通称ジョンたま ジョンの魂

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396ホワイトアルバムさん
<<242- 243 【そのB】そういう視点で捉えた時、ソロになってからのジョンのアルバムには、よかれ悪しかれ(私にもサムタイムインNYCのザッパとのジャムはさすがにキツイ)それぞれ威風堂々としたスタイルがあった。
前回私が「むしろ、できるだけシンプルにストレートに自己表現をする事に重きを置いた」と言ったのは、
ジョンは意識的にビートルズ的な「非凡な」曲、大衆に媚びたポップな曲を避け、それよりも思い付いた曲を必要以上に装飾せず、素直に表現する事に重きを置いた、という意味においてであった。
(断りを入れておくと、それは主に「音」についてである。ジョンの曲を語る時、歌詞が重要な位置を占める事は当然分かっているが、日本語に訳された範囲内でしか歌詞を理解し得ない私に、そもそもジョンの歌詞の本質を知った様に語る資格はない。
故に、内省的であるとか政治的であるとか…それも確かにそうに違いないが、あくまでも「知識」として詳しく知っているレベルなので深く語り得ない)
(しかし、ジョンがpain…と歌えばその痛みがひしひしと伝わって来るのである。←あなたが、そんな説明では分かりません、と言うのを承知で書いてみた)
 ここで一つ、あなたにお願いがある。
後だしジャンケンの様で恐縮なのだが、ダブルファンタジーはこの論議において除外させて頂きたい。
あのアルバムは別次元の作品だからだ。ヨーコとの間にショーンを儲け、五年もの間隠遁生活を経たジョンの音楽の方向性はその後間違いなく変わるはずだった。
スターティングオーバーやウーマンというジョンにしては珍しく大衆受けを狙ったポップな感じの曲は再出発したジョンの方向性の一つでもあり、待ちわびた大衆に向かっての挨拶代わりのサービスであったのではないか…と私は考えている。
 従って、ここでの論議はジョンの魂〜ロックンロールまでに限定して頂きたい。
(もしかしたら、あなたはそうであればロックンロールも除外すべきであると主張するかもしれないが…この点を語ると長くなるのでここでは避けておこう)
あなたは、ソロになってからのジョンの曲はほとんど
凡庸で進歩もなく、アレンジ能力さえも枯渇したのではないか、と評している。