【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】

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126ポール・キロックトニー
  ・1950年代のアマチュア時代から60年代初め、ビートルズの初期、ジョージの演奏は確かに評価されていた。もちろん
   ジャズやブルースのギタリストのようにずば抜けたテクニックを見せるわけではないが、ポップなセンスにあふれていた。
   そしてビートルズには、人を引きつけてやまない何かがあった。1962年の元日、マネージャー・ブライアンの頑張りで
   ついに大手のレコード会社デッカのオーディションを受けることになった。リヴァプールから南に向けて、積載重量
   オーバーのビートルズのバンは走り続けた。荷物を少しでも多く載せるために、ジョージは膝の上にアンプを乗せていた。
   運転手は、この時のドラマー、ピート・ベストの家の下宿人で、会計士をやっていたニール・アスピナル。後に、
   ビートルズの会社アップルの重役になる男である。途中、雪が降り始め、寒さと不安で次第に笑いがなくなっていった。
   安宿に泊まり、粗末な朝食をとって、彼らはデッカレコードに乗り込んだ。この日ビートルズが演奏したのは15曲。
   オリジナルは3曲だけで、残る12曲はいつもライブで演奏しているカバー曲である。普通であればお手の物であった
   演奏が、体調のせいか、ジョンとポールの演奏が今ひとつであった。結果、この日頑張ったのはジョージただ一人。
   オーディションに立ち会ったデッカレコードのディック・ロウとマイク・スミスによると、ジョージはビートルズの顔に
   なるべきメンバーであると見なされていた。それに他の三人に比べて、無邪気さの残っていたジョージは口数も多く
   積極的なキャラクターになる資質十分と印象を与えた。結果、この日のオーディションは不合格だったが、もし合格して
   いたとしたら、デッカレコードの方針で「ジョージ・ハリソン&ビートルズ」でデビューしていたという想像も飛躍しすぎ
   ではない。それほど、ジョージは評価されていたのである。
    〜 The Beatles / Take Good Care of My Baby
    〜 The Beatles / I'm a Loser