけどね。」
  こう証言するのは、リバプール時代の友人ナイジェル・ウォーリー。

  ナイジェルはさらにこう続けた。
  「最初はまだ良かったんだよ。ジョンのギターの練習も作曲の練習も順調だった。
  ただ、あの勝手気ままで傍若無人なジョンのこと、しだいに熱が入って来ると、強烈に足を踏み鳴らし始めるんだ。
  まるでブルースマンみたいにね。
  ジョンの部屋は2階だったから、下のリビングルームを直撃するわけで、そのたびにミミ伯母さんから強烈なカミナリが落ちて来るんだよ。」
  こういう時は、いつもだいたいジョンが外につまみ出された。
  するとジョンはアールヌーボー調のステンドグラスに囲まれた小さな前庭に出て行く。

  そんな時の様子を、こんどはミミ伯母さんが語っている。
  「家から追い出されたジョンは、いつまでも庭の壁に寄りかかっていたので、レンガが少しすり減ってきたみたいだったわ。
  あの子はとにかく負けん気が強くて、絶対に自分から『ごめんなさい』なんて言うタイプじゃなかったのね。
  だから、ある日私は言ってやったわ。
  『ロックンロールだってスキッフルだって立派な音楽なんだから、それをやめてとは言わないけど、ジョン!
  あなたはそればっかりやってても、将来どうやって食べていくの?。いいかげん気が付いてちょうだい!』」
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (流山市/女性)
  今 中学校の英語の授業で歌っている歌で、ベイシティローラーズの「サタデイナイト」をお願いします。
  (小林)
  これは、お母さんだとかそれより上の世代がね、大騒ぎした。もう、ビートルズの再来とばかり、キャーっていう。
  日本にはもちろん来て、すっごい人気だったんですが。
  コンサートだと必ずね、必ずじゃないですけどw、失禁する女性たちが多かったていう。
  もともとエジンバラのグループなんですけど、日本とイギリスでヒット。
  アメリカではね、この曲が唯一のナンバーワンです。

  〜 Bay City Rollers / Saturday Night!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dBn2ux5vRHk

  〜 The Beatles / Thank You Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3_i1Qb2qRMM

  (小林)
  これはもう50年代ぽい香りがする、ジョン・レノンの傑作ですが。
  (佐倉市/男性)
  ビートルズの歌で初めて聴いた曲は、私の場合「抱きしめたい」。
  最後に聴いたのは何だろう、と思い出してみると「サンキューガール」が最後になったような気がします。
  (小林)
  というわけで、あなたのリクエスト、Thank You Girl、 珍しい曲がかかりましたね。
  (三浦市/男性)
  ビリー・ジョエルはビートルズを敬愛しております。
  (小林)
  僕は、80年代に入ってね、ニューヨークで電話に桑田佳祐がいて、ビリー・ジョエルとビートルズのことを訊いた時に
  「おれは、子供の頃はいつも5番目のビートルズだと思った」ていうような事を答えていました。
  そしてビリージョエルはビートルズを敬愛する印のようなものを、「ナイロンカーテン(The Nylon Curtain)」ですよね。
  売れなかったアルバムですけど。
  これは彼が「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」を目指して作った。
  その中の一曲を(この方が)リクエストしています。暗い曲です。
  もう工場なんか無くなってしまった。寂しいアレンタウンの歌です。
  
  〜 Billy Joel / Allentown
  ttp://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=N4qzwmeXNQA

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-7ICzQn_AHc

  (千葉市/男性)17歳

  (小林)高校生ということかな。
  名前が最近・・・本名とかね歳とか。まあ個人情報にあれだから、あんまり僕も言いたくないんですけど。
  変なラジオネームがあるとね、場が乱れたりするんですよね。
  そうすると、本名があって「ああ、こういう、この人は音楽体験をしたんだな」っていう交流ができなくなるんですが。
  どうもリクエストありがとうございました。
  「リクエストだけですが」って書いてある。
  なんかこう、ひと言とかふた言ね、なんかヒントを下さいよ。あなたはどんな人か
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか。
  
  ジョン・レノンが、初めてスパニッシュギターを買ってもらうっていう話しは、なかなか面白いですよね。
  聴いてて、やっぱり、おれの場合はどうだった、楽器買ってもらえなかったとか、それぞれ個人的なことを思ってらっしゃる、と思いますけど。
  僕もあの時は、箒(ほうき)で我慢しましたからねw。高かったからね。
  ジョン・レノンが道を外したのか、いい道に進んできたのか。考えちゃいましたね。
  
  リクエスト よろしくお願いします。
  イシイの(略)
  
  [email protected]
  こっちで待っています。
>>335 の次です。

  〜 John Lennon / Ain't That A Shame
  ttp://www.youtube.com/watch?v=itJrlWgX4AQ

  〜 Elton John / Whole Lotta Shakin' Goin' On
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WWN0TVNqQps

  (小林)2曲続きました。いずれも実はカバーなんですよ。
  これはね 1975年のあのジョン・レノンの「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」のアルバムから Ain't That A Shame。
  これをお送りしましたが、実はこれは1950年代に大活躍、今でも長生きしてて、そしてライブをやっているという
  ファッツ・ドミノ(Fats Domino)という、かなり影響の強かったロックンローラーがいるんですけれども
  彼の曲をジョン・レノンがカバーしたわけですね。「ロックンロール」のアルバムでね Ain't That A Shame。
  
  それから、エルトン・ジョンがさっきの Whole Lotta Shakin' Goin' Onていう曲なんですが、
  エルトン・ジョンがカバーしたのは、メンフィスに「サンレコード(Sun Records)」というのがあって、
  ここからプレスリーだとかジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)だとか有名なロックンローラーが育った所なんですが。
  そのサンレコードのジェリー・リー・ルイス。
  この人はピアノを弾きながらロックンロールをやる人で、
  指ばっかりじゃなくて肘(ひじ)を使ったり
  あのw 靴を履いた足で鍵盤を蹴ったりとかw、そういうことをやった人ですが。
  それをエルトン・ジョンがカバーしていました。
  エルトン・ジョンもジェリー・リー・ルイスのマネして、そんな弾き方を時々したりする人ですけども。
  エルトン・ジョンの Whole Lotta Shakin' Goin' On。
  2曲とも これは貴重なカバーです。
340ホワイトアルバムさん:2012/12/26(水) 17:39:50.15 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年12月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月23日)
  いちおう言っとく、メリークリスマス!w

 ・1962年(今から50年前の今日)
  ビートルズは、クリスマスシーズンだけど、ドイツのハンブルグでライブ漬けの毎日です。
  すでにこの年の10月に彼らのデビューシングル「Love Me Do」これを発売していて、イギリスのチャートでは最高位17位。
  これは一説によると、エプスタインが、マネージャーがレコード店持ってる。
  どうせレコードを自分の店で売るっていう事も兼ねて「数千枚を買った」。
  だから、売り上げがチャートに響くわけですから、チャートで上昇させるために数千枚買った、という。
  これはおそらく半分本当だったと思いますけどねえw。
  でも、その時点で「Please Please Me」の方は録音済みです。
  ビートルズがこのスタークラブから帰ってくると、発売されてて、これがチャートを上昇しているという。
  ビートルズはレコードを出したいという夢があって、レコードを出す夢は叶っていて、相当自信がついている頃ですよ。ビートルズは。
  最初ハンブルグに行った時は、機材車ごとカーフェリーでドイツへ行くわけですけど。
  回を重ねるごとに、これは5回目、最終回になるんですよね、ドイツのハンブルグへ出かけるのも。
  だから、出る店も、泊まる場所も、ギャラも、相当上がります。
  スタークラブはかなりグレードの高い店だった、と言われています。
  でも、ビートルズが出ると、何時間もライブをやるわけですね。仕事は厳しかった。
  出演は年明けまで続きます。
  で、このハンブルグ5回目のライブだったわけですけれども、奇跡的にですね、スタークラブでの録音は残っていますね。
  次のシングルのB面になる曲もライブで披露されています。
  じゃあ、それを聴きますか。スタークラブでのライブを。
  
  〜 The Beatles / Ask Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gC7VjkI9SoE 

  (小林)1962年、今から50年前の今ごろ、おそらく今ごろ、50年前ですよ。
  ビートルズがまだ売れる寸前、その頃の録音です。
  音が悪いけど、リアルでしょう。w
□ストーリー
 ・「ロックンロールだってスキッフルだって立派な音楽なんだから、それをやめてとは言わないけど、ジョン。
  あなた、そればっかりやっていて将来どうやって食べていくの?
  もういいかげん気が付いてちょうだい。」
  これはジョン・レノンの育ての親である伯母のミミの言葉。
  
  ジョンが買ってもらったばかりのギターの練習をやめようとしないのである。
  育児放棄をした実の母親ジュリアに代わって、ジョンのことをまるで我が子のように育ててきたミミであったが、
  高校生になったジョンの行く末がいよいよ心配にになった。
  聞く音楽とファッションが、それまでのイギリスの若者のものとはまるで違っていた。

  このロックンロールというアメリカからやって来た新しい音楽と、テディボーイ風のファッションが世の大人たちを不安にさせた。
  それまでのイギリスに有った概念では、人間社会に存在するのは「大人と子供」だけ。  
  これがロックンロールの台頭とともに、そこに十代の若年層、つまり「ティーンエイジャー」が加わった。
  もちろんティーンエイジャーはまだ大人ではない、物事の良し悪しもはっきり分からなければ、生活能力もない。
  ただ16〜7歳ともなれば、男女とも体格的には大人とほぼ同じ、
  それに男の子に至ってはその性欲、つまりセックスへの要求が一生のうちでもピークだと言われる年頃である。
  これが厄介(やっかい)である。
  もともとロックンロールという言葉の語源は、アメリカの黒人社会の中でのスラングから来ていると言われており、
  それは男女の楽しい行為を表わすもの。
  イギリスの、それも首都ロンドンから数百キロも離れた北の街リバプール。
  ここで後にあのビートルズの中心メンバーとして、何億人というティーンエイジャーを熱狂させることになるジョン・レノン。
  まだ16歳になろうとしているジョンの将来を決定づけたもの、それがロックンロールであったことは紛(まぎ)れもない事実である。
  〜 John lennon / Slip Sliding
  ttp://www.dailymotion.com/video/x1vsa9_john-lennon-slip-sliding_music
  
  〜 Paul McCartney / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iyw4PLhQBIo
 
  (小林)というわけでね、50年代、ポールもジョンもやっぱり中学生高校生。
  もうだから、こういった音楽でモロに影響受けてるわけですが。
  それを後になってカバーしています。

  Slip Sliding リトル・リチャード(Little Richard)のヒット曲ですが、それを「ロックンロール(ROCK'N'ROLL)」1975年のアルバムで。
  
  Be Bop A Lula は、これはポール・マッカートニーが90年代に入って、例のMTVの「アンプラッグ(UNPLUGGED)」でライブをやって、そこで披露しています。

  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、一人で家に篭もってギターの練習をしてても、なんかつまんねえなあ。
  よしそろそろ、誰か誘ってバンドでもやるか。」
  1956年、16歳になる年のジョン・レノンが最初に結成したグループはメンバーが二人しかいなかった。
  ジョンがギターで親友のピート・ショットンが指貫きをはめた手でかき鳴らす洗濯板、つまりパーカッションを担当した。
  この編成でスタートした二人は、イギリスでもそしてアメリカでも大ヒットしたロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)の「ロックアイランドライン」などのスキッフルの曲に挑戦した。

  このスキッフルと呼ばれる音楽はイギリス発祥のもので、トラッドやフォークと呼ばれる伝承音楽にアメリカ南部の黒人音楽、特にブルースのフィーリングを加えたもの。
  イギリスにロックンロールが輸入された1950年代の中期に、時期をほぼ同じくして一大ブームを巻き起こしていた。
  このスキッフルで使われる楽器は、シンガーがかき鳴らすギターやバンジョーの他に、
  パーカッション代わりの洗濯板、お茶の空き箱に長い棒と紐を張っただけのベースなど、お手製のもので間に合わせていた。
  この辺りも、アメリカ南部のとても裕福とは言えない黒人層から生まれたブルースミュージックと重なる部分がある。

  このジョンのスキッフルバンドは、それ風なラフなイメージで「クォーリメン(The Quarrymen)」と命名された。
  この名前は、地元にあった砂を採掘する石切り場「クォーリー」にちなんだものであるが、
  この石切り場が、ジョンとピートが通う「クォーリーバンク・グラマースクール」の名前の起源となっていると言われている。
  確かにこの学校の校歌の中には「石切り場の男たち」つまり「クォーリメンは我らの生まれし前より力強く」という一節がある。
  学校の名前に由来すると言われるとジョンもピートもあまり嬉しくはなかったが、
  それでもこの「クォーリメン」スキッフルバンドとして、めでたく最初のスタートを切ったのである。
  〜 Lonnie Donegan / Rock Island Line
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K_aIQ1_sAVg

  〜 John lennon / Crippled Inside
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk

  (小林)
  これは1971年のあの「イマジン(Imagine)」のアルバムの中に入っているジョン・レノンですが。
  やっぱりあれですよね、高校時代の影響ってのは残っていますよね。
  スキッフルぽい感じ、Crippled Inside。
  なんかノリがいいけれども、ジョン・レノンらしく何かちょっと引っかかるw
  「外でいろんなことをやっていても、心の中の異常さは隠せないだろう?」っていう。
  
  そしてその前の曲は、 Rock Island Line、これがスキッフルの典型的な(曲)1956年のヒットです。
  アメリカでもイギリスでも大ヒットしましたけども、ロニー・ドネガンの Rock Island Line。
  この曲は一種のスタンダードでね。特に60年代になってフォークの時代になるんですが。
  特にアメリカのフォークグループがよく取り上げた曲でもあります。
□ストーリー(続き)
 ・ジョン・レノンの最初のバンド「クォーリメン」は、同じ学校に通う不良仲間=ピート・ショットンとのコンビ二人組みとしてスタートした。
  ジョンがギターを弾いて歌い、ピートが手に指ぬきをはめて洗濯板をかき鳴らす。つまりパーカッションを担当した。
  レパートリーのほとんどは、当時イギリス中で一大ブームとなっていた「スキッフル」と呼ばれるヒット曲の数々。
  これなら使うコードも少なく、歌詞だってジョンが適当に替え歌にすることもできた。
  そしてこのクォーリメンには、かつて日曜学校で顔を会わせてはつるんでいた悪仲間が集合した。
  ブルーコート・グラマースクールに通うナイジェルと、リバプール・インスティテュートのアイバン・ボーンである。
  この二人は両方とも、自作の「お茶の空き箱ベース」を担当した。
  ナイジェルが初めて手に入れたテディーボーイ風の服は、警察官の父親に見つかって火にくべられてしまったため、
  それ以来彼は、お気に入りの服は全てアイバンの家に置かせてもらっていた。
  仲の良い二人は互いの都合によって、どちらかがベースを担当していたのであった。
  そしてクォーリーバンク・グラマースクールから、さらにもう一名、ロッド・デイビスという眼鏡をかけた真面目な生徒が加わった。
  ロッドは両親からバンジョーを買ってもらったばかりだった。
  さらにもう一人、ウールトン地区に住むエリック・グリフィスは新品のギターという武器を持って参加し。
  さらには「ドラムスのフルセットを持っている男を知っている」と言った。
  エリックはバンドのみんなを連れて、キングスドライブに住むコリン・ハントンに引き合わせた。
  コリンはみんなより2歳年上で、内装業の見習い職人、
  彼はジョンがギターを買ってもらった楽器店「ヘッシーズ」でドラムセットを買い、分割払いを始めたばかりであった。
  
  さあ、これでメンバーは揃った。
  しかし、ジョン・レノンの成功への物語は、まだまだ続くのである。
  〜 John lennon / Instant Karma! (We All Shine On)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EqP3wT5lpa4

  〜 George Harrison / My Sweet Lord
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3VUIB41EUFA
 
  (小林)というわけで、ビートルズは1970年に解散して、その後四人はそれぞれの道に行くわけですけども。
  ポールはプロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)大嫌いだから、絶対そういう世界に踏み込んで来ないんだけど。
  ジョン・レノンとジョージ・ハリスンはフィル・スペクター=親友、ていうか友達になっちゃって。
  フィル・スペクターを使っています。音的にはね。
  だけど、ジョンとジョージは全然違いますね、やはり。

  ジョン・レノンの斬り込むような Instant Karma。We All Shine On。

  そしてジョージ・ハリスンの、とても優しさにあふれた My Sweet Lord。

  2曲!。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  イシイのミートボールなどセットにしてリクエスト採用の方全員に差し上げております。

  (千葉県山武郡/男性)
  伝説のDJコービー様、初めまして。仕事帰りに楽しく拝聴しております。(小林)ww
  僕は特段ビートルズフリークというわけではないんですが、
  どちらかと言うと小林さんのDJが好きで聴いているくらいです。
                              (小林)ありがとうございます。
  今回初めてメールしたのは、昨日土曜日ビートルズに会っちゃいました。
  九十九里にある近所のお酒の蔵元さんに立ち寄って、
  嫁と、そこに併設されているレストランでランチをしたんですが。
  田舎の蔵元さんなのにレストランが何だか混んでいます。
  「何だろう?」と思いながらランチをオーダーして待つと、いきなりライブが始まったんです。
  しかも、ビートルズ!
  後から知ったのですが、このレストラン、ライブを見ながら食事ができるのだそうで。
  「チャック近藤とビートマスターズ」というバンドが演奏していました。
  この方々を知っていますか?
  あまり素敵なバンドだったので、家に帰ってネットで調べたら、
  このチャック近藤さんて、ビートルズの本を何冊も書かれている、日本のビートルズサウンドの第一人者の方なんだそうです。
  リアルグループサウンズ世代の、人生の諸先輩方の皆さんが、とても楽しそうに聴き入っていたので幸せな気持ちになりました。
  で、ふと、この番組を思い出したのでメールをしました。
  リクエストは、僕が初めて聴いたビートルズ、といっても本当はチューリップがコピーしていたこの曲。
  (小林)www。あははは。
  チューリップが上手くコピーしているこの曲が1曲目です。 

  〜 TULIP / We Can Work It Out
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ztYb0jVrtnQ
  〜 Sergio Mendes & Brasil´66 / The fool on the hill
  ttp://www.youtube.com/watch?v=liGxuSn-4aI

  (小林)2曲ともカバーかw
  セルジオメンデスとブラジル66がかかりました。

  (浦安市/男性)
  番組を聴き始めて5年。最近ではPCに録音してそこからiphoneに落とし通勤中に楽しく聴いています。
  さて、先日「マジカルミステリーツアー」が地上波で放送されました。深夜の放送だったので録画して後日見ました。
  初めて見たのが映画館で30年前に見たので、それ以来となります。
  意味が全く分からなかった高校生の時と違い、彼らが表現したかったことが少しは理解できるようになったんだ、と自分でも実感しました。
  本編終了後に関係者のコメントがあるんですが、映画監督のマーティン・スコセッシを始め業界人には評判が高いんですね。
  ポールも「行き当たり(ばったり)の撮影で台本なんか無かったんだ」と言っていましたが、
  結果的にアバンギャルド的な作風に仕上げた彼らは、やはり並のアーティストじゃない、ですよね。
  本国ではボクシングデー(クリスマスの翌日)に放送され酷評の嵐だったらしいんですが。
  克也さん、日本では当時どういう反応だったんでしょうか。
  (小林)
  日本では酷評はまるで無かったですね。
  セルジオメンデスのカバーバージョンで The fool on the hillをおかけしました。
  (流山市/女性)
  この番組は3年ほど前、病院に入院していて、聴き始めたのがきっかけです。
  <中略>
  いつも聴く一方のリスナーですが、今回初めてリクエストします。
  曲はベタな「Let it be」です。いわゆるオリジナルアルバムの方です。アルバムのやつです。
  フィル・スペクターのプロデュース盤のアルバム自体は気に入らないところも多々あるんですが。
  大げさで変てこなコーラスだとか。
  ジャムセッションぽく編集してある点で、荒削り感が出ているところが結構好きです。
  特に「Let it be」はピアノと歌の美しさにギターソロがけっこうロックな感じで入ってきて、
  美しさと荒削りさの二面性が出ているので、このバージョンが好きなんです。
  この番組で「Let it be」はよくかかるので「ああ、またかあ」と思われるかもしれませんが、
  シングルとも「ネイキッド(Naked)」とも違うこのアルバムバージョンは、
  当時のスタジオのちょっと荒(すさ)んだ感じが出ているような気がして、ぜひ皆さんにも聴いていただきたく、
  よろしくお願いします。
  (小林)
  こういうあなたの解説みたいなものがあると、ほんとに違って聴こえるはずです。
  
  〜 The Beatles / Let it be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Izts5y5Fw8Y

  (小林)
  この Let it be じつは、もう一人リクエストがありましたね。
  (市原市/女性)
  50代の兄が長く入院してまして、ビートルズ大好きなこの番組を毎週心待ちにしています。
  私も兄の影響でビートルズの Let it beから聴くようになりました。
  兄も私も大好きな、そして息子も孫も聴いています。 Let it beを。
  (小林)
  ありがとうございます。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  ストーリーの方は、ジョン・レノンがクォーリメンをスタート。
  これから、面白くなるから。
  聴いてください。
  
  リクエストもよろしく。  
  リクエスト採用の方には・・・(略)

  ちょこっとね、いろんなことを書いていただく、ていうことが、
  とても嬉しいですから、よろしく。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年12月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月30日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  「ハローグッドバイ(Hello Goodbye)」がビルボードで、ですからアメリカですね。
  アメリカでナンバーワンになります。
  この「ハローグッドバイ」という曲はイギリスでは7週間連続ナンバーワン、アメリカでは3週連続ナンバーワンでした。
  それからB面の「アイアムザウォルラス(I Am The Walrus)」 これもとても評判が良かった。
  ぜんぜん違う曲だもんね、ぜんぜん違うビートルズの世界。
  それもそうです。「ハローグッドバイ」はポール・マッカートニー、「アイアムザウォルラス」はジョン・レノンの世界です。
  この頃はね、どっちがA面かっていうのは順番みたいね。
  ポールがA面だったら、次がジョンがA面みたいな。
  順番でやろう、っていうことになっていたみたいです。

  で、この作曲にはエピソードがあって、
  この年は「サージェントペパーズ」のロック史上最高傑作が生まれた年ですが、ポールは個人的には悲しい出来事がありました。
  浮気がばれてジェーン(Jane Asher)に振られるわけですね。
  寂しがり屋のポールはアップルの総支配人、またの名を「何でも屋」「ザ・フィクサー」アリステア・テイラーを家に呼びまして酒の相手をさせます。

  ここでポールの作曲教室がw開催されますw。
  作曲教室と言ってもね、二人ですからね。アリステアが生徒になります。
  で、ポールが指示を出します。
  オルガンの鍵盤を押しながらポールがある言葉を発します。
  アリステアがその反対の言葉を言う という、このスタイルで言葉遊びが展開されます。
  ポール・マッカートニーが「ブラック」と言うと、アリステアが「ホワイト」
  ポールが「イエス!」、アリステアが「ノー」
  ポールが「グッド!」、アリステアが「バッド」
  ポールが「八ロー!」、アリステアが「グッドバイ」
  と、この言葉遊びは5分間続いて終わるわけですが。
  この2日後、ポールは「新曲ができたよ」と言ってオフィスに出勤してきました。
  〜 The Beatles / Hello Goodbye 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oGG8gG9tEaE

  (小林)1967年、45年前の今日、つまり1967年の終わり、アメリカではこの曲がナンバーワンになりました。
□ストーリー
 ・ジョン・レノンが最初のバンド「クォーリメン(The Quarrymen)」を結成したのは1956年、ジョンが16になる年のこと。
  アメリカからはエルビス・プレスリーをはじめとするロックンロールの革命的な大流行が押し寄せ、
  イギリスではフォークソングと黒人のブルースがミックスチャーした「スキッフル(Skiffle)」が一大ブームになっていた。
  ジョンの最初のバンド「クォーリメン」というネーミングは、
  ジョンとバンドのメンバーで悪仲間のピート・ショットンが通うクォーリーバンク・グラマースクールに由来すると言われていたが、
  どうやらそれは少し違っていた、というのが正しいようである。
  本当のところによると、リバプールには建設工事に使う砂を造るための石切り場があり、地元ではそれを「クォーリー(quarry)」と呼んでいたが
  ジョンはそこで働く逞しい大人に憧れていたので、自分のバンドの名前もそれにあやかり「クォーリメン」に決定した、というのが今では定説となっている。
  このクォーリメンの最初のメンバーは、ギターのジョンと洗濯板をパーカッションとしてかき鳴らす親友のピート・ショットンの二人だけ。
  さすがに、「これだけではロックンロールの体裁は繕ろえない」と思ったジョンは、メンバーを補充することを考え、
  自分たちの学校以外や教会の日曜学校での顔なじみから何人かを呼び寄せることにした。
  まずはスキッフルを演奏するのに一番欲しかったベーシストに、ナイジェル・ウォーリーとアイバーン・ボーンの二人。
  お互いがどんなに忙しくても、必ずどちらかがベースを担当するということになった。
  次に、同じクォーリーバンクからバンジョーを買ってもらったばかりの、ガリ勉風のロッド・デイビス。
  そして、これまた新品のギターが自慢のエリック・グリフィス。
  さらに、このエリックの紹介で念願のドラマーとして加入したのが、内装職人見習いで2歳年上のコリン・ハットン。
  こうして、総勢7名となったクォーリメン。
  不良仲間とつるんで悪さをする時と同じく、リーダーがジョン・レノンになったことはごく自然な成り行きであった。
  〜 The Beatles / I'll Get You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=V1qhbB3sr2Q

  〜 Brian Poole & The Tremeloes / Do You Love Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xH5_Z46h-o4
 
  (小林)1963年の音楽を聴いています。
  ビートルズの I'll Get You これはビートルズの She Loves You のB面です。
  これはもちろんイギリスでナンバーワンになりますね、9月にね。
  
  そしてその次にナンバーワンになったのが、この曲 Brian Poole & The Tremeloesの Do You Love Me。
  これは、カバーバージョンです。

  ビートルズはもう初めから、自分たちのオリジナルで勝負をしておりました。
□ストーリー(続き)
 ・「ようし、まだ演奏は素人でも、とにかく7人も集まった。さあて、どこで演奏するかな。
  ああ、早くでかいステージで歌いたいなあ。」 
 
  1956年、16歳になったジョン・レノンは最初のバンド「ザ・クォーリメン」を結成した。
  バンドでも悪ガキ仲間でも、ジョンは文句なしのリーダー。
  チェックのシャツの襟を立てたテディーボーイスタイルで、ジョンはエルビスのように眉を寄せ、ステージに立つチャンスがあれば必ず前に出てマイクを独り占めにした。
  
  クォーリメンのメンバーだったロッド・デイビスはこう証言している。
  「ジョンはとにかくエモーショナルだったね。
  ステージに立つと、いつでもギターをメッチャクチャにかき鳴らして、気が付くと弦が6本全部切れてるんだ。
  するとジョンはすぐに僕のバンジョーを取り上げて、またかき鳴らし始める。
  僕はステージの後ろか袖の方で、ジョンのギターの弦を張り替える役に回るんだ。
  それが、クォーリメンのステージのいつもの姿だったね。
  レパートリーに関して言うと、当時スキッフルの大スターだったロニー・ドネガンのヒット曲はほとんどやっていたよ。
  客のウケも良かったしね。
  でもジョンは本当はロックンロールがやりたかったんだ。
  とにかくエルビスが死ぬほど好きだったからね。
  あとは、リトル・リチャード、ジーン・ビンセント、バディ・ホリー、それにエディ・コクラン。
  ジョンにはロックンロールのヒーローが何人かいたけど、やっぱり筆頭はエルビス・プレスリーかな。
  歌詞もロクに覚えていないのに、いつもいつも歌うのは「ブルー・スウェード・シューズ(Blue Suede Shoes)」だったね。
  あまりに多くの回数聴いたもんだから、僕にとっての「ブルー・スウェード・シューズ」は
  エルビスでもカール・パーキンスでもなくて、ジョン・レノンが歌うバージョンが一番しっくり来るんだ。
  もう、何千回も聴かされたからねえ。
  耳から離れてくれないんだよ。」
  〜 Elvis Presley / Blue Suede Shoes
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T1Ond-OwgU8

  〜 John Lennon / Only you
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pqHpwlPvgPg

  (小林)これは聴いたことがない人は、けっこう多いんじゃないでしょうかね。
  ジョン・レノンが歌っている Only you っていう。
  その昔の1950年代大活躍した黒人コーラスグループのヒット曲 Only you。
  それを、リンゴ・スターがソロアルバムでカバーするじゃないですか、
  それの、ガイドボーカル用にジョン・レノンがリンゴのために歌ってあげたバージョンが、後になってね、発表されるわけですけど。
  やっぱりジョン・レノンていう人は、自分の声に劣等感なんか持ってた、っていうけど、
  これはジョン・レノンはボーカリストとしても巧みだった、ていうのが解かりますよね。
  
  で、その前はエルビス・プレスリーの1956年のヒット曲。
  これはカール・パーキンス(Carl Perkins)ていう人がオリジナルで、それをエルビスがカバーして大ヒット。
  ジョン・レノンもこれを、まあ16歳のころからカバーしている、っていうわけですけど。
  これは、ほんとにロックっぽい、ロックの代表的な曲なんですよ。
  スウェードの靴っていうのは、もともと茶色とか薄茶色でしょう。
  ところが技術が発展すると、それをブルーのスウェードのシューズが出てきた頃ですよ。
  それを、一張羅ですよね。それを「俺の家に火付けてもいいから、これだけは踏んづけるのをやめてくれ!」っていう
  すごいロック的な、刹那的な歌詞。

  2曲お送りしました。
□ストーリー(続き)
 ・1956年から57年にかけてのリバプール、当時流行りのボウルルーム、つまり街中のダンスホールでは、
  ジャズバンドが入って演奏される間の、空き時間を使ってスキッフルのコンテストが行われるようになっていた。
  プロのレギュラーバンドとシンガーが出演する合間の10分間に、3組か4組のグループが急いでステージに上がり、代わり映えのしないレパートリーをそそくさと披露する。
  この時16歳のジョン・レノン率いるクォーリメンも、幾度となくこのコンテストに出場し、あまり芳しくない結果に甘んじていた。
  何回か出場していると、ジョンはなんとなくその結果の原因が判ってきた。
  「なんだ、こんなの。スキッフルとか言っておきながら、モノマネのど自慢じゃないか。
  ロニー・ドネガンに似ている奴が決まって優勝するなんて、どっか間違ってるぞ。
  こんなのはもうやめた。
  俺たちは俺たちのスタイルで行く。
  もう決めた!」

  ジョンの決断は早かったが、コンテストに出たことは悪いことばかりではなかった。
  なんせ、コンテストのおかげで自分たちの弱点がよく分かったのである。
  それは簡単「ザ・クォーリメンは『ドヘタバンド』である」という紛れもない事実。
  負けず嫌いのジョンは奮起した。
  「そんなら上手くなってやろうじゃないか」
  ラッキーなことにクォーリメンには練習場所があった。
  ドラムスのコリン・ハントンの家である。
  コリンは内装職人の見習い職人であったが、週末は休みをもらっていた。
  そしてそのコリンの父親は生協の店長で、こちらは週末が稼ぎ時。
  家は確実に使える環境にあった。
  こうしてクォーリメンは、毎週土曜日の午後はきっちりと練習の時間となった。
  ジョンのバンドが名前を「ビートルズ」と変える4年前のお話しである。
  〜 The Beatles / Drive my car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Hh6GsIT4GrM

  〜 Ringo Starr / You're 16
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4x19vy_9aFc
 
  (小林)リンゴ・スターの You're 16、これはアメリカでの大ヒット・ナンバーワンです。 
  ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)というね、ロッカーが作った、彼がヒットさせた曲なんですけども、それのカバー。
  リンゴのバージョンは、カズーがとても可愛いよねw。
  
  で、その前は Drive my car。これは1965年の「ラバーソウル(Rubber Soul)」(アルバム)
  ポール・マッカートニーの作品 Drive my car。
  ポールがギターソロもやっていました。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  かなりオイシイですよこれは。w
  メールは [email protected]

  (住所不明/男性)
  小生はビートルズの大ファン。特にジョージのファンです。
  自分もギタリストなのでジョージの曲だったら何でもいいです。
  (小林)
  って書いてあるんですが。まあ、ギタリストだったらジョン・レノンだって、さっきポールもギター弾いておりまして。
  三人がギタリストということになりますね。
  さあ、あなたのリクエスト、ジョージ・ハリスンなら何でもいい、ってことで。
  ジョージ・ハリスンがソロになって、やっぱりジョージ・ハリスンらしさというと、宗教観とか哲学ていうものを曲の中に出して来る様になります。
  それの典型的な「All Things Mast Pass」のアルバム。これ強引に訳すと「万物流転」とでも言いますか。
  その中から What Is Life。

  〜 George Harrison / What Is Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3XFfUt7HQWM
  〜 The Beatles / Something
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xzkhOmKVW08

  (小林)ジョージ・ハリスンの曲が2曲続いたことになりますね。
  おなじみの Somethingが流れました。
  リクエスト、文章がとても巧みです、さりげなくてね。
  (船橋市/女性)
  歌舞伎俳優の中村勘三郎さんの悲しい知らせがありました。
  以前、東銀座の歌舞伎座にほど近い喫茶店に寄った時のことです。
  古いビルの階段を上がった2階に、小さいけれど落ち着いた感じのその店はありました。
  中ほどの二人席のテーブルに、小さく控えめに「ここはジョンとヨーコが座った席です」とメモが置かれていました。
  思わずお店の人に訊いたところ、二人はふんわりと自然な感じで現われたそうで、
  「まさか、あのジョンとヨーコが来店するなんて」と驚いたそうです。
  もしかしたら、ジョンとヨーコは歌舞伎のついでにでもフラリと寄ったのかもしれないですね。
  コーヒーとキーマカレーの美味しいお店でしたが、今もあるのかな?。
  時々キーマカレーを食べると思い出します。
  Something ジョージ・ハリスンの曲を。
  (小林)
  この、ジョン・レノンは日本に所縁(ゆかり)があって日本に長く居たこともあるので、いろんな話しを聞きますよね。
  ホテルオークラのコーヒーショップがあって、そこはいつもジョンが座っていた席、ってのがあるらしいんですけどねw。
  ここはね、内田裕也、あの人が時々わざわざ座りに来るらしいですよね。
  ちょっとパワーが無くなったな、とかそういう風な時に座るらしいですよw。

  で、オノ・ヨーコはやっぱりそうですもんね。
  相変わらず日本に来ると、最初にジョンと泊まった部屋に必ず泊まって。
  インタビューなんかも、その部屋の対面の部屋とかでインタビューをする決まりになっているんですよね。
  オークラはもう昔の建物ですからね、天井が低くて。
  ほら、ビートルズが最初に泊まったヒルトン、後の東急キャピトル、今はもう壊して無いですけども。
  あれも天井が低かったんですけど。
  もう今は外国のホテルの時代になっちゃってね。
  まあ、帝国ホテルが海外のお客さん達のランキングで言っても二位でがんばってる他は、みんな外国資本のホテルで。
  外国系のホテルに泊まりそうなんだけど、絶対にオークラに泊まるという。ねえ。

  僕の一番好きな話しはね、ちょっと名前が有名じゃないミュージシャンなんですけど、
  昔は映画の試写会の前座みたいな形でね、音楽の演奏があったんですよ。バンドが演奏したり。
  で、演奏していて、パッとその人がね、演奏中パッと前の席を見たら、自分の目の前に一番前の席にジョン・レノンが座ってるんだってwww。
  で、ジョン・レノンを見た途端に「あれ?なんでジョン・レノンがここにいるのかなあ?」と思ったんだってね。
  それで「うーん、映画見に来たのかなあ」と思って。
  それで「ジョン・レノンがいる」って思い始めると、ジョン・レノンの存在の重さにアガっちゃって演奏がちゃんと出来なかったっていう、
  けっこう僕が好きな話しがありますが。
  (小林)
  さあこんどは、ジョンの音楽です。

  (松戸市/女性)30代
  8日はジョンの命日でしたねえ。毎週ビートルズの歴史が判りやすく楽しく話されるので、この番組を聴いています。
  イマジン(Imagine)が聴きたいのでリクエストします。
  (小林)
  ありがとうございます。

  〜 John Lennon / Imagine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DCX3ZNDZAwY

  〜 John Lennon / Happy Christmas(War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=z8Vfp48laS8
  
  (小林)
  いやあ、この曲は永遠ですね。
  もちろん、クリスマスは過ぎていますけど。
  外国では、クリスマスはずっと年が明けても言っちゃいますからね。
  ビートルズのクリスマスショーっていうのは、クリスマスに始まってお正月に入ってもクリスマスショーだったっていう、有名な話しですけど。 
  (習志野市/男性)
  毎週この番組を拝聴しています。リクエストですが、ジョン・レノンの Happy Christmas。
  やっぱりこの時期に、この番組でこの曲を聴くこと、こそが意義があるものだと  (小林)www、
  勝手に信じています。
  また、曲の詩からはクリスマスソングでありながら世界の平和、人間の平等の訴えをうかがい知ることができ、とても奥深い曲だと思っています。
  クリスマスのプレゼントとしてこの曲を。
  (小林)
  他にも(八千代市/男性)年恰好が似ていますね。40代半ばですね。
  リクエストがありました。ありがとうございました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか。
  ジョン・レノンを中心とした、1950年代の話、けっこう面白いと思います。
  もう50年代というと、なかなかロックンロールの名前なんか、若い方にとっては大変だと思いますけどね。
  プレスリーね、リトル・リチャードね、エディ・コクラン、バディ・ホリーね、ジーン・ビンセントね、
  覚えておいてください。
  もし良かったら、この人たちの音楽を聴くと、また違う刺激があるかもよ。
  
  リクエストは [email protected]
  で、待っております。
  採用の方には(略)
  
  お相手は小林克也でした。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月6日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月6日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  アメリカのシステムがあって、アメリカのレコード協会が100万枚以上売れたら“ゴールドディスク”に認定する。
  これは1988年まではそうだったんですよ。
  それからいろいろ“プラチナ”とかいろいろ変わって、ちょっとめんどくさくなっちゃうわけですが。
  昔は覚えやすかった。ゴールドレコードは100万枚行ったやつはゴールドレコード。
  で、1966年ですから47年前の今日、「We Can Wolk It Out」これがアメリカでゴールドレコードになります。
  つまり、100万枚を突破したわけですね。
  このシングルはビートルズにとっては11枚目。初の「両A面」です。
  「両A面」という言い方、これはビートルズが始めたんじゃなかったかな、と思いますが。
  イギリスのNME=New Musical Expressのチャートは発売と同時に1位で初登場、5週連続1位です。
  これで、シングルの初登場1位は7枚連続です。
  イギリスでは2週間で100万枚を売り上げた。
  イギリスみたいに人口が少ない所でも、2週間ですよ。
  アメリカでは「We Can Wolk It Out」がA面という形で発売になって、ビルボードで3週1位です。
  ビートルズはこの後いくつか両A面シングルを出しますけど、典型的なやつは「Strawberry Fields Forever」と「Penny Lane」でしょうねえ。
  あ、「Come Together」と「Something」もそうですね。これも両A面です。
  「The Long And Winding Road」と「For You Blue」
  「For You Blue」がちょっと負けますけど、これは1970年、両A面です。
  「We Can Wolk It Out」も「Day Tripper 」もジョン・レノン、マッカートニーの共作と言われておりますが。
  アメリカではB面扱いだった、この曲を改めて。Day Tripper。
  
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XwmtNk_Yb2Q
  
  (小林)
  これは、イギリスでは「We Can Wolk It Out」それからこの「Day Tripper」もA面、両A面という形でした。
□ストーリー
 ・「なんだぁ?こんなの〜。スキッフルとか言っておきながら、モノマネのど自慢じゃないか。
  ロニー・ドネガンに似ているやつが決まって優勝するなんて、どっか間違ってるぞ。
  こんなのもうやめだ。俺たちは俺たちのスタイルで行く!。もう決めた。」
  これは1956年、16歳になったジョン・レノンの発言。

  イギリス中に蔓延するスキッフルの一大ブーム。
  北国のリバプールでも、そのご多分に漏れず、ダンス会場を中心にスキッフルのアマチュアコンテストが行われていた。
  ジョンが学校や地元の仲間たちと結成した最初のバンド「クォーリメン」も、こういったコンテストには幾度となく挑戦していたが、残念なことに入賞したことがなかった。
  演奏力が無かったのか、と言えば、それはどのバンドも似たようなもの。所詮アマチュアである。
  それでは、ボーカルがイマ一つだったのか?、それはある意味当たっていた。
  ジョンの声は、誰にもマネのできない独特の響きがあって、一度聴いたら忘れられなくなる魅力があった。
  さすがに60年代に入ってプロとなりレコードデビューしたころと比べると、高校生時代にはまだまだ青さが残ってはいたが。
  それでも、この声と天性のリズム感は誰もが認めるものであった。
  しかし、ここに問題があったのである。
  
  ジョンのボーカルには確かに周りを圧倒するものがある。
  しかし、どんな曲でも自分のスタイルにしてしまい、時には歌詞も勝手に作り変えて歌ってしまう。
  簡単に言えば、そのスタイルはあまりにワイルド過ぎた。
  いつの時代も、アマチュアのコンテストなどというものは大人たちが主催し。
  合格点を与えられるのは、品行方正なPTAご推薦の少年少女、と相場が決まっている。
  コンテストに出場するバンドは、みんな同じようなスキッフルのヒット曲を歌い、上手くできた順に賞をもらっていた。
  しかしこの時点ですでに、ジョンのボーカルは規格外だったのである。
367ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(0+0:8) :2013/01/09(水) 18:31:16.44 ID:QxRA4wXm0
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=spjcPS4ekOA
 
  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6lLs2dC9NaE

 
  (小林)Tomorrow Never Knowsそして Jealous Guy、ジョン・レノンの傑作が流れました。

  ビートルズとしての Tomorrow Never Knows。
  これは「リボルバー(Revolver)」の中に入っていて、ちょっとぶっ飛んだ感じですよね。
  ミスチルもこれw、タイトル頂いたという。

  そして Jealous Guyは、ジョン・レノンは突っ張ってて、亀の甲羅じゃないけれど外は固いけど中は優しい、ていう。
  たまにジョンがこういうのを出すと、ホロリと来ちゃいますよね。
   Jealous Guy。
  
  2曲続きました。
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、君たちがクォーリメンか。結成して間もない割にはまずまずの演奏だね。
  ただ、ボーカルの君、ジョンと言ったかね。
  君はもう少し発生というか、歌いまわしというか、とにかく基本に忠実に練習し直して、またトライしてくれ。
  いいね?。じゃあ本日はここまで。」

  1956年、16歳のジョン・レノンが最初に結成したグループ=クォーリメン、
  彼らは当時大流行していたスキッフルと呼ばれるイギリス特有の音楽を、レパートリーに取り入れ、
  地元リバプールのいろいろなダンスホールで開催される「スキッフルコンテスト」なるものにも積極的に参加していた。
  しかし、審査員のウケは最悪。
  それもクォーリメンの弱点は、あまりにもワイルド過ぎるボーカルに問題がある、とまで指摘された。
  これにはジョンも納得が行かなかった。
  
  「だいたい俺たちはスキッフルが専門なわけじゃないんだよ。基本はロックンロールだ。
  スキッフルのヒットレコード通りに、お行儀よく歌うつもりなんて最初から無い。
  もういい。スキッフルのコンテストなんてもうやめた。
  俺たちは俺たちのスタイルで、腕を磨けばいいんだ。
  さあ、練習!練習!
  天辺(てっぺん)を目指すぞ!」

  ラッキーなことに、クォーリメンのメンバーの親たちは比較的協力的であった。
  ガリ勉キャラのバンジョー担当のロッド・デイビスの父親は、大きなバンを持っていて、
  お茶箱ベースやドラムセットまで、仕事の合間を見つけては自主的にローディを買って出てくれたし。
  ドラムスのコリン・ハントンの家は、毎週土曜の午後の練習場所として提供されていた。
  
  しかし、リーダーであるジョンの家、つまり育ての親であるミミ伯母さんの家だけには、メンバー全員あまり寄りつかなかった。
  その理由は、ミミのあのキツイ言葉を、ジョンもメンバーも恐れていたからであった。
  〜 The Beatles / One After 909
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IVN9ROEZIkE

  〜 John Lennon / Dear Yoko
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MEjaJrG3R3o

  (小林)2曲、ジョンのボーカルが続きました。

  ビートルズの One After 909、これは1970年の「Let It Be」に入っていますが、初期の作品で、余っていたっていうかw。
  これはジョン・レノンのエバリー・ブラザーズ(Everly Brothers)ぽい歌い方。
  
  それから Dear Yokoは、これは1980年の「ダブルファンタジー(Double Fantasy)」に入っていますが。
  やっぱり初期のジョンの10代のころ影響を受けた、バディ・ホリー(Buddy Holly)のスタイルですよね。
  バディ・ホリーのボーカルのスタイルは、ちなみにシャックリスタイルていう、ふうに言われたりしたことがありましたけども。
  ジョンの、ちょっと、影響について考えました。
□ストーリー(続き)
 ・「ほんとうはウチで練習したいんだけどさあ。ミミ伯母さんがおっかないのって、みんな分かるだろう?。
  あのキツイ言い方で攻撃されたら、だれだって練習やめたくなるよな?。
  だから、当分はコリンの家を練習場所に使わせてもらうよ。いいよね?」

  1956年から57年にかけて、ジョン・レノンは人生で最初のバンド=ザ・クォーリメンの練習に必死だった。
  勉強以外に熱中できるものを、ジョンはやっと見つけたのである。
  育ての親であるミミ伯母さんの家には、バンドのメンバーを連れて行くことはほとんど無かった代わりに、
  近くに住む実の母親ジュリアの家には、全員でよく立ち寄った。
  そこに行けば必ず歓迎されることを、みんな分かっていたのである。
  厳格で典型的なイギリスの女性であるミミに比べて、妹のジュリアは社交的でチャーミングな女性であった。
  ジョンがバンドを始めたと聞くと大喜びで、出来ることならなんでも協力してあげたいと彼女は思った。
  メンバーが集まると、ジュリアはロッドのバンジョーを手にして、自分でそれを弾いて見せた。
  そうすると自然にジョンもギタリストのエリックも、ジョンの母親を真似て練習した。
  結果、二人ともバンジョーのチューニングとコードの押さえ方を覚え、ギターには6本ではなく5本の弦しか必要ではなくなった。
  推測するに、それはブルースギターで言うところの「オープンGチューニング」であり、
  レギュラーチューニングに比べると、コードが押さえやすいばかりではなく、鳴り方もどっしりとしたブルージーなものになったと思われる。
  
  クォーリメンでバンジョーを担当していたロッドは、こう証言している。
  「僕らはよく、ジュリアの家のバスルームで練習したもんだよ。
  そこはエコーがかかって最高だったからね。
  それにしても、あんなに仲の良いジョンとジュリアが一緒に暮らしていないなんて、すごく不思議な感じだったね。」
  〜 The Beatles / Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=j4FZy3pWfWU

  〜 George Harrison / Isn't It a Pity 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CO02biCVZd8 
 
  (小林)2曲続きましたね。

  ビートルズの Girl。
  ジョン・レノンのちょっとお遊びっぽい作品から。
  ちょっと冗談半分みたいな作品から。

  こんどはジョージ・ハリスンのとてもシリアスな曲。
  ジョージ・ハリスンは、これは1970年ですから、まだビートルズの在籍中に作ったと思われますけど。
  やっぱりジョージ・ハリスンは20代半ばですかねえ。
  ビートルズのあと、やっぱりシリアスな歌とか深みのある歌を作ってくるようになりますね。
  ジョージ・ハリスンの成長のあとも窺(うか)がえるという。
  これはバージョン2です。
  Isn't It A Pity。
>>368
訂正します。

× 発生
○ 発声
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りさせていただいています。
  メールは [email protected]

  (千葉市稲毛区/女性)
  先日ビートルズのトリビュートショー「レイン・ビートルズに捧ぐ」を見てきました。
  エド・サリバンショー、シェアスタジアム、サージェントペパーズ、からアビーロードまで、
  当時の衣装やステージを忠実に再現し。
  また、各メンバーの歌声や風貌も限りなく本人に近く、まるでその時代にタイムスリップしたかのような見事なショーでした。
  ただそれに、私は最もタイムスリップしたいと思っている時代、
  革ジャンを着てリーゼントをしたキャバーンクラブでのビートルズがショーに加われば最高だったな、と思いました。
  もしビートルズの好きな時代にタイムスリップできるとしたら、小林さんはいつの時代に行きたいですか?    

  (小林)
  そうですよねえ。時代もあるけど、場所もあるみたいな感じがするよねえ。
  僕はけっこうね、興味があるのは、アメリカの南部のメンフィスとかね、メンフィスの50年代とか60年代とかね、興味がありますね。
  さあ、あなたのリクエストは Some Ather Guy。これはBBCのライブです。

  〜 The Beatles / Some Ather Guy(BBC Live)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VpBhjke_o5Y
  〜 Queen / We Are The Champions
  ttp://www.youtube.com/watch?v=04854XqcfCY

  (船橋市/男性)
  OJというペンネームで…。
                         (小林)OJって言うと顔が見えないけど、
                             まあ、名前を言うと顔が見える感じがするんですけどね、僕はね。
  11月から12月にかけて、続きますよね。フレディの命日。 (小林)フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)ね。
  ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の誕生日、ジョージの命日、ジョンの命日。
  フレディに歌ってもらいましょう「We Are The Champions」

  (小林)
  短い文章ですが、なかなかね、いろんなことを言っているような感じがします。
  Qeenもすごいグループだったね。
  イギリスはね、おそらくね、ビートルズというすごいグループが出たからね、後に出るグループはけっこう基準が高いんですよね。
  だから、相当バンドとしてもやりがいがあったし、難しかっただろうし。
  だから、いいバンドがいっぱい出てくることになりますよね。
  Qeenもすごいバンドですよね。
  フレディ・マーキュリーが中心のグループのように見えますけど、
  みんな、あのメンバーそれぞれ成長して、後半はいい曲を書くしね。
  ロジャー・テイラー(Roger Taylor)も、ジョン・ディーコン(John Deacon)もね。
  Qeenの曲をお送りしました。
  (成田市/女性)
  先日、テレビで湯川れい子さんと、エルビス、マイケル、そしてビートルズの交流秘話という番組を見ました。
  音楽評論家として実際に当時のスーパースターたちに会ってインタビューして、ビックリしました。
  ジョンと電話で話しているテープを聴きましたが、
  ジョンが「日本に行ったら東京、軽井沢で過ごすんだ。いろんな所に行きたいけど、ここは自分たちをそっとしてくれるからね」
  などと、気さくに楽し気に話していました。
  ジョンは気難しいイメージでしたが、本当は楽しい人だったんだなあ、と印象が変わりました。
                (小林)楽しかったんだろうけど、皮肉屋で、けっこうユーモアのセンスは抜群の人だけど。
                     普通の人の面白がり方と全然違っていたっていうことが、ジョンの面白いところですね。
  リクエストは、最近マイケル・ジャクソンにハマっている息子の好きな曲。

  (小林)
  あなたのリクエストは、若い頃のマイケル。
  マイケルはボーカルが抜群ですよね。
  これは「ベンのテ−マ」です。
 
  〜 Michael Jackson / Ben
  ttps://www.youtube.com/watch?v=g40WCBaUXR4
  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttp://www.youtube.com/watch?v=uo2KPacj7qs

  (千葉市/女性)
  私はビートルズを聴き始めて一年になる、中一の女子です。
  ビートルズは本当にいいですね。
  どの曲も、何回聴いても飽きません。
  私が一番好きな曲は She's Leaving Home。
  この曲のポールの聴きやすい声が好きです。
  というわけで、この曲を。

  (小林)
  これは、娘が家出する歌ですけど、モノ(Mono) で。
  モノの場合ちょっと回転が普通のやつより速くて、ドラマチックな、
  けっこうね、ドラマチックなんですよ、ボーカルの構成が。
  まず、ポールの語りが入って来るんですよね。彼女が家を出てる、っていう。
  で、裏声で「She's Leaving」の上に声がかぶせられていますが、
  それは、親の声です。
  「ああ、子供が出て行くんだ」っていう。
  これねえ、なかなか聴かせる面白い造りになってる。
  さりげないけど、さりげなく聴きやすい感じだけど、
  これ 傑作なんです。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?。

  ビートルズの物語としては、ジョン・レノンたちが…。
  まあ、ポールはちょっと若い?だけど高校生ですよね。
  ジョージは中学生かな。
  その頃の話しをしているわけです。
  まだポールやジョージに出会う前。
  ジョンのわがままな高校生。
  しかし、声はすごかった、という話し、けっこう印象的でした。
  これがだんだんビートルズになって行くわけです。
  
  リクエストの方も、よろしくお願いします。
  [email protected]
  こっちで待っております。
  
  曲はビートルズに限らなくてもけっこうです。
  それから、自分の音楽体験、あるいは音楽の意見、あるいは音楽にも無いことでもOKなんですよ。
  ビートルズはなんでもありだ。それがビートルズです。
  よろしく。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 1月13日)
 ・1967年(今から46年前の今日)
  ビートルズたちの会社NEMSが、ロバート・スティッグウッド(Robert Stigwood)というイギリスの業界でとても有名なマネージャーの会社、
  ロバート・スティッグウッド・オーガニゼーション(RSO)と合併します。
  これはまあ、音楽業界では大変なニュースなんですよ。

  で、ロバート・スティッグウッドていう名前は初めて聞く人がいるかもわかりませんが。
  この後で、ビージーズ(Bee Gees)のマネージャーとして彼は世界的に有名になってね。
  というのも、ビージーズが世界的に売れるじゃないですか。
  「サタデーナイトフィーバー(Saturday Night Fever)」とか、あの映画もロバート・スティッグウッドが作ります。
  映画の「サタデーナイトフィーバー」それから「グリース(Grease)」もロバート・スティッグウッドが作るという。
  もう、このころイケイケでね。
  1967年、ロバート・スティッグウッドがイケイケに比べて、実はNEMSの社長ブライアン・エプスタインは、ショックを受けているわけです。
  ということは、どういうことはどういう事かと言うと。
  もうビートルズがコンサートをやってくれることが生き甲斐だったのに、
  ビートルズがコンサートをやらなくなって、スタジオに籠ってレコードしか作らない、ていうグループになっちゃうわけです。
  で、この合併を機に、ブライアン・エプスタインはビートルズのマネージャーをロバート・スティッグウッドに頼んだ、という事なんですけども。
  これを聞いてビートルズは怒るんですよ。「とんでもないことだ!」っていう。
  「怒った」ということは後のポール・マッカートニーのインタビューで明らかにされております。
  ブライアン・エプスタインは、自分が育てたビートルズが、もうコンサートをやってくれない。
  ブライアンはコンサートが大好きだったんですよ。
  だから、サビルシアターという劇場をオープンしたり、劇場経営をやったり、ツアーをやってくれるアーティストをマネージメントしたり、
  っていうことになるわけですが。
  さて、ロバート・スティッグウッドは「ザ・フー(The Who)」とか、エリック・クラプトンのいた「クリーム(Cream)」なんかもマネージしておりました。
  これは、ちょっと音的にぜひ聴いて頂きたいと思うんですけども。
  1966年クリームがデビューして、セカンドシングルを聴くと判るんですけども。
  ビートルズは、62年ぐらいから自分たちの音楽を作って来てるけども。
  66年にデビューしたクリームは、もう新しい波というのかな、新しいロックをスタートさせたってことがよーく判ります。
  ビートルズファンも、そのクリームのセカンドシングルを聴いて頂きたいと思います。 

  〜 Cream / I Feel Free
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2fLn9Z1G_LE

  (小林)クリームの I Feel Free。
  この頃は「Free」ていう言葉はすごく新しかったんですよね。
  ビートルズはご存知の通り、中学生とか高校生ぐらいの時からの「仲間のバンド」じゃないですか。
  ところが、このクリームっていうのは、もうミュージシャンとして一流になって、
  だから、それぞれが「一国一城の主(あるじ)」っていう古い言い方がありますが。
  その3人が集まって作った「スーパーグループ」っていう呼び方をされるんですけどもね。
  そういうグループですよね。
  だから、どうでしょうね。
  スーパーグループていうものをコンセプトに作り始めたのはクリームが最初、って言うことができるのかな。
  I Feel Freeをお送りしました。 
□ストーリー
 ・「僕らはよく、ジュリアの家のバスルームで練習したもんだよ。そこはエコーがかかって最高だったからね。
  それにしても、あんなに仲の良いジョンとお母さんのジュリアが一緒に暮らしてないなんて、すごく不思議な感じだったね。」
  これはジョン・レノンが1956年の冬に、自分の通うクォーリバンク・グラマースクールの同級生を中心に
  数人の仲間たちと結成した最初のバンド=クォーリメンでバンジョーを担当していたロッド・デイビスの証言。

  ビートルズの4人の生い立ちに詳しい方ならご存知の通り、ジョンの母親ジュリアはジョンを出産してすぐに育児放棄し、新しい彼氏と同棲生活を始める。
  まだ赤ん坊のジョンはジュリアの実の姉、つまり伯母さんのミミに託されて育ててもらうことになる。
  しかしロッドの証言通り、ジュリアはジョンの住むミミ伯母さんの家からさほど遠くはない場所に住まいを構え、ジョンとは頻繁に行き来していた。
  もちろん、この妹の無責任さにはミミもあきれ返っていて、ジョンがジュリアと会うことすらあまり良くは思ってはいなかった。
  それでも母親の愛情をあまり知らずに育ったジョンにとって、やはり母親はたった一人であるし、大人の色恋の事情など知らされてはいなかった。
  さらに、厳格で生真面目な典型的イングランド女性であるミミ伯母さんに比べ、ジュリアは明るく自由奔放なヒマワリのような女性であった。
  多感な年ごろであったジョンが、ジュリアの家に行く回数が増えるのも無理のないこと。
  さらにジュリアは、ジョンの父親つまり自分の亭主であったフレッドの影響もあり、バンジョーを弾くことができた。
  まだギターを始めたばかりのジョンやクォーリメンの仲間にとって、弦の数の少ないバンジョーのコードフォームの方がかなり弾きやすかった。
  こうしてジョンとその仲間のギターはすべてバンジョーのチューニングに変更、それはアメリカの黒人ブルースで使うオープンチューニングに近いものであった。
  〜 The Beatles / I Feel Fine (Blackpool 1965)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VoKt-N-OudU
  
  〜 Petula Clark / Downtown
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FKCnHWas3HQ

  (小林)いかがですか、2曲続きました。
  
   I Feel Fine(1曲目)、これはブラックプールというリバプールの近くの場所のABCシアターっていう所のライブですね。ビートルズの。
  これはイギリスとアメリカで1位になった、I Feel Fine ライブ。

  そして今聴いたのは(2曲目) Downtown。
  実はビートルズの I Feel Fineが1位、その次の1位はこの Downtown、アメリカでの1位ですよね。
  でも、これはイギリスでももちろん大ヒットで1位なんだけど。
  アメリカはこのころ想像できますか?、ビートルズとか、イギリスの連中がワーッと来て1位ですよ。
  それでそのあと Downtownってのは歌の内容もね、ロックぽいビートルズぽい世界じゃないんですよ。
  下町へ行くといろんな事があって楽しいよ、っていうイギリス歌謡ですよ。
  ただ、ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)はイギリス英語、だからアメリカ人がいかにイギリスにやられていたか、っていうのがこの時代でよーく判ります。
   
□ストーリー(続き)
 ・「ようし、バンドのメンツはそろった!。あとは練習練習。
  でもなあ、練習ばっかじゃつまんないよなあ。早く、どっかライブ出来る所、見つけないと。」

  1956年、16歳のジョン・レノンが最初に結成したグループ=クォーリメン。
  彼らは当時大流行していたスキッフルと呼ばれるイギリス特有の音楽をレパートリーに取り入れ、コンテストなどにも参加していたが、
  あまり評価は高くない。
  苛立つジョンは、早くライブがやりたくてしょうがなかった。

  そんな中、この年1956年、ジョンと親友のピート・ショットンらが通うクォーリーバンク・グラマースクールにエドワード・ポブジョイという新しい校長が赴任した。
  まだ35歳で校長先生としては若かったのであるが、少年のような髪型と物静かでユーモアのある口調のせいでますます若く見え、人気があった。
  この新任の校長は、怒鳴ったり皮肉を言ったりしなかったので、クォーリーバンクの不良連中は「こりゃあ楽な時代になったもんだ」と喜んでいた。
  前の校長から新任のポブジョイ校長に引き継がれたデータの中には「ジョン・レノンとピート・ショットンは学校きってのワルである。」
  という項目があった。

  この報告書に関してポブジョイ氏はこう語っている。
  「ある先生などは、ジョンとピートに脅されただけに留まらず、実際にジョンに殴られたと言うんです。
  その気の毒な先生は、恥ずかしさのあまり『事件を教育委員会やPTAに報告しないで欲しい』と懇願したんだそうです。」  
  しかしポブジョイ校長は、最初からジョンとピートを色眼鏡で見たりはしなかった。
  彼は二人をさりげなく観察し、彼らがそれほどの不良ではないことを見抜いていた。
  懲罰の記録によると、ジョンは新年度になってからは一度しか鞭(ムチ)の罰を受けていないし、ジョンもピートも確かに一週間の停学処分になっているが、これもたった一度きり」
  ワルの烙印を押された二人を、若き校長先生は愛を持って見守っていたのである。
  〜 The Beatles / Dont Let Me Down(PMV)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7kKqg05gXEI

  〜 George Harrison / My Sweet Lord
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3VUIB41EUFA

  (小林)2曲続いています。

  ジョージ・ハリスンの My Sweet Roard。
  ビートルズが解散してジョージ・ハリスンはソロアルバムを出して、お聴きの通り、もうジョージ・ハリスンの世界を創り上げますけれど。
  これはもう、いろんな国でナンバーワンを記録しています。

  その前が、これは1969年、Dont Let Me Down。
□ストーリー(続き)
 ・「なんだ?前の校長からの引き継ぎ記録によると、ジョン・レノンもピート・ショットンもかなりのワルみたいに書かれているけど
  ジョンは新年度になってから一度しか鞭(ムチ)の罰を受けてないし、
  ジョンもピートも確かに一週間の停学処分にはなっているがこれもたった一度きり。
  模範生とは言い難いにしても、それほどの不良とは言えないな。」

  この呟(つぶや)きの主は、ジョンと親友のピート・ショットンが通うクォーリーバンク・グラマースクールに新しく赴任して来た35歳の若き校長、エドワード・ポブジョイ。
  ワルの烙印を押された二人を、この新米の校長先生は愛を持って見守っていたのである。
  さらに驚きだったのは、ポブジョイ校長は「スキッフルを良し」としていたこと。
  バンドをやっている生徒が少しばかりやんちゃな事をしたとしても、決してバンド活動そのものを辞めさせたりはしなかった。
  校舎の裏でタバコを吸っている生徒を見かけても怒ることは無く、
  「もっと意味のあることをしようじゃないか?」
  と生徒のモチベーションを上げるような指導を心がける素晴らしい教育者だったのである。
  
  ある日ジョンは、服装も髪の毛もきちんと整えた上で校長室のドアをノックした。
  その表情は反抗的なものではなく、謙虚そのもの。
  ポブジョイ校長ならば、きっと分かってくれると確信していたのである。
  その用件とは、
  「僕らのバンド=クォーリメンに、6年生が主催するダンスパーティの中で10分間だけ演奏させてもらえないでしょうか?」
  というもの。
  もちろん校長先生は快くOKを出してくれた。

  そして、学校以外のクォーリメンが狙っていたパフォーマンス場所はと言うと、ウールトン地区のセント・ピータース教会。
  ただしこの教会でも問題はあった。
  ジョンは小学生の頃ここの聖歌隊のメンバーであったが、一度も真面目になんか歌ったことは無かった。
  この頃ジョンはすでに替え歌の名人で、毎週のように下品な歌詞を発明して教会を混乱させていた「札付き」だったのである。
385ホワイトアルバムさん:2013/01/17(木) 14:48:45.14 ID:???0
148 :ドレミファ名無シド:2013/01/02(水) 13:08:09.91 ID:n0yzqGeS
明けましておめでとうございます。
ここはメーカーさん、販売店さんは書き込みしてないんですね ?!
コピペ君、執拗な営業妨害のカキコしてた人達がいてビックリしました。
うちの店舗に来てた年末のメール抜粋コピペしておきます。

株式会社XXX部
XXX様

いつもお世話になっております。
株式会社XXX、XXXです。
平素は格別のお引立を賜り厚くお礼申し上げます。
さて、誠に勝手ではございますが、弊社の年末年始休暇につきまして、
下記の通りお知らせ申し上げます。
何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。

尚、販売店様よりご指摘の件
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/compose/1353062858/242-243 掲示板の(この様な通称:コピペおばさんの一人芝居による)迷惑行為
所轄の警察署にて被害届受理頂き、プロバイダー様のご協力により
株式会社XXXと弊社共同にて告訴の手続きが整いました。
近日中に詳細ご報告文書にて、担当者がお届けにお伺い致します。

※このスレは本社及び販売店関係者に監視されている可能性があります※
コピペおばさんの特徴は
・腹を立てると挑発的なコテをつける
・そのコテに対立する相手を即座に演じる
・上2つのどちらかに反応したらその相手を一方的に煽り粘着するのがコピペおばさん(その際に●※1)
・感極まるとその場の勢いで糞スレを立ててしまう
・口癖はチンカスギター、送り返せ、チンカス変態スレ主、まだかな〜、「>>69-71
●※1複数回線で固定、単発を使い分け自演・・・固定vs大勢の単発、固定vs固定(の時は単発が激減など)

千野志穂の件と同様に]デーは3ヵ月後が目安ですかねw
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (住所不明/男性)
  先日、高校の創立50周年の同窓会で田舎に行ってきました。我が高校もビートルズと誕生が一緒でした。
  帰りが日曜日だったので克也さんの声が聴かれないと思っていましたが、
  今はスマホアプリで全国のFMが聴くことができるので、ちょっとビックリでした。
  もちろん、しっかり聴くことができて嬉しかったです。
  アナログLPも発売されて、ますますビートルズは盛り上がり、バンザイです。
  今回は「Can't buy me love」をお願いします。
  この番組では意外とかからないように思うんですが。  

  (小林)そうですかねえ?。
  かからないってことは無いですけどね。
  じゃあ、かけますよ。

  〜 The Beatles / Can't buy me love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mi-2Tj5FhMc
  〜 John Lennon / Happy Christmas( War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N8Lfhldo6qg

  (小林)さっきの Can't buy me loveは、なかなか かかんない? まあ、かかるわけですが。

  この曲は最近よくかかっています。
  お正月になって、こういう歌を聴くのも良いもんでしょう?。
  まあ「ハッピーニューイヤー」なんて歌ってますけど。
  ビートルズはその昔、クリスマスショーていうのをやっていて、1月10日ぐらいまで「クリスマスショー」てのをファンのためにやっていましたからね。
  日本はけっこう季節にこだわったりしますけど。

  (松戸市/女性)
  最近ショックだったことがあります。
  「原発を停止することは核を減少させるということで、他国からの脅威に晒される」とコメンテーターが言っていて。
  じゃあ結局、武力が大事なの?争いがどんなにばかげていて悲しくて虚しいか学習していないの?と思いました。

  (小林)
  ということで、あなたからのメッセージを込めたリクエスト。
  (千葉市緑区/男性)16歳
  ビートルズの「イエスタデイ」私はいつも悲しいことや辛いことがあった時に、しみじみとこの曲でビートルズを感じています。
  
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU

  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jCyGM6tLePY

  (小林)
  というわけで、 Yesterdayがかかってだよ Hey Jude、もうw、ど真ん中が続いております。

  (千葉市/男性)
  去年の文字は「金」でしたね。僕はてっきり「賞」だと思って、 
                                         (小林)ああPrizeの「賞」ね。
                                             メダルなんかいっぱい取ったから。
  そう言えば「金」と言えば、ロンドンオリンピックですね。
  そこでリクエストです。
  開会式でポールが歌っていた。

  (小林)
  ていうことで、おかけしました。
  でもあれは、大人はあんまり「金」てのはピンと来なかったんじゃないか、と思いますよ。
  僕は、そうかわかんないですけどw、ぜんぜんピンと来ないよね「金」ていうのは。
  むしろ「金」じゃなくて「カネ」にしてくれたらピンと来たんじゃないかと大人は思うんですが。
  大人はダメ? 夢がない?w  はいw。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」 いかがでしたか?

  お話しの方は、ジョン・レノンが15歳ぐらいですね。  
  だから、日本でいうと高校一年ぐらいのジョン・レノン。
  高校一年ぐらいのジョン・レノンてことは、ポールたちはもっと若いわけですけど。
  どんな音楽が流行っていたのか、どんな影響を受けたのかってのがよく分かってね。
  若い方も、けっこうご賛同を頂いているのではないでしょうか。
  
  リクエストもよろしくお願いしますね。
  [email protected]
   
  リクエストも、別に専門的なことを書かなくてもいいんですよ。
  簡単にね、自分の正直に思うことを、わがままに書いていただいて。
  ビートルズに限らなくてもいいんですよ。
  「ビートルズから始まった」というテーマで、リクエストなんかをお待ちしています。
>>384の次

  〜 The Beatles / Maggie Mae
  ttps://www.youtube.com/watch?v=15hVpsMgdI8 

  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hOq9AXwiiBE

  (小林)(2曲目)これは有名な、ライブのバージョンであります。
  「アンソロジー(Anthology)3」に入っているバージョンを聴いて頂きました。
  
  (1曲目)そして、「レットイットビー(Let It Be)」のアルバムの中に入っている、ちょっと…。
  ジョン・レノンは本当に替え歌の名人ていうか、広告代理店に勤めればコピーライターとしても有名になったであろう、みたいな。
  その才能ぶりを発揮しています。
  Maggie Mae。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 1月20日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  「レットイットビー(Let It Be)」の撮影がアップル社の地下に移る、とあります。
  これはどういう事かと言うと、
  映画「レットイットビー」の撮影をしようじゃないか、ポール・マッカートニーの号令のもと、
  1969年の正月早々、トゥイッケナムの撮影スタジオで、撮影しながら音も映像も録っちゃおうという、
  「ビートルズ本来のスタイルに戻ろうよ」っていう。
  ポールが言って。
  楽曲をアレンジするところから、リハーサルの段階から、みんなそれを撮影して、ドキュメンタリーとして、隠すことなく撮影しようよ。
  ところがですね、撮影スタジオっていうのはね、暖房とかそういうのは最悪なんですよ。どこの国行っても。
  で、寒い中で、充分いい条件じゃないわけですよね。
  そんな中で、ジョンとジョージとリンゴはストレスが溜まっちゃうわけですね。
  で、ポール・マッカートニーも頑張り続けるんだけども、
  とうとうトゥイッケナムの撮影スタジオから場所をアップルの本拠地、地下にアップルスタジオを作ってたわけですよ。ビートルズはね。
  で、それを任せていたのが、スタッフの中で「マジック・アレックス(Magic Alex)」「俺は天才発明家だ、スタジオは俺に任せてくれ」っていうことで
  「よーし、任せた」っていう。
  で、そこのスタジオへ行ってみると、けっきょくダメなんですよ。
  録音なんて、本番に使えない状態なんで。
  けっきょくマジック・アレックスが こいつは詐欺みたいなやつだったんですよw半分ぐらいねw。
  メンバーとは仲良しなんだけど、ちょっとアテにならなかった。
  結局録音機材はアビーロードスタジオからレンタルして、そしてそこで録音し始めた、っていうことなんですよ。
  それが、44年前の今日。
  さあそれじゃあ、その不完全なままで、アビーロードスタジオの機材を借りて録音した曲、聴いてみますかね。
  「アンソロジー3」に入っています。 
  
  〜 The Beatles / Dig a Pony(Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sjXCiWYbGi0
  
  (小林)へへw・・・
  ビートルズの Dig a Pony。
  スタジオの雰囲気ですよね。リラックスしてるよね。
  ジョージ・マーティン=プロデューサー、それからレギュラーのエンジニアのジェフ・エメリックなんかはいません。
  その状況で、アップルのスタジオでの録音。
□ストーリー
 ・「僕らのバンド=クォーリメンに、生徒会が主催するダンスパーティの中で10分間だけ演奏させてもらえないでしょうか?」
  クォーリメンとは1956年の冬に、当時16歳になったジョン・レノンを中心に結成された、ジョンにとっての最初のバンド。
  ダンスパーティへの出演は35歳の新米校長先生=エドワード・ポブジョイ氏が快くOKを出してくれた。
  このポブジョイ校長という人物は、それまでの噂やレッテルに左右されずに生徒の一人一人と向き合い、人間同士として接することを信条とする素晴らしい人格者であった。
  もちろんクォーリメンの活動も、陰ながら応援してくれたのである。
  
  そして学校以外にクォーリメンが狙っていたパフォーマンス場所は、というと、ウールトン地区のセイントピータース教会。
  ただし、この教会でも問題はあった。
  ジョンは小学校の頃ここの聖歌隊のメンバーであったが、一度も真面目になんか歌ったことがない。
  この頃ジョンはすでに替え歌の名人で、毎週のように下品な歌詞を発明し、教会を混乱させていた。
  言わば「札付き」だったのである。
  
  しかし、それも昔の話し。
  ジョンと友人のピート・ショットンは今もこの教会のユースクラブに所属し、道をはさんだ向かい側にある講堂に集まっては、バトミントンや卓球で遊んでいた。
  つまり言い換えるならば、当時の教会というものは子供や学生たちにとっての社交場のようなものであった。
  そしてこの教会でジョン・レノン率いるクォーリメンが演奏するのは、ユースクラブが主催する「ポップ」と呼ばれるダンスパーティ。
  出演料こそゼロではあったが、ステージを存分に使わせてもらえるし、教会ならではの自然の残響の中で気持ちよく演奏ができた。
  さらには、ジョンがギターの弦を切ってしまっても、教会から修繕費を出してもらえた。
  こうしてクォーリメンは少しずつではあるが、確実に腕を磨いて行ったのである。
  〜 John Lennon / Ya Ya
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ym_QFWdYV0Q
 
  (小林)ジョン・レノンの歌声で Ya Ya
  これはジョン・レノンのソロアルバムですね。1975年「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」
  50年代60年代の、ジョンの好きなロックンロールをカバーしたアルバムの中からYaYa。
□ストーリー(続き)
 ・1956年、16歳のジョン・レノンが最初に結成したグループ=クォーリメン。
  バンドはジョンが通うクォーリバンク・グラマースクールでの演奏に加え、リバプールのウールトン地区にあるセイントピータース教会の催し物にも出演した。
  教会のユースクラブが主催する「ポップ」と呼ばれるダンスパーティである。
  クォーリメンは極めて気ままなバンドで、その時々に参加できるメンバーによって人数は増えたり減ったりした。

  バンド内では、結成し一年目にして早くも対立が生じていた。
  方や、純粋にフォークやスキッフルをやりたいと言う、バンジョー担当で優等生キャラのロッド・デイビス。
  もう一方はエルビス・プレスリーに夢中だったジョン・レノン。
  洗濯板担当のジョンの親友ピート・ショットンは、シンプルに演奏を楽しみたいだけで、音楽のジャンルはあまり気にしていなかった。
  みんなより少し年上でチビのドラマー=コリン・ハリントンは、演奏のあとバブで覚えたばかりのアルコールを飲む方に興味があった。

  クォーリメンのライブで、しばしばミュージシャン仲間、あるいは明らかに悪意のあるヤジを飛ばす観客との間でケンカが起こった。
  「おまえ、このやろう。今オレの女に色目使っただろう!」
  と客から声がかかる。
  こういう場面では、やはりリードシンガーのジョンがターゲットになった。
  スターは目立つのである。
  こういう時通常はジョンも腕力で対抗した。
  しかし、相手が明らかに強そうなときは別である。
  ジョンはネズミのように小さくなって、腕力暴力以上に自信のある「言葉の力」で相手を丸め込んだ。
  「中でも二人、すごいテディーボーイがいたんだよ。」 とバンジョーのロッドが語る。
  「名前はロッドとウィロー。ウールトンでは行くところ敵なし状態だったね。やつらはいつでもクォーリメンを狙っていた。
  ある晩、演奏が終わって楽器や機材を持ってる状態でバスから降りたんだ。
  するとそこに、ロッドとウィローが待ち構えていた。
  テディーボーイスタイルの長いコート姿で俺たちを追い回すんだよ。
  メンバー全員、茶箱ベースを歩道に放り出したまんまで、散り散りに逃げたね。
  もう、ヘビみたいにしつこいんだ。
  あいつらは酷かったんだよ、とにかく。」
  〜 John Lennon / New York City
  ttps://www.youtube.com/watch?v=x3XCz3kfKVI

  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fj0fqARxuL4

  (小林)ビートルズファンはどうなんですかねえ?(2曲目)こういうハードっぽいやつは。
  時代はハードな時代に入っているんですよ。始まってるんですよね。
  ビートルズの Helter Skelter。

  その前は、(1曲目)ソロになったジョン・レノンです。
  プロデューサーはジョンとヨーコと、ジョンの友達フィル・スペクター。
  「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ (Sometime in New York City)」の中から New York City。
□ストーリー(続き)
 ・「カントリー、ウエスタン、ロックンロール、スキッフル  ザ・クォーリメン。出演予約 受け付けます。」
  これはジョン・レノンの人生で最初のバンド=クォーリメンのキャリアの中で、初めて作った広告の文章である。
  活動も半年を過ぎ、メンバーチェンジもあり、
  元々ベース担当として参加していたナイジェル・ウォーリーはプレーヤーを卒業し、社交的なキャラクターを活かすべくバンドのマネージャーに就任した。
  彼はバンドの出演予約を取り付け、地元の店を回って交渉しては、タダで店のウィンドーにチラシを貼らせてもらっていた。
  高校生ながらキチンとした名刺も持っていて、そこにはやはりチラシと同じ文章
  「カントリー、ウエスタン、ロックンロール、スキッフル  ザ・クォーリメン。出演予約 受け付けます。」
  と書かれてあった。

  1957年の夏の初め、クォーリメンはローズベリーストリートの屋外パーティで演奏した。
  ドラムスのコリン・ハントンの友達で、バスドラムの表の側に入れるバンド名のデザインをした印刷職人が「ローズベリーストリート100年記念イベント」に関わっていたのである。
  このローズベリー周辺はリバプールの8区と呼ばれる地域で、普段クォーリメンが本拠地としているウールトンに比べるとかなり荒れた地域であったが。
  ビールは飲み放題、そして女の子もたくさん集まる、ということで、マネージャーもメンバーも全員一致でこのイベントで演奏することにした。
  
  クォーリメンはトラックの荷台に立って演奏したが、近所に病人がいるということで、午前中は演奏はすぐに中止となった。
  しかし午後になると その演奏は再開され、まずまずの喝采を浴びた。
  メンバーはみんな、青春の1ページとして演奏を楽しんだ。
  しかし、ジョンだけはすでに「自分はもっとビッグになる」ことを予測していたのである。
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dfyjAjFWYmo

  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o 

  (小林)ジョン・レノンの曲が2曲続きました。
  ねえ、ジョン・レノンの16歳のころの話しをお送りしてるわけですが、10年経つとこういう事をやってるわけですね。
  In My Life これは1965年です。
  で、67年は Strawberry Fields Forever。
□リクエスト
  (小林)採用の方には、もれなくイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  メールアドレスは [email protected]

  (千葉市若葉区/男性)
  自分は来年50歳。小中学生の多感期を豪州オーストラリアで過ごしました。
  毎週アメリカントップ40を聴いていました。
  今でもたいていの曲を覚えてるみたいで、何十年ぶりにラジオから流れてくるのを聴いた瞬間に記憶がよみがえり、口ずさむことができます。
  本当に不思議です。
  そのころ聴いていた曲で「イエスタデイスヒーロー(Yesterday's Hero)」
  それもベイシティローラーズ(BayCityRollers)じゃなくて、ジョンポール・ヤング(John Paul Young)という人が歌ってるのをよく聴いてました。
  こっちが本物ですよね?。
                          (小林)ベイシティローラーズはカバーです。
  ジョンポール・ヤングはもしかしたら、オーストラリアのローカルスター?
  はっきり判んないんですが、ベイシティローラーズが歌う曲よりも全然こっちが好きでした。
  万一このバージョンが無ければ 小林さんの好きなバージョンで。
  (小林)
  これはあの、オリジナルバージョンじゃなくて ライブバージョンがあります。
  こっちもけっこう(あなた)には喜んで頂けるんじゃないかと思います。

  〜 John Paul Young / Yesterday's Hero
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fz69KkSaBss
  〜 The Beatles / Back In The U.S.S.R
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M2uJiGEjxFw

  (小林)Back In The U.S.S.Rがかかりました。
  
  (東村山市/女性)
  最近、私の好きな曲がかからないので、ぜひこの曲を…。

  (小林) w
  好きな曲じゃなかった、ですか?w。
  (東京都渋谷区/男性)
  自分がビートルズに熱中していた中学高校の時はレコードの時代だったので、
  買うのに自分の所持金では なるべく収録曲がシングルとLPでダブらないように工夫したり、
  2枚組LPは値段も2倍でなかなか手が出せなかったり。
  1枚もののLPでも、見開きになっていて解説や顔写真とかたくさんあるレコードを選ぶ、みたいな。
  そんな中で、ジャケットが真っ白の、しかも2枚組LPが目を引いた。
  帯には確かにリンゴのレーベル写真と「ビートルズ」とはあるけど、限定番号が付いている。
  しかし、怪しい。
  LPの値段は4000円、なかなか買う決断はできない。
  近くの棚にはビートルズの世界的な某オーケストラのレコード1200円も並んでいて、ますます怪しい。
  また、レコードを聴く際、スプレーしてクリーナーかけてたんですが、
  フロンガススプレーの独特なニオイがフルーティに感じるのが、赤いレコード盤だった。
  赤いレコード自体はビートルズのレコードを買う以前の、小学生の時に買ってもらったテレビ漫画のソノシートでも馴染みはあって。
  ビートルズのレコードにも赤いレコードがあるんだ程度。
  自分の買った「ホワイトアルバム」は、たまたま赤いレコード盤でした。
  赤いレコード盤の件に付いては、後になって判ったんですが、何%かの割合で全タイトル出されていたようですね。
  その後、赤い赤盤、青い青盤、白いホワイトアルバムなど、限定で出されていて速攻に買い漁ってました。
  全タイトル赤いレコード揃えたかったですね。(小林)ww
  今となっては遥か遠い思い出です。
  赤いレコードだった「ヘルプ」のシングルのB面の曲をお願いします。
  これからも良い番組をよろしく。
  (小林)
  という、あなたのリクエストで・・・

  〜 The Beatles / I'm Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xRmqHXHUIEA
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hTsgx6YR5BQ

  (小林)
   Across The Universe羽ばたきバージョン をお送りしました。
  これは世界自然保護財団のチャリティーのアルバムに入っているやつですよねえ。
  
  (東京都大田区/女性)
  CMで流るのを聴いた子供が、初めてビートルズに興味を示した曲。(小林)なるほどね。
  日曜日 夕食を囲みながら家族で聴いています。
  私自身30年代のビートルズのファンで、5歳の息子にもDVDやCDを通じて好きな音楽が受け継がれているようです。
  先日、渋谷ヒカリエで催されたビートルズのトリビュートバンド「レイン」の演奏を家族全員で聴きに行きました。
  子供が途中で飽きてグズリ出したらどうしよう、と心配もしましたが。
  ほとんど知っている曲だったので、「あ、サージェントペパーズだ!」と息子も終始ノリノリで聴いていました。
  とても良い体験が出来たと思います。
  (小林)
  リクエストありがとうございました。
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか。
 
  ジョンのバンド=クォーリメンの頃の話し、なかなか面白いですよね。
  なにしろ初めてのバンドで、メンバーだって、入れ替わったり、ねえ、けっこう人数だっていい加減だったわけですよね。
  だけど、ジョンだけはしっかりしていて、いろんな場所で演奏するようになって。
  いよいよ、相棒と会うんですよ。「世紀の出会い」が待っています。
  これを楽しみに聴いていただきたいと思います。

  そしてリクエストの方は、
  何回も言いますけど、住所氏名とか電話番号なんかも書いて頂けるとほんとはうれしいんですけども。
  悪用したりとかそういうふうな事は無いですから。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  その時、調べたりしなくて便利なように、お願いしますよ。
  
  それから、ビートルズの曲とは限りません。
  皆さんの好きな曲とか、ビートルズに関連のある曲とかね、コメントも添えてリクエストよろしくお願いします。
  待っております。
このスレも いよいよ490KBを越えてまいりました。
512KBまであと少し。
前スレ同様たぶん500KBで終わるでしょう。
406ホワイトアルバムさん:2013/01/30(水) 22:36:18.61 ID:???0
1レスが長いからねえ

ちなみにこの番組でグランジ風の曲が
リクエストで紹介されたことってなかった?
去年の春から夏にかけてくらいに
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月27日)
 ・1970年(今から43年前の今日)
  もう ビートルズは解散しています。
  ジョン・レノンが急に思い立って、「インスタントカーマ(Instant Karma)」、お馴染みの曲かな?。
  ジョン・レノンになると、ちょっとビートルズほどポップスじゃないからね。
  ここらへんから、ちょっとビートルズファンも別れてくるんですよね。
  「インスタントカーマ」はちなみに、ジョン・レノンの曲としては大ヒットするわけですが。

  インスタントカーマを思いついて、その日の夕方すぐスタジオに入ります。
  これはすごいんだよねえ。夜の7時に、もうスタジオ3だから、いつものスタジオとはちょっと違うのかな。
  そこで録音を開始して、そのうちに、朝までかかったかどうか知りませんけども、
  その日のうちに出来ちゃって、ミックス作業も終えて、10日後の・・・
  これねえ、ほんと10日後、店にレコードとして出るっていうのは、もう考えられないことですよね。
  いかにもうビートルズが神様みたいな存在だったか、ジョンがすごかったか、ポールがすごかったか。
  「とにかく出せ!」ってことで出たわけです。

  で、ジョン・レノンはプロデューサーにフィル・スペクター(Phil Spector)を頼みます。
  で、これが気に入るんですよね。
  ただ、ものの本によると、フィル・スペクターはいろいろ楽器の追加を要求したらしいのよね。
  で、最後に「ストリングスも入れようよ」っていうことで、ジョンは「ちょっと、それは待ってくれ」っていうことで
  ストリングスは入れなかったんですけども。
  ジョンはフィル・スペクターの仕事は大いに気に入って、このあと何十曲も録音して、カバーバージョンとかね。
  「もうこれは、どうにも出来ないよ」っていうふうな、有名なアルバム、知ってますか?
  「レット・イット・ビー(Let It Be)」のアルバムをプロデュース、フィル・スペクターに頼むことになるわけですよね。
  さあそれでは、その「思い付いた」っていう、
  思い付いて、もうはっきり言って10日後には店に出ていた、ていう。
  ジョン・レノンだから出来るような技だと思いますが。
  ジョン・レノンの「インスタントカーマ」をもう一度。
  
  〜 John Lennon / Instant Karma
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3qvosHHcWc

  (小林)どうですか?ジョン・レノンの名曲「インスタントカーマ」
  これ、思い付いてそのうちにやっちゃった、ていう。

  バックはギターにジョージ・ハリスンだとかビリー・プレストン(Billy Preston)だとか。
  まあ名義でいくと、プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)っていう事になるんでしょうかね。
  ドラムスがアラン・ホワイト(Alan White)で、ベースがクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)っていう、こういうバンドでやって。
  やっぱり、これはジョンらしいですよね。
  ビートルズの頃は、おそらくジョンとポールの区別が、そんなにできない。
  まあ、ものすごく聴き詰めると判るわけですけど。
  だけど、ソロになってから正体が判ってきますよね。
  だから、こういうジョン・レノンが一番好きだ、という人もかなりいます。
409ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】(-1+0:8) :2013/01/31(木) 19:44:14.58 ID:tRKRtZ8V0
□ストーリー
 ・「カントリー、ウエスタン、ロックンロール、スキッフル、ザ・クォーリメン。出演予約 受け付けます。」
  と書かれた名刺を持って、駆け出しバンドのクォーリメンのマネージャー=ナイジェル・ウォーリーは演奏場所探しにがんばっていた。
  バンドを結成してから数カ月経った1957年の夏の初めになると、クォーリメンにもボツボツと仕事が入るようになり
  高校生バンドにしては、そこそこ名前も知られるようになっていた。
  こうしてメンバーは、青春の1ページとして演奏を楽しんでいたが。
  バンドのシンガーでリーダーである少年だけは すでに「自分はもっとビッグになる」ことを予測していた。
  少年の名は ジョン・ウィンストン・レノン。
  後にビートルズのフロントマンとしてロックの世界で頂点に立つ男、ジョン・レノン。
  そしてこのレノンの前に、もう一人の天才が現れることになる。
  少年の名は ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  マッカートニーもまた、ビートルズの二枚看板の片方として ロックの世界の頂点に立つ人物であることは言うまでもない。

  ポールの生まれ育ったリバプールの家では、音楽は途絶えることがなかった。
  父親のジム・マッカートニーは、戦前には「ジム・マック・ジャズバンド」を率いて活躍していたローカルのミュージシャン。
  このマッカートニー家のリビングには、かつて経済的に余裕のあった時代に、地元のNEMS(North End Music Stores)で買ったアップライトピアノがあった。
  たまに時間が空くと父親のジムはこのピアノのふたを開け、好きだったジャズのスタンダードナンバーを弾いてくれた。
  この数年前に、優秀な看護師として病院に勤務していた妻のメリーを乳癌で亡くして以来、ジムは経済的にも落ち込み笑顔を忘れていたが、もうすっかり立ち直っていた。
  二人の息子、中学生のポールとマイケルのために「仕事も家の事もがんばらないと」ジムはそう心に決めたのである。
  「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだな」15歳の少年ポールは、その事実をしっかり受け止めていたのであった。
  〜 The Beatles / Honey Pie 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BTuOAPE-LOo

  〜 The Beatles / Till There Was You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mr5gCdUXJQY
  
  (小林)Honey PieそしてTill There Was You と続きましたが。
  ロックファンは、「ビートルズの、この初期の頃は、ぜんぜんロックじゃないね」wって思う方もいるかもわかりませんけど。
  彼らが14〜5歳の頃の話しをしているわけですが、そのころはロックは全体のマーケットの10%にも行ってないからね。
  だから、この時代は、特にポールなんかは昔のものを、お父さんを通して、ばっかりじゃなくて、自分で常識として持っていたんじゃないかと思われますね。
  Till There Was You もアメリカではペギー・リー(Peggy Lee)のヒットでお馴染みです。
 
  で、あと Honey Pie お送りし致しました。
□ストーリー(続き)
 ・「中学生のポールとマイケルのために、仕事も家の事もがんばらないと」ジム・マッカートニーはそう心に決め、仕事に家事に子育てに励んだ。
  その一方で「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだなあ」 15歳の少年ポールは、その現実をしっかり受けとめていたのである。
  もちろんジムにとって、家事、つまり家庭内の雑務はまったく未知のものであったが、彼はガマン強く少しづつ全てを身に付けていった。
  料理も 裁縫も 洗濯も アイロンがけも自分で覚えた。
  毎日綿花市場での仕事を終えると、急いで肉屋と八百屋に行き、リバプールのアラートン地区にある家に帰って掃除を済ませて、ポールとマイケルの夕食を作る。
  ジムの姉妹、つまりポールとマイケルの叔母さんたちもそれぞれ週に一度やって来て、丸一日かけて家中をきれいに掃除してくれた。
  近所の女性やその娘たちも、何かあればすぐに駆けつけた。
  ポールとマイケルが学校から戻って来れば、たとえ家に誰もいなくても、メモが残され、どこに何があるかが判るようになっていて。
  暖炉にはすぐ火を起こせるように、薪と焚き付けに使う古新聞が置かれていた。
  ポールの父親ジムも、ジョンの育ての親である伯母さんのミミと同じく「我が家からは絶対にテディボーイを出すまい」といつも眼を光らせていた。
  ただ問題は、ジムは一日中仕事で留守にするために、ポールとマイケルだけで床屋に行かせ、洋服も子供たちだけで店に行って選ばせるしかなかった。
  ということ。
  
  ジムが不思議に思ったのは、二人の息子のうち とり分けポールが床屋から帰ってくると、
  なぜか髪が盛り上がっていて、髪を切る前よりもむしろその分量が増えているように見えることであった。
  さらにヘアスタイルだけでなく、服装をめぐっての争いも繰り広げられた。
  ポールが身に着けるズボンの裾が 日に日に細くなって行くのである。
  当時これは「ドレーンパイプ(drain pipe)」「排水管」と呼ばれていたデザインのもので。
  それはまさに、「テディボーイの制服」とも言えるスタイルだったのである。
  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Os8qC2vSEBI
  
  〜 Ringo Starr / Liverpool 8
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OM34giD4o4w

  (小林)いやあ、これはけっこう盛り上がる曲(2曲目)ですよねえ。
  リンゴ・スターの Liverpool 8という、
  これはリンゴ・スター自からが作曲。
  そしておそらくプロデューサーのデイブ・スチュアート(Dave Stewart)
  デイブ・スチュアート知ってますかね?、みなさん。
  80年代のあの「ユーリズミックス(Eurythmics)」知ってますかね?
  ユーリズミックスの人ですね。
  デイブ・スチュアートがプロデュースして、作曲も手伝ったりしていますけど。
  まあ、リバプールを出て行かなきゃいけなかったわけですよ、ビートルズだから、ね。
  でも、名を辱めるような事はしなかった、ていう。
  ちょっとドラマチックなビートルズの歓声も、ビートルズに対するファンの歓声も、盛り込んだり。
  それから、後半のリバプールの叫びは、サッカーを思い出す人が多いんじゃないでしょうかね。

  その前は70年の、ポール・マッカートニー、ソロアルバムの中に入っています。
  ポールらしい Teddy Boy。