【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】

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200ポール・キロックトニー
  ・個性あふれるメンツが集まるビートルズの中で、ジョージはどうだったのか。本人が語っている。「僕は絶対に、表に立とうと
   しない役回りだった。」これはおそらく、ジョージが謙遜して語っているのではない。それが証拠に、当時リヴァプールで発行
   されていた雑誌「マージービート」がジョージを特集した際に着けたタイトルが「ジェントル・ビートル」。物静かな ──
   というか、優しいビートル。さらにこれが、「シリアル・ビートル(まじめなビートル)」と形容されることもあった。実際、
   ジョージのイメージはポールやジョンのように、ユーモラスで印象的な発言はしない代わりに、最年少とは思えないしっかりとし
   た受け答えをするメンバーというものであった。それが、いくかのインタビューに答えてるうちに、「マネー・ビートル」とか
   「ビジネス・ビートル」とか呼ぶマスコミ連中も現れた。皮肉なことに、いずれジョージにはこのニックネームが似合うように
   なっていくのだ。実際のところジョージは、1964年当時それほどリッチではなかった。アルバムにオリジナル曲がほとんど採用
   されないジョージとリンゴにとって、最大の収入はコンサートのギャラ。ジョージとリンゴは、コンサートの4分の1ずつを平等
   に受け取っていた。つまり、ツアーのギャラはメンバーが4等分していたということ。しかしこれが、シングルとアルバムの売り
   上げから支払われる印税となると、話は全く異なってくる。ジョージは語っている。「ジョンとポールの方が、僕たちよりずっと
   稼ぎがよいってことは、リンゴと僕は常々思い知らされていた。」ビートルズのオリジナル曲のほとんどを作詞作曲するジョンと
   ポールが、ビートルズの音楽を管理する出版社「ノザーン・ソングス」からもらう金額は、ジョージの20倍以上になっていた。
   もちろん、この事実をジョージ本人が知らないわけはない。それでもビートルズは、というより、ジョンとポール、そして
   ジョージ・マーティンは、このバランスがベストであると考えた。ジョージ・ハリソンがビートルズのアルバムで採用されたオリ
   ジナル曲は、この時点で立った一曲だったのである。
    〜 The Beatles / Don't Bother Me
    〜 The Beatles / Yellow Submarine