【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】

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201ポール・キロックトニー
  ・(ジョンとポールは、俺よりも20倍以上稼いでいるのか) その事実に、ジョージは甘んじていた。もちろん、コンサートツアーの
   出演料に関しては、ビートルズは4人とも同じ金額である。ただし、レコードの売り上げからくる印税となると、割合はまったく
   異なっていた。それもそのはず、1964年のこの時点で、ジョージの書いたオリジナル曲は「Don't Bother Me」、ただ一曲しか
   採用されていなかった。ジョンとポール、プロデューサーのジョージ・マーティンの検閲をくぐり抜けることは、簡単なことでは
   ない。ビートルズが四半期に一度行っていた、会計士を交えた会議は、ジョージにとって退屈きわまりないものだった。ジョージ
   は当時を思い出し、こう語っている。「あんな会議たいくつで、まるで学校に逆戻りしたようだったよ。」自分に支払われる印税
   の根拠とか、音楽出版社などの第三者に権利の一部を認める理由についても、いちばん突っ込んで質問するのは、決まってジョージ
   だった。マネージャーのブライアン・エプスタインは、金銭感覚に疎く、ついつい相手に都合のいい契約を結ばされて帰ってくる
   ことは、既にビートルズ関係者の間では周知の事実。この頃、ドイツでのレコード契約の現状について、改めて調査をするように
   命令をかけたのも、他ならぬジョージ・ハリソンだった。この時のジョージの持論は、次のようなものだった。「自分はお金を稼ぐ
   だけで、管理するのは他の人と考えて無関心を決め込むのは簡単だ。でも僕は、自分がいくら稼いで、どこに使われて、最終的に
   自分はいくら使えるのか。把握しておきたいんだ。別に僕が他の人に比べて、金にうるさいってわけじゃないよ。ただ、これまで
   があまりにもいい加減にやってきたので、もっとしっかりしないといけないと思うんだ。」この時21歳のジョージ、実はポール
   以上のしっかり者だったのである。
    〜 George Harrison / Wah-Wah