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ホワイトアルバムさん:
<<242- 243 【そのD】私は、その時々の違ったジョンレノンの音楽を聴き分けてそれぞれ楽しむ事ができるし(話を先に進めるため、それぞれどう違うのか?という説明はこの場では省略する)たぶんあなたよりも時間をかけてジョンの音楽を聴き込んでいるはずである。
そんな私がジョンの音楽の魅力を語る時、やはりジョンの「声」に触れざるを得ない。
あえて極論を述べるが、曲が凡庸であるとかないとかいう視点はジョンの音楽を語る時にあまり意味をなさない。
さらに極論を言えば、たとえ曲が凡庸であったとして別に構わない。ジョンの「声」自体がすでに「非凡」だからだ。
ジョンのレコーディングスタッフ達はもちろんの事、ジョン本人がその事を誰よりも知っていたはずである。
聡明なあなたなら、私が何を言おうとしているかすでにお察しだろうが、ジョンは自分の「声」の魅力を最大限に表現できる曲を書いた、のである。
単純に声を前に出すだけではなく(曲によってはもちろんそうしたが)時にはサウンド全体の中にまぶしたり溶け込ませたりした。
(これはビートルズ時代を通じてポールはあまりやらなかった様に思うが…違っていたら撤回する)
ジョンがフィルスペクターを好んだのはこの辺の機微をフィルがよく理解していたからだと思う。
あなたの言う様に「アレンジ能力が枯渇していた」のではない。
「声」の魅力を最大限に聴かせるため、あえて必要以上のアレンジをしなかったのである。言い方を変えればそうする必要がなかったのである。
「できない」と「できるがしない」は全く違う。
(例えとしてふさわしいかどうか分からないが、あらゆる画法を会得していたピカソが晩年あの様な抽象画のみ描く様になった事と似ているかもしれない)
また、ジョンは、大衆受けを狙って、意図的に曲をいじる事を嫌った。それよりも自分の創作欲の「シンプルでストレートな」表現を重視したのである。
あなたが言う様に、レコードを買ってくれたリスナーを満足させようとするポールの姿勢は私も十分認めているし、それはそれでアリだと思っている。
しかし、自分の音楽はこうだ、気に入ってくれる人は買ってくれ、というジョンの姿勢(無論、ジョンには自分の音楽にも、「売れる」自信も計算もあっだろうが)もアリなのだ。