【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2008年9月14日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月14日)
・1964年 (44年前)
ビートルズのマネージャー、ブライアンがアルバムを出すということが発表されました。何のアルバムか?というと
彼の朗読アルバム。もちろん音楽も交えますが、その内容というのは、彼がビートルズの成功物語を本にした「地下室
いっぱいの雑音(A Cellarful of Noise)」。これを読む、朗読のアルバムですね。それを出すということを発表しま
した。どういうことが内容かというと、ビートルズとどうやって出会って、契約して、契約書には自分はサインをいれ
なかった。ビートルズとして、自分がマネージャーとして嫌いだったらいつでも別れることが出来るようにしていた
とかね。それから、ビートルズは最初は革ジャンでリーゼントの、正義感のないようなグループっていうんですかね
いわゆるロッカー、ロック野郎だったんだけど、それをもっとオシャレに、センスアップしたのが自分であるとかだ
とか。彼が自分の本を読んで内容を紹介するレコード。実は、この年の10月13日に、ビートルズがいつもアビーロード
のスタジオでアルバム一枚分を録音しました。結局これは、出なかったんですね。ちなみに、彼が出した本の方は
絶版になっていますけど、洋書の中古市場では八千円以上のプレミアがついて売られているということです。さあ
これから貴重な音が流れますよ。よかったら録音すると良いんだよね。ブライアンの貴重な朗読からね、ビートルズ
が、デッカレコードと契約の話をする、でもし良かったらってことで、お正月に演奏する、これはもう歴史的に有名
な、それでも採用しなかったっていう、これはもう業界として最大の失敗だったわけですが、そのデッカのレコーディング
までの内容を自分でしゃべっています。
〜 Brian Epstein / I secured them ... a Beatle drink even then
〜 The Beatles / Searchin'
ポールのボーカル力はすごいですよね。自分のスタイルが出来てなかったのかな。これは、アンソロジー1に入ってる
わけですが、ブライアンがデッカ・レコーディングのことについて言ってますね。リヴァプールから、自分も貧乏
だとか、ビートルズはもっと貧乏で、ベッド&ブレックファスト=安宿に、20何シリングって言ってたね、出して
泊まって、今それをやるわけですけどね。これは、デッカのデモレコーディングからですね。
□ポールの目から見たビートルズ史?
・1968年2月からの、ビートルズのインドへの修行旅行。これは言うまでもなく、ジョージと妻パティの強力な啓蒙と勧誘
によるものだった。では、なぜジョージは、ここまでインドとインドの音楽に興味を持つようになったのか。その経緯を
辿ってみることにしよう。時計の針を10年以上も昔に戻します。元々ポールの通うリヴァプール・イースティチュートの
一つ後輩だったジョージは、ロックンロール、そしてギターに夢中になっていました。Aクラスの学級委員を務める優等生
のポールと、Cクラスの問題児であるジョージが仲の良い友人同士であると知った先生は驚いた。それだけ、ポールと
ジョージは対照的な生徒だったのである。二人を結びつけていたのは、もちろんロックとギター。最初はポールがギター
を背負って、自転車でジョージの家に行った。その頃ポールから見ても、ジョージのギターの腕は確かなものであった。
その後二人は、どちらかの家に集まって、一緒に練習するようになり、同時に学校をさぼることも多くなっていった。
ある年の夏休み、思い立って南海岸へ三週間のヒッチハイク旅行に出かけた時でも、ジョージとポールはギターを抱えて
いた。たいていの場合は、ポールはジョージの伴奏に合わせて歌った。ロカビリーから、歌の入らないインストルメンタル
ナンバー。そして、カントリーに至るまで、ジョージの探究心はまさにどん欲だった。カール・パーキンス、エバリー
ブラザーズ、そして、バディ・ホリー。ジョージとポールはラジオから流れてくる、ありとあらゆるヒット曲をむさぼる
ように聞いた。
そして二人で、ああでもないこうでもないと、ギターを弾きながらコピーにいそしんだ。そして、1957年
7月に、ポールがジョン率いる「クォリーメン」に加入した。しかし、しばらくの間ジョージは、ジョンのバンドの取り巻き
親衛隊だったのである。
〜 The Beatles / One after 909
〜 George Harrison / All Those Years Ago