【bayfm78】ビートルズから始まる。5【小林克也】

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1ホワイトアルバムさん
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
2ポール・キロックトニー:2010/03/14(日) 19:23:02 ID:UuNh/GRp0
(前スレの続き)
   出会った時、誰がその場を支配していたか。疑問の余地はなかった。その少年は、ポールよりも少し年上で、次に演奏する曲を他のメン
   バーに向かって、なんとも大きな声で叫んでいた。おしゃべりで、がっしりとした体格をしていた。その少年、ジョン・レノンが率いる
   クォリーメンに対するポールの第一印象は、“乱暴でまとまりのない酔っぱらい集団”というものである。『まったく、あまりかっこいい
   とは言えなかったね。』と、何年たっても、ポールは当時を振り返って語った。『ビールを何杯か飲んでいたみたいだった。ジョンは、
   ちょっとだらしないヤツみたいだったし、だいたい息が酒臭くってさ。』バンドが演奏を始めるのが聞こえてきた途端、ポールの好まし
   くない第一印象は一変した。ポールは、ジョンのステージ上での存在感の大きさと、歌と演奏力に即座に感銘を受け、彼らの仲間に加わり
   たいと思った。レノンとマッカートニーによる、作曲家チームの構想が最初に心に描かれた瞬間があったとしたら、この時がそうだ。つ
   まり、1957年の7月7日土曜日、緑豊かなリバプール郊外の高級住宅地ウールトンにある、セイント・ピータース教会の構内での出来事
   だ。20世紀の、いやその後のすべてのロックの歴史を塗り替える転機となる、まさに運命的な出来事であったことは言うまでもない。」
    〜 The Beatles / Free as a Bird
    〜 The Beatles / And I Love Her

□リクエスト
  ・私は高二ですが、ビートルズが大好きです。ビートルズの曲しか、聞いていません。親の影響ではなく、英語の授業で歌を良く聞いてい
   たので、好きになりました。それで将来、イギリスに留学したいと思うようになり、英語の勉強に力を入れるようになりました。まだ、
3ポール・キロックトニー:2010/03/14(日) 19:38:30 ID:UuNh/GRp0
   あまり成果がでてないんですが。また、ビートルズの影響で、最近独学でギターを始めました。まだまだなんですが、どっちも続けてい
   きたいと思います。リクエスト曲は、中間の掛け合いの部分では、いつも一緒に歌ってしまいます。(鎌ケ谷市/男性)
    〜 The Beatles / Kansas City ~ Hey, Hey, Hey, Hey!
   (小林)先輩としておすすめするのは、ビートルズばかりじゃないから、高校生だからね、他の音楽もビートルズと同じくらい、ビートルズ
   よりもとは言いませんが、ビートルズと同じくらい優れた人もいますから、そういったのを聞くのも良いかもしれない。また、イギリスに
   留学したら、そういうことになるのかな。もっと視野が広がって。

  ・ビートルズに恋して、36年経ちました。そして、故郷広島を離れ、28年になりました。先日、久しぶりに懐かしい故郷に行ってきました。
   良く通った店もなくなり、街並みもすっかり変わっていました。ところが、その中で一店、鉄板焼の店が当時のまま残っていました。なつ
   かしくて、ひょいと入ってみました。昔と同じ店、同じメニュー、同じ味、同じ店の人がいて、1980年頃にタイムスリップした気分を味
   わいました。年々変わるものあれば、変わらないものもありますね。三十年以上店を守ってきた店の姿を見て、自分も頑張らないなと気持
   ちをリフレッシュして戻ってきました。リクエストは、昔を懐かしむ気持ちを込めて、この曲をお願いします。(佐倉市/男性/52歳)
    〜 Carpenters / Yesterdy Once More
4ポール・キロックトニー:2010/03/14(日) 19:43:28 ID:UuNh/GRp0
  ・ぼくは、ビートルズと同じように、特に初期のローリング・ストーンズが大好きです。1942年2月28日は、ローリング・ストーンズの
   ブライアン・ジョーンズの68歳の誕生日ですね。今も生きていれば、どんな音楽をやっていたのかなと思いを馳せてしまいます。聞くと
   何だか切なくなってしまう、この曲をお願いします。オルガンのイントロ、モノラル・バージョンをお願いします。(富里市/男性)
    〜 The Rolling Stones / Time is on My Side

  ・克也さんの声が大好きで、毎週拝聴させていただいてます。リクエストなんですが、曲名が分からないんです。物心ついた時から、父の
   運転する車の中でビートルズを聞いていて、メロディは良く知っていたのに、曲名が分からない曲が多いんですよ。今回リクエストする
   曲は、曲の最後が You, You, You. I Love Youという曲です。克也さんなら、すぐ分かってもらえると思います。(取手市/男性)
    〜 The Beatles / P.S. I Love You

(小林)ビートルズに近かった人の語るビートルズ、なかなか面白いですよね。お相手は、小林克也でした!
5ホワイトアルバムさん:2010/03/19(金) 14:09:32 ID:???0
>>1-4
重複スレだクズが
削除以来出した後に死ね
6ホワイトアルバムさん:2010/03/19(金) 19:50:41 ID:???0
>>5
重複じゃない
スレタイ100万回見直せ
7ホワイトアルバムさん:2010/03/20(土) 00:21:56 ID:???0
8ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 18:11:59 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年3月21日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月21日)
  ・1985年 (25年前)
    オノ・ヨーコが、ニューヨークのセントラル・パークに、イマジン・モザイクを寄贈しました。これはですね、有名な、今もオノ・
    ヨーコが住んでいる、ジョン・レノンたちが住んでいたアパートメントがありますね。あれは、セントラル・パークに面しているん
    ですけど、そこからちょっと入った、歩いてすぐのところにありまして、実は音楽ファンたちの観光名所なんですよ。みんな、ダコタ
    アパートメントを見に行くわけですよ。あ、ダコタ・アパートメント、ここに住んでたんだっていう。で、そこからすぐ、セントラル
    ・パークに入って。ぼくは、二・三回行ったことがあるんですけど、行くたびに人がいなかった試しがないんですよ。必ず、一人とか
    多いときは20人くらいいたりするんですけど、やっぱり観光名所で、アメリカ人ばかりじゃなくて、世界各国の人間が見に来ていま
    す。団体で、それを取り囲んで、話をする人。あるいは、誰もいないなと思ったらそうじゃなくて、その近くでひとりで見に来ていて
    物思いにふけている若者がいたりしています。きっと、ジョン・レノンのファンなんだろうなっていうのが、よくわかります。ぼくも
    その一人で行ったら、同じようなことをしていると思います。それを、寄贈したのが、いまからちょうど25年前のきょう。セントラル
    ・パークの本当に近くにあって、ジョージ・ハリスンが亡くなった時も、遺影や花が手向けられていたといいます。
    〜 John Lennon / Imagine
9ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 18:27:23 ID:???0
    この Imagine というのも、オノ・ヨーコの影響が相当ありますね。一説によりますと、戦時中オノ・ヨーコの兄弟が防空壕の中に逃げ
    て、弟がお腹すいたよって言ったときに、オノ・ヨーコが「あの雲を見て想像して!美味しそうなケーキに見えるでしょ。」そう言っ
    たことが元になったと言われています。ぼくはね、本当にオノ・ヨーコさんに会ったとき、「作詞はもしかして、オノ・ヨーコさん
    じゃないですか?」と聞いたんです。「それは、何も言えません。この曲をジョンが作ったとき、私は、その横にいたってことだけで
    す。」ということを言ってました。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・ビートルズの専属広報マンとして、メンバーと一緒に世界中を飛び回った男、トニー・バーロウは、ポール・マッカートニーとの思い出
   を回顧録の中で綴っている。 ── 1962年に、リバプール・デモンシャーアームズのパブで初めてビートルズと会う頃には、グループの
   リーダーが誰なのか、見分けさせる雰囲気はすっかり消えていた。もちろん、ジョンは相変わらず口が悪く、やかましく、荒っぽく、
   毒舌だった。でも、ポールがとても仕事に協力的だったので、ぼくが的に絞ったのは当然ポールということになった。辛い時も、プロ
   フェッショナルな笑顔を装い、長時間続く何本ものインタビューにうんざりしていたとしても、最大限の努力をする、それがポール・
   マッカートニーという人物だった。ポールは、要求に応じて社交の場で、とても気の利いた台詞が言えるような、まさにナイス・ガイで
   あった。マネージャーのブライアン・エプスタインが、最初にぼくをビートルズの面々に紹介してくれたときも、ポールはすぐさま一歩
   前に出て、ぼくの手をとり、上下に振った。その時の彼は、すごく感じがよく、飲み物は何がいいですか?とぼくと妻に勧めてくれた。
   ポールは、みんなのまわりをテキパキと動き回って注文をとり、全部ダブルにしようとつぶやくと、注文リストをしっかり覚えて、バー
   カウンターへと飛んでいった。それはもう、非の打ち所の無い、気の利いたもてなしだった。その夜、ポールは誰ともなく、パーティの
10ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 18:41:09 ID:???0
   ホスト役に収まり、ほぼ彼の独壇場となった。マネージャーのブライアンは出しゃばらず、注目の的となっているポールに、スポットラ
   イトが当たるままにしておいた。ポールはぼくのために、つい先日終わったドイツ・ハンブルクでの冒険話を楽しそうに教えてくれた。
   もちろん、ジョンもその話には熱い口調で割り込んできて、それに加わった。こうして、ポールの気配りのおかげで、大盛り上がりの
   パーティは続いた。
    〜 The Beatles / Birthday
    〜 The Beatles / Oh! Darling
   (小林)柔らかいのも固いのも、ソフトなのもハードなのも、ビートルズの魅力だね。

  ・ビートルズの敏腕広報マン、トニー・バーロウがリバプールのパブで最初にビートルズの面々とあった夜、パーティのホスト役は、誰が
   言い出したわけでもなく、ポールに決まっていた。いや、むしろポールがかって出たといっても、間違いではない。ビートルズ御一行が
   パブの奥のシートに落ち着くと、まずポールは、ドイツ・ハンブルクで繰り広げられた冒険話を面白おかしく、バーロウに話し始めた。
   もちろん、他のメンバー、特にジョンも説明役としてこれに加わった。そのジョンの合いの手を受けて、ポールの話はさらにヒート・
   アップしていく。ハンブルクのクラブのバックステージでの騒乱や、狂気の沙汰。さらに、もっとやんちゃな行為、などなど。続いて、
   アゴが外れそうになるような数々のエピソードの数々をスラスラと語った。これに続いて他の三人も、ハンブルクのクラブチックで出会
   った、気さくなプロのお姉さんたちは、言葉と文化の壁を克服して、ビートルズを何から何まで世話してくれたことも、あっけらかんと
   カミング・アウトされたのである。さらに、こうしたプロの女性たちは、ビートルズの一日八回ステージという、あまりにも残酷な過酷
   な労働条件をクリアするための、イケない薬の調達役だったことも暴露されることになる。つまり、この夜ビートルズたちは、トニー・
   バーロウに対して、完全に心を許した。仲間の一人として、迎え入れてくれたのである。ハンブルクでの話は続く。ビートルズの四人は
11ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 18:52:48 ID:???0
   若いながらも、ハンブルクで芸能界の興行というものの現実を目の当たりにした。クラブのオーナーの目論見は、ただひとつ。それは、
   できるだけ多くのビールを客に飲んでもらうことである。つまり、ビートルズは催し物のひとつに過ぎない。言い換えれば、客引きと変
   わらないのである。ステージでは、出来るだけワイルドでセクシーに振る舞い、毎晩通りすがりの客を多く引き入れるという課題を課さ
   れた。本番中の出来事は、それが音楽であってもおふざけであっても、何でも構わない。とにかく、ウケること。それが、最重要課題。
   バーロウは、ポールの話にどんどん引き込まれていったのである。
    〜 The Beatles / One after 909
   (小林)古い過去の曲にも関わらず、発表されたのは解散の年の1970年の Let it Beの中に入っていたということです。

  ・ビートルズの広報宣伝マン、トニー・バーロウ。彼が最初に親しくなったビートルズのメンバーは、ポールであった。それは単に、最初
   にマネージャーのブライアン・エプスタインがリバプールのパブで開いてくれた歓迎パーティの席で、ポールが愛想が良かったというだけ
   ではない。後日、実際に仕事を一緒にすることになった時でも、ポールはそのプロフェッショナルなスタンスを見せてくれた。バーロウ
   は思った。ポールは、ロック・ミュージシャンとしてばかりでなく、広報の仕事に対する天賦の才能がある。ポールを中心にプランを組
   めば、まず間違いはない。ポールは、メディアを最も効果的に動かす術を、本能的に知っていたのだ。言い換えれば、ポールは骨の髄から
   指先にいたるまで、一流ショーマンとしての特殊なDNA構造を持って生まれてきたのだ。と、バーロウは、信じて疑わなかった。ポールは
   ビートルズのメンバーの中で一人だけ、サーカス団の団長としての才能を持っていた。その役回りを一手に引き受けていたと言うことも
   出来るだろう。ポールは、今も昔もファンの歓声を浴びることを、最大の喜びとして人生を送っている。そして、誰よりも自分を信じて
   いる。その肉体も精神も、強力なスポットライトのまぶしい輝きの中に立つという仕事をするために、あつらえている。これも、バーロウ
12ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 19:15:12 ID:???0
   の持論であり、ポール・マッカートニーという人物に対しての、限りない愛情と理解の言葉である。ポールは今年、68歳となる。何度も
   億万長者となり、バスの無料乗車チケットももらえる年齢になった男が、なぜまたアルバムを作り、過酷なツアーに出るのか。それは、
   ロック・コンサートのステージには、計り知れない魅力があり、さらに得体のしれない魔物が住んでいるからに違いない。トニー・バーロ
   ウは、そう結論づけている。
    〜 Paul McCartney / Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band (Replies) ~ The End (Good Evening New York City)
   (小林)やっぱ、ポールはお客の前でやることが大好きなんですよね。ビートルズが、コンサートをやらなくなって、ポールだけが一緒に
   やろうやろうって言い続けてたんだものね。

□リクエスト
  ・タクシー・ドライバーで、毎日ラジオを聞いてます。特に、克也さんの番組は欠かさず聞いてます。他局ですが、水曜の深夜や、金曜の
   日中と欠かさず聞いてます。でも!この番組が特に一番です。それ以外に、克也さんが放送している番組があったら教えてください。
   (川越市/男性)
    〜 ちあきなおみ / 朝日のあたる家(朝日楼)
   (小林)土曜日とか?
13ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 19:23:40 ID:???0
  ・アビーロード・スタジオの売却話が、マスコミで報道されています。11年前、ファンクラブのツアーで第二スタジオを見学したことは
   一生の思い出です。(調布市/男性)
    〜 The Beatles / Something

  ・先日、番組で吉田拓郎さんの歌声を聞き、とても懐かしく思いました。そういえば、私の青春時代の憧れの象徴といえば、原宿の喫茶店
   ペニー・レインがどうなっているのかと思い、ネットで調べてみると、形は変わっても以前健在であることを知り、嬉しく思いました。
   30年前、その店は表参道にほぼ面した、オープンテラスのある洒落た喫茶店で、その頃全盛のフォーク歌手もときどき来ていた聞き、
   期待に胸をふくらませ、近くを通ったものでした。今思えば笑えますが、オープンテラスはデパートの屋上遊園地以外では珍しく、あの
   椅子に座るためには、原宿らしいファッションセンスが必要と考え、友だちと自分なりに洒落た格好で行くのですが、座ってる方々の
   センスの良さに負け、とても表に座ることはなりませんでした。今回、リクエストさせていただいた曲は、かぐや姫のメンバーがその
   オープンテラスに座って、ジョン・レノンも通った表参道を見ながら作った曲かななどと思っております。(松戸市/男性)
    〜 かぐや姫 / アビーロードの街

  ・先日は、リクエストをかけてくれて、ありがとうございました。妻と This is itを見た帰りに、車の中で拝聴しました。妻は、克也さん
   が自分の名前をいうのでビックリ。映画 This is itや、克也さんの番組ベストヒットUSAのマイケル特集を見て、自分のスローガンを決め
   ています。自分のスローガンは、Man in the Mirror。まずは、自分自身を見つめることです。今までは、食べ物を無駄にして捨ててしま
   ったり、自分がなにか失敗したりすると、自分以外の人のせいにしたりしていました。しかし、これからは自分の姿を鏡に写すように
   自分自身の行動を見直すようにしようと思っています。(越谷市/男性/39歳)
    〜 Micheal Jackson / Man in the Mirror
   (小林)今からでも遅くない!
14ポール・キロックトニー:2010/03/21(日) 19:26:11 ID:???0
(小林)ビートルズの話は、広報担当のバーロウという人の本なんですけど、外交的な中心はポール・マッカートニーだったというのは、よく分
かりますよね。だけど、組み合わせがとてもいいチームだったわけですね、あの四人はね。リクエストお待ちしています。お相手は、小林克也
でした!
15ホワイトアルバムさん:2010/03/21(日) 20:51:55 ID:???0
キロックトニーさん乙!
16ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 18:12:17 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年3月28日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月28日)
  ・1985年 (25年前)
    (冒頭、録音機器のトラブルで聞き逃してしまいました)
    蝋人形館にビートルズが加えられるということが発表されました。サージャントの表カバーになっています。この蝋人形は長いこと
    行方不明になっていましたが、2006年に東京タワーの蝋人形館がオークションで1,500万円で落札して、それ以来東京タワーの中に
    ビートルズの蝋人形は展示されています。つまり、ここに行って入場料は500円ですが、500円払えば誰でも見れるというわけになり
    ます。もちろん、人形はビートルズばかりじゃないと、500円取るわけですからね。サージャントは、ポールがコンセプトを考えて
    メンバーたちが誰を加えよう、モンローを加えよう、どんな有名人を加えようってことで、後になって権利問題がクリアするのが大変
    だったらしいんですけど、個人的にびっくりしたのは、リストの中にヒトラーやスターリンがいたってことで。これだけは勘弁してく
    ださいってことで、ヒトラーやスターリンは落とされたことになっています。
    〜 The Beatles / A Day in the Life
17ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 18:28:20 ID:???0
□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・ビートルズの専属広報マンとして、世界中を飛び回った男、トニー・バーロウ。その優秀な仕事ぶり以外にも、メンバーに対するするど
   い観察力が面白いと評価される人物であるが、ポール・マッカートニーに関してバーロウは、こう語っている。「ポールは、とにかく
   社交的でチャーミングな青年だったね。初対面の時も、他のメンバーより一歩前に出て、ぼくに握手を求めてきたし、歓迎パーティの
   席でも率先してホストを務め、飲み物のオーダーもてきぱきとこなしてくれた。もちろん、場を盛り上げるためのおしゃべりだって、卒
   がない。あんな風にもてなされたら、誰だってポールを好きになってしまうさ。それに、音楽の才能だって、世界最高クラス。どう見て
   も、完璧だね。」さらに、バーロウは続ける。「ポールの仕事に対する意欲はものすごいね。どんなに忙しく消耗している時でも、人前
   で笑顔を絶やすことはないし、常に完璧を目指している。ビートルズの人気が絶頂だった頃、朝ホテルから出てくる四人を撮影したいっ
   て注文があって、その仕事を引き受けたことがあったんだけど、当然メンバーは朝起きてすぐだから寝ぼけ眼なんだ。でも、ポールだけ
   はニコニコして、他の三人にこういうんだよ。『さあ、みんな。スーツケースを持って、元気に歩こうじゃないか。』ってね。これが、
   典型的なポールだね。もちろん、カメラマンがシャッターを押す前に、必ずもう一度鏡をのぞきこんで、ヘアスタイルをチェックするこ
   とを忘れない。あんなミュージシャンは、後にも先にも見たことがないね。ビートルズ解散後、ソロであれだけ成功したのも、当然とい
   えば当然だと思うよ。」
    〜 Wings / Silly Love Songs
18ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 18:40:43 ID:???0
  ・ポール・マッカートニーの音楽と仕事に対する熱意が、他のどんなミュージシャンにも負けないことは、誰もが認める事実である。そし
   て、そのプライベートな部分は、果たしてどういうものなのか。ビートルズの広報マンとして、共に世界中を飛び回った人物、トニー・
   バーロウは、語っている。「1963年当時、ポールは楽しいことが大好きな、自由奔放な独身青年だったね。そういった意味では、他の
   男性と、何も変わりはない。ただし、才能とオーラに溢れ、一般人とはまるで違っていた。彼は、それを自分でわかっていた。ライバル
   や、仕事仲間や、好みの女性を巧みに操りたいとき、ポールはその魅力を振りまいた。そうすると、それが計り知れない効果をもたらす
   ことを知っていたんだ。一種の魔法使いみたいなものだね。ビートルズの初期の頃から、ポールは仕事仲間や友だちに対して、何でも率
   直にハッキリ物を言っていたけど、公の場に出るとそれほどでもなかった。というよりは、うまく使い分けていたと思うね。もちろん、
   ビートルズの中では、ポールは説得力という点において、大きな力を持っていた。怒鳴ったり、威張り散らすという手段に訴えるジョン
   ・レノンという男とは対照的に、ポールは細やかさと丁寧さでもって、自分のやり方を通していた。ジョンは、最もうるさい、やかまし
   いビートルだったのに対し、ポールは、最も抜け目のないビートルだった。ぼくは、些細なこと時に重要なこと、経営上の問題、クリエ
   イティブなこと、さらには議論になりやすいあらゆる場面で、ポールが他の人々を自分の考えへと引き込んで行くのを、なんども見てき
   た。とにかく、人間関係をうまくスムーズに作り上げるのがうまいんだ。ポールという男は、本当にうまい。スイートなんだけど、芯が
   しっかりしている。まさに、彼の楽曲そのものだね。
    〜 Paul McCartney and Wings / My Love
19ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 18:54:14 ID:???0
  ・ビートルズの宣伝広報マン、トニー・バーロウが語るポール・マッカートニー。これがなかなか興味深いので、さらに続けてみよう。
   バーロウは、話してくれた。「ある日、ジョージ・ハリスンが、ぼくに語ってくれたことなんだけど、1958年、もちろんまだデビュー
   前。ポールとジョンのいたクォリーメンに、ジョージが加わったとき、ポールは既にグループの中で意思決定者のように振舞っていたそ
   うなんだ。ジョージによると、クォリーメンはジョンのバンドであることは良く知っていたし、ジョンはぼくのヒーローでアイドルでも
   あった。だけどポールは、話しぶりからすると、バンドが何をすべきか、グループとしてどこへ向かうべきかと決定する。リーダーは自
   分だって、わかっていた。そのことを、それとなくではあったけど、主張もしていたんだね。ということなんだ。もちろん、この話には
   納得した。なぜなら、ぼくがビートルズと仕事をするようになった1963年以降に、この目で見たのは、ビートルズの間で、特に新曲は
   どうするのか、ライブの手順はどうするのかといった大切な話し合いの時、ポールの意見が通ることが多かった ── という場面だった
   んだよ。音楽的な話の時だよね。こういう時には、他のメンバーがポールに反論したのを見たことがないし、スタッフを含めて全員、
   ポールがジョンに議論で勝つことを望んでいたんだよ。それは、ポールの方がジョンよりも理論的で頭が良いということを、みんな分か
   っていたからなんだね。それに、ポールはとにかく甘えるような目つきで、物事をせがむんだよ。これは、ものすごくうまい作戦だった。
   これには、ジョンのことが好きだったマネージャーのブライアン・エプスタインも、折れるしかなかったんだよ。とにかく、ポールと
   ジョンは、正反対。曲で言うと、ミッシェルとノルウェーの森。ストロベリー〜と、ペニー・レイン。もうこれは、対照的としか、言い
   ようがないね。」
    〜 The Beatles / Michelle
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
20ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 19:10:13 ID:???0
□リクエスト
  ・ジョージ・ハリスンが、パティ・ボイドに送ったこの曲をお願いします。(住所・性別不詳)
    〜 The Beatles / I Need You

  ・中三の長男は高校受験が終わって、4月から第一志望の高校に通うことになっています。長かった受験戦争から開放されて、今は毎日の
   ように、遊びに出かけています。高校に入学して、部活動を始めたら、今の友だちとも会えなくなるし、遊んだりすることも出来なくな
   るので、今はとにかく思い切り遊んで、この時期だけの思い出を作って欲しいんです。リクエストする曲は、長男の好きな曲。iPodに
   入れています。(習志野市/女性)
    〜 Earth, Wind and Fire / September

  ・家のリビングで拝聴していると、娘が二階から降りてきて、ヘッドフォン!のサインを送ってきます。娘はサザエさん、私はビートルズ
   そしてリクエストが採用されると、一転して大音響がリビングに流れます。そんな私を呆れ顔で見つめている妻、そんな日曜の夕暮れで
   す。(花見川区/男性)
    〜 Sarah McLachlan / Blackbird
   (小林)日曜の家族の幸せな情景ですが、洋楽のヒット曲の歌詞みたいだね。「ビートルズから始まる。」という曲の歌詞みたいだよ。
   シールズ&クロフツのサマー・ブリーズなんて、平和な情景の歌詞が描かれていたりするんですけど。
21ポール・キロックトニー:2010/03/28(日) 19:23:06 ID:???0
  ・この曲は、アメリカですごくカバーされてるみたいですね。たしか、ジョージの曲ですよね。(富士市/男性)
    〜 The Beatles / Something
   (小林)いつか、この番組で話したと思うんですけど、イギリスでイギリス人を相手に相当でかい人気投票だったと思うんですが、ビート
   ルズの曲で何が一番好きですかっていう投票をしたところ、1960年代だったんですけど、一位がこの曲だったことがあるんですよ。
   ジョンやポールを差し置いて、いかにこの曲の人気が高いか、よく分かりますね。ちなみに、ビートルズはアップル・レコードというの
   をやって、そこからアメリカ人のシンガーやソングライター、ジョームズ・テイラーのアルバムを一枚出していますが、そのアルバムの
   中に入っている曲の歌詞から、Somethingはいただいています。これは、もうジョージ・ハリソンがいただいたんだってことを言ってい
   ます。Something in the way she movesを、ジョームズ・テイラーからいただいています。そういうことは、関係ないのかな。アメリカ
   での人気は。

(小林)この番組、10年続いているわけだけど、いろんな人のビートルズの見方、あるいはビートルズの連中が見たいろんなことを紹介していま
す。リクエストお待ちしています。お相手は、小林克也でした!
22ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 18:13:32 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年4月4日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月4日)
  ・1964年 (46年前)
    ビートルズが世界的に有名になった年。アメリカのビルボードのチャートです。シングルのチャート、1位〜5位までが全部ビートルズ!
    スゴいでしょ、全部だよ。それで、シングルトップ100の内、その5曲を含めて15曲がビートルズです。これもスゴいことです。そし
    て、アルバムチャート1位と2位は、ビートルズのアルバムです。で、ビルボードには、こんな記事が書かれています。もうほとんどの
    人が、ビートルズに飽き飽きしている。DJたちは、ビートルズの曲をかけるのは、またかよってんでヤになって、雑誌の編集者たちは
    またビートルズの記事を書くの? これもヤになって、物を作る人たち・Product Manufactureたちは、えーまたビートルズの? つま
    り、その当時はビートルズ鉛筆、ビートルズ消しゴム、なんでもビートルズの名前がついたの、え?またビートルズのレインコートを
    作るの?とかね、えー、ビートルズをまた作るの?とか、そういう話ばかりだったと言います。ちなみにチャートを見ますと、1位は
    Can't Buy〜、2位がTwist〜、3位がShe Loves〜、4位がI Wanna〜、5位がPlease〜。チャートの1位〜5位までが同一アーチストだ
    なんて、もうこれが最初で最後です! すごい時代だったんだね。それじゃ、1964年1月29日、ツアー先のパリ。場所は、パテ・マル
    コニ・スタジオ。ドイツ語だけど、簡単に録り終わっちゃったってんで、ついでに、1時間ちょっとで完成したという曲があるんです
    が、それを聞いてみたいと思います。
    〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
23ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 18:25:48 ID:???0
    パリで録音して、すぐにロンドンに送ったそうですが、テープがよれてて、シンバルの音がよれてたらしいんですよね。で、ロンドン
    で、ノーマン・スミス、エンジニアですけど、彼がシンバルを入れなおしたというエピソードもある曲ですよね。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・1962年に、ビートルズの中心メンバーとしてデビューし、数年の内に世界を征服し、あまりにも巨大の富と名声を手にした男、ポール
   ・マッカートニー。ポールは、今でも世界中をツアーで飛び回り、別れた二度目の妻には数十億円という、これまた巨大な慰謝料を支
   払ったことでも世間を騒がせ、ロック・アーチストとして第一線で活躍する現役アーチストである。そのポールの実態とは、果たして
   どういうものなのか。60年代、ビートルズの広報マンとして世界ツアーを共にしてきたトニー・バーロウは、語っている。「極端な見方
   をすれば、ポールはうぬぼれ屋の自己中心的な、そして極度の仕切り魔に見えることもあったね。しかし、世界一素晴らしいソングライ
   ターである以上、そういった短所は、些細なものでしかなくなるものさ。また、ジョン・レノンやマネージャーのブライアン・エプスタ
   インと違い、ポールには時折顔をのぞかせる悪魔や葛藤なんてものとも縁がなかったように見えたね。つまり、彼にはネガティブな要因
   はまるでないんだよ。アーチストとしての才能は別にして、ぼくがポールに付いて最も感心したのは、その意志の硬さだね。彼の目に映
   るもので、手に届かないものは何も無いんだよ。いかなることでも、いったん心にこうと決めたら、それがゴールを決めるまで、どんな
   に時間がかかっても、完成させた。もし、確信を持っている新曲が最初の試みでうまくいかなくても、根気よくそれに取り組むのも、
   ポールの持ち味だった。最初は、一度聞いたら忘れようがないメロディがあったものの、それにふさわしい歌詞が見つからない。なかな
   か出来ないんだね。でも何ヶ月かけても、ポールはその曲を永遠の名曲として、後世にまで語り継がれる作品として完成させたんだ。
   え? それが、どの曲かって? そうさ、世界中の誰もが知ってる、あの曲のことだよ。」
24ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 18:44:45 ID:???0
    〜 The Beatles / Yesterday
    〜 The Beatles / Rock'n Roll Music

  ・ポール・マッカートニーの書いた Yesterday は、最初なかなか歌詞がつかず、ポール本人も困り果てていた。それでも、持ち前の前向き
   な性格と粘り強さで、何ヶ月もかけてこの名曲は完成し、ロック史上最高の名曲として、崇められている。こうした、ポールの人間性に
   ついて、ビートルズの広報担当だった男トニー・バーロウは語る。「正直、ポールの根気には、本当に頭が下がるね。とにかく、こうと
   決めたら、絶対に完成させるまであきらめないんだから。ポール・マッカートニーという人は、自分自身に不可能な目標を課して、あた
   かも努力していないかのように振舞って、いつの間にかそれを成し遂げてしまう。彼は、一緒に仕事をするすべての人間から、同じよう
   な無条件の努力と集中力を期待していたし、それは今も変わっていないね。ぼく自身、そんなポールがまわりに及ぼす影響力を、おおい
   に利用させてもらった。言い換えるなら。ポールは良い意味でスタッフを巻き込み、やる気を出させて、プロジェクトに関わる人間すべ
   てに、能力の限界点まで発揮させるんだね。みんなポールと仕事をするのは嬉しいわけだから、損得勘定なしにがんばるさ。我々、所属
   事務所側としては、これは好都合。だって、同じ予算を使っても、完成してくるものがまるで違うわけだから。まさに、ポールのおかげ。
   これに対し、ジョン・レノンにこういう粘り強さを期待するのは、無理だったね。彼には、集中力がない。集中力が続かないタイプだっ
   たんだ。自分には、音楽的な面においては、ポールほどの才能がないってことは認めていた。だから、公然とソロ・アルバムの中で、
   ポールを批判してみせたわけだ。せめてもの抵抗というヤツかな。実に興味深い男だよ、ジョン・レノンは。
    〜 John Lennon / How Do You Sleep?
25ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 18:55:42 ID:???0
   ジョン・レノンが、ポール・マッカートニーの事を無茶苦茶にいっています。サビが、お前よく眠れるな?よく眠れるよ、安心して。昔
   お前が亡くなった ── ポールが亡くなったというデマを流した奴らがいたが、あいつら正しかったんだよね。だってお前、死んだも同然
   だったんだよとかね。お前のやったただ一つの良いことって言ったら、Yesterdayだけだよ!って、よく眠れるよー。って、ジョン・レ
   ノンはスゴい人だし、ポール・マッカートニーもいろいろ反論したといいますね。
26ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 18:59:36 ID:???0
  ・ビートルズの広報宣伝マン、トニー・バーロウが語るポール・マッカートニー論。興味深い話は、まだまだ続く。バーロウは、こうも語
   っている。「ビートルズのデビュー当時、ぼくはEMIのプロデューサー、ジョージ・マーティンと同じく、グループ名の名前であるビー
   トルズの前に、メンバーの誰かひとりの名前をつけるべきだと考えていた。そう、バディ・ホリー&クリケッツとか、クリフ・リチャード
   &シャドウズみたいな、あのスタイルさ。注目すべき対象を、ファンにわかりやすく掲示するために、ポール・マッカートニー&ザ・ビ
   ートルズにすべきだと、マネージャーのブライアン・エプスタインに真剣に意見したんだ。しかし、ブライアンの答えはノー。彼は、こ
   のグループは民主的であり、四人全員が均等に注目されるようにしたいということだった。もしかしたらの話になってしまうけど、ジョン
   のことが好きだったブライアンは、ポール・マッカートニー&ザ・ビートルズというのが気に入らなかったのかもしれないけど、今や真実
   を知る術はないね。もちろん、ジョンが頭につくとしたらポールが納得しなかっただろうから、結局ありえなかった話だろうね。ジョンと
   ポールのライバル意識は、とにかく強かった。21世紀に入ってからの話だけど、ポールは段々と、「レノン・マッカートニー」名義の曲
   に関して、実際にはどっちが書いた曲かどうかを法的にもハッキリさせるべきだと考え始めてきているね。例えば、ポールの代表曲
   Yesterday や、Hey Jude などは、レノン・マッカートニーではなく、マッカートニー・レノンという表記にすべきだと主張しているわけ
   だよ。ジョンが亡くなってもう30年以上もなろうとしている状態なのに、まだこの状態なんだから。二人は文字通り、永遠のライバルな
   んだろうね。
    〜 Paul McCartney / Here Today
27ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 19:22:31 ID:???0
   ポール・マッカートニーが、ジョンに捧げた曲であります。さっきは、ジョンがポールのことをケチョンケチョンに言ってましたけど
   これは、ジョンが亡くなった後、レコーディングはやっていたんですが、ジョンが亡くなったと聞いて、レコーディングを中断して、その
   後、作った曲。もし、ぼくが本当は君のこと良く知ってたって言ったら、きみがぼくの目の前にいたら、なんて答えてくれるかなって。
   最終的には、君のことが本当に好きなんだ。今はもう、涙を隠したりはしない。君のために泣こうという曲ですね。ポールの優しさが
   悪口を言う人間じゃないってことが、余裕を示した曲でもあります。

□リクエスト
  ・マイケルの死は、本当に残念です。昔、ベストヒットUSAで、Beat itやThrillerのビデオを見て以来ファンで、コンサートにも数回行きま
   した。あの当時、マイケルの真似をして自分もベジタリアンになろうか思ったほどでした。でも、なれませんでした。そうです、克也さん
   自分はベジタリアンにはなれないんです。だから、石井のハンバーグ、リクエストよろしくお願いします。(松戸市・男性)
    〜 Micheal Jackson & Paul McCartney / The Man
   (小林)オチになってないよ。ヤなヤツと思われないようにしなさいよ!(笑)
28ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 19:23:52 ID:???0
  ・私は、1962年生まれ。ビートルズの世代ではありませんが、中学生時代おこづかいを貯めて買ったのが、輸入盤のSgt〜でした。その後
   同じく輸入盤の Let it Be を購入。中期から後期を中心に買い始めていました。克也さんの番組を聞いて、改めて前期の曲も聞き直してい
   ます。さて、先週はじめてニューヨークに行く機会がありました。ところが、大雪で大変なニューヨーク探訪となりました。現地時間で
   2月28日、念願のセントラル・パークに着きました。セントラル・パーク・ウエスト通りを77ストリート辺りから、ダウンタウンを歩き
   始めました。とても、平和な風景が続きます。そして、72ストリートに着きました。ダコタ・アパートを右手に見ながら、セントラル・
   パークに入りました。一面、雪景色でした。道だけは除雪され、多数のニューヨーカーがジョギングしています。私の目的は、Strawberry
   FieldsのImagine Mosaicを訪れることでしたが、大雪で埋まっていまして、場所の確認をしただけで終わってしまいました。アメリカ人
   のカップルが、同じく雪の中に埋まった看板の前で、記念写真を撮っていました。こんな平和なニューヨークになったのも、彼の影響が
   あるのかもしれません。改めて、ここを訪れたいと思います。(習志野市/男性)
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

  ・以前、派遣で働いていた会社を辞め、もうすぐ一年になります。そのせいか、この曲が聞きたくなりました。あの頃のお仲間は元気にし
   てるのか?今でも思います。仕事はとても大変ですが、ぼくなりに頑張っているつもりです。(かすみがうら市/男性)
    〜 ペドロ&カプリシャス / 五番街のマリーへ
29ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 19:31:55 ID:???0
  ・以前、派遣で働いていた会社を辞め、もうすぐ一年になります。そのせいか、この曲が聞きたくなりました。あの頃のお仲間は元気にし
   てるのか?今でも思います。仕事はとても大変ですが、ぼくなりに頑張っているつもりです。(かすみがうら市/男性)
    〜 ペドロ&カプリシャス / 五番街のマリーへ

  ・私事ではありますが、3月11日に6歳の娘が、幼稚園を卒園いたします。卒園式では、保護者代表者ということになり、緊張しております
   家族揃って、番組にメールやFAX、リクエストを送っているんですが、今回は娘の卒園祝いに、娘がリクエストしていた Let it Be をかけ
   てください。(住所性別不詳)
    〜 The Beatles / Let it Be
   (小林)これね、住所と名前が書いてないんですね! ピアノで始まって、学園モノっぽい雰囲気もありますからね?
  ・ビートルズのファンになって間もない36歳の主婦です。一番好きな曲は Yesterday ですが、きょうは Let it Be が聞きたい雰囲気なので
   (江戸川区・名前なし)
   (小林)もし、このお二方、聞いていましたら、連絡をいただけたらと思います。
30ポール・キロックトニー:2010/04/04(日) 20:10:26 ID:???0
(小林)人によってはポールの評価が高かったり、また別の人によってはジョンの評価が高かったり、知ってるとはいえ、ハラハラしたりする内容
であります。また、リクエストでの参加、お願いします。お相手は、小林克也でした!


<一部、ダブって書き込んでしまいました。すみません。>
31ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 18:14:21 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年4月11日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月11日)
  ・1969年 (41年前)
    ビートルズは、ホントもうバラバラ! Get Back、これはイギリスでのシングルですが、両A面でGet BackとDon't Let〜が発売された
    日です。この、Get Backというタイトルで、映画がスタートして、サントラがうまくいかなかった。で、このままでビートルズを終わ
    らせていいのかという。それぞれ、違う思いのあせりがあるわけです。中心になって、一番積極的に動いていたのはポール・マッカー
    トニー。ポールが音頭をとって、四人が最後に結集するわけですね。俺たちナマもやっていこうぜ、バンドとして演奏もしていこうぜ
    みたいな空気もありました。そして、Abbey Roadのレコーディングに入っていくわけですが、結果としては Hey Judeに続く17枚目
    のシングルで、Hey Judeも大ヒットだよね。それにせまるような、イギリスとアメリカで1位の大ヒットになります。そして、ビート
    ルズの正式クレジットが「〜With Billy Preston」。ビリー・プレストンは、お父さんがレイ・チャールズのコンサートですごいヤツ
    がいるということで、見つけたきたミュージシャンです。で、この頃は五番目のビートルズがいるということで呼ばれるわけですが
    Beatles with Billy Preston、これで Get Back が一位になります。この頃はバラバラだったから、ビリー・プレストンが入ったことに
    よって、ビートルズはうまくいったという考えもあるけど、思い出してください。エリック・クラプトンなんかは、入ってもエリック
    ・クラプトンの名前すら入れてもらえなかった。クレジットされなかった。だから、ビートルズは、どうでも良くなったとも考える事
32ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 18:30:53 ID:???0
    ができるし、それから、一番大切なのは、この頃時代が変わっていたんです。もう、世の中ヒッピーとか出てきて、コミューン的なも
    のを共有するような。だから、ビートルズも他のメンバーが入ってきていいかーみたいな雰囲気で、それからツェッペリンなんか出て
    きて、結構音楽的に、特にポールなんかはあせっていたはずです。そういう風なことを考えながら聞くと、面白いと思います。歌詞が
    また泣かせるんですよ。簡単な歌詞なんだけど、わけわかんないところがあるんですよね。California grass って何なんだとかね。カ
    リフォルニアの葉っぱ? 葉っぱって、ひょっとして?とかね。だけど、ちょっとつながらないなとかね。英語圏でも、いろいろ物議を
    醸したわけです。さ、改めて聞くよ。
    〜 The Beatles / Get Back

    モノラルで聴いていただきました。モノラルというと、その時代の音となって、ツェッペリンとかも登場してくるわけですが、イギリ
    スの面白さっていうのはね、世代ごとに色んな主張をしてくるんですよ。だから、ビートルズの Get Back が出て、チャート的には新
    しかったけど、その頃の二十歳前の青年とかは、わ!これはすごいと思ったかというと、どちらかというと、古い!感じがしたんですね
    そのころは。ビートルズというのれんの力を発揮した、そういう風に捉えていただくと、ビートルズのことがよくわかると思います。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・60年代初頭から、21世紀の現在に到るまで、ロックンロール・シーンのトップスターとして走り続ける男、ポール・マッカートニー。
   彼の素顔について、かつてビートルズと共に世界中のツアーを共にした、PR担当のトニー・バーロウは語っている。「ポールの、ジョンに
   対するライバル心は、とにかく強かった。今世紀に入ってからの話だけど、ポールは段々とレノン=マッカートニー名義の曲に関して、実
33ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 18:42:25 ID:???0
   際にはどっちが書いた曲かを法的にもハッキリさせるべきだと考えはじめているね。例えば、ポールの代表曲 Yesterday や Hey Jude なん
   かは、レノン=マッカートニーではなく、マッカートニー=レノンという表記にすべきだと主張しているわけだ。実は、こうなったのには
   ある出来事がからんでいるんだ。」ある出来事とは、いったいなんだろう。トニーは、こう話している。「ビートルズの現役時代、作曲者
   名義をレノン=マッカートニーとしたのは、印税や版権収入の経理作業を単純化したため。そんな、安易な理由だったんだ。しかし、ジョ
   ンの死後24年たった2004年に、一悶着あったんだよ。それは、ヨーコが開催した When I'm 64 というアート・イベント。もちろん、こ
   れは、ジョンが生きていたら64歳になっているという趣旨のイベントだったんだけど、このタイトルの曲は、ポールが高校生の時に一人
   で書いたものだよね。当然ポールは、クレームをつけた。しかし、これに対して、ヨーコ側も負けちゃいなかった。だって、法的には作曲
   者の表記は、レノン=マッカートニー。だから、誰にでもダメ出しされる覚えはありません。 ── というもの。これが、クレジット変更
   騒動の発端となったというわけ。」
    〜 The Beatles / When I'm 64
    〜 The Beatles / Yellow Submarine

  ・「私のアート作品の展覧会タイトルに、When I'm 64 を使うな!なんて。そんな、おかしなクレームは、受けられません。だって、法的に
   作曲者の表記は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーでしょ。誰にも、ダメ出しされる覚えはないわよ! 一体、何様のつもり?」
   ポール・マッカートニーからオノ・ヨーコに出された抗議文について、ヨーコは真っ向から反論した。さらに、このイベントが開催された
   2004年には、今度はヨーコが反撃した。「ポール・マッカートニーが、自分の作品集のある編集盤CDに、Yesterdayを収録したいと申し
   出てきましたが、私はこれを認めるわけにはいきません。それは、法的な作曲者クレジットを見ていただければ一目了然ですが、そこには
34ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 18:57:11 ID:???0
   間違いなく、レノン=マッカートニーとあります。ということは、この Yesterday は、あくまでもビートルズの楽曲であるということは
   世界中の誰もが認めている事実です。ですから、この曲がビートルズのベストアルバムに収録されるということであれば、それは何の問題
   もないことですが、ポールのソロ名義のアルバムに収録されるということになると、それは無茶な申し出としか言いようがありません。
   後は、裁判所が判断することです。」いちおう、見事な論法である。このヨーコの発言からも、夫ジョン・レノンの生前からも、ビジネス
   的な面では、ヨーコが仕切っていたことを推測するのは、容易なことである。若い頃から常に野心的だったポールと、ずぼらなジョン。こ
   こでも二人は、まったく正反対な人間であったことが、浮き彫りとなったのである。
    〜 John Lennon / Jealous Guy
    〜 The Beatles / Lovely Rita

  ・ビートルズの広報宣伝マン、トニー・バーロウが語るエピソードの数々。興味深い話は、まだまだ続く。バーロウは、こうも語っている。
   「ぼくは最初から、ポールは野心的な青年だと思っていた。一方のジョンは、比較的おおらかで、悪く言えば無精者。ジョンは、音楽家
   として、ソングライターとして、成功したいと常に思っていた。しかし、同時にジョンは、あまりに大変な努力を強いられるのは大嫌い
   な性格であったため、彼の願望は矛盾していたのかもしれないね。ジョンは、短絡的な性格も持ち合わせていたので、ビッグ・スターに
   なって、ものすごく有名になるという人生を望んでいた。これに対してのポールは、単にスターダムを究極目標にしていただけでなく、
   それをライフ・スタイルとして、隅々にまで行き渡らせたいと思っていた。ポールは、ビートルズが最初にマネージメント契約にサイン
   した際に、もし何らかの理由でバンドが売れなかった場合は、自分が一人でやっていきたいと、マネージャーのブライアン・エプスタイン
   にハッキリと告げていた。実際、ビートルズが解散した1970年以来、ポールは長きに渡って、ソロとしての活動を成功させているよね。
35ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 19:06:53 ID:???0
   二十歳の時の目標を、見事に成功させた、つまり、初志貫徹ってわけだ。本当に尊敬するに値する人物は、ポール・マッカートニーだと
   思うね。」こうした、トニー・バーロウの証言からも分かるとおり、ポールは強い意志を持った努力家でもある。もちろんそれは、天才的
   な能力があって、初めて成立する。もし、最初からポールがソロ・アーチストとしてデビューしていたら、今や証明すべき術もないこと
   ではあるが、興味深い推測でることは言うまでもない。
    〜 The Beatles / Anytime at All
    〜 The Beatles / Till There was You

   Till〜は、ビートルズの曲じゃないってのは、ファンは聞いて分かりますよね。そうです、これはミュージカルの曲のカバー・バージョン
   であります。ビートルズのカバー・バージョンのセンスは、独特ですよね。ポールのセンスが現れています。トニー・バーロウの話ですが
   ポールとジョンは天才である。ポールはだけど、努力をしている。目標が高い。ジョンはズボラで、ポールとヨーコがもめた事件というの
   は、オノ・ヨーコが When I'm 64 というタイトルをつけたら、ポールが折れの曲のタイトルをつけるんじゃないよと。そしたらヨーコが 
   だけどこれは、ビートルズの曲でしょ!と。で今度は、ポールのソロのアルバムに Yesterday 、あんた何やってるの。これは、ビートルズ
   の曲でしょ! これは、どういうことかというと、ジョンが亡くなる前は、ポールの方が評価が高かったんですよ。だけど、ジョン・レノン
   が暗殺されて以降、その立場が逆転するわけです。ジョンがいたから、ビートルズがあったんだと。ポールは、そういうあせりもあったし
   オノ・ヨーコがいかに嫌いかということが分かりますね。仲良かったらさ、ちょっとこれやるけど、お願いねー。って、断るだけでOKな
   のにね。それをこんな一悶着になったというお話。それから、トニー・バーロウはジョン・レノンからイビられたらしいね。推測するに。
   ポールが、好きだもんね。どちらかというと。
36ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 19:26:23 ID:???0
□リクエスト
  ・克也さんのおかげで、高校に受かりました! 高校生になっても、この番組を聞いていきます。(鉾田市/男性)
    〜 The Police / Synchronicity II

  ・克也さんがんばってー! ビートルズ大好きー!(住所性別不詳)
    〜 The Beatles / No Reply
   (小林)せっかく、石井食品の方から素晴らしいものが送られるわけですから、もし聞いていたら住所とか名前を送ってください。

  ・毎週の晩酌タイムに、楽しく聞いております。去年の暮、家族でジョン・レノン・ミュージアムに行ってきました。館長さんと一緒に館
   内を見学した後、家族三人でもう一周しようということになり、ジョンとヨーコのラブの世界を堪能し、真っ白なファイナルルームは
   A Day in The Life のピアノの余韻の中にいるようで、気がついたら閉館の時間でした。その後、9月に閉館と知り、もう一度家族で行こう
   という話になり、3月27日の土曜日、私の40歳の誕生日、克也さんところで誕生日おめでとうございました、に、行くということで。
   しばらく、ジョンのアルバムばかり聞いていたのですが、その余韻も覚めたのか、やっぱりビートルズということで。(住所不詳/男性)
    〜 The Beatles / There's a Place
37ポール・キロックトニー:2010/04/11(日) 19:34:11 ID:???0
  ・ビートルズ好きの6歳の娘と、毎週楽しく聞いています。娘はこの春に幼稚園を卒業し、小学生となります。入園後に引越しをしたために
   一年半は、車での通園となりました。通園中は、ビートルズの Abbey Road や White Album を聞きながらの、楽しい幼稚園生活を過ごし
   たようです。卒園式では、娘たち卒園生が「翼をください」を合唱しました。この大空に翼を広げ、飛んでいきたい。このフレーズが、
   これまでの娘の成長と、これからの成長と飛躍を感じさせ、じんときました。娘も翼をくださいを気に入ったのか、今でも無邪気に歌いま
   す。ぜひ、娘にオリジナルの赤い鳥の翼をくださいを聞かせたく、リクエストします。(野田市/男性)
    〜 赤い鳥 / 翼をください
   (小林)6歳の娘さんと、車の中はビートルズ。どんな子に成長していくんでしょうね。

(小林)時間が来ちゃいました。リクエストでの参加、お願いします。お相手は、小林克也でした!
38ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 18:15:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年4月18日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月18日)
  ・1975年 (35年前)
    ジョン・レノンの Stand by Me、そしてB面はオマケ感がありました。Move Over Ms. L 、これはオリジナルです。Stand〜はカバー
    です。これが、発売になりました。ジョン・レノンの Rock'n Roll という問題作、色んなことが言われてるね。ほら、あの、ビートルズ
    が盗作したから、それをあのー和解のために作ったとか、動機がよく分からないアルバムであります。で、ジョン・レノンは、オノ・
    ヨーコに追い出された状態で、ロス・アンジェルスにいたとか、なんとなくこの辺は、もっともっと詳しく調べると、色んなことがあり
    そうですけど。プロデューサーは、フィル・スペクター。天才的な偉い人なんだけど、ちょっとおかしい人っていう。この Stand〜は
    ご存知ベニー・E・キングのカバーであります。この曲は、ジョン・レノンがカバーすることによって、有名になって、ベニー・E・
    キングは、この曲を有名にしてくださったありがとうございますということで、お礼にジョン・レノンの Imagine をカバーしたりして
    います。が、これは実はチャートは、小ヒットぐらい。アメリカで20位、イギリスで30位。まあ、この頃は、なんでジョン・レノンが
    カバーを?とか、時代的にジョン・レノンは過去の人っぽいイメージがあったんですが、これでジョン・レノンは(音楽を)辞めちゃうん
    ですよね。隠遁生活に入って、1980年まで音楽活動はほとんどやらないという状態。ねー、面白いですよね。ぼくはね、音で見ると
    この頃はフィル・スペクターという人の影響がすごかったんですけど、ずいぶん長い間にフィル・スペクターから抜け出したジョン・
39ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 18:28:51 ID:???0
    レノンという感じで見てるところもあるんですよ。フィル・スペクターという人は偉いけど、なんか違う言葉でいうと、メロドラマみ
    たいな音楽なんです。だから、ジョン・レノンがそこに入ったら、地獄に入ってなかなか出られないような世界だったのかもしれない
    けど、1980年代に Double〜で出てきた時には、ああ良かったなと思ったものであります。では、そのフィル・スペクター。途中、
    テープを持って、逃げられたりするわけですが、今から35年前のきょう発売になった、ジョン・レノンの Stand by Me。ジョン・レノン
    は、ベニー・E・キングの柔らかい歌い方ではなくて、突き刺さるような悲しさがものすごく伝わるような。ジョン・レノンの作品を
    聞いてあげようよみたいな感じで、我々の心の中に入ってきます。
    〜 John Lennon / Stand by Me

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・ビートルズに関してのエピソードは、数限りなくある。しかし、その中でも最も信ぴょう性の深いのが、かつてビートルズと世界中の
   ツアーを共にした、PR担当のトニー・バーロウの追想記。その著書の中でバーロウは、ジョンとポールのソング・ライティングに関して
   興味深い証言をしている。「レノン&マッカートニーの、曲作りの現場に遭遇するチャンス? んー、記憶によると、それはほとんどなか
   ったね。それは、家族でもそうだと思うよ。そもそも決まりごととして、ジョンとポールは、別々に仕事をすることになっていたんだ。
   初めの頃は、二人は改まった作曲作業というよりも、ツアー・バスの中や楽屋で急いで作ったものがNo.1になったりしていた。時々、映
   画のサウンとトラックや、クリスマス・シングルなど、間近に新曲の締め切りが迫っていた場合、二人はそのためにキチンと作曲の時間
   を割くことはあったけど、それでもそれは数回しかなかったと記憶している。ジョンもポールも、どうやら前もって決められた時間に、
   ヒザを突き合わせて曲をかくという作業が好きではなかったみたいだね。この二人のソングライターの間では、目を見張るような化学反応
40ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 18:45:20 ID:???0
   によって火花が散り、パチパチ音を立て、極度に切迫した状態で最も大きな力が発揮出来ると信じていたようだ。もちろん、その化学反応
   は競争意識となり、しばしば激しいものになったと思う。彼らは、お互いが持っている最高のものをお互いに引き出す、ライバル同士だっ
   たというわけだ。兄弟のようにとことん喧嘩もし、特に音楽に対しては、それぞれが相手の作品を上回ろうと命をかけていたね。」バーロ
   ウのこうした証言は、見事に的を得た物である。レノン=マッカートニー作品は、間違いなくこうして作られた、ロックの真の名曲と言え
   る。
    〜 The Beatles / I've Got a Feeling (Naked)
    〜 The Beatles / Baby's in Black

   自分の持っている女の子が黒い衣装。亡くなった女の子の、なかなかこっちを向いてくれないという、ジョンとポールの歌い方が絡まって
   います。

  ・いい曲を書くためには、お互いのどんなことでも引き出し、化学反応を引き出す。そんな、レノン&マッカートニーというソングライター
   コンビに関して、ビートルズのPR担当を務めた人物トニー・バーロウは語っている。「作曲作業を通して、ジョンとポールが育んだ絆は
   兄弟愛に勝るほど強いものだったね。ぼくはかなり早いうちに、ビートルズが存在するのは、豊かな才能を持ったレノンとマッカートニー
   のパートナーシップに奉仕するためだったと気づいていたんだ。つまり、このバンドは現実には四人の共同体制ではなく、ジョンとポール
   が書いた楽曲のためのユニットだったという。さらに、別の見方をすると、ビートルズはジョージとリンゴに代わる違うメンバーとでも
   自分たちの楽曲を引き続き書くことができただろうし、それを演奏し、レコーディングをすることもできただろう。ただし、それはあくま
41ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 19:00:33 ID:???0
   でも、レノン&マッカートニーというロック界、音楽界において類を見ない、天才的なコンビが生み出す曲があってのこと。という条件が
   つきのお話だね。これが、FAB4 ── つまりビートルズの真実。だからなぜ、ジョージの曲が大抵の場合、アルバム収録曲として却下され
   たかがわかるだろう。もちろん、ジョージは理解できなかった。なぜ、自分の曲がシングルのA面として採用されないのかがね。でも、ぼ
   くの見解はこうなんだ。ビートルズにおける競争とは、あくまでもレノンとマッカートニーの間の事柄であって、ジョージ・ハリソンが
   その対抗馬に浮上することは、決してないということだ。結果、ジョージの曲は、活動の末期になって、やっと日の目をみるようになっ
   た。もし、ジョージがビートルズでなく、他のバンドのメンバーだとしたら、あの My Sweet Load よりもずっと前に、ロックの有名な
   ソングライターとして脚光を浴びていたと思うよ。それだけ、ビートルズはすごかったんですよ。本当に。」
    〜 George Harrison / My Sweet Load

  ・ビートルズのPR担当トニー・バーロウが語る、エピソードの数々。興味深い話は、まだまだ続く。バーロウは、ポールの思い出を語って
   いる。「ポールはよく人に、出来そうにないことを約束をして、自分でその約束を守れないときは、その厄介ごとをぼくに押し付けたね。
   ファンを喜ばせようとする、ポールのたゆまない努力は、幾度となくぼくにしわ寄せとしてやってきたね。ポールは、自分のスケジュール
   が数週間先まで一杯に詰まっていることを承知でいながら、ジャーナリストにインタビューを受ける約束をしたりして、その後をうまく
   やりくりするのは、すべて広報担当のぼくの仕事になった。ある時は、チケットが取れずに、目に涙をためて懇願する10代のファンに
   降参して、「トニーが招待券を何とかしてくれるよ。超楽しんでね。」と、ウインクだけを残して、ポールは去っていく。これは、本当に
   困ったね。ほとんどのビートルズのコンサートが、座席も立ち見もすべて完売となる状態にあって、ぼくにはその女の子との約束を破って
42ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 19:13:03 ID:???0
   ガッカリさせるか、報道関係者席のチケットを二枚割り当てて、会場に現れないジャーナリストがいることを願うか、いずれにしても、
   選べる選択肢は、その二つしかなかったんだ。」もちろん、こうしたトニー・バーロウが語るエピソードは、ポールに悪気があったことで
   はない。むしろ、ポールのファンに対するサービス精神の表れだったと解釈することも出来る。しかし、こうしたポールの仕事に対する
   前向きな姿勢、ひたむきさが他の三人のメンバーにとって、いつしかウザッたいものになっていくことを、この時点では誰にも予想がつか
   なかったのである。
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

   皮肉にも、ポールはこの音が自分が書いたにも関わらず、好きではなかったと。フィル・スペクターが作ったサウンドであったわけであり
   ます。

□リクエスト
  ・Something や、ソロ作品の Ballad of〜といったジョージの作品は、聞く度に本当に美しいなと感心しますが、一方でノリの良い Savoy〜
   Old Brown Shoeなんかも好きです。リクエストは、その系統に入るであろう、ジャッキー・ロマックスのこの曲をお願いします。ジョージ
   と彼の関係、曲を提供した経緯。情報がありましたら。(町田市/男性)
    〜 Jackie Lomax / Sour Milk Sea
   (小林)情報はありません。
43ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 19:34:19 ID:???0
  ・ホワイト・アルバムが好きです。ということで、インドに行ってきました(笑)。いきなり、行っちゃったー。インドでは、リキラームとい
   う、ビートルズも行ったお店に行ったのですが、他にはビートルズの足跡は見つかりませんでした。というわけで、ビートルズとマハリシ
   との宗教運動大会のお話が聞きたいです。本やインターネットでも探したんですが、なかなか見つかりませんのでお願いします。(成田市/
   性別不詳/21歳)
    〜 The Beatles / Love You To
   (小林)ぼくもあまり詳しくないですけど、ただきょうはジョンとポールの話をしてますけど、ジョージ・ハリスンがインドに入っちゃうわ
   けですよね。で、音楽でも相当影響を受けまして、ただポールやジョンは、音楽でもインドの影響らしきところを見せないんですよね。
   だから、これが面白いっていうか、ジョージのこういったインドへの寄り道があって、ビートルズとしては、長持ちしたんですよね。

  ・なっとく良く結果を出せなかった息子に、大学受験お疲れ様でしたの気持ちを込めて、たくさんのビートルズメドレーをかけてください。
   私の口からはお疲れ様と言えないので、よろしくお願いします。(松戸市/女性)
    〜 Stars on 45 / Beatles Medley
   (小林)失敗した方がいいよ。負け惜しみじゃなくて。この頃は、日本でもこういうのが流行っていて、演歌でもチャンチャカチャンとい
   うのがあって、ぼくたちはこれを「ビートルズ・チャンチャカチャン」と言って紹介したのを覚えています。
44ポール・キロックトニー:2010/04/18(日) 19:36:21 ID:???0
  ・私がビートルズを好きになったのは、主人の影響もありますが、初めて聞いた Yesterday がすごく衝撃でした。あの、何とも言えない
   切ない感じ。一番好きです。ちなみに主人は Let it Beですが、きょうはなんとしても Yesterdayが聞きたいです。(江戸川区/女性)
    〜 The Beatles / Yesterday
   (小林)家族の中でポール派とかジョン派とかジョージ派とか。いや、リンゴだとか。こういう感覚が出るのは楽しいものですよ。オマエは
   ジョンが好きだからこうなんだろうなとか、ポールが好きだからこうだろうとか。後、年齢とかが高くなってくると、自分の趣味が変わっ
   てくるのが分かって、昔はジョージだったのがポールになったりして、そういう楽しみがあります。

(小林)ジョージ・ハリスンとジャッキー・ロマックスは、ハンブルグ時代の対バンのメンバーだったみたいですね。NEMSという同じ事務所、そう
いう関係ですね。お相手は、小林克也でした!
45ホワイトアルバムさん:2010/04/18(日) 21:30:25 ID:???0
いつも乙だよ〜!
46ホワイトアルバムさん:2010/04/19(月) 22:21:13 ID:???0
キロックトニーさんの年齢と職業が知りたい。
47ポール・キロックトニー:2010/04/19(月) 22:40:53 ID:???0
そんなものをしって、どうしようというのか
48ホワイトアルバムさん:2010/04/20(火) 18:45:19 ID:???0
これだけの労力と時間をかけられるんだから
年金受給者であろう
49ホワイトアルバムさん:2010/04/20(火) 21:59:17 ID:???0
17歳の修行僧です。
50ホワイトアルバムさん:2010/05/01(土) 00:27:31 ID:???0
50
51遅くなってすみません:2010/05/01(土) 09:33:59 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年4月25日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月25日)
  ・1970年 (40年前)
     ビートルズは、事実上解散。というか、世の中も「ビートルズは、もうやってない」と思っていた。この月に、ポール・マッカート
     ニーとリンゴ・スターが、それぞれソロ・アルバムを出しています。ポールは、脱退を宣言します。そんな頃です。40年前のきょう
     ニューヨークでジョージ・ハリソンが、インタビューに答えています。ジョージ・ハリソンは、ニューヨークのアップルの事務所に
     出向いて、経理上の確認を行っています。ビートルズは最後だから、お金はどうなっているのか。この後、入ってくるお金はどうな
     っているか、そういう確認をします。そして、インタビューでは、ビートルズの現状(を話し)、そして、自分の頭の中では、ソロ
     でのデビューを考えているわけですよ。詳しくは語っていないんですけど、曲はいっぱい、かなり昔から書いていた、プロデューサー
     は、ジョン・レノンも尊敬して、ジョージ・ハリソンも尊敬しているフィル・スペクターを予定していることなどを公表しています。
     だから、ちょうど40年前、ビートルズが解散するわけですが、ちょうどきょうは、ジョージ・ハリソンの心の中、頭の中を発表する
     わけですね。で、彼が5月になるとレコーディングを開始して、3枚組の超大作を出すわけですが、この時ジョージ・ハリソンは地味
     な存在だったんで、世界中がビックリするわけです。というわけで、40年前のきょう、ジョージ・ハリソンはインタビューをやって
     おります。そして、完成して、世界中がびっくりしたアルバムの中から、きょうの一曲目。
    〜 George Harrison / What is Life
52年金ぐらしではありません:2010/05/01(土) 09:36:16 ID:???0
     世の中がジョージ・ハリソンを見直したというか、ジョージ・ハリソンが今までおさえられていたようなことがあるわけですから
     一番輝いているなというような感情をみんな持つわけですけど、ただ世の中1970年というと、ビートルズを中心に回っていなかった
     わけです。だから、ビートルズもいわゆる one of them になっちゃった頃のサウンドということですね。他にもツェッペリンとか
     色んなことがいっぱい起こっていて、音楽的にはとても面白かった。その中のひとつが、ポール・マッカートニー、そして、ジョージ
     ・ハリソン。あるいは、リンゴ、ジョン・レノンだったというわけであります。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・かつて、ビートルズと世界中のツアーを共にした、PR担当者トニー・バーロウ。この、世界で最もビートルズを観察した男の証言が続き
   ます。今回も、ポール・マッカートニーの人間像について。「他の三人のメンバーと違って、ポールが頼んでくる要件は、ちょっと変わ
   っていたね。買いたい絵があるんだけどとか、会いたい彫刻家がいて、その住所を突き止めて欲しいとか。そういう種類のものなんだ。
   ポールの芸術に対する興味は、つきることがなかったね。広範囲で、奥が深いんだ。彼は、1963年の春以来5年間に渡って、ロンドンの
   上流階級の娘であるジェーン・アッシャーと恋愛関係にあったのは、御存知の通り。だから、ロンドンのアート・シーンのトップ・クラス
   の人たちとの交流は、当然のことだったんだね。父親が医者で、母親が国立音楽学校の先生という家庭環境に育ったジェーンは、赤毛で
   すごくキュートな女の子だった。おまけに、女優だしね。魅力と才能と知性を持ち合わせていた。上昇志向の強いポールにとっては、
   ジェーンはまさに恋人としては、パーフェクトだった。なにせ、彼女といえばロンドンで最もファッショナブルで、魅力的な人たちと
   交わることが出来る。つまり、セレブに溶け込めたわけだね。映画のプレミア上映や、舞台の初日、そしてギャラリーのオープニングな
   ど、ポールとジェーンが、腕を組んで現れたものだった。もちろん、マスコミ連中は、カメラのシャッターを押すことを忘れるわけがな
53修行僧でもありません:2010/05/01(土) 09:39:44 ID:???0
   い。そうやって注目されることが、ポールにとって、この上ない快感だったわけだ。おまけに、ポールは自分で家を買うまでは、ジェーン
   の実家であるアッシャー家の下宿人でもあったしね。この生活でポールは、さらに芸術的な感覚を身につけ、セレブな人生を満喫したわ
   けだ。そして、後になって彼は、アビーロード・スタジオの近くに、家を購入する。仕事が、何よりも大事だったわけだね。ポールは
   まさに、住み込みで働くタイプなんだよ。」
    〜 The Beatles / She's Leaving Home
    〜 The Beatles / Lady Madonna (Love)

  ・ビートルズのPR担当を務めた男、トニー・バーロウのポール・マッカートニー論に続いて、今度はジョージ・ハリソンのお話。バーロウ
   は、さっくばらんに語っている。「ぼくが最初、ビートルズの中でジョージが一番のんびりしておいて、人当たりがいいと思った。初対面
   の時も、ジョージは微笑を絶やさず、聞き上手だったね。四人の内、誰よりも自己中心的なところが少く、他人が言うことに心から興味を
   示してくれた。公の場では、これが親しみを感じさせて、メディアの受けも良かった。インタビュアーも2回目3回目となると、まるで
   ジョージを自分の友達のように思ってくれるようになって、親密な雰囲気にもなった。後ジョージは、一度会った人の名前を覚えるのが
   得意で、その人のガール・フレンドの名前まで覚えるんだ。これは、特技と言っていいと思うけど、こうして友だちや自分の味方を多く
   作ってしまうわけだ。インタビューの時も、前回の時に何を話したか、きちんと覚えていたし、下手なインタビュアーに機嫌を損ねるこ
   ともなく、どんな質問をされても、決して短気を起こすことはなかった。だから、一度会ったことのある人なら、誰でもジョージ・ハリ
   ソンが好きになってしまうんだよね。こんな、良い性格である一方、ビートルズの中で、金銭的なことには一番目を光らせているのも
   またジョージだった。彼は、定期的にマネージャーのブライアン・エプスタインのところへ行って、自分たちの経済的な状況を確認して
54修行僧でもありません:2010/05/01(土) 09:41:34 ID:???0
   いた。ジョージは、EMIからいくら印税が入ってくるのか、いつ小切手が届くのかも把握していたみたいだ。ビートルズと事務所の収益
   配分が不公平であるということを、最初にブライアンに申し出たのもジョージだったと聞いてるしね。すごくフレンドリーで、人に愛さ
   れるという反面、ジョージはビジネスの面では、かなりシビアだった。これが、後になってトラブルの原因にもなったんだと思うね。」
    〜 The Beatles / Taxman
    〜 The Beatles / Ask Me Why

  ・「すごくフレンドリーで、人に愛されるというキャラクターの反面、ジョージはビジネスの面では、かなりシビアだった。これが、後に
   トラブルの原因にもなったんだと思うね。」1960年代、ビートルズの広報担当として、全世界を飛び回った男トニー・バーロウが語る
   エピソードの数々。ジョージ・ハリソンについて、続きます。「最初、ビートルズと事務所NEMSとの収益配分は、事務所が1/4、つまり
   25%を取って、残りの75%はビートルズだったんだ。そうなると、4等分として、メンバー一人当たり20%にも満たないことになる。
   これには、ジョージも反発した。“冗談じゃないぜ、ブライアン。ぼくらがあれだけの仕事を全部こなして、ひとりたったの18.75%。
   あんたは、ぼくより6.25%も多く取ってるわけだ。これは、ひどすぎるよ。”ブライアン・エプスタインは、金銭的状況の内訳に関して
   のすべてを隠し事なく率直に、メンバーに公表していた。事務所側の取り分が20%である根拠として、その中から広報費用に回すことも
   最初の契約時に説明していたわけだ。だから、ジョージの申し出があった時も、ブライアンはこの条件は譲ることが出来ない。宣伝費は
   これ以上削ることが出来ないと粘り強く主張したんだ。この大人の説明には、ジョージもさすがに自分の主張を礼儀正しく撤回した。た
   だし、こんなセリフを残して、ジョージ・ハリソンは事務所から出て行ったんだ。“ぼくたちがいつか億万長者になった時に、四人の
   メンバーが納得出来る経理関係の写しを、すべてぼくらに提出してくれ。それが、ブライアン。あんたの仕事だからな。よろしく頼む
   よ。”」
55ポール・キロックトニー:2010/05/01(土) 09:45:15 ID:???0
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps

□リクエスト
  ・毎週主人と、買い物帰りの車の中で聞いています。ビートルズ初心者なので、「あ、この曲もビートルズだったの!」と、毎回驚いてい
   ます。ビートルズを聞いていると、高校時代によく聞いたレッド・ラバー・ボウルを思い出します。当時私は、フリッパーズ・ギターの
   大ファンで、そこから派生して。ザ・サークルも好きになりました。確か、ザ・サークルはビートルズと関係があるとかないとか、読ん
   だことがあります。そのあたりの話を(鎌ケ谷市/女性)
    〜 Red Bubber Ball / The Cyrkle
   (小林)影響とかはあるかもしれないけど、関係はないです。ポール・サイモンが作ったサイモンとガーファンクルは、ビートルズとライ
   バル関係とは言いませんけども、ビートルズはまったく違う枝関係なんですよ。これは、ポール・サイモンがほとんど曲を書くわけです
   が、彼の詩なんかは、いろんな文学作品の影響を受けていて、これはポールやジョンとはまったく違うところから影響を受けています。
   ただ、パフォーマンスするときのコーラスなんかは、同じところから影響を受けていているかもしれないけどね。

  ・この番組を聞いてるうちにビートルズのファンになり、CDを購入し、通勤時間に車の中で聞くようになりました。今月、社交ダンスの
   大会があります。社交ダンスを始めて一年、大会に出るのは初めてで、ドキドキしています。本当にイッパイイッパイで、たくさんの
   覚えることがあり、Help!って感じです。(行方市/女性)
56ポール・キロックトニー:2010/05/01(土) 09:47:09 ID:???0
  ・私は「ヘルプ!/四人はアイドル」の日本語字幕版のDVDが欲しいんですが、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」も見て
   みたいと思ってます。(柏市/女性)
    〜 The Beatles / Help!

  ・この曲が入ったアルバムは、大ヒットした「氷の世界」の後で目立ちませんが、クオリティの高い名盤であることは間違いないと思いま
   す。初めて聞いたときは、歌詞の中に出てくる「忘れじの抱きしめたい」が誰の曲かわかりませんでしたが、今聞けば陽水がビートルズ
   をリスペクトしていることを大いに感じられます。(宇都宮市/男性)
    〜 井上陽水 / ロンドン急行

  ・勉強しながら聞いています。ぼくは、7日から高校生になります。高校になると、家で克也さんのラジオを聞くことが少なくなると思いま
   す。(住所氏名不詳/男性)
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye
57ポール・キロックトニー:2010/05/01(土) 09:48:39 ID:???0
   (小林)ビートルズを、初めの頃聞いてた時のことを思い出しましたよ。きょう、Help!がかかったじゃないですか。助けてー!ですからね
   助けてー!が歌になることに、それ自体に驚いたんですよ。これこそロックだなと、若い頃思った記憶があります。Hello, Goodbyeも
   これが歌になるんだ!って、そんな単純に感動しておりました。時間があるんで、まだ語りますけど、陽水がきょうかかりました。陽水
   のアイドルは、ビートルズと美空ひばりだそうです。これ聞いて、どう思いますか? やはり、日本人として、聞くとビートルズにすご
   く共感を持つと同時に、ビートルズに完全に似てない、片っぽうの方にいて自分に似ている美空ひばりを感じるわけです。ね、ビートルズ
   本当に鳥肌が出るほどビートルズのことを好きなんだけど、カラオケに行って演歌を歌うヤツを許す自分もいるわけですよね。そういう
   感情を抱きながら、ぼくなんかは聞いたわけですが、若い人はどうですか。

(小林)ビートルズに一番近い男が語る、ビートルズのお話。また、来週も続きまーす。お相手は、小林克也でした。
58ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:37:00 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年5月2日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月2日)
  ・1964年 (46年前)
     大変なことが起こります。それまで、イギリスのアルバム・チャートで、With〜がNo.1でしたが、46年前のきょう、ローリング・
     ストーンズがビートルズを蹴落として、彼らのデビュー・アルバムが1位を獲得したわけであります。永遠のライバルと言われている
     ローリング・ストーンズがアルバム・デビューでビートルズに勝っちゃったっていう、ね。えー、ローリング・ストーンズは、1963
     年シングル Come On っていう、人のカバー曲でデビューしていました。デッカ・レコードから、ローリング・ストーンズは出たわけ
     ですが、デッカといえば、ビートルズを採用しなかった悪名高き大レコード会社です。これ、前にもちょっと話したんですが、その頃
     BBCのジューク・ボックス・ジュリーという、新曲を審査員たちが聞いてヒットするかしないかということを言い合う番組がイギリス
     にありました。ジューク・ボックスの陪審員という、直訳すると。そこに、売れたビートルズのジョージ・ハリスンとビートルズを
     その昔、採用しなかったデッカ・レコードの男が、審査員として同席するんです。もう、その頃は恨んでませんよ。ジョージ・ハリ
     スンだって、世界のスーパースターになっちゃった。昔、俺たちのことを落としたな!なんて言いません。ジョージ・ハリスンは優し
     い男ですから、その代わり「お前たち、ビートルズを落としたけど、ローリング・ストーンズって、俺たちと仲の良いバンドがいて
     これは契約した方がいいよ。俺たち落としたのと同じような後悔をするかもよ。」って、ジョージ・ハリスンが推薦するんですよね。
59ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:38:57 ID:???0
     で、ストーンズが世に出て行くというわけですが。さ、それじゃ、ローリング・ストーンズのデビュー・アルバム。ビートルズの
     デビュー・アルバムと違うのは、ビートルズがほとんどオリジナルで勝負していましたが、その頃はローリング・ストーンズ、あまり
     曲は書けなかったっていう、有名な話ですよね。カバー・バンドだったわけです。アルバムの中、オリジナルは唯一、この曲だけだっ
     たんです。他は全部カバーだったんです。でも、ビートルズのアルバムを蹴落としたんです。
    〜 The Rolling Stones / Tell Me

     ローリング・ストーンズのデビュー・アルバムで、唯一オリジナルの曲。これを聞いても、ストーンズらしさがあるよね。リピートの
     感じだとかね。これは、トリビアではありますが、この Tell Me は、坂本龍一が最初に買ったレコードらしいですよ。さあ、この後
     ジョージの意外な一面が明かされる!!

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・かつて、ビートルズと世界中のツアーを共にした、PR担当者トニー・バーロウ。この、世界で最も良くビートルズを観察した男は、
   ジョージ・ハリスンについて、こう語っている。「ビートルズのメンバーの中で、最もロマンチックなイメージと誘惑的な目つきを持って
   いるのは、ポール・マッカートニーである。というのが一般的な意見だったが、それはあくまでも、はたから見たものに過ぎない。実際に
   経験豊かな女たらしという称号は、まさにジョージのためにあったようなものさ。リバプールの忠実なファンの多くは、何でもかんでも
   すぐに言いふらすようなことはなかった。ビートルズの古いガールフレンドや恋人たちも、沈黙を守っていた。もし、そうじゃなかったら
   地元やハンブルクで、やたらとやんちゃな行為に及んでいたジョージの過去なんて、タブロイド判の格好の餌食になっていたと思うよ。
60ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:40:35 ID:???0
   ジョージは、実のところ知能犯なわけだ。つまり、ビートルズの中でも最年少、末っ子的なキャラを全面に押し出して、ちょっとシャイで
   ナイーブに見せかけるという、かなり古典的な手を使っている。これが、女の子の気をひくことを、ジョージはよくわかっていたわけだ。
   実際、このちょっとしたトリックと、程よくドライなユーモアのセンスとの組み合わせは、驚くほど効果があったね。ジョージのジョーク
   はシュールだけど、かといってジョンのジョークほどやり過ぎではなかった。機嫌のいい時のジョージは、とにかく女性を口説いて回った
   ね。それが、彼のライフ・スタイルだったと言ってもいいくらい。だけど、それがまったく、嫌味じゃないんだよ。そのナンパなジョージ
   のキャラクターは、いつもまわりを楽しませていたし、彼自身がのめり込むこともなかった。大体、ジョージにキスされた女の子が、嫌
   がって声をあげたことなんて、一度も見たことはないよ。彼女たちも、それを誇りに感じて、楽しんでいたみたいなんだ。根っからの色男
   だよ、ジョージ・ハリスンは。」
    〜 The Beatles / Something
    〜 The Beatles / It's Only Love

  ・ビートルズのPR担当を務めた人物、トニー・バーロウによるジョージ・ハリスン像。バーロウは隠すことなく、こうも語っている。
   「ジョージは、とにかくいつも、女性にアプローチをしていたね。我々が最初に会ったとき、それはマネージャーのブライアン・エプスタ
   インが開いてくれた、ぼくの歓迎パーティだったんだけど、そこでジョージは、ぼくの妻コリーンを口説いていたんだよ。だけど、あろう
   ことか、コリーンもそれがイヤではなくて、むしろ楽しんでいたくらいだったんだよ。まだ、新婚だよ。まったく、あり得ないよって思っ
   たけど、だけどいつも間にか、ぼくまでそれを見て楽しくなったくらいさ。別のパーティでは、ビートルズが公認した唯一の雑誌、ザ・
   ビートルズ・ブックの発行人であるショーン・オマホニーの妻を口説いて、いちゃついていたんだよ。ジョージにとっちゃ、それが誰の  
61ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:42:13 ID:???0
   パートナーかなんて関係ないんだよね、きっとね。リバプール時代のジョージがナンパに失敗した、数少ない例の一つは、キャヴァーン
   クラブの常連だった、ポーリーン・ビーハンという女の子との一件。彼女は、ジョージを袖にして、ジェリー&ザ・ペースメイカーズの
   ジェリー・マースデンと結婚したんだ。これには、経緯があったんだ。実際にポーリーンから聞いたんだけど、彼女が言うには、こうなん
   だ。『確かにジョージには、何度も何度も口説かれたわ。私、ビートルズもジョージのギターも大好きでファンだったし、嫌な気持ちは
   しなかった。でもね、同じくらい人気のあったペースメイカーズのリーダーだったジェリーが、やっぱり私を口説いて、こう言ったの。
   ポーリーン、ジョージはダメだ。根っからの浮気者なんだ。ヤツは、いつか必ず、君を不幸にするよ。必ず、そうなることはわかってい
   る。だけど、ぼくは違う。絶対に君を幸せにしてみせる。神に誓うよ。結婚してくれ。』」
    〜 Gerry and The Pacemakers / Don't Let The Sun Catch You Crying
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun

   彼にフラれて泣かないのを希望するねって、自分のカミさんを口説くときに言ったみたいな、それが歌になったような曲ですね。これが
   アメリカでは、4位になりました。やっぱり、ビートルズが先人になって、イギリスものなら何でも売れるようになった。

  ・「ジョージはね、相手が男でも女でも、親しい間柄でもそうでなくても、話の内容がどんなものであっても、必ず相手に接近して話をす
   るんだ。極端に近づくんだ。これは、単にクセなのか作戦なのか分からないけど、面白い光景ではあったね。」こう語るのは、1960年代
   ビートルズの広報担当として、全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。彼は、ジョージの思い出に関して、さらに続けている。
   「とにかく、ジョージは、顔を近づけるんだよ。それも、相手の目をじっと見ながら、数センチの距離まで近づいて話すんだ。最初は
62ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:44:21 ID:???0
   静かに話し始めるんだけど、それが何か秘密めいたことを話してるかのような、暗示にかけるんだね。相手も、その気になってくる。でも
   そんな時に話している内容は実際には、ジョージが今一番気に入っているギターのことだったり、今度注文したジャガーのスポーツ・カー
   Eタイプのことだったり。面白いだろ。舞台の上でのジョージは、華やかさという点では、ポールには及ばなかったかな。大体、メインの
   スポットライトはポールとジョンに当たっていて、ジョージは一歩下がって二人をサポートするという印象だものね。彼は、いつもうつむ
   き加減で演奏していたんだけど、その姿がファンの間では話題になった。ジョージはシャイなので、いつも照れながらギターを弾いてい
   る。実は、ジョージは、スネているじゃないかとか。いろんな噂が立ったんだ。でも実のところは、ミュージシャンとしてすごく真面目な
   ジョージは、いつも演奏に集中するために、うつむき加減になっていたんだ。いずれにしても、様々な憶測や噂が飛び交うあたり、やっぱ
   りジョージには最初からスターの資質があったし、特別なキャラを持っていたことも確かだよね。」
    〜 George Harrison / Give Me Love (Give Me Peace on Earth)
    〜 The Beatles / I'm Happy Just to Dance with You

□リクエスト
  ・リクエストしたい曲が見つからず、全然メールできませんでした。ネタ探しに先日、TSUTAYAでジャケ借りしたアルバムの一曲が大ヒッ
   ト。これは、克也さんにリクエストして、リスナーの皆さんに聞かせてやんなきゃと、メールしました。借りた70年代のポップ・ミュー
   ジックのアルバムは斬新な音が一杯で、気になる曲はメッセンジャーズの「気になる女の子」。ジャケ借りした程度なので、メッセン
   ジャーズのことは知りません。克也さん、何か知っていたら。(上尾市/男性)
    〜 The Messengers / That's The Way a Woman is
63ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:47:28 ID:???0
   (小林)ぼくも.....、このグループは、何でしょう.......。何も知らないですね。曲は良く知ってますよ。出だしの「あ、ああ」なんてところ
   はよく歌いましたけど。

  ・鹿児島から、主人の単身赴任先・神奈川県に引越してきました。9月に生まれた長男・私と食卓を囲んでいたら、ラジオからビートルズの
   曲が流れてきました。慣れない土地で、まだ一週間しかたっていないのですが、ラジオから流れる曲を聞いて、なんだかホッとして、家族
   の会話が弾みました。夫婦共に、ビートルズ好きなんです。思わず、リクエストしてみようと盛り上がり、メールしました。私自身、初
   めてのラジオへのリクエストです。(川崎市/女性)
    〜 The Beatles / Mr. Moonlight

  ・3月29日、ボブ・ディランの東京公演の最終日に行ってきました。この日のディランは終始ご機嫌で、なんどもキーボードの前でポーズを
   キメていました。コンサートは Rainy〜で始まり、本編のラストは Forever Young でした。ディランのコンサートでのイントロクイズは
   至難の業ですが、May Got Bless〜のフレーズを聞いた瞬間に、頭の中が真っ白になりました。この曲が演奏されている間のことは、あま
   り記憶にありません。気がついたときは、アンコールの一曲目の Like a Rolling Stone が始まった時でした。ただこの間、体の細胞のひと
   つひとつが浄化され、新しくなっていくような不思議な感覚がしました。(横浜市旭区/男性)
    〜 Bob Dylan / May God Bless and Keep You Always
   (小林)宗教体験にも似たような、ご教祖様とお会いになったようですからね。分かりますよ、ハイ。
64ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 09:50:13 ID:???0
  ・解散して40年。今なお色あせることなく、新鮮に聴くことができるビートルズ。そして、現在も突っ走っているポール。スゴすぎなんて
   もんじゃないです。最近のライブでも、ウイングズの曲を沢山復活させて、最強のセットリストと言われて大好評です。ポールのやること
   は無限大ですね。生のビートルズをこんなにも聞くことができるのは、もうポールだけなんですよね。これからは、ビートルズファン全員
   で、ビートルズはもちろんのこと、今がんばっているポールを思い切り応援して欲しいです。(住所氏名不詳)
    〜 The Beatles / Hey Bulldog
   (小林)もし聞いていたら、住所とかを教えていただきたいと思います。考え方を変えると、ポールも生きていてがんばっているということ
   ですよね。だけどね、リンゴもいますけど。リンゴ忘れちゃだめですけど、亡くなっても、その勢いがスゴイという人も、ぼくはこれは
   スゴイなーって、どっちもスゴイなーって思うんですけど。まあ、マイケル・ジャクソンが亡くなって、本が出たら「この曲はジョン・
   レノンがほめてくれるだろう」なんて書いてあるわけですよ。あー、彼もジョンにインスパイアされて生きてきたっていうことが分かるし
   ね。で、そのマイケルが亡くなって、全世界で3千枚以上売れたわけですよ。すっごいことですよね。

(小林)というわけで、リクエストもよろしく。お相手は、小林克也でした。
65ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:23:41 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年5月9日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月9日)
  ・1969年 (41年前)
     生まれてない人が多いでしょう。この日は、ちょっと面白いんですが、41年前のきょうはですね、ジョン・レノンが Unfinished
     Music No.2 : Life with The Lions 、まだ未完成の音楽・第二番・ライオンとの生活。わけ、分かんないでしょ? で、ジョージ・
     ハリソンが、 Electronic Sound というアルバムを出しています。これは、実はアップルではなくて、アップルの裏レーベルの
     ザップルから出している実験的な作品です。1969年というと、生まれてない方も、この時代のことをよくご存知でない方も、改めて
     ヒッピーの時代であると。それから、ポップスとかロックをやるようなアーチストはですね、みんな芸術を目指したりして、まあ
     ちょっと客観的に見ると失敗作も多かったんですけど、みんな画家が抽象画を始めるようなものです。だから、口の悪い人は
     ドラッグ・ミュージックとか、ヒッピー・ミュージックだと滅茶苦茶に言われたんですけど、やってるミュージシャンたちは本気で
     す。特に、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンですね。ジョン・レノンは、前の年68年に Two Virgins という、二人がヌードの
     (ジャケットの)アルバムを出すわけですが、これがEMIが相手にしないんですよね、会長が怒っちゃって。だから、これはアメリカの
     小さなレーベルから出て、散々な目に遭ったりするわけですけど、人によっては評価が高い。ジョージ・ハリスンが、ジェーン・
     バーキンが主役の(映画の)サントラを出します。 Wonderwall 。これはね、あのぼくはすごい音楽だと思うんですが、ジョージ・
66ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:26:41 ID:???0
     ハリスンばかりじゃなくて、クラプトンだとか、インドのアーチストなんかが参加することによって、すごい世界になってるわけで
     すが、ジョージ・ハリスンが出した Electronic Sound というのは、ムーグ・シンセサイザーを買って、このシンセサイザーは、今
     あるシンセサイザーのイメージで見ないでください。もう、すごいでっかいんです。で、いろいろパッチングというのが、つないで
     やんないとダメで、完成されたものなんだけど、今みたいに商品化されたものじゃないんで、それをジョージ・ハリスンが使って
     だから、なんていうんでしょうかね。ビートルズ・ファンが聞いて、まあ、ビートルズだから我慢するけど、他のアーチストだった
     ら、こんなもの!なんて言うかもしれません。それでは、ジョージ・ハリスンの41年前のきょう発売されたアルバム Electronic
     Soundの中から、雰囲気だけ約1分間聞いていただきます。
    〜 George Harrison / Under the Mersey Wall

     徹底的にこういうサウンドを聞きたい方、ベルベッド・アンダーグラウンドとか知ってますかね。ルー・リードとか、もうホントに
     ギターでギャアーン。なんなんだ、これはってね。これを裏表そればかりやってるような音楽です。そういうのが好きな方はね、
     試しに聞かれるのもいいかもしれません。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「ジョージは、グループの中で一番女たらしで、金にも細かい。だけど、演奏に関しては、誰よりもマジメで真剣に取り組んでいたよ。」
   こう語るのは、1960年代ビートルズの宣伝広報担当として働いた人物、トニー・バーロウ。ジョージ・ハリスンへの、思い出は続く。
   「当時、イギリスとアメリカのファンの間で、ライブの時にビートルズをめがけて、ジェリービーンを投げるのが流行ってね。そのきっ
67ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:29:42 ID:???0
   かけを作ったのが、他ならぬジョージ・ハリスンだったんだよ。あるインタビューの時に、ジョージは『ぼくは、柔らかくて砂糖でコー
   ティングされた、あのキャンディーが大好きなんだ』と発言した。私は、広報マンの直感で、これはマズイ!と思ったけど、もう遅かっ
   た。ジョージのこの一言だけで、一連の大騒ぎを招くには十分だった。翌週になると、ビートルズが演奏するステージには、大量のジェ
   リービーンが降り注げられる事になる。演奏が終わる頃には、分厚いネバネバのカーペットの出来上がりというわけだ。あれは、始末に
   苦労したと思うよ。このジェリービーン騒動の話を聞きつけて、いち早くコンタクトを取ってきたのが、製造元のバセッツ・コーポレー
   ションという会社であった。このバセッツ社は、すぐさまおどけた調子で人気のあった、海賊放送局のディスク・ジョッキー、ケニー・
   エベレットの番組のスポンサーに名乗りをあげた。もちろん、ケニーの番組の目玉は、ビートルズの全米ツアーのレポートであった。こ
   の一連の騒動に関して、ジョージ・ハリスンは茶目っ気たっぷりに語っている。『こんな騒ぎになるんだったら、今度は“メルセデス・
   ベンツが好きです”とか言ってみようかな。』」
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
    〜 The Beatles / You Like Too Much

  ・ビートルズのPR担当を務めた人物、トニー・バーロウが語るジョージ・ハリスンの思い出話。続けて聞いてみよう。「ツアーをやってい
   た頃のジョージの人気、それはすごいものだったね。とにかく、大西洋の両岸に、無数の熱烈なファンがいたわけだ。本当に、数多くの
   ね。1964年、ジョージが21歳の誕生日を迎えた2月には、郵便局の集配用のあのバカでかい布袋が、52個も届いた。ちょっとした引越し
   よりも、すごかったよ。その中身はもちろん、一番はバースデーカード。そしてもちろん、瓶詰めのジェリービーン。ボール紙で出来た
   馬蹄や鍵もかなりの数を占めていたね。当時、イギリスで21歳の誕生日というのは、特別の意味を持っていた。つまり、この日から本当
68ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:38:21 ID:???0
   の意味で大人の仲間入りってわけさ。だから、伝統的に馬蹄や鍵をもらう。もう、君には門限はない。馬にまたがって、どこまで行っても
   いいんだという意味なんだ。だから、馬蹄に鍵なんだ。だけど、10代のファンは金がないから、本物の馬蹄や鍵は買えない。だから、
   ボール紙で自作したものを送ってくるってわけさ。だけど中には、すごいのもあったよ。ある日、ジョージがファンレターを読みに、ロ
   ンドンの事務所に来たんだよ。その時に、想像もできないバースデー・プレゼントを貰ってたんだよ。それはなんと、あるファンから届
   いた、本物の木製のドアと鍵。これには、ジョージも目を真ん丸くしてたね。そこには、こう書いてあった。“大好きなジョージ様。誕
   生日には、きっとたくさんの鍵をもらったことでしょう。だから、このドアを開けてみてくださいね。”」
    〜 George Harrison / Got My Mind Set on You
    〜 The Beatles / And I Love Her

   この And I〜は、1964年頃はビートルズを受け付けなかった人が多かったわけですよ。それまで、ビートルズではない音楽を聞いていた
   ので、ビートルズを受け付けようとしなかったんだけど、そういった大人の人たちにも評判が良かったんです。ロックじゃないからね。
   それが、ビートルズの良さでも、あるんだけどね。それから、ジョージの Got My Mind Set on You 。これは、1987年ということを考え
   ると面白いですよ。我々が、ビートルズの初期というと、1964年とか1965年。それから、二十数年が経ってるわけですよ。だけど、
   Got My〜というのは、1987年ビートルズのようなグループが出てきたら、こんな風な音になってるんじゃなかろうかという風な音なんで
   す。これは、自分たちは第二のビートルズであるていう、そういう風な音楽的な目覚めを展開して、ずっとビートルズを追っかけていた
   ジェフ・リンという ELO 、ELOって知ってるよね。あのジェフ・リンが音作りをしているわけですよね。お子様の歌じゃないですか。
   それが、こんな風になるという。ぼくが言ってること、分かってもらえますよね。ちなみに、これはジョージ・ハリソンの息子のダーニー
69ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:40:41 ID:???0
   が、お父さんこれやってよ、ダーニーはまだ10歳になってませんからね。ああ、だからダーニーはもう、40歳近くになってるというわ
   けでしょうかね。息子のリクエストに答えて、Got My〜をやったら、これが大ヒットしたわけであります。

  ・「ジョージはね、女の子に限らず、人が好きな反面、神経質なところもあってね。」と語るのは、1960年代ビートルズの宣伝広報担当と
   して、全世界を飛び回った男、トニー・バーロウ。彼は、ジョージ・ハリスンの思い出に関して、さらに続けている。「1964年以降の
   ビートルズの人気といったら、そりゃもう半端なものじゃなかった。当然メンバーだって、ビートルマニアのプレッシャーとストレスが
   苦痛になり始めていた。メンバーの中でも、最初にその緊張を感じ始めたのが、気立ての良いジョージだった。なぜか分からないけど、
   ジョージは他の三人よりも、ビートルマニアの度を越した熱狂ぶりを許したり、ビートルズとして最大級のワールドツアーに伴なう苦痛に
   耐えたりすることが苦手だった。実際、ビートルズマニアに取り囲まれて、襲われたこともあって、ジョージの性格はまるで逆転してし
   まったんだよ。どうも、以前よりも怒りっぽく、気難しい青年になってしまったようだね。マスコミの取材にも、愛想よく答えることが
   少くなって、広報担当のぼくにとっては、頭痛の種になってしまった。ジョージは、次第に反抗的になってしまって、報道陣もこれに気
   づき始めたんだ。マスコミ連中は、ジョージの気難しさを、一斉に非難した。それでも、ジョージが比較的機嫌よく対応してくれるよう
   に、質問の内容を選んでもらうようにすることで、一応の対策はとったわけなんだけど。ま、これも一時的な避難に過ぎなかったよね。
   それでもジョージは、自分の演奏に関しては熱心な研究家で、楽器や機材について、いつも前進することを試みていたから、そういう
   専門分野のスペシャリストにインタビューを受ける分には、喜んで引き受けてくれたんだ。それでも、リムジンや飛行機で移動するしか
   方法のない、退屈なツアーに関しては、ずっと消極的だったね。とにかく、難しい男だよ。ジョージという男はね。」
70ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:44:29 ID:???0
    〜 The Beatles / I Me Mine
    〜 The Beatles / The Fool on The Hill

□リクエスト
  ・昔、ビルボードの Best 100 Album of all time という記事で、ビートルズがアルバム「Sgt〜」で、首位を獲得しているのを見て、すごい
   と思い、モノラル盤のアルバムを買ったのを覚えています。当時、FMラジオが隆盛で、FM雑誌も週刊FM・FMステーション・FMファンな
   ど刊行されており、毎週ラジオをエアチェックするのが好きでした。某国営放送のクロス・オーバー・イレブンがクールだった時代、わ
   たせせいぞうのしゃれた絵の載った雑誌がウケた時代、カセットテープに録音して、大事にアルバムを聞いていたのを覚えています。その
   記事の第7位に、Van Morrison の Astral Weeks が入っていて、渋い選曲だなと思いましたのでリクエストします。(市原市/男性)
    〜 Van Morrison / Brown Eyed Girl
   (小林)ビートルズもそうだったように、60年代に出てきたグループは、みんなブルー・アイド・ソウルというか、リズム&ブルースに
   入り込んだ人たちなんですよね。そういうふうな影響を受けて、独自のものを出して、元々アイルランド系ですから、この人は頑固なとこ
   ろがあって、自分のスタイルをかたくなに守って、その筋である人たちにとっては、狂信的な信者がいるアーチストであります。

  ・ジョン・レノン・ミュージアムから歩いて十数分ぐらいにある高校に今年から通い始めました。絶対不合格だと思っていた高校に合格した
   のは、この番組とジョン・レノンのおかげだと思います。リクエストは、どんなアーチストでも良いので、イマジンのカバーをお願いし
   ます。(川口市/性別不詳/高校一年生)
71ポール・キロックトニー:2010/05/14(金) 11:45:57 ID:???0
    〜 Neil Young / Imagine
   (小林)聞いていたら、住所・名前を知らせてください。

  ・清志郎さんが亡くなって、もうすぐ一年。きょうは、清志郎のニュー・アルバム「Baby#1」に入っている「恩赦」という曲をお願いし
   ます。と言っても、清志郎のバージョンでなく、克也さんが歌っているバージョンをお願いします。(市川市/男性)
    〜 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド / 恩赦
   (小林)この歌をうたうきっかけとなったのは、清志郎にもらったんです。実は、曲は俺たちレコーディングしないから、克也さんやって
   いいよということでいただいたんですが。本当は、(清志郎のバージョンを)聞いてもらいたいんですが、ぼくはもう完璧にこんな風に
   やってますよ。

  ・今年、大学生になりました。先週、ふとお使いで外出した先の小さな店で、このラジオを聞きました。数年前から、ビートルズ大好きっ子
   なので、ラジオを聞いた瞬間、店のオバちゃんに番組を聞いて、家に飛んで帰りました。解散して何十年、今でもこうして、ビートルズの
   番組が存在しているかと思うと、感動が止まりません。長かった受験生活、来る日も来る日も泣きながら勉強でした。しかし、毎日この曲
   を聞いて、春を感じて頑張ってきました。キレイで優しく、暖かく太陽みたいなこの曲が大好きです。(住所氏名不詳)
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun
   (小林)聞いていたら、住所・名前を知らせてください。

(小林)お相手は、小林克也でした。
72ホワイトアルバムさん:2010/05/14(金) 19:25:56 ID:???0
乙っす!
73ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 18:11:11 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年5月9日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月16日)
  ・1966年 (44年前)
     例によって第2スタジオでは、二時半からビートルズの仕事。夜中の一時半まで、レコーディングです。何をレコーディングしたかと
     いうと、Taxman と Love You To 、それから Tomorrow Never Knows。これの部分的なところを録音したんだと思いますけど、
     エンジニアがベテランのノーマン・スミスが辞めて、ハタチそこそこのジェフ・エメリックが大抜擢されたんです。このジェフ・
     エメリックとビートルズは相性が良くて、いろんな実験をやってて、ビートルズは一癖もある二癖もある何かを入れたりしています。
     この頃は、この日かどうかはわかりませんが、ジョン・レノンは自分のボーカルを変えるために色んなことをやってるんですよね。
     本気で、スタジオにロープをぶら下げて、そのロープにぶら下がって振り回されながら歌って、マイクのまわりを。これはそのボー
     カルの揺れが欲しい。ちょっと違うボーカルの印象を作りたいというわけで、ありとあらゆることをやっています。で、この日は
     ジョージ・ハリスンの曲。ジョージ・ハリスンは、金には一番細かいんだという話をこのところしたことがありますね。二週間ぐらい
     前でしたっけ。で、そのせいかどうか知らないけど、ジョージ・ハリスンは Taxman という名曲を書いているんですが、よーく聞いて
     いただきたい。音楽が始まる前から始めますが、音楽ってカウントを入れるじゃないですか。でね、カウントが「1,2,3,4(激しく)」
     っていうカウントがバックで入ってるんですが、それにかぶせて「1,2,3,4(静かな)」っていうカウントが入るんです。それを聞いて
     いただきたいんです。
74ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 18:23:23 ID:???0
    〜 The Beatles / Taxman

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「あまりに熱狂的なファン、いわゆる狂信的なビートルマニアに取り囲まれて襲われるという事件以来、ジョージ・ハリスンの性格は、
   すっかり変わってしまった。あの人懐こいキャラクターはすっかり失せて、気難しい男になってしまったよ。」こう語るのは、かつて
   ビートルズと世界中のツアーを共にした、PR担当のトニー・バーロウ。この世界で最もビートルズを観察した男が、ジョージ・ハリスン
   について話してくれた。「ツアーが忙しくなると、ジョージのダークな部分は、明らかに悪化していった。それでも、ジョン・ポール・
   リンゴ、それとまわりで働くぼくらに対しては、以前と変わらず気さくな態度で接していたよ。それでもみんな、ジョージの変化には
   気づいていたんだ。ジョージは、事あるごとにぼくに言ってきた。『なあ、トニー。このツアーの生活、一体いつになったら終わるのか
   な。』もちろん、ぼくにはその答えを出すことは出来なかった。何せぼくは、ブライアン・エプスタインの部下であり、ツアーに関して
   の決定権なんて与えられていなかった。所属事務所のNEMSは小さい会社だったから、そういう役割に関してはシンプルでしっかりして
   いたんだ。もちろんぼくは、ジョージを哀れに思ったよ。彼が、クリエイティブなレコーディング作業に集中したいという気持ちを、メ
   ンバーの誰よりも抱いていることは、十分に分かっていたからね。本当に可哀想だった。ジョージは、誰よりも演奏に熱心で、ライブの
   直前には、ジョンやポールの楽器のチューニングを買って出ていた。ぼくは、ジョージ以外の三人が必要のないときに楽器の練習をして
   いるところを見たことがない。だけども、ジョージは違うんだよ。いつも、新しい何かを探している。本当のアーチストは、実はジョージ
   だったかもしれないよね。
75ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 18:45:49 ID:???0
    〜 The Beatles / Savoy Truffle
    〜 The Beatles with Billy Preston / Don't Let Me Down

  ・ビートルズのPR担当を務めた人物、トニー・バーロウが語るジョージ・ハリスンの人間像。バーロウは、隠すことなく、こうも語ってい
   る。「ジョージは、とにかくいつも、音楽のことを考えていたね。車が好きだと言っても、それは音楽に比べたらどうってことはない。
   ジャガーの最新型スポーツカーEタイプだって、ジョージにとってはオモチャみたいなものだ。それに対して音楽は、人生そのものだった
   からね。元々、比べる対象じゃないんだね。ジョージは、ジョンやポールやリンゴよりも、明らかに楽器を触ってる時間が長かった。自分
   が演奏している楽器について、もっともっと多くのことを知りたがっていた。だから、必要にかられなくても演奏すること、練習すること
   を心から楽しんでるみたいだった。楽器といえばシタールもそうだけど、ジョージはウクレレにも惚れ込んでいたね。よく、1930年代
   40年代のハワイアンのレコードを聞いていた。コレクションも、かなりの枚数だったみたいだね。戦時中に活躍したイギリス人ウクレレ
   奏者で、歌手でもあったジョージ・フォームビーの熱心なファンで、これまたレコードを探して、買いあさっていたみたいだった。もちろ
   んジョージには、収集癖なんかなくて、ただ純粋に音楽が聞きたかったんだ。だから、一般的に思われている、ビートルズのイメージ。
   ジョンは、ロック一辺倒。ポールはすごく幅広く、リンゴは縁の下の力持ち。ジョージは、インド音楽以外は、特に個性がない。なんて
   のは、実は大きな間違いで、一番音楽性が幅広く豊かなのは、ジョージ・ハリソンなんだよ。もちろん、この頃はソロ作品を発表した時点
   で、世界中の誰もが認めることになるんだけどね。
    〜 George Harrison / All Things Must Pass
    〜 The Beatles / I will
76ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 19:11:06 ID:???0
   I Will は、1968年ホワイトアルバム。ボーッとして聞いてると、ベースを口でウンヴォンバンとやってるのが分かんなかったりするけど
   こういう色んなことを好き放題のことをみんながやってるから最高だという人もいつよね。

  ・「ジョージは、色男だからね。ヤツがいつ結婚するのか、みんなが注目していたよ。」こう語るのは、1960年代ビートルズの広報担当と
   して、全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。彼は、ジョージの結婚に関するエピソードを披露してくれた。「1966年1月、ジョージ
   はあの美しいモデル、パティ・ボイドと結婚した。それでもジョージは、常に何があっても自分の私生活と仕事を区別しようと努めてい
   た。自分のプライバシーを、すごく重んじていたので、だからそれを奪ってしまったビートルマニアが嫌いだったわけだ。もちろん、
   ファンによって支えられてるのがロック・ビジネスだから、矛盾しているし、本人もそれを理解していたね。だけど、感情はどうするこ
   とも出来ない。実に厄介な商売だよ、ロック・ミュージシャンって。それで、私生活を守りたい、仕事と切り離して考えたいということ
   から、ジョージは報道陣が異性関係や家庭問題について質問してくるのを、めったに許すことはなかった。もちろん、ぼくはそれを考慮
   して、マスコミをコントロールした。それが、広報マンの仕事だからね。そして、ジョージがさらに、ぼくに要求をしてきたのが、結婚
   式の詳細を極秘にしてくれというものだったんだ。それも、何とかかしこまって、ぼくに正式に承諾させたんだ。その内容は、ジョージ
   の現状を聞かれても、ギリギリまで知らない、聞いていないということで通して、サリー州のエプソン登記所で結婚の要請手続きが行わ
   れている間に、あらかじめ用意していた声明文を、ジョージとパティの代理人として通信社やロンドンの全国紙に電話をかけまくること
   によって伝えるというもの。ただ意外なことに、式が終わって数時間後には、ジョージが新婦を伴って、マスコミ用の写真撮影のために
   事務所にくることを承諾してくれた。実に用意周到な、完璧な結婚式だったね。
    〜 George Harrison / You
    〜 The Beatles / Words of Love
77ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 19:17:31 ID:???0
   なかなかかからない曲がかかりましたが、ジョージ・ハリスンの You 。これは、1975年のアルバム「Extra Texture」の中に入ってる
   曲ですが、元々ロニー・スペクターという女性なんですけど、話すと長くなるんですけど、フィル・スペクターって聞いたことあるで
   しょ? あの有名なプロデューサーの。その嫁さんに書いた曲なんだけど、それが没になっちゃって、ジョージ・ハリスンがやって、アレ
   ンジャーが当時のスタートしたばかりのディビッド・フォスターが参加しています。プロデューサー、フィル・スペクターがまとめてい
   ます。そして、Words of Love は、元々これは、バディ・ホリーというエルビス・プレスリーの頃、もう一人..というとおかしいですが
   天才的な人がいたんですけど、もうジョンもポールもジョージも、みんな大好きだったバディ・ホリーのカバーを、Beatles For Saleで
   やっています。バディ・ホリーを、もし知らない人がいて、この頃のロックに興味があるっていう(人は)、独特の歌い方、しゃっくり奏法
   とか言われた人なんですよ。Peggy Sue とか、That'll Be The Day とか知ってますか? もし良かったら、バディ・ホリーをチェックして
   ください。今はもう簡単にチェックできるから。

□リクエスト
  ・もちろん、武道館で行われたビートルズの東京公演に行きました。エリック・バードン&アニマルズの新宿厚生年金ホールの公演にも行き
   ました。でも、こんなことでは、誰も驚きません。しかし、ピーター&ゴードンを見に行ったというと、おーっと驚かれます。会場は、
   今は亡き力道山が作った、今はもうない渋谷のリキパレスです。(木更津市/男性)
    〜 Peter&Gordon / I Go to Pieces
78ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 19:30:13 ID:???0
  ・親戚の小学生の男の子が、ビートルズに夢中になっています。1962年にデビューしたバンドが、またこうやって新しいファンを増やして
   いるなんて、本当にビートルズはすごいと感心してしまいます。(佐倉市/男性)
    〜 The Beatles / Paperback Writer

  ・この四月から自動車教習所に通い始めたんですが、元々不器用で車が嫌いな性格だからか、なかなか運転技術が上達しません。なので、
   最近はストレスが貯まり、この時間にビートルズを聞くこと、番組にリクエストをすることが、唯一の楽しみになっています。
   (柏市/男性)
    〜 The Beatles / Piggies
   (小林)ポールが書きそうな歌だよね。それをジョージがやったという、おまけみたいな歌ですけど。

  ・こないだ、医療事務所の就職が決まりました。就職祝いにと、二泊三日でサンフランシスコに旅行に行ってきました。豪勢ですよね。
   サンフランシスコと言えば、この歌だと思ったのでリクエストします。(龍ケ崎市/男性)
    〜 Scott McKenzie / San Francisco
   (小林)サンフランシスコは、この歌じゃないです。1960年代は、サンフランシスコにヒッピーが集まって、独特のヒッピー文化、ドラッ
   グ・カルチャーとか、サイケデリック・カルチャーとか言われたりしますが、そんなことが言われたサンフランシスコですけど、その頃の
   価値観とは、まったく違うんですよ。アメリカで言えば、歌謡曲。♪サンフランシスコに行くなら、頭に花を着けて行きましょう〜みたい
   な。この頃は、まっただ中にいる人からは、ダサイ歌だなと言われたんですが、不思議なものですね、時間がたつと。これが、ヒッピーの
   歌みたいに言われてるんですよね、今ではね。
79ポール・キロックトニー:2010/05/16(日) 19:36:06 ID:???0
(小林)ジョージ・ハリスンに対するイメージ、だいぶ変わってきたんじゃないでしょうか。やっぱり、ポールとジョンの存在があまりにもデカい
んで、ジョージ・ハリスンのことを普通だと研究したりとか、本を読んだりしてる人いないんで。あ、ジョージ・ハリスン、こういう人だったの
かという印象が強いと思います。リクエストも待ってます。お相手は、小林克也でした。
80ホワイトアルバムさん:2010/05/17(月) 23:11:08 ID:???0
こっちも面白いよ

THE BEATLE YEARS
http://www.interfm.co.jp/beatleyears/index.php?mode=mon

番組中、Twitterで実況やってる
http://twitter.com/InterFM761_JP
81ホワイトアルバムさん:2010/05/23(日) 19:07:37 ID:???0
>>80
Interの番組、聞こう。
最近、23時台にろくな番組やってないと思ったけどよさげだな。
ゆりこりんも好きだし。

克也さんのほう、毎回住所とか書いてこない奴多すぎ。
そんな奴の採用しなければいいのに。きょうもイラついた
82ホワイトアルバムさん:2010/05/24(月) 00:26:49 ID:???0
住所書かない人は、いろいろ事情はあるだろうが
もしかしたら「石井食品からの賞品はいらないからリクエストだけはしたい」という人が
わざと書かないという場合もあるのかもしれない。
83ホワイトアルバムさん:2010/05/24(月) 20:49:29 ID:???0
中野香織 ◆21世紀にダンディのあり方が語られていくとすれば、どういう人が出てくるのかな。ダンディということばの解釈を思いきり広げて、21世紀において共感を得るような男性、と言い換えるとすれば。

ピーター・バラカン ◆かっこいいと思う男と、生き方に共感を覚える男は、また違いますね。才能のあるかっこいいミュージシャンは破天荒な人が多いから、ドラッグをやってたり、若くして死んだりで、生き方に憧れるというわけではない。

中野 ◆かっこよくて、なおかつ、ああいうふうに生きたいなあという憧れも誘うミュージシャンはいますか?

バラカン ◆ジョン・レノンはほんとに生き方においても憧れるものがありましたね。あそこまで自分がどう思われるかも無視して、身の安全まで無視して、やるべきことをやり遂げたあの態度は、いいなあ。
それこそ命とひきかえに反戦活動をしつづけた……。マネはできないけど、参考になる。

中野 ◆実際に行動を起こすとなると、なかなかできないことですよね。

バラカン ◆オノ・ヨーコさんにインタビューしたことがあったんですよ、衛星中継で。彼女には僕の顔が見えないのですが、終わってから「ところであなたはイギリス人? どうしてここまで日本語ができるの?」と聞かれた。
日本語を一生懸命習おうとしていたジョンに紹介したかった、というんです。もうぼくはそれを聞いてどきどきしちゃってね(笑)。ふつう、有名人に会ってもあがったりはしないんですが、ジョン・レノンだけは、あがっていたでしょうねえ。あの人だけは、別格だった。
http://openers.jp/culture/lounge_interview/dandy04.html
84ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:22:04 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年5月23日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月23日)
  ・1960年 (50年前)
     ビートルズはもちろん、ビートルズという名前も出来てないですね。ビートルズも、結構中途半端な頃です。高校生の頃は、
     クォーリー高校だから、クォーリーメンとか呼んでおりました。で、ジョニー&ザ・ムーンドッグス。アメリカ風のロックンロール
     のグループみたいに。後、シルバー・ビートルズ。名前が変わっていた頃の話です。この仕事が、実はリバプールの有名なプロモー
     ター、ラリー・バーンズからの仕事で、ビートルズはでっち上げられたイギリスのスターというか、最終的には成功しなかった人で
     すけど、大工さんをやってた人をロックンロールのスターに仕上げて、彼の名前はジョニー・ジェントル、で、ジョニー・ジェント
     ルのツアーで、ビートルズは同行します。だけど、このツアーでジョニー・ジェントルが車を事故らせて、ビートルズのドラマーは
     決まった人いない頃ですよね、雇われのドラマーが歯と、ろっ骨を負傷します。で、彼は入院するわけです。ところがですね、仕事
     がですね。お前たちのバンド、ドラムはどうしたんだ。いや、実は交通事故で、今ろっ骨をやられちゃって、病院に入院しています。
     冗談じゃないよ、ドラムごとお金払ってるんだから。ドラムがいるバンドに金払ってるんだから。彼、連れてこい!ってなわけで、
     入院していたドラマーを連れてきてやったという、ビートルズはまだ駆け出しでね、本当に最悪の頃ですよね。お金をもらえるだけ
     でヨシとしなければいけない時代の出来事であります。だけど、ポールとジョンとジョージは、怪我しなかったんです。さあ、きょ
     うはちょうどその頃、1960年の初夏の録音を聞きましょう。これは、ポールのオリジナルなんですけど、ドラマーはもちろんいま
     せん。
85ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:23:36 ID:???0
    〜 The Beatles / You'll Be Mine (Anthology 1)

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「1966年1月 ── ジョージは、あの美しいモデル、パティ・ボイドと結婚したんだけど、この時が実に大変だったよ。」こう語ってくれ
   たのは、かつてビートルズと世界中のツアーを共にしたPR担当者、トニー・バーロウ。バーロウは、さらに話を続けてくれた。「ジョージ
   は、報道陣が異性関係や家庭問題について話を聞いてくるのを、めったに許すことはなかったんだ。もちろんぼくは、それを考慮して、
   マスコミをコントロールした。それが、広報マンの仕事だからね。そして、さらにジョージがぼくに要求してきたのは、結婚式の詳細を
   極秘にしてくれというものだった。その内容は、ジョージの現状を聞かれても、ギリギリまで何も知らない、聞いていないということで
   通して、サリー州のエプソン登記所で二人の結婚の登録手続きが行われている間に、あらかじめ用意してきた声明文を、ジョージとパティ
   の代理人として通信社やロンドンの新聞社に電話をかけまくることによって伝えるというもの。ただ、意外なことに式が終わって数時間後
   には、ジョージが新婦を伴ってマスコミ用の写真撮影のために事務所にくることを承諾してくれた。実に用意周到な、完璧な結婚式だった
   ね。この時のパティは、結婚祝いにジョージから送られたマリィクワントの毛皮のコートを羽織って、それはもう美しかったね。実は、
   この24時間ほど前は、ぼくが親しくしていた芸能記者マイク・ヒューコゼが、ジョージの結婚を嗅ぎつけてしまっていて、イーシャにあ
   るジョージの自宅のバンガローハウスのドアをノックしていたんだ。もちろん、ジョージはまったく慌てる気配も見せず、素知らぬ顔、
   素知らぬ声で、結婚の事実をきっぱりと否定したんだ。まったくもって、役者だったよ。ジョージ・ハリスンという男は。」
    〜 George Harrison / Dark Horse
    〜 The Beatles / Eight Days a Week (Anthology 1)
86ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:25:19 ID:???0
  ・「ぼくが、結婚だって? そんなわけ、ないだろ。一体、誰がそんなことを言ったんだよ。」根っからのポーカーフェイス、ジョージ・ハ
   リスンは、芸能記者マイク・ヒューコゼの執拗な質問を、なんなくかわしてしまった。こうなると、すっぽんのように食いついたら離さ
   ないマイクも、退散するしかない。この時の経緯について、ビートルズの広報マン、トニー・バーロウはこう語っている。「確かに、
   ジョージは結婚の噂に対し、知らぬ存ぜぬの手を使って、完璧に退けていた。ただ、この直後、マイクからはぼくに対して、猛烈な電話
   抗議が来たんだよ。実は、マイクはぼくの大切な友だちで、飲み仲間だったんだよ。なかなか愉快で優秀なヤツだったからね。彼は、
   『なあトニー、オレとお前の仲だろ。こっちに、特ダネを回してくれよ。』なんて、泣きついたんだよ。やっぱり、こればっかりはでき
   ない相談だったね。そりゃ、悩んだよ。自分の雇い主と親友の間に挟まってね。大変な思いをしたよ。もし、この時親友のマイクに独占
   記事を書かせていたら、そりゃもう大騒動になっていただろう。おそらく、ジョージとパティが、結婚の登記所を訪れる時には、数百数
   千の群衆が押し寄せていたに違いないんだから。もちろんぼくは、クビになっていただろう。だけどもちろん、ぼくはビートルズへの忠
   義を守ることにした。ぼくを信頼して報酬を払ってくれてるのは、ビートルズだったんだから。そりゃ、当然だろ。この騒動から数日
   して、ビートルズとパティからは最高級のシャンパン、ドン・ペリニヨンが贈られてきたんだけど、そこにはカードが添えられていてね
   こう書いてあった。“トニー・マーロウ様、ジョージとパティより。魂を愛を込めて。”ってね。ぼくの名前を“マーロウ”って間違う
   くらい、二人がバタバタしていた証拠なんだよね。」
    〜 George Harrison / What is Life
    〜 The Beatles / Nowhere Man

   二曲比べてどうですかね、ジョージ・ハリスンなかなかいい線いってる!という気がします。
87ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:27:10 ID:???0
  ・「ジョージは、元から飛行機を怖がっていたけど、1965年8月の全米ツアー中に起こった、ゾッとする出来事を体験してからは、それも
   笑い事では済まなくなったね。」こう語るのは、1960年代ビートルズの広報担当として、全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。彼は
   さらに詳しく、このエピソードを語ってくれた。「この日、ぼくたちのチャーター機が、オレゴン州ポートランドに近づくと、搭載されて
   いたエンジン二機の内、機体の右側のエンジンから火が吹き出したんだ。黒い煙を上げて、後ろに長く炎が見えたんだ。これには、ビック
   リしたね。隣に座っていたポール・マッカートニーは、どっか非常着陸出来るところはあるかなって、不安そうに聞いたけど、そんなとこ
   ろ、は見当たらなかった。何せ、右を見ても左を見ても、雲に届きそうな高い岩山が見えるだけだった。飛行機は、そんな険しい山のはざ
   まを飛んでいたんだからね。いやあ、怖かった。実は、この事件が発覚するまで、機長も副機長もすべて自動操縦に切り替えてコック
   ピットを離れて、客室でリンゴと談笑していたんだよ。なんせ、人気絶頂期のビートルズを乗せているんだからね。こんなチャンス、めっ
   たになかったんだよ。それで、乗組員を含めて、全員がこの一大危機を確認して、自分たちが命の危険に晒されていることを悟ったんだ。
   ぼくたちは肝を冷やして、座席の肘掛けを握り締め、ぐっしょりと汗をかいていた。特に、ジョージの顔は、ひどく青ざめていた。その
   10分後、心からほっとしたことに、欠陥エンジンはなおも炎を上げてはいたけど、飛行機は無事にポートランドの空港で、緊急消防隊が
   用意していた消火剤の泡の上に、何とか着陸できたんだ。この大騒ぎの後、おかしなことがあってね。ジョージがスチュワーデスに、緊急
   ハシゴの長さを聞いたら、12フィートですって言うんだ。そしたらジョージは、こう答えたんだ。『次は、高度13フィートを飛んでもら
   もうかな。』」
    〜 The Beatles / Back in the U.S.S.R.
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (Love)
88ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:29:12 ID:???0
□リクエスト
  ・克也さん、ビートルズのトレカが出てしまいました。懐かしい写真やら、初めて見るのがあって、買ってみました。ハマリそうで怖いです
   が、集めてみます。コンプリートまでは大変でしょうが、頑張ってみます。初めて聞いたビートルズは、この曲です。
   (住所氏名不詳/男性)
    〜 The Beatles / Please Please Me

  ・ビートルズ、213曲入ったCDを買いました。全部聞いたなかで、Dear Prudenceという歌が大好きになりました。私にとって、新しい発見
   です。ラジオを聞いていても発見ばかりですが、この歌をファンのみんなに聞いて欲しくて、メールしました。(柏市/女性/50代)
    〜 The Beatles / Dear Prudence

  ・今、高校時代の友人と会って、カードゲーム中です。(江戸川区/女性)
    〜 The Beatles / I've Got a Feeling
89ポール・キロックトニー:2010/05/26(水) 20:30:06 ID:???0
  ・Get Backが聞きたいです。(住所氏名不詳/男性)
    〜 The Beatles / Get Back
   (小林)二つのコードで単純な曲なんですけど、本当は何のことを歌ってるんだろう、歌詞がちょっと不明なんですよね。何を歌ってるのか
   よく分からない。ビートルズの謎といえば謎ですよね。Come Togetherが、歌詞がぶっとんでて分からないじゃないですか。そういう感
   じですよね。ただ、エピソードとしては、ポール・マッカートニーがビートルズとしてやる時に、オノ・ヨーコの方をチラ見しながら
   「Get Back!」と歌ったというエピソードは有名ですよ。

(小林)ジョージ・ハリソン、こんな人だったのかーっていうね、ジョージ・ハリソンのイメージって、みんなそれぞれ持ってると思うんですよ。
色んなエピソードを聞いてね、あ、そういう人なのかって思うと同時に、そういう彼が歌っている曲ってことで、曲のイメージも変わったりする
んですね。リクエストも待ってますよ。お相手は、小林克也でした!
90ホワイトアルバムさん:2010/05/27(木) 23:45:46 ID:???0
ここで聞いていいのか疑問ですが、
最近のこの番組のビートルズ、
モノラル音源がすごく多い気がするのですが、
モノボックス発売のせいなんでしょうか?
ホワイトアルバムまでのほとんどの曲が
モノラルです。たまにステレオだと驚く位。
91ホワイトアルバムさん:2010/05/30(日) 01:54:26 ID:???0
>>90
リクエストで流れる曲でモノラルの音源が多いのだとすれば、そのリクエストをするリスナーが指定しているのかもしれない。
小林氏も「(リクエストは)モノラルがよければ指定してください」という旨のことを以前言っていた。
92ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 18:10:31 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年5月30日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月30日)
  ・1966年 (44年前)
    アメリカでビートルズの両A面でのシングルが発売になりました。Paperback Writer / Rain 。ビートルズは、結構両A面でのシングル
    やってますね。We Can Work it out / Day Tripper これも、両A面でした。これに続く両A面。両A面というのはね、皆さんご存知だ
    と思いますけど、この時代は特に、ラジオでシングルのA面をかけるわけですね。で、放送がバラけてしまうんで、聞いてる人は、
    どっちがシングルか分からないってんで、何ていうんですか、(両A面は)ヒットしにくかったりするんですよ。だから、プレスリーとか
    ビートルズとか、こういったヒットした人たちでないと、両A面ってなかなかやんないんですね。自信があるから、やるんです。最近は
    日本なんかでね。これは、アニメの主題歌。これは、CMで使われてるから両A面なんて。今と昔と、時代が違うんですね。今は簡単に
    両A面ってやること出来ますけど。で、3週間で、アメリカでNo.1になります。つまり、日本に来る頃は、この Paperback Writer が1位
    だったわけですよ。もうひとつの Rain っていうのは、 Paperback Writer とはちょっと違って、インド音楽の影響があって、ちょっと
    サイケデリック。で、曲の終りの部分が、出来上がったテープを自宅へ持ち帰ったジョン・レノンが、間違えて逆回転させたら、面白い!
    てなわけで、それを採用したという。怪我の功名だと言われています。じゃ、後半の特に逆回転のサウンドをよく聞いてくださいね。
    〜 The Beatles / Rain
93ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 18:28:34 ID:???0
    ぼくは、個人的な話なんですけど、これはその、誰かがうまく、ほら話がうまい人いるじゃないですか。元々、逆回転ていうのは、
    プロデューサーのジョージ・マーティンはじめ、ポール・マッカートニーやジョン・レノンが逆回転という手法をよく知っていたわけ
    ですよ、だいぶ前から。だから、使いたくて仕方がなかったんですよ。だから、使ったんですけど、実はジョンが間違って逆回転使った
    ら、おいしかったから使ったってことになってますけど、本当は前もって確信犯的に使ったんじゃないかと、ぼくは思ってるんですけど
    ぼくの意見です。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・1966年8月 ── ビートルズが、過酷なツアー生活から解放されると、ジョージ・ハリスンの一時的な神経のいらだちは消え、まわりの
   人たちに対しても、本来の親しみある陽気な態度を取り戻した。ジョージは、より穏やかで内省的になって、デビュー当時よりも、自分
   たちと世界に対して折り合いがつくようになっていた。一年も経たないうちに彼は、マハリシ・マヘーシュ・ヨギという、ちょっと
   薄笑いを浮かべた熱心な伝道師の元、超越瞑想法に強い関心を持っていった。驚くほどの熱意を持ってジョージは、インドの哲学と音楽
   の歴史を探求した。彼は、インドの宗教について、分厚い本を山のように買い、ラビ・シャンカールのシタール演奏や、その他のレコード
   もどっさり買い込んだ。元々、ジョージが何かを中途半端にやることは絶対になかったどころか、やがてマハリシからシタールまで、イン
   ド産のものすべてを売り込む偉大なるセールスマン的な存在になっていた。天下のビートルズのギタリストが、勧めるものである。その
   効果は絶大なものがあったことは、言うまでもない。しかし、ビートルズの広報マンであったトニー・バーロウは、少し違っていた。この
   頃の思い出を、バーロウは次にように語っている。「ジョージの熱心で粘り強い説得にも関わらず、ぼくはマハリシの仕事に対して、それ
   といった感心を分かち合うことが出来なかったが、それでもビートルズの最新の気まぐれを詳細にマスコミに伝えるため、少しは知識も必
94ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 18:48:22 ID:???0
   要だったね。するとジョージは喜んで、瞑想伝道師、シタール奏者など、インド文化の象徴的な、さまざまなものについて、彼が必要だと
   推薦する重たい著書を何冊もぼくの前に積み上げたんだ。これには、参ったね。でもぼくは、ジョージとの友情のために、何冊かには目を
   通したんだよ。この後、ある者はジョージを変人と呼び、またある者は隠遁者と形容した。もちろん、天才扱いされることも、少ないこと
   ではなかったね。いずれにしても、ジョージ・ハリスンのイメージが変わっていったことには、間違いなかったよ。」
    〜 The Beatles / Love You To
    〜 George Harrison / My Sweet Load

   ジョージ・ハリスンは、インドに傾倒しました。ビートルズのジョージ・ハリスンがインド音楽の影響を受けるということはですね、世界
   中に広がるわけですよ。この頃の、サイケデリックというとね、インドっぽいものが入ってたというニュアンスがあるんですけど、ジョー
   ジの影響っていうのは、本当に強いですよね。今、レコードになって残っているものの他に、時代の空気がインドっていうかね。カレーっ
   ぽいインドと違うインドなんだよね。ちょっと、頭のヘッド寄りのインド空気が時代に流れていました。特に、60年代はすごかったです。

  ・ビートルズのPR担当を務めた人物、トニー・バーロウが語るエピソードの数々。続いては、リンゴ・スターこと、リチャード・スターキー
   について。「なぜ、一部の人たちが、ジョージを最も静かなビートルと呼んだのか、ぼくにはよく理解できなかったね。なぜならば、ジョ
   ージにはしっかりとした、言いたいことが常にあったんだよ。むしろ、この最も静かなビートルの称号にふさわしいのは、リンゴじゃない
   かな。リンゴは、とにかくみんなに愛されたよ。例えば、イギリスの有名なコメディアン、エリック・マーカムは、彼をボンゴと呼んだ。
   銀行の支店長は、いつも愛想の良い彼を、リチャード・スターキー様として、VIP対応で迎え入れた。また、ごく親しい仲間内では、リッ
95ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 19:10:29 ID:???0
   チーと呼ばれていた。リンゴ・スターはオシャレで、派手な指輪を、指にずらりと並べていた。一度、ある記者に『なぜ、そんなにたくさ
   んの指輪をはめてるの?』と聞かれたとき、彼は『だって、鼻にははめられないだろ?』と答えて、大爆笑をかっていた。1962年、EMI
   パーラフォンのプロデューサー、ジョージ・マーティンとのテスト・セッションは続いていたけど、まだ Love Me Do がレコーディング
   される前のこと。ビートルズは(小林、声が枯れる)、前のドラムスを見限って、リンゴを入れた。ぼくは、正直メンバー・チェンジを
   するには、微妙な時期だと思っていたね。なんせ彼らは既に、リバプールではかなりの人気グループになっていたし、ピートはルックスも
   良かった。だけど結局、ドラマーは交代したわけだ。実はある時、理由をジョンに聞いてみたことがあった。もう、ビートルズも後期に
   入っていた頃かな。ジョンは、こう答えたんだ。『ピートは、ドラマーとしては、最高だった。でもリンゴは、ビートルズのメンバーと
   して、最高なんだ。』ってね。」
    〜 The Beatles / Ticket to Ride
    〜 The Beatles / Octopus Garden

   スポットライトがジョージからリンゴに移って、彼のドラムが大活躍する Ticket to Ride。そして、今聞いてもらったのは、Octopus
   Garden。これはもちろん、リンゴ・スターのボーカルですよね。彼は、カントリー音楽が大好きで、カントリーっぽいフレーバーも入って
   ました。
96ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 19:14:41 ID:???0
  ・「ピート・ベストは、ドラマーとしては、最高だった。でもリンゴは、ビートルズのメンバーとして、最高なんだ。」これは、ジョン・
   レノンが、ビートルズの広報マン、トニー・バーロウに対して答えたコメントである。リンゴについての思い出を、バーロウは続けてく
   れた。「リンゴがビートルズに加わったとき、ジョン、ポール、そしてジョージの三人は、既に5年近く一緒にバンドをやっていたわけだ
   けど、青春を過ごした5年というのは、大人になってからの5年間と比べて、より大切。意味が違うよね。そう考えると、ジョンの言葉通
   り、時間的なハンディを差し引いて考えても、リンゴを入れたことは正解だったということになるんだ。リンゴは、最初から不思議と、
   ビートルズに溶け込んでいた。これはもう、運命的と言っていいぐらいだった。もちろんリンゴ本人は、大変だったと思うよ。正真正銘
   の、新入りだったわけだから。それも、最年長で新入り。親分格のジョンは、いつも威嚇的だし。音楽的なリーダーであるポールは、いつ
   もミュージシャンとしては絶対的な自信を持っていて、自分にもメンバーにも妥協を許さない。これはもう、プレッシャーの連続だよ。
   リンゴは、自分の劣等感を克服しようと必死だったけど、思い悩めば、それだけ事態は悪化していくだけだった。実際リンゴは、誰かが
   話しかけるまでは黙っていることが多かったしね。もちろん他の3人は、いつでもリンゴを自分たちの仲間として、友人や他のバンド仲間
   にも紹介したし、最初から同等の扱いをしていたけど、リンゴはいつまでたっても、既に人気を博している人気バンドに加わった新参者
   という意識を持っていたみたいだった。これは恐らく、病気がちだった子供時代や、あまりきちんとした教育が受かられなかったコンプ
   レックスからきてるものだったかもしれない。とにかくリンゴは、そういうキャラクターだったね。」
    〜 Ringo Starr / Liverpool 8
97ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 19:38:07 ID:???0
□リクエスト
  ・ビートルズ大好きー! まわりには、ビートルズ好きはいませーん。高校一年生でーす。ジョン・レノン・ミュージアムに行ってきましーた。
   父は、待ちくたびれたって言ってました。(柏市/女性)
    〜 The Beatles / Free as a Bird

  ・カントリーの大御所さえ、カバーしたくなる、ポールのソングライターとして才能の高さを示していると思います。ビートルズとしても
   ポールの曲としても、この曲はあまりメジャーな曲ではなく、暗い曲として受け止めている方も多いんですが、ジョン・デンバーが歌うと
   こんなに伸びやかな曲になるということも、リスナーの皆さんと分かち合いたいと思います。(四街道市/男性)
    〜 John Denver / Mother Nature's Sun

  ・先週の日曜日、中学時代の友人と池袋に行ってきました。卒業してからなかなか会えないので、楽しいひとときを過ごしました。と言いた
   いところですが、ひとつ問題が発生。帰りの電車で、携帯を落としてしまったんです。JRに連絡して、何とか見つかりました。一時は
   どうなるかと思いました。(住所氏名不詳)
    〜 Peter & Gordon / I Don't Want to See You Again
98ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 19:39:34 ID:???0
  ・テレビを先日見ていたら、CCRのことをやっていました。あれほどヒット曲がありながら、第二のビートルズとまで言われながら、あっと
   いう間に解散したことが、少し分かったような気がします。ジョン・フォガティという天才と、他のメンバーとの確執が取り上げられてい
   ました。当時、ベトナム戦争のことを歌った曲だと聞いていましたが、テレビではグループのことを書いてあり、解散につながったような
   ことを言っていました。(千葉市若葉区/性別不詳)
    〜 Creedence Clearwater Revival / Have You Ever Seen The Rain?
   (小林)グループのことを歌ったと言われれば、そうとも取れる内容ですね。

(小林)ジョンやポールのことは、色々語られます。ジョージも、語られます。しかし、リンゴ・スターのことは、なかなか話にならない。リンゴ
・スターは、平凡な凡人だったとか色々言われますが、なかなかリンゴもやっぱりすごい人だったということですよね。まだまだ話は続きます。
リクエストも待ってます。小林克也が、お送りいたしました。
99ホワイトアルバムさん:2010/05/30(日) 21:01:26 ID:???0
いつも乙!
100ポール・キロックトニー:2010/05/30(日) 22:23:39 ID:???0
いま、MusicAirに、トニー・バーロウが出て
日本やフィリピンでの出来事を話してます。
101ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 18:14:49 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年6月6日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月6日)
  ・1962年 (48年前)
    きょうは、記念すべき日であります。ビートルズは、ロンドンのEMIのスタジオにいます。そして、この日はなにかというと、いよいよ
    ビートルズが初めてEMIで、これはまだ、オーディションの段階なんですが、EMIに行って録音すると。プロデューサーのジョージ・マ
    ーティンとは、初めて顔を合わせる。このちょっと前に、ブライアンがジョージ・マーティンと会って、音を聞いてもらって、まあ
    よろしい、引き受けましょうというわけですよね。それでブライアンは、実はハンブルグのスター・クラブというところで、これは
    待遇が良くて、スター・クラブでビートルズは自分たちの実力で人気ものになって、スターバンドみたいな契約をするわけです。その
    時に電報が来て、EMIと決まったよという、決まったと言っても、きょうのオーディションだったわけです。で、電報に“曲を決めとけ”
    ということがあって、Besame Mucho、ポール・マッカートニーのオハコです。そして、Love Me Do、P.S. I Love You。この、三曲を
    録音します。だけど、この日はね。ビートルズは、リバプールからニール・アスピノールが運転して、到着しています。で、夕方、
    ビートルズは黒のレザーコートを着ていたらしいんですが、夕方この三曲の録音があったわけですね。でもね、色々話があるんですけど
    ジョージ・マーティンの部下のロン・リチャードに仕事を任せて、後でチェックするつもりだったらしいんだけど、実際に会ったと。
    で、ビートルズはリバプールから来てて、めちゃくちゃ疲れて、もう本当に機嫌が悪くて、一言もしゃべらなかった。で、「なにか文句
102ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 18:33:10 ID:???0
    があるの? 言いたいことがあるの?」って、ジョージ・マーティンが言ったら、ジョージ・ハリスンが、有名な言葉ですよね。「アンタ
    のネクタイが気に入らない」って言って、この一言で打ち解け始めた。という、この日に関しては、色んな本が色んなことを書いてます
    からね。この日のレコーディングセッションに関しては、いろんな説があるんですけど、この曲はほとんどデビュー・シングルとして
    決定していたんじゃないか。結果が良ければ、発売するつもりだったんじゃないかということであります。ドラムズは、ピート・ベスト
    が叩いているというバージョンを、きょうは一曲目に聞いていただきましょう。
    〜 The Beatles / Love Me Do

    この頃の話って、色々ありますよね。例えば、この曲はハモニカが滅茶苦茶印象的ですけど、ビートルズの初期は、結構ハモニカを使っ
    ていてね。ビートルズのおかげで、ハモニカが10倍以上も売れちゃうんですよね。そういう風な現象もありました。そして、ビートルズ
    は、まだこの時点では契約をしてないんですけど、契約がですね、滅茶苦茶安いわけですよね。ただビートルズは、自分たちはレコード
    さえ出してもらえらば良いっていうみたいなものがあったんで、1シリングですか。1枚売れると1シリングということは、その当時は
    お金のことって大切じゃないですか。1ポンドの240分の1かな。その頃は、まだ10進法じゃないんですよ。70年になって、イギリスの
    貨幣制度は10進法になるんですが、この頃は12進法なんですよ。だから、1ポンドの240分の1、1枚売れて。ということは、1円とか
    本当もう情けない条件なんだよ。この頃のビートルズの状況に関しては、色んなことを皆さんに伝えたいんですが。とりあえず!

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「リンゴはいつまでたっても、既に人気を博しているバンドのメンバーに加わった新参者。という意識を持っていたみたいだった。これは
103ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 18:40:48 ID:???0
   恐らく、病気がちだった子供時代や、あまりきちんとした教育が受けられなかったコンプレックスから、きているものだったのかもしれな
   い。とにかくリンゴは、そんなキャラクターだったね。」こう証言するのは、ビートルズの広報兼PR責任者として、彼らと世界中をツアー
   して廻ったトニー・バーロウ。バーロウのインタビューを、さらに続けて紹介しよう。「前のドラマー、ピート・ベストに代わってバンド
   に加わったリンゴは、ジョンの目論見通り、確かにビートルズに適応した。いや正確には、“適用しよう”とした。でもそれは、表面上で
   あって、決して後から加入したことを埋め合わせるものではなかったんだよ。リンゴは、自分の劣等感を克服しようと、必死だったね。だ
   けど、彼が思い悩めば悩むほど、それだけ事態は悪化していくだけだった。そのためかリンゴは、誰かが話しかけてくるまで、黙っている
   ことが多かった。他の三人は、プライベートでも公の場所でも、率直にリンゴを仲間として友だちとして喜んで受け入れ、自分たちと完全
   に同等の存在として接していたよね。けれども、そこには常に、オリジナルのユニットによそ者が追加され、それは元からいた三人を結ぶ
   絆とは違うだという空気みたいなものがいつも流れていたんだよ。こればっかりはもう、どうしようもなかったね。恐らくリンゴは、それ
   をよく理解していて、自分はわきまえるべきだって自覚していたよね。辛かったと思うよ。そのせいか、リンゴはしょっちゅうぼくに、こ
   う問いかけてきた。『なあ、トニー。よく思うんだけど、ぼくみたいな才能もなく、どうってことのないヤツが、どうしてこうビートルズ
   をやってるのかな。』」
    〜 The Beatles / Act Naturally
    〜 The Beatles / One after 909

   ビートルズの終りの頃は、ポール・マッカートニーが中心になって、特にビートルズが初期に持っていた熱っぽさというんですかね、あれ   
   を取り戻そうよ、ライブをやろうよという気分があったんで、こういうシンプルなロックンロール。これ、初期のものなんですけど入れた
104ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 18:50:51 ID:???0
   という。それと、もう入れる曲がなかったんで入れたという、両方が理由かもしれませんけど。そして Act〜は、元歌はカントリー&ウエ
   スタン。アメリカのバック・オーウェンスとバッカルズの大ヒット曲なんですけど、それをリンゴ・スターがカバーしています。内容が
   おれ突然だけど、映画の主演でスターになるらしいんだ。ただ、地で行くだけだよという、とぼけた内容なんですが、実にリンゴにふさわ
   しいということで。リンゴもこれは大好きだということで、カバーで取り上げました。後になって、バック・オーウェンスと共演した事実
   もあります。

  ・「なあ、トニー。よく思うんだけど、ぼくみたいな才能もなく、どうってことのないヤツが、どうしてこうやって、ビートルズをやってる
   のかな。」これは、リンゴ・スターがビートルズの広報担当を務めた人物、トニー・バーロウに何度となく語った言葉である。バーロウの
   証言は続く。「リンゴは、自分が大したドラマーだと思っていなかったのは事実だけど、実際には他のメンバーと同様に、彼も長い下積み
   を経験してきた、ちゃんとしたミュージシャンだったんだよ。その証拠に大勢の人が、リンゴをリバプール界隈、マージーサイドでは最高
   のドラマーだって、絶賛していたくらい。ビートルズに加入する直前までは、リンゴはリバプールの人気グループ、ロリー・ストーム&ハ
   リケーンズのメンバーで、大変な人気者だったよ。本名のリチャード・スターキーから、芸名のリンゴ・スターに改名させたのは、ここの
   リーダー、ロリー・ストームだったんだ。ロリーは、りんごのステージ映えするキャラクターをいち早く見抜いていて、リンゴにスポット
   を当てるリンゴ・スター・タイムってコーナーを、ショーの一部に盛り込んでいたくらいだったね。なんていうのかな。決して、出しゃ
   ばったりはしないけれど、生まれ持っての可愛らしさ、ユーモアのセンスがあって、どこか哀愁もあり、誰もが放っておけない存在ってい
   うのかな。とにかく、男女問わず人気があったね、リンゴは。そんなところに目をつけた、バンド・リーダーのロリー・ストームは、リン
105ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 19:07:23 ID:???0
   ゴにスポットを当てることを思いついた。そのコーナーでは、リンゴは歌も披露していた。得意ナンバーは、当時人気のあったアメリカの
   ガールズ・グループ、シュレルズの曲 Boys だった。」
    〜 The Beatles / Boys
    〜 The Beatles / Paperback Writer

   ロリー・ストーム&ハリケーンズの頃から、これを歌っていたというわけですよね。シブイ曲です! 実はこれB面の曲で、A面はシュレルズ
   の Will You Still Love Me Tomorrow っていう、キャロル・キングが作った、一回聞いたら若い人でも思い出すかもしれないようなヒット
   だったんですけど。B面に入っていた曲をやっている。この頃、ロリー・ストーム&ハリケーンズのスター・ドラマーだったわけですよね。
   そして、この頃ビートルズは貧乏だったけど、リンゴ・スターは既に自家用車に乗っていて、いい格好をしていたという。だから、好条件
   だったバンドからビートルズにきたわけです。だから、リンゴ・スターから見ると、ビートルズの方が魅力があったんだと思います。

  ・「リンゴは、ビートルズに加入する前から、リバプール界隈では一番に気のドラマーだったよね。」ビートルズの広報マンとして活躍した
   人物、トニー・バーロウの証言は続く。「ショーの中で、リンゴにスポットを当てたコーナーを作るというのは、ビートルズの前のバンド
   ロリー・ストーム&ハリケーンズの時代からの伝統だった。ぼくが、最初にリンゴを見たのは、ぼくがプロモーターを請け負っていたアマ
   チュアのバンド・コンテストだった。そのコンテストには、沢山のバンドが出場して、そのほとんどは当時流行っていたスキッフルを演奏
   した。トラッド・ジャズとカントリー&ウエスタンが混じったような、シンプルなスタイルの音楽だ。このコンテストで、リンゴのバンド
   は、二位になったんだから。まあまあ、いい線行っていたんだよね。別のバンドにいたんだから、当然ビートルズの他の三人のメンバーと
106ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 19:15:17 ID:???0
   は違って、リンゴはグループの最も初期の青春の思い出や、辛い記憶を分かち合うことが出来なかったし、その頃の別の話にきちんと参加
   することがどうしても出来なかった。リンゴが来たときには、真新しいEMIとの契約書が用意されていて、ブライアンがレコーディング契約
   を求めて、日夜奔走していた半年間に起こった希望や不安や苦悩、そして喜びをすべて見逃していたわけだ。こればっかりは、もう仕方が  
   ない。それに前のドラマー、ピート・ベストが見た目も良く、かなりの人気を誇っていた。そういう事実も、リンゴにとっては大きなプ  
   レッシャーになった。なんせ、ビートルズをクビになった直後は、セクシーで魅力に充ち溢れたピート・ベストのファンが、そう簡単には
   リンゴの加入を認めなかったからね。大変だったと思うよ、リンゴ・スターは、本当に。」
    〜 Ringo Starr / Photograph

   1977年の大ヒット曲、アメリカで1位になっています。これは、リンゴ・スターとジョージ・ハリスンが作詞作曲、共同でやっています。
   リンゴ・スターは、ビートルズに入った頃、読み書きが十分じゃなかった人なんですけど、やっぱり本人も勉強して曲を作ったりとか、
   そういう成長を遂げた人でもあるわけです。ちなみに、ジョン・レノンはまだ、リンゴ・スターには結構ヒットがあるんですよね、No.1
   が。で、ジョン・レノンは、この1位のニュースを聞いて、電報を送ったそうです。「俺にもNo.1の曲を書いてくれよ」と。ジョン・レノ
   ンらしいですよね。いま聞いたヤツは、ジム・ケルトナーという、ジョン・レノンのソロに必ず入っていた、ロスで一番売れていたドラム
   ズ。ジム・ケルトナーとリンゴ・スターのツインドラムの、Photographをお送りしました。
107ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 19:54:08 ID:???0
□リクエスト
  ・ジョージのファンなので、最近の放送はとても興味深いです。私には、ビートルズと同じぐらい好きな映画シリーズがあります。全48作
   続いた、あの国民的映画です。その30作目で、主人公が恋人との関係について悩んでいる、若いマドンナに向かって諭す場面があります。
   「アイツがしゃべらないのは、アンタに惚れてるからなんだよ。今度あの娘に会ったら、あんな話をしよう。こんな話もしよう。そう思っ
   て、家を出るんだ。だけど、その娘の前にくると、全部忘れてしまうんだ。で、バカみたいに黙りこくって、手前のそんな格好が情けなく
   て、涙が出そうになるんだ。惚れてる男の気持ちって、こんなもんなんだよね。」っていう、お分かりになりますか。ジョージの I Want〜
   を聞くと、この場面を思い出さずにはいられません。(中野区/女性)
    〜 美空ひばり / 車屋さん

   (小林)分かりましたかね。車ということで、車寅次郎。寅さんということで。寅さんの持っている哀愁をジョージの曲に結びつけるなんて
   とても素晴らしい感性だと思いました。

  ・錦糸町で開催された、ギターパーツの祭典「ハンドクラフト・ギターフェス」に行ってきました。その中でも特に良かったのが、特設ス
   テージでのスペシャル・ライブ。ビートルズをアコースティックギター一本で弾く、センチメンタル・シティ・ロマンスのリーダー、
   告井延隆さんの演奏を見る機会があり、彼の超絶ギター・テクニックに感動。アンコールでは、ぼくがリクエストした I Feel Fine を快く
   弾いてくれ、喜びもひとしおでした。それにしても、告井さんのギター・フィーリングは素晴らしく、あんなに見事なビートルズ・カバー
   が、一般店頭には並ばないのは寂しすぎますね。(柏市/男性)
    〜 The Beatles / I Feel Fine
108ポール・キロックトニー:2010/06/06(日) 19:55:54 ID:???0
  ・前回、リクエストをかけていただいた時は、家族全員リビングに集まり、ラジオに聞き入りました。先日、某雑貨屋さんでもらったカレン
   ダーに、6月29日がビートルズの日となっていました。初来日の記念日ですかね。それとも、初ライブの日でしょうか。長年、聞かせて
   もらっているのに、不勉強ですみません。(習志野市/女性)
    〜 Michael Jackson / Liberian Girl

   (小林)まあ、そんなところでしょうかね。マイケル・ジャクソンは、ビートルズにすごく影響を受けていて、ビートルズの権利を買ったこ
   とでもおなじみですが、彼は後半、世界をよくしようとか環境をよくしようとかいう歌をうたうわけですが、ジョン・レノンに気に入って
   もらえたかなと、語っています。

  ・自分の部屋にADSLを引いたので、PCで聞いています。この曲は、山岳地帯のドライブにも合うと思います。(長野県/男性)
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

(小林)1964年、ビートルズがアメリカで人気爆発したとき、一番人気があったのはリンゴ・スターだった。リンゴ・スターも、大変な才能を
持った人だったと思います。リンゴの話は、また来週も続きます。リクエストも待ってます。小林克也が、お送りいたしました。
109ホワイトアルバムさん:2010/06/06(日) 21:12:13 ID:???0
美空ひばりをリクエストした人、バラカンさんの番組に
よくリクエストしてる人だったような。
110ホワイトアルバムさん:2010/06/07(月) 12:25:04 ID:???0
ピーター・バラモン
111ホワイトアルバムさん:2010/06/07(月) 20:52:33 ID:???0
ピーター・阿羅漢 だったりして。。。
112ホワイトアルバムさん:2010/06/08(火) 00:15:50 ID:???0
「ベートーベンをどう思いますか?」
(・∀・)「いいね、特に彼の詩が」
113ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 18:12:10 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年6月13日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月13日)
  ・1977年 (33年前)
    もちろん、ビートルズは解散していますが。アメリカで、 Beatles Live at the Star Club in Hambulg のアルバムが出ます。これは、
    1962年ビートルズがデビューした後、最後のハンブルグのスタークラブでの仕事。スタークラブは、ハンブルグで一番のクラブだった
    らしいんですが、そこでマイク一本で、テープレコーダー直接録音。だから、音は大したことない。だけど、一本のマイクの方が、
    かえってその頃の雰囲気を正直に捕まえることが出来ます。一本だからね、ホントに正直に。ほら、普通のレコードってのは、それぞれ
    の音を考えに考えて、色々バランスするわけですけど、一本のマイクというのは正直です。だけどね、我々の良い音に慣れた耳にとって
    は、「劣悪」とか「ハンブルグの喧騒」が伝わったりするんですけど、音が悪く聞こえて場末感がでたりするんですけど、これは貴重で
    すよね。しかし、これは実はEMIではなく、別の会社から発売されるわけです。ちょっと、海賊盤的なものですから。もちろん、裁判に
    なるわけですが。デジタルの時代、いくつかのバージョンが出てるわけですが、出たらしょうがないですよね。ということで、ちょうど
    ビートルズの悪い録音が出る1ヶ月ほど前に、ビートルズの唯一の公式ライブ Beatles at Hollywood Bowl というのが出た後ですね。そ
    の後で、海賊盤的なちょっと違法なものが出たわけですが。それでは、ビートルズがハンブルグの客を喜ばせるために、アメリカでの
    ヒットのカバーをやっていたという。それも、結構忠実にコピーしていたというのが分かります。マイク一本ですからね、いいですか?
    〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen
114ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 18:28:56 ID:???0
    音は悪いです。でも、ビートルズのすべてが、この中に入っています。これは、チャック・ベリーのヒット曲で、ビーチ・ボーイズが
    サーフィンUSAにしたという曲です。で、これは盗作だろ? いえ、盗作ではないですとブライアンが答えて、で、お父さんが、まあま
    あ、これはそっくりだから盗作だと盗作になった曲ですが。これ、ビートルズがやって、ジョン・レノンが歌ってると、ビートルズの
    印象変わってこないですか? ビートルズの色んな個人差があるんですよ、どんなところでとらえてるか。ビートルズは、かなりのハー
    ドロックのグループだということが、これを聞くとよく分かりますよね。ビートルズの正体が。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「前任のドラマー、ピート・ベストがクビになって、リンゴが加入した直後のファンの反応は、ものすごく厳しかったね。なにせ、ピート
   は、ハンサムでナイスガイだっただけでなく、ドラマーとして優秀だったからね。ピートのファンは、なかなかリンゴのことを認めようと
   はしなかったんだ。」こう証言するのは、ビートルズの広報PR責任者として、彼らと世界中をツアーして回った、トニー・バーロウ。バー
   ロウのインタビューを、さらに続けてご紹介しよう。「リンゴが、ビートルズの中でどうも自信がなく、居場所がなさそうにしている原因
   は、このピート・ベストのファンからのバッシングだけではなかったみたいだね。それは、リンゴの教育レベルの問題にもあった。子供時
   代のリンゴは、腹膜炎で長い間入院したり、それがすっかり良くなって、さあ退院だという矢先に、ベッドから落ちて骨折してしまったり
   とにかく不運が重なったんだね。それで、当然まともに学校にも行けなくて、なんとか学校や教育委員会の計らいで、卒業はさせてもらえ
   たんだけど、学力の違いは誰の目にも分かるぐらいだったんだね。それが、リンゴの最も大きな劣等感になっていたわけさ。彼は、ビート
   ルズに入ってからも、他の三人が自分の学の無さに気づいていて、きっと見下しているんだろうと、恐らくは被害妄想を描いていたんだ
115ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 18:44:02 ID:???0
   ね。自動的にリンゴは、昔教室でそうしていたように、沈黙という防護壁を張ったんだ。何も行動を起こさない方が、きまりの悪い思いを
   するかもしれない危険を冒すよりも、安全だったわけだ。率直に言って、そんなことは音楽集団であるビートルズの中では、まったく問題
   にならなかったけど、そこはやっぱり新参者のリンゴのこと。そういった悩みからは、なかなか抜け出せなかったみたいだね。見ているこ
   っちも、辛くなるぐらいだったよ。
    〜 Ringo Starr / Back off Boogaloo
    〜 The Beatles / If I Fell

  ・新入りとしての居心地の悪さ。そして、自分の学力に対しての劣等感。苦悩の続くリンゴであった。そうした状況の一部始終を目の当たり
   にしてきた、ビートルズのPR担当、トニー・バーロウの証言は続く。「あの頃のロック・バンドのドラマーは、曲が煮詰まってくるまで
   レコーディングには加わってこないのが通例だったね。ビートルズの場合も、それは同じだった。他の三人のメンバーが、歌やギターの
   アレンジ、そしてコーラスを練習してから、やっとリンゴに声がかかる。曲のテンポが決まって、リンゴにいろんな注文が集まる。リンゴ
   は、それに答えて、いくつかのパターンで演奏するといった具合だったね。こういう風に、リンゴは曲の製作過程にはあまり参加せずに
   ただただビートを提供するというパターンが多かったので、おのずとスタジオでのかなりの時間を部屋の隅で、ローディのニール・アスピ
   ノールやマル・エヴァンスなどと、ポーカーやチェスをして過ごすことになった。結果、その腕前は、かなりのものになっていたみたいだ
   ね。そうして、自分の出番を待ちながら、リンゴはたて続けに紅茶やタバコを飲んだ。ステージの上でも、通常リンゴはかなり後ろの方に
   セットされたドラム台の上に座っていたので、フロントラインにいる三人からは、ちょっと離れていた。元々は、スポットライトを浴びる
   ことが多かった、人気バンドのリンゴも、ビートルズのライブ・パフォーマンスでは、それほどスポットライトを浴びることも、多くはな
116ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 19:02:38 ID:???0
   かった。それでもリンゴは、ビートルズのドラマーとして、レコーディングにツアーに、いつも熱心に全力投球で望んでくれた。おそらく
   いつかは、ファンに正式メンバーとして認めてもらいたいと、心から望んでいただろうね。」
    〜 The Beatles / This Boy
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

   この曲が一番好きだという人も多いと思いますが、ジョン・レノンの作品なのかな。ジョン・レノンの独特のぶっとんだ感じ、それから
   哀愁感がビートルズの曲の特徴ですよね。その前の This Boy も、独特の哀愁がありますよね。でも、これはリンゴのテーマではなく、
   失恋の歌ですよね。リンゴのテーマです!ってビートルズがやると、この人は君に帰って欲しいと思ってるんだよと、リンゴの顔があり
   ますからね。独特のキャラクターが。客にウケるわけですよね、リンゴ・スターのテーマと言われているわけです。

  ・「リンゴは、ビートルズのドラマーとして認めてもらえるべく、一生懸命に頑張っていた。」こう証言するのは、ビートルズの広報マンと
   して活躍していた人物、トニー・バーロウ。バーロウのインタビューは、リンゴのプライベートな部分にまで及んだ。「グループのリーダ
   ーであったジョンと同じように、リンゴも地元リバプール出身の恋人と結婚したんだ。モーリーンという名前の美容師をやっている女の子
   で、1965年2月のことだった。二人の交際が始まった頃、リンゴは僕たちに、美容院のチェーンを全国展開して、それをモーリーンに切り
   盛りさせるのが夢なんだと話してくれた。リンゴは、最も堅実で、普通なビートルで、その伴侶であるモーリーンは、最も地に足の着いた
   ミセス・ビートルだった。結局、リンゴの思い描いた、美容院帝国の約束は果たされることなく、モーリーンは、ザック、ジェイソン、
   リーという三人の子供の面倒を見て、シンシア・レノンと同様に、ビートルズの良妻賢母という役割に満足するしか、術はなかったわけ
117ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 19:18:00 ID:???0
   だ。ある日ぼくは、気づいたことがあってね。実は、リンゴはタバコの火を借りるとか、そういう口実がない限り、めったに自分から会話
   を始めようとしないんだ。その一方で、もしぼくが、より意味のありそうな会話を始めようとすると、リンゴはそれに熱心に答えてくれよ
   うとした。つまりリンゴは、話が嫌いなわけじゃないんだ。ただやっぱり、自分の教育レベルの低さに、かなりの劣等感を持っていて、
   自分は会話に加わることが出来るだろうかって、常に不安を抱いていたんだね。確かにリンゴは、言葉づかいにおいて間違えていたことも
   あったけど、逆にそれがユーモラスで、リンゴの持ち味でもあったわけだ。リンゴのその口調が、そのまま曲になったという例も、いくつ
   かあるからね。とにかく、ユニークな存在ですよ。リンゴ・スターという人物はね。」
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
    〜 The Beatles / Across The Universe

□リクエスト
  ・ビートルズの曲を聞くと、7ヶ月になる長男も、ノリノリでノッています。主に、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターの曲が好きです。
   バングラデシュ・コンサートで、リンゴが歌ったこの曲をお願いします。途中で、歌詞を忘れるところが、リンゴらしいですね。
   (かすみがうら市/男性)
    〜 Ringo Starr / It Don't Come Easy
   (小林)ただこれは、チャリティだということを申請するのを、ジョージ・ハリスン忘れていたんだよね。だから実は、税金をいっぱい取ら
   れて、最初は大損するんですけど。
118ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 19:28:53 ID:???0
  ・いつも楽しくきかせてもらっています。ビートルズのレット・イット・ビー、聞きたいのでよろしく。(松戸市/女性)
    〜 The Beatles / Let it Be
   (小林)せっかく参加するんだから、もうちょっと書いていただけるといいなと思います。

  ・今時、ジャーン!で始まり、B面をかけたら、バスッ!ですもの。スゴイの一言です。初めて聞いたときは、鳥肌がたちました。
   (住所性別不詳)
    〜 The Beatles / Anytime at All
   (小林)住所がないので知らせてください。

  ・私事で恐縮ですが、二日前にビートルズと競演した夢を見ました。ぼくが、ジョンと歌っている時に目が覚めました。その時にデュエット
   したのが、この曲だったんです。欲をいえば、他の三人とも歌いたかったです。(龍ケ崎市/男性)
    〜 The Beatles / Twist and Shout
119ポール・キロックトニー:2010/06/13(日) 19:32:29 ID:???0
(小林)リンゴの話って、めったに無いじゃないですか。何年間もこの番組やってますけどね。リンゴもやっぱり、人間味のある人なんだな。人徳
というのかな。ヒット曲も、結構ありますよね。本当に、平凡な人だったのかもしれませんけど、ビートルズというグループに入って、あそこま
で成長出来るという、やっぱりすごいことだと思いました。それから、リクエストもよろしく。いろんなエピソードとか、加えてください。小林
克也が、お送りいたしました。
120ホワイトアルバムさん:2010/08/15(日) 02:48:09 ID:???O
終了
121再開:2010/09/01(水) 19:21:36 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年6月20日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月20日)
  ・1966年 (44年前)
    日本にくる約一週間前と考えてください。アメリカ盤の Yesterday and Today が発売になりました。ビートルズに詳しい人は、ご存知
    だと思いますが、最初はジャケットが肉屋さんの写真、これはちょっとグロで不評で回収されます。それで、トランクが並んだカヴァー
    なんですけど、このアルバムが改めて44年前のきょう、出たというわけです。ま、このアルバムに関しては、この番組で昔から言ってる
    んですけど、イギリスのアルバムとアメリカのアルバムと、それから日本のアルバム、全然内容が違ったりします。これは元々、イギリ
    スで出たヤツをそのまま忠実にアメリカで出すとか、日本で出すとかいう契約がなかったからなんですよ。イギリスは有名な話、シング
    ルは原則としてアルバムに入れない、ファンに二重にはお金を出させないていう、ビートルズの哲学があって、それを貫いたんですが、
    アメリカではもう売れればいいってわけでね、シングルは入れるわ、日本はまたちょっと違うんですけど。で、この肉屋さんのカヴァー
    は、ブッチャー・カヴァーと言われてんですが、これはアメリカは自分たちの意思を無視して、勝手にやりすぎるってんで、抗議の意味
    を込めて、あのジャケットにしたんじゃないかということも、言われております。このアルバムには、次に出るアルバムから、早くも三
    曲が入ってるんです。だから、全然不規則。ま、そのアルバムの中から、8月には Revolver として発売になる中から、ジョン・レノン
    の曲が三曲も入ってたんですよ。で、その内のひとつであります。なかなか、いい曲なんですよ。
    〜 The Beatles / I'm Only Sleeping
122ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:23:56 ID:???0
    これは、不評のジャケットを新たに変えて出したアルバム Yesterday and Today の中には、8月には Revolver で出る、その中に入る
    曲が、もうこの中に入っていたという。ジョン・レノンが、寝てるんだから、ここにはいないんだから、起こさないでくれという。これ
    は、ジョン・レノンらしい、子どもっぽいジョン・レノンの主張ってあるじゃないですか。俺のこと、ほっといてくれという。
    Revolution とか、ジョン・レノンの小児性みたいなのがあって、面白いですけど。

□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・1962年夏 ── 正式にデビューが決まったビートルズは、ドラマーを入れ替えることにした。その決断をしたのは、ジョン、ポール、
   ジョージの三人。自分たちだけで決断を出した後、マネージャーであるブライアン・エプスタインのオフィスを訪れ、その意向を伝えた。
   それまでのドラマー、ピート・ベストに対し、特に大きな不満があったわけではない。演奏もまずまず、ルックスはバンドでも一番良かっ
   たくらいだし、ピートの母親モナの支援もあった。なのに、なぜピートをクビにしたのか。それは、ビートルズの歴史の中でも、いまだ
   謎に包まれた事実のひとつである。一説には、ピートがバンドのノリ、キャラに合っていなかったから ── が、あげられている。ドイツ
   ハンブルグへの巡業に出かけていたとき、酒・女・ドラッグなど、ロックンローラーとしての初めての嗜みを実行する三人に比べ、ピート
   はストイックとも言えるほど、地味であった。また、普段から言いたいことがあると、すべて吐き出さないと収まらないジョンや、誰にで
   も社交的なポール、そして、まだまだやんちゃ坊主の延長線上にいたジョージに比べ、ピートはあまりにも寡黙すぎた。が、昔から世の常 
   として語られるように、口数も少く、少し影のある男はモテる。ピートも、その例外ではなかった。女性ファンが、かなり多かったのであ
   る。またピートには、意外と古風で頑固なところがあった ── とも伝えられている。元々は、50年代のロックンロール・ファッションで
   あるテディ・ボーイ風に、リーゼントでキメたビートルズであったが、ブライアン・エプスタインの方針で革ジャンや黒いパンツをやめ、
123ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:28:14 ID:???0
   スーツを新調して、髪をマッシュルーム・カットの原型にイメージ・チェンジを行った。しかし、この時も一人だけリーゼントをやめな
   かったのが、まさにピート・ベストだったのである。
    〜 The Beatles / Besame Mocho
    〜 The Beatles / Eight Days a Week

   Besame Mochoは、ジョンが生きていたら(Anthology 1に)入れさせなかっただろうという、ジョンが嫌っていた曲です。ポールしか
   歌ってないからね。

  ・「なあ、ブライアン。俺たち三人、話しあって決めたんだけど、ピートをクビにして、あの人気者のリンゴ・スターを新しいドラマーに
   したいんだ。これはもう、どうしてもそうしなければならないことなんで、マネージャーのあんたがよろしくやってよ。じゃあ、頼んだよ
   ブライアン。」ジョン・レノンのこの一方的な申し出により、マネージャーのブライアン・エプスタインは、汚れ役を引き受けることにな
   った。ブライアンは、困った。誰だって、メンバーに解雇を言い渡すのは、最もやりたくない仕事の一つである。しかし、仕事にはとこ
   とん真面目に取り組むたちのブライアンは、さっそくこれを実行に移した。ピート・ベストを事務所に呼び、事の次第を告げたのだ。言い
   方は難しかったが、ピートは納得した。ブライアンは、次のバンドも紹介してくれたのである。そして次には、リンゴ・スターをリバプー
   ルきっての人気グループであるロリー・ストーム&ハリケーンズから引きぬくこと。大人の交渉は、なんとか成立した。元々、リンゴとは
   顔なじみであった。この時代、いくらリパプール界隈には、バンドがいくつもひしめいていたとはいえ、プロとして食えていたのは、50
   位に絞られる。そうなると、どこの業界も狭いもので、パッケージショーなどで、すぐに顔なじみになる。ハンブルグではビートルズは、
124ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:32:10 ID:???0
   リンゴのいたロリー・ストーム&ハリケーンズと、何度となく共演していた。ある夜は、ピートが熱を出して寝込んでしまい、リンゴに
   その代役を頼んだこともあった。この時のリンゴのドラムテクを、ジョンやポールもジョージも、忘れることはなかった。そこには、ピン
   とくる何かがあったのである。
    〜 The Beatles / Tell Me Why
    〜 The Beatles / Dig a Pony (Naked)

  ・「なあ、ポール。リンゴのドラムズ、ピートよりずっといいんじゃないか。」ハンブルグで一緒にプレイする内、ジョンは直感的にそう
   思った。ピート・ベストは寡黙で真面目だし、ドラムの練習もきちんとやっていた。ジョンやポールから言われたアレンジは、一通りこな
   していたし、ファンの受けも良かった。それに、比較的裕福な家に育ったため、お金にもガツガツしていなかったので、ギャラのことで
   もめることも一度もなかった。だが、ヤツには何かが足りない、それは何か。ジョンにも分からなかったが、ひとつだけ言えることがあっ
   た。それは、ビートルズが目指す、ロックのトップのさらにトップ、てっぺんの一番の上に到達する「何か」。それが、なかったのであ
   る。それが、リンゴ・スターには、あるのか。それは、ハッキリとは分からなかったのであるが、ジョンはリンゴにその可能性を感じた。
   ある晩、高熱で寝込んでいるピートに代わって、ハンブルグのクラブのステージには、リンゴがいた。ステージに登場すると、まだ一音も
   出していないのに、客がどっと沸くのである。最初、ジョンもポールも、それが何故か分からなかった。後ろを振り返った。ドラムセット
   には、なぜウケているのかまったく分かっていない、リンゴがいた。そうか、これか。ジョンは、感じた。これが、スターのオーラってヤ
   ツだ。リンゴには、それがあったのである。さらに、リンゴのバンドに対しての対応力が素晴らしい。この夜、急にビートルズを手伝うこ
   とになったリンゴは、ステージ本番前の一時間、ほんの少しリハーサルをやっただけなのに、曲をすべて覚えた。アレンジに関してのアイ
   デアも、ピートより優れていた。そして、なにより本番になると、リハーサルのとき以上にスイングしたビートを叩き出して、客を踊らせ
125ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:34:40 ID:???0
   るのである。ビートルズがロックのトップに到達する以前の、奇跡的な瞬間であった。
    〜 The Beatles / Roll over Beethoven
    〜 The Beatles / Get Back

   有名な、ジョンの「オーディションに受かったかな?」というセリフもありましたが、Get Backと、その前はビートルズが好んでカヴァー
   していた曲ですが、ジョンの持ち歌だったんですけど、ジョージもやることないだろうと花を持たせたんですね。だから、ちょっとリ
   ニューに聞こえる Roll over Beethoven 、二曲続けました。

□リクエスト
  ・バングラデシュ難民救済コンサートでのツインドラムが、目に焼き付いています。あの記録映画は朝一番に行って、最終まで繰り返して
   見ました。もし、音源があれば、リクエストします。(船橋市/男性)
    〜 George Harrison / Wah-wah

  ・もう梅雨の時期ですね、カラッとしたウクレレの曲をリクエストします。ドライな音色だけど、優しいウクレレのパワーを感じ、最近の
   お気に入りです。それに、とてもポピュラーなビートルズをあえてカヴァーするところに、彼の挑戦というか自信を感じます。
   (船橋市/女性)
    〜 Jake Shimabukuro / Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
126ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:36:52 ID:???0
   (小林)結構良かったでしょ、Across The Universe。ジョン・レノンの原曲にはない、新しいリズムを感じたでしょ。もともとジェイクは
   ウクレレのジミヘンを目指したという人ですから。単なるカヴァーに終わってないところがいいです。彼の Across The Universe をお送り
   しました。Across The Universeは、ゲストにシンディ・ローパーが歌ってるんだよね。その中から、お送りしました(小林、かけた曲と
   アルバム情報がゴチャまぜになってるのに気付かず)。

  ・この曲は、ハードディズ・ナイトの映画で、電車の中で女の子の前で演奏するシーンが印象的で、中学時代にバンドの演奏をしたり、高校
   時代に多重録音で一人で演奏したりで、思い出深い一つです。(所沢市/男性)
    〜 The Beatles /I Should Have Known Better
   (小林)その中に、後にジョージ・ハリスンのカミさんになる、後にエリック・クラプトンのカミさんとなる、パティ・ボイドがいたわけで
   すね。

  ・ビートルズを聞くようになったのは中学時代、英語の授業でした。それまでは、中山美穂や工藤静香といったアイドルばかり聞いていたの
   で、新鮮に聞けました。ところで、4月から下の子が幼稚園に通うようになり、一人ゆっくりとビートルズが聴けるようになりました。
   カフェ・オ・レを飲みながら、私のビートルズ・タイム。リラックス出来ます。(千葉市中央区/女性)
    〜 The Beatles / Let it Be (Naked)
127ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:38:49 ID:???0
(小林)お話の方は、ピート・ベストというドラマーをクビにするという、これは一つの大きな謎だといいましたけど、まったくきょうお送りした
のとは違う、資料みたいなものもあるんですよ。ジョンがマネージャーに言ったとありますよね、ところが、一番クビにしたかったのはポールだ
という説があったりとかね。あと、プロデューサーのジョージ・マーティンのインタビューだと、ビートルズがスタジオで演奏するとき、ピー
ト・ベストは、スタジオではヘタだけど、ビートルズの四人の中では一番花があった。一番ポップスターにふさわしいのはピート・ベストで、や
はりピート・ベストは、ビートルズに必要だと思っていたという。ただ、スタジオでちょっと使えないなと言ったことがきっかけとなって、クビ
になったとか、いろんなことがあるんですが。ところで、リクエストも待ってます。小林克也が、お送りいたしました。
128ホワイトアルバムさん:2010/09/01(水) 19:50:49 ID:???0
キロックトニーさん お久しぶり&お疲れ様です!
129お久しぶりです:2010/09/01(水) 19:56:20 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年6月27日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月27日)
  ・1966年 (44年前)
    きょうは、結論から言いましょう。44年前のきょうではなく、あした。ビートルズが日本に着きます。ですから、44年前のきょうは
    ハンブルグから東京に向かって旅立った日です。でも、その飛行機がアラスカのアンカレッジで台風を避けるために、ちょっと止まった
    と言われています。面白いのは、ハンブルグで乗るわけですよね。で、ドイツでビートルズは稼ぎますよね。でもビートルズはね、他の
    国では何回か演奏するんだけど、ドイツはそれまで行ったことがなかったんです。それは、ジョン・レノンやポール・マッカートニーた
    ちがいろいろあって、ドイツに行くとヤバイなと、過去にやんちゃなことをしたので行きたくなかったのかもしれませんけど、とうとう
    行って、ドイツでツアーやって、前の前の日はコンサートやるんだけど、その時はいよいよ日本に行くんだけど、日本はビートルズの髪
    の長いのが問題になっていて、日本の民族主義者たちが、ビートルズが到着したら髪を切ると言っているというのが新聞に書かれたり。
    シンガポールは、髪がないと国に入れてくれなかったとか、空港の税関のそばに床屋があって、あそこに行って髪を切ってこい!と髪を
    切らないと入れてくれなかったような、そういう時代だから、そういうことが実しやかに言われたわけですね。で、26日はハンブルグ
    行って、ジョン・レノンの親友のスチュアート・サトクリフの未亡人アストリッドに会って、ジョンに宛てた手紙があったんですよ。
    そういった手紙を、ジョンは受け取ったりしたということが話に残っています。
    〜 The Beatles / Paperback Writer
130ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 19:58:43 ID:???0
□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・1960年代初期、まだデビュー前のビートルズとの運命的なライブ・セッションからしばらくたち、リチャード・スターキー、つまり、あ
   のリンゴ・スターが、ビートルズに加わることになった。しばらくの間、リンゴは新参者として、自分をわきまえていた。それは、端から
   見てもよく分かったし、新入りとしてでもなくても、リンゴは元々そういう性格でもあった。しかし、そのユニークなキャラクターは、誰
   からも愛された。ビートルズと活動中、広報担当の責任者として世界中を飛び回った男、トニー・バーロウはこう証言している。「ぼくは
   リンゴのことを、陽気な飲み仲間だと思っていたし、彼のでしゃばらないさり気ないユーモアのセンスが大好きだった。実際、リンゴは
   かなり卓越したギャグを思いついたりもしたね。A Hard Day's Night、Eight Days a Week、Tomorrow Never Knowsなんていう曲のタイ
   トルは、みんなリンゴが思いついたり、独特な言い回しをしたりしたことからつけられたものなんだ。ジョンがリンゴの思いつきを頂いた
   ってことになるのかな。後、リンゴについての思い出を話すとすると、テレビに出た時のことかな。番組の司会者に『ビートルズは50年代
   風のロッカーズですか。それとも、ロンドンで流行っているモッズ族ですか。』って聞かれたんだけど、リンゴはとっさに『ぼくらは、
   ロッカーズでもモッズでもないね。強いて言うとしたら、モッカーかな。』って答えたんだ。このモッカー(Mocker)という言葉には、パク
   リ屋とかマネッコ野郎とかいう意味があるからね。ビートルズが、50年代のロックンロールやリズム&ブルース、その他いろんな音楽のお
   いしいところをパクってやってますよってことをひっかけての発言だったのかもしれないな。とかまあ、いろんなことを想像してしまう。
   そんな調子で、とにかく愉快な男だったよ。リンゴ・スターってヤツはね。」
    〜 Ringo Starr / You're Sixteen
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down (Naked)
131ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 20:03:27 ID:???0
  ・新入りとしての居心地の悪さ。そして、自分の学力に対しての劣等感。こんな状況を乗り越え、リンゴ・スターはどうやってがんばってき
   たのか。ビートルズのPR担当、トニー・バーロウは、こうも語っている。「初期のビートルマニアの熱狂ぶりは、本当に凄まじかった。
   もうこれは、正気の沙汰とは思えなかった。そんな中でもリンゴは、常に平成を保っていたね。彼の口調が、変わることはなかったと思
   う。リンゴは、メンバーの間のいさかいに巻き込まれることが、最も少なかったとはいえ、そういった現象には幾度となく遭遇してきたわ
   けだし、まわりから次々と凄いテクニックを持つドラマーが登場してくると、心中穏やかでないことも事実だったみたいだね。それで
   1968年、ホワイト・アルバムのレコーディング中に、ポールのあまりの独裁政権にぶち切れて、何日間かバンドをやめたこともあったよ
   ね。これには、三人も驚いたんだけど、メンバーの結束はまわりが予想する以上に硬くて、リンゴがいない間、まるで何もなかったかの
   ように、仕事は進められたんだ。幸い、時代はマルチトラック録音が主流だったので、既に録ってあるリンゴのドラムズに、あとの物を
   ダビングすればいいわけだ。みんな、リンゴはバケーションに出かけているとか、そんなことぐらいに思っていて、淡々と作業は進んだん
   だ。そして、じきにリンゴは、自分の居場所はビートルズにしかないってことに気づいて、無事アビーロード・スタジオに戻ってきたん
   だ。ジョンもポールもジョージも、いつもどおりリンゴに、やあお早うって声をかけていたし、いつもとちょっと違っていたのは、ロー
   ディのマル・エヴァンスが花屋に注文して、沢山の花を持ってこさせたことかな。リンゴのドラムセットは花に囲まれて、そこにはこう
   書いてあった。“リンゴ、バケーションからお帰りなさい”ってね。」
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
132ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 20:05:46 ID:???0
  ・「リンゴは、メンバーの中でも一番手がかからなかったね。」こう証言するのは、ビートルズの広報マンとして活躍した人物、トニー・
   バーロウ。バーロウのインタビューは、リンゴの少し突っ込んだ部分にまで及んだ。「マネージメントに関して、リンゴは口論を避け、
   NEMSの社員に迷惑を掛けることも、極めて少なかった。手間がかからないだけじゃなくて、ぼくらスタッフに対してのねぎらいとか
   感謝の気持ちを伝えることも欠かすことはなかった。社会人としても、本当によく出来た人物だったね。リンゴが、ビートルズというセ
   レブな立場を利用することはまずなかったし、とにかくぼくは、ビートルズと仕事をした六年間の中で、最初から最後まで、その人間性が
   変わらなかったのは、間違いなくリンゴ・スターだった。初期のマスコミのインタビューの時も、率先してしゃべるのは、ジョンとポー
   ル。それに、茶目っ気たっぷりに口をはさむのがジョージっていうのが、いつものスタイルなんだけど、めったに発言しないリンゴが
   最終的に会話に加わると、それまでのインタビューをいっぺんに吹き飛ばしてしまうような、あっけにとられるほどのジョークを飛ばして
   その場に貢献するんだよ。もちろん、ジョンのブラック・ジョークも、かなりハイレベルなもんだったけど、リンゴはずっとボキャブラ
   リーは少ないのに、どんな人も笑わせてしまうユーモアのセンスを持っていた。それも、ニコリともしないでそういうことを言うもんだか
   ら、その効果たるや絶大なものだった。そういうセンスが、後に映画監督に認められて、映画俳優として成功するに至るんだろうね。」
    〜 Ringo Starr & Back Owens / Act Naturally
    〜 The Beatles / Two of Us (Naked)

□リクエスト
  ・先日飲み会があり、自称ビートルズマニアのおじさんと話していて、bayfm「ビートルズから始まる。」を勧めましたが、俺みたいなマニ
   アはみんな知ってることばかりでさとか言っているので、前に私の名前が克也さんに呼ばれ、聞いてましたよと会社の先輩から年賀状を
   いただいたことや、私がリクエストした曲を教えて、その上、石井食品から詰め合わせまで頂いたと話したら、すっかり乗り気になって
133ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 20:07:23 ID:???0
   マニアックなメールを送ってるみたいです。彼は、定年退職したら、奥さんとイギリス旅行することを楽しみにしています。(成田市/
   女性)
    〜 The Beatles / Michelle

  ・ビートルズを好きになったのは、学生時代に通ったルナシーのライブでメンバーが演奏していたのを聞いてからです。音楽は、見た目じゃ
   なくてハートなんだと感心したのを覚えています。(江戸川区/女性)
  ・(悲しい話だけど、いさぎよく名前言っちゃえ!)ぼくはまだ高一なんですが、去年まだ中三だったとき、同じクラスに好きな人がいまし
   た。でも、告白する勇気がなくて、気持ちを伝えられずにいました。そんなとき、ぼくはどうしようもなく、この歌をその人のそばで、
   鼻歌みたいに歌いました。どうか、この歌詞が伝わって、ぼくの思いに気づいてくれと願って。分かるはずもないのに、何度も何度も
   この歌を口ずさみました。そんな必死の努力もむなしく、今では別の高校で、全然会うことも出来ないでいます。(八千代市/男性)
    〜 The Beatles / Something

  ・ぼくは、ドラムズをやっている17歳で、ジョン・ボーナムが好きです。この曲は、ツェッペリンの中で一番ドラミングが際立っていると
   思います。長い曲ですが、フルでかけてもらえると幸いです。(我孫子市/男性)
    〜 Led Zeppelin / When The Levee Breaks
   (小林)The Whoのキース・ムーンと並んで、このジョン・ボーナムは、二大ドラマーと言われています。フルで聞いてください!

(小林)リクエストも待ってますね。きょうは、ビートルズのドラマー、リンゴ・スターのお話でしたが、最後はジョン・ボーナムのすごい
ドラムズをお聴きいただきました。小林克也でした。
134ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:14:12 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年7月4日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月4日)
  ・1969年 (41年前)
    あの Give Peace The Chance 、これがイギリスでソロシングルとして発売になります。ジョンとヨーコがこの年の3月にジブラルタルで
    結婚し、Ballad of〜という歌になって、この曲はポールとジョンが二人で作って、二人は仲良しみたいだったけど、どうなんでしょね。
    この頃が最悪な時点に発展していって、みんな単独行動なんですが、この Give〜は6月1日にカナダ・モントリオールのクイーン・エリ
    ザベスホテル1741号室で二度目のベッドインを行ないます。若い方にベッドインを解説しておきますと、最近はあの二人ベッドインし
    て…なんて言わないかな。ベッドインというのは違うように使われるようになったんですけど、ベッドインというのは Love and Peace
    というのを世界に訴えるため、ほら訴えるためにマラソンをやったり歩いたりするじゃないですか、二人はベッドにこもったんですよね
    ジョン・レノンのアイデアだと思うんですけど。こういう、訴え方のベッドインというのは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが初めて
    やったことなんですけど。その時に、ジョン・レノンが突発的に思いついて、急遽部屋に4トラックのレコーダーを持ち込んで、自分の
    友達に片っ端から連絡して、ビートニク詩人のアレン・ギンズバーグ、元ハーバード大学の教授でドラッグの研究家、そして親友でも
    あります、ティモシー・リアリー。それから、歌手のペトラ・クラーク。フィル・スペクター、お馴染みのプロデューサー。こういった
    人たちが参加して、この1741号室で録音が行われました。ホテルの壁には、歌詞がデカデカと貼られて、みんなが一緒に合唱できるよう
    にしたわけであります。その模様がシングルになって、41年前のきょう発売になりました。そして、ビートルズというよりも、プラス
    ティック・オノ・バンドというクレジットでした。
135ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:15:20 ID:???0
    〜 John Lennon and Plastic Ono Band / Give Peace The Chance

    改めて言わせてもらいますと、オノ・ヨーコが1980年代になって、ジョン・レノンが亡くなってだいぶ経ってから、ジョン・レノンは
    ラップとかそういうモノに興味があったんだと。そして、ここではAメロと呼ばれてますけど、サビに行く前にジョンは歌ってないじゃ
    ないですか。ラップじゃないですか。韻を踏んだりして、ラップの原型ですよね。この番組でジョン・レノンはハード・ロック第一号
    だった。Twist〜はハード・ロック第一号だったと言ってるんですが、実はリズムはちょっと違いますがラップなんですよね。それで、
    サビにメロディが入るという。そんな原型がここにあるんですよね。音楽って不思議なもので、誰々が発明したとかじゃなくて、ずっと
    昔から違う形だけど、それがなんか時代と共にパッと花開いたりするんですけど、ジョン・レノンはこういうところでそれに近いことを
    やっていたという、ちょっと個人的にも興味があったんで話しました。

□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・「ジョンのブラック・ユーモアもかなりハイレベルなものだったけど、リンゴはずっとボキャブラリーが少ないのに、どんな人をも笑わせ
   てしまうセンスを持っていたね。それも、ニコリともしないでそういうモノを言うもんだから、その効果たるや絶大なものだったね。そう
   いうセンスが、後に映画監督に認められて、俳優として成功に至ったんだろう。本当に愉快な男だったよ、リンゴ・スターという男は。」
   こう証言するのは、ビートルズのPR担当として世界中に同行した人物、トニー・バーロウ。リンゴの思い出に関して、バーロウはさらに
   続けてくれた。「そのニコリともしない硬い表情のせいで、リンゴはどこか憂鬱に見えることが多かったけど、本人は全然気にしていない
   し、自分の外見に対しては、半ば諦めているみたいだった。ただひとつだけ言えることは、リンゴはあまり幸せそうではなかったというこ
   と。ある日、リンゴはぼくに向かって、こう言うんだ。『トニー、ぼくの顔はうれしそうに見えないのかもしれないけど、顔以外は喜んで
136ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:17:24 ID:???0
   いるんだよ。ぼくは、自分の鼻が大きいなんて、有名になるまで気がつかなかったんだけど、この鼻に関しては面白い話があってね。先日
   ユダヤ人向けの雑誌ジューリッシュ・クロニクルの編集部が電話をかけてきて、どうやって番号を調べたのか分からないのだけど、自宅に
   直接電話がかかってきたんだ。びっくりしたね。連中はぼくに、同胞であるユダヤ人としてインタビューしたいって言うんだ。その時は、
   ちょっと頭がこんがらがったよ。え?俺ユダヤ人だったの!?って。もちろん、自分はユダヤ人ではないことを、時間をかけて説明したんだ
   けど、この時ハッキリと自覚したんだ。ああ、やっぱり俺、鼻がでかいんだなって。』」
    〜 Ringo Starr / A Dose of Rock'n Roll

   この頃はビートルズは解散して、特にリンゴは映画にも出て、リンゴという人はロック・アーティストじゃなくて、「有名人」みたいな
   感じですよ。リンゴだから何をやらせてもいいみたいな。だから、音がとがってるとか、それを超越していたリンゴの存在があるわけで
   すね。

  ・自分のルックスに関しては、最初から諦めていたリンゴ・スター。それでもじわじわと人気を伸ばしていたことも事実であった。ビートル
   ズのPR担当トニー・バーロウは、こうも語っている。「リンゴは最後にビートルズに加わった人物ということもあって、ファンの多くは
   リンゴに関しての情報をあまり持っていなかったんだ。そうなると、必然的にリンゴに届くファンレターの数も、他の三人よりは少くなる
   んだよ。そのことで、いつもステージの後の方でがんばっているリンゴのことをかわいそうに思ったファンが、結集したことがあったね。
   アメリカでのことだよ。リンゴはいつの間にか、彼女たちの同情票を集めたんだ。その子たちは、リンゴを応援するために結集して、
   Ringo for President リンゴ・スターを大統領にという可愛らしいトリビュート・レコードまで出すことになって、アメリカではちょっとし
   た話題になったね。後、こんな思い出もあるね。1967年の夏、あのヒッピー・ムーブメント真っ盛りの夏のこと。ポールがビートルズの
137ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:20:27 ID:???0
   メンバーに、マリファナ禁止法に反対する嘆願書に署名するように説得して回っていたんだ。これは、アメリカの雑誌タイムに全面広告と
   して掲載されることになっていたんだけど、実際に印刷される数日前に、リンゴの署名がされてないことが分かった。もちろん、芸能記者
   連中がすぐにやってきて、リンゴは脱退するんですか?もしかして解散ですか?って、騒ぎ立てるんだ。もちろん、実態はポールがリンゴ
   のことをすっかり忘れていたってこと。それだけ。こういうことは、ビートルズの中で珍しいことじゃなかった。リンゴの確認なしに事が
   運ぶことなんて、いつものことだったんだね。当然、リンゴはいつもように事後承諾をして、署名したことは言うまでもないけどね。」
    〜 The Beatles / Octopus Garden
    〜 The Beatles / If I Fell

  ・「リンゴ・スターの魅力? うーん、一言で言うのは、ちょっと難しいね。」こう語るのは、ビートルズの広報マンとして活躍した人物、
   トニー・バーロウ。バーロウのインタビューは、リンゴの少し突っ込んだ部分にまで及んだ。「1965年3月、ビートルズ第二作目の映画
   ヘルプ!4人はアイドルの撮影中、ロケ先のオーストラリアのスキー・リゾートで、共演俳優のビクター・スピネティが、インフルエンザ
   にかかってしまって、数日間ホテルの部屋で寝込んでいたんだ。安静にしているしか、なかったからね。ジョン、ポール、ジョージがかわ
   るがわる枕元に座って、憔悴しきってるビクターを元気づけようと力を尽くしたんだ。だけど、どの試みも不成功に終わってしまったとこ
   ろに、リンゴが登場した。リンゴは、ルームサービスのメニューを手に取ると、イスを持ってきて、ビクターの枕元に座った。そして、
   メニューを開き、一瞬の沈黙の後、リンゴは読み始めたんだ。『昔々あるところに、三頭の熊ちゃんがおりました。』ビクターは、自分が
   インフルエンザであることを忘れ、うなるように笑い始めたね。そうこうしている内に、ビクターはすっかり回復して、撮影は順調に進ん
   だんだ。後になってビクター・スピネティは、ぼくに話してくれた。『世界中のアイドルであるビートルズと共演することはもちろん栄誉
138ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:24:39 ID:???0
   なことだったけど、プレッシャーも半端なものじゃなかった。そのせいか、オーストラリアに行く一週間前から食欲がなくなって、体が弱
   っていた。そこに、ウイルスがつけ込んだってわけさ。まったくもって、面目ないことだよ。それにしても、あの時の四人は、本当にいい
   奴だった。特に、リンゴのあの昔話は、一生忘れないよ。あれで、リンゴの人気の秘密が一発で理解できた。本当にチャーミングだよ、リ
   ンゴ・スターという男は。』」
    〜 Ringo Starr / Back off Boogaloo (曲中に、茨城県県南地方・大雨警報のお知らせが入る)

□リクエスト
  ・いつも懐かしく聞いています。と言っても、子供が見ているテレビの音で、なかなか聞き取れないんですが。数カ月前の放送で、ビートル
   ズNo.1の曲をディスコ調にアレンジした曲、もう一度聞きたいです。私が学生時代、ビートルズと間違えて覚えていたものなんです。
   今は5歳の息子もテレビの傍らで、SomethingやPenny〜がかかると、びっくりした顔つきでビートルズ!と言っています。
   (野田市/性別不詳)
    〜 Stars on 45 / Beatles Medley

  ・中学生になりたての4月、今まで歌謡曲しか聞いたことのなかった私に、入学後初めて出来た友人が教えてくれたのがビートルズでした。
   その後、友達とビートルズ主演の映画を見に行きました。シネコン全盛の今、若い皆さんは知らないかもしれませんが、当時はよくあった
   豪華三本立て! ハードディズ・ナイト、ヘルプ!、シェイ・スタジアム・ライブ! この格好良さにしびれてしまいました。(神栖市/男性)
    〜 The Beatles / I'm Down
139ポール・キロックトニー:2010/09/01(水) 21:26:52 ID:???0
  ・最初にビートルズのレコードを買ったのは、She Loves Youでした。あれから数十年、リンゴ・スターのエピソードを聞いていると、ジャ
   ケットに堂々と写ってるリンゴの姿はなんだろうと思ったりします。(千葉市美浜区/男性)
    〜 The Beatles / She Loves You

  ・家族そろって聞いている東京在住の者です。6月13日の放送で、ジョンのStrawbery〜がかかったとき、1歳8ヶ月の娘が曲の出だしを真似
   て、♪ポッポッポッポッポポポーと口ずさんだんです。これには驚きました。普段、親の声や車の音、鳥のさえずりをよく真似していたん
   ですが、ラジオの音には反応してませんでした。それでも、ビートルズの音には反応したんですね。ビートルズ、ジョンはやはりすごいな
   と改めて認識しました。リクエストは、ビートルズのカバーの中で特出物だと思います。ぼくは、No.1だと思っています。(大田区/男性)
    〜 David Bowie / Across The Universe
   (小林)これは、個人的には賛否両論がありまして、ジョン・レノンのああいう歌い方を感情豊かに、ぼくの言葉で申し訳ないですが、演歌
   みたいに歌っていいものか?という、声もぼくの自分自身の中にはあるんです。だから、ちょっとぼくにとっては問題曲であります。これ
   は、番組を聞いてる人の反応も聞いてみたいですね。

(小林)ちなみに、リンゴ・スターはジョン・レノンよりも3ヶ月年上です。実は、ビートルズの中で一番年上の、ジョン・レノンよりも少年時代
は不幸だった人なんですけど、リンゴ・スターの偉さっていうのは、性格の明るさですよね。あの明るさがあったからこそ、他の三人に負けない
で成長して、スターになった…ダジャレじゃないですよ…人なんですけど、まだまだ続きます。リクエストも待ってますね。小林克也でした。
140ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 22:53:58 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年7月11日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月11日)
  ・1964年 (46年前)
    テームス川を、ファンを避けるために船で移動した日でした。
    〜 The Beatles / Can't buy Me Love

□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・ビートルズの中で最も個性的な、天然キャラを誇る男リンゴ・スターについて、今週も当時の広報担当トニー・バーロウの証言をひも解
   いてみよう。「ビートルズのドラマーとして成功を収めたリンゴ・スターは、しばらくの間ビートルズのメンバーと一緒か、あるいは単
   独出演という形でも、映画俳優としてそこそこの活躍を見せていた時代があった。スクリーンの上でのリンゴの役柄のユーモアセンスは、
   脚本に書かれたセリフよりも、サイレント映画的なドタバタやパントマイム的なおかしさによる物が多かったね。リンゴは決して名優で
   はないかもしれないけど、おどけた演技の素質は確かだった。リンゴはおそらく、ビートルズの後はC&Wのシンガーとして頭角を現しか
   ったんだろうと思われていたけど、世界最高峰のバンド・ビートルズのメンバーだったという経歴がつきまとって、どうしてもナッシュ
   ビルで受け入れられることは難しかったんだろうね。当時のアメリカの南部の白人社会は、ものすごいコンサバだったからね。実際、音
   楽的なことでいうと、リンゴのビートルズ時代の仕事は、ジョンやポール、ジョージなんかと比べると、それほどではないことは誰もが
141ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 22:58:50 ID:???0
   認めている。もちろん、これは曲を書いたかどうか、シングルヒットにどれだけ貢献したかという尺度での話なんだけど、いつでも世の
   中はそういう見方をするので、こればかりはしょうがないんだ。だから、ビートルズが解散してしまうと、リンゴがひとりで出来ること
   は、どうしても制限されてしまった。もちろん、エンタテナーとしての資質とか芸人根性とか、世間に注目されたい、みんなに楽しんで
   欲しいっていう熱意で言ったら、リンゴは間違いなくポールと張っていたからね。これだけは、間違いないよ。」
    〜 Ringo Starr / Only You
    〜 The Beatles / Ticket to Ride

  ・「リンゴの芸人根性は、ポールと比べてもまったく負けていなかった。」こう語っているのは60年代、ビートルズ絶頂の時期に世界中を
   一緒に飛び回った広報担当者トニー・バーロウ。彼はリンゴに関して、さらに続けてくれた。「リンゴは、ビートルズのドラマーとして
   の毎日を、本当に楽しんでいたと思うよ。特に、コンサートツアーが好きだったんじゃないかな。彼は、もし時計の針が元に戻せるんだ
   ったら、ビートルズが最も輝いていた1965・6年辺りに戻ってもいいと考えているんじゃないかと思う。きっと喜んでまた最初から全部
   やり直そうっていう、そういうタイプの男だよリンゴ・スターという男は。なんせリンゴは、あの映画「マジカル〜」の時に着た衣装も
   大事に取っておいていたぐらいだし。ビートルズのメンバーからもらっ何十通という手紙も大切に保管してあるぐらいだからね。大体
   リンゴもなんども引越しをして、さらには離婚だって経験しているんだから、衣装や手紙なんていつの間にかなくなっていても何の不思
   議はないのに、彼の場合ちゃんと律儀に残しているわけだよ。素晴らしいね。他の三人は、こんな風にちゃんと保管してあるかどうか。
   ぼくにはちょっと疑問だね。とにかくリンゴは、特別なんだよ。あとリンゴはジョージとは違って、作曲に関してのハングリーさはなか
   った。だから、印税収入の額に関しても、ジョンやポールに嫉妬することもないわけだ。だから、その自然でレイドバックした生き方が
142ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 23:00:10 ID:???0
   ビートルズの解散後、ソロになってアメリカで受けたんじゃいかな。No.1ヒットだって飛ばしたよね、リンゴ・スターは。」
    〜 Ringo Starr / Photograph
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

   ぼくは最初、リンゴ・スター、昔の珍しい曲をカバーしたなと思っていました。

  ・1960年代、ビートルズの広報マンとして世界中をメンバーと共に駆け回った男、トニー・バーロウの証言を元にリンゴ・スターという
   人物を掘り下げてみたが、実際のリンゴ・スターという人間は、果たしてどういうキャラクターを持っていたのか。コメディアンとしての
   才能はもちろんであるが、独特の言葉のセンス、そしてハリウッドに進出してから発揮された社交的な性格。誰にでも愛される性質は、
   いつになっても非難される気配はない。もっとも重要なミュージシャンとしての力量・功績はどうなのだろうか。最近のテレビ番組で語ら
   れていたが、あのYMOのドラマー高橋ユキヒロは、最も影響を受けたドラマーの筆頭にリンゴ・スターの名をあげている。独特のスイング
   したビート感、歌、歌詞に合わせた絶妙なアレンジメントにおいては、後にも先にもこのリンゴ・スターをドラマーとして抜く存在はいな
   いのだと彼は言う。レコーディングにおいては、いつでもメインのソングライターであるジョンとポールの持ってる曲が最大限に光り輝く
   ように、待つときには何時間でもポーカーをしながら待ち続けて、さあリンゴ出番だ!と声がかかると、いつでも最高のプレーを提供し、
   ヒットチャートNo.1に輝くビートを軽々とたたき出す。それが、ビートルズのドラマー、リンゴ・スターの本懐、満足のいく仕事であっ
   た。何曲かのボーカル・ナンバーもあったとはいえ、やはりリンゴはビートルズの屋台骨であり、縁の下の力持ちである。ジョンやポール
   の楽曲を支えてこそナンボのもの。四人の化学反応、それこそが全世界を魅了した魔法の数年間だったのだ。ビートルズが解散し、早くも
143ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 23:02:02 ID:???0
   40年。そして、既にジョンとジョージは、この世にはいない。あの輝いていた時代が、もう二度と戻らないのを心から懐かしい、また同
   時に絶望を感じているのは、他ならぬリンゴ・スターであることは言うまでもない。
    〜 The Beatles / Good Night

   ぼくはね、リンゴ・スターのボーカルというのは、この曲が一番好きなんですよ。普通の例えばポールとかジョンがやったら、結構これは
   悲しい曲なんですよね。その悲しさというのを出してくるんじゃないかという気がするんだけど、リンゴ・スターの歌い方というのは、そ
   の中立的なところがあるんですよ。だから、余計聞くほうが悲しくなっちゃうんですよね。というわけで、リンゴ・スターの歌声、当分か
   からないかな? リクエスト待ってますよ。

□リクエスト
  ・先日、ビートルズを知らない母が、Please Mr. Postmanはビートルズじゃなくて、カーペンターズの方が聞きやすいと言いました。私は
   With〜のCDを聞いたとき、この曲が一番好きで何度も聞きました。でも、今回は母のリクエストです。(柏市/女性)
    〜 Carpenters / Please Mr. Postman

  ・ジョージ・ファンの私にとって、最近のジョージ・リンゴ話は興味深いものがあります。私は30代ですが、ビートルズのきっかけは中学
   時代に父からもらった青盤カセットテープでした。それ以降、ジョージの魅力にハマり、20年が経ちました。今では、7ヶ月の長男も
   ビートルズの曲を聞くと、楽しく踊ってくれているようです。家族みんなでビートルズ・ファンになれたらと思います。(かすみがうら市
   /男性)
144ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 23:36:33 ID:???0
    〜 Ringo Starr / You're Sixteen
   (小林)ジョージ・ファンの人って、かなり多いんですよね。きょう話しに出ました高橋ユキヒロ、彼はボーカルをジョージ・ハリソン風に
   ずっとやっています。自分で歌うときは、ジョージ・ハリソンがそこにいるように歌うんだということを彼から聞いたことがあります。

  ・この番組を、友だちが録音してくれたものを毎週聞いています。ビートルズに出会ったきっかけは、中学一年の夏に授業で歌った Hello
   Goodbyeでした。シンプルな曲なのにとてもキャッチーなこの曲を、なぜか私は特に好きになり、その時から十年経った今もビートルズ
   のファンでいます。最近では、解散後のアルバムを聞く事が増え、特にポールのラムに入っている Backseat〜にハマっています。まだ
   この曲に出会ったことのない人に聞いて欲しいと思ったので、リクエストします。この曲を聞いて私は、さすがポールだと感心してしま
   いました。(中野区/男性)
    〜 Paul McCartney / Backseat of My Car
   (小林)桑田佳祐の話ですけど、ポールは何百通りもの歌い方をしている、何百通りもの声を出しているということですね。この一曲でも
   やっぱりポールとしては、時にはルーズに、時にはワイルドに、すごいですねポール・マッカートニーはね。桑田佳祐は、ポールを尊敬
   していると言っています。
145ポール・キロックトニー:2010/09/02(木) 23:37:51 ID:???0
  ・いつも頭の中にビートルズの曲が流れているほど、好きです。特にまわりのなにかの音で、イントロが勝手に流れ出します。例えば、海辺
   にいて、カモメの鳴き声を聞けば Tomorrow〜。梅雨のこの季節は何と言っても、毎日 Rain。すべてパートが完璧で、ビートルズの中で
   一番好きなこの曲をお願いします。(新座市/男性)
    〜 The Beatles / Rain

(小林)やっぱりオヤジの遺伝子を一番もらっているのは、リンゴ・スターの息子、ザック・スターキー。この人は、ドラマーとしての腕は、ひょ
っとしたら上かもしれない。ご存知かもしれませんが、The Whoとか Zeppelin とかをサポートする働きをしてますけど、けっこうハード・ロッ
クとしてはすごいドラマーですよ。ジョン・レノンは、どうでしょうか。長男はちょっと...ですけど、次男は...。息子から判断してはいけないと
思いますけど、リンゴはドラマーとして才能があったんだという結論を、息子のドラミングから出しました。リクエストも待っています。小林克
也でした。
146ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:25:08 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年7月18日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月18日)
  ・1963年 (47年前)
    彼らは、EMIの第2スタジオ、これが彼らに割り当てられたスタジオなんですが、デビュー・アルバムがイギリスでは売れているわけで
    す。そして、ビートルズのポリシーっていうのがあって、実質的にはプロデューサーのジョージ・マーティンとエプスタインが、一年間
    に4枚のシングルを出す、アルバムは2枚。これが目標です。で、だから、最初のアルバムが売れてるんだけど、もう2枚目のレコーディ
    ングに入っていて、今から47年前のきょうは、カバー・バージョンを中心にやっています。この日は、カバーを3曲レコーディング。
    オリジナルは、シングル用に、ジョン・レノンがオリジナルにこだわったとことは有名ですが、ジョン・レノンがいなかったら、カバー
    とか、人が作った曲をやることになってたわけですけど、人が作って同年代のプロが作るんじゃなくて、ビートルズのメンバーが好きな
    曲をカバーするという。そしてきょうは、そんなカバーの中の曲を、ジョンの名唱を一曲お送りしようと思いますが、ビートルズがいか
    に黒人音楽の特にリズム&ブルーズに参っていたかを分かる録音になっています。これは、アメリカなんかではミラクルズの大ヒットな
    んですが、ビートルズはやっぱスゴイなと思うのは、彼らがやるとぜんぜん違う風に聞こえるんですよ。オリジナルは結構ファンキーな
    黒人節なんですけど、これをジョンの名唱ではこんな風になっています。
    〜 The Beatles / You Really Got a Hold on Me
147ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:27:17 ID:???0
□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・前回までのリンゴ・スターの人物像の徹底解剖に続き、今週からはジョン・レノン。証言してくれるのはもちろん、当時のビートルズの広
   報責任者であるトニー・バーロウ。さっそく、バーロウの話を聞いてみよう。「ぼくはまず、ジョンをビートルズのリーダーとして評価し
   ていたんだ。バンドを支える揺ぎない石杖のような存在だったからね、ジョンは。ジョンが最初に結成したクォリーメンなくして、ビート
   ルズはあり得ないんだし、その頃から次のステップに進むために、メンバーチェンジを繰り返したり、後にあの信じられないほど過酷なハ
   ンブルグ巡業をやり遂げることが出来たのも、すべてバンドを一つにまとめあげたジョンの功績だったと思うね。当時のポップミュージッ
   クの世界は、ロックがどうしたかというよりも、単にエンターテイメントとしてしか存在していなかった。だから、ステージでどんな演奏
   をするかなんて二の次で、一番大切なのは金キラの衣装を用意できるかどうか、それだけだったんだ。だけどジョンは、そういったものを
   すべて排除して、純粋に自分たちの楽曲とライブ・パフォーマンスだけで勝負しようとしたんだね。この精神が客にとっては逆に新鮮だっ
   たわけだ。実に多くのバンドと切磋琢磨し、腕を競い合っていた。1960年代の初期、ビートルズは少年から大人に成長する。男にとって
   一番重要な時期をロックに捧げたんだ。ビートルズが世界的にブレークして、ホテルの部屋から一歩も外に出られなくなった頃、ジョンは
   ぼくにこう言ったんだ。『なあ、トニー。あの頃が懐かしいよ。俺にとって一番楽しかったのは、やっぱりリバプールのキャヴァーンに出
   てた時だった。ファンはそこそこいたけど、今みたいに身の危険を感じることもなかったしね。トニー、いつになったら、あそこに戻れる
   のかな。』」
    〜 The Beatles / Bad Boy
    〜 The Beatles / Kansas City ~ Hey, Hey, Hey, Hey
148ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:29:48 ID:???0
  ・「初期のビートルズのリーダーは、間違いなくジョン・レノンだったね。」こう語っているのは、1960年代ビートルズ人気絶頂の時期に
   世界中を一緒に飛び回った広報担当者トニー・バーロウ。彼は、ジョンについて、さらに続けてくれた。「ステージでのジョンは、両足を
   大きく開いて、足の裏でしっかりと床をとらえて、ビートを刻んでいた。それが、圧倒的な存在感と威圧感をかもし出していて、ロック・
   ボーカリストとして視覚的に見るものの心をつかんで離さなかった。地元リバプールのキャヴァーンでは、不良っぽいレザージャケットに
   身を包んだビートルズが、その小さなステージ越しに手を伸ばせば最前列にいる女の子が差し出した指にタッチすることが出来たし、リク
   エストや電話番号が書かれたメモを受け取ることも出来た。ステージで、タバコをスパスパ吸いながら演奏すると、女の子たちはそれだけ
   で狂喜したものだった。あの頃既にビートルズは、女性ファンにとってのセックス・シンボルだったってわけだ。ステージに、女性の下着
   が投げ込まれることで有名なあのトム・ジョーンズが登場する、ずっと前のことだからね。その頃のビートルズのリーダーがジョンであっ
   たことには間違いないけど、もしそうでなくてもブライアン・エプスタインは、ジョンの存在そのものに惚れ込んでいた。ジョンの魅力こ
   そが、ブライアンにビートルズのマネージメント契約を結ばせた、最大の要因だったからね。ジョンの荒々しくタフで、レザージャケット
   に実を包んだイメージこそが、ビートルズの魅力そのものだったし、求心力がなければ、ブライアンもそこまで一生懸命にすることもなか
   ったと思う。やっぱり、ジョンのカリスマなんだね。ビートルズの成功の一番の理由は。」
    〜 The Beatles / Help!
    〜 The Beatles / Fool on The Hill
149ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:31:15 ID:???0
  ・「ビートルズの成功の理由? それは、何と言ってもジョンのカリスマだろうね。」これは、1960年代ビートルズの広報担当として、世界
   中を駆けまわった、トニー・バーロウの発言である。バーロウの証言を、さらに紹介しよう。「実のところ、ビートルズのメンバーの中で
   ぼくが打ち解けることの出来た“最後の”メンバーが、ジョン・レノンだったんだよ。当初は、あれほど自分を過大に評価して、あれほど
   ぼくを過小に評価する男とは、一生うまくやっていけることはないだろうと考えていたんだ。出会ってから何ヶ月もの間、言葉によるぼく
   らの接触は一方的なもので、それはジョンのぼくに対する残酷極まりないジョークに限られていたんだ。それもぼくに対して、冗談である
   ことを分からせようという類のものじゃないんだ。周りのみんなを巻き込んで、ぼくを馬鹿にするとか、そんな意図が感じられる悪質なも
   のだったんだ。こうしたことが繰り返されると、人間というのはすっかり身構えてしまうんだけど、それに加えてジョンが人一倍短気で、
   さらに喧嘩っ早いことも有名だったので、ぼくはじっとガマンするしかなかったんだ。もちろん、途中からすっかり慣れっこになったのも
   あるんだけどね。ぼくへの攻撃はともかくとして、マネージャーのブライアンに対してのものは、端で見ていても辛かった。ブライアン・
   エプスタインという人物は、繊細そのものだったから、なおさらだね。ブライアンが目に涙を浮かべるほどダメージを受けてても、ジョン
   は容赦ない攻撃を繰り返すわけだ。これは、まったくもって、心地良いものではなかった。こういったすべての攻撃は、ジョン本人はホン
   の冗談でやっていたことだけど、それが周りのみんなに伝わっていなかった。つまり、誰も笑っていなかったんだ。残酷とユーモアの表裏
   一体。それこそが、ジョン・レノンの本質なのかもしれないね。」
    〜 The Beatles / I am The Walrus
    〜 The Beatles / Across The Universe
150ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:33:47 ID:???0
   この番組を聞いてる方の中にもいろんな方がいて、ビートルズの音楽はいいよなーと思いながら、うっとりと甘い思いで聞いてらっしゃる
   方にとって、ジョン・レノンという男の描写は、実にショッキングだと思います。ちょっと、周りから説明させてもらいますと、イギリス
   ほど言葉の厳しさを持った国はないんですよね。その中で、同じイギリス人がジョン・レノンのことをこう言ってるんですよ。で、ビート
   ルズに関する本はいっぱい出てますけど、大体ジョン・レノンはいい男だって書いてあるものは、全然ないです。で、ビートルズのことを
   思って、柔らかい描写をしているのと、本当に厳しい描写をしているのと二種類あると思いますが、このきょう紹介しているバーロウの本
   は、そんなに厳しいことを言ってるわけではないんですよ。だけど、ジョン・レノンの正体は、残酷とユーモアの表裏一体だってことを言
   ってるわけですよね。だけどね、これ日本の感覚でいうと、イビリでしょ。もうイジメでしょ。本当にいやらしいヤツですよね。だけど、
   ぼくは言葉で申し訳ないんですけど、言葉じゃなくて感覚的に、感覚のメスみたいなものを持っていて、ある現象があったり、ある気持ち
   があると、その中へメスのように斬り込む感覚を持っていたから、メチャクチャ厳しいことも言えたんだという。普通の人は、言わないと
   思うんですよね。だけど、ジョン・レノンはそういう意味で、研究対象になり得るでしょうね。いったい、どういう人間なんだろう。こん
   な素晴らしい物を発表したりする男はっていう。結構興味が有りますよね。まだ、ジョン・レノンに関するトニー・バーロウの証言は、来
   週も続きます。
151ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:35:41 ID:???0
□リクエスト
  ・ここ最近、他のイギリスのロック・グループを聞くようになりました。Who、Led Zeppelin、Creamなどです。特に、Led Zeppelinには
   かなりのショックを受けました。ビートルズとはまったく違っていて、でもどこか似ている。そんな風に感じました。今では、ビートルズ
   の次に影響を受けた素晴らしいバンドとなっています。リクエストは、ジョージが小さい頃にこの曲を耳にして、音楽家になろうと決心し
   たというこの曲をお願いします。エルビスは、社会の教科書で目にしたことはあるんですが、曲は聞いたことがありません。(鎌ケ谷市/
   女性)
    〜 Elvis Presley / Heartbreak Hotel
   (小林)ジョージよりも、ジョンやポールの方がプレスリーは影響を与えています。ジョージももちろん受けています。だから、この曲は
   エルビスのイギリスに届いた最初の曲なんですよ。だから、ジョージだけじゃなくて、ジョンとポールとジョージと、リンゴはちょっと
   分かんないですけど。

  ・(住所氏名不詳)
    〜 John Lennon / Jealous Guy
152ポール・キロックトニー:2010/09/03(金) 22:36:52 ID:???0
  ・小学生の時、ビートルズが来日して、武道館でのコンサートをテレビ中継し、ドリフターズが前座で演奏していたのを覚えています。その
   際、ビートルズが演奏したこの曲をお願いします。(千葉市花見川区/男性/55歳)
    〜 The Beatles / Please Please Me
   (小林)これはね、武道館でやってないんですよ。プログラムに書いてあったらしいんですけど。だから、新聞なんかもプログラムを鵜呑み
   にして、よくあるじゃないですか新聞なんかが書いてあって、全然本当は違っていたという。だから、演奏されてなかったんですが、お答
   えします!

  ・小学六年生の息子に贈りたいです。ビートルズのとりこになるようにね。(八千代市/男性)
    〜 John Lennon / Imagine
   (小林)水をさすような話になりますが、これは意地悪じゃないですよ。日本では特に過大評価されている曲ですが、こんなに素晴らしい、
   永遠に残るような曲を、きょうのジョンの話じゃないですけど、心のどこから出てくるのか、グリーン・デイという素晴らしいバンドがい
   ますけど、そこの中心のアームストロングという人がね、心の暗いところから、光が当たらないところから出てくるんだって。それも、こ
   の世の中の現実だってことですね。こういう子どもに、オブラードに包むようにして教えてあげたいですよね。

(小林)ジョン・レノンは、みなさんの心のなかでおそらく、完璧にどういう男なのか姿が見えないところがあると思うんですよね。来週もお送りします、ジョン・レノン研究であります。リクエストも待っています。お相手は、小林克也でした。
153ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 12:50:53 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年7月25日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月25日)
  ・1964年 (46年前)
    ビートルズは、世界的なグループになったばかり。イギリスのアルバムチャートですが、ビートルズのアルバムが、ローリング・ストー
    ンズのアルバムを蹴落として、引きずり下ろして、一位に輝きました。これはちょっとね、イギリスのアルバムチャート、面白いんです
    よ。ビートルズの2枚目のアルバム「With〜」をトップから引きずり下ろしたのは、ローリング・ストーンズのデビューアルバム。で、
    46年前のきょう、デビューアルバムを今度はビートルズの3枚目のアルバムが引きずり下ろしたというわけです。ビートルズとローリン
    グ・ストーンズの関係は深いということはご存知かもしれませんが、ミック・ジャガーとジョン・レノンは、まあまあ仲が良かったと言
    われています。だけど、ミック・ジャガーはポールのことを敬遠していた。ポールは、ちょっとな ── と、1968年になってからなんで
    すが、ローリング・ストーンズがベガーズ・バンケットという力作アルバムの披露パーティをイギリスのクラブでやるわけですよ。そこ
    へポールが遊びにくるんです。ポールは、出来上がったばかりのヘイ・ジュードを持って来るんですよ、テープを。それで、その場で、
    ローリング・ストーンズがベガーズ〜をすごいだろ!ってみんなが盛り上がってる時に、ヘイ・ジュードをかけちゃうんです。そしたら
    シーンとなっちゃった。どういうことかというと、ヘイ・ジュードのすごさに圧倒されて、やっぱりビートルズだな、すごいな! だか
    ら、ローリング・ストーンズのパーティに来て、ポールは取っちゃったわけですよね。
    〜 The Beatles / I'll Be Back
154ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 12:52:50 ID:???0
□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・「残酷さとユーモアが表裏一体となったもの、それこそがジョン・レノンの本質だと思うよ。」これは、1960年代当時の広報担当トニー
   ・バーロウの言葉である。今週も、バーロウの証言からご紹介しよう。「ぼくが、ビートルズと仕事をしていた頃、人間関係・信頼関係と
   という意味において、一番苦労したのはジョンだったね。なにせ、いつも皮肉たっぷりの攻撃ばかりで、実際にはどういうことを考えてい
   るのか、さっぱりつかめないんだ。だから、いつの間にか彼との関係は疎遠になって、必要な言葉しか交わさなくなる。それに比べ、ポー
   ル、ジョージ、リンゴとはすんなり仲良くなれた。特別、意識的に努力することもなく、友情も芽生えたんだ。ただ、とにかくジョンとは
   駄目だった。それがあるとき、そのジョンの他人に対しての態度が、すべて彼にとっての防護壁、つまり外敵から身を守るための手段であ
   るということに気づいたんだ。このことを理解するまでには、かなり時間が必要だったけど、やっと分かったんだよ。ジョンは、きっとい
   つも確認が持てず、不安だったんだ。ビートルズの他の三人は、おそらくずっと前からそのことに気づいていて、そんなジョンを好きにさ
   せていたんだと思う。分かりやすく説明すると、ジョンにとっては、新たに目の前に現れる人間は、すべて敵 ── ということになって、
   まずは高圧的な態度に出ようとする。もし、相手が自分を抑圧する可能性があるのであれば、まずその芽を摘みとってしまうわけだ。それ
   が、ジョンのやり方なんだ。やられる前にやっちまえ、そういうタイプの戦略だったわけだ。ぼくは、やっとそれに気づいたんだよ。本当
   に、やっとね。」
    〜 John Lennon / How Do You Sleep?
155ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 12:55:27 ID:???0
   ジョンは、人をいじめたりするようなヤツだった ── 本当にこの話を聞くと、人見知りもすごいんですよね。また、この曲は1971年の
   イマジンの中に入ってるんですが、これはポールに対する「なんだお前、才能ないんじゃん」みたいな、本当にイビリの歌なんですね。
   ジョンは、そういう人だったんでしょうかね。

  ・「ビートルズのスタッフは、ジョンの悪質極まりないジョークには、ウンザリしていた。例えばしょっちゅう、不幸な人のモノマネをやっ
   たりするんだ。からだをよじったり、猥褻な言葉をわめき散らしたり、ひどいものだった。深夜のキャヴァーンや、酔っ払い相手のハン
   ブルグならいざ知らず、健全なロンドンの若者の前でこれをやられては、マネージャーのブライアンも困り果てていた。とにかくジョンは
   やりたいことは何でもやってしまう。ハンブルグじゃ、客が全員ドイツ人なのに、ステージでヒトラーのマネをするんだ。客は沸くんだけ
   ど、周りはヒヤヒヤだよ。だけど、このスリルこそが、ジョン・レノンのチャームポイントだったことだけは間違いないね。」
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun
156ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 12:58:32 ID:???0
  ・1960年代、ビートルズの広報マンとして、世界中をメンバーと共に駆け回った男、トニー・バーロウの証言からお伝えしている、ジョン
   ・レノンの人物像。バーロウのインタビューから、さらに続けてみよう。「ビートルズと契約するとき、マネージャーとなるブライアン・
   エプスタインはジョンに対し、少なくとも外部の人の前では、もっとまともに振る舞うようにと、強く要求したんだ。とはいってもジョン
   は、人の目が届かないところでは相変わらずハンディキャップスのモノマネをやっていたね。もちろん、さすがに公の場では、そういうこ
   とは自粛するようになったけど。つまり、ビートルズの初期においては、ジョンはマネージメントの責任者としてのブライアンをキチンと
   認めて立てていた ── ということだね。しかし、だからといって、ジョンがブライアンを言葉の暴力で攻撃したり、時には肉体的にもい
   ためつけたりすることはやめなかったんだ。あるときなんか、こんなことがあった。ジョンがいきなりオフィスに入ってきて、珍しいこと
   に紳士的な笑顔を浮かべて、ぼくに握手の手をさしのべるんだ。ちょっと気味が悪かったけど、ぼくはその握手に応じた。次にジョンは、
   振り返ってブライアンのデスクに向かって歩いて、同じく笑顔で手をさしのべたんだ。当然、ブライアンは手を出したんだけど、なんと
   ジョンはその手には握手せずに、ブライアンの股間に手を持って行って、睾丸をギュッと握ったんだ。それも、かなりの握力で。ブライア
   ンは、あまりの握力に喘ぎ苦しんだ。そりゃもう、可哀想だったよ。見ていたぼくも、あまりの哀れさに目がうるんだくらいだ。当のジョ
   ンは、まだ股間をつかんだままで、『おっと、失礼』と言ったんだ。これは1964年、ビートルズの最初の絶頂期のロンドンでのひとコマ
   だったなんて、だれも信じないかもしれないけど、正真正銘本当の出来事なんだ。痛そうだったな。」
    〜 The Beatles / Revolution
    〜 John Lennon / Instant Karma!
157ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 13:00:05 ID:???0
□リクエスト
  ・番組で、ディビッド・ボウイがやっている、ジョン・レノンのカバーを聞きました。歌い方が、布施明みたいだなと思ってしまいました。
   そして、小椋佳が歌うシクラメンのかほりを初めて聞いたときのことを思い出しました。Across〜は、やっぱりジョン・レノン。シクラメ
   ンのかほりは、小椋佳が歌っている方が好きです。(中野区/女性)
    〜 小椋佳 / シクラメンのかほり
   (小林)適材適所というか、歌がすごい人でも、歌ってはいけない曲があるんですよ。例えば、滅茶苦茶そんなに強い声で歌うと、壊れてし
   まうよ、デリケートなんだからこの曲はという曲もあるんです。不思議ですよね、音楽は。アメリカン・アイドル、皆さん知ってますか。
   堂々と歌う、アメリカン・アイドルのような歌い方、濃い口の歌っていうのが普通になっていて、さりげなく歌ったり、薄口の歌い方って
   いうのはね、ちょっとワキにやられているような気がするんです。もちろん、感情をあらわに歌うということも、基本中の基本ですから大
   切なんですけど、本当の歌のことを考えて、さりげなく歌ったほうが、人は人の心の中で絵を作るんです。だから、押し付けがましいのが
   いいのか。ビートルズも、音楽もそうなんですよ。例えば、ジャズなんかのボーカルでも、どうだ!俺にはかなわないだろ!!私は歌が上手
   いんですよ、こんなにウマイんだから!って見せつける芸もあります。それから、普通の素人が聞いたりして、俺だって出来る!俺も歌い
   たいって。ビートルズの歌い方って、どちらかというと、俺もバンドを作りたい!って、人をそういう風に思わせる。だから、最高の芸っ
   ていうのは、人をそう思わせるのが最高の芸と言われています。ビートルズの秘密っていうのは、そういうところにもあるんですよね。
158ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 13:05:22 ID:???0
  ・恥ずかしながら、最近この番組を聞き始めました。この曲は、私の記憶に残る最古のビートルズの曲で、初めて聞いたロックの曲であり
   中学生の時に聞いた、初めてみんなの前で歌った曲でもあります。(千葉市/女性)
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye

  ・高校の音楽の授業の時に、この曲をギターで弾く機会がありました。演奏してみて、とてもいい曲だなと思ったので、リクエストしまし
   た。(鴨川市/男性/17歳)
    〜 The Beatles / Hey Jude
   (小林)名曲というのは、心を持っているという人もいますよね。曲が、このように演奏して欲しい、このように歌って欲しいという風に、
   誘いかけてくるんだって。ぼくらは、聞いていい曲だなと思ったというのがありますよね。演奏してみて良い曲だなと思ったというのは
   曲のほうが、メッセージを持ってるんですね、演奏者に対して。実際、この曲は歌ったりしてみると分かると思いますけど、だんだん熱く
   なってくる、なんか曲としての魂を持った曲です。

(小林)ジョン・レノンは、人が嫌うことをわざわざやるんだよね。だけど、こういったものは、人の心の中にあるんですよ。子どもの頃は、そう
いうのを、抑制がきかないからやるじゃないですか。だから、ジョンの中には子供がいた ── という風にいうことも出来ると思います。リクエス
トも待っています。お相手は、小林克也でした。
159ホワイトアルバムさん:2010/09/04(土) 21:57:27 ID:???0
いつも乙
160ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:17:11 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年8月1日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月1日)
  ・1967年 (43年前)
    実はこれは、意味のある年なんですが、63年前(小林、計算間違う)のきょう、ジョージ・ハリソンとパティ・ハリソン、嫁です。それ
    から仲間たちが、サンフランシスコのハイト・アシュベリーというところを訪れます。これはね、この頃のことを知らない人には、時代
    背景を説明しないとダメなんですが、1967年というとヒッピー元年です。音楽的にいうと、サイケデリック元年みたいな年。まあ、こ
    れは薄々聞いてると思いますけど、アメリカはベトナム戦争なんかをやっていて、若者が全体的にがっくりしていた。そんな中でビー
    トルズなんかの影響もあるわけですが、ビートルズはこの頃は、Sgt〜というアルバムを出すわけですよね。そして、一般の若い社会人
    とか学生たちが夏休みに入りますよね。で、みんな家出をしちゃうんです。そして、サンフランシスコに向かって、ヒッピーになっちゃ
    ったんです。だから、67年の今から43年前の今頃というのは、アメリカで歴史上、家出人が多かった。高校生、大学生、社会人まで、
    みんなサンフランシスコに行って、髪伸ばして、歌の文句じゃあるまいけど、髪に花飾りをつけたり、街を裸足で歩いて。みんな、ハイ
    卜・アシュベリー通りにやってきたわけですね。そこを、ジョージ・ハリソンたちが見学に来たんです。ほら、説明してると時間なくな
    ってきちゃいましたが、ジョージ・ハリソンが車を降りると人だかりが凄くて、まるでジョージが先頭に立ったパレードみたいなものが
    始まっちゃって。だけど、みんなヒッピーみたいなのが着いてきて、ジョージ・ハリソンによるとみんな呂律が回らない。若い連中、そ
161ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:17:55 ID:???0
    れから大道芸人からギターを手渡されて、ジョージはこの時、大ヒットしていた All You〜のB面の Baby You're〜を道ばたで歌って、
    大絶賛を浴びたと。つまり、43年前のちょうどいま頃ですね。ジョージ・ハリソンは、ヒッピーの発祥地の、ヒッピーのメッカというか
    サンフランシスコのハイト・アシュベリーに見に行ったわけです。どんな状態だったか。実は、堕落したヒッピーたちに幻滅して、呂律
    が回らないわけですから、何かいけないものをやってたりするわけですよね。それから、ぼくもちょっと後、行ったことがありますけど
    やっぱりヒッピーは生活があるわけです。だからみんな、お金をたかるんですよね。違う意味で、ぼくも幻滅しましたけど。だけど、
    サンフランシスコはそれから、音楽のわずかな年月ですけど、3年から4年ぐらいは、世界の中心地になるんです、音楽的に。サンフラ
    ンシスコから、すごい良いものが出てくる時なんです。
    〜 The Beatles / All You Need is Love

□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・「ビートルズのスタッフをいびりまくったり、マネージャーのブライアン・エプスタインに肉体的な虐待を加えたり、あるいは気の毒な人
   たちをネタに物まねをしたり、ジョン・レノンの一連の悪ふざけは、仲間内でも見て見ぬふりをするしかなかったよね。」これは、1960
   年代当時のビートルズの広報担当、トニー・バーロウの言葉である。今週も、バーロウの証言から紹介することにしよう。「ジョンの悪
   ふざけは、いつも周りをギョッとさせるものだったんだけど、そもそも彼の音楽の大半は、その生き方と同じく、物議をかもすものが多
   かった。例えば、 I am The Walrus なんかは、ジョンにしか書けない曲だよね。ジョンは、あの時代において、極めて冒険的なソングラ
   イターの一人で、おそらく少なくとも10年は時代を先取りしていたと思う。もしもジョンが、オノ・ヨーコと結婚していなくて、一人で
   ニューヨークへ行っていたなら、彼はニューヨーク・パンクの代表的なアーティストになっていたんじゃないかな。後、ジョンの中には、
162ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:19:06 ID:???0
   対照的なキャラクターが同居していて、それは彼の極親しい仲間までも混乱させたんだ。シンシアとの結婚でさえも彼の中では、半分は
   ファンタジー、夢で、後の半分は偽りだったと思うね。ジョンにとってのシンシアは、目をつぶってブリジット・バルドーを思い浮かべる
   ようなものだったことを、ヤツはぼくに認めたんだよ。結局、シンシアはジョンが求める理想的な女性像になりきろうと頑張っていたに
   過ぎなかったんだ。ジョンは、ぼくにハッキリこう言った。『1962年、シンシアが妊娠していなかったら、俺は彼女と結婚することはな
   かったと思うよ』ってね。だから、ジョンはヨーコと出会うまで、本当に女性を愛したことがなかったということになると思うね。」
    〜 The Beatles / Girl
    〜 The Beatles / Two of Us

  ・「ジョンの二重人格とも言えるキャラクターは、周りのみんなを混乱させた。」こう語るのは、60年代人気絶頂の時期に、世界中を一緒
   に飛び回った広報宣伝担当のトニー・バーロウ。彼は、ジョンについてさらに続けてくれた。「ジョン・レノンという人物は、虚栄と見栄
   の固まりのような存在だった。その虚勢でもって、不可能なものに対する慢性的な恐怖心を追い払っていたんだね。そう解釈すると分かり
   やすいかもしれない。ジョン自身は、自分のことを冷酷な人間ではないと主張していたけど、彼のブラックユーモアに遭遇したら、とても
   そういう風には思えなかった。なんせ、人を傷つけることをズケズケと言うんだ。これは、バンドのローディから彼の愛人まで、すべての
   人に共通した意見だ。不機嫌になったかと思うと、突然攻撃してくる。もう周りの人間は、軽くあしらったり、トゲのある言葉を無視した
   りと、ジョンを放っておくことで解消した。ジョンは、思ったことを口にしたし、言ったとおりのことを思っていた。そういった意味にお
   いては、正直で誠実な男だった。そして、自分が退屈してしまうことを恐れて、急いで何か新しいことを始めるんだ。とにかく、直感的で
   瞬発性があったね。もし、十分にジョンの側で過ごしていれば、悪ふざけをしていない時のジョンが並外れて思いやりのある男だったとい
163ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:20:31 ID:???0
   うことが発見できたかもしれない。今では、そう思っている。ジョンには、本質的な本当に優しい部分があった。いわば、ジョンの心は、
   カラが硬い木の実で、その鎧のようなカラを取り除いてやれば、そこには心優しい男が隠れていた。そういう事だったと思うんだよね。
   やっぱり、ポールとはどこまでも正反対の人間だったね。ジョン・レノンという男は。」
    〜 John Lennon / Stand by Me
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

  ・1960年代、ビートルズの広報マンとして、世界中をメンバーと共に駆け回った男、トニー・バーロウの証言からお伝えしている、ジョン
   ・レノンの人物像。バーロウのインタビューから、さらに続きます。「ジョン・レノンという男には、哲学的な面もあったね。ある日、
   ジョンはぼくに『地球上のその人のことを知っている最後の人が死ぬまで、人は完全に死なないんだ』と語ったことがあるんだけど、もし
   これがジョンの独自の説であれば、かなり深い意見だ。ぼくはジョンのことを、遅過ぎたテディ・ボーイであり、早過ぎたパンク・ロッ
   カーだと考えていたんだけど、出会った1960年代の初めには、いずれ彼が平和運動の伝道師、そして世界の人類愛を訴える講演者へ変身
   を遂げるなんて、これっぽちも思っていなかった。でもある日、ぼくはジョンの心の内面にまでたどり着くことが出来た出来事があった。
   二人で、当時のロンドンのウエストエンドにあった流行りのクラブ、スピークイージーで飲んでいたんだ。ストーンズや、ジミ・ヘンドリ
   ックス、ビージーズ、みんなこの店の常連だった。いつの間にか他の連中は帰ってしまって、ぼくとジョンが残ったんだ。ジャック・ダニ
   エルのボトルは、二本目に突入していたね。そんな時に、ジョンはぼくにこう言ってきたんだ。『なあ、トニー。俺の態度は、大柄過ぎる
   かな。強引で、攻撃的過ぎるだろうか。』ぼくは、完全に聞く側に回った。ジョンは、自分がリーダーとして、常にその強さを周りの全員
   に分からせる必要があると思っていたんだ。さらに、人生の悩みも打ち明けてくれた。『トニー、俺はジュリアンにとって、最悪の父親
164ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:21:41 ID:???0
   だ。まったく、かまってあげられてないんだ。』その夜、ぼくはこういったジョンの悩みを、朝まで聞いてやった。ジョンも、やっと心を
   開いてくれたんだ。その後、数年間に渡って、ぼくとジョンは親友関係を続けたことは、言うまでもないね。」
    〜 The Beatles / This Boy

□リクエスト
  ・先日、父のリクエストが読まれたことを、偶然聞きました。ちょっと、ビックリしました。ぼくにとってのビートルズは、中学の時に英語
   の先生が授業の最初にラジカセでかけて、歌詞を和訳してくれた思い出です。家に帰って、きょうの曲を言うと、すぐまた父が聞かせてく
   れました。一番、印象に残っている歌詞は、Imagineです。父は、これはジョンの曲だから、ビートルズじゃないよと言ってました。
   (千葉市美浜区/男性)
    〜 John Lennon / Imagine

  ・私は今年、受験生なんですが、ラジオを聞いて勉強しているときに、この曲を知りました。勉強は、正直辛いですが、この番組からビート
   ルズの曲が流れると、英語頑張ろうと思います。そこで、高校受験の時も聞きまくって、お世話になった曲である Nowhere Manをリクエ
   ストします。(所沢市/女性/18歳)
    〜 The Beatles / Nowhere Man
165ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:22:39 ID:???0
   (小林)今週は、10代の方が目立ちます。考えてみると、ポール・マッカートニーやジョン・レノンが、70…ジョンなんかは、生きていれ
   ば70になってるわけです。ということは、ビートルズのファン第一世代がジョンやポールの世代とすると、ティーン・エイジャーの人た
   ちは、そのポールやジョンの子供の子供よりちょっと早く結婚すると、もう第三世代という。つまりビートルズは、三つの世代に渡って
   愛され続けていて、この番組は、その三番目の世代の人達からリクエストが多いということで、なんとなくいやー面白いもんだな。すごい
   音楽を残してると、こんなにも続くもんかなと思っちゃうんですが。

  ・6月以降から、ぼくの通う中学校では、最終下校が6時半に伸びました。6時半になって、早一ヶ月。いま、ぼくの入っている吹奏楽部では
   コンクール金賞に向けて、ほぼ毎日練習を続けています。そういった毎日が続くので、下校の帰り道、よく「疲れた、早く帰りたい」と
   思うようになってきました。それと同時に、家に帰ったら、まず何をしようとか、その次はあれをやろう、こういったことも考えるように
   なりました。こんな心境と似た様な曲をお願いします。(八千代市/男性/14歳)
    〜 The Beatles / When I Get Home
166ポール・キロックトニー:2010/09/04(土) 22:23:44 ID:???0
  ・三歳上の姉の影響で、ビートルズを聴きはじめのは30年以上も前のこと。繰り返し、何度も聞いた時期もあれば、思い出したときに聴く
   程度の時もあり、今では12歳の娘もビートルズが好きになり、あやしい英語で一緒に歌ったりしています。先日のリンゴ特集、とても良
   かったです。ポールやジョージが好きだった私にとって、リンゴは映画ヘルプ!の主演というだけで、あまり気にすることはありませんで
   した。それが、番組でリンゴの人柄や仕事に対する姿勢を知って、目からウロコの気持ちになりました。そんな時にかかった曲、Good
   Night、私はこの曲は、ずっとポールのリード・ボーカルだと思っていました。歌っているのがリンゴだと知って驚きつつ、歌声に耳をす
   ましていると、いやされるってこういうことなんだという言葉が、自然と出てきたんです。俄然、リンゴの歌が聞きたくなりました。
   リンゴのことを知りたくなりました。リンゴの魅力を教えてください。(鎌ケ谷市/女性)
    〜 RIngo Starr / Only You

(小林)ジョン・レノンは、なかなか分かりづらい人ですよね。二つのキャラクターが、一人の中にいたというのを聞いて、そういう考えで言うと
分かるかなと思いましたけど、みなさんどうでしたか。リクエストで参加してください。お相手は、小林克也でした。
167ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 00:12:14 ID:???0
このスレ、内容はありそうだが、このめちゃめちゃな改行で全く読む気が失せた。
よって、読むの止め。

さよなら。
168ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 09:25:45 ID:???0
ブラウザ広げたら?

一回の投稿での改行数が制限されてる中、記録主さんも
できるだけ多くの情報を入れようと苦労してるんだよ
169ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:42:14 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年8月8日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月8日)
  ・1969年 (41年前)
    これは、よく分かりますね。この日は。朝11時35分、四人はEMIのスタジオに集合しました。何をやったかというと、アビーロードの
    有名なジャケットの写真を撮った日であります。写真家は、レイン・マクミラン(と、小林さんしゃべってたけど、 Iain Macmillanだ
    から、イアン〜では?)が撮りました。で、ポール・マッカートニーが最終決定で6通りやったらしいんですが、その中で一番気に入っ
    たヤツを選びました。で、その日は、レコーディングが夕方からあったんですが、この写真撮りが終わったら、ポールはジョンを
    キャビン・ディッシュ・アベニューの家に送っていった。ジョージとマル・ウォールデンは、ロンドンの動物園に行った。リンゴは
    ショッピングに行った。そうです。有名なもう一つの話があって、これを見て、ポールの死亡説が生まれたというのは知っていました
    か? 駐車している車のワーゲンのナンバーが「IF28」つまり、もしポールが生きていたら28歳という意味。歩いてる格好も、ジョン
    は神父の格好をしているし、リンゴは葬儀屋の格好、ジョージは墓堀人の格好。これは、ポールが既に死んでいるということなんだ。
    それを言おうとしているんだ、もう深読みの時代ですからね。ここ何枚かのレコーディングは、影武者がやっていたという説が出て、
    世界中が大騒ぎ。しかし、結局ポールが記者会見して、俺は生きてるよっていうことで一件落着したという有名な話であります。
    〜 The Beatles / Come Together
170ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:43:22 ID:???0
    これはね、イギリス人が聞いても、アメリカ人が聞いても、どういうことを歌ってるか分からない。英語は一つ一つ分かるんですよ。
    でも、意味が支離滅裂なんです。ビートルズのことをもっと知りたい人におすすめなのは、このアルバムが出るじゃない、そしたら
    この頃はジャケットが大きなジャケットですから、四人が歩道を渡ってるのを見ながら、針を落とすわけです。そうすると、これが聞
    こえてくるわけです。これは、何を言ってるんだろう?っていうことで、本気で考えるわけです。ビートルズが、何かを伝えようとし
    ているにちがいないと。そうすると、頭がそういうふうに働くんです。そうすると、ジャケットを見ていて、ひょっとして、このジャ
    ケットは、ポールが死んでいるということを伝えたいとしているに違いないと考えて、脳細胞がそっちに行っちゃうんですね。だから
    あの頃の時代を考えてみると、ビートルズ・ファンを想像してください。もう、本当にそうやって、ビートルズを探ろうとしたんです。
    一生懸命、ありとあらゆる感覚で、ビートルズに入ろうとしたんです。そうするとね、こうしたビートルズの死亡説も出てくるんで
    す。で、Come Togetherというワケの分からない曲も、形を帯びてくるんですね。今聴いて、辞書を引いて、意味を調べてください。
    でも、分からないはずです。でも、分かるはずです(笑)。
171ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:45:10 ID:???0
□トニー・バーロウから見たビートルズ史
  ・先週まで続いた、1960年代当時のビートルズ広報のトニー・バーロウによる、四人の人物像紹介。このインタビューをさらに、ビートル
   ズのマネージャー、伝説的人物であるブライアン・エプスタインについて聞いてみることにしよう。「ぼくが知る限りで、ブライアン・
   エプスタインは、最も悲哀に満ちた、しかし、最も成功したビジネスマンだ。彼こそは、金で愛は買えないということの生きた証、そして
   やがては、死に行く証だった。持続的で、愛情の通う人間関係を育む能力の欠如が、彼を惨めなまでに不幸にしていたんだ。その代わりに
   荒々しい性的欲望が、ブライアンを心ない大人や少年などとの危うい行きずりの関係に引きずり込み、利用され、傷つけられ、盗まれ、
   救いようのない状態に貶められていった。ブライアンは、演劇学校の授業についていく事ができず、俳優になる夢を断念していた。しかし
   その後の栄光の5年間に於いて、20世紀の最も偉大なソングライターコンビを擁する、世界一有名なロックバンドのマネージャーを演じた
   わけだ。この輝かしい年月の内の、少なくとも最初の数年間、ビートルズの目には、ブライアンは素晴らしいマネージャーであり、尊敬に
   値するお手本であり、頭が切れる良き指導者であり、良き友達として映っていたと思うよ。四人は、ブライアンの豊富な社交力の手腕を
   完全に信用しきっていたからね。ブライアンは、ビートルズのマネージメントを始めた時も、NEMSに管理部門を作った時も、スタッフと
   同じように、自分をショー・ビジネスでの経験は皆無だった。しかし、アーチスト側にも経営側にも、全国的なクリエイティブな意味に
   おいて、一刻も早い改革が望まれていたこの時代。ぼくたちは、自らの無知を欠点とはせず、独自の新鮮なアイデアを吹き込むことで、
   新たな可能性を見出していた。NEMSが業界内で勢力を伸ばしていった理由は、ここにあったわけだ。」
    〜 The Beatles / From Me to You
    〜 The Beatles / Drive My Car
172ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:46:10 ID:???0
  ・「俺たちNEMSは、無知を売り物にしていたんだ。」こう語っているのは、60年代当時に世界中を一緒に飛び回った、広報担当のトニー・
   バーロウ。彼は、マネージャーであり、事務所の社長でもあったブライアン・エプスタインについて、語ってくれた。「当時、はるか遠く
   まで広がった伝説や神話によると、ブライアンがビートルズと契約した頃、彼が他の誰よりも先に無名のビートルズを発見して、その潜在
   的な才能を認めたことになっている。けど、実際の真相は、それよりも少し、驚きには欠けているんだよ。ブライアンが、1961年の終わ
   りにバンドに興味を持った頃、ビートルズは既にリヴァプールを拠点とする、いわゆるマージーサイドで、最大の人気を誇るローカルバ
   ンドになっていた。雑誌マージービートの1961年人気投票の結果が1962年1月に発表され、編集人であるビル・ハリーは、読者がビー
   トルズを一位に選んだことをいち早く伝えていた。つまり、ブライアンがやったことは、既にイギリスの北西部ですごい人気者になって
   いたバンドのマネージャーになった。実は、それだけのことなんだ。最も、その運がものすごいということになるけどね。ビートルズが
   驚異的な速度であれだけのレベルにまで上り詰めたため、ブライアンはまだ経験が浅かったにも関わらず、気がついたときには、世界の 
   ショービジネスシーンの大物連中と駆け引きせざるを得ない立場になってしまっていた。トップ20のヒット曲を、レコード店のオーナー
   として売るのと、テレビのプロデューサーやコンサート・プロモーターに売りこむのとでは、仕事の種類として、あまりに違いがあった。
   しかし、ブライアンはそれを立派にやってのけたんだよ。そのためには、ある秘策を使ったんだけどね。」
    〜 The Beatles / Oh! Darling
173ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:47:46 ID:???0
  ・「トップ20のレコードを、レコード店のオーナーとして売るのと、テレビのプロデューサーやコンサート・プロモーターに売り込むのと
   では、仕事の種類として、あまりに違いがあった。ブライアンは、それをやるためにある秘策を使ったんだよ。」1960年代、ビートルズ
   の広報マンとして、世界中をメンバーと共に駆け回った男、トニー・バーロウの証言による、マネージャー、ブライアン・エプスタインの
   人物像。ブライアンが使った秘策とは、一体なんなのだろうか。バーロウのインタビューから、さらに続けてお送りしよう。「一言でいう
   と、ブライアンは経験の無さを、ハッタリで補ったんだ。業界一流の大物たちから、ビーチサイドにある劇場の夏の一週間興行や、テレビ
   の特別番組の出演料まで、ビートルズに対してある出演料を提示されても、ブライアンとしては、それが良い話なのか悪い話なのか、さっ
   ぱり分からなかった。だから、翌日返事をすると約束して、時間稼ぎをするんだ。その間に、新しく雇ったロンドンの弁護士ディビッド・
   ジェイコブスにアドバイスを求めると、おそらくギャラは妥当だろうと言われ、そして同じ頃、交渉していた大物は提示金額が低すぎた
   ためにビートルズを逃してしまうかもしれないと心配になってきて、もっと高い金額を出してきて、翌日一番にブライアンに電話をかけ
   てくるんだね。そうやって、容易く得られる成果に満足したブライアンは、自分のプロとしての弱さを強さに変え、この手法を最大の武器
   にするようになったんだ。ブライアンは、自慢げにこう話していたよ。『ぼくは、最初に提示された出演料に、絶対に首を縦に振らないん
   だ。なぜなら、その次にはもっと良い金額が待っているからね。』これが、素人の強みなのか、生まれ持った運なのか。今となっては、誰
   にも分からないね。」
    〜 The Beatles / Rock and Roll Music
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
174ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:48:53 ID:???0
□リクエスト
  ・ジョン・レノンがオノ・ヨーコに書いた Jealous Guy の声の震わせ方に、似ているところを聞きたいです。(香取郡/男性)
    〜 Oasis / I'm Outta Time

  ・いつも、中2の息子と一緒に聞かせていただいています。この前は、息子のリクエストを採用していただき、ありがとうございました。私
   は、息子の影響でビートルズを聞いている感じなので、あまり詳しくないのですが、ビートルズの初期のラブソングの歌詞の内容の、妙な
   Mっぽさが気になっていました。ラブソングでありながら、恋人の女性のどんなことろに魅力を感じて好きになったのか、具体的に歌詞に
   記載されていない。これは、女として気になるところでした。そういう意味では Loversoulでは、女性の人間性が表現してあって、今一番
   興味あるアルバムです。(八千代市/女性)
    〜 The Beatles / Girl

  ・周りにあまりファンがいないんで、ぜひかけて聞いて欲しいんです。(住所性別不詳)
    〜 David Bowie / Life on Mars
   (小林)住所と名前を教えてください。ビートルズの音楽を中心とした番組だけど、David Bowieのファンは多いはずだよ!
175ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 10:54:45 ID:???0
  ・先日、高2の息子とジーンズ・ショップに行ったら、古いジュークボックスがあり、その中にBeatlesの Get Back / Don't Let me Downが
   ありました。(千葉市花見川区/男性)
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down

(小林)マネージャーのブライアンも、何も知らなかった。そういうところから出てきたというのは、面白かったですよね。リクエスト待ってま
す。お相手は、小林克也でした。
176ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:33:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年8月15日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月15日)
  ・1965年 (45年前)
    45年も前です。ビートルズは、ニューヨーク・メッツの本拠地、シェイ・スタジアムでコンサート。予定時刻は、8時。結局、56,000
    人の人達が集まります。これは、記録です。どういう記録かというと、一つのコンサートでこんなに集まったのは初めてという。で、
    BBCがこれをエド・サリバン・ショーと一緒になって撮影。そういうことがあったんですけど、ところが面白いことに、開演は8時でし
    たが、実際には9時にスタートします。ビートルズは、スタートしないんですよ。ビートルズの前座が、9時にスタートするんです。で
    ビートルズはというと、ロンドンからニューヨークへ向かう飛行機で移動中。JFK空港に到着したのが、夜の11時過ぎです。で、それ
    ぞれメンバーが楽器を持って車に乗り込み、パトカーに先導されて、猛スピードで車を走らせて、空港からスタジアムまで11分で到着。
    で、11時20分にビートルズはステージに登場する。リハーサルもなしに、本番に望んだ。で、シェイ・スタジアムのコンサートの2日
    後、17日はカナダのトロントで、今度は27万人を超えるライブをやります。スゴいでしょ。まあ、だけど1964年の、これは最初のア
    メリカでのツアー。1965年は、2度目の、2面目のアメリカのツアーの話です。1965年の夏、ちょうど今頃は Help! がNo.1。アルバム
    もNo.1です。そうです、もちろん映画「ヘルプ!/4人はアイドル」の話題で持ちきりの頃であります。
    〜 The Beatles / Help!
177ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:34:56 ID:???0
    いかがですか、45年前のNo.1の曲です。だけど、その曲を若い人もよく知ってるでしょ。ビートルズは、すごいってことになりますよ
    ね。それから、シェイ・スタジアムというのは、メッツの本拠地でしたけど、ヤンキー・スタジアムとシェイ・スタジアムは、同じ土地
    にクローズされて、そのクローズのシェイ・スタジアムさよならコンサートは、ビリー・ジョエルがコンサートをやってますね。その
    コンサートの途中に、シェイ・スタジアムを初めて使ったミュージシャンがゲスト!ということで、そのゲストというのはポール・マッ
    カートニーですけど、ポールが飛び入りで参加して盛り上がったという話は知ってますよね。

□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・20世紀最大、音楽史上最大の成功を収めたアーチスト、ザ・ビートルズ。そのビートルズの才能を真っ先に見抜き、マネージメント契約を
   した男がご存知ブライアン・エプスタイン。そのブライアンがいかにしてロック界の帝王となったのか、彼の生い立ちにまでさかのぼっ
   て探ってみることにしよう。1934年9月19日、ユダヤ教によるヨム・キプル、つまり罪を償う贖罪日に生まれた、ブライアン・サミュエル
   ・エプスタインは、リバプールで小売業を営み、市内及び郊外に家具と電化製品の店を持つ裕福な家庭で育った。幼い頃から、ブライアン
   は、問題児であった。第二次世界大戦の戦時下には、ウェールズ北部のプレスタインにある幼稚園に入り、その後サセックス州のビーコン
   フィールズにあるユダヤ人私立学校、シロップシャー州にあるパブリック・スクールで、その地域では名門とされるレキン・カレッジなど
   合計9つもの学校を転々とした。ブライアンは、国民兵役によって招集。物資の輸送を担当する輜重隊に配属され、リージェントパーク
   駐屯地で、分所管として働いた。しかし、入隊10ヶ月後の1954年1月に、健康上の理由で、突如除隊となった。イギリス軍がまとめた
   最終的な人事計画には、エプスタイン一等兵について、「利発な外見・飲酒の習慣なし」、そして「絶対的な信頼性」と記載されていた。
   この内容の内、二つの項目、「利発な外見」「絶対的な信頼性」は、ブライアンが1967年、33回目の誕生日を迎える数週間前にあまりに
178ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:36:29 ID:???0
   早過ぎる死を遂げるその日まで、まったく変わることはなかった。しかし、飲酒の習慣 ── これだけに関しては、ビートルズが成功すれば
   するほど、その量が増えていったことは、周りの誰もが知っている事実であった。
    〜 The Beatles / Dr. Robert
    〜 The Beatles / P.S. I Love You

  ・1956年9月に22歳の誕生日を迎える頃、ブライアンはイギリスで最も有名な演劇学校である王立演劇学校に通い始める。しかし、ここで
   もブライアンは馴染むことが出来ず、一年もしないうちに辞めてしまった。次にブライアンが起こしたアクションは、父親を説得し、家族
   で経営する電気店のレコード売り場を拡張することであった。ブライアンの予測では、アメリカからのロックンロールの襲来が音楽シーン
   に革命を起こすということだった。この意見により、父親は事業を拡張し、息子のブライアンをリバプール市内のシャーロット・ストリ
   ートにあるNEMS(North End Music Store)の一店舗のマネージャーに就任させ、後には新しくホワイトチャペルに出来た本店をも任せる
   こととなった。息子の能力を認め、その才覚でもって、店を自由に切り盛りさせていたのである。ブライアンは、朝の8時から夜遅くまで
   周りが呆れるほど長時間、根気よく働いた。後に自伝として出版されるブライアンの自伝「ビートルズ神話・エプスタイン回想録」による
   と、NEMSのポップレコード事業は、1962年秋までは18石仕様の高級腕時計のようにせわしなく、日夜稼働していた ── と、記載されて
   いる。ブライアンは、一度聞いただけで、そのレコードが次にNo.1ヒットになるかどうかを判断する、並外れた直感力に自信を持っており
   レコードショップの経営者から、アーチストマネージメント事務所の社長に商売替えをした際にも、この能力が大きな武器になると確信し
   ていた。さらに、かつては俳優を目指していただけあって、ブライアンは自分自身の視点だけでなく、パフォーマーの立場もよく理解する
   ことが出来た。このことが、ブライアンをよりアーチストの気持ちがわかるマネージャーにしていたのかもしれない。このブライアン・
   エプスタインという人物は、それまでのイギリスの音楽マネージャーとは、一味も二味も違っていたのである。
179ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:37:56 ID:???0
    〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer

   えー、これは有名なというか、あまりにも変わった歌ですね。ビートルズは、このように変わった曲があるよね。どこからこの曲作り始め
   たのかなという曲がありますけど、それ一つ一つ調べると、なんか違うビートルズの歴史が読めるような気もします。

  ・名物マネージャーとして有名だったブライアン・エプスタインの側面から探る、ビートルズの真実。さらに続けてみよう。ブライアン・
   エプスタインの仕事のやり方は、細部に到るまでとにかくオープンで、労を惜しまず、隅々まで行き届いていた。彼は、シンガーやミュ
   ージシャンたちの望みを、全力で真っ正直にかなえてあげようと頑張った。ブライアンは、自分の欲望や時間を顧みずに、仕事に人生を
   捧げ、自分が手掛けるアーチストの世話をするために全神経を傾け、彼らのキャリアを充実させるためには、可能な限りのベストな環境
   を用意した。目がくらむほど眩しい、ビートルズの栄光を手に入れ、その演奏をステージの袖にたって眺める彼の目は、純粋な愛の輝き
   に満ちていた。おそらくビートルズと、どんなに短期間でも、一緒に仕事をしたことのある者なら誰でも、その素晴らしい成功を分かち
   合いたいと思っただろうし、その内の極々小さなことについても、自分の貢献を主張したいと思ったはずである。しかし、ブライアンの
   場合、ジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴへの情熱的で熱狂的な愛に満たされている。つまり、ビートルズの四人が賞賛されれば
   それが同時に自分への賞賛と感じることが出来たのである。これは、マネージャーとしては、もはや仕事を超えた完璧な存在となってい
   たことに他ならない。そうなると当然、自分が大金を手にしたいとか、豪華な食事を楽しみたいとか、自家用飛行機を乗り回したいとか
   大邸宅を手に入れたいとか、そんなことはすべて二の次、三の次になってしまう。おそらくこれは、頂点に上り詰めた者にしか理解出来
   ない悟りの境地なのかもしれない。しかし、皮肉なことに、それらの贅沢品の全ては、ブライアンが望まなくとも、いつの間にか周りに
   あふれるようになっていくのであった。
180ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:39:09 ID:???0
    〜 The Beatles / Baby, You're a Rich Man

   これも面白い歌だね。ハンマーの歌と並んで、これも面白い。

□リクエスト
  ・ビートルズに関する衝撃的なエピソードをいろいろ紹介されて、驚いています。最近の放送で紹介されている、ジョンの残酷さとユーモア
   を象徴するようなエピソードに、ジョン・レノンは若い頃とんでもないヤツだったんだと、改めて実感しました。ところが、ビートルズ
   解散後は、Love & Peaceをメッセージにしたり、日本のお寺で仏像修行に励んだり、ビートルズ時代とはかなり変わったと思います。や
   はり、小野洋子さんの影響でしょうか。5〜6年前から感じていたことなんですが、ビートルズ時代の楽曲はジョンの曲のほうが良いです
   ね。ポールの曲よりビートが強くて、ドライブ感があって、やはりロックです。ところが、それぞれがソロになってからは、ジョンの曲は
   飾り気がなくなってシンプルになってしまって、逆にポールの曲のほうが面白いと思います。ポールが、またワールドツアーを始めたよう
   です。今度のツアーは、オープニングが Venus and Mars ~ Rock Show ~ Jet らしいんです。この曲、1977年でしたか、日本公演で演奏
   される予定でしたが、例の麻薬事件で日本に入国できず、幻に終わってしまいました。30年以上たって、やっとこの曲の生ライブが聴ける
   日本のファンにとっては感激もひとしお、ふたしお、さんしおぐらいあるのではないでしょうか。中には、卒倒して倒れるファンもいるの
   ではないでしょうか。もちろん、今回のツアー、日本にもきますよね。そこでリクエストですが、Wings Over Americaから、オープニング
   ナンバー、Venus and Mars ~ Rock Show をお願いします。 Jet まで長すぎたら、Rock Show まででも結構です。(小平市/男性)
    〜 Paul McCartney and Wings / Venus and Mars ~ Rock Show ~ Jet
181ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:40:18 ID:???0
   (小林)どうでしょうね。100%影響というか、二人で作ったものであることは確かですね。それでは、この曲日本でもやってくれるのか?
   Rock Show まででも結構ですってことだったけど、やっぱり Jet まで聞かないと完璧じゃないって感じかな。70年代に入って、ジョンは
   ジョンらしく、ポールはポールらしく。ぼくなんかは個人的に、Wingsのこういう Venus and Marsを聞いたときは、ああポールはもう
   ビートルズじゃなくなったんだなという感じがありましたね。ぜんぜん違う音楽をやっているというような感じがしたんですが、今から
   見ると、これがポールらしさということだったのかな。

  ・7月25日は、娘の誕生日でした。小学生となった初めての誕生日で、家族でお祝いに行きたいところですが、小学校が夏休みとなった日に
   娘は嫁さんとイギリス・アイルランド旅行に出かけており、きょうはひとりで食事の準備をしながら聞いています。リクエストでかかった
   Hey Judeは何度聞いても聞き飽きない名曲ですね。娘も好きな曲であり、思わず料理の手を止めて聞き入ってしまいました。イギリス旅行
   では、アビーロードにも訪れる予定があるようで、世界一有名な横断歩道を渡ったことが、娘の夏の思い出になれば、留守番も我慢できま
   す。そこでリクエストは、前から娘の希望であり、誕生日プレゼントとして、全国の小学校で有名な曲をお願いします。(野田市/男性)
    〜 杉本竜一 / BELIEVE
182ホワイトアルバムさん:2010/09/05(日) 20:41:19 ID:???0
  ・小林さんの声を聞くと、昔某ラジオ英会話講座受験のために聞いていた頃を懐かしく思います。私にとってのミート・ザ・ビートルズは、
   高校2年生の時で、当時片思いだったクラスメイトの女の子が、ビートルズというよりジョン・レノンのファンで、話題を合わせるため
   聞いたのが最初です。初めてのデートは、Hard Day's Nightの映画を見に行ったことを、今でもよく覚えています。その後は、渋谷にあ
   ったビートルズ専門のA to Zシアターという名前だったと思いますが、ライブハウスへもでかけました。もう30年も前のお話です。その
   恋の方はあっという間に破れてしまいましたが、ビートルズはその後も聞き続けています。リクエストは、彼女が一番好きと言っていた
   この曲をお願いします。(佐倉市/男性)
    〜 The Beatles / Dear Prudence

(小林)リクエスト待ってます。ちょっと個人的なことを付け加えていただくと、あなたマークが付くわけです。お相手は、小林克也でした。
183ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:06:23 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年8月22日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月22日)
  ・1966年 (44年前)
    御存知の通り、ビートルズがライブをやめた年。それから、下手をすればビートルズがい命を失いかねなかった年です。その44年前の
    きょうは、これもちょっと大切な事なんですが、Revolver というアルバムがアメリカで100万枚売れます。ゴールドレコードに認定さ
    れるわけですが1966年は、今はもうみんな当たり前になってて、「アルバム」って言いますが、昔はシングルの時代が長く続きまし
    た。そして、1960年代になるとアルバムが出るようになるんですが、アルバムっていうのは、シングルがいっぱいたまったからアル
    バムとして一緒に出すというような感じだったんです。ところが、1966年あたりから、アルバムは意味があるというか、ひとつの
    メッセージとか、色を伝えるとか、そういうアルバムとしての意味を持つようになるわけです。だから、最初はビートルズのアメリカ
    側のキャピトル・レコードの自分たちでシングルの寄せ集めみたいな感じでビートルズのアルバムを出してたんだけど、この頃からも
    うそんなこと言ってられないわけですね。オリジナル・アルバムそのものを出すようになって、そしてこの Revolver がアメリカで100
    万を突破すると。で、ビートルズはこの頃、夏のツアーの真っ最中です。だけど、この Revolver のホットな曲は、全然ツアーでやらな
    いんですよ。どうしてかというと、Revolver は結構レコーディングが凝っていたため、ライブでの再現が不可能だったから。面倒くさ
    いということになるといけないということで、やらなかったんです。今だと、一部テープにしたりとか、いろんなことを使って再現が
    可能なんですけど、この頃は昔の曲をやってツアーをしていたわけですよね。で、ビートルズは、アルバムを作る作業をやるのが面白
184ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:07:46 ID:???0
    くなって、もうツアーをやめようよ、女の子聞いてくれないしというわけで、いつまでたっても同じような曲やってるということで、
    この一週間後にはツアーをやめてしまうわけですね。ライブツアー終焉を迎えるわけです。だから、歴史的に見ると、44年前のきょう
    というのは、結構重要な時期ですね。さあ、それでは名作 Revolver から、もっとも凝ったレコーディングの一つです。ジョン・レノン
    が、エンジニアのジェフ・エメリックに対して、そうだね、ダライ・ラマが山のてっぺんから歌っているような声にしてくれと注文を
    つけた録音です。そんな風に響くかどうか!
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows

    リンゴ・スターの文法を間違えた発言から、タイトルは生まれました。そして、こんなダライ・ラマが山のてっぺんから歌っているよう
    な、声ばかりじゃなくて、そんな感じって良く分かりますよね。不思議なレコードですけど、この頃はどうでしょう、初めてこれを
    1966年に聞いた方々は、真っ二つに別れたわけで、うわぁースゴいことをやってくれた!というのと、ちょっと自分はビートルズに着
    いていけるかな?という思った人も多いんですよ、この時代。
185ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:08:44 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・ビートルズを発掘し、世界のロックシーンの頂点に送り込んだ男、ブライアン・エプスタイン。今週も、そのブライアンの人物像を色々
   な角度から掘り下げてみよう。 ── ブライアンの仕事に対しての、そしてビートルズに対しての献身的な愛は、尋常なものではなかった。
   ブライアンの頭の中は、日夜ビートルズしかなかった。自分の欲望や名誉なんて、どうでもいい。ビートルズが、もっともっとビッグな
   存在になってくれれば、自分は命だって惜しくない。それが、彼の本音であった。ブライアンは、ビートルズの新たな挑戦にもすべて責任
   を持ち、誰かが自分の代わりに“ボーイズ”に近づこうとすると、排他的な態度をとった。少なくとも、NEMSの最高幹部の一人で、後に
   ブライアンのアシスタントに任命され、彼の自伝のゴーストライターにもなった人物デレク・テイラーでさえも、その例外ではなかった。
   ビートルズの全米ツアーの際に、同じリムジンに乗ったということで、ブライアンを憤慨させたのである。そんな可愛い四人組の名声が
   高まるにつれてブライアンは、エンターテイメント業界でとりわけ著名な裏方の一人に名を連ねる事となった。おそらくこの時点で、ブ
   ライアンと同等か、その上を行くのは、エルビス・プレスリーの世話人であり指導者でもありマネージャーでもあったトム・パーカー大佐
   だけではなかっただろうか。その成功の事実を最初にハッキリと認識したのも、ブライアン本人であった。彼は決して、驕り高ぶるタイプ
   の人間ではなかったのであるが、冷静に考えても、自分が音楽業界に於いて、トップに君臨していることを理解していたのである。ある日 
   オフィスでブライアンは、広報担当のトニー・バーロウに指示を出した。「このビートルズのサイン入りの写真と同じようなもので、ぼく
   の写真とサインのものを、5千枚ほど用意してくれないか。アメリカに行ったら、絶対に必要になるから。」翌週、ブライアンの予感は、
   的中した。業界人はみんな、ビートルズのものではなく、ブライアンのサイン入り写真を求めたのである。
    〜 The Beatles / Paperback Writer
    〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamond
186ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:09:39 ID:???0
  ・「このビートルズのサイン入りの写真、同じようなもので、ぼくの写真とサイン入りのもの、5千枚ほど用意してくれないかな。アメリカ
   に行ったら、絶対に必要なる。」 ── ビートルズの成功に伴って、マネージャーのブライアン・エプスタインも、音楽業界内で超VIPに
   なった。ビートルズが本拠地となった地元リバプールのキャヴァーン・クラブの名物DJボブ・ウーラーは、冗談でブライアン・エプスタ
   インにニックネームをつけた。そのニックネームは、“ネンペラー”。会社の名前であるNEMSと、皇帝を意味するエンペラーをくっつけ
   て、ネンペラーである。ブライアンは、これをいたく気に入っていた。彼はそのままネンペラーという言葉を、ロンドンのNEMSエンター
   プライズの電報用の宛名として、それから彼のニューヨークの会社の名前にも使い、その名前もネンペラー・ホールディングスとした。
   そして、ニューヨークのメイフェアヒル・ストリート3番地にあるNEMSのオフィスは、ネンペラー・ハウスと名付けられ、音楽業界では
   有名な名所となったのである。ブライアンはまるで子どものように、無垢で正直な男であったため、こういうことも奥目もなく、恥ずか
   しげもなしにやってのけた。彼には、お世辞も通用しない。つまり、人の言葉を、そのまま受け入れてしまうのだ。実際のところ、ブラ
   イアンの一番のファンは、彼自身だったのである。ビートルズが成功を収めるにつれ、ブライアンの社会的地位も、どんどん上がって
   いった。住む場所は、ロンドンの高級フラットから、さらに高級な地区であるベルグレイビアの邸宅となり、乗る車も当然のことであるが
   どんどん高級になっていく。ベントレーを買って、周りをビックリさせたと思ったら、翌月にはロールスロイスに乗っているのだ。こうし
   て、物質的所有物も確実にアップグレードされていくのである。
    〜 The Beatles / Hey, Bulldog
187ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:11:15 ID:???0
  ・ビートルズが成功を収めるにつれ、マネージャーであるブライアン・エプスタインの物質的所有物も確実にアップグレードされていった。
   ロンドンの高級住宅地区であるベルグレイビアに邸宅を買ったと思ったら、翌月にはロールスロイスに乗っているという具合である。ブ
   ライアンは、何か自分の思い通りにならないことがあると、おしゃぶりからガラガラまで、何でもかんでも投げ飛ばす赤ちゃんのような
   性格でもあった。自分の部下の内何人か、とりわけ温厚な事務部長であるアリステア・テーラーを、玄関マットのようにぞんざいに踏み
   つけ、ちょっとした理由でクビにしては、翌日に慌てて再び雇い入れるというようなことをしょっちゅう繰り返した。その際、時には
   ランチかディナーへの招待が伴い、ブライアンにしてみれば、それだけで自分のお粗末な行動に対する謝罪として十分だと考えていた。
   幸運だったのは、アリステアも彼と似た様な立場の人々も、ブライアンの子どもじみた癇癪を容認していたので、それほどNEMSでの仕事
   は、スタッフ全員にとって、魅力に溢れ、やりがいがあり、刺激に満ち溢れていたのである。そして、ブライアンは、部下のプライド、
   人間性というものを十分に理解し、尊重していた。この関係があったからこそ、NEMSの人間はどんなことがあっても、ブライアンに着い
   ていこうと、決心を固めていたのである。しかし、リバプールのオフィスからロンドンへと、彼についていった女性スタッフは、ブライ
   アンに不満を持っていた。能力のあるなしにかかわらず、ブライアンは女性の才能を認めようとしなかった。ただ、叱りつけて、命令する
   だけなのである。この点に関しては、まるで生活指導の先生と女学生のようであった。ブライアンは元来、女性とどう向きあっていいか
   よく分からなかったのである。仲良く出来る女性は、彼が特別に敬意を払っている数人だけ。これが、ブライアンの最大の悩みでもあった
   のだ。
    〜 The Beatles / Something
188ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:12:53 ID:???0
□リクエスト
  ・本来なら、だいぶ以前にリクエストを送りたかったんですが、曲のタイトルがどうしても思い出せず、今日に至った次第であります。リク
   エストですが、RAMのアルバムの中の Eat at Home の次の曲をお願いできますでしょうか。確か、曲の最初が Well, well, well, well, well.
   Do you love me like you know what to do... 。相変わらず、タイトルが分からなくて申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします。
   (世田谷区/女性)
    〜 Paul McCartney and Linda McCartney / Long Haired Lady
   (小林)本当に、耳が良い方ですよね。タイトルは、もうどうでもいいのかもしれない。ただ、人とコミュニケートするとき、タイトルが
   必要というわけで。

  ・私はビートルズの曲をよく聞きますが、家内はほとんど聞きません。でも、この曲は知っているので、リクエストします。(千葉市花見川
   区/男性)
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye

  ・ジョン・レノンは、オノだけを愛していたんですかねえ。1980年当時も、メイ・パングと関わっていた話があるんですが、Womanでウ
   ソつきましたよね。(香取市/名前なし)
    〜 John Lennon / Nobody Loves You
   (小林)大人なんだから、野暮な事は言わないように。
189ホワイトアルバムさん:2010/09/06(月) 23:14:19 ID:???0
  ・番組のリクエストで、Across〜は誰の歌が良いかと話題になっていましたね。好みは、人それぞれですよね。ちなみに、私の一押しは
   ジェイクの演奏に、シンディがボーカルでカバーしているバージョンです。(船橋市/女性)
    〜 Cyndi Lauper w/ Jake Shimabukuro / Across The Universe
   (小林)先週でしたかね、ジョン・レノンは、若いことはとんでもないヤツだった。とんでもないヤツかは分かんないけど、内側は結構柔ら
   かい、ポールに比べるとジョンの方がロマンチストだったのかもっていう感じもありますよね。

(小林)ブライアンは、自分では発表しなかったわけですが、ゲイであるということは、みんな知ってることでありますが。彼は彼なりに、人間と
して愛すべきヤツだった。きょう、ジョン・レノンがとんでもないヤツということもお伝えしましたけど、みんなそれぞれが人間臭いという気が
するんです。リクエスト待ってます。お相手は、小林克也でした。
190ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:06:45 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年8月29日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月29日)
  ・1966年 (44年前)
    ご存知、ビートルズが日本にきた年。そして、とても重要な年なんですよ。サンフランシスコのキャンドルスティック球場で、ビート
    ルズが最後のコンサートをやります。本当に、正式な最後のライブをやるわけです。思い起こせば、この年は6月のドイツから始まって
    日本にやってきて、その後フィリピンに行くんですが、コンサートはいちおう盛り上がるんですけど、その後のパーティーに出るのを
    断ったので、本当に死ぬ思いをするわけです。悪夢のフィリピンのツアーを終え、キリストより人気があるという、ジョン・レノンが
    インタビューで答えたことがアメリカで暴動を巻き起こすことになるわけです。だから、本当にビートルズは、1966年は危ない年。
    ちょうど44年前のきょう、その野球場で行われた内容は、Rock'n Roll Musicで始まって、Long Tall Sallyで終わるという、ほぼ日本公演
    と同じ内容でした。だから、野球なんかでよく言う消化試合みたいなものですね。もう、お客がキャーキャー言って、うるさくて聞こえ
    ないし、コンサートをやってる意味がないからやめようよ。で、彼らはレコードを作ることにものすごく興味が湧いてきた時代なんで
    ライブをやめることにするんです。それが、44年前のきょうであります。だから、この日から1969年の1月30日、自分たちのビル
    アップル・ビルの屋上で、映画 Let it Be のためのゲリラライブをやりますよね。それまで、四人が本当に人前で演奏することはなかった
    んです。だから、44年前のきょう、彼らが演奏した最後のナンバー、これを聞いてもらいましょう。
    〜 The Beatles / Long Tall Sally
191ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:09:37 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・ビートルズを発掘し、ロック界のてっぺんのてっぺんの一番頂上まで導いた男、ブライアン・エプスタイン。今週も、そのブライアンの
   人物像を、色々な角度から掘り下げてみよう。 ── ブライアンは、謎に包まれた人物であり、1967年に若くして亡くなっているため
   その実像は定かではないが、いろんな意味に於いて魅力的で興味深い人間であったことに間違いはない。しかし、彼の会社NEMSで働く
   者にとっては、彼の二面性がかなり問題となっていた。ブライアンの元で働くということは、ジキル博士とハイド氏の側で過ごすような
   ものであったとも言える。あのおぞましいハイド氏が、社交や仕事の場ではあれほど素晴らしいホストになれる人物と同一人物であるこ
   とは、スタッフにはどうにも理解できなかった。ブライアンがディナーパーティーで幹部社員数名と、場合によっては彼のお気に入りの
   スター、一・二名も一緒に同席しているとき、かんしゃく持ちの上司から一転、華やかで愉快な話術の名士に変身した。ブライアンは
   ウィットに富み、チャーミングであらゆる意味で気前のいいホストになるのだ。それと同じように、NEMSと取引をした外部の人間にと
   ってのブライアンは、もれなく愛想のよく、好印象のジキル博士であり、決して暴言を吐き捨てるハイド氏ではなかった。ただ、妙なこ
   とに、誰かを解雇しなければならないときのような、深刻な事態が生じたりすると、ブライアンは決まって尻込みをしてしまい、もっとも
   らしい理屈をこねて、責任を部下に押し付ける。この他のすべての状況下において、自分の権限は絶対的なものであり、他人に委ねること
   こそ決してしなかったが、こと解雇というと話は別だ。それは例外で、ブライアンは、常に二の足を踏んだ。しかし、ビートルズと出会っ
   て一年以内に、その決断の日は、やって来るのである。
    〜 The Beatles / Love Me Do (Anthology 1)
    〜 The Beatles / Things We Said Today
192ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:21:16 ID:???0
  ・「ブライアンは、自分の権限を絶対的なものだと信じて疑わなかった。しかし、話が誰かを解雇する、クビにするという時になると、急に
   萎縮してしまうんだ。これだけは、誰にも理解できなかったね。そして、ブライアンにとっての、最初の決断のときがやってきたわけ
   さ。」これは、当時の広報担当、トニー・バーロウの証言である。バーロウの言う、ブライアンにとっての最初の決断とは、いったい
   何なのだろう。時代を1962年、夏のリバプールに戻してみることにしよう。 ── ビートルズと契約して一年以内に、ブライアンはバンド
   のドラマーであるピート・ベストにクビを言い渡すという、重大な局面に直面した。ピートはルックスがいいため、女性ファンも多く、
   人気も実力もあったので、これはブライアンにとっては大仕事であった。ピートが、ビートルズを抜けるということは、リバプールを
   含む一帯の地域、マージーサイドのファンたちに歓迎されるわけもなかったので、ブライアンはその被害をできるだけ最小限にとどめる
   対策を講じる必要があった。正式契約をしたレコード会社EMIパーラフォンからのメジャーデビューを6週間後に控えたこの時期に、
   グループに不利となるマスコミ報道を避けるためにも、ビートルズは不和を最小限に抑えて、ピートを追い出さねばならなかった。
   ドラマー交代の理由は分かりやすく言えば、他の三人のメンバーが、ピートをバンドに馴染まないと考えていたからであった。それは
   性格の問題であり、ピートがあまりにも昔気質だということもあり、ドラマーとしての力量とは、まったく関係の無いことであった。
   おそらく、このピート・ベストという男は、当時の本拠地キャヴァーン・クラブにおいて、あまりにも人気が上がりすぎていたのである。
    〜 The Beatles / Besame Mucho (The Decca Tapes)
193ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:24:29 ID:???0
  ・メジャーデビュー前のビートルズのドラマーは、リンゴ・スターではなく、ピート・ベストという男であった。このハンサムなナイスガイ
   は、地元リバプールの本拠地キャヴァーンのファンの間で、あまりに人気が高くなりすぎた。口数が少く、憂いのあるルックスのピートは
   セックスアピールを撒き散らし、少なくともキャヴァーンの女性常連客にとって、ポールよりも人気があった。それ故、ポールにとっても
   このピートは、目の上のたんこぶ的な存在であった ── という説もかなり有力である。しかし、これに対し、最近になってポールは語っ
   ている。「ピートは、ぼくらにとっては、ハンブルグ・ツアーを乗り切るために雇ったドラマーだったんだよ。だって、ドラムスもいない
   バンドには、仕事もやれないって言われたら、急いでドラマーを探すしかなかったわけだ。選り好みをしている余裕なんてなかった。だか
   ら、正直なところ、ピートが辞めてリンゴがやってくるまで、ビートルズは完璧じゃなかったんだ。リンゴが入って、初めてビートルズが
   完成したってわけさ。リンゴとは、前から面識あって、ハンブルグでの仕事も一緒だったし、何度かセッションしたこともあって、素晴ら
   しいミュージシャンだと感じていた。だから、リンゴがビートルズのメンバーになるのは、ごく自然な出来事だったと思うね。」もちろん
   もう50年前の話である。ポールの記憶も、気持ち的な意味においても、いろんなことは忘れ去られていても不思議ではない。しかし、現実
   にピート・ベストの解雇劇に関しては、個人的な出来事だけではなく、ビジネスの上でも、色々な複雑な事情が絡み合っていたのである。
    〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
    〜 The Beatles / The Fool on The Hill (Anthology 2)
194ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:25:38 ID:???0
□リクエスト
  ・私は、毎週週末の早朝に、地元手賀沼の公園に集合して、ジョギング仲間と走っています。真ん中の大橋で折り返すと、9km。一周すると
   約19km。これは、程よい距離です。夏は、暑くなる前の早朝5時に集合して走ります。30代から50代のお父さんが多い時で、10名ほど。
   これは、目的はレースの成績ではなくて、おしゃべりです。仕事とは無縁の仲間たちで、他愛のない会話をしながら、自然の空気に触れて
   います。他にも、花火一発の値段はいくらぐらいするのとか、調べたところ小さなスターマイン一発で30万円、大きいもので80万円程度
   であることがわかりました。そんな知識を持って眺めた今年の花火は格別な思いがしました。[以下省略](流山市/男性)
    〜 Bon Jovi / Born to be My Baby
   (小林)長いリクエストでした。

  ・ビートルズの影響で、中学生の時から、ピアノを独学でやっています。演奏は苦手で、習ったこともないので、楽譜も読めないし、符号
   も良く分かりません。弾きたい一心で、CDやネット上の動画を何回も見たりして、見よう見まねでやってるうちに、一通り弾けるように
   なりました。自分で言うのも変ですが、感動してしまいました。そして、コード弾きという技も分かってきた最中です。今回リクエスト
   するのが、最近練習しているこの曲です。かっこいいので、ぜひ弾けるように頑張りたいです。(三郷市/男性)
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye
195ホワイトアルバムさん:2010/09/08(水) 21:27:02 ID:???0
  ・先日、屋外イベントライブで、オリアンティがジョンとヨーコのTシャツを着ているのを見て、何だか嬉しくなってメールしました。
   克也さん、彼女とビートルズに関する話はされたのでしょうか。(栃木県下都賀郡/男性)
    〜 Orianthi / Sunshine of Your Love
   (小林)しませんでした。ただ、お父さんがメチャメチャいれこんでる人で、ギターのコレクションも100丁以上持ってたらしいですよね。
   その中から、彼女最初左利きだったらしいんですが、お父さんが左利き用にストリングスをやってくれたりして。

  ・最近、カントリーを聴くのにハマっています。特に、カントリーの元祖、チャック・ベリーが大好きです。(鉾田市/男性/15歳)
    〜 Chuck Berry / Roll over Beethoven
   (小林)まあ、チャック・ベリー、カントリーに入れてもいいけど。

(小林)9月22日、クラブ・イクスピアリでこの番組のパーティーをやります。また、来週お会いしましょう。小林克也がお送りしました。
196ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:21:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年9月5日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月5日)
  ・1969年 (41年前)
    この日はね、音楽的というよりも、69年になりますと、解散のことは考えていないんですが、ビートルズの関係がギスギスしてきた
    時に、ジョン・レノンがミック・ジャガーから紹介された、ちょっと前にローリング・ストーンズの会計をやっていたユダヤ系の会
    計士のアラン・クラインを紹介されます。で、ジョンは、ジョージとかリンゴに話して、なかなかいい男だから頼もうよって、アラン
    ・クラインにマネージャーを頼むんですね。ところがその頃、ポールはリンダと結婚して、リンダのお父さんとお兄さんが弁護士なん
    です、アメリカの芸能界で結構強い。このイーストマンをマネージャーにしようとしたんですけど、結局ジョンが勝つんです。アラン
    ・クラインがマネージャーになるんです。で、アラン・クラインは、EMIとかけあって、ビートルズのアルバムを出した時の取り分を
    交渉して、その日に交渉が終わるんです。どういう事かというと、ビートルズは一枚のアルバムで58セントもらう。2年経つと、その
    58セントが72セントに増える。でも、一年に二枚アルバムを出すという契約に変わるわけです。それまでは、39セントだった。それ
    が58セントに上げてくれたんですね。結構、アラン・クラインは、腕がいい。でも、面白いのは、その前。その前は、アルバム一枚
    で、6セントだったんです。すっごい、最悪の条件だったということが分かりますよね。ビートルズは世界一なんだからと、変えてく
    れた交渉が終わったのが、41年前のきょうということですね。結局、ポール・マッカートニー、リンダ・イーストマンファミリーが
197ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:22:10 ID:???0
    採用されなくて、ポールはちょっとした孤立状態になるわけですね。で、この曲に行こうと思うんですが、この曲は(録音の時)ス
    タジオにアラン・クラインが着ていたらしいんですよ。ポール・マッカートニーが作った曲だけど、ポールはアラン・クラインをに
    らみつけながら歌った ── なにしろ、曲の内容が“オマエは俺達に金をくれない”という、このドケチめ!という歌なんです。ひど
    いね〜。
    〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money

    アラン・クラインをにらみつけながら歌ったという、こういうエピソード多いよね。Get Backをオノ・ヨーコをにらみつけながら歌っ
    たというエピソードもあるぐらいです。
198ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:23:23 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・ビートルズを発掘し、世界のロックシーンの頂点に送り込んだ男、ブライアン・エプスタイン。今週も、そのブライアンの人物像を、
   ひもといてみよう。 ── 1962年夏、デビュー直前のビートルズは、大きな問題を抱えていた。それは、ドラマーのピート・ベストを
   どうやってクビにするか。もちろん、ジョン、ポール、ジョージの三人は、この厄介な仕事を、マネージャーのブライアン一任した。
   冷静に考えると、確かに、こういう揉め事を片付けるのは、マネージャーの仕事である。しかし、苦労を共にしてきたメンバーをクビ
   にするのである。全部、マネージャー任せというのは、あまりにも冷たすぎる話ではないか。誰もがそう思って、当然かもしれない。
   ポールの証言を元にすると、ピートはあくまでもハンブルグ・ツアーのために雇い入れたドラマーで、正式なメンバーではなかった。
   とすると、ビートルズの雇用期間は二年間。しかし、ピートとビートルズの間には、個人的な関係とビジネス上の関係が入り交じって
   いた。ピートの母親モナ・ベストは、数年間リバプールのウエストダービーにある、自宅の地下で「カスバ」というコーヒー・クラブ
   を経営していた。この場所は、居心地のいいミーティングルームとして、またビートルズにとっての便利なリハーサルルームとして、
   利用されていた。さらにモナは、ビートルズの全般的なマネージメントに強い関心をもつようになり、カスバや他の様々な地元の会場
   での演奏の仕事を決めてきた。そして、ビートルズには前払いでギャラを払ったり、アンプやギターもタダで置かせてあげたりするな
   ど、実に面倒見のよいマネージャー代わりでもあった。そして、そのモナの息子であるピートが、ビートルズのハンブルグ・ツアーに
   同行することになる。1960年8月からは、モナの存在も次第に確固たるものになっていった。しかし、一年の三ヶ月後、ブライアン・
   エプスタインが現れ、自体は急変していくのである。
    〜 The Beatles / Ain't She Sweet
    〜 The Beatles / One after 909
199ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:25:13 ID:???0
  ・ビートルズになれなかった男として、有名なピート・ベスト。彼の母親モナ・ベストは、地元リバプールの若者の社交場である、カスバ
   の経営者であり、ビートルズの実質的なマネージャーでもあった。気前がよく、面倒見もよく、何より見た目が若々しく、ハツラツとし
   ていた。そんな、モナとビートルズの関係も、ブライアン・エプスタインが現れたことによって、急変していった。ビートルズに、ブラ
   イアン、そして、モナという眼に見えない三角関係が緊張感を増していくのは、周りの誰もが気づいていたのである。実際に、ブライア
   ンとビートルズが初めて、契約内容に関するミーティングをしたのは、モナの店カスバであった。そのやりとりを、カウンターの向こう
   で、モナはしっかりと見守っていたし、ブライアンはその一世代上の女の存在を、少し煩わしく感じていた。何なんだ、この女は。まる
   で、ビートルズのマネージャー気取りじゃないか。けっ、まったくやりにくいな。どっかに、消えてくれないかな。モナとしては、文字
   通り、ビートルズに対しての親心をもって行った行為だったが、ブライアンにとっては、うっとうしいこと限りないものであった。これ
   以来ブライアンは、ビートルズとカスバで会うことはヤメにした。ミーティングのほとんどは、ブライアンの事務所NEMSで行われてい
   る。さらに、面倒なことがもう一つ。当時、既にローディであった会計士見習いの青年ニール・アスピノールと、モナのただならぬ関係
   である。ピートの親友であるニールは、ベスト家の下宿人でもあったのであるが、その下宿人とモナの間に、なんと子どもが生まれたの
   である。これは、1962年当時のイギリスの港町リバプールに起こった大事件であった。
    〜 John Lennon / Ain't That a Shame
200ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:26:50 ID:???0
  ・ビートルズになりそこなった男ピート・ベストと、リンゴ・スターの交代劇に関しては、諸説がある。1962年6月の、アビーロードでの
   オーディション・セッションで、プロデューサーのジョージ・マーティンに「このドラマーは、不適合」とダメ出しをされたという説。
   ポールが、ピートのルックスのよさに嫉妬心をいだいて追い出したという説。リンゴがあまりに素晴らしいドラマーだったため、ジョン
   がどうしてもリンゴを入れたいと主張した説など、様々である。そして、ここにもまた、新説が浮上している。当時既に、ビートルズの
   ローディだった会計士見習いの青年ニール・アスピノールと、ピートの母親で実質的なマネージャーだったモナとの、ただならぬ大人の
   関係である。ピートの親友であるニールは、ベスト家の下宿人でもあった。その下宿人とモナの間に、なんと子どもが生まれているので
   ある。1962年7月、ビートルズはEMIパーラフォンとレコーディング契約を結び、秋にはメジャーデビューが待っている。こんな大事な
   時期の、大事件である。ジョン、ポール、ジョージ、そして、マネージャーのブライアン・エプスタインは、頭を抱えてしまった。こん
   なこと、いいわけがない。バンド一のハンサムなピートの母親が、息子の親友でバンドのスタッフである青年との間に子供である。もち
   ろん、年は親子ほども離れている。こんなのは、間違いなくスキャンダルである。バンドのイメージダウンにつながることは、間違いな
   い。しかし、ここでピートをクビにすることになると、優秀なスタッフであるニールのクビも切ることになる。それは、面倒だ。今さら
   新しいスタッフを探すのも大変だし、ニールはよく働いてくれる。さあ、どうしたもんだろう。ドラマーは他にいるか? いる。ハンブル
   グでも一緒になった、ハリケーンズのリンゴ・スター。ヤツだったら、間違いはない。人気者だけど、かと言って出しゃばるタイプでも
   ない。よし、決まりだ。ピートをクビにしよう。決定である。その、クビ勧告。それが、ブライアン・エプスタインに科された、最初の
   辛い仕事であった。
    〜 The Beatles / I Want You (She's so Heavy)
201ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:28:32 ID:???0
□リクエスト
  ・中二の息子と一緒に、興味深く聞かせていただいています。この前は、息子のリクエストを採用していただき、ありがとうございました。
   ストーカーっぽい歌詞が気になるので、リクエストします。(八千代市/女性)
    〜 The Beatles / No Reply

  ・二十歳の娘が洋楽が好きで、だんだん昔の曲にも興味が出てきて、ビートルズにたどり着いたようです。親子で楽しむビートルズ、いい
   ですよね。ところで、先日の放送でレオン・ラッセルの名前が出てきました。レオン・ラッセルで好きなのが、この曲です。(鎌ケ谷市/
   女性)
    〜 Leon Russell / Song for You
   (小林)作曲家として最初はやっていくわけですけど、ボーカリスト、シンガーソングライターとして、独特の感じです。名曲も数多く
   書いています。名前が出たのは、あれじゃないかな。ジョージ・ハリソンがNYで、バングラデシュのコンサートをやるとき、レオン・
   ラッセルも出てくれるわけです。見ていない人は、ぜひ見てください。
202ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:30:29 ID:???0
  ・1964年春、全米にはビートルズ旋風が吹き荒れていました。その間隙を縫うように全米No.1に輝いたのは、ルイ・アームストロングの
   Hello, Dolly。当時中学二年の僕は、なんか変なボーカルだな。アメリカといっても、色んな趣味の人がいるんだ。でも、ビートルズと
   比べると心をゆすらない、というのが正直なところ。若気のいたりとしか、言い様がありません。(栃木県下都賀郡/男性)
    〜 Louis Armstrong / Hello, Satchmo!

  ・7月の終わりに吹奏楽部コンクールがありました。僕たちの学校は二位という結果でしたが。金賞を目指していた僕たちにとっては、かな
   り悔しい結果となってしまいました。僕たち二年にはまだ来年があるので、来年こそは頑張りたいです。(八千代市/男性/14歳)
    〜 The Beatles / She's a Woman

(小林)ブライアン・エプスタインの生涯は、ジョンやポールよりも面白いところがあるんですが、どんな話が出てくるか。期待して待っててく
ださいね。お相手は、小林克也でした。
203ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 21:37:05 ID:???0
いつも乙!
204ホワイトアルバムさん:2010/09/10(金) 23:51:09 ID:???0
>>135
ギブ・ピース・ア・チャンスがラップなら
ボブ・ディランはそのずっと前からラッパーだろ
205ホワイトアルバムさん:2010/09/11(土) 08:41:05 ID:???0
>204
具体的には、どの曲がラップだと思ってる?
206ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 18:13:43 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年9月12日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月12日)
  ・1959年 (51年前)
    ビートルズは、まだクォリーメンという名前です。この日、カスバ・クラブという ── そうですね、70年代とか80年代とかは、
    ティーンエイジ・ディスコとか流行りましたよね。昼間からやっていたり、アルコール類は出さない。そういう風なものだと思っ
    ていただければ分かりやすいんですが。 ── カスバ・コーヒー・クラブに、出演します。これは、実はこの後でビートルズのド
    ラマーになるピート・ベストのお母さんの広い屋敷があったんです。で、この屋敷の地下を改造して、カスバ・コーヒー・クラブ
    自分の息子がミュージシャンなので、出て欲しいという願いを込めて、アルコールを出さない健全経営、PTAにも睨まれない若者
    の社交場を作っていて、そこにジョンとポールとジョージ、そしてジョンの同級生のケン・ブラウンという全員がギターの編成の
    クォリーメンが出た。土曜日に出たわけで、かなり優遇されていたという。ちなみに、ピート・ベストのお母さんモナは、結構や
    り手で、若作りの美人で、広い屋敷ですから下宿人で公認会計士見習いのニール・アスピノールもそこの下宿人だった。有名な話
    ですね。で、ニールは、ピート・ベストのお母さんとただならぬ関係になって、子供も生まれる。これもちょっと有名な話です。
    さ、それでは、その前の年、既にクォリーメンは、こんな録音を済ませていました。結構、貴重です。
    〜 The Quarry Men / That'll Be The Day
207ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 18:16:52 ID:???0
    歌い方で気がついたんですけど、バディ・ホリーというのはシャックリ唱法で、もっと大げさな歌い方をするんですよ。ところが
    ジョン・レノンは、結構普通に歌ってますよね。影響はうけてるんだけど、真似してないというところは、相変わらずジョン・レ
    ノンであると。普通ね、バンドだと、憧れの大スターだからね。例えば、プレスリーだとかバディ・ホリーだと、真似になっちゃ
    うんだけど、オリジナル性がすごい残ってるということ。これは、バディ・ホリーを知ってる人が気がつく、年寄りが気がつくこ
    となんですけどね。
208ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 18:36:08 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・1961年の12月、あのビートルズを発掘し、マネージメント契約を結んだ人物が、ブライアン・エプスタイン。一方的に、ビートル
   ズに惚れ込んでの、いわば押しかけ契約であった。そのブライアンがマネージャーになって、最初にしなければならなかった辛い仕
   事。それは、ドラマーであるピート・ベストにクビを宣告すること。ピートは、ルックスもよく、ドラマーとしての仕事ぶりも、と
   りあえずは無難にこなしていた。では何故、クビになってしまったのか。それには諸説があるが、その一説にピートの母親とブライ
   アンとの間にあった確執というものである。彼の母親モナ・ベストは、地元リバプールの若者の社交場であるコーヒークラブ「カス
   バ」を経営していて、ビートルズの実質的なマネージャーでもあった。気前がよく面倒見もよく、それになにより、その見た目がも
   のすごく若々しく、ハツラツとしていた。そんなモナとビートルズの関係も、ブライアン・エプスタインが現れたことによって、急
   変していた。ビートルズにブライアン、そしてモナという眼に見えない三角関係が緊張感を増していくのは、周りの誰もが気がつい
   ていたのである。モナ・ベストは、意志の強い女性であり、一方ブライアンは、ビートルズに対する独占的な支配力を望んでいて、
   ドラマーの母親との共同マネージメント契約を検討する気はサラサラなかったであろうと推測される。ピートを解雇したことにより
   ブライアンはリバプールにおいて、辛い立場に晒される。一夜にして彼は、街で最も嫌われる男となってしまったのである。ドラマ
   ーが交代したことで、ビートルズの人気が衰えることはなかったものの、騒動は起こった。何せファンはピートを愛し、望んでいた
   のである。もちろん、このドラマーはイマイチだと評したプロデューサーのジョージ・マーティンの意見も、ブライアンは信用し、
   参考にはしていたが、ファンはそれを許さなかった。ドラマー交代のニュースが街中に広まると、怒りの塊となった少女軍団が、キ
   ャヴァーンの前のマシュウ・ストリートに集結したのである。口々に叫ぶ言葉は、「Pete Forever, Ringo Never」であった。
209ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 18:47:07 ID:???0
  ・ドラマー交代のニュースが街中に広まると、怒りの塊となった少女軍団が、キャヴァーンの前のマシュウ・ストリートに集結してい
   た。口々に叫ぶ言葉は、Pete Forever, Ringo Never ── ピートは永遠、リンゴは無遠(強引すぎないか?)。これを繰返し繰返し
   声が枯れるまで唱え続けていた。実際には、ファンクラブ内でのピート・ベスト擁護派は、少数であったと言われている。当時の秘
   書フリータ・ケリーは、こう証言している。「リンゴには、母性をくすぐられたもの。ピートが抜けて、正直嬉しかった。だって、
   彼はハンサムかもしれないけど、何の個性もなかったもの。演奏中もそっぽを向いているだけで、ファンに対して楽しそうな表情を
   見せてくれることなんて、一度もなかったわ。反対にリンゴは観客の方を向いてくれて、それがまず良かった。リンゴを見ていると
   彼がグループに馴染んでいることが分かったの。ちょっとおどけてみせたりして。自分自身も、ライブを心から楽しんでいることが
   すごく伝わってきて、好感度満点だったの。」逆に、まったく反対の意見もある。キャヴァーンの常連で、後にNEMSのロンドン・
   オフィスで、受付の主任となったローリー・マキャフリーの証言はこうである。「ピート・ベストが追い出された一件は、とても苦
   々しい感じを残したわ。彼は、不機嫌なジェームス・ディーン風の美貌の持ち主だったわ。それに、ビートルズには、強い仲間意識
   を持っていた。だからピートは、みんなが自分を捨てるだなんて、夢にも思っていなかったはずよ。本当にひどい出来事だったわ。」
   このように、ファンばかりでなく、周りのスタッフの受け止め方も様々であった。ピート・ベスト脱退の一幕、これは騒動だけに終
   わらなかったのである。
    〜 The Beatles / Act Naturally
    〜 The Beatles / Nowhere Man
210ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 19:00:11 ID:???0
  ・ビートルズになりそこなった男=ピート・ベストと、リンゴ・スターのドラマー交代劇。それは、デビュー直前の1962年8月に起こ
   った事件である。リバプールのマシュウ・ストリートにあるキャヴァーンに集結した少女軍団は、やがて暴徒と化してしまった。中
   には、自分のボーイフレンドを用心棒代わりにつれてくる強者までいたので、これはたまったものではない。彼女たちの怒りの矛先
   は、なぜかジョージに向けられていた。ある日ジョージは、頬にアザをこしらえ、目の周りも黒くして、ステージに現れた。リンゴ
   もまた、肉体的な暴行の犠牲者となり、路上でファンに攻撃された結果、鼻血を流しながらキャヴァーンに到着したことがあった。
   しかし、こうした数百人の地元ファンの抵抗は、ビートルズの勢いに影響を及ぼすことはなかった。リンゴが加入した翌月には、ロ
   ンドンに向かい、デビューシングルとなる Love Me Do をレコーディングする。この時は、プロデューサーのジョージ・マーティン
   のちょっとした手違いより、スタジオにはセッション・ドラマーであるアンディ・ホワイトが、既に到着していた。プロの売れっ子
   ドラマーを呼んでしまったのである。追い返すわけにもいかなかった。結果リンゴは、Love Me Doのレコーディングには、ドラマー
   としては参加せず、後ろでタンバリンを叩くだけに甘んじることとなった。後で笑い話になるのであるが、この時のショックを、リ
   ンゴは、こう語っている。「悲しかったよね。俺も、ピートのようにお払い箱になるのかって、真剣に考えたよ。」こんなリンゴの
   心配をよそに、デビュー後のビートルズの売上は、尋常ではなかった。新しいドラマー、リンゴ・スターがステージに現れ、続いて
   ジョン、ポール、ジョージが登場すると、ビートルズはイギリス全土の何百万という新しいファンの心をつかみながら演奏し、歌う
   トップグループに成長していったのである。
    〜 The Beatles / She Loves You
211ホワイトアルバムさん:2010/09/12(日) 19:07:29 ID:???0
”ピートはベスト” じゃなかったか
212ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 19:26:15 ID:???0
□リクエスト
  ・ロックは、黒人音楽のリズム&ブルースの流れに、白人のカントリー&ウエスタンが交わり、生まれたとか。白人のアイコン、エル
   ビス・プレスリーが登場したことで、公になったとか言われています。この猥雑でセクシーな「ロックンロール」という音楽が、思
   春期の異性に興味を覚える時期に、若者に支持され、広く聞かれたのは、そのダンスミュージックとしての遺伝子になることは明白
   です。この楽曲は、クラッシュやキンクス、イギー・ポップなどにカバーされ、どこかで耳馴染みのある曲かもしれません。YouTube
   でKingsmenを検索すると、演奏シーンが出ていきました。当時は、若者もファッションとしてロックを楽しんでいたことが理解で
   きます。Thank You。(市原市/男性)
    〜 Kingsmen / Louie Louie
   (小林)いやー……、音楽評論家みたいだよね。

  ・トニー・バーロウのジョン・レノンに関する証言、面白かったすね。時間が経てば経つほど、色々信憑性の高そうな情報が出てきて
   興味深いですが、ビートルズがそれだけ過去のものとなってしまっていることを実感して、寂しさを感じます。Nowhere Manが、最
   も好きな曲の一つなんですが、この曲もそのほとんどがシニカルでネガティブな内容なのに、間奏後のサビの部分だけ極端に優しく
   ねぎらうようになっています。そのコントラストが、グッと来ちゃうわけなんですね。ここに、この曲の本音があるような気がします
   し、いちいち毒を吐いた挙句でないと、本当のことを言えないジョン・レノンの面倒くさい性格を感じます。本音は、彼が老成した
   ためなのか、オノ・ヨーコの影響なのか分かりませんが、あえて言わないだけだと思っています。(船橋市/男性)
    〜 John Lennon / Nobody Loves You (When You're Down and Out)
213ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 19:37:34 ID:???0
   (小林)なかなか、ジョン・レノンを深く ── ジョン・レノンへの愛が感じられますね。ネガティブな歌なんだけど、優しさみたいな
   ものが伝わるね。だから、ジョン・レノンはメチャクチャ人に辛く当たったり、本当に残酷なことをしたりする。だけど、まるでウニ
   じゃないけど、外は針だらけだけど、中は柔らかかったんだな、弱かったみたいな感じを抱かせます。

  ・その昔、ブリティッシュ・ハードロックが好きだった私は、後にLAメタルも聴くようになったのですが、その中でも大好きなのが
   モトリー・クルーでした。この番組でメタル系はあまりかからないと思いますが、この曲を聞くとビートルズは様々なアーチストに
   影響を与えたもんだなと、今更ながら感心してしまいます。(宇都宮市/男性)
    〜 Motley Crue / Helter Skelter

  ・学校の英語の時間に、この曲を題材にした聞き取りテストをしたことがあります。前にどこかで聞いたことはありましたが、ちゃんと
   聞いたのは、このテストの時が初めてで、サビのところで鳥肌が立ちました。理由はわかりませんが、とにかく感動しました。(多摩市
   /女性/高校生)
    〜 The Beatles / Let it Be
   (小林)うらやましい体験ですよ。ビートルズを聞いて、鳥肌が立った。もう完全に聞き取れたということだもんね。40年前のビートルズ
   とつながったということですから、大変ないい経験をしました。英語の聞き取りに使ったりするわけだから、今の子は耳が良いはずだよ。
214ポール・キロックトニー:2010/09/12(日) 19:39:34 ID:???0
(小林)29日は、中山中とmoumoonの二人。個人的にも興味があります。お相手は、小林克也でした。
215ホワイトアルバムさん:2010/09/12(日) 19:51:27 ID:???0
いつも乙だよ!
216ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 18:13:10 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年9月17日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月17日)
  ・1964年 (46年前)
    ビートルズが、世界的に売れた年。ビートルズは、初めての本格的な全米ツアーの真っ最中。で、46年前のきょうは、ビートルズの
    チャーター機の中で、マネージャーのブライアン・エプスタインの30歳の誕生日が祝われます。ちょうどビートルズは、テキサス州
    ヒューストンの上空、この時に30歳になったわけです。で、ぼくはちょっと興味があるんですけど、結局1964年というのは、ジョン
    ・レノンが24になるちょっと前じゃないですか。リンゴ・スターは24歳になってて、ポールとかジョージは、ちょっと年下です。
    年齢関係だけど、彼が30歳でしょ。20代の前半にとって、30というのは、かなり年上っていう感じなんだよね。ちなみに、この時
    ジョージ・マーティンは、38歳。だから、会社に勤めてる方だと、新入社員の頃、もうビートルズは売れて、係長ぐらいがマネージ
    ャー、課長とか部長がプロデューサーという関係。ということを考えると、人間関係が分かるよね。さあ、ビートルズは、もう無茶苦
    茶なことになってて、どこに行っても女の子が大騒ぎするわけです。そうすると、ビートルズの ── 大人たちは、ビートルズ珍しい
    よね。だから、金持ちが、この週末にはピッグマンというミズリー州の大金持ちがビートルズを農場に呼んで、しばしのビートルズが
    農場でくつろいだ写真が残っています。そんな時のビートルズ、アルバムは Hard Day's Night のアルバムが ── イギリスですよ。
    御存知の通り、アメリカでも Hard〜のサントラが、映画のサントラになっていて、イギリス盤とアメリカ盤は、アルバムがビートルズ
    は、イギリスで先に売れたもんで、ちょっと内容が違うということはご存知かと思いますが、 それでは、イギリス盤 Hard〜。もちろん
    チャートNo.1です。その中から、先行シングルとして発売されて1位を記録した、この曲を聞きます!
217ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 18:25:43 ID:???0
    〜 The Beatles / Can't Buy Me Love

□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・1962年10月、シングル Love Me Doの発売以来、イギリスでの快進撃を続けたビートルズは、1年4ヵ月後の62年2月のアメリカでの
   ブレイクを以て、ほぼ世界的な市民権を獲得し、ロック界の頂点に躍り出た。ここからは、その音楽以外のビジネスについて、少し探って
   みることにしよう。ビートルマニアが登場してきた1960年代初期、そしてそれ以降も、ビートルズ関連商品の、いわゆる物販において
   マネージャーのブライアン・エプスタインは、十分目を光らせておかなかったことについては、色々なことが言われてきた。もし、ブラ
   イアンが信頼できる専門家を雇って、常識的なパーセンテージや、手強い商談をしていれば、カツラを始めとするモップ頭をデザインし
   たグッズや、ビートルズブーツ、マグカップや、多くのビートルズ商品の売上から、ビートルズが何百億円という金額をラクラク稼げた
   はずであると非難されている。これについては諸説があるが、一概にブライアンを非難することは出来ない。一つにブライアンは、自分
   たちの音楽で報酬を得たいのはもちろんであるが、本業とは無関係の商品を売って、自分たちの品格を落とすことは望ましくないと考え
   ていた。これは、メンバーの4人にも面と向かって説明し、承諾を得ている。ツアーのパンフレットやプログラム、ポスター、写真とい
   った、コンサートやレコードと直接関係ある商品が売られることに関しては構わないが、単に売れるからと言って、無関係なグッズを売
   って、若いファンから金を絞りとる ── いわゆるボッタクリ商売と言われるのを、ビートルズは嫌がっていた。もちろん、ブライアンも
   これには賛成で、メンバーの考えを最も理解していたのである。ビートルズの4人は、その利益の大きさに関係なく、バンドの関連商品に
   関しての決定権を、ブライアンに一任していた。ブライアンは、これに真剣に取り組み、その品質、コンセプト、そして影響に至るまで
   を吟味し、そのすべてがビートルズの品格を落とさぬよう、目を光らせるのである。ここまで真面目で面倒見のよいマネージャーは、ロ
218ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 18:42:40 ID:???0
   ック史上、ブライアンの他にはいなかった ── と伝えられている。
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
    〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamond

  ・1960年代前半、ポップスターやロックスターのグッズ販売は、まだそのリョウメイキにあった(小林、「黎明期」を読み間違える)。
   Tシャツ、その他の販売は1970年代以降のもので、60年代には存在しないもの。おそらくエンターテイメント業界において、存在して
   いないが、大規模な世界的キャラクターグッズの唯一の例は、ウォルト・ディズニー社が成功させた映画アニメのキャラクターグッズ販
   売である。1964年から8年にかけて、とにかくビートルズという名前が入っているものなら、何であれ世界中のファンが買いあさる中、
   公式フランチャイズの一貫したポリシーなど存在しない状況下で、無許可の商品が審査も検閲もなしに、大西洋の両側でどんどん売りだ
   された。ブライアンとNEMSのスタッフが、コンサート、ツアー、レコード販売に専念している間に、物販についての問い合わせは、ブ
   ライアンの事務弁護士であるディビッド・ジェイコブスへと回され、彼の事務所の不慣れなスタッフたちが、もはや手のつけられないよ
   うな状況にもめげず、精一杯対処しながら素人臭く処理したのである。この問題に対処すべく、遅ればせながらアメリカで設立された会
   社があった。その会社の名は、セルティーブ社。Beatlesのスペルを逆にした、Selteabというネーミングである。この会社ができて、や
   っとなんとか妥当な契約処理がなされるようになった。最初にブライアンが合意した契約内容によると、グッズ販売によって、ビートル
   ズにもたらされる利益は、たったの10%。つまり、残りの9割は、すべて仲介業者やライセンス取得者、製造業者、卸業者、小売業者、
   そして、流通ネットワーク業者によって分配された。本来ならば、ビートルズであるなら、その9割がビートルズ側に入っても妥当なも
   のである。いずれにしても、後の祭りであることに間違いはなく、新たに結ばれた契約でも、ビートルズに9割が転がり込むことはなか
   った。現代のビジネスでは考えられない、ため息の出てくるようなお話である。
219ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 19:02:43 ID:???0
  ・ビートルズ側の取り分は、たったの10%。これは、マネージャーのブライアン・エプスタインが、最初にアメリカで結んだビートルズ
   関連グッズ販売における印税の割合である。本来ならば、ビートルズ側に9割がもたらされても、何ら不思議はない話である。まだ無名
   のアーチストのグッズを販売するのであれば、それは先行投資であるから、9割を持っていかれても仕方のない話。しかし、ビートルズ
   の場合は、既にアメリカでNo.1ヒットを出し、エド・サリバン・ショーへの出演が決定した後の契約である。ブライアンは、惜しいこ
   とをしたとも言えるが、これはビートルズ側のポリシーでもあった。彼らは、ロック・ミュージシャンであることに誇りを持っていて、
   そこいらのアイドル連中と一緒にされたくないと常々考えていた。金を稼ぐのは、レコードとライブツアー。そして、それに伴うパンフ
   レットやプログラムなどに制限しようと決めていたのである。今では考えられないことであるが、当初ビートルズは、ロックビジネスに
   ついて、極めて潔癖であり、ごくシンプルに考えていたのである。結局、ブライアンがアメリカで設立した会社、セルティーブ社によっ
   て、このグッズ販売における新しい契約が更新された。以前よりは、かなり良い条件だとはいえ、ブライアンの会社NEMSが、利益の手
   数料25%を差し引くと、ビートルズに残るのは10%未満。もちろん、これはさらに4人で均等に割られるのであるから、一人2.5%の取
   り分ということになる。とりあえず、これに納得するしか術はなかった。しかし、問題はこれにとどまらず、次から次へとトラブルは起
   こった。ある商品には、ライセンスが二重に取られていたり、地域限定商品の重複などが頻発した。これに対する苦情もビートルズ側に
   殺到し、セルティーブ社はごった返した。さらにこの混乱は、訴訟へと発展していくのである。
    〜 The Beatles / Money
220ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 19:20:21 ID:???0
□リクエスト
  ・ウチの家内は、この番組で初めてメンバーのことを詳しく知り、知らなかった頃より、だんだんポールやジョンのことが嫌いになり、
   ジョージやリンゴが好きになってきたそうです。やはり、ブライアンが作ってきた、清純なビートルズのイメージは強いのでしょうか
   (船橋市/男性)
    〜 Paul McCartney & Linda McCartney / Monkberry Moon Delight
   (小林)それは、ぼくらの狙っているところじゃないんですけど…。色んな本当のことを知らされて、ますます人が好きになるというのが
   本当のぼくの狙っていたことなんですけど。え、ジョン・レノンこんなヤツだったのか、人間っぽいよな、だからこういう作品ができる
   のかという、ますますジョンのことが好きになっていくような。

  ・私が持っているのは、赤いワンです。どの曲も有名ですから、リクエストに困って、この曲を御願いします。拓郎さんの歌にも出てから
   知りました。バーボンを飲んでないから知らないけど、雰囲気は好きです。(江東区/女性)
    〜 The Beatles / Penny Lane
   (小林)赤と青の赤盤のことかな?(「1」のことだろうと思うが…)ペニー・レイン通りなんですが、ポールやジョンが、通学にバスに
   乗って、ペニー・レイン通りを通ってたということでもお馴染みですが、吉田拓郎の歌は「ペニーレーンでバーボンを」。これは、彼が
   原宿でペニー・レインという店を始めたんですよ。そこは、その当時はナウい場所でしたけど、そのことをおっしゃってるんですね。
221ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 19:30:15 ID:???0
  ・ビートルズは、私の洋楽の原点です。40年近く聴き続けていますが、決して飽きることはありません。ビートルズのサウンドやメロディ
   を聞くと、ゆったりとしたリラックスした気分になります。私がリクエストしたい曲は、ジェフ・ベックがビートルズをカバーしたこの
   曲です。10年ほど前から、ライブのクライマックスで演奏するようになりました。今年4月の来日公演でも、素晴らしい演奏を聞かせて
   くれました。ビートルズをカバーしているミュージシャンはたくさんいますが、ギター・インストルメンタルのカバーは珍しいと思いま
   す。原曲の形をあまり崩していないアレンジも大好きです。(富里市/男性)
    〜 Jeff Beck / A Day in the Life
   (小林)ニューヨークの有名なB.B.キングが開いたブルース・クラブというのがあるんですが、ここでのライブバージョンをお送りします。
   歌がないだけに、そしてジェフ・ベックというのは、普通のギタリストと違いますからね。必ず、ビートルズの名曲を通して、彼のメッ
   セージが伝わると思います。
222ポール・キロックトニー:2010/09/19(日) 19:36:05 ID:???0
(小林)ビートルズがすごいことになっちゃったんで、ビートルズグッズがいっぱいあふれた! もう、時代のことを知らないと、あの日本にもそ
ういうブームは押し寄せてきましたけど、アメリカなんかすごかったです。ビートルズカツラというのはね、普通のサラリーマンが、花の金曜
日とか土曜日になると、デートしたりするじゃないですか。そうすると、ビートルズ風のスーツを着たりして、カツラを被るんです。そして、
デートする。それを本気でやっていた、そういう時代です。で、ビートルズ消しゴム、ビートルズ鉛筆、ビートルズストッキング。ありとあら
ゆる物が出たんだけど、他の業者が甘い汁を吸って、あまりビートルズには回ってこなかったという。今、話しを聞くと、何やってたんだとい
う。それが、世の中の現象だったわけです。リクエストお待ちしています。小林克也でした。
223ホワイトアルバムさん:2010/09/19(日) 23:16:25 ID:???0
このスレ面白い。
いつも見てます。
224ホワイトアルバムさん:2010/09/20(月) 18:20:45 ID:???0
ああいう話を聞かされて、だんだん嫌いになっていってしまったというのは
むしろ正常な反応のように思えるのだが。
225ホワイトアルバムさん:2010/09/20(月) 21:56:53 ID:???0
どうでもいい。
226前回の日付、正しくは19日でした:2010/09/26(日) 18:20:54 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年9月26日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月26日)
  ・1969年 (41年前)
    イギリスで、Abbey Road のアルバムが発売になった日です。これはちょっと紛らわしいんですけど、ビートルズは Let it Be が最後に
    出るわけですよね。しかし、 Let it Be はレコーディングの途中で暗礁に乗り上げて、発売されるかどうか分からない。で、もうバンド
    がもう、我々は解散するなというのが分かるわけです。だって、自分が辞めたいと思ってるわけだからね。そこで、バンドの最後とし
    て、きちっとしたものが作りたいとプロデューサーのジョージ・マーティンに言います。ジョージ・マーティンは、もうまったくビー
    トルズかあ、この時期離れていまして、また元のようにようにプロデュースさせてもらえるんだったらという条件で、仕事を引き受け
    ます。エンジニアは、ジェフ・エメリックです。で、このアルバムは Abbey Road というタイトルになるんですが、ジェフ・エメリッ
    クが吸っていた煙草のブランドが「エベレスト」というんで、これはもう世界一のグループ、高いところにいるという象徴ですから、
    エベレストというタイトルにしようと、その時はみんな盛り上がっていて、エベレストまで写真撮りに行こうとなったんですが、リンゴ
    ・スターが「何言ってるんだ、そんなめんどくさいことやめようよ。外で写真撮ろうよ。」ということになって、アビー・ロードで、
    例の名物写真ができるわけです。それまで、スタジオは「EMIスタジオ」と呼ばれていましたが、これでアビー・ロードが有名になって
    「アビー・ロード・スタジオ」と呼ばれるようになって、正式に名前まで変わっちゃったという、この Abbey Road のアルバム、実質
227ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 18:22:42 ID:???0
    上の、ビートルズの最後のアルバムが発売になったのが、41年前のきょう。で、この頃は、特にジョージ・ハリソンが成長しておりま
    して、やはり、名曲が入るわけです。スケジュールと予算の関係で、もうスケジュールがないわけですよ! 予算は、あったかも分から
    ないけど。ストリングスと同時録音をワンテイクで決めました。それだけ、ギターに自信がありました。ギターソロのロック史上に残
    る名演だと言われています。そして、この番組で何回か言ってますけど、イギリスの人たちの人気投票で、ビートルズのシングルで一
    番好きなのは?と言ったときに、この曲が時々1位になっています。
    〜 The Beatles / Something
228ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 18:35:22 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・1964年、ビートルズがアメリカ上陸を果たし、事実上世界のスーパーアイドルとなって以来、マネージャーの頭を悩ますことは増えた。
   それは、ビートルズのキャラクターグッズ販売に関してのこと。当初、ビートルズもブライアンもレコードやツアーなど、ロック・ビジ
   ネスそのものに関わること以外の商品を良しとはしていなかった。つまり、ロック・ミュージシャンたるもの、ロック以外で儲けるにあ
   らず ── を決めていたのである。しかし、逆にその考え方が、キャラクターグッズの販売業者を、いわば野放しにしてしまう結果となっ
   た。そのため、アメリカには、急遽このグッズ販売を取り仕切るための会社が設立された。会社の名前は、セルティーブ。Beatles を逆さ
   から読んだ名前である。この会社の設立によって、少しは印税も増え、問題は収まるようにも見えたが、実際はそういかなかった。ある
   時は、特定の商品についてライセンス契約が二重に交わされていたり、地域的に限定していたはずの商品が複数の業者によって販売され
   いたり、それはそれはひどいものであった。その全ては悪意に満ちたものによって、裏社会を通じて行われていたので、ビートルズ側に
   とっては、まさに寝耳に水と言える出来事である。しかし、これによって詐欺にあい、被害を被った側は黙ってはいない。きちんとした
   ライセンスを持った業者から、訴訟を起こされてしまったのである。最初はニューヨークの法廷において、ブライアンの会社であるNEMS
   に500万ポンド、今の価値にすると数百億円もの賠償が言い渡された。いくらビートルズが飛ぶ鳥を落とす勢いだと言っても、これは払
   える金額ではない。また、払うべきものでもなかった。結果、顧問弁護士の必死の努力によって、最終的にはNEMSがセルティーブに
   10万ポンド ── 5億円程度の賠償で決着がついた。一説には、この賠償金はすべて責任者であるブライアンが全て自腹を切ったとも言わ
   れているが、少なくともこの時以来ブライアンは、常に金銭的なことで頭を悩ませ、鬱状態におちいり、色々なドラッグに助けを求める
   ようになったという事実は、言うまでもない。
229ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 18:54:28 ID:???0
    〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
    〜 The Beatles / Two of Us

  ・ビートルズのキャラクターグッズ販売業者を野放しにした結果、被った多額の負債。マネージャーのブライアン・エプスタインを悩ませた
   のは、それだけではなかった。彼には、もっともっと奥深い、誰にも分かってもらえない重大な悩みがあったのである。それは、自分が
   ホモセクシュアル=同性愛者だということにほかならない。同性愛というブライアンの性的嗜好は、リバプールにいた十代の頃から、
   彼にとっての大きな悩みであり、負担になっていた。1967年まで、つまりブライアンが可哀想な死を迎えるその年まで、イギリスにおい
   て同性愛行為は違法であったため、彼は自分の愛情表現を隠し通しておくしか、社会生活を送る方法はなかった。ブライアンの会社で、
   ビートルズをマネージメントするNEMSのリバプールオフィスの女性事務員たちは、同性愛という意味すら良くわかっていなかった。そう
   いう時代だったのである。もちろん、ひねくれ者で変わり者でもあったジョン・レノンは、率先して彼女たちにホモセクシュアルの何た
   るかを、幾度にも渡って説明している。ひとつだけ言えることは、誰もブライアンを「ゲイ」とは呼ばなかった。当時から一般的に、ゲイ
   とはホモセクシュアルの中でも堂々とカミングアウトした日陰者ではない者を表す呼び名であったが、ブライアンの場合、どう見てもこれ
   には該当しなかった。自分の正体を、最後まで隠し通したのである。もちろんブライアンは、自分の思春期および青年期の大部分を、不幸
   で孤独で混乱して悲観的な人物として過ごした。その中でも一番大きな問題は、ブライアンがストレートなゲイでさえなく、特定のパー
   トナーとの長きに渡る恋愛関係を経験したことがなかったというところにあった。彼のあまりにも変わった性的嗜好が、暴力的な地下社会
   の最も好ましくない、影のある住人たちとの接触へと、ブライアンを導いていったのである。
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (Love)
    〜 The Beatles / Help!
230ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 19:10:55 ID:???0
  ・ブライアンの性癖は、特殊だった。これは、ビートルズをスーパースターにした男、マネージャーのブライアン・エプスタインを知る多
   くの人たちの証言である。実際ブライアンは、熱情に逆らうことが出来ず、さらにはちょっと"痛い"目にあうことが好きであった。ある
   時ブライアンは、見境なくその夜の相手を見つけ、ホテルに誘った。するとその相手はナイフを突きつけ、ブライアンのサイフから全額
   を巻き上げ、高そうな腕時計まで巻き上げ、その上ブライアンを殴って傷めつけ、追いかけられないようにそうした上で、ホテルを立ち
   去った。しかし、ブライアンは、警察に通報しなかった。いや、通報できなかったのである。当時のイギリスの法律では、同性間の交渉
   は禁止されていたし、もしこんなことがマスコミにバレたら大変なことになる。ブライアンはそう判断し、通報しなかった。ブライアン
   は、さぞかし悔しかったに違いない ── と、普通なら誰でもそう思うのだが、実際にはそうではなかった。ブライアンは、こういう日
   陰者的な存在である。その境遇を、決して嫌ってはいなかった。むしろ、それを隠せば隠すほど、どこか興奮していく自分をみつけ、欲
   情していくのである。こうなると普通の人間では、もう理解出来ない範囲のこと。しかしこれが、ブライアンの真の性癖であった。その
   反面ブライアンは、ビートルズの性関係がマスコミに漏れることを、異常なまでに恐れた。どこにでも追いかけてくるグルーピーとの一
   晩限りの関係にも目を光らせ、ビートルズと同じNEMSに所属する他のアーチストにも、厳しく指導したのである。1964年のアメリカ
   ツアーにも、ジョンは妻のシンシアを同行させるつもりであったが、ブライアンの断固とした反対にあい、これはやめている。ロックス
   ターに妻がいるなんて、言語道断。ブライアンは、そう判断したのである。実際には、欧米の女性たちの多くは、妻子持ちで成功してい
   る男性には魅力を感じる場合が多いのであるが、同性愛者であるブライアンには、その気持ちが理解できなかった。それが、ブライアン
   の特徴であり、最大の欠点でもあったのである。
    〜 The Beatles / Get Back (Single)
231ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 19:22:00 ID:???0
□リクエスト
  ・私は、現在失業中の45歳です。この年になると、なかなか職を見つけることが出来ず、将来に絶望を感じたりします。自分が落ち着ける
   場所を見つけたいと思う、今日この頃です。そこで、この曲をリクエストします。(品川区/男性)
    〜 The Beatles / There's a Place
   (小林)初心に帰って、頑張ってください。

  ・アルバムよりロックだから好きなので。(香取市/性別不詳)
    〜 John Lennon / Isolation (Anthology)
   (小林)ハードなことはハードだけど、ジョンはポールやジョージより、心を見せてくれる。本音が見える人なので、ぼくはハードという
   より、"本音バージョン"とも思うんですが。
232ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 19:29:23 ID:???0
  ・先日、あるクラブハウスの矢沢永吉スペシャルというライブに行ってきました。矢沢永吉がめちゃくちゃ好きというわけではなかったの
   ですが、改めてじっくり聞いてみると、いい曲がありますね。なかでも、ぼくの心に響いた曲がこれでした。日曜の夕方に聞けたら、ま
   た違う意味が見えるかもしれません。(足立区/男性)
    〜 矢沢永吉 / 時間よ止まれ

  ・今年発売された、ビートルズのステレオボックスを買いました。どれもいい曲なんですが、シンプルで切ない、この曲が最近のお気に入
   りです。フィドルが、この曲の優しさを醸し出しているように聞こえます。(三郷市/男性)
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye
   (小林)はい、どうもありがとう。
233ポール・キロックトニー:2010/09/26(日) 19:35:43 ID:???0
(小林)ビートルズの伝記、あるいはビートルズのお話をするときに、このなんて言うんですかね。ビートルズの音楽は、とても偉大であります。
でも、ビートルズも人間であって、事実を伝えようとすればするほど、ビートルズの表の面、影の面、とてもパーソナルな、個人的な、普通だ
ったら、そんなところまで突っ込んで詮索したりしないんだけど、そういうところが伝わります。そういう時に、どういう風な方向に行くかと
いくと、ネガティブなことを聞いたりするわけですよ。そうすると、それに対して、自分の反応に気をつけて欲しいんですけど、例えばぼくの
場合を話すと、ぼくはジョン・レノンが好きですけど、ジョン・レノンのどんな悪口を聞いても、どんな話を聞いても、全然揺るがないんです
よ。余計好きになったりするんですよ。そういうこともありますので、ひとつ皆さんも受け流したり、それ相当に自分の中で消化していただき
たいと思います。リクエストもお待ちしています、ひとつよろしく。お相手は、小林克也でした。
234ホワイトアルバムさん:2010/09/28(火) 20:53:31 ID:A87s/lRJ0
さすが克也さん、わかってらっしゃる!
235ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 18:27:05 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年10月3日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月3日)
  ・1969年 (41年前)
    ランスダウン・スタジオで、ジョンとヨーコとプラスチック・オノ・バンドが、Don't Worry Kyokoという曲、これはビートルズ・
    ファンなら良く知っている曲ですが、まあビートルズ・ファンも二つに分かれていて、リンダ・マッカートニー、オノ・ヨーコが
    ビートルズを解散させたと思っている人と、ジョン・レノンはオノ・ヨーコの影響を受けて素晴らしいアーチストになったと信じて
    いる人と。どっちも事実だと思うんですけど。この Don't〜は、いろんな意味で有名な曲であります。それぞれが別々で、ポールは
    ポールのソロのこと、リンゴはリンゴのソロのこと、ジョージもそうです。ジョン・レノンはというと、オノ・ヨーコに芸術的な意味
    で影響を受けています。だから、オノ・ヨーコと一緒にプラスチック・オノ・バンドを作って活動をするというのを目標にしているわ
    けですね。で、41年前のきょう、それを録音した。実は、これを遡る2週間ぐらい前になるんですが、カナダのトロントでロックンロ
    ールのリバイバル・フェスティバルが開催されるんですよ。これは、カナダの素人っぽいプロモーターがやったらしいんですけど、ゲ
    ストでジョン・レノンに来てもらうと思って連絡をとったんですよ。ジョンは、ちょうどライブをやりたい頃だったんですよ。それで
    ゲストで来てくれという話を聞かずに、OK、バンドでやろうという話になって、棚からぼた餅でカナダのプロモーターは本当に喜んだ
    という話があって、すぐジョン・レノンはクラプトンにスケジュールを聞いたら、空いてるという話になって、じゃあカナダへ行こう
236ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 18:32:32 ID:???0
    よってんでカナダに行って。それでその時の模様が録音となって残っております。聞いた方も多いと思いますが、きょうは41年前の
    きょう、ジョン・レノンたちがスタジオでやった曲のライブを聞いてもらいます。聞くところでは、ジョン・レノンが歌うところは良
    いんだけど、オノ・ヨーコが歌うときはブーイングがあったりして、それをジョンがかばったりするので必死だったという話を聞きま
    したけど。そのライブの中から、途中まで!
    〜 Plastic Ono Band / Don't Worry Kyoko

    これを聞いて、ビートルズ・ファンの心は賛否両論だと思いますよ。これは、どうだろう。ビートルズじゃないよなという。だけど、
    ポップスの方から入った人はそうかもしれないけど、ビートルズに芸術的な意義を見出してる人、あるいはジョン・レノンのファンの
    人。ジョン・レノンに多大な影響を与えた、ジョン・レノンより新しい、ポップスじゃなくてアバンギャルドな芸術を目指していた日
    本人の芸術家としてのオノ・ヨーコ。あるいは、日本人の母親としてのオノ・ヨーコの魂の叫びというのは、ジョン・レノンの Mother
    とか、いろんなものがあるじゃないですか。それにも負けないような鬼気迫るものがあって、アーチストとして芸術家として聞いてあ
    げると、これは深いものがある…。ま、人によって、強制はしないですけど、問題として掲げました。これは、深い芸術作品でありま
    す。
237ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 18:49:10 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・人目を偲んで男を愛することしか出来ない。ちょっと痛くされるのが好き。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの私
   生活は、誰にも理解されることのない、いわば日陰者的な閉ざされたものだった。当時のビートルズの広報担当者であるトニー・バーロウ
   の記憶によると、ブライアンはたった一度だけではあるが、ある特定の男性パートナーと満足のいく関係の寸前までいったことがあると
   いう。しかし、その男は、ブライアンをこっぴどく裏切った。その問題の男の名は、ジョン・ディズ・デレスピー。俳優志望の青年であ
   った。ブライアンの仕事仲間の一人によると、このディズという男は、どちらかというと二枚目の、アメリカの中西部からやってきた趣
   味の良いペテン師で、ブライアンのことを本当に好きなんだと思わせて誘惑した男であった。ブライアンは、かなりのぼせ上がって、デ
   ィズに自分の会社であるNEMSのアーチスト契約を結ばせ、週払いでギャラを渡している。1964年の年末になると、ディス・デレスピー
   は、ブライアンのお抱えアーチストになった最初の本格派俳優であると、マスコミにも発表された。この時のプレスリリースでは、本格
   派を形容する表現として、ストレートという言葉が使われたが、ディズは性的にはもちろん“ストレート”ではなかった。当然のように
   男とも女とも浮気をしまくっていたのである。ブライアンは、このディズとの嵐のような結末を迎えたわけであるが、周りのみんなはタ
   チの悪いゆすりにあったようなものだとブライアンを哀れに思った。しかし、このディズという男はさらに悪質で、ブライアンに手切れ
   金を要求してきたのである。もちろん、ブライアンはその金を渡して、ハイエナをさっさと追い払ってしまった。この出来事は彼にとっ
   てショックで出来事であり、自分を捨てたディズへの思いを振り切るまでには、かなりの時間がかかった。それでもブライアンは、懲り
   た様子もなく、次の相手を探す毎日。むしろ、裏切られるという経験をも、どこか快感のように感じていたふしもあるのであった。
    〜 The Beatles / I'm Only Sleeping
    〜 The Beatles / Martha My Dear
238ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 19:08:13 ID:???0
  ・ビートルズのマネージャーであり、多くの謎に包まれた人物であるブライアン・エプスタインは、必要以上に仕事に精を出し、スタッフ
   に任せても良い業務までも自分ひとりでこなしていた。その一方で、ロンドンのウェストエンドに出没するアーチストやセレブリティな
   ど、おしゃれな人々に囲まれて過ごすことで、幸せな恋愛関係を築くことの出来ない、自分の寂しい人生の埋め合わせをしていた。仕事
   上では、ビートルズの権威を振りかざして他のアーチストとの仕事も決めるというのは出来るだけ避けるようにしていたブライアンであ
   るが、私生活ではその権威を大いに利用するようにしていた。ロンドンの老舗百貨店ハロッズの近くにある超高級アパートに、各界の重
   要人物や有力者を招いて行った知的なディナーパーティは今や伝説的であるが、後にこの催しはチャペル・ストリートにある19世紀に
   建てられた豪華で歴史ある邸宅で開かれるようになるのである。そこにはもちろん、ビートルズの誰かが顔を出し、ローリング・ストー
   ンズからも2,3人。ブライアンの経営する事務所NEMSの人気女性シンガー、シーラ・ブラックもいた。こうしたパーティの際、決まって
   ブライアンの横に仕えていたのは、容姿端麗で背の高いロニーという名の黒人使用人。その姿には、誰もが目を奪われた。まるで、前時
   代の貴族の館に招待されたような錯覚に陥るのである。こうした召使を雇うことは、一流の証である ── と、ブライアンは信じていた。
   さらに、パーティの席上では、正装の黒い上着に身を包んだスペイン人の執事が指揮を取り、少人数のサービススタッフが良く冷えた高
   級シャンパンと極上のキャビアを運んでいた。この時のブライアンは、まさに至福の表情、そのものであった。ブライアンの会社のス
   タッフは、この光景を少し不思議に思っていた。この贅沢は、いったい何のために行われているのであろうか? それは、ブライアンの
   鬱屈した私生活とは、まるで180度逆の方向にあったのである。
    〜 The Beatles / Old Brown Shoe
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road
239ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 19:25:39 ID:???0
  ・「ブライアンのパーティ、それはもうスゴイものだったよ。」これは、1960年代のビートルズに関係した誰もが口にする証言である。
   特に、1964年8月12日のパーティは、後世に語り継がれるものであった。このパーティは、ブライアンがチャペル・ストリートの豪邸
   に引っ越す4ヶ月前に行われたもので、場所は当時最もファッショナブルであったスローン・ストリートと高級住宅街であるベルグレイ
   ヴ・スクエアの境に位置する高級マンションの最上階、ペントハウスであった。ゲストに送られた招待状も、とてもかしこまった文面の
   おしゃれなもの。そこには、ビュッフェスタイルの晩餐会・午後9時半という文字が美しく印刷され、金色に縁どられていた。ブライア
   ンが表向きに発表したこのパーティの趣旨は、ジョン・ポール・ジョージの出発を目前に控えた北米での本格的コンサートツアーを記念
   してというものだった。このツアーの重要性を強調するため、ブライアンはニューヨーク版のサタデー・イブニング・ポスト紙の最新号
   を何部も用意して、部屋のあちこちに並べておいた。それは、ビートルズの写真が表紙を飾ったもので、中にはロング・インタビューも
   掲載されていた。このツアー直前のパーティのために、ブライアンの招待客リストは、それまでに彼がロンドンで開いた盛大なパーティ
   のどれよりも華やかなものであった。その面々とは、真のスーパースターであるジュディ・ガーランドを筆頭に、ビートルズ、シーラ・
   ブラック、ミック・ジャガーとキース・リチャーズ、ピーター&ゴードン、サーチャーズなどのロック・スターの他、当時の人気ディス
   クジョッキーであったアラン・フリーマン、ピート・マーレィ、ブライアン・マシュウの三人が名を連ねていた。さらに遅れて参加した
   のが、リバプールからわざわざやってきた人気女性シンガーのダスティ・スプリングフィールド。パーティ好きとして有名だった彼女は
   ブライアンが心を許せる、数少ない女性であった。このパーティの詳細な模様は、また後日お伝えすることにしよう。
    〜 The Beatles / Please Mr. Postman
240ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 19:45:32 ID:???0
□リクエスト
  ・8月末、Band on the Run のリマスターが発売延期になってしまいました。この件で、克也さんが知っている情報があれば教えて欲しい
   んですが、よろしくお願いします。(横浜市神奈川区/男性)
    〜 Paul McCartney / Band on the Run
   (小林)ありません。

  ・最近、ブルーレッドホワイトの復刻盤が発売されましたが、もう一つクリーミー・ロカホワイトで、ポールがこの曲を歌ってますよね。
   この曲だけ、ライブ・バージョンだと思うんですが、聞きたくなったのでリクエストします。レコード持っていたのに30年前に売って
   しまって公開しています。(印西市/女性)
    〜 The Beatles / Long Tall Sally (BBC)
   (小林)(ブルーレッドホワイトは)まだ、発売されてないそうです! これはちょっと分からないんですが、クリーミー・ロカホワイトとい
   うのは、何のレコードでしょうかね? ハリウッド・ボールというのがあるんですが、あのことではないでしょうね?
241ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 19:50:28 ID:???0
  ・若い方々はどのように聞こえるか分かりませんが、YMOチックで大好きな一曲です。(日立市/女性)
    〜 サカナクション / アルクアラウンド
   (小林)YMOみたいなところもありますよね。でも、ビートルズと共通したところがあるような気もします。

  ・9月になり、新学期が始まりました。学校で数こそ少ないですが、ビートルズ・ファンの友人と、ビートルズのことについてよく話しま
   す。その中で、映画「ヘルプ!〜4人はアイドル」についての話が出ました。ぼくは、動画サイトなどを通して見たことがあるのですが
   その友人は見たことがないそうです。見てみたら、とても面白い映画なのに。映画を見せることを約束して、話を終わらせました。
   (八千代市/男性/14歳)
    〜 The Beatles / Help!
242ポール・キロックトニー:2010/10/03(日) 19:53:12 ID:???0
(小林)階級制度のようなものが残っていたイギリスに新しい勢力、ビートルズが出てきたわけですよね。それで、一番すごいパーティをやる。
時代的にとても面白いんですけど、そういったところも味わいながらお送りしたいと思っています。リクエストも待ってます。お相手は、
小林克也でした。
243ホワイトアルバムさん:2010/10/03(日) 20:58:15 ID:???0
乙!!
244ホワイトアルバムさん:2010/10/04(月) 18:31:47 ID:???0
克ちゃんは、ヨーコにも理解があるんだな。
245ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 18:11:06 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年10月10日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

小林「うわー、きょうはスゴい! 本当にスゴい!ぼく、しゃべんなくて拍手がずっと流れててもいいぐらいのすごい拍手です。みんな、これか
ら始まるってね。いやー、楽しみだ。それでは、どんなことが目当てで20倍の競争率のスペシャルパーティーに参加したのか前列の方。きょう
は、何が目当てで来ましたか?」
お客さんA「中村中さん目当てで。」
小林「あなたもそうですか?」
お客さんB「同じです。」
小林「ウソはないですね?」
お客さんA「ウソはないです。」
小林「どんなところが好きですか?」
お客さんB「魅力的な歌声です。」
小林「ちょっと平凡でしたんね(観客、笑)。どんなところが好きですか?」
お客さんA「歌唱力の良さ。」
小林「あー……。なんか、シーンとしないで、わーっと何か言ってください。はい、どうも。えー、はい。moumoon目当てに来た人!」
246ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 18:15:45 ID:???0
お客さんC「はい! 美貌と歌唱力にホレました。」
小林「美貌と歌唱力、はぁー。同じだったですよね、歌唱力がね。同じだったですよね…。いや! このパーティは他の目的で来た人もきっといるはずです。あ、あなたは何が目的できましたか?」
お客さんD「もちろん、小林克也さん目的です。」
小林「そうですかー!!(拍手)どうも、ありがとうございます。いやいや、このパーティは、歌ったり喋ったりする人ばかりじゃありません。他
のもの目当ての人も絶対いるはずです。あなたですか?」
お客さんE「はい。」
小林「何で来ましたか?」
お客さんE「石井食品が大好きです(観客、笑)。」
小林「特に好きなのはなんですか?」
お客さんE「ミートボールです。」
小林「きょうはこの後で、つまりこのパーティはディナーショーとも言える、ちょっと変形のディナーショーです。たっぷりお楽しみいただきた
いと思います。ビートルズから始まる。スペシャルパーティー、この番組は石井食品の提供でお送りします。」
247ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 18:38:06 ID:???0
小林「さあ、それでは登場します。moumoon! moumoon!」
moumoon「みなさん、こんばんは。moumoonでーす。よろしく、お願いします。一緒にまったりした気持ちいい空間を作っていきたいので、
初めての人も是非一緒に楽しんでください。よろしくお願いします!! きょう一曲目に、ビートルズの楽曲たちの中から、この曲をカバーしたい
と思います。それでは、聞いてください。Here Comes The Sun.」
    〜 moumoon / Here Comes The Sun

moumoon「ありがとうございます。えー、Here Comes The Sun を聞いていただきました。えー、moumoonの、次はオリジナル曲をやろうと
思うんですが、ちょっと日差しが暖かいみたいな気持ちいい曲をやりたいと思います。それでは、行ってみましょう。聞いてください、Sunshine
Girl!」
    〜 moumoon / Sunshine Girl

小林「どうも、ありがとうございます。moumoonです、どうも。どうも。どうも。なんか、あったまってきたけど、時間がきちゃって。」
moumoon「もう、あっという間でした。」
小林「moumoonは、フルムーンの時に、満月の時にやったりするんだけど、結構ライブって好きですか?」
moumoon「大好きです。」
小林「レコーディングとライブっていうと、もちろん違うと思いますけど、レコードで自分で詞をつけたものが段々形になっていく。そういう
場所と、こういう場所。どう違いますかね?」
248ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 18:43:06 ID:???0
moumoon「どっちが?」
小林「そんなバカなこと聞くなって?(笑) それぞれの誰にも見られないところで、すごい音でやるのと、(ライブは)みんな乗っかってくるじゃな
いですか。ぜんぜん違うことだもんね。」
moumoon「そうですね、なんか一人で作り込むというのは内に内に入り込むということなので、それをやり尽くして出来上がったものを私たち
moumoon二人で『カッコいいでしょ』って、こう『見て見て!』っていう瞬間なんですよね。そういうCDとか、(ライブで)着てもらった時
に聞いてもらうというのは。『見て見て』って、ほんと子どもが…。」
小林「それは、彼女だけかもしれないよね。あなたもそう?」
moumoon「やっぱ、曲はこもって作ってるんですけど、それはやっぱり聞いてもらう相手というか、誰かがいないと、昔デモテープ作って、
友だちに聞いてもらって、すごくいいですよとか、そういう…」
小林「それがちょっと、今度は違う関係になるんだもんね。」
moumoon「やっぱり、たくさんのお客さんに聞いてもらう場があると、嬉しいですね。」
小林「そうすると、曲を作ったりするときは、ライブのことを意識したりとか、盛り上がるために…。」
moumoon「最初インディーズで、勝手に自分で作ってる時は、何も考えてなかったです。ライブのことなど一切考えてなくて、ライブの時に
大変だ、早い曲がないよ。盛り上がる曲がないよなんて。」
小林「ヒット曲、今やってもらいましたけど、あれはもうみんなが歌えるようになった曲じゃない。自分の持ち物じゃないみたいな、そういうの
ってある? 自分たちから出て行ったよみたいな。」
moumoon「そうですねー。」
249ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 18:52:11 ID:???0
小林「ライブの時に、返ってくるみたいな。よそ行ってて、自分のところに。」
moumoon「みんなが口笛ふいてくれて、イントロのところに口笛のラインがあるんですけど、それをふいてくれたりとか、一緒に歌ってくれた
りすると、本当に嬉しくて。でも、自分の子がいなくなっちゃったみたいという、さみしい気持ちは余り無いですね。嬉しいです。よく育った
なあって感じ。」
小林「今後は、どうなりそうですか?」
moumoon「ずっと同じ感じで、本当にこもって曲を作って、(ライブで)聞いてもらうって感じでやってきてるんですけど、あまり変わらず、
これからもやってる。これだって物が出来て、それをみんなに聞いてもらうっていうのを続けていきたいと思います。11月にリリースが決まって
るので、そこでも秋冬のせつないのに楽しくなれるような曲を作ってみたので、それも聞いてもらうのが楽しみです。」
小林「日本で一二を争うエイベックスに所属していますが、あそこはどうですか?キツイですか?(笑)早くシングル出してくれよ!とか?」
moumoon「やっぱりそのー、ラジオとかもそうなんですけど、インターネットを通じてみんながいち早く情報を手にできるという時代だから
私たちもより制作するスピードを早めないとということを感じたりしますね。」
小林「今もう、ネットとか流されちゃうから、これからはもうなるべく知られないようにするということも技かも分からないでしょ。」
moumoon「全部が出ちゃうとたしかに、いっぱい曲とかあふれてて。その中から自分たちの曲を聞いてもらうというのは難しいし。でも、ラ
イブでしかやらないというのも良いですね、リリースしないとか。」
小林「きょうのビートルズみたいに。」
moumoon「きょうしか、やらないですものね。曲、色々迷ったんですけど選ぶのを。」
小林「ジョージは三番目にいて、どうやって前に出ようかという、それと自分の居場所を見つけたから、強い人になったんですよね。」
moumoon「そうですね...。」
小林「どうも、きょうは...。moumoonのお二人でした。どうも。」
250ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:16:47 ID:???0
小林「ここでぼくが問題を出します、答えは後で言います。実はですね、きょう彼女がリハーサルを5時台にやってました。その時に、地震が
あったんです。その地震を呼んだ曲というのが、三曲の内どの曲でしょうか? 正解は後ほど、お伝えします。それでは、お待たせしました。
中村中さんです!」
中村「クラブ・イクスピアリへお越しの皆様。初めましての方は、初めまして。そうでない方は、こんばんは。中村中です、どうぞよろしくお
願いします。まず、歌う前にひとつだけ、言っておきたいことがあります。あなた! あなたお二人、先程わたし、モニター越しにですね、克也
さんとのやりとりを聞いていました。中村さんのどんなところが好きですか? 魅力的なところ。うん、悪くない。歌唱力。ま、悪くないです。
ところがですね、〇〇さん。moumoonさんのところで、美貌と歌唱力と言いました。美貌が足りない、中村中です。どうぞよろしくお願いしま
す(お客さんから「キレイです!」という声がかかる)。きょうは、あなたには八割で歌います。そんなことはない。先ほど、小林克也さんが
リハーサル中に地震があったという話がありましたけど、私はまったく気が付きませんでした。私に聞いても分からないので、出された問題、
みなさん各々で考えてみてください。まず、聞いていただきます。初恋はどんな人でも実らずといいますが、私の10代の頃の思い出を歌いまし
た。初恋という歌から始めさせていただきます。短い時間ですが、どうぞお付き合い下さい。」
    〜 中村中 / 初恋
251ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:18:08 ID:???0
中村「どうもありがとうございます。ニューアルバム・少年少女は、タイトルが少年、少女となってますけど、少年にしか、少女にしか楽しめ
ないというアルバムではないと思います。ま、見渡しますと、あまり少年や少女は見受けられないように思いますが、でも皆さんも過去には、
少年や少女の経験があると思いますので、一度手にとっていただきたいと思います。きょうは、ビートルズから始まる。という番組にお世話に
なってます。実は、わたしは全くと言っていいほど洋楽を聴かないんですよ。それで、ビートルズから始まる。という番組の話が来たときに、
何曲か耳にした曲はあったんです。でも、CDではなくて、私が一番最近にビートルズの曲を耳にしたのは、ある映画でした。去年の映画で、
堺雅人さんが主演していたゴールデンスランバーという映画があったのをご存知ですか? 映画の内容は、ある事件がきっかけでバラバラにな
っていた昔の同級生が久しぶりに会ったりする..ちょっと端折って説明しましたけど、そういう内容でした。その映画で、ビートルズの曲が出て
きたんです。ゴールデンスランバーというメドレーの曲を録音しているときは、もうビートルズは解散間近で、バラバラになってしまったメン
バーは、本当はその絆を直してもっとビートルズがやりたかったんでしょうね。私の浅知恵ですけど、みんながもっと絆が治るようにならない
なと思って、曲にしたのがゴールデンスランバーだったそうです。きょう歌うのは、そのゴールデンスランバー…ではないんですけど、そこで
ビートルズを知ったので、この番組にお邪魔できるきっかけになったかなと思います。いくつかある曲の中から、ビートルズの名曲と言われて
おります。Eleanor Rigbyという曲をやりたいと思います。」
    〜 中村中 / Eleanor Rigby
252ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:41:50 ID:???0
中村「どうもありがとうございました。Eleanor Rigby、見てごらん、あの寂しそうな人達を。そういう歌い出しで、その寂しそうな人達に、
おそらく私も入っているんだろうな。そして、皆さんも入っているんだろうなと思ったので、そんなところを強調してアレンジしてみました。
デビューをして、初めて、英語の歌を歌いました。もう、こんな機会を与えてくれた、ビートルズから始まる。さんに私からお礼を言おうと思い
ます。どうもありがとうございました。さ、最後の曲になってしまいますが、私も日々勉強だなと思います。まだまだ若造ですので知らないこと
もたくさんあるし、日々勉強だと思ってこれからも頑張って歌を歌おうと想います。お別れになりますが、ニューアルバム・少年少女の中から
私から皆様へメッセージです。最近はテレビを見ていても、ラジオを聞いていても、不安定な時代という人もいるし、ショッキングな事件がとに
かく目立ちます。でも、そんな時には、私はたくましく生きることをやめたくないなと思います。そういうものに飲み込まれてしまうのは簡単だ
と思うんですね。たくましく生きることをやめたくない、そんな気持ちで書きました。家出少女という歌を聞いてください。どうもありがとうご
ざいました。」
    〜 中村中 / 家出少女

中村「どうも、ありがとうございました。」
小林「この方を紹介したら…、すごいミュージシャンを連れてきましたね。」
中村「素敵でしょ、私より先に紹介するなんて、克也さん…。on Piano、こうさかこうのすけ(拍手)。」
小林「どうも。みなさん、すごかったですね。拍手の量がね、量というか長かったですね。」
中村「熱がありましたね。」
253ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:45:48 ID:???0
小林「もっとやりたいでしょう?ここまできたら、やりたいでしょう。だけど、ビートルズという枠があるんですけど、Eleanor Rigbuやってい
ただいたけど、ありがとうございます。今まで色んなアーチストが登場して、それぞれのカバーがあるんだけど、このEleanor Rigbyは歌のポール
の世界をうわぁーっと持ってきて、自分の歌にしちゃうのね。だから、こういうカバーはなかったです。」
中村「そうですね。そうでないと、私は歌えない(笑)。本当に、聞いたことなかったんですよ。」
小林「本当? だけど、それは別として、"あなたの歌"になってるんですよね。だから洋楽を聞いてないというのは、絶対ウソだよという感じがす
るぐらい、ポールのものを自分のものにして歌ってるという、ポール・マッカートニーが降りてきたような感じしたもの。」
中村「だって私、マーカットニーだかマッカートニーだか分からなかったんですよ(笑)。」
小林「それはいいんですよ、ぼくだって時々、リチャード・カッペンターズとか言ったりするんだから。それは大丈夫、本質的なこと。だから
家出少女と初恋、こういうのはアルバムの中にビートルズをぶっこんじゃったって、自分のものになるんだから入れちゃえばいいのに。」
中村「そうですか?」
小林「うん。その分、印税はポールに払わないといけないから悔しいだろうけど。」
中村「それは、悔しいですね。」
小林「だから、ポールが降りてきたと言いましたけど、正解はですね、皆さん。Eleanor Rigbyです。福島地方で、ちょっと強い地震があって
こっちでも揺れたんです。」
中村「じゃあ、ポールが福島に降りてきちゃったんですね(笑)。」
小林「ポールを呼んだ歌、Eleanor Rigby、だけど相当、やっぱ日本来てくれたんだから。」
中村「こういう機会を与えてくれて、ありがとうございました。」
254ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:52:51 ID:???0
小林「さあ、それじゃあ、それではこの組み合わせ。皆さんも協力してください、行きましょう。Let it Beですよね。よろしくお願いします。」
    〜 中村中&moumoon / Let it Be

小林「どうも、ありがとうー!(拍手) moumoon!(拍手) 中村中!(拍手) どうも、ありがとう(拍手)。お客ー!(拍手)立ち上がるー
!(拍手) どうもー!(拍手)」
moumoon「いえーい」
255ポール・キロックトニー:2010/10/10(日) 19:59:26 ID:???0
小林「というわけで、きょうのスペシャルパーティー、みなさんいかがでしたか?(拍手) いやー、まったく、始まりの時と同じような!熱の
こもった拍手をありがとうございます。どうでしたか、中村中さんは。」
お客さん「もう、衣装もすべてが素晴らしくて、これから毎日聞いていきたいと思います(なぜか観客笑)。
小林「はい、どうもー! どうでした、moumoonは?」
お客さん「きて良かったです。」
小林「良かった?」
お客さん「はい、毎日聞きます。」
小林「どうでしたか、小林克也は?」
お客さん「すごい進行が上手で、中さんともmoumonnさんとも気が合って、ビックリしました。」
小林「どうでしたか、石井食品の食べものは?」
お客さん「おいしかったです(笑)。」
小林「何が一番おいしかった?」
お客さん「もちろん、ミートボールです(笑)。」
小林「来週からは、レギュラーのフォーマットに戻ってお送りします。お楽しみに。みんな、ウソつき!(笑) ビートルズから始まる。この番組
は、石井食品の提供でお送りしました 。」
256ホワイトアルバムさん:2010/10/10(日) 21:49:03 ID:???O
(´・_・`)今日の放送は書き起こす必要茄子です。
257ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 18:09:57 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年10月17日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月17日)
  ・1968年 (42年前)
    ビートルズとしては珍しい、24時間貫徹レコーディングであります。レコーディングというか、実際やったのはですね、あのー
    ホワイトアルバム「The Beatles」。曲順を決めて、マスターテープに編集するたぎょう、作業。これは、本当にこの頃としては大変
    なんですよね。もう、どれだけ間を空けるとか、どこでフェードアウトするとか、タイミングを測って、そしてボリュームとか、色々
    決めるわけです。だから、EMIのいつも第2スタジオを彼らは使っていましたけど、ほとんどのスタジオを、ココはこれをやる、ココは
    あれをやるというような作業で、それを見てたわけですね。ただ、この日はジョージ・ハリソンがいませんでした。ジョージ・ハリソ
    ンは、ジャッキー・ローマックスとレコーディングで、ロサンゼルスにいた。一説には、バケーションで西海岸にいたというのと、自
    分の曲がなかなかジョージとしては認めてもらえない、ジョンとポールに。だから、アップルのアラン・ローマックスのアルバムに入
    れ込んでいたとも伝えられております。実際、ジョージ・ハリソンは、アップル・レコードのために色々やってるわけですね。ポール
    も(アップルのために)やったし、あまりやらなかったのはジョンかな。結局ジョージは、これからお送りする曲なんですが、ビート
    ルズ史上最多、100テイク以上録音されたそうであります。アルバムには入らなかった曲でありますが、1979年の「慈愛の輝き」で
    再録音されるまで日の目を見ませんでした。認めてくれなかったわけですね。じゃあここで、アンソロジー3に入っているバージョン
    で、ビートルズ・バージョンでお送りしたいと思います。
    〜 The Beatles / Not Guilty
258ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 18:28:28 ID:???0
    考えてみるとホワイトアルバムというのは、ジョンはジョンらしく、ポールはポールらしく、ジョージもジョージらしいんだけど、こ
    の曲は、認めてもらえなかったっていうから、ジョージも自分のベストアルバムに入れてないというか、ジョージも気に入らなかった
    のかも分かりません。そんな、ちょっと恵まれなかった。ビートルズの歴史において、恵まれなかった曲を聞いてみました。

□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・「ブライアンのパーティ、それはもうローマ皇帝が開く以上のすごいものだったよ。」これは、1960年代のビートルズに関係した誰も
   が口にする証言である。特に1964年8月12日のパーティは、後世に語り継がれるべきものであった。その会場になったのは、超高級住
   宅街であるベルグレイヴ・スクエアの境目に位置するブライアンの自宅高級マンションの最上階、つまり屋上のペントハウス。このパー
   ティの趣旨は、ジョン・ポール・ジョージ・リンゴの出発を目前に控えた北米での本格的なコンサートツアーを記念してというものであ
   った。豪華とは言え、すべてはオーソドックス。白いテーブルの上に並んだ銀の食器、洗練された生花、慎み深く物静かな出席者とウェ
   イターたち。とにかく品格があり、素晴らしいの一言に尽きる、最高のパーティであった。ブライアンの事務所でビートルズをマネージ
   メントする会社NEMSのスタッフは、このパーティが行われる数週間前には、ブライアンの計画を小耳にはさんでいた。会社のロンドン
   オフィスの総支配人であるアリステア・テーラーもその一人。ブライアンの右腕的存在でもあったアリステア・テーラーは、気を効かせ
   たつもりで、ブライアンに言った。「ブライアン。ぼくに手伝うことは、何かないでしょうか?」すると、ブライアンは、秘密めいた笑
   いを浮かべながら、こう答えた。「いやいや、アリステア。今回に限って、手伝いは無用だよ。全部、自分で取り仕切ってみたいんだ。」
   「でも、大丈夫ですか。」「大丈夫、本当に心配要らない。それに実は、身内にも内緒にしていたいんだ。まあ、今のところ教えられる
259ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 18:41:48 ID:???0
   のは、会場になるウィリアムズ・ミューズのアミューズメントの屋根に天幕を吊るつもりだということぐらいかな。きっと君も、みんな
   も喜んでくれると思うよ。」ブライアンは、実に幸せそうであった。それにしてもブライアンは、アパートのペントハウスで、大武闘会
   でも開くつもりなんだろうか?と、まったくもって想像もつかないアリステア・テーラーであった。
    〜 The Beatles / Birthday
    〜 The Beatles / Everybody's Trying Be My Baby

  ・「今度のパーティなんだけど、全部自分で仕切ってみたいんだ。それに実は、身内にも内緒にしておきたくてね。ま、今のところ教えら
   れるのは、会場になるウィリアムズ・ミューズのアミューズメントの屋根に天幕を吊るつもりだってことぐらいかな。きっと、君もみん
   なも喜んでくれると思うよ。」これは、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが、側近中の側近、ロンドン・オフィス
   の総支配人であるアリステア・テーラーに言った言葉である。しかし、ブライアンは一体、何を始めようとしているんだろう。アリステ
   アは、あれこれ想像を巡らせた。そうか、ブライアンは、アパートの屋上で、ダンスパーティを開こうとしているんだな。雨が降ったり
   寒かったりした時のために、隅の方に天幕を張るわけだ。アリステアが考えたのは、およそそんな程度のことである。もちろん、ボスに
   忠実な真面目人間のアリステアは、ブライアンに頼まれたら、いつでも手伝いをしようと、やる気満々で待っていた。そんな中、ブライ
   アンの元に、デザイナーやアート・ディレクターたちが足げく通い始め、その数に圧倒される日が続くのある。それからしばらくして、
   部下であるアリステアの自宅にも、招待状が届いた。その文面は“8月12日午後9時より、ブライアン・エプスタインが、ロンドンの
   ウィリアムズ・ミューズ・ワッドオンハウスの自宅にて、ビュッフェスタイルの夕食を用意して、お待ちしております。”というシンプ
   ルなもの。そしていよいよ8月12日、パーティの当日となり、アリステアも妻のレスリーを伴って、タクシーで会場へと乗り込んだ。ブ
260ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 18:59:03 ID:???0
   ライアンの家に着くと、背の高い黒人の召使ロニーが出迎えてくれた。「ようこそ、テイラー様。どうぞ、中にお進みください。」
    〜 The Beatles / Rock'n Roll Music
    〜 The Beatles / I'm Happy Just to Dance with You

  ・今や、伝説とまでなっているそのパーティは、ビートルズのマネージャー、ブライアンの主催で、1964年8月12日にとり行われた。こ
   のパーティの招待状の文面は、“8月12日午後9時より、ブライアン・エプスタインが、ロンドンのウィリアムズ・ミューズ・ワッドオ
   ンハウスの自宅にて、ビュッフェスタイルの夕食を用意して、お待ちしております。”というシンプルなもの。パーティ当日となり、
   ブライアンの側近であるアリステア・テーラーも、妻のレスリーを伴い、タクシーで会場へと乗り込んだ。ブライアンの家に着くと、
   背の高い黒人の召使ロニーが迎えてくれた。ブライアンはまるで、植民地時代の貴族を真似て、黒人の使用人も雇っていたのである。
   「ようこそ、テイラー様。どうぞ、中にお進みください。」アリステア夫妻が通されたのは、屋上に出る手前の階段の場所。そこを上
   がっていくと、ぶつかったのは天幕。なんとその天幕は、屋上いっぱいに張ってあったのである。しかも、壁面全体は、信じられない
   ようなピンクと白の縞模様の天蓋で覆われ、その窓からはロンドンの街全体が見渡せる仕掛けになっていた。さらに、2・3メーターお
   きには、白とピンクのカーネーションが置かれ、小さなダンスフロアの周りには、黄金色のテーブルとイスが点々と置かれていたので
   ある。そして、注目の料理。これがまた、素晴らしかった。アリステアはこれは、ローマ皇帝でもここまで豪華なものは用意しなかっ
   ただろうと形容している。まず、山のように盛られたキャビア。あの超高級なチョウザメの卵が、なんとあの長いパーティの間、途切
   れることなく、補充されたのだ。最高級の冷えたシャンパンも十分に用意され、料理も酒も、すべての客に“もうこれで終わりだ”と
   思わせることは一度もなかったと伝えられる。これこそが、ブライアン・エプスタインのあの伝説のパーティだったのである。
261ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 19:20:52 ID:???0
   このフェードアウトにも、本人の意図があるわけですね。

□リクエスト
  ・毎週、仕事をしながら聞いています。接客業なので、あまり長く話を打つ事ができないので、時間があるときは、話をメールに保存して
   おります。リクエストは、私が初めてギターで弾いた曲です。(船橋市/男性)
    〜 The Beatles / Get Back (Single)
   (小林)これを初めて弾いたんだ。どうですかね? きっと、指が動くかも分からないよ!

  ・日本武道館でのコンサートを見てきました。映画「レディース・アンド・ジェントルマン」を見てきました。ちなみに、アリーナ席で
   見てきました。ストーンズが一番油の乗った時期の映像、いまだに興奮が冷めません。もちろん、1990年初来日以来、毎回ライブに出
   かけておりますが、ミック・テイラーのギターは、キースの絡みなどなくとも、それはエネルギッシュで感動的な映像でした。
   (千葉市美浜区/男性)
    〜 The Rolling Stones / Happy
   (小林)1973年というと、ローリング・ストーンズのキャンセルがあって来日できなったんですよね。もし実現したら、同じライブを
   武道館でやったはずなんですよ。
262ポール・キロックトニー:2010/10/17(日) 19:25:00 ID:???0
  ・オープニングのビートルズ・カレンダーが好きです。邦楽でもいいですか?(松戸市/女性)
    〜 EXILE / もっと強く
   (小林)エグザイル続きですね。


※すみません、この後は機材トラブルにより記録できませんでした。
263ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 18:17:55 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年10月24日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月24日)
  ・1980年 (30年前)
    イギリスで、ジョン・レノンの Just Like Starting Over が発売になっています。これは、アメリカでは、きのうということなんですが
    イギリスでは、きょう発売。30年前ということは、ジョンが亡くなってから約30年ということになるわけですが。それまでジョンは、
    休んでいたわけなんですよね。ところが、アーチスト活動を始めるかということで、当時スーパースターと契約していたゲフィン・レ
    ーベルと契約して、ニューヨークの一番有名なレコード・プラント・スタジオで、レコーディングが始まるわけです。結果は、 Double
    Fantasy。これは、内容は、(曲順が)ジョン・レノン-オノ・ヨーコ-ジョン・レノン-オノ・ヨーコっていう。だから、ジョン・レノン
    ファンとか、ビートルズ・ファンは、ちょっとガックリ来るんですよね。半分は、オノ・ヨーコじゃないかっていう。だから、この
    アルバムはハッキリ言って、シングルも最初はあまり出だしがよくなかったんだけど、悲しいことにジョン・レノンが亡くなって、滅
    茶苦茶売れるという結果になってます。だけど、客観的にね、もう30年も経ってるから、聞いてみると良く分かるんですが、ちょっと
    違うんですよね。あの、ビートルズ・ファンが思うところと、二人のアーチストです。で、ジョン・レノンは御存知の通り、黒人音楽
    だとかロックンロールに影響を受けている。で、オノ・ヨーコというアーチストは、まったく影響が違うんです。だから、この二人は
    違うのが当たり前なんですよ。で、オノ・ヨーコは、前衛芸術家なんです。この二人のものが重なって、Double Fantasy ── 二人の
264ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 18:21:38 ID:???0
    夢というアルバムになっているわけです。だから今、冷静になって聞くと、このアルバムの良さがよく分かります。オノ・ヨーコとい
    う人は、商売がうまいというイメージがありますけど、これを聞くとやっぱり大変なアーチストだったんだな。ジョンが認めるだけの
    ことはあったんだなということが良く分かると思います。ま、そのジョンが亡くなって、いろんなものがこの秋は改めてどどぉーと、
    せきを切って夜に出るわけですが、その中の一つで、ジョン・レノンのボーカルは完璧です。しかし、リズム・トラックだけで、まだ
    他の楽器が入っていないバージョンがあるので、これ皆さん初めてだと思うので、聞いてみてくださいね。ジョン・レノンが、にこー
    っと笑っているような声で、「これをジョンとエディとエルビスのための…あ、バディを忘れてた」と。これはどういうことかという
    と、ジーン・ビンセント、エディ・コクラン、エルビス・プレスリー、そして、バディ・ホリー。みんな、亡くなっています。ジョン
    も、亡くなってますけど。この四人がもう、ボーカル的にも音楽的にも、ジョンにとってすごいアイドルだったということが分かるバ
    ージョンです。
    〜 John Lennon / (Just Like) Starting Over (Stripped Version)

    ジョンの生後70周年、没後30周年ということで、今年は盛り上がります。
265ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 18:36:57 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・ロックの世界では、今や伝説とまでなっているパーティは、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの主催で、1964年
   8月12日にとり行われた。このイベントの招待状の文面は、「8月12日午後9時より、ブライアン・エプスタインがロンドンのウィリア
   ムズ・ミューズ・ワッドオンハウスの自宅にて、ビュッフェスタイルの夕食を用意してお待ちしております」という、シンプルなもの。
   パーティ会場の装飾は元より、その注目の料理が、また素晴らしかった。ブライアンの側近である、ビートルズのマネージメント会社
   NEMSのロンドン・オフィス総支配人のアリステア・テーラーは、これを「ローマ皇帝でも、ここまで豪華なものは用意しなかっただろ
   う」と形容している。まず、山のように盛られたキャビアが、長いパーティの間、途切れることなく補充された。最高級の冷えたシャン
   パンも十分に用意され、料理も酒も、すべての客に「もうこれで終わりだ」と思わせることは一度もなかったと、伝えられている。シャ
   ンパンをぐいぐいやって、みんなそれはしこたま酔っていた。もう、こうなると、どんな高級な酒でも、味など分からなくなる。それで
   もまだ、最高級のワインのボトルの栓が次々と抜かれ、招かれたゲストのグラスに注がれた。アリステアを始め、比較的飲んでいなくて
   意識のしっかりとした参加者の目には、この光景は生涯焼きついて離れないものだという。もちろんゲストも、超一流のセレブばかり。
   その中には、ハリウッドスターのジュディ・ガーランドも含まれ、もちろんビートルズも顔を揃えて参加していた。彼らは、ビートルズ
   の曲の他にも、同じ事務所であるNEMSの所属アーチストの曲をテープに編集したものを持参し、会場で流していた。もちろん、招かれ
   た客は大喜びであるが、それ以上にビートルズにとっても、この世の出来事は、間違いなく大きな宣伝効果をもたらした。こうして文字
   通り、夢のような時間は、過ぎていったのである。
    〜 The Beatles / Got to Get You into My Life
    〜 The Beatles / I've Got a Feeling
266ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 18:49:08 ID:???0
  ・「ビートルズがアメリカ・ツアーに出かける前に開いた、ブライアン・エプスタインのパーティ。あれを上回るパーティなんて、その後
   一度も見たことはないね。」これは、ビートルズに関係したことがあるすべての人間が口にする、いわばロックの伝説に立ち会った、す
   べての者の証言である。最高級のキャビアやシャンパン、そして次々とグラスに注がれる年代物のワインもさることながら、この日のゲ
   ストの豪華さといったら、それはもうすごいものであった。主役であるビートルズを始め、ローリング・ストーンズ、リバプール出身の
   人気バンド、サーチャーズの面々。ブライアンの事務所、NEMSのアーチストであるピーター&ゴードンに、シーラ・ブラックなどなど。
   ロック・ファンなら、目が眩むような光景である。しかし、ビートルズなんて、まだデビューしてから3年目のグループ。彼らより、ず
   っと前からのスーパースターが、ハリウッドから招かれていた。その人物とは、少し遅れてやってきた超大物女優で、歌手のジュディ・
   ガーランドである。ジュディ・ガーランドといえば、オズの魔法使いやスター誕生といった名作映画の主演女優として有名なばかりか、
   歌手としてもかなりの人気を博した人である。しかし、いくらビートルズが世界中の少年少女のスーパーアイドルになっていたといって
   も、なぜハリウッドの超大物スターがこのパーティに来てくれたのか。それには、理由があった。実は前の日、ブライアンがロンドンの
   レストランで、ジュディを見つけ、無理を承知でパーティに来ていただけるように、声をかけていたのである。ブライアンも、まさか来
   てくれるなんて、夢にも思っていなかったため、それはちょっとした騒ぎになった。しかし、世代の違うジュディと他のゲストとでは話
   も合わなかったのであうが、すかさずそこに登場したのが、社交家のポール。彼は、しきりにジュディにハリウッドやブロードウェイへ
   の進出のきっかけをもらおうと必死であった。結果にはつながらなかったといえ、ここでもその前向きな姿勢が証明されたという、ポー
   ルらしいエピソードである。
    〜 The Beatles / Honey Pie
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
267ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 19:10:57 ID:???0
  ・「おや、今度のゲストは誰だ?」「なんか、映画で見た覚えのある顔だな。」「まさか、あのジュディ・ガーランドじゃないよね?」
   ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが、アメリカ・ツアーの出発記念に開いた超豪華絢爛なパーティに姿を現したの
   は、間違いなくハリウッドのスーパーセレブ、ジュディ・ガーランドであった。この時既に40代を迎えていたガーランドは、長年のアル
   コールと薬物依存によって、精神も健康も害していた。実際この夜も、何度もトイレに入り、しばらく出てこれなかったと言われている。
   それでも、社交家であるポールは、彼女を気づかい、エスコートし、色々と話しかけて、ガーランドの気晴らしに一役買っていた。そう
   こうしている内に夜はふけ、街はひっそりと静まり返る時間となった。が、このパーティだけは、いっこうに終りを迎えるムードではな
   かった。 ── と、そんな時、どどぉーんと招かねざる客がドアを叩く音が響いた。警察である。どうやら、この屋上から漏れる音楽や
   騒ぎ声が、何ブロックも先まで響きわたっていたらしい。当然のことである。とっさに機転を利かしたブライアンの側近、アリステア・
   テーラーは、ワインとシャンパンのボトルを持って、警察に事情を話そうと、ドアに向かって走りだした。すると、「勝手な真似をする
   んじゃない!」と、誰かが怒鳴る声。さっきまで上機嫌であった、ブライアンであった。ブライアンは気を取り直して、穏やかな口調で
   こう言った。「アリステア、今夜のパーティは、ぼくが全部仕切るって言っただろう? だから、君もゲストなんだよ。まだまだ、楽しく
   してくれよ。」そう言うとブライアンは、シャンパンのボトルをアリステアから受け取り、警官に手渡して言った。「少し、お騒がせし
   たようです。署に戻って、これで一杯やってください。」すると、警官は一転。「あ、そうですか。我々の勘違いだったようです。失
   礼。」とだけ答え、帰っていった。もちろん、この後も朝を迎えるまで、ロンドンの街中にビートルズ・ソングが鳴り響いていたことは
   言うまでもない。
    〜 The Beatles / Good Morning, Good Morning
    〜 The Beatles / Good Night
268ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 19:31:15 ID:???0
□リクエスト
  ・私の鳥肌曲は36年前、高校一年の時、友人から借りた青盤のカセットテープの一曲目。この曲に鳥肌が立って、36年間。ビートルズに
   心酔しています。(佐倉市/男性/52歳)
    〜 The Beatles / Back in The U.S.S.R.

  ・学校を通うときに、いつも映画館の前を通るんですが、ノルウェーの森のポスターが貼ってあって、それを見るとビートルズのノルウェ
   ーの森が聞きたくなるんです。私は、ノルウェーの森のビデオを持っていないので、ぜひかけてください。(柏市/女性?)
    〜 The Beatles / Norwegian Wood

  ・三年前に娘のリクエストが採用され、石井食品が私の弁当になりました。その後、離婚をしてしまい、娘とも離れて暮らしています。た
   だ、優しい娘に育って、一ヶ月に一回は、今でも飯を食べています。きのうも、私を含むおじさんたちのバーベキューに紅一点、二次会
   まで付き合ってくれました。この春から、希望の短大に入りましたが、体調が悪くなることが増え、本人はとても悩んでいます。私の身
   勝手な都合で離婚してしまい、娘のことまで考えてやることが出来ず、娘の体調にも悪い影響を与えてしまったと、今更ながら自分に対
   して情けなく思います。離れて暮らす私の宝物〇〇○へ、この曲を贈ってください。娘と結びつけてくれたビートルズ、この番組、そし
   て克也さんにダンケ。いつまでもこの番組が続くことを、心からお祈りします。(調布市/男性?)
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road
   (小林)(ダンケに)ドイツ語ですね。
269ポール・キロックトニー:2010/10/24(日) 19:35:03 ID:???0
  ・テレビで放映されたとき、テレビにかじりついて見ました。当時、メディアから酷評されような記憶があります。当時は、なぜか分かり
   ませんでしたが、今考えるとかなりシュールだったのかなとも思います。この曲のポールは幻想的で、とてもカッコ良かったです。急に
   寒くなりました。お体に気をつけてください。(千葉市美浜区/男性)
    〜 The Beatles / Fool on the Hill

(小林)1964年、ビートルズがアメリカで大爆発して、初のアメリカ・ツアーに出かける前のパーティ。すごいパーティだったってわけですが、
ちょっと考えてくださいよ。ビートルズは、下積みがあったにせよ、今の言葉で言うと成金ですよね、いきなり。いきなりお金が入ってきて
それでパーティをやるという。だから、なんて言うんですかね、すごく美しい世界だけど、ほんと一日で出来上がった名声っていう、美しさが
あり、モロさがありという気がしちゃいますよね。リクエスト待ってます。お相手は、小林克也でした。
270ホワイトアルバムさん:2010/10/24(日) 19:37:32 ID:???0
娘さんに曲を送った人、話は良いんだけど、自分は匿名希望なのに
娘さんの名前をハッキリ出していたのが引っかかります。
271ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 18:10:27 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年10月31日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月31日)
  ・1956年 (54年前)
    メアリー・パトリシャー・マッカートニーが亡くなります。これは、ポール・マッカートニーのお母さんです。お母さんは、よく働く
    人でした。助産婦をやってたんですね。昔風に言うと、産婆さん。で、婦長として、経済的にもマッカートニー家を支えています。市
    の公務員の地位にあるのかな。亡くなった原因は、乳がん。彼女は、ヘビースモーカーだったそうです。咳をするようになって、咳き
    込む頃は、もう時既に遅しということで。お母さんが亡くなったとき、ポールが一番心配したことは、何だと思います? ウチは、お
    父さんの稼ぎだけでやっていけるだろうか? それを、心配したそうです。ポールの家には、弟とポール、二人息子がいるわけです。
    この翌年、ジョン・レノンも交通事故でお母さんのジュリアを亡くして、翌年お母さんのいない息子として、ジョンとポールは共感し
    あう仲になって、とても近くなるわけですけどね。ジョン・レノンは御存知の通り、お母さんがいなくなると言っても、生きている時
    に、生き別れするわけですよね。だから、ジョンの場合、お母さんにこだわって、Motherとか、My Mommie is Dead とか、強烈な、
    ストレートな曲があります。ポールは、実は、有名な曲でさりげなく、お母さんメアリーを登場させています。それから、ポールに出
    来る最初の女の子の名前は、お母さんと同じ名前メアリーをつけています。さあ、さりげなくお母さんメアリーが登場する曲というの
    は、この曲です。
    〜 The Beatles / Let it Be
272ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 18:31:33 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・今をときめくスターたちを相手に、パーティーのホスト役を演じるブライアン・エプスタイン。もちろん、あのビートルズのマネージャ
   ーである。ブライアンにとって、パーティーを開いている時間は、至福の時であった。さらに、それに匹敵する時といったら、ギャンブ
   ルをしている瞬間。それ以外にはなかった。それは、可愛らしいゲームセンターやビンゴ場のようなものや、通常のカジノで賭金を張る
   のとは違い、極度にスリルのある、金ピカの大金を転がす放蕩者タイプのギャンブルである。ブライアンは、いつもロンドンのメイフェ
   アにある高級カジノに通い、そこでは大勢の金持ちがサイコロを振り、カードゲームに興じ、ルーレット盤に賭け続けた。さらに、ビー
   トルズのアメリカツアーが終わった直後には、ブライアンはラスベガスでも目撃されている。そこでのブライアンは、あるゲーム台の前
   に陣取り、数分間の間に何千ドルもの金をスっていたのである。ロンドンやラスベガスで、いくら負けようが、莫大な残金があるブライ
   アンの預金口座にダメージを与えることはなかった。とは言え、やはりこれもブライアンは、自分がホモ・セクシュアルであるため、持
   ち合わせた普通ではない性欲のはけ口と同じく、治すことの出来ない性癖であったことは言うまでもない。さらに、晩年のブライアンが
   身を滅ぼす、最も大きな原因となったものがある。それは、誰もが認める“薬”。そしてこれに、アルコールが加わる。この二つのもの
   への極度の依存が、1967年の彼の死を招いた。最初にブライアンが薬に手を染めたのは、自分もロックミュージシャンたち、つまりビ
   ートルズの仲間に加わりたかったからなのか。もちろん当時から、これは違法なことであるし、後になるとビートルズのメンバーにも逮
   捕歴が生じる。そこまでして、自分もビートルズのようなロック・アーチストの感覚を、そして時代を共有したかったブライアン・エプ
   スタイン。その孤独感の暗い縁は、底なしだったのである。
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
273ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 18:45:35 ID:???0
  ・どこまでも深い底なし沼のような、ブライアン・エプスタインの孤独感。それは、薬そしてアルコールという、二つの魔物への依存度を
   どんどん高めていった。その結果、1967年になると、ブライアンが社長を務めるビートルズの事務所NEMSのスタッフは、彼が自己崩壊
   していく姿を目撃することになる。時折ブライアンは、このままではいけないと自覚し、医者の助けを借りて、依存症を克服しようと試
   みた。多くの中毒患者であるセレブリティから勧められた、リハビリ・クリニックにも通っていた。NEMSの所属アーチストたちも、ブ
   ライアンが危険であることに気づき、ドラッグや酒をやめさせようと協力したが、それも無駄に終わった。既に、マネージャーとして機
   能しなくなっていたブライアンに見切りをつけて、次の事務所に移籍しようと行動を起こすアーチストも現れ始めた。ブライアンは、ロ
   ンドンに二つあったNEMSの事務所には顔を出さなくなり、重要な会議も欠席するようになった。彼は部下に、自宅作業をしていること
   を電話で告げた。もちろんこれは、チャペル・ストリートの自宅に篭っているということなのだが、次第にブライアンは、電話にも出な
   くなっていた。連絡事項をメモして渡しても、返事は来ない。これには、スタッフも困り果てた。クライアントとの約束もすっぽかすこ
   とが多くなり、自分たちのボスの始末を処理して回ることは、スタッフとしても大きなストレスとなっていた。キチンとした言い訳の出
   来ない謝罪ほど、辛いものはない。社長決済もこの頃既に、曖昧で意味を成さないものになっていた。ある懸案について、ブライアンは
   電話でOKを出した。しかし、後日彼は恐ろしい剣幕で「なぜ、この仕事を受けたんだ? ぼくは、了解した覚えはないぞ!」と怒り出す
   始末。遂にしびれを切らした部下のトニー・バーロウは、あるアイデアを思いついた。「ブライアン、あなたはこの三つのチェックボッ
   クスにチェックを入れるだけで結構です。同意する、早急に再検討、却下。さあ、すぐにどれか、チェックしてもらえますか。」
    〜 The Beatles / Taxman
    〜 The Beatles / Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
274ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 19:09:37 ID:???0
  ・薬とアルコールに、どんどん溺れていくブライアン・エプスタイン。もちろん、あのビートルズをロックの頂点に押し上げた、伝説のマ
   ネージャーである。そのブライアンは人生の最終章で、新たに彼の幹部と彼が手掛ける、素晴らしいアーチストたちを手に入れた。その
   最高幹部の名は、ロバート・スティッグウッド。オーストラリア人の敏腕マネージャーであるロバートは、後にスーパースターとなる兄
   弟グループ、ビージーズと、あのエリック・クラプトンが結成したクリームをマネージしていた。事実上、この二つの新人グループは、
   NEMSのアーチストとなり、事業は拡張していくと思われた。しかし問題は、ブライアンとロバートのビジネス的な資本関係にあった。
   ブライアンのワンマン会社であったNEMSの持株は、そのほとんどをブライアンが所有していたのであるが、その51%をロバートに譲渡
   する計画であることを、突然会議で言い出したのである。これにはスタッフ全員、驚いてしまった。つまり、ブライアンの目論見は、こ
   うであった。ビートルズやシーラ・ブラックなど、既に人気のあるアーチストは、今までの体制でNEMSがマネージメントを続ける。し
   かし、新しいアーチストの発掘や売り出しには、新たな部門が必要。そこの責任者にロバートを当て、その事業の責任を負わせるために
   彼に株を譲渡し、経営者としての独り立ちをしてもらいたいという趣旨のものであった。確かに、ブライアンの考えにも一理ある。しか
   し、もちろん納得できない社員もいた。さらに、問題は続いた。ブライアンが独断で決めてきたサビル・シアターという劇場の買収や、
   それに伴う興行の失敗。さらに、その舞台芸術制作も大赤字を出し、NEMSの会計に損失を与えた。既に、ブライアンのビジネスの感覚は
   通用しなくなった。スタッフの多くは、そう思った。ただ一つだけ見えていた光、それはロバート・スティッグウッドが連れてきた二組
   の新人アーチストが、素晴らしいレコードを出すことにあったのである。
    〜 The Bee Gees / To Love Somebody
    〜 Cream / I Feel Free
275ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 19:16:55 ID:???0
   ビージーズはイギリスで50位、あまりヒットしなかったんですね。クリームは、11位まで上がりました。ロバート・スティッグウッド
   の野心は、最終的にはビートルズをマネージしようともあったと伝えられています。しかし、後になってRSOというレコード会社を出し
   て、ビージーズ、クリームを無茶苦茶売りますよね。そして、1970年代になると、ビージーズは Saturday Night Fever で無茶苦茶盛り
   上がるわけですが、ジョン・トラボルタが主演した映画を作ったのも、このロバート・スティッグウッドです。それから、ジョン・トラ
   ボルタとオリビア・ニュートンジョンがやったグリースというヒットがありましたよね。あれも、ロバート・スティッグウッドが作った
   金を出して作った映画です。で、もう一本、これは彼がいかにビートルズにこだわっていたかを証明するものなんですが、映画「Sgt.
   Pepper's Lonely Hearts Club Band」、これ見たことありますか。サントラもエアロ・スミスとかいろんな人達が、ビートルズのSgtを
   カバーしたアルバムがありましたね。あれだけは、コケちゃったんですね。だけど、ロバート・スティッグウッドが、ビートルズをうば
   い…、ひょっとしたら奪えるかも分からなった、歴史的な瞬間もあったということですね。

□リクエスト
  ・恥ずかしい話ですが、この曲自体はよく知っていましたが、この曲の意味するところが、エボニーとアイボリー ── 黒檀と象牙、つまり
   ピアノの黒鍵と白鍵から、人種の融合ということを知りませんでした。とても壮大な、理想に基づいた曲であることを知り、リクエスト
   した次第であります。(千葉市花見川区/男性)
    〜 Paul McCartney and Stevie Wonder / Ebony and Ivory
276ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 19:39:15 ID:???0
  ・ぼくは高一でビートルズが好きで、父の影響でギターをやっているんですは、最近 Abbey Road の曲をやろうと思ったのですが、さすが
   彼らが最後に本気で作ったアルバムなので、とても難しいと思います。改めて、ビートルズはすごい!(印西市/男性)
    〜 The Beatles / Come Together

  ・ご存知、10月9日は、ジョンの70歳の誕生日。さて実は、最近私の中でビートルズ以来のお気に入りを見つけました。40代半ばにして
   ハマりにハマっています。そのバンドは、イギリスのアークティック・モンキーズです。この番組でも、既に紹介されたかもしれません
   ね。また、このバンドのボーカル、ソングライターのアレックス・ターナーは、ジョン以来の天才だと私の中では思っています。ジョン
   が天国で作って、アレックス・テーラーに送った、と勝手に思っている一曲があるんです。(船橋市/男性)
    〜 Arctic Monkeys / Cornerstone

  ・9月末で、ジョン・レノン・ミュージアム閉館されました。数回行きました、残念です。再開を願っています。(横浜市神奈川区/男性)
    〜 The Beatles / In My Life
277ポール・キロックトニー:2010/10/31(日) 19:40:14 ID:???0
(小林)きょうのブライアン・エプスタインの話、悲しいですよね。もう、世界の頂上という栄光を手にいれたんだけど、自分の生活というのは
普通じゃないわけですよね。これやっぱり、ロックンロール・ビジネスというのは、ロックンロールが生まれて、1950年代の終り、60年代に
かけては、みんな何が起きるか分かんないわけです。みんな新しいんですよ。ブライアン・エプスタインは、ビートルズよりちょっと年上でし
たけど、ビートルズはみんな若いでしょ。20代の前半ですよね、そうするとね、ロックの世界というのは滅茶苦茶若いんですよ。今でこそ、
こういう人たちも年取ったり、二代目になったり三代目になってますけど、この頃面白いのは、お話したビージーズとエリック・クラプトンの
いたクリームを連れて、ちょっと一緒にやろうよということで、ブライアンの元にやっていたロバート・スティッグウッド。彼は、年が大学生
ぐらいの年ですから、いかに若い連中が一旗揚げたり、短期間でスーパースターになったり、ヒーローになったりするという。60年代は、そう
いう時代だったというのが、良く分かると思います。リクエストあらためて募集します。お相手は、小林克也でした。
278ホワイトアルバムさん:2010/11/07(日) 18:45:45 ID:otKpIgBt0
あげ
279ホワイトアルバムさん:2010/11/14(日) 19:03:33 ID:???0
BayFMはこの番組のストリーミングはやってくれないんだよね。著作権の関係かな。
280ホワイトアルバムさん:2010/11/15(月) 03:59:35 ID:/oYJ29DtO
U^ェ^U
281ホワイトアルバムさん:2010/11/21(日) 18:08:23 ID:???0
いつ聴いても思う
フリー・アズ・ア・バードはビートルズの曲じゃない
282ホワイトアルバムさん:2010/11/22(月) 04:44:40 ID:CpRwG9B/O
>>281
お前の中ではね。
283ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:27:04 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年11月7日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月7日)
  ・1969年 (41年前)
    ライフ・マガジン知ってますか。世界的に有名な、アメリカの写真雑誌ですね。新聞で言うとタブロイドよりも大きい、アサヒ何とか
    あんな感じの雑誌なんですよ。その有名な雑誌の表紙に、41年前のきょう、ポール・マッカートニーが載りました。そして、ポール・
    マッカートニーのインタビューが載ってます。この頃ね、ポールは亡くなったんだっていう、有名な話があるじゃないですか。例えば
    Sgt.のジェケットでポールが裸足で歩いていて、そのー、葬儀屋さんだとか、ワーゲンが停まってて、それがポールが三十何歳で死ん
    だとか意味だとか、バッジがどうのこうのって、そういうことに全部答えているんですけど、本当にバカバカしいと、ポール。やめて
    欲しいと。みんな、こういう噂を出す人って、人生短いんだよ。有意義に使って欲しいと。自分は今まで10年間、マスコミに出続けた
    けど、もうオフの時期に入っている。自分の好きなことをやって生きて行きたいんだ。そういう、マスコミに出ないから、そんな噂が
    出たんじゃないかと。裸足で歩いたのは、暑かっただけだし。ワーゲンは、たまたまそこに停まってただけだし。バッジなんて、OPD
    なんて、OfficiallyにPaulがDeadじゃないんだと。どっか、カナダのオンタリオのPolice Departmentのバッジなんだ。やめて欲しいな
    んてことを、ポールはインタビューで答えているんですけど。それも、時代ですよね。1969年、ウッドストックの年ですから。その
    中の時代で、そんなことがあったと。ポールはもう、意識としては、自分に牧場付きの自宅です。そこで仕事をして、もうスタジオ設
284ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:29:09 ID:???0
備はちゃんと整っていて、そこで自分は好きな時間に。といってもポールの場合は、朝
    早く起きてスタジオに入ってたといいますね。でも、夕方には、もうスタジオを出る。夜中にやるとか、そういう仕事はしない。昼間
    にぱっとやるっていう、生活のスタイルに入っています。で、これから一曲聞いていただこうと思うんですが、ポールが1970年、翌
    年にソロアルバムを出します。その中に入っています。これはもちろん、その牧場で録音した曲であります。
    〜 Paul McCartney / Every Night

    この歌の中に、すべてが歌われています。ライフのインタビューでも、自分のすべては、自分が発表する歌の中にあるっていう。これ
    だって、そうですよ。毎夜毎夜、Every Night、自分は無駄に時間を過ごしてるよっていう。朝になると、ものすごく真新しい日が始
    まるんだ。ポールは、家庭人ですよね。毎日、毎夜毎夜、君といるために、こうやっているんだよっていう。自分の生活を歌ったよう
    な。もうこの頃は、リンダ・マッカートニーが、アメリカ人のマッカートニーは、ヘザーっていう子を連れて、ポール・マッカートニ
    ーの牧場の家に住んでいます。ポールにも、リンダとの間にメアリーという、おかあさんと一緒の名前の赤ちゃんが生まれた。夏に、
    生まれているわけですよ。いかに、ポールが家庭人になってるかということが、よく分かります。
285ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:31:00 ID:???0
□ブライアン・エプスタインの側面から探るビートルズの真実
  ・ロックの世界では、いまや伝説とまでなっているビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタイン。その生涯は、孤独そのもので
   あった。1966年8月以降、ビートルズがもうコンサートをやらないと拒絶したとき、ブライアンはひどく取り乱したと言われている。
   この時彼は、次のビートルズツアーの入念な計画を立てていて、候補となる会場及び日程のリストも出来上がっていた。しかし、メンバ
   ーの四人は、もうコンサートはやらないと、ガンとして譲らなかった。ビートルズが単に、ブライアンから言われていたことを素直にこ
   なしていた時代は、過ぎ去っていたのである。ビートルズの四人は、アップルという名の新しいマネージメント会社の設立を、ブライア
   ンに内緒で、氷面下で進めていた。そしてついに、これがブライアンの知るところとなったのである。ブライアンは、アップル運営にあ
   たって、何ら役割を演じることも出来ないと思っていたし、1967年に今の契約が終了するとき、ビートルズが彼と再契約しないだろう
   と、確信していた。すべてにおいて、ブライアンは悲観的だったのである。サンフランシスコで、ビートルズが最後のコンサートを開い
   てる頃、ブライアンは多くの取り巻きたちから、金づるにされていた。彼本人も、それを分かっていた。しかし、根っからひとりぼっち
   が怖い性格のブライアンは、それでも自分の所有するものを、その取り巻きたちに与え続けた。取り巻きたちの中には、ギャング連中も
   いれば、賭博で食ってるヤツもいたし、ブライアンと同じホモセクシュアルもいた。こういった連中は、金以外でブライアンに求めるも
   のは、あったのか。それももはやブライアンにとっては、どうでもいいことであった。人生の頂点であった、あの1964年から、たった
   3年後の1967年。ブライアンは、すべてを放棄しよう ── という結論に達した。ビートルズがブライアンの元を離れ、インド哲学に傾
   倒していた、8月の出来事である。
    〜 The Beatles / Love You To
    〜 The Beatles / And I Love Her
286ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:33:18 ID:???0
  ・1967年8月の夏休みシーズンの週末、チャペル・ストリート24番地の自宅で、処方薬の便とあらゆる種類の錠剤が散乱する中で、ブラ
   イアンは、孤独に死んでいた。皮肉なことに、彼が立ち直ろうとしている兆しは、あったのだった。ビートルズがツアーをやめ、マネー
   ジメントも自分たちで始めようとしていることを現実的に受け止め、ブライアンは自分のアイデアで、カナダの音楽番組の企画を進めよ
   うとしていたと言われている。こうした事実を考えるにブライアンは、自殺をしたとは考えにくい。もし、自殺をしたとしても、ブライ
   アンらしくない死に方である ── と、多くの友人は、口を揃えて、そう語るのである。この出来事は、ブライアンの人生最大の不注意
   であり、あまりに悲しい「事故」に外ならない。大量のアルコールを飲み、睡眠薬を服用し、そして意識が朦朧とした中で、さらに別の
   薬まで服用してしまった。いつも無関心な知人たちと、いい時だけの友人に囲まれたブライアンの人生は、その最後においても、文字通
   り孤独だったのである。彼の死後、ビートルズのマネージメント会社でもあるNEMSの資産をめぐって、見苦しい争奪戦が繰り広げられ
   た。さらにはその舞台裏で、ブライアンの個人資産をもめぐって、それより遥かに醜い争いも起こった。ビートルズの成功で莫大な財を
   なした人物の遺産である。それはまさに、並大抵の金額ではない。それにしても、遺産争いとなると、親兄弟含め、いつの時代もすんな
   りいった試しがない。ブライアンの場合も、例外ではなかった。ブライアンのもっとも親しい友人であると触れ回っていたある男は、寝
   室のタンスの引き出しを物色し、B.Eとブライアンのイニシャルが刺繍された高価な特注のシルクのシャツを何枚も取り出し、何の感情も
   見せず、こう語った。「このイニシャルの刺繍さ、きれいにほどいて、ぼくが着ること出来るかな。」
    〜 The Beatles / A Day in The Life (Love)
    〜 The Beatles / This Boy
287ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:34:37 ID:???0
  ・五人目のビートルズ ── 多くのビートルズ・ファンが、口にする言葉である。それは、マネージャーであるブライアン・エプスタイン
   を言う場合もあるし、レコーディングにおいてスタジオ内のすべてを取り仕切り、ストリングスや管楽器のアレンジの他、ピアノ演奏ま
   でしたスーパー・プロデューサー、ジョージ・マーティンを指す人もいる。しかし、真の五人目のビートルズは、ローディのニール・ア
   スピノールと見る向きも多いのも、また事実である。それはおそらく、ビートルズと一番長い時間を共に過ごした人間 ── ということ
   なのでは、ないだろうか。ニールは1941年、北ウエールズのプレスタティンで生まれた。母親の故郷であるリバプールに戻るとニール
   は、リバプール・インスティチュートでポール・マッカートニーと同期になり、美術と国語を学んだ。まもなく、下級生のジョージ・ハ
   リソンとも出会った。学校の裏の防空壕跡に隠れて、煙草の味も覚えた。直に、この不良仲間に、年上の札付きジョン・レノンも加わっ
   た。学業優秀だったニールは、会計士事務所で働きながら、資格を取るべく勉強を続けていたのだが、学費稼ぎのアルバイトのために、
   ビートルズの資材運びを手伝ったのが運のつき。いつの間にか、専任ロードマネージャーとして、世界中のツアーに同行することになる。
   ニールは、その仕事ぶりからして、真面目で誠実で忠実な男であった。ビートルズが解散してからも、その権利関係を管理する会社アッ
   プル・コアの代表者として、数銃間に渡って、ビートルズに関わる仕事を続けた。そして、病を患ったニールは、2007年に引退し、翌
   年この世を去る。享年66。これらすべてを踏まえると、名誉であるビートルズ五人目の称号は、このニール・アスピノールに与えられる
   べきと考える関係者が多いことは、言うまでもない。
    〜 The Beatles / In My Life
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down
288ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:36:56 ID:???0
□リクエスト
  ・ジョン・レノン・ミュージアムが、10年の歴史に幕をおろしました。最終日、水沢館長がおっしゃってました。「ミュージアムにたくさ
   の方々が着てくれたこと、初めて訪れたときは一人だったけど、恋人と二人で再びきて、ついには子どもを連れて、三人で来てくれた人
   のこと。10年という時間は短いようだったけど、一人の人間にとっては、それだけたくさんの変化がある。10年間、展示品はほとんど
   変わらなかったけど、そのたびに違った印象を受けると、訪れた人はおっしゃる。なぜか、それは10年の間に、成長した証なのです。」
   それを聞いて、おもわず目頭が熱くなり、涙が頬を伝わりました。(千葉市花見川区/男性)
    〜 John Lennon / Imagine

  ・(スペシャルパーティでの参加者)は、克也さんと中村中さんにいじられまくって、ものすごく喜んでましたね。やっぱり、オープン前に
   サインもらって、覚えてもらってたからかな。あの後、飲み過ぎてましたよ。(千葉市花見川区/男性)
    〜 The Beatles / I Don't Want to Spoil The Party

  ・毎回新しいエピソードで、聞き逃したときは、すごく気になります。ビートルズの良さは、カバーを自分たちのスタイルにしきっている
   ところが、最高にかっこいいと思います。(千葉市美浜区/男性)
    〜 Vanilla Fudge / Ticket to Ride
289ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:38:47 ID:???0
(小林)五人目のビートルズ、マネージャーのブライアン・エプスタインなのか、プロデューサーのジョージ・マーティンなのか、あるいは、
楽器運びからいろんなことまでやったニール・アスピノールなのか。ぼくはね、あれも入れてあげてもと思うんだよね。リンゴ・スターの前の
ドラマーのピート・ベストね。あれも五人目というわけじゃないけど、可哀想なことをしたわけですよね。ね、そう思いましたが、みなさん
それぞれ盛り上がってください。リクエストの方もよろしく。お相手は、小林克也でした。
290ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:43:12 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年11月14日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月14日)
  ・1962年 (48年前)
    ビートルズは、ハンブルグ4回目の滞在で、その一番終わり。場所は、新たに台頭する、ヤバイ系の人たちに気に入られて、スターク
    ラブっていう。ビートルズ・ファンはご存知だと思いますが、スタークラブで演奏して、スタークラブでも上のバンドになるわけです
    よ。だから条件は、かなり待遇が良いんです。で、その最終日。スタークラブは、地元を牛耳ってる、ブイブイ言わせてる人たちです
    から、ビートルズはゴールデンバッジを貰ってたらしいね。それを着けて、ハンブルグに遊びにいくと、みんな知らない連中も「はは
    ぁー」って、ビートルズを見なおしたというエピソードもあります。で、これが最終日なんですが、ロンドンに帰ると、実は大切な曲
    のレコーディングが待っているわけです。その曲というのは、最初はバラードだったんですが、わかりますか。ファンの方は、わかる
    と思いますが。ジョンが作った。だけど、プロデューサーは、これはダメだと。もと、アレンジを変えないとダメだということで、
    早いテンポにして、ジョン・レノンのブルースのハモニカを使って、ハーモニーもバッチリ使って、録音したという有名な話ですよね。
    その録音が終わったときに、プロデューサーは、「みんな、ようやくNo.1の録音が終わったね」って、言ったという。その曲とは!
    〜 The Beatles / Please Please Me
291ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:50:17 ID:???0
    ジョン・レノンのハモニカなんて、すごい新鮮だったんだよね。今だったら、当たり前に聞いちゃうけど。これで、イギリスでは、ハ
    モニカが無茶苦茶売れるようになったりとか。この頃、ぼくの知り合いで、どこがこの曲はカッコいい?と聞いたら、C'mon C'mon
    とくるじゃないですか。今聴いたら、何のことはない。聞き過ごしちゃうけど、あんなのをやるグループはいなかったんですよ。すご
    い、カッコよかったんですよ。これが、ビートルズの最初のNo.1だったわけですね。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・1970年に解散し、既に40年を経過した現在でも、そのCDのセールスは更新され、歴史的な意味においても、まったくその存在が薄れる
   ことのないビートルズ。ロック史上だけにとどまらず、20世紀芸術の歴史上、最重要アーチストであることは、誰しもが認めるところで
   ある。そのビートルズが、実際の世の中に認められ、人気が爆発したのは、いつなのであろうか。その疑問に対し、的確に回答してくれ
   る人物がいた。その人こそ、この物語に幾度となく登場しているビートルズの広報マン、トニー・バーロウである。ここでも、バーロウ
   の証言を元に、その事実を解明していこうと思う。彼はまず、こう証言している。「ビートルズ・マニア。つまり、ビートルズへの集団
   ヒステリアのスタートした日。ぼくはかなり正確に言うことができるよ。それは、1963年の10月13日の日曜日のことだ。この頃既に
   ビートルズは、Love Me Do 、Please Please Me 、From Me to You 、そして、She Loves You の4枚のシングル盤とデビュー・アルバム
   「Please Please Me」を発表し、大ヒットとなっていた。夏の間に取材を受けた、十代向け雑誌用の写真や記事は、9月には店頭に並び始
   めていたが、それはあくまでも専門的な雑誌上でのこと。これが、イギリスの全国紙となると、思ったほどの露出は見られなかった。し
   かし、ビートルズを扱う記事の文章としては、まずまずの内容のものも見受けられていた。イギリスは、いまでこそロックの輸出国であ
   り、先進国であるが、1960年代初頭は、まだまだアメリカからの全面的な影響の元にあったことは言うまでもない。自前のメイド・イン
292ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:53:11 ID:???0
   ・イングランドのロックバンドをどう取り扱っていいのか。マスコミ業界も、その方向性を模索している最中だったのである。
    〜 The Beatles / All You Need is Love (Love)
    〜 The Beatles / Birthday

  ・「ビートルマニアが誕生した日を、ぼくはかなり正確に言うこと出来るよ。それは、1963年の10月13日の日曜日のことだね。」こう証
   言するのは、ビートルズの広報マンとして、60年代を走り抜けた男、トニー・バーロウ。この証言を、ここからさらに掘り下げてみよう
   と思う。シングルレコード Please Please Me と、From Me to You の二枚連続No.1ヒットのおかげで、ビートルズの知名度も上昇し、イ
   ギリスの全国紙にも扱われるようになっていた。この年、1963年の7月には、デイリー・ミラーがビートルズを、イギリスのレコード業
   界における最高のアーチストと称し、9月にはデイリー・ヘラルドが、カルト的な人気を誇ったグループがエルビス・プレスリーに追いつ
   き、イギリスのショー・ビジネス界で、最大の人気を誇る存在となった ── と書いている。当時イギリスのタブロイド紙、つまり、大衆
   紙の中で最大の発行部数を誇っていたデイリー・ミラーは、9月10日付の紙面に、華々しく2ページの特集を組んだ。芸能コラムニスト、
   ドナルド・ゼックによるその記事は、「狂気の沙汰、週5,000ポンドを稼ぐ貴公子たち」という見出しが踊った。5,000ポンドとは、今で
   いうと何百万円という価値になるので、さすがにこれはタブロイド紙特有の誇張された表現だと思われる。しかし確かに、1963年の時点
   でのアイテムとしては、Please Please Me 、From Me to You 、She Loves You のシングルに加え、Twist and Shout 、The Beatles Hits
   のEP盤と、デビュー・アルバムの Please Please Me があり、そのすべてが大ヒットしていたことは、間違いない。マネージャー、ブライ
   アン・エプスタインの目論見通り、ビートルズはスーパースターへの道を着実に邁進していたのである。
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / A Taste of Honey
293ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:55:20 ID:???0
  ・狂気の沙汰、週5,000ポンドを稼ぐショー・ビジネス界の貴公子たち ── これを書いたのは、イギリスのショー・ビジネス専門のコラム
   ニスト、ドナルド・ゼック。1963年9月10日付のタブロイド紙、デイリー・ミラーに寄せられた記事である。トゲのある批評で有名な
   ゼックは、記事をこう続けていた。「礼儀正しい、感じのいいグループで、あらゆるところで人の鼓膜を破り続けている。生意気そうな
   この四人の若者たちは、石器時代のヘア・スタイルに、チェルシー・ブーツという出で立ちで、三本のエレキ・ギターに、一台のドラム
   という構成を取り、ベートーヴェンについては何も分かっていないかもしれないが、アンプとエレキサウンドについては、よく分かって
   いるようである。」辛口の評論家ドナルド・ゼックとしては、珍しく賞賛を込めた文面だったと言える。この記事について、広報マンの
   トニー・バーロウは、こう証言している。「正直なところ、辛口コメントで有名なゼックが、手放しでビートルズを褒めちぎっていたら
   ぼくは、がっかりしていたと思う。この少し小馬鹿にしたような文章だったからこそ、その後の宣伝材料に、うまく使えたんだよ。ゼッ
   クには、今でも感謝してるね。」確かにもしも辛口ゼックが、ビートルズの四人を何の懐疑心もなく、ビートルズを賞賛していたら、イ
   ギリスの若者は肩透かしを食らったに違いない。10代の若者から見ると、権威主義のカタマリのような全国紙の評論家が最初から認めて
   くれるバンドなんて、自分たちにとっては魅力のないものだったにちがいないのだ。それにしても、その辛口ゼックが見開きの2ページを
   使ってロックバンドの特集を組むこと自体、かなり珍しいことであった。もしかすると、これがビートルズマニア誕生の原動力となった
   ことばかりでなく、イギリスのロック・シーン成長の大きなきっかけとなった出来事なのかもしれない。
    〜 The Beatles / Please Mr. Postman
    〜 The Beatles / Day Tripper
294ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:57:10 ID:???0
□リクエスト
  ・一日の仕事を終わってランドリーに来て、洗濯が終わるのを待っている間に聞いた Let it Be。なんだか、胸にしみました。ビートルズを
   BGMに通勤した日々。結婚前の青春の思い出です。(住所氏名不詳)
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps

  ・8月にリクエストを取り上げていただき、大変感激しました。いつも隣で一緒に聞いてる妻にも、あまり話していなかった高校時代のエ
   ピソードに絡めてのリクエストだったので、ラジオから話が流れたときはドキドキしました。Double Fantasyを初めて聞いたときは10
   代後半で、その時の衝撃と感動が鮮明に思い起こされます。(佐倉市/男性)
    〜 John Lennon / Watching The Wheels

  ・最近は不景気のせいか、何かと験担ぎしたくなりますが、ビートルズのメンバーにも、なにか験担ぎしていたエピソードはありますか。
   またなにか、ビートルズ関係でクリスマスソングはありますか。(八千代市/男性)
    〜 Paul McCartney / Wonderful Christmas Time
    〜 John Lennon / Happy Chrismas (War is Over)
   (小林)全然聞いたことないですね。験担ぎなんて、例えばジョンは一番嫌いだと思います。ただジョンは、オノ・ヨーコと結婚して、
   日本の有名な方向とかを見る人をコンサルタントにしていて、旅に出るときの方角とか日付を気にするんだということを聞いたことが
   あります。
295ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 09:59:23 ID:???0
(小林)ビートルマニア。ビートルズに対して、きゃあきゃあきゃあと集団ヒステリー状態なんだけど、まだ大人たちは「困ったもんだ、アメリ
カの真似じゃないか」みたいな意識なんですよ。で、評論家は「リズム&ブルースの物まねだ」と言ってるわけですね。ただ、違うんですね。
ジョンもポールもその最初はカバーバージョンとかそういう意識があったかもわからないけど、ポールのきょうの Happy Birthdayとか、ジョン
の声なんて、イギリスの北の独特の魂が入ったオリジナル・リズム&ブルースですよね。リクエストの方もよろしく。小林克也でした。
296ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:45:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年11月21日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月21日)
  ・1995年 (15年前)
    ビートルズが再結成!と言っても、よく聞いてくださいね。実はこの日、イギリス、アメリカ、いろんな国で Anthology 1 のアルバム
    が発売になります。イギリスやアメリカはLP、つまりでっかいレコードですよ、LPとCD両方。他の国、チリなんかは、CDとカセット。
    ま、日本でも発売されるわけなんですけど、これがどうしてスゴイことかというと、このアルバムの目玉として、生前ジョン・レノン
    が作ったカセットテープのデモ・バージョンを元にして、ポールとリンゴとジョージがコーラスや演奏を加えて、ビートルズとして曲
    を出したわけですよ。それが、この Anthology に入っていた。それは、あの有名な Free〜 というわけですが。1995年は、ビックリ
    したよねー。ビートルズが再結成なんだよという、まあレコードの上だけでしたけど。今年(去年では?)はリマスターで、ビートルズ
    がドドーンと出て、ジョン・レノンの作品も出ましたけど(これは今年だけど)。それ以上の年だったわけです。プロデューサーは、
    ジェフ・リンが担当しました。みんなそれぞれ成長してるわけですが、ポールは「ジョージがスゴイ。イントロのスライドギターを聞
    いたとき、鳥肌が立った。」という風に語っています。
    〜 The Beatles / Free as a Bird
297ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:46:00 ID:???0
    もう鳥肌とか、涙流したりしたビートルズ・ファンも、けっこう多かったわけですよ。ビートルズが解散に至ったのは、人によっては
    リンダがいたから、オノ・ヨーコがいたからとか、女性が入ってくることによって、ビートルズが別れたと。事実、ポールとオノ・ヨ
    ーコは仲違いしていて、全然話もしないというわけだったんですが、その二人が仲直りをして、これが実現したと言われています。ま
    た、Anthology 1 は1990年代とはいえ、60年代の音楽ですから、アメリカのラジオ局は、1990年代は懐メロをかけなかったんです
    よ。ところが、この Anthology 1 が出て、アメリカの懐メロを流す局の曲が変わったという。60年代!と言ったらしいですよ。だか
    ら、60年代を蘇らせた曲というわけで。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「礼儀正しい、感じのいいグループで、あらゆるところで、人の鼓膜を破り続けている。生意気そうなこの四人の若者たちは、石器時代
   のヘアスタイルに、チェルシー・ブーツという出で立ちで、三本のエレキ・ギターに一台のドラムという構成を取り、ベートーヴェンに
   ついては何も分かっていないのかもしれないが、アンプとエレキサウンドについては、よく分かっているようである。」これは、1963年
   9月10日付のイギリスの全国版大衆紙デイリー・ミラーに掲載された、ビートルズに関する特集記事の一部で、その特集はなんと見開き
   の2ページにも及ぶものであった。記事を書いたのは、辛口で知られるショー・ビジネス専門のコラムニスト、ドナルド・ゼック。この
   ゼックの少し小馬鹿にしながらも、愛情のこもったビートルズへの賞賛の記事は、イギリスの若者たちにとって嬉しいものであった。自
   分たちをおさえる体制側と思われる大人たちが、我らビートルズを渋々ながらも認めたのである。最初の小さな勝利でもあった。そんな
   記事が掲載された翌週、ビートルズは、久しぶりの休暇をとっていた。ポールと初々しい十代の恋人ジェーンは、ギリシャを旅行先に選
   び、リンゴと恋人のモーリーンが、これに合流した。ジョージは、アメリカのイリノイ州に住むお姉さんを訪ねた。そしてジョンは、半
298ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:47:36 ID:???0
   年前に出産した、新婚の妻シンシアとひと足遅れのハネムーンで、パリまで足を伸ばしたのであるが、どういう分けかこのハネムーンに
   は、マネージャーのブライアン・エプスタインが自ら率先して同行している。これには、シンシアも驚いた。ジョンは、どういう言い訳
   をしたのか不明であるが、つい半年前、シンシアがジュリアンを出産した直後、ジョンはブライアンに誘われて、スペインのバルセロナ
   旅行に出かけてしまったという前歴があった。今回のパリ・ハネムーン同行旅行も、後々までジョン・レノンのバイセクシュアル疑惑を
   裏付ける事実となってしまったのである。
    〜 The Beatles / I am the Walrus
    〜 The Beatles / I Feel Fine

  ・1963年10月、ビートルズの四人が、それぞれのバケーションから戻ると、スコットランドで単発のコンサートをいくつかこなし、ロン
   ドンでラジオやテレビの収録をした。そんな中で放映されたのが、Sunday Night at London Palladium。メンバーは、出演前の土壇場に
   なって、この番組の重要性に気づき、急遽リハーサルをすると言い出した。しかし、土曜の夜にロンドンの都心で、急にリハーサル・ス
   タジオを予約することなどは、不可能な話。既にどこもいっぱいであった。最終的な解決策として、ロンドンのNEMSのオフィスの広報
   担当者トニー・バーロウの部屋をスタジオ替わりに使うことにした。もちろん、大音量は出せないのであるが、それでもリハーサルをや
   らないよりは、マシである。それだけ、ビートルズの四人は、意気込んでテレビ出演に望んでいたのである。会場となるロンドン・パラ
   ディアムは、1960年代には世界一のバラエティ劇場として知られていて、カリスマ的ホールと呼んでも過言ではない、特別な雰囲気に
   溢れていた。この Sunday Night at London Palladium という番組は、ATV - Associated Television によるもので、放送時間一時間の
   バラエティ・ショー。当時の独立系テレビ・ネットワークITV系で、日曜の夜8時というゴールデン・タイムに生放送され、1,500万人
   の視聴者数を誇る超人気番組であった。いつも番組の大トリを務めるのは、アメリカの人気エンターティナーで、例え人気上昇中のコメ
299ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:52:49 ID:???0
   ディアンでさえも、そう滅多には出演できず、運良く出演できたとしても、その持ち時間はホンの少しだけという、まさに狭き門。サウ
   ンドチェックの時間が短いこと、ステージ上での楽器の音量バランスが悪いこと、ミュージシャンにとっては痛いことであったが、それ
   でもこの番組に出演すれば、レコードの売上やコンサートの動員数が確実に伸びると言われていた。No.1ヒットを連発していたといえ、
   まだまだリバプールからやってきた田舎者ビートルズ。ここは一つ、頑張りどころであったことは言うまでもない。
    〜 The Beatles / I Wanna Be Your Man (Anthology 1)
    〜 The Beatles / Kansas City ~ Hey-Hey-Hey-Hey!

  ・1963年10月13日、ビートルズが生出演することが決定した番組 Sunday Night at London Palladium 。この番組は、日曜夜8時の超人
   気番組で、1,500万人の視聴者数を誇っていた。関係者曰く、この番組に出演すれば、ほぼ間違いなくレコードの売上やコンサートの動
   員数が確実に伸びるという。ビートルズの四人は、前日の土曜日も夜遅くまでリハーサルを行い、万全の体制で出演に望んだ。この頃、
   1963年の秋までにビートルズは、Love Me Do に続き三枚のシングルが連続でNo.1を記録していた。その評判が幸いして、この夜の放
   送分でビートルズは、新人としては異例のヘッドライナー扱いとなり、この出演のために番組恒例の放送前の大々的なパブリシティー
   や宣伝もなされた。共演者には、アメリカのリズム&ブルースシンガー、ブルック・ベントン。イギリスのエンターティナー、デズ・オ
   コナー、ブルース・フォーサイスなどがいた。前もっての番組宣伝を見て、ビートルズの出演を知ったビートルズのファンは、当日四人
   の出演をひと目見ようと、こぞって会場のあるアーガイル・ストリートに集まった。幸運なファンの中には、無料配布のチケットを手に
   入れた者もいたが、ほとんどは会場の外に残ったまま。それでも、あらん限りの歓声をあげて、ビートルズを応援した。ロンドンのマス
   コミ業界を指す代名詞として使われるフリート・ストリートの日曜日は、とにかく静かというのが基本であった。従って逆に言うと、広
300ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:54:50 ID:???0
   報担当者に言わせると、月曜の朝刊を狙ってのネタを送り込むには最高のチャンスでもあったわけである。通常ならば、どこかで長生き
   のロバが亡くなったとか、あの有名カップルの離婚は単なる噂だったとか、どうでもいいようなネタで埋められる月曜の朝刊に、遂にリ
   バプールからやってきた四人組が取り上げられる日がやってきた。全国紙の写真部のデスクは、記者やカメラマンにこう言った。「いい
   か、ビートルズの演奏写真だけは、絶対にしくじるな。もし失敗したら、お前のボーナスはない。いいな!」
    〜 The Beatles / Anytime at All

   というわけで、先週お送りしましたビートルマニア。ビートルズに対する集団ヒステリー状態。これが始まったのは、1963年10月13日
   だと言いましたけど、それがきょうお送りした Sunday Night at London Palladium 、これにビートルズが出ることになった。このチケッ
   トは、一般に売られてないわけです。テレビのショーだからね。フリーで、よくNHKとかがやるじゃないですか。ああいう感じなんです
   売らないんです。だからファンは、外で見るしかなかった。ファンがいっぱい集まって、キャーキャーやったのが、ビートルマニアのきっ
   かけだったというわけです。

□リクエスト
  ・最近、自分は80年代に使っていたレコード・プレイヤーを修理しました。まさか直るとは思わなかったので、嬉しくなって、新しいLPが
   欲しくなりました。でも、今の新品のアナログ盤って高いんですよね。こんな困ったときは、もちろんビートルズです。アメリカ盤の
   Abbey Road を手に入れました。1,880円でした。約30年ぶりに聞くアナログ盤のビートルズは、デジタルリマスター以上の感動もので
   す。追伸・次はナンバーワン・バンドのアナログ盤を探します。(足立区/男性)
    〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
301ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:57:00 ID:???0
   (小林)店によってはあるみたいです。最近の若い人は、CDプレイヤーも持ってなくて、ダウンロードされた音をものを聞くだけとかね。
   最初にダウンロードされた音を聞いたときは、え?こんな音でみんな満足するの?と思いましたが、もう時代が慣れちゃってるんですよ
   ね。ご存知かもしれませんが、ソニーがカセット・ウォークマンを生産中止しましたけど、カセット・ウォークマンの方がハッキリ言っ
   て、音が良いって言う人いっぱいいますよ。ただ、違いは雑音が入らないということですよね。デジタルだからね。まあ、それぞれの音
   があるわけですけど、ちょっとうらやましい感じがします。国別に言うと、イギリスがやっぱり頑固なんですかね、保守的なんですかね
   レコード・プレイヤーが多いと。だから、LPが売れるんだという話を聞いたことがありますが。

  ・地元を離れた病院に入院していて、とっても退屈で心細い毎日を送っている17歳です。しかし、地元を離れたことで、ビートルズから
   始まる。の存在を初めて知りました。以来、元々ビートルズ・ファンだった自分にとって、日曜6時からの時間が至福の時です。元々
   好きだった曲ですが、入院してからというもの、このポジティブな歌詞と優しいメロディに、ますますハマりました。(福島県白河市/
   男性)
    〜 The Beatles / Let it Be

  ・先日、同名の邦画を見ました。Golden Slumberというのは、ひどいスランプに陥った人の事かと思ったら、金色のまどろみという
   意味のビートルズの曲だったんですね。元歌が聞かれなかったので、かえってどういう歌か聞きたくなりました。(市原市/男性/50歳)
    〜 The Beatles / Golden Slumber ~ Carry That Weight ~ The End
   (小林)メドレーになっているこれらの曲も聞かないと、完聴したことになりません。かんちょう.....。
302ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 11:57:54 ID:???0
(小林)ビートルズマニア、英語では Beatlemania (〜メイニア)というんですが、それが始まった頃のお話。そしてきょうはリクエスト、それぞ
れの楽しみ方をしている方々のリクエストを採用したわけですが、最後のメドレーなんか何回も聴いてるわけだけど、スゴいな!この人たちは
という感じがします。レコード・プレイヤーで聴く生活、戻ってみたいですね(笑)。うらやましい感じがしました。リクエストください。小林
克也でした。
303ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 18:09:51 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年11月28日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月28日)
  ・1974年 (36年前)
    ロックの歴史では、有名なエピソードが展開された日です。この36年前のきょうは、アメリカでは感謝祭の日です。そして、NYの
    マジソン・スクエア・ガーデンでは、エルトン・ジョンがコンサートをやっています。そして、超特大のスペシャル・ゲストが登場す
    る。それが、ジョン・レノンというわけでありますが、これにはちょっとまえのエピソードから、ずっとつながってるわけですよね。
    LAで、ジョン・レノンが Rock'n Roll のアルバムを録音していた間に、この曲の録音が行われます。これは、ジョン・レノンの要請で
    エルトン・ジョンにどうしてもコーラスで入ってもらいたいということで、ジョン・レノンのスタジオにエルトン・ジョンがきて、こ
    の曲のコーラスを録音します。ピアノもオルガンもやります。で、エルトンは、「この曲すごい!この曲一位になるよ!」と言ったら
    「いや、そんなことはないよ」。そこで、エルトン・ジョンは、賭けを申し出ます。もしこの曲が一位になったら、ぼくのコンサート
    にゲストで出ること。ジョンは、「OK、OK」。実は、ジョン・レノンは、一位にはならないよと言ったのには、リンゴ・スター、ジ
    ョージ・ハリソン、ポール・マッカートニーには既に一位の曲があったのですが、ジョン・レノンだけに一位の曲はなかった。でも、
    俺の曲は一位になるとは思わなかったのかもしれません。しかし、これが一位になっちゃうんです! 結果、11月16日、一週間だけ
    ですが、一位になります。で、マジソン・スクエア・ガーデンでのエルトン・ジョンのコンサートに、ジョン・レノンがゲストに出る
304ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 18:19:02 ID:???0
    ということが実現したわけでありますが、もう一つお話がついています。これは、ジョン・レノンがオノ・ヨーコに追い出されていた
    時期です。有名な。で、LAに中国人女性メイ・パンと暮らしておりました。その頃のことなんです。でも、この感謝祭のエルトン・
    ジョンのコンサートの客席の中には、オノ・ヨーコがいた。そして、楽屋に戻ると、そこにはオノ・ヨーコがいたんです。で、そこで
    いろいろあって、翌年ショーンが誕生するという。すごいでしょ、このエピソードは。それが、36年前のきょうというわけです。
    〜 Elton John feat. John Lennon / Whatever Gets You Through The Night

    エルトン・ジョンは、この頃人気がすごかったんだよ。世界中を回ったりするのも、キャプテン・ファンタスティックと名付けた自家
    用ジェット機で、世界各国を回っていた頃のNYマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサートでした。
305ホワイトアルバムさん:2010/11/28(日) 18:23:27 ID:???0
サボイトラッフル キター!
306ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 18:35:17 ID:???0
□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「ビートルズに群がるティーンエイジャーたちの熱狂、それは凄まじかったね。その熱狂そのものを表す言葉、ビートルマニアがいつ誕
   生したのか。ぼくはそれをハッキリ記憶している。そう、1963年10月13日のことさ。」こう証言するのは、ビートルズの広報担当と
   して、四人と全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。今週もこのバーロウの証言を元に、ビートルズの歴史を紐解いてみよう。1963年
   10月、ビートルズの四人がそれぞれのバケーションから戻ると、スコットランドで単発のいくつかのコンサートをこなし、ロンドンでラ
   ジオやテレビの収録をした。そんな中で放映されたのが、Sunday night at the London Paradium 。ATV ── つまり、Associated
   Television というテレビ局が製作し、ITVという独立系のネットワークで全国放送されていたこの番組は、イギリス十で1,500万人もの視
   聴者がいるというモンスター人気番組であった。この時点でのビートルズは、Please Please Me 以降の三枚のシングルが全英でトップに
   輝き、人気は急上昇であった。しかし、チャートのトップを取ったとはいえ、所詮はイギリス国内でのこと。当時の国内売上の枚数など
   たかが知れたものであった。音楽雑誌が取り上げてくれても、全国版の新聞に掲載されないと社会的な人気度は上がらない。チャートう
   んぬんよりも、ビートルズはもっともっと知名度を上げたかった。そうなると、やはり手段はテレビ出演しかない。放送日直前になって
   ビートルズは、その重要性に気づき、急遽所属事務所であるNEMSのオフィスでリハーサルを行った。あまりに急な話で、スタジオが押
   さえられなかったためである。この回の放送でのビートルズの扱いは、新人としては異例のヘッドライナー。運命の10月13日が、遂に
   やってきたのである。
    〜 The Beatles / One after 909
    〜 The Beatles / Oh! Darling

   (小林)One after 909 は、早くから出来上がっていた曲ですが、70年の Let it Be に収録されました。曲がなかったのかな。
307ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 18:57:01 ID:???0
  ・1963年10月13日、Sunday night at the London Paradium の放送時間が迫ってきた。共演者は、アメリカのリズム&ブルースシンガー
   ブルック・ベントン。イギリスのエンターティナーである、デズ・オコーナーとブルースフォーサーズなどである。事前の番組宣伝を見
   て、ビートルズの出演を知ったファンは、午後から行われるリハーサルを狙って、ロンドン・パラディアムのあるアーガイル・ストリー
   トに集結した。幸運な者は、無料配布されたチケットを手に入れたのであるが、ほとんどはは外に取り残されたまま。それでも、あらん
   限りの声を振り絞って、四人を応援するのだ。この光景が、最高の効果となった。マスコミ連中が注目し、集まってきたのである。この
   日は日曜日であり多くの場合、翌月曜の朝刊の紙面には芸能人の恋愛とか、どこかの田舎街で起きた珍事とか、いわゆる暇ネタでお茶を
   にごすのが通例である。しかし、この日は違った。ビートルズのファンが、あまりに熱狂的であったため、その噂は小さな村のようなロ
   ンドン中に広がり、新聞社のデスクの耳にも届いた。日曜であるにも関わらず、記者たちは休日を返上し、ロンドン・パラディアムに集
   まった。やはり、噂はガセネタではない。確かに、多くの少女たちの黄色い声が聞こえる。そして、この騒ぎは遂に、ウェストエンドの
   セントラル警察署から、警官も出動することになった。絵面としては、最高のシチュエーションとなってきた。ニュースの値打ちは上が
   るに決まっているのだ。そして、ファンの視線が劇場の正面入口から、グレート・マルボロウ・ストリートに面した楽屋口に移動した。
   ビートルズが、やってきたのだ。それとも、出てくるのか。黄色い声の騒音度数は、さらに五割増しとなった。しかし残念ながら、
   カーナビ・ストリートのカフェからテイクアウトしたコーラとホットドッグの入ったダンボールを抱えた、ローディのマル・エヴァンス
   とニール・アスピノールの二人であった。ファンは、肩透かしを食らった。しかし、それでも黄色い声は、一向に収まる気配はない。新
   聞記者たちも、みんな息をひそめて、ビートルズを待ち続けたのである。
    〜 The Beatles / Savoy Truffle
    〜 The Beatles / You Can't Do That
308ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 19:12:59 ID:???0
  ・1963年10月13日、ビートルズが生出演することが決まった番組 Sunday night at the London Paradium は、日曜の夜8時の超人気番組
   で1,500万人の視聴者数を誇っていた。この日の午後、リハーサルにやって来るビートルズをひと目見ようと、ロンドン中から多くのフ
   ァンが集結した。ほとんどが、十代の少女たちである。あまりの騒ぎに、警察官もかけつけ、これを何とか収めようと躍起になった。ま
   ずはパラディアムの階段から人ごみを遠ざけるため、群衆をデーガイル・ストリートのカドまで押し戻したのであるが、これが逆に良い
   カメラアングルとなった。いかにも暴動となっている状況に、警官が出動したかのような写真となったのである。ティーンエイジャーた
   ちは大声を上げ、カメラのフラッシュが次々と光った。数人のファンは、新聞や雑誌からインタビューも受けた。泣きながら答えるファ
   ンもいたので、これまた最高の効果となった。これ以上の大ニュースは、なかった。月曜の朝刊では、田舎の道でロバが交通事故にあい
   ましたという暇ネタはまたしても先送りとなり、一面にはビートルマニアの文字が踊った。ある新聞は、ビートルズフィーバーと書いた。
   実際には、このビートルマニアという言葉は、デイリー・ミラー紙が発明し、既に日曜夜のテレビニュースで報道している。この日の騒
   動に関して、ビートルズの広報マン、トニー・バーロウは、こう語っている。「10月13日の出来事は、まるで仕込んだようにうまくい
   った。ブライアン・エプスタインには、あれは全部ぼくが仕込んだんですよと言いたいところだったけど、実際のところは、すべてが自
   然発生的に起こったことだよ。この後のビートルズのブレイクぶりは、誰もが目にすることだけど、とにかく彼らがいて、歩いて、笑っ
   て、語って、そして演奏すれば、それがすぐに大騒ぎになったんだ。だから、ぼくは思った。四人のユニークで素晴らしい個性があれば
   誇大な宣伝など必要ないってね。それがまさに、ビートルマニアだったというわけさ。」
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
309ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 19:31:15 ID:???0
□リクエスト
  ・日曜のこの時間は、ちょうど息子と夫がお風呂に入りながら、私は夕飯の準備と息子のお風呂上りの世話をしながら聞いています。去年
   生まれた息子も胎教のかいあってか、ビートルズの曲がかかるとゴキゲンです。なかでもこの曲は、鼻歌で歌ってあげると、すぐニコニ
   コの穏やかな顔になります。不思議です。息子は、去年の11月28日に生まれました。今年は、日曜日。もし、満一歳の当日にリクエスト
   曲をかけてもらえたら、すごくハッピーです。(千葉市美浜区/女性)
    〜 The Beatles / Across The Universe
   (小林)こうへいちゃん、誕生日一歳、おめでとう。

  ・中学生の時、ビートルズのファンクラブに入り、レコードを買いまくり、その中で「恋する二人」という曲が大好きでした。今も色褪せ
   ないって、すごいですね。レコード針のプチプチしたアナログの音も、今は恋しい感じがします。(印西市/女性)
    〜 The Beatles / I Should Have Known Better

  ・輸入盤という言葉も、A面B面という言葉と同様、聞かれなくなってしまいました。7、8年前、輸入盤で買ったこの曲をお願いします。
   どんな曲だか、いまだに分からないのですが。最初に聞いたときは、ビートルズみたいに曲にストーリー性があってかっこいいと思いま
   した。(船橋市/男性)
    〜 Train / Drops of Jupiter
310ホワイトアルバムさん:2010/11/28(日) 19:37:46 ID:mTi7xWxQ0
何この改行。読みづれーよ。
311ポール・キロックトニー:2010/11/28(日) 19:46:51 ID:???0
   (小林)これが一発屋みたいなヒットで、最近になってまたドンドンと出してきていて、見るとメンバー全員違っているんですね。トレイン
   は、名前が浮かばないんですが、中心で歌っている人とか、シンガーソングライター彼のバンドですね。そう考えると、分かりやすいです
   これがヒットしたのは、NYでテロがあった頃だよね? だから、7、8年前じゃないと思うよ。

  ・あれは、高校一年の学校帰りの幕張駅のホームだった。誰かが、「ジョン・レノンが死んだらしい」と告げた。嘘であってほしいと、途中
   下車して、電気屋のテレビニュースで事実となった。その日、深夜のラジオの追悼番組で、16歳だった俺がこの曲が流れたとき、堰を切
   って、男泣きした曲をリクエストします。中には、ジョンは死んだというので神格化したという人もいるけど、そうじゃないよ。少なく
   とも、俺はそうじゃないよ。あれから30年、早いですね。克也さん。(船橋市/男性)
    〜 The Beatles / Girl
   (小林)この曲が、ジョン・レノンがふざけたようなところもあって、もう不意を襲ったんだろうね。

(小林)ビートルマニアという単語。これはマニアというのが、熱狂的なファンを指しているから、ちょっと洋楽を生業としている人たちも間違
えるんですけど、ビートルマニアというのはビートルズに対してのすごい盛り上がりのことを言うんですよね。だから、日本でもビートルマニ
アというのは、日本の女の子でも、クイーンマニアとかベイシティローラーズマニアとか、モンキーズマニアとか、そういうのもあったような
気がしますけど、なかなか面白いと思います。この続きは、また来週。一歳の誕生日にかけたというのは、子供はわからないかもしれないけど
お父さんとお母さんは覚えていて、あの家の伝説みたいになるんだと思います。色んな参加の仕方があるのでよろしく。小林克也でした。
312ホワイトアルバムさん:2010/11/28(日) 19:49:08 ID:???0
携帯厨は仕方ねえなあ
313ホワイトアルバムさん:2010/11/29(月) 00:20:21 ID:???0
>>307 の続き 曲紹介のところです。

(小林)シングル ハードデイズ&ナイトのB面 えー そしてアルバムにも入っています。
ハードデイズ&ナイトのアルバムにも入っています。You Can't Do That。
えーと ジョージ・ハリスンが12弦のギターを弾いていたそうです。で だからあの 後半のあのギターソロはジョン・レノンのギターソロです。
ジョン・レノンの曲 You Can't Do That。
そして その前は ホワイトアルバムの曲で Savoy Truffle。 
314ホワイトアルバムさん:2010/11/29(月) 21:44:49 ID:???0
2006年Led Zeppelin、2008年レディオヘッド、そして2010年ビートルズの作品がそれぞれiTunesで解禁になりましたが、
いまだiTunesで発売していない大物が何人かいます。その理由などが、エンターテイメント・ウィークリーに掲載されていました。
http://music-mix.ew.com/2010/11/16/beatles-itunes-holdouts/

AC/DC:アンガス・ヤングがNY TIMESに語ったところによると、アルバムが曲ごとにバラバラに買われるのが我慢ならないから、と。
「例えば絵を描くアーティストのようなもので、自分の作品が偉大だと思えば、どんなことがあってもそれを守ろうとするは当たり前だと思う。
これは俺たちの作品なんだから」とのこと。

キッド・ロック:「アップルやiTunes自体に異議があるわけじゃないんだ。でも、どのアーティストも同じ値段で売っているのが、許せない。
例えば、家の近所のガラージ・バンドのアルバムとブルース・スプリングスティーンの”Born To Run"が同額っていうのは、あり得ないと思う。
俺は自分の作品をどう売るのか売る人達と自分で取り決めしたいだけなんだ」。

Garth Brooks : 「アップルの人達はいい人達なのかもしれないけど、つまるところビジネスマンだ。彼らは、音楽業界を救っていると思っているようだけど、音楽業界を破壊していると思う。
アルバムによって違う値段で売られるまで、曲ごとのバラ売りではなくて、アルバムのみでの発売が可能になるまで、彼らは僕の作品の真の販売代理店とは言えない」。

その他、iTunesで買えない大物には、The Smiths(ベスト盤は買える)、TOOL、Def Leppard、Bob Seger、Black Sabbath、Frank Zappaなどがいます。
315ホワイトアルバムさん:2010/11/30(火) 02:17:54 ID:???0
ここのスレ主さんのおかげで知識が増えるw
316ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 18:12:30 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年12月5日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月5日)
  ・1967年 (43年前)
    Summer of Love、サイケデリックの元年です。ビートルズの会社アップルがスタートするわけですが、アップルというのは、ジョン
    ・レノンとポール・マッカートニーの理想に基づいた芸能の会社ですよね。部門が5つに分かれていて、映画・音楽・エレクトロニク
    ス、これがさすがスゴイと思うんですが、美術、ファッション部門というのがあって、アップルという会社は、アップル・ブティック
    を作るわけですよ。で、43年前のきょうは、アップル・ブティックのオープニング・パーティー。ザ・フールというアート集団が、
    わざわざデザインするんですが、ところが最初は壁面にサイケペイントが描かれたんですが、近所住民の大反対にあって、アップルの
    ロゴだけに変更してスタートするんですが、まあ何というんですかね。ポールやジョンが有名なんで、店員は楽だったんですね。だか
    ら行っても、店員は酔ってるかトリップ状態で、みんな田舎から出てくるわけです。ビートルズのブティックだってんで、観光地化し
    た店は、万引きの嵐だったそうです。で、ブティックは大損失を出して、1968年、翌年の7月には閉店するんですが、閉店の前の日に
    はヨーコが現れて、めぼしい商品をすべて持っていったというエピソードがあったりするんですが、これはまあ、ビートルズの失敗の
    歴史ですかね。アップル・ブティックという店をスタートしたんだよ。そのパーティーが、43年前のきょう、あったわけですね。さ、
    その3日後に最新盤が出ます。2枚組のEPで、Magical Mistery Tour。その中で、最も時代を象徴する1967年らしい、サイケデリック
    な。これはジョージ・ハリソンの曲で、ジョージのLAでのサイケデリック体験が歌われております。実在する通りの名前です。
    〜 The Beatles / Blue Jay Way
317ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 18:26:23 ID:???0
    たしか、Blue Jay Way に家を借りていたこともあるんですよね。ぼくの知ってた人、日本人ですけど、それに憧れてアメリカに渡っ
    て、いちおう事業は成功して、住宅と事務所を Blue Jay Way に構えていた日本人がいますが、今は何やってるんでしょうかね。

□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「とにかく、ビートルズがいて、歩いて、笑って、語って、そして演奏すれば、それがすぐに大騒ぎになるんだ。だから、ぼくは思った。
   4人のユニークで素晴らしい個性があれば、大げさな宣伝など必要ないってね。それがまさに、ビートルマニアだったってわけさ。」
   こう証言するのは、ビートルズの広報担当として、4人と全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。1963年10月13日に発生したビート
   ルマニアについて、バーロウはさらに説明してくれた。「ビートルマニア。つまり、ビートルズに関する熱狂的な現象は、決して作られ
   たものではなく、自然発生的に起きたものだよ。ファンの忠誠心、愛情、献身、そして祈りにさえ近い気持ちが自然と形になった現象で
   あり、これはその後ビートルズが公に姿を表すたび、何度も繰り返される光景の先例となったんだね。だから、本当にビートルズにまつ
   わるエピソードの多くはパブリシティとして、宣伝として作り出されたものではなくて、彼らの持つ自然な魅力に負うところが大きかっ
   たのさ。やはり、本物のカリスマだっただね、ビートルズは。」ビートルマニアは、作り出されたものではない。しかし、トニーが言う
   には、それが突如現れたものではなかった。ビートルズの地道なツアー生活のおかげで、徐々に拡大していったのである。この事実を全
   国紙の編集部は、気づいていなかった。いつの時代でも、専門誌ではない総合的な全国紙は、少し浅はかなところがあるものだが、ビー
   トルズにかんしても例外ではなかった。10月のパラディアム事件に比べるとスケールははるかに小さいものだったが、似た様な現象が
   夏の段階で、地方のホテルの外で既に起こっていた。ポップやロックシーンの動向に関する新聞業界の反応は、あきれるほど遅れていた。
   つまり、勉強不足である。ビートルズは既に、ローカル人気には収まりきらない爆発的なパワーとエネルギーを備えていたのである。
318ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 18:44:45 ID:???0
    〜 The Beatles / Long Tall Sally
    〜 The Beatles / Baby's in Black

  ・「ぼくの業務は、ビートルマニアの登場を境に変化した。」ビートルズの広報マン、トニー・バーロウの証言である。それまでは、ビー
   トルズの売り込みと宣伝活動を積極的にやっていたバーロウであったが、ビートルマニアの登場以降は、イメージを守るために露出先の
   選択が重要な任務になっていく。メディア向けの活動に関しては、特に気を配るようになった。ビートルズ側にとって有利となる出版物、
   写真家、ライターを選び、限定して取材を受けるようになったのである。さらにビートルズのスケジュールが厳しくなるにつれ、宣伝に
   与えられる時間もどんどん減っていき、良さそうな特集記事や見開き写真を掲載する話があっても、時間が開けられないからという理由
   で、断らざるをえない状態が増えていった。すべてが、雪だるま式に加速していったのである。当然、知名度が上がるにつれて、コンサ
   ートの依頼が増え、コンサートが増えると、それがそのまま宣伝になるので、バーロウの宣伝マンとしての出番は少なくなる。そうなる
   と、ますますイメージ戦略が必要になってくる。つまり、ビートルズのスタッフの仕事のタイプも、量より質へと変わっていったのであ
   る。そしてあのロンドン・パラディアムへの出演から3日後、ビートルズはロイヤル・コマンド・バラエティ・パフォーマンスへの出演
   に同意した。と、発表している。この時の他の出演者は、マレーネ・ディートリッヒ、ソフィー・タッカー、マックス・バイグレイヴス、
   モーリッシュ・バリエール、トニー・スティーブといった各国から集まった大物俳優や歌手ばかり。会場は、ロンドンで劇場が軒を連ね
   るウエストエンドにあるプリンス・オブ・ウェールズ劇場。パフォーマンスには、エリザベス皇太后とマーガレット王女が出席するとい
   う、ビートルズにとっては、まさにあこがれの舞台となった。しかし、このまますんなり、事が運ぶのか。内心、不安を抱えるトニー・
   バーロウであった。
    〜 The Beatles / It Won't be Wrong
    〜 The Beatles / I've Got Feeling
319ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 19:08:16 ID:???0
  ・1963年10月13日の、あの伝説のロンドン・パラディアムから3日後。ビートルズは、ロイヤル・コマンド・バラエティ・パフォーマン
   スへの出演に同意したことを発表した。この時の他の出演者は、マレーネ・ディートリッヒを始めとする、各国から集まった大物俳優や
   歌手ばかり。会場となるプリンス・オブ・ウェールズには、エリザベス女王とマーガレット王女が出席するという、ビートルズにとって
   は、まさに晴れの舞台となったこの催しは、通称ロイヤル・バラエティショーとして知られている。しかし、このパフォーマンスの当日
   11月4日、やはり楽屋では、一悶着あった。マネージャーのブライアンは、ジョンにこう確認した。「ねえ、ジョン。きょうのライブは
   ね、皇太后、女王、王女たちもお見えになる。特別なものなんだ。もちろん、テレビのニュースや新聞でも、間違い無く取り上げられる。
   だから、いつもより少しお行儀よくして欲しいんだよ。いいよね、ジョン。それで、まず事前にステージで何をしゃべるか、ちょっと確
   認したいんだ。」ジョンは、答えた。「皇太后や女王がいるから、行儀よくしろって? けっ、アホらしい。俺は、いつもどおりだよ。」
   ブライアンは、あわてて続けた。「だからね、ライブは同じでいいんだ。問題は、何をしゃべるかだよ。」「ああ、それなら分かったよ。
   そうだな。じゃあ、こうしよう。今夜は、お越しいただいてどうもありがとうございます。皆さんにお願いがあります。安い席の人は、
   手拍子をください。そして、高い席の人は、宝石をジャラジャラさせてください。これで、どう?」ブライアンは、少しほっとした。
   「ああ、それぐらいなら大丈夫だ。きっと、ウケると思うよ。」ジョンは、これに続けた。「でも、もう一つ忘れてたな。宝石という言
   葉の前に"ファック"ってのを忘れないようにするよ。」もちろん、事の真相は、しっかりと録音されていた。
    〜 The Beatles / ジャラジャラ発言 〜 Twist and Shout
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

   そのとおりのことを言ってましたね。Twist and Shout をやった後、ビートルズは退席するわけですが、あの時の独特のショーですね。
320ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 19:18:01 ID:???0
   チェイサーという、オーケストラのビートルズを送るインストルメンタルというんですかね、流れておりました。

□リクエスト
  ・先日、ジョンのソロアルバムがリマスターされた発売されたのをきっかけに、今まで聞いたことのなかったイマジン以外のアルバムも
   聞いてみようと思いました。その中で私が最も楽しみにしていたのが、ビートルズの Come Together と、ジョンの You Can't Catch Me
   の聴き比べです。以前から、Come Together は、You Can't Catch Me を、言い方は悪いですがパクった曲だと聞いており、そんな曲
   なら、いつか聴き比べてみたいと思っておりました。そして、ついて You〜を聞く事ができたのですが、あまりにもリズムが Come〜
   そのままなことに、最初私は笑ってしまいました。ジョンは、このチャック・ベリーの曲を気に入っていたんでしょう。それを、アビー
   ・ロードの一曲目に Come〜として収録したことが、ジョンのビートルズ時代、最高のジョークだったのではないでしょうか。克也さん
   どう思いますか。(中野区/男性)
    〜 John Lennon / You Can't Catch Me
   (小林)このロックンロールというアルバムは、ご存知かと思いますが、チャック・ベリーの曲を盗作したという出版社の訴えがあって、
   じゃあ裁判にしないからということで、示談になったんですね。その代わりジョンがカバーをやると、そのカバーのついでに、その出版
   社が持っている昔の有名な曲もカバーすると。そうすると、その印税が入るわけですよね。そういうことで作った。だから、動機は不順
   だったアルバムなんです。ジョンは意地があるから、You〜は、Come〜みたいなのでやったんじゃないかと思われますが、その判断は
   みなさんしてみてください。
321ポール・キロックトニー:2010/12/05(日) 19:36:54 ID:???0
  ・当時のライブ・エイドをビデオで録画していたんですが、何者かに持ち去られてしまいました。残念で、なりません。(東金市/男性)
    〜 Paul McCartney / Let it Be
   (小林)ライブ・エイドのライブがないので、ポールの Good Evening New York City からお送りします。

  ・ビートルズ・ファンの間で、レノン派・マッカートニー派に分かれることがありますが、克也さんはどっちでしょうか。ぼくは、絶対
   レノン派です。(印西市/男性)
    〜 The Beatles / You Know My Name (Look up the Number)
   (小林)ぼくは、どっちですかね。レノンですけど、そこまでは、ついていけないよという自分がいて、片足突っ込んだジョン・レノン派
   ですね。一方の足は、おそらくジョージ・ハリソンの方に、突っ込んでると思います。あなたは、You Know My Nameをリクエストして
   おきながら、自分の名前を書いていないという。だから、石井食品からのものも送れないじゃないですか。あなたも、ぼくと同じような
   本当のジョン・レノン派じゃないと思うね。そんなニオイがするね。名前を隠してるからね。

(小林)というわけで、みなさんからのリクエストを待ってます。やっぱり、名前とか読んでほしくないのであれば、読んでほしくないというのを
書いてください。その方が、採用の時に賞品などを送りやすいので。小林克也でした。
322ホワイトアルバムさん:2010/12/09(木) 12:24:42 ID:???0
323ホワイトアルバムさん:2010/12/10(金) 22:16:47 ID:???0
キロックトニーさんは マッカートニー派でしょうかw
324ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 18:13:05 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年12月12日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月12日)
  ・1969年 (41年前)
    イギリスで、ジョン・レノンのアルバム。というか、名義はプラスチック・オノ・バンドですが、ライブ・ピース・イン・トロント
    1969という、このアルバムが出ます。発売になった日です。これは、いったい何かというと、9月にカナダのトロントでロックンロ
    ール・リバイバル・フェスティバル。実はこれはですね、1950年代ロックンロールを盛り上げたジェリー・リー・ルイスとか、ボ・
    ディドリーとか、リトル・リチャードとか、こういった古い人ばっかりが出るショーに、ジョンが呼ばれたんです。どういうことか
    というと、元々このショーを考えたのは、若いジョン・ブラワーという23歳の、素人に近いプロモーターで、なかなかチケットが売
    れないということで、この解決策として、ジョン・レノンにゲストでなんかコメントをもらうということで、遊びに来てもらおうか
    なと思ったわけです。それで彼は、ジョン・レノンに電話をして、つながるんですよ。そして、ジョン・レノンと話をするんです。
    こういうことで、ロックンロール・フェスティバルをやるんですが、ゲストで来てもらえないでしょうか。この1969年というのは、
    ビートルズが結構バラバラになってて、ポール・マッカートニーは大分前から、ライブやんなきゃライブやんなきゃ、バンドとして
    ライブやんなきゃ。ジョン・レノンも、ちょっとやりたかったんですよ。で、え?俺はゲストとか、そういうの嫌だよ。出るよ!と
    言ったんですよ。これは、若い素人っぽいジョン・ブラワーという興行師にとっては、儲け物ですよね。で、ジョン・レノンは、親
    友のエリック・クラプトンに電話をして、ギタリストだもんなということで、エリック・クラプトンのスケジュールが空いていた。
325ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 18:22:04 ID:???0
    そして、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト。後に、イエスのドラマーになる人ですけど。えー、あのー、駆り集めまして、
    で、カナダへ行こうよ!という、実はちょっと話長くなるんですけど、あのー、電話が来たのが、32時間前なんですよ。二日前じゃ
    ないんだよ。一日と半分ぐらい前。で、いきなり電話して、カナダ行くよー!って、ジョン・レノンが集合かけて。飛行機の中で、
    何やる?何やる?と、リハーサルやって、生ギターでリハーサルやったわけですね。で、えーとー、あのー、本当はいろいろやりた
    かったらしいんですけど、ジョンがやれる曲。なにしろ、ライブをやってないですから。歌える曲、ジョンの体に染み付いている曲
    をやるという、選曲になります。だから、ちょうど41年前のきょうに発売になった、そのカナダでのライブのアルバム。プラスチッ
    ク・オノ・バンドのアルバムの中には、こういうロックンロールのスタンダードも入っています。
    〜 Plastic Ono Band / Blue Suede Shoes

    そうとう久しぶりに、人の前でやるわけですからね。こういう顔ぶれで、ジョン・レノン初めてなわけですから。飛行機の中で練習し
    ながら、気分悪くなって、バスルームで吐いてしまったという体験もあります。だから、紹介されても、なかなか音が出ない。あの無
    駄な時間のように思えるけど、あの中に、このなんて言うんですかね。初めてやって、うまくいくかなという、なんて言うんですかね。
    オーラと言うんでしょうか。それが、漂ってましたね。そして、音が始まると、ビートルズじゃなくてハード・ロックのグループみた
    意だったでしょ?面白かったですねー。
326ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 18:33:46 ID:???0
□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・「今夜は、お越しいただいて、どうもありがとう。もう、次の曲でお別れになります。みなさんに、お願いがあります。安い席の人は、
   手拍子をどうぞ。そして、高い席の人は、宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」 ── 1963年11月4日、イギリス王室を招いて開催
   されたロイヤル・バラエティ・ショーのステージ上での、ジョンの発言である。ライブ映像でも記録されているとおり、会場は大歓声に
   包まれた。観客の中には、エリザベス女王やマーガレット王女もいた。という、この晴れの舞台で喝采を浴びたことにより、ビートルズ
   の人気度は急激に上昇し、一気に全国区のものとなった。さらにこのロイヤル・バラエティ・ショーと、この一ヶ月前に出演したテレビ
   番組 Sunday Night at London Paradium のおかげで、ビートルズのニュースは、イギリス国内だけにとどまらず、大西洋を越えて、ア
   メリカにも届いた。アメリカの全国紙にも、初めての大見出しが紙面を飾ったのである。タイミングは、まさに完璧であった。既にこの
   時点で、1964年の上半期の内に、ビートルズはニューヨークへ赴くことは決定していた。しかし、ここにきて、アメリカでの露出が高
   まったことで、マネージャーのブライアン・エプスタインは、ラッキーだった。トップ・レベルの人物との交渉が、可能になったのであ
   る。ビートルズは今や、単なるイギリスの新人グループから、当時として数少ない国際的なポップスターの座にのし上がろうとしていた。
   しかも、この大きな飛躍は、デビュー・シングル Love Me Do から、一年を待たずして起こったのである。イギリスの北国の街リバプー
   ルの学生仲間で結成した、あのクォリーメンがシルバー・ビートルズとなり、そしてビートルズとなり、ドイツのハンブルグで音楽と人
   生の修行をし、メンバー・チェンジを経て、いまや女王陛下と言葉を交わすまでになった。誰が見ても、感動的なサクセス・ストーリー
   に他ならなかったのである。
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / Penny Lane
327ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 18:49:19 ID:???0
  ・「ロンドン・パラディアムとロイヤル・バラエティの出演は、ビートルズのブレイクを決定づけたね。あれで、マネージャーのブライア
   ン・エプスタインも、そしてぼくも仕事がやりやすくなった。やはり、マスコミの力は、すごいんだね。」 ── こう、証言するのは、
   ビートルズの広報マンとして、四人と全世界を飛び回った男トニー・バーロウ。ここでも、バーロウの手記を元に、紹介していこう。
   ビートルズのライブバンドとしての活動期間は、短いものだった。もちろん、下積み期間2〜3年があったわけであるが、デビューしてか
   ら3年半で、ライブをやめている。その中で、最も忙しかったのが、この1963年から64年にかけての1年間。その忙しい中でさえも、
   ビートルズの面々は、時間を作っては、自分たちのヒーローであり、今ではライバルとなったアーチストのコンサートに、足を運んでい
   る。1963年の秋には、ビートルズにとって憧れのスターたちが、夢のライブとも言える、一つのパッケージツアーで、イギリス国内を
   回っていた。ギリギリになって決まったヘッドライナーが、ロックンロールのキングにしてクイーンと呼ばれていたリトル・リチャード。
   なぜ、彼がキングでクイーンなのかというと、それはゲイであったから。そのリトル・リチャードに加え、イギリスからは売り出し中の
   リズム&ブルースバンド、ザ・ローリング・ストーンズ。さらに、アメリカからは、エバリー・ブラザーズ。さらに、黒人のロック・ミ
   ュージシャン、ボ・ディドリーといった、ロックのヘビー級ぞろいであった。さあ、こうなると、ビートルズの四人。特にジョンとポー
   ルは、居ても立ってもいられない。自分たちのツアーのスケジュールをなんとか都合をつけて、出来る限りこのツアーを見ようと頑張っ
   た。これだけは、絶対見逃すことができなかったのである。そしてついに、リトル・リチャードを初めとする、憧れの先輩ロッカー達の
   勇姿を見ることが出来た。ビートルズの四人が、コンサート会場に足を運んだその夜、トリを務めたリトル・リチャードが、あの大声で
   叫んだ。「ねえ、みんな。ビートルズにロックを叩き込んだのは、このアタシよ。」
    〜 John Lennon / Slippin' and Slidin'
    〜 The Beatles / I'm Down
328ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 19:12:37 ID:???0
  ・1963年11月1日、ロンドンとリバプールのちょうど真ん中辺りに位置する街チェルトナムのオデオン劇場を皮切りに、ビートルズはイ
   ギリス国内33都市のツアーをスタートさせた。これは、5枚目のシングル I Want〜とセカンドアルバム With〜の発売時期に合わせた物
   である。コンサートチケットが、劇場の前売り券売り場に長蛇の列を残したまま、軒並み売り切れるようになると、チケットを手に入れ
   ることの出来なかったファンが劇場に集まり、デモをするほどの大騒ぎとなった。リバプールよりもさらに北国の街カーライルのABCシ
   ネマという劇場では、600人のファンが徹夜で列をなした。こうしたビートルマニア、つまりビートルズに関する熱狂的な現象と熱狂ぶ
   りを潰しにかかろうとする反対勢力も当然のように現れた。ある新聞などは、こう書きたてた。“大きな都市や街では、店のウインドウ
   を割る事件が起こり、その被害は数百件単位で増え続けている”もちろん、ほとんどはデタラメ。オーバーな報道であった。さらに、デ
   イリー・テレグラフ紙は、ファンのヒステリックな行動を批判する内容の記事を一面に掲載したが、それに対しデイリー・ミラー紙は、
   こう反論した。“ユーモアのセンスがあり、楽しくてハンサムなビートルズを好きになれないとは、よほど頭の硬い人間であろう。ビー
   トルズはユニークで、愛すべき存在である。モップのようなヘアスタイルであるが、当然シャンプーは欠かさないし、とても清潔だと見
   える。若々しく、新鮮な音楽も素晴らしい。如何わしいトークに頼らずとも、とにかくいつも愉快で痛快な連中である。がんばれビート
   ルズ。”当時の全国版タブロイド紙としては、かなりの高評価であるが、これはいかにビートルズが支持率を上げてきたかを物語るエピ
   ソードだとも言える。つまり、デイリー・ミラーは賢く立ちまわって、ビートルズ側に着くほうが得策だと考えたのである。もちろん、
   彼らがジョン・レノンのあの下品なステージ上のMCをまったく知らなかったということは、言うまでもない。
    〜 The Beatles / I Feel Fine
    〜 The Beatles / Old Brown Shoe
329ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 19:40:53 ID:???0
□リクエスト
  ・イントロのリフが、I Feel Fine なんですね。好みは色々ですが、ノリが良くて良いと思います。(千葉市美浜区/性別不詳)
    〜 The Ventures / Rudolph the Red-Nosed Reindeer

  ・当時のLPについていたライナーノーツ、ポールがコンサート前にメンバーに逃げられてしまい、それを元にした曲と書かれていたと思い
   ます。ジェームス・コバーンをあしらったジャケットもかっこ良かったし、何より転んでもただでは起きないというか、たくましいポー
   ルの根性に感動した記憶があります。(神栖市/男性)
    〜 Paul McCartney & Wings / Band on the Run
   (小林)これはね、アフリカのラゴスというところで録音していますが、歌詞にも出てくるんですが、砂漠が、サハラ砂漠だと思いますけ
   ど、これはバンドが逃げたといいますけど、ポールも逃げていると。バンド脱走中という、その脱走を楽しんでいるというフィクション
   だと考えたほうが良いと思います。

  ・来日するなど想像もしなかったあの頃、同じ空気を吸っていたであろう、イギリスのピーター&ゴードン、またアニマルズなど、渋谷の
   リキパレスに状況した世代のファンです。女の子の歌で、夢見るビートルズがあったのを思い出し、リクエストします。(品川区/男性)
    〜 Donna Lynn / I Had a Dream I was a Beatle
330ポール・キロックトニー:2010/12/12(日) 19:44:43 ID:???0
  ・成年コミック雑誌モーニングで連載されている「僕はビートルズ」というマンガは、現代のビートルズのコピーバンドが、ビートルズが
   デビューする前の時代にタイムスリップしちゃう話です。主人公は、ビートルズの曲を先に発表してしまい、その結果ビートルズが違
   う進化をするのではないかと考えているようです。私は、マンガのように楽曲が出来る前に先取りされてしまっても、ビートルズはまた
   新しい曲を作って、世界に認められると思います。(江戸川区/性別不詳)
    〜 John Lennon / Imagine
   (小林)面白い見方ですね。ただ単なる楽曲が出るというのと、曲が出るというんじゃなくて、若者の感性というか、世界を変えてしまう
   わけですよね。だから、そこを考えるとよく分からなくなってしまいますけどね。曲が出るというのが、ただ単にヒットしただけかどう
   かという、我々はシリアスですから、真面目に考えてしまいますね。

(小林)ビートルズから始まる。みなさんの、それぞれのリクエスト、楽しいですよね。リキパレスなんか知ってる方からもリクエストがありまし
て、感動しましたよ。リキパレス、若い人に紹介する時間がないんですけど、力道山に関係ありますね。みなさん、それぞれの思いを、あまり
長くならなくて結構ですから、リクエストください。お相手は、小林克也でした。
331ホワイトアルバムさん:2010/12/12(日) 20:15:35 ID:???0
いつも乙でちゅ。

「バンドオンザラン」のジャケはクリストファー・リーもいるのに
それはスルーしたのが残年。
332ホワイトアルバムさん:2010/12/13(月) 00:48:06 ID:???O
キモ
333ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 18:11:25 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年12月19日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月19日)
  ・1966年 (44年前)
    イギリスの新聞デイリー・スケッチが、タラ・ブラウンという人の車の衝突シーンの写真を載せます。これは、大変な事件なんです。
    というのは、このタラ・ブラウンは、とても若い貴族階級の若者で、そして彼が大金持ちなんです。大金持ちの息子で、ビートルズに
    いけないものや、クールなかっこいいものや、ナウいものや、生き方を教えてくれた人間です。ジョンなんかより、若いわけです。だ
    けど、貴族ですから、イギリスの貴族は特別な存在で、例えば貴族って、お金持ってないさと思いがちですけど、このタラ・ブラウン
    は、ギネスブックって知ってますよね。あれは、ギネスビールからきています。ギネスというのは、イギリスの一つの財閥なんですが
    そのギネスの遺産を25歳になると相続することになっていたんですが、21歳の若さで、彼は車の事故で亡くなってしまいます。生き
    方ばかりでなく、センスがあった人で、有名なブティックを作ったり、着こなしとか遊び方とか、こういったものをジョンやポールは
    若いタラから教わったわけですね。で、21歳という華やかな生涯を終えるわけですけど、それがその新聞に出ていた。それがですね
    そのまま歌になっています。歌詞をご存じの方もいると思いますが、注意深く聞いていただきたいと思います。この歌は、またちょっ
    と、ジョンとポールの曲の作り方にしては珍しい。ほら、どっちかが中心となって、曲を作ったほうが歌うという原則があるじゃない
    ですか。この曲は、前半がジョンの曲。そして、「朝、起きたら」という風に目覚ましが鳴って入ってくるのがポールの曲。ジョンが
334ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 18:16:40 ID:???0
    歌って、ポールが歌ってっていう風な。二つ頭がある曲であります。それは、ジョン・レノンの「新聞を読んだんだけど、ちょっと悲
    しい記事だった」いう風なくだりから始まるのであります。
    〜 The Beatles / A Day in the Life

    リマスターの音は、どんなに響いていますか? ビートルズの、A Day in the Life 。
335ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 18:40:19 ID:???0
□I Wanna Be Your Man
  ・1963年秋 ── ビートルズは、かつて自分たちをオーディションで不合格にしたデッカ・レコード所属の新人グループ、ローリング・
   ストーンズにヒット曲を提供し、マネージャーのブライアン・エプスタインを含むNEMSのスタッフ全員を驚かせた。当時、ちまたに流
   れていた噂によると、ジョンとポールがミック・ジャガーのバンドのために I Wanna Be Your Man を書き下ろしたということになって
   いる。しかし、このシンプルでアップテンポの曲は、元々リンゴ・スター独特のボーカルをいかすために作ったというのが真実。ちょう
   ど、この曲を作っている段階でジョンとポールは偶然、ロンドンのウェストエンドのある場所で、ストーンズのマネージャーと会うこと
   となる。そのマネージャーとは、ロック界の伝説の人物として知られる、アンドリュー・オールダム。実は、このオールダムは、元ビー
   トルズの広報担当という仕事をしたという経歴を持っていた。その日の午後、ジョンとポールは、サヴォイ・ホテルで行われた王室主催
   のパーティ、バラエティ・クラブの昼食会からの帰りであった。ビートルズは、ハロルド・ウィルソン首相から、年間最優秀ボーカルグ
   ループ賞を授与され、ジョンもポールもすっかり出来上がっていて、ゴキゲンだった。昼食会の会場サヴォイ・ホテルを出てからの二人
   の足取りは、定かではない。アルコールが入っていたし、あまりに昔の話なのである。ポールは、伝記本 Many Years from Home の中
   で、ビートルズの出版を仕切っていたディック・ジェームズのオフィスが、デンマーク・ストリートとチャリング・クロスロードの角に
   あり、ジョンと一緒にそのオフィスを出たときに、ちょうどミック・ジャガーとキース・リチャーズが、タクシーで通りかかったと証言
   している。ポールはさらに、こう語っている。「ミックとキースは、ストーンズの曲を書き始めていたし、立場として僕らと同等だった
   ね。それに、僕らは既に知り合いだった。だから、そのタクシーにちゃっかり便乗させてもらうことにした。って、わけさ。」ロックが
   イギリスで本格的にメジャーになり始めた、ロンドンの街角での出来事であった。
336ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 18:48:02 ID:???0
    〜 The Rolling Stones / The Last Time
    〜 The Beatles / Ticket to Ride

   1965年に、ストーンズはずっとカバーばかりやっていて、初めてオリジナルでNo.1になった The Last Time。そしてお馴染み、Help!
   に入っている TIcket to Ride 。

  ・「ある日の午後、ジョンとぼくが、打ち合わせ先のオフィスを出たときに、ちょうどミック・ジャガーとキース・リチャーズが、タクシ
   ーで通りがかったんだ。ぼくらは既に知り合いだったし、そのタクシーにちゃっかり便乗させてもらうことにしたんだよ。」こう証言し
   ているのは、ポール・マッカートニー。ジョンとポールが、ローリング・ストーンズに提供した曲、I Wanna Be Your Man にまつわる話
   は続く。しかし、一方では、当時のストーンズのマネージャー、アンドリュー・オールダムの自叙伝 Stoned によると、その時タクシー
   に乗っていたのは、ミックとキースではなく、オールダムだったということになっている(小林・笑)。オールダムは、こう証言している。
   「その日、ジョンとポールは、ロンドン・パラディアムのステージ、つまり晴れの舞台を終えたばかりっていう格好をしていたんだ。さ
   りげないカリスマ性もあったね。昼間にそんな身なりをしていて、ちょっと気恥ずかしいみたいな気持ちもあったみたいだね。超高級ブ
   ランドのダブルのスリーピーススーツのジョンとポールは、とてもクールに見えた。色は、どちらもグレー。ポールの方が、少し明るい
   色だったかな。襟が黒のベルベットで、斜めのポケットのジャケットに、ノータックの細身のズボン。クラシカルだけど、ちょっと不良
   っぽい。いわゆる、モッズ・スタイルだったね。さすがに、ここまで詳しい証言があると、オールダムの方の説に分があると思われても
   仕方がない。オールダムは、昔から音楽だけではなく、メンズ・ファッションにおいても、ロンドンでは一目置かれている男だった。し
   かし、誰がこの時タクシーで通りかかったかは、あまり重要ではない。肝心なのは、多くの人間が共通して証言しているとおり、それは
   当時ソング・ライティングという意味においては、まだまだ未熟だったストーンズに対し、マネージャーのオールダムは、レノン&マッ
337ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 18:55:44 ID:???0
   カートニーから曲を提供していくれるように、しつこく狙っていたという事実なのである。
    〜 The Rolling Stones / Time is on My Side
    〜 The Beatles / Devil in Her Heart

   けっこう面白いですよ、ストーンズとビートルズがかかりましたけど、いずれもカバーです。1963年、64年になると、シングルとして
   出すヤツは、もうあまり有名じゃないというか、本人たちが気に入った渋い曲をカバーしています。選曲は、こだわったんですね。
338ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 19:14:54 ID:???0
  ・1963年の秋頃、ジョンとポールに、ある人物から執拗に電話がかかってきてきた。電話の主は、元ビートルズの広報担当で、今はロー
   リング・ストーンズのマネージャーである、アンドリュー・オールダムという男。この時まだ19歳だったオールダムは、マネージャーだ
   けでなく、レコーディング・プロデューサーに、広報宣伝までやってのけるという、才能と意欲にあふれた若者であった。オールダムの
   要件は、ただ一つ。ジョンとポールに、ローリング・ストーンズのための曲を書いて欲しいということ。この年の夏、ストーンズはシン
   グル Come on でデビューし、イギリスで21位を記録している。順位でこそ、ビートルズのデビュー曲 Love Me Doを上回っているが、
   問題はその曲 Come on がカバー曲ということ。彼らが敬愛するアメリカの黒人ロッカー、チャック・ベリーがオリジナルである。さら
   にB面の曲 I Want to be Loved も、シカゴのブルーズ曲のカバー。これに対しビートルズは、シングルのA面 Love Me Do 、そしてB面
   の P.S. I Love You も、真っ向勝負のオリジナル曲で望んだ。もちろん、続くシングルもその先も、ずっとであろう。この件に関し、ス
   トーンズの才能あるマネージャー、アンドリュー・オールダムは、よく分かっていた。ストーンズの演奏力、ミックのボーカル力は、素
   晴らしい。ブライアン・ジョーンズの、あの不良じみたカリスマ性だって、ハンパじゃない。ただ、一つだけ弱点がある。それは、ほと
   んど、オリジナル曲がないということ。だけど、こればっかりは、きょうあしたで、すぐにどうこうできる問題ではない。さて、どうし
   たものか。そうだ、ビートルズだ! ジョンとポールに、曲を書いてもらえばいいじゃないか。すぐに、車だ! さあ、オールダムの目論
   見は、どういう結末を迎えたのか。この続きは、来週持ち越すことにしましょう。
    〜 The Rolling Stones / Tell Me
    〜 The Beatles / Oh! Darling

   ビートルズが終わりの頃に、なんで高校の頃に書いた、ポールは昔の曲を歌ったんでしょうね。曲がなかったんでしょうか。
339ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 19:34:26 ID:???0
□リクエスト
  ・先日ライブに行ってきましたが、彼らのハイトーン・ツイン・ボーカルに心踊らされ、ぐらんぐらんとしてきました。男女という、決定
   的に声の質感が違う物が混ざり合い、一つのメロディとハーモニーを生む化学現象。性別こそ違え、ビートルズのコーラスワークと、ど
   こじか、通じるものがありませんか。(草加市/男性)
    〜 凛として時雨 / Telecastic fake show

  ・リバプールに、行ってきました。55歳の節目に、少し長めの休暇をとって、ビートルズ巡礼の一人旅をしました。実は、妻に同行を拒絶
   されただけですが。さて、リバプール市内のパブに、恐る恐る入ってみたのですが、いつの間にか地元のおじさんたちと打ち解けて、あっ
   と言う間に終電の時間となりました。ほろ酔い気分で、郊外の宿泊地に向かう電車に乗り込むと、今度は四人がけのボックス席に座って
   いる、私と同年輩のおじさん連れが、ココに座れと身振り手振りであいさつ。Can I Join You? と私。ビートルズファンが、はるばる日本
   からやってきたことが何とか伝わると、おじさんの一人が突然 She Loves You を歌い出し、三人で合唱。隣のボックス席の女の子二人連
   れもノリノリで、周りの乗客も振り向いて大笑い。続いて、Help! 最後の Help Me, Help Me では、肩を組んで大合唱。その様子を、女の
   子の一人が、私のカメラの動画モードでバッチリ録画。旅から帰って5ヶ月近くにもなるのですが、今でも月に二・三回は再生して、一人
   喜んでみています。パブで、ギネスをごちそうしてくれたおじさん。ホテルまで車で送ってくれた、地元の中年のご夫婦。ロンドンのア
   ビー・ロードで、私が渡る様子を録画してくれた青年。などなど。思えば、いろんな人に親切にしてもらえて、生涯忘れられない思い出
   になりました。話が長くなったので、リクエストは短く。歌詞にあるライム・ストリートが、リバプールにある通りの名前で、駅も
   リバプール・ライム・ストリートということを、今回の旅で初めて知りました。(千葉市稲毛区/男性)
    〜 The Beatles / Maggie Mae
   (小林)レポート、ありがとうございます。いい旅をしましたね。音楽を訪ねていって、人と親しむことが出来た。なかなか、いいじゃな
   いですか。
340ポール・キロックトニー:2010/12/19(日) 19:43:41 ID:???0
  ・アップル訴訟収まって、iTunesは、リンゴちゃんマークたくさんですね。元々、ポールのリンゴマークもマグリットのパクリのはずです
   よね。なら、ジョブズに、EMIみたいに医療開発かなにかに社会貢献させればいいのにね。裏取引あったんでしょうか。(船橋市/男性)
    〜 Bob Dylan / You Got a Lot of Nerve

(小林)きょうは、リクエストコーナーで、 凛として時雨からマギー・メイまでかかったからね。この番組の間口の広さかな。リクエスト待って
ます。採用の方には、石井食品のミートボールなどを差し上げます。お相手は、小林克也でした。
341ホワイトアルバムさん:2010/12/20(月) 06:39:54 ID:???0
きのうのはリバプールに一人で行った人のお便りが面白かったな。
いずれにしろ英語が出来るっていいなあ。
342ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 18:17:35 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2010年12月26日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月26日)
  ・1967年 (43年前)
    43年も経つと、赤ん坊も中年になる。Long long time agoですね。BBCテレビが、Magical Mystery Tourのフィルムを放映いたしま
    した。これは、評判が悪かったんだよねー。だけど、実は1967年というと、Sgt〜の名アルバムの年ですが、その録音が終わった後
    ポール・マッカートニーは、結婚する予定だった恋人ジェーン・アッシャーが、アメリカで演劇の興行をやっていた。そのアメリカに
    ポールが陣中見舞いで会いに行ったんです。ちょうど、彼女の誕生日も重なるしということで。その帰りの飛行機で、ポールはこのア
    イデアを思いつきました。一台のバスをカラフルにペイントして、予定も目的もなく、どこで何が起きるか分からないハプニングも受
    け入れて、一行は不思議なツアーに出かけるという企画です。ポールの強い要望、そして制作意欲があったため、メンバーは渋々参加
    しました。この頃のポールのエネルギーというのは、すごいんですよね。みんなを引っ張っていく、事実上のマネージャーであり、事
    実上のリーダーでありました。もう、マネージャーのブライアン・エプスタインは、他界していません。すべては、ポールの主導で進
    んで、予算がパンクして、収支のつかない状態になって、映画の配給も決まりません。結局、12月26日の、これ「ボクシング・デー」
    って言うんです、BBCが放送。でも、これがね。これが本当に残念なことなんですが、モノクロ放送だったため、サイケデリックな演
    出が理解されない。だから、酷評の嵐。だけど、後になってこれは、そんなヒドイものではないという名誉回復をするわけですが。し
    かし、Sgt〜の次に出たこのアルバムというのは、やはり勢いを感じるというのが出来ます。それも、ポール・マッカートニーの勢い
    です。さ、この曲を聞いてみましょうか、改めて。
343ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 18:19:30 ID:???0
    〜 The Beatles / Magical Mystery Tour

    ちょっと、聞いててね、客観的に聞けるじゃないですか。なんかね、Sgt Part2みたいな感じも、ぼくの頭の中でしたんですが、どう
    響きましたかね。
344ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 18:32:21 ID:???0
□I Wanna Be Your Man
  ・ストーンズの演奏力、ミックのボーカルは、間違い無く素晴らしい。ブライアン・ジョーンズの、あの不良じみたカリスマ性だって、
   ハンパじゃない。ただ一つだけ、弱点がある。それは、ほとんどオリジナル曲がないということ。だけど、こればっかりは、今日明日で
   どうこうできる問題ではない。どうしたものだろう。そうだ、ビートルズだ! ジョンとポールに、書いてもらえばいいじゃないか。すぐ
   に電話だ! ── 1963年の秋、ローリング・ストーンズの若きマネージャーでプロデューサー、アンドリュー・オールダムは、焦ってい
   た。ロンドンのライブハウスで、爆発的人気のあった新人グループ、ローリング・ストーンズの次のシングルをどうしたらいいのか。も
   う、時間がなかったのである。デビュー・シングルのCome on は、ストーンズのライブのレパートリーから選んだ、アメリカの黒人ロッ
   カー、チャック・ベリーのナンバーである。ここで、才能のあるオールダムは、考えた。「ん、さあ、どうしよう。ハッキリ言って、今
   のストーンズは、カバーバンドだ。ワン・ステージ全部が、マディ・ウォーターズやボ・ディドリー、それにチャック・ベリーなんての
   が当たり前になってる。このままレコード・デビューしていいものか、デッカ・レコードはカバーでいいと言ってる。でも、ビートルズ
   は、A面B面共にオリジナルで勝負している。こっちは、本当にカバーでいいのか。よーし、わかった、こうしよう。カバーはカバーで
   も、出来るだけ知られていない、だけどイイ曲を選ぶこと。これが条件だ。」こうして、ストーンズのデビュー曲は、チャック・ベリー
   のCome on で行くことに決定した。アメリカでもイギリスでもヒットしていない、隠れた名曲である。しかし、アメリカの音楽事情に
   詳しいストーンズは、この曲をいち早くカバーして、一応の成功は収めた。しかし、次のシングルに何を持ってきたらいいのか。マネー
   ジャー、オールダムは、焦りまくっていたのである。
    〜 The Rolling Stones / Come on
    〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
345ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 18:46:58 ID:???0
   いやー、こうやって聞くとどうでしょう。面白いですね、同じ頃のサウンドです。どのような感想でしょうか、ビートルズの方が、色が
   豊かというか、何というのかな、余裕だとか、ローリング・ストーンズは、結構突き進んでるけど、ビートルズっていうのは、「遊び」
   があるような気がするんですけど、どうでしょうか。ビートルズから始まる!
346ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 18:51:02 ID:???0
  ・1963年夏、ローリング・ストーンズは、チャック・ベリーの知られざる名曲 Come on をカバーし、デビューを飾った。イギリスでの
   チャートは、21位。まずまずの成功。しかし、それから数ヶ月がたち、ロック・ファンの興味は、既にストーンズから離れようとして
   いた。これではいけない。そう思い立ったのは、当時19歳の才能と意欲に溢れる若者アンドリュー・オールダム。オールダムは、スト
   ーンズのマネージャー兼プロデューサーで、かつてはビートルズの広報担当として、ブライアン・エプスタインの元で働いていた。い
   つまでたっても、オリジナル曲をモノに出来ないミック・ジャガーとキース・リチャーズにしびれを切らしたオールダムは、考えた結果
   昔のよしみで、ジョンとポールに曲を提供をお願いしようと企てた。もちろん、マネージャーのブライアンに相談したら、一発で断られ
   るに決まっている。正攻法で行ったらダメだ。そう考えたオールダムは、極秘にジョンとポールのスケジュールを入手。尾行を、開始し
   た。そして、ある日の午後。ついに、パーティ帰りのジョンとポールを発見したのである。何食わぬ顔で、タクシーから降りたオールダ
   ムは、二人と挨拶を交わし、その夜グレート・ニューポート・ストリートにあるフィフティワン・クラブに案内した。ここは、バンドマ
   スターでもあるケン・コリアが経営するジャズクラブで、その夜、店の中では、ストーンズが新作のリハーサルを行っていたのである。
   「えっと、新曲は、もう出来たのかな?」オールダムがメンバーにたずねたが、返事がない。まだ、出来ていない。「ジョン、ポール。
   今、ストーンズは、こういう状況なんですよ。なんとか、力を貸してもらえないでしょうか。」ジョンは、少しも困惑した状態を見せず
   すぐに返した。「実はこの曲、あしたレコーディングする予定で、リンゴに歌わせようと思ってるんだけど、必要だったら好きにしてく
   れていいよ。」これこそまさに、天の助けだったのである。
    〜 The Rolling Stones / I Wanna Be Your Man
    〜 The Beatles / I Wanna Be Your Man

   単調な曲なんですけど、比べやすいでしょ。アレンジも似た様な感じで、テンポも似た用な感じで。さあ、どっち?
347ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 19:11:45 ID:???0
  ・デビュー当時のローリング・ストーンズに、ジョンとポールが自分たちのオリジナル I Wanna Be Your Manを提供したエピソードは、
   ロックの世界では有名である。しかし、実際のビートルズとストーンズの関係は、いったいどういうものだったのだろう。ビートルズは
   1970年に解散しているが、ストーンズはいまだに現役バリバリで、来年にはまたツアーに出るという噂まである。ロック界で最も長い
   キャリアを誇るバンドである。しかし、CDで聞けなくなったとは言え、ビートルズもまったく過去のものではなく、今でもチャートに
   登場するモンスターバンド。その二つのグループが、ロンドンで同じ音楽業界で活躍していたのは、1963年から1970年までの7年間。
   7年間というと、とても短く感じる人もいると思うが、ロックが生まれ進化し続けた60年代から、あまりに濃密な時代であった。その
   中でビートルズとストーンズは、二大巨頭として君臨した。一節には、お互いのビジネスを邪魔しないように、新曲が出来れば聞かせ、
   その発売日もぶつからないように、インサイダー取引を行っていたという話もある。つまり、仲が良かったのである。確かに、ジョンは
   ミック・ジャガーからも慕われていた。1968年の幻のTVショー、ロックンロール・サーカスの時も、ジョンはミックからの要望で出演
   し、MCまで務めている。しかしポールは、そのミックからは、少し敬遠されていたという説がある。それを裏付ける話として語り継がれ
   ているのが、ストーンズの名作アルバム Beggars Banquet の完成パーティでのエピソードである。ミックとキースが精魂込めて完成さ
   せた、このアルバムの歓声を祝うパーティは、大いに盛り上がっていた。ロンドン中のクールでヒップな連中が集まり、アルコールや
   いけないものまで、快楽に身を任せ、アルバムを大音量で聴く中、ポールが完成したビートルズのアルバムを持ってやってきて、かけは
   じめたのである。もちろん、会場はドッチラケ。こんな、空気の読めないポールを、ミックはどう思ったのか。それは、言うまでもない
   ことである。
    〜 The Rolling Stones / Sympathy for the Devil
348ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 19:40:01 ID:???0
   あんなに、曲を書くことの出来なかったミックとキースですけど、こんなすごい曲を。ここまでくると、もうビートルズとは、まったく
   違う世界の曲を書いています。リズムはファンキーでニューオリンズでダークで、歌の内容もSFのようなエグい物語で、メッセージを
   持った、ストーンズ独特の世界があります。

□リクエスト
  ・焼き鳥屋です。このご時世、さすがに客単価は下がっていますが、相変わらず地道にやっております。番組を聞いていると、ハンブルク
   時代のビートルズは、格好からやっていることから、キャロルそのものです。永ちゃんのあの有名な「成り上がり」を読むと、広島から
   列車を乗り継いで上京した永ちゃんは、朝横浜に着いたとき、横浜?港町?リバプールじゃん!ということで、本当は東京に出てきたは
   ずなのに、横浜に飛び降りたそうです。さすがは気分の男、矢沢永吉です。(世田谷区/男性)
    〜 キャロル / ズッコケ娘〜スローダウン (燃えつきるキャロル・ラストライブ)
   (小林)広島で、実家が確か自転車屋さんで、お父さんもビートルズが大好きで、朝から自転車屋さんでは、大きな音でビートルズがかか
   っていたという話を、ぼくは聞いたことがあります。

  ・この時期になると、そこかしこでジョンの曲を耳にすることが多くて、なんとなくウンザリしてしまうことから、ビートルズ関係を消し
   ています。ラジオや店先で流れていると、やっぱり集中して聞いてしまいます。ジョンからは、不思議な季節感を感じませんか。
   (船橋市/男性)
    〜 John Lennon / (Just Like) Staring Over (Stripped Down)
   (小林)あなただけでは、ありません。ほとんどの人が、そうだと思います。
349ポール・キロックトニー:2010/12/26(日) 19:46:09 ID:???0
  ・私は今、涙があふれて止まらない状況でメールしています。YouTubeでジョンの曲を探していたら、たまたま見つけました。あのオジー
   ・オズボーンが、NYの街を一人で目的地を探しながら歩いているんです。街の人は皆驚いて、携帯のカメラを撮っています。そして彼は
   小さな紫の花束を手にしていました。どこに行くんでしょう。その間彼は、ジョンのある曲をリメイクして歌っています。大スターとは
   思えない、たどたどしい歩き方です。初老の男が紫の花束を手にして、さまよい歩く。そんなシーンを、想像してみてください。曲もも
   うすぐ終わりです、おそらくセントラルパークでしょう。Imagineと地面に掘られた、円形のメモリアルが出てきてからです。オジーは
   その Imagineの右隣に紫の花束をそっと置くのです。そして、曲は終わりました。オジーは、In My Lifeをリメイクして、メガネもジョン
   っぽいですよね。ジョンのすごい点は、世界のミュージシャンへの影響力です。U2、オアシス、オジーなどなど、キリがありません。
   正直、この曲は隠れた名曲で、私も大好きな曲なので、私も涙が止まりません。ジョージもこの曲に対して、涙が出るほどだと言ってい
   ます。(船橋市/性別不詳)
    〜 Ozzy Osbourne / How?
   (小林)住所知らせてくれないとね、送れませんから。あのよぼよぼ歩きは、若い時からそうですよ。

(小林)ビートルズが、アメリカで売れる寸前の話、なかなか面白いです。リクエストも、このところみなさんとの音楽との関わりが分かるよう
な、楽しい内容ありがとうございます。初心者の方、聞き始めたんだけどみたいな方も、大いに歓迎します。では、みなさん良いお年を。お相
手は、小林克也でした。
350 【だん吉】 dama!:2011/01/01(土) 03:28:29 ID:???O
351ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 18:14:27 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年1月2日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月2日)
  ・1968年 (42年前)
    あけましておめでとうございます。また、一つ歳をとってしまいました。ご存知のとおり、ビートルズは、二人がもう歳を取らない存在
    になっていますが、今年も「ビートルズから始まる。」よろしくお願いします。では、まずビートルズカレンダーなんですけど、いつも
    番組の冒頭でビートルズカレンダーを言いながら、ぼくは一つの矛盾って言うとおかしいんだけど、ある感じがあって、それはどういう
    ことかというと、自動的に「今から何十年前」って言うんです。軽々しく言ってますよね。だけど、聞いてる方にとっては、何十年とい
    うのは、すごいことなんですよね。それを軽々しく、自動的に言ってていいものなのかと思ったりするんですが、今年のはじめもやりま
    す。1968年、今から42年前のきょう。42年と言うと、赤ん坊はもう中年になるんですよ。この頃は、もうポールがイケイケなんです。
    他のメンバーは、ビートルズに懐疑的な感じなんですが、ポールが提案します。ビートルズを、もう一度活気づけよう。ライブをやろ
    う!そういうポールの号令と共に、トゥイッケンナムというスタジオに、全員集合。久しぶりに、四人は会うわけですけど。ポールの
    コンセプトは、テレビでビートルズの生の番組をやる。そのために、リハーサルをやろうじゃないか。つまり、ポールは生でみんなの前
    でやりたい、演奏したいという事なんです。で、このポールのコンセプトというのが、Let it Beのアルバムの、そしてこれを撮影しよう
    ということで、実はそのドキュメンタリーが出来てるんですね。これは、DVDになったり、ビデオでは発表されていません。さあ、こ
    の頃、メンバーそれぞれバラバラと言いましたけど、ポールは本当にグループの名実ともにリーダーで、色々指示をするんです。これ
352ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 18:20:58 ID:???0
    から聞いていただくのは、ギターのチョーキングがあったりするんですが、そこでジョージにポールが、ココで!という指示を出す
    シーンが映画の中であるんですが、これはまださっきも言いましたが、DVD化されていません。Let it Be Nakedの中から、それでは
    そのポールの声が聞こえるような感じで聞いていただきたいと思います。ジョージが嫌々ながら、ギターをポールの指示通りに弾いて
    いたりします。
    〜 The Beatles / I've Got a Feeling (Naked)

    さっきは、曲をかける前に、ギターのチョーキングのタイミングを問題にしてましたけど、歌を聞いてみると、ポールの勢いとジョン
    の勢いが、全然違うというのが分かりますね。ポールは、もうイケイケです、この時は。だからもう、無茶苦茶パワーを出してるんで
    すよ、この時は。だけど、ジョンは“えー、俺かよ”みたいな感じが、歌い方とかエネルギーから感じられるバージョンになっていま
    す。だから、ポールの独走態勢というのが、他のジョンやジョージとリンゴの三人の反感を買って、本当にまとまらなくなっちゃった
    んですよ。で、ジョンは、ヨーコとの結婚に向けて、それしか頭にない状態。この頃の録音なんですよ。
353ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 18:43:20 ID:???0
□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・1963年は、ビートルズにとって、驚異的な出来事の連続であった。その中でも特に冬に入ってからは、南北イングランドのファンクラブ
   コンベンション。BBCテレビのジュークボックス・ジューリーという番組の特番の放映。ロンドンのアスペリア・シネマでのクリスマス
   ショーと、立て続けに大きなイベントがあった。ファンクラブのイベント企画は、広報の一環として、NEMSのトニー・バーロウの担当
   だった。そして、その業務は、不満を募らせるばかりのファンに対して、罪滅しの意味合いを兼ねていたのである。バーロウは、こう語
   っている。「ファンクラブのイベント、中々手ごわい仕事だったけど、63年その中で特に記憶にのこっているのは、12月14日ファンク
   ラブ南部支部のコンベンションだったね。」バーロウがそう語る、この手ごわいイベントで、ビートルズはたったの何時間かで、三千人
   ものビートル・ピープルと握手するという、前代未聞のマラソン握手会をやってのけた。会場となったウインブルドン・パレは、当時最
   も有名なボールルーム。つまりパーティー会場で、集まったのはファンクラブの抽選を勝ち抜いた、ラッキーな会員たち。ビートルズは、
   ボールルームの長いバーのカウンターに立ち、数時間カウンター越しに、ファンからのキスの嵐とサイン攻勢に応戦した。ファンは、興
   奮状態の割には、比較的落ち着いていた。ローディのニール・アスピノールとマル・エヴァンスは、警備係として長蛇の列をスムーズに
   誘導したり、抱きつくファンをメンバーから引き離したりする仕事を担当。こうした、メンバーの親睦の後は、ボールルームでファンク
   ラブの為だけのスペシャル・ライブが開催された。問題は、ここだった。ビートルズにまつわる、嵐のような熱狂ぶり。つまり、ビート
   ルマニアによる騒ぎや暴動を心配した会場側が、何とステージに巨大な鉄製のオリを用意していたのである。しかも、このオリに囲まれ
   た特設ステージの上にあったのは、「ウインブルドン・パレは、ビートルズを熱烈歓迎します」と書かれた横断幕。これは、あまりに
   「熱烈」な歓迎ぶりでもあった。
354ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 18:49:50 ID:???0
    〜 The Beatles / Little Child
    〜 The Beatles / Kansas City ~ Hey, Hey, Hey, Hey!

  ・ビートルズにまつわる熱狂ぶりと、異常なまでの大騒ぎ ── つまり、ビートルズマニアが勃発して間もない1963年11月14日、ビート
   ルズは、ファンクラブ南部支部のコンベンションに登場した。三千人とのマラソン握手会の後に用意されていたのは、この日だけのスペ
   シャルライブ。ところが、ここからが問題である。会場となったウインブルドン・パレの特設ステージに用意されていたのは、ビートル
   マニアを想定して設置された、巨大な鉄製のオリ。ビートルズの広報担当であるトニー・バーロウが、このイベントの準備のため、会場
   側のスタッフと打ち合わせをしていた段階では、確かにメンバーとファンの安全のため、鉄柵を準備する話はあった。しかしそれは、あ
   くまで簡単な柵=フェンスのことであり、まさかオリを用意するとは、バーロウには予測不可能なことであった。このあまりに仰々しい
   構造物を目にして、ビートルズの四人もスタッフも、開いた口がふさがらなかった。そして、怒りさえもこみ上げてきた。ビートルズは
   誰からともなく、こう口走った。「まるで、刑務所みたいだ。」「ここは、ボールルームじゃなくて、動物園だったのか。」そして、つ
   いにこう叫んだ。「このオリを撤去しないと、俺たち演奏しないよ。」しかし、それは無理な相談であった。オリは、あまりに巨大すぎ
   て、すぐに撤去は不可能。そしてそれより、わめき騒ぐ数千人のファンを目の前にして、ライブを中止するなど無理な話。結局、ビート
   ルズは、この状況を渋々納得し、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。ファンは、ステージに殺到し、最前列の連中は、オリに顔
   や体を押し付けていた。この恐ろしい光景を見たジョンは、ステージ上で、メンバーだけに聞こえるように、こう話した。「これは、す
   ごいな。これ以上押されたら、みんな野菜カッターで切られたフライドポテトみたいになってしまう。こっち側に転がりこんでくるぞ。
   さあ、逃げる準備だ。」
355ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 19:07:01 ID:???0
    〜 The Beatles / Help!
    〜 The Beatles / Lady Madonna

  ・特設ステージに、巨大なオリが設置された。1963年11月14日のウインブルドン・パレでのファンクラブイベント。これは、今では伝説
   的な話になっているが、実はこのイベントの前の週に、故郷であるリバプールで行われた北部支部のコンベンション。これもまた、思い
   出深いイベントであった。BBCテレビは、人気音楽バラエティ「ジュークボックス・ジューリー」の特別版として、ビートルズ特集を企
   画していた。この特番は、リバプールのライム・ストリートにあるエンパイア・シアターで公開収録され、ディスクジョッキーのディビ
   ッド・ジェイコブズの司会で、ビートルズの四人が審判団になり、その週に発売されたニューシングルの良し悪しを判断するというコー
   ナーも盛り込まれていた。元々このジュークボックス・ジューリーという番組では、複数のレコードが同じ得点となった時のために、副
   審判員がいて、最終的にヒットかミス ── つまりヒットするかしないかを決定するというのが決まりだったのである。この日の副審判
   団は、ビートルズのオフィシャルファンクラブのスタッフで、ロンドン支部からはメアリー・コリンガムとベッティー・ナロウズ。そし
   てリバプール事務局からはフリーダ・ケリー、三人の女性が選ばれていた。照明とカメラのセッティングの間、ビートルズは、この女性
   スタッフと、それは楽しげに過ごしていた。後になって、メアリーがこう証言している。「舞台裏で、ビートルズは、買ったばかりの8
   ミリカメラで、私たちや他の女の子たちの姿を撮ることに夢中になっていた。まるで、クリスマスにおもちゃを買ってもらった子どもみ
   たいで、私はポールのカメラに一番多く映っていたみたいなの。一人で映っているものもあったし。ポール以外のメンバーと一緒のもの
   もあった。それで、ポールに手紙を書いて、そのコピーをもらえないかお願いしたの。そしたら、ポールから返事がきたの。多忙につき
   無理なのでゴメンなさいですって。ポールって、今も昔もそういうマメな人なの。」
    〜 The Beatles / We Can Work it Out
    〜 The Beatles / Girl
356ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 19:29:59 ID:???0
□リクエスト
  ・昔からビートルズが好きで、ビートルズ・シネ・クラブに入会し、色んな映像を大画面で見られたことは、子どもにちょっと自慢出来る
   話です。さて、リクエストしたい曲は、初めて自分が買ったレコード。タイトルがタイトルだけに、恥ずかしさを抑えつつ買った一枚で
   す。ちなみに、初めて買ったビートルズは、CMで衝撃を受けた Love Me Doの入ったアルバムでした。(日立市/男性/46歳)
    〜 ずうとるび / ペチャパイ・ブギ
   (小林)若い人達に断っておかなければと思いますが、ビートルズが本当にすごかったのは、伝説で聞いていると思いますが、ビートルズ
   を真似する、あるいは茶化すクラブが世界中に存在していました。日本では例えば、東京ビートルズ。あるいは、テレビでおなじみだっ
   たのは、ずうとるび。今では、テレビの笑点という番組で座布団を配っている山田隆夫という人がいるんですが、この人が若いときは、
   才能があったんですね。この曲は、彼が作詞作曲をやりました。アレンジは、メリー・ジェーンでお馴染みのつのだ☆ひろが担当してい
   ます。つまりこの曲は、彼がドラムスを叩いています。

  ・昨年、高校の同窓会があったのですが、親戚が亡くなったために、酒を呑む気分になれないために欠席しました。すると、神奈川県に住
   むダンファンの先輩が、部長は何があっても出席!欠席するとは何事だと言って、激怒しました。12月8日はジョン・レノンの命日です
   が、悲しんでるジョン・レノンの遺族・関係者の方々が飲み会に参加しなかったら怒られるのでしょうか。神奈川県民は、遺族の悲しみ
   を無視し、私利私欲しか考えない、こんな奴ばかりなんでしょうか。私は、怒られないといけないのですか。(墨田区/男性)
    〜 The Plastic Ono Band / Give Peace a Chance
   (小林)これはやっぱりね、あなたが伝えればよかったんですね。こういう訳で、残念ながらその気にはなれないからと。で、怒るんだっ
   たら、勝手にしろですよね。
357ポール・キロックトニー:2011/01/02(日) 19:43:50 ID:???0
  ・マーティン・スコセッシ監督が、ジョージ・ハリソンの映画を作るそうですね。とても楽しみです。リクエストは、マーティン・スコセ
   ッシ監督の映画のノー・ディレクション・ホームで、とても印象的だったこの曲をお願いします。(八王子市/男性)
    〜 Bob Dylan / Like a Rolling Stone
   (小林)マーティン・スコセッシは、若いときは、ザ・バンドのラストワルツというコンサートを作って、あの頃はハリウッドの新人の監
   督だったんですけど、これ以来いろんなモノを作って有名ですけど、元々この人はロックとか暴力とか、それを描くのが彼のライフワー
   クみたいな感じなので、必ずこの暴力というのはありますけど、ロックを描かさせたら、彼はもうすごいですよね。独特の仕掛けがあっ
   たりして。楽しみです。

(小林)話としては、ビートルズがイギリスですごいことになってきた。ビートルマニア、つまりビートル狂というんですかね。ビートル熱と
訳した方が良いと思います。これは、すごいことになってきた。こんなことはなかったんですよ。今まで、音楽のというか、ポップスとかロッ
クとか、歴史の中で。プレスリーの時はすごかったかもしれませんが、とても面白い時期の話をしています。それから、リクエストもよろしく
お願いしますね。自分の音楽の関わりとか、ビートルズとの関わりとか書いてくださると良いと思います。お相手は、小林克也でした。
358ホワイトアルバムさん:2011/01/02(日) 21:08:03 ID:???0
神奈川県民ひどい
359ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 18:15:55 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年1月9日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月9日)
  ・1970年 (41年前)
    ビートルズは、アップルという会社をスタートさせていたのは、ご存知かと思います。ま、このアップルは、芸能の総合会社みたいな
    もので、音楽・ファッション・映画なんかを売ろうという会社なんですが。そこで、いろんなアーチストやグループをデビューさせる
    わけです、ビートルズは、アップル・レコードが。成功した一つは、バッド・フィンガー。これは、もうポール・マッカートニーが全
    面応援しているグループで、当時はビートルズの弟バンドなんて呼ばれたバンドなんですけど。今から41年前のきょう、そのバッド・
    フィンガーのアルバムが、アップル・レコードから発売になります。このアルバムには、ポールが書き下ろした Come and Get it が
    入っています。この曲は、実はリンゴ・スターが1969年に出た映画「マジック・クリスチャン」にも使われて、サントラにも入って
    います。これは、ジョン・レノンなんかが大好きなイギリスのコメディアン、ピーター・セラーズが主演して、金に糸目をつけない男
    で、ホームレスのリンゴ・スター扮する人間を養子に迎えて、世の中の常識概念をシッチャカメッチャカに(小林、口がシッチャカ
    メッチャカにもつれる)ひっくり返そうという、面白い映画なんですけど。これにリンゴ・スターが出て、高い評価を受けます。これ
    依頼、リンゴは役者として面白いということで、色々起用されていくわけです。「おかしなおかしな石器人」、これは大昔の原始時代
    の話です。共演した役者バーバラ・バックとリンゴ・スターは、結婚したりするわけですが。さあ、それじゃあ、ちらっと聞いていた
    だきましょうか。実はね、バッド・フィンガーの曲は、ポール・マッカートニーが自分でデモテープを作ります。そのデモそっくりに
360ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 18:16:46 ID:???0
    演奏して、そしてヒットしたわけですが。これは、実はアンソロジー3に、ポール・マッカートニーのデモテープが入っています。で
    ポール・マッカートニーは、1969年7月に、ビートルズのアルバムを製作中に、自分でドラム・ベース・ギター、全部自分でやって
    るわけです。だからポールは、この頃すごかったというのが、よく分かりますよね。ポールは、全部自分でやります。だから、ポール
    が最初じゃないでしょうかね。例えば、プリンスとか、スティービー・ワンダーとか、いろんな人達が(全部の楽器を)やりますよね。
    だけど、ポールが最初だと思います。これは、結構貴重なんだよ。ポールが全部の楽器をやっている、ヒット曲のデモテープです。
    〜 The Beatles / Come and Get it

    こんな、豪華なデモテープ。アンソロジーの中に入っているわけですが、紹介しました。
361ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 18:37:35 ID:???0
□トニー・バーロウの目から見たビートルズ史
  ・1963年の後半 ── ビートルズは、イギリス国内において不動の人気を手に入れた。それに伴って、テレビ番組の出演も、回数を重ね
   るようになっていくのであるが、この中でもこの年の12月に企画され収録された、BBCテレビの人気音楽バラエティ「ジュークボック
   ス・ジューリー」の特別番組となるビートルズ・スペシャル。この番組には、人気コーナーとして定着している、新しいシングルレコ
   ードがヒットするかしないかの予測をするという審査企画があったのであるが、この日ビートルズの4人はファンクラブ事務局に勤務す
   る3人の女性スタッフを交え、この企画に参加した。4人は揃ってリバプール出身のバンド「チャンツ」の I Could Write a Book では
   ヒットに投票し、ジョージはさらに詳しく、「しっかりとラジオでオンエアされていけばヒットになると思う」とコメントを加えた。
   続く、エルビス・プレスリーの新曲 Kiss Me Quick に対して、ポールは「エルビスの弱点は、いつも曲がイマイチというところなんだ
   ね」と辛口のコメント。さらに他のシングルでは、マージービートの古株スウィギング・ブルージーンズがカバーした、チャン・ロメオ
   の Hippy Hippy Shake が全員一致のヒット。ポール・アンカの Did You Have a Happy Birthday? には、全員一致でヒットしないに投票
   といった具合であった。さらにこのビートルズ特番では、It's The Beatles というタイトルで30分間のスペシャルライブも行われ、
   その模様はBBCで、その日の内にイギリス全土にオンエアされた。演奏されたのは、Twist and Shout、I Wanna Hold Your Hand、
   Roll Over Beethovenなど11曲。これは同じ月12月に行われたウインブルドン・パレで、オリの中に入ってのパフォーマンスという
   悪夢のような事件とは比較にならないほど素晴らしいパフォーマンスであったと記録されている。そして、この日の放送でも、ビート
   ルズは得意のジョークを忘れることはなかった。BBCの全国放送のカメラの前で、ジョージ・ハリソンは司会者の口調を真似て、こう
   語った。「ご覧のチャンネルは、BBC。Beatles Broadcasting Corporation です。」
362ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 18:54:45 ID:???0
    〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
    〜 The Beatles / You're Going to Lose That Girl

  ・1963年12月7日 ── ビートルズは、イギリスの国営放送BBCの人気音楽バラエティ「ジュークボックス・ジューリー」のビートルズ
   特番のために、ファンクラブだけのスペシャルなライブを行った。しかし、この日のスケジュールは、まだ半分しか終わっていなかっ
   た。実は、ビートルズはこの時期、一晩2ステージというイギリスツアーの真っ最中であり、その晩はリバプール・オデオンでの二日間
   のコンサートの初日となっていたのだ。コンサート会場のオデオンは、ロンドンロードに面していて、前のライブ収録会場のエンパイア
   から近くだったため、移動はかなり短時間で済んだ。エンパイアの裏の道と、オデオンの横の道は、警察によって封鎖され、エンパイア
   を去るファンとオデオンのコンサートに早めに到着したファンの悲鳴と歓声に囲まれながら、ビートルズはステージ衣装のまま、通りを
   駆け抜けた。皮肉にも、オデオンの演奏曲目の方が、その前の無料で行われたファンクラブ向けのライブよりも、2曲ほど少なくなって
   しまった。これも、会場の熱狂ぶりからすると、これ以上の演奏曲数は無理であると判断した結果である。それから2週間後の12月22日
   日曜日は、ビートルズは再びリバプール・エンパイアのステージに立った。これは、ロンドンのアストリアで開催されることになってい
   たクリスマス・ショーの前もってのお披露目、いわゆるプレビュー公演。地方としてのプレビューは、リバプール以外にもブラッドフォ
   ードのゴーモントシアターでも行われ、ロンドンの本番よりも少し短いバージョンで披露され、本公演のリハーサル的な意味合いも含ま
   れていた。これは、古くからの友人たちのための身内公演と見なしてあげるのが、好意的ではないだろうか。このクリスマス・ショーは
   その内容・企画など、ビートルズのタレント性、スタッフの優秀さを評価すべき出来であり、この先のビートルズの発展や進化を予測さ
   せるに十分な仕上がりであったことは言うまでもない。
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
    〜 The Beatles / Honey Pie
363ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 19:06:47 ID:???0
   この曲は、ぜんぜんビートルズじゃないじゃないかという人もいるかも知れませんが、そうですよね。精神的には、ポール個人がやり
   たかったことというか、ポール独特の世界ですね。そのために、ビートルズのメンバーは演奏していない。プロのミュージシャンが演奏
   している、一応クレジットはビートルズですが。

  ・1963年12月22日の日曜日 ── ビートルズが、リバプール・エンパイアで行ったクリスマス・ショー。これは、翌週からロンドンの
   アストリアで、シリーズで上演されるショーのいわばリハーサル的な意味も込められていたため、リハーサルで金儲けをするのかなど
   批判も数多かった。しかし、その悪い風評も、この公演が開催されるとパタリと聞かなくなったである。その理由は、ショーの素晴ら
   しい完成度。このクリスマス・ショーで、ビートルズはビクトリア調のメロドラマの衣装を身にまとい、コントを演じるなど、単なる
   ポップ音楽のコンサート以上に手の込んだショーを企画したことは、確かな賞賛を得ることになった。この衣装の企画制作を担当した
   のは、ビートルズの広報マンとして全世界を駆けまわった男トニー・バーロウ。この製作過程での苦労を、バーロウはこう語ってくれ
   た。「あのクリスマス・ショーは、我ながら賞賛に価すると思った。よく出来た仕事だったね。だいたいあのい凄まじい悲鳴をあげる
   観客に囲まれた中で、しっかりと聞こえるセリフを用意して、それを演じるということは、並大抵のことではない。みんな、本当に努
   力した。もちろん、ビートルズにとっても、ぼくにとっても大切だったのは、ショーの二幕目のラスト25分のライブだったことは、言
   うまでもない。このビートルズ・クリスマス・ショーは、ロンドンでは年末年始をまたいで全30回が上演され、延べ10万人という観客
   を動員した。今じゃ、ポールがどっかの野球場に一晩で10万人ぐらい集めてしまうんだろうけど、当時としては30公演で10万人なん
   て、すごいことだった。これが、翌年1964年への希望にもつながったというわけさ。」バーロウが語るように、ビートルズの4人は
   観客を楽しませるためには、ロック以外のことも挑戦して実践した。おそらくその後のレコーディングの世界で、画期的な手法を発明
364ポール・キロックトニー:2011/01/09(日) 19:20:54 ID:???0
   し続ける背景には、こういう貪欲で前向きな姿勢が反映しているのではないだろうか。
    〜 The Beatles / Hello, Goodbye
    〜 The Beatles / Because

□リクエスト
  ・以前、克也さんが「古くからのファンだから、偉いわけじゃない」とおっしゃられておりましたが、我々のような後追い世代からする
   と、偉い偉くないは別として、リアルタイムでビートルズに接することが出来た人たちは、うらやましい限りです。私がビートルズを
   聞き始めた70年代には、自宅に兄所有の青盤があり、くり返し何十回となく聞いていたので、A Day in The Lifeも青盤の一部のように
   なってしまったので、後に聞いたアルバム Sgt〜のラストの感動を、生涯味わうことが出来ませんでした。例えるならば、猿の惑星の
   ラストを知ってから、本編を見るような感覚でした。Sgt〜を持っていない方で、青盤を購入予定の方は、ぜひ A Day〜を聞くのは
   我慢してください。アルバム Sgt〜で、一気に聞いて欲しいと思います。克也さんは、どう思いますか。年齢の割には青臭いことを
   書かせていただきましたが、リクエストはこの曲です。この曲は、イントロ部分をライブ音源、それ以降はスタジオの録音をつないで
   いるので、Strawberry〜編集の凄腕を思い出させます。(江戸川区/男性/48歳)
    〜 King Crimson / Night Watch
   (小林)これはねー、そうですか…。分かりますよ。ぼくは、100%あなたに賛成ですね。キング・クリムゾンは、公式ではないですけ
   ど、記録を持っています。日本での記録なんですけど、こんなに女性が少ない、例えコンサートホールが満員になっても、女性が少な
   い、男ばっかりのコンサートは記録というより、ほかないですね。おそらく初めて聞く人もいると思います。
365ポール・キロックトニー
  ・ジョンが亡くなって、もう30年。ジョンの死をモチーフとして取り入れた曲として、この曲をシングル版じゃなくアルバム版でお願い
   します。アルバムの方では、ジョンが殺されたとハッキリ聞き取れるようになっています。オフコースもビートルズから影響を受けて
   いたので、ジョンの死はしっかりと受けとめたかったのかなと思いました(葛飾区/男性)
    〜 オフコース / I Love You

  ・ジョン・レノンが亡くなって30年。今でも、ビートルズファン及びいろんなミュージシャンに影響を及ぼしているジョン・レノンさん
   の歌声が心に焼き付いています。30年前のおいらは、その時12歳。亡くなったと聞いた日は、とても寒い日だったことしか覚えていま
   せんが、年令を重ねるにつれ、ジョン・レノンさんの偉大さが少しずつですが分かってきました。まだまだ色んな曲を聞いて、メッセー
   ジを理解したいと思います。長くなりましたが、うちのカミさん、克也さんの奥さん、及び番組に関わる女性スタッフの皆さんに捧げま
   す。(千葉市花見川区/男性)
    〜 John Lennon / Woman

(小林)ビートルズは、イギリスで有名になって、そして今度はアメリカ!っていうところの話が続きます。クリスマス・ショーの話がありまし
たが、ビートルズは偉いですよね。ファンのためにずっとやったわけです。クリスマスだけのためにやった感じがあるかもしれませんが、だい
たい1月のきょうぐらいまでやるわけですよ。偉かったですね、ビートルズは。リクエストの方も待ってます。大切なのは、ちょこっと自分の
音楽的な立場だとか経験とか、そういうことを書いていただくと、どんな方からリクエスト来たのか、よく分かりますからね。お相手は、小林
克也でした。