【bayfm78】ビートルズから始まる 7【小林克也】

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1ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】
※前スレは512kを越えたので終了しました。

bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)


前スレ
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/beatles/kako/1268/12685/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
2ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/31(月) 22:30:57.27 ID:???0
10月23日放送分のエンディングは省略します。
3ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/31(月) 22:40:28.67 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年10月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 10月30日)
 ・1962年(今から49年前の今日)
  まだビートルズは世界的に有名になっていません。
  ビートルズはこの日の朝、ハンブルグへと飛び立ちます。
  そうです、ビートルズはハンブルグでけっこう勉強するんですよね。修行するんですよね。
  ハンブルグでのライブていうのは、ビートルズにとって、とてもプラスになるわけですが。
  最初にハンブルグに行った時は、ワーゲンのバンに乗って船で渡りました。
  でも、だんだん条件が良くなって飛行機で行くわけですが。
  しかし、この時の49年前の今日というと、ビートルズはもうメジャーデビューを果たしていました。
  でも、なんでビートルズがわざわざハンブルグ巡業をするのか、という疑問があるわけですね。
  二つ理由があって、二つ説があるんですが。それがですね、デビュー前からハンブルグの仕事が決まっていた、決まっていたほど人気者だったから。
  それから、もう一つの説は、パーロフォンレコードからの印税は雀の涙ほどだったために、ツアーで食いつなぐしかなかった、という説で。
  実はこれはですね、両方とも正しいんですよ。
  メジャーデビューしていたけど、このころビートルズはレコードで稼いでレコードで食えるなんて夢にも思ってなかったんですよね。
  レコードで有名になって、そしてライブで金を稼ぐ、そういう時代です。
  今みたいに、今はどうでなんでしょう、だんだんライブで稼がなきゃだめな時代になっているんですけど。
  100万枚も200万枚も売ってですね、何億円も入るような時代じゃなかったんですよ。
  実は4回目となるこのハンブルグ巡業は、11月14日に終わりますが、最後の5回目の巡業てのがあるんですね。
  これが、12月18日から31日の大晦日まで、何回もビートルズは行っているわけですね。
  で、5回目のハンブルグ巡業の時は、スタークラブと言うハンブルグで一番有名なクラブ、一番いろんな若い連中なんかも集まったクラブ、
  そこの花形としてビートルズは登場します。
4ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/31(月) 22:41:41.88 ID:???0
  そこで実は、マイクロフォン一本で録った貴重なライブがあるんですが、それを聴いて頂きます。  
  最初にビートルズがレコーディングをしてアルバムを録った時は、ジョン・レノンが風邪ひいていて、ミルクで喉を潤おして、
  そしてそのミルクがピンク色に染まったなんてエピソードがありますが。
  ハンブルグでライブでやっていたジョン・レノンのボーカル、ビートルズのスタイル、これを貴重なライブです。  
  だけど、音悪いけどねえ。よくわかるんだよ、バンドとしての姿が。
  行くよ!。

  〜 The Beatles/ Twist and Shout
  http://www.youtube.com/watch?v=jKZpdcZugtY  

  (小林)いや。盛り上がってます。Twist and Shout。
  ねえ、レコードとほぼおんなじですよねえ。だけどwこれを、もうレコーディングする前からこういうのをやってたわけですねえ。
5ホワイトアルバムさん:2011/11/02(水) 21:04:12.89 ID:???0
いつもありがとう。乙
6ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 22:40:17.85 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「1950年代というと、イギリスではまだまだレコード業界は未熟だったね。だからまだ若手と呼ばれていた僕らも、安い給料でがまんしないといけなかった。
  今から思うと、いくら好きな仕事とは言え、本当に安過ぎたんだけどねえ。」
  こう語るのは、ビートルズをロックの世界、いや音楽の世界でトップのそのまたてっぺんに導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。
  
  マーチンがEMI系のレーベルであるパーロフォンに入社したのは1950年の秋。
  彼はまだ24歳であった。
  自由の国アメリカならいざ知らず、イギリスは古い伝統と保守的な階級社会の国。当時24歳というと、もう大人になって落ち着く歳であった。
  マーチンの場合も そのご多聞に洩れず、最初の妻シーナと家庭を持っていた。
  同世代の女房持ちの連中に比べ、低収入であったことは間違いがない。
  ともあれ、数年経ってそのジョージ・マーチンにも、昇格の時期がやってきた。
  彼を自分の直属の部下として、ブレーンとして可愛がってくれたオスカー・プリウスが定年のため退職し、
  その後釜として、まだ30歳そこそこのマーチンをパーロフォンの最高責任者に任命するという話が持ち上がった。
  マーチンがそのことを最初に聞いたのは、EMIグループの役員・幹部が一堂に会する夕食会の席。
  当時のEMIの会長であるC・H・トーマスがマーチンに近寄りこう言った
  「マーチン君、君はすでに気付いていると思うが、我々はオスカーがいなくなった席に君に座ってもらおうと思っている。
  もちろん君のことを、若すぎるとか、役不足だとか、いろんなやっかみを言う連中はいるだろうが、気にする事はない。
  我々は君の実力をしっかりっと評価している。よろしく頼むよ。」
  退職したオスカーから、なんとなく伝えられていたとはいえ、マーチンは武者震(ぶる)いしてこう答えた
  「わかりました。私、ジョージ・マーチン、人生を賭けて頑張ります。」
7ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 22:42:11.65 ID:???0
  〜 The George Martin Orchestra /By George! It's the David Frost Theme
  〜 The Beatles/ When I'm Sixty-Four   
 
  (小林)お馴染みのビートルズのポール・マッカートニーのWhen I'm Sixty-Four。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandのアルバムに入っている、名曲の一つ。
  ロックという感じじゃないよね。

  その前の曲も、かっこいいけどロックていう感じじゃないでしょう。
  これはジョージ・マーチン・オーケストラで George! It's the David Frost Theme。テレビのデイブ・フロストのショーのテーマです。
  まあ、50年代とか60年代なんかのアメリカとかイギリスのテレビ、日本のテレビなんかもそうかな、テーマ(音楽)があってね。
  それも、ビッグバンドがやるわけですよね。  
  それをジョージ・マーチンがやってました。
  ホストですからね(アナウンスで)「デイブ・フロスト!」って言うと、ダーンとこのテーマがかかってきて。
  それにのって階段から駆け降りてくるとか、下手か上手のドアから出てくるとか、それで、拍手がワ〜ッと。
  そういう音楽を作っていたわけですね。
8ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 22:45:12.14 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「マーチン君。我々は、オスカーがいなくなった席に君に座ってもらおうと思ってる。
  もちろん、君のことを、若すぎるとか、役不足とかいろんなやっかみを言う連中もいるだろうが。気にすることはない。我々が力になる。よろしく頼むよ。」
  こう語るのは、EMIパーロフォンの1960年の時点での会長、C・H・トーマス。
  マーチン君とは、後にビートルズのプロデューサーとなる人物、ジョージ・マーチン。
  EMIグループの役員や幹部の全員が出席する夕食会の席で、昇格が約束された。
  マーチンはかなり興奮していた。
  マーチンが入社して以来の直属の上司、オスカー・プリウスの定年退職による昇格とはいえ、
  自分はまだ20代から30代に差しかかった、ほんの若僧である、と認識していたのである。
  もちろん、オスカーが事実上はパーロフォンの社長であった時代から、建前上はオスカー・プリウスのプロデュース作品でもマーチンがスタジオの現場を仕切っていた作品は、数多く存在していた。
  オスカーの影武者として、いくつもの仕事をしていたのである。
  しかし、それはあくまでクリエイティブな現場でのこと。
  これが会社の経営となると、また別の話しである。
  マーチンは語っている。

  「レコード会社というものは、建前上は音楽芸術を広く社会に知らしめるための社会貢献事業を行なう団体、と言うこともできるでしょう。
  しかし、ある資本の元に設立され運営されている以上、これは立派な営利目的の企業です。
  営利団体である以上、会社を設立した資本家はいかに労働者を安く効率的に使い、経営陣や株主がいい思いをするか、という本音上の目的も常に存在しています。
  果たして、自分にその任務を遂行することができるのか、それはかなり不安でした。
  さらに不満や不安があったとしたら、それはスタジオの設備に関してでした。
  我々制作スタッフは何とか使ってはいましたが、アビーロードの設備はアメリカに比べると10年は遅れていました。
  例えば、ギタリスト=レス・ポール(Les Paul)の作品の数々、あれはアメリカで作られるマジック、あるいはミラクルと言っても言い過ぎではありません。
  まるで魔法のようなレコードでした。」
9ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 22:47:35.91 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「入社して制作畑でがんばってきた最初の数年間は、ただ音楽を、レコードを作っていれば良かったんだけど、レーベルの責任者となるとそれだけではいけなかったんだね。
  本当の意味で、セールス売り上げを意識するようになったのは、恥ずかしながらこの頃だったよ。」
  そう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物、ジョージ・マーチン。
  イギリスのレコード会社の当時の情況をマーチンは語ってくれた。

  「当時のイギリスとアメリカとでは、エンターテイメントの歴史と規模が全く違っていた。文字どおり桁違いだったね。
  だから、イギリスの大手のレコード会社はみんな自前で作るイギリス産のレコード楽曲よりも、アメリカのアーティストのレコードを販売して何とか売り上げを保っていたんだ。
  実際、EMIグループが契約していたアメリカのレーベルには、コロンビア・RCAなんかがあったんだけど、これら全てはアメリカ側が主導権を握っていた。
  一時、それらのほとんどが契約を更新しない、あるいはオランダのフィリップスという会社と契約をするので契約を終了させて欲しい、と言い出して
  会社中が大騒動になったことがあったんだよ。
  だって、それまでイギリスでは我々EMIグループが販売し大きな利益を上げていた ライ・ミッチェル、フランキー・レイン、ドリス・デイ、ジョニー・レイ、
  そして何と言ってもあのエルビス・プレスリーのレコードの販売権まで失くしたわけだから、かなりのダメージだったんだよ。
  実際、こういった権利ビジネスはギャンブルと一緒で、あるレーベルの販売権を買うということは、人間アーティストを買うのと同じこと。
  だから、一度契約をしてもこちら側としては、アーティストが逃げてしまわない事をじっと願うしかなかった。
  だから、新しくEMIの会長になったジョセフ・ロックウッド卿がアメリカ西海岸の新しいレーベル=キャピトルと900万ドルで契約した時には「なんて高い契約金なんだろう」と思ったけど
  今となっては、かなり安い買い物だった、というわけだよ。」
10ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 22:49:25.90 ID:???0
  〜 Nat King Cole / Stardust
 
  (小林)いわゆる名曲と言われるやつですよ。Nat King Cole - Stardust。スターダスト。
  Hoagy Carmichael というね、有名な作曲家が作った曲ですけども。
  ナット・キング・コール、分かりますかねえ、若い方はねえ。ナタリー・コールのお父さんですよ。ナタリー・コールもちょっと古いからねえw。
  ええ、偉大な人だったわけですが。この人が、やっぱりキャピトルレコードの稼ぎ頭だったわけですが。
  やっぱり、イギリスのレコード会社はアメリカのレコード会社と契約して、アメリカの歌手を売って、生計を立てていたっていうか、それが主な収入だった。
  まあだから、イギリスはねえ、言葉は悪いですけど、属国みたいな感じですよねえ。そんな時代だったわけです。
11ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/03(木) 23:04:15.88 ID:???0
>>8 の次に入ります。

  〜 The Les Paul & Mary Ford / The World Is Waiting For The Sunrise
  http://www.youtube.com/watch?v=KtQX1qLM7cQ&feature=related
  〜 The Beatles/ Strawberry Fields Forever

  (小林)1967年、Strawberry Fields Forever。これはポールのペニーレインがA面で、B面ジョン・レノンのStrawberry Fields Foreve。
  有名な話はプロデューサーのジョージ・マーチンが、いろーんなテクニックを使って、自分の個人技を含めてですよ、
  この曲をもう切ったり貼ったりしながら完成させた、っていう話しがありますけど。
  
  その前は、The World Is Waiting For The Sunrise 世界は日の出を待っている。Les Paul & Mary Ford。
  これは、ジョージ・マーチンがおそらく中学生か高校生ぐらいの時に、やっぱり音楽少年ですから「どうしてこんな音が出るんだろう?」
  で、ギターのパイオニアの一人です。レス・ポール。彼の名前のギターがあるくらいお馴染みです。
  2曲お送りしました。
  
12ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/04(金) 22:36:51.90 ID:???0
□リクエスト
  (小林)メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。

  (静岡県/男性)
  先日発売されたトニー・ベネット(Tony Bennett)のアルバム『デュエッツII』(DUETS II)
  今回はマライア・キャリー、今は亡き エイミー・ワインハウスなど素晴らしい顔ぶれです。
  中でも目玉はレディ・ガガですね。PVでの彼女、やはり上手いです。
  秋の夜長は大人の歌が似合いますね。
  (小林)
  あなたのリクエストですが、これはほんとうに顔ぶれでいくとめっちゃくっちゃ豪華だし、トニー・ベネットはもう80幾つでしょう。
  ねえ。すっごいなあと思いますよね。
  人間国宝みたいな人と、若いねえちゃんだったり。まあけっこう、アレサ・フランクリンとかね、こういう人とやったり。
  これも面白かったなあ、アレサの。もうねえ、もろ声で勝負しようとしてるからねえ。
  さあそれじゃあ、レディ・ガガとトニー・ベネットで、ザ・レディ・イズ・ア・トランプ。

  〜 Tony Bennett & Lady Gaga / The Lady Is A Tramp
  http://gyao.yahoo.co.jp/player/00100/v10179/v0993900000000543749/

  〜 The Beatles / Birthday

  (小林)かかっちゃいましたねえ。
  (古河市/男性)誕生日ソングなのに、なかなかかからないビートルズソングの名曲Birthday。
  ジョンとポールのシャウトに、特にポールを中心としたシャウトですね。リンゴのあの力強いドラム。
  ジョージのキレのあるギター。高校時代、野球部の出し物で歌ったのが、懐かしい。
  (小林)歌ったんだあ…。どうもありがとうございます。
13ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/04(金) 22:39:51.95 ID:???0
  (東京都杉並区/男性)10年ぐらい前からのリスナーです。
  (小林)10年以上やってますからねえ。w
  (続き)ラッツ&スター「Tシャツに口紅」お願いします。
  番組イベントのゲストが鈴木兄妹と聞き応募しようと思いましたが、当日は妻のエレクトーン教室の日で断念しました。
  この曲は松本隆・大瀧永一の黄金コンビによる名曲なので、ぜひ一度、克也さんから紹介して頂きたくメールしました。
  (小林)残念ですねえ。来週その(パーティの)模様をお送りすることができます。

  〜 ラッツ&スター / Tシャツに口紅
  〜 桑田佳祐 / ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜

  (小林)エヘヘ。というわけでw、ねえ、これは元気が出るよねw。
  (調布市/男性)ビートルズとサザンオールスターズが大好きな48歳のおじさんです。
  先日、桑田さんが自身で『克也さんから勧められて、宮城のチャリティコンサートに出演することになった』事を聞いたんですが、本当ですか。
  (小林)そうですねえ、あれ、311でしょう。4月になっていろんな事を言われてて、4月の終わり、真夜中、いきなり電話をして。
  「個人的なリクエストなんだけど聞いてくれるか?」てなことを言ってねえ。なんて言うのか、やっぱり桑田が出なきゃ始まんないっていうことで。
  そしたらやっぱり彼も同じようなことを考えていて、これが、ちょっと遅れたけれども、半年後に実現したと、こういうわけですね。
  えー、めでたしめでたしですね。
14ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/04(金) 22:41:36.55 ID:???0
□エンディング  
  (小林)ビートルズのプロデューサーのジョージ・マーチンの話し、とても面白いですよね。
  それから、これはね、音楽ばっかりじゃなくて、音楽産業のこととかね、エンターテイメントまあ芸能界というんでしょうか、音楽界というんでしょうかね。
  そこの話。で、イギリスのスタジオっていうのがもちろんあるわけだけど、アメリカよりも何年も遅れていたっていう。
  だから、ビートルズとか、ジョージ・マーチンが偉いのは、そんなアメリカなんかよりも遅れた機械を使ってだよ、アメリカに勝つような事をやったわけですよ。
  これは、すっごいことですよね。
  それで、ビートルズの時代が70年に終わるとするじゃないですか。
  そうすると、1970年代に入るとね、もうイギリスはアメリカに完全に追いついていて、そしてアメリカじゃないと出ない音ってあるじゃないですか、
  こんどは、イギリスじゃないと出ない音というのを作り始めるんですよね。
  例えば、典型的なアメリカのグループ=イーグルスの旋風が70年代に巻き起こるわけですが、
  イーグルスはわざわざロンドンのスタジオに行ってレコーディングするという。
  だから、いかにビートルズだとか、60年代の終わりの連中が偉かったか、ていうことですね。
  
  あ、ところでみなさん、リクエスト下さい、よろしくお願いします。
15ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/08(火) 00:15:52.91 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月6日(日)18:00〜19:00

 ★今週はスペシャルパーティでしたが、
  このスレの趣旨として『ビートルズストーリー』の記録を中心に行ないたいので、
  今回は省略させていただきます。
  会場でのフリートークと生演奏なども、文字での再現が難しいので…。
  ご理解をよろしくお願いいたします。
16ホワイトアルバムさん:2011/11/08(火) 23:33:00.70 ID:???0
いままでのパーティの回は、ちゃんと記録されてたが。
まあ、今回は一組しか出なかったし、さして面白くなかったからいいや。
17ホワイトアルバムさん:2011/11/15(火) 14:38:10.34 ID:CigwAA830
質問なのですがこの間の13日の放送で
The continuing story of bungalow billの前に
かかっていた曲名分かる方いますか?
すごく気に入ったんですが曲名が聞き取れなかったもので・・・
18ホワイトアルバムさん:2011/11/15(火) 18:52:12.53 ID:???0
水遁が怖くてAA貼れなくなってる大阪住之江区の実家の貧乏団地で引き篭もり生活中の
三河・ズーム・ラムダこと 低脳低学歴の天然ドジッ娘♀塩キャラメルおばさん煽り厨は終わってるw
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19ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/16(水) 00:17:59.37 ID:uzyEOLmw0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月13日)
 ・1966年(今から45年前の今日)
  もうビートルズが、絶頂期にあったころのお話しなんですが。
  ビートルズのマネージャーのエプスタインが、もう、マネージャーというか大きな会社になりますよね。
  サビルシアターというのを買い取ってるわけです。
  で、その「マネージャーのエプスタインがお送りするコンサート」、このサビル劇場でね。
  フォートップス(The Four Tops)のコンサートが、45年前の今日、昼の部、夜の部とあるのかな。
  で、ビートルズが見に行ってます。日曜日です。見に行ってます。
  エプスタインは「これから日曜日はアメリカの有名な、我々が影響を受けたアーティストのコンサートをお送りしていく。」
  ということで盛り上がるわけですよね。
  ビートルズはフォートップスを見ます。その後でチャペル・ストリートの24、つまりエプスタインの家です。
  エプスタインの家でパーティが、フォートップスを迎えて、それからジョンとジョージと、ミック・ジャガー、キース・リチャード、チャーリー・ワッツ、ストーンズのメンバーね。
  ジョージ・フェイム、ドノバン、エリック・バードン、こういった人たちが参加して豪華なパーティをやったと、いうことで。
  ビートルズは、特にポール・マッカートニーが本当は大好きだったんですよね。
  このあと、ファッツ・ドミノとかチャック・ベリーとかジミ・ヘンドリックスとか、そういった人たちのコンサートをこのサビル劇場でやって。
  まあだいたい、ロンドンのセレブ系の人たちは、このコンサートを見て、そのあとはバグ・オブ・ネイルス?ていう行き付けのクラブで飲み直す。
  ロンドンのロック・セレブの夜遊びのコースだった。
  いい時代です。ビートルズがすごかった時代。
20ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/16(水) 00:20:24.26 ID:???0
  それではこの、フォートップスがどういうふうなグループであったか、というのを、音楽を聴いて頂ければ一番だと思いますが。
  1966年、全米ナンバーワンヒット、このフォートップスは、男性グループとして独特のスタイルですが。
  リードボーカルのリーヴァイ・スタッブスていう人は、こないだ亡くなったんですけど、この人の強力なボーカルがグングン引っぱっているサウンドにもなっています。
  
  〜 The Four Tops/ Reach out i'll be there  

  (小林)どういうふうに、皆さんには響いていますかねえ。
  これはねえ、けっこうリズム&ブルースのアーティストだけど、曲がねえ、なんというのかな。
  これは、例えばその時代の Way you hang your head〜♪ ていう歌い方 耳に残ってますか?
  あるいはボブ・ディラン節なんですよね。
  だから、こういった人たちもディランだとかの影響を受けているっていう、そういうのって その時代のことなんですけどねw
  分かって頂けたんですかねw。
  それをビートルズが見に行ったのが、45年前の今日だったんですよ。
21ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:19:24.30 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「1950年代当時のイギリスはポップ音楽の途上国。アメリカから輸入される音源で、なんとかセールスを稼いでいたのが現実。
  レコーディングスタジオの設備に関しても、アメリカに10年は遅れをとっていたね。」
  こう語るのは、ビートルズをロックの世界、いや、音楽の世界でトップのそのまた天辺に導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。

  新しい国家でありながら、アメリカのエンターテイメントの歴史は古く、
  特にラジオ放送やレコード盤といった新しいメディアを使ってのもの、となると、世界で最も進んでいたと言える。
  その理由には、国土が広いこと、それに国の成り立ちの時点から 多民族国家であったことがあげられる。
  アメリカ合衆国の国民のだれもが「これは良い」「これは、心地良い」「これは、笑える」という評価を得るには、かなり高水準の条件が必要となる。
  それに「常に新しいものを要求される」という点でも、送り手側は常に努力を要求されている業界であることは明らか。
  そんな中、マーチンはプロデューサーとして制作者として、ある決心をしていた。
  それは、いつかは自分たちが作った「純イギリス産」のアーティストのレコードが世界制覇をすること。
  もちろん、この時点ではまだまだ具体的な話は出来ていない。
  そしてさらには、イギリス人特有のセンスを前面に出すこと。
  それには「イギリス人のコメディの感覚を取り入れてみる」ということも念頭に置いた。
  そのため、マーチンはいろいろな喜劇集団を見に行くようになったのである。
  最初にマーチンはロンドンのノッティング・ヒルの小さな劇場に出かけ、
  そこでマイケル・フランダース(Michael Flanders)とドナルド・スワン(Donald Swann)による二人芝居、
  「 At the Drop of a Hat」を見た。
  すっかり気に入ってしまったマーチンは、芝居のライブ感を損ねることなく彼らのパフォーマンスを録音した。
  満足のいく仕上がりであった。
22ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:21:13.08 ID:???0
>>17
  〜 Flanders And Swann / Transport of delight
   http://www.youtube.com/watch?v=mVHbF0jAzMw
  〜 The Beatles / The continuing story of bungalow bill

  (小林)いかがですか。その手の曲を2曲お送りしました。
  1960年、ジョージ・マーチンがプロデュースしたTransport of delight 。
  ロンドンのいろんな自転車からバスやトラックまでの乗り物のことを歌った。Flanders And Swannの二人。
  
  それから、こっちは1968年のホワイトアルバム(The Beatles)にジョン・レノンが中心になってやってますね。
  The continuing story of bungalow bill、バンガロー・ビルていうのは、彼らが作ったキャラクターですけど。
  アメリカには有名な「バッファロー・ビル」ていうのがいたわけですよね。
  そのバッファロー・ビルのちょっとパロディみたいな世界を繰り広げておりました。
  こういったのは、ビートルズもそういう風なことが好きだったけど、ジョージ・マーチン譲りだった、ていうわけですよね。
23ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:25:14.37 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「広く大衆に受けるレコード、これならコメディ・お笑い芸人のレコードはどうだ!って閃いた時、これはイケるって思ったね。」
  こう語るのは、5人目のビートルズ」の異名をとる人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の話し、もう少し続けてみよう。

  マーチンが最初に手掛けたコメディアンコンビは、フランダース&スワン(Flanders And Swann)。
  マーチンは語る。
  「彼らとのセッションで思い出すのは、最初録音したスタジオでのバージョンは、演芸場でやっているライブ感がどうしても録れていなかったので
  スタジオから持ち出せるだけの録音機材を持って、ライブ録音をしたことだね。
  今だったら、モバイルスタジオなんて、PCがあれば簡単なことだけど。
  当時は トラックの荷台にいっぱい、という時代だったんだ。いや、あれは面白かった。」
  こうして、コメディアンとの仕事を重ねるうち、マーチンは効果音の使い方、最高の面白さを記録する方法など、素晴らしいキャリアを身につけることになる。
  その後、大学生のコメディグループ=ビヨンザフリンジ(Beyond the Fringe)や様々な喜劇役者とのあと、
  イギリスを代表するコメディアンとなる ピーター・セラーズ(Peter Sellers)のレコードを作ることになる。
  実はセラーズとマーチンは1953年の時点で、「ジャッカ」というシングル盤で仕事をしていた。
  この「ジャッカ」は、当時でいうスペースファンタジーでパーロフォンが出したレコードの中でも最も売れなかったものの一つであった。
  しかし、失敗はしたもののマーチンもピーターも実は気に入った作品であり、お互いプロ同士として認め合うことになる、記念すべきレコードでもあった。
  そしてその数年後、マーチンはピーターの新しく録音する曲に エニー・オールドアイアン(Any Old Iron)を選んだ。
  ピーターは喜んでくれたし、ミュージックホール出身である彼の父親も喜んでくれた。
  1957年の夏に発売となった、ピーター・セラーズの最初のヒット、全英最高位17位、なかなか優秀なセールス結果となったのである。
24ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:27:39.92 ID:???0
  〜 Peter Sellers / Any Old Iron
http://www.youtube.com/watch?v=upg5Pj5PW8k
  〜 The Beatles/ Maxwell's Silver Hammer

  (小林)2曲続きました。
  ピーター・セラーズって知ってますかね、ピンクパンサーなんかで有名な役者ですけども。元々ステージなんかに立っていたコメディアン。
  そしてジョージ・マーチンと仕事をしています。Any Old Ironは、イギリスで中程度のヒットになりました。
  
  で、ビートルズのMaxwell's Silver Hammer。
  ビートルズの中には、そういったちょっとコメディっぽいような作品がかなりあります。
  1969年の曲でしたよね。
  ようするに、時代もあるのかもわかんないけど、ロックとかジャズの根源となるものの大切なものは、センスオブヒューモア=ユーモアだ、ていう考えがあって。
  今でもそれは続いていて、特に欧米なんかだと、日本ではなかなか無いんですけどね、前座がねコメディアンていうのがいっぱいありますよ。
  前座がコメディアンだとかパントマイムだとか、ロックの時代でもジャズの時代でもそうですよね。
  例えば、日本のクレイジーキャッツだとか、ドリフターズなんてのはね、元々ジャズのグループであり、ロックのグループだったんだものね。
  これは切っても切り離せないものなんですが、それをジョージ・マーチンはやっていた。
  
25ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:30:58.37 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「後にイギリスを代表することになる喜劇役者ピーター・セラーズとの仕事は、ほんとうに愉快だったね。
  もちろん彼とは、性格的な相性が良かったということもあるんだけど。とにかく、スタジオで起きるハプニングの全てが面白かった。
  その空気がレコード盤に刻まれている、というところが、一番の遺産だと思うね。」
  こう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物=ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズと出会う前にプロデュースをしていた、コメディレコードの録音現場の話しを続けてくれた。

  「当時、僕はいちおうパーロフォンの制作部門の責任者ではあったけど、だからといって、何でも好きなことが出来たわけじゃない。
  月に一度催される、EMIの経営幹部による編成会議で、自分の企画が優れていて過去の実績からある程度の売り上げが期待されることを、きちんと報告しなければならなかった。
  その会議で ピーター・セラーズのザ・ベスト・オブ・ピーター・セラーズ(The Best of Sellers)の企画が通り、我々スタッフはさっそくその準備を始めた。
  この録音が実に愉快でね。自分たちだけの、いわゆる内輪受けに終わらないことを、とにかく気を付けたよ。
  A Drop Of The Hard Stuff という曲の録音の時は、特に大爆笑だった。
  物語そのものが、ある男がアイルランドの楽隊の演奏を録音するというもので、
  『へえ。この男が、俺たちの録音をしてくれるらしいぞ。』
  というところから始まって、間もなくメンバーの一人が音を外したということでケンカが始まり、当時は今のように効果音のCDなんか無くて、全て自前。
  とにかくスタジオの真ん中に、椅子や譜面台やありとあらゆる金物を重ねてケンカの様子を作るんだ。
  この時、ピーターがけり上げた椅子が宙を浮いて、なんと僕の向こう脛(ずね)を直撃。
  それはもう、すごい痛みだったね。
  実はこの自分のうめき声も、レコードには録音されているんだよ。」
26ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/18(金) 23:31:57.63 ID:???0
  〜 Peter Sellers / A Drop Of The Hard Stuff
   http://www.youtube.com/watch?v=di6yX3yVAtM

  (小林)いかがですか?。
  ピーター・セラーズ、一人で何役もやっていましたけども。
  A Drop Of The Hard Stuff つまり「硬いもんが落こって来る」っていう、エヘへw。
  先ほどの内容のとおりの話しが展開されておりました。
  ジョージ・マーチンのプロデュース。
27ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/19(土) 17:43:09.51 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  だから、住所とか電話番号もはっきり書いてお願いします。
  メールは [email protected]

  (葛飾区/男性)毎週楽しく聴いています。ビートルズ三昧の時間、とことんありがとうございます。
  ジョージ・マーチンの読み聞かせ、聴きごたえがあります。選曲もすごく面白いです。
  音楽に色を感じるなんて、才能のある人はとことんすごいですねえ。
  ジョージ・マーチンのこれからの展開、楽しみです。
  リクエストですが、ピンクフロイドの Run Like Hell。
  (中略)何十年も前ですが、テレビ放送のテーマ曲でした。
  久しぶりに聴きたくなって、リクエストお願いします。
  ピンクフロイドのリマスター盤が続々発売されていますが、レア音源などあれば、お願いします。
  (小林)あなたのリクエストで、昔そのテレビで使われていたという Run Like Hell。

  〜 Pink Floyd / Run Like Hell
  〜 Simon & Garfunkel / Scarborough Fair

  (柏市/男性)毎週興味深く、病院から拝聴しております。
  きょうは小学生の頃、給食の時間に毎日流れていたSimon & Garfunkel の Scarborough Fair をリクエスト。
  そういえば「コンドルは飛んでいく」も毎日流れていました。校長先生Simon & Garfunkel のファンだったんですかねえ。謎です。
  (小林)おそらく、校長先生はメロディが好きだったwんじゃないかと思いますよw。
28ホワイトアルバムさん:2011/11/19(土) 17:46:24.62 ID:???0
  (千葉市稲毛区/女性)
  先日たまたまこの番組を聴きました。思わずリクエストしています。
  ビートルズを最初に聴いたのは、婆ちゃんがくれたテープのウォークマンで、私の好きそうな曲を「入れといたよ!」と言って
  おまけでくれたテープの中に入っていたものの1曲目でした。
  ビートルズを聴くと、芋づる式に婆ちゃんのテープの選曲を思い出します。
  個人的なリクエストですみませんが、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」をお願いします。
  婆ちゃんの家で、テープは現役です。三味線のテープで寝たきりの爺ちゃんも、ごきげん。
  
  (小林)いい話じゃないですかw。さっそくその、ばあちゃんの…。
   ばあちゃんが言うんでしょうね「テープには神様がおるんやでえ。」ってねえ。
  さあ、ユーミンです。

  〜 松任谷由実/ やさしさに包まれたなら
  〜 Paul McCartney/ live and let Die(死ぬのは奴らだ)

  (習志野市/女性)こんばんわ。いつもビートルズにちなんだ話、楽しく聴いています。
  初めて私が男性のフェロモンを感じたのは、ダブルオーセブンのショーン・コネリーで、この人は何か違うと感じていました。
  そして、ボンドガールになるのが私の夢でした。そのダブルオーセブンのテーマ曲をビートルズが歌っているのを知ったのも、克也さんのお話からでした。
  「死ぬのは奴らだ」リクエストします。
  年齢を重ねても、ショーン・コネリーが素敵な役を演じているのを嬉しく思っています。
  ポールも再々婚と、お元気な様子。これからの活躍が期待できそうです。
 
  (小林)いや、これは、あの、女性はそうだよね。忘れていましたよ。
  ビートルズを女目線で見てるんですよねえ。ええ、それは勉強になりました。ありがとうございます。
29ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/19(土) 17:49:22.38 ID:???0
□エンディング  
  (小林)ジョージ・マーチンの話しは、ほんとに面白いですよね。
  ジョージ・マーチンはジャズやクラシックの音楽も録音していたんだけれども、コメディを録音していたっていうこと。
  コメディっていうのは「お笑い」ってういふうに日本語に訳すと、ちょっと低俗になっちゃう、ていうのかなあ。
  音楽の中には笑いの要素っていうのが、とても大切で。特にビートルズの音楽ってそうですよね。
  それから、ビートルズがしゃべると、必ず人を笑わせるっていうこと。
  それから、例えばロックの音楽もですね。なんというんでしょう。
  レディオヘッドの時代になっても、ビヨークの時代になっても、根底にあるのはユーモアのセンスてのは、とても大切だっていうことです。
  説教じみた話しになってしまいました。すみません。w
  また来週も。
  それから、リクエスト参加して下さい。
  もう、無理して書く必要はありません。背伸びして書く必要はないですから。
  自分なりにビートルズに関して、あるいはビートルズとは関係なくても、自分の音楽の体験だとか、感動した話しだとか、そういうのも待っています。
  よろしく。
30ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/21(月) 20:33:24.64 ID:T1Dn3qXE0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月20日)
 ・1962年(今から49年前の今日)
  今日はちょっと最近、と言っても16年前の今日。1995年です。
  朝の11時半、場所はロンドンの有名なサボイホテル。記者会見が行われました。
  参加したのは世界のマスコミ100社。これはですね、一つの国から複数以上の会社は出席できなかった。
  つまり、日本は朝日が出たらNHKは入れない、NHKが入ったら読売は入れないんです。
  そういうことですよね。きびしいですよね。
  で、何が行われたかというと。
  ビートルズの「アンソロジー1」(The Beatles Anthology 1)の発表記者会見であります。
  この中に入っていた新曲、これはジョン・レノンの、後になって見つかった、カセットから、デモテープですね。
  それに残りの3人が、寄ってたかってw、じゃないけど、まあかぶせて仕上げたという。  
  フリーアズアバード(Free as a Bird)これが入っていまして、このフリーアズアバードは、この日の朝、電話回線を使って南米のチリに世界で初めて流されます。
  もちろん放送されるわけです。
  そして朝早いうちに、この「アンソロジー1」のコピーは、マザーコピーですけれども、飛行機でいろんな国に配られた。
  全世界のレコード会社の担当者が、マスターテープを渡された時は「もし失くしたり盗まれたりしたら、お前の人生はそこで終わると思え。」と言われた。
  ビートルズだから、もったいぶるのは当たり前、ということでしょうかねえ。
  「アンソロジー1」が発売の記者会見を、やったのは16年前のきょうのことであります。
  さあ、そのさっき話しに出たジョン・レノンのデモのカセットテープから、これを普通のサウンドに直したという、いろんな楽器で参加するわけですが。
  特にジョージ・ハリソンのスライドギター、「これには圧倒された。」とポール・マッカートニーは発言したそうです。
  それでは…。

  〜 The Beatles/ Free as a Bird 
31ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/21(月) 20:35:09.52 ID:???0
  (小林)というわけで、これは考えてみると、ビートルズが解散して25年経っての再結成ですよ。
  まあ、ジョン・レノンは亡くなって、ジョン・レノンは自分のカセットだけに声が入ってたわけですが、再結成ですよね。
  だから、16年前の記者会見も、相当「ビートルズの再結成だよ!」みたいな感じで、すごかったんだろうね。
  あのね、「アンソロジー1」が出てね、実はこれ、ラジオの世界は相当変わったんですよ。
  というのは、アメリカのラジオはね、90年代に入ると、特に懐メロをかける放送局はね、もう60年代はかけなかったんですよ。
  もう懐メロは70年代、もうほらお客は40(歳)とか計算するわけですよね。
  そうすると、※60年代のヒットはかけなかったんだけど、初めてこのアルバムが出て、アンソロジーが出て、アメリカのラジオが変わったんですよ。  
  良いものは良いんだ、っていうことで、60年代ばかりか50年代の古いものもかけるようになった。
  やっぱり、ビートルズは偉いね。

  (※放送では小林氏「70年代」と言う)
32ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:38:50.33 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語
 ・私を拾ってくれたのはパーロフォンの代表者オスカー・プリウス。そのオスカーが定年退職となり、この私がそのポストに就くことになったんだ。
  歳だって、まだ30代になって間もない頃だよ。いやあ、正直言って重荷で不安だったよね。」
  こう言って語るのは、ビートルズをロックの世界 いや音楽の世界でトップのそのまた天辺に導いた、スーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  当時を振り返って、マーチンはさらに続けた。

  「当時はまだ、ロックンロールは発明されていなかった。いうなれば、ジャズの時代だ。
  私は中学生のころから、ジャズのビッグバンドに入れてもらっては、ピアノを弾いていたので、これはまあ得意なジャンルだった。
  さらに、スコットランド民謡やアイリッシュ音楽、これも現地に出張しては大量の録音をして、ロンドンに戻るという具合だったね。
  そして次は、コメディ音楽があるんだ。いつの時代も世界中どこの国でも、「お笑い」は無くてはならないものであり、それにはいつも音楽が寄り添っていた。
  それに私も子供のころから、演芸場が大好きだったし、いつかは自分もそんなレコードを作ってみたい、と思っていたんだ。
  最初に手掛けたのは、オックスフォード大学の学生喜劇集団ビヨンザフリンジ(Beyond the Fringe)という喜劇集団の音楽、
  ここには後にアメリカに渡ってハリウッドの名脇役として成功する ダドリー・ムーア(Dudley Moore)もいたんだ。
  このダドリー・ムーアという男も、まさに芸人になるべくして生まれてきた人間でね。
  小柄なんだけど、とにかく女性にもててね。愛嬌があって、歌もピアノも達者だったんだ。
  まさに、生まれながらにしてスターそのものだったね。ダドリー・ムーアは。」
33ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:41:17.88 ID:???0
  〜 Beyond the Fringe/ Aftermyth of War- Part 2.
  http://www.youtube.com/watch?v=7R_l9KbYpag&feature=related
  〜 Christopher Cross / Arthur's Theme(アーサーのテーマ)
 
  (小林)曲が続きました。
  今聴いたのが(2曲目)クリストファー・クロス(Christopher Cross)が歌っている「アーサーのテーマ」Arthur's Theme(Best That You Can Do)。
  これは、話しに出てきましたね。ダドリー・ムーア(Dudley Moore)が主演した「ミスター・アーサー」という1981年の、すごく高く評価された映画で、
  さっきも言いましたが、音楽もアカデミー賞を取っております。アカデミーの音楽賞というのを取っておりますが。
  すごいですよね、これは。クリストファー・クロス。
  あ、そうそう、バート・バカラック(Burt Bacharach)が作ったんですよ。商業的な音楽では一番の人ですね、バカラック。
  当時の嫁のキャロル・ベイヤー・セイガー(Carole Bayer Sager)も、なかなか良い作詞家だったんですよね。
  でこの、詩を含めた♪The best that you can do is fall in love〜♪(小林歌う)というサビは、この頃「こんな良いサビはない」っていう
  「すごい良いサビだ」っていうことで、サビが誉められてましたね。

  で、その前は(1曲目)ビヨン・ザ・フリンジ(Beyond the Fringe)のキャストで The Aftermyth Of War、
  つまり、「戦争の悪い結果」みたいな事がテーマになっているんですが、
  ダドリー・ムーアが、オクスフォードの大学生がコメディ集団ですよね、それをジョージ・マーチンが録音していたっていう。
  それをレコードにして、出していたわけですよね。
  話しは続きます。
34ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:44:28.27 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「純粋なポップ音楽以外にもたくさんのプロデュースをしたのが、コメディのレコードだった。これはもう、広く大衆に受けるための確実な手法だったからね。」
  こう語るのは、「5人目のビートルズ」の異名を取る人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の話し、本人のインタビューから続けてみよう。

  1950年代後半から60年代初頭にかけて、私はコメディアンとの仕事を数え切れないくらいこなして来たんだ。
  いろんな人間がいたよね。だいたい、人を笑わせて人に笑われて収入を得てるんだから、そりゃもう腹の据わった連中が多かった。
  もちろん、みんな魅力的だったよ。中でも私と馬が合ったのは、つまり相性が良かったのは、ピーター・セラーズ(Peter Sellers)。
  ピーターと最初に仕事をしたのは、1953年「ジャッカ」というレコード。
  これは今で言うと、一種のスペース・ファンタジーみたいなものだったんだけど。
  とにかく、面白サウンドのはしりみたいな作品だったんだ。
  その最初の仕事で、すでにピーターはいくつもの声色を使った音声やセリフでがんばってくれた。
  そのうち、時代もシングル版から30pサイズのLP盤、アルバムに移行していった。
  そうすると、3分間で何もかも言いたいことの全てを消化しなくてもよくなる、
  つまり、そのパフォーマーの本質、本当に面白い部分を少しずつ小出しにできるわけだし、音楽の面でも時間的な余裕が出てくる。
  作り手側にとって まさに願ったりの規格、フォーマットが開発されたわけだ。
  もちろん、今ではすっかりCDに取って代わられているけど、当時はもう画期的な発明だったよね。LPレコードというのは。
  話をピーター・セラーズに戻すと、やはりピーターのような芸達者なパフォーマーの作品は絶対にアルバム向きだと、私は判断したんだ。
  思い立ったら、すぐその作品の企画書を書いて、EMIの役員会に臨んだんだ。
  ところが、ここでいつもの、あの問題が起こったんだね。
  またしても、「制作費をケチれ」の命令だよ。ほんとにもう、うんざりだったよねえ。あの時の会議は。
35ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:46:27.80 ID:???0
  〜 Peter Sellers/ Unchained Melody
  http://www.youtube.com/watch?v=XqqNsyHajb0
  〜 Tom Jones / What's New Pussycat
  http://www.youtube.com/watch?v=VBdSqk78nHw

  (小林)いかがですか?(2曲目)これはウッディ・アレンが脚本を書いたそうですが「何かいいことないかな、子猫ちゃん」ていう、面白い映画。
  それの主題歌。What's New Pussycat トム・ジョーンズ(Tom Jones)。
  トム・ジョーンズというと、この頃は、イギリスで一番の男のボーカリストとされていた人ですね。
  1965年の作品。

  そしてその前(1曲目)は、1955年の作品ですよ。まだロックンロールが出始めるころの作品。
  ピーター・セラーズ。知ってますか?ピーター・セラーズ、コメディアン。
  まあ、40歳以上の人はおそらくピーター・セラーズの映画をねえ…、
  「ピンクパンサー」はピーター・セラーズの出世作の一つですから。
  Unchained Melody お馴染みの曲があんなふうに、なるわけですよ。
  つまりジョージ・マーチンはいろんな録音をやってるから、ビートルズが来る前。
  ほら、クラシックにも強いし、ジャズにも強い、こういったコメディ系だとか、
  もう、ありとあらゆるモノを体験していたプロデューサーであったわけですねえ。
36ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:50:55.93 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「後にイギリスを代表する喜劇役者になるピーター・セラーズとの仕事は、本当に愉快だったね。  
  とにかく彼とは性格的な相性がバッチリだった。
  ああ、そうそう、こんな珍しいレコーディングセッションがあってね。」
  と語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前にプロデュースしていた、コメディレコードの録音現場の話しを続けてくれた。

  「ピーターのレコーディングで一番記憶に残っているのは、やっぱりソフィア・ローレン(Sophia Loren)とのデュエット作品かな。  
  あの時はちょうどピーターとソフィアが映画「求むハズ」の撮影中でね。
  日程的にもまだ撮影の真っ最中だったこともあり、映画会社も協力的で、今で言うならば、お互いに「タイアップ」の形をとった作品となるはずだったんだ。
  しかし、監督のアントニー・アスキスはこれに対して首を縦に振らなかった。
  彼の言い分はこうだ。『マーチン君、君の作品は何曲も聴かせてもらったよ。すごく美しく、客の受けも良さそうだ。
  ただ、厳しいことを言うようだが、僕らの映画とは格が違うんだ。今回はあきらめてくれないかな。』
  まあ、当時の映画監督は神様のような存在で、ある意味プロデューサーよりも偉かった。
  それに、アーティストとして扱われていたので、映画会社でもこれを修正するわけにはいかない。
  私は「まあ、仕方ないか。他の企画を考えよう。」くらいに、あきらめかけていたんだけど、これが、レコーディング続行の方向に進んで行ったんだよ。
  やはり、ピーター・セラーズという役者はカリスマを持っていたし、本当の意味で僕の親友だった。
  生涯忘れることの出来ない人物だね。
37ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/23(水) 22:53:09.25 ID:???0
  〜 Peter Sellers / She loves you (Beatles)
  http://www.youtube.com/watch?v=4gn3lVYDbwI&feature=fvwrel
  〜 The Beatles / I'll Get You
 
  (小林)ジョージ・マーチンのプロデュース作品。
  まず最初に、ピーター・セラーズの She loves you。
  ピーター・セラーズのw、世界的なコメディアンですけれども、今は亡くなりましたけれど、 She loves you はどういうことかと言うと、
  ビートルズの She loves you yeh! yeh! yeh!ってあったでしょ。あれを、彼の解釈で面白くしているわけですよね。
  ドイツ語なまりで、彼女お前のこと好きなんだよ。ヤア。」で、ビートルズが「ヤア、ヤア」てやるじゃないですか。
  ドイツ語で「ヤア」っていうのは「イエス」だからね。で、「ヤア、ヤア」てのは遊んでましたよね。
  もう一人自分が違う声を出して、違う役になって、遊んでいましたよね。
  それで、最後は「ヤア、ヤア、ヤア」てのに「ワァ〜!!」って歓声が、あれがドイツのヒットラーの群衆の感じをあそこで出してたんですよね。
  パロッてたんですよ。
  
  そして、ビートルズの I'll Get You。これは、1963年の She loves youのB面。
  A面がカバーでピーター・セラーズ。B面がほんもので、お送りしました。
38ホワイトアルバムさん:2011/11/26(土) 22:00:20.27 ID:???0
テスト
39ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/26(土) 22:03:48.38 ID:QfaNP4fN0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしてます。
  ちなみにメールは [email protected]

  (千葉県茂原市/女性)初めてのリクエストです。
  我が家にワンちゃん2匹、新しく来ました。これでうちには3匹のワンコたちがいます。可愛いです。
  きっかけは、被災した地域のワンコたちで、素直に喜べないですが。引き取った限りはみんなで幸せになりたいです。
  スリードッグナイト(Three Dog Night)ジョイ・トゥザ・ワールド(Joy to the World)をお願いします。
  ビートルズ関係ないですね。ごめんなさい。
  (小林)いや!。こういうのが洒落てていいじゃないですか。
  
  〜 Three Dog Night / Joy to the World
  〜 Stevie Wonder / Sir Duke

  (小林)スティービー・ワンダーのSir Duke、偉大な自分の先輩たちに捧げた曲。
  Sir Dukeはデューク・エリントン(Duke Ellington)のことです。 
  (不明/男性)女優の水野真紀さん一筋、48歳独身。
  何年か前に水野真紀さんが車のコマーシャルで母親役で出ていて、夫役の筧利夫に「なんで夫は俺じゃないんだ!」なんて
  CM見るたびに思っていました。(小林)そうですかw
  先日、服を買いに行った店で、そのCM曲だった Sir Dukeがかかっていたので、その時のことが甦ってきました。この曲を是非。
  (小林)これはもう、すごいいい曲だよねえ。斬新な曲でしたよね。
40ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/26(土) 22:06:04.62 ID:???0
  (府中市/男性)レッドホットチリペパーズのカリフォルニケイションをリクエストします。
  この曲は僕が高校生の時に、偶然CDショップで聴いて気になったので、思い切って買った初めての洋楽アルバムに入ったタイトル曲。
  それから3年後にレッチリの次のアルバム「バイザウェイ(By The Way)」が発売され、日本でもCMが大量に流されて、
  大学生になった僕の周りでも「レッチリって良いよね。」なんて言って、ハマりだす友人が大漁でした。
  でも僕は内心「前から知ってたわ!。この俄(にわか)がw」と優越感に浸っていました。
  この曲を聴くと、今でも優越感とともに懐かしい学生時代がよみがえる思いです。
  (小林)まあ、僕らはその前から知ってたわけでw。上には上がいるからw。
  あんまりw、あんまり自慢しなくてもいいんだよw。
  それでは、ちょとエロい意味も入ってます。Californicationってこれ、なかなか発音が難しいんだw。

  〜 Red Hot Chili Peppers / Californication
41ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/26(土) 22:07:32.68 ID:???0
□エンディング  
  (小林)やっぱり、番組の途中で言いましたが、ジョージ・マーチンがビートルズに出会うべく出会うわけですけど。
  多彩な体験をしてて、それはまあ、体験ばかりじゃなくて、本人の感覚だったわけですが。
  それがねえ、ポールだとかジョン・レノンなんかが持ってる物と合ったわけですよね。
  特にジョン・レノンは、ピーター・セラーズの大ファンだったわけですよ。子供のころから。
  それで、ピーター・セラーズの真似をしたりだとか、した人ですからねえ。
  やっぱり、あったんですね、何か、似てる所がね。
  
  ということで、リクエストなんか待ってます。
  アドレスは…(略)
42ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/28(月) 19:14:08.08 ID:???0
11月27日の録画に失敗しました。
留守録の間にラジコにエラーが発生していました。
申し訳ありませんが…また来スー。(´・ω・`)
43ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/05(月) 23:33:54.72 ID:M56uSTx90
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月4日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也


□ビートルズカレンダー( 12月4日)
 ・1961年(今から50年前の今日)
  ドイツのグラマフォンレコードのロンドン支局の人間たちが、リバプールにやって来ました。
  それは、ブライアンに会うため。
  ブライアンは実は「マイボニー(My Bonnie)」という曲が、イギリスでシングルとして発売できないものか、ということを問い合わせていたわけです。
  これはもう、ビートルズファンはご存知のとおり、ブライアンがやっているNEMSにですね、
  レイモンド・ジョーンズなる若者が店に来て「マイボニーっていうビートルズも出ているレコードありますか?」って聞きに来るわけですね。
  で、ブライアンは全然それを知らなかった。結局、ブライアンはドイツから直接注文して、25枚注文して、リバプールの自分の店に置いて、これはもう2時間ですぐ売れた。
  店の前に「マイボニーあります」って貼り紙をしたらしいですよ。そしたら、あっという間に売れちゃった。
  で、これがきっかけでブライアンは、ビートルズてのは500メートルぐらい離れたキャバーンクラブにライブで出てるってことで、ランチタイムに秘書を連れて行くわけですよね。
  だけど、この伝説というのは、作られた…、ほんとはそのレイモンド・ジョーンズという人間が来て「ビートルズのレコードありますか?」って聞いたのはウソじゃないか、っていう、
  後づけの話しじゃないか、という風なのもあるわけで、どれが本当だとかわかんないのはありますが。
  一応、ドイツのグラマフォンレコードの連中がリバプールに来て、ブライアンが熱心にリバプールのビートルズ、自分が好きになったビートルズだから、
  イギリスでシングルとして発売しようとした、ということですよねえ。
  そんなことをブライアンは試みていたわけです。
  さあ、そのビートルズは、ビートルズが前面に出たやつじゃなくて、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)というイギリスのロッカーのバックです。
  このトニー・シェリダンはハンブルグで定期的に出てて、ビートルズはサポート的にちょっとやったことがあったらしいんですよね。
44ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/05(月) 23:38:22.76 ID:???0
  プロデューサーは、ポップスの世界では有名な、ベルト・ケンフェルト、ドイツ人、彼が担当しています。
  ドラムスを叩いているのは、ピート・ベストです。
  では、トニー・シェリダンとビートルズでMy Bonnie。
  
  〜 Tony Sheridan and The Beatles/ My Bonnie  
  http://www.youtube.com/watch?v=UBZ2Mc-yjSI

  (小林)これがドイツで発売されたTony Sheridan&The BeatlesのMy Bonnie。
  このレコードがきっかけになって、ブライアンが近くにビートルズが出てるっていうんでキャバンに行くんだけども、それも、本当かどうかわからない、っていう。
  まあ、行ったことは行ったわけでしょうけども、そういうきっかけがあったか本当かどうかはわからない、ていう話しですね。
  全部、番組なんかで語られること信じちゃいけないって、ことですかねえw。
45ホワイトアルバムさん:2011/12/05(月) 23:50:12.67 ID:???0
うわさを信じちゃいけないよw♪
46ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:28:33.18 ID:???0
テスト
47ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:29:43.90 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「私もビートルズを担当する前に、かなり多くのレコーディングをしたけど、やはり一番緊張したのはピーター・セラーズ(Peter Sellers)とソフィア・ローレン(Sophia Loren)の共演アルバムだね。
  二人とも国際的なスーパースターで、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったからね。最高の思い出でもあるよね。」
  こう語るのはビートルズをロックの世界、いや、音楽の世界でトップのそのまた天辺の頂点に導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。

  ピーターとソフィアの共演アルバムのレコーディングは、最初はまずまず順調に進んでいた。
  それぞれのソロ曲を2〜3曲ずつ録り終え、ピーターが先にすべて完了。
  さあ次はソフィアのボーカル録りとミックスダウンで完成、と思った矢先、なんとソフィア・ローレンはローマへ帰ってしまっていた。
  おそらく当時は、不倫関係であった有名な映画プロデューサー=カルロ・ポンティの元に戻っていたのである。
  女優というものは、いつでも恋多き生き物。ラブアフェアも大切な仕事のうちである。
  それが証拠に、ソフィアは1950年代にはハリウッドの大スター俳優ケリー・グラントと恋仲であった、と彼女本人が認めているくらいである。
  ピーターとは果たして深い関係にあったのか、なかったのか。マーチンは語っている。
  「ソフィアにその気があったのかどうかわからないけど、当時ピーターは彼女をかなりの勢いで気に入っていたね。
  レコーディングに関して、自分の出番が終わったっていうのに、わざわざ私のローマ出張に付き合うんだからね。
  そりゃ、まちがいない事でしょう。当時ピーターは35歳。ソフィアは27歳。役者ならまだまだ青春の真っただ中、って歳だし。
  たぶん、そうだね。」
48ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:30:55.60 ID:???0
  〜 Peter Sellers / All the Things You Are
  http://www.youtube.com/watch?v=zvL5chzEhUQ

  〜 The Beatles/ Yellow submarine
 
  (小林)2曲続きました。
  (2曲目)お馴染みのYellow submarine。これはもう効果音だとかねえ、作ったり。
  それから、みんなでドラマみたいにね、潜水艦ごっこをしてたり。楽しい録音です。
  いろんな人が見に来たっていうね、これはね。

  (1曲目)All the Things You Areこれは一番気に入った役者さんです、ピーター・セラーズ。
  ジョージ・マーチンの好きな友達のピーター・セラーズの(アルバム)「ベストオブセラーズ(The Best Of Sellers)」の中に入っている All the Things You Are。
49ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:31:43.45 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「1960年代当時、ピーター・セラーズは共演したソフィア・ローレンにぞっこんだったね。
  なんといっても、私のローマ出張にまで付き合うって言うんだから、ほぼ間違いないでしょう。」
  こう語るのは、「5人目のビートルズ」の異名をとる人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の興味深いエピソード、もう少し続けてみよう。

  ロンドンのヒースロー空港での古い飛行機の車輪トラブルで遅くなったのであるが、マーチンとピーターは何とかその日のうちにローマに到着した。
  ローマ・フィウミチーノ空港は、またの名をレオナルド・ダ・ヴィンチ空港。
  その空港を降りるとソフィアがロールスロイス・ファントムのリムジンで迎えに来ていた。
  まさに「国際的スーパースターのご登場」といった景色である。
  もちろんマーチンは圧倒された。ソフィアは二人をローマ郊外にある建築中の別荘に連れて行くと言うのだ。
  マーチンはピーターとソフィアの間に座らされた。「これは、夢ではないか」と思った。
  自分がそこに居ることに、全く現実味がなかったのである。
  さらに翌朝 もっと素晴らしいことに信じられないことが起こった。
  ローマ市内にあるソフィアのフラット、アメリカ風に言うとアパート、日本風に言うとマンション。
  企画会議のために出向いた際、そのあまりの素晴らしさに圧倒されてしまった。
  それは、フラットやアパートなどといった庶民的な言葉の響きとはまったく違っていた。
  中庭にはいると、なんとそこには16世紀の石で作った噴水が踊っていたのである。
  さらに少し早く着きすぎたせいで、ソフィアはまだ眠っていた。
  マーチンとピーターはソフィアの寝室に通されたのであるが、なんとそこにいたソフィアは、まだネグリジェのままであった。
  ピーターは余裕でその姿を見つめていたが、マーチンの方は鼻血が出そうになったことは言うまでもない。
50ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:33:50.86 ID:???0
  〜 Sophia Loren / Mambo Bacan
  http://www.youtube.com/watch?v=Trpe3a2KnIY

  〜 The Beatles/ Gnik Nus & Something - Blue Jay Way (TRANSITION)
  http://www.youtube.com/watch?v=M026OZTIiJ4&feature=related

  (小林)いかがですか?(1曲目)3曲4曲ぐらいのが入っていましたね。えーと、Gnik Nus & Something - Blue Jay Wayというwタイトルが付いているやつですがw。
  これは例の、ほら、ラスベガスでやってるシルクドソレイユの「LOVE」のために作られた、ていう。
  まあ、これはすごい出来ですよねえ。
  Gnik Nusていうのは、逆さまにすると判るんですが、Sun Kingのことですね。
  Sun Kingを逆さまにして、で、SomeThingに入ってBlue Jay Way。NoWhereManが遠くから聞こえていましたね。
  2曲お送りしました。
  
  ああ、その前(1曲目)があれです。Mambo Bacan。ソフィア・ローレン。
  これはジョージ・マーチンのプロデュースではないんですけど、  
  ソフィア・ローレンの作品の中で、一番世界的なヒットになったやつです。Mambo Bacan。
  日本でもねえ、流行ったんです。1955年のことであります。
51ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:36:24.37 ID:???0
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「あれはローマで見た夢か幻(まぼろし)だったんだろうねえ。
  だって、全世界の男連中の憧れの的ソフィア・ローレンのネグリジェ姿を拝ませてもらったんだからね。」
  そう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物=ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズと出会う前にプロデュースしていた、「奇跡の共演作」について話してくれた。

  「ピーター・セラーズとソフィア・ローレンの共演作『ピーター・アンド・ソフィア(Peter and Sophia)』のレコーディングは、とにかく楽しいことしか記憶にないね。
  ソフィアは信じられないくらい魅力的で性格も良く、一緒にいて楽しいばかりか仕事もしやすかった。
  私生活でも大女優ぶったところは一つもなかった。
  しかし、残念なことにアルバムが発売されて以来、私は彼女と会う機会がなかった。
  相手は世界的な大女優、それも無理もない事さ。
  そして、そうこうしているうちに数年後、映画「二人の女」で彼女はオスカーを受賞したね。
  彼女の演技は素晴らしく、大方の予想を裏切らずの受賞は、私も嬉しかった。
  それで自然とペンを取りたくなり、彼女にお祝いの手紙を書いたんだ。
  そして、なんとその返事として、ソフィア本人から絵葉書が届き、そこにはこう書いてあった。
  『親愛なるジョージ。お祝いの手紙を送ってくださって どうもありがとう。』
  大女優の場合、普通はこういう文章はマネージャーかスタッフに書かせるものだけど、これは間違いなくソフィアの直筆だったね。
  彼女が私のことをちゃんと憶えていてくれていたことに、本当に感謝した。
  そいういう超大物女優もいるっていうことは、なんと言うか、とにかくすがすがしい気持ちにさせてくれた。
  素晴らしい人物だよ、ソフィア・ローレンという女性は。」
52ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/07(水) 12:40:48.74 ID:???0
  〜 Sophia Loren & Peter Sellers / Goodness Gracious me
  http://www.youtube.com/watch?v=gKMy15O1tCw

  〜 The Beatles/ All together now
 
  (小林)2曲続きました。
  (2曲目)1969年、YellowSubmarineの中に入って、これはちょっとドラマっぽい仕立てじゃないかと思いますが。All together now 。
  
  (1曲目)そして、ピーター・セラーズとソフィア・ローレンの組み合わせ。
  ソフィア・ローレンが患者になって「先生、あの男の人といると、もう顔がほてったり胸がブンブリ ブンブリ ブンてなったりして」w
  で、ピーター・セラーズはインド系の、この人の得意技ですよね、インド訛りのお医者さんでw。
  Goodness Gracious meという曲、2曲お送りしました。
53ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/08(木) 19:28:55.95 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方は、もうお馴染みイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]
  FAXやハガキなんかでも、けっこうなんですよ。なかなか来ないんですけど。だいじょぶです。

  (千葉市/男性)いつもコンビニへ夕ご飯を買いに行く時に聴いています。
  最近気になるコンビニの女性店員ができてしまいました。その店員は、たまにこの時間帯にレジにいます。
  なので毎週会えるか会えないか緊張しながらコンビニへ向かいます。
  小林さんの声が耳に入ってない時もあります。ごめんなさい。
  しかし、コンビニから帰るときはしっかり聴いているので、ご安心を。By千葉にいるカープファンの一人より。
  (小林)僕がカープファンである、ということを知っている一人でもあるわけですw。
  名前が書いてないんですけど、(略)もし聴いていたら連絡をください。
  リクエストは…、このところかかってるんですよ。先週かかりましたよね。
  その前はピーター・セラーズのおしゃべりのバージョンでかかりました。
  3周連続でかかるということになりました。
  これ何回聴いても、ほんと初期のビートルズのエネルギーが一番詰まった曲。
  
  〜 The Beatles/ She Loves You
  〜 The Beatles / Golden Slumbers-Carry That Weight-The End

  (東京都文京区/男性)39歳独身男子です。ギターが好きで、特にアメリカのルーツ音楽にはまっています。
  実のところ、ビートルズをちゃんと聴き出したのは2年前のモノーラルミックスのボックスを買ってからです。
  (小林)いいチョイスです。モノーラルミックスはw。何で聴いてるのかわかんないけど。いいチョイスだと思いますw。
  (続き)どうしてもっと早く聴かなかったのか、不思議でなりません。リクエストはアビーロードのメドレーの部分です。
  長いんですが、克也さんの紹介で、もっと良く聴こえる気がします。
54ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/08(木) 19:30:34.25 ID:???0
  (千葉県八千代市/男性)リクエストする曲はビートルズではありませんが。最近とあるミュージシャンのPVを見ました。
  するとそのPVは、ビートルズが来日した時のライブの模様を映してるのか、と思いましたが、良く見るとパロディ化したPVでした。
  そのパロディしたバンド名は“ビーチクス”、これには笑ってしまいましたが。 
  (小林)ビーチクって意味があるんですが、わかりますかねえ。
  古いバンドマン用語で女を“ナオン”と言ったり、金を“ネーカ”と言ったりしますよね。
  ビーチクて言うのは、そうです、チクビのことなんです。そういう笑いでしたか?。脱線しましたがw。
  (続き)そのミュージシャンとは斉藤和義さんです。
  (小林)斉藤和義君だから、やっぱり“ビーチク”ですよねw。
  (続き)斉藤さんもビートルズ好き、なんだなと分かるPVでした。
  (小林)ちなみに、斉藤和義は「ゴールデンスランバー」に、日本の映画ですが、その中でGolden Slumbersをカバーしておりました。
  それから、小林克也の還暦の祝いに彼は自分で、リンゴバージョンじゃなかったですね、ミックバージョンの I Wanna Be Your Manていう、
  ビートルズのものでありストーンズのものである曲をプレゼントしてくれました。個人的には宝の一つです。
 
  〜 斉藤和義 / やさしくなりたい
55ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/08(木) 19:31:49.71 ID:???0
□エンディング  
  (小林)ストーリーの方は、やっぱりビートルズはジョージ・マーチンと知り合うことが出来て幸運だった、っていうことですよね。
  そして皆さんのリクエスト、特にこの番組は後半はですね、リスナーが作ってるとも言えます。
  番組を作ってるわけですw。あなたたちのリクエストがw。だから、よろしく、任せたよってwいうわけじゃありませんけど。
  無理しないでね、自分そのものを出しきっていただくといいですよ。
  自分の体験だとか、自分の思い、だとか、知識がない人は、もうね、背伸びしないでいいから、そのままリクエスト下さい。
  採用の方にはイシイの(略)。よろしく。
  楽しみだなあ。
56ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/12(月) 22:17:32.10 ID:e108JdZQ0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月11日)
 ・1968年(今から43年前の今日)
  大昔です。今日はですね、実は、ローリングストーンズが主役なんですよ。このカレンダーは。
  と言うのはね、64年ぐらいからビートルズとローリングストーンズはライバル関係にあってね。
  で、ビートルズがやることはローリングストーンズも一応やるわけですよね。
  ローリングストーンズは音楽(作曲)は書かなかったんだけれども、ビートルズが書く、でビートルズが売れる、自分たちも作らなきゃってことで。
  もう、はなはだしいのは1967年に「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のアルバムを出すと、
  自分たちもサタニック…なんだっけ、あの有名なアルバムをすぐ出しちゃうとかね。
  →(『サタニック・マジェスティーズ』(Their Satanic Majesties Request))
  ただ、1968年になると、ローリングストーンズは「ビートルズに負けた〜」みたいな気持があるんですよ。
  そこで、奮い立ったのかどうか知りませんけれども、今から43年前の今日、ローリングストーンズ、ミックジャガーが中心で
  「ロックンロールサーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)」ていうショーがフィルム映画として撮られるわけですね。
  これは、中心はもちろんローリングストーンズなんだけど。ジョンなんかもいるし。
  ゲストはその時売れていたイギリスの連中、恋人だった、この頃はミックの恋人なのかな、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull )なんかも参加しています。
57ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/12(月) 22:19:16.15 ID:???0
  ジョンはこのために即興でバンドを結成します。これが「ダーティマック(The Dirty Mac)」と呼ばれるんですけれども。  
  キース・リチャード(Keith Richards)と一緒にやっています。それから、ヨーコがボーカルで参加したりしています。
  ただこれはですね、CDだとかDVDだとか、もちろんこの頃はDVDはありませんから、ビデオで発表されなかった。
  ミック・ジャガーがね、これは「出来が悪い」自分たちが一番悪い、ゲストが良いのに自分たちが悪いと判断して、
  これが発表されるのは、1996年になってからであります。
  1996年に、だから、何年経ってだ?。ねえ、20何年、20年近く?、20数年経って発売されるわけですが。
  その中から、ジョン・レノンのバンドですね。エリック・クラプトン(Eric Clapton)が出来が良いと言われている、お馴染みの曲です。
  曲はお馴染みかもわからない、ビートルズファンにとってはね。
  
  〜 The Dirty Mac / Yer Blues 
  http://www.dailymotion.com/video/x9wi6_dirty-mac-yer-blues_music 
58ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/12(月) 22:20:46.81 ID:???0
  (小林)これがミック・ジャガー(Mick Jagger)が、ほんとは発売したくないっていうことで、止めてたんですけど、1996年になって発売した中から。
  ギターがジョン・レノンとエリック・クラプトンですね。ベースがローリングストーンズのキース・リチャードです。
  で、これはビートルズの特に若い方たち、もう自分が生まれる相当前の音だから、ねえw、Yer Blues、ああこういうのもビートルズなんだ、と思って。
  ビートルズ、普通のビートルズとちょっと違うじゃないですか、これ。
  ちょっとハードになってますよね。
  実はこの頃は1960年代の終わりは、まだ60年代はビートルズの終わりだけど、だんだんだんだん、ビートルズの時代じゃなくなるんですよ。
  もう、この翌年なんかはね、もう一番イギリスで新しい音っていうのは、ツェッペリン(Led Zeppelin)ていうグループが。
  これはもう知っていると思いますけど、そういうのが出てくるんですよ。
  ね、だから、それはヤードバーズ(The Yardbirds)からツェッペリンへ進化して行くんですけどね。
  ほかに、ローリングストーンズばかりじゃなくて、いろんなライバルがいて、新しいことをやって。
  だけど、それをジョン・レノンがもう、けっこう尖(とが)っているていうのが、
  ジョン・レノンの感性がね「ちょっと、若いやつらには負けないぞ」みたいなことを発揮してるっていうのがね、あるんですよ。
  これは、年配のファンの方は、それを感じると思います。
59ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:30:57.82 ID:+be1kzwb0
□アリステア・テーラー(Alistair Taylor)の話し
 ・ビートルズに纏わるストーリー、前回までのスーパープロデューサー=ジョージ・マーチンによる貴重な証言から離れて、
  今週から、あまり聞きなれない人物、「アリステア・テーラー」なる人物の記憶の糸を辿ってみよう。
  アリステア・テーラーはブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーに就任する前から、ブライアンの個人的なアシスタントを務めていた人物。
  そして最終的にはビートルズが立ち上げた会社アップルの総支配人となった。
  しかしこの、総支配人、つまりゼネラルマネージャーという肩書も、ビートルズにかかると「ミスター便利屋」と理解するのが妥当であろう。
  実際の現場を垣間見ると、空港やコンサート会場でヒステリックなファンをかわしながらビートルズの脱出作戦を仕組み、
  メンバーが女の子とデートするのをお膳立てし、ポールにスコットランドの農場を一つ、ジョージに家を一軒、ジョンのためにはアイルランドの島を一つ
  といった個人的な買い物まで面倒を見たのが、このアリステア・テーラー。
  時には夜遅くまでビートルズの話し相手となり、時にはビートルズが泣くために自分の肩まで貸してやった人物。
  それがこのアリステア・テーラーである。
  さらにはマネージャーのブライアン・エプスタインが初めて自殺の衝動に駆られた時、電話でそれをやめるように説得したのも彼、アリステアであった。
  彼はビートルズがデビューする以前から解散するまで、4人と歩み続け、しかもレコーディング現場の目撃者であり、ツアーにもパーティにもバカンスにも同行した。
  改めて考えてみるとこのアリステア・テーラー、ビートルズ帝国の内側にいた者として、その真実を証言できる数少ない人物なのである。
60ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:32:56.16 ID:???0
  〜 The Beatles / All I've Got To Do 
 
  〜 The Everly Brothers / Cathy's Clown
  http://www.youtube.com/watch?v=PXvKAWiU_cQ&feature=related
 
  (小林)いかがですか Cathy's Clown エバリーブラザースが流れました。
  この曲知っている人、少ないかもわかりませんねw。ええw、聴いてる人の中にねw。
  1960年のイギリスとアメリカのナンバーワンソングのエバリーブラザース。二人組です。兄弟です。
  これを聴いてお判りだと思います。ビートルズ臭いでしょ。60年ですからね。ビートルズが売れる3年か4年ぐらい前っていうことです。
  つまり、この番組にあるようにビートルズから始まって ないんですよね。
  こういう風な人たちがビートルズの前にいて、実際にビートルズはI Should Have Known Better ていうのは、このエバリーブラザースから、そのアイデアとか音のイメージを頂いたと言われています。
  そうなんです、コーラスなんかも彼らから影響を受けていますからね。
  
  その前は1963年、ビートルズのAll I've Got To Do。
61ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:35:54.33 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「ビートルズとの8年間、それはもうダイナミックで刺激的な毎日だったね。」こう語るのはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの側近であり、
  後にはビートルズが立ち上げた会社アップルの総支配人となった人物、アリステア・テーラー。
  彼がどうやってブライアンと出会ったのか、アリステアの記憶から辿ってみよう。

  イギリスの田舎町ランコーン(Runcorn)に生まれ、首都ロンドンに出て来たのが1950年代末。
  アリステア・テーラーは二十歳そこそこで、最初に就いたのがジョン・ルイスの店の店員。
  後に妻となるかわいい女性レスリーとも知り合い交際することになり、そこまでは順風満帆。人生の春を謳歌していた。
  と、その矢先、買い物に出かけたアリステアは重い手提げ袋をぶら下げたままスーパーマーケットの床でつるりと足を滑らせて腰と背中を強く打ってしまった。
  そりゃもう激痛という表現を通り越した、まさに悪夢であった。この結果彼は8ヵ月もギプスをしたままの生活となり、勤め先もクビ。
  これではやっていけない と判断したアリステアは、ロンドンよりもずっと物価の安いリバプールに引っ越すことになった。
  ここでは生活のために材木問屋の事務員となったが、これが20代の男にとって死ぬほどつまらない仕事。
  「一生材木を売って暮らすなんて、まっぴら御免だ」そう思ったアリステアは、次の仕事を探し求めていたのであるが
  ある日彼は、リバプールエコーで、ある求人広告を見つけた。
  「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」
  これが音楽好きのアリステアにとって、運命の出会いとなるのであった。
62ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:38:19.18 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」 この広告が、ある青年の人生を大きく変えることになる。
  青年の名前はアリステア・テーラー、ビートルズのマネージャーとして君臨することになるブライアン・エプスタインの側近中の側近となる人物である。
  アリステアは広告を出した店NEMSに面接希望の旨を伝える手紙を書いた。
  すると何日かして返事が来た。「エプスタイン氏の面接に来店されたし。」
  もちろん、アリステアは面接に赴いた。
  当日は指定された時間よりも早く行って、店内を隈なく見て回った。
  お客の数も多く、どうやら経営状態は良好と見える。
  彼は早くカウンターの内側でレコードを売りたい気分になった。
  電話帳よりもぶ厚いレコードカタログや、ジャズの専門書も興味深いものに見えた。
  約束の時間になると、一階の奥にあるエプスタインのオフィスに案内された。
  NEMS=North End Music Storesの支配人であるブライアン・エプスタインは、工場経営者であるハロルド・エプスタインの息子で、まだ若い男という印象を受けた。
  プレスのよく利いたスーツと清潔なシャツに身を包み、いかにも新進気鋭のビジネスマンといった感じである。
  話し方も明快で、面接に来たアリステアを細かく観察しているようでもあった。
  ブライアンとアリステアは、時間をかけていろいろな話しをした。
  特に、ロンドンで職に就いていたこと、そこでの不運な出来事など、あまり他人には話さないようなことまで、この時のアリステアは詳しく話した。
  ただ、なかなか「じゃあ採用しよう」と言ってくれないブライアンの態度に、少し焦りを感じるアリステア・テーラーであった。
63ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:48:16.13 ID:???0
>>61 の後に続く

  〜 The Zombies / She's Not There
  http://www.youtube.com/watch?v=LpS7mpskf18&feature=related

  〜 Manfred mann / Do Wah Diddy Diddy
  http://www.youtube.com/watch?v=QTdXTWBj-NQ&feature=related

  (小林)2曲続きました。1964年ビートルズが世界的に売れた年の、他のグループのヒット曲であります。
  The Zombies の She's Not There、これはイギリスで12位まで上がった曲だそうです。
  これは80年代にサンタナ(Santana)がカバーして、アメリカではトップ5ぐらいのヒットになったのかな。
  それも古い話しになってしまいましたが。
  それからManfred mann ていうグループの Do Wah Diddy Diddy という曲が続きました。
64ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/17(土) 16:50:02.25 ID:???0
  〜 The Fourmost / Hello, Little Girl
  http://www.youtube.com/watch?v=dMtl7xt99fw

  〜 The Beatles/ She loves you
 
  (小林)ビートルズの She loves you。(2曲目)
  これはまあ、この曲が一番好きだっていう人がいるっていうのは、こないだもちょっとお話ししましたけど。
  一番エネルギーが詰まっている時だ、っていう。
  これが、まだ世界的に売れる前の1963年、イギリスでは9月にこれが第一位になるわけです。

  そして、その前の曲が(1曲目)これがちょっとビートルズぽかったでしょう。
  同じ週に9位、ベストテンの1位がビートルズ、そしてその前の曲が同じ週で9位です。  
  The Fourmostというグループなんですが。
  実は、これはビートルズぽかったのは、ジョンとポールが彼らのために Hello, Little Girl ていう曲を書きました。
  そのビートルズの曲を歌ってThe Fourmostはイギリスで9位。
  ちょっとなんかあれだね、前座であとでトリが出てきたような感じって言うか、
  それか、弟のバンドでその次に兄貴のバンドが聴こえてきた、みたいな感じですかね。
65ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/20(火) 17:52:58.90 ID:???0
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますので、電話番号と住所を添えて書いて頂きたいと。
  メールは [email protected] であります。


  (船橋市/男性)息子にビートルズの素晴らしさと野球の楽しさを語り継ぎたいです。
  (小林)ビートルズと野球って、つながらないよねえw。

  〜 Carly Simon / Take Me Out To The Ballgame
  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer

  (小林)ブラックユーモアの局地ですよね。Maxwell's Silver Hammer。
  ビートルズはこういう風な曲も楽しそうに作っちゃうっていう、特徴の一つです。
  (鎌ヶ谷市/女性)のリクエスト。Maxwell's Silver Hammer。
66ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/20(火) 17:54:35.23 ID:???0
  (霞ヶ浦市/男性)親子三人で聴いています。
  ジョージ・ハリソンの「ワンダーウォール(Wonderwall Music)」のアルバムから“Drilling A Home”。
  学生時代にジョージにはまり、奇妙なジャケットに魅かれてアルバムを買いました。
  「ワンダーウォール」は映画になっているようですが、内容がさっぱり判りません。どのような映画なんでしょうか?。
  (小林)僕は見ていないので、何も言えないんですけども。
  音楽の方は、インド録音とロンドン録音半分ずつに分かれているそうであります。では、ロンドン録音の中の、Drilling A Home。
  きっと変わっている映画だと思います。ジョージ・ハリソンが音楽やるぐらいだから。
  
  〜 George Harrison / Drilling A Home
67ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/20(火) 17:59:34.04 ID:???0
  〜 Wings / Mull of Kintyre

  (小林)有名な曲です。
  シングルとしては、発売されたら大ヒットとなっちゃって、今までのイギリスでのシングルの売り上げの記録を破った。
  つまりビートルズのシングルよりも、ポールのシングルの中でも、一番売れた曲ということになります。
  (佐倉市/男性)ビートルズの曲はどれも大好きです。
  解散してからもウィングスの曲を聴いていましたが、特に Mull of Kintyre 初めて曲を聴いて、行ったことがない所だったのに、何となく情景が浮かび心が和みました。
  ケルト語で「キンタイア半島」。ポールがそこに農場を持っていて、昼食に牛肉を食べていた時、窓の外を牛が歩いているのを見て
  「俺は、なにやってんだ!」とショックを受け。それをきっかけにベジタリアンになったと聞いています。
  二十年前イギリスに駐在していた時ドライブして、訪ねてきました。
  Far have I travelled and much have I seen その後は「山が黒く、谷は緑」と続くんですよね。
  イギリスの中西部、のどかな所で夕陽が美しかった。夕方の公園で佇(たたず)みながらその歌詞を思い出しました。
  とても良い思い出です。
  追伸。当時アビーロードスタジオの近くに住んでいて、(小林)おお、珍しい!。
  現地の警察の方と話す機会がありました。「アルバムジャケットの真似をして、スタジオの前の横断歩道で写真を撮る日本人が多いが、とても危険です」と言っていました。
  そう言えば、その横断歩道は三叉路Y字形の中心近くで、しかもロンドンの中心部から行くと、坂を登って下りかけた所にあるので、車からだと見えにくかった。
  (小林)はいどうもw、情報もありがとうございます。
68ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/20(火) 18:00:08.08 ID:???0
□エンディング  
  (小林)今日からアリステア・テーラーの話しが始まりました。
  また、ビートルズに関する証言集として、ちょっと面白い話しが続きそうです。
  それから、リクエスト待ってます。
69ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/21(水) 23:32:41.63 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月18日)
 ・1966年(今から45年前の今日)
  日本へビートルズが来た年。古いですよお。
  これはちょっと判りにくいかもわかりませんが、1時AMですかね。夜中過ぎですよねえ。
  タラ・ブラウン(Tara Browne)とスーキ・ポイター(Suki Potier)の二人が、友達の家で盛り上がって、腹が減ったから何か食べに行こう、ということで
  車に乗って出かけて7分後に 車がステイショナリーバンだから、ステーションワゴンですね。
  レッドクリフスクエアという所で衝突事故を起こした、てあるんですが。
  この、タラ・ブラウンっていう人間は、ビートルズの物語で必ず重要な役割を果たす人間で、
  どういう人かと言うとね、タラ・ブラウンは貴族階級の、イギリスには貴族がいますね、貴族の青年で遊び人で、今風に言うとチョイワルです。
  でも、頭が良くて芸術的な素養があって、いろんな勉強もしている。特に、アメリカのサイケデリック文化も研究している。
  だから、ビートルズがスコッッチ&コークをよく飲むようになったのも、彼の影響です。
  スコッッチ&コークてのはアメリカから来たわけですけども、それをいち早くイギリスで紹介した。
  その他にも紹介したものがあります。大麻よりも強くイケナイ物LSDなんかも、彼らのパーティーでやっていた。
  1966年はビートルズは、もうツアーをやらなくなったんです。
  だから、スタジオへ入ってアルバムを作る、シングルを作るっていうのが仕事。
  だから、遊ぶ時間も増えてタラ・ブラウンとかとつるんでいたと、重要な勉強をしてたと、考えるといいですよねw。エヘヘ。
  ジョン・レノンはこの、さっき紹介した夜中の1時7分ごろに起きた事故をネタとして使って曲を作りました。
  この曲は珍しいんですが、途中でポール・マッカートニーが参加します。
  つまり、ジョンが曲を作ったんだけど、後半、ポール・マッカートニーの曲が入り込んじゃう、ていう。
  と言うと、もう分かると思いますけども、ポールとジョンのコラボレーション、有名なA Day in the Life。
  
  〜 The Beatles / A Day in the Life
70ホワイトアルバムさん:2011/12/22(木) 18:26:17.04 ID:???0
● 社会から孤立した在日大阪人 AB型 塩キャラメルのプロフィール
大阪住之江区でショッパイ人生の浮浪者を隔離収容する実家のボロ団地で無職のニート生活を送る
スーザン・ボイル似で自称ラムダ・ズームこと甘くてショッパイ♀イカの塩キャラメルおばさん煽り厨でズーム真理教の教祖と判明w
★未婚と閉経でストレス下にあり人間関係が不得手で権力を求める傾向にあり注目を浴び興奮を得る為か世の中の為と思ってか
 妄想による架空の人物・ブル厨船橋を連呼する程、千葉を愛するおばさん
★図星の指摘には自己紹介乙、お前の方がと改変オウム返しになりがちなのも更年期障害で頭と心が弱っているため
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は⇒実家の貧乏団地生活を激白、自演失敗で自らを罵倒
無茶な脳内統合で妄想認定発覚、簡易英語すらも理解不能な低脳低学歴を改めて誇示と墓穴の神が降臨中で全部裏目で現実逃避w
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨本人による墓穴や物忘れの記録
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1309594457/9-11http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classic/1309955076/15-16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1309594457/14-15http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1319336351/6-14st
★ズーム真理教は甘くてショッパイ♀塩キャラメルおばさん煽り厨を代表とし
社会と他人を憎む貧しく育ちの悪い低脳低学歴でおばさん煽り厨達で構成
"アンカーを付けずに" 煽るのも冒頭の理由からで最後は必ず共通認識の奇妙な呼び名を喚き相槌する別の老婆と意気投合と自演が得意
★おばさん煽り厨の口癖は生・塩キャラメル,イカ,自演,発狂,脱糞,露出,死ね,馬鹿,阿呆,サザエ,昭和,車イス,ドン引き,マジキチ
ジャズ珍,不惑,あの人,シゲッチ,中曽,爺さん,私怨の個人名,ブル厨、と喚きだし疑いのない相槌と露骨な低脳自演をしてしまうw
★80年代に定員割れの女子短大に不合格した実績を持つ極貧育ち低脳低学歴で意地っ張りな暇人の塩キャラメルおばさん
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨のコテ(=ホーリー・ネーム)が複数あるのは多くの異名を使い分けた敬愛する福田和子へのオマージュと
塩キャラメルおばさんとバレない為の偽装目的だったが 塩キャラメル 連呼のAAで正体発覚。現在はひたすら攪乱・陽動・火消しの日々w
71ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/31(土) 00:50:38.03 ID:nZ8bVcdr0
□アリステア・テーラーの話し
 ・ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、メンバーとは寝食を共にし、さらにはビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物、アリステア・テーラー。
  彼がまだビートルズに出会う前のストーリーが続く。

  大怪我をしたことにより、物価の高いロンドンを引き揚げ北の町リバプールにやって来たアリステア。  
  最初は食うために、材木会社の事務と営業の仕事にありついた。
  しかし、この材木を扱う仕事が実につまらないもので、アリステアは全く夢も希望も持てない毎日を送っていた。
  「こうやって俺は、一生材木を売って暮らすのか…」そう思うとアリステアは死んでしまいたい、という気持ちになる時もあった。
  そんな時、地元の新聞リバプールエコーに、ある広告を見つけた。
  「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」店の名前はNEMS。
  ノースエンドミュージックストアー、音楽好きのアリステアである。職場としては申し分ない。
  さっそく面接希望の手紙を書き、日取りも決まった。
  場所も店内の雰囲気も悪くない。若いお客もひっきりなしにやって来ている。経営状態も良さそうだ。
  こうして、面接は店の奥にある支配人ブライアン・エプスタインのオフィスで行なわれた。
  清潔感いっぱいのブライアンに、アリステアはかなりの好印象を持った。
  しゃべり方もスマートで分かりやすい、散々いろいろな話をしたあと、ブライアンはついに決心をした。
  「よし、採用だ。君にセールスアシスタントの仕事をお願いしよう。給料はあまり期待しないでくれ。いいかな?」
  もちろん二つ返事で「はい、よろしくお願いします。」と答えるアリステアであった。
72ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/31(土) 00:52:45.57 ID:???0
  〜 Frankie Goes to Hollywood / Ferry Cross The Mersey 
  http://www.youtube.com/watch?v=QhYuwFIDfKI
 
  〜 The Beatles / This Boy
 
  (小林)ビートルズのThis Boy。(2曲目)
  これはイギリスでは1963年 I wanna hold your handのB面に入っていた曲です。
  
  その前は(1曲目)、Ferry Cross The Mersey、マージーリバーを渡るフェリーの歌。
  これは、ビートルズの同じころのバンドですよね。
  リバプールのジェリーアンドペイスメーカーズ(Gerry & The Pacemakers)のヒット曲ですが。
  それをフランキーゴーズトゥハリウッド(Frankie Goes to Hollywood )がやっています。
  フランキーゴーズトゥハリウッド は知っていますよね。
  Relax っていう、♪Relax When you do it. When you wanna come.Relax〜♪ っていうw あの Frankie Goes to Hollywood 。
  これが、アルバムの中に入っている曲、例えばウォー(War)だとか、カバーをいろいろやってるんですが。
  Frankie Goes to Hollywoodのカバー。
  ただプロデュースしたのがトレバー・ホーン(Trevor Horn)っていう、♪Video Killed the Radio Star♪〜w
  みんなきょうは歌っていますがw。
  それとか、若い方にとってはタトゥ(t.A.T.u.)ていう、ロシアの生意気な女の子の二人組がいましたよね。
  あの彼女たちをプロデュースした人でもあります。彼がプロデュースをしていました。
  そういう2曲をお送りしました。
73ホワイトアルバムさん:2011/12/31(土) 00:54:32.99 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「よし!採用だ。君にセールスアシスタントの仕事をお願いしよう。給料はあまり期待しないでくれ。いいかな?」
  こう決断したのは、ビートルズの最初のマネージャーとしてバンドをメジャーデビューにまでこぎつけ、アメリカを含む世界制覇を成し遂げた男=ブライアン・エプスタイン。
  そして、その彼の助手として採用されたのがアリステア・テーラー。後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。

  時は1960年代の初頭、場所はブライアンが経営するレコードショップNEMSのオフィスであった。
  もちろん、この時点では二人ともビートルズを知らない。
  ブライアンはクラシック音楽に強く、アリステアはジャズのコレクターでもあった。
  ブライアンの申し出に、つまり「君を雇うよ」という言葉にアリステアはもちろん二つ返事で答えた。
  実際の所アリステアは、まだ材木会社の社員だったのであるが、その帰り道に会社に事情を説明し、正式に退社することとなる。
  リバプールでも大きな部類に入るレコードショップの支配人のパーソナルアシスタント、悪くない。
  少なくとも材木を売って暮らすよりは、自分に合った仕事である。
  なんせアリステアはかなりのレコードコレクターで、毎月使えるお金のほとんどをレコードにつぎ込んでいた。
  そんな若者にとってNEMSは宝の山。
  ブライアンが最初に与えた仕事は、何か彼独特の雰囲気を持ったものであった。
  ブライアンはアリステアにこう頼んできた。
  「アリステア。ここに何枚か闘牛の絵があるんだけど、夕方帰るまでに額に入れて、良さそうな所に飾っておいて欲しいんだ。君のセンスに任せるから。頼んだよ」
  この時から、ブライアンとアリステアの主従関係は始まったのである。
74ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/31(土) 00:56:02.54 ID:???0
  〜 Georgie Fame & The Blue Fames / Yeh Yeh
  http://www.youtube.com/watch?v=CQ9nvljscEk

  〜 Helen Shapiro / You Don't Know
  http://www.youtube.com/watch?v=oWz66MboiTA
  
  (小林)ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)1961年You Don't Know。(2曲目)
  十代の女の子ですよね。大変なヒットになって、イギリスで一位です。1961年。
  ヘレン・シャピロは一年半ぐらいの後になるのかな?。
  ビートルズが前座でね、ヘレン・シャピロとツアーをすることになるわけですが。この話も、この番組でしたことがあります。

  そして、その前が(1曲目)1964年 Georgie Fame & The Blue FamesのYeh Yeh。
75ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/31(土) 00:58:26.51 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「僕のボスであったブライアン・エプスタインという人物、それはもう、切れ者でスマートだったね。ただ、第一印象ではどこか影を持った所があって、
  それが独特の雰囲気を醸し出していたんだ。」
  そう語るのは、後にビートルズのマネージャーとして君臨するブライアン・エプスタインの側近として仕え、その後ビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶を辿る話し、もう少し続けてみよう。
 
  「ブライアンは最初『それほど良い給料は期待しないでくれ。』って言っていたけど、実際のところは週給10ポンドで、悪い金額ではなかったね。
  なんせ、その前に務めていた材木会社の給料が7ポンドそこそこだったんで、こんどのNEMSの方が3ポンド高かったんだ。
  仕事の内容だけでも材木会社より良かった上に、給料まで上がって。本当に感謝したよ、ブライアンには。」
  そしてアリステアの話しは、ブライアンの仕事ぶりについて続いた。

  「ブライアンは売れたレコードを、その日のうちに全て記録するという、極めて単純明快な在庫システムを採用していたんだ。
  このシステムによって、売り切れや未入荷のレコードがあっても、すぐに注文が出せるわけだ。
  だから、店にそのレコードが無いのは、注文したレコードが届くまでの間だけ。
  このシステムのおかげでNEMSはリバプール市内どころか、イギリス全土のレコードショップの中でも優秀なショップだった。と言えるんだ。
  あるとき、ロンドンの有名なレコード店の社長がやって来て、秘訣を聞き出そうとしていたけど、
  こればっかりは門外不出の企業秘密なので、そう簡単には教えることは出来なかったな。
  実際にはものすごくシンプルなシステムなんだけど、これがブライアンの優秀なところだったね。」
76ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/31(土) 01:00:27.84 ID:???0
  〜 Elvis Presley / It's Now or Never
  http://www.youtube.com/watch?v=EQulJ1d_Mhc&feature=related

  〜 Roy Orbison / Only the Lonely
  http://www.youtube.com/watch?v=kjq4wYuwgxs&feature=related

  (小林)2曲有名な曲が続きました。1960年いずれもね、大ヒットです。両方とも、イギリスで大ヒット。
  そしてアメリカでもほとんど…、
  これは、アメリカで2位だったか、ロイ・オービソン(Roy Orbison)のOnly the Lonely 。
  ロイ・オービソンは良い曲を書く人で、またルックスが良かったらプレスリーみたいになったんじゃないかw、って言われてるぐらいすっごい声の良い人で。
  この曲はプレスリーのために書いたらしいですよ、ロイ・オービソンがね。
  で、持ってったら、プレスリーがいなかったんで、自分が歌ったというエピソードもあります。Only the Lonely。
  
  そしてその前(1曲目)はエルビス・プレスリー。
  兵役に彼は、徴兵制があったんでね、2年行くわけですけども、その間に休みをもらって録音したりして。
  その曲の一つが、彼が兵隊の後期に大ヒットするわけですね。It's Now or Never。
  ご存知の方がいるとは思いますが、これはイタリアのオーソレミオ('O Sole Mio)を英語の歌にしたバージョンであります。
77ホワイトアルバムさん:2012/01/04(水) 00:40:30.43 ID:???0
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
背が低く小太りで容姿はスーザン・ボイル似て目つきが鋭く幼い頃からコンプレックスを強め社会と人に不信感を抱いていた
キスの経験すらなく処女のまま更年期障害になり情緒不安定で被害妄想が悪化
寂しさのあまりエア恋人のブル厨を作り出し、なぜか気が狂うほど千葉・船橋に入れ込んでしまった
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
背が低く小太りで容姿はスーザン・ボイル似て目つきが鋭く幼い頃からコンプレックスを強め社会と人に不信感を抱いていた
キスの経験すらなく処女のまま更年期障害になり情緒不安定で被害妄想が悪化
寂しさのあまりエア恋人のブル厨を作り出し、なぜか気が狂うほど千葉・船橋に入れ込んでしまった
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
78ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/06(金) 13:55:36.77 ID:a8RhNFZn0
□リクエスト
  (小林)採用の方はイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  ちなみにメールアドレスは [email protected]

  (館山市/男性)
  日曜日はこの番組を聴きながら走っています。そのあと反動でへたり歩きになります。スマップの二人ごめんなさい。
  (小林)はいw。曲はこれだなあ。

  〜 The Beatles / Get Back
  〜 The Beatles / All My Loving( CLOSE YOUR EYES )

  (小林)ビートルズのスタンダードが続きました。
  (千葉県/女性)
  16歳。ビートルズの特にポール・マッカートニーのファンです。
  同年代でビートルズのファンだという人があまりいないので、仲間を見つけたいです。リクエストAll My Loving。
  (小林)
  16歳でそういう感じですけど、実はビートルズ好きな若い人はいっぱいいるんだよね。
  ただ周りにいないだけでw。これは世界中の最近の傾向なんだよね。
  良い物はネットなんかでタイムマシンみたいに、昔の映像だとかいろんなものを聴いたりできて、そういうのが好きな人がいっぱいいます。
  安心して下さい。この番組をよろしくお願いします。
79ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/06(金) 13:57:25.56 ID:???0
  (木更津市/男性)
  職場のビートルズ好きの先輩の紹介で最近聴きはじめました。
  職場に初めて入った日、先輩の車で聴いたのがこの曲。
  「ああ!俺は、この世界からもう逃れられないんだなあ」としみじみ感じていたのが、もう何年前かわからないぐらいになってしまいましたが。  
  今では初心に帰るためのテーマ曲になっています。
  彼らもスタジオミュージシャンとして鳴らしていたと聞きます。
  (小林)
  そうなんだよね。やっぱ、職人同士通じる物があるんでしょうかねえ。一つの道に打ち込んでいるわけだから。
  音楽は人それぞれですから、楽器が出来なくても、譜面が読めなくても、クラシックがよく判って行き方まで憶えている人もいますしね。
  だから、人の感性だと。堅いこと言わないで聴きましょうか。
  イーグルスもけっこうビートルズを意識しているんです。ビートルズは演奏してほとんどが歌えるでしょう。
  イーグルスもそうなんですよ。
  デビューアルバムも、ロンドンまで録音しに行ったしね。
  
  〜 The Eagles / Hotel California
80ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/06(金) 13:58:22.89 ID:???0
□エンディング  
  (小林)アリステア・テーラーという、ビートルズの重要なスタッフの話しが、これからちょっと続きます。
  楽しみにしてくださいね。面白いよけっこう。
  ビートルズの本人たちは、なんと言うか、さし障りのない所しかしゃべってくれないよね。
  それから、スタッフも気を使ってしゃべるんだけど、時間が経つと、いろいろしゃべってもいいことが増えたりして。
  そういうことも出てくると思います。
  リクエストの方もよろしく。
81ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:20:18.93 ID:idRaj7q20
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 12月25日)
 ・1965年(今から47年前の今日)
  きょうはクリスマスだからね。1965年のクリスマス。ジョージ・ハリスンは付き合っているパティとクリスマスディナーへ行きます。ロンドンで。
  そして、そこで、結婚の申し込み「僕と結婚してくれないか。」46年前の今日の事。
  ジョージ・ハリソンがパティに結婚を申し込みました。
  さすがジョージ・ハリスン、クリスマスにビシッと決めたわけです。
  二人が出会ったのは「Hard Days Night」の映画、「ヤアヤアヤア、ビートルズがやって来る」これが日本語タイトルの映画。
  この撮影の時に、パティは電車のシーンで女学生の役をしました。
  でも、ジョージ・ハリスンはパティに一目惚れ。最初にパティに話しかけた言葉は「ねえ、僕と結婚してくれない?」
  いきなりです!W。いきなりですよね。子供みたいだよねw。
  「ねえ僕と結婚しない?」もちろんこれは無視します。あたりまえです。
  で、ジョージは「結婚が無理なら、今夜ディナーでも」と誘い出し、みごと誘い出しに成功します。
  といっても、もう大変な有名人だからね。もうすでにビートルズの四人はね。
  これはまあ、パティも断わらなかったわけでね。
  交際がスタートして。以来、ジョージが書くラブソングのヒロインはパティ。
  1966年の2月には結婚して。66年、この翌年に結婚するんですね。
  で、キンファウンス(Kinfauns)という所に家を構えます。バンガローハウスという造りです。
  家具の趣味もものすごく良くて、友人たちも大好きな家だった。で、よく遊びに行った。
  でも、親友エリック・クラプトンの登場で、事態は急変する、ということですね。
  不倫が始まって、ジョージ・ハリスンと離婚して、パティは再婚。エリック・クラプトンと再婚して、そして離婚するという。
82ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:24:20.86 ID:???0
  これは自伝「ワンダフル・トゥデイ」の中で正直に語っています。
  これはね、パティの自伝はめっちゃくちゃ売れたんだよ。ベストセラーリストでいろんな所で、ロンドンとイギリスとアメリカだけども
  いろんな本屋さんで一位になっています。
  この本の中で「ジョージとの離婚は、今でも後悔している。人生の中で一番愛していたのはジョージ・ハリスンだ。」と語っています。
  さあそれでは、ジョージ・ハリスンの傑作。
  ビートルズ時代、やっぱりポールとレノンに頭が上がらなかったんだけど、これでもう堂々と渡り合うような大傑作を作りました。
  この曲。
  
  〜 The Beatles / Something  

  (小林)ジョージ・ハリスンの最高傑作の一つです。Something。
  というわけで、クリスマスの日ジョージ・ハリスンはパティに求婚した、と覚えて下さいw。
83ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:26:39.67 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し
 ・ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、
  メンバーとは寝食を共にし、さらにはビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物=アリステア・テーラー。
  今週もそのアリステアが、まだビートルズに出会う前のストーリーから お送りしよう。

  1960年代初頭、ロンドンでの苦しい毎日に別れを告げ、物価が安く暮らしやすいという評判のリバプールに流れ着いたアリステア・テーラー。
  最初は、材木問屋のセールス兼経理の仕事に明け暮れる毎日。
  それは、彼にとって「退屈な人生」であった。
  しかし、ある日彼は地元の新聞リバプールエコーに求人広告を見つけた。『市内のレコード店のスタッフ募集。音楽の好きな20代の男性を求む。』
  もともと音楽好きで、ジャズのレコードのコレクターでもあったアリステアにとって、こんな素晴らしい仕事は他に見あたらなかった。 
  即、その店NEMSに電話をして、面接の日が決まった。
  面接当日、アリステアは指定された時間よりも30分早く店に到着。
  短時間ではあったが、店の雰囲気や経営状態を観察させてもらうことにした。
  店は清潔で、感じは悪くない。客も若者から年配者まで、ひっきりなしにやって来る。
  おそらくレコードの品揃えが良いのであろう。職場としては申し分なかった。
  「この店はいいぞ!。逃がす手はない。面接で失敗しないようにしないと。」
  アリステアはこう自分に言い聞かせ、奮い立たせようとした。
  程なくして店の奥にある店長の部屋に通された。
  これまた、部屋の様子、デスクや本棚など家具のセンスも良い。
  それよりも感心したのは、店長支配人であるブライアン・エプスタインの清潔感あふれる出で立ちである。
  仕立ての良いスーツに、皺一つ見あたらない真っ白のシャツ。
  どちらかというと、ワイルドな港町であるリバプールの雰囲気とは180度違っていた。
  さて、このエプスタイン店長は自分の事を気に入ってくれるのか、緊張するアリステア・テーラーであった。
84ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:29:03.50 ID:???0
  〜 Shirley Bassey / Reach For The Stars 
  http://www.youtube.com/watch?v=u33-wM3-3tE
 
  〜 The Shadows / Shadoogie
  http://www.youtube.com/watch?v=cxGMrdo4C5Q
 
  (小林)2曲続きました。
  いま聴いた曲は(2曲目)1961年、つまり話しとしてアリステア・テーラーが、就職する頃のお話しなんで。
  その時代の空気を感じて頂こうと思いまして、シャドウズ(The Shadows)、もうロックンロールの時代は始まっていて
  イギリスではクリフ・リチャード(Cliff Richard)ていう人気者が現れます。
  クリフ・リチャード、そのバックを務めていたのがザ・シャドウズ。
  シャドウズのデビューアルバムから Shadoogie。
  これは、ブルースコードの展開の典型的な歌になってましたが。ブギーって言いますよね。
  ブギーとシャドウズを引っかけてシャドゥーギー w。
  
  そしてその前(1曲目)も、同じころのイギリスでナンバーワンです。
  後になって フロムロシアウィズラブ♪っていうダブルオーセブンのテーマの大ヒットで知られる、シャーリバッシー(Shirley Bassey)
  のReach For The Stars これもイギリスのナンバーワンソングです。
85ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:31:29.17 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「この店 NEMS、リバプールじゃちょっと見ないくらい洒落ていて人気も高い。
  で、このエプスタインていう支配人、俺を採用してくれるんだろうか?。早く決めてくれよ。」
  この、あせりを隠せない青年の名はアリステア・テーラー。
  後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  場面は1960年代の初頭。ブライアンが経営するレコードショップNEMSのオフィス。
  この時、面接する側、つまりショップ店長のブライアン・エプスタインは、まだビートルズを知らない。
  当然、この時点では自分が世界一のロックバンドのマネージャーになることは、全く100%彼の事業計画には無かった。
  もちろんアリステアも、「この店に雇ってもらえるかどうか」頭の中には、ただそれしかなかった。
  こうして二人の無言状態が5分続いたあと、ブライアンは決断した。
  「よし決めた!。君を僕のアシスタントとして採用することにしよう。よろしく頼む。給料は期待してくれるな。
  明日の朝9時、遅れないで出勤してくれ。」
  もちろん、アリステアは嬉しかった。この職場こそ自分にピッタリな場所だと確信していたのである。
  実際のところ、まだアリステアは材木問屋の社員だったのであるが、その帰り路会社に立ち寄って事情を説明し、一応円満退社となった。
  もちろん退職金はゼロ。自宅に戻り、奥さんのレスリーに自分が転職したことを報告し、お祝いをしてもらった。

  翌朝アリステアがNEMSに出勤すると、すでにブライアンは仕事を始めていた。
  「すみません。店長より遅くなってしまって。すぐに仕事に取りかかります。えっと、まず何から始めたらいいんでしょうか?。」
  ブライアンは涼しげな表情で答えた。
  「おはよう、アリステア。大丈夫だよ、君は遅刻なんてしていない。僕はいつも誰よりも早く出勤するんだよ。だから、気にしないでくれ。
  ところで、今日から君に頼みたいのは、在庫の補充なんだよ。ウチの店の売りは『どんなレコードでも買えます。』ってところだからね。
  お客の期待を裏切らないように、よろしく頼むよ。」
86ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:32:17.21 ID:???0
  〜 Buddy Holly / It Doesn't Matter Anymore
  http://www.youtube.com/watch?v=q80vPeejm7k

  〜 The Beatles / Words Of Love

  (小林)2曲続きました。
  いま聴いたのは(2曲目)ビートルズ・フォーセールのアルバムに入っています、Words Of Love 。1964年。

  そしてその前(1曲目)は、ビートルズが大好きだったバディ・ホリー(Buddy Holly)。
  これは、ポール・アンカ(Paul Anka)が書いたんですね。ポール・アンカが書いてバディ・ホリーが歌って。
  これはイギリスでナンバーワンになった曲です。It Doesn't Matter Anymore。
87ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:34:43.19 ID:???0
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「アリステア。入社一日目、君に覚えてもらうことがたくさんある。先ずは、今日中に在庫管理を覚えてほしいんだ。
  とてもシンプルだけど、重要だからね。たのんだよ。」
  こう社員に指示を出しているのは、後にビートルズのマネージャーとしてロック界に君臨するブライアン・エプスタイン。
  そしてそのブライアンの経営するレコードショップNEMSの新入社員が、いずれはビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶をたどる物語、もう少し続けてみよう。

  「音楽の趣味だと、ブライアンはクラシック音楽の愛好家で、好んで聴くものはクラシックミュージックとエレベータミュージック。
  つまり、イージーリスニングが多かったんだ。逆に、僕の方はクラシックには少し疎くて、ジャズのレコードばかりを集めていたね。
  それも、イギリスでは発売されていない出初めのブルーノートレーベルのものとかを、輸入盤として扱っている店に注文して集めたりしていたんだ。
  まあ、ちょっとしたコレクターだよね。
  毎月いったい何にお金を費やしていたか、と言ったら、それはほとんどジャズのレコードだって言ってもいいね。」
  そしてさらに、アリステアの話しはブライアンの類い稀な才能について続いた。
  「でも、驚いたことにブライアンは得意分野のクラシックだけではなくて、世の中に発表されるどんなレコードでも、
  それがどれくらいヒットになるか、あるいは全くコケてしまうか、ほぼ100%の確率で当ててしまうという、超能力を持っていたんだ。
  だから、ブライアンがビートルズに対して感じた何かが、その超能力に裏付けらていたんじゃないかな。
  って、僕は思ってるんだ。
  とにかく鋭い感覚を持っていたね。ブライアン・エプスタインという人物は。」 
88ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:35:48.20 ID:???0
  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  〜 John Lennon / stand by me
 
  (小林)ジョン・レノンのスタンバイミー(2曲目)。さっきバディ・ホリーのカバーもやっているっていうね、そんな話をしたロックンロールのアルバム。1975年。
  その中に入っています。もう有名なバージョンです。
  そして(1曲目)、ビートルズのRock & Roll Music。
89ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:40:07.41 ID:???0
□リクエスト
  (小林)メールは [email protected] 
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして、ずっと差し上げておりますのでね、リクエストよろしくお願いしますね。

  (富里市/男性)
  この歳になりますと、音楽界のトップシーンに付いて行くのがなかなか難しくなって参りました。(小林)え?、52歳で。
  しかし、今年(2011年)とても印象に残っている曲が1曲あります。Adele の Rolling In The Deepという曲です。
  曲の途中で声が何度か一度裏返る部分があり、そのたびに鳥肌が立つほどの快感が体中を巡ります。
  (小林)ということは、アドレナリンがまだ分泌しております。いいんじゃないですか。
  (男性)リクエストの動機としては不純でしょうか?
  (小林)いやあ、そんなことはないw。

  〜 Adele / Rolling In The Deep
  http://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw

  〜 The Beatles / Obla Di Obla Da

  (小林)ポール・マッカートニーのお馴染みのオブラディ・オブラダ。
  なんかクリスマスの日に聴くとすごいクリスマスソングに聴こえるよね、この曲はね。
  (江東区/男性)
  30代ですが、ビートルズの曲で好きな曲はいっぱいあります。
  中でもカタカナで間違えてるかもしれませんが・・・、
  (小林)これが間違えてるんだよw。いい?オブダディオブダダ、じゃないよw
  オブラディ・オブラダ、ラ行だからねw。クリスマスだから許す。
90ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:42:11.78 ID:???0
  (八千代市/男性)
  毎週夕飯時BGMとして愛聴させ頂いてます。
  今年3月、東日本を襲った未曾有の大震災、被災された方々には本当にお見舞い申し上げます。
  日本全国を元気づけようと立ち上がった俳優さんやアーティストの方々、頭が下がりますが、
  おいらが勝手に崇拝させて頂いている桑田圭佑さんもその一人。
  宮城県で行われた涙の復興ライブは記憶に新しいですが、その復興ソングとして渾身の力を込めて造った曲をお願いします。
  一年お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。よいお年を。
  (小林)ちゃんと挨拶ができるねw。
  
  〜 桑田圭佑 / Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜
  〜 John Lennon / Happy Christmas the War is over

  (小林)毎年この時期には必ずかかる曲(2曲目)ですけれども、リクエストもたくさん来てね。
  だけど今年はなんかちょっと違う感じがするね、この曲もね。そんな年だったですね。
  (墨田区/男性)のリクエスト。(2曲目)
91ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:43:56.00 ID:???0

□エンディング  
  (小林)お話しの方は、ビートルズのプロデューサーからこんどは、ビートルズのマネージメントに入るアリステア・テーラーのお話しなんですけど。
  この番組が始まって、長い間ビートルズにスポットを当てて ビートルズの事をお話ししています。
  ジョン・レノンが主人公だったり、ポールが主人公だったり、するわけですが。
  いろんな人の「見た目」で、立体的にビートルズの事が判ってくるということで。
  この番組をずっと毎週毎週聴かなきゃだめだ、聴いて行くっていうのはちょっと無理かも分かりませんけども、
  まあ、時間がある時は聴いて頂いて、ビートルズをいろんな所から感じて頂きたいと、思います。
  で、ビートルズをやるっていうことは、ビートルズの周りのいろんな音楽、いろんな音楽を創った人、そしてその時代、我々を含めて。
  それが、実はこの番組の主人公なんです。時代が、我々が。
  というわけで、そんな意識でみなさんリクエストの方もよろしくお願いします。
  リクエストのあて先は・・・(略)
92ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/08(日) 01:45:24.94 ID:???0
そうなんですw。毎週は無理なんですw。
1月1日の放送分も、PCの不調で留守録に失敗してしまいました。
OS(XP)がおかしいのか、時々フリーズしたり、
ラジコも長時間つけていると何かおかしいw。
今日はどうなるか。
しかし、アリステアの話し、ビートルズに出会う前で引っぱり過ぎでは?w
93ホワイトアルバムさん:2012/01/08(日) 10:47:05.61 ID:???0
1日の放送、録音し忘れた…。どっかで拾えますか?
94ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/11(水) 01:02:19.16 ID:???0
今回1月8日もPCかRadikoが不調(飛んだ?)のため失敗 (´・ω・`)。
帰宅後あわててスイッチを入れ直したところ(18分30秒あたり)からの録音となりました。
ビートルズカレンダー、アリステアの話し1、2、が抜けています。
アリステア・テーラーの話しは まあ案の定、まだビートルズに出会っていませんねw。

>>93 残念ながら、BayFM78のHPでは「ビートルズから始まる」のストリーミングはやっていませんね。
地方局への配信とかは不明です。
95ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/11(水) 01:06:44.83 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年1月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也



・18分30秒あたりから

  〜 Ray Charles / Hit The Road jack
  http://www.youtube.com/watch?v=ZKvhxapM5zo

  〜 The Beatles / You Can't Do That

  (小林)これは(2曲目)1964年A Hard Day's Nightのころです。のアルバムに入っています。
  ジョージ・ハリスンが12弦のギターを弾いて、ジョン・レノンのギターのソロも聴こえます。
  まあ、ビートルズがギターバンドの始まりでもあったわけです。

  その前は(1曲目)1961年ちょうどアリステア・テーラーがブライアン・エプスタインと知り合った頃のアメリカでのナンバーワン。
  レイ・チャールズ(Ray Charles)全盛時代です。Hit the road Jack。
96ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/11(水) 01:09:51.72 ID:mferAMm80
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「1961年当時の僕のボスだった、ブライアン・エプスタイン。 あれほどの切れ者を、僕はいまだに見たことが無いね。」
  こう語るのは、ブライアン・エプスタインのアシスタントを経てビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶をたどる興味深い物語、もう少し続けてみよう。

  1961年の10月のある日、ブライアンの店で、僕が勤務する店NEMSでビートルズのレコード「マイボニー(My Bonnie)」を探しに来た人物がいて、
  その青年の名が“レイモンド・ジョーンズ”だって伝説は有名だよね。
  だけど、実際にはそんな名前の青年はいないんだ。もちろん、イギリスやアメリカを探したら同姓同名のレイモンド・ジョーンズという人物は何人かいるだろうけど。
  とにかくNEMSの客にそんな人間はいない。
  これは、明らかにビートルズの研究者や熱心なファンが、でっち上げた間違った伝説だ、と断言できるね。 
  だって僕はその時代、間違いなくその現場にいたし、自分で接客もしていた。
  まあその間違った伝説はともかくとして、何週間か調べてやっとこのレコードの素性が判ったんだ。
  どうやらそれは、ビートルズのレコードじゃなくて、歌っていたのはトニー・シェリダンとビートブラザースていうバックグループがいたらしい。
  そして間もなくそのビートブラザースの正体がビートルズだってことが判明して、このレコードはドイツのポリドールに発注しないと手に入らないことも判った。
  つまり、イギリスのレコード問屋にも扱いが無いくらい、マイナーなレコードだったっていうことだね。
  それでもブライアンは僕にこう言ってきた。
  「まあ、いいだろう。そのマイボニーのレコード、25枚ほど仕入れてみようじゃないか。なんか、面白そうだよ。」
97ホワイトアルバムさん:2012/01/11(水) 01:12:15.70 ID:???0
  〜 The Beatles & Tony Sheridan / My Bonnie
  http://www.youtube.com/watch?v=_bVEK8vUBng&feature=related

  〜 The Beatles/ Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
 
  (小林)ポール・マッカートニーの得意技です。(2曲目)リズムアンドブルースのカバーです。
  "Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey" ビートルズ1964年。

  そしてその前(1曲目)が、例の問題の“マイボニー”。
  最初はビートルズと名乗らずに“ビートブラザース”。
  歌っていたのはイギリスのトニー・シェリダン(Tony Sheridan)。
  そして、バックを務めていたのがビートルズ「マイボニー」。
  このビートルズの演奏は、リンゴ・スターはドラムじゃなくて、ピート・ベスト(Pete Best)がドラムス。
  で、ベースは、ヘタだと言われたスチュワート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)じゃなくてポール・マッカートニーが代わりにやっているという説もあります。
  でも、マイボニーてのはご存知かもしれませんけど、別にロックの曲じゃない普通のポピュラーな歌ですよね。
  このころは、このころから、世界各国で普通のロックの曲をね。
  新しい所ではマイウェーを…、これも新しくはないですけど、セックスピストルズがロックにしたじゃないですか。あれみたいに。
  日本なんかでも、そういうのが流行ったんですよ。夕焼け小焼け とかね。
  童謡なんかをね、わざとロックにしたりするのが。その一環ですね、マイボニーはね。
  そのマイボニーのロックバージョンは、マネージャーになる前のエプスタイン 、それから主人公のアリステア・テーラーにとっても、
  ジャズやクラシックが好きな人ですから、「うるさい楽器(ガキ?)の音楽だなあ。」耳にうるさかった。
  そんな時代です。
98ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/11(水) 01:13:53.67 ID:???0
□リクエスト
  (小林)ちなみにメールアドレスは [email protected] 
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  珍しいでしょう。採用になるとミートボールなどが贈られるっていうことであります。

  (銚子市/男性)28歳。
  精神疾患を患っていますが、最近体調が良くなっています。(小林)良かったですね。
  リクエストはクリーデンスクリアウォーターリバイバル(Creedence Clearwater Revival)。
  (小林)前にもこの番組でしゃべったことがあるんですが、1968年当時、ビートルズが後半に入って来た時、
  ビートルズなんかよりも遥かにアルバムを売った、アメリカでは一番アルバムを売った、ロックグループであります。
  クリーデンスクリアウォーターリバイバル。
  70年代の初めぐらいまで、ちゃんと活躍していましたけど、レコード会社と揉めたりして解散になったりする、ちょっと不幸なグループなんですけど。 
  
  〜 Creedence Clearwater Revival / Fortunate Son
  http://www.youtube.com/watch?v=ec0XKhAHR5I
99ホワイトアルバムさん:2012/01/11(水) 01:15:59.54 ID:???0
  〜 The Carpenters / I Won't Last A Day Without You
  http://www.youtube.com/watch?v=tt5huMICEwU

  (小林)カーペンターズのI Won't Last A Day Without You。
  あなたがいないと私は一日も持たない、っていう意味。ラブソングです。
   (浦安市/男性)
  HDDで録音してMP3に変換して携帯プレーヤーで通勤中に聴いています。(小林)便利な時代になりましたね。本当にねw。
  自分のビートルズのレコードを初めて買いに行った時のエピソードを、ぜひ聞いて下さい。
  ラジオから流れたLet It Beに感動し、翌日さっそくレコード屋に向いました。
  ビートルズはとうに解散していました。マッシュルーム頭のやんちゃな4人組というのは何となく記憶にありました。
  ビートルズのシングルのコーナーに行ってLet It Beを探し出しました。
  が、そこには長髪のヒゲ面の老けたビートルズが写っていました。
  当時小学生だったんですが、近所に学生運動をやっていた大学生が住んでいて、母親から「あんな風には絶対にならないでよ!」と言われていました。
  その風貌がジャケット写真とそっくりだったんです。なにか、急に怖くなったのと同時に罪悪感を感じてLet It Beの購入を断念しました。w(小林)面白いw。
  その代わり、帰りに全く毒されていなくて、親も納得するであろうカーペンターズのSINGを買って帰りました。
  いま振り返ると、笑い話です。そうです。その思い出の曲SINGのB面に入っていたのがこのI Won't Last A Day Without You。  
  (小林)子供心にですね、小学生の(あなた)はビートルズだと親が心配するだろうということで、カーペンターズを買ってきた。
  そうですよね。ビートルズでも、そんな親が心配するような時代だったわけですよね。
  この頃の音楽は、いったいどんなんだったんだろうっていう方に、やさしく説明しますとね。
  1950年代にプレスリーたちが始めた、ロックンロールてものがあるんですよね。
  そりゃあもう親が大反対するわけです。ところがね、ロックンロールが だんだんだらしなくなってくるんですよ。60年代に入ってね。
  で、その一つの流れの末にカーペンターズがいるんです。つまらないロックンロールっていうんじゃなくて、ソフトになって行くんですよね。
  だんだん。ソフトロックの時代に入っていくんですよ。60年代。
  で、70年代、華と開いたのがカーペンターズ。
  でも、そんな中で、「もうアメリカにはロックがいないのか」。
  アメリカではリズム&ブルースだとか、ボブ・ディランとかああいった音楽、フォークソングですよ。流れていたのは。
  そんな中にビートルズが飛び込んできて、いろんなものを掻き混ぜて、そして世界のスーパースターになって行ったというわけですね。
  (船橋市/女性)
  サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)のボーカルでバートランドの子守唄(Lullaby of Birdland)をお願いします。
  最近はJUJU もカバーしていますね。
  本家のサラのララバイも気持ち良さそうに伸びやかに歌っている感じが好きです。
  (小林)もうこの人は、ジャズのボーカルでは一番か二番かと言われた人です。
  
  〜 Sarah Vaughan / Lullaby of Birdland
  http://www.youtube.com/watch?v=x8cFdZyWOOs

  〜 The Beatles / Let It Be 

  (千葉市花見川区/男性)
  家内が夕食の準備をしている時に聴いていました。
  二十歳の娘がパソコンから流れている曲に合わせて口ずさんでいるのに耳を傾けていると、どっかで聞いた曲だなあ、と思ったらLet ItBeだったんです。
  家の中でほとんどビートルズをかけたことが無いので、ビックリしました。
  娘もビートルズの音楽が好きなんだな と思った次第です。
□エンディング  

  (小林)いかがですか?。ビートルズから始まる。
  ビートルズのお話しはもういろいろあってね、十年以上続けてるわけですけど。
  アリステア・テーラーというビートルズの右腕、左腕かわかりませんけどw。
  重要なスタッフの証言は面白いですね。
  ビートルズの伝説には、ウソもあるよっていうことがわかります。
  だけど、ビートルズがレコード出したって言っても、ただ単にバックを務めているレコードを探しに来るっていうことは、これ、大変なことですよねえ。
  バックをやっているのを買いたい、ていうことは、そのグループが、有名じゃなくてもいかに力を出し始めているかってのが、分かりますね。
  それからみなさん、リクエストの方よろしくお願いします。
  自分の中の家族の音楽の好みだとか、伝わったりすると、家の中の雰囲気が分かったりします。よろしく。
  採用の方にはイシイの…(略)
103ホワイトアルバムさん:2012/01/11(水) 07:27:04.28 ID:???0
民主党や社民党の韓国人達が

「来年は(韓国で)国会議員選挙、大統領選挙があり
、在日の皆さんも投票できる。
その一方で日本で地方参政権がないことはおかしい。
民主、公明、社民各党が協力すれば国会で法案は通る。
来年には必ず成立するようがんばる」と強調。民潭ホームページ

 こんなことさせちゃいけない! 日本人なら民主党・法務省に抗議のFAXしろ!
104ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/16(月) 19:57:10.85 ID:f0ZBaYBs0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年1月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 1月15日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  ブライアンがドノバン(Donovan)のコンサートを見に行ってます。場所はロイヤルアルバートホール。
  これからちょと説明しますが、1967年というとサイケデリック元年で。
  まだ、最高のサイケデリックアルバムと言われるビートルズのサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)は完成を見てなくて、
  レコーディングの真っ最中なんですが。
  ビートルズがツアーをリタイアしたために、ブライアン・エプスタインは他のタレントの発掘契約に食指を伸ばし始めます。
  なにしろその頃は、やっぱりライブで稼ぐっていうのがミュージシャンや音楽系の会社の生き方だったわけです。
  1964年当時調子が良かったダコタス(The Dakotas)とかペースメーカーズ(Gerry & The Pacemakers)とかピーターアンドゴードン(Peter&Gordon)、ちょっと低迷気味になります。
  ビートルズは低迷しないんだよ。
  で、時代を反映するアーティストを探す、ていうことになって、クリーム(Cream)エリック・クラプトン(Eric Clapton)のね、ビージーズ( Bee Gees)、ドノバン、
  きょう見に行ったというドノバンも、実は契約するんです。
  クリームもビージーズもドノバンも契約していたんだっていう。
  ドノバンは1946年スコットランドのグラスゴー生まれで、最初はフォークシンガーだったんですが、キンクス(The Kinks)なんかと同じパイレコードから、
  キンクスなんかと一緒ですからねえ。やっぱり音楽の目覚めた人ですよね。
  そののちにビートルズの後期、ちょっと短いマネージャーを務めるアラン・クライン(Allen Klein)の紹介で、
  ミッキー・モースト (Mickie Most)と出会って、独特のフォークロックのスタイルを創りあげる人です。
  でかいヒット曲が2〜3曲ある人なんですが、それは、67年に出てるわけですね。
  67年にビートルズのサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドが出るわけですね。
  しかしこの曲は1966年、すでに全米第一位を記録します。
  つまり、もうサイケデリックとかそれっぽい時代は始まっていたんだ。ビートルズが最初じゃなかったていうのが良く分かります。
  ちなみに、この曲はビートルズと同じアビーロードスタジオで録音されて、
  そのころとても若かった、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)をこのあと作ることになる、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)、ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones)が、
  スタジオミュージシャンとして参加しています。
  では、1966年夏の全米ナンバーワンソングです。
  
  〜 Donovan / Sunshine Superman 
  http://www.youtube.com/watch?v=hTuPbJLqFKI 

  (小林)というわけでドノバンのSunshine Superman。
  ギターが目立ちますが、ジミー・ペイジですよ。ねえ…。
  というわけで、45年前のきょう、彼ドノバンと契約することになるわけですけども。
  やっぱり、ビートルズの事務所がドノバンと契約するために見に行った。
  ドノバンは当時イギリスでは、イギリスのボブ・ディランみたいな存在だったこと。
  まあ内容はボブ・ディランの方向とはちょっと違った、ちょっととぼけてカッコいい音楽だったね。
  こういうの、ぜったいビートルズも取り入れているよね。
106ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/19(木) 13:19:09.77 ID:XoxU2oE70
□アリステア・テーラーの物語
 ・ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、世界中のツアーへも同行。
  さらには、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物、アリステア・テーラー。
  今週もそんな二人が、ビートルズに出会うまさに直前のストーリーからお送りしよう。

  アリステアの話しは、ある「謎のレコード」に纏わる伝説から始まる。
  「ブライアンが経営するレコードショップNEMS(ネムズ)、もちろん僕は従業員だった。
  ありとあらゆるジャンルのレコードを取り揃えてあるその店に、リバプールの若者があるレコードを探しに数多くやって来た。
  そのレコードのタイトルは「マイボニー(My Bonnie)」演奏しているのは“ビートルズ”、というバンドらしいということ。
  さすがにブライアンも僕も、その“ビートルズ”のことは何一つ知らなかったね。
  そして数週間調べてやっと判明したのは、この「マイボニー」というレコードは正式には“ビートルズ”というアーティストの名義では無くて、
  トニー・シェリダン(Tony Sheridan)というシンガーとそのバックバンドの「ビートブラザーズ」によるものであるということ。
  さらには、このレコードはドイツで録音されたもので、イギリスのレコード問屋には扱いがない。
  つまり、商売にならない、と判断されたマイナーな曲である。
  という2点であった。
  ブライアンは、このレコードがかなり気になったみたいで、すぐに最小取り寄せ枚数である25枚をドイツのポリドールに直接オーダーするように指示した。
  何日か経って25枚入りの箱が届き、僕が自分用に1枚購入した直後、ブライアンは手書きで『ビートルズのレコードあります』と書いた紙を店のウィンドーに貼ると、
  その「マイボニー」は2時間しないうちに全部売れたんだ。
  これはもう、すごいことだった。
  ブライアンも僕も正直大した曲だとは思わなかったんだけど、お客さんはみんな大喜びで買って帰ったんだ。
  この事実はレコードを売るプロの立場から、無視できないことだったんだよね。」
  〜 The Beatles & Tony Sheridan / My Bonnie
  http://www.youtube.com/watch?v=_bVEK8vUBng&feature=related

  〜 The Beatles/ One After 909(Anthology 1 Version)
  http://www.youtube.com/watch?v=3HoQ72Ug_8k&feature=related

  (小林)ビートルズのジョン・レノンのOne After 909(2曲目)。初期の1963年の録音です。
  もともとね、アルバムに入れようと思っていたんだけどボツになったやつですよね。
  アンソロジーの1に入っています。1995年に出されました。
  でもまあ、これは結局Let It Beのアルバムに入ることになった曲であります。

  そしてその前(1曲目)は、問題のMy Bonnieです。
  トニー・シェリダン、バックがビートルズであります。
□アリステア・テーラーの物語(続き)
 ・「そのビートルズのマイボニーってレコード、ブライアンも僕も正直大した曲だと思わなかったんだよ。
  お客さんはみんな大喜びで買って帰った。
  この事実はレコードを知るプロの立場から、無視できないことだったんだよね。」
  こう語るのは、アリステア・テーラー。
  のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  場面は1961年秋。ブライアンが経営するレコードショップNEMS(ネムズ)。ノースエンドミュージックストア(North End Music Stores)のホワイトチャペル店。
  若者に人気の音楽の発信基地でもあった。
  アリステアはビートルズが世に出るきっかけとなった大切なエピソードを、こう語ってくれた。
  
  「最初ドイツから仕入れた25枚は、2時間で完売。すぐに取り寄せた追加の25枚も、何の苦労もなく瞬く間に売り切れ。
  結局、1000枚売り切ってしまった。いくらリバプールが音楽の盛んな町だと言っても、これはかなり異常なことだった。
  こうなると、気になってしょうがない性質のブライアンは、すぐにポリドールに電話し、この現象を報告したんだけど、
  大手レコード会社にとっては、特にどうこう騒ぐことではないらしく、全く興味を示さないんだ。
  それだけに、リバプールという町が田舎扱いされていた っていうことの証明にもなるんだけどね。
  もちろん、ブライアンのビートルズに対する興味は膨らんでいった。素性が分からなければ分からないほど、その真の姿が見たくなるのが人情というもの。
  2〜3週間が経った時、ブライアンが店に飛び込んでくるなりこう言ったんだよ。
  『例のビートルズていうグループのレコード覚えているだろう?。このあたりのキャバンて店に出てるらしいんだ。
  アリステア、君その店がどこにあるか知ってるか?。すぐに見に行きたいんだ。』」
  〜 The Marvelettes / Please Mr. Postman
  http://www.youtube.com/watch?v=425GpjTSlS4
 
  〜 Bobby Vee / Take Good Care Of My Baby
  http://www.youtube.com/watch?v=awNqLO6auQA

  (小林)1961年のヒットが2曲続きました。
  (2曲目)ボビー・ビー(Bobby Vee)のTake Good Care Of My Baby。これはアメリカでナンバーワン、イギリスでは3位まで行きました。
  これは、あとになってシンガーソングライターになるキャロル・キング(Carole King)と彼女の旦那のジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)この二人が書いたものであります。
  
  そしてその前(1曲目)が、ビートルズもカバーしたThe Marvelettes の Please Mr. Postman。
  さっきのボビー・ビーのTake Good Care Of My Babyはね、これが典型的なロックンロールがだんだん進化して、こんなポップスみたいになっていたころ、ビートルズが出てくるという。
  だから、時代がもうビートルズを待っている頃です。
□アリステア・テーラーの物語(続き)
 ・「例のビートルズていうグループのレコード、覚えているだろう?。この辺りのキャバンていう店に出ているらしいんだけど、
  アリステア、君はこの店がどこにあるか知っているか?。すぐに見に行きたいんだよ。」
  息を切らして店に飛び込んできたのは、後にビートルズの伝説的なマネージャーとなるブライアン・エプスタイン。
  アリステアとは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  このアリステアの興味深い証言から、もう少し続けてみよう。

  「『なんだ、ブライアン。その店キャバンならよく知ってるよ。僕も何度もジャズを聴きに行ったことがある店だよ。
  場所だったら、このNEMSから200メートルもないすぐそこだよ。』
  するとブライアンはニヤニヤしながらこう答えた。
  『なんだ、灯台もと暗しっていうのは本当なんだなあ。僕はその店ぜんぜん知らなかった。
  じゃあさっそく、ランチのついでにそのビートルズとやらを見物しに行こうか。近所で『ビートルズのハンブルグでの熱狂再現!』ていうポスター見たんだよ。
  さあ、店は他のスタッフに任せればいい。急いで仕度してくれ。』
  ブライアンは一見紳士そうに見えて実は、かなり気が短い所があったね。何か閃くと、もう居ても立ってもいられない性分なんだ。
  だいたいにおいて、キャバンに行こうと言った時点で、ブライアンはビートルズが地元のリバプールのバンドだなんて知らなかったと思うね。
  おそらくビートルズは、ロンドンかハンブルグからやってきた連中だと思っていたんじゃないかな。
  だけど、とにかくそのビートルズを見たくてしょうがなかったみたいだったよ。運命の出会いまであと数分という所まで来たんだ。
  やっとのことでね。」
 
  〜 Roy Orbison / Crying
  http://www.youtube.com/watch?v=-l-AxZIdq4E
  
  〜 The Beatles/ Please Please Me
  http://www.youtube.com/watch?v=QOZ17BWje1Y

  (小林)2曲続きました。
  (2曲目)これはPlease Please Me。1963年イギリスで、ジョン・レノンが作った曲です。
  この曲は最初はこんな調子じゃなくて、最初はちょっとバラードぽかったのを、ジョージ・マーチンが直して、今みたいな曲のテンポが速くなったていうのはお馴染みだと思いますけど。
  ダジャレがタイトルの曲です。Please Please Me ね。
  
  そしてその前(1曲目)は、ロイ・オービソンの Crying。
  ロイ・オービソンていう、すっごい偉大なシンガーソングライターの事を知らない若い人もいるかもわかりませんけども。
  歌い方で分かったと思いますけど、ちょっとプレスリーぽいね。
  プレスリーみたいなカリスマがあったら、ロイ・オービソンは大変なスターになっただろうと言われていますが。
  だけど、音楽をやる人たちはロイ・オービソンを、プレスリー以上に尊敬している人たちも多かった。
  まあ、目標の一つですね。ビートルズもロイ・オービソンは目標の一つ。
  のちのち、ロイ・オービソンの前座も務めることになるわけですが。
  ジョージ・ハリスンがね、ロイ・オービソンや自分の友だちボブ・ディランなんかと80年代に、トラベリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)ていう変なグループをw
  変なグループ…面白いグループをやりますよ。トラベリング・ウィルベリーズ。
  その時に、ロイ・オービソンと肩を並べて、まあどちらかというとロイ・オービソンを自分が集めて、使う身になるわけですよね。
  その時にジョージ・ハリスンは心の中で「俺も偉くなったもんだ。あの昔尊敬していたロイ・オービソンと一緒にやれるように、タメになったんだもん。」
  みたいな事を、彼はその本で書いています。
  そのロイ・オービソンの Crying。これはアメリカでは2位、1961年、だった曲ですね。イギリスではあんまりヒットしなかった。25位だった曲。
□リクエスト
  (小林)アドレスは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (小林)僕も高校生だったら名前書かない方のタイプかな。だけど、名前とか住所プライベートはお守りしますのでね。
  ようするに、イシイのセットなど送るわけですから、よろしくお願いしますよ。
  (高校一年/女性)匿名匿住所。
  中一の最初の英語の授業の時に、先生が流してくれた思い出の一曲です。
  (小林)なるほど。
  だいたい英語の先生が、ビートルズをかけてビートルズと知りあった、
  ビートルズに初めてふれたっていうリクエストって、このところ ずーっとコンスタントにありますね。
  それだけ、ビートルズは英語の…、日本の高校生や中学生、あ、今は小学生でもビートルズを流したりしますからね。
  日本の英語教育にけっこう貢献してる、というわけですね。
  さあ、それではその英語の先生が流してくれた、タイトルはとても簡単…。

  〜 The Beatles / Hello Goodbye
  http://www.youtube.com/watch?v=oGG8gG9tEaE

  (小林)というわけで…。この曲は本当に、やっぱり英語を勉強している人たちにとっては、
  「なんて、ハローとかグッバイでこんな広がりのある世界が出来るんだ。すごいなビートルズは」ていう。
  で、先生も「ただ単に こんにちは、さようなら、だけじゃないんだよ」っていう、その素晴らしさ。
  「ビートルズの音楽があるから、ここには素晴らしい世界があるんだから、勉強しなさい。」ていうような意味を込めて、これを聴かせてくれたんだと思いますが。
  ハローグッバイ、改めて考えてみると、ハローは人に向かって「ハロー」って言うんだけれども、グッバイに向かって「ハロー」も言ってるわけですよね。
  初めて「グッバイ」に挨拶してるような、タイトルだけで一つの世界がありますからねえ。
  これはやっぱりすごいですよね、ビートルズはね。
  (千葉市/男性)
  大学卒業以来、仕事に恋に負けっぱなしです。おまけに鬱病なんかに陥ってしまって…。
  そんな私のために、I'm a Loserをリクエスト。
  (小林)これはね、若い時は誰でも体験する、だれでもこういうようなことは。
  でも、感心するのは I'm a Loser っていうのはね、自分を確認してるわけですね。「僕は負け犬」
  これはやっぱりビートルズがね…、ジョン・レノンも語っていますが、ジョン・レノンにもそういう所があるわけですよね。
  No Where Man ていうのもあるし、これは自分がボブ・ディランに入れあげた時の「ボブ・ディラン時代の曲だ」って言ってます。
  だから、自分がこれを確認したことによって、また自分が…、もう次は上に行くしかないからね。
  さあ、それでは〜。
  
  〜 The Beatles / I'm a Loser
  http://www.youtube.com/watch?v=5r0HTV7WkQk  
  
  〜 長淵剛 / 乾杯 
  http://www.youtube.com/watch?v=aQL1LYOCN6k

  (小林)長淵剛の「乾杯」が流れました。ビックリした人も多いと思うけどw。
  強引にやると、そうですねえ、長淵剛はポール・マッカートニー的かな。最近は違うイメージがいろいろ付いてますがw。
  (ひたちなか市/女性)
  初めてメールします。この番組を聴きいて約3カ月のぁたしです。
  ビートルズの曲では無いですが、思い出の曲なのでリクエストをかけてくれたら嬉しいいです。
  リクエストは長淵剛 の 乾杯。
  中学3年の最後の遠足の時、帰りのバスの中で、当時担任だった女の先生が「みんなに歌をプレゼントしたい」って言って、この歌を唄ってくれたんです。
  この歌を聴くと、その当時の事を思い出すので、久しぶりに聴きたいし、ぜひリクエストかけてくれたら嬉しいです。
  ビートルズの歌ぢゃなくてすみません。
  (小林)中学生、仮名遣いが面白いね。「ぁたし」の「あ」が小さいし。
  「歌ぢゃなく」の「じ」が「ち」に点々だったりとか。そのほか、いやあ面白いねw。エヘエヘ。
  「乾杯」がかかっちゃったw。
□エンディング  
  (小林)いかがでしたでしょうか。
  本当にアリステア・テーラーという、ビートルズのスタッフの人の話しなんだけども、
  運命の瞬間まで、ほんと数分前っていうところまで、話しは来ましたけど。
  ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインてのは、すごくやっぱり頭の良い人だった、感のいい人だった、センスのいい人だった、てのが分かりますけど。
  やっぱり、その「マイボニー」をあれを聴いて、ビートルズに会ってみたいってのは、やっぱりすごかったんじゃないかな と思いますね。
  普通にね、その頃はロックのグループだったらやってたことですからね。
  だけど、やっぱりそういったものは、いろんなものを生んだりする。
  最近ですねえ、元ビートルズのリンゴ・スターの孫がですね、娘さんですよ。
  イギリスでバンドをやってるってのを、ホームページで探してね、わざわざ日本で発売した人もいるんですよね。
  だから、ホームページなんかが有った時代だったら、あっという間だったろうね。
  ビートルズが有名になるのに、そんな時間がかからなかったと思うんですけどね。
  やっぱり、運命の出会いというか、人が思い込むっていうことで、いろいろ歴史が作られるんだな、ていう感じがしましたね。
  
  リクエストの方も、よろしくお願いしますね。
2ch鯖落ちがあったり
マイPCも不調だったリで
1月22日放送は録音できませんでした(´・ω・`)
116ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/30(月) 22:44:29.09 ID:Iq8zQcKZ0

またも鯖落ちw
このスレも落ちたかと思いましたが。
117ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/30(月) 22:46:50.73 ID:Iq8zQcKZ0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年1月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 1月29日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  これはとてもロック史上とても重要な年。この年なんかは面白かったんだと思うよ すごく。サイケデリック元年なんて言われて。
  この年の夏にはビートルズはサージェントペパーだとかね、ああいうアルバムを出してくるわけですが。
  ビートルズばっかりじゃなくて、他のアーティストもいろんな重要なアルバムを出したりしてるんですが。
  67年、つまり45年前の今日。日曜日。どういう状態かというとね。
  ビートルズはサージェント〜の録音をやっていて、もうツアーをやらないもんだから、マネージャーのエプスタインはメチャクチャ暇。
  まあ、ビートルズ関係ではヒマなんですよ。やることない。
  そこで自分は、大変なビジネスマンだから、他の新しいアーティストを開発したり契約したり仕事を取ったり。
  それから、オフィスの近くにサビルシアター(Saville Theatre)という劇場を買い取って、そこを経営して、マネージしていくという仕事もあります。
  で、45年前の今日は、そのサビルシアターを中心に、サウンドラマというブライアン・エプスタイン・プロデュースのコンサートがありました。
  出演したのは、ザ・フー(The Who)、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)、クーバス(The Koobas)、ソーツ、ちょっとわかんないグループ名が出ましたけど。
  で、これをもちろんブライアンも見たし、録音中のコンサートをやってないビートルズも見に来たと。
  フーだとかジミ・ヘンドリクスを見た、ということなんですが。
  さあ、ここでジミヘンに焦点を当てたいと思うんですが。
  ジミヘンは、元々アメリカ人のギターリストで、優れたミュージシャンで、スタジオでもやりかけたんですけども、なかなか売れなかったんですが。
  アニマルズ(The Animals)、イギリスのグループですよ、のベースのチャス・チャンドラー(Chas Chandler)てのが、
  アメリカで「お前、イギリス行こうよ。イギリスだとあんた絶対売れるよ。」って言うんで、連れて行くんですよね。
  そしてジミ・ヘンドリックスはイギリスで売れることになっちゃって、1967年つまり45年前のちょうど今ごろですよね。
  イギリスのチャートでシングルが、これから送りする曲がですね、6位で、ジミヘンはやっぱりイギリスでは相当な人気者になるんですよね。
  そのころの、ジミヘンのヒット曲をお送りしましょう。
  これはまあ、時代をものがたっている、というかビートルズが作った音楽の流れがあるじゃないですか。
  それが途中から、イギリスはハードロックの時代に、だんだんだんだん行くんですよ。
  ハードロックの流れでジミ・ヘンドリックスなんかは有名になるんですよね、
  だから、70年にビートルズが解散して、いきなりレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の時代になっていくわけですけれども、
  それの3年ぐらい前だということを考えると、ああ!こういう曲がヒットしていたんだ、てのがよく分かると思います。

  〜 Jimi Hendrix Experience / Hey Joe
  http://www.youtube.com/watch?v=CsR0_0jFV7E&feature=related
  〜 Jimi Hendrix Experience / Hey Joe

  (小林)これが、この年 45年前ヒットしていた。この頃は時代がどういう風に変わっていたかっていうと。
  ビートルズなんかが造り出した、なんていうか短いコンパクトなシングルから、長いインプロビゼーション、つまりアドリブなんかが多くなるような、長い曲になって来た。
  で音楽は、ビートルズの音楽が…、ジョン・レノンなんかそうですけど、ブルースを土台にしたハードロックの時代になっていた。
  それから、ビートルズが特に率先してそうなんですけど、ラブソングばっかりじゃなくて、いろんな、後半はけっこうメッセージソングとかの時代になるわけですけど。
  この曲も、ラブソングじゃないんですよ。
  ジミ・ヘンドリックスが「ヘイ!ジョー!お前、ジョー!どこへ行くんだよ!おまえ鉄砲持って!」つって。
  ジョーが「やあやあ、俺の女を盗った男を撃ちに行くんだ!」ってw。
  それなんかw ちょっと物騒なw、悲しい、ちょっととぼけたような世界なんですよ。
  Jimi Hendrix Experience= Hey Joe 時代ですねえ。
120ホワイトアルバムさん:2012/01/31(火) 00:18:21.03 ID:???0
図星の度にディスられたと一部改変のオウム返しをする被害妄想悪化中の自称ズーム君こと塩キャラメルおばさん煽り厨
連日のカキコミ総数で一目瞭然な孤独に悲痛な思いでおこなった猛アプローチをあっさり袖にされスカトロマーダーに私怨
甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨のウダウダネガキャンはズーム製品以外のすべてが対象
甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨の名に恥じない煽り厨おばさんとして
甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨の怒りの原動力は
甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨の発言をみるかぎり 人、もの、社会を憎みに憎んでいる模様
甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨を教祖と崇め コロコロと変わる単発IDで粘着か擁護にまわる
ズーム真理教信者の煽り厨おばさんたちには何を言っても無駄とは周知の事実。
2chが最後の居場所なので排除されることを特に嫌い、被害妄想で書いてない文字がテンプレにあるとまで言い出す始末w

年齢=彼氏いない歴=処女年数の孤独なクリスマスも決定した
ズームと名乗る大阪住之江の甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨が
毎晩規則正しく2ちゃんねるで口論か言いがかりつけてるのは
忘年会とは無縁の社会から隔離された無職で孤独なおばさんだから

自称ズーム君こと大阪住之江の塩キャラメルおばさんにとって
孤独なヤモメ婆にとって年末行事、最大の試練となるクリスマス連休も孤独を極めていたw

夏休みのように孤独の寂しさに苛まれて当り散らす
ズーム君こと塩キャラメルおばさんの孤独な年末年始はまさに悲惨な実情w
女特有のねちっこさでウダウダとネガアンチ皆勤賞w楽器・作曲板だけでこの有様
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/compose/1324831185/49-50

年齢的に物忘れが激しくなり数分後には墓穴か自爆になってることが多く
ディスる連呼と塩キャラメル連呼で素性がバレた途端に塩キャラメルを封印w
在日のおばさんが朝鮮語で煽ってくるよwと言われた途端に朝鮮語を封印と分かり易い
自称ズーム君こと大阪住之江在住の50代寡婦ニート、塩キャラメルおばさんが素性バレバレなのに
ウダウダと無意味な攪乱や孤独な性悪オンナ独特の珍言を「お塩語録」、「ウダウダ日記」と呼ぶようだw
□アリステア・テイラーの物語
 ・「いつも清潔で行儀がよく、おしゃべりもチャーミング。まさに英国紳士のお手本だったね、ブライアン・エプスタインという人物は。」
  こう証言するビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、世界中のツアーへも同行、
  さらには、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物=アリステア・テイラー。
  今週もストーリーは、アリステアが語るブライアン・エプスタインの人物像から始まる。

  「僕らが出会った頃のブライアンは、ヒルマンミンクスという落ち着いたセダンに乗っていて、両親を『パパ、ママ』と呼んでいたね。
  これは、お金持ちで育ちの良い証拠だった。
  エプスタインファミリーは、クイーンズドライブという高級住宅街に住んでいて、家はもちろん大邸宅だった。
  僕の勤務先であるNEMSの創業者の父親のハリーも、とても気さくな人物で、邸宅に招かれた際も実に親切にもてなしてくれた。
  ブライアンはとにかく発想がユニークで、NEMSがまだ家具も扱っていたころ、テーブルを裏返して展示した事があってね。
  これは『裏側もいい仕事をしていますよ』ってアピールしたかったらしいんだけど、これには社長のハリーもかなり怒っていたね。
  それは、お父さんが怒るのも分かるけど、斬新であることだけは確かだった。
  LPレコードをディスプレーする時もこんな具合で。
  ただショーウィンドーに陳列するだけじゃなくて、ウィンドーに二脚のイスとテーブルを置いて、
  白いクロスをかけたテーブルの上に二つのワイングラスとアルバムジャケットを飾ったんだ。
  これは、おしゃれだったね。道行く人の反応もバッチリだった。
  みんな不思議そうに立ち止まるだけでなく、じっくり眺めていくんだ。
  ブライアンの作戦は、まさに的中したってわけだ。」
  〜 Johnny Tillotson / Poetry In Motion
  http://www.youtube.com/watch?v=wDCQEbJPPgI&feature=related

  〜 The Beatles/ Ask Me Why(2009 Mono Remaster)
  http://www.youtube.com/watch?v=A6fAm66Wv-Y

 
  (小林)2曲流れました。
  (1曲目)ジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson)ポエトリーインモーション(Poetry In Motion)。
  動いてる詩だって 女の子の事を褒めた歌です。1960年。これはイギリスでナンバーワン。
 
  そして(2曲目)ビートルズのPlease Please Me、イギリスでのナンバーワンの当時のB面です。Ask Me Why。
  これは1963年。前のポエトリーは1960年。

  さあいよいよ、ビートルズの出会いが近づいてまいります。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「当時、僕のボスだったブライアン・エプスタインはとにかく切れ者で、発想がユニークだった。
  テーブルを裏返してディスプレーするなんて、当時イギリス中探したっていなかったと思うよ。」
  こう語るのはアリステア・テイラー、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  彼の貴重な証言は、さらに続いている。

  「例の『ビートルズのマイボニーありますか』事件以来、ブライアンの頭の中は、その得体のしれない『ビートルズ』というバンドの事で一杯になっていたんだね。
  ある日の昼間、オフィスに飛び込んでくるなりブライアンは僕にまくし立てた。
  『例のビートルズていうグループのレコード覚えているだろう? この辺りの“キャバーン”っていう店に出てるらしいんだ。
  アリステア、君その店がどこにあるか知ってるか?。すぐに見に行きたいんだ。』
  『なんだブライアン、その“キャバーン”ならよく知ってるよ。僕も何度かジャズを聴きに行ったことがある。このNEMSから200メートルもない、すぐそこだよ。』
  ブライアンは満面の笑みを浮かべてこう語った。
  『なんだ、そういうことなら話は早いじゃないか。じゃあ、ランチのついでにキャバーンに行こう。行ってビートルズとやらを、この目で確かめるんだ。すぐに支度してくれ。』
  こうして、1961年11月9日木曜日、僕とブライアンはキャバーンに出かけた。
  といっても、マシューストリートを2〜3分歩いただけ。店にはすぐに到着した。
  キャバーンはとにかく汚い店だった。ジャズクラブだったちょっと前に比べると、明らかに落ちぶれていたように見えたんだ。
  中は蒸し暑くて息苦しい。それに若い女性客がごった返していて、かなりの混み具合。
  すると、ものすごい爆音が鳴り出したんだ。
  反射的に僕とブライアンは耳を塞いでしまったんだよね。」
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  〜 The Beatles / Baby's in black

  (小林)2曲続きました。
  Long Tall Sally これはロックンロールのカバーであります。これは1964年の6月。これはワンテイクで録音された。
  もう、一回きゃやらなかったっていう。それも、せーの でドンッ! とやったっていう。
  すごいよね、この時代ていうのはね。
  そして、ビートルズフォーセールのアルバムに入っている、Baby's in black。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「キャバーンはとにかく汚い店だった。ジャズクラブだったちょっと前に比べると、明らかに落ちぶれていたように見えたんだ。
  中は蒸し暑くて息苦しい、それに若い女性客がごった返していて、かなりの混み具合。
  すると、ものすごい爆音が鳴り出したんだ。反射的に、僕とブライアンは耳を塞いでしまったんだよね。」
  そう証言するのは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人となる、アリステア・テイラー。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「あまりの騒音に、僕はブライアンの耳元で叫んだ。『すぐに、ここから出よう!』
  ステージ上にいるのは、4人のおそろしく若い少年たちで、ドンチャン騒ぎにしか見えなかった。
  実のところ、この時点では僕もブライアンもポップ音楽は心底好きではなかった。
  もちろん、店で扱っている商品なので、仕事として聴いてはいても、ブライアンはクラシック、僕はジャズの愛好家だったんだ。
  店にいるのは、くだけた格好の若者ばかりで、スーツ姿の我々は浮きまくっていた。
  ビートルズは4人とも黒いTシャツ、黒い革パンツに、これまた黒い革ジャン、いわゆるテディボーイのファッションだねえ。
  行儀は最悪だったね。曲の間に、客に向かって怒鳴ったり叫んだりするもんだから、ブライアンの目は点になっていた。
  さらに、ステージに立っているっていうのに、コーラは一気飲みするし、タバコは演奏中でもスパスパ。
  とにかく、僕らにとっては異次元空間だった。
  ブライアンと僕は、知らない惑星に不時着した宇宙人みたいなものだったかもしれない。
  とにかく、僕のそれまでの人生の中で 一番衝撃的な体験だったし、ブライアンだって同じだったと思う。
  ただ本当に不思議だったのは、僕らはいつのまにかビートルズの演奏に反応して、無意識のうちに足でリズムをとっていたってことだよ。
  これは実に不思議な出来事だったねえ。」
  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There (Live) 1963 In Sweden 
  http://www.youtube.com/watch?v=Or5B3o_ANOY

  〜 The Beatles / One After 909 (let it be nakid)
  http://www.youtube.com/watch?v=TipfIUP1kAE+
 
  (小林)ビートルズが2曲続きましたが。
  I Saw Her Standing There、お馴染みの曲ですが、驚くような「キャー」というのが聞こえましたね。
  これはビートルズはドイツのハンブルグではよく仕事をしましたが、他の外国行ったことがなくて、
  ドイツ以外初めての外国がスウェーデンだった。
  スウェーデンのストックホルムのカーラプランスタジアム(Karlaplan studium)での、ビートルズファンを前にしてのスタジアム録音ですね。

  そして、One After 909、ビートルズの初期の作品ですが、入っていたのはlet it be-nakid のアルバム。
  その中からお送りしました。
訂正  Let It Be Naked です。
□リクエスト
  (小林) [email protected] こちらで待っています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。

  (千葉市/男性)
  こないだ十年ぶりぐらいに、大学の仲間と会った時の話です。
  久々過ぎで、お父さんになってるやつもいて、会話白けちゃったら困るなーと思っていたんです。
  しかし、みんなそろってIpodに入っているビートルズ、そして斉藤和義の「やさしくなりたい」。
  なんだぁ、相変わらずだなあ、なんて思いました。

  〜 斉藤和義 / やさしくなりたい

  〜 荒井由美 / 卒業写真
  http://www.youtube.com/watch?v=WfBPxzz9LiE&feature=related

  (東金市/女性)
  私には間もなく高校を卒業する娘が一人いますが。
  先日、卒業式の定番ソングの話しになり、私の世代の定番曲 荒井由美の「卒業写真」を娘が知らないという事が分かり、愕然としました。
  娘が挙げたのは、森山直太郎「桜」、レミオロメンの「3月9日」など最近の邦楽ばかり。
  時々ですが、この番組を娘も聴いています。私はもちろん毎週です。
  娘に聴かせたいのでこの曲をリクエストします。(荒井由美 / 卒業写真)
  (小林)聴いていてくれるかなあw。
  (八王子市/男性)
  先日地元に帰って、成人式に出てきました。きれいな晴れ着姿がたくさんいた中で、昔付き合っていた彼女だけ、スーツで決めていました。
  何となく声をかけそびれてしまいました。何となく、リクエストします。
  (小林)これ長いよw。何となくはいいけど。最後までかかるかなぁw。
  
  〜 Eric Clapton / Layla
  http://www.youtube.com/watch?v=0WUdlaLWSVM&feature=related
□エンディング  
  (小林)いかがでしたでしょうか?。
  後半のリクエスト、まあ、「ビートルズから始まる」の番組ですが、ビートルズは今日はかからなかったけど。
  ビートルズとみんな繋がってるような、名曲がかかりました。
  そして、アリステア・テイラーのお話しをしていますが、
  アリステア・テイラーが働いている、これからビートルズのマネージャーになるブライアン・エプスタイン。
  二人でキャバーンに行きました。
  もう、落ちぶれた店だった。中はビックリw 「帰ろうよ」すっごい轟音だったから、「帰ろうよ」っていうことなんですが。
  この後で、世紀の一瞬が待っているわけですね。
  いよいよ、ビートルズと対面 が来週ということになります。
  お楽しみに。

  リクエストの方も、よろしくお願いします。
131ホワイトアルバムさん:2012/02/05(日) 18:50:56.65 ID:???0
「〜〜〜〜だったね。」
こう語るのは〜〜〜〜

人が変わっても、このパターンは毎回同じ
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年2月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月5日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  この前もお伝えしましたけど、1966年にビートルズは、もうライブをやらないって決めて、ビートルズはスタジオバンドになって。
  スタジオに入って、ああでもないこうでもないっていう。いろいろ、スタジオでビートルズとしての発展があるわけですけど。
  一方、ビートルズの名マネージャー=ブライアン・エプスタインは、ツアーが無いんでヒマでしょうがない。
  で、その代わりいろんなことをやるわけですが、ブライアンは興行主としてイギリスで頭角を現わします。
  今から45年前、1967年の今日。ブライアン・エプスタインは何をやっていたかというと。
  ライセスター(Leicester)のディモントフォートホール(De Montfort Hall)っていう所で、「フォートップス(The Four Tops)ツアー」
  フォートップスというのは、モータウンっていうレコード会社に所属して黒人の四人組で、テンプテーションズ(The Temptations)何かとともに人気のあったグループで。
  ビートルズもこのグループは大好きだったはずです。
  そして、サヴィル・シアター(Saville Theatre)。もうこのサヴィル・シアター、ブライアンは劇場を買っています。
  ここで、ビリー・スチュアート(Billy Stewart)のショー。これも、アメリカの黒人の巨漢人気シンガー。すごい実力派です。
  そして、クリーム(Cream)をやっていた。クリームはすごいじゃないですか。
  このころビートルズと同じくらいの人気を持ちはじめるクリームなんですが。




  ちなみに、面白いことは、クリームのマネージャーはロバート・スティッグウッド。
  本当はロバート・スティッグウッドはビートルズのマネージをやりたかった、っていうふうにインタビューで語っていますけれども、
  クリームもマネージしてたし、そしてビートルズになりたかったビージーズ(Bee Gees)もマネージをしておりました。
  後に1970年代になって、やっぱりビートルズにこだわりがあったんでしょうね、彼は3本映画を作るんですよ。
  「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という映画。
  そして「サタデーナイトフィーバー」という映画。「グリース」という映画。
  「グリース」はロックンロールの映画。「サタデーナイトフィーバー」はディスコの映画。
  ただ一つだけ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」はヒットしなかった。
  ビートルズの映画はヒットしなかった。だけど、彼は筋を通した、ということじゃないでしょうか。
  さあそれでは、話題にも出たクリームの曲。クリームの2曲目のシングルで、この時点で2カ月ぐらい前、最高イギリスで11位を記録したヒット曲です。
  クリームのサウンド、若い方、聴いたことないと思います。
  ちょっと、ビートルズなんかと違うんです。だけど、同じ時期のバンドだよ。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)のグループです。Cream / I Feel Free。

  〜 Cream / I Feel Free  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VhmxMC-vFcI&feature=related
  (小林)いかがですか?。
  クリームは出たばっかりですよ。出来たばっかりのグループ、スーパーグループ。
  メンバーは、エリック・クラプトン、それからベースがジャック・ブルース。この人がリードボーカルをよくとってたんですが。
  そしてドラムがジンジャー・ベーカー。
  この3人は、ビートルズとちょっとバンドとして出来あがり方が違うんだよね。
  幼馴染とか、友達とか、そういうノリじゃないですかビートルズは。
  こっちはもう、ほとんど有名な連中が、気が合ってやるわけですよ。ええ。
  「俺たちの良いとこを見せよう」っていうことで クリームはね。
  でもやっぱりエゴが、それぞれが一角(ひとかど)のミュージシャンなんで、エゴの衝突で不仲になって解散っていう風な、みそひ?に至るわけですよね。
135ホワイトアルバムさん:2012/02/07(火) 12:42:43.93 ID:T/nvsgRp0
136ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/10(金) 13:26:14.35 ID:c0b36qHV0
□アリステア・テイラーの物語
 ・1961年11月9日木曜日、イングランド北西部の港町リバプールの小さなライブハウス“キャバーン”で、
  昼の12時半から行なわれる通称「ランチタイムセッション」にスーツ姿の男が二人、観客として訪れた。
  一人は、後にロックの世界であまりにも伝説的なマネージャーとなる人物=ブライアン・エプスタイン。
  そしてもう一人は、ブライアンのアシスタントであり、数年後には世界で最も有名なロックバンドが設立した会社アップルの総支配人となる人物=アリステア・テイラー。
  今週もストーリーはアリステアが証言する、ロック史上に伝わる伝説から始まる。

  「僕とブライアンのお目当ては、もちろんビートルズ。
  なんせ、まだ本国であるイギリスではほぼ無名だっていうのに、ドイツで録音した粗末なレコードが、ブライアンの経営するレコードショップNEMSで、1000枚以上も売れたんだ。
  これはもう大事件だったね。
  もちろん、このレコードはイギリスでは発売されていなくて、当時の西ドイツのポリドールから直接とり寄せたんだ。
  ブライアンは何か運命的な直感が働いたらしく、初めてロックを生で聴きに行ったんだ。
  ビートルズは4人とも黒いTシャツ、黒い革パンツに、これまた黒い革ジャン、いわゆるテディボーイのファッションだね。
  行儀は最悪だった。曲の間に客に向って怒鳴ったり叫んだりするものだから、ブライアンは目が点になっていた。
  さらにステージに立っているっていうのに、コーラは一気飲みするし、タバコは演奏中でもスパスパ吸うし、とにかく僕らにとってはまさに異次元空間だ。
  とにかく、僕のそれまでに人生の中で一番衝撃的な体験だったし、ブライアンだって同じだったと思うね。
  ただ本当に不思議だったのは、僕らはいつのまにかビートルズの演奏に反応して、無意識のうちに足でリズムを取っていたってことだ。
  これは実に不思議な出来事だった。
  足が、頭が、腰が、勝手に動くんだよ。
  〜 The Beatles / Money 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nKxPv7LSe7o 

  〜 The Beatles / Twist And Shout
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F4-KrrgkfWQ
 
  (小林 いやあ、初期の録音が2曲続きました。面白いですねえ。
  物語の方は1961年の終わりのお話ですよね。
  今日お送りしたのは、まずその1995年のアンソロジー1(Anthology 1)の中に入っているんですが。
  これはビートルズがドイツに行ったてのはお馴染みですが、ドイツ以外の国で初めて行ったのがスウェーデンのストックホルムです。
  ストックホルムのカーラプラン・スタジアムていう所でのライブであります。で、Moneyをやっています。
  そして今聴いたやつは、Twist And Shout 、ジョン・レノンのリードボーカル。
  これはハンブルグのスタークラブ。ハンブルグは何回もビートルズは行ってますが、後半には、このスタークラブの顔になるわけですよね。
  ここでは、一本のマイクで録って、Twist And Shout。あの音ですよ。
  要するにアリステア・テイラーは「ビートルズはヘタだった」って言いますけど。
  これは同じころで、ぜんぜんヘタとかそういう…、けっこうコーラスなんかはすごいですよね。
  だからビートルズは決してヘタじゃなくて、アリステア・テイラーとかマネージャーになるブライアンは、こういう音楽は聴いたことが無かったんですよ。
  みんな高度なテクニックを発揮するジャズだとかね。そういうのを聴いてて、こういう風な音楽は聴いたことがないから、単純にヘタだなあ、と思ったわけですよね。
  だけど、実はヘタじゃなかったんですよ、ビートルズはね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・キャバーンで最初に見たビートルズの印象は、猥雑で汚ならしいのひと言、だけど、どうしても目が離せない不思議な魅力があったね。
  なんせ、僕もブライアンも自然と足でビートを取っていたし、ブライアンなんか手拍子までしていた。
  彼にとっては、おそらくあれがロックのライブデビューだったと思うよ。
  1961年11月当時を振り返りこう語るのは、アリステア・テイラー。後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言は、さらに続いている。
  
  「実は、あのあと数年経って、何とかやっとビートルズのメンバーとうち解けて来た頃、思い切ってポールに訊いてみたんだ。
  ポールはとても上機嫌だったからね。
  『ねえポール。僕とブライアンが初めて君たちを見た時のステージだけど。
  あの時の君らは、コード進行なんてせいぜい5つぐらいしか知らないように見えたんだよ。』
  するとポールは、涼しい顔をしてこう答えた。
  『アリステア、本当の事を教えようか。あの頃の僕らはね、コード進行なんて5つどころか3パターンしか知らなかったんだよ。』
  これには正直驚いたよね。
  たった3パターンのコード進行で観客を熱狂の渦に巻き込むなんて、まさにマジックとしか言いようがなかった。
  そう、あの日ランチタイムのキャバーンでは、まったくもって特別なことが起きたのは確かだった。
  僕とブライアンは、我を忘れるような不思議な体験をしたんだ。
  大音量でわめき散らすだけで、演奏なんてちっとも上手くないのに、僕らはいつしか彼らの虜になっていた。
  カリスマとか、音楽的才能とか、そういうものを超越した、言葉では説明できない、本当に不思議な魅力にとり付かれたのさ。
  後になって『ビートルズマジック』と言う言葉が出てきて、なんでもかんでもこの表現で説明するようになるけど、そのルーツは1961年の時点で、すでにあったね。
  そういうことは、僕が証明するね。」
  〜 The Beatles / Ain't She Sweet
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Oo7bdWJMYr0

  〜 The Beatles / I'm down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=X3rTprsWCp8


  (小林)ビートルズの初期のサウンド。とにかくこれは中期ということもできますけども。
  いかがですか?。ジョン、そしてポールとボーカルは続きましたけど、
  (1曲目)Ain't She Sweet、これはもう伝説になった、あの西ドイツで録音されたものなんだけども。
  リバプールのレコード屋に「これはないですか?」「ビートルズのレコードはないですか?」って買いに来たっていう、それの中に入っています。
  ジョン・レノンがリードボーカルをとっている Ain't She Sweet。昔のアメリカの曲のカバー。
  だけど、ジョンがやると、ロックだよ、ロックだよw。

  (2曲目)I'm down。これはヘルプ(Help)のB面ですよね。
  ポール・マッカートニーが、最初はすごいリズム&ブルースシンガーみたいな感じだけど。
  後半はやっぱ化けの皮で、ロックになっちゃうんだよねw。これ、いいよねえ。
  ちなみに、武道館でのビートルズのライブの最後に演奏された曲であります。
  ここでちょっと、誤解しやすいのはね。ブライアンとアリステア・テイラーが見に行くじゃないですか。
  そして、すっごいなあ、と思ったかどうかてのは疑問なんですよ。
  というのはね、このころはビートルズはオーディションなんか受けると、ビートルズより他のバンドを取られたりするんですよ。
  だから、いろんな同じような音を出したり歌ったりするようなバンドがいたんですよ。いっぱいいたんですよ。
  で、ビートルズはどこが違うかっていうのを、これからまあちょっと聴いて頂こうと思います。
  だけど「ビートルズがすごい」って思ったのは、彼らは、ほらこういうwにぎやかなやつを聴いたことがなかったわけですよね。
  高級な音楽しか聴いていなかったから、こんな体験をしたということですよね。
  これ、大切ですよ、実は。  
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズの魅力の秘密?
  これは、後になって「ビートルズマジック」という言葉が出てきて、なんでもかんでもこの表現で説明されるようになるけど、
  そのルーツは1961年の時点で、すでにあったてことが、僕は保証するね。
  そう証言するのは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人になるアリステア・テイラー。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「僕とブライアン・エプスタインが初めてビートルズを見にキャバーンに行った日、彼らはたった5曲しか演奏しなかった。
  順番にいうと、Money、Till There Was You、A Taste Of Honey、お得意のTwist And Shout、とここまでは当時馴染みのリズム&ブルースやポップスのヒット曲のカバーで、
  これに続いて演奏された曲に、僕は「おやっ!」と興味を持ったのは、ポールが「最後に僕とジョンが書いた曲をやります」と言った時だったね。
  曲名は Hello, Little Girl  ポップソングにしてはかなり良く出来ていると思った。
  ただ、この曲はちょっと曰(いわ)く付きでね。
  ビートルズはこの曲を、この年が明けて1962年の元旦に受けたデッカレコードのオーディションで演奏して録音してるんだけど、
  そのデッカオーディションを落とされたのがよっぽど癪(シャク)に障ったらしく、メジャーデビューしてからは、ただの一度も演奏されていないんだ。
  それで、何年か経って、いい曲だったんでもったいないと思ったブライアンは、この曲をビートルズと同じブライアンが代表を務める事務所NEMS 
  に所属するフォーモウスト(The Fourmost)というバンドに歌わせて 大ヒットさせるっていうことになるんだ。
  ジョンとポールにとってこんなタイプの曲は、それこそ目をつぶっていても書くことが出来たってわけだ。
  とにかく、ビートルズは特別な存在だったねえ。」
  〜 The Beatles/ Hello, Little Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7L3l7lNyE0Q

  〜 Elvis Presley / Marie's the name (his latest flame)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rZ91R6xlH-Y
 
  (小林)今聴いたのは(2曲目)Marie's the name (his latest flame)、つまり、マリーは一番最新の恋人の名前だっていう曲。
  女を自慢する男がいるっていう。これは1961年、ビートルズはプレスリーのカバーをやっていないけど、すごい影響を受けています。
  イギリスで1位です。

  そしてその前はプレスリーのこの余裕を持った、このころは兵隊から帰って来たばかりのころですが、余裕を持った歌い方に比べて、聴いた(1曲目)Hello, Little Girl。
  これは、あのポールとジョンが一生懸命歌っていますよねえ。ええ、デッカのオーディション。お正月です。1962年のお正月。
  調子が悪かったとはいえ、リバプールから何時間か運転して、お正月の朝オーディションやってもらって、そこで録音して。
  これはアンソロジーのアルバムに入ってるわけですけども、これが落とされちゃった。
  そうなんです、さっき言ったようにビートルズはオーディションで落とされるぐらい、まあ目立つバンドではなかった。
  いいバンドだったけど、目立つバンドじゃなかった。
  どこが偉かったかっていうと。さっきの話の中に書いてありました。
  もう目をつぶっていても、Hello, Little Girlみたいな曲は書けちゃうんだから。
  他のグループは、まあ演奏は上手いかもわかんないけど、ビートルズみたいに自分で自分たちの曲を書くことができなかった。
  そこがまあ、大きな違いだ、と言うことができます。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして、もれなくお送りしております。
  メールは [email protected]

  (習志野市/男性)
  リクエストはビートルズではありませんが、リクエストするアーティストが自身のバンドを組む前、ビートルズを聴いて感銘を受けたのを最近知りました。
  音楽のジャンルは少し違う路線ですが、歌詞に乗る魂は同じだと思います。やはりビッグになるためにはビートルズから始まるんですね。
  (小林)
  感銘を受けたっていうんじゃなくて、もっと違う言葉で言うと、彼らはビートルズを完コピしていました。完全コピーしていました。
  で、矢沢がポール担当、ジョニー大倉かなジョン・レノン担当は。
  それで、僕の聞いた話だと、彼らは幼少のころは広島市内なんですよね。
  お父さんが自転車屋をしていて、この自転車屋さんは、営業は開始すると朝からビートルズがガンガン、ガンガンかかってて、誰が聞いてたか知らないですけど、
  お父さんが大好きだったそうです。ビートルズばっかりがかかっていた、っていう話を聞いたことがあります。
  だから、彼らは、なんて言ったらいいんですかね、感銘を受けたとかwそういう次元じゃないですよw。もう中に入り込んでた、っていうわけですよね。
  だから初期のころは、路線はけっこう似てたんじゃないかと思います。

  〜 キャロル / 涙のティディボーイ
  ttp://www.youtube.com/watch?v=URy2LW34-QI
  〜 Paul McCartney / My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0SB3x6KtNi4

  (小林)
  というわけでマイ・ラブがかかりました。ポール・マッカートニーです。
  (品川区/男性)
  現在、日本プロ野球を代表する投手であるダルビッシュの大リーグ挑戦、そして奥さんとの何十億円もの慰謝料を巡っての離婚問題が大きな話題になってるようで、
  その二人を見ていると、ついポールの前の奥さんのことを連想してしまいます。(小林)そっちへあなたは行っちゃいますか。
  ポールの前の奥さんは最初からお金が目当てでポールと結婚したのではないか、と残念ですが、そう思ってしまいす。
  ともあれ、ポールの現在の奥さんには、ポールを幸せにしてくれることを祈り、マイラブをリクエストします。 
  (小林)
  まあ、このようにアーティストが好きになると、もう私生活だとかいろんなものも気になっていく人もいますよね。
  だけど、ポールの前のカミさんはあれらしいですね。けっこう うるさかったらしいですね。
  夫婦に頼まれて、日本でパーティをやった人間から話聞いたんですが。
  ポールはもうほんと大雑把で「いいよ、いいよ、それでいいよ」って、もう任せっぱなしなんだけど、カミさんはうるさかったっていう話を聞いたことがありますw。ええ。
  
  さっきの、キャロルの曲は珍しく永ちゃんが作詞した曲だってね、あれね。
  (佐倉市/男性)
  こんばんは、僕は高三の受験生で、1月14日にセンター試験を受けたきたんですが、
  英語の問題で、ポールとジョンという二人がエリナの話をしているものがありました。
  ビートルズを好きな人なら「ニヤリ」としてしまったと思います。
  (小林)もうこの時間、結果は出てると思います。結果はどうでしょうか?。

  〜 The Beatles / Eleanor Rigby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=k9Itt02QOO0&feature=related

  〜 The Beatles / The Long & Winding Road
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUO7N-zSMYc

  (小林)
  ビートルズのロングアンドワインディングロード、ていうかポール・マッカートニーのね。
  このバージョンがポール・マッカートニーは嫌いだった、という有名な話がありますが。
  (館山市/男性)
  先日はイシイ食品の詰合せありがとうございました。(小林)おっ、お礼だ。
  実は、年末にリクエストした直後、ラジオのFMが壊れて聴く事ができなくなりました。
  仕方なくAMの米軍放送を聴きながらジョギングしていましたが。突然のギフトにびっくりしました。
  私は職場ではお弁当族です。食事や弁当のおかずに大助かりで、妻も私も大変喜んでおります。
  さっそく、電気屋さんで新しいラジオを買い、壊れないようBAYFM専用で聴きながらジョギングをしています。
  (小林)ジョギングが似合いますかねえ、この道は。ロングアンドワインディングロード、長くて曲がりくねった道は。
□エンディング  
  (小林)今日はいかがでしたでしょうか。
  話の方は、ビートルズを初めて、ロックなんか初めて、という二人の大人が見に行くところ、なかなか面白いところをやっています。
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  まあ、ビートルズ、あるいはビートルズ関係、ビートルズから始まった、あるいはビートルズに影響を与えた音楽、自分の面白い…簡単にですよ、音楽論だとかね。
  音楽論まで行かなくても、ビートルズ論でもいいですけど、
  最近の状況なんかを説明してくれるようなメールを待っています。
  [email protected]
146ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/14(火) 19:30:33.55 ID:8ddA7fZR0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年2月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月12日)
 ・1965年(今から47年前の今日)
  この日、リンゴ・スターと奥さんのモリーン(Maureen)は新婚旅行で近場のブライトンに行きます。
  新聞記者たちが追っかけて来るもんで、記者会見も開いて、自分たちの結婚も発表しています。
  前日が結婚式、47年前の前の日が結婚式。
  ちょっと面白いのはですね、ビートルズは全員「できちゃった結婚」です。
  ジョン・レノンは1963年、付き合っていたシンシア(Cynthia)が妊娠したため結婚します。結婚後ジュリアン・レノン(Julian Lennon)が誕生します。
  リンゴの場合は、もうこの時点で、47年前の今の時点で、モリーンが妊娠しています。結婚したら長男ザック(Zak)が誕生。
  ザックはご存知の通り、もうひとかどのドラマーになって、
  ツェッペリン(Led Zeppelin)が再結成する、フー(The Who)が再結成する、といえばドラムスを頼まれるほどのすごい人になっています。
  ポールは、三つ股四つ股をかけたりしておりまして、ジェーン(Jane)と破局するんですが、結婚するはずだったジェーンとね。
  で、リンダ(Linda)が最初の上さんですね。リンダは妊娠してそのあと結婚します。次女のメアリー(Mary)が誕生しています。
  リンダには連れ子っていうんですかね、ヘザー(Heather)が一緒に付いてきます。
  ジョージ・ハリスンなんですが、最初の上さんのパティ(Pattie)は妊娠することが出来ず、不妊体質ていうんですかね。
  で、再婚したオリビア(Olivia)ですけども、結婚は長男ダニー(Dhani)が誕生したあとかな、生まれたあと。
  つまり、みんな「できちゃった婚」だった、ということですw。
  リンゴにお話しを戻しまして。
  結婚出産とおめでた続きの1965年。大ヒットとなったアルバム「HELP」、こんなカバーの曲があります。
  アメリカの有名なカントリーシンガーの曲をカバーしたリンゴのヒットなんですけども。
  これは「おれは映画に出るんだ。おれのこと映画に使ってくれるんだ。おれは地でやるんだ。」っていうような内容なんですけども。
  これがリンゴらしくて、リンゴの代表曲になっております。もちろん役者としても、リンゴ・スターは成功します。
  
  〜 The Beatles / Act Naturally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=FeLLS1q7j8w

  (小林)ということで Act Naturally。
  これはバック・オーエンスとバッカルース(Buck Owens & His Buckaroos)のヒット曲なんですけれども。
  ビートルズとかロックのと、歌詞の世界が違いますよね。
  これは話しになってて「ほんとに、おれは映画スターになるんだ。アカデミー獲るかもよ。大スターになるかもよ。」
  でもその、やる役っていうのが、女に振られたバカな役で。
  だから「おれは地でやるだけさ」っていう。「見に来てくれるかなあ?」っていうようなw
  ちょっとした話し、がある曲であります。
148ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/16(木) 23:46:17.89 ID:peP70Vq/0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアンと僕とで出かけたキャバーンでのビートルズとの最初の遭遇、それはかなりのインパクトだったね。
  まずあの大音量には、やられたよ。それと彼らがかなりのオリジナル曲を持っていたということ。
  これは当時としては、画期的なことだったんだ。」
  こう証言するのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー、ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、
  世界中のツアーへも同行し、さらには、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物=アリステア・テイラー。
  今週もストーリーはアリステアへのインタビューから始めよう。

  「そのオリジナルソングの曲名はHello Little Girl、ポップスソングにしてはかなり良くできていると思ったね。
  けど、結局この曲は没になってお蔵入りになる。
  なんせあの、悪名高いデッカオーディションで演奏された曲だから。
  なんてったって、ビートルズを不合格にしたオーディションなんて、どう転んだって考えられないだろう。
  もちろん、先見の明てやつは誰にでもあるもんじゃない。
  言い換えれば、それは単なる運だね。英語で言うラック(luck)なのかもしれない。
  ビートルズの中でも特にゲンを担ぐタイプのジョンは、何のためらいも無くこの曲を捨ててしまったんだ。
  『縁起でもない』ってことだったんだろうね。
  いずれにしても、このなかなか出来のいいHello Little Girlって曲は、ビートルズと同じブライアンが代表を務める事務所
  NEMSに所属するフォーモスト(The Fourmost)というバンドに歌わせて、トップ10に入るくらいの大ヒットになるんだ。
  まったく、ブライアンって男は、転んでもただじゃあ起きない人物だったね。」
  〜 The Fourmost / Hello Little Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dMtl7xt99fw

  〜 The Beatles / She Loves You  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc
 
  (小林)2曲続きました。面白いよお。
  1963年の9月に、これは She Loves Youがイギリスで1位でしょう。
  その時に、さっきお話したHello Little Girlというビートルズが落ちたオーディションで歌って。
  ジョンレノンなんか「こんな曲ヤダ」って言ったやつを、マネージャーのブライアンがフォーモスト(The Fourmost)ていうグループに歌わせた。
  だから、前の曲はフォーモストていう、ちょっとニヤついたビートルズw みたいな感じでしたが。
  あれが、She Loves You が1位の時に、イギリスのチャートで9位まで上がっていたっていう。
  やっぱりビートルズはすごいね。
  もう売れ始めたら、すぐにトップ10のなかに自分の曲が1曲ばかりじゃなく入っていたっていう、ことですね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「メジャーデビュー前のビートルズの、どこがすごかったかって訊かれると、まあいろいろあるけど。
  やっぱり一番は、オリジナルナンバーが数十曲あったことじゃないかな。」
  こう語るのはアリステア・テイラー、伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして
  後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「50年代からロックンロールを歌うシンガーの大半は、ブルースのカバーだったり、あるいは音楽出版社が専属契約しているソングライターの曲を採用するのが普通だったね。
  ニューヨークスタイルで言う所のティンパンアレイであったね。もちろん、自作の優秀なアーティストもいたよね。
  代表的な所はチャック・ベリー(Chuck Berry)、ロイ・オービソン(Roy Orbison)、ポール・アンカ(Paul Anka)、あとはバディ・ホリー(Buddy Holly)なんかもその自作組に入るだろうね。
  ビートルズは全員エルビス・プレスリー(Elvis Presley)が好きだったし、ライブではカバーしていたけど、やっぱり影響が強いのはロイ・オービソンとバディ・ホリーだったと思う。
  ツアーのリハーサル、サウンドチェックの時、あるいは楽屋の中でジョンとポールがそんな先輩ロッカーの曲を歌っている光景は、いつものことだった。
  多くのミュージシャンが、自分がティーンエイジャーだったころ多感な時期に影響を受けたものが生涯の創造作業の核になるというけど、
  そういった意味においても、まさにビートルズはロックンロールの第一世代だったね。
  ジョンもポールもソロになってから、ロックンロールのカバーアルバムを発表しているのも納得できる事なんだよ。
  抒情的なところはロイ・オービソン、ギターサウンドやアレンジに関してはバディ・ホリー、ビートルズを理解する上で大切なポイントだね。」
  〜 Roy Orbison / In Dreams
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7cPXnBV42qQ

  〜 Buddy Holly / Heartbeat
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JH7Qq4OG_nA

  (小林)2曲続きました。
  ビートルズのやっぱり基本はロイ・オービソンとバディ・ホリーだって言ってますけど、
  (2曲目)バディ・ホリーのハートビート(Heartbeat)。これはアメリカではヒットしなくて、イギリスでもそんなにヒットしないですけど。
  もうポール・マッカートニーなんか、バディ・ホリーの音楽の権利、全部自分で買っていますからね。
  それほどファンなんですよ。

  そしてその前(1曲目)はロイ・オービソン。これはイギリスですごくヒット。
  ロイ・オービソンの声はやっぱり、この声の真似できる人はなかなかいない、すごい天性のものを持っていて、作曲家でもあって、
  だけど作曲家が行き詰まるとね、たとえばポップソングのAメロがあってBメロがあってサビがあって、それを繰り返してなんてことをやらないで。
  最初から最後までどんどん展開する曲てのをやるわけですけど、ロイ・オービソンはそれをインドリームス(In Dreams)という曲でやっていますよ。
  それで成功しています。
  これは有名なところでは、デビッド・リンチ(David Lynch)ていう有名な映画監督知ってますかねえ。
  あの人がもうロイ・オービソンの大ファンで、このインドリームスていう曲を気持ち悪くねえ、うまーく生かしたシーンがあるんですが。
  まあ、知らない? 知らなかった? アハw。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「僕とブライアン・エプスタインがキャバーンに足を運んでビートルズを見た時の衝撃、それはまず耳をつんざくほどの大音量。
  それになんといっても、オリジナル楽曲のレベルの高さだったね。」
  そう証言するのは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テイラー。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「実のところ僕も、そして僕のボスだったブライアン・エプスタインも、NEMSという店に関わっているわりには、ポップ音楽をあまり知らなかったんだ。
  もちろん、最近の流行と傾向にはアンテナを向けていたし、売れるレコード、そうでもないレコードの予測に関してはイギリス中のショップのどこにも負けない という自信はあったね。
  ただその先になると、やっぱり趣味と志向の問題で、僕の場合はモダンジャズ、ブライアンはクラシックというふうに、
  プライベートで聴く音楽のジャンルは、ポップ音楽やロックンロールじゃなかったんだ。
  そんな僕たちではあったんだけど、ビートルズのパフォーマンスとオリジナル楽曲にはすっかりノックアウトされてしまった。
  音楽を楽しむとか そういう生易しいもんじゃなくて、何かで頭をガーンとやられたような、そんな衝撃だった。
  あとになって冷静に分析してみると、ジョンとポールはその60年代初頭のアメリカのヒット曲をかなり細かく研究して、
  特にソングライターチームの作るメロディと言葉と、それを輝かせるアレンジメントの三位一体を目指していたんだ。
  ニューヨークスタイルで活躍するキャロル・キング(Carole King)とジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)、ジェリー・リーバー(Jerry Leiber)とマイク・ストーラー(Mike Stoller)
  そんなソングライターチームたちにあやかって、レノン・マッカートニーは誕生したっていうわけだ。
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MKHFUKZ-IXE

  〜 John Lennon / Stand By Me  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gVUUzkGNNOQ

  (小林)これは有名な(2曲目)Stand By Me。
  ベン・E・キング(Ben E. King)の歌で知られる曲ですが、ジョン・レノンがカバーして。
  これはさっき作詞作曲チームのお話しをしていますが、これがプレスリーの一連の、
  例えばハウンドドッグ(Hound Dog)なんかも書いたジェリー・リーバとマイク・ストーラーの作品。
  それにベン・E・キングが加わっています。

  で、(1曲目)I Want To Hold Your Hand これはもうレノン・マッカートニーの最高傑作の一つであります。
  これでもって世界制覇を成し遂げた有名な曲。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは [email protected]

  (横浜市中区/男性)
  もしジョンが生きていたらどんな音楽を作ってるんだろう、という妄想はファンならずあるはずです。
  デビュー時のようなシンプルなロックンロールをやっている、という意見もあれば
  まったく違うメロディもコードもない前衛的なアンビエントを創るはずだ、という意見もある。
  僕は後者の意見に近いです。(小林)オノ・ヨーコはインタビューで「ラップなんかは最初にジョンがやっていただろう」なんてこと言ってますよね。
  リクエストですがRevolution No9、ダフトパンク(Daft Punk)のrevolution909 続けてかけて下さい。
  フル尺はムリだろうと思うので、混ぜていただけば。
  この2曲タイトルは似てますが、全く曲調は違います。
  もちろんダフトパンクはビートルズのこの曲を知っていると思いますが、
  高校時代ダフトパンクの正体は実は生きていたジョンで、こんな曲名を付けたのではと馬鹿な妄想をしてしまいました。
  その後ネットでダフトパンクの素顔の写真を発見して、ぜんぜん違うことにショックを受けました。
  (小林)
  ということで、2曲ちょっとやってみようか。
  (2曲の同時再生?)

  〜 Daft Punk / Revolution 909
  ttp://www.dailymotion.com/video/x135pu_daft-punk-revolution-909_music
  〜 The Beatles / Revolution 9
  ttp://www.youtube.com/watch?v=B-RCV_X-xyY&feature=related
  〜 Coldplay / A Message
  ttp://www.youtube.com/watch?v=YC38vXBsXIM

  (市原氏/男性)
  紅白歌合戦の松任谷由美「春よこい」素晴らしかった。
  最近、殺伐とした音楽が流行り、ラブソングをメローなメロディで歌うアーティストは見あたらないと感じました。
  美空ひばりの「愛燦々」もですが、そう言い出すとポール・マッカートニーのシリーラブソングス(Silly Love Songs)で
  説明口調であらためてアイラブユーを歌う姿が、なにか納得いく今日この頃です。(小林)ああ、いいこと書いてますね。
  50年代60年代の楽曲はもっと単純に恋愛を歌っていたと思い、
  あらためて音楽性という観点で好きなことをしながら、お金儲けも出来たビートルズという存在が尊敬できます。
  ライバルのローリングストーンズもデビュー当時はラブソングを歌っていましたよね
  いろいろとラブソングで良いのがないかと物色していて、こんな曲が良いなと思いリクエスト。
  コールドプレイ(Coldplay)。
  (千葉県白井市/女性)
  14歳の女子です、ビートルズは小学校3年の時から好きで、特にリンゴ・スターが大好きです。
  私の父はカーペンターズ (Carpenters) の方が好きらしいですが、意見を無視しながらビートルズをかけています。
  こないだイギリスに行ってアビーロードをほんとに裸足で渡ったら、現地のおじ様に笑われました。
  ビートルズを通じて現地の人と交流できたり、ビートルマニアのペンフレンドが出来たり、
  ビートルズにはとてもお世話様になっています。
  
  〜 Ringo Starr / Liverpool 8
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sAi2gS9BpcQ

  〜 桑田佳祐 / 本当は怖い愛とロマンス
  ttp://www.musicpv.jp/music.cgi?id=9876

  (南足柄市/男性)
  去年、桑田佳祐さんの横浜のライブを見ました。
  この曲の時バックスクリーンにトランプの外枠が登場して、その中に桑田さんが歌っている姿が映って、
  昔アニメ・ザ・ビートルズで、同じようなシーンがあったのを思い出しました。
  ありとあらゆる人々に影響を与えているビートルズは本当にすごいです。
□エンディング 
  
  (小林)いかがでしたでしょうか。 
  この番組をお聴きになっている皆さんの、なんか、充実したリクエストが楽しいですね。
  10代の方から、上は、時には60代の方たちの音楽観とか接して、喜んでおります。
  ほんとにリクエストよろしくお願いしますよ。
  ビートルズから始まるていうか、ビートルズを造った時代、ビートルズを造ったアーティスト。
  ほんとはビートルズから始まったわけじゃないわけですよね。
  ビートルズのいいところは、ビートルズは何でも有りっていうか、ものすごく広いビューを持ってたわけですよね。
  だからあんまりビートルズに狭まることなく広い心でのリクエストをお持ちしております。
  採用の方には…(略)
  
158ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/20(月) 23:44:49.88 ID:K9Mh+i970
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年2月19日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月19日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  これはけっこうビートルズの歴史で重要な出来事なんですけども、それが始まった。
  つまり今日、リンゴ・スターと嫁のモリーン(Maureen)、そしてポールと婚約者のジェーン(Jane)が、インドへ向います。
  実はビートルズファンはよく知ってると思いますが、ビートルズ全員がインドへ行くわけですよね。
  リンゴとポールがそれぞれ相方を連れて行ったっていうこと。
  これは、結果的に言うと、インドへ行って最初に「おれはもう、こんなとこいるの嫌だ」って帰ったのはリンゴ・スター夫妻ですよね。
  リンゴは食べる物がまず嫌だった。あと、蚊に刺されるのが嫌で帰っちゃった。
  その次はポール・マッカートニーが、この人はけっこう貧乏性てのかな、じっとしてるのがなかなか好きじゃない人だから、早く仕事したいってことで、
  ロンドン行ってレコーディングしたいってことで、ポールが帰って。
  で、ジョンが帰って、ジョージが最後に帰るわけですが。
  このインドの滞在っていうのが、ビートルズに興味がある人ならいろんな本だとか調べて、ちょっと知っておくと価値があると思います。
  結局、そのインドの先生ってのが、ちょっとニセモノぽかった。自分だけ好きなもの食べたり、女性を侍らせたりw、ロクなことをしてなかった。
  ビートルズは利用されてる、っていうことを知るわけです。でも、ビートルズはそういう所からでも勉強するわけですよね。
  それから、パティ・ボイド(Pattie Boyd)って知っていますね。ジョージ・ハリスンの上さんですけども。
  実はインドに一番先に興味を持ったのは、ジョージ・ハリスンじゃなくて、パティ・ボイドの方だったんだってね。
  自分の嫁さんが興味があるってことで、だんだんそれがジョージにも移ってきて、だからシタールを採用したり、インドの哲学に入ったりするようになるんですよね。
  えー、だからw、それぞれ各々勉強して下さい。
  インド滞在中はとにかく、曲をほとんどのメンバーが書いていた。だから、ジョンとポールもジョージも、ここで曲をいっぱい書くわけですよね。
  ポールは実は、この頃から台頭していたシンガーソングライター、この頃から出てくるんですよシンガーソングライター。
  で、ポール・サイモン(Paul Simon)の影響を受けていて、アコースティックなものが好きになります。
  これからお送りする曲なんですが、インドで作曲したそうなんですが、
  一弦が切れてしまったために、五弦の5本の弦だけでやった、ていう説もあるんですけども。
  今でも、ライブで歌う有名な曲です。これはポール・マッカートニーです。
  
  〜 The Beatles/ Black Bird  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oAgceen153I&feature=related

  (小林)ビートルズの Black Birdをお送りしました。インドで書いた曲。 
  結局インドでいっぱい曲を書いて、その結果があの有名な「ホワイトアルバム(The Beatles )」になるわけですよねw。
  インドに行ったってことは、結果的には、ジョンなんかも「酷い目に会った」とか、リンゴ・スターなんかも「こりごりだ」っていうような印象を持ったんだけど、
  結局、最後にはビートルズは“笑った”と、いうことですw。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ビートルズの楽曲を冷静に分析してみると、ジョンとポールは60年代初頭のアメリカのヒット曲をかなり細かく研究していた、と言えるね。
  特にソングライターチームが作る、メロディと言葉とそれを輝かせるアレンジの三位一体を目指していた。
  キャロルキング(Carole King)とジェリーゴフィン(Gerry Goffin)、ジェリー・リーバー(Jerry Leiber)とマイク・ストーラー(Mike Stoller)、
  そんな大人気のソングライターチームを研究して、レノン・マッカートニーは誕生したっていうわけだね。」
  こう証言するのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり
  世界中のツアーへも同行し、さらにはビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物、アリステア・テイラー。
  今週もストーリーは、アリステアへのインタビューから始めよう。

  「キャバーンクラブにビートルズを見に行こう、って提案したのはブライアンだった。
  街のあちこちにポスターが貼ってあったんだ。
  ただそこには『ビートルズ、ハンブルグの熱狂を再現!』なんて書いてあったんで
  僕らは、ビートルズがドイツからやって来たバンドだとばかり信じ込んでいた。
  だから『ドイツ語で歌うんだろうか?』『どんなファッションで登場するんだろうかなあ?』「曲はロックンロールなのかジャズなのか』などなど不明な点だらけだった。
  そしてついにビートルズのパフォーマンスを初体験するわけだけど、やっぱり一番興味を惹かれたのは連中がオリジナル楽曲を持っているという点だった。
  もちろん、この数年後にはオリジナルロックの旗手として世界のトップに君臨するわけだけど、
  とにかく当時としては、これが最初だったね。すごかったよ、レノンマッカートニーのソングライティングは。」
161ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/23(木) 21:42:50.05 ID:5KFiTwQD0
  〜 The Beatles / From Me To You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u8xhSeZi5CM 

  〜 Gerry & The Pacemakers / I Like It
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aoRcpbsD-Vk&feature=related

  (小林)2曲続きました。
  ビートルズのFrom Me To You、こっちはお馴染みですよね。
  イギリスで63年の5月、アメリカではその翌年9ヶ月ぐらい遅れて1位になる曲です。

  そしてその下はGerry & The Pacemakers、これはブライアンが、ビートルズと同じマネージャー 同じ事務所 I Like It。
  こっちはなじみ無いかもわかりませんけど、聴いたら「あ、これもなんかいいね。この頃の勢いがあったはずだ。」ってのを感じることができますけど。
  これもイギリスでビートルズに続いて1位になってるし、アメリカでもまあまあ知られることになるわけですけど。
  まあ、面白いのはビートルズとジェリー&ペイスメーカーズの違いは、オリジナルを持っていなかった。
  ジェリー&ペイスメーカーズはだから、人が作った曲をカバーして一位、ビートルズは自分の曲で一位、そこが違う所ですね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「メジャーデビューの前のビートルズのどこがすごかったか、て訊かれると、曲をカバーするセンスと客を熱狂させるパフォーマンスって思いつくけど
  やっぱり一番は、オリジナルナンバーが数十曲もあったことじゃないかな。」
  こう語るのは、アリステア・テイラー。
  伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとして、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「1950年代の半ばにアメリカから登場したロックンロールという音楽。
  これはエルビス・プレスリーを筆頭に、そのほとんどがティーンエイジャーを中心とする若者層をターゲットにしたものだったね。
  だけど、ビートルズを初体験した1961年11月の時点で、僕もブライアンもすでに20代後半だったんだ。
  もうすぐ30になるわけで、当時としては『中年にさしかかる寸前』と言ってもいい。
  それにブライアンはクラシック音楽の愛好家で、僕はアメリカのジャズレーベル、ブルーノートのレコードを欠けることなくコレクションしていたんだ。
  だから、ロックンロールやポップ音楽の良し悪しなんて正直判らなかった。
  ただ、それでもビートルズのライブを見て、何かものすごいことを体験した という確信はあった。
  もちろん、キャバーンは薄暗くてカビ臭くジメジメしていて、そんな場所と環境で、それまで経験したことがなかった轟音を聴かされたんだから、
  すぐに逃げ出してしまってもおかしくはなかったんだけど、いつの間にか足でビートを取り腰が動いていたことは事実だよ。
  ビートルズには一見さんの客でも、絶対に自分たちに興味をいだかせるマジックとカリスマがあった。
  だから、ブライアンも僕も最初は耳を塞いでいた両手を、じきに下ろす事になったんだと思うね。
  とにかく、すごい経験だったよ、キャバーンでのセッションは。」
  〜 The Beatles / Ask Me Why(Live At The Star Club)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gC7VjkI9SoE

  〜 John Lennon / Ain't That A Shame
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sBmExWVeRJs

  (小林)2曲続きました。ロックンロールっていうやつですかねえw。
  1962年の2月のハンブルグのスタークラブ。だからハンブルグへビートルズが行くようになって後半の録音で Ask Me Why。
  もちろん、リンゴ・スターがドラムスでもう入っています。
  
  で、ジョン・レノンのこれは1975年の「ロックンロール( Rock 'N' Roll)」の、ジョン・レノンのソロの一つですよね。
  これはいろいろ理由があってアルバムを作ったと言われていますが、さっきもビートルズがカバーをする、有名曲をカバーしたりするセンスがすごいって言いましたけど。
  ジョン・レノンのロックンロールのアルバムの有名曲がいろいろある中で、
  今日聴いたやつは、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)っていう人の Ain't That A Shame ていう曲なんですけども。
  このロックンロールのアルバムの曲のリストを見て、あとジョン・レノンのセンスを見て、やっぱりビートルズは曲のカバーのセンスがすごかった。
  曲をカバーするっていうのはですね、人のをやるってことではなくて、人のをやることによってオリジナルを、自分の味を出すわけですよね。
  これはやっぱりビートルズが、あんまり評価されないんですけど、ビートルズのカバーセンスはすごかったっていうことです。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズには、いわゆる一見さんの客、つまりは初めての客でも絶対に自分たちに興味をいだかせるマジックとカリスマがあった。
  とにかく凄い経験だったよ、ブライアンと行ったキャバーンクラブのセッションは。」
  そう証言するのは、その数年後にビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テイラー。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「あの日1961年11月9日はブライアンにとって、運命の日だったんだよ。
  もちろん、彼の個人秘書として同行した僕にとっても、その衝撃は生涯忘れることの出来ないものだったね。
  すぐにブライアンはビートルズに興味を持ち楽屋を訪ねることになった。
  店自体が劣悪な環境だったんだから、楽屋の雰囲気も言わずもがなだった。そこは楽屋とは名ばかりで倉庫みたいなスペースだった。
  ブライアンは『こんにちは〜』と挨拶をした。
  メンバーはハンブルグから来た、どころか全員がリバプール訛りで話していたのには驚いたね。
  地元のバンドだったわけだ。
  とにかく万事がそんな調子で、ブライアンも僕もビートルズに関しては、不勉強極まりない状態だったんだよ。
  それでもブライアンはめげずに言葉を続けた。
  『さっきのステージを見させてもらったんだけど、すごく良かったって伝えに来たんだ。』
  ブライアンのきちんとしたスーツ姿と、知的な印象にメンバーは興味を持った感じだったね。
  ビートルズの方は少し驚いたような表情をしていた。
  それで、『ありがとう』ってお礼を言ってくれたんだ。
  いくつかの伝記本には、この時ブライアンに対して皮肉や生意気な言葉を吐いたって書かれているけど、
  それは全部嘘っぱちだ。
  初対面は実に紳士的な雰囲気だったんだ。」
  〜 The Beatles/ When I'm Sixty Four
  ttp://www.youtube.com/watch?v=i3HAJ4DjMhY

  〜 Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA
 
  (小林)2曲続きました。おなじ頃ですよ。ビートルズの When I'm Sixty Four、そしてプロコル・ハルムの A Whiter Shade Of Pale。
  1967年にビートルズの名アルバム「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」は出るわけですが、
  その中に入っているのが When I'm Sixty Four。
  そして、サージェントペパーのアルバムが出た時のナンバーワンが、イギリスではこれです、A Whiter Shade Of Pale。
  バッハの音楽にインスパイアされた、リズム&ブルース味の曲だけど、歌詞がw、歌詞がなんかぶっ飛んでるwていうことで、
  放送局が「これは、いけない歌だろう」っていうことで、部分的に放送禁止にしたりした歌。
  ジョン・レノンも意図を気に入っていた、ていう伝説もありますけど、そういうことですね。
  「ビートルズから始まる」って言ってるけど、時代はすでにこういう風な時代に入っていて、
  その中に、ダメ押しかのような感じでビートルズのサージェントペパーが出た、ということが良く分かりますねえ。
□リクエスト
  (小林)採用の方はイシイのミートボールなどセットにして全員の方にお送りしておりますのでよろしく。
  [email protected] こちらで受け付けています。

  (埼玉県草加市/男性)
  ポールなら「稀代のメロディメーカー」、ジョンなら「哲学者」と呼ばれますね。
  ラベルを貼るのは人それぞれ、勝手に楽しめばいいと思います。
  ただやっぱり、納得のいかない言い方はあるので、その一つが「孤高の天才」。
  ベック(Beck)というアーティストが音楽的にすごいことをやっているのはわかります。
  でも、「孤高の天才」なんですが。
  私には色・形・大きさのの違う様々な音の一つを積み木に見立てて難がっている子供、ぐらいにしか見えませんでした、最初は。
  一人遊びが上手いやつ、この言い方のほうがストーンと来ないですか?
  健康的で風通しが良くなるかと思うんですが。
  つぎ何かまた楽しいことを仕掛けてくるぞ っていう、ワクワクしませんんか?。
    (小林)そうだよね、孤高の天才ていうと、奉っている感じがするからね。そういう、言いたいことはわかります。
  リクエストは、なぜか好きになり始めたそのベックのアルバム「インフォメーション」から行きます。ノージア(Nausea)。  

  〜 Beck / Nausea
  ttp://www.youtube.com/watch?v=r_SCuNVzi2E

  〜 Traveling Wilburys / Handle With Care
  ttp://www.youtube.com/watch?v=L8s9dmuAKvU

  (小林)ちょっと渋い曲が2曲続きましたね。
  これは(2曲目)Traveling WilburysのHandle With Care。
  トラベリングウィルベリーズはジョージ・ハリスンを中心として、ボブ・ディラン(Bob Dylan?)でしょう、
  ロイ・オービソン(Roy Orbison)トム・ぺティ(Tom Petty)ジェフ・リン(Jeff Lynne)。
  ジェフ・リンはエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)の中心だった人で、プロデュースが後半忙しくなった人ですけども。
  これだけの人間が集まったグループで、すごいねえ。
  コーラスが、ディランだとかロイ・オービソン、トム・ぺティなんかが聴こえるんだもんね。
  リードボーカルはジョージ・ハリスン。
167ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/24(金) 23:08:11.16 ID:3Zy0usti0
  (千葉県稲毛区/女性)
  先日、マーティン・スコセッシ監督のジョージのドキュメンタリー映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を見てきました。
  上映時間3時間半という異例の長さにもかかわらず、ジョージと交友関係のあった人たちのインタビュー形式であったため、飽きることなく見ることが出来ました。
  長さで言うと、人生の中で見た映画の中で「風と共に去りぬ」の次に長かったと思います。
  サイレントビートルと言われたジョージですが、交友関係の広さからジョージは気さくで友達思いの優しい人柄であった事がわかります。
  また、数ある友人のインタビューの中で、特に面白かったのは、
  友人のエリック・クラプトンが、ジョージの元妻パティさんを好きになってから口説くまでのお話です。
  包み隠すことなく笑いながら話していましたが、親友とはいえジョージはこれを天国でどんな気持ちで聞いているのでしょうか。
  で、Traveling Wilburys リクエスト。
  (小林)その前の曲は、Nauseaですから、
  ノージアっていうのは「吐き気」ですよね、嘔吐、だからサビがですね、吐き気とかちょっと変わった歌でしょう、とにかくね。
  (小林)さあ。ガラリと変わりまして・・・。
  (東京都渋谷区/男性)
  昔まだ、私が小さかったころはクラシックとロックは別々の音楽として、それぞれ楽しんでいました。
  クラシックとロックを追っかけているうち、大学生になった頃、ヘビーメタルやプログレッシブロックに出会って
  ロックとクラシックという表向きは別物に見える二つの音楽は、私の頭の中で融合するようになりました。
  CDショップなどではジャンル別に音楽は陳列されているんですが、
  実はジャンル分けというモノは便宜的なモノでしかないのではないかと感じています。(小林)いいね、いいね。
  ただ「音楽の趣味?」と聞かれて「へヴィメタルとクラシックが大好きです」というと「えっ!」とビックリされるのも事実です。
  世の中にはたくさんの名曲があって何をリクエストしようか悩ましい所ですが、
  ブリティッシュの香りが濃い、クイーン(QUEEN)をお願いします。
  特に「A Night At The Opera」のサーティナイン('39)が大好きです。
  (小林)これはクイーンの4枚目のアルバムでね、最初の一枚目から数えると39曲目というw ような意味もあるとかwないとか。
  フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)が歌ってるんじゃなくて、二番目に歌の上手いブライアン・メイ(Brian May)のボーカルというのもちょっといいですね。

  〜 QUEEN / '39
  ttp://www.youtube.com/watch?v=st5O_SyHjKI&feature=related

  〜 John Lennon / Imagine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0vrxmzw0WU0  

  (小林)というわけで、“イマジン”で締まったかなっていう、感じです。
  (不明/イチゴ)英語の授業でよく歌った、思い出のある曲です。
□エンディング  
  (小林)いかがでしたでしょうか。
  話しの方は、けっこう面白いよね。
  ビートルズのマネージャーたちが出会いのころのお話しですから、けっこう面白いと思います。
  それからリクエスト、よろしく。
  今週は特に、音楽だとかポップスとかロックに対して、いろんな感想だとか意見を持ち始めてる人たちのリクエストが目立ちました。
  普通かからないような曲も2曲ぐらいかかったかな。そんな感じです。
  まあ、あの、このリクエストのコーナー、門は狭くないですから。
  いろんな人が通れる門ですから。
  それぞれ勝手なことを書いてね、リクエストください。
  待っております。
  採用の方には・・・(略)
>>164
これを待っていたんですw
前フリが長かったことw
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年2月26日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 2月26日)
 ・1970年(今から42年前の今日)
  ビートルズ解散の年です。
  もう、今の時点でビートルズは、本人たちばっかりじゃなくて周りも「もうビートルズはヤバいんじゃないか」っていう風な、そんな空気の中です。
  今から42年前の今日、アメリカ盤の「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」というアルバムが出ます。
  これはですね、オリジナルアルバムじゃないんです。
  ビートルズがちょうど「レットイットビー(Let It Be)」で暗礁に乗り上げていて、かなり間が開いている、
  そこで、ビートルズのその頃のマネージャー=アラン・クライン (Allen Klein)です。
  アラン・クラインがめちゃくちゃやり手の、もうすっごい手腕のマネージャー=アラン・クライン。
  彼がですね、おそらく彼が強引にやったんだと思われますが。
  オリジナルアルバムじゃなくて、アルバム未収録の曲だとかリアルステレオミックスだとか、
  マニア、コレクターの心をくすぐるような、まあなんて言うんですかね、普段じゃお目にかかれないような曲を収めていて、
  結局アメリカで2位を記録して、ビートルズの人気はまだまだすごいっていうことが判るわけですれども。
  これは、面白いんですよ、アルバムのタイトルがね「ザ・ビートルズ・アゲイン」「再びビートルズ」
  つまり「ビートルズは解散じゃないんだよ。ビートルズはがんばってるんだよ」っていうような意味も込めて。
  そういうタイトルの予定だったんだけど、これ断わられて、結局「ヘイ・ジュード」ていうタイトルでアメリカ盤が出ています。
  ビートルズが解散したあともね、こういう編集盤てのを・・・、ビートルズはすごい人気だから、
  ちょっとオリジナルなんかが入っていると、すごいわけですよね。
  ロックンロールも、ジョンの「ロックンロール(Rock'n Roll)」もそうだと思います。
  あと、赤盤だとか青盤だとか「ラブソングス(Love Songs)」だとか「レットイットビーネイキッド(Let It Be... Naked)」なんかもそうですよね。
  さあ、42年前に発売になったアメリカ盤の「ヘイ・ジュード」の中には、ジョージの隠れた名曲があります。
  ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「ハイウェイ61(Highway 61 Revisited)」に影響を受けたとも言われています。
  ビートルズ全員、ジョンをはじめボブ・ディランの影響を受けていますが、
  もともとは、バラードオブジョンアンドヨーコ(The ballad of John and Yoko)のB面だった曲であります。
  これが42年前の今日発売になった、アメリカ盤に入っています。

  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-x0FUZgbtHc  

  (小林)いい曲だよねえ。ジョージ・ハリスンの曲です。
  バラードオブジョン&ヨーコのB面だった曲も、無理やりに出したような42年前の今日発売になったアルバム「Hey Jude]の中に入っています。
  Old Brown Shoe。
  
173ホワイトアルバムさん:2012/02/29(水) 02:38:44.26 ID:33GWp8IVO
174ホワイトアルバムさん:2012/02/29(水) 23:00:10.27 ID:???0
>>173
克也さんのコメントが聞きたいなぁw
175ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/02(金) 20:23:37.17 ID:koU6guJQ0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「あの日、僕とブライアンはキャバーンに出かけ、ビートルズを初体験した。
  『さっきのステージ、見させてもらったんだけど、すごく良かった。そう伝えに来たんだ。』
  というブライアンの言葉に、ビートルズも『ありがとう』ってお礼を言ってくれたんだ。
  いくつかの伝記本には、この時ビートルズがブライアンに対し「皮肉や生意気な言葉を吐いた」って書かれてるけど、
  それは全部嘘っぱち。初対面は実に紳士的な雰囲気だったんだ。」
  こう証言するのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、
  後には、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物で、
  メンバーには「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  今週もストーリーは、アリステアへのインタビューから始まる。


  「キャバーンのランチタイムセッションでビートルズを見たあと、僕とブライアンは完全に耳をやられていた。
  キャバーンの壁がレンガ作りだったせいもあって、ビートルズの出す音は轟音そのものだったからね。
  とにかく早く店を出て耳を元の状態に戻したかったんで、僕らはランチを摂りに行くことになった。
  ブライアン御ひいきのピーコックレストランに到着するまで、僕らはひと言も会話をしなかった。
  難聴寸前になった耳が回復するまで、会話なんかできる状態ではなかったんだ。
  それに轟音だけじゃなくて、あの蒸し風呂のような中で一時間近くいたわけだから、体力的にもかなり消耗していた。
  もちろん、消耗していたのはブライアンも同じだったんだけど、ものの30分もしないうちに、うちのボスは我々の将来を決定する運命的な決断をしたわけだ。
  それはビートルズとの短かいようで長い道のりを決める瞬間だったね。」
  〜 The Beatles/ The Long and Winding Road
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2B55CBvPbhM&feature=related 
 
  〜 Jackson 5 / (Stop) The Love You Save
  ttp://www.youtube.com/watch?v=IFX4zsdl_F8&feature=related

  (小林)ちょっと、質が違ったような曲が流れた感じがしますけどもw。
  これはまあ、大いに関係あるわけですよね。
  ビートルズのThe Long and Winding Road、これはじつはアメリカで最後のシングル。日本でもそうだったようです。
  つまり、ビートルズのファン、音楽ファンはですね。
  「ああ、ビートルズが最後の曲として、長く曲がりくねった道ってのを出したか。ああ、ビートルズの歴史も終わるんだあ。」
  そういう風な感慨とともに聴いていた1970年の曲です。
  ところが、それがヒットしますよね。1位になりますよね。
  そのすぐ後で、こんどはジャクソンファイブ(Jackson 5)がアメリカではこれがビートルズの次に1位になったわけです。
  The Love You Save 。このころマイケル(Michael Jackson )は10歳ぐらいですね。
  だけど、関係がないっていうか関係があるわけですね。
  ポール・マッカートニーやジョン・レノンは、マイケルたちが所属するモータウンのサウンドにすごい影響を受けているわけですよね。
  そのモータウンから育って、人気のジャクソンファイブたちは、あとで聞いてみると、
  「ビートルズはいいなあ。ビートルズみたいになりたいなあ。」と思っていた。
  そういうような憧れもあって、マイケルは生きている時に「高いからやめろ」って言われてたんだけど、ビートルズの曲の権利を買っちゃうわけですよね。
  これはもう話すと、ここら辺の話しはすごく長いんですけど
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「今思うと、うちのボスはものの30分もしないうちに、我々の将来を決定する運命的な決断をしたわけだ。
  それはビートルズとの、短いようで長い道のりを決める瞬間だったね。」
  こう語るのはアリステア・テイラー。
  伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「ビートルズ初体験をした30分後、僕とブライアンは行き付けの、ピーコックレストランでランチを食べていたんだ。
  まずブライアンが切り出した。
  『アリステア、正直に答えてほしいんだけど、今見てきたビートルズってバンド、君はどう思った?』
  僕はすぐにこう答えた。
  『ブライアン、本音で言うと酷いバンドだと思う。うるさいだけじゃないか?。ただね、どこか魅かれる所があるのも本当なんだ。
  薄汚いし、とてもプロとは言えないけど、どこか不思議な魅力があるんだよ。』
  するとブライアンは即座に反応した。
  『そうなんだ!。まったくもって君の言う通りだ。」
  と、答えた次の瞬間、ブライアンは端正な表情でニヤリとほくそ笑んだ。
  そして、こう続けたんだ。
  『酷いバンドだよ。でも、素晴らしいバンドさ。僕があいつらのマネージャーになるとしたら、君はどうする?。
  なあ、アリステア。これも正直に答えてほしいんだけど。僕のために協力してくれるかい?。
  それとも、このままNEMSのために働くのか?。』
  僕は、これまた直ぐに答えたね。
  『ブライアン、もちろん君のために働くよ。だって僕がNEMSに採用されたのは、君の個人秘書という仕事をするためだよ。
  僕は君の役に立つことが生き甲斐なんだ。』 」
  〜 The Beatles / Fixing a hole
  ttp://www.youtube.com/watch?v=10vU7Qo-NlU

  〜 Aretha Franklin / Respect
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6FOUqQt3Kg0

  (小林)2曲、ビートルズの(1曲目)Fix In The Hole。
  これは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band )」の中に入っている曲であります。
  1967年。これが発売になったのが、その6月なんですけれども。

  (2曲目)その6月の3日から2週間1位を続けていました。アメリカの大ヒット曲、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)。
  リズムアンドブルースの第一人者です。
  このころから、60年代後半から70年代はですね、グラミー賞ての、もちろんあったんですけども。
  だいたいリズム&ブルースだと、アレサ・フランクリンが ずーっと取り続けていますね。
  えーと、リスペクト(Respect)。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ブライアン、もちろん君のために、僕は働くよ。
  だって、僕がNEMSに採用されたのは、君の個人秘書という仕事をするためだよ。 
  僕は君の役に立つことが生き甲斐なんだよ。」
  これは1961年11月9日、アリステア・テイラーという人物がブライアン・エプスタインに誓った言葉である。
  アリステアはこの数年後に、ビートルズの会社アップルの総支配人になる男。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「ブライアン・エプスタインという人物は、とても誠実な男だったので、僕のこれからの任務について、さらに続けて訊いてきた。
  『我々がビートルズのマネジメントを始めるとなると、今よりもずっと仕事の量が増えるし、仕事の内容そのものが変わってくる。
  僕は君の率直な意見を訊きたいんだ。僕がビートルズのマネージャーになった場合、君は僕と一緒に働くかい?。
  それとも、今まで通り店の仕事をしたいかい?』
  僕はほんの一瞬戸惑ったけれど、すぐにブライアンが本気であることが判った。
  少なくとも、僕らがキャバーンに行ってビートルズのライブに触れるまでは、ブライアンもそんなことはサラサラ考えていなかったはずだ。
  キャバーンで出会った 驚くべき才能の原石に、彼は完全に魅了されてしまったんだ。
  『これは、世界中に例を見ないポップグループに化けるんじゃないだろうか?。』そう直感したんだと思うよ。
  とにかく、ブライアンがビートルズを見たその瞬間、僕は彼の隣りにいたんだ。
  よく“ブライアンはジョン・レノンに対する恋心でいっぱいになった”とか書いてある伝記もあるけど、それは絶対にあり得ないね。
  ブライアンが魅了されたのは、四人の真っ直ぐな情熱と、ずば抜けたユーモアのセンス、それにすごいカリスマ性だった。
  これだけは、僕が証言するよ。」
  〜 The Beatles / Money (That's What I Want)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6vH3lBI5Arc

  〜 Gerry & The Pacemakers / You'll Never Walk Alone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8smO4VS9134

 
  (小林)(2曲目)ジェリーアンドペースメーカーズ(Gerry & The Pacemakers)のYou'll Never Walk Alone。
  その前がビートルズの(1曲目)Money That's What I Want。
  もうジョン・レノンが、もう力の限り「金くれー!金が欲しい!」って叫んでいたw。 
  あれはビートルズの「With the Beatles」2枚目のアルバムの最後に入っている曲。
  そしてそのビートルズの「With the Beatles」が出た時のナンバーワンが、今聴いたジェリーアンドペースメーカーズのYou'll Never Walk Alone。
  これはもちろん、カバーです。
  もちろん、ビートルズもペースメーカーズも同じNEMS所属。
181ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/06(火) 19:38:09.13 ID:5HSHKLG80
□リクエスト
  (小林)メールは [email protected]
  採用の方にはご存知のとおりイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。

  (市川市/女性)
  私もビートルズは好きですが、高校のときの友達の影響で、今でもパンクが大好きです。
  先日の放送でもクラッシュの名前が出ましたが、そのクラッシュの曲「1977」をリクエストします。
  なぜか?というと、歌詞にビートルズの名前が出てくるからです。
  その歌詞には「1977年、エルビスもビートルズもストーンズも必要ない」
  ビートルズファンに怒られるかもしれませんが、その当時の勢いを表す名曲だと思います。
  (小林)まあこれはねえ、ちょっとだけ言っておくと、
  イギリスが最もヘルシーに回転している国で、世代が代わるとね世代が支持するアーティストも代わっていくんですよ。
  だから、もちろんビートルズは60年代ですよね。
  76〜77年になったら、もう次の次の世代ぐらいになって、セックスピストルズ(Sex Pistols)だとかクラッシュ(The Clash)の時代になって。
  だけど、このころのクラッシュだとかセックスピストルズの勢いがあまりにもすごかったんで、2世代とかね、ぐらい続くんですよね。
  だから、これによってストーンズ(The Rolling Stones)も悩む、エルトン・ジョン(Elton John)もノイローゼになったりするんです。
  「ああ、もう俺たちはもう忘れられた存在かあ・・・」なんて。それくらいすごかったんですよね。
  さあそれでは、リクエストで。

  〜 The Clash / 1977
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mt5ggkuQIbc
  〜 The Beatles / Thank You Girl(2009 Stereo Remaster)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EcBAJw5tVjo

  (小林)クラッシュが流れて70年代、それから60年代のねビートルズの曲が流れると、
  なーんか「おお、同じような所にいるよね、おんなじ所を目指してるよね」ていうようなことを感じますが。

  (茨城県常陸大宮市/男性)
  ビートルズの編集盤「パストマスターズ(Past Masters)」と「レアリティーズ(Rarities)」は明らかに違うんですが、
  「レアリティーズ」はイギリスで発売されたシングルのB面。
  オリジナルアルバムどころかベスト盤にも納められなかった曲が入った作品で・・・。
     (小林)まあそうですよね。Rarities「珍しい貴重品」ていうことだから。
      あと「パストマスターズ」が、その拡大版といっても言い過ぎではないと思いますが、どうでしょう。
      タイトルが示す通りだと、僕は思うんですけどw。
  今回はThank You Girlのステレオ版をお願いします。ステレオ版は聴いた事が無いんです。

  (小林)(男性さん)いかがでしたか?。Thank You Girl。
  (千葉市美浜区/男性)
  突然ですが 「コールドターキー(Cold Turkey)」をリクエストお願いします。
  私、最近毎日死にたくなるような衝動に駆られます。(小林)おや?
  でも、私のいとこが実際に自殺で亡くなっており、その悲惨さを知っているので、死にたくなる衝動をひたすら耐えなければいけません。
  そんな時、この曲「コールドターキー」を聴くと、その辛さをジョンと共有しているような気分になれます。
  (小林)そうですよね、ジョンの叫びってのは、プライマル・スクリームってよく言う療法だとかね、心理的療法とかありますけれども。
  子供の、ひょっとすると赤ん坊のジョン・レノンの叫びが聞こえたりするようなことがあって、
  そういうような意味でもとに戻してくれる、ていうか元気をつけてくれるんじゃないかと思います。
  
  〜 John Lennon / Cold Turkey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_b-Cr9a6eVo&feature=related
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M

  (横浜市/男性)
  初メールです。私の通勤途中にある、中学校の外のテラスで毎日ボーっと景色を眺める男子生徒が一人、
  それだけなら普通なんですが、その服装がいつでもTシャツ一枚なんです。雨や雪の日も。
  そんな彼を見ると、思わず「フールオンザヒル」を口ずさんでしまいます。
  とまあ、ここまでは某FM局で紹介されたんですが。
  おそらくもう卒業したんでしょう、彼の姿は見えません。
  そんなノーウェアマンことジェレミー君に…、勝手に名前を付けてしまいました。
  彼を偲んでNowhere Manをお願いします。
  (小林)「フールオンザヒル」は丘の上に立ってずーっと世界を眺めている男がいる っていう不思議な世界ですけど。
  こんなにビートルズのことを好きな皆さんがいっぱいいるわけですから、その音ばかりじゃなくて歌詞だとかいろんな、その…
  もう少し一歩だけビートルズの世界に入るとね、彼らの歌の創り出す景色ていうのがね、すごく見えてくると思うんですよね。
  だから、それは今までビートルズを聴いて過ごした方、楽しく過ごした方も、もう一歩ね、この番組はそんなためにありますからね。
  そう提言したいと思います。
  もう一歩踏み込むとね、ビートルズが描いたいろんな景色が…、それは歌詞だけの世界じゃないですよ。
  ひとつの叫びに、ひとつのギターのタッチから、いろんな景色が浮かんでくることと思いますw。よろしく。
□エンディング  
  (小林)いかがでしたでしょうか?  
  この番組のメールは [email protected]
  リクエスト、最近は穿ったコメントなんかが目立ちますね。渋い曲のリクエストも目立ちますが。
  いつも言ってますが、この番組は門がとても広いです。いろんな方が入れるように。
  まあ、塀を飛び越えてもいいけどww。
  採用の方にはイシイの…(略)
  よろしく。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年3月4日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 3月4日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  実はビートルズは、もう解散状態。ほとんど解散状態。
  彼らのアルバム「レットイットビー(Let It Be)」は、もう四人とは関係ない人がミックスをしています。
  そんな日、マーガレット王女が、エリザベス女王の妹さんです、突然予告もなくだと思います.
「サプライズビジット」ってありますから。
  予告もなく、映画の撮影の現場に現れます。
  その映画というのは「マジッククリスチャン(The Magic Christian)」という映画で、主演はピーター・セラーズ(Peter Sellers)。
  これは、ほら、この番組でもピーター・セラーズ 何回か取り上げていますけれども、
  ビートルズのプロデューサー=ジョージ・マーチンがピーター・セラーズ、大俳優ですけども、彼の音楽をプロデュースしていました。
  だからビートルズと関係あるわけですが。
  このピーター・セラーズの息子役で、リンゴ・スターが出ていたわけですね。
  現場はどこでやっていたかというと、フランス料理屋、フレンチレストランで撮影をやっていた。
  そこに、いらっしゃった、ということですね。
  で、リンゴとピーター・セラーズ、主演ですね、ポールとリンダ・マッカートニーたちが、マーガレット王女を交えてお昼を摂った、ということですね。
  ちなみに、この翌週、ポールはリンダと婚姻届を出しています。
  ポールももう、ほんとに新婚ホヤホヤみたいな感じの時ですね。面白いですよね。
  で、マーガレット王女はちなみに、ビートルズの大ファンであった。
  ビートルズが、エリザベス女王は欠席していたんだけど、エリザベス女王のお母さんだとか、マーガレット王女、貴族たちだとかの前で演奏したことがあるんですが、
  それ以来のファンだった、ていうことであります。
  このころ、リンゴ・スターはね、かなり本気で「自分は、やっぱり俳優かな? 役者かな?」ていう風に思ってました。
  というのも、音楽を創る時リンゴ・スターだけがヒマなわけですよね。
  ジョンやポールやジョージは音楽は創るし演奏するし、もちろんリンゴはドラムスを叩くんだけど。  
  いろんな「この曲どうしよう?。どうしよう。」って時、リンゴはいつも蚊帳の外だったっていうのがあります。
  でも、リンゴ・スターはじつは評論家から「リンゴ・スターは見どころがある」っていう評判が立つわけですね。
  あと、アメリカへビートルズが行った時はリンゴ・スターが一番人気だった、っていうようなこともあって「俺は役者かな?」と思っていた頃の出来事です。
  映画のテーマとしてポールが書き下ろしたこの曲を、ちょっと聴いて頂きたいと思いますが、
  今日の一曲目、アップルのアーティストとして、ポールがプロデュースして、ポールが曲を書いてやって、「ビートルズの弟バンド」なんて言われた、
  あのバッドフィンガー(Badfinger)をお送りします。

  〜 Badfinger / Come and get it 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DY4BjGFzwu0


  (小林)Badfinger の Come and get itが流れました。
  というわけで、43年前1969年、ビートルズが終わりのころ。マーガレット王女が来たっていう、だから…
  ただもう、この頃はビートルズは解散状態。
  イギリスの音楽シーンもね、60年代あんなに騒いでくれた中学生とか高校生なんか、もうビートルズの時代じゃなくなってくるわけですよ。
  レッドツエッぺリン(Led Zeppelin)だとか、ビートルズがスタートさせたような感じの、例えばピンクフロイド(Pink Floyd)だとかね、
  ああいう風な音楽の方へ行っているわけですよね。
  そんな時に、みんなビートルズはどんなことを思っていたのか・・・。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアンが初めてビートルズを見たその瞬間、僕は彼の隣りにいた。
  彼が魅了されたのは、四人の真っ直ぐな情熱と、ずば抜けたユーモアのセンス、それにすごいカリスマ性だった。
  これだけは間違いない。僕が証言するよ。」
  こう語るのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、
  のちには、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物で、メンバーには「ミスター・フィクサー」「何でも屋」
  と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  今週もストーリーは、アリステアのインタビューから始まる。
 

  「たしかに、あの運命の日1961年11月9日木曜日、ブライアンと僕はキャバーンのランチタイムセッションに出かけ、ビートルズに遭遇した。
  正直言って、あまりの轟音に音楽の良し悪しは良く判らなかったけど、とにかくビートルズには光り輝く何かを感じたんだ。
  ライブの後、ランチを食べに近くのレストランに行ったんだけど、
  ブライアンはビートルズのマネージャーになることを宣言し 『やつらはエルビスを越える!』って、そう断言したね。
  それも、あれこれ思案や検討した結果の発言ではなくて、直感的に彼は言ったんだ。
  それにしてもブライアンという男は、初めて見たその日に、自分がマネージメントするビートルズが世界制覇することを想像して、それを全く疑いもしなかった。
  よく『強く念ずれば 望みは叶う』って言うけど、おそらくブライアンはそれをかなり具体的なレベルまで想像していたおかげで、
  自分たちが成功するためには何をすべきか、が判っていたんだと思うよ。
  もちろん、最初は上手くいかなかった時代もあったんだろうけど、それでも実質二年間で世界制覇を成し遂げたんだから、間違いなく先見の明があったんだね。
  すっごい人物だね、ブライアンという男は。」
  〜 The Beatles / Hard Days and Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=YKYtR3dSuW8
  
  〜 The Dave Clark Five / Glad all over
  ttp://www.youtube.com/watch?v=D-hL7ryCy3Y&feature=related 

  (小林)The Beatles の Hard Days and Night(1曲目)。
  そして(2曲目)The Dave Clark Five の Glad all over。こっちの方が…
  両方ともイギリスの青年たちで、リズム&ブルースをやってたわけですが、こっちの方がちょっとリズム&ブルースぽい感じがあるよね。
  ワイルドな感じがね。
  ビートルズのHard Days and Nightはお馴染みですけど、これは1964年の7月イギリスで大ヒット。
  そして8月、アメリカで大ヒット。
  Dave Clark の Glad all over、いま聴いたやつは、これは同じ年の1月にイギリスで2週間連続一位になるわけですよ。
  すごいですよ、イギリスの人気者でもあるわけです。
  アメリカでも1964年2月、6位まで上がるヒットになっています。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズと出会って、最初は上手くいかなかった時代もあったんだろうけど、それでも実質2年間で世界制覇したんだから、間違いなく先見の明があったんだね。
  すっごい人物だよ、ブライアンっていう男は。」
  こう話してくれたのは、アリステア・テイラー。
  伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの希少な証言はさらに続く。

  「『やつらは、エルビスを越えるよ。』そう断言するブライアンの様子があまりにも熱心だったので、僕もその話しにどんどん引き込まれていったんだ。
  こりゃあもう、ブライアンの描いたビジネスプランに乗っかるしかない。
  ランチの間じゅうブライアンは話し続けた。
  『僕はビートルズをマネジメントする新しい会社を立ち上げようと思ってるんだ。
  その会社なんだけど、アリステア。君も一緒にやる気はあるかな?』
  その誘いは、レコードショップで働く今現在の環境より100倍は魅力的だったね。  
  僕はすぐに返事をした。
  『いいよ、ブライアン。僕はどこまででも付き合っていくよ。』
  この返事はブライアンの構想に賛同しただけではなかった。もちろん少しはそういう部分もあったんだけど、
  それよりも、決定的な要員は、やはりビートルズの才能とカリスマを、この目で見てしまった事にあった。
  これは素人の僕にもハッキリ判ったね。
  ジョン・レノンとポール・マッカートニーは間違いなく不良上がりで、
  リバプール中の親からは「ああいった連中とは、遊んではいけませんよ。」と、レッテルを貼られてしまうタイプだった。
  でも少し気取っていて、横柄で、天真爛漫で、それに元気いっぱいである所が、実に魅力的だった。
  ジョージ・ハリスンはずっとステージの後ろの方で、黙々とリードギターを弾いていて。
  ドラマーのピート・ベストは無口そのものだったけど、逆にその対比が面白かったのも事実なんだよね。」
  〜 The Beatles / Love me do(Anthology 1 version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=i1mgIZrlLSE

  〜 Elvis Presley / Good Luck Charm
  ttp://www.youtube.com/watch?v=20ywIGv9TQI

  (小林)面白い曲が2曲続きました。
  Love me do(1曲目)はお馴染みかもしれませんが、ビートルズの初期のヒット曲ですが。
  これを1962年6月ですね、まだビートルズを地元の人間以外ほとんど知らない時に、デモテープを作りました。
  アンソロジーのアルバムに入っています。
  これはだから、リンゴ・スターじゃなくてピート・ベストがドラムスを叩いています。
  そしてそのデモテープを作っていたころ、世界の頂上にいた、天辺にいた、イギリスでもナンバーワン、そしてアメリカでもナンバーワンです。

  エルビス・プレスリー の Good Luck Charm。(2曲目)
  そのエルビスを“越える”ってブライアンは思ったわけですね、直感的に。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズは絶対に成功するかどうか、という問題。これに関しての僕の見解はこうだった。
  ビートルズの魅力とカリスマは間違いない。でもその才能を世に知らしめるには、企画力と戦略が必要だな。
  しかしこれも、ブライアンのビジネス的な才能があれば、外すことはないだろう。
  ブライアン・エプスタインだったらきっと大丈夫だ。」
  これは1961年当時アリステア・テイラーが予測したことである。
  アリステアはこの数年後に、ビートルズの会社アップルの総支配人となる男。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。
  
  「正直言って、ビートルズがヒットチャートに躍り出るか、それともまったく当たらなくて失業手当受給者の列に並ぶことになるのか、僕には断言できなかった。
  ただ一つ、直感的に信じていたのはブライアン・エプスタインは成功するという事だけ。それだけは信じていたんだ。
  ブライアンにあったのは 自信と野心だけ。こんなリスキーなことはない。
  でもブライアンの手腕を、毎日目の当たりに見ていた僕は、キャバーンでブライアンが夢を見つけたのであれば、何があっても自分がサポートしてあげたい って思ったんだよ。
  そんな時ブライアンが、何も無かったかのように爆弾発言をしたんだ。
  『アリステア、君には新しい会社の設立やら運営やらで、ものすごく協力してもらうことになると思う。
  そこで、こういう約束ではどうだろう?。ビートルズに関する仕事では、利益の2.5%の報酬を支払うよ。』
  この申し出に、あろうことか僕は、辞退した。まだ立ち上げてもいないプロジェクトに、2.5%云々と言われてもピンと来なかった。
  今考えると、実に情けなく残念な気持ちになるね。
  なんせ、どう安く見積もっても、僕は数十億という金額を受け取ることを辞退したんだから。
  もう、ずいぶん昔の話しだけどね…。」
  〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=KX5gG5AKbR4

  〜 Creedence Clearwater Revival / Bad Moon Rising
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5BmEGm-mraE
 
  (小林)1969年 同じ時期の曲をお送りしました。
  ビートルズの You Never Give Me Your Money(1曲目)。
  これは、ポール・マッカートニーが、ビートルズの後半わずかの間だけマネージャーを務めたアラン・クライン(Allen Klein)という人に、嫌味っぽく捧げたw 曲だといわれていますね。
  You Never Give Me Your Money「おまえは俺の方に金を寄こさない」っていう。なんかちょっと皮肉にあふれた曲です。

  そして、クリーデンスクリアウォーターリバイバル(Creedence Clearwater Revival)の Bad Moon Rising(2曲目) 。
  これは同じころ、1969年の秋ですね。アメリカではもっと早い(時期)ヒットになっていますが、イギリスでもナンバーワンになります。
  この頃は、ビートルズより、このアメリカのクリーデンスクリアウォーターリバイバル、ビートルズより若いグループ、アルバムを売っていたっていう。
  世界で一番アルバムを売っていたのは、このグループじゃないかこの頃、って言われていますが。
  Bad Moon Rising ちょっとアメリカの南部のスワンプと、沼地ですかね。
  スワンプ・ロック(swamp rock)っていう言葉があるんですが、そういうロックの類いです。
  イギリスでも、もちろんヒットいたしました。
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用された方、イシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  メールは、最近はメールがほとんどなんですが [email protected]
  ハガキとかFAXなんかでも受け付けています。

  (静岡県伊豆市/男性)
  今年もグラミー賞が発表されましたが、アデル(Adele)の圧勝でしたね。
  残念ながら、レディー・ガガ(Lady Gaga)リアーナ(Rihanna)は受賞を逃してしまいましたね。
  また、嬉しかったのはトニー・ベネット(Tony Bennett)が3部門で受賞したことです。(小林)トニー・ベネットは、あの年で相当声が出ていたっていうことを聞きました。
  ところで、ウイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)が急死してしまったことには、ただショックでした。
  大好きなアーティストだったのに・・・。
  (小林)男性さんの年だとあれですよね、80年代はやっぱり現象となったのはマイケルジャクソン、
  それからウイットニー・ヒューストンですよね。
  共通して言えるのは、MTVなんてのは黒人のアーティストはほとんどかからなかったんだけど、
  マイケルが風穴を開けて、ウイットニーがダメ押した、みたいな形だったですよね。
  あなたのリクエストで、アデル(Adele)。

  〜 Adele / Rolling In The Deep
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8QR7FZjHD3o

  (船橋市/女性)
  ウイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の悲しいニュースもありました。
  スターとして栄光に輝いていただけに、その影のダークな面が強く出てくるものですね。
  以前、彼女の武道館ライブに行った時、当日はダフ屋さんが多くいて「はいはい、アリーナ席あるよ!」って盛んにダミ声で呼びこんでいました。
  武道館までのゆるやかな坂を、ダミ声を背に歩いたことは妙に印象に残っています。
  武道館といえば、ビートルズの初来日も伝説ですね。というわけで、She Loves You。

  (江東区/女性)
  いつも「物語」が始まるときにかかる曲が気になってました。
  エリナ・リグビー(Eleanor Rigby)をお願いします。
  (小林)良く調べてますね。すごいです。
  あなたのリクエスト。
 
  〜 The Beatles / Eleanor Rigby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-LOgMWbDGPA
  〜 Whitney Houston / Another Day
  ttp://www.youtube.com/watch?v=H9nPf7w7pDI

  (小林)これもやっぱり、時代の歌って言うかね、古い価値観の歌ですよね。
  「あなたのお邪魔にならないように、私はあなたの元を去っていきます。そして、密かにあなたの事をずっと愛して生きます」っていう。
  昔の演歌にありそうな歌詞ですよね。
  これを作ったのはドリー・パートン(Dolly Parton)っていうカントリーのシンガーですが、もちろん彼女が歌っていますが、
  それをウイットニーが、ウイットニーのモノにしちゃったっていう。
  これはすごい、これをかけないわけにはいかないでしょう。
  (八千代市/男性)
  大きな黒人ディーバでしたので、ものすごくショックです。ニュースを聞いたとき仕事が手に付かないほどでした。
  彼女の絶頂期だった映画「ボディガード」は何回も見て、大好きな映画の一つです。
  (小林)なんか、ケビン・コスナーと幼馴染だったんだってね。幼馴染みほどじゃないけど、小さい時から知ってたんだってね。
  おもしろいよね。
  (成田市/女性)
  ウイットニー・ヒューストンの死が本当に悲しい。
  ボディガードのウイットニーの美しさに、失礼ですが、今までの黒人に懐いていたイメージを覆しました。
  本当に素敵でした。ご冥福をお祈りいたします。
□エンディング  
  (小林)いかがですか?
  後半はリクエストにお答えしました。
  リクエスト、もし参加されたい方、初心者も大歓迎です。よろしく。
  イシイのミートボールなどセットにして待ってますから、採用の方には全て送らせていただいてますから。
  [email protected] こちらが宛先になります。
  やっぱりリクエストは、グラミー賞の、あのアデルの独占とウイットニーてのはやっぱりね、洋楽をけっこう聴いたりしてる人にとってはすごい影響があったように思います。

  そして、ビートルズの話しの方は、アリステア・テイラーの書いた本の中からお送りしてるわけですが。
  やっぱりね、彼も彼なりにすごい正直な切り口で…。
  やっぱりビートルズのお話しっていうのは、いろんな人のいろんな証言をいろんな角度から聞いたり。
  あるいは映画になったりしているのもずいぶんありますけども。
  そういった立体的に、自分の頭の中に映像を作る方が良いよね。
  一人だけとか、二人はぜんぜん。
  だから、アリステアはね、ビートルズとの出会い、ブライアン・エプスタインの傍でビートルズを見たわけですけども。
  かなり、ブライアンの側に立っているんだよね。
  ビートルズの側に立っている話じゃないんで。
  なんかビートルズの側に立つと、ジョージ・ハリスンが生意気なことを言ったとかいろいろエピソードがあって、そういうのもけっこう面白いですよ。
  時間があったら、そういうような事もお伝えしていきたいと思います。
198ホワイトアルバムさん:2012/03/11(日) 18:57:22.48 ID:???0
きょうって、CMが全然入らなかった?
いちおう「石井食品の提供でお送りしました」って言ってたけど..
199ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/13(火) 13:29:36.90 ID:3nS84XPp0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年3月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 3月11日)
 ・1964年(今から48年前の今日) (放送では45年前と朗読)
  ビートルズが三つグラミー賞を取っています。
  三つというのは、「ミッシェル(Michelle )」という曲が“ソングオブイヤー”これは大きな賞ですね。
  あと、ポールが「エリナーリグビー(Eleanor Rigby)」を歌った“ベストボーカル・パフォーマンス”、これはまあ大した賞でもないっていう。
  で、アルバムの「リボルバー(Revolver)」のデザインが賞を取っています。これはドイツ人が取ってるわけですね。ビートルズの友だちのね。
  グラミー賞っていうのはね、1960年代はビートルズはけっこう蚊帳の外っぽいですよ。
  グラミーっていうのは、アメリカの国立音楽アカデミーみたいなものですから、ビートルズはまあ、よそ者っていうとおかしいですけども。
  よっぽどすごいから、これだけ三つ取ったんであって。
  今のグラミーだったらビートルズはけっこう、毎年取ったり独占したりしております(でしょう)が
  だから、グラミー賞ってね、みんな大して…、今はみんな「グラミー賞!グラミー賞!」って言うじゃないですか、
  このころは、ロックの時代はね、60年代、特に70年代も「グラミー?」っていうふうな感じだったんですよw。
  そういう空気を、ちょっとお伝えしておかないとだめですよね。
  それから、この日発表されたんですが、ポール・マッカートニーが書いたあの「イエスタデイ (Yesterday)」ていう曲をカバーした人が446。
  これはレコード化した人がね。446も!あるんですよ。
  1967年の時点でね、何十年前の時点で。
  今だと、僕は正確に数を何か言ったことがあるのは、2千何曲かカバーバージョンがあるっていうのを言ったことがありますから、
  今ではおそらく3千とかね、で、ギネスブックに「最もカバーされた曲」とありますよね。イエスタデイ。
  そういうお話し。
200ホワイトアルバムさん:2012/03/13(火) 13:31:27.88 ID:???0
  さあそれでは、今日はイエスタデイ行きますか。
  これはポール・マッカートニーは、ほんとは結婚したかったジェーン・アッシャー(Jane Asher)の家に下宿していたころに、目が覚めたら、これが浮かんでいた。
  で、この曲は、おそらく自分がたやすく書けたので、自分の曲じゃなくて何かどこかで聴いた曲だと、思ったらしいんですよ。
  だから、いろんな人に「ねえ、この曲、聴いたことない?。この曲、聴いたことない?。」って、ポールはもうほんとに確かめまくっています。
  で、ジョン・レノンは「これは、俺たちが参加しない方がいいよ。ポール、自分一人でやりなよ。」っていうことで…。
  また、あれですよ、ジョン・レノンが詩ができていた時、これはほんとかどうかウソか、まあ7分通りほんとだと思いますが、
  「イエスタデイ〜」のところが「スクランブルドエッグ♪〜(Scrambled Eggs)」って、ポールが仮の歌詞を入れていた、ていうのはお馴染みですよね。
  でジョンのアドバイスで、「もう少し真面目なことをやった方がいいよ」っていうことで。
  ジョンのアドバイスで、ポール以外の3人はまったく参加していません。これは知っていたでしょうね。

  〜 The Beatles/ Yesterday 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S09F5MejfBE 

  (小林)「ビートルズ?関係ないよ」って言う方にとって、いちばんお馴染みの曲かもしれませんよね。この曲はね。
  イエスタデイ。
>>199
※グラミー賞で「Michelle」と「Eleanor Rigby」と「Revolver」のパッケージ賞を取ったのは1966年。
1964年の賞は、最優秀新人賞と「A Hard Day's Night」のグループボーカル部門 のようであります。

http://www.h4.dion.ne.jp/~jpgr62/E6.htm
□アリステア・テイラーの物語
 ・「アリステア、君には新会社の設立やら運営やらで、ものすごく協力してもらうことになると思う。
  そこで、こういう約束ではどうだろう?。
  ビートルズに関する仕事では、利益の2.5%の報酬を支払うよ。」
  これはビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインが、自分の右腕として頼りにしていたアリステア・テイラーに持ちかけた話である。
  時は今から51年前の1961年11月9日、場所はリバプールのレストラン。
  アリステアはこの数年後、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物で、メンバーには「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男。
  今週もストーリーはアリステアへのインタビューから始まる。


  「ブライアンのその提案を、僕にはすぐに理解できなかったんだ。判ってはいなかったんだけど、判る範囲でブライアンにこう返答した。
  『ブライアン、すごく嬉しい提案だけど、受けられないよ。会社の設立には多額の資金が必要なんだろうけど、僕にはビートルズに投資するお金の余裕が無いんだ。』
  ブライアンはそれでも引き下がらずに、こう続けたんだ。
  『君に出資してもらおうなんて思ってないよ。ただ僕を信用してほしいだけだよ。』
  僕はそれでも辞退した。
  『ブライアン、僕は心から君を信用しているよ。もちろん、これからだって同じだよ。絶対に裏切ったりはしない。
  そこそこの給料さえもらえれば、それで幸せなんだよ。』
  今になって思えば、悔やんでも悔やみきれない気持ちもあるけど、当時の僕の経済状況はかなり切迫していたから、
  リバプールの無名の四人組が、ショービジネスの世界に旋風を巻き起こすなんていうチャンスに賭けるよりも、給料袋の金額が週に2ポンド増える方が大切だったんだ。
  当時のリバプールなんて、みんな貧乏。それがごく標準だったんだよ。」
  〜 The Beatles / Penny Lane   
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jd-oLhJQne0

  〜 Petula Clark / This Is My Song
  ttp://www.youtube.com/watch?v=V8XmLuTmKIM

 
  (小林)2曲続きました。
  最初にかかったペニー・レイン(Penny Lane)はご存知ですよね。
  1967年にアメリカで1位、しかしイギリスでは1位になれなかったんだよね、本国でペニー・レインは。
  その代わり、その次に聴いた Petula ClarkのThis Is My Song。この曲はどうですか?。知ってる方いますかねえ。
  おそらく若い方は知らない、と思うんですけど、これはチャップリンが作った曲です。
  あのチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin)が、役者の、つうか大俳優でって言うんですかねえw。
  チャップリンの映画「A Countess from Hong Kong」日本語のタイトルは確か「伯爵夫人」だったと思いますが。
  これのテーマなんですよ。
  で、それをペトゥラ・クラークが歌って、これがイギリスでナンバーワン。
  おかげでペニー・レインは2位に終わったっていう。
  まあ、チャップリンの場合は他にも良い曲があるじゃないですか。
  だから、その影に隠れてこのThis Is My Songはちょっと有名じゃないかもわかりませんけども。
  実は、あのころは有名だったわけですね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「1960年代初頭のリバプールなんて、ほとんどの市民が貧乏だったよね。
  だから、ビートルズとかいう無名の四人組が成功するかどうかより、給料袋の中身が少しでも増えてくれること、の方が重要だったんだよ。」
  こう語るのはアリステア・テイラー。
  伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「ブライアンからは、ビートルズが成功するに伴って僕の報酬が増えるようにと出来高制の契約にしよう、と申し出があったんだけど。
  僕にはどこか浮世離れした話しで、いま一つ理解できなかったんだよね。
  それでブライアンもその話はやめて、実質的なビートルズの売り出し方について考え始めた。
  ただ、ブライアンが熱しやすく冷めやすいことを、彼の家族は良く分かっていたんだ。
  過去にも新しい事業を立ち上げては、すぐにそれをやめてしまったことが幾度となくあってね。
  周りの皆も『今回のビートルズの話しも、同じことになるだろう』ぐらいにしか考えていなかったみたいだったからね。
  だけど僕には、このビートルズの件に関しては、それまでとは違うように思えたんだ。
  なんせビートルズと出会って、ほんの数分後には彼らと運命を共にすることを決意していたわけだから。気合いが違っていたんだ。
  ブライアン・エプスタインという人間に、何らかの決定的な変革をもたらしたのは間違いなくビートルズだった。
  あの汗とカビの臭いの立ちこめる地下室キャバーンで、それまでに体験したことのない轟音に打ちのめされ、
  彼らの演奏した、たったの5曲で。ブライアンは人生の進路を変えてしまった。
  もちろん、僕だってかなりの衝撃を受けたんだけど、それを受け止めて理解する力がブライアンのようには無かったんだと思う。
  間違いなくブライアンも、ビートルズと同じく、選ばれた人間だった、というわけだ。」
  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aAQ2HAjY3To&feature=related

  〜 The Dixie Cups / Chapel of Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Y7Y9nYCcYbw&feature=related

  (小林)The Beatles の Cant Buy Me Love(1曲目)。
  ビートルズがまだアメリカで一位になる前ですよね。大晦日から正月にかけて、あ、正月か、パリのオランピア劇場に出ていた時に
  ドイツ語バージョンをリクエストして、ドイツ語の歌を録音しますよね、パリで。
  その時に時間があったっていうんで、Can't Buy Me Love これを録音しています。 
  で、それがイギリスとアメリカでナンバーワンになっています。無駄が無いですよね。

  (2曲目)そしてその頃っていうか、そのちょっと後ですけど。ビートルズが世界的になった時、アメリカではこれが第一位になっていますね。
  ディキシー・カップス(The Dixie Cups)っていう、これはリーバーアンドストーラ(Leiber & Stoller)っていうとても有名なプロデューサー。
  プレスリー(Elvis Presley)の曲を書いたり、有名な作曲家でもソングライターでもある二人がプロデュースしています。
  The Dixie Cups / Chapel of Love、アメリカングラフィティとか、そういう世界でこれをご存知の方がいるかもわかりません。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ポップ音楽の世界でプロデューサーというと、ほとんどの場合はレコーディングプロデューサーのことを指すことが多いよね。
  でも実際にアーティストを売り出すとか、次はこんなイメージ戦略で行こうとか、そういったありとあらゆる事を提案して実行に移すのはマネージメント側。
  つまり、所属事務所の腕一つにかかってるというわけだ。
  そういった意味においてブライアン・エプスタインは、初期のビートルズを完璧にプロデュースしていた、と言えるんじゃないかな。」
  これはビートルズのマネージャーとして、苦楽を共にしたブライアン・エプスタインの側近中の側近、アリステア・テイラーの発言である。
  アリステアはこの数年後に、ビートルズの会社アップルの総支配人となる男。
  このアリステアの興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「僕らは1961年12月6日水曜日の午前中に、ブライアンの店で、僕の勤務先であるNEMS(North End Music Stores)でビートルズの四人とミーティングをすることになった。
  ホワイト・チャペルにあるこの店の中で使ったのは、ものすごく狭くて細長いオフィス。
  それは部屋というよりは、廊下みたいな場所だった。
  2階にはもっと広いブライアンのオフィスがあったんだけど、ブライアンはそこにはまだビートルズを入れたくなかったらしいんだ。
  なんせ家族経営のNEMSでのこと、そのフロアには家族のオフィスもあったからね。
  まだビートルズのことを両親や兄弟には伏せていた段階だったので、ブライアンはわざわざ気楽な物置兼用の小さな部屋の方が都合が良かったからね。
  ピート・ベスト、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノンは時間通りにやって来た。
  しかし、肝心のポール・マッカートニーがいない。
  苛立ちを隠せないブライアンだった!。」
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  もちろんこの番組は 043-351-8011 ファックスのリクエストも受け付けています。
  郵便番号 261-7127 BayFM「ビートルズから始まる」 ハガキでも郵便物でも受け付けています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (佐倉市/男性)
  ビートルズを聴き始めて38年経ちました。今はビートルズの他、ヘビーメタルも聴いています。
  ヘビメタを聴き始めるきっかけは高校の時ディープパープル(Deep Purple)の「マシンヘッド(Machine Head )」を聴いたことです。
  当時は「ハードロック」と言っていました。(小林)そうですよね、ハードロックと呼ばれそれからヘビーロックなる言葉も生まれ。
                                そして今はヘビメタとか、いろいろ言われたりするんですが。
  そのあと、レッドツエッぺリン、クイーン、エアロスミス、ブラックサバスなどを聴くようになりました。
  この曲は40年ぐらい前の曲ですが、疾走感は今も輝いていると思います。
  ヘビメタファンになるきっかけになった、このマシンヘッドの中からリクエストをお願いします。
  (小林)まあそうですよね。曲としては、なんて言うのかな、ディープパープルは演奏力がすごかった。
  歌詞だとかコンセプト的にはね、「この機械はすごいぜ!」っていう、マシンをですね…
  マシンというか、バイクならバイクを女性に例えるっていう、ちょっとそういう例え方がロックファンにとっては「う〜ん?」ていう所もあったんですけど。
  もう、演奏は文句なくカッコ良かった。

  〜 Deep Purple / Highway Star
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lUQTHdwK780&feature=related
  〜 The Beatles / I Want to Hold Your Hand
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3I7XCBzTC3I&feature=related

  (小林)ディープパープルの後にビートルズがかかりました。
  年代でいくとディープパープルより10年前の曲ですよね。これはね。
  だけど、存在感はやっぱりすごいねビートルズは。そんな感じしなかった?。

  (住所不明/女性)
  ビートルズ大好きです。いつも聴いてるよ。「抱きしめたい」大好きです。
  克也さんがんばって下さいね。いつどこにいても応援しています。
  (小林)
  住所名前が書いてないんですが、もしよかったら知らせて下さい。イシイ食品から素晴らしいものが送られております。
  (市川市/女性)
  私にとって心地がよい曲をリクエストしたくメールいたしました。
  去年ある番組で、イタリア・トスカーナに住む親子が夏休みを過ごしに、ご主人の故郷プーリアへ帰省する回がありまして。
  サマーハウスに着いたとたん海へ駆け出し真っ白な砂浜 透きとおった海、太陽を体いっぱいに感じている子供たちの映像に
  女性ボーカルが歌うオンリーユー(Only You)が流れていました。
  女性が歌うことで、より心地よく、映像と曲とが臨場感を出しており、とても印象的でした。
  ある時、こちらの番組で同じ曲を耳にした時、恥ずかしながら初めてリンゴの曲と知りました。
  半年 気になっていたので、すっきりしました。ほんとにビートルズの曲は幅広く、世の中のポップスの源のようですね。
  (小林)
  ところが(女性)さんね、これはあれです。
  リンゴ・スターのやつもカバーバージョンで、元はプラターズ(The Platters)という黒人のコーラスグループの持ち歌なんです。
  作曲は、プラターズを所有していたという言い方がいいと思うんですけど、マネージャー兼プロデューサー兼アレンジャー、彼が書いた曲なんですよ。元々は。
  それは白人でしたね。
  というわけで、それではその女性バージョン。
  おそらくオンリーユーっていうのは、いろんな人がカバーしてるので、ブレンダリー(Brenda Lee)という…。
  この人はですねえ、1950年代から60年代にかけて、やっぱりすごく活躍した人なんですよ。
  ライブで僕は見たことありますけど、背のちっちゃい人でねえ。
  だけど声がすごくて「ミス・ダイナマイト」、そんなニックネームを持っていた人です。
  ブレンダリーというシンガーが歌っているオンリーユー。
  
  〜 Brenda Lee / Only You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dKEnUI-ui54
  〜 The Police / Every Breath You Take(見つめていたい)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OMOGaugKpzs

  (小林)
  いや今日は、ディープパープルがかかるし、ブレンダ・リーがかかるし、すごいですよお。
  ほんと、音楽のカクテルみたいだw。 

  (茨城県常陸大宮市/男性)40代。
  私がビートルズに出会ったのは、中学2年の時。当時の英語の先生が、授業の初めにラジカセで曲を流し、全員で歌った記憶があります。

  
曲はレットイットビー。そんな、当時生徒会長の浅川が亡くなったのは、つい先日。43年という太く短い人生を送りました。
  突然だったのでいまだに信じられません。この場をお借りして、浅川のご冥福をお祈りいたします。(小林)つい最近ですね、親友の方が亡くなったのは。
  一学期はビートルズ、二学期はカーペンターズ、三学期はポリスでした。そこでリクエストなんです・・・。
  (小林)
  ポリス/見つめていたい、ということで、あなたのリクエストにお応えしました。
□エンディング  
  (小林)きょうはいかがでしたでしょうか?。
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  メールは [email protected]
  今日は、ほんと見事に音のカクテルのような感じがいたしました。
  きっと、こういう回も楽しいです。
  どんなリクエストが来るのかな、楽しみにしています。
212ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/21(水) 21:57:05.42 ID:rkUL67HP0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年3月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 3月18日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  レィディ・マドンナ (Lady Madonna)という曲が発売になりました。Lady Madonna、これはもうこの番組でお馴染みですが。
  (1964年)2月にI Want To Hold Your Handで全米を制覇しましたね。ビートルズは、いきなり1位になっちゃいましたね。
  で、正式なシングルレコードの中で、初めて1位になれなかった曲なんですね、これ。
  ねえ、みんな1位になったかというと、こういう素晴らしい曲が1位になれなかった。
  これはLady Madonnaっていうのは曲調がね、ピアノの左手のオクターブ奏法が、これはポールの演奏ですけど、
  アメリカのブルースの演奏方で、特にポピュラーになったファッツ・ドミノ(Fats Domino)って言う人の影響だと言われていましたけども。
  実はジョージ・マーチンがプロデュースした、トランペッターでバンドマスターのハンフリー・リトルトン(Humphrey Lyttelton)のBad Penny Bluesを参考にしたっていうことですが。
  まあ、トラディショナルジャズをお手本にしたということで、ホーンセクション入りで、かなり派手で元気いっぱいの仕上がりになっているわけですが。
  Lady Madonnaの途中のコーラスなんですが、ジョンとジョージが「ポテトチップスをほお張りながら」歌ってる。
  なぜそんなことをやったか、というと、ふざけた感じにしたかったんじゃないか、と言われていますが。
  今日はこれを改めて聴いてもらおうと思います。


  この曲が実はですね、1位になるのを阻止したのは、オーティス・レディング(Otis Redding)の・・・。
  若い方は知っていますかねえ、これ聴いて「ああ、聴いたことがあるなあ」っていう感じがすると思いますが。
  これは、リズムアンドブルースの世界で、オーティス・レディングというと日本で初めてソロのリズムアンドブルースのシンガーでね。
  日本で初めて「すっごいねこの人は」ということになったのは、このオーティスです。
  その前には、サム・クック(Sam Cooke)なんていう有名な人がいたんですが、
  実はこのドッグオブザベイ(The Dock Of The Bay)、これはビートルズのLady Madonnaの1位を阻んだんですけども。
  これはですね、オーティスの方から見るとですよ、彼が飛行機事故で亡くなった、ということもあって1位になったんですよ。
  「偉いシンガーが亡くなったよ」ってことで、ラジオ局はかけるわけですね。
  オーティス・レディングの「♪Sitting on the dock of the bay〜」っていうあの曲を。
  で、これが1位になったんですが。
  オーティス・レディングが飛行機事故で死ななかったら、あるいはこれはナンバーワンになれたかも、ということで。
  改めてね、じゃあLady Madonnaを聴いて頂きましょう。

  〜 The Beatles/ Lady Madonna
  ttp://www.youtube.com/watch?v=W0xk2vwcYi4  

  (小林)
  これはねえ、とてもいい曲ですよねえ。ポール・マッカートニーも全米ツアーのライブでCDになっていますけど。
  必ずこの Lady Madonnaは自分がピアノを弾いてやるという、自信作の一つでもあります。
  でも、オーティス・レディングが亡くなったために、ドッグオブザベイが大ヒットして1位になれなかった。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「1961年12月の1週目、ブライアンの店NEMS(North End Music Stores)でビートルズの四人とミーティングをすることになったんだ。
  本来ならば二階にあるブライアンのオフィスを会議の場所にすべきところを、ブライアンはあえて一階の物置の隣りの狭いスペースを使うことにした。
  これは家族経営の会社だったNEMSの内部で、まだ父親や兄弟にはビートルズに関するビジネスプランを知られたくない、というブライアンの心の中を現していたんだ。」
  この話の主は、アリステア・テイラー。
  彼はビートルズの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとして、後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もアリステアの貴重な証言からお送りしよう。


  「ピート・ベスト、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン は時間通りにやって来たね。
  しかし肝心のポール・マッカートニーがいない。
  約束の時間を30分過ぎたころ、ブライアンはかなりイライラした様子でジョージに言ったんだ。
  『ジョージ、済まないけど 店の外の公衆電話からポールの家に電話をかけてみてくれないだろうか。
  まさか、まだ家にいるってことはないだろうけど。家を出たかどうか、それだけ確かめて欲しいんだよ。』
  ジョージはすぐに外に出かけて、5分後にはNEMSに戻って来てこう報告した。
  『ポールはもうすぐ来ると思います。』
  ブライアンは今一つ納得いかない表情をしていたので、ジョージはさらに続けた。
  『すいません、エプスタインさん。実はポールはシャワーを浴びていたらしいんです。』
  ブライアンはこう反応した。
  『あきれたもんだ。君たちの将来につながる大事な話をしようとしているのに、遅刻するだなんて、考えられないなあ。』
  大切な日だっていうのに、その場所の空気はもう最悪だったんだ。」
  〜 The Beatles / I Want You (She's So Heavy) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=x4CzqrPZtXk
 
  〜 Zager and Evans / In The Year 2525
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yesyhQkYrQM&feature=related

 
  (小林)2曲流れました。
  1969年の代表的な、(1曲目)ビートルズは I Want You (She's So Heavy)。
  "She's So Heavy" って言うのを聞いてね、まあ「大デブの女〜」みたいなことを歌っているのかっていうと、そうじゃないんですよ。
  この頃はね Heavy っていうのはね、スラングで「イカシタ」みたいな、「ごきげんな」とかそういう意味があったんですよ。
  "She's So Heavy" って言うと、「彼女はイイね〜」っていう意味なんだよねw。

  (2曲目)で、ちょっと音が悪い感じですが、これはもう1969年ヒッピー文化花ざかりのころの大傑作です。
  宇宙に人間の注意が向いたような時代ですから、5000年代になると人間は手も足も衰えて、もう代わりを何かいろんな機械がやってくれる。
  6000年代になるとね、自分の子供なんて試験管の中から選べる、なんて、恐ろしい歌です。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「あきれたもんだ!。君たちの将来につながる大事な話をしようとしているのに、遅刻だなんて!
  一体どうなってるんだ!。ポール・マッカートニーという男は!。」
  この怒りの主の名は、ブライアン・エプスタイン。
  ビートルズをスカウトし、2年後には世界一のスーパーバンドにまで育て上げた伝説的なマネージャーである。
  そしてそのブライアンの右腕としてサポートし、さらにはこの数年後、ビートルズが設立した会社アップルの総支配人になった人物が、アリステア・テイラー。
  貴重なアリステアの証言から、さらに続けてみよう。

  「ビートルズとブライアンの約束の時間は確か10時だったと思うよ。ポールは余裕で11時過ぎに現れた、と記憶しているね。
  時間にきっちりしているブライアンにとって、これ以上イラつく事はなかったと思うんだけど。
  ポールの登場のしかた、これがまた愛嬌があってね。
  遅れて到着するなり、肩をすぼめて、
  『ああ、しまった。もう11時かぁ。エプスタインさん、遅くなってごめんなさぁい!。もう遅刻なんかしたりしませんから。堪忍して下さい。』
  って笑顔で言うんだよ。
  普通の人間だったら、神妙な顔をしてお詫びするところ、ポールは常に笑顔なんだ。
  この笑顔を見せられたら、だれだって遅刻したことなんて許してしまうよね。
  ポールは自分の笑顔が、最大で最強の武器であることを良く分かっていた。
  歌う時の表情だって同じだよ。
  どんなハードなロックンロールを歌っても、笑顔を欠かすことは無いよね。
  ライブツアーの時だけじゃないよ。レコーディングの時も。
  『さあ、もう一回、もう一回だけやってみようよ、みんな。僕らのプレイはどんどん良くなっているじゃないか!。
  もう一回やったら、絶対最高のものになる。みんな、がんばろうぜ!』
  そんな、プラス志向な性格に、メンバーだけじゃなく、エンジニア連中も巻き込まれた。
  とにかく人にやる気を出させる名人だったね。ポール・マッカートニーは。」
  〜 Paul McCartney / Uncle Albert-Admiral Halsey.
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZWoGCdXT07g

  〜 Donny Osmond / Go Away Little Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NQ6Urnr-fYc


  (小林)2曲かかりましたね。
  1971年のヒット曲。ポール・マッカートニーはとても底抜けに明るい人だった、っていう。だから、それが力を与えた。
  ポールの音楽も、ロックっていうところもあれば、いま聴いたみたいにUncle Albert-Admiral Halseyっていう
  これはポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニー、二人の名義なんですが、これは1971年に1位になります。
  音楽はロックっていうよりもあれだよね、昔からある伝統的なイギリスの大衆音楽を、ポールが料理して良い曲を作ったみたいに。
  ポールが生き生きしていますよね。

  で、その次がですね、ド二ー・オズモンド(Donny Osmond )、英語っぽく言うとダニー・アズモンドって言うんですけどw。
  ポールのいま聴いた曲を1位から引きずりおろしてDonny Osmond 、まだ12〜3歳の声ですよ。Go Away Little Girl。
  これはキャロル・キング(Carole King)と彼女のその当時の旦那さんが作った名曲なんですけども、これが1位になっちゃったっていう。
  これは、ついでの話しなんですけども、ダニー・オズモンドですとか、オズモンド兄弟はすっごい人気になって、ジャクソン5の人気が落っこっちゃうんですよ。
  で、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の人気が、負けるんですよ。
  このころからマイケル・ジャクソンの苦闘の歴史が始まると言ってもいいわけですけどね。
  ずーっと広いところを見ると、けっこう面白いよ。
  ポール・マッカートニー、ダニー・オズモンドと続きました。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「NEMSでの最初のビートルズとのミーティングから数週間、ブライアンはいろいろと根回しに忙しいみたいだったね。
  ただ、それらの作業は全て内密に、ほんとにブライアン一人で動いていたんだよ。」
  これは、1960年代ビートルズと寝食を共にし、メンバーの我がままを何でも聴いてあげた「何でも屋」=アリステア・テイラーが語った証言である。
  さらにアリステアは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人になる。
  彼の興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「僕は詳しい日付までは忘れている部分も多いけど、記録によると、ブライアンと僕がビートルズを見にキャバーンに出かけて行ったのが、1961年の11月9日。
  ここで初めてビートルズに遭遇したわけだ。
  そして実際にビートルズを事務所に呼んで、契約に関しての話しをしたのが、4週間後の12月3日の日曜日。
  この間、ブライアンはロンドンのレコード会社に電話をしまくったり、音楽出版社にコンタクトを取ったり、内密に動いていたみたいだったね。
  僕にも内緒でだよ。
  なんせ、ブライアンがレコード販売部門を任されていたNEMSという会社は、彼のお父さんや弟が経営陣にいる。
  つまり、家族経営の組織だったので、まだ海のものとも山のものともつかないロックンロールビジネスに手を出す、なんて言ったら、反対を受けるに決まっていたんだ。
  だからブライアンは全て秘密裏に動いて、ロンドン出張のたびにビートルズに関しての各方面とのミーティングをスケジュールに入れていたんだ。
  もちろん、NEMSとビートルズの契約はまだまだ結ばれていない。
  だけど、石橋を叩いて渡るタイプのブライアンは、いろいろな立証作業をした上で、ビートルズがビジネスになるかどうかを判断しようと考えていた。
  やはり、ビジネスマンとしては只者ではなかったね、ブライアン・エプスタインは。」
  〜 The Beatles / Tell Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pMPMTG5bkoQ

  〜 The Beatles / I'm Looking Through You(Anthology 2 )
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eedLQ006ciM

 
  (小林)これはビートルズの(2曲目)I'm Looking Through You。
  この曲はご存知だと思いますけど、これはラバーソウル(Rubber Soul)に入っている曲ですけども。
  これは没になったバージョン。
  「これはちょっと、バランス的にちょっとあれだなあ。どっち付かずだしなあ。」っていう。
  「ちょっとハードにしよう」ということにしたんじゃないか、と思いますが。
  その没バージョンてのは、アンソロジー2(Anthology 2 )に入ってます。

  そして(1曲目)その前は、"A Hard Day's Night" のアルバムに入っています、Tell Me Why。
□リクエスト
  (小林)メールはちなみに [email protected] です。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げておりますのでよろしく。
  
  デイビー・ジョーンズ(Davy Jones)がね、モンキーズ(The Monkees)っていうグループのデイビー・ジョーンズが亡くなった。
  66歳だっけかな。けっこうまだ若くて、心臓発作で亡くなったんですが、いろいろ来てるんで紹介していきます。
 
  (南足柄市/男性)
  中学生の初めごろビートルズに出会って、卒業のころにモンキーズを知りました。
  ビートルズのライバルみたいなイメージで彼らを聴き始めたんですが、いろいろ調べると・・・
  曲は用意されたものを歌って、演奏もほとんど出来ないなど、ビートルズとは実は中身がぜんぜん違う事が分かってきました。
  まあ、真実はどうであれ、モンキーズが魅力のあふれたグループであることは変わりありません。追悼の意味を込めて。
  (江東区/女性)
  テレビドラマを中学の時に見ていました。ああいうドタバタするのは今は無いけど、ネットとかで見られるらしいけど、残念です。
  (千葉市/男性)
  60年代後半に「アメリカ版ビートルズ」を目標に結成された四人のグループ=モンキーズでボーカルを務め。
  NBCテレビの番組「モンキーズ」に主演しました。  
  その時中学生だった私も、よくその番組を見ていました。彼を偲んで。
  (小林)ということで、リクエスト頂いております。
  まあ、ビートルズのファンはみんな知っていると思いますが、
  ビートルズが64年にアメリカに上陸すると、ビートルズばっかりじゃなくて 例えばローリング・ストーンズだとか、デイブ・クラークファイブだとか、リバプールの連中がワンサ押し寄せて。
  アメリカのチャート・・・アメリカ人は面白くないわけですよ。
  特に流行歌を作ってるアメリカのレコード会社とか楽器屋さんとか、面白くないから、
  もうビートルズに対抗してこっちも作れっていうことで、オーディションで作ったわけですが。
  モンキーズが出たころは もうビートルズはモンキーズみたいなアイドル路線じゃなかったんですよね。
  違う方に行っていて、だからそのビートルズのおこぼれを頂だいするような感じで出てくるわけですが。
  彼らの、やっぱりオーディションで選ばれてますからねえ、実力でモンキーズ独特のファン層を作って行くわけですが。
  さあそれでは、モンキーズの代表的な曲をリクエストに答えて、2曲続けます!。
  
  〜 The Monkees / Valleri(すてきなバレリ)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QWTa9CE51sA

  〜 The Monkees / I Wanna Be Free
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0Z3rEmCg1Aw&feature=fvst
  (小林)いかがですか?モンキーズの… デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer )はかからなかったねw。
  モンキーズは、さっきも言いましたが、ビートルズに荒らされて、もうほんとに面白くないっていうことで、動機はちょっとね、
  普通の「友達同士で音楽やろうよ」っていう動機じゃなかったわけですねえ。大人たちの動機だった、わけですけども。
  なにしろ、もうほんとに総力を挙げて、イギリスにぶつかれっていうことで、
  当時ロサンゼルスの売れっ子のミュージシャン、後になって有名になったりするレオン・ラッセルとか、例えばグレーン・キャンベルとか
  そういった人たちが、バックのミュージシャンとして採用された。
  音楽の方も ほんとにあれですよ、「イイ曲作ってくれ!」ってことで命令がかかって。
  だから、結果としてはモンキーズという大きな華が咲いた。その、リードボーカルだった人が亡くなった。
  デイビー・ジョーンズ、皮肉なことにw デイビー・ジョーンズはイギリス人です。
  だからアメリカ人が「モンキーズ!アメリカのグループ!」って言っても、イギリス訛りの、
  まあこの頃は、イギリス声がナウかったw 時代だよね。
  デイビー・ジョーンズ。亡くなったという事で、リクエストありがとうございました。
  (川崎市/男性)
  高校生男子です。周りの友達でビートルズを聴いている人はほとんどいません。
  僕はサッカーのリバプールFCが好きで、中学2年のころリバプールについて調べていた時、初めてビートルズがリバプール出身だと言う事を知りました。
  それからビートルズの曲を聴くようになり、メンバーについても調べるようになりました。
  そこで1962年から66年、67年から70年、俗に言うビートルズの赤盤青盤の由来がリバプールにある二つのサッカーチームのカラーから来ているという話しを知り
  ジョンとジョージがリバプールFCが好きだったらしい、という話しも知りました。
  リクエストは、そのリバプールFCの有名な応援歌で、同じ時代に活躍した、ジェリー・アンド・ペイスメーカーズ(Gerry & The Pacemakers)のYou'll Never Walk Aloneをお願いします。
  (小林)これは、コマーシャルに使われてお馴染みだと思います。

  〜 Gerry & The Pacemakers / You'll Never Walk Alone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8smO4VS9134

  〜 Buck Owens and Ringo Starr / Act Naturally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zHeRq6DdxHE

  (千葉県白石市/女性)
  自分は中学で演劇部に所属しているのですが。
  最近キャストになったばかりなので、駄目だしの時に演出の先輩同輩に「役になりきれていない!」と言われてばかりです。
  そんな大根役者の私にw、私の大好きなリンゴ・スターの…w
  (小林)これはね、「おれは自然に演技するだけだ」っていう Act Naturally。
  もともとこれは、アメリカのカントリーのバック・オーエンス(Buck Owens)ていう人が大ヒットさせた歌ですが。
  それをバック・オーエンスとリンゴ・スターがやってる、特別バージョンで聴いて頂きました。
□エンディング  
  (小林)きょうはいかがでしたでしょうか?
  お話しはあれですね、ビートルズが売れる頃っていうのが、一番面白いよね。
  それから、リクエスト、多彩で、中学生から、もう50代?まででしたね。
  リウエスト採用の方には(略)
  メールは[email protected]
  こちらで、待っております。


  
  THE BEATLES / SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND
  ttp://www.youtube.com/watch?v=I6Rea0DzCPc
225ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/03/27(火) 23:53:59.71 ID:A6v9l6RF0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年3月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 3月25日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョンとヨーコがアムステルダム・ヒルトン(ホテル)にチェックインして…、オランダのアムステルダムですね。
  で、4日間に渡る“ベッドイン”をくり広げた、っていう。  
  まずその何ですかねえ、若い方にとって“ベッドイン”とは何かっていうw。
  ベッドインって普通ほら、「二人ができちゃった」みたいなw ことで使われたりするようになっていますけど。
  ほら、例えば平和を抗議したりとか、戦争反対だとか、原子力エネルギーどうのこうのとか、いろいろ
  例えばデモしたりするじゃないですか、デモ行進だとか、あるいは座り込んだり、
  座り込んで食べるのを拒否して、そこでハンガーストライキみたいなことをやったりするのがありますけど。
  ジョンとヨーコはベッドに入ってずーっと訴えかけた。
  それを新聞記者とかカメラマンたちが放送する、と、ずーっと放送とか報道してですね。
  「長きにわたる記者会見」みたいなものをやるわけですよね。それをやったわけです。
  でも、二人は実は“不倫”という事で騒がれるんですよ。まずイギリスで。
  まあそれを、離婚問題をかたずけて、そしてハネムーンに行くんです。
  だけど最初はですね…、この歌の中にぜんぶ歌われてるんです。
  最初は船に乗ってサザンプトンから行くんだけど、「お前、帰れ!」って言われるんですよね。
  それで、仕方なしにパリへ飛んで。
  そして、スペイン領のジブラルタル、ジブラルタル海峡っていうのがありますけど、
  あそこにある街に行って、そこで簡単に結婚できるっていうことで、そこで結婚式を21日に挙げて。
  で、25日にはオランダのアムステルダムヒルトンに行ってベッドインを開始したと。
226ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2012/03/27(火) 23:56:05.76 ID:???0
  この模様はジョン・レノンが日記みたいに歌詞に書いて、これをぜひともレコーディングしたいということで。
  ただ、ジョージとリンゴはイギリスにいなかった、ために。
  険悪な雰囲気になっていたポール・マッカートニーが来てですね、ポールがドラムス、ベース、ピアノ、ポールがやってくれるんですよね。
  だから二人だけでスタジオで作業したという。
  この時の模様は、きっと面白いと思うんですけどもねえ。
  いろんなわだかまりを胸に持ちながら、レコーディングしたわけですよねえ。
  だけど、このレコーディングは“勢い”があるんです。
  これはイギリスでナンバーワンになってます。
  アメリカではね「俺をクリスティファイ、十字架に張り付けろ!」みたいな歌詞があって、
  これは問題だってことで放送されなかったために、アメリカでは1位になれませんでした。
  じゃあその、勢いがあるという「ジョンとヨーコの物語」…

  〜 The Beatles / The Ballad of John and Yoko 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nVmCbwlRo2Y&feature=fvwrel

  (小林)これがイギリス1位になった。
  ポール・マッカートニーとは仲がとても悪くなっていたんだけども、ポールはコーラスまでちゃんと入れてるじゃないですかw。
  この中にみんな自分の不満を、「こんな調子じゃ俺ははり付けになるぞ!」っていうことで、アメリカではダメだった。
  結婚したのは…、パスポートに問題があってパリに行けなくて引き返すわけですよね。船で乗ったのに。
  で、パリ経由で行ったのかな。ジブラルタルはスペインに近いイギリス(領)の町っていうことですね。
  ちょと間違えておりましたね。
  まあ、「とんでもないことに遭ったんだぁ」っていうので、これは受けたわけですねイギリスで。
  「おお、ジョンはああやって結婚したんだ」っていうことでね。
  だから1位になりました。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「石橋を叩いて渡るタイプのブライアンは、いろいろな実証作業をした上で、ビートルズがビジネスになるかどうかを判断しようと考えていたんだね。
  やはりビジネスマンとしては極めて優秀だった、うちのボスは。」
  こう語るのは、ブライアンの右腕にして心を許せる友人、そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人になる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重な証言からお送りしよう。


  「1961年12月3日、日曜日、場所はブライアンが経営するリバプールのレコードショップNEMSの小さな物置兼会議室。
  僕の記憶だと朝の10時なんだけど、他のみんなは“夕方だった”って言うんだよ。
  まあ、ミーティングが午前中だったか夕方だったか、なんて大した問題じゃない。
  それより問題だったのは、ポールがシャワーを浴びていたせいで一時間以上遅刻して現れたこと。
  ブライアンはかなりピリピリしていた、と記憶してるね。
  珍しいことに、ブライアンは額に玉の汗をかいていた。
  もちろんビートルズの四人もすごく緊張しているように見えたよ。
  すると、ブライアンが切り出した。
  『僕は君たちの演奏を見て、マネージャーになりたいと思ったんだ。
  僕の意見に従ってくれれば、君たちは絶対に成功する。有名になる。
  君たちには成功するために必要な才能があるんだから。それは自然なことなんだ。
  もちろん僕は、バンドのマネジメントは初めてだから、学ぶべきこともたくさんある。
  でも、君たちにまず最初にしてもらいたいのは、衣装やステージ上のマナーを根本的に変えること。
  僕にすべてを任せてさえくれれば、君たちに出来ないことは何もない。
  さあ、どうだろう、僕をマネージャーにしてもらえるかな?』」
  〜 The Beatles / Leave My Kitten Alone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=H1WytU0yZwI
 
  〜 The Rolling Stones / Time Is on My Side
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XzcWwmwChVE
 
  (小林)2曲続きました。ライバル同士ですねえ。
  ビートルズフォーセール(Beatles For Sale)の、64年ですね、中に入ってます。Leave My Kitten Alone 。
  彼女のことを子猫に例えて「手を出すんじゃねえよ!」って歌です。
  
  その次がストーンズの64年、これはアーマ・トーマス(Irma Thomas)ていうリズム&ブルースシンガーの曲で知られる、のカバーです。
  Time Is on My Side ローリング・ストーンズ、同じ年のライバル同士のサウンド。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「君たちにまず最初にしてもらいたいのは、衣装やステージ上のマナーを根本的に変えること。
  僕に全てを任せてさえくれれば、君たちにできないことは何もない。
  さあ、どうだろう、僕をマネージャーにしてもらえるかな?」
  これは1961年12月上旬、初めてビートルズとミーティングをした際にブライアン・エプスタインが発言した内容である。
  この歴史的な事実を証言してくれたのが、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「この最初のミーティングの時のビートルズの四人は、実に素直だったね。
  みんな夢中でブライアンの話しに耳を傾けていた。ふざけることもなく、バカにしたような素振りも見せなかった。
  自分たちが今、重大な決断を迫られていることを分かっていたんだと思うね。
  四人はすでに様々な失敗を味わっていたし、次から次へと若いバンドが登場して来る状況も分かっていたし、
  自分たちの才能に自信があっても、夢をかなえられる人間は一握りだってことも承知していた。
  やたらに調子いい事ばかり並べ立てる人間は大勢いたけど、ブライアンはそこそこの年齢だし資金力もあったから、話しの内容に信憑性があった。
  しかも、彼らとはそれほど世代も違わないし、身に付けているものもセンスも悪くない。
  ジョンはあとでこう言っていたよ。
  『俺は最初に話しを聞いた時から、ずっとブライアンを信じてきたんだ。』ってね。
  ブライアンはひと通りの話しを終えると、最後にこう言ったんだ。
  『さて、どうだろう。君たちの未来を僕に委ねるつもりは、あるんだろうか?』
  このセリフの次に訪れたのは、長い沈黙・・・。 あれは、何分ぐらい続いたんだろうか。」
  〜 The Beatles / Here comes the sun-The inner light [Transition
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DKNFQhFZgYs

  〜 The Beatles / Baby's in Black
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rVYuGVdGhhE


  (小林)2曲続きました。Here comes the sun-The inner light 。
  これは、プロデューサー=ジョージ・マーチン親子が、やったという、あの傑作アルバム。
  2000年代に出してねえ、彼らの解釈を加えたっていうことで、これは高く評価されているんですが。
  面白いですよね、あのバージョンは、何回聴いても。

  そして、1964年のビートルズ・フォーセールに入っている Baby's in Black。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「さて、どうだろう。君たちの未来を僕に委ねてくれるかな?」
  こう発言したのは、ビートルズのマネージャーとしてロックの世界に君臨した人物=ブライアン・エプスタイン。
  そして、こうした伝説的な史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近にして、またの名を「何でも屋」アリステア・テイラー。
  アリステアはこの数年後に、ビートルズの会社アップルの総支配人となる男であるが。
  彼の興味深い証言から、さらに続けてみよう。
  
  「ブライアンの、この啖呵(タンカ)を切ったような発言のあと、訪れたのは長い沈黙だった。
  四人とも、タバコか万引きで捕まって校長室に呼ばれた高校生みたいだったよ。
  もちろん、お互いにチラリチラリと顔色をうかがっているんだ。
  やがて、ジョンが決心したように口を切った。
  『エプスタインさん、あなたに未来を預けます。』
  さらにジョンは、大きく深呼吸してから続けた。
  『エプスタインさん、僕らのマネージャーになってください。』
  他の三人も、口を揃えたように同じことばをくり返した。
  『お願いします。マネージャーになってください。エプスタインさん。』
  『僕らのマネージャーになってください。お願いします。』
  そして、その日を境にブライアンと僕はメチャメチャ忙しくなったんだ。
  ビートルズが初めて契約書にサインしたのは、彼らが事務所代わりに使っている、ピート・ベストの母親モナが経営するカスバクラブだった、と言う連中がいるけど、
   それは間違ってるね。
  ブライアンはホワイトチャペルのNEMSの店で、契約書を作って、四人ともそこですぐにサインしたんだ。
  そして、ブライアンに言われるがままに、僕も立会人、証人としてサインをした。
  そして、なぜか、ブライアンが書き加えるべきスペースだけ、ずっとサインはされないままだったんだよ。」
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=UDD8JwD-Ct8
 
  (小林)これはラリー・ウイリアムス(Larry Williams)のヒットですけども、(アルバム)HELPには入らなかったっていう。
  他のラリー・ウイリアムスの曲が入っちゃったっていう。これは、ベストアルバムに入っているバージョンですね。
□リクエスト
  (小林)
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいております。
  住所だとか電話番号は、ちゃんとプライバシーはお守りしますので書いて頂きたいと思います。
  メールのアドレスは [email protected]

  (千葉市若葉区/女性)
  ブルースブラザース(The Blues Brothers)・・・ (小林)珍しいですね。
  Everybody Needs Somebody To Love,そろそろ30年目になる、名優ジョン・ベルーシ(John Belushi)の命日が近くなりました。
  ブルースブラザースは演奏は一流だけど歌はちょっと、と言われていますが、私には味のある歌に聴こえます。
  いつもなら、ブルースブラザースと言えばソウルマン(Soul Man)になるんでしょうが、
  私にはこちらの方が楽しくて良いです。
  (小林)楽しさで言うとねえ、表現者ですから…。
  歌手が歌ってるやつが楽しいとは限りません。
  で、ベールーシはやっぱりパワーがあるから、ぜんぜん負けてないっていうことですよね。
  だから、これは歌手が歌った方が良いのか、ジョン・ベルーシがいいのか。
  ジョン・ベルーシってのは、大変な表現者ですから。
  さあ、あなたのリクエスト・・・。

  〜 The Blues Brothers / Everybody Needs Somebody To Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HCTJeT2i9QU
  〜 The Beatles / Revolution
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AmNDM1keW6c

  (小林)レボリューションが久しぶりにかかりました。
  (中野区/男性)24歳。
  この前、克也さんがナレーションやってるテレビ番組でやっていた、「日本人が好きな海外ミュージシャン・ベスト20」で
  ビートルズがマイケルやレディ・ガガを抑えて1位だったことは、すごく嬉しかったです。
  だれかに怒られそうですが「、ビートルズが1位になるのは当たり前だ!」ていう風にも少し思いました。
  ただ不思議に思ったのは、いつもビートルズが紹介される時、決まってハードデイズ&ナイトとビートルズが来日した時の映像が使われると言う事です。
  あの最初の「ジャーン」で紹介されるのが定番になっていることに、最近違和感があります。
  もっとインパクトのあるレボルーションのオープニングのギターの方が、ビートルズに合っていてカッコいい気がするんですが、どうでしょうか? 
  (小林)あれですね、やっぱり(あなた)の言うことはすごくわかりますが。
  ビートルズの場合はですね、使える映像と使っちゃいけない映像っていうのがあって。
  使えるやつは限られているんですよ。
  だから、ビートルズが来日っていうと、もうこれは分かっているんだけども、同じ映像が使われる、ということになっちゃうんですよね。
  だから、また、あの番組は音楽番組じゃないんで、どちらかと言うと報道番組に近いんで、そういうようなのをやったんだと思います。
  音楽番組だとね(あなた)の言われるように、同じ映像を、おそらく僕なんかがやったとしたら使わせないと思いますw。
  だから、これは、しょうがないんですよw。ね。  
  (埼玉県/男性)18歳。
  (小林)名前とか書いてないなあ。住所なんかも書いてないですね。
  1980年代にオーストラリアで、サーファーたちが中心になってシドニーを盛り上げたんですが。
  シドニーのクラブで出ているアーティストたちがすっごい人気になって、オーストラリアブームが始まるんですが。
  同じシドニーのグループなのに、サーファーたちが好きな音楽とか、ちょっと離れてたんですけども。
  彼らもオーストラリアのブームに乗って、アメリカでエライ受けるわけですね。
  エア・サプライ(Air Supply)、彼らの名曲。これはアメリカや世界中で売れた曲です。Lost in Love。
  
  〜 Air Supply / Lost in Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pWhfWHlLxbI&feature=related
  〜 Jhon Lennon / Woman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=f-x1FsvOAz4&feature=related

  (小林)エア・サプライに続いてジョン・レノンの「ウーマン(Woman)」がかかりました。
  (市原市/男性)32歳
  10年前に大恋愛に破れた時に親友がかけてくれたジョン・レノンのアルバム、その中から失恋した時にかけた思い出のウーマンをお願いします。
  長いこと連絡も取れていなかった彼女と連絡が取れて、結婚してお子さんも生まれたと聞きました。
  (小林)これはあれですね、ジョン・レノンのウーマンていうのは、前にもこの番組でも何回か言ったと思いますけど、
  「もう女には頭が上がんない。ほんとに女性のおかげで。」っていう。ウーマン。女性というよりも女っていう感じですよね。
  ご存知の通り、男女の格差っていうのは、日本なんか特に男優位の社会なんて言われてますけども。
  アメリカなんかでも、いろいろ騒がれている国でも、レコード業界なんかは“男の世界”なんですよね。
  たまたま今では、女性シンガーがいっぱいおりますけど。
  それから、女性が「男なんか」っていう、男とタメの歌ってのはなかなか無かったんですよ、ラブソングにも。
  それが80年代ぐらいから、ウーマンリブとかいろいろな運動もあったのかもわかりませんけども。
  女性が強い歌っていっぱいあるんですよね。
  ところが、男が女性の側に立って「どうも、ほんとにありがとう、あなたの恩は忘れません。」みたいな歌は無くてw。
  そういう意味ではジョン・レノンのこのウーマンてのは、ちょっと革命なんですよね。小さな。
□エンディング  
  (小林)きょうは いかがでしたでしょうか?。
  ブライアン・エプスタインが、あの名マネージャーが、ビートルズと契約するくだりっていうのは、とても面白い所ですが。
  このあと、四人とスタッフの間のやり取りっていうのは、いろんな本に書かれたり雑誌に書かれたりして、解釈がいろいろあるんですけど。
  それを、ね、ちょっと真ん中の方に寄せて、これが事実だろうな、と思わせるようなことがたくさんあります。
  来週をお楽しみに。
  リクエストのコーナーもよろしく。
  名前とか電話番号なんかあると良いんですよ…(略)
238ホワイトアルバムさん:2012/03/31(土) 10:22:43.49 ID:???0
>>227
この翌日には >>43 でドイツのグラマフォンの人を呼ぶんだな。
さすがブライアン、素早い動きだw
239ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/02(月) 22:35:10.36 ID:Saer89c20
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年4月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 4月1日)
 ・1970年(今から42年前の今日)
  ビートルズファンはもう70年は、ビートルズはグループとしてやる気が無くなった年だ、解散の年だ、ご存知だと思いますが。
  そうなんです。
  42年前の今日はですね、ビートルズとして最後の録音、まあ、どの日が最後の録音かというのは、判断がいろいろあると思いますが。
  この日はですね、リンゴ・スターがスタジオにやって来て、オーバーダブっていうのをいろいろやっています。
  そして、この日はプロデューサーがフィル・スペクター(Phil Spector)です。
  ジョンもポールも一緒にやる気が無くなっていて、そして、フィル・スペクターがあと始末みたいな感じでやるわけですよね。
  これは、「あと始末」と言うと言葉が悪いですけど、みんなねえ、ビートルズを主役に考えるとフィル・スペクターが悪役のような感じになるんですよ。
  ところが、ビートルズもいろいろ成長していますが、フィル・スペクターも実はいろいろ成長しています。
  それはですね、今年の夏(結成)50年で再結成してやって来るビーチボーイズ(The Beach Boys) のブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)が、そんなことをほのめかしているんだけど。
  自分は遠隔でね、ビートルズはこうやっていた、フィル・スペクターがこうやっていた、だから自分はロサンゼルスで競争していた。
  ていうような事を、語っています。
  だから、ビートルズの最後にフィル・スペクターというプロデューサーが登場してやったっていうことはですね、ビートルズの助っ人として来たっていうふうに考える方がいいよね。
  70年代は、それが証拠に、ジョンだとかジョージ・ハリスンのソロは相当フィル・スペクターが助けています。
  だけど、フィル・スペクターはこの日、コーラスだとかオーケストラを録るんだけど、「もっともっと!、でっかい音で録れよ!でっかい音で録れよ!」
  だけど保守的なEMIスタジオのミキサーたちは 「ええっ!そんなことは…」って言う。
  そうすると、フィル・スペクターは懐(ふところ)からピストルをチラつかせて、「言うこと聞けよ…」脅した、というふうな伝説も伝わっていますw。
  これが、ポールが嫌いだったわけですね。フィル・スペクターの仕事がね。
  だから特に「ロングアンドワインディングロード(The long and winding road)」は
  フィル・スペクターの大きな編成のオーケストラだとかコーラスを加えたやり方、ポールは嫌悪したわけですが。
  ヒット曲は、恐ろしいですね。
  今、ポールがライブでやるのは、そのポールがけなしたフィル・スペクターのスタイルに近いということであります。
  それじゃ、改めてそのビートルズのロングアンドワインディングロード。
  ポールが嫌った、しかしフィル・スペクターの仕事であった。
  みんな結果としては「これはすごい曲だ!」というふうに、僕らビートルズファンの中には収まっている曲。
  改めてお送りします。
  
  〜 The Beatles / The long and winding road 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jt-YSHAr7c0 
  (小林)ビートルズのThe long and winding road、これはポールが嫌いだった。
  というわけで、この番組長くやってますから、もちろんポールがソロでサックスなんかを入れたロングアンドワインディングロードも、この番組で流したことがあったわけですが
  ただその違いはですね、ロングアンドワインディングロードがポールのアレンジで聴くと、だいたい“50畳ぐらいのホールでの演奏”に聴こえるんですが。
  このフィル・スペクターのオーケストラや最後にコーラスが盛り上がるバージョンというのはですね “広大な景色の中で”いかにも「ビートルズがこれで終わったんだ」ていう、
  終わりのころの作品にふさわしい広がり、ね。
  それから、何かこみ上げて来るものがあるわけですよw。
  「ああ、ビートルズが終わったんだぁ…」っていう。
  そういう風なことを考えると、フィル・スペクターがもう大成功していると考えてあげた方が良いみたいですね。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアンはホワイトチャペルのNEMSで契約書を作って、四人ともすぐそこでサインしたんだ。
  そして言われるがままに、僕も立会人、証人としてサインした。
  そして、なぜかブライアンは書き加えるべきスペースだけ、ずっと自分のサインをしないままだったんだ。」
  こう語るのはブライアンの右腕にして、心を許せる友人、そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重な証言から、お送りしよう。


  「1961年12月3日、日曜日、場所はブライアンが経営するリバプールのレコードショップNEMSの小さな物置き兼会議室。
  実は、もっと広い会議室だって用意出来たんだけど、ブライアンは親や兄弟にも内緒にしたかったんだ。
  ポールが自宅でのん気にシャワーを浴びていたせいで一時間近くも遅れた、以外は何の問題もなく、契約交渉は進んだ。
  ブライアンの提案で、僕アリステア・テイラーも立会人というか証人としてサインをしたよ。
  これでビートルズの歴史上最初の契約書には、ジョン・ウィンストン・レノン、ジェームス・ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ピーター・ランドルフ・ベスト、
  の四人のほか、僕の戸籍上の名前ジェームス・アリステア・テイラーのサインもされた。
  収入印紙の上にサインをするなんて、何かものすごく責任がある仕事をした気分だったね。
  ところが、その契約書には肝心のマネージャー=ブライアン・エプスタインのサインだけは、されていなかったんだ。
  これにはいろいろと理由があった。
  ブライアンらしいと言えばらしい話しなんだけど、今では謎に包まれているんだ。」
  〜 The Marvelettes / Please Mr. Postman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=425GpjTSlS4&feature=related

  〜 The Beatles / Love me do(Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=i1mgIZrlLSE
 
  (小林)初期の作品が2曲続きました。
  ビートルズのLove me do。これはリンゴ・スターがドラムスをたたいていません。
  それ判った方は合格!。
  ていうか、これはアンソロジー(Anthology)が 90年代になってアンソロジーアルバムが出るわけですが、その中の貴重音源として入ってる曲です。
  ピート・ベストのドラムスは、リンゴ・スターのドラムスのように、歌ったりスイングするドラムじゃないと言われてます。
  だけど、そのころから強力なリズムで引っぱってたっていうふうなことは、まあ皆言ってますが。
  そう音で出てるよね。だから、今はそういうふうなドラムっていうのが主流じゃないですか。メタルなんかの。
  だから、そういう意味では、ちょっとリンゴとも相当違ったドラマーということですよね。

  その前は「プリーズミスターポストマン(Please Mr. Postman)」
  じつは今日は契約の話しをしていますが、
  ビートルズがマネージャーと契約をした頃、ナンバーワンだった、マーヴェレッツ(The Marvelettes)のプリーズミスターポストマン。
  これは2年後、ビートルズが自からカバーするヒット曲の一つであります。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「その契約書には肝心のマネージャー=ブライアン・エプスタインのサインだけされてなかった。
  これには、いろいろと理由があってね。ブライアンらしいと言えばらしい話しなんだけど、今では謎に包まれているんだ。」
  この歴史的な事実を証言してくれたのは、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続いた。
  
  「この、ロックの世界で歴史的な契約書に、なぜブライアンはサインをしなかったのか?。
  正直、僕にもその真相は分かっていないんだ。
  でも、ブライアンの性格やビジネスマンとしての手腕から推測するに、それは、いくつかの推測が成り立つ。
  一つ目は、ビートルズに何か重大な事件があった場合、法律上ブライアン自身と彼の会社であるNEMSは責任を負わなくていいようにするため、という説。
  これは、ロックミュージシャンで有りがちないろんなトラブルを前もって予期して、できるだけ会社に損失を与えたくないという、経営者としての逃げ道と言えるかな。
  二つ目は、金銭的なトラブルから逃げられるようにした、という解釈。
  どうやらブライアンはビートルズに最初に遭遇してからの4週間、いろいろと彼らのことをリサーチしていたみたいなんだ。
  それによると、四人の中でもっともしっかりしているのが、まだ20歳のポール・マッカートニー。
  勤勉な働き者であると同時に、かなりの“倹約家”であるということだったね。
  たしかに、みんなでロンドンのパブで飲んでいても、ポールが自分からお酒をお代わりするところなんて見たことが無かった。
  外で飲むお酒なんて、あくまでつき合い上のもの、と思っていたんだね。割り切っていたんだね。
  そんな倹約家が、イギリスで有数のお金持ちになった、っていうのも、これはちょっと興味深い話しだろう。」
  〜 Paul McCartney / Coming Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ieEvOvdr2Fg

  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EB9tqgdCt5I

  (小林)2曲続きました。
  ポール・マッカートニーのカミングアップ(Coming Up)。
  これは1982年マッカートニーUのアルバムに入っていて、インストゥルメンタルは全部楽器はポールがやっています。
  当時そうとう勢いづいていたニューウェーブミュージックに影響を受けて、ポールがやっていますね。

  そしてビートルズ、四人にビリー・プレストン(Billy Preston)がキーボードで加わった、ドンレットミーダウン(Don't Let Me Down)。
  これはゲットバック(Get Back)の大ヒット曲のB面の曲でありました。
  だから、アメリカで35位、そんな記録が残っています。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「君たちのバンド、ザ・ビートルズの将来を僕に任せてくれないだろうか?。」
  こう発言したのは、ビートルズのマネージャーとしてロックの世界に君臨して人物=ブライアン・エプスタイン。
  そして、こうした伝説的な史実をきちんと証言してくれるのが、ブライアンの側近にしてまたの名を「何でも屋」アリステア・テイラー。
  アリステアは、この数年後にビートルズの会社アップルの総支配人となる男である。
  彼の興味深い証言から、さらに続けてみよう。

  「若くて生意気なビートルズとは言え、やはり生まれて初めてのマネージメント契約となると、そりゃあもう胸も張り裂けんばかりだったと思うよ。
  ブライアンの押しの一手に、かなりうろたえているみたいだった。
  なんせ、しばらくの間沈黙が続いたんだからね。まるで、校長室に呼び出された生徒みたいだったよ。
  最初に口を開いたのは、ジョン。
  『僕らのマネージャーになって下さい、エプスタインさん。』
  すると、すぐに他の三人も続いた。
  『お願いします、エプスタインさん。僕らのマネージャーになって下さい。』
  契約が成立すると、部屋中に大きな歓声が湧きあがった。
  みんなが興奮して互いに抱き合ったり背中を叩き合ったりして、拍手の嵐だった。
  お祝い騒ぎが少し収まった時、狭いオフィスの隅っこの方で誰かの声がした。
  一番奥にいたやつが演説を始めたんだ。
  『えーっと、僕たちはこれで正式にプロフェッショナルなバンドとして活動をしていくことになりました。
  このバンドが成功することを、僕は心から望んでいますが、皆さんに申し上げておきたいことがあります。
  もしバンドが成功しなくても、僕は絶対にスターになる。ということです。』
  この演説の主は、ジェームス・ポール・マッカートニー、だったね。」
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw
 
  (小林)これはビートルズ、リードボーカルはポール・マッカートニー。
  オリジナル風の、リトル・リチャード風のボーカル、やっぱりポールは器用です。で、けっこう力強いです。
  これはビートルズが長い間やっていた強力な得意のカバーの一つ。
  だから、録音もテイクワン一発録り。
  Long Tall Sally。
□リクエスト
  (小林)ハガキやファクスなんかでも受け付けています。メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  楽しいことを書くのも良いし、昔の思い出を書くのも良いし、コメントもみんな曲名もお任せいたします。

  (小林)
  この方はとてもスッキリしています。
  (柏市/女性)
  ビートルズのHelpをお願いします。
  (小林)
  さあ、このHelp の次には、この番組でかかったことの無いような曲にリクエストがあります。
  だから、それもかかると思います。ビックリするよォ〜w。
  では先ず、HELP!。
  
  〜 The Beatles / Help
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nK0MVn4gxJs

  〜 伊武雅刀 / 子供達を責めないで
  ttp://www.youtube.com/watch?v=RiGRbC4n6mc

  (小林)ちょっと昔のヒット曲なんで、年配の方っていうのかな、覚えていますかねえ。
  これは、すごいインパクトを与えましたね。
  (船橋市/男性)
  なんだか最近、世の中の子供たちへの優しさが希薄になっているように感じます。
  「ジュリア」とか「ヘイジュード」とか、ビートルズの愛情あふれる曲がありますが、ここはひとつ伊武雅刀の「子供達を責めないで」をお願いします。
  ほんとうに、子供たちへの愛を感じます。
  (小林)
  これはですね、若い方たちはビックリすると思いますが、作詞があの秋元康なんですよね。素晴らしいですよねw。
  伊武雅刀は、いま役者としてがんばっていますが、70年代は僕と「スネークマンショー」ていうのをやっていて。
  去年の今ごろはですね、「R60スネークマンショー」ていう映像を作って、これはいずれDVDなんかで出ると思いますけども。
  そんなことをやった、懐かしい感じがいたしましたね。
  (中野区/男性)
  我が家の屋根にあったFMアンテナがリフォームのために撤去されました。(VHF、FM、衛星兼用のアンテナ支柱)
  20年前に有線テレビが引かれてVHFアンテナが役目を終え、96年に衛星ラジオ放送用アンテナを父が付けたのですが。
  その直後、父が亡くなりました。小腸の癌でした。
  2006年ごろからこの番組などを聴くため、父が残したこのFMアンテナを利用しはじめました。
  そして今年2012年、大規模なリフォームのために3つのアンテナが付いた棒が取り外されました。
  大工さんによると、長年の雨風により根元は錆びてボロボロだったそうです。
  父の癌が見つかった後、思い出として父母と私と三人で行ったヨーロッパ旅行中、カセットテープで買った「アンソロジー1」に入っていた「フリーアズアバード」をお願いします。
  今はBayFMなどはラジコで聴いていますが、保存するために今だカセットテープを使っています。
  (小林)あなたのリクエストです。
  
  〜 The Beatles / Free as a Bird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZYfiRvL-zUU
  〜 Paul McCartney / It's Only a Paper Moon
  ttp://www.youtube.com/watch?v=O6FOMwCITfs

  (小林)いかがでしたか。ポール・マッカートニーが歌っていましたけど。
  It's Only a Paper Moonていう、その昔の、50年代だったかなあ、ナット・キン・コール(Nat King Cole)のバージョンとかね。
  といっても、若い人は知っていますかねえw。ジャズのスタンダードナンバーと言われるやつをポールがやっているわけです。
  (千葉市美浜区/男性)
  克也さん、ポールがまたまたやってくれました。ジャズのスタンダードアルバムを出してくれました。
  しかも、オリジナルもあるからすごいです。
  バックは、ジャズのそうそうたるメンバーの他にエリック・クラプトンやスティービー・ワンダーも参加しています。
  さすがポールです。とても素晴らしいアルバムになっていると思います。
  その中から、It's Only a Paper Moonをお願いします。
  この曲は皆様もご存知と思います、よろしく。
  (小林)まあご存知とw、若い方はご存知じゃ無いと思いますけどw。
  聴いたことがあるっていう…。それは、文化的な、実は財産なんですよね。
  それをポールが、またひも解いて見せてくれたわけですが。
  ポール・マッカートニーはカバー、人の歌をやるのは、まあビートルズはハンブルグなんかの修業時代は、いっぱいカバーをやって。
  ポールなんか甚だしい、ジョンが嫌いだったという、ラテンの、何だっけ?「ベッサメムーチョ」をカバーしてるぐらいですから。
  ポールは実は万能のカバーアーティスト。
  しかしポールは「今ごろカバーをやって、どう思われるんだろう?」相当心配していた。
  一方、カバーをやりたくてやりたくてしょうがなかったらしいんですが。
  プロデューサーのトミー・リピューマ(Tommy LiPuma)、それとポール・マッカートニーが組みました。
  トミー・リピューマはポールに
  「ポールだから出来るんだって。みんなカバーをやっているけども、あなたがやると、また違うオリジナル製が出るんだ。」って言う。
  そうとうおだててもらったというかw。「大丈夫なんだから!」って自信を与えてくれた。
  だからポールは出したっていうようなことを語っておりました。
□エンディング  
  (小林)というわけで「ビートルズから始まる」最終回。
  きょうはいかがでしたでしょうか?
  リクエストを募集しています。
  メールは [email protected]
  採用の方には(略)
  
  えっ? 最終回? あ、今日は4月1日だからw 一回やってみたかったんだぁw。
  じゃあね、また来週〜。


  (※放送日は2012年4月1日でした。) 
252ホワイトアルバムさん:2012/04/08(日) 20:33:56.32 ID:nG9CTijC0
【質問】
この番組の英語名、いつも小林克也さんが言ってますが、聴き取れません。
くぐりましたが、それでも出てきません。
ハッキリわかる人おしえてください。Load Started With Beatles?
253ホワイトアルバムさん:2012/04/08(日) 20:35:05.23 ID:???0
×くぐりましたが
○ぐぐりましたが
254ホワイトアルバムさん:2012/04/08(日) 20:48:49.15 ID:???0
It all started with the Beatles
255252:2012/04/08(日) 20:56:53.79 ID:???0
>>254
thanks 聴きなおしてLoad Started With The Beatlesかと思ったが甘かった。
256ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/09(月) 21:42:19.04 ID:CgDAudpU0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年4月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 4月8日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  まだアメリカで世界で大爆発してないビートルズ。でも、イギリスの国内では相当人気が出始めたビートルズ。
  49年前の今日、朝、ジョン・チャールス・ジュリアン・レノンが、お父さんと同じ病院で生まれます。
  リバプールのセフトンのジェネラルホスピタルです。
  お父さんになったジョンは電話をかけますが、忙しいからという事で約一週間以上会いに来ないんですよね。
  なにしろPlease Please Me がすっごいことになっているわけです、国内でね。
  だけど、名前があれだよ、“ジョン・レノン”ですからね。
  ジョン、ミドルネームが、チャールス・ジュリアン、ていうことで、ジュリアン・レノンと名乗るわけですね。
  このころ、ジョン・レノンの結婚ていうことは内緒にされていたんで、これも内緒ににするわけですよ。
  で、ジョン・レノンは初めて会いに行った時は、もうジョン・レノンはちょっと有名になっていたんで、病院がかなり騒いだらしいんですよね。
  赤ちゃんだけがいる所へ行って、ジョン・レノンが子供を抱いていたら、ガラス張りの所でもう女性たちの鈴なり、お母さんたちが鈴なりになっていた、ていう話しがあります。
  ジョン・レノンは抱きかかえて「お父さんみたいに、お前もロックシンガーになるのか?」とか言ったという風なことは、本にはいろいろ書かれたりしていますが。
  ちなみにですね、ジュリアン・レノンは、いまだにアーティストとして活躍していて、1984年にメジャーの会社からデビューして
  ヴァロッテ(Valotte)という曲がアメリカでは7位の大ヒットになります。
  これはまあ、どうして売れたかというと、改めて聴いて頂きたいと思うんですけど、1984年の全米7位の曲だよ。
  あのねえ、理由はちょっと申し訳ないんだけど、お父さんに声が似てるw、そういうことでラジオにガンガンかかるわけですよね。
  それで、売れちゃったんじゃないかと、思います。

  〜 Julian Lennon / Valotte
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7D7sPwJizUQ&feature=related 
  (小林)全米でのアメリカでのヒット曲です。Valotteという曲で。
  49年前の今日彼が生まれたということは、もう今日が誕生日で49歳ですよね。
  このValotteが出たのが21歳のころで、
  僕はちょうどロサンゼルスでね、彼に会ったらものすごく若くて、ほんとにジョン・レノンを思わせるようなハンサムな青年だったんだけど。
  90年代に、また違う事で日本へ来て、その時に会ったら、こんどはちょっとかなりオッサンになってましたね。
  でもね、この人はずっとイギリスのミュージシャンの稼ぎのベスト100に入っていて、ジョン・レノンからの遺産が行ってるということもあるんじゃないかと。
  ジュリアン・レノン、今も活躍しているはずです。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「僕らのマネージャーになって下さい!。エプスタインさん。」
  「お願いします、エプスタインさん。僕らのマネージャーになって下さい!。」
  これは1961年12月、ビートルズが初めてマネージメント契約を結ぼうとしているブライアン・エプスタインのレコードショップNEMSでの出来事。
  証言するのは、ブライアンの右腕にして心を許せる友人、そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューから、お送りしよう。


  「ビートルズとNEMSの最初の契約期間は1962年の2月1日から5年間。
  しかしこの契約はビートルズもブライアンも、3か月前までに通知すれば解約できることになっていた。
  そして、金銭的な事になると、ビートルズの各メンバーの年収が1500ポンド、今の価値に換算すると約1000万円に達するまではブライアンは収益の10%を受け取ることが出来、
  各メンバーの年収が1000万円を越えたら、ブライアンの報酬は15%になる、ということになっていたと記憶している。
  当時、ポップ音楽の業界でこれほど正当な契約を交わしていたのはビートルズだけだった、と思うね。
  それを証明する事実として、5年後の契約更新の際には、ブライアンの報酬は25%に上がっているんだ。
  とにかく、当時ブライアンにスカウトされたビートルズは間違いなくラッキーだった。
  なにせ、まったくもってい加減な連中の多かったロックの業界で、ブライアンは誰も実現できていない新しいスタイルのビジネスを始めたんだ。
  その一番のポイントは、金銭的な問題をクリアすること。
  とにかく、シャープでクールだったね。うちのボス、ブライアンの頭脳は。」
  〜 The Beatles / The Word 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ivyih9hdbn0
 
  〜 The Beatles / Mother Nature's Son
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u8TeAKWSTII

  (小林)2曲続きました。
  1965年のラバーソウル(Rubber Soul)のアルバムに入っているThe Word という。
  これはラブソングというよりも、ちょっと広い意味で新しいアプローチをした、Loveと言えば自由になれる、ていうような。
  もうメッセージですよね、りっぱな。

  そしてMother Nature's Son、ホワイトアルバム(The BEATLES)です。
  ご存知の通り、ホワイトアルバムの大半は、彼らがインドにいる時に書きました。
  これは、やっぱりポール・マッカートニーの、自分の曲だろうね。
  自分の事を、ひょっとしたらインドにいる自分、あるいは若い頃の自分を、歌った曲のように思われます。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「当時ブライアンにスカウトされたビートルズは、間違いなくラッキーだった。
  まったくもっていい加減な連中の多かったロックの業界で、ブライアンは誰も実現できていない新しいスタイルのビジネスを始めたんだ。
  その一番のポイントは、金銭的な問題をクリアすること。とにかく、シャープでクールだった。ブライアンは。」
  こう話してくれたのは、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人になる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「当時、若手バンドのマネージャーの仕事ぶりと言ったら、そりゃあもうお粗末だったね。
  『今夜はスウィンドン、明日はエジンバラ。ライブ会場は分かるかな?。絶対遅れないように。じゃあ、たのんだよ!』
  といった感じで、とにかくライブの場所と時間を伝えるだけ。
  メンバー達にガソリン代やホテル代の持ち合わせがあるか、なんて少しも考えていない。まったくお構い無しだ。酷いものだったよ。
  これに対し、ブライアンはメンバー達が支払った経費の領収証をオフィスに持って来れば、それを支払うというスタイルを取った。
  あるいは、生活費を前払いする、ということもしてあげたみたいだよ。
  これによって、ビートルズの使うお金は全てNEMSが把握し管理できている、というシンプルで安全なシステムが出来た。
  ブライアンはすでにビートルズをどうやって世界一にするか、というシナリオまで考えていた。
  彼らと最初に遭遇した瞬間から、自分が何を達成したいのか、全て明確に分かっていた。
  ただ、世界一なんてあまりにも壮大な目標だったもので、さすがにメンバーにはまだ伝えてはいなかったね。
  それでも、おそらくジョン・レノンだけは、そのブライアンのプランを薄々気付いていたと思うね。
  そういう男だよ、ジョン・レノンという人物は。」
  〜 The Beatles / Rock 'n' Roll Music
  ttp://www.youtube.com/watch?v=FPgSlv0cEoM

  〜 John Lennon / Slipping & Sliding
  ttp://www.youtube.com/watch?v=72D3dPnjtcI&feature=related

  (小林)カバーが2曲続きました。
  ロックンロールミュージック(Rock 'n' Roll Music)お馴染みです。
  これは1964年「ビートルズ・フォーセール(Beatles For Sale)」に入っています。
  チャック・ベリー(Chuck Berry)のカバー。

  そして(2曲目)Slipping & Sliding、これはリトル・リチャード(Little Richard)のヒット曲のジョン・レノンのカバー。
  これは1975年にジョン・レノンが出した「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」というアルバム。
  モノ(トーン)でネオンが光ってるとこでジョン・レノンが革ジャンで映っているやつです。
  これはカバーアルバムですけども、実は、有名なプロデューサーとやり始めたんですけども、この男は失踪しちゃって…。
  ジョン・レノンは自らこれを仕上げた、というエピソードがあります。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ブライアンはすでに、ビートルズをどうやって世界一にするかというシナリオまで考えていた。
  彼らと最初に遭遇した瞬間から、自分が何を達成したいのか、明確に分かっていたんだ。
  ただ、世界一なんてあまりに壮大な目標だったもんだから、さすがにメンバーにはまだ伝えてはいなかったね。」
  こうした伝説的な史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近で、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  アリステアはこの数年後、ビートルズの会社アップルの総支配人となる男であるが、彼の興味深いインタビューから、もう少し続けてみよう。

  「ブライアンは繊細で几帳面なところと、大胆な部分の、二面性を持っていたね。
  ビートルズをどんなふうに見せ、どんなふうに振舞わせるか、これに関しては特に綿密なアイデアとプランを練っていたと思う。
  それは、数週間前にキャバーンで見た彼らとは全く違うものだった。
  ブライアンは絶対にビートルズのレコーディング契約を取り付けてみせると宣言していたんだ。
  それはイコール、地元リバプールの人気バンドを卒業して、イギリス国内だけでなく世界中に知れ渡るスーパースターになることを意味していた。
  ブライアンは自分たちの目標を達成するために、ビートルズには容赦なく注文をつけたね。
  まるで、手に負えない不良高校生たちにやかましく説教する生活指導の先生みたいだった。
  ブライアンはいつもいつも口を酸っぱくして言っていた。
  『いいか?。もうその辺のアマチュアバンドみたいな言動は慎め。
  自分たちはプロフェッショナルなミュージシャンであり、エンターテイナーであることを頭に叩きこむんだ!。』
  こうしてビートルズは、日に日にプロらしくなっていったんだね。」
  〜 The Beatles / One After 909
  ttp://www.youtube.com/watch?v=tlCkQPFk-TQ&feature=related

  〜 The Beatles / Ticket to Ride
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VMxyK9azXR4


  (小林)ビートルズのTicket to Ride(2曲目)。
  これは1965年のイギリスアメリカでもナンバーワン、大ヒットでしたね。
 
  その前は(1曲目)One After 909。
  だいぶ前に書いた曲なのに1970年のLet It Beに入った曲。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (八千代市/女性)
  息子が中学1年の時から、毎週小林さんの番組だけは親子で欠かさず聴いています。
  父が亡くなった翌日も、息子と二人で聴いていました。
  息子のリクエストが採用されて流された時、今は亡き父は手を叩いて喜びました。
  その息子も、この春高校生になります。いろんなことがあってちょっと疲れました。
  容姿とか家庭環境にコンプレックスを持っていなさそうな綺麗な女性が歌っている歌、聴きたい気分です。
  スティービー・ニックス(Stevie Nicks)のドリームス(Dreams)
  彼女はコンプレックスは無いでしょう。
  だけど、どうなんでしょうねえ?、後半の映像はなぜか斜がかかった映像ばかりです。 

  〜 Stevie Nicks / Dreams
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dKANEy_-nM0

  〜 竹内まりや / マージービートで唄わせて
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DKxX3pNEgxw

  (小林)これは、竹内まりや で「マージービートで唄わせて」
 
  (習志野市/男性)
  毎週楽しみにしています。彼女の曲はどれもメロディが印象的で一度聴いただけで口ずさめるほどです。
  ビートルズの曲に通じるような気がします。
             (小林)どちらかというと、カーペンターズなんかに近い世界なのかな、どうなんだろう?。
  「マージービートで唄わせて」は歌詞にもあるとおり彼女の少女時代のビートルズへの思いが綴られています。
  (小林)
  そうですね。バックのコーラスも杉真理、伊藤銀次、村田和人といった、ビートルズ世代の人たちが、
  ちょっと竹内まりやよりも先輩の人たちが、コーラスで参加しています。
  (我孫子市/男性)
  昭和63年、世間はバブル景気時代だと言うのに自分は大学院に残っていて貧乏のどん底でした。
  そんな自分は、夕方スーパーでそろそろ食料品の値引きが始まるので出かけようとしたら、
  柴田恭平さん出演のテレビCMからポールのような声が聞こえてきました。
  「あれ?、この曲ビートルズじゃないよなあ?ウィングスでもないよなあ〜」
  テレビで画面を見たらギルバート・オサリバン(Gilbert O'Sullivan)、アローン・アゲイン・ナチュラリーという曲とわかりました。
  72年の大ヒット曲とは、当時知りませんでした。
  アローン・アゲインという曲名から、何か寂しい曲なんだろうなあ、と思っていました。当時の思い出の曲です。
  (小林)
  そうなんですよ。これは、お父さんもお母さんも亡くなって自分はひとりぼっち、ほんとに寂しい、どん底の歌なんですよね。
  
  〜 Gilbert O'Sullivan / Alone Again (Naturally)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8ELnhjGw4Zs&feature=related

  〜 The Monkees / I Wanna Be Free
  ttp://www.youtube.com/watch?v=wc8xgfYLFPg&feature=related

  (小林)最後はデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)、モンキーズ(The Monkees)ですね。
  (千葉県白井市/匿名)
  3月は別れの春なんでしょうか。
  小学生の時、人生初熱中したバンド、モンキーズのデイビーさんの訃報が・・・。
  60代でまだ現役でバリバリだったのに、と大変ショックであり寂しい限りです。
  モンキーズの曲「自由になりたい」。
  (小林)ということで、リクエストありがとうございました。
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」 いかがでしたか?  
  さっきデイビー・ジョーンズを聴いてて思ったんですが。
  ビートルズが出てきて「イギリス人声」っていうのが、もう世界中ですごくなるわけですよね。
  で、70年代もそうですよ、パンクだとかデビッド・ボウイ(David Bowie)だとか、Tレックス(T.Rex)だとか、
  80年代も、ほら、ニューロマンチ…デュラン・デュラン(Duran Duran)だとか、ボーイ・ジョージ(Boy George)だとか、あるじゃないですか。
  イギリスの声って、やっぱりビートルズが出てきたから、そんなになっちゃったのかな、と思いますね。
  
  リクエストの方もよろしくお願いしますね。
267ホワイトアルバムさん:2012/04/14(土) 01:32:15.16 ID:???0
http://www.youtube.com/watch?v=_ovAk5avdzE
誰の好きなバンドがゆるいビートルズなんだ?
(≧o≦;)アチャ〜 

またも、ラジコ不調のため一部(というか半分)録音に失敗しますた。

まあ、お話しはあまり進んでいないようですが。w
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年4月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

18:33分ごろから

□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズが分割払いで楽器を買った残りがまだ200ボンドある、って話しを聞いて、ブライアンはすぐさま自分の小切手にサインしたんだ。
  すごく単純な事だけど、この一件でブライアンはビートルズとの絆を一気に深めたってわけさ。」
  こうした伝説的な史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近にしてまたの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  アリステアはこの数年後に、ビートルズの会社アップルの総支配人となる男であるが。
  彼の興味深いインタビューから、もう少し続けてみよう。

  「ブライアンは、『行動だけじゃなく、外見もプロらしくしなきゃいけない。』って断言して、四人を仕立屋に連れて行った。
  サイズを測って新しいスーツをこしらえるためだ。高級なモヘア織のスーツ一着40ポンド、我々の月給を遥かに上回る金額だね。
  もちろん、支払いはブライアンが立て替えた。
  『これからは、このスーツがステージ衣装だぞ。』って宣言された時の、目をまん丸くして頷いた四人の表情、今でも忘れられないなあ。
  あとになって、ビートルズはスーツを着ることに関して 『自分たちとブライアンはまったく意見が合わなかった。』と語っているし
  ジョンにいたっては『あとで、いい値段で売り飛ばしてやろう』って思ってたらしいんだ。
  でも、僕が受けた印象は、そうでもなかったな。
  デザインの好みはともかくとして、プロのミュージシャンで事務所の所属アーティストとしての扱いを受けている事が、彼らにはとても嬉しく誇らしいことである、と思っていたんだよ。
  あの頃の四人は、『とにかく早く認められて、有名なバンドになりたい』、その事しか頭になかった。
  今じゃもう懐かしいあの時代、ビートルズがまだデビューしていない、1961年の話しだよね。」
  〜 The Everly Brothers / Walk right back
  ttp://www.youtube.com/watch?v=YmkIF2-mdDw&feature=related
 
  〜 Helen Shapiro / You Don't Know
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXHJmQoq5To&feature=related

 
  (小林)ビートルズがまだデビューしていない1961年の話し。
  61年の大ヒット曲、イギリスでの大ヒット曲。
  今聴いたのは(2曲目)ヘレン・シャピーロ(Helen Shapiro)You Don't Know、これは日本で大ヒットした曲でもあります。
  イギリスで一位になっています。61年にね。
  日本でヒットした時は、日本の歌手が日本語に訳された曲を歌いました。

  そしてその前は(1曲目)エバリー・ブラザース(The Everly Brothers)の Walk right back。
  このエバリー・ブラザースはアメリカ人の兄弟二人で、先輩です、ビートルズの。
  ビートルズはハーモニーをこのエバリー・ブラザースから学びました。
  というよりも、「完コピ」が出来るくらい徹底的にやってたみたいですよ。
  ポールとジョンはですね、エバリーなんかの曲を使って、なんて言うんですかね「コンクール荒し」?
  二人でアマチュアのころ、稼いでいた頃もあったみたいですよ。
  エバリー・ブラザースのWalk right back、これも1961年の大ヒット。
□リクエスト
  (小林)
  メールアドレスは [email protected] です。
  採用の方にはスポンサーのイシイ食品からミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  これは素晴らしいことですよw。一日とか二日助かったりするからw。 


  (市川市/男性)
  私を Fab4 の、つまりビートルズの世界へ引き入れてくれた姉の去年の誕生日にリクエストをかけてもらいました。
  そして、姉の誕生日は3月27日、そう、克也さんと同じ日なんです。
  姉と克也さんのこれからの人生も素晴らしいものでありますよう、インマイライフをお願いします。
  駆け込みですが、間に合いますかねえ。
  (小林)間に合いませんでした。でも、かけましょう。えへへw。
  あの名曲、ジョン・レノンの作品です。

  〜 The Beatles / In My Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=63skAbv6D0U
  〜 The Beatles / If I Fell(In Love Whith You)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asx4gPNFiAE

  (船橋市/女性)
  ビートルズを好きになったきっかけは、レットイットビーをエレクトーンで見つけて、
  父に言ったら「ワン」というジャケットのCDを持ってきて、聴き始めたことがきっかけです。
      (小林)これは僕が通訳すると、あれだね。(あなた)はエレクトーンを勉強してて、
        「レットイットビーっていう曲がいいね」って、お父さんに言ったら、
        お父さんが「お前、ビートルズだよ、それは」って言って、
        ワンっていうやつは「ビートルズのナンバーワンばっかりが集まったCDを聴いてみろ」っていうふうに、
        持って来てくれたわけですねw。
  当時小学校5年生でした。今では毎日アイフォーンに入れて聴いています。
  でも、周りの友だちにはビートルズが好きな人がいなくて残念です。
  克也さんはビートルズのどの曲が一番好きですか?  
  私は全部好きで決められません。
  解散前も解散後も全部大好きです。
      (小林)そうだよね。僕なんかあれだね、年齢とか時期によって好きな曲が変わっていく。
        今日かかった「ナンバーナインドリーム(#9 Dream)」なんか一番好きな時期もあったように記憶しておりますが。
  リクエストは、レットイットビーではなくて短い曲のIf I Fellをお願いします。

  (小林)
  ということで、おかけいたしました。
  アイフォンで聴くより良い音だったかなぁw。
  (柏市/男性)
  今日は僕が一番好きなビートルズのナンバー、ジョージの名曲をリクエストします。
  僕が仕事中の事故で死なずに、克也さんの声を聴けたので、今めちゃくちゃ嬉しいです。(小林)事故に遭ったんだ。あら〜。
  僕の夢は、4年後くらいに障害者イラストレーターとしてデビューして、尊敬するイラストレーター和田誠さんと対談することです。
  一応中退してしまいましたが、美大で様々な絵の描きかたを教わりました。
  (小林)
  なるほど、がんばってほしいですね。あなたの一番好きなビートルズのナンバーは、ジョージ・ハリスンの曲です。
  
  〜 The Beatles / Here Comes the Sun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BxzEeKfpyIg
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたか?。
  ビートルズが売れる前の話しとか、売れるころの話してのは、ほんとに面白いよね。
  ブライアン・エプスタインというマネージャーは、ユダヤ系のお父さんがもう大金持ち。
  だから、彼もお金には不自由しなかった。だから、ビートルズが貯まっていた分割払いのお金だとか…。
  洋服が高かったねぇ。洋服を注文で作ってたんですかねえ。今だと、そんなことしないと思いますけど。
  洋服屋さんで注文してサイズを測って、相当高いスーツをビートルズは着てたっていうことになります。
  
  それから、この番組はいろんな喋りばっかりじゃないからね。情報ってのは。
  例えばエバリー・ブラザースがかかった時に「あ!、これはビートルズの影響を受けてる」と思った方は多いと思うんですけど。
  やっぱり、ビートルズがエバリーの影響を受けているんだからね。
  音を聴いて、音で情報をつかむことをやってくださいね。
  つまりこの番組は、「ビートルズから始まる」って言ってるけど、カッコが付いてて『(とりあえず)ビートルズから始まる』
  実はビートルズの前からいろいろ始まっている、っていうことですよね。
   
  エバリー・ブラザースは仲の悪い兄弟でね。
  片方の娘さんが、ガンズ&ローゼス(Guns N' Roses)のアクセル・ローズ(Axl Rose)と結婚したことがあるんです。
  そういう、だから何かつながってるってことかな。
  
  あ、リクエストの方もよろしくお願いします。
275ホワイトアルバムさん:2012/04/23(月) 20:14:31.89 ID:???i
スーツ40ポンドって20万ぐらいかねえ
276ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/23(月) 20:38:38.29 ID:K+zmj3RY0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年4月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 4月22日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  (ビートルズが)日本に来た年。だけど、まだ日本に来てないわけだよね。
  46年前の今日はですね、例のスタジオ2でレコーディングをやっています。
  スタートはだいたい2時半ぐらいからやるんだ。
  ちょっと待て、2時半から11時半まで仕事をしてます。
  今日は早く終わってますねw。
  Taxman、タックスマンの、この頃はねえ、その前2〜3年前みたいな録音のしかたじゃなくて、オーバーダビングでの重ねて録ったりとか、何テークもやったりとか、大変な録音なんですよ。 
  それと、機械が良くなっていくんですよね、この頃。
  最初はなかなか会社がケチで、良い機材を買ってくれなかったんだけど、機材が良くなってきて、いろんな実験的なことをやります。
  で、新しいプロジェクトは「リボルバー(Revolver)」のアルバム。リボルバーのアルバムを作っているわけですよ。
  だから、アルバムを作ってる途中で日本なんかへ行くわけですね。
  だから、どっちに重きを置いていたかってのはわかりません。
  だけど、リボルバーのアルバムの結果を見ると、彼らが話したことは「リボルバーのアルバムみたいなことはコンサートでは出来ないな」
  ていうことですよね。
  で、ビートルズはご存知のとおり、ジョン・レノンが「キリストより偉い」とかそういう発言をしたとかで、アメリカで完全にボイコットに遭ったりとか。
  日本ツアーのあと、フィリピンで死にそうな目に遭ったりとか。
  そういうことが有って「もう俺たちはコンサートやらない」っていう発表をすることになるわけですけども。
  コンサートは、女の子がキャーキャー騒ぐし、自分たちの声は聴こえないし、っていう。
  でも、スタジオの方が面白い、スタジオではいろんな実験的なことが出来るからっていう。
  で、実はですね、エンジニアのノーマン・スミス(Norman Smith)がピンク・フロイド(Pink Floyd)のプロデュースのためにEMIを辞めて、
  そこで白羽の矢が立ったのが、この番組でも紹介していたことがあります、二十歳そこそこのジェフ・エメリック。
  彼がエンジニアになっちゃうわけですね。
  で、最初に行なわれたレコーディングが「マークワン(Mark I)」という仮タイトルが付いていましたが、
  最終的には「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ(Tomorrow Never Knows)」という、
  これはちょっと分けが分からないような曲になるわけですよね。
  ジェフ・エメリックにとっても、最初の仕事がこれで大変だったと思いますけども。
  というのもですね、ジョン・レノンが「山のてっぺんからダライラマが説教しているような音で録ってほしい」っていう。
  ジョンの自分のボーカルをね、だからジョンがいろんなボーカルのやり方を試したり、するわけです。
  だから、これから聴くTomorrow Never Knowsには、ビートルズの実験がいっぱいあった、実験の結果生まれた曲です。
  そういう意味で、いろんな楽しみ方w、聴くたびにこの曲表情が変わったりするんですけども、面白いですねえ。
  
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=tisjsgsgtZU

  (小林)どうですか?ビートルズはこんなことをやってたんですよ。
  これはもう、今の音楽にもすっごい影響を、脈々とつながっているような感じです。
  ビートルズは偉かった、ていうことですかね。  
  ジョン・レノンのエピソードですけど、
  自分のボーカルが、録音して聴いてみると満足できないっていうことで、いろんなことをやったらしいですよ。
  甚だしい例では、天井からロープに自分を吊り下げてもらって、そして中空に自分がいるわけですよね
  それで、「歌いながら回してくれ」ってw いうわけですよw。
  そうすると、「声も回っているように聴こえるんじゃないか」っていうw。いろいろな実験をやったっていう。
  なんか、可愛いよねそういう話しを・・・。
  で、この2ヵ月のあとに、日本へ行くわけですね。ビートルズは。
  
□アリステア・テイラーの物語
 ・「あのころの四人は『とにかく、早く認められて有名なバンドになりたい。』その事しか頭にはなかったと思うね。
  今じゃもう懐かしいあの時代、ビートルズがまだデビューしていない、1961年のお話しだよ。」
  こう証言するのは、ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人、
  そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。

  
  「当時のビートルズのブライアンに対する信頼度は100%だった。
  仮にブライアンが 『さあ!、この洗濯バケツ目がけてビルの屋上から飛び込んでみようかぁ。』って提案してみたとしたら、
  全員なんの躊躇もなく『いいよ。バケツはどこだ?』って答えていたと思うね。
  ブライアンはいつでも正しい、自分たちの希望や進むべき道をきちんと示してくれる、彼らはそう信じていたわけだよ。
  でも、こと音楽に関してはブライアンは一切口を出さなかった。
  注文を付けたのは、四人がどんな洋服を着て、どんなふうに行動するかってことだけ。
  つまり、バンドのイメージに関することだけだった。
  とにかく、清潔でキチンとした身なりのバンド、にしたかったんだよね。
  ステージ衣装をあつらえようとした日、メンバーとブライアンと僕はマージー河を渡るフェリーに乗り込んだ。
  まるで、二人の私服警官が四人の不良少年を連行しているみたいだったよ。
  僕とブライアンは四人のことを少しづつ理解し始めていたわけだ。
  ともかく、契約を交わしていたわけだから、僕らは対等な関係だった。
  それでも、まだまだ異文化コミニケーションであったことに違いはない。
  ビートルズはとにかくユニークな存在だったんだよ。」
  〜 The Beatles / You Won't See Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BsrQgIQSQSw
  
  〜 The Byrds / Turn Turn Turn
  ttp://www.youtube.com/watch?v=FKz8OOz_UQg
 
  (小林)音楽の方は1965年の音楽。興味深いですよ。
  ビートルズの You Won't See Me (1曲目)ね、これがアルバム的に言うと「ラバーソウル」です。

  そして今聴いたやつ(2曲目)が、アメリカのバーズ(The Byrds)ですよ。
  Turn Turn Turnっていう、フォーク系のピーチ・シーガー(Pete Seeger )っていう人の曲のカバーなんですけど。
  これはアメリカで1位になって大ヒットになっちゃっています。
  でも、このバーズは実はビートルズから、みんな頂いているわけですね、いろんなもの。
  まず、ロジャー・マッギン(Roger McGuinn)ていうギタリストは、ビートルズの「ハードデイズナイト」の映画を見て12弦ギターを買った、
  ていうぐらい、もうビートルズに入れ揚げていて。
  このグループのバンド名もそうですよね。ビートルズと同じようにBで始まる。
  ビートルズはカブト虫(Beetle)を、eをaに変えてBeatlesにした。
  自分たちはBirds 小鳥のスペルをiをyに変えてByrds。もう、まるでもうビートルズのフォーミュラで来ております。
  その2曲が続きました
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「僕とブライアンは、四人のことを少しづつ理解し始めていた。
  ともかく契約を交わしていたわけだから、僕らは対等な関係だった。
  それでもまだまだ異文化コミニュケーションであったことに違いはなかった。
  ビートルズはとにかく、ユニークな存在だった。」
  こう話してくれたのは、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物。
  アリステアの貴重な証言は、さらに続く。

  場面はいま、メンバーとブライアン、そしてアリステアの6人が、リバプールのマージー河を渡るフェリーに乗っている、という所である。
  「ビートルズの中でも、最年長のジョンがリーダー格ってことはすぐにわかったけど、
  四人の会話ときたら、ジョークや皮肉やブラックユーモアばっかりで、自分たちだけに通じる言葉で話すんだよ。
  といっても、フェリーが対岸に着くころには、僕も彼らの話しの内容が少しばかり解るようになったけどね。
  で、その時思ったんだ。
  『見た目はいい加減で汚らしい連中だけど、こいつら思っていたよりも胆(きも)が座っている。そう簡単に解散したり逃げ出したりはしないだろう。』てね。
  フェリーを降りると、僕らはブライアンの行き付けのテーラーに向った。
  15分ぐらい歩いただろうか、初めて誂(あつらえ)のスーツを作るっていうんで、四人は大はしゃぎだった。
  店に入るとブライアンはすぐに古くからの友人で小柄なユダヤ人の仕立屋ベノ・ドルンと何やらヒソヒソ相談を始めたね。
  ビートルズの四人はというと、ポカンと口を開けながら高級店の見事な内装に目を奪われていたね。
  こっちはこっちで異文化だった、てわけだね。」
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-SbCIFbJQDk

  〜 Rolling Stones / She's a Rainbow
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zphAHMPtu4g

  (小林)というわけで、ちょっとクラシックぽい、ビートルズとライバルのローリングストーンズ(Rolling Stones)が続きましたが。
  まあ、ほぼ同じころで。
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」から(1曲目)Martha My Dear。これはなんか、ビートルズらしいよね。このクラシック。

  だけどローリングストーンズの(2曲目)She's a Rainbow。
  ローリングストーンズをご存知の方にとっては「あ、これはローリングストーンズ、似あわないんじゃない?」っていう。
  そうなんですよ、60年代は、やっぱりビートルズが最初に1位をとって有名になって、そのあとローリングストーンズが追っかけるわけですよね。
  モノマネじゃないんだけど、ビートルズの方向を行ってるんですよね。
  そのころは、ローリングストーンズは、なかなかヒットが無いですよ。自分を見失っていたわけですよねw。
  時々サティスファクション(Satisfaction)とかジャンピングジャックフラッシュ(Jumpin' Jack Flash) だとか、ストーンズらしい曲を出すとヒットしていた。
  そんな60'sの曲をお送りしています。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「マージー河を渡るフェリーに乗って連れて行かれたのは、ブライアン行き付けのテーラー。
  初めて誂(あつらえ)のスーツを作るっていうんで、四人とも大はしゃぎだったよ。
  店に入るとポカンと口を開けながら、高級店の見事な内装に目を奪われていたよ。
  連中にとっては、まさに異文化だった、てわけだ。」
  こうした伝説的な史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近にして、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。  
  のちにアップルの総支配人となるアリステアの、興味深いインタビューから、もう少し続けてみよう。

  「ビートルズがキョトンとしていたのも無理はないよね。
  会社勤めの経験が無ければ、若い彼らにはスーツなんて無縁だろうし。
  店だって、もっと庶民的な所のショーウィンドウを少し眺めたことがあるくらいだろうからね。
  まあそんなこととは関係なしに、ブライアンはテキパキと生地を選んでスタイルを決めた。
  黒い革ジャンの少年たちが 洗練されたダークブルーのスーツを着込むことになったんだ。
  それに、お客としてちやほやされた四人は大喜びだったね。
  こうして、最初のステージ衣装の注文は無事終わった。
  と、ここまでは、すごく楽しい一日だったんだけど、店に戻って来てからがいけなかった。
  仕事の早いブライアンは、すでにいくつものレコード会社に連絡を入れていたんだ。
  だが、どういうことか、どこからも一本も返事が来ていなかった。
  この時ブライアンは、レコード会社に新人バンドを売り込むのは、客にレコードを売るのとはわけが違うってことを思い知らされたんだ。
  それでもブライアンは、前に進むことを止めたりはしない。
  翌日、ビートルズの四人はブライアンに連れられて、ある店へ行った。
  それは、リバプールでも最高級の部類に入る ヘアサロンだったね。」
  〜 The Beatles / She Loves You (Live on the Royal Variety Performance)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M6F9CHh_mNo
 
  〜 The Beatles / Something
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a_XG_YlTPPQ&feature=related

  (小林)いやあ、ジョージ・ハリスンの傑作ですね。(2曲目)Something。

  で、その前は(1曲目)She Loves You、
  僕は先週、音の中に情報があるって言いました、She Loves Youのあとに拍手が聴こえて、何か拍手がおかしくなかった?  
  ね、She Loves You ビートルズライブだったよね。
  だけど、拍手がなんか作った拍手みたいだったでしょ。「キャー」っていうのがぜんぜん聴こえなかったでしょ。
  そうなんですよ、これが有名な、マーガレット王女なんかの前でやったという「ロイヤル・コマンド・パフォーマンス」ですよ。
  だから、貴族だとかそういう人ばっかりだから、「キャー」っていうお客がぜんぜんいなくて、
  ほら、ジョン・レノンが「金持ちの方は、宝石類を鳴らしましょうね。」なんて皮肉を言ったコンサート。
  だけど、ライブでもビートルズの音程っていうんですかねえ、すっごいよねビートルズは。
  やっぱりすっごいグループだっていう感じがします。改めて。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてもれなく差し上げております。
  メールは [email protected]
  ファクスやハガキでも受け付けております。

  (匿住所/男性)
  この時間はテレビを見ながら食事をしている事が多いので、タイマー録音にて部屋で聴いております。
  昔はラジカセに録音して、たまに失敗してボタン押し忘れたりしたこと懐かしいですが。
  リクエストはスネークマンショーで…    (小林)これはあれですね、僕と伊武雅刀がやっていたやつですね。
  それでよくかかっていた、ストラングラーズが聴きたくなりました。 
  (小林)
  来ましたね。ストラングラーズ(The Stranglers)。
  まあ、1970年代後半のセックス・ピストルズ (Sex Pistols) だとかね、クラッシュ(The Clash)だとか、
  ああいった流れの中で、ストラングラーズてのはすっごいパンクグループでしたよ。
  ではあなたのリクエストで…。

  〜 The Stranglers / Go Buddy Go
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eCYht3ETWJE

  〜 Cindy Lauper / True Colors
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EQgNrq2eNzk

  (成田市/女性)
  震災から一年、海外のアーティストからたくさんの支援を受けているというニュースに、ありがたい気持ちでいっぱいです。
  中でもいち早くコンサートをして、「日本を愛している」と言ってくれたシンディ・ローパーさんほんとうにありがとう。
  あなたのやさしさを忘れません。 True Colors。  
  (小林)
  リクエストありがとうございました。
  まあ、True Colorていうのは「本当の色を出せ」ていう。
  こういうやつは、あれだね、最近では、曲調とかはまるで違うんだけど Born This Way とかね、レディ・ガガ(Lady Gaga)の、
  ああいうのと共通しているところがあるよね。
  励ましてくれる歌だもんね。
  (八千代市/男性)15歳
  つい先日、中学校を卒業しました。今年の僕らの学年は、受験もなんとか全員が無事終わり、
  卒業間際も落ち着いて生活でき、何の問題も起こらず、比較的気持ちよく卒業できた学年ではないかと思います。
  3年間を振り返ると、いろんな人に助けられた気がします。感謝し尽くせない思いがします。
  友達とふざけあったり、休み時間みんなと他愛もなく話したり、体育祭や合唱コンクールではやたらと力み、勝敗に一喜一憂。
  今となっては母校で起こったこと全てが思い出です。
  「思い出のページ」というのが卒業アルバムの最後のページにあります。
  真っ白で、そこに友達のメッセージを書き合うんです。
  僕が全員に書いたのは、「どこへ行ってもこのクラス、学年は永遠だ」という言葉です。
  それとかけて、ビートルズのこの曲を、 Here, There and Everywhere 。
  
  〜 The Beatles / Here, There and Everywhere
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Vd9HrO1b7pk&feature=related
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  アリステア・テイラーの書いた本の中からお送りしている話し、なかなか面白いですよね。
  
  それから、リクエストの方もがんばってくださいね。
  初心者の方も、ベテランの方も、歓迎です。
  ビートルズっていうと、ほら・・・、若い、あんまり知らない人でも、参加して下さいね。
  よろしくお願いします。
□ビートルズカレンダー( 4月29日)
 ・1972年(今から40年前の今日)
  ニューヨークのジョン・リンゼイ(John Lindsay)市長がアメリカ政府に対して、「ジョンとヨーコの永住権を認めてやってくれないか。」
  そして、国外追放の指令が出ているけど、「この国外追放を許してやってくれないか。」という風な事を頼んだ日です。
  ご存知の通り、オノ・ヨーコは日本人、そして、ジョン・レノンはイギリス人。
  でもこのイギリス人は、ちょっとした前科もあるし問題が多い。政府からにらまれていたんです。
  政府というのは、この頃はニクソン大統領。ニクソンはけっこう厳しいです。
  しかし、ニューヨークの市長ジョン・リンゼイは民主党です。どちらかというとリベラルです。
  だから、ジョンとヨーコを守る立場に回っていた。
  その、事の発端っていうのは、ジョンが書いた「ジョン・シンクレア(John Sinclair)」という曲があるんですが、
  これは、ジョン・シンクレアはベトナム戦争の反戦活動家で、ホワイトパンサー党の党首で、
  FBIのおとり捜査に引っ掛かって、2本のマリファナを持っていたっていうことで、通常よりも重い懲役10年の実刑を受けて刑務所に服役していた。
  アメリカの合衆国政府は薬物銃刀類を持っていたという理由だけで、反戦活動家を逮捕するという形で戦争を正当化しようとしている。
  「これは、リチャード・ニクソン政権の悪い所だ」っていう、そういう見方をするわけですね民主党はね、その当時。
  だから、今から40年前の今日、こういうことをリンぜー市長が頼んでくれた、というわけですが。
  ジョン・レノンはこの「ジョン・シンクレア」という曲をね、1971年の12月にミシガン州アン・アーバーで行なわれた、ジョン・シンクレアの支援コンサートで演奏しています。
  初披露しています。その数日後に、シンクレアは釈放されます。
  そのあと、ジョン・シンクレアは美術館に勤務して働くようになるわけですが。
  民主党の支持、それからジョン・レノンも中心になって「ジョン・シンクレアを釈放してくれ!」っていうことを応援するわけですよね。
  
  で、この時に、ジョン・リンゼイも「ジョン・レノンとオノ・ヨーコもアメリカに住むようにしてくれ、お願いします。」って言うのが、
  今から ちょうど40年前の今日だったわけです。

  さあ、それでは、ジョン・レノンのその「ジョン・シンクレア」という曲です、
  カントリーブルースのスタイルを取っています。
  ちょっとディラン(Bob Dylan)ですよね。
  ジョン・レノン、これは改めて初めて聴く人がいるかもしれない。
  こういうことをやったから、ジョン・レノンはソロになってなかなか売れなかったw。その理由のひとつでもあります。
  しかし、今になって考えると、ジョン・レノンは偉かった、という曲です。
  
  〜 John Lennon / John Sinclair
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QmcPgmvLd3s  

  (小林)
  ジョン・レノンのジョン・シンクレアという曲です。
  もう歌詞は、そのものズバリ「許してやってくれよ」っていう、ね。
  ちょっと古いように聴こえるかもわかんない。
  当時でも、カントリーブルースてのはそんなに新しいことはなかったわけですけど。
  よくこういうメッセージソングに使われました。
  ただ、気が付きましたか?、ガッツ、ガッツ、ガッツ、ガッツ、ていうくり返しがあるでしょう、
  あれはジョン・レノンが・・・やっぱり、彼の閃きですよね。
  今でこそ、ヒップホップだとかポップスでは、ああいうくり返しの技っていうのは当たり前のように使われていますが。
  ジョン・レノンの偉いところが、垣間見ることができたんじゃないかと思います。
289ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/05/02(水) 22:12:21.77 ID:RIzB+6hl0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ステージ衣装になるスーツを注文したその翌日、ビートルズの四人はブライアンに連れられて、ある店へ行ったんだ。
  それはリバプールでも最高級の部類に入る、優雅なヘアサロンだった。」
  証言するのはブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人、そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。


  「ブライアンが四人を連れて行ったのは、『ホーンブラザース』という店。当時、高級ヘアサロンとして有名だった、超一流店だね。
  長髪を小奇麗にカットした四人は、すっかりお坊ちゃま風になったよ。
  ロックの歴史上あまりに有名な、あの『モップトップヘアー』の誕生だ。
  これで、女の子たちが悲鳴を上げて追いかけるアイドルになったっていうわけだ。
  それでも、正真正銘の短髪にされなかったのが、せめてもの救いだったんだろうけど、
  とにかくあのポマードで髪ををギラつかせた不良少年のイメージは、見事あとかたもなく消えていた。
  髪を切ったあくる日の午前中、リバプールで最高級の仕立屋を再び訪れた四人は、買ってもらった洋服の包みを自慢げに抱えて戻って来た。
  まるで、クリスマスプレゼントの包みを早く開けたくて、大急ぎで帰って来た子供みたいだった。
  一人一人に数枚の、真新しいシャツとネクタイ、四人ともこんな恰好するのは初めてだったから、着こなせるようになるまでしばらく時間がかかったけど。
  どんなスタイルにして、どんな色のシャツに、どのネクタイを合わせるか、その全部を決めたのはブライアンだった。
  実際はブライアンが、この買い物を一番楽しんでいたみたいだったね。」
  〜 The Beatles / Penny Rain
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_H6PdlJshCo
  
  〜 The Turtles / Happy Together
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OTvhWVTwRnM
 
  (小林)2曲続きました。面白いねえ〜。
  僕たちはビートルズを知っているから、ビートルズとまた違うグループが同じような音楽をやってるって、思ったかもわかんないけど。
  ビートルズを知らない耳で聴いたとしたらだよ、優れた耳でもよ、「ああ、同じじゃん!」w ね。
  違いは判りますよね、ビートルズのPenny Rain、そしてタートルズのHappy Together。
  ただ、タートルズはビートルズと違うのかというと、名前からしてほら、ビートルズが動物じゃないですか、「カブト虫」から来てるわけよね。
  これは「亀さん」ですよね、タートルズ。名前の響きも似ている。
  やはり、ビートルズの影響がいかにあったか、っていうことですね。 時代ですね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズのイメージチェンジの作戦の際、どんなスーツにして、どんな色のシャツに、どのネクタイを合わせるか。
  その全部を決めたのがブライアン。実際はこのブライアンが買い物を一番楽しんでいたみたいだったね。」
  こう話すのはアリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物。
  アリステアの貴重な証言は、さらに続く。

  「1961年の12月から翌年にかけてのあのころ、ビートルズの周りには“特別な空気”が漂っていたんだ。
  そりゃあ、とにかく陽気で、ふざけるのが大好きで、元気があり余っている感じ。
  出来るものなら、彼らのエネルギーを缶詰にして保存しておきたいくらいだったねえ。
  あのころのビートルズは、成功するかどうかはともかくとして、何をするにも自信に満ちあふれていた。
  演奏、作曲、ふざけ合ってる時、女の子たちと遊んでる時、ブライアンの店に来てミーティングをしている時、
  その、あらゆる場面で、彼らはその天真爛漫な“光輝く何か”を発していた。
  もしかしたら、それが僕が初めて見たオーラみたいなモノだったのかもしれないね。
  そんなオーラを発し続ける最高の才能を、なんとかして世界中にアピールしていかなければいけない、
  僕らは全員『このバンドを絶対に成功させる』って意気込んでいたのは確かだけど。
  そのプレッシャーは全て、ブライアン・エプスタインの肩にのしかかっていたわけだ。
  のちに、偉大なるロックの歴史の上で“最も成功した超人的なマネージャー”として名を残すことになるブライアンも、この時はまだ27歳。
  ビートルズから見ると少し年上の兄貴分とはいえ、まだまだ若造だった。
  四人はむしろ、そんな若いボスの新しい計画の通りに行動することを、楽しんでるみたいだった。
  それは連中にとって、最高にスリルに満ちたゲーム、だったんだよね。」
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttp://www.youtube.com/watch?v=taADLPtyDb0

  〜 The Kinks / Sunny Afternoon
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pIKsHh3BFPI

  (小林)2曲続きました。これはもう1966年のまったく同じころの、イギリスで1位。
  片方は Paperback Writer、ビートルズ。そして、片方は キンクス(The Kinks) Sunny Afternoon、ていう曲。
  これ両方ともイギリスで1位、おんなじ頃。でも、アメリカでは Paperback Writer 1位になったけど、キンクスの方は14位に終わった。
  どこが違うんだろう?。なんで、ビートルズは伝説になるんだ?
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズと出会ったころのブライアンは、わずか27歳。
  四人から見ると、少し年上の兄貴分とはいえ、まだまだ若造だった。
  ビートルズはむしろ、そんな若いボスの新しい計画の通りに行動することを楽しんでいるみたいだったね。
  それは、若者たちにとって最高にスリルあふれるゲームだったんだよ。」
  こうした伝説的な史実を、きちんと証言してくれるのが、ブライアンの側近にして、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となるアリステアの興味深いインタビューから、もう少し続けてみよう。
 

  「ビートルズはブライアンをものすごく尊敬し、礼儀正しく接していたし、間違いなく真の友情も芽生え始めていた。
  ただ、ここが難しいところなんだけど、負けん気の強いリバプールの若者たちのこと、絶対に自分たちが下手に出ることはプライドが許さない。
  どんな相手と接する時でも、常に立場は対等、それが基本だったね。
  これは、ショービジネス界を渡り歩いていく上では大切な事なんだけど、危険な場合もある。
  だけど彼らは、そうする事しか出来なかったんだ。
  ライブが終わったある晩の事だけど、僕らは六人でニューブライトンのタワーボールルームで一杯やっていた。
  一杯目はブライアンの奢(おご)り、二杯目は僕が奢った。
  そしたら、だれかがテーブルの下で僕の膝を突っつくんだよ。誰かと思ったらジョンだった。
  『次は自分が奢りたいんだけど、その金が無いんだよ』って、目くばせするのさ。
  僕はテーブルの下からこっそりと1ポンドを差し出した。
  ジョンはそのお札を握りしめると、得意気にこう言ったんだ。
  『ブライアン、ごちそうになったね。次は俺の奢りだよ!。』」
  〜 John Lennon / New York City
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gWVRzfpta-g
 
  (小林)今日は1曲目に「ジョン・シンクレア」っていうジョン・レノンのメッセージソングね、お送りしましたけど。
  同じアルバムに入っています。「Some Time In New York City」に入っています。1972年です。
  まあ、ジョン・レノンはオノ・ヨーコの強い勧めでニューヨークに住み始めるわけだけど。
  このころはもうニューヨークにどっぷりつかって、ニューヨークが好きになってるよね。
  そういうバイブが伝わってくるアルバムです。
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  電話番号とか住所だとか連絡する上で(必要なので)よろしくお願いします。
  メールアドレスは [email protected]

  (匿住所/女性)
  ビートルズが大好きな中一の女子です。学校の英語の授業で「ハローグッバイ」を歌いました。
  歌詞が簡単でわかりやすい曲だと思います。大好きな曲、この曲をお願いします。
  (小林)
  ビートルズがやるからには、ただ単に簡単な曲じゃないんだよね。
  ひねりが入っているんだよね、この曲。

  〜 The Beatles / Hello Goodbye
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9zPOT8Z3UlM

  〜 George Harrison / Marwa Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u4I4KvFu9_I

  (小林) Hello Goodbyeから、ななかな渋いインストが聴こえてきましたねえ。
  これはジョージ・ハリスンだって分かりましたかねえ。
  これ、グラミー賞でね、最優秀ポップインストゥルメンタルパフォーマンス、賞を取っていますね。
  (船橋市/男性)
  ビートルズ歴三十数年になる49歳の会社員です。
  小学校の時からメンバーの中ではジョージ好きで、ポールが好きな姉といつも対立していました。
  当時のジョンは、小学生には理解不可能。ポップスの王道を行き、女の子に人気があったポールはあまり・・・。
                               (小林)お姉さんがポールに行ってたわけですね。
  でも当時、姉がウィングス(Wings)の「Venus And Mars」を買ったのに対抗して、お年玉で買った「 All Things Must Pass」や「Extra Texture (ジョージ・ハリスン帝国)」
  これは、子供にはちょっと手ごわかったです。
  今聴くと、本当に20代の人が作ったのが信じられない、染み透るような奥深さを感じます。
  リクエストはジョージ・ハリスンのマルワブルースをお願いします。
  (小林)
  というわけで、Marwa Bluesをお送りしました。 
  (小林)
  今度は変わった感じですよ。この人は。
  (住所不明/男性)
  おれ、見ちゃったんだ。失業者なのに、生活保護者なのに、がまんしてきたのにシーカーズを。
  四人組なんてあっちにもこっちにもそっちにも(小林)ビートルズとかいろんなグループがいるなあ四人組は、ていうことですよね。
  イシイおいしい。           (小林)w。
  (小林)
  これは、あれだね。ひらがなで短いけど、ちょっとポエムが感じられる文章だね。
   
  〜 The Seekers / Georgy Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bf8O1whEH5s

  〜 David Bowie / TVC 15
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Sn8_UgMONps

  (小林)これはデビッド・ボウイ(David Bowie)のTVC 15という、渋い曲リクエストくれたのは、こんなの聴いてるのかなあ。
  (白河市/男性)19歳。
  何で読んだか忘れましたが
  「昔のレコードは傷が付くとそこにノイズが入って、同じ曲をラジオで聴くとノイズが無くて、ちょっとした違和感を感じた」
  という話しを読んだことがあります。
  その話しを読んだ時は「ええ、なるほど」と興味深く感じました。
  こういうのってレコード時代は「あるあるネタ」だったんでしょうか?。
  (小林)
  まあ、そうですけど。今だと考えられないよ。
  ところで、デビッド・ボウイ、これ1977年ごろの作品ですけど。
  この頃になると、音楽はね、特にロンドン辺りだと、セックスピストルズ(Sex Pistols)だとかクラッシュ(The Clash)だとか、
  音楽がニューウェイヴだとか、出ていくわけですね。
  そうすると、昔からやってたストーンズとかポール・マッカートニーとか、すごい古くなる時代なんですよ。
  そんな中で、この人だけは古くなかったですよね。
  もう影響力があって、いろんな人が彼のやっている事を参考にしたという、デビッド・ボウイのその頃ね、TVC 15という曲。
  リクエストに応えました。
□エンディング  
  (小林)いかがでしたか?、今日は。
  ビートルズの、ファッションとかヘアスタイル大改造。
  それを、マネージャーになったばっかりのブライアンが楽しんだという。
  いかにも、ゲイとしての愛情を感じる、いい話しじゃないですか。
  
  リクエストもお願いしますね。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年5月6日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 5月6日)
 ・1977年(今から35年前の今日)
  イギリスで「ビートルズ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル(The Beatles at the Hollywood Bowl)」(が発売。)
  ハリウッドボウルという、ハリウッドにある屋外演奏場ですね。
  すり鉢状になった有名な所なんですが、クラシックのコンサートなんかもやるという所で、ビートルズのライブ録音がされまして。
  これはアメリカに上陸した1964年の翌年にもう録られたわけですが。
  これの、ハリウッド・ボウルでのライブのアルバムが発売になった。
  ところがですね、これ、話しを聞いて下さいよ。
  当時ビートルズは、アメリカ的にも世界的にも、売れるわけですが。
  アメリカのレコード会社「キャピトル」の主導で何でも動くわけです。
  だから、キャピトル主導で、ラブソングばっかり集めたやつとか、ロックばっかり集めたアルバムが、この年に発売になってますが。
  ハリウッド・ボウルのライブも発売になった。
  ところがですね、キャピトルのプロデューサーもエンジニアも、我々の言葉を使うと「イモ」で、もうロクなもんじゃなかったんですよ。
  それから、珍しい当時の3トラックの録音で、全部のトラックに全部の音が入っちゃっててねえ、これがメチャクチャなんですよ。
  どうしてメチャクチャになるかていうのは、その理由っていうのはね。
  女の子がキャーキャー騒ぐ音が大きすぎちゃって、これは、このあとで聴いてもらいますけど、もう女の子の嬌声に聴こえないんですよ。
  それを、アメリカのレコード会社がビートルズのプロデューサーとミキシングエンジニアであるジョージ・マーチンとジェフ・エメリックに
  「これ、何とかしてくれ」「なんとかモノになるようにしてくれ」ていう風に頼まれて。
  3トラックマシンを探して、これ真空管式でね、オーバーヒートの恐れがあったんで扇風機を当てながら一生懸命いい音にしようとして、
  だけど、やっぱり直したんだけど、これが出来る限りを尽くした結果っていう。
  でも、音質は悪いわけですよね。
  しかし、ま、ビートルズですから、1977年で、もう売れちゃうんですよ。めっちゃくちゃ売れちゃうんです。
  さあそれでは、女の子の嬌声が、飛行機の音にしか聴こえないw、という、本当に悪い音で聴いて頂きたいと思います。
  悪い音っていうのは、これ以上なんともならなかったわけですね。

  〜 The Beatles / Twist And Shout -She's A Woman -(Dizzy Miss Lizzy -Ticket To Ride)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=v9qWdr6RmRY&feature=related  

  (小林)もうほんとにw、女の子たちの音がw、もう本気で聴くと気持ち悪くなっちゃうような感じですよね。
  Twist And Shout そしてShe's A Woman、2曲続けてお送りしました。
  この1977年は、ハリウッド・ボウルのライブの他に、ハンブルグの音源も発売になっちゃって、もう。
  ビートルズとしては、四人ともまだジョン・レノンとかみんな生きていますから、もう頭に来るわけです、こんな悪い劣悪な状況で出してもらうのは。
  だから、裁判になったりするんですよね。
  とにかく、だけど悪いけどこれは事実だったわけですね。ビートルズの伝説の一部ですね。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアン、ごちそうになったね。次は、俺の奢りだよ。」
  これはまだ、デビュー前、1961年12月の某日。ライブの後での、酒の席での、ジョン・レノンの発言。
  負けん気の強いリバプールっ子は、人に借りを作るのが大嫌い。
  一度酒を奢られたら、どんなにお金が無くても、たとえ借金をしてでも奢り返すのが、彼らの流儀であった。
  それを証言するのは、ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人、
  そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューから、お送りしよう。


  「まだ、デビュー前のビートルズは、とにかくライブ演奏で食いつないでいた。
  ブライアンの冴えわたるビジネスセンスで演奏のギャラが2倍3倍になったとはいえ、もともとが安いギャラである。
  とにかく薄利多売、回数を重ねるしかなかった。
  地元のキャバーンで昼間のセッションに参加したあと移動して、夜はある街のホテルのボールルーム、
  つまり宴会場で演奏を3セット、なんていうスケジュールも特に珍しいものじゃなかった。
  若さゆえにこなすことができた、超人技だったね。
  一方ブライアンはというと、NEMSの店の業務は僕に任せっきりで、ロンドンのホテルに滞在していたんだ。
  なんとしても、最初のレコーディング契約を結ぶためにはリバプールにいても仕事にならない。
  ロンドンにいてレコード会社のあらゆる知り合いに連絡を取り始めた。
  ブライアンはそりゃもうほんとに必死だった。
  『とにかく、話だけでも聞いてくれ』ってね。
  リバプールじゃあセレブ扱いのブライアンも、ロンドンではまるで相手にされない、
  あそこまで落ち込んでいるブライアンを見たのは、それが初めてだったねえ。」
  〜 The Beatles / She Came In Through the Bathroom Window(Anthology 3 Disc 2)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nq5ZdJxxsOc&feature=related
 
  〜 Marvin Gaye / I Heard It Through the Grapevine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zhr6TUUilEs&feature=related
 
  (小林)なかなかいい感じで、音がつながっていますけどねえ。
  ビートルズが1960年代の終わり、まあいろいろスタジオでやっている、その時にナンバーワンだったのが、今聴いたマービン・ゲイ(Marvin Gaye)のI Heard It Through the Grapevine
  正確に言うと1968年の暮れから年をまたいで7週間も1位になった、ビートルズが影響を受けたモータウンの代表的なマービン・ゲイのI Heard It Through the Grapevine。
  「葡萄のつるの間で聞いたんだけど」ってこれ「うわさで聞いたんだけど、お前おれを捨てたんだな」っていう、そういう歌です。

  その前が、ちょっと聴きモノだったんですよ、実は。アンソロジー3に入っているんですけど。
  これ、ほんとはメドレーになっている局の一部ですが、それは実は She Came In Through the Bathroom Window、こういう歌だったんだな、っていうのがわかる。
  ポール・マッカートニーの作品で、トイレというか風呂場の窓から入ってきたわけですよ、そういう女だったわけです。
  これ、ストーリーがあるんですね。ちゃんとしてね。
  「なんとかしてくれ、おれはもう真面目な警官になってよう、で、あいつは・・・」っていう「たまったもんじゃないな」っていうw 歌なんですよ。ねえw。
  これは、けっこう面白いね。
  これは、アンソロジーに、実はこういう歌だったんだ、っていう正体をバラしたやつ。
  音としては、なんかカッコよかったね、これがつながるとね。
  さあ、つぎ行きます。
302ジョン・キロックノン !ninj:2012/05/07(月) 22:57:50.66 ID:???0
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ブライアンはロンドンに滞在して、レコード会社のあらゆる知り合いに連絡を取った。それはもう、必死だった。
  『とにかく、話だけでも聞いてくれ』ってね。
  リバプールじゃ、セレブ扱いのブライアンも、ロンドンではまるで相手にされない。
  あそこまで落ち込んでるブライアンを見たのは、それが初めてだったね。」
  こう話してくれたのはアリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言は、さらに続く。

  「『ある程度の成果を上げるまでは、リバプールには戻れない。』そう思ったブライアンは、NEMSのレコードショップの業務を僕に任せっきりにした。
  家にも帰って来ない息子を探しに、当時のNEMSの会長であるブライアンのお父さんが、週に2・3度は店にやってきた。
  そのたびに僕はなんとか言い訳を取り繕って、ブライアンはロンドンで元気にやっていることにした。
  つまり、口裏を合わせたってわけだ。
  まさか『ブライアンは、ビートルズっていう若いロックバンドと契約をして、そのデビューに向けて全精力を注いでいます』なんて
  口が裂けても言えなかったしね。
  けっきょく、ブライアンが思い知らされた結論は、
  『ビートルズのような才能あふれるバンドとマネージメント契約をするのは簡単だけど。ロンドンのメジャーレコード会社とレコーディングを取り付ける事の方が、何十倍も難しい』
  ということだった。
  なんせ当時、リバプールだけでも若いロックバンドは300以上あって、その全部がレコードデビューを目標にがんばっていたわけだ。
  ブライアンがロンドンでがんばっているその間も、ビートルズは恐るべきスケジュールでライブの仕事をこなしていた。
  今のミュージシャンが、よく『今回のツアーはきつい!』なんて言ってるのを聞くと、正直笑ってしまうね。
  『君たち、鍛え方が違うよ。』って言ってやりたくなってしまう時があるんだよ。」
  〜 The Beatles / Money (That's What I Want)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nKxPv7LSe7o

  〜 John Lennon / Cometogether(Live in New York City 1972)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qHJAZZTTXiw

  (小林)これは(2曲目)1972年、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでのライブ。ジョン・レノン。
  知的障害児のためのチャリティのコンサートだった、ていうことで
  これは、友人でプロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)がレコーディングしています。
  のちに、1986年に出されたやつ。

  そして、その前は、1963年のビートルズです。
  Moneyをやっていましたけど、これはストックホルムのスタジアムです。
  つまり、そのころはビートルズが初めて行った外国がドイツですから、ハンブルグのね。
  2番目に行った外国ですね、ストックホルム、でのライブ。
  アンソロジーの1の中に入っています。
  ライブが2曲続きました。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「けっきょくブライアンが思い知らされた結論は、
  『ビートルズのような才能あふれるバンドとマネージメント契約するのはやさしいけど、ロンドンのメジャーなレコード会社とレコーディングを取り付ける事の方が、何十倍も難しい事だ。』
  ということだったね。
  なんせ、当時リバプールだけでも若いロックバンドが300以上もあって、その全部がレコードデビューを目標にがんばっていたわけだ。」
  こうした史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近にして、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となるアリステアの、興味深いインタビューから続けてみよう。


  「ブライアンと契約したあとも、ビートルズは信じられないくらいの多くのライブステージをこなしていた。
  なにせ、ブライアンは仕事のペースを落とすことが大嫌いだったから。
  『何が何でも成功して見せるぞっていう野心を、ビートルズには常に持ち続けていてもらいたい』
  ブライアンはそういう風に考えていた。
  とにかく、一緒に行動しているだけで楽しくなってしまう魅力あふれる四人を、ブライアンは心から信用していたね。
  それと、ブライアンは気まぐれで直感で判断する人間だった。
  何でも、自分で決めないと気が済まないし、全てが最高の状態じゃないとダメなんだ。
  いい加減な仕事を見つけると、すぐにカッとなる。
  怒るつもりが無くても、いつのまにかそうなってしまう。
  自分でも反省はするんだけど、性分というやつは、そう簡単には変わらないさ。
  とにかくブライアンは、あらゆることに熱心で敏感だった。
  そんながんばりで、NEMSをレコードショップとしては、イングランドの全域の中でトップクラスの優良な店に育て上げたんだ。
  だけど、その才能と努力をもってしても、ビートルズのレコーディング契約には四苦八苦していた。
  これこそ、ブライアン・エプスタインの文字通り“正念場”だったわけだ。」
□リクエスト
  (小林)リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして、もれなく送らせて頂いております。
  メールは [email protected]
  ファクスでもハガキでも受け付けております。


  (白井市/女性)
  母親は早起きが苦手なんですが、毎日早起きをして私のためにお弁当を作ってくれているので
  少しでも楽をさせてあげたいなと思っていたところ、イシイの詰め合わせが届いたのでとても嬉しかったです。
  曲はいつもがんばっていてくれる母親に、ビートルズの「Thank You Girl」かジョン・レノンの「Mother」をお願いします。
  (小林)
  ジョン・レノンの「Mother」っていうのはね、実は、ジョン・レノンの少年時代の事をこの番組でお話ししていますよね。
  お母さんと、ついでにお父さんへの「恨み節」なんです。
  だから、優しい方を選曲しますけど。
  あれですね、音楽を聴く時にタイトルにだまされちゃだめ。
  けっこう洋楽は日本語のタイトルが付いていたりして、これが、まあ適当っていうかね。
  例えば、オリビア・ニュートンジョン(Olivia Newton-John)の「そよ風の誘惑」ていう曲があるんですけど、あれは春の歌じゃないんですよね。
  だけど、春になるとラジオにリクエストが来たりするんで・・・。
  ようするに、歌の心を、心の耳で聴くようにしてくださいね。
  キツい事言って、ごめんなさいねw。
  優しい方を選びました。

  〜 The Beatles / Thank You Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dtCjsHkAxX8
  〜 Elvis Costello & Nick Lowe / Baby It's You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asOa8yqhjqc

  (小林)ビートルズでおなじみの曲ですけど。

  (さいたま市浦和区/男性)
  エルビス・コステロとニック・ロウ「Baby It's You」をお願いします。
  この二人もレノン・マッカートニーみたいな感じで好きです。
  ビートルズもこの曲をカバーしているけど、同じくらい好きです。
  ポールはコステロとアルバムの曲作ってたけど、やはりジョンと比べると・・・。
  (小林)
  ああ、そうかあ。
  ポールとジョンの組み合わせと、ポールとコステロの組み合わせとは違う、っていうことですね。
  はい、ありがとうございます。
  (川越市/男性)
  毎週楽しみにしているトラックドライバーです。
  いつもトラックの中で聴いているんですが、ここ半年、仕事のシフトが変わって残念ながら、この番組が聴けませんでした。
  でもまたシフトが変わって、この番組を聴けるようになり、仕事が楽しくなりました。
  これも、この時間帯はなんと千葉県内を走っているので、ラジオの感度もバッチリです。
  リクエストします。この時期聴きたくなる曲です。

  (小林)
  これは、「ヒッピー」って知ってますよね?、若い人はね。
  60年代の終わりころから、まあ独特のヒッピーっていうw ものが生まれて。
  ヒッピーの音楽だとか哲学だとか、そういう風なのが世の中に広まっていくんですけども。
  それを観光絵葉書みたいな感じで取り上げた、っていう風に当時言われてますけど。
  今聴いてみると、けっこうヒッピーぽいですよ。
  スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)が歌う曲でね。
  「もしサンフランシスコに行くんだったら、ヒッピーみたいに髪に花を飾って」ていう。
  ついでに、歌われていないですけど、裸足ですからねえ、ヒッピーたちは。
  あのころは、やっぱり春とか夏とか良い季節にヒッピーが増えたんで。
  さあ、その代表的な、スコット・マッケンジー「華のサンフランシスコ」
  
  〜 Scott McKenzie / San Francisco
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mJ_WG3d3GL8&feature=related
□エンディング  
  (小林)きょうの「ビートルズから始まる」いかがですか?
  ブライアン・エプスタインが、こんどはビートルズを売るのに苦労する。
  で、ビートルズはもう、ほんとうに、もう・・・。
  「鍛え方が違うよ、お前ら若いもんとは」っていう。
  まあ、ビートルズも若いわけですけどもw。
  すっごいペースで仕事をしていた時代の話し。
  これから苦労が始まるわけですよ、ちょっとした。ねえ。
  
  リクエストの方もよろしくお願いします。
   [email protected]

  コメントは、どちらかというと、ブログ感覚よりも、ツイッター感覚の方がいいなw。
  わかりますよねw。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年5月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 5月13日)
 ・1970年(今から42年前の今日)
  ニューヨークで、あの映画「Let It Be」のワールドプレミアが開かれました。
  これは一大イベントです。ビートルズにとって。
  まあ、ビートルズのファンだとか音楽ファンにとっても大変なイベントですが。
  この、ニューヨークの「Let It Be」のプレミアには、ビートルズのメンバーとか…
  おそらく、有名な芸能人だとかね、アメリカのね、そういうのは来たんだと思いますが、
  ビートルズのメンバーが参加した、という記録はありません。
  この頃は、もうこの番組を通して ビートルズがバラバラだっていうことは、お伝えしてるんで、ご存知だとは思いますが。
  「初心に帰ろうじゃないか」ビートルズは最初はライブもやっていた。
  で、レコードに専念する事を決心したのが1966年。
  一緒にビートルズがみんなの前で演奏したり、ビートルズの演奏を見るっていうことが無かった。
  だから、みんな「ビートルズがやってくれないかな」と思ってたわけですね。
  で、ポールだけはですね、率先してやる気満々です。
  「みんな、集まろう!」っていうことで、彼らはですね、フィルムスタジオに集まるんです。映画のスタジオに集まるんです。
  で、映画を、自分たちが一緒になって、久しぶりに一緒になってがんばっている姿を映画に収めよう。
  そして、バンドとしては再び…。自分たちはライブバンドとして、特にポールはライブバンドとして圧倒的な自信があるわけですね。
  だから、みんなにやる気を醸して、ビートルズを復活させようとするんだけれども、まあ、バラバラっていう。
  それで、おまけに悪いことには、Get Back とか Let It Be は、あのフィル・スペクター(Phil Spector)の手に委ねてしまう。
  ポールは、それは大いに気に入らないという話しに至るわけですが。
  結局、アルバムの方はサントラ盤として1970年の5月に発売になります。
  ビートルズ最後のアルバムになるわけですが、アルバムはフィル・スペクターが体裁よく編集しています。
  実際に屋上で演奏されたテイクが、このバージョン。
  これを聴いていただきますが、ジョンとジョージのギターアンプがトラブって無音になったり、臨場感いっぱいです。
  アンソロジー3に収録されているバージョンです。例の・・・
  
  〜 The Beatles / Get Back (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qsiwzhhERuM 

  (小林)ビートルズの Get Back。
  例のアップルの屋上でのライブっていうことで。
  ただこれはですねえ、まあ、いろんな聴き方があると思うんですよ。
  もうお馴染みの曲だけど、こうやってポールの心情とかね、「ビートルズを復活させよう」と思ってね、これを、書いたわけですね。
  GetBackていうのは、他の3人に対するメッセージでもあるわけですよ。
  「もどって来い!いっしょにやろうよ!」っていう、ね。
  これを聴くと、ポールが一人でボーカルで、すっごいがんばってますよね。
  まあ、ジョン・レノンがリードギターとったりして、がんばってるわけですが。
  ポールがなんか浮いているような気分が、ちょっとあるんですよ。
  このGet Backってのは2つのコードですよ。だから、とてもやりやすい。
  だから、何というんですかね、長い間ライブをやっていないんだけど、この2つのコードでやればポールは「もう絶対盛り上がるだろう」ていう。
  いちおう盛り上がるんだけど、みんなの心は盆には帰らなかった、っていうことですよね。
  ちょっと悲しいよね、これ聞くとね。
  というわけでGet Back、屋上のライブをお送りしました。
311ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/05/18(金) 22:02:01.64 ID:ijv1rjYE0
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアン・エプスタインは、ビジネスマンとしては素晴らしい仕事ぶりだったね。
  だけど、その才能と努力を持ってしても、ビートルズのレコーディング契約には四苦八苦していた。
  これこそ、ブライアンの文字どおり正念場だったわけだ。」
  こう証言するのは、ブライアンの右腕にして心を許せる友人、そしてビートルズからは「ミスター・フィクサー」「何でも屋」と呼ばれた男、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週も、このアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。
 

  「ビートルズの四人が、新しいマネージャーについて確実に知っていたことは、一つ。
  ブライアンがレコード店を成功させている、ってことだけだった。
  その店NEMS=North End Music Stores は当時リバプールで9つのショップを展開し、扱っていたレコードの枚数は50万枚を軽く越えていた。
  どの店も、あらゆる年齢層の客でいっぱいだったし、ブライアンは極めて効率よくレコードを入れ替えていた。
  ビートルズから見ると、これだけ優秀なビジネスマンがマネージャーになってくれたんだから、レコーディング契約なんて直ぐに決まるもの、と楽観的に考えていたんだ。
  まあ、そう思うのも無理はないけど。
  なんせ、ブライアン本人もメンバーと同じくらい軽く考えていたんだからね。
  なんせあの伝統的クラブ『キャバーン』でビートルズのライブを目の当たりにした瞬間から『こんな才能、世の中が放っておくわけがない』って信じて疑わなかった。
  『明日にでも、トップスターになってもおかしくない』って思っていたくらいさ。
  だけど、現実は厳しかった。
  なにせ、当時リバプールはかなり田舎扱いされていて、そんな町からスターが生まれるなんて、レコード会社の連中は100%考えもていなかったくらいさ。
  それでも、ブライアンの信念は固かったんだね。」
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eeZcI4u0ZQg
  
  〜 Engelbert Humperdinck / Release Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=j3sCCf_O6Gg&feature=related
 
  (小林)これは(2曲目)エンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck)という歌手の…
  この頃はね、トム・ジョーンズ(Tom Jones)と人気を二分していましたねえ。
  トム・ジョーンズも野性的なハンサムでね。
  エンゲルベルト・フンパーディンクはちょっと甘いルックスをしていて、声もこれですよ。
  で、「リリースミー(Release Me)」っていうのは、カントリーっぽい曲ですけども、これ、みんなが歌った歌なんですよね。
  恋人に「おれ、別れさせてくれよ。もう、二人が暮らしたって、苦痛しか残らないし。あんたバカだよ。おれを行かせてくれないなんて。」
  これはだから、男でも女でも共通してそういう心理はw、「別れさせてくれよ」っていう、珍しいとこを突いた歌なんで。
  結局、イギリスでは6週間もナンバーワンになるんですよね。
  それで、そのおかげで その前にかけた Strawberry Fields Forever はイギリスで1位になれなかった。
  ところがアメリカで、このエンゲルベルト・フンパーディンクもヒットしますけど、
  アメリカではPenny LaneとStrawberry Fields Forever これが両面だったっていうこともあって、両A面だったていうこともあって、アメリカで1位ですよ。
  Strawberry Fields Foreverは、ちょっと間口が狭かったのかな。
  エンゲルベルト・フンパーディンクは、間口がすごい広い歌だから大成功。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「当時リバプールは、かなり田舎あつかいされていて、そんな街からスターが生まれるなんて、ロンドンのレコード会社の連中は100%考えてもいなかったくらいだった。
  それでも『ビートルズは必ずトップスターになる』ていうブライアンの確信、そして信念は固かったんだ。
  こう話してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言は、さらに続く。


  「『ビートルズのレコードは爆発的に売れる。』そう信じて疑わなかったブライアンは、ビートルズほどのバンドを売り込めばレコード会社はすぐに飛びつくと思っていたんだ。
  でも現実は、そうは甘くなかった。
  『レコード店をこれだけ成功させたんだから、バンドのマネージャーとしても成功する。』ブライアンはそう思っていたはずだよ。
  ところが、ブライアンの必死の営業活動も、まったく報われることがなかったんだ。
  もちろん、ブライアンは綿密なプランを立ててから行動していた。
  やるべき事を一つ一つ詳しくメモしてから、取引先のレコード会社の中で最も有力な6人の知人を選んで電話をかけた。
  あいにく6人とも不在だったので、ブライアンは秘書に『折り返し電話を下さい。』と、メッセージを残した。
  この時点でまだブライアンは『まず契約は確実だろう。』と安心していた。
  『ビートルズの才能は、誰もが分かって当然』と思っていたからね。
  ところが翌日、ブライアンの自信は少しづつゆらぎ始めた。
  メッセージを残した相手が、誰ひとり電話を返してこなかったんだ。
  ブライアンは大きくため息をつくと、つぶやいた。『一社に的を絞るとするか。』
  それからブライアンは、ニヤリと笑って受話器を取った・・・。」
  〜 The Beatles / Baby You're a Rich Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fVtHztdkrnU

  〜 Pink Floyd / Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JkhX5W7JoWI

  (小林)(2曲目)これはアルバムは「ダークサイドザムーン(Dark Side Of The Moon)」1973年のアルバム。
  ビートルズの番組として、いろんな人が聴いていると思いますけど。
  ビートルズが60年代、一つの時代を作りましたよね。
  その途中で、そのビートルズから一番影響を受けた人たち、いっぱいいるんです実は。
  その一つがこの ピンクフロイド(Pink Floyd )。
  彼らはちょっとビートルズより若かったんだけども、ビートルズのやっている事を聞いて「じゃあ自分たちは…」ってことで、自分たちの時代を築いて行くんです。  
  それが1970年代まで続くんですけど。
  やっぱり、ビートルズから入ってね、そして「次はなんだろう?」っていう。人間て成長していくじゃないですか。
  で、ピンクフロイドに入って来ると、そのまま聴くことができます。
  まあ、そこまで行かない人もいると思います。
  若い人で、ビートルズの音楽にハマっている人がいたら、ピンクフロイドの…。
  ピンクフロイドの場合はビートルズと違って…
  例えば、ビートルズなんかの「サージェントペパー」みたいな感じで、アルバムごと聴くと、もうピンクフロイドの事が良く分かるっていうか。  
  人によってはハマってしまって、戻ってこれなくなったりするw、そういうこともあるわけですけども。
  というわけで、これはシングルとしても発売になった Money、有名な曲。

  その前が(1曲目)マジカルミステリーツアー(Magical Mystery Tour)1967年のアルバムから Baby You're a Rich Man。
  2曲。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ブライアンは綿密な計画を立て、レコード会社の有力な6人の知り合いに電話をした。
  あいにく全員が席を外していたので、秘書に伝言を残したんだ。
  だけど、誰からも連絡は返ってこなかった。
  そこで、ブライアンは作戦を変えた。
  相手を一つに絞ることにしたんだ。」
  こうした史実をきちんと証言してくれたのが、ブライアンの側近にして、またの名を「ミスターフィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となるアリステアの、興味深いインタビューから続けてみよう。


  「さっそくブライアンはニヤリと笑って受話器を取り、こうつぶやいた。『一番大手から攻めるとするか』
  標的は当時 名実ともに世界最大のレコード会社を誇っていたEMI=Electric and Musical Industries 。
  ブライアンはNEMSの社長として、EMIのマーケティング部長をしていたロン・ホワイトとロンドンで会うことになった。
  ブライアンはまず「大量のレコードを返品無しで仕入れている、という条件で卸価格を値引きしてほしい。」という話しを切り出した。
  この申し出を、ホワイトは丁重に断った。
  EMIは値引きをしない、という不文律をブライアンも充分に承知していたんだ。
  そしてその次にブライアンは、ロン・ホワイトに会いに来た本当の理由を告げた。
  『ホワイトさん、今日僕はあなたに聴いて頂きたいレコードを持ってきたんです。』
  いつもとは、立場が逆転していたわけだけど、ホワイトも折り目正しいビジネスマンで、リバプールからやってきた大事なクライアントの申し出を断ったりはしなかった。
  この時ホワイトが聴いたのは、イギリス人シンガー=トニー・シェリダン(Tony Sheridan)が歌う『マイボニー(My Bonnie)』
  バックバンドは“ビートブラザース”と名乗っていて、それは耳をつんざく熱狂的な演奏であった。
  ブライアンはしつこく念を押した。
  『聴いてもらいたいのは、歌ではありません。バックバンドの演奏なんです!。』
  〜 Tony Sheridan & The Beatles / My Bonnie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m7gV_md-obg

  〜 Del Shannon / Runaway
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0S13mP_pfEc

  (小林)(2曲目)これはデル・シャノン(Del Shannon)のランナウェイ(Runaway)という曲です。
  逃げて行った女を追いかける男心 というかw 失恋の歌。
  これは世界的な大ヒットでね、1961年の6月にはイギリスのナンバーワン、そして3月にはアメリカでナンバーワンを記録する。
  日本でもこれはヒットしたし、日本語バージョンもヒットしたりしました。
  で、これがヒットしていたころ、まだ無名のビートルズは、ドイツのハンブルグで録音をしました。バックを務めたわけですね。

  Tony Sheridan & The Beatles のクレジット、つまり、バックバンドがビートルズ。
  (2曲目)マイボニー。というわけで、1961年頃の時代の空気が伝わっていますか?
>>316 
訂正  (1曲目が)マイボニー(My Bonnie)。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして必ずお送りしております。

  (東京都足立区/男性)
  うちの8歳の息子がビートルズの大ファンです。
  息子が雑誌を読んでこの番組を知ったらしく「BayFMってどうやって聴くの?」と騒いだのがきっかけで家族全員で聴き始めました。
  「もっと早く聴けば良かった!」と息子が言っています。末永く番組が続く事を願っています。
  息子の一番好きなアルバム「ビートルズフォーセール(Beatles for Sale)」から、大好きなポールのリードボーカルのWhat You're Doing をリクエストします。
  (小林)
  これはおそらく、8年か9年ぐらい前に一回かかったばかりだと思います。
  これがかかると、2回目だと思います。

  〜 The Beatles / What You're Doing
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F-75xwiT99Q

  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=D7P_zqw5Bro

  (江戸川区/女性)
  毎週父と一緒に聴いています。父の影響からか、小さい頃からビートルズが好きでいろいろな曲を聴いていました。
  ビートルズが出て来る映画「イエローサブマリン」の中で歌われているHey Bulldogが好きで、その映画を今でも見たりCDで聴いたりしています。
  なので、ぜひHey Bulldogを。
  (小林)
  リクエストにお応えしました。
  (小林)
  さあ、またお馴染みの曲がかかります。
  名前とか住所が書いていないんですが、もし聴いていたら知らせて下さいね。
  イシイ食品から素晴らしいものが送られます。
  ふくたびん、としか書いてないね。
  
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eDdI7GhZSQA
□エンディング  
  (小林)きょうの「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  ビートルズの成功物語はね・・・
  結局はビートルズはレコード会社も決まって成功するって、わかっているんだけど。
  何回聴いても、面白いですよね。
  それから、当時の状況をまた違う人が語ると、ビートルズの曲が違うように聴こえたりしますね。

  リクエストの方もよろしくお願いします。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年5月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 5月20日)
 ・1970年(今から42年前の今日)
  ビートルズの映画「Let It Be」のプレミアがロンドンとリバプールで開かれました。
  しかし、ビートルズのメンバーが参加した、という記録は残っていません。
  ぜんぜん来なかったんですね。
  ポール・マッカートニーも来てないんだよね。中心になってね、一番積極的だったね。
  まあ、事実上解散状態にあった。
  そしてこの42年前の今日の夜は、ジョージ・ハリスンはスタジオへ行ってフィル・スペクター(Phil Spector)とアルバム「All

Things Must Pass」
  これの録音を始めています。
  これの仕事が始まったのが、やっぱり今から42年前の今日。
  ポール・マッカートニーはビートルズを蘇えらせようとして必死だったんだけども、
  ジョージ・ハリスンは自分の…、もうビートルズてのは自分の視線の中に無かったんだよね。
  自分がソロとして、ということで。
  ソロの活動を始めて、プロデューサーはフィル・スペクター。
  ジョン・レノンとジョージ・ハリスンはフィル・スペクターが大好きです。
  最終的には「All Things Must Pass」というタイトルのアルバムになって、これは3枚組です。
  ボックス入りの超大作。
  メンバーもやっぱりジョージ・ハリスンの人柄で、ギタリストだけでもジョージ本人の他に、デイブ・メンソン(Dave Mason)ね、
  それからエリック・クラプトン(Eric Clapton)、これはもう親友ですから。
  クラプトンに至っては、「レイラ(Layla)」のアルバムのレコーディング中でもあったけども、
  その自分の新しいい仲間たち、デレク&ドミノス(Derek & the Dominos)のバンドメンバー全員で参加しています。
  これはほんとに豪華なアルバムになっています。
  アルバムの中には、It Not For Youというボブ・ディラン(Bob Dylan)の曲もありますが、
  オープニングを飾るのは、ジョージとディランの共作、1970年という時代の香り、時代の空気を感じていただきたいと思います。
  では、そのジョージ・ハリスンのソロアルバムの1曲目に入っています、I'd have you anytime。

  〜 George Harrison / I'd have you anytime   
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LPrHaB8KCIk

  (小林)これが、ジョージ・ハリスンの「All Things Must Pass」。
  これはね、ジョージ・ハリスンは今までのビートルズに無かった、自分のコンセプトというか、自分が持っている感覚を売ることに成功したアルバムです。  
  1曲目がこの優しいジョージ・ハリスンの曲、でも、ボブ・ディランと一緒に作った曲、I'd have you anytime 。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ホワイトさん、この“マイボニー(My Bonnie)”という曲なんですが、聴いて頂きたいのは歌ではありません。バックバンドの演奏なんです。」
  これはビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインが、最大手のレコード会社EMIのマーケティング部長ロン・ホワイトに会った際の売り込み文句。
  ビートルズは巡業先のドイツ・ハンブルグで、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)というイギリス人シンガーのバックバンドとしてレコーディングしているが、
  その時にシングルとして発売されたのが“マイボニー”という曲。
  「ブライアンはそのシングル盤を持って、ロンドンでビートルズを売り込もうと必死だった。」
  この全てを証言するのは、彼の右腕にして心を許せる友人、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週も、このアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。


  「確かに、“マイボニー”の演奏は熱がこもっていて なかなか素晴らしいと思う。
  当時はハンブルグで、毎日一晩中演奏していたおかげで、その演奏力はかなりのものだったね。
  ただ、リバプールだけでも300ものロックンロールバンドがあって、もちろんロンドンではそれ以上、
  さらにロックンロールの大国アメリカに至っては、その数は数千、いや数万あったかもしれないわけで、
  レコード会社の連中は、それをわかっていたのは当然。
  自前のロックバンドとレコーディング契約するとなると、余ほどのオリジナリティを要求されるか、それとも間違いなく売れるルックスを持っているか、
  そのどちらかしかなかったわけだ。
  ビートルズも、まずまず可愛らしく魅力溢れるキャラクターだったけど、やはり彼らの魅力はそのオリジナリティにあった。
  ただ、1961年の12月のこの時点では、それをプレゼンする材料が無かったんだよ。
  本当に、残念だったね。」
  〜 The Beatles / P.S. I Love You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=p41xLRmEPoY
  
  〜 The Beatles / Ask Me Why
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6OKsR0dZQD0&feature=relmfu
 
  (小林)2曲続きました。 
  イギリスでのビートルズのデビュー曲は Love Me Do、そして2枚目のシングルは Please Please Me ですが、そのB面に入っていた・・・。
  B面ってわかりますかねぇw。昔は裏面とか言ったんですよw。そのB面に入っていた P.S. I Love You。
  そして Ask Me Why。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズも、まずまず可愛らしく魅力的あふれるキャラクターだったけど、やはり彼らの魅力はそのオリジナリティにあった。
  ただ、1961年の12月のこの時点では、それをプレゼンする材料が無かったんだよ。本当に、残念だったね。」
  こう話してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼は伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントにして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言はさらに続く。

  「ブライアンは当時のビートルズのPR材料である、ドイツ・ハンブルグでの録音物=トニー・シェリダンの伴奏をしたレコード“マイボニー”を、
  EMIのマーケティング部長ロン・ホワイトに聴かせたんだ。
  実は、1961年のこの録音の際に、ビートルズはドイツのポリドールと契約していたんだけど、
  その書面がドイツ語だったので、ブライアンも秘書である僕も、あまり内容を把握していなかったんだ。
  音楽業界で食べている人間として当然のように、EMIのロン・ホワイトは『契約書を英語に訳してもらって、吟味して下さい』とアドバイスしてくれた。
  そしてこの“マイボニー”のレコードを制作担当であるA&Rの担当者に持って行って『プロの意見を聞きたいと思う』とも約束してくれた。
  あとで思い返すと、世間知らずもいい所だよ。ブライアンも僕も。
  もちろんビートルズに、それを望むのは無理な話しだけどね。
  EMIの人間がブライアンの売り込みに時間を割いてくれたのは、NEMSという店がEMIにとってかなり大きなクライアントだったから、に他ならない。
  ブライアンが見つけてきた新人バンドなんて、最初からどうでも良かったんだよ。
  いつの世も同じだけど、つまりこういうことだよ。
  『遠いところをお越し頂き、ありがとうございました。後日、ご連絡をさし上げます。』
  と言うのは、『今回は不合格でした。』ということを遠回しに言ってるだけなんだよね。」
  〜 The Beatles / I'm So Tired
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MIENus8bJlY

  〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rP2obBFj1A4&feature=relmfu

  (小林)(2曲目)このバージョンはどうですか?、お馴染みじゃない方もいると思いますが。
  ビートルズの Ob la di, Ob la da、 つまり採用されなかったバージョン。
  これは1996年に出た「アンソロジー3」の中に入っていますけど。
  これも、なかなかいいですよねw。これは、けっこう有名な連中、ミュージシャンを呼んでやったんだけど、採用されなかった。
  「有名なミュージシャン呼んで、採用されなかった初めての曲」だと言われています。
  でも、採用されたやつは、初めてのレゲエナンバーみたいでね、面白いですけど。
  この頃から、なんかそれっぽい芽はある。
  良く聴くとジョン・レノンが、バックビートっていうギターを刻んでいるんですが、それがレゲエの始めなのかな、ビートルズのね、レゲエナンバーのね。

  その前は、ジョンの渋い傑作です。
  これはねえ、I'm So Tired という曲は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っているわけですけど、
  ジョンの閃きっていうのかな、なんか「ポールじゃないジョン」っていうね、すごいですよ、I'm So Tired から始まって、けっきょくは女の子に迫る歌ですよね。
  はい、2曲。
□アリステア・テイラーの物語(続き)「5」から
 ・「大手レコード会社EMIの連中は、新人の売り込みを断ることに関しては 百戦錬磨さ。
  ビートルズでさえも、最初は『後日ご連絡致します。』のひと言で、事実上不合格だからね。」
  こうした史実をきちんと証言してくれたのは、ブライアンの側近にして、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となるアリステアの、興味深いインタビューから続けてみよう。

  「ビートルズを何としても売り込みたかったブライアンは、もちろんEMIだけに絞ることなどしなかった。
  やはり大手のデッカレコードの取引担当者にも連絡を取って、マーケティング主任のピーチャー・スティーブンスのアシスタント=コリン・ポーランドとロンドンで会う約束をしたんだ。
  名目はEMIの時と同じ、値引き交渉。
  意外にもデッカの担当者は、値引きの話しをさっさと切り上げて、ビートルズの契約の話しを聞きたがったそうなんだ。
  この話しの流れにすっかり有頂天になったブライアンは、『デッカがビートルズのレコードを出してくれれば、NEMSは5000枚を購入する。』
  つまり、『うちの店で仕入れます』という条件まで提示したんだ。
  まったく破格の枚数だよ。
  人口の少ないイギリスでは、普通のシングルは全国でも5000枚なんて売れないからね。
  さらにブライアンは、デッカでも“マイボニー”を担当者に聴かせて『バックバンドの演奏に注目してほしい』と力説したんだそうだ
  このブライアンの熱意と提示した条件は、デッカの二人を説得するには充分だったんだと思う。
  さっそく彼らは、A&Rの担当者であるディック・ロウに話しをつけてくれた。
  ブライアンはロウと会い、ロウのアシスタントのマイク・スミスが、ビートルズのライブパフォーマンスを見に、リバプールのキャバーンまでやって来ることになった。
  もちろんブライアンは大喜び。
  ロンドンのレコード会社のスタッフが、わざわざ北の国リバプールまでビートルズを見に来てくれるなんて、前代未聞だよ!。
  我々はすぐに、その段取りに追われたんだ。」  
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven(Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Qnz3qaw9kIg

  〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1bJpJsw-Juo 


  (小林)ジョン・レノンのSweet Little Sixteen。
  チャック・ベリー(Chuck Berry)という、ねえ、ロックンロールの元祖みたいな人の曲ですが。
  それをジョン・レノンが「ロックンロール」というロサンゼルスで録られた(アルバム)、プロデューサーがフィル・スペクター。
  この「ロックンロール」の時に、ジョン・レノンとフィル・スペクターは仲たがいするわけですけども。
  フィル・スペクターがプロデュースしています。
  この二人が仕上げた、チャック・ベリーのSweet Little Sixteenって、僕はすごいなあと思うんですけども。
  どうでしたかね。
  
  その前は、ビートルズがドイツ以外に初めて行った外国ですよね、ストックホルムのカーランプラン・ステューディオンていう、
  スタジアムだと思うんですけど、そこでのライブ。
  いきなり女の子の声が「ワァ〜」っと聴こえるでしょう。
  ライブです、もちろん。
  これは例の「アンソロジー1」の中に入っています。
  ジョージ・ハリスンがリードボーカルをとっている Roll Over Beethoven。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  FAXでもハガキなんかでもOKなんですけど、よかったらどうぞ。w
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして必ず送っておりますのでよろしく。

  (千葉県白井市/女性)
  英語の授業の時、先生が「ビートルズは3人しか思い出せない。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター」と言われてしまいました。
  ジョージはビートルズをインドに導いたり、シンセサイザーで作曲したりして、ビートルズの新しい文化を持ち込んだのに、忘れられてばかりで悲しいです。
  (小林)
  あなたはジョージ・ハリスンのファンなんだ。
  そういう人ってけっこう多いよ。ジョージ・ハリスンが好きなミュージシャンの人にも、大好きって言う人がいます。
  典型的なのは、高橋幸宏。YMOだった高橋幸宏。もうジョージが大好き、歌い方もジョージみたいな歌い方をします。
  ということでリクエストは、リンゴのジョージへの歌。

  〜 Ringo Starr / Never Without You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LIQaPhaM5q8

  〜 The Beatles / If I Fell
  ttp://www.youtube.com/watch?v=f8hsGt3TFe0

  (小林)
  ちょっと哀愁漂う曲が(続きました)、リンゴ・スターがジョージ・ハリスンを思って歌っている曲。
  そして(2曲目)これは、リクエストは
  (高校2年/女性)
  私がビートルズに出会ったのは去年の冬。
  クラスの友達に熱狂的なビートルズファンがおり「そんなにすごいのか?」と思い、
  「一番最初に聴くなら」と勧められた「A Hard Day's Night」と「Past Masters Vol.2」を聴いたのが初めてでした。
  洋楽は初めてだったのですが、美しいメロディに魅かれてとても気に入りました。聴いているといつでも気分が落ち着きます。
  最近ではジョージ・ハリスンのソロもその友達に勧められて聴きました。
  とても声が美しくて、聴けば聴くほど引き込まれます。 (小林)ジョージ・ハリスンファンの女の子が二人続きましたね。
  曲(リクエスト)はビートルズとして If I Fell。
  (小林)あなたも16歳!。
  (栃木県鹿沼市/女性)
  こんばんは。この「ビートルズから〜」を聴くのが日課になっています。
  リクエストは桑田佳佑・桜井和寿の「奇跡の地球(ほし)」が聴きたいです。
  このコラボのように、ポール・マッカートニー・桑田佳祐がコラボしてほしいな、と思います。 (小林)まだ、これは可能だね。
  克也さんこれからも体に気を付けて仕事がんばって下さい。
  (小林)
  わかりました。
  さあ、それじゃあ…、あれはすごかった。
  これはどっちが気に入って…どっちが、ていうか、影響受けてるよね、桜井君もね、桑田佳佑にね。
  桑田佳佑はどちらかというと、ポール・マッカートニー的な器用さを持っていますが、精神的にはジョン・レノンだとw 思っています。
  桑田君の今は亡きお姉さんがね、ジョン・レノンの大ファンだったていう話しが有名ですよね。
  だから、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと結婚した時には、実家が小野洋子の実家の近くだったので、夜こっそりお姉ちゃんと一緒に「お前、来い!」って言うんで付いて行って、
  その実家に向かって石を投げたw、っていう話しが、我々の間ではとても有名な話しですがw。

  〜 桑田佳祐&Mr.Children(桜井和寿) / 奇跡の地球
  ttp://musicpvmw.blog86.fc2.com/blog-entry-4817.html

  〜 The Beatles / We Can Work It Out
  ttp://www.youtube.com/watch?v=g--Vlij1X1Y


  (茨城県行方市/男性)15歳。
           (小林)きょうは、みんなティーンエイジャーばっかりじゃなかったかな?。10代ばっかりじゃなかったかな。
  初めて投稿します。 We Can Work It Out をお願いします。
  (小林)
  桑田佳佑・桜井和寿の「奇跡の地球」からパッとこうつながると、
  なんか(鹿沼市/女性)さんが言ってた“コラボ”みたいな感じだったよね。
331ジョン・キロックノン !ninja:2012/05/28(月) 18:58:29.99 ID:mdcdRDuJ0
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?。
  話しの方は、まだビートルズがぜんぜん売れない、どこのレコード会社も相手にされない、っていう。
  マネージャーのブライアンが、もうほんとに苦戦しているところ。
  ここら辺がけっこう、ほんとに毎回言うんですがw、僕は一番面白い。
  だからビートルズがレコード会社断られるわけですよね、それがビートルズの生涯の、自分の頭の中にある生涯の名シーンなんですよね、僕にとってはね。
  そこら辺を、お伝えしております。

  そして、きょうは若い方の、10代の人たちのリクエストに応えましたけども。
  10代の人たちがね、ビートルズを聴いているってのは、ほんと心強いです。
  リクエストよろしくお願いします。
332ホワイトアルバムさん:2012/05/29(火) 15:50:52.22 ID:???i
石投げた話知らなかったぞ

今ならツイッターが炎上するw
333ホワイトアルバムさん:2012/05/29(火) 18:21:07.03 ID:???0
石投げただけで、別に窓割ったとかではないんだろ。
334ホワイトアルバムさん:2012/05/29(火) 22:37:42.92 ID:???0
■ジョン・レノンスーパーライブについて
・うちの姉貴は辻堂のオノ・ヨーコさんの家へ石投げに行ってました。
ファンだったから。ガシャンと音がすると、「すぅーとするんだ。」といって帰って来ましたけど。
どうしようもないよ。あの女は。
・この間ヨーコさんから直筆のお手紙いただいちゃった。書き出しが、佳祐さん。いいよぉ。俺のお袋と同い年。
そんな長い手紙じゃないですよ。、この度のことでよろしくお願いしますということなんですけど。
http://kuwanism.seesaa.net/article/236352431.html
(≧o≦;)アチャ〜
またもラジコ不調で一部録音に酸っぱいでした。
ビートルズカレンダーとストーリーの1部が欠けました。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年5月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也


★18時20分頃から

□アリステア・テイラーの物語
 ・「ビートルズのメンバーは、4人とも楽器の演奏技術に優れているだけでなく、ボーカルやコーラスも極めて魅力的です。
  ライブで演奏される楽曲のほとんどがオリジナルで、メンバーの一人はフリフ・リチャードを上回る名曲だと思われる新曲を書いてきました。
  どうでしょう?。今一度お考えになっては?。」
  これは1961年当時 ビートルズのマネージャーになったばかりのブライアン・エプスタインが、なかなか連絡を寄こさないEMIレコードの制作担当者ロン・ホワイトに宛てた手紙の文面である。
  証言してくれたのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物。
  アリステアの貴重な証言から続けてみよう。

  「ブライアンからいくら急かされたところで、EMIのロン・ホワイトも返事のしようが無かったんだよ。
  なんせホワイトはEMIの社内プロデューサー4人のうち3人から「ビートルズ?ああ、あれなら必要ないな」とか
  「リバプール?笑わせるなよw」とか「NEMSは大切な取引先だろ、ロン。君が上手くやっといてくれよ。」
  といった具合に、ダメ出しされていたんだ。
  ちなみに4人目のプロデューサーは、バケーション中でロンドンにはいなかったらしいんだよね。s
  結局、ホワイトから来た返事はこうだった。
  『現在、ビートルズと同じような編成の多くのバンドとの契約が纏(まと)まりつつあり、我々EMIとしましては、これ以上新しいバンドと契約することは不可能だと思われます。なにとぞ ご了承ください。』
  もちろんブライアンは落ち込んださ。
  でも、すぐに気持ちを入れ替えて、EMIの宿敵=デッカレコードのマイク・スミスを待つことにした。
  さあ、今度は本当のビートルズを地元リバプールのキャバーンで見てもらえる。
  彼には確かな勝算があったんだね。」
  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oroSpLjkCvo
  
  〜 Rolling Stones / Route 66
  ttp://www.youtube.com/watch?v=wxhLVMhsbAE
 
  (小林)やっぱりこれもすごいね。声援が。ローリングストーンズの Route 66。
  ライブです。イギリスでのライブですが。
  ローリングストーンズはこのころ、ビートルズよりちょっと遅れて人気グループになるんだけど。
  最初はストーンズはカバーばっかりだったっていうね。
  
  その前は I Saw Her Standing There。ビートルズの1963年。ちゃんともうビートルズはオリジナルをやっていました。
  (アルバム)「Please Please Me」の中に入っていました。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「EMIへの売り込みの時は、ハンブルグで中途半端に録音したレコードしかなかった。でも今度は違う。
  デッカレコードの担当者には、正真正銘ほんとうのビートルズを本拠地リバプールのキャバーンで見てもらえ。
  何が何でも、契約に漕ぎ着けるぞ。」
  これは1961年12月13日のブライアン・エプスタインの心のつぶやき。
  証言するのは、そのブライアンの側近中の側近で、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となる彼の興味深いインタビューから、さらに続けてみよう。

  「この日ブライアンは、『二度と失敗は許されない』と心に決め、準備万端で臨んだ。
  デッカレコードの制作アシスタントのマイク・スミスを空港で出迎え、予約したホテルに連れて行ったあと、
  先ずは行き付けの高級レストランでの夕食に招待。
  そして夜も更ける頃、ビートルズの本拠地キャバーンに到着した。
  すると、このロンドンから来た青年はどんな反応を見せるかと思いきや、何と1曲目から大興奮で、踊りまくってるんだよ!。
  いやあ、これには驚いたね。
  もちろん、ハンブルグでのあのギャラをもらうためだけの中途半端な“マイボニー”のレコーディングに比べたら、
  ライブハウスでのビートルズの方が100倍以上は魅力的でエキサイティングであることは、ブライアンも僕も自信があった。
  しかし、ロックバンドなんて見飽きるほど見ているであろうロンドンの大手レコード会社のスタッフが、これほどまでに興奮してくれるとは・・・。
  ブライアンは嬉しさのあまり、顔を真っ赤にしてはしゃぎまくっていたね。
  プレゼンは大成功だった、ってわけだ。
  結果、このデッカレコードのマイク・スミスは、年が明けて1962年の元旦『ビートルズにはぜひ、ロンドンのデッカスタジオにオーディションレコーディングに来て欲しい』と提案してきた。
  さあ、いよいよその日がやって来るのである。」
  〜 The Beatles / Johnny B. Goode (Live at BBC)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u8wzFzhr4G8&feature=related

  〜 The Beatles / Back in the USSR
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PxyISsA0Oh0

  (小林)ビートルズがチャック・ベリー(Chuck Berry)のカバーをやっています。2曲続きましたね。
  Back in the USSR ホワイトアルバム(The BEATLES)に入っているやつ。

  そしてその前は、これはCDレコードじゃなくて、BBCにビートルズが残した録音から Johnny B. Goode。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  ハガキやFAXでもOKですけど。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  できれば住所それから電話番号もあると良いんですけどね。

  (住所不明/最後の愛のメッセ)
  All My Loving をお願いします。
  世界中のビートルズファンなら知ってると思いますが、ジョンが銃弾に倒れた病院でたまたま流れていたのが、この曲だと言われていますね。
  この曲の出だしを聴くたびに胸が痛みます。
  (小林)
  え〜っ、これほんとだったのか?。知りませんでしたね。
  だけど、向こうの病院で音楽流れないし。
  う〜ん、ちょっと・・・。知りませんでした。ほんとなのかな?。
  どういう状態で流れていたのかな。
  というわけで、あなたのリクエスト。

  〜 The Beatles / All My Loving
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T098BBuvmjs

  〜 The Beatles / Misery
  ttp://www.youtube.com/watch?v=YSUz9iNVU7Y

  (小林)
  これはもう、ビートルズの初期のにおいがするね。 Misery。
  (柏市/女性)
  初めてリクエストいたします。先日Thankyou Girl がかかりました。とても良いです。
  それを聴いてリクエストします、 Misery。
  この曲は軽快で、聴いてて楽しくなります。皆さんもそう思いませんか?。  
  (小林)
  おそらく、ピアノのフレーズなんかが、こう心躍るみたいな感じがして、そんな感じかと思います。
  (草加市/男性)
  突然ですが、不思議な体験をしたので報告します。
  ラジオで克也さんがボブ・ディランの曲解説をしていた時、初めて「ディランがディランに追いついた」と思いました。
                           (小林)ディランがディランに追いついた?
  また、私自身もディランに追いついた事を感じました。
  サイズの合わなかったYシャツが、ぴったり自分の体型にフィットした、そんな瞬間でした。
  全ては“Blowing in the wind"、あの歌い方や声が年不相応で苦手でした。
                           (小林)あ、そうですかねえ。僕は「若いな」と思いましたけどね。
                            そうか、年寄りっぽい声帯をこするような声だったから、なのかなあ。
                            けっこう若い声だと思いますが。
  しかし、当時35歳の彼が歌ったこの曲は、あの歌い方や声がないと成立しないし メッセージも届かないと思うんです。
  ディランがディランしている。最高にカッコイイナンバーをぜひお願いします。
  (小林)
  これはカッコいいって言うか、ディランは本気でしたよね。
  ハリケーン(Hurricane)ていう、黒人のボクサーが殺人という冤罪を着せられて投獄されて、無罪を訴えるんですけど、みんなが応援するんですけど、なかなか出してもらえなかった。
  とうとうボブ・ディランも、そのハリケーンの物語を歌にいたします。
  これは、デンゼル・ワシントンが主演した映画で、忠実に描かれているんですけど。
  さあそれでは、ボブ・ディランが 自分も「これはけしからん」と思って、ボブ・ディランも書いて歌った曲です。Hurricane。

  〜 Bob Dylan / Hurricane
  ttp://www.youtube.com/watch?v=wy0d1oPxLuk&feature=related

□エンディング  
  (小林)きょうの「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
  ボブ・ディランの曲で始まって、ボブ・ディランの曲で終わりました。
  ディランとビートルズは切っても切リ離せない。
  面白いのは1963年とか64年頃は、特にジョン・レノンはね、過激な発言をする人ですけども、ボブ・ディランはフォークの人だったわけで。
  ディランの悪口言ってるんだよね。「あんなのロックンロールじゃない」なんてね。
  だけど、ディランのすごさってのは、よく聴いたら分かってくるわけですね。
  ディランの影響を一番受けたのがジョン・レノン。
  さっきも言いましたが、ジョージ・ハリスンは、もうボブ・ディランと親友になって、一緒にいろんな音楽を作ろうとするわけですよ。
  一つの例は、ロイ・オービソンなんかが参加した「トラベリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)」ていう80年代のグループですよね。
  あれは、ディランっていう人はね、あんなことやる人じゃないんだけど、やっぱり友達が「やろうよ」ってボブ・ディランを引き出したっていう。
  面白いですね、そういう話しは。
  始まりがあったわけですね。ディランとビートルズを引き付けたものがあったわけです。

  さあ、リクエストを待っています。
  どんな事を書いてもいいです。
  ビートルズの初心者の方も大歓迎です。
  大ベテランの顔をする必要は無いんだよ。ね。
  自分はぜんぜん知らないけど〜っていうのも・・・大歓迎なんで、よろしく。
  待っています。
  
343ホワイトアルバムさん:2012/06/02(土) 02:35:10.47 ID:???0
これネットで聞きたい
344ホワイトアルバムさん:2012/06/02(土) 09:19:18.55 ID:???0
ラジコってやつで聞けるんじゃないの?
345ホワイトアルバムさん:2012/06/02(土) 14:22:18.15 ID:???0
>>344
ラジコだとエリア制限があるからね
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年6月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 6月3日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のアルバムがイギリスで1位になります。
  まあこれは、何と言うんですか大変な出来事っていうか、起こるべくして起こった事なんですけど。
  結局この「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」のアルバムは、イギリスでは500万枚、アメリカでは1000万枚のセールスを記録します。
  ビートルズは1966年にツアーを終えて「もう絶対ツアーはやらない」って宣言して、完全にレコーディングでアルバムを出していく、シングルを出していくグループになって初めてのアルバムです。
  で、アメリカとイギリスのレコードを出す事情が違っていた ていうのはご存知だと思うんですが。
  アメリカは「キャピトル」からですね、ビートルズに「シングルを出してくれ、シングルを出してくれ」って言われてたんで、
  じつは、「ペニーレイン(Penny Lane)」と「ストロベリーフィールズ(Strawberry Fields Forever)」これは両A面でアメリカで出るわけですけど。
  これも本当は「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」に入れるつもりだった、みたいですよね。
  ただそれをキャピトルにあげてしまったんで・・・
  この曲が2つ入ってたら、すごいことになっていたなあ、と思うんですけど。
  ロック史上初の、トータルコンセプシャルアルバム、トータルアルバム、コンセプトアルバム。
  こないだこの番組で、ピンク・フロイド(Pink Floyd)のことを紹介した時に『ピンク・フロイドは1曲だけ聴くのはあまり意味が無い』ていうような事を言いましたけど。
  ビートルズに刺激を受けたピンク・フロイドは、ずーっとトータルコンセプシャルアルバムを出していくんですよね。
  ビートルズのこのアルバムも、最初から最後まで聴かないと意味が無いっていう感じもします。
  それから、ビートルズとアメリカのビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)はけっこう競争関係にあって、お互いに意識していた。
  ビートルズを聴いてビーチ・ボーイズが「ペットサウンズ(Pet Sounds)」ていうアルバムを出すんですよね。
  で、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)は、音楽を中心になって作っていた人ですけども、
  このサージェントペパーズのアルバムを聴いて、自分が一生懸命作っていた「スマイル(SMiLE)」のアルバム…、「あ、これやばいよ」っていうことで
  結果として引っ込めることになるわけですね。
  ポール・マッカートニーなんかは特にブライアンを注目していて、「ペットサウンズ」なんかは大絶賛しています。
  ポール・マッカートニーとブライアン・ウィルソンは今月そろって70(歳)になりますが。
  さあ、それまではシングルの寄せ集めみたいな感じの“アルバム”だったわけですが、ビートルズがこのアルバムを作って“コンセプトアルバム”全部なんか感覚的につながっているような感じ。
  このアルバムは1曲目から2曲目は繋がっていますよね、ポールのアイデアで“サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド”ていう架空のバンドを作って。
  まあ、名前の意味が「寂しい者 友の会」みたいなバンドですから。
  で、2曲目がリンゴが…、ちょっとボーカルに自信のないリンゴが「上手く歌えないかもわかんないけど、手伝ってくれる?」
  もうコンセプトが、歌の歌詞もあれですよね、1曲目から2曲目でつながっている感じです。
  その1曲2曲続けて聴いてみましょうか。

  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band- With a Little Help From My Friends
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eN9NfYC3HC0  

  (小林)45年前の今日、イギリスでアルバムチャートで1位になった「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」。
  もう、史上初の“トータルコンセプシャルアルバム”というわけですが、1曲目から2曲目につながる様は最高でしたね。
  その Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band- With a Little Help From My Friends 2曲お送りしました。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「このバンド ビートルズ。確かに間違いなくすっごいビートを持っていますよ。
  おまけに曲もボーカルもコーラスのセンスも素晴らしい。僕、もう決めました。
  年明け、元日早々で申しわけありませんが、朝10時にロンドンのデッカスタジオまで来て頂けませんか?
  オーディションレコーディングが出来るように僕が上司を説得しますので、いいですね?よろしくお願いしますよ。」
  すっかり興奮状態でまくし立てているのは、ロンドンの大手レコード会社デッカの若手スタッフ=マイク・スミス。
  片やすっかり聞く側に回っているのが、ロックの歴史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  こうしたやり取りを証言するのは、ブライアンの右腕にして心を許せる友人、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。


  「このマイク・スミスの好感触を受けて、さすがのブライアンもホッとしたんだと思う。
  とてつもなく大きなため息を漏らしたんだ。
  そしてマイクはさらにこう続けた。
  『本当は上司のディック・ロウにもこのライブを見てもらうべきなんでしょうけど、もう時間がない。
  とにかく僕が全部仕切りますので、スケジュールをお願いします。』
  ブライアンはもちろん上機嫌になっていたよ。
  なにせ、サクセスストーリーへの記念すべき第一歩を踏み出したんだからね。
  これは、ほんとうにすごい事だと思ったよ。
  もちろん、このことをビートルズのメンバーに伝えると、それはもうブライアン以上、こんな幸せはないってぐらい興奮していたね。
  ライブの後のお疲れ様の一杯の時、ジョンが何度も言うんだ、『ついにやった!ついにやったよ!』ってねえ、とにかくハッピーな夜だった。
  ほんとうに。」  
  〜 The Beatles / I'm Happy Just To Dance With You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=KWVzNtzpW84
  
  〜 The Beatles / Happynes is Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BsDFxmbjZ7I&feature=related
 
  (小林)まあ、これは最高傑作と言う人もいますが、(2曲目)Happynes is Warm Gun。
  ジョン・レノンの作品、「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っている。
  これ「inspired by Yoko Ono」ってありますからね。
  だけど、この頃のビートルズほど影響があった人は無いですよね。

  その前は(1曲目)I'm Happy Just To Dance With You、「A Hard Day's Night」に入っています。
  ジョン・レノンが書いて、リーダーですから、ジョージ・ハリスンに歌わせたという曲です。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ライブの後の お疲れ様の一杯の時ジョンが何度も言うんだ、『ついにやった!ついにやったよ!』って。
  とにかくハッピーな夜だったよ、ほんとうに。」
  ジョンがここまで興奮している理由、それは年が明けてすぐ1962年の元旦、ロンドンの大手レコード会社デッカのオーディションレコーディングが決まった事によるものである。
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言から、続けてみよう。

  「こうして、なんとか大手レーベルのオーディションが決まったおかげで、ブライアンとビートルズの4人との信頼関係はますます強くなったね。
  時間的には数週間なので、それほど手間取ったようには見えなかったけど、ブライアンにしてみたらかなり手こずった部類に入る交渉だった。
  この一件で、レコードを小売りするというビジネスと、レコードに関する音源を制作するということは、同じ音楽業界の中にありながら、あまりに遠い事である、とブライアンは認識したわけだ。
  学生バンドとしてジョンが結成した“クオーリメン”から数えると、すでに5年近くも演奏活動を続け、
  リバプールを拠点とするマージーサイドから飛び出し、ドイツのハンブルグにまでその演奏の場を求めた。
  とにかく聴いてくれる客がいれば、どんなに体力的にきつくてもがんばり抜いた4人が、ついにイギリスの都ロンドンに進出する。
  ジョンだけではなく、ポールにもジョージにも、そしてピートにとっても、それは遠い道のりだったように思えた。
  ギャラをもらえるようになってからは、まだ2年弱ではあったが、その内容は十年選手以上だったね。
  連中はついにやったのさ。スタート地点に立ったんだよ!。」
351ホワイトアルバムさん:2012/06/06(水) 17:52:44.25 ID:???0
ブライアンのレコード屋がなかったら、この組み合わせではスタートできなかったんだな

交渉の話は、ビー以前の状況がわかって面白いな
  〜 The Beatles / Twist and shout(Live At The Star Club)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ukWaX13FBlc

  (小林)これは1962年、ハンブルグのスタークラブでのライブ。
  もう、音が悪いです。音が悪いからこそ貴重だと言う人もいます。
  ビートルズの Twist and shout。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ギャラをもらえるようになってから、まだ2年弱ではあったが、その内容は十年選手以上だったね。
  そう、連中はついにやった。ようやくスタート地点に立ったんだよ。」
  1961年11月13日、ロンドンのメジャーレコード=デッカから派遣された青年マイク・スミスが、キャバーンでビートルズの演奏を見た瞬間、オーディションのスケジュールが決まった。
  年が明けてすぐ、元旦の朝10時からである。
  こうしたビートルズにまつわる数々の史実を証言するのは、マネージャー=ブライアン・エプスタインの側近中の側近、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となる彼の、興味深いインタビューから、さらに続けてみよう。


  「1961年の大晦日。まずブライアンが特急列車でロンドンに向った。
  ビートルズはその時のドラマー=ピート・ベストの家の下宿人で、バンドのローディをボランティアでやってくれていた二ール・アスピノールが運転する大型のバンで、何人かの友達と一緒にロンドンまでやって来たんだ。
  あいにく天気は大荒れ、猛吹雪。そのせいで連中ルートを間違ってしまって、普通なら5〜6時間で到着するところを12時間もかかってしまった。
  そろそろ夜が明けるという時間になっていたんだ。
  おまけに4人は立ち寄ったドライブインで、不良連中からもらった何やらイケナイ物を試してしまったらしく、メンバーの4人はボーっとしていたらしかった。
  一応素泊まりの宿に入って仮眠をとったんだけど、もうコンディションは最悪。
  朝食を摂ろうとレストランに入ると、スープだけでも日本円で1000円を超える値段。
  ここはロンドン、リバプールとはかけ離れた別世界だった。
  こんな酷い状況の中、ビートルズはオーディションを受けるため、デッカレコードのスタジオに向かったんだよ。」
  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8PZWGGkrMCk

  〜 Rolling Stoness / Honky tonk woman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2Kve_N8rmmQ
 
  (小林)いかがですか?2曲つながりました。
  ビートルズの、というかポール・マッカートニーの Oh! Darling。
  これは「アビーロード」に入っているやつです。1969年です。
  
  そして同じ1969年、これはアメリカで4週間にわたる1位を続けて、イギリスでももちろん5週間1位を続けた、ローリングストーンズの大ヒット Honky tonk womanです。
  ローリングストーンズは最初は、作曲作詞をしなかったわけですよね。
  だけどビートルズはずっとオリジナルを書いてて、ローリングストーンズもビートルズに追いつけと、オリジナルを書くようになるわけですよ。
  でも、たとえば「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」でやると、ストーンズも似たようなやつやるんだけど、
  「ああ、ビートルズの真似してるんじゃないか? おまえら」みたいなところがあったんですけど。
  この Honky tonk womanていう曲は、ローリングストーンズが出している「ビートルズに無い世界」なんですよね。
  アメリカの南部の“スワンプロック”ていうか、独特の音楽なんですよ。
  これでやっぱりローリングストーンズは「ビートルズに追いついた」みたいな感じでしょうね。
  これが70年代に入って“ブラウンシュガー(Brown Sugar)”っていう世界につながっていくわけです。
  けっこう面白いね。67年の話しをしましたよね。「サージェントペパー」が出たね。
  67、68、69(年)っていうのはねえ、音楽的にめっちゃくちゃ面白い。
  若い人たちで興味があったらねえ、もう、入りこんで下さい。
□リクエスト
  (小林)
  [email protected] ほとんどはこのメールから来ています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  電話番号だとか住所とかそういうのは(書いて)名前もはっきり言って欲しくなかったら匿名希望とか指定をしてよろしく。

  (千葉県山武郡/男性)
  リクエストしたい曲は Run For Your Life 。僕は15歳でバイトをやっています。バイト中にいつも聴いています。
  楽しみは、賄いのラーメンとこの番組だけです。
  小学校のころからビートルズが大好きで、友達と話しが合わなくて大変でした。
  先日、彼女と別れたばかりで落ち込んでいる時に、この曲を聴いたら、なんだかスッキリしました。(笑)
  もっとスッキリしたいので、ぜひ流して下さい。えびすぶためん。
  (小林)
  ぶためんw、聴いてたら名前教えてね。よろしくねw。
  この Run For Your Life てのは、あれだね、「死に物狂いで逃げろ!」って曲だね。

  〜 The Beatles / Run For Your Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Gv_Y1kbZbJA

  〜 The Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds(Anthology 2)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nnf021OILT4

  (住所不明/男性)
  いつも聴いていますよ。早く中学校のモーツアルトの額の隣に四人の肖像画がかかるといいですねえ。
  (小林)
  いいこと言いますね。そうだよねえ。
  だけど、モーツアルトでしょ、ビートルズの四人をやるでしょ、そうするといろいろ他にもw
  増えそうだよね、これねw。
  ヘタすると「日本のアーティストもかけてくれ」なんてw。リクエストが来るかも。
  切りがないからモーツアルトぐらいで止めてるんだろうね。w
  「Lucy In The Sky With Diamonds 珍しいバージョンで聴きたい」これアンソロジーの2に入っている、デモテープに近いバージョンをお送りしました。
  (成田市/女性)
  こんばんは、たいがい夕食を作りながら良い音楽と克也さんの楽しいトークを聴いています。
  克也さんの「邦題と曲の内容が違う時もあるし、曲の題名だけでは判らないということもある」と聞いて、なるほどと思いました。
  英語力がないので、洋楽は歌詞よりメロディーで好きになりますが、内容が判ったらより楽しいですね。
  CDを買って歌詞を勉強したいと思います。
  (小林)
  そうですね、CDを買って訳を見るのもいいし。
  今はネットでね、歌詞を紹介するサイト、腐るほどあるから、ほんとに。
  だけど、和訳なんかを提供してくれている中には、良いものもあるし悪いものもある、っていう。w
  悪いのは無いですけど、ちょっと間違えてるかな、っていうのも有ったりするんで。
  自分の力でね、英語の歌詞でそうとう勉強できますから、がんばってくださいね。
  (リクエストは)イーグルス(Eagles)のTake It Easyだ。
  これはねえ、7人のいろんなタイプの女から逃げている男の物語ですよw。
  行きましょう。
  
  〜 Eagles / Take it easy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AEzTdBJUHO8
  〜 The Rutles / Shangrila
  ttp://www.youtube.com/watch?v=KB58fXxmK2s

  (小林)
  なんかヘイジュードのくり返しみたいなね、これはほんとにもういっぱいビートルズのパロディが出てきますけど。
  (佐倉市/男性)
  こんばんは。僕は高校生です。最近ビートルズを聴き始めたんですが、
  この前友人に、「この曲はビートルズの未発表曲だよ」と言われ、ある曲を紹介されました。
  聴いてみると、曲も悪くなくコーラスもビートルズっぽい、でも後で調べたら、それはラトルズ(The Rutles)のシャングリラ(Shangrila)という曲でした。
  こいつら何者? 
  ビートルズではありませんが、ラトルズのシャングリラ、お願いします。
  (小林)
  友達に担がれたんだぁw。
  このラトルズはねえ、元々はイギリスのテレビでコメディショーがあって、それが「ラトルとその友達たち」みたいな感じのもので。
  「モンティパイソン」ていう有名なコメディのグループの一人が企画したもので、その番組のためにビートルズのそっくりさんバンドっていうのがわざわざ作られたんですよ。
  それが、ラトルズ。もう、そっくりさんなんだけど、雰囲気を取ってて、だけどちょっとオリジナルだよね。ビートルズじゃないよね。
  これがやっぱり良いパロディですよね。本当のモノマネじゃないからね。
  で、96年にアルバムを出していますが、「アキオロジー(Archaeology)」ていうアルバムなんですが。
  その中からお送りしました。
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?  
  ビートルズのデッカのオーディションはどうなるのかぁ!
  まあ、結果を知っていても、ちょっと楽しみですよね。
  
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  [email protected]
359ホワイトアルバムさん:2012/06/09(土) 08:17:04.97 ID:???0
15歳でバイトとか、彼女とか色々と壮絶すぎじゃね?
年齢間違えてね?
360ホワイトアルバムさん:2012/06/09(土) 09:40:04.67 ID:???0
土日だけラーメン屋でバイトならありかも
361ホワイトアルバムさん:2012/06/10(日) 18:56:54.42 ID:???i
今週の、江東区の人のリクエスト良かった。
年はいくつなのかも知りたかった。
362ホワイトアルバムさん:2012/06/10(日) 20:10:19.35 ID:???0
オレ十五の頃は部屋でラジオばっか聞いてたわ




いまもだな
363ジョン・キロックノン  忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/06/11(月) 22:02:01.30 ID:cknKZlya0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年6月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 6月10日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  ビートルズが世界的になった年。ビートルズは世界ツアーをやっています。世界ツアーの真っただ中。
  で、48年前の今日は、何かというとですね、ビートルズは香港で2回公演をやっています。
  でも、リンゴ・スターはいません。
  リンゴ・スターの代わりに、ビートルズよりちょっと年上のジミー・ニコル(Jimmy Nicol)というスタジオミュージシャンですね。
  セッションミュージシャンていうか、彼が選ばれてビートルズの代わりに来ているわけですよね。リンゴの代わりに。
  だからこのジミー・ニコルという人は、「12日間ビートルズになった男」としてw、ちょっと瞬間的に有名になるわけですけど。
  なぜかというとリンゴ・スターが、彼は体が弱いってことはご存知だと思いますが、扁桃腺がすぐ腫れる性質(たち)だったらしいですよ。
  6月3日に扁桃腺を腫らして、そして結局オーストラリア公演、6月12日のオーストラリアにブライアンと一緒にリンゴは来て、
  15日のメルボルン公園でリンゴ・スターは復帰するわけですけれども。
  その間はジミー・ニコル。
  もう、ビートルズはもう特別じゃないですか、こんな体験は無いわけですよ。一生しないような体験をニコルはするわけですけど。
  リンゴ・スターより背が高かったために、ズボンの…、リンゴのユニフォームを着るからね。
  ズボンの裾はツンツルテン、短かすぎるわけです。
  実際にスタジオミュージシャンだから、演奏は上手いですよね。
  でも、素晴らしかったという説と、ニコルは可愛い女の子に見とれて、あと“ギャ〜”ていう嬌声で、ポール・マッカートニーのカウントも聴こえなかったらしい、っていう。
  これは、どれも本当でしょう。
  このジミー・ニコルにとっては、怒涛の12日間だったわけです。
  リンゴ・スターはいない間でも、「リンゴのテーマ」はコンサートで演奏したそうです。
  じゃあ、ここで改めて「リンゴのテーマ」とも言うべき This Boy。  

  〜 The Beatles / This Boy 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VY-BzepTXkA 

  (小林)というわけで「リンゴ・スターのテーマ」とも言われる This Boy。
  リンゴ・スターのことが良く分かりますかねえ。
  リンゴ・スターていう人は、あの顔で、あのキャラクターで、ポーカーフェースなんですよね。
  それで、アメリカなんかでは、ジョンやポールなんかよりもリンゴ・スターが一番人気があったんですよね。この頃は。
  で、リンゴ・スターっていう人は、こういう歌が似合うわけですよ。だいたいちょっと失恋ぽい歌なんですよw。
  「あのボーイは君には合わないよ。このボーイは」 自分のことですよね。
  「君のことを好きだから、帰って欲しいと思っているし、もう君のことを好きに。愛するだけで本当に幸せなんだ」っていう。
  ちょっと哀れな、哀愁帯びたようなw リンゴ・スターの歌。
  これ、めちゃくちゃ似合ってる曲なんですよね。
  そういうことも、ちょっと感じて欲しかった。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「1961年の大晦日、まずブライアンが特急列車でロンドンに向かった。
  ビートルズは、普段より少し大型のバンでロンドンまでやって来たんだ。
  あいにく天気は大荒れで猛吹雪。そのせいで道を間違えて、通常より倍の時間がかかった。
  深夜到着したメンバーやスタッフを労(ねぎら)うため、ブライアンはパブでスコッチアンドコークを奢ってくれたんだ。
  こんな酷い状況の中、ビートルズはオーディションを受けるため、デッカレコードのスタジオへ向かったんだよね。」
  こんな状況を、細部にまで及ぶ証言をするのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人=アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週も、このアリステアの貴重なインタビューからお送りしよう。

  
  「1962年元旦。一番に到着したブライアンは、緊張している四人とともに、まだスタジオには姿を見せないデッカレコードの担当者マイク・スミスを待った。
  『プロなら時間に正確なのは当然だ』と信じているブライアンは、腹を立てないように辛抱強く我慢したんだ。
  自分もビートルズも、軽く見られているような気がしたんだね。
  だから、この朝のオーディションは、どうもしっくりこなかったらしいんだ。
  ビートルズの出番になって、自分たちの楽器アンプをセットしようとしたら、エンジニアが言うんだ。
  『なんだ!そのボロアンプは。そんなの使い物になんかなるか?セットしても無駄だ。やめとけ。スタジオのアンプ使えよ!』
  完全に上から目線だよね。
  どうも、何から何までがチグハグな雰囲気で、メンバーも落ち込むどころか、切れる寸前だったんだ。
  ブライアンはなんとか平静を装い、メンバーをなだめるしかなかったね。」
  〜 The Beatles / Dig A Pony
  http://www.youtube.com/watch?v=gY76eJWKUDQ
  
  〜 The Beatles / Taste of Honey
  http://www.youtube.com/watch?v=aklA-iwKkHE
 
  (小林)ビートルズの新旧というか2曲続きました。
  1970年の「Let It Be 」のアルバムに入っている名曲 Dig A Pony。
   
  そして Taste of Honey、これは元々ブロードウェイミュージカルの曲なんですけども、
  ティファナブラス(Tijuana Brass)って分かりますかね。
  ハーブ・アルバート(Herb Alpert)という人が率いていたバンドがあるわけですけど。
  彼らのインストゥルメンタルで世界的にヒットした曲のカバーです。
  これは1963年のアルバム「Please Please Me」に入っているわけですけが、
  ビートルズは本当に心からやりたかったのか、間に合わせなのか、ってのはちょっと分からないですね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「『なんだ!、そのボロアンプは。そんなの使い物になんかなるか?、セットしても無駄だよ。やめとけ!。
  スタジオのアンプを使えよ!』
  完全に上から目線だよね。
  どうも、何から何までがチグハグな雰囲気で、メンバーも落ち込むどころか切れる寸前だったんだ。
  ブライアンはなんとか平静を装い、メンバーをなだめるしかなかったね。」
  これはビートルズが最初に受けたオーディション、デッカスタジオでのひとコマ。
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言から、続けてみよう。

  「そうだね、僕もリバプールに行くまではロンドンで仕事をしていたんで、この辺りの労働者階級連中の気の短さはよく知っているんだよ。
  ロンドンは物価が高いせいか、早く仕事をしないと現金が入って来るのが遅くなる、っていう強迫観念からかどうか知らないけど
  とにかく気が短いんだね。
  リバプールの若い連中が生意気でけんかっ早いのとちょっと違って、とにかくロンドンの連中はせっかちなんだよ。
  ビートルズの四人は、このスタジオの空気にすっかり呑まれてしまった感じだったね。
  マネージャーのブライアンはこのやり取りを「マズいぞ」と感じて、なんとか落ち着かせようと気配りしたんだ。
  だって、あの生意気の塊(かたま)りジョン・レノンまでもが、顔面真っ青になるくらい緊張しているんだよ。
  そんなジョンを見るのは、最初で最後だったかもしれないね。
  なんせ前の晩は、深夜も深夜、明け方近くまで起きていたんだから。
  体力的にも精神的にも、最悪だったんだ。無理もない話しだよ。
  それでも残酷な事に、オーディションの時間って、やって来るもんなんだよねえ。」
  〜 The Beatles / Medley: Rip it up- Shake, Rattle and Roll- Blue Suede Shoes
  ttp://www.youtube.com/watch?v=oiyojMTGTZQ

  〜 George Harrison / Bye Bye, Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bfSYqPhN-7U

  (小林)いやあ、この6〜7分間てのはね、実は曲はみんなカバーばっかりなんだけど。
  ビートルズのなんていうか、ビートルズはこうなんだってのが、みんな出てるんですよね。

  (2曲目)いまやってるのが、ジョージ・ハリスンの Bye Bye, Love。
  この Bye Bye, Loveは、もともとコーラスなんかですごい影響を受けた、ジョンやポールがね、エバリーブラザーズの曲をジョージ・ハリスンがソロになってカバーしてるんです。
  1974年、これはもうジョージ・ハリスンの歌い方見て、ポールだとかジョンと一緒にやっていた時とは違って
  まるで、ポールかジョンみたいな力を出してるんですね。
  ボーカルの悟りみたいな。で、けっこう、崩してちゃんと歌ってるっていう。
  なんていうのか、これは偉いです。
  
  その前は(1曲目)1969年ですから、キーボードでビリー・プレストン (Billy Preston)が参加してて、ソロをビリー・プレストンやってましたけど
  Rip it up- Shake, Rattle and Roll- Blue Suede Shoes、ロックンロールのスタンダードをですね、もうふざけてるのが分かりました?
  もう、マジメにやってないんだけども。
  これはきっと、キャバーンクラブだとかライブでやる時はもう「俺たちはこんなの余裕を持ってやってるよ。遊んでるよ」みたいな。
  これは、なかなかできないですよ、ほかのグループ。
  これが、やっぱりビートルズの瞬間でしたね。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「前の晩は、深夜も深夜、明け方近くまで起きていたんだから、体力的にも精神的にも最悪だったんだ。
  無理もない話しだよ。
  それでも残酷な事に、オーディションの時間はやって来たわけだ。」
  こうした、ビートルズにまつわる数々の史実を証言するのは、
  マネージャー=ブライアン・エプスタインの側近中の側近で、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となる彼の、興味深いインタビューから、さらに続けてみよう。


  「1962年の元旦、デッカレコードの制作アシスタント=マイク・スミスとの約束は、朝の10時。
  メンバーのコンディション最悪の中、オーディションは始まった。
  実はこの時は、おそらくビートルズ以外にもオーディションに呼ばれていたロックバンドが、少なくとも一つはいたらしいんだ。
  だから、ビートルズがスタジオに通された時、すでにレコード会社の機材がセットされていたってわけさ。
  ビートルズ一人のためのオーディションじゃなかったんだね。
  だけど、その時はだれもそんな所まで気が回らなかった。
  ただ、ビートルズが最高の演奏をしてくれることを願っていただけなんだ。
  もちろん、このオーディションに臨むにあたって、所属事務所であるNEMSで何度かミーティングをしたんだけど、
  それは、デッカで演奏する曲を選ぶこと。
  なんせこの時点で、ビートルズはライブバンドとして百戦錬磨だったわけで、
  特にハンブルグでは、演奏する時間帯や、客の雰囲気によって、セットリストを変えていたんだ。
  特にポールは、ロックンロールとリズムアンドブルース以外の楽曲、例えばスタンダードとか、ミュージカルのヒット曲とか
  とにかくポップで良い曲だったら、何でも自分なりに解釈してアレンジするんだ。
  そんな事もあって、デッカで演奏する曲選びには、かなりの時間が必要だった。
  全員、真剣そのものだったねえ。」
  〜 The Beatles / Honey Pie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sFCpE20fzRQ

  〜 The Beach Boys / Sloop John B
  ttp://www.youtube.com/watch?v=RXUbONRNROM
 
  (小林)ビートルズ、ビーチボーイズ(Beach Boys)と続きましたよ。
  このビートルズ・ビーチボーイズは、当時はですね、大西洋アメリカ大陸をはさんで、お互いにライバルだったんですよ。
  ビートルズに「あっ、チッ!やられたぁ」とかブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)が言うと、またビートルズの方も「あっ!チッ、やられたぁ」。
  例えば「Good Vibrations」なんか、ポール・マッカートニーが「ああ、やられたあ〜」って言ったらしいですもんね。
  これは「Pet Sounds」の中に入っている(2曲目)Sloop John B。これはアメリカでもイギリスでも大ヒットした曲です。
  
  そしてその前は(1曲目) Honey Pie。
  やっぱり、ポール・マッカートニーの得意技ですよね。
  まるでミュージカルを見ているような感じですよね。
  あの「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っています。
□リクエスト
  (小林)
  リクエストは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。

  (ひたちなか市/男性)
  たしかに十代のファンは心強いですよね。うちにも高校2年の娘がいますが残念ながらコブクロオンリーです。
                    (小林)コブクロが好きならすぐビートルズなんか分かっちゃうよね。ビートルズの良さ。
  ジョージといえば、やはりクラプトンがいっぱい出してくれたコンサートに行けたのが、今となっては本当に良かったです。
  クラプトンが出っ張りすぎとか、クラプトンバンドとジョージの曲が合わないとかいろいろ言われましたが。
  とにかく生ジョージと同じ空間にいられただけで最高でした。
  実際には実物はほとんど見えなくて、モニターでしか確認できない2階席でしたけど。w
  リンゴのジョージへの追悼ソングがこの番組でかかったので、ジョージ・ハリスンのジョン・レノンへのリスペクトソングをお願いします。
  (小林)
  これはジョン・レノンが亡くなって、ジョージ・ハリスンはアルバムを作っていて、
  この曲に、このテープをリンゴ・スターとポール・マッカートニーに送って、別々にリンゴ、ポールがコーラスを入れた曲でもあります。
  (続き)
  58歳のオヤジファンがいるのも心強いですか?
  (小林)
  あたりまえです。
  じゃあその、ジョージ・ハリスンで All those Years Ago。

  〜 George Harrison / All those Years Ago
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bNFQxgJc8Qw
  〜 The Beatles / Two of Us(Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qKK40er19lE

  (小林)これはリクエストに応えて「アンソロジー3」からお送りしています。
  (新潟市/男性)
  新潟市でリスニングしています。
  先週は高校生からのメールを聴いて、ビートルズが世代を超えた偉大なバンドだと痛感しました。うれしいことです。
  今年ポール・マッカートニーが来日か?の噂がありますが、あくまでも噂なんですかねえ?教えて下さい。
  (小林)
  僕もよくわかりませんね。
  男性さん、それからネットとかそういうの活用してw 噂はw。楽しんでいただきたいとw。


  (小林)
  同じ苗字ですね(前の人と)歳もほとんど同じじゃないですか?。
  (千葉市美浜区/男性)
  毎週楽しみに聴いています。ところで、最近の天気の荒れ方はすごいですね。
  私なんか「自分だけは降られない」と思い込む方なんで、いつも酷い目に遭っています。みなさんどうでしょうか?
  (小林)
  いや、その気持ちは分かりますね。
  曲は大スタンダードです。
   
  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7O25Zjwj61s
  〜 Elvis Presley / Bridge Over Troubled Water
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rzQEA9ZbA5U

  (小林)
  エルビス・プレスリーの Bridge Over Troubled Water、サイモンとガーファンクル(Simon and Garfunkel )の曲ですね。 
  (江東区/女性)
  プレスリーは他のアーティストの歌でも、まるで自分の歌のように歌いあげる魅力があり、歌に迫力があるのでリクエストしました。
  いつも一緒に懐メロを語っている母の好きな曲でもあります。
  ビートルズやプレスリーなど、母の時代にはたくさん良い音楽が世に送り出されていました。
  なので母に「お母さんはそんな時代に生まれて 良かったねー」と言ったりします。
  リアルタイムでそんな音楽に出会うことはできませんでしたが、ほんとうに良い曲はどんな古くてもいつでも聴ける、という今の時代に感謝しています。
  (小林)
  リクエストありがとう。

□エンディング  
  (小林)
  有名なデッカのオーディションの話し。
  1月1日だからねえ、ご苦労さんだよねえ。
  
  リクエストを待ってます。 
  [email protected]
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年6月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 6月17日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  日本に来た、もうすぐ来るわけですよね、日本にね。この年ね、古い話しになりますがw。
  46年前の今日、ポール・マッカートニーはスコットランドの…。
  だいたい スコットランドって分かりますか?。北の方ですね。
  スコットランドのキンタイアー(Kintyre)にファーム、農園を買った、とあります。
  日本に来る直前、こんな買い物をしている。
  ロンドンにいてはどうしてもファンの目に晒されてしまう、ということで。
  ポール・マッカートニーの当時の婚約者ジェーン・アッシャー(Jane Asher)。
  ジェーン・アッシャーも、テレビなんかでも有名な女優ですからね。
  その彼女の希望もあって、「自然の生活を楽しもうじゃないか」っていうことで。
  この牧場は、ほんとうに廃屋状態で、5年ぐらい誰も住んでいなかったらしいんですが。
  そこに行って、ポールは日曜大工が大好きなんで、何でもやっちゃう。
  アリステア・テイラーと一緒になって牧場に来て、ジャガイモの箱でテーブルを作った、とありますね。
  で、アイロンで料理したw。これが、笑っちゃうんですけどw。
  実際、でっかいアイロンの上で卵を、こう、焼いたりしたんだと思いますけどw。
  大きな牛乳タンクを利用して、それを風呂に、入れるようにしたそうです。
  これは、昔の西部劇を見ると、ドラム缶みたいな風呂に入るシーンなんてありますよね。
  そんなことをやったんですね。
  で、もちろんジェーン・アッシャーが入る時は、男はみんな後ろを向いて入ったということでしょう。
  でも、そんな田舎暮らしも、ジェーンとの破局、ていうか、ジェーン・アッシャーと別れちゃう事になっておしまい・・・
  だと思ったらですね、その後もポールはここを拠点に活動する事もあった、ということです。
  キンタイアーに農園を買った。
  もうファンの方なら「ああ、来るな、来るな」… そうです、Mull of Kintyre(マルオブキンタイアー)というポールの名曲があります。
  これはですね、この農場にバグパイプの楽団を呼んで実際にレコーディングされました。
  アメリカではB面だったらしいんですけども、もちろんイギリスではこれがA面で、
  めっちゃくちゃ売れて、シングルの売り上げの記録を当時作るわけですね。
  これはやぱりねえ、ポールの世界ですけど、恋愛とかそういう風なものを歌ったんじゃなくて、自分の農園がある場所の美しさ、そういう風なものを歌にしております。
  ポール・マッカートニーとウイングスです。

  〜 Paul McCartney & WINGS / Mull of Kintyre 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K5626WzsfMw 

  (小林)これは、ほんとにイギリスで大変なヒットになりました。
  ふつうのいわゆるポップスと違うよね。地域性が出てるしね。メロディもバグパイプのメロディですよね。
  ポール・マッカートニーはやっぱりすごいですよね、こういう才能ね。Mull of Kintyre。
  Mull ってのは「岬」です。
  Mull of Kintyre イギリスで大変なセールスになりました。
377ホワイトアルバムさん:2012/06/18(月) 19:54:05.07 ID:???0
日本で言うなら"岬巡り"か

売れたんだコレ
シングルだったのも知らんかった
378ホワイトアルバムさん:2012/06/20(水) 13:05:25.69 ID:???0
>>377
ちなみに Mull of Kintyre の邦題は「夢の旅人」だそうです。  オイオイw
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ブライアンの必死の売り込みで、なんとか最初のオーディションが決まったんだ。
  レコード会社は大手のデッカ。
  スケジュールは新年早々、1962年元旦1月1日。
  さあ、どうしたものか。そのデッカオーディションで演奏する曲が決まらない。
  曲選びにはかなりの時間が必要だったよ。全員真剣そのものだったね。」
  こんな緊迫した状況を細部にまで証言するのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  今週もこのアリステアの貴重なインタビューから、お送りしよう。


  「この当時のビートルズの演奏力は素晴らしかった。
  まだ二十歳そこそことはいえ、アメリカのロックンロールやリズム&ブルースのヒット曲を聴きまくり、
  それを自分たちのモノにしていたし、そういうものをお手本にしたオリジナル曲を何十曲も書いた。
  すでに数回行っていたドイツのハンブルグでは、一晩に8回から10回ものステージをこなし、
  最新のロックンロールからミュージカルソングまで、そりゃあもう手を変え品を変え、あらゆる客層に受けるように工夫していたんだ。
  レパートリーは300曲以上有ったんじゃないかな。
  特にポールは、演奏にも作曲にも本当に貪欲で、ベースに転向したばかりだったていうのに、ピアノまで練習し始めていたんだ。
  出演していた店は、オンボロとはいえピアノがあって、客が入っていない時間は自由にピアノを使わせてもらっていたわけだ。
  そしていつの間にか、本番でピアノを披露することになると、自然と演奏する曲の間口も広くなっていった。
  そんなビートルズがデッカのオーディションでどんな曲を披露するのか、そう簡単には決まらなかった理由が、ここにあったんだよ。」
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NPwzitcDyAI 

  〜 Paul McCartney / Come and Get It
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WnZCLtjwLxw
 
  (小林)ポールの曲が2曲続きました。
  Come and Get It これはポール・マッカートニーが、バッドフィンガー(Badfinger)というグループをプロデュースしていましたけど。
  彼らの曲を作ってあげて、「これは俺のデモだ」っていうことで、これを歌わせたわけですね。Come and Get It 。
  
  そしてその前は、「ホワイトアルバム(TheBEATLES)」の Martha My Dear。
  きょうもちょっと話しに出ておりましたが、婚約者のジェーン・アッシャーの犬ですね、愛犬の雌犬ですね。
  Martha ですね、Martha My Dear。それに捧げた曲です。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「いつのまにか、ポールは本番でピアノを披露する事になると、自然と演奏する曲の間口も広くなっていった。
  そんなビートルズが、デッカのオーディションでどんな曲を披露するのか、そう簡単には決まらなかった理由がここにあったんだよ。」
  これはビートルズがデッカレコードでのオーディションに臨む直前のひとコマ。
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  アリステアの貴重な証言から続けてみよう。


  「ポールはほんとうに努力家だったねえ。
  それも、義務的に練習するとかそういうタイプじゃなくて、いつも楽しそうに楽器を弾いたり歌ったりしているだけなんだ。
  あれはまるで、音楽の神様に魔法をかけられた状態、みたいに見えたね。
  言いかえれば、ポールは神に選ばれた存在だった、ていうわけだ。
  ブライアン・エプスタインとマネジメント契約を交わした直後にポールが言った言葉、ファンの間では有名な逸話になっているけど。
  こんなことをポールは言ったんだよ。
  『えー、ここにいる皆さん。ビートルズはこれでプロのバンドとして第一歩を踏み出したわけですが。
  僕、ポール・マッカートニーはこの場を借りて宣言します。
  もしも、ビートルズが惜しくも有名にならなかったとしても、僕は、絶対に有名なミュージシャンになってみせます。
  僕が言いたいのは、以上です。』
  最初はあっけに取られていたメンバーもブライアンも、一瞬のあとゲラゲラ笑い出した。
  まったく、こういった場面には似つかわしくもない発言であるにもかかわらず、ポールのチャーミングな存在に、一同笑うしかなかったんだね。
  このポールの天然で天真爛漫なキャラクターこそが、ビートルズをロックの頂点の頂点、そのまた天辺に導くことになるとは、
  この時、誰も想像する事はできなかったね。」
382ホワイトアルバムさん:2012/06/21(木) 14:53:14.43 ID:???0
ポールはファッションの神には愛されていない
  〜 Paul McCartney / Live And Let Die
  ttp://www.youtube.com/watch?v=FOv9QlLIAvU&feature=related

  〜 Paul McCartney / My Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eKuFyHwG188

  (小林)ポールの作品が続いています。
  My Love、これは1973年4月の大ヒット。

  そしてその前の曲は、これも有名な Live And Let Die。
  こっちはですね、同じ年の7月にヒットしていますが。
  これは別仕事ですね。注文仕事ですね。
  「ダブルオーセブン(007)の主題歌作ってくれないか?」ってことで、ジョージ・マーチンが駆けつけてプロデュースをした仕事です。
   Live And Let Die。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ポールの天然で天真爛漫なキャラクターこそが、ビートルズをロックの頂点の頂点の、そのまた天辺に導くことになるとは、
  この時、誰も想像することができなかったね。」
  こうしたビートルズにまつわる数々の史実を証言するのは、
  マネージャー=ブライアン・エプスタインの側近中の側近で、またの名を「ミスター・フィクサー」「何でも屋」アリステア・テイラー。
  のちにアップルの総支配人となる彼の、興味深いインタビューからさらに続けてみよう。
  
  「ポール・マッカートニーという青年は、とにかく前向きで熱心だったね。
  ハンブルグへの出稼ぎの際、どんなにハードワークで体力的にきつくても、ステージ上で愛想をふりまく事を決して忘れたことはなかったし。
  楽器の練習も、メンバーの中で一番時間を割いていたと思う。
  ただ、テクニックに走ることは少くなくて、自分のセンスや閃き、ロックの持っている初期衝動みたいなものを最も大切にしていたことも事実だね。
  そんなポールの志向もあって、当時のビートルズのレパートリーはまさに百花繚乱だったね。
  それを、『楽しいバンド』と受けとる者もあれば、『なんだ、全部ロックだったらいいのに』とケチをつける客もいたと思うよ。
  こんな状況だったから、オーディションの曲を決めるのも、ほんとうに時間がかかったんだ。
  ジョンはロックンロールで統一したかったし、ジョージはギターサウンドを前面に押し出したかった。
  冷静に考えるタイプのポールは、ロックンロールとヒットポップスを混ぜることを提案したね。
  もちろん『オリジナルは入れるべき』と主張したと記憶している。
  だけど、ここでやはり『鶴の一声』ならぬ、『ブライアンの一声』があった。
  『なあ、みんな。ここでオーディションを通ることが、何より大切だ。曲選びを、僕に任せてくれないだろうか?』
  すると、しばらく沈黙が続いたのである。」
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk

  〜 Diana Ross & the Supremes/ Come See About Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vW0FzANIAyk&feature=related
 
  (小林)これ面白いよねえ。1964年のビートルズが世界的になった年のヒット曲が 2曲。
  今聴いたのは Diana Ross & the Supremesですね。
  これがまずアメリカのナンバーワンになって、それから次の次の週にはビートルズの、さっきかけた、I Feel Fine。
  これがナンバーワンになって3週間ぐらい1位を獲得。
  ご存知の通り、1964年はビートルズが世界的になって、アメリカのチャートはもう「ビートルズだらけ」になるわけですよね。
  ただ、アメリカのアーティストでビートルズと堂々と戦って6周連続1位を獲得したのが、モータウンのダイアナ・ロス&シュプリームスというわけであります。
386!ninja:2012/06/24(日) 18:58:17.46 ID:???0
尾崎さんの「また逢う日まで」の英語バージョン良かった。
この存在を知らなかった

□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして、もれなくプレゼントしております。
  リクエストがかかるとプレゼントされるというわけですから、よろしく。
  メールアドレスは [email protected]
  ファックスもあるんですよ 043-351-801
  ハガキでもいいんですよ 〒261-7127 BayFM「ビートルズから始まる」の係り

  (所沢市/男性)40代後半
  質問です。毎週番組で流れるビートルズのオリジナルCDの曲は、2009年のリマスターのもので統一していますか?
                       (小林)統一しています。
  リマスターを放送する際には、モノとステレオをどう分けていらっしゃるのでしょうか?
                     (小林)なるべく、モノ。
                       まああれですね、ホワイトアルバムまでがモノ、ていうことになりますね。
                       その後が、ステレオですかね。
  番組でかかるビートルズ以外の選曲が、すごくいいですね。
                       (小林)きょうもシュプリームスがかかりました。なかなか良かったですね。
  そんなビートルズ以外の良い曲の仲間に、この曲も入れて下さい。

  (小林)入れよっかなあ?w。
  それじゃあなたのリクエスト、
  「アンドリュー・ゴールド(Andrew Gold)の1977年のアルバム“What's Wrong With This Picture?”からお願いします」
  っていうことで。
  「きっとビートルズファンの方なら好きですよー。」
  というお奨めの文章もあります。

  〜 Andrew Gold / Lonely Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0kbgjmmr5vw&feature=related
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iCOS2vOxuXE
  
  〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9F67g64NapY

  (千葉市中央区/男性)40代後半
  こんばんは克也さん。ビートルズは青春の思い出の1ページで、中学はすべてバンド=サイドギターに費やしました。
  受験は大ボリュームで弾きまくりました。
  試験当日も朝まで弾きまくって、合格。  
  高校生になって、ブラスバンド部に入部。
  難しく、即、退部。 (小林)あはは、これは、おもしろいw
  ビートルズが流れてる千葉市のストリートは、なんだか落ち着きます。
  初期の曲で And Your Bird Can Sing をリクエストします。
  サイドギターで初めてリードギターにはまり、コピーできました。(小林)そういう、記念すべき曲なんだ。
  めったにかからない曲なのでよろしく。        (小林)かかりましたよ。
  「何でも屋フィクサー」の話し、奥が深いですね。

  (小林)そうですね。ここのところ続いています。
  ほんとうにやっぱり、時期もいいんだよね、ビートルズが売れる前だからねえ。
  とても面白いですよね。
389ホワイトアルバムさん:2012/06/25(月) 21:15:34.01 ID:???0
  (小林)さて、おっ、世代は違うけど、同じギターをやっている。
  (千葉県山武郡/男性)
  15歳です。リクエストしたいのは、Every Little Thing。
  ギターを弾いているんですが、ギターで一番カバーした曲です。
  歌詞の意味はぜんぜん知らないんですが、学校へ行く時はいつもこの曲を聴いてテンションを上げていました。
  大好きなので、ぜひぜひ流して下さい。
  (小林)
  もうこの人は、自分の感性だよね。ビートルズの有名な曲っていっぱいあるわけだけど、
  ギターをやることによって、自分に一番ぴったりだったのは この曲だったわけですね。
  これも、ちょっと有名な曲です。
  
  〜 The Beatles / Every Little Thing
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gtIC9w_sb4k (mono)

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0714IbwC3HA

  (住所不明)
  私とビートルズの出会いは、小学生のころテレビを見ていたらCMである曲が流れ、アーティストや曲名も判らなかったんですが
  不思議と耳に入って来て鼻歌で歌っていたら、中学の英語の授業でその曲が流れ、それがあのビートルズだと知り、
  そこから興味が湧き、一気にハマりました。
  ビートルズのメロディは不思議とすぐ馴染んできます。
  (小林)
  これはすごい体験ですよねえ。w
  ほんと、こういうような体験ってありますよねえ、自分の、ほんとに種が、フワーッと目の前が明るくなってくるわけですね。
  中学の英語の授業で流れていた Let It Be。
□エンディング  
  (小林)ビートルズ初の、デッカレコードのオーディション。
  これは有名な話で、結果は判っているんだけど、面白いですよね。w
  
  リクエストもよろしくお願いします。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年6月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 6月24日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  ビートルズが日本へ来るほんの数日前。
  ビートルズはドイツのミュンヘンに到着。
  この日ミュンヘンで、ドイツ初めてのコンサートが行なわれます。
  まあ、正確に言うとビートルズは売れる前に、ドイツのハンブルグで下積みみたいなことをやっていましたね。
  で、世界的に有名になって、ドイツだけは行ってなかったんです。
  まあこれは理由はですね、ハンブルグを体験してたっていうのもあるし、ハンブルグで相当ビートルズはやんちゃをしていたと。
  数多くの女性wから求婚されていて、ボロが出るんじゃないか、ていうようなね。
  ボロが出るんじゃないか みたいな理由で、来なかったんじゃないか、と言われていますけど。
  まあとにかく46年前の今日、ミュンヘンに到着してミュンヘンのサーカス・クローネ・バウていう所でコンサートをやるんですが。
  このあとが、日本へ行く というわけですね。
  そして、ちょうどこの日、ジョージ・マーチンとジュディ(Judy)という彼の秘書の女性とが、結婚式を挙げています。
  この日ね、同じ日にね。
  ジョージ・マーチンは、もうほんとに早い時期に結婚するんですよ、で、二人の子供がいたんですけども。
  まあ、ビートルズとともに有名になっていくわけですね。
  で、秘書のジュディという女性と結婚します。
  ジュディとの間には二人子供ができて、その末っ子の方です。
  末っ子の方はお父さんとプロデュースで、例の2006年の、これは良く出来たアルバムでしたよね、「LOVE」ていうアルバムを制作しています。
  音楽一家みたいなことですね。
  さあ、それではですね、ここでちょっと興味深いのは、1966年の1月、ビートルズのカバー曲をイギリスで出して、そしてアメリカでも出して、
  これはイギリス・アメリカで売れた、中ヒットになっています。
  もちろん、プロデュースがジョージ・マーチンであります。
  アーティストはわかんないと思いますが、デービッド&ジョナサン(David and Jonathan)という男二人組です。
  心を洗われるような、この二人組バージョンの Michelle を聴いて下さい。

  〜 David and Jonathan / Michelle 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LRN8M-pBYI4 

  (小林)いかがですか?
  デービッド&ジョナサン、男の二人組を捕まえて彼がプロデュースして、Michelle。
  やっぱりこれは、ビートルズとはぜんぜんニュアンスが違いますけど、これは中ヒットしたと。
  でね、ビートルズの「Yesterday」てのは「最もカバーされた曲」として有名じゃないですか。
  1970年代の初めぐらいまではね、Yesterday の次はこの Michelle だったんですよね。
  いかに、この Michelle がその頃ポピュラーだったか、っていうことが分かります。
□アリステア・テイラーの物語
 ・「今となっては、何てことはない笑い草になっているけど、
  ビートルズのデッカオーディションは、何から何まで失敗するべくして失敗したんだと思うよ。
  やっぱり成功するには、運とか御縁とかいうものが確実に存在するんだよ。」
  こんな証言をするのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人、アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  ビートルズのデッカオーディションの実情を、もう少し詳しく探ってみよう。


  「ブライアンが初めてビートルズの演奏を聴きに、キャバーンに出向いたのが11月9日のランチタイムセッション。
  そのあまりの衝撃に、連中と運命を共にすることを決心し、数回の話しあいの後、正式にマネジメント契約を結んだのが、ひと月後12月10日。
  もちろんその間、ブライアンは自分の持っている全てのコネを使って、ビートルズを売り込んだ。
  ブライアンが父親から経営を一任されていたレコードショップNEMS、イングランド北部ではナンバーワンの規模とセールスを誇る優良企業であった。
  ロンドンの大手レコード会社とは当然 多額の取引があった。
  ビートルズに各社のオーディションを受けさせる事なんて、た易いこと、と軽く考えていたのであるが、
  すぐ、それがなかなか難しい事だと分かった。
  無理もない、ロンドンの大手レコード会社は、みなしっかりとした大企業。
  会社の仕組み、システムの中で、音楽を作る部署と、レコードを売る部署とでは考え方がまるで違う。
  簡単に言うとすれば「良い音楽を作りたい」という連中と、「売れるレコードを作って欲しい」という連中とでは、考えが常に平行線を描き、けっして交わることは無かった。
  1962年の秋にデビューする10ヶ月前、あのビートルズでさえも、ロンドンの音楽業界ではまったく無名のバンドだったのである。」
  〜 The Beatles / I'm Happy Just To Dance With You  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=KWVzNtzpW84

  〜 The Beatles / I Call Your Name
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a0noN2tvaHE
 
  (小林)2曲続きました。初めて聴く方もいるかもわかりませんが。
  (2曲目)I Call Your Name、 それからその前は I'm Happy Just To Dance With You。
  「A Hard Days Night」のアルバムに入っているのが I'm Happy Just To Dance With You。
  そして、そのアルバムに入れなかった曲の一つであります(I Call Your Name)
  EPレコードの「Long Tall Sally」の中に入っています。
  初期の作品 2曲 続けてお送りしました。
アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「僕の尊敬するボス、ブライアン・エプスタインはレコード店の経営者としては有能そのもの。
  あんなに頭の切れる人物は見たことがなかったね。
  そんなブライアンでさえも、当時のリバプールのローカルスターだったビートルズを、ロンドンのレコード会社に売り込むのに相当な苦労をしていたよね。」
  こうしたロックの史実を、きちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  さて、デビューまでまだ時間を必要としているビートルズの物語、もう少し続けてみよう。

  「ビートルズと正式なマネージメント契約を交わした数日後、デッカレコードのアシスタントディレクター=マイク・スミスをリバプールに招待したブライアン。
  このプレゼンテーションは、何が何でも成功させなければならない。
  なにせ、デッカと言えば、アメリカの有名なロックンロールシンガーのレコードを数多く発売している。
  その中には、リトル・リチャード(Little Richard)エバリーブラザース(The Everly Brothers) 、
  そしてビートルズが最もお手本としているあのバディ・ホリー(Buddy Holly)までもが顔をそろえていた。
  そのデッカの制作スタッフが、リバプールのビートルズの本拠地“キャバーン”でライブパフォーマンスを見に来てくれたのだ。
  その結果はこうだった。
  『すごく良いですねえ。ぜひとも我がデッカレコードのスタジオにいらして、オーディション演奏を聴かせて下さい。
  こんどは上司のディック・ロウ(Dick Lowe)も立ち会います。
  スケジュールですが、新年早々で申しわけないんですが、
  元日の10時、演奏が始められるように少し早めにスタジオに集合して頂けないでしょうか?、エプスタインさん。』
  こうして、ロンドンの大手レコード会社デッカのオーディションを受けるべく、
  1961年大晦日、ビートルズの四人とローディ兼運転手の二ール・アスピノール(Neil Aspinall)は、一路ロンドンをめざして出発したのである。」
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE

  〜 The Beatles / Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hQiGv3G6wow

  (小林)ビートルズが得意のカバーが2曲続いています。
  Bad Boy(1曲目)これは1966年の「オールディズバッドゴールデイズ」こっちに入っています。
  まだCDになっていないそうですけど。
  ビートルズはこういうやつ大得意だったわけですね。
  ラリー・ウィリアム(Larry Williams)の有名な曲のカバーです。
  そして(2曲目) Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
  これはリトル・リチャード(Little Richard)のカバー、1964年。
  2曲続きました。
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「なあみんな、ここではオーディションを通ることが何より大切だ。曲選びは僕に任せてくれないだろうか?」
  これは、ロンドンの大手レコード会社デッカのオーディションを受ける直前、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインが
  ミーティングの席で発言した言葉である。
  この辺りのやり取り、もう少し探ってみようと思う。
  
  「ブライアンはさらに続けた。
  『みんなも知っている通り、今現在のイギリス人ロックシンガーのトップはクリフ・リチャードだ。
  たしかジョンはクリフが嫌いだったね。』
  ジョンはしかめっ面を見せながらこう答えた。
  『ああ、あんなの大嫌いに決まってるだろう。百歩譲って、バックバンドのシャドウズの演奏はまずまずかもしれない。
  俺たちとはキャリアが違うからな。
  だけど、あのクリフの歌だけは認めるわけにはいかない。
  なにが“イギリスのエルビス”だよ。あんなのいったいどこがロックなんだ!。
  見てろよ。いつか化けの皮が剥がれるからな。』
  ジョンのこの辛辣な発言をなだめながら、ブライアンは続けた。
  『そりゃそうだ。ビートルズはだれにも負けちゃいない。
  相手がクリフ・リチャードだろうがあるいはエルビスだろうが、君たちの方がずっとオリジナリティがある。
  ただひとつ言える事は、ビートルズはまだレコードデビューしていないってこと。
  くやしいけどそれは事実だよね。
  だから年明けのデッカのオーディションでは、どうしても連中に“合格です”と言わせなければいけないんだ。
  そこで提案だ。
  今回の選曲はロックンロール中心じゃなくて、比較的広い年齢層に受けそうな、アメリカの少し古いヒット曲やポップスで行こうと思うんだ。
  ああ、もちろん反対意見もあるだろうけど、もっとハードなロックをやりたければ、デビューが決まったら好きなだけ演奏すればいい。
  僕からは以上だ。本日は解散。』
398ホワイトアルバムさん:2012/06/30(土) 10:21:41.32 ID:???0
今まであまり気にしてなかったが、元日によく仕事すんなあ

連中にとってクリスマスのほうがメインなんだろうが
  〜 The Beatles / Till There Was You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mf_4FAwFAe0
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qk4ohb870yU  (Decca audition)

  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttp://www.youtube.com/watch?v=owteWcxpQWs
 
  (小林)初期の作品が2曲続いています。いずれもカバーです。
  今聴いたのは(2曲目)Mr. Moonlight、
  これはビートルズのオリジナルみたいに響くんだけど、ちょっと違うオリジナルだな、みたいに響くんだけど。
  じつはリズム&ブルースのドクター・フィールグッド&ジ・インターンズていう人たちのカバーですね。64年。
  
  そしてその前の Till There Was You。
  これも実はカバーですね。
  ペギー・リーというとてもハスキーな、セクシーに歌う人がいたんですけども。Till There Was You。
  2曲続きました。
□リクエスト
  (小林)
  メールは [email protected]
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして全員の方に差し上げております。

  (千葉市美浜区/男性)
  先日ビージーズ(Bee Gees)のロビン・ギブ(Robin Gibb)氏ご逝去、改めてご冥福をお祈り申し上げます。
  ビートルズ同様、おじおばの影響で…          (小林)ああ、あなたのね。
  幼少の頃に好きになったグループです。
  よく祖母の家の送迎の時、おじの車から流れていました。
  好きな曲は「ワーズ」を始め悩みますけど、リクエストは克也さんのラジオ番組「百万人の英語」で取り上げていただいた「ジョーク」。
  (小林)うわぁw。
  「当時のように和訳付きで」って言うことなんですが、時間が無いんで。
  まあチラッと後になって言うかもわかんないですけど。
  そうだよねえ・・・。  
  ビージーズは、この番組のタイトルが、ほら「ビートルズから始まる」っていうことですが、
  ビートルズが全てを始めたわけじゃないけど、ビートルズの影響はすごいですよ。
  ビージーズはグループの名前からしてそうでしょう。
  ビートルズがBEAで、まあぜったい、名前をアルファベット順にやると並ぶと思ったんですよね、ビージーズは。
  B E E G E E S ねえw。
  いろいろ、なんでビージーズかというと、ギブズブラザーズのGを取ったとかBを取ったとか、いろいろあります。
  それからあれですよ、ボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」を大ヒットさせた「バーズ」てのもビートルズに影響を受けてるわけ。  
  ネーミングから、もうそういうことですよね。
  ただ、ビージーズはビートルズの後を追っかけたんですけども、77〜8年ごろ独自のサウンドを創り上げて行くわけですね。
  それがあの「サタデーナイトフィーバー」の頃ですが。
  さあ、そのビートルズの後を追っかけていた頃の大ヒット。
  これは日本語のタイトルは「ジョーク」っていうことになっていますが、英語のタイトルは「I Started a Joke 」
  
  〜 The Bee Gees / I Started a Joke
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Dq6YmSVAOG8
  〜 The Bee Gees / Too Much Heaven
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PvJgCQQfncU

  (小林)ビージーズの曲が2曲続きました。
   I Started a Joke は初期のビージーズの傑作の方で、ビートルズを追っかけていたビージーズ。
  そして78年ぐらいにビージーズの世界的な波が襲うわけですが、あの映画とともに、すっごいヒットしちゃうわけですよね。
  「サタデーナイトフィーバー」がね。
  その頃の Too Much Heaven ていう。

  僕は亡くなった加藤和彦さんに聞いた話しなんだけど、
  ビージーズは低迷していて、70年代はディスコの時代になっていてね。
  「何か自分たちのスタイルを創んなきゃダメだ」っていうんで、ビージーズはアメリカでロサンゼルスをベースにして、
  黒人の二人組とか三人組とかいろいろいるじゃないですか。
  ありとあらゆるグループに声をかけて、曲を注文して「好きなようにやってくれ」って言うんで、それを録音したらしいんですよ。
  それを資料にして、いろいろ聴いて「自分たちが活かせるのはないだろうか?」っていうことで自分たちのスタイルを創り上げた。
  んだっていうことを聞きましたね。

  だから、ディスコの時代になってね、黒人のリズム&ブルースがすっごい強かったんだけど。
  ビージーズのファンキーな都会的なサウンドがヒットしたら、それまですっごく勢いがあった黒人のリズム&ブルースがちょっとね、ダサく聴こえる時代だったんですよね。
  78年とか9年、これは面白い時代ですよね。
  「白人のファンクの方が勝ってた時代」っていうのをビージーズが創り出しました。
  (茨城県日立市/男性)11歳。
  僕のリクエストはYMOの「ライディーン」をお願いします。
  (小林)
  そうです、YMOも「ビートルズから始まる」にふさわしいです。
  特にYMOのドラムスなんかを担当している高橋幸宏。
  彼のドラムはやっぱり、リンゴ・スター譲りって言ったら彼は怒るかもわかりませんけどw。
  リンゴ・スターのドラムスが一番好き。
  で、アーティストとしては歌声なんかはジョージ・ハリスンが大好きです。ジョージ・ハリスンから相当影響を受けているそうです。
  その高橋幸宏が作った曲でもあります。
  
  〜 YMO / ライディーン
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dLp3cVl_7Fc

  〜 尾崎紀世彦 / LOVERS AND FOOLS (また逢う日まで)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PPwxfvUxnUo&feature=related

  (小林)
  年配の方 お馴染みの曲ですけれども、英語バージョンで、彼のしっかりした英語バージョンで聴いて頂きました。
  (八千代市/男性)
  5月31日、みなさんご存知かと思いますが、「また逢う日まで」のヒット曲で知られる尾崎紀世彦さんが都内の病院で亡くなられました。
  コーラスグループで活躍した後、ソロデビューして。
  昭和46年、おいらが生まれた年に「また逢う日まで」がレコード大賞受賞。
  また歌が上手くてダイナミックなアーティストが亡くなり、非常に残念です。
  リクエストはビートルズではありませんが、その「また逢う日まで」。
  (小林)
  特に、まあ、いろいろかかってたりするので英語バージョンで聴いて頂きました。
  どうでしたか?
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  今日はいかがでしたでしょうか?
  ビートルズのお話しの方は、前も言いましたけどね、一番有名な・・・、
  ビートルズが失敗しちゃうっていうか、ダメなんですよね、ビートルズが受からなかった。
  受からなかったエピソードもとても面白いと思います。
  来週は今週の続きです。
  
  それからリクエストもよろしく。  
  曲も自由です。
  書く内容も、自由!。

  メールは [email protected]  
  待っております。
このスレも498Kb消費しました。あと残り14kb。
あと10レスぐらいで終わりでしょうか。
途中で途切れるかもしれませんが。
次スレを立てられたら、またお会いしましょう。
405ホワイトアルバムさん:2012/07/02(月) 21:28:43.10 ID:???0
頑張れー!
406ポール・キロックトニー:2012/07/02(月) 21:37:15.69 ID:???0
いつもご苦労様です
407ジョン・キロックノン !ninja
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー( 7月1日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョンとヨーコとジュリアン、ジュリアンはジョンと前の上さんとの子供ですね。
  それからキョーコ、これはヨーコの前の旦那との子供。
  この4人を乗せてスコットランドのゴルスピー(Golspie)という所にジョン・レノンが車を運転する途中。
  これはね、子供たちにね、自分が幼少に過ごしたスコットランドの知り合いの所へ行こうとしてたんですけど。
  もう、田舎道で、でっかい道じゃないんだって、細い道だって。
  それとジョンは、極度の運転ベタ、近眼でしょう、それから視野が普通の人より狭いと言われていましたね。
  でも、「あんたが運転して!」っていうことでw、そのころ鬼嫁のイメージがあったヨーコがジョンの尻を叩いて運転させて。
  結果、交通事故。
  落っこっちゃうんですよ、他の車を、対向車を避けようとして畑に落っこっちゃうわけですね。
  楽しいはずの旅行が悲劇になって、結果、ヨーコは14針顔を縫う、娘さんのキョーコは唇を4針、ジョンは頭を17針縫うと。
  で、ヨーコは悪い事に妊娠中で、安静を言い渡される と。
  だからアルバム「アビーロード」のスタジオに行ってベッドを持ち込んで、
  ベッドに入ってビートルズを眺めていた、という有名なエピソードはこの事故から来ているわけですね。
  それで、ちょっとヨーコは怒ったということで、この時の事故車をですね、自分たちの屋敷の庭に当分飾っていた、というw。
  ええw、そういう。
  ジョンとヨーコとキョーコの3人で暮らしていた時期もあるんですよね。
  で、1972年に親権が認められて、アンソニーというヨーコの昔の旦那です。
  まあ芸術家、ミュージシャンでもある、アンソニー・コックスがね。
  彼の元にキョーコが行く、ということになります。