【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】

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1ホワイトアルバムさん
bayFM 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
2ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:35:54 ID:???0
前スレからの続き
□リクエスト
  ・時々聞いています たまたま聞いていたら、大好きなシカゴの「サタデー〜」が流れたではありませんか
   私が高校生の頃のヒットでしょうか 出だしのピアノのリズムがだいすき! それにサックスの響きもいいですよね
   小林さんの話で「メンバーが今でもブラスの練習が大変」というのを聞いてすごいなあと思いました
   この曲は中学生の頃、友達がピアノで弾いたのに衝撃を受けました レコードを友達がプレゼントしてくれました(成田市/女性/50歳)
    〜 The Beatles / Lady Madonna
     (小林)(「時々聞いています」に)正直で良いです!

  ・初めまして 北九州から単身赴任して当番組を楽しく拝聴させていただいております
   ビートルズを聴いて35年、兄貴に影響を受け、懐かしい曲一つ一つに、当時カセット 黒のプレー赤の録音ボタンを同時に押して
   時々間違ったけどビートルズ特集テープを作ったのを思い出します 人生の中で本当に助けられた曲です
   これからも楽しい番組をよろしくお願いします(船橋市/男性)
    〜 The Beatles / Across The Universe (Naked)
     (小林)ちょっとジョンの歌声が違うでしょ 後になって出てきた「Naked」の中からお送りしました
        ジョンの声がこっちの方が優しく聞こえるんだよね
3ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:39:44 ID:???0
  ・私が社会人になりたての1980年、ポールが日本に来ることになりました ビートルズはリアルタイムで聞いていましたので
   来日の知らせを聞いた私はチケットを手に入れるだけの目的で東京に出てきました 入手したチケットを眺めながら
   楽しみにしていたんですが、ご存知の通り公演は中止になり、ニュースを突きつけられた日はやけ酒を飲んだのを覚えています
   後に、東京ドームでポールに会うことが出来ましたが80年の武道館で若かった彼の姿を見てみたかった
   無念さに変わりはありませんでした リクエストはAMラジオのベストテン番組で聞き、ビートルズを知るきっかけになった
   ポールのバラードをお願いします(宇都宮市/男性)
    〜 Paul McCartney & Wings / My Love

  ・いつもたのしくビートルズについて学んでいます ビートルズを知ったのはカーペンターズを知った後なんですが
   どちらも「Ticket〜」を歌ってますが、前回はビートルズを聴いたので(千葉市花見川区/女性)
    〜 Carpenters / Ticket to Ride
     (小林)ビートルズのロックをロックじゃないバージョンで、これこそ本当のオリジナルをそっくりやるってんじゃなくて
        自分たちの解釈で自分たちらしさを出すっていう見事なカバーであります
4ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:42:37 ID:???0
(小林)ブリジッド・バルドーにジョンが会いに行って、食事に誘われるわけですが、「どうぞ食事に行ってきてください
   その間にあなたに1曲書いておきますから」とジョンは約束したよね さあ、この後は
   ここらへんはね、ちょっとしたコメディーですよね まあ、後になって笑っちゃうと思います
5UNDERWATER SUNLIGHT最強のzeit:2008/06/16(月) 00:10:55 ID:???0
あえて残酷な言い方をするならば、この作品はどう転んでも
MF文庫の最高傑作にはなり得ない。誰がなんと言おうと
MF文庫の全盛期は85-00期だし、もはや当時のあり得ないほどの普遍性は、
彼女の才能が渇水したとかそういう問題ではなく、誰がどうやったって
もう二度とほじくり出すことのできないものだと思っている。
だからといって、全盛期はとっくの昔に過ぎ去ったし、これで10作目だし、
もう好き勝手やっちゃってください、というわけには絶対にいかない。
MF文庫が僕達に教えてくれたこと。それは、蜂蜜のように
甘く粘着質な独特の歌声・唱法であり、現実性の欠落した
ドリーミーな作風の持つ無限の包容力であり、つまりはMF文庫という
「世界」だった。今年の2月に発表された現時点での彼女の
最新作であるこの作品は、ラノベラーメンの多様という
ドラスティックな変化で音楽の振れ幅を大きく広げた意欲作だ。
6ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 08:35:11 ID:???0
この人、今何歳?
7ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 09:05:16 ID:???0
>>6
どの人?
8ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 09:59:26 ID:???0
>>7
小林だよ
9ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:39:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年6月22日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月22日)
  ・1957年 (51年前)
    とても大切なことですよ、ジョンが人の前で自分のグループで初めて演奏した日なんです
    こんなこと、古いことなんて、若い人は思うかもしれないけど、分かりやすく言うと
    1957年というとプレスリーの全盛の頃です プレスリーが出てきたのが1956年
    ジョンは地元リバプールのエンパイアデーという、昔の王様を祝う祭の一部に参加するわけですね
    ジョンのバンドは「クォーリーメン」っていいます で、トラックの荷台の上で演奏して
    お金はもらえなかったらしいんだけど、ジョンはすごく自信たっぷりに女の子の観客にウインクをしたりした
    ってことが伝わっていますが、彼らが演奏した音楽は、まだロックンロールのちょっと前の状態
    ロックに似ていますが、今聞きますと「古いロックじゃん、なーんだ」という感じなんですけど
    楽器がね、ジョンのクォーリーメンの楽器が、まず昔の幼なじみのピート・ショットン、ドラムスをやる人ですが
    ウォッシュボードをやっていた、ウォッシュボードは直訳すると洗濯板
    洗濯板って分かりますかね、ギザギザが着いていて、それを手でやったり、箸でやったりすると
    音が出るんだよね それからベースがティーチェストベース、茶箱ベース
    茶箱が共鳴するんで、そこに弦を張ってやってたという、とても原始的な楽器を使ってやってたんですね
10ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:39:45 ID:???0
    こういった音楽はスティッフルと呼ばれたんです だからビートルズをやる前は、ジョンは
    スティッフルバンドをやっていた そのバンドがお祭りに出たのが51年前の今日ということですね
    で、翌1958年の春から夏にかけてのある日、この頃はジョンとポール、ジョージが知り合っています
    で、俺たちはグループをやんなきゃというわけで、街のお金を払ったら録音してくれる所があるわけですね
    そこで、自分たちの音楽を録音してもらいます まだ自分たちは曲を作ってないんで
    バディ・ホリーという有名なロックアーチストの曲をカバーしてるんです
    アンソロジーに入ってるんですが、改めて50年前の彼らの初めての録音を聞いてみましょう
    〜 The Beatles / That'll Be the Day

    かわいいよね、ポールやジョージは高校生だよ、この頃
    マイクは一つで録音したんだね 正確に言うと、ビートルズじゃなくて、ジョン・レノンのクォーリーメンになります
11ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:57:52 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年初夏、インドから帰って自由気侭な生活をしていたジョンに電話がかかった
   電話の向こうの声は、ビートルズの会社アップルの広報部長、軟派で有名なデレク・テーラー
   「おい、ジョン 起きてるか 今、あのブリジッド・バルドーがロンドンに来て、ビートルズに会いたいって
   言ってるんだ だけど今メンバーの中で、君以外の人間はロンドンにいないんだよ ジョン、君に一人で行って
   もらうしかないんだ」 あまりの急な事件に、ジョンは怖じ気づいた そして、きつけにもいつもの薬を一服
   バルドー御一行の滞在するホテルにつくまでに、すっかり酩酊状態になってしまったジョンは
   スイートルームに通されると、あぐらをかいて瞑想に入った 声をかけても何時間待ってもぴくりとも動かない
   この奇妙な男に対し、すっかりしびれを切らしてしまったブリジッド・バルドーは、レストランに誘った
   これ以上、こんな状態でいたくなかったのである するとジョンは答えた
   「どうぞ、あなたのお友達と食事を楽しんできてください その間にあなたのために一曲作っておくことを
   約束します」 あきれかえったブリジッド・バルドーには、これ以上返す言葉がなかった
   彼女はほとんどが取り巻きの女性ばかりというグループを率いて食事に出かけてしまった
   その夜バルドーが帰ってみると、そのかなり手前までインドのシタール音楽が流れていた
   スイートルームに一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は立ちすくんだ
   まるで、歩道に寝ころぶホームレスのように、クッションの上に伸びている男がいる
   周りには空になったビール瓶がゴロゴロと散乱している そこに伸びている男、それはもちろんジョン・レノンであった
    〜 The Beatles / Because
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
     (小林)ポールが得意とする、ジョンには全くない世界だよね 底抜けに明るい、ちょっとナンセンスな有名な曲
        その前は「ビコーズ」これを改めて聞くと、ビートルズには他のロックにはない、コーラスの腕があった
        というのも分かりますね
12ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 00:17:13 ID:???0
  ・1950年代からセックスの女王として一世を風靡していたフランスの大人気女優ブリジッド・バルドーの招きで
   ホテルに赴いたジョン・レノン しかし、よりによってジョンを行かせたのが間違いだった
   完全に酩酊状態になった上に、バルドーとはほとんど言葉も交わさず、瞑想に陥る始末で
   あげくの果てにはその部屋で酔いつぶれてしまったのである そればかりではない バルドーは寝室に入って
   さらに悲鳴を上げた 彼女が使っているベッドには、彼の付き添いでやってきたアップルの広報部長デレク・テーラー
   までがべろんべろんの状態で倒れ込んでいたのである 完全に頭にきてしまったバルドーは、再び客間に戻って
   ジョンを揺り起こそうとした ジョンは何度も起き上がろうとし、何か口ずさんでいたが、二・三回試みたあげく
   またねむり込んでしまった 結局バルドーはその夜別の部屋を用意させ、そこで休むことになった 散々である
   翌朝早く迎えにきたアップルのスタッフ、レス・アンソニーに連れられ、ジョンはケンウッドの自宅に戻った
   自分だけ、留守番役で退屈していた学生時代からの悪友ピート・ショットンは、その一部始終を聞きたがった
   「なに、それでさ、その後どうなったのさ 早く教えろよ、ジョン」ピートは矢継ぎ早に質問を浴びせかけた
   するとジョンは幼なじみを睨みつけて怒鳴った 「何にもねえよ! 何も想像するようなことは起こらなかった
   最悪の夜だよ、まったく エルビスと会った時以上かな」 この、ブリジッド・バルドーとのあまりの馬鹿げた会見と
   似たような事件を、ドラッグに依存していたこの頃のジョンは、いくつも起こしていた
   このバルドー事件の二日後、ジョンとピートはやはり酩酊状態だった ジョンはテープレコーダーを使って
   家の中のありとあらゆる音を録音していた このテープは後にホワイトアルバムに収録される「レボリューション9」
   の原型となるものであった しばらくするとこの仕事に飽きたジョンは、床にあぐらをかくと、ピートを腹を割って
   話し始めた ピートはまた何か始まる予感がしたのである
    〜 The Beatles / Maggie Mae
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun - The Inner Light (Love)
13ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 00:35:17 ID:???0
  ・インドから帰ったジョン・レノンは、つかの間の独身生活を楽しんでいた
   妻のシンシアは、ギリシャ旅行に出かけていて留守だったのである とはいえ、孤独が最も苦手なジョン
   すぐさま学生時代からの悪友、クォーリーメンのメンバーだったピート・ショットンをリバプールから呼び寄せた
   ピートは、暇つぶしにはもってこいのキャラクターを持った、愉快な男である ジョンはピートを自分たちの会社
   アップルの社員にして雇うことにした 会社の重役であるジョンには、そのぐらいの人事権はあった
   ポールだって、自分の女を広報部に入れてしまったぐらいである そんな気ままな独身生活のある日
   ジョンは仕事にも飽き、ピートと腹を割って話し始めた インドでマハリシに幻滅を感じたことを一通り話すと
   いつものジョンの得意技、瞑想の世界に入ってしまった ピートはその部屋にあったブリジッド・バルドーの
   大きな写真を見つめ「ああ、もし俺がジョンだったら、バルドーと食事に行ったのになー」などと空想の世界に
   入り込んでいた と、その時、隣のジョンが両腕をゆっくりと鳥の翼のようにまわしているのが目に入った
   ジョンは威厳に満ちた押し殺したような声を出したのである 「ピート、ぼくはイエス・キリストだ」
   ピートもジョンと付き合いが長い 別段驚きもせず、当然のように聞き返した
   「だから、どうしようっていうんだい?」 間髪を置かず、ジョンは答えた
   「みんなに、このことを告げなければならない 世界中に私の正体を告げなければならない」
   さすが、ピートも困ってしまった 「ジョン、そんなことををしたって、こてんぱんにやられるのがオチさ
   そんなこと、誰も信じるわけないって」 少し考えて、ジョンが聞いた 「なあ、イエスが殺されたのって
   いくつのときだったっけ?」 ピートは答えた 「たしか、32のときかな」 酩酊状態のジョンは指折り数えてこう言った
   「え? じゃあ、俺の命、後たったの4年しかないぞ」
    〜 The Beatles / The Ballad of John and Yoko
    〜 The Beatles / Let it Be (Naked)
14ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 01:02:02 ID:???0
□リクエスト
  ・小学校高学年の頃からこの番組を聞き始めて、今ではもう高校生です
   さて、もうすぐ父の日です そして、父の誕生日ももうすぐなので、ビートルズを聴くきっかけを作ってくれた
   父に感謝の気持ちを込めて、そのきっかけとなった曲「イエロー・サブマリン」をリクエストしたいと思います
   克也さん、全国のおとうさん、体に気をつけてこれからもお仕事頑張ってください(筑西市/男性)
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
     (小林)気を使っていただいてありがとうございます

  ・前日、ボブ・ディランの伝記映画「I'm Not There」を見てきました 内容はわけが分からない感じで
   まさにボブ・ディラン しかしながら、六人の俳優が演じるボブ・ディランは、とても個性的でした
   中でも女優ケイト・ブランシェット演じるロックスター時代のディランは中性的で毒のある感じがとても格好よかったです
   リクエストは映画のサントラに収録されている「やせっぽっちのバラッド」をお願いします
   P.S.ディランとビートルズがたわむれる場面があり、嬉しくなってしまいました(船橋市/男性/21歳)
    〜 Stephen Malkmus & The Million Dollar Bashers / Ballad Of A Thin Man
     (小林)50年代とか60年代の時代に興味がある方は、ディランの伝記を読んでみることをオススメします

  ・サザンの解散のニュース、どう思われますか? このニュースを聞いて克也さんが桑田さんと一緒にやっていた
   ナンバーワン・バンドの歌を聞きたくなりました(船橋市/男性)
    〜 ザ・ナンバーワン・バンド / 六本木のベンちゃん
     (小林)サザンは1976年からずっとやってるから、30年以上もやってるわけですけど
        まあ、あの、どれだけ音楽を聴いてるか、どれだけ愛してるか、みんな意見が違うと思いますが
        ぼくの個人的な意見はね、radiobaka.comの方に書いておりますので、良かったら
        ベンちゃんって、ベンチャーズのことだよ
15ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 01:04:17 ID:???0
(小林)ジョンはね、この頃は引きこもってる時代なんですよ ジョンらしい、色んなエピソードがありますが
   そう行ったものもお伝えしていこうと まあ、包み隠さず、もっともっとジョンがそしてビートルズが
   好きになって欲しいと思います
16ホワイトアルバムさん:2008/06/24(火) 00:24:56 ID:djNx88JX0
克也最高
17ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:11:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年6月29日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月29日)
  ・1964年 (44年前)
    彼らはオーストラリアに行ってます そしてこの日は、明け方というか零時過ぎですね
    チャーター機でシドニーからブリスベンに到着して、空港では既に八千人のファンが待ち受けていて
    ファンが大変だから、ビートルズはトラックの荷台に隠れて空港を脱出して、ホテルに着いて
    明け方からお昼まで寝て、その日昼夜午後と二回コンサートをやって、えーーーーー
    で、このコンサートが面白いのはね、アンチ・ビートルズの連中がいて、ビートルズに
    トマトだとか卵だとか、他の野菜なんか投げちゃうんです 「Eggs and vegetables」なんて書いてありますが
    これをビートルズに向かって、投げる連中がいたんです これはね、空港にもいたらしいんですけど
    コンサートにもいて、コンサートでビートルズに向かって卵なんか投げるわけですよね
    だけど、アンチ・ビートルズは多勢に無勢 ファンが圧倒的に多いわけですから
    ファンがアンチ・ビートルズに襲撃し始めて、ぶん殴ったりし始めた
    警察が一応、警護のためにいるわけですが、その警察がですね、ビートルズファンがアンチ・ビートルズの
    リンチを避けるために一生懸命だった ちょっと独特ですね オーストラリアでも大騒ぎがあったという話ですが
    この頃のビートルズのコンサートの定番ソングを行きましょうか
    〜 The Beatles / All My Loving
18ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:26:52 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年初夏 ── ジョンの奇行はとどまる所を知らなかった
   その中でも最も大きなものは、フランスの大人気女優ブリジッド・バルドーの招待を受けておきながら
   ホテルの部屋で何時間も瞑想にふけったあげく、大量のビールで酔いつぶれてしまったという事件
   そして、さらにジョンの奇行は続いた
   孤独を嫌うジョンがリバプールから呼び寄せた悪友ピート・ショットンとつるんでいたある夜
   ジョンは突然「自分は、イエス・キリストである」と言い出した
   もちろん、ピートは唖然とした
   ジョンは宣言した 「明日まず、自分がイエス・キリストであるということをアップルの仲間に話すぞ」
   一晩中、ドラッグで酩酊状態だったジョンとピートは、そのままぐったりとして、着替えもせず
   ベッドにも行かず、その場所 ── そこの床でねむってしまった
   目を覚ますと、家政婦のトッド・ジャネットが、上から二人を見下ろしている
   恥ずかしい所を見られた ジョンはあわてて立ち上がった
   「俺たち、別にデキてるとか、そういうんじゃないから なあ、ピート」
   「当たり前だよ もし、そうだとしたら、何でこんなきっちり服を着てるんだよ」
   もちろん、誰もそういうことは想像していなかった 気を取り戻すと、ジョンがあわててアップルオフィス
   に行く支度を始めた その日の午後、アップルのジョンの部屋で、ビートルズの内輪だけの会議が開かれた
   出席者は、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてアップルの重役であるニール・アスピナルと
   広報部長のデレク・テーラー、そしてジョンと、なぜかピート・ショットンまでついてきた
   会議とかそういうことに関してはいつも受け身側のジョンが招集をかけるとは
   全員不思議な気分で集まってる中ジョンが口火を切った
   「大事な話がある 実は僕は、イエス・キリストの再来なのだ それが僕の正体なんだ」
    〜 The Beatles / It Won't Be Long
    〜 The Beatles / Good Day Sunshine
     (小林)さあー、ジョン・レノンが大変ことを言い出したぞー 「俺はキリストだー!」
19ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:47:20 ID:???0
  ・「僕は、イエス・キリストの再来なんだ」
   このジョンの突然の表明に、ビートルズのメンバーも、アップル社の重役も唖然とした
   ジョンは顔色一つ変えずに、アップル社に対し「ジョン・レノンはキリストの再来である」と発表するために
   発表用の資料を作成するように頼んだ 同じ場に居合わせた誰もが、この発言に疑問を持った
   当たり前である しかし、別の意味では、誰一人として疑問など持たなかったともいえる
   なぜならばそれは、ジョン・レノンの発言だったから
   最も親しい友人達だったからこそ、ジョンという人間を良く理解し、また恐れおののいている部分も有ったのである
   すぐにジョンのこの発言は、重大発表であるという点で皆一致した だが、その意味をもう一度じっくり考えて
   アップル社として、どう対処したら良いか判断するには、もう少し時間が必要である ── ということで
   全員がジョンを諭した こうして、この日の会議は早々に解散となった
   この夜、ビートルズ全員でレストランに行った時にも、またジョンの妄想はまだまだ解けていなかった
   隣の席の愛想の良さそうな中年男性がビートルズを見つけて声をかけてきた
   「お食事中、失礼 みなさん、ご機嫌いかがでしょうか お目にかかれて、光栄です」
   すると、ジョンが即座に答えた
   「本当は、私イエス・キリストです」
   それに動ぜず、男性は言った
   「え、あの、それは本当ですか ところで、私、あなた達の最新レコード『サージャント〜』ですが
    あれ、とても気に入りました 素晴らしかったですよ」
   お互い、話しが全くかみ合っていない
   その夜、ケンウッドの自宅に帰ると、ジョンとピートは、まず一服キメた
   二人の酩酊ぶりは、日増しにひどいものになっていった
   ジョンが落ち着かない様子を見せ始めた こうなると長丁場 ジョンは、朝まで酩酊状態を続けるのが常である
   ジョンが言った 「ピート、女が欲しいな 一人、呼んでもかまわないか?」
   ピートはもう眠かったので、その意見に賛成した 「ああ、いいよ ココは君の家なんだから」
   「OK そうと決まったら、すぐに呼ぼう 誰にしよう? そうだ! ヨーコがいいなあ!!」
20ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:47:49 ID:???0
    〜 The Beatles / Birthday
    〜 The Beatles / Oh! Darling (Anthology 3)
     (小林)おなじみの曲ですけど、アンソロジー3に入ってる違うテイクですね
        後半は全くのアドリブで、単純な曲だから遊びをしているうちにこんな感じになってしまったと思いますけど
21ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:08:28 ID:???0
  ・明らかにいけない薬による奇行が目立ち始めたジョン・レノン
   「僕はイエス・キリストの再来だ」という発言をした夜、自宅に戻り、リバプール時代からの悪友ピート・ショットンと
   またもや酩酊状態に入った ぼんやりとして、何も面白いことが見つけられないジョンは「女が欲しい」と言い始めた
   「じゃあ、あれがいいや ヨーコでも呼ぶか」 ピートはこのヨーコという名前を聞いて、アップルのオフィスで
   見かけた、小柄な日本人芸術家を主追い出した 「ああ、あの黒い服を着た変わった女ね ジョン、彼女のことスキなのか?」
   ジョンは、ピートになら何でも話せた 「ああ、たぶんな でも、本当の所はハッキリ分からないんだ
   でもな、ピート 彼女には何かがある 俺はもっと彼女のことを知りたいだけ それに今、女房がいないから
   こんなチャンスはないだろ」 そう言ってジョンは、さも意味ありげな目つきをした
   こういう具合に事を運べば、奇妙には思われないし、もしくは単なる遊びなんだという印象も与えられる
   たとえ相手がピートであっても、ヨーコのこととなると、ジョンも慎重だった
   電話をするとしばらくして、ヨーコが到着した 夜に突然呼び出したというのに、ジョンは熱狂的なファンか
   どうってことない知人でも迎えるような、素っ気ない態度だった
   三人は最初、ラウンジでくつろいでいたが、ヨーコが居心地悪そうに黙ったままなので、ジョンもピートも落ち着かなかった
   ピートは礼儀上、この夜の訪問者を迎えいれてもてなした 最初から二人だけだと、ジョンはどうしていいか
   わからなかったのである しばらくして、ジョンがこの雰囲気に慣れると、ピートは気を利かせて、自分の部屋に戻った
   ジョンとヨーコは屋根裏のスタジオに籠ってテープ作りを始めた ジョン・レノンのもう一つの面として発表される
   アヴァンギャルドな作品は、こうして二人の共同作業で進められた
   そして二人は遂に、運命的な朝を迎えるのである
22ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:08:55 ID:???0
    〜 John Lennon and Plastic Ono Band / God
    〜 The Beatles / Savoy Truffle
     (小林)いやー、これもカッコいいよね そしてその前は
        「自分はイエス・キリストの再来だ」ということをいったジョンですけど
        ジョンの曲ってのは、一つの発表みたいなところがあるんですよ
        この「ゴッド」というのもすごいよね 神っていうのは頭の中での考えでしかない
        何も信じない、誰も信じない 色んな名前が出てましたけど、信じるのは自分自身っていう
        ジョンの宣言ですよね
23ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:25:43 ID:???0
□リクエスト
  ・いつも克也さんの分かりやすく楽しい話を聞いています 僕はビートルズが大好きな高校生なんですが
   ポールが好きなので、ポールのソロアルバムも70年〜最新までほとんど聴きました
   ポールの曲の中で好きなこの曲をお願いします(横浜市磯子区/男性/16歳)
    〜 Paul McCartney / Off the Ground

  ・毎週、この番組を楽しみに聞いているトラックドライバーです
   確かに彼らはすごいと思います 音楽にとどまらず、髪型やファッションなど世界中に与えた影響は
   ただすごいの一言 その影響を受けた一人です そこで、克也さんにお願い
   ビートルズの曲で「54歳になったら」で始まる曲が聞きたいのですが、曲名が思い出せません
   僕は54歳になって、あの曲のように、妻と花いじりをしています(川越市/男性)
    〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
     (小林)まず、54歳じゃないからね、64歳だから
        で、これはポールがほとんど10代の頃に書いたんだけど
        64歳になっても愛してくれるかい?っていう若者の曲ですからね
        ポールみたいに本当に64歳になっちゃったらシャレにもならないですけど
        後、10年ありますから!
24ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:33:01 ID:???0
  ・サージャント〜がビートルズの最大傑作と言われていますが、完全に後追い世代の私には当時の人々が
   このアルバムから受けたであろう衝撃を感じることが出来ませんでした 私の時代にはビートルズが
   本作で作り上げた手法が一般的なものになっていたからです アルバムと同時代の他の音楽や
   本作以前のビートルズのアルバムと、如何にサージャント〜が革新的であるか実感できます
   しかし、リアルタイムで体感できなかったことを残念に思っていました 果たして、そのような衝撃を
   与えてくれる音楽と出会うことが出来るのであろうか そう思いながらずっと音楽を聴いてきましたが
   自分的に自分にとってこれが自分のサージャント〜だと感じられたのがレディオ・ヘッドの「OKコンピューター」
   でした(横浜市/男性)
    〜 Radiohead / Paranoid Android
     (小林)いいよね、若い人達はね
        サージャント〜をいくらすごいすごいと押し付けたってね、そのすごさってのは分かんないですよね
        やっぱり、自分で見つけたのが正解だと思います レディオ・ヘッドはすごい音楽だから
        「OKコンピューター」でガラリと、今まで築き上げたものを方向転換しちゃったから
        すごいですよね
25ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:37:03 ID:???0
(小林)ジョンも、無茶苦茶やったりしますねー だけどあんな偉大なことを残したわけですね
   それから今日はリクエストでかかったレディオ・ヘッド
   ビートルズ世代の方々は、どんな感想を抱くのでしょうか? 興味があります
26ホワイトアルバムさん:2008/06/29(日) 20:20:52 ID:???0
キロックトニーさんいつもお疲れ
27ホワイトアルバムさん:2008/07/01(火) 20:26:42 ID:???0
前スレ、何で途中放棄しちゃったの?
28ホワイトアルバムさん:2008/07/01(火) 21:18:59 ID:???0
>>27
どんだけ新参だよ・・・。
スレは500KBまでだ。
29ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:16:07 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月6日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月6日)
  ・1957年 (51年前)
    今日は有名な日です! 歴史に残る、運命の日! ジョンとポールが出会った日!!
    実は、ジョンのバンド「クォーリーメン」は、リヴァプールのウールトン地区のセイント・ピータース教会
    のお祭りのイベントで呼ばれて、演奏していました そこへポールが、共通の友人のイヴァン・ボーンという
    男に連れられてやってくるわけです そうすると、ジョン・レノンたちが「Come and go with me」を演奏している
    それを見てポールは、(歌詞がでっち上げだ、ギターがロックのスタイルじゃないな)っていうことを
    見抜いたそうです でも「なかなか良い演奏だね」とほめたそうです で、ステージの裏でポールは
    彼らの右利き用のギターを借りて、さっと左に持ち替えて、エディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」
    ジーン・ヴィンセントの「ビーバップ・ルーラ」、それからリトル・リチャードの曲を歌ってる時に
    ジョンが後から抱きついて、「やるじゃーん」と言ったそうです その数週間後ですが、ジョンは悩むわけです
    (あいつはすごいけど、主役を持っていかれそうだな)だけど、彼は決心します ポールをバンドに誘って
    ポールが加入することになります 受験勉強風の覚え方だと、明日の7月7日こっちがリンゴの誕生日
    そして、7月6日がジョンとポールが出会った日 こういう風に覚えて受験に望んでいただきたいわけです
    〜 John Lennon / Be-Bop-A-Lula
30ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:32:23 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズがインドへの修行旅行から帰って間もない1968年初夏 ── ジョンは気ままな独身生活を満喫していた
   独身生活とは言っても、現実にはシンシアという妻がいる が、実際には夫婦の関係は壊れかかっていた
   それも、ジョンの方から一方的に別れたがっていたのである それを察してか、シンシアもインドから戻ってすぐ
   ジョージの妻パティや、彼女の妹達と一緒にギリシャに出かけた ジョンはすかさず、リヴァプール時代からの悪友
   ピート・ショットンを呼び寄せ、ケンウッドの自宅に寝泊まりさせた 元来、寂しがりやのジョンである
   孤独が最も嫌い ピートなら気楽に何でも話せるし、悪さにもつき合ってくれる そんな独身生活のある日
   ジョンは急に女っけが欲しくなった 「ああ、女が欲しいな ピート ヨーコを呼んでも良いかな?」
   「もちろん良いよ、ここは君んちだから ヨーコって、真っ黒の服を着た日本人の芸術家のことかい?」
   ピートはジョンがヨーコに興味を持ち、互いに魅かれていることに気がついていた しかし、長年の付き合いである
   ピートは、特に突っ込みもせず、温かく見守っていた そしてその夜、ヨーコはジョンの家にやってきた
   せっかく訪ねてきてくれたというのに、照れ屋のジョンはヨーコにどこかよそよそしく振る舞った
   最初は三人でくつろいでいたが、それに飽きたジョンは、ヨーコと屋根裏の自宅兼スタジオに籠って
   テープの編集作業をやり始めた 後に二人の全裸ジャケットで物議をかもすことになる問題作「Two Virgins」
   の原型がここで作られた 次にジョンはヨーコに「いけないもの」をすすめた ヨーコもこれを受け入れ
   二人はそれを「素敵なゲーム」と呼んだ そして明け方になると、二人はベッドに転がり込み、ごく自然に
   そして自由に、愛を確かめ合ったのである
    〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
    〜 The Beatles / Act Naturally
31ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:44:56 ID:???0
  ・妻シンシアの留守を良いことに、お目当てのヨーコを自宅に招き入れたジョン・レノン
   いつしか二人は、愛を確かめ合う関係になった そして、新しい朝を迎えた この日、同居人でリヴァプール時代
   からの悪友ピート・ショットンは、いつもより早く目覚めた 朝食をとろうと階段を下りていくと、サンルームで
   日本の茶色い着物を着たジョンが、ゆで卵を食べながら紅茶を飲んでいる ピートは少しびっくりして声をかけた
   「ジョン、おはよう ちょっと早いじゃないか?」ジョンは答える「いや、早いんじゃなくて、全然寝てないんだよ
   それより、ピート 新しい家を探しに行って欲しいんだ お前、そういうの得意だったろ?」「え? 新しい家って
   ジョン 君、ここの家、気に入ってるじゃなかったのか?」するとジョンは、一大決心をするかのように
   紅茶のカップを置いて答えた 「ピート、俺ヨーコと二人で新しい暮らしを始めたいんだ」もちろん、ピートは
   びっくりした しかし、つい先日は「俺はキリストの生まれ変わりだ」と発言し、みんなを驚かせたジョンの
   ことである また、ドラッグが招いた奇行と理解するならば、何ら不思議はなかった しかし、着物を着て
   朝食の残りを目の前にして座っているジョンは、とても夢の世界をさまよっているようには見えなかった
   どう見ても、真顔である 「ヨーコと二人で新しい暮らしを始めたいんだ」自分に言い聞かせるように、ジョンは
   同じ言葉を繰り返した 彼の強い信念に圧倒され、ピートは声をうわずらせた 「ジョン!いいよ、それがいい!
   やったな、ジョン!」 ピートのこの言葉に刺激され、せきを切ったかのようにジョンはまくしたてた
   「そうだよな、ピート ずっと長い間、僕が願っていたのはこれなんだよ 他には何にもいらない
   ビートルズなんてクソッ食らえだ 金なんてクソッ食らえだ みんなクソ食らえだ ヨーコと一緒ならテントにだって
   どこにだって住んでやる」ピートもこれに答えた 「そうだよジョン、信じられないことだけど、これはすごいこと
   なんだよ」「ああ、ピート 本当にすごいことだ 俺は、ヨーコと一緒になるぞ!」
32ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:50:05 ID:???0
    〜 The Beatles / Dizzy Miss Lizzy
    〜 The Beatles / Get Back
     (小林)有名なセリフだよね 「オーディション受かったな?」っていう、ジョンの有名なセリフ
33ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:08:28 ID:???0
  ・「俺は、ヨーコとの新しい生活を始める」
   1968年、初夏のある朝 ジョンは宣言した さらに、ジョンは続けた 「子供の頃、初めて恋をしたときは
   こんなだったね 女の子と出会うだろ、いつも彼女のことばかり考えるようになって、ずーっと一緒にいたいと
   思うようになる 頭の中は、その子のことでいっぱい あ、そうだ! ヨーコが二階にいるんだった
   一刻も早く、彼女の所へ戻りたいよ あんまりにもお腹が空いてたんで、卵を食べに降りてきたんだけど
   もう一秒もヨーコと離れていられないんだ」その日の夜ヨーコは、身の回りのものをジョンの家に運び込んだ
   彼女の洋服があまりにも少ないことに、ジョンの家政婦はびっくりした これはいけないと、ジョンは
   同居人のピート・ショットンに札束を握らせて、ヨーコを買い物に連れて行ってくれるように頼んだ
   そして、ピートの次の仕事は不動産屋に出かけ、まだ土地に余裕のあるロンドンの郊外80キロ圏内に
   家を探してもらう手配をしてもらうことであった 条件はただ一つ、金に糸目はつけない 良い家を探すこと
   この時点でまだ、ジョンにはシンシアという妻がいた シンシアは学生時代からのジョンの恋人であり
   二人の間では5歳になったばかりの息子ジュリアンがいた ジョンとシンシアが結婚するとすぐ
   ビートルズは人気の絶頂に上り詰めた マネージャー、ブライアン・エプスタインの方針で、シンシアは
   公にはジョンの妻であると発表されることはなかった 人前でも二人のツーショットは、絶対禁止されていた
   シンシアはいわば、ジョンの影の女であった そんなシンシアは、ジョンの女癖の悪さには、ほとほと困り
   はてていたが、それでも息子のジュリアンのことを考え、離婚は考えなかった ジョンがヨーコを自宅に
   招き入れていたこの時、シンシアはギリシャに旅行中であった 旅行と言っても、自分が望んだものではなく
   一人気ままに暮らしたいジョンの望みで、無理矢理行かされた旅であったが、ギリシャから帰ると
   シンシアはまるで、ホラー映画のような現実に出くわすのである
    〜 The Beatles / I am the Walrus
    〜 The Beatles / Blackbird - Yesterday (Love)
34ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:24:44 ID:???0
□リクエスト
  ・先日、映画評論家の水野先生が、あの世に旅立って行きました とても残念ですが、自分の人生についても
   考えさせられました なぜか、水野先生の顔を見ると、この曲が出てくるんです なぜだか分かりません
   あまり洋画を見なかった私に、洋画の面白さを語ってくれたのが、水野晴郎だったのだと思います(守谷市/男性)
    〜 Heuy Lewis and the News / The Power of Love

  ・夕方の犬の散歩、一時間以上しながら聴いています しつけの悪い犬がキャンキャンと鳴いてるようにしか
   聞こえない若い子のDJよりも、小林さんの落ち着いた声が好きです イエロー・サブマリン自体が脱力系ですが
   音頭になると、さらに脱力感が増すような気がするのは私だけでしょうか 数あるビートルズ・トリビュートの中で
   これだけ異色な曲は珍しいと思います なんで、この曲が生まれたか、ご存知なら教えてください(成田市/男性)
    〜 金沢明子 / イエロー・サブマリン音頭
     (小林)この曲のアレンジ、プロデュースを担当した大瀧詠一、彼もすごい才能です
        彼が担当したからであります 音頭というのは、日本の独特の音楽というわけで
        リンゴが歌う楽曲とこれを合体させたわけで
        大瀧詠一は「ビートルズの曲は、全曲歌える」と言っています
        彼は、ウソを言わないと思います 全部歌えるんですよー 歌詞も忘れてないんですよ
        そんな人ですから、これが実現したんだと思います
35ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:31:13 ID:???0
  ・以前、ダコタ・アパートに行ったことがあるんですが、好き勝手に改装されてるみたいでした
   マンハッタンにありながら、ヨーロッパを感じさせるプラザ・ホテルに似ていました
   リクエストは、ダコタつながりで、ポール・サイモン(船橋市/男性)
    〜 Paul Simon / Another Galaxy

(小林)1968年の特にジョンの話は、本が豊富にあります 時々聞かれるんですけど、ジョンだとかポールがかわした会話
   あれは、本当なんですか?って、あのー、半分は本当です ここら辺の話は、ジョンが行動を共にした
   ピート・ショットンのインタビューをはじめ、それを元に書かれていますからね、かなり真実に迫っていると思います
   だけど、この頃の一方的な本だとかあるんで、まあ半分ぐらいに割り引いて、楽しんでいただきたいと思います
36ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 18:51:11 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月13日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月13日)
  ・1964年 (44年前)
    アメリカで「ハード・ディズ・ナイト」が発売になりました もうビートルズが有名になって
    ちょっとたって この「ハード・ディズ・ナイト」ビートルズの最初の映画のテーマ曲
    もちろんNo.1ヒットですが、タイトルがなかなか決まらなかった
    映画の方は、撮影編集が終わっていた(んですが)、そんなハードスケジュールの日の夜
    リンゴ・スターが ── リンゴという人は小学校もろくに行っていないから、ちぐはぐな英語を
    言うので有名な人なんですけど ── リンゴ・スターはこう言いました
    「ああ、きょうは忙しい日の夜だったね」「忙しい日の夜? それ面白いな、"忙しい日の夜"に決定!」
    っていうことで、ジョン・レノンが決めてしまいました
    それが、ハード・ディズ・ナイト=忙しい日の夜だったわけです
    これと同じような間違いは、「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」これも英語的におかしいんだって
    英語(の試験)だと×もしくは△の表現、これがタイトルになっています
    ところで、この「ハード・ディズ・ナイト」ポールとジョンが3日ぐらいで書き上げたっていうから
    パワーもすごいですけど、曲のイントロがものすごくいいよね 改めて聞いて欲しいんですが
    まだ誰も使っていなかったエレクトリックの12弦ギターをジョージが使っているけど
    コードが分からない これは5和音であるとか、いや2本のギターで違うコードでやってるとか
    真相はビートルズとジョージ・マーティンにしか分からないということであります
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
37ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 18:51:43 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・妻のシンシアがギリシャ旅行に出かけている間、ジョンはヨーコと深い関係に陥った
   不倫関係を通り越して、ジョンはヨーコとの新しい生活を考えていた それどころか
   根っからの空想家のジョンは既に離婚の手続きを終えて、オノ・ヨーコとの結婚を済
   ませ、郊外の立派な家に落ち着いたつもりになっていた ここが問題である 一人よ
   がりの傾向の激しいジョンは、現在の状況を妻のシンシアに伝えるという作業をは
   しょってしまった そのため、シンシアは旅行から帰ると、まるでホラー映画のよう
   な現実に出くわすのである 「不気味なぐらい静かでした」と、その時のことを思い
   出して、シンシアは語っている 一緒にギリシャ旅行に出かけた友人二人と自宅の近
   くに戻ってきた時のこと 家の周りに誰も見えない 息子のジュリアンも家政婦も庭
   師もいない 最初はきっと前の晩に夜通しのパーティーでも開いていたのでは? そ
   してまだ、みんな眠りこけているんだろうと、彼女は考えた 女性のお尻をかたち
   どったドアのノック細工をつかむと、コンコンとドアをたたいた 返事はなかった
   仕方なく、スーツケースを開け、鍵代わりの磁気カードを取り出した 60年代として
   は最大限の設備だったのである そこで初めて気がついたのであるが、ドアには最初
   から鍵がかかっていなかった シンシアは恐る恐る中に入った 二人の友人も一緒に
   中に着いてきた 次に彼女は板張りの暗い玄関から二階に向かって、大声を上げた
   「ジョン! ジュリアン! 誰かいないの?」あたりはシーンと静まり返っていた
   ラウンジのカーテンから漏れる明かりが妙に薄気味悪かった 右手の食堂に入り、
   キッチンを抜けて、サンルームまで抜けてシンシアはその場に釘付けになった そこ
   には、ボザボサ頭のジョンがティーカップを片手に座っていたのである
    〜 The Beatles / I'm So Tired
    〜 The Beatles / I've Got a Felling
38ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:08:38 ID:???0
  ・夫のジョンから勧められたギリシャ旅行から帰ってきたシンシアは、何か得体の知れない
   異変を察知していた 物音一つしない家に入ると、やはり人の気配がない ジョンと息子
   のジュリアンの名前を呼んでみても反応がない 恐る恐る中に入るとキッチンの先のサン
   ルームにいたのは、緑と白のバスローブを着たボサボサ頭の夫、ジョン・レノンだった
   ジョンはティーカップを片手にソファーに座っていた そして、その向かい側に、こちら
   を背にして座っていたのは、黒いシルクの着物を羽織った、黒髪豊かな小柄な女性であった
   シンシアは語っている 「いきなり、レンガの塀に突き当たったような感じでした 私
   にはもう、居場所がなかったんです」 居場所がないというのは、真実だった 知らない
   内にシンシアは、捨てられていたのである 長い長い沈黙を破って、ジョンが口を開いた
   「やあ」 たった一言だけ言うと、落ち着き払って、煙草の煙を吐いた シンシアはすっ
   かり頭が混乱してしまい、ロボットのように口をぽかんと開けると、帰りの飛行機の中で
   用意していた言葉をそのまま口にした 「素敵なことを考えていたのよ 私たち、ギリシャ
   で朝食を食べて、お昼はローマだったの これでロンドンに帰って、みんな揃って夕食を
   食べられたら、この休日も最高ねって、三人で話していたの」 彼女は一気にまくしたてた
   「いや、夕食は遠慮しとくよ」 ジョンの返事はあまりに短く、冷淡であった この時、
   ヨーコが後を振り向き、自信にあふれて勝ち誇ったような視線をシンシアに投げ掛けた
   シンシアは回想する 「それには唖然としました でも、不思議なことに、腹は立たなかっ
   たんです ただ、完全に行く手を阻まれた感じ だから、争う気にも、何をしていたのかを
   問いただす気にもならず、ただ一刻も早くここを離れたいってことだけを考えていました」
   こうしてシンシアは二階にある自分の部屋の荷物をまとめ、15分後には家を後にしたのである
    〜 The Beatles / She's Leaving Home
    〜 The Beatles / Hey Bulldog
39ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:09:37 ID:???0
  ・ジョンの妻シンシアがギリシャ旅行から帰ると、そこにはジョンの側に横たわるオノ・ヨーコがいた
   シンシアは、家を出るしかなかった 帰宅してから、たった15分後に、彼女は再びケンウッドの自宅
   を離れることになったのである シンシアは語っている 「あの時のジョンの沈黙は、(この素敵な
   時間を邪魔しないでくれ、さっさと消え失せろ、お前のおかげで台無しだ)とでも言ってるように思え
   ました」 シンシアは、ジョンの無言の命令に従う他はなかった 一言の抗議もせずに、夫と我が家
   を他の女に預け、上辺だけの付き合いに過ぎない友人二人と共に、彼女はケンウッドを後にした
   この友人の一人、男性の方のアレックス、通称マジック・アレックスは、ビートルズの会社アップル
   の研究員だった ジョンもこのアレックスとは特別に親しい間柄、言うなれば親友の一人だった
   そしてアレックスは、一緒に旅行に行ったジェリーとロンドンに小さなアパートを共有していたため
   この日の夜は、シンシアをそこに泊めてあげようということになった この夜の出来事について
   ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが最も信頼していたスタッフであり、また
   ビートルズの伝記の著者でもあるピーター・ブラウンは証言している 「シンシアは、このアパート
   の食卓でロウソクをともし、アレックスとワインを飲みながら遅くまでしゃべってました リバプール
   時代、ロックンロールに夢中で他のどんな男の子より輝いていたジョンのこと、巡業先のハンブルグ
   に陣中見舞いに行った時、ブリジッド・バルドーみたいな可愛いスカートを買ってくれた時の思い出
   などなど 以前はアレックスのことなんて、インチキ呼ばわりして、まったく信用していなかったのに
   この時は、胸の内を聞いてもらえる相手が無性に欲しかったんでしょう 明け方までにワインを何本も
   空にしたようでした それからベッドに潜り込むと、ジョンの親友に体を預けたのです シンシアを
   いう女性は、およそそういうタイプではなかったんですが、ジョンとヨーコのことが本当にショックで
   きっと、やけになっていたんでしょうね」
40ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:10:10 ID:???0
    〜 The Beatles / Girl
    〜 The Beatles / A Taste of Honey
     (小林)「ガール」は何度かかかりましたが、コーラスが「ティトティトティトティト...」って
        「tit」っていうのは、「おっぱい」という意味で、「おっぱいおっぱいおっぱい...」
        というコーラスをジョンのセンスで入っている曲であります
        というわけで、ジョンとかポールとかは大変な自体になっているわけですよ
        で、マジック・アレックスとカミさんが一夜を共にしてしまうわけですが、
        マジック・アレックスというのは、ギリシャ系の人間で、ジョンがすごく気に入っていて
        自称エンジニアで発明家で便利屋なんです だから何でもやってくれるという
        何を任したかというと、アップルの地下のEMIに負けないようなスゴいスタジオを作ろう
        ということで、マジック・アレックスに任せるわけですよ ところが、全然言葉ばっかりで
        一億円以上かけても、結局何も出来なかったという落ちがついてるんですよね
        悪いヤツなんです、マジック・アレックスというヤツは
41ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:37:43 ID:???0
□リクエスト
  ・僕がビートルズに出会ったきっかけは、ドラムスの発表会の時のことです 僕はドラムを習って
   いて、小6の時、初めて発表会に参加しました そして中にはビートルズの曲が何曲かありました
   それからたまたま家にあった青盤を聞き、赤盤を借り、完全にのめり込んで行きました
   なんと言ってもビートルズのスゴさは、あの聴きやすいメロディーとシンプルな歌詞ですよね
   ビートルズの偉大さは何年経っても消えることはないでしょう 話は変わって、中3の時の総合学習
   で、自由なことをレポートにまとめる課題が出ました 僕は、ポピュラーミュージックの歴史という
   タイトルで調べていました リクエストは、僕が初めてコピーした曲である、ヴァン・ヘイレンの
   ユー・リアリー・ガット・ミーをお願いします(我孫子市/男性/15歳)
    〜 Van Halen / You Really Got Me
     (小林)ヴァン・ヘイレンはカバーだっていうこと知ってたかな?
        ビートルズが出た頃、ユー・リアリー〜が流行っていた
        ビートルズと重なっていたって、知ってたかな?

42ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:38:15 ID:???0
  ・今までにビートルズそっくりソングをリクエストさせていただきましたが、ラジオで放送された
   曲を聴くと、また新鮮な感じがあります 私のロック人生の始まりは、まさにこの曲から始まりました
   ジョンのうなるようにシャウトするボーカル、ポールの地鳴りのようなドラムとベース
   ジョージの分厚いギター これはロックンロールじゃなくて、ハードロックだと思います
   鮎川誠が、「優れた音楽というのは、時間と空間を超越する」と言ってました まさにそのとおりだと
   思います(小平市/男性)
    〜 The Beatles / She Loves You

  ・私は大学でビートルズ研究会に所属させていただいています 恥ずかしながら、今日までこの番組を
   知りませんでした(鎌ヶ谷市/男性)
    〜 The Beatles / Besame Mucho (Anthology 1)

  ・おいらのお慕い申し上げる、サザンが無期限の活動中止とのこと しかし、解散ではなく休止の報に
   少し安心 早期活動復活を祈りながら、サザン復活と叫びたいと思います(八千代市/男性)
    〜 サザン・オールスターズ / BYE BYE MY LOVE(U ARE THE ONE)
     (小林)サザンのホームページを見ますと、桑田の影響された音楽として、ビートルズ、リトル・
        フィートが書かれています 
43ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:38:47 ID:???0
(小林)1968年頃の話は、血なまぐさかったりしますね やっぱりね、世界一のグループだからね 順風満帆
   なんてことはないわけですよ 最近ではそれが美化されたリしてますけど、結構血なまぐさい ジョン
   にとっては、不倫ですよ 大変な時期ですよ、本当は ジョンの個人的にはピンチの時期ですよ
   人気どころか、ジョンに非難が集中してくるんです で、ヨーコなんかイギリスにいられなくなるよう
   になってくるわけです そういうわけでNYに脱出を計ったりして、その頃の話はこの番組に任せてください
44ホワイトアルバムさん:2008/07/13(日) 20:17:33 ID:2bjIw55D0
ビートルズ関連の話題は、ジョンとジョージが亡くなってしまい
枯れましたねw

ジョンとジョージの遺作が有った時まで、何とかつないだ
でも、もう枯れた。

45ホワイトアルバムさん:2008/07/13(日) 22:35:36 ID:???0
今日も乙
46ポール:2008/07/14(月) 00:12:36 ID:JmQIAQYF0
おもしろい 千葉県及び首都圏しか聞けないのかな?
ネットラジオとかないの?
聞きたいねえ 全国ネットにはならんのかな
47ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:11:31 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月20日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月20日)
  ・1968年 (40年前)
    ポールの婚約者だったジェーン・アッシャーが、BBCテレビに出ます
    えー、これは、サイモンド・ディーの「ディー・タイム」という番組なんですが
    ここで、「ポールとの婚約はやめた」とジェーンが発表するんです
    考えてみると、テレビで世界の人気者ポールの相手ですから、みんな注目してるよね
    それも、BBCだから、NHKみたいなものですよ、そこで「ポールとは結婚しません」みたいな
    すごいですよね、この番組を通してご存知だと思いますが、ポールとジェーンは
    ジェーンがまだ17歳の時に、世界で売れる前、イギリスで売れ始めた頃に楽屋で知り合って
    5年間つき合うんだからね、階級社会が残るイギリスでは(ジェーンはお嬢様なので)
    ポールはジェーンの家に下宿のような形で長い間、そこでお母さんやお父さんや
    兄のピーターにポールが曲を書いてデビューをすることもおなじみだと思いますが
    色んな勉強するわけですよ、ポールは で、結婚も当然だと思われてたんだけど
    ポールの浮気がね リンダともあったんだけど、アメリカのコピーライターとベッドにいる所を
    旅興行から帰ってきたジェーンが見つけてオジャンになっちゃうという
    それも、この番組でやってますけど その仲睦まじい時は、ジェーンと犬も飼いました
    ポールは犬が大好き で、前も言ったけど、ジョンは猫人間 ポールは犬人間なんですよね
    このジェーンと一緒に飼った犬には「マーサ」という名前を付けて
    そのマーサに捧げた曲もありました 覚えていますか?
    〜 The Beatles / Martha My Dear
48ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:16:20 ID:???0
     (小林)マーサという名前のとおり、メス犬です でっかい犬ですよ!
        犬に詳しくないので良くわからないんですが、グレート・デンとか
        あれクラスのでっかい犬ですよね 写真...見た方いると思いますけど
        犬に愛情いっぱいですよね だけど、Silly girl(馬鹿な女)とか、You're my inspiration
        とか、そんなことを歌っていました
49ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:29:08 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・ジョンとヨーコの浮気現場を目撃した妻のシンシアは、すぐに家を出て行ってしまった
   ジョンの仲の良い友人で、ビートルズの会社アップルの社員でもあったマジック・アレックスの
   アパートに居候することになったシンシアは、その夜ワインでしこたま酔っぱらったせいもあり
   アレックスに身を委ねた シンシアも初めての浮気をしてしまったのである このシンシアの浮
   気相手マジック・アレックスとビートルズの関係を語るには、時間を一年前の1967年までさか
   のぼらなければならない ビートルズの、いやロック史上の最高傑作と呼ばれる「サージャント〜」
   が世界中で絶賛されていた1967年7月、ビートルズは4人揃ってギリシャにいた 当時は
   ヒッピー・フラワームーブメントの真っ盛り ビートルズもご時世に乗り、みんなでコミューン生活
   つまり、共同生活を送るためのユートピアとして島を買おうと、ギリシャに物件探しに乗り込んで
   いたのである こんなアイデアを思いついたのも、当時知り合った通称マジック・アレックス
   と呼ばれる男、アレキシス・マーダスの影響であった アレックスは若いギリシャ人で、優秀な
   発明家という触れ込みであり、ビートルズはすぐに彼の様々な計画に資金を供給させられるよう
   になっていた 特にジョンは、アレックスの作るものに夢中になった 元々ジョンは子供じみた
   所があり、ベルや笛が着いているだけで、それがどんな機械であっても、すぐに目の色を変えた
   ジョンばかりではない 自分の才能と音楽、そしてお金しか信じない男ポールまでもが、マジック
   ・アレックスの開発している「素晴らしいであろう」技術革新について、わざわざ休日にアビー
   ロードスタジオに出向いて、プロデューサーのジョージ・マーティンに講釈するまでになっていた
   この時、アレックスはビートルズの中で、まさに話題の中心にいたのである
50ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:40:36 ID:???0
    〜 The Beatles / Fool on the Hill (Take 4 / Anthology 2)
    〜 The Beatles / Gnik Nus - Something - Blue Jay Way (Love)
     (小林)これは、なかなか良く出来てますよね 名曲「サムシング」の導入部
        それから、後奏部って言うんですかね 「Gnik Nus」ってのは何かって言いますと
        ファンはご存知だと思いますけど「Sun King」を逆さまに、テープを逆回転させてるん
        ですね、それから「サムシング」へつないでいって、ジョージの「Blue Jay Way」へ
        愛情がありますよね 例の「Love(2006)」から
        その前も、ポールの歌い方とか、楽器の編成とかが違っていた
        「アンソロジー2 (1992)」の中から、Take4のバージョンをお送りしました
51ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:58:49 ID:???0
  ・ジョンもポールも揃って絶賛していたギリシャ人の発明家マジック・アレックス このアレックス
   の発明の計画には信じられないようなものがあった その一つに「音をさえぎる壁」 実はそれが
   目に見えないソニック・スクリーンなるものをレコーディング・スタジオに導入するというものが
   あった つまり、レコーディングの際に生で最も大きな音を出すといえば、もちろんリンゴのドラ
   ムセットである 通常、このドラムの音がギターやボーカルの前にかぶって来ないように、別の部屋
   を用意したり、もしくはつい立てを置いて対処していた しかし、マジック・アレックスの提唱する
   このソニック・スクリーンを使えば、ドラムの音を完全にシャットアウト出来るというのである
   さらに、ダイヤルのいらない電話機というのもあった ソファに座ったままで、「ジョージ・マーティン
   につないでくれ」と言えばそれでOKというもの アレックスが言うには、「自分の父親はギリシャの
   政府高官である」ということであった ジョンもポールも、これをすっかり信じ込んでいた アレックス
   は提案した 
52ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:00:56 ID:???0
「ギリシャには、きれいな島がある たーくさんあってね、すごく安いんだよ 一応は
   ギリシャに利益をもたらすことを装って買わなければならないんだけど、一旦買ってしまったら
   こっちのもの 島を完全に自分たちの楽園にしてしまえばいいのさ」 すっかり口車に乗せられた
   ジョンとポールは、すぐさま資金繰りに乗り出した 大金を国外に持ち出すのである しかるべき
   手続きがいるようになるのは当然 二人は以前からマネージャーのブライアン・エプスタインを説得
   していたことがある それは、国外への通貨の流出を厳しく規制する法律を何とか緩和するように
   イギリス政府に働きかけてもらえないかというものである ビートルズはこの5年あまりでイギリス
   に莫大な利益をもたらしている 自分たちだって何らかの恩恵を授かったって良さそうなものではないか
   というのが、ジョンとポールの言い分であった 特にポールは、自分たちのユートピアとなる島の
   購入にこだわっていた なぜならば、そこではマスコミや警察の目も気にせず、誰にも気兼ねせず
   いつだって、あの大好きないけないものをたしなむことが出来たからであった
    〜 The Beatles / Day Tripper
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
     (小林)あらためて聞いても、ビートルズはスゴいことをやってたって気がしますが
        まず、「ディ・トリッパー」1965年の「We Can Work it Out」のB面だったんだね
        で、今のが「Tomorrow Never Knows」アルバムは「リボルバー」
53ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:21:22 ID:???0
  ・1967年夏、ビートルズの金に魅せられて寄ってきた男がいた その男の名前は通称マジック・アレックス
   ギリシャからやってきた、自称発明家だった アレックスはインチキな発明のために、ビートルズに
   金を出させるだけでなく、ギリシャの島を購入し、そこをビートルズとその仲間達のユートピアにする
   計画を持ち出した ジョンもポールも大乗り気である ポールは「誰にも気を使わずに過ごせる所を
   手に入れたい」と言い、ジョンは「素敵だろうな、太陽の下、ただ寝転がっていられるんだ」と言った
   ビートルズがマネージャーのブライアンを通じて、イギリス政府に掛け合った結果、当時の財務長官
   後に総理大臣となるジェームス・キャラハンのおかげで、特別な免税を受けることが出来た それだけ
   当時のビートルズはイギリス政府から特別扱いを受けていたということになる 免税措置によって
   ビートルズは一万ポンド、今の価値に換算すると10億円以上の金額でエーゲ海に6つの島を買った
   しかし、ビートルズは一度は出かけていったが、やはりその生活に飽きてしまい、後に彼らの楽園は
   売却された ジョンはそのすぐ後、ほんの気まぐれから二万ポンド出して、アイルランドの北西海岸沖
   にあるドウニュスと呼ばれる無人の小さな列島を買った ジョンはこの島々にかなりの出費をした
   特にこだわって金をかけたのは、色とりどりのサイケデリックな馬に引かせる「サージャント・ペパー
   ワゴン」で、この島に船で輸送させた そのワゴンは、人間が寝泊まり出来るもので、島で最初の建造物
   となった ジョンは、この島に一度訪れた ヘリコプターで飛んで、アップルに入社したいという
   メディア志望者の面接試験を、わざわざこの島で行ったのである しかし、そこに集まったのは
   まじめにビジネスをしたいと考える若者どころか、やはりビートルズの金に群がろうとする、ろくでもない
   連中ばかりであった 結局この島は、ヒッピー達の巣窟となり、その連中に島をそっくり全部くれてやったのである
54ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:29:54 ID:???0
    〜 The Beatles / Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
    〜 The Beatles / Hey Jude (Anthology 3)
     (小林)ビートルズが化粧する前みたいな、生々しさが伝わってきますね
        インタビューでポールが「アレサ・フランクリンが歌うとなー」みたいなことを
        言ってましたが

□リクエスト
  ・日曜日の午後、某局のY氏のとの掛け持ちですが、オールディーズがジャンジャンかかるので
   聞き逃せません えらそうな評論みたいなものなんですけど、「リボルバー」は不遇なんじゃないか
   て思います ただでさえ「サージャント〜」の存在に圧倒されてるし、「ハード・ディズ・ナイト」の
   ような元気アイドルっぽい瑞々しさもなく、アイドルからの脱却というテーマでさえ「ラバーソウル」に
   取られるわで、ひどく地味な感があります ボリューム感も今ひとつかける (でも)技術うんぬんは
   ともかく、ひどくビートルズらしい所が好きなんです(南埼玉郡/男性/20歳)
    〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing
     (小林)いいアルバムの中間と中間のあたりということなんですが、そうでしょうかね?
        結構ね、今で言うと、レィディオ・ヘッドみたいな世界があるんだよね
        だから、ああいう伝統的なものがつながってて、ココにいいものが入ってるっていう気がするんですけど
55ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:39:32 ID:???0
  ・最近、ポール・ウェラー関係を良く聞いています(足立区/男性)
    〜 The Jam / Start

  ・この番組は、日曜日の気の抜けた所に刺激を与えてくれますよね
   「イエローサブマリン音頭」まったく油断も隙もありません 久しぶりに聞いて、小躍りしてしまい
   ました そしたら嫁のヤツが「盆踊りで毎年聞いてるわよ」だって
   そういうことじゃなくてよー! この曲がFMのラジオから流れることに驚きはないのかい?
   克也さん、これからもFM/AMの枠を超えた選曲を(足立区/男性)
    〜 Jero / さらば恋人
     (小林)リクエストがくるんですよ! それから、ビートルズの精神にのっとった
        ビートルズは色んな冒険をして、何でもありっていうグループじゃないですか

(小林)ギリシャに島を買うって話ね あれは本によって、伝える所によって、色々(内容が)違うんだけど
   島を買うのには独特のきもちがあるみたいですよ 日本でも昔、さだまさしが瀬戸内海に島を買った
   ことがあるんですよ ビートルズはインタビューで言ってるのは、ビートルズと家族とスタッフの家族
   のための島で、学校も作る予定があったんだって 店や病院まで作る壮大な計画があったっていう
   ことらしいんだよね 事実ってのは、自分の気持ちの中で探すしかないですよね
   僕たちも、ビートルズの材料を提供しています
56ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:10:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月27日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月27日)
  ・1968年 (40年前)
    ビートルズ・ブティックが店じまいしています もちろんこれは、「アップル・ブティック」と呼ばれましたが
    ビートルズは、「アップル」という会社を立ち上げますよね これは最近の言葉でいうと、すべての色んなソフ
    トを作ろうじゃないかという会社です 映画を作ろう、音楽を作ろう、その中にはファッションも含まれていま
    した 彼らが気に入った「ザ・フール」というグループに任せて、彼らがデザインした服を売る店 まあ、彼ら
    は、サイケデリック・アーチストですから、サイケデリックな壁画ですとか、店の内装とか、みんなサイケデ
    リックに仕上げ、近所から苦情が出て、最終的には外側を白く塗っちゃうらしいんですが、このアップル・
    ブティックを40年前のきょう、閉めています この番組でも前に伝えたことがあるんですけど、閉める前の日の
    晩に、ジョンとヨーコが店にきて、まだ残ってる商品の内、良さそうなものを一切合切、片っ端から持っていった
    という話があったんですけど、いやー、ちゃっかりしてますね その赤字で店を閉めるわけですが、結局閉店
    当時の負債額は今のお金に直すと20億円あったといわれています 最終的にはビートルズが負担するわけですけど
    時代を象徴する、まるでテーマ曲のようにあつかわれていたナンバーをお届けしましょうか 一説にはジョンと
    ポールの最後の共同作業の曲だと言われているこの曲
    〜 The Beatles / All You Need is Love
57ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:27:20 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1967年、ヒッピーカルチャーがスタートしたこの夏、ビートルズの周りにおかしな男が現れた 自称発明家を
   名乗る、ギリシャから来たこの男はアレキシス・マーダス、通称マジック・アレックスと名乗っていた この
   マジック・アレックスは発明家として、ジョンやポールから多額の資金援助を受けていたのであるが、この発明
   の中にはレコーディングに使えるという目に見えない音を遮るカーテンや相手の名を呼ぶだけでつながる電話な
   ども含まれていた もちろん、どれも実現するわけがない ビートルズは詐欺にあったといっても、言い過ぎで
   はなかった このマジック・アレックスの口車に乗せられ、ジョンとポールが中心となって、ギリシャのエーゲ
   海に、六つの島を購入した ここはビートルズと仲間達のユートピアになるはずだったが、既に街での生活に慣
   れたメンバーにとって、それは退屈きわまりないものであったため、すぐに売却してしまった さらに、これに
   懲りないジョンは、すぐにアイルランドに島を購入したが、今度はすぐにヒッピー達にのっとられてしまった
   それにしてもこの頃のビートルズは、あきれるほど自分たちで自由になる金を持っていた 今の金額に換算する
   と、何百億円 いや、それ以上あったのかもしれない ビートルズの次なる趣味は、瞑想とマハリシ・マヘシュ
   ・ヨギであった しかし、ビートルズ・ファンならご存知のとおり、いずれこの熱も醒めてしまう 1968年2月
   から4月にかけてのインドへの修行旅行が、ビートルズにとってどんな意味をもたらしたか、それはさだかでは
   ない ただ一つ言えることは、ジョージをはじめ、メンバー四人が新しい人生の師と仰いだ教祖マハリシ・マヘ
   シュ・ヨギが、全くの俗物/インチキ野郎だと分かっただけでも成果があった ── とするしかない 何もかも
   手に入れたビートルズであったが、それでも頼るものが欲しかったのである
    〜 The Beatles / I'm a Loser
    〜 The Beatles / Two of Us
58ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:51:07 ID:???0
  ・のんびりとリラックスして過ごした、長く暑いインドでの日々 ビートルズは、多くの新曲を書き下ろした 
   すぐにレコーディングに取りかかれる曲は、10曲を超えていた それを録音している内に、また別の曲が生まれ
   そしてそれを録音する頃には、曲の数がアルバム一枚分を遥かに超えていた ビートルズはこうして、二枚組の
   アルバムを作ることになるのである 1968年の11月に発売されることになる、このダブル・アルバム「ザ・
   ビートルズ」、通称ホワイトアルバムのレコーディングセッションは、5月30日にEMIのアビーロード・スタジオ
   で始まった メンバーとスタッフはそれに先立って、ロンドンの郊外サリー州エッシャーにあるジョージのバン
   ガローハウスに集まり、何曲かのデモを4トラックのテープにプライベート録音しておいた 本番のレコーディング
   場所はもちろんアビーロード・スタジオであるが、ここの記録によると、ビートルズは5月20日から7月26日ま
   でのすべての週、第二スタジオを月曜日から金曜日までを連日午後二時半から深夜の12時まで予約で押さえている
   彼らが実際にこのスケジュールに従うのは7月に入ってからのことであるが、これだけスタジオを融通すること
   が許されていたという事実は、驚きに値する ビートルズが如何に、特別扱いされていたかを物語る記録である
   当時まだ新人だったピンク・フロイドなどは、彼らがどんな大切なレコーディングの最中であっても、「ビート
   ルズが使う」ということになると、すぐにスタジオを撤収しなくてはならなかった とにかく、ビートルズは別格
   完全に特別な超大物だったのである この時点では、まだタイトルも決まっていなかったアルバム「ザ・ビートルズ」
   は、ビートルズがスタートさせたアップル・レコードから発売する、初のアルバムだった 実態としては相変わらず
   EMIのパーラフォン・レーベルのカタログナンバーをつけて発売されていたとはいえ、あの有名なリンゴがデザイン
   されたレーベルで発売される最初のレコード ビートルズの4人にはそれまでと違う、何か特別なものがこみ上げて
   いたのである
59ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:51:56 ID:???0
    〜 The Beatles / Piggies (Anthology 3)
    〜 The Beatles / You Know My Name (Anthology 2)
     (小林)まったくクレイジーなナンバーですが、昔の大物ぶったり有名人ぶったりする人のセリフなんですよ
        例えば日本だったら「東京にきたら俺の所に着てよ 俺、電話番号誰でも知ってるから」みたいな
        セリフなんですよ だから、それを言いそうな人間になったり、馬鹿にしているわけですよね
        ビートルズが そういうことを知っておくと、ビートルズの皮肉や精神が、もっともっと分かるわけですが
        ちなみにこれは、アンソロジー2に入ってて、アルト・サックスはブライアン・ジョーンズ ──
        ストーンズの亡くなったブライアン・ジョーンズが吹いていたという
        そして、その前は「ピッギーズ」子豚ちゃんたちですね サリー州エッシャーで録音されたデモテープ
        が使われています
60ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:08:44 ID:???0
  ・アルバム「ザ・ビートルズ」通称ホワイトアルバムのレコーディングは、1968年5月30日から始まった それに
   先立ってロンドンの郊外にあるジョージのバンガローハウスで簡単なデモテープの録音も行われた ということは
   既に曲は多く出来上がっていたという証拠である まったくの不毛と思われたインドへの修行旅行も世俗から離れて
   作曲出来たという点では良い部分もあった 初日のレコーディングでは、ジョンの書いた曲「レボリューション」
   からスタートした 後に「レボリューション」というタイトルで、シングル「ヘイ・ジュード」のB面に収められ
   る方のバージョンは、実際には後で録音された二つ目のものである 最初のバージョンの方が、世間にお披露目さ
   れるのが後になってしまったため、ホワイトアルバムでは「レボリューション1」となっている さらにこのアル
   バムには、ジョンとヨーコのアヴァンギャルドなコラージュ作品「レボリューション9」もあり、ビートルズには
   めずらしく三つの「レボリューション」が存在し、ややこしいことになっている この日の「レボリューション1」
   のレコーディングでは、最終的に18テイクが録音された 17テイクまでは大体5分程度の長さであったが、最後の
   第18テイクだけは10分を超える熱演だった しかし後半は、ジョンとヨーコの耳障りで前衛的なジャムセッション
   大会となっている 大音量のハウリングノイズと、ヨーコの「You become naked (裸になりなさいよ)」などという
   わけの分からない絶叫の嵐 さすがにこの後半は使えないと判断され、10分以上がカットされ、4分の長さとなった
   しかし、ジョンはこのときのボーカルが気に入らなかった 後日、ジョンのボーカルとポールのベースがダビング
   されることになったのであるが、ジョンはどこかにけだるさや虚無感を表現したかった そこで、ジョンは考えた
   (別に、立って歌うことはないな 寝ころんで歌ったら、どうなるのかな)ジョンは、すぐに行動に移した
   寝ころんだり、背後にマイクを置いたり、数時間の実験の結果、ジョンも満足の「レボリューション1」が完成した
   のである
61ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:10:49 ID:???0
    〜 The Beatles / Revolution 1
    〜 The Beatles / And I Love Her
     (小林)この時代のテーマは、愛と平和 そして、革命ってのがあったんだけど 世の中をひっくり返そうなんて
        のが、反体制の動きであったんですけど、ジョンは(俺は仲間に入れないでくれ)そんなメッセージの歌
62ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:26:26 ID:???0
□リクエスト
  ・先日の放送で「イエロー・サブマリン音頭」がかかりましたね 小さい頃に聞いた覚えがあったのですが
   「おちゃらけたコミックソングだな」と子供心にも思ったものでした しかし、今回あらためて聞いてみると
   すごく良いじゃないですか 原曲の良さもさることながら、アレンジも素晴らしい 若造が生意気言ってすみません
   「イエロー・サブマリン音頭」で思い出したのが、この曲です 当時、レビューに「イエロー・サブマリン音頭のノリ」
   と評されていた曲を、知らないリスナーにも聞いてもらいたいと思います(千葉市花見川区/男性)
    〜 上々颱風 / Let it Be
     (小林)若いほど耳がいいから、正直に聞こえるんだよね 年寄りはろくなことはない

  ・イギリスのバンドで60年代を代表するのはビートルズ、70年代はツェッペリン、80年代になるとしぼるのは
   難しいと思います そんな中で私は前半でデフ・レパードを代表とします(千葉市/男性)
    〜 Def Leppard / Hysteria
     (小林)デフ・レパードねぇ〜

  ・父が築地のがんセンターに入院しています 僕はのんきなどら息子なので、展望室のような部屋から築地と東京湾
   を眺めています その眺めから連想する歌が、ビートルズに関係ないかもしれません 70年代にテレビで放送されて
   いた「特捜最前線」のエンディングテーマ「私だけの十字架」です(江戸川区/男性)
    〜 チリアーノ / 私だけの十字架
63ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:30:07 ID:???0
(小林)お話の方はホワイトアルバムのレコーディングですが、一説によると、本人たちもあまりやる気がなかったって、
   言われてますね それからジョージも「あれはビートルズのアルバムじゃないよ ジョージ・ハリソン・オーケストラ」
   ポール・マッカートニー・オーケストラ、ジョン・レノン・オーケストラ、それぞれのソロアルバムの合体したような
   ものだよ」みたいなことを言ってたりするんですよ これはでも、歴史の中で面白いアルバムであることは確かですね
64ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:10:35 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月3日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月3日)
  ・1963年 (45年前)
    もぅ〜、頭の中で45年も前っていうだけで、分かんなくなってしまいますが、まあともかく!
    実はビートルズが、274回も出演してきたリヴァプールのキャヴァーン・クラブ
    小さなクラブです 元はジャズクラブだった所、ビートルズのホームグラウンド
    そこにね、中学生の女の子たちが、274回もきてキャーキャー言ったところ
    きょうが最後の出演となってしまいました 思い起こせば、1961年1月に初めて出たときは
    ランチタイムショー、ギャラは15ポンド(数千円) そして、最後の今日は300ポンド(10数万円)
    になっていました ビートルズは、なぜキャヴァーン・クラブに出なくなったのか?
    これは当たり前です ビートルズがイギリスで一番のグループになってしまったからなんです
    だから、そんな小さな小屋に出ている場合じゃないということで
    ビートルズの最初のアルバムってのはね、プロデューサーのジョージ・マーティンが
    「ビートルズはライブがスゴい、客の前でやらしたらスゴい」ということで、キャヴァーン・クラブで
    ライブ録音して、それをそのまま出そうとしたんだけど、マーティンが行ったら(あまりの)音の悪さに
    「ここじゃ使えない」とあきらめちゃいました だから、最初のアルバムはライブと同じような感覚で
    「せーの」ということで12時間で完成させていますね そういうことで、45年前のきょうイギリスで1位
    13週間1位を走っていたのがこの曲なんです!
    〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
65ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:27:38 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年5月30日木曜日 ── ビートルズの新しいアルバムのレコーディングが始まった この前の年には
   ビートルズ史上、いやロック史上、いや20世紀の音楽史上最大の傑作とまで言われたあの「サージャント〜」
   のアルバムを発表している 果たしてビートルズの才能はもはやこれまでかと、意地の悪い見方をする評論家
   もたくさんいた しかし、ビートルズは彼らのロックに対する限界を感じていたどころか、あふれんばかりの 
   想像力はとどまるところを知らなかった ビートルズは、インドへの修行旅行への間も曲を書き溜めていた
   レコーディングに入ることが決まった時点で、曲の数は10を優に超えていた 4人のビートルズたちはレコーディング
   に先駆けて、ジョージとパティの愛の巣とも言える、ロンドン郊外エシャーにあるしゃれたバンガローハウスに
   集まり、デモテープを録音している この時の記録を確認するに、既に曲も詩も完成していて、その出来は素晴らしい
   後に良く言われる「あの頃のビートルズはスタジオの中で曲を書いていたようなものだ」という俗説は
   誤りであることが分かる プライベートでは女性関係をはじめ、いろいろと問題があったビートルズであるが
   こと音楽のこととなると、かなりの勤勉さを見せていた ポールは「サージャント〜」で見せたプロデュース能力に
   さらに磨きをかけ ジョンは「〜ウォルラス」でたどり着いた作曲の境地にいた ジョージはインド音楽からの
   影響を自分のスタイルへと変貌させたばかりか、時のスーパーギタリスト、エリック・クラプトンに代表される
   ブルージーなプレイを取り入れ、演奏家としての成長を見せていた そして、リンゴ・スターまでもが、他の
   メンバーに触発され、独自の世界を築き上げていた 4人の成長性は、この時ピークを迎えていたといっても
   過言ではなかったのである
66ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:28:53 ID:???0
    〜 The Beatles / Don't Pass Me By
    〜 The Beatles / Junk (Anthology 3)
     (小林)これは「ジャンク」という曲で、ジョージのバンガローハウスで録音されたものです
        デモテープもありがたいものだねー ビートルズの場合は
        その前は、リンゴが作詞作曲して歌っている曲 よく頭にイメージを入れておいてね
        話は続きます
67ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:49:25 ID:???0
  ・通称「ホワイトアルバム」として知られる、アルバム「ザ・ビートルズ」に収録された「Don't Pass Me By」は
   リンゴ・スターが初めて作詞と作曲を手がけた曲である この曲以前にリンゴが作ったのは1965年のアルバム
   「ラバーソウル」に収録された「What Goes On」という曲 クレジットは、ジョン・ポール・リンゴ3人の共作
   ということになっているが、実際にはそのほとんどをジョンが書いて、1962年の時点でほぼ完成されていて
   リンゴが書いたのは、歌詞の一行程度 そういった具合に、作曲家としては地味過ぎる地味であったリンゴであるが
   元々C&Wやアメリカのスタンダードが大好きだったこともあり、歌うことには欲があった 「Don't Pass Me By」も
   アルバムに収録される四年前の1964年のインタビューで、はっきりと曲名まで添えて、「Don't Pass Me Byという曲
   を今作曲しているんだ」と発言している このリンゴの作曲家デビュー作品はアルバムのレコーディング順番としは
   ジョンの「レボリューション1」の次、二曲目にビートルズとして取りかかることとなった それだけ期待されて
   いたのか はたまた「軽くいっちょ行ってみるか」ということであったのか、それは分からない リンゴが念願を
   果たすことが出来ると、次はジョージの番である それまでのジョージの扱いは、あくまでもバンドのリードギタリスト
   作曲家・シンガーとしては、ジョンとポールの陰に完全に隠れていた どんなにジョージ本人に良い曲が出来たと
   思っても、それをアルバムに採用するかどうかを決めるのは、ジョンとポール どうしても、アルバム中1曲か2曲
   に甘んじていた そんな中、インドへの修行旅行をはさんで、ジョージには今までにないインスピレーションがわいてきた
68ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:50:02 ID:???0
   この頃のジョージは、シタール音楽からすっかり遠ざかっていたこともあり、インド音楽に傾倒するわけでも、奇を
   てらった方向に行くわけでもなく、時代の流れにも逆らわず、ごく自然に曲が出来たのである ジョージは
   久しぶりに帰ったリヴァプールで、実家の本棚からなにげなく取り出した本の中に「Gently Weeps」という言葉を
   見つけた この言葉を元に作った曲を持って、ジョージはロンドンに戻り、ソロバージョンを録音した
   自信満々に皆に聞かせたが、ジョンとポールの反応はさっぱり この曲は、このままお蔵入りになる運命かと思われた
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
    〜 The Beatles / I'll Be Back
     (小林)「While My Guitar Gently Weeps」は、ジョージがデモ風に録ったやつで、ジョンやポールになった気分で
        聞いた反応はどうでしょう (どうも暗いなー)とか(盛り上がらないなー)という感じでした?
        だから、ジョンやポールは、反対したわけですよ
69ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:10:16 ID:???0
  ・アルバム「ザ・ビートルズ」、通称「ホワイトアルバム」のレコーディングは、1968年5月30日木曜日に始まり
   夏が終わっても、まだ続行していた このアルバムのために、ジョージは故郷リヴァプールの実家で、新曲を書いた
   タイトルは「While My Guitar Gently Weeps」、渾身の一曲であった しかし、デモ・バージョンをを録り終えて
   皆に聞かせたが、ジョンとポールから合格点をもらうことは出来なかった (まずい、このままではボツになってしまう)
   そう思ったジョージは、ある作戦を考えた それは、ビートルズのメンバーだけではなく、誰もがはっとするような
   ゲスト・プレイヤーを招くことであった この頃ビートルズのレコーディング現場にゲストが現れて演奏することは
   特に珍しいことでもなかった ゲストが登場するとなると、みんな気を使って、その作品を作ったメンバーを持ち上げてくれる
   傾向にあった つまりジョージは、ゲストを提案することによって、なし崩し的にこの「While My Guitar Gently Weeps」を
   強引にアルバムに収録させようとしたのである そして、レコーディングの当日、ジョージはある友人のミュージシャンに
   スタジオまで車で送ってもらえないかと頼んだ そして、その車の中で「今日のレコーディングに、ゲストで参加してくれ
   ないか」と打診したのである その、ギタリストの友人は答えた 「そりゃ、無理だよ いまだかつて、ビートルズの
   参加したギタリストなんていないだろ? メンバーも世間も許してくれるわけがない」しかし、ジョージの説得に
   スタジオに近づくにつれ、その友人も抵抗をやめた 彼は、ジョージに連れられ、第2スタジオに入る時も、まだ
   招かれざる客の気分が抜けずにいた 結局彼は、その日にスタジオに7時間いたが、その日ジョンは現れなかった
   リンゴは2週間ほど前に、ポールと口論し、一時的にビートルズを離れていて、バンドに戻ったばかりであった
   ポールは、そんなリンゴに気を使っておとなしかった そんな、どんよりとした空気の中、ジョージの友人は
   冴え渡るリードギターで、「While My Guitar Gently Weeps」という曲に、新たな命を与えた
   素晴らしいプレイを聞かせた友人の名は、そう エリック・クラプトンであった
70ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:11:28 ID:???0
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
    〜 The Beatles / Ticket to Ride
     (小林)さっきの話から、デモ・バージョンとエリック・クラプトンが入ったバージョンを聞いて、どうですか?
        すーごいですね やっぱ、少し感動します
71ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:28:35 ID:???0
□リクエスト
  ・ポールやジョンの女性関係の話を、興味深く聞いています
   シンシアを前に、勝ち誇ったようなヨーコの姿が目に浮かびました(土浦市/男性)
    〜 Cream / White Room

  ・私がビートルズを初めて知ったのは、1966年小学生の時、ビートルズが来日して、武道館コンサートを開催した時です
   当時の映像を見ると、男は背広姿に七三分け、女性も個性のないかしこまった姿で、コンサートに出かけたみたいです
   しかし、不思議なもので、ビートルズの音楽に触れると、老若男女を問わずに浸透してしまう いったい、どうして
   なんでしょうか? 私に言えることは、英語は分からなくても、彼らの感情が伝わる以心伝心を感じさせるのが
   ビートルズを表しているは、言うまでもありません(下妻市/男性)
    〜 The Beatles / Rock'n Roll Music

  ・ジェロがカバーした堺正章の「さらば恋人」をかけましたね 大好きな彼が15年ぶりに発表した新曲「忘れ物」をお願いします
   スパイダーズの頃はあまりよく知らないのですが、ビートルズの影響もあったように思います(目黒区/男性)
    〜 堺正章 / 忘れ物
     (小林)おおありなんですよ、66年のビートルズのコンサートの前座に、実はスパイダーズは誘われましたが
        断っています かまやつひろしの話によると、当時スパイダーズは、ビートルズの影響をモロに受けていた
        種を明かすようで恥ずかしかったので、我々から断った..そうです
72ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:31:23 ID:???0
(小林)ま、ビートルズは、ジョンの天才、ポールの天才 天才がいたわけですが、ビートルズがグループとしてぎくしゃく
   する頃には、他の二人も相当自信を持って作曲はするわ、大変な意気込みを持ってたという話ですよ
   これが、グループとしての成長なんですよね その頃ビートルズは、危機を迎えるようになっていったというわけです
73ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:13:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月10日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月10日)
  ・1964年 (44年前)
    アメリカの小さなレコード会社のVee Jayというところが、今まで出して売れなかったビートルズの4枚のシングルを
    改めて出しました 4枚のシングルというのは「Do You Want to Know a Secret」「Please Please Me」「Love Me Do」
    「Twist and Shout」 小さなレコード会社から出したもんだから、アメリカでは売れなかったんだよねー
    面白い話だよねー というのもね、ビートルズは元々EMIじゃないですか、イギリスでは そして、アメリカでは
    キャピトルと組んでいたんです で、EMIがキャピトルにイギリスでビートルズがスゴいことになってるからアメリカでも
    出してくれと頼んだんですが、キャピトルは時代が読めなかった ビートルズと聞いて、ピンとくる人がいなかった
    ダメですねー 時代を読めないと会社も危なくなってしまいますからね こんなことがあったんです ビートルズの偉さ
    が分からなかった だから、しょうがないからEMIは、アメリカの小さなレコード会社にビートルズの販売権みたいなものを
    与えて、その結果全然売れなくて、ところがビートルズは44年前の今日、アメリカで大々的なツアーをやってるんです
    どこ行っても本当に狂気の沙汰 ビートルズはスゴいんです そこで、昔のヤツを改めて出したという話なんですけどね
    いやー、時代を読めないってのはしょうがないですよね アメリカは、ロックはダメだと思ってたんだ、この頃
    で、この日全米の一位はビートルズの「A Hard Day's Night」だったんです どこの都市に行っても、スゴい騒ぎですから
    世界一のグループになってしまったんです では、4枚のうちの1枚が「Twist and Shout」ですが、へそ曲がりをして
    そのB面をかけます あまり有名じゃないですけど、マッカートニー&レノンって感じがします
    〜 The Beatles / There's a Place
74ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:26:12 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年9月6日 ── ジョージの作品「While〜」で、ビートルズは初めてギタリストをゲストに迎えた そのギタリストの名は
   エリック・クラプトン ジョージとエリックは、1964年にビートルズがクリスマスショーを1ヶ月もシリーズで行った
   時以来の付き合い エリックが参加していたヤードバーズがビートルズの前座という役割だったのである どちらかというと
   古いロックンロールやカントリーなどに影響を受けたジョージにとって、エリックの弾くブルースギターは衝撃だった
   アンプの音も大きく、むせび泣くような強烈なビブラートもロンドンではまだ誰も会得していない新境地だった 1968年当時
   事実上解散状態にあった伝説のトリオバンド「クリーム」のメンバーだった クリームはブルースをベースにしたスタイルを得意とし
   3人の卓越したテクニックを持ったミュージシャンによるインプロビゼーション ── 即興演奏で人気があった 時代は3分間の
   ロックンロールからいつ終わるかも分からないような長く大音量へのスタイルへと流行を変えていたのである しかし
   エリックは観客の要求に答えるがごとく、どんどんアンプが積み重ねられ、元の曲が分からないほど長時間の演奏に、ほとほと
   疲れきってきた あるステージで、エリックは延焼中にトイレに行きたくなり、何気なしに袖に引っ込み、用を足し、再び
   ステージ上に戻った しかし、ベースのジャック・ブルース、ドラムスのジンジャー・ベイカーはそのことに全く気づかす
   演奏を続けていた つまり、二人とも自分のプレイがすべてであり、エリックのギターなど聞いていなかったのである
   エリックは傷ついてしまった 自分があれほど道を究めようとしたブルースがおかしな方向に向かっている これでは
   ギターを弾く意味がない さらに、エリックはジョージなどの影響もあり、ギタリストとしてだけではなく、曲を書き
   歌を歌うことにも、興味がシフトしていた 彼がクリームを離れる日は、そう遠いことではなかったのである
75ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:31:35 ID:???0
    〜 Cream / Sunshine of Your Love
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun
     (小林)ビートルズのというよりは、ジョージ・ハリスンの〜といった方が良いかもしれません
        これは、エリックの家で書いた曲であります
76ホワイトアルバムさん:2008/08/10(日) 18:46:43 ID:???O
乙です。いつも楽しく読ませてもらっています。
m(_ _)m
77ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:47:39 ID:???0
>>76
 どうも

  ・ビートルズのレコーディングセッションに参加した最初で最後の男、エリック・クラプトン 彼は、ジョージの親友でもあった
   それぞれのバンド、ビートルズとクリームの活動の中での悩みを打ち明け、相談し合ったり、お互いの好きなレコードを
   持ち寄ったりする内に、友情は次第に深まって行った 二人は、女性の趣味も似ていたと言われている それを証明する事実として
   エリックはジョージの妻パティの妹ポーラ・ボイドと三ヶ月間だけではあるが、恋人同士だったことがある もちろん
   エリックは姉の方、パティと結婚する この、ジョージからパティを略奪してしまうことは、ファンの間ではあまりに
   有名なことである ジョージが最初に正式にセッションをしたのは、ホワイトアルバムに収録されることになる「While〜」が
   最初ではない インドから帰って間もない1968年6月、ジョージはメリー・ホプキンの「Those〜」、ビートルズの「Hey Jude」
   に続く、アップル・レコード第3弾目のプロデュースに取りかかった シンガーの名は、ジャッキー・ロマックス 曲は
   ジョージが書き下ろした「サワー・ミルク・シー」である ジョージは、宗教関係の本に影響されて、この曲を書き上げていた
   レコーディングはジョージ曰く「最高のジャムセッション」であった 参加したミュージシャンは、ジョンをのぞくビートルズの
   三人に黒人キーボード奏者のビリー・プレストン、そして、ロンドンではゴッドと歌われたエリック・クラプトン 出来は良かった
   のであるが、シングルとしては少しシブすぎたというのが一般的な評価で、「Hey Jude」や「Those〜」のようにラジオで何度も
   オンエアされるまでには至らなかった つまり、ヒットしなかった しかし、ヒットしなかったとは言え、ジョージもエリックも
   このセッションからは大きな満足感を得ていた 特にエリックのご機嫌ぶりは、周りのみんなもびっくりするほどであった
   エリックはなんと、愛用のギブソンギターをジャッキー・ロマックスにプレゼントしてしまったのである こうして、エリックと
   ジョージの友情は日増しに深まって行くのであった
78ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:53:24 ID:???0
    〜 Jackie Lomax / Sour Milk Sea
    〜 The Beatles / Come and Get it (Anthology 3)
     (小林)これは、元々ポールがプロデュースしたバッドフィンガーのための曲だったんですが、アンソロジー3の中に入っています
        アンソロジーシリーズは、結構ビートルズの正体を知るために助かる、3つのアルバムですね
        そして、その前はバックの演奏がスゴかったでしょ?
79ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:07:32 ID:???0
  ・ジョージとエリックの友情は、日増しに深いものになって行った ジョージがプロシュースを手がけたジャッキー・ロマックスの
   レコーディングにエリックは二つ返事で参加し、さらにジョージが初めて取り組む映画のサントラ「ワンダーウォール」の時も
   エリックはエディ・クレイトンという変名を使い、レコード会社にも内緒でジョージをサポートした これにお返しするつもりで
   ジョージはエリックからの仕事を引き受けた 既に解散が決まっているスーパートリオ・グループ「クリーム」は、ファイナル
   アルバム「グッバイ・クリーム」を発売することが決定していた このアルバムの内容の大半は、ライブアルバム そして
   3曲だけ、メンバーそれぞれが1曲ずつ新曲を収録しようという企画だった ところが、ベースのジャック・ブルース、ドラムスの
   ジンジャー・ベイカーに比べ、音楽的教育を受けていないエリックはほとんど作曲の経験がない そこで、ジョージに相談に
   行ったというわけである もちろん、ジョージは協力を買って出た ジョージは語っている「僕とエリックは、音楽やファッション
   そして女の子の趣味が似ているだけでなく、二人ともリーダータイプじゃないっていうところまで同じなんだ だから、きっと
   仲良くなれたんだと思うよ」 二人が共作した曲は、最初何もタイトルが付けられていなかった ただ、ジョージが譜面に
   (曲の中間部)という意味で「ブリッジ」と書いていた それをエリックが見間違えてしまった 「ジョージ、これカッコいいから
   曲のタイトルにしようよ、これ良いじゃない“バッジ”ってさ」 曲名の由来もさることながら、レコーディングの結果は
   最高の出来であった いかにもジョージらしい憂いに満ちた曲の中に、エリックのブルージーで冴えたギターワークが入り込んでくる
   それも、出しゃばりすぎずに あくまでもさりげなく ビートルズでは絶対に出来ない、大人なロックサウンドに、ジョージは
   満足だった
    〜 Cream / Badge
80ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:34:19 ID:???0
□リクエスト
  ・先日、妹に久々に会い、音楽の話になりました 番組の話をしたら、妹も聞いているとのこと ピアノをしている妹は
   ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジが好きだそうです(守谷市/男性)
    〜 Bruce Hornsby & The Range / The Way it is
     (小林)グラミー賞の新人賞をとる曲ですけど、さっきのエリックとジョージの話じゃないけど、この頃ブルースの
        親友というか後輩っぽい...ブルースを後輩と思っていたヒューイ・ルイスとものすごく仲が良くて
        レコーディングとかレコード契約とか、色々教えて、プロデュースとまでは行かないけど面倒を見て
        ブルースはピアノがスゴいっていうことで、ニューエイジ系のレーベルから誘いがあったんだけど、それ全部
        断って、ロックの道に入ってくる ブルースは、バンドの演奏しっかりしてるけど、ボーカルはボブ・ディランに
        影響を受けている そんな話をしました 人生、そんなもんだよという内容になっていました

  ・単身赴任も、もうすぐ2年ほどになります 北九州にいる息子がエレキをはじめたらしく、ビートルズの曲を良く聴いているようです
   こゆい遺伝子のせいかなと、とても嬉しいです リクエストは、高校生の頃良く聞いていたクラトゥーというバンドで
   「謎の宇宙船」という曲をお願いします 隠れたビートルズの曲といわれていましたが、実はオランダのバンドでした(船橋市/男性)
    〜 Klaatu / Calling Occupants of Interplanetary Craft (The Recognised Anthem ...)
     (小林)リクエストは、アルバムの4曲目なんですが、このスタジオにその曲がないので1曲目をかけます
81ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:36:44 ID:???0
  ・最近、島田紳介氏が一発屋のお笑い芸人をテレビに出しています 音楽会の一発屋で思い出すのがザ・ナックです
   ビートルズの再来といわれ、彼らの音楽性は評価されていましたが、デビュー曲以外はヒットに恵まれず、典型的な一発屋に
   なっています 間奏のギターがカッコいい(佐野市/男性)
    〜 The Knack / My Sharona
     (小林)本当にそうですよね、80年代のビートルズといわれたんですよ
        この人達はね、中ヒットがあったんですよ でも、「マイ・シャローナ」があまりにも大きかったために一発屋と
        言われてるんです a-haにもヒットがあったしね なんか、一発屋って呼び名は可哀想だね

(小林)ジョージとエリックの友情、これはもう伝説みたいになってますね
82ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:13:38 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月17日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月17日)
  ・1962年 (46年前)
    まだ、ビートルズは有名じゃないんですけど、リバプールのキャヴァーン・クラブで、ビートルズはコンサートをやっています
    しかし、ドラマーのピート・ベスト、最後のパフォーマンスというのが、46年前のきょう
    もともとピート・ベストという人は、ビートルズがハンブルグに行くことになって、ドラムスがいなかったわけですね
    で、きてもらえないか?ということで、ピート・ベストが加わります この番組でもお伝えしましたが、ピートのお母さん
    モナは、息子が有名になることに熱心で、自宅の地下を改造して、カスヴァ・クラブというクラブにしてしまった
    もちろん、昼間ティーン・エイジャーが遊びに来れるように、酒を飲ませるクラブじゃなくて、そこでビートルズを演奏させた
    っていう、子供のためにね そして、マネージメントみたいなこともやってました しかし、46年前の今日
    正式に言うと、その前の日(8月16日)、マネージャーのブライアンが事務所にピートを呼んで、クビを宣告します
    後2日ライブが残ってるからやってよと しかし、なぜピートは首になったのか? いろいろな説があるんですよ
    ハンサムでモップヘアーにしなかったとか リンゴとジョージが仲が良くて、リンゴを加入させたかったとか
    ジョージ・マーティンがピートのプレイを気に入らなかったとか どれも、当てはまらないんですよ
    僕はどちらかというと、その頃ライブをやると、一番女の子の声援が多かったのがピート・ベスト(ハンサムだから)
    二番目がポール ポールはピートを焼いて、ポールの焼きもちというのが正確なところじゃないかと思うんですけど
    では、ピートのプレイを聞きましょう
    〜 The Beatles / Love Me Do (Anthology 1)

    これ聞くと、ポールが(自分より演奏下手なくせにモテやがって!)と思ったんじゃないかという気がしてきます
83ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:32:57 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年9月6日 ── ビートルズは「While My Guitar Gently Weeps」というジョージの作品で、エリック・クラプトンを
   ゲストに迎えた レコーディングの寸前までボツになりそうだったこの曲を見事生き返らせてくれたのは、他ならぬエリックであった
   「ビートルズにゲストで入って、ギターソロを弾くなんてあり得ないよ!」 最初エリックは、ジョージの頼みを断固として
   拒み続けた いくらジョージが自分に取って大切な親友であっても、いくらエリックがロックシーンで神とたたえられている
   最高のギタリストだとしても、ビートルズは全く違う存在 ロックユニットとして、完全なる別格だった しかし、レコーディング
   の当日、ジョージのあまりに熱心な説得に、遂にエリックは折れてしまうのである 「よし、ジョージ わかったよ 僕が君の曲で
   ギターを弾かせてもらう ただし、僕のスタイルはブルースだってわかってるよね そのブルースがジョージの曲に合うかどうか
   やってみないと分からない それでも良いって言うことだったら引き受けるよ」ジョージは答えた「君は別に、ビートルズに
   合わせることはない 僕は、僕の曲の中で、君が一番得意とするブルースを弾いてくれさえすれば、それでいいんだよ それと
   スタジオに入れば良くわかると思うけど、今回のアルバムはそれぞれの曲を書いた本人が責任を持ってプロデュースするということ
   になっている だから、今日の曲のプロデューサーは僕だってわけ 何も心配することはないんだよ」 心を決めたエリックは
   一旦自宅に戻って、愛用のギター、ギブソン・レスポールを車に積んだ 最高の音色を奏でる一本である そして、アビーロード
   スタジオに入ると、ジョージが言っていたことが分かった そこには、ポールとリンゴがいたが、どこかよそよそしい雰囲気である
   おまけに、ジョンはくる予定がないという エリックはココで、本当に自分のブルースが弾けるのか、一抹の不安を感じていた
84ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:33:42 ID:???0
    〜 John Mayall & The Bluesbreakers Feat. Eric Clapton / All Your Love
    〜 The Beatles / Birthday
     (小林)この「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーぎゃぎゃん」というギターは、エリック・クラプトンが演ってるんじゃないか
        という説もちょっとあったりします
85ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:51:57 ID:???0
  ・エリック・クラプトンが参加したジョージの曲「While〜」は最高の出来になった それまでも「Taxman」を始めとする
   ジョージの曲は、ビートルズファンの間でも評価は高かった ジョンとポールによる厳しい検閲をくぐり抜けてきた楽曲だけに
   出来がいいのは当然という向きもあるが、その検閲のせいで、いつも辛い思いをしていたのは、他ならぬジョージであった
   今回のレコーディングセッションは、エリックの親友ジョージとの仕事である 普通ならば、リラックスして楽しんで演奏する
   ところであるが、これがビートルズのアルバムに入るとなると話が違ってくる 当時、ビートルズはとにかく別格であった
   曲も歌もピカイチだし、アレンジの斬新さ、アイデアの豊富さにおいても、他に対抗できるバンドはどこにもいなかった
   テクニックでいったら、エリックが在籍するクリームの方が数段上かもしれない しかし、ロックファンを感動させる要因は
   テクニックがすべてではないことをエリックは既に悟りきっていた 言い換えるならば、テクニック至上主義のクリームに嫌気がさし
   今すぐにでも脱退したいというのが、この頃のエリックの本音だったのである そんなエリックは、ビートルズのレコーディング
   の現場にグループとしてのチームワークを期待していた しかし、現実は違った この頃のビートルズは、もはやグループと
   いうより、「ビートルズ」というブランドを掲げて、アルバムを制作し発表するという一種の事業体のようなものになっていて
   かつてのロックバンドとしてのパワーはなくなっていた 四人がそれぞれ好き勝手なことをやっていたのである その事実を
   証明する出来事として、この日何時間待ってもジョンはスタジオに姿を見せなかった それでも、いくつかの曲は十分に成り立って
   いたことに、エリックはびっくりしてしまった エリックは、リードギタリストとしての自分のプレイには、ある程度の自信を
   持ってはいたが、リズムギタリストとしては、ジョンの魂と感性で弾くスタイルに一目置いていただけに、この日ジョンに
   会えなかったのは残念だった それだけ、ビートルズというグループは演奏家としても、魅力的な集団であったということを
   証明するエピソードの一つである
86ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:53:39 ID:???0
    〜 The Dirty Mac / Yer Blues
    〜 The Beatles / Oh! Darling
     (小林)ジョンもポールも叫んでおります 最初はダーティー・マックと名乗っていますが、ジョン・レノンの「ヤー・ブルース」
        ローリング・ストーンズの「ロックンロール・サーカス」の中に入っています
87ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:06:49 ID:???0
  ・ジョージはエリックに参加してもらったことにより、すっかり自信をつけていた 普通に考えると、自分よりもうまいギタリストを
   連れて来たのであるから、リードギタリストとしての自分の格を下げたことにもなりかねないのであるが、ジョージは違った
   ジョージはギタリストしてよりもボーカリスト、そしてソングライターとしての自分をもっと評価して欲しかったのである さらに
   自分の曲に関してジョージ・マーティンやポールではなく、自分できっちりプロデュースするという自我にも目覚め始めていた
   そうなってくると、ギターソロを誰が弾いたかなんて二の次である 話題になってくれればそれでいいし、何より作品としての完成度
   の方がこの時点でのジョージにとっては大切なことであった こうしてジョージは、アーチストとして成長していったのであるが
   エリックが「While〜」に参加してくれた後に、エリックに敬意を表して、あるいはからかい半分で捧げた曲がある その曲のタイトル
   は「サボイ・トラッフル」 このナンバーの歌詞は、当時会社通いをやっていたエリックのことがモチーフになっている ジョージは
   語っている「エリックは本当に甘いものが好きでね ちょうど歯を治したばかりだったんだ それがものすごく大変な治療で時間も
   長くかかったらしいんだけど、その歯医者に言われたらしいんだよ『もうこれで甘いものはやめるように』って サボイ・トラッフル
   というのはメチャ甘いお菓子のことだけど、エリックに言い聞かせてるんだ このサボイ・トラッフルで、君の歯は全滅だよって」
   盛大なサキソフォンセクションとファンキーなリズムの裏には、こういう話があったのである もちろん、エリックだけではなく
   チョコレートや甘いもの中毒で悩みを抱えた世界中の人々に向けたひねりを利かせた、ジョージからのメッセージソングだったのである
    〜 The Beatles / Savoy Truffle (番組の途中ですが、印旛に大雨警報、東葛飾に洪水警報が発令されました)
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
8888:2008/08/17(日) 19:14:58 ID:???0
88
89ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:24:06 ID:???0
□リクエスト
  ・自分がビートルズと出会ったのは某テレビ局の番組でジーンズのCMで流れていた「She Loves You」です
   小学校六年生でビートルズに夢中になり、中学の三年間ビートルズ仲間とレコードの貸し借り、情報交換などビートルズ三昧の
   中学生活を送りました 部活はもちろん、帰宅部だったことは言うまでもありません(越谷市/男性)
    〜 The Beatles / She Loves You

  ・ラジオで聞いたことがない、ビートルズの影響を受けているグループのデビュー曲をお願いします(足立区/男性)
    〜 THE YELLOW MONKEY / Romantist Taste
     (小林)音というか、考え方がビートルズの影響をモロ受けているグループであります

  ・僕はガロが好きで最近よく聞いてるんですが、たしかガロの曲で松本隆さんが詩を書かれた「ビートルズはもう聞かない」という
   曲があります 歌謡曲っぽいマイナーな曲なんですが、イントロのピアノがとても好きで、最後まで聞き入ってしまいます(柏市/男性)
    〜 ガロ / ビートルズはもう聞かない
90ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:26:07 ID:???0
(小林)ポールにいびられていたジョージが、それなら世界一うまいギタリストを連れて行ってやろうと、エリック・クラプトンを連れてくる
   だけど、よくポールやジョンは、エリック・クラプトンを入れたよね ま、しょうがないかと入れたんだけど、クレジットは書かなかった
   ここら辺は話としては面白いんですけど まだまだ話は続きます
91ホワイトアルバムさん:2008/08/19(火) 23:50:36 ID:???0
にしても小林克也は
・ポールの悪評はそのまま反応せず
・ジョンの悪評はフォローする

随分と露骨だね
92ホワイトアルバムさん:2008/08/19(火) 23:52:54 ID:???0
そうでもないよ。
93ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 00:05:57 ID:???0
そうでもないよ
94ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:46:16 ID:???0
>>91
同感

95ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:51:48 ID:???0
遺憾
96ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:58:30 ID:???0
この番組で話してたジョンとブリジット・バルドーの件も綺麗事で終わってるw
事実はジョンの側近が暴露したw
97ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 15:22:44 ID:???i
この番組におけるメンバーのイメージ

ジョン イッちゃった人
ポール 天才、信じられるのは金だけ
ジョージ いじめられっ子
リンゴ ?
ブライアン 金の計算に弱いホモ
98ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:17:02 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月24日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月24日)
  ・1969年 (39年前)
    もうビートルズはバラバラの頃ですが、朝ジョンが「コールド・ターキー」を書いて、昼「コールド・ターキー」を
    リハーサルやって、夜「コールド・ターキー」を録音するとあります つまり、朝書いて、昼には練習やって、夜には
    録音していたという 正式な録音は、もう少し後になるんですけど ジョン・レノンは、そうなんです 思い立ったら
    さっとやる ただ、やんない時は全然やんなかったりするんですが この「コールド・ターキー ── 冷たい七面鳥」
    ってのは何かというと、麻薬中毒の状態のことを、死んじゃった、冷たくなった七面鳥(に例えて言う)面白い言い方
    ですが、これはもう(世間では)有名なフレーズなんですよ だから、この曲は多くのラジオ局で「これは麻薬の曲だろ」
    という事で放送禁止になるわけです 当たり前の事です イギリスでは最高14位、アメリカでは最高30位 ジョンの
    曲としては、全然ヒットしないわけですよ で、ジョンは頭に着てしまうわけ (何で俺の曲がヒットしないんだ)って
    わけで頭に着て、1965年にエリザベス女王からもらったMBE勲章を、(正式な)理由はイギリスのナイジェリア問題へ
    頭を突っ込んでけしからん!ってことだったんだけど、本音は「コールド・ターキー」がヒットしなかったっていう事で
    勲章を返したという有名な話があります で、これは9月に出来たんですが、その頃の9月カナダのロックンロール
    フェスティバルで、ジョンがいきなりエリック・クラプトンたちを連れて行って参加するんですよ そこで、(この曲が)
    演奏されています スタジオでも、エリック・クラプトンが入っています 泣きのギターを弾いています これ結構いいですよ
    〜 Plastic Ono Band / Cold Turkey

    エリック・クラプトンが入ってるという事で、かなり救われてる点があります
99ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:30:55 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年5月から始まったビートルズのニューアルバム「ザ・ビートルズ」 ── 通称ホワイトアルバムのレコーディングは
   順調に進んでいた 最初はジョンが書いた「レボリューション1」、そしてリンゴの作曲家デビュー作「ドント・パス・
   ミー・バイ」、次はジョンとヨーコの前衛的な作品「レボリューション9」、さらにポールの「ブラックバード」、とにかく
   多くの曲が出来たせいでレコーディングは土日を除いてほぼ休みなく行われた このアルバムのために用意された曲は
   インドへの修行旅行の間に書かれたものが多いと言われている ビートルズはいったい、どんな風にこの修行旅行の時間を
   過ごしていたのか 時間を少し戻してみる事にしよう
   1967年8月 ── イギリス・ウェールズのバンゴアで行われた、マハリシ・マヘシュ・ヨギのセミナーに、ビートルズは
   4人全員で参加した もっとも熱心だったのは、ジョージと妻のパティ このセミナー以来、マハリシの人気と信者の数は
   急上昇した 元々インド哲学や超越瞑想などに興味がなかったとしても、とにかくビートルズにあやかりたいという若者連中
   は、後を絶たなかった そのビートルズ自体セミナーに参加してからというもの、ヒマラヤの緑豊かな山麓にあるマハリシの
   ヨガ・アシュラムつまり進学の大学にこもって、共に教えを請いたいという希望と計画はずっと消えてはいなかった 本来
   ならば、マネージャーのブライアン・エプスタインの葬儀が終わってすぐに出かけたいところだったが、ビートルズによる
   初めての映像作品「マジカル・ミステリー・ツアー」のスケジュールが詰まっていて、計画は2度にわたってお流れになって
   しまった しかし、そんな中ジョージは、ずっと手紙や電話で、マハリシとの連絡は絶やさないようにしていた さらに
   リンゴは、日帰りでスウェーデンに滞在しているマハリシに会いに行き、ジョンもマハリシを伴い、パリでのインド音楽家
   ラビ・シャンカールのステージを見ている ビートルズのインド音楽への憧れは、日増しに大きなものへなっていったので
   ある
    〜 The Beatles / Within You Without You
     (小林)もろ、インドいっちゃってる曲ですよ
100ホワイトアルバムさん:2008/08/24(日) 18:44:37 ID:???0
マハリシタンキター!!!
101ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:49:19 ID:???0
  ・1967年8月 ── イギリス・ウェールズのバンゴアで行われたマハリシのセミナーに、短期間ではあったがビートルズが参加
   した事は大事件であった ビートルズという捕まえた獲物が想像以上に巨大なものである事は、マハリシ本人が一番理解していた
   元々、シタール奏者のラビ・シャンカールと同じく、ビートルズの事はあまり知らなかったマハリシであったが、彼はすぐさま
   ビートルズのアルバムをかき集めて、猛勉強するようになった それ以来、マハリシは自分が講義する際の言葉の中に
   ビートルズの歌詞を引用するようになり、それをビートルズの側も光栄に感じていた しかし、マハリシの教える瞑想を真剣に
   やりたいと考えるのであれば、収入の一部をスイス銀行の口座に振り込むようにと、お布施を要求して来たのには困ってしまった
   断るにも断れないでいたのであるが、これをマハリシは、ハッキリとした拒否ではない、むしろ好意的に思われていると
   勝手に自分にいい解釈をした また、ビートルズは自分の信者であると完全に思い込んだマハリシは、アメリカのテレビ局に対し
   ビートルズ4人揃っての番組出演を確約してしまう もちろんこれは、マハリシと彼のセミナーに関するドキュメンタリーであり
   ビートルズにはまったくメリットのない内容だったため、実現はしていない「彼の思想は現代人には理解できない部分があるんだ
   現代社会の事情が理解できていないだけで、悪意を持った人物じゃないよ」とジョージはマハリシを擁護している
102ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:50:40 ID:???0
ポールと
   婚約者のジェーン、そしてリンゴ夫婦は実際のところ、マハリシに大きな疑問は抱いていたが、とりあえずそういった不安は棚上げ
   にして、先発隊のジョン夫妻・ジョージ夫妻に続いて、1968年2月19日にインドに向かった 飛行機で到着したニューデリーから
   荒れ果てた道なき道を長時間車で走り続け、目的の瞑想道場へたどり着いた時、全員がほっとすると同時に、新たな不安を抱いた
   そこに並ぶのは、イメージしていた泥を固めて作った小屋ではなく、アメリカ式の設備を備えた山荘風の宿舎で、壁もきれいに
   塗られ、エアコンも完備されているばかりでなく、郵便局、ランドリー、そしてレストランまでもがあった リンゴは叫んだ
   「なんだこれは、金持ちのホリデーキャンプじゃないか!」
    〜 The Beatles / Helter Skelter
    〜 The Beatles / Come Together (Anthology 3)
     (小林)あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってたんでしょうか、ジョンは?
103ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:06:32 ID:???0
  ・1968年2月 ── インドのリシュケシュにある、マハリシの瞑想同情に到着したビートルズの4人、妻や恋人たちは、そのあまりに
   現代的な設備に驚いてしまった 本来、高い精神世界にたどり着くためである修行が、あまりにシステマチックにプログラムされて
   いたのである リンゴと妻のモリーンは、ただ単に楽しい休暇を過ごしただけで、真っ先にロンドンに帰ってしまった 涅槃を
   求めて参加した総勢60名の中には、かなりの有名人もいた ハリウッド女優のミア・ファーロー、イギリスのボブ・ディランとして
   人気急上昇中のドノヴァン そして、この修行旅行の後も熱心な信者であり続けた、ビーチ・ボーイズのボーカル、マイク・ラブ
   そして、同じビーチ・ボーイズのドラマー、デニス・ウィルソン デニスは前の年に、パリでジョージからマハリシを紹介されて以来
   ずっと興味を持ち続けていた一人である 有名無名に関わらず、参加者は全員暑さをしのげる格好で野外集会場に集まり、講習を
   受けた いろいろな実演も行われ、真偽のほどは怪しいものの、マハリシは弟子の一人を仮死状態に引き入れてみせた さらに彼は
   空中浮遊 ── つまり座ったままで空中に浮くという修行の話もしたが、実際にビートルズが宙に浮くマハリシを目にする事は
   なかった 次第に説教の時間は短くなり、それぞれの瞑想に費やす時間が長くなっていった 後にジョージは、最長36時間の
   トランス状態を経験したと豪語している こうした、つかの間とは言え、のどかな静けさがずっと得られずにいた、心の平穏を
   よみがえらせた 創造性を妨げる日常の気ぜわしさは、すべて地球の反対側にあるように見えた くつろぎ、満ち足りた時間の中で
   世界のロックシーンの代表的なアーチストたちは、新しい曲を次から次と生み出していったのである
    〜 Donovan / Sunshine Superman
104ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:23:33 ID:???0
□リクエスト
  ・克也さんのファンキーなしゃべりが好きで、毎週聞いています(春日部市/男性)
    〜 Chaka khan / Through The Fire
     (小林)ありがとうございます

  ・「All You Need is Love」を聞いてびっくりしました CMでよく聞くこの曲も、ビートルズの曲だったんですね
   リクエストは「イエスタデー」をお願いします この曲は中学一年の時、一つ上の先輩が合唱コンクールで歌っていて
   後になって、ビートルズの曲だと知りました(千葉市花見川区/性別不明)
    〜 The Beatles / Yesterday
     (小林)ビートルズが後になって分かって来て、ビートルズの偉さがだんだん分かってくるって感じですかね?

  ・昔、アメリカのフランク・シナトラという歌手が人気ありましたね 彼は日本へもコンサートのために見えた事があります
   一流の歌手であっただけでなく、ビートルズのジョージの歌である「サムシング」を褒めていましたよ シナトラは
   ビートルズとともに尊敬できる歌手の一人です 彼の歌を聴くと、勇気がわいてきます(柏市/男性/50代)
    〜 Frank Sinatra/ My Way
     (小林)その時代を代表するような歌があり ── 60年代はビートルズですかね、50年代の後半はプレスリーですかね
        そして、その前はフランク・シナトラ なんか時代で価値観が全然違うんですよね こういう価値観も今聞く
        と、いいものだと思います 若い人達はどう感じているのか ── 若い人に聞いた事があるんですよ 10人の
        内、半分以上はカッコいいといってましたね
105ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:30:27 ID:???0
         ── 先ほど、若い人の半分がシナトラのことを褒めてると言いましたが、ロック界の人間も結構褒めてるんですよ
        U2のボノが、グラミー賞で「生き方に影響された」とシナトラを泣かせたり、あとセックス・ピストルズの
        シドがちゃかした感じですけど「マイ・ウェイ」をカバーしたり、もともとフランスの歌なんですよね
        で、この曲を見つけたポール・アンカって知ってますか? 「ダイアナ」の、ポール・アンカがシナトラのために
        「この曲は良いから」ということで、シナトラのために英語の詞をつけるんです それでシナトラにプレゼントする
        んですけど、彼は六ヶ月間何もしてくれなかった 六ヶ月経って「おい、あの歌やるよ」ってでやってくれて
        感激したと

(小林)ビートルズがインドに行った話、あの頃は結構面白い話がいっぱいあるんですよ リンゴも「蚊が多いし、食べるものも俺に
   合わないから」とさっと帰ったのも面白いけど、最後にジョンは帰るときに大変な目に遭うんですよ
106ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:15:59 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月31日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月31日)
  ・1969年 (39年前)
    1969年はウッドストックの年です。そして、周りはヒッピーだらけ! ヒッピーじゃない若者も髪長いです。
    そして、ビートルズの人間は皆、髪長いです。あごひげを生やしたりしています。1969年のきょう、39年前
    ジョージ、リンゴ、ジョン、ジョージのカミさんパティ、リンゴのカミさんのモーリーン、オノ・ヨーコが
    ワイト島のフェスティバルってのがあったんですが、すごく人が集まったときなんですが、このワイト島の
    フェスティバルに、ボブ・ディランを見に行ってます。ポールはいません。この番組を聞いてる方は、ディランと
    ビートルズが会った時に、ディランがいけないものを教えたと、そしてディランは、ビートルズのヒット曲の
    「I can't hide(この気分は隠す事出来ないよ)」ってのが「I get high(いい気持ちになる)」と誤解していて
    やるなあと言った事は紹介しましたが、1962年2度目のアメリカツアーの時は、ホテルで会って夜通し語り合ったり
    ただね、ジョンは最初会った時、ディランの事を面白く思ってなかったらしいんだよね。あのフォーク野郎みたいな
    感じで。でも、ディランの音楽を秘かに聴くようになって、影響を受けるようになったと。で、ビートルズの中で
    ディランを見た方がいいよ、会いに行こうよと言ったのはジョージです。ジョージとディランは仲良くなりますね
    80年代に入ると、他のメンバーも入れて、トラベリング・ウィルベリーズを結成したりすりょうになるわけですが
    それでは、1969年ワイト島のフェスティバルでのライブ録音ということになります
    〜 Bob Dylan / Like a Rolling Stone

    レコードとまったく違うように聞こえたと思うけど、ま、バックにザ・バンドがいるという事もあるとおもうけど
    まったく違う解釈で歌ってるよね
107ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:31:26 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年の冬から春にかけて、ビートルズはインドに修行旅行に出かけた。ジョージと妻パティの強力な勧誘により
   超越瞑想の教祖であるマハリシ・マヘシュ・ヨギの教えを請う事が目的であった。彼らは、インド・ニューデリー空港に
   降り立ち、そこからリシュケシュまでの220kmあまりをジープに揺られながら走り抜き、やっとの思いで、マハリシの
   瞑想道場に到着した。しかし、ビートルズと彼らの妻や恋人たちは、そのあまりに現代的な設備に驚いてしまった。
   彼らは、ロバの背に揺られ、カンジス川の急な谷間に着いた。そこで、ロバを降り、近代的な吊り橋を渡ると、マハリシの
   瞑想アカデミーのゲートが現れた。本来ならば、ヒンズー教の伝統に則った、小枝や葉っぱを組んだ掘建て小屋があっても
   おかしくない雰囲気である。ところがその代わりにここは、一泊350ドル(数十万円)という超高級なリゾートホテルがあった
   ビートルズ御一行は、四本の柱と天涯付きのベッドが置かれ、給湯設備とエアコンが完備された部屋に入った。リンゴは
   語っている。「あれは、イギリスでも上流階級だけが利用するホリデーキャンプみたいだった。」本来、高い精神世界に
   到達する修行が、あまりにシステマチックにプログラムされていたのである。ビートルズの四人は、直感的に何かを悟った。
   これは、俺たちが求めていた、気高い精神世界とは違うんじゃないか。リンゴと妻のモーリーンは、すぐに頭を切り替えて
   「楽しい休暇」を過ごす事にしたが、リンゴはあまりの食文化の違いに驚いてしまった。リンゴの大好きな卵とポテトの
   フライが全く用意されていなかったのである。これにはガマンできず、たった10日間で修行を切り上げ、ロンドンに帰って
   きたリンゴは、雑誌メロディメーカーの取材で語っている。「あれはね、大して厳しい修行じゃなかったね。いい骨休めに
   なったんだよ。」
    〜 The Beatles / What Goes On
     (小林)すぐわかったと思いますが、リードボーカルをリンゴがとっています
108ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:47:11 ID:???0
  ・1968年2月 ── ビートルズが参加したマハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーでの修行は、イメージとはかけ離れた
   ものであった。あまりに、金がかかりすぎていたのである。霊的生活を熱心に求める、普通の巡礼者たちは、まだ真っ暗い
   午前三時にドアを乱暴にたたく音で起こされる。聖なる川ガンジスで、冷たい水を頭からかぶって、顔を洗った後、香を焚いた
   ほの暗いホールに集まり、夜明けまで二・三時間の瞑想をする。それが済むと、寺院の下に横並びに掘った穴にそれぞれが
   入って、昼食の時間まで個人個人で瞑想を行う。午後は打って変わって、蒸気の立ちこめる暑い洗濯場や公衆便所での厳しく
   辛い肉体労働が待っている。しかし、ビートルズのような金持ちの外国人には、道場での過酷な肉体労働を免れる楽なコース
   が用意されており、こうしたいわゆる金づるのためには、伝統的な食事にもかなり手がくわえられていた。しかし、それで
   もリンゴの口には合わず、妻のモーリーンは蚊に刺されるのに耐えられず、先に帰ってしまった。リンゴは、雑誌の取材に
   答えて語った。「毎朝、かなり早く起きたね。でも、とてつもなく早い時間というわけでもなかった。まず、食堂に降りて
   いって、朝食をとる。それからちょっと、散歩でもしてから、瞑想か水浴びをする。講義みたいなものはひっきりなしに
   あったね。でも、それもなんだか、だらだらした感じで、バケーションみたいなものだった。とにかく、あの瞑想センター
   は、信じられないぐらい贅沢に出来てるんだよ。」もともと、この瞑想センターの常連客には、先祖代々の遺産を受け継いだ
   富裕層や生命保険をがっぽり受け取った未亡人、離婚で使えきれないぐらい多額の慰謝料をもらった女性など、とにかく
   大金持ちが多かった。さらに、このアカデミーにはヨーロッパの白人が70人以上参加していたが、その大半はスウェーデン
   の金持ち老婦人だった。これには、マハリシがスウェーデンの南部の街マルネにもセンターを開いて進出していたという
   背景があった。超越瞑想の教祖は、抜け目のないビジネスマンだったのである。
    〜 The Beatles / Revolution 1
    〜 The Beatles / Lady Madonna (Love)
109ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:02:48 ID:???0
  ・1968年2月 ── ビートルズが参加した、インド・リシュケシュにある、マハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーには
   ヨーロッパの富裕層の老婦人が数多く参加していた。その背景にある、マハリシのスウェーデン進出作戦を見ても、彼の
   ビジネスの腕には目を見張るものがあった。さらに、カリフォルニアからやって来た若くて美しい女の子に混ざって
   ロックスターも数人いた。ドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラブ、デニス・ウィルソン。そして、フランク・シナトラ
   との短い結婚生活に終止符を打ったばかりのハリウッド女優ミア・ファーローもいた。そして、全員がインドの民族衣装を
   着ていた。サリーとゆったりしたパンツ、ぴったりしたクルタという長袖のシャツに、サンダル履きでビーズや鈴をいっぱい
   ぶら下げ、歩くたびにじゃらじゃらと音をたてた。明るい太陽のもと、小柄な黒い髪の尊師マハリシと金髪の女優ミア・
   ファーローを中心として、ロック界の有名人とその妻や恋人たちが勢揃いした記念写真がビートルズのファン雑誌に掲載された
   のである。こうした、どこかちぐはぐとした瞑想アカデミーを、実はジョンは、大いに気に入っていた。彼が欲しいもの
   すべてが満たされていたのである。プライバシーが守られ、暖かく包んでくれて、彼に要求されるものは何もなく、精神を
   十分に遊ばせるのに、ふさわしい環境に思えた。ジョンは、妻のシンシアとは部屋を別にしたいと希望し、石造りのバンガロー
   に滞在した。そこの古い絨毯を敷き詰めた部屋に、一日何時間も座り、瞑想するのではなく、ジョンは作曲をしていてのである
   ジョンは語っている。「僕の頭の中では、音楽がぶんぶん鳴り続けていた。だから、次々に曲のアイデアが浮かんで来たね。
   創造のためには素晴らしい環境だった。今まで経験した事のない、まさに曲がわき出すって感覚を実感したんだ。」
    〜 The Beach Boys / Good Vibrations
     (小林)というわけで、インドにはビーチ・ボーイズの二人も着ていましたが、これは着ていなかったブライアン・ウィルソン
        の「グッド・バイブレーション」でした。
110ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:05:20 ID:???0
□公開録音のお知らせ
 9/24(水) 夜7時スタート
 場所:舞浜クラブ・イクスピアリ
 ゲスト:中村あゆみ、中島卓偉
 75組150名様をご招待、応募はbayfmサイト参照
111ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:25:07 ID:???0
□リクエスト
  ・最近、クラプトンのビートルズ参加が話題になっています。きょうは、ポールがビートルズ以外のミュージシャンのアルバムで
   ベースを弾いてるという曲をかけてください。ポールにベースを弾いてもらえるなんて、とても贅沢ですよね。ポールの声は
   聞こえないんですが、ベースがまるで歌ってるように聞こえます。ビートルズ風でいい曲です。(市川市/男性)
    〜 Elvis Costello / Veronica
     (小林)これはどちらかというと、脂ののっていたコステロに、ポールの方からお頼みしたと言った方が良いかも良いかも
        しれませんね。 ── このベロニカってのは、高級な「ある種の」商売をする女性の事なんだろうね。彼女の写真
        を持って、戦場に出かけた若者もいたなんてくだりもあるし。

  ・先日子供たちに会いました。久しぶりだったので、小学2年の息子は背が伸びていて、中学2年の娘は都の吹奏楽コンクールで
   金賞を取ったそうで、二人とも会えなかった時間を埋めるように話をしてくれました。普通に生活していても、父親と距離を置く
   娘がいる中、今でも「パパ」と呼んでもらえる自分が幸せ者です。最近、自分の影響で娘がハマっているこの曲をお願いします
   (西多摩郡/男性)
    〜 Led Zeppelin / Whole Lotta Love
     (小林)お父さんの影響で、ツェッペリン行ってるんですね。

  ・半年ぐらい前に、僕がリクエストした吉田拓郎の「ビートルズが教えてくれた」をかけてくれてありがとうございました
   拓郎ファンの僕に取って、これ以上の喜びはありませんでした。今は亡き、安井かずみさん作詞の二十歳の頃の無邪気な自分は
   いないという隠れた名曲だと思うのでぜひお願いします。(柏市/男性)
    〜 吉田拓郎 / レノン症候群(シンドローム)
112ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:26:32 ID:???0
(小林)さあ、ビートルズはインドに滞在しています。この話の続きはまた、待っててください。
113ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:11:48 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月7日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月7日)
  ・1963年 (45年前)
    世界的にはまだ知られてませんが、イギリスでは強力なグループにのし上がって来ています。で、きょうはですね
    ロンドンのプレイハウスシアターというところで、午後1時から4時までの3時間をかけて、特別番組の録音が行われたと。
    イギリスのBBCと言ったら、音楽番組はいっぱいあるわけですが、出るのはビートルズ一つじゃないわけですよ。
    ところが、ビートルズはイギリスでスゴい人気になっていて、ファンの間から「ビートルズの人気を増やせ!」ということ
    で、だんだんBBCのショーもビートルズの特番みたいなものが増えて、このプレイハウスシアターでは、ビートルズの一人
    芝居みたいな感じです。この頃面白いのはね、だいたいアメリカでもイギリスでもテレビに出ると口パクだったわけです。
    だから、口パクだとつまらなかったんだけど、実は、ビートルズは口パクじゃなかったんです。だから、海賊版を集める
    人達にとっては、「これはすごい」ということだったんだけど、1994年になって、BBCのライブ2枚組のCDが発売されて
    います。
    〜 The Beatles / Lucille
114ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:25:53 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年2月 ── ビートルズはインドに渡った。目的は、超越瞑想の教祖マハリシ・マヘシュ・ヨギも道場で行われるセミナー
   つまり、修行に参加するため。しかし、遠い道のりを経てたどり着いた修行場所は、イメージとはまったくかけ離れたものだった。
   天蓋付きキングサイズのベッドや、高額の参加費を払っている信者に対するVIP待遇は、まるでヨーロッパの各地で見られる
   ホリデーキャンプそのものであった。もちろん、ビートルズも特別扱いされていた。このセミナーをビートルズに気に入って
   もらうことこそが、最大のビジネスチャンス ── と、尊師マハリシ・マヘシュ・ヨギは考えていたのである。このあまりに
   馬鹿馬鹿しい修行にリンゴの妻のモーリーンは、わずか10日間で別れを告げた。さっさと、ロンドンに帰ってしまった。
   しかし、ジョンは違った。修行に意味があるかどうかなんて、どうでもいい。とにかく、インドでのジョンは、作曲の意欲に
   あふれていた。彼の創造性はピークを迎えていたのである。前の年、アルバム「マジカル〜」に収録された曲「〜ウォルラス」
   で、ジョンはソングライターとしての新境地を切り開いていた。もともと、ポールと「レノン・マッカートニー」として
   どんな時でも一緒に曲を作るというスタイルではじめたジョンであった。そしてそれはむしろ「共作」というより、自分の
   苦手な部分、知識やテクニックの至らない部分を、ポールに補ってもらうという、いわば他力本願的なもの。しかし
   今は違っていた。シングル「ペニー・レイン」そして、「ストロベリー〜」で、ポールとしのぎを削って以来、ジョンには
   作曲家としての自我が本格的に芽生え始めていた。もう、ポールの手助けなんて必要ない。一人で曲を完成させることに
   意欲を見せていたのである。その意欲の炎は、ずっと燃え続けており、ここインドにいても、おさまるどころか
   ますます大きなものとなっていたのだ。
    〜 The Beatles / I am the Walrus
    〜 The Beatles / Paperback Writer
115ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:41:05 ID:???0
  ・1968年2月からのインドへの修行旅行での間、ジョンの曲作りに対してのバイオリズムは最高のポイントに達していた。
   ジョンは語る。「頭の中で常に、メロディーと言葉が鳴り響いていたんだ。だから、無理してひねり出すことはない。
   その中から必要に応じて、ピックアップしてつないでみたり、並び替えたりすればいいんだ。まさに、次から次へとわき出す
   っていう感覚だったね。」ところが皮肉なことではあるが、この一種の霊的環境の中で出来た歌のほとんどは、ジョンが
   インドへ訪れる前のノイローゼ状態を反映した内容であった。1966年8月にツアーをやめた後に陥った自信喪失。アルバム
   制作において、すべてを取り仕切り、バンドを切り盛りするポールに対するコンプレックスや嫉妬。そして一説には
   ホモセクシュアルな関係にあったとされるマネージャーのブライアン・エプスタインの突然の事故死など。この頃の
   ジョンは常に大きな問題を抱えていた。「I am so Tired」この曲は夜ごといけない体験によって引き起こされた不眠症による
   疲れを歌ったものであるし、「Yer Blues」は自殺しかねないほどの鬱状態がテーマであった。そして、「Happiness is
   a Warm Gun」の中では、やはりいけない薬を求めて歌う一節が繰り返し登場する。この曲は二つの主題を示唆していると
   されているが、一つは平和主義者ジョン・レノンとしての銃社会アメリカへの批判、もう一つはオノ・ヨーコへの性的な
   情熱であった。この頃ジョンは、学生時代からの付き合いであるシンシアには、まったく愛情を感じていなかった。インド
   でも、部屋は別々。もちろん、ジョンの希望でそうなった。そしてジョンは、インドからロンドンにいるヨーコに向けて
   何十通もの手紙を書いている。二人は恋愛関係・不倫関係のまっただ中にいたのである。「Happiness is a Warm Gun」の
   「Gun」を男性のシンボルと置き換える解釈もあり、実際性的で猥雑な曲であるという理由で、アメリカのラジオ局では
   放送禁止に指定された。ラジオ局のアルバムには、警告ステッカーが貼られることになってしまったのである。
116ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:42:01 ID:???0
    〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
    〜 The Beatles / Octopus's Garden
     (小林)直訳すると「幸せは生あったかいガン」。タイトルからして問題作ですけど、そんなに頭の想像力の中で
        動き回る曲ですからね。しょうがないですね、ビートルズも。その後は、リンゴの歌ったたわいもない曲ですが
        Warm Gunの後でかかると、なんか意味があるんじゃないかと思えてきます。
117ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:56:11 ID:???0
  ・1968年春、ビートルズがマハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーに参加している間、ずっとイギリスのマスコミは
   取材して記事を書き、ロンドンに送り続けた。雑誌や全国紙にも、ビートルズの情報は掲載された。もう何年も前から
   ビートルズ人気だけで食っているような、音楽専門紙の記者はおおむね善意を持って、ビートルズの味方として記事を
   書いていたが、これが一般紙となるとそうはいかなかった。彼らの場合、ビートルズの機嫌を取る必要は全くない。
   いつの時代もそうであるが、話題になり、発行部数が増えればいいのである。ついにイギリスの一般紙や日本で言う
   スポーツ紙に当たるタブロイド新聞は、リシュケシュのセミナーで行われている瞑想セミナーは、すべて嘘っぱちである
   とこけおろし、マハリシを詐欺師とまで決めつけた。この時点で、マハリシを師と仰ぐビートルズは弁護する姿勢を見せた。
   代表して、ジョンはこう言った。「イエス・キリストだって、救世主と言われる前に張り付けになりました。みなさん
   マハリシに対しても、同じことをするつもりですか?」しかし、ビートルズも実際のところ、このマハリシがかなりの
   やり手であるということに、気づき始めていた。ビートルズがインドに向かう前から、マハリシは4人と一緒に、アメリカの
   ABCテレビに出演するという企画をはじめていた。ビートルズの出演をマネージメントに断りもせず、勝手に約束していた
   のである。もちろん、マネージメントスタッフであるピーター・ブラウンは、マハリシのあまりの無謀ぶりに対し
   抗議と忠告を促した。しかし、効き目はゼロ。困り果てたポールとジョージは、スウェーデンのマルベにいるマハリシを
   訪問し、番組出演を丁重にお断りした。しかし、この時もマハリシはまったくいつもの笑顔を絶やさず、もしろポールと
   ジョージをなだめる側に廻った。そして、取材陣に答えてこう言った。「彼らは素晴らしい若者ですよ。おかげで私は
   とても幸せです。」
118ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:57:00 ID:???0
    〜 The Beatles / I'm so Tired
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (Love)
     (小林)オリジナルはエリック・クラプトンのギターが入ったギンギンしたものですが、こっちの方がおとなしいだけに
        こっちが本音じゃないかと思えます。クラプトンが入った方は、力みが感じられますよね。そしてその前は
        僕の個人的な体験ですけど、デュラン・デュランのメンバーの二人ぐらいは、ジョン・テイラーたちですけど
        「この曲がビートルズの中で一番好きだ」と言ってましたね。
119ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 19:19:38 ID:???0
□リクエスト
  ・この番組を拝聴してると想像力をかき立てられ、時に映像として垣間見ているようです。リクエストは、ビートルズや
   ストーンズの影響で隠れてしまった ── 克也さん、たぶんゾンビーズもジェラシーを感じていたんでしょうね(土浦市/男性)
    〜 The Zombies / Time of the Season
     (小林)ジェラシーを感じていたとしても、相手がビートルズじゃしょうがないよね

  ・TVドラマのエンディングに流れて、とても気に入った曲です。つい先日のフジロックで、彼らが雨の中のライブをやった
   そうです(茨城県新治郡千代田町/男性)
    〜 Travis / Why Does it Always Rain on Me?
     (小林)どうして、俺たちのときにいつも雨が降るんだよっていう曲ですからね。
        ※新治郡千代田町は、現在「かすみがうら市」になっている

  ・克也さんのファンキーなしゃべりが好きで、毎週欠かさず聞いています。(春日部市/男性)
    〜 中村あゆみ / 翼の折れたエンジェル<2008 VERSION>
     (小林)昔に比べて歌い方変わってるねー。何年前だっけ、結構年食ってるはずですよね?
        スペシャルパーティーで、彼女着ますから。ああ、聞きづらいかなー?
120ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 19:23:23 ID:???0
(小林)ビートルズの連中は、ポールは遅れて入るんですが、インドにいます。で、インドでエライ先生がろくなもんじゃなかった
   ってわけで、ジョンをはじめ、これはいい環境で歌が書きまくれるってわけで、ビートルズはホワイトアルバムに入る大半
   の曲を書くわけです。この経済効果でね、インド旅行でビートルズは損をしたと思われてるけど、何十億円の価値があったって
   計算している人もいますね。
121ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:55:28 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月14日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月14日)
  ・1964年 (44年前)
    ビートルズのマネージャー、ブライアンがアルバムを出すということが発表されました。何のアルバムか?というと
    彼の朗読アルバム。もちろん音楽も交えますが、その内容というのは、彼がビートルズの成功物語を本にした「地下室
    いっぱいの雑音(A Cellarful of Noise)」。これを読む、朗読のアルバムですね。それを出すということを発表しま
    した。どういうことが内容かというと、ビートルズとどうやって出会って、契約して、契約書には自分はサインをいれ
    なかった。ビートルズとして、自分がマネージャーとして嫌いだったらいつでも別れることが出来るようにしていた
    とかね。それから、ビートルズは最初は革ジャンでリーゼントの、正義感のないようなグループっていうんですかね
    いわゆるロッカー、ロック野郎だったんだけど、それをもっとオシャレに、センスアップしたのが自分であるとかだ
    とか。彼が自分の本を読んで内容を紹介するレコード。実は、この年の10月13日に、ビートルズがいつもアビーロード
    のスタジオでアルバム一枚分を録音しました。結局これは、出なかったんですね。ちなみに、彼が出した本の方は
    絶版になっていますけど、洋書の中古市場では八千円以上のプレミアがついて売られているということです。さあ
    これから貴重な音が流れますよ。よかったら録音すると良いんだよね。ブライアンの貴重な朗読からね、ビートルズ
    が、デッカレコードと契約の話をする、でもし良かったらってことで、お正月に演奏する、これはもう歴史的に有名
    な、それでも採用しなかったっていう、これはもう業界として最大の失敗だったわけですが、そのデッカのレコーディング
    までの内容を自分でしゃべっています。
    〜 Brian Epstein / I secured them ... a Beatle drink even then
    〜 The Beatles / Searchin'
122ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:56:01 ID:???0
    ポールのボーカル力はすごいですよね。自分のスタイルが出来てなかったのかな。これは、アンソロジー1に入ってる
    わけですが、ブライアンがデッカ・レコーディングのことについて言ってますね。リヴァプールから、自分も貧乏
    だとか、ビートルズはもっと貧乏で、ベッド&ブレックファスト=安宿に、20何シリングって言ってたね、出して
    泊まって、今それをやるわけですけどね。これは、デッカのデモレコーディングからですね。

□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年2月からの、ビートルズのインドへの修行旅行。これは言うまでもなく、ジョージと妻パティの強力な啓蒙と勧誘
   によるものだった。では、なぜジョージは、ここまでインドとインドの音楽に興味を持つようになったのか。その経緯を
   辿ってみることにしよう。時計の針を10年以上も昔に戻します。元々ポールの通うリヴァプール・イースティチュートの
   一つ後輩だったジョージは、ロックンロール、そしてギターに夢中になっていました。Aクラスの学級委員を務める優等生
   のポールと、Cクラスの問題児であるジョージが仲の良い友人同士であると知った先生は驚いた。それだけ、ポールと
   ジョージは対照的な生徒だったのである。二人を結びつけていたのは、もちろんロックとギター。最初はポールがギター
   を背負って、自転車でジョージの家に行った。その頃ポールから見ても、ジョージのギターの腕は確かなものであった。
   その後二人は、どちらかの家に集まって、一緒に練習するようになり、同時に学校をさぼることも多くなっていった。
   ある年の夏休み、思い立って南海岸へ三週間のヒッチハイク旅行に出かけた時でも、ジョージとポールはギターを抱えて
   いた。たいていの場合は、ポールはジョージの伴奏に合わせて歌った。ロカビリーから、歌の入らないインストルメンタル
   ナンバー。そして、カントリーに至るまで、ジョージの探究心はまさにどん欲だった。カール・パーキンス、エバリー
   ブラザーズ、そして、バディ・ホリー。ジョージとポールはラジオから流れてくる、ありとあらゆるヒット曲をむさぼる
   ように聞いた。
123ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:56:04 ID:???0
   そして二人で、ああでもないこうでもないと、ギターを弾きながらコピーにいそしんだ。そして、1957年
   7月に、ポールがジョン率いる「クォリーメン」に加入した。しかし、しばらくの間ジョージは、ジョンのバンドの取り巻き
   親衛隊だったのである。
    〜 The Beatles / One after 909
    〜 George Harrison / All Those Years Ago
124ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:59:00 ID:???0
  ・落ちこぼれの吹きだまりとして有名だった、クォリーマン・ハイスクールの仲間を集めて、ジョンが結成したバンド
   クォリーメンにポールが加わった。しかし、ポールの仲間で、ジョンの三歳年下であるジョージは、まだ子供扱い。
   バンドに入れてもらえなかった。女の子とのつき合い方も分かっていない14歳の少年は、ただ兄貴たちのバンド演奏を
   追っかけ、不良っぽくて格好良く見えたジョンの後をちょろちょろくっついて廻るしかなかった。ジョンは既にこの頃
   後に出来ちゃった結婚をするシンシアと恋人同士であったが、まだ子供だったジョージは、そのことが良くわからず
   ジョンとシンシアが行くところなら、どこでも着いて行った。自分が邪魔であることすら、分からなかったのである。
   これに困り果てたジョンは、ある日ジョージを振り切ろうと、わざとホラー映画が上映されている映画館に入った。
   案の定、ジョージは恐れをなして、家に帰ってしまった。こんな幼いジョージだったが、ギターに関しての情熱だけは
   誰にも負けなかった。そしてついに、ジョンは折れた。次のライブに間に合わせるために、メンバーの補充が必要だった
   のである。親分であることを誇示したかのように、ジョンはバンド仲間を集めて、オーディションを行うことにした。
   場所は、リヴァプールの街を走るバスの二階席。ジョージは難しいインストルメンタルを完璧に弾いてみせた。ジョン
   も、これには感心した。しかし、親分としての体裁は保ったまま、「よーし、ジョージ。これでお前も、俺たちクォリーメン
   のメンバーだ。だけど、もっともっと練習してウマくなれよ。ちょっとでもさぼると、クビだからな。」ジョージは
   天にも昇る嬉しさだった。こうしてジョージは、次第に大人として認められるようになった。1959年にクォリーメン
   が解散し、シルバー・ビートルズ、そしてビートルズへと発展して行く中、ジョージはギタリストとして頑張り続けた。
   リヴァプールやイギリス国内にとどまらず、ビートルズはドーバー海峡を渡って、ドイツのハンブルグへも長期のツアー
   に出かけた。連日連夜8回以上のステージで、演奏力も客のあしらい方も、ずいぶん鍛えられた。
125ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:59:02 ID:???0
   しかし、ジョージがどんなに頑張っても、常にそれを上回るのが、ポールの才能だった。
    〜 The Beatles / Long Tall Sally
    〜 Geoge Harrison / Dark Horse
126ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 19:16:10 ID:???0
  ・1950年代のアマチュア時代から60年代初め、ビートルズの初期、ジョージの演奏は確かに評価されていた。もちろん
   ジャズやブルースのギタリストのようにずば抜けたテクニックを見せるわけではないが、ポップなセンスにあふれていた。
   そしてビートルズには、人を引きつけてやまない何かがあった。1962年の元日、マネージャー・ブライアンの頑張りで
   ついに大手のレコード会社デッカのオーディションを受けることになった。リヴァプールから南に向けて、積載重量
   オーバーのビートルズのバンは走り続けた。荷物を少しでも多く載せるために、ジョージは膝の上にアンプを乗せていた。
   運転手は、この時のドラマー、ピート・ベストの家の下宿人で、会計士をやっていたニール・アスピナル。後に、
   ビートルズの会社アップルの重役になる男である。途中、雪が降り始め、寒さと不安で次第に笑いがなくなっていった。
   安宿に泊まり、粗末な朝食をとって、彼らはデッカレコードに乗り込んだ。この日ビートルズが演奏したのは15曲。
   オリジナルは3曲だけで、残る12曲はいつもライブで演奏しているカバー曲である。普通であればお手の物であった
   演奏が、体調のせいか、ジョンとポールの演奏が今ひとつであった。結果、この日頑張ったのはジョージただ一人。
   オーディションに立ち会ったデッカレコードのディック・ロウとマイク・スミスによると、ジョージはビートルズの顔に
   なるべきメンバーであると見なされていた。それに他の三人に比べて、無邪気さの残っていたジョージは口数も多く
   積極的なキャラクターになる資質十分と印象を与えた。結果、この日のオーディションは不合格だったが、もし合格して
   いたとしたら、デッカレコードの方針で「ジョージ・ハリソン&ビートルズ」でデビューしていたという想像も飛躍しすぎ
   ではない。それほど、ジョージは評価されていたのである。
    〜 The Beatles / Take Good Care of My Baby
    〜 The Beatles / I'm a Loser
127ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 19:35:20 ID:???0
□リクエスト
  ・このところ60年代70年代に活躍していたグループの再結成が相次ぎました、去年のツェッペリンの再結成で一段落した
   ような感がありました。しかし今年になって、誰も思いもよらなかったグループが初来日しました。私が彼の音楽と出会った
   のは、深夜着けっ放しにしていたラジオから流れて来た曲。どこか無表情なコーラスをバックに、追いかけるようなけだるい
   ボーカル。そして、まとわりつくようなグルーブ。曲は熟睡していた私を叩き起こしました。このような形で、音楽の力を
   実感したのは、これが初めてでした。(横浜市/男性)
    〜 Sly & The Family Stone / Family Affair

  ・エリック・クラプトンの登場で、彼のことを思い出しました。最近クラプトンとアルバムを作りましたが、彼も年を重ねる
   毎に、味わい深いアーチストですね。(住所不詳/男性)
    〜 The Spencer Davis Group / Gimme Some Lovin'

  ・最近、レンタルショップでこの番組のリクエストコーナーの元ネタ「トゥルー・ロマンス」を借りてきました。暴力も
   エロスもあるのに、作品全体に物悲しさがあり、ラストはグッドエンド。スゴくいい映画でした。もちろんBGMの「You're
   So Cool」もピッタリでした。おもわぬ良作に出会いました。これもやっぱり、ビートルズから始まってるんでしょうね
   (つくば市/男性/つくば大学1年生)
    〜 The Beatles / Yes it is

(小林)どうしてビートルズはインドに行くことになったのか? というわけで、途中からジョージの話をしていますが
   それで、もっとビートルズの音楽的な深さが分かると思います。もし、ジョージがいなかったら、ビートルズのニュアンス
   は生まれなかったと思うけどね。
128ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:12:48 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月21日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月21日)
  ・1965年 (43年前)
    ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで、イギリス・アート・フェスティバルの一環として
    「ブライアン・エプスタイン ポピュラー音楽の夕べ」というコンサートが開かれます。どういうコンサート
    かというと、ビートルズじゃないんですよ。ムーディ・ブルースが入っていました、他のグループも入って
    いたんですけど。この頃、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインはNEMSの社長であります。
    彼がマネージするのは、ビートルズばかりじゃないわけです。彼にとって、人生最高の年になっています。
    まず、ビートルズの曲が軒並みナンバー1。映画「ヘルプ!」が絶賛上映中。で、ブライアンは、元々
    コンサートで儲けようとしてましたからね。フランスやイタリア、スペイン、それからアメリカ、大盛況です。
    そんな中、ビートルズばかりじゃなくて、ムーディ・ブルースという、かなりビッグになるグループも押さえ
    ていたということで。ムーディ・ブルースのリード・ボーカルが、デニー・レイン。分かりますか? ポール
    が解散してウイングスを作りますね? ウイングスの中心(が)、デニー・レイン。ギタリストであり、ボーカ
    リストです。ムーディ・ブルースってのは、後になってプログレで有名になるんですけど、この頃はリズム&
    ブルースバンドです。だから、デニー・レインがボーカルをとっていた曲は、ウイングスのアメリカのライブ盤
    にも入っていたおなじみの曲があるんですけど。
    〜 Moody Blues / Go Now!
129ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:28:40 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・60年代の初期、ビートルズがデビューするかしないかの頃のジョージは、ギタープレイヤーとしては、まずまず
   その腕を認められていた。ステージでは、何曲かのボーカルのレパートリーもあり、デッカレコードのオーディ
   ションの時は、審査員が4人のなかで最も光るものを感じたと語っているほどである。しかし時間が進むにつれ
   ビートルズは自分たちの本当のセールスポイントを見つけ始めていた。それは、誰にも書けない最高のオリジナル
   ソングで勝負することであった。もちろん、ソングライターはジョンとポール。後に、20世紀最高の作曲家チーム
   と称されることになる、レノン・マッカートニーである。こうなると、ジョージは完全に裏方に徹するしかなかった。
   見よう見まねで作曲はしてみたものの、やはり能力ではジョンとポールに大きく水をあけられていた。ビートルズの
   記念すべきデビューシングルは「Love Me Do」。主にポールが書いた曲で、歌はジョンとポールのツインボーカル。
   目立っているのは、ジョンのブルージーなハーモニカ。ビートルズを不合格にしたデッカレコードの社員は、ジョー
   ジを最も優れたメンバーと見なしたが、実際に契約することになり、デビューが決まったEMIパーロフォンのプロ
   デューサー、ジョージ・マーティンは、ポールが何事に置いても突出した才能を持っていることを見抜いていた。
   それでもあえてポールをメインにせず、4人が対等に平等に目立ち、それぞれのキャラクターを打ち出すという
   新しいスタイルで行くことを決めたのである。これが成功した。ボーカルとコーラス、そして、ビートとハーモ
   ニーが、まさに渾然一体となって吹き出してくる。これが登場した頃のビートルズの圧倒的な魅力であった。もち
   ろん、ジョージはバンドのリードギタリストであり、重要なコーラス要員であり、そしてアルバムの中やステージ
   では、何曲かリードボーカルをとる曲もあった。しかし、まだ自分が書いた曲は採用されない。どこか、モヤモヤ
   とするジョージであった。
    〜 The Beatles / Do You Want Know a Secret
    〜 The Beatles / Nowhere Man
130ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:44:18 ID:???0
  ・1963年3月に発売されたビートルズのデビューアルバム「Please Please Me」、このアルバムの中でジョージが
   リードボーカルをとる曲は「Do You Want Know a Secret」ただ一曲。もちろん、ビートルズは一人でボーカルを
   とる曲だけではなく、彼らが強い影響を受けたアメリカのエバリー・ブラザーズにならったツインボーカルや
   さらにそこに対旋律のようにコーラスが加わるといった、多彩なスタイルがおハコである。言い換えるなら、
   コーラスなくしてビートルズの楽曲は成り立たなかった。「あーあ、オリジナルオリジナルって、みんな口を揃えて
   言うけど、リバプールやハンブルグじゃ、ロックンロール、リズム&ブルース。客はみんな、そんなのを聞きたがって
   リクエストしてきた。俺たちもそれに答えた。楽しかったよなー。それじゃ、いけないって言うのかよ。つまんね。」
   この頃まだ、ジョージは子供だったし、アーチストとしての自我もエゴも確立されていなかった。そしてもちろん
   ビジネスも分かっていなかった。カバー曲の場合、曲の著作権はオリジナルの作曲家に入り、当然ビートルズの取り
   分は印税だけである。しかし、これがオリジナル曲となると、レコードがヒットした場合の収益は、何倍何十倍、
   いやそのヒット具合では、桁が全然違ってくる。さらに、それが他のシンガーにカバーされて大ヒットになったとしたら
   それは計算のしようがないものになる。この事を、レコード会社のプロデューサーである、ジョージ・マーティン
   マネージャーのブライアンはもちろんであるが、それ以上にポールがシビアに考えていた。お金という分野に関して
   ポールは既に大人であった。そして、周りに尻を叩かれながらも、ジョージはビートルズがデビューしてから、最初の
   曲を書いた。タイトルは「Don't Bother Me」。僕の事はほっといてくれという意味であるが、一節にはツアー中に
   ある友人から手紙をもらった事がきっかけとなって、この曲が出来たと言われている。その手紙は「ジョンもポール
   も曲を書くのに、なぜジョージ、君は書かないのかな」というもの。ジョージは、カチンときた。そして、その回答
   が曲のテーマになった。Don't Bother Me、うるさいな! 僕の事はほっといてくれ!!
131ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:46:12 ID:???0
    〜 The Beatles / Don't Bother Me
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

   Strawberry Fields Foreverは67年ですが、この頃になると、ジョージの影響がビートルズの曲に現れますよね。
132ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:04:07 ID:???0
  ・ビートルズ二枚目のアルバム「With the Beatles」は、1963年11月に発売された。この中の三曲でジョージは、リード
   ボーカルをとっている。一曲は、リバプール時代からの得意なナンバー。チャック・ベリーのロックンロール、
   「Roll Over Beethoven」。ジョージは、ここでも素晴らしいギタープレイを見せている。二曲目はジョージが選曲した
   黒人女性ボーカルグループの曲「Devil in Her Heart」。ちょっと頼りなさはあるものの、ジョンとポールに支えられて
   マージービートらしい仕上がりとなっている。シブい曲を出してきたあたりにも、ジョージのこだわりが感じられる。
   そして三曲目は、ジョージの最初のオリジナル曲「Don't Bother Me」。さすがにリバプールやハンブルグで鍛えられた
   基礎体力がある。堂々たる、歌いっぷりを見せている。ここでジョージは、本来の自分を取り戻した。「そうだよ、
   昔から俺は歌っていたし、ポールと一緒に曲も書いていた事もある。なんだ俺、出来るじゃないか。さあ、もっと曲を
   書かなきゃ。ジョンやポールになんか、負けていられない。」元々ジョージは謙虚な青年であったし、努力を怠ること
   もなかった。ギターを弾かない日はなかったし、とにかく自分がミュージシャンでいられる事に喜びを感じていた。
   しかし、1963年のこの時点で、作曲の神様はまだジョージのその技をプレゼントしてはいなかった。それでも、何とか
   ジョージは、ジョンやポールに追いつこうと必死になって頑張った。しかし、ジョンとポール、そしてプロデューサー
   のジョージ・マーティンの検閲は厳しい。プロの仕事とはこういうものであると、思い知らされた。結局、ジョージの
   曲は、二枚目のアルバムに「Don't Bother Me」が収録されて以来、2年近くも採用される事がなかった。ジョージの
   才能はこのままどこかに、葬り去られるように見えていた。
    〜 George Harrison / Isn't it a Pity
    〜 The Beatles / In My Life
133ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:05:17 ID:???0
   いやー、ビートルズのスゴいミックスを聞いた気にならないですか?
134ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:18:08 ID:???0
□リクエスト
  ・私は、モンキーズが大好きでした。あまり、ラジオとかでは流れてこないので、この曲をよろしくお願いします。
   (江東区/女性)
    〜 The Monkees / Daydream Believer

  ・毎週、ソファーに座って聞いています。ラジオへのリクエストは、人生初なのでよろしくお願いします。
   (横浜市/男性/45歳)
    〜 The Beatles / We Can Work it Out
      (小林)人生初かー。大体、ラジオへのリクエストって、ティーンエイジャーの頃、出さない? だけど、初めて
        のリクエスト、めでたい事じゃないですか。

  ・シナトラが好きな50代の方のリクエストを紹介されていましたね。ジョージは、シナトラのレコーディングをパティを
   共らって見学した事があるんです。90年代に発売されたシナトラのワーナー時代のCDボックスに写真が掲載されて
   います。この時、吹き込まれた曲は「サムシング」ではないようですが、曲は不明です。後にジョージがワーナーに移籍
   して、レーベルを立ち上げるのも、シナトラに影響されたのかもしれません。(調布市/男性)
    〜 Frank Sinatra / Something
      (小林)というか、シナトラもワーナーのリプリーズの社長です。ジョージも、ダークホースの社長です。面白いのは
        シナトラのリプリーズというのは、社員が頑張って、ロックのレーベルとして、御大シナトラよりもはるかに
        売れる曲が入ってきて、リプリーズは違う発展をするんですよね。で、シナトラという人は自分で曲を書かない
        ですから、彼の運命というとおかしいですけど、曲選びにかかってるんですよね。
135ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:25:08 ID:???0
(小林)このところ、ジョージにスポットを当ててお送りしていますが、ジョージが亡くなった時ね、ジョージ・マーティンの
   インタビューを聞いたんですけど、ポールとジョンはすごい天才だった、その間にはさまれて、よくつぶれなかった
   それどころか、ポールやジョンに負けないような曲を書くようになった、すごい男だよって、最後には亡くなった後
   ジョージ・マーティンが褒めてるのが印象的でした。
136ポール・キロックトニー:2008/09/28(日) 18:22:35 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月28日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

(小林)こんばんわー! きょうはスペシャルパーティーです。よろしくおねがいします。若い女性が特に目立ちますよね。
いつもとちょっと、例年と違う感じがするんですけど。やはり日本は老人が引っ込むようになったんでしょうかね。
一番若いと思われる方に、ちょっと聞いてみたいと思います。
(お客さん)ひ、ひどい..。
(小)お名前..、若いつもりで..。
(客)ちよみです。
(小)どこから?
(客)お隣の江戸川区から、橋を超えてきました。
(小)きょうは何を目当てに着たんですか?
(客)克也さんを見に来たんです。
(小)ありがとうございます!そして、きょうは音楽のゲストがスゴいんです。帰ってきたハスキークイーン。ハスキークイーン
って誰だ?って思ったら、中村あゆみ。翼が折れてなかったんですね、中村あゆみさんを迎えます。
(客).....あゆみちゃ〜ん
(小)遅い!後、中島卓偉君。そうそう、もうすぐ誕生日なんですよ、10月19日が。そういえば、30になるんじゃないかな。だから
今ブレーキかけてる、そんな中島卓偉君が、ジョンとかジョージとかと同じギターを持ってくるはずです。
(客)たくいーー!
(小)小林克也もお願いします。
(客)かつやー!
(小)ビートルズから始まる、この番組は石井食品の提供でお送りします。
137ポール・キロックトニー:2008/09/28(日) 18:37:50 ID:???0
(中島卓偉)この番組はファンでよく聞いていまして、いつか出たいと思ってました。ライブは緊張しないんですけど、番組に出るって
ことで、すごく緊張してます。
    〜 明日はきっと風の中
    〜 Nowhere Man
    〜 LILY
138ポール・キロックトニー:2008/09/28(日) 19:00:35 ID:???0
(中村あゆみ)帰ってきたと紹介がありましたが、ぜひあの頃にタイムスリップして、楽しい時間を過ごせたらなと思います。
    〜 翼の折れたエンジェル
    〜 シェリー
    〜 Drive My Car
139ポール・キロックトニー:2008/09/28(日) 19:09:53 ID:???0
(小)それではまた、お二人をお迎えください!
    〜 中島卓偉&中村あゆみ / Don't Let Me Down

(小)いかがでしたでしょうか、もう本当に音楽のごちそう、そして本当のごちそう、石井食品のフードなんかもいただきましたが
いかがでしたかー?
(客)楽しかったし、おいしかった!
(小)ほんとに?(客・笑) どんなところがおいしかった?
(客)味がスゴいおいしかった(客・笑)
(小)音楽は誰が良かった?
(客)中村あゆみちゃん(客・笑)
(小)どんな曲が良かった?(客・笑)
(客)レット・イット・ビー!(客・笑)
(小)レット・イット・ビー! レット・イット・ビー、やるのかな?いやややや...。で、本当に素晴らしい雰囲気の中でお送りしました。
この番組は石井食品の提供でお送りしました(拍手)。
140ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:08:37 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年10月5日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月5日)
  ・1962年 (46年前)
    46年前の話をするなんて、ビートルズだから成り立つわけですね。46年前のきょう、記念すべきデビューシングル
    リンゴ・スターがちゃんとドラムをたたいているバージョン「Love Me Do」が発売になりました。リンゴがドラムを
    いて録音したのは9月4日なんですけど、このマスターテープは、プロデューサーのジョージ・マーティンが「ヘン!」
    ってわけで「こりゃダメだよ!」ってことでボツにしちゃったんで、だからリンゴがドラムを叩くテイクは
    「パスト・マスターズvol.1」に入っているんですけど、マスターテープはないので、レコード盤から起こされた音に
    なっています。発売当初、デビュー曲はどうなったかというと、イギリスでは17位。リバプールを中心に売れました。
    マネージャーのブライアン・エプスタインが、ビートルズのシングルを買い占めたんじゃないかっていう噂もありました。
    アメリカでは、ビートルズが有名になってからですから、1964年5月に発売になって1位を獲得。年間ランキングでは
    26位だったと。ま、どうでも良いかもしれませんが。リンゴが叩いてないバージョンと叩いてるバージョンと二つある
    わけですけど。きょうの一曲目は、叩いているバージョンです。
    〜 The Beatles / Love Me Do
141ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:11:27 ID:???0
    この頃は、プロデューサーはリンゴのドラムを気に入らなくて、有名なスタジオミュージシャンにやってもらったという
    のは、おなじみの話ですが、そっちの方はアルバムバージョンとして採用されていて、シングルがリンゴがドラムを叩いて
    いたと。微妙な違いがあるんだよね。
142ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:24:01 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1963年11月に発売になった、ビートルズ2枚目のアルバム「With The Beatles」に収められた一曲「Don't Bother Me」は
   メジャーデビュー後、最初にジョージが書いて、リードボーカルをとった曲である。出来はまずまずであったし、メンバー
   スタッフの中では評判も高かったし、ファンの間でも人気のある曲だった。しかし、この曲以来、3年後の1965年のアルバム
   「Help!」まで、ジョージの作品はレコーディングされていない。つまり、不採用となっているのだ。その原因はもちろん
   ジョンとポールの検閲が厳しかったからであるが、ジョージがどんなに隠れた才能を持っていたとしても、20世紀最大の
   ソングライターチームと称されるレノン・マッカートニーを納得させることは、この時点ではまだまだ無理だった。それに
   1964年2月にビートルズがアメリカに進出し、全世界のトップアイドルとなって以来、彼らはコンサートツアーに明け暮れた。
   1964年はデンマーク、香港、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダを20カ所以上、そして、イギリスに
   戻って一ヶ月以上。さらに、年末年始は毎年恒例となっているファンのためのクリスマスショーのシリーズ公演がある。
   これ以外にレコーディングにインタビューに、写真撮影に、初の主演映画「ハード・ディズ・ナイト」の撮影。これでは
   ゆっくり曲を書く時間も取れないのも当然。ジョンとポールは、それぞれが別に曲を書き始めたとしても、完成させる段階
   では、お互いにアイデアを出し合い、助け合いながら作業をしていた。これに対し、ジョージはいつも一人だった。効率が
   まるで違っていたのである。そんな中、ビートルズの3枚目のアルバム「ハード・ディズ・ナイト」のために、ジョンが一曲
   書いた。曲のタイトルは「I'm a Happy To Just Dance With You」。いつになく、さらさらと書き上げてしまったジョンだったが
   どうもキーが自分の声にあわない。そこで、ジョージに歌わせることにした。この曲を映画の中で歌うジョージに、女性
   ファンの熱い視線が集中した。しかし、自分が書いた曲ではないことが、不本意でたまらなかったのである。
143ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:30:11 ID:???0
    〜 The Beatles / I'm a Happy To Just Dance With You
    〜 The Beatles / Honey Don't

   カール・パーキンズのヒット曲です。リンゴ・スターに1973年にインタビューしたことがあるんですけど、「一番好きな曲
   は何?」って聞いたら、「カール・パーキンズのブルースェード・シューズが一番好きな曲だ」と言ったことがあるんですけど
   4人はカール・パーキンズという人が大好きで、ファーストクラスのチケットをナッシュビルに送って、わざわざロンドンに来て
   もらって、録音するんですよね。で、お土産を持たせて帰らせる。カール・パーキンズは、家に帰ったら子供たちから
   「えー!ビートルズと一緒に演ったの?」っていう、「おとうさんスゴいだろ」と自慢したという話もあるぐらいです。
144ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:41:52 ID:???0
  ・ギタリストとしては、まあまあ認められた。しかし、シンガーとして、さらにソングライターとしての評価はほとんど得られない
   ジョージ。しかし、いやがおうにもコンサートツアーのスケジュールは、びっしり入っている。1964年、ビートルズは100本
   近くのステージをこなした。コンサートと言っても、ステージに上がれば大勢の客の絶叫の嵐で、サウンドシステムも1964年
   当時ではほとんどないものに等しかった。リバプールのキャバーンに出ていた頃は、自分たちのアンプで十分だった。店の
   サウンドシステムで事足りていたし、ドラムスにマイクを立てるなんて、レコーディングでもない限り、見たことも聞いたことも
   なかった。そのサウンドシステムの大切さが、ここに着て良く理解できた。スタジアムでの公演の時などは、野球のゲームの時に
   うぐいす嬢が選手を紹介する声を流す拡声器のようなメガホンから、ビートルズの演奏が流された。もちろん、音質なんて最悪。
   聞けたもんじゃない。それでも、聞こえる時はまだ良い方であった。何千何万という、ビートルズの熱狂的なマニアを前にして
   彼らのアンプや会場のサウンドシステムなんて、まったく役に立たなかった。聞こえなかった。それどころか、自分たちが今
   どの曲のどの部分を演奏しているのか、歌っているのか、それを判断することもおぼつかないぐらいであった。それでも
   ビートルズはきっちりと演奏し、コーラスを決めることを心がけた。しかし、会場によっては、それも不可能である。
145ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 18:49:16 ID:???0
   そんな夜は、ジョンが率先して、いたずらに走った。彼らはマイクの前で、歌うふりをして、実際には声を出さない。つまり、「口パク」
   をやってみたり、曲の途中で本来とは全く違うコードで、ギターを鳴らせてみたりした。しかし、そんな行為も嵐のような絶叫
   の前では、何の効果もなかった。誰一人、気づいてくれないのである。これには、4人もビックリし、特にジョージは落胆した。
   ジョンとポールは、アルバムとシングルで自分たちの曲のスゴさを認めてもらえる。リンゴは、映画「ハード・ディズ・ナイト」で
   演技力を評価された。しかし、コンサートで自分をアピールするしか、ビートルズとして存在する意味がない。こうして、ジョージ
   のストレスは溜まって行くのである。
    〜 The Beatles / I Me Mine
    〜 The Beatles / Across The Universe (World Wide Fund for Nature)

   そりゃ、ポールやジョンのボーカルと比べると、ジョージは存在感というか、影が薄いというのは、まあしょうがないですけど
   ジョージじゃないと出ない、優しさみたいなものはある。そんなボーカルですね。
146ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 19:04:08 ID:???0
  ・自分の書いた曲が、なかなかアルバムに採用されない。ストレスを溜め込むジョージであったが、ついに自分の曲が採用される
   チャンスが到来した。それは、ビートルズ2作目の主演映画となる「Help! / 4人はアイドル」の封切りにあわせて発売される
   アルバム「Help!」に収録される予定の2曲「I Need You」と「You Like Me Toomuch」。「I Need You」は、ボブ・ディランに
   ならった韻を踏んだ詩を書いて、作詞家としての才能を見せ、サウンドの面でも、従来はスチールギターに使うボリュームペダルを
   効果的に使っている。「You Like Me Toomuch」では、ギタリストのジョージが珍しく、ピアノを中心としたアレンジを考えた。
   ジョンがエレクトリックピアノ、ポールとジョージ・マーティンが生ピアノで、ジョージの曲をもり立てた。と、ここまでは
   良かったのだが、このレコーディングでは、かなりショッキングな場面に出くわしてしまった。ポールが自分で書いた2曲、
   「The Night Before」と「Another Girl」。そして、ジョンとの共作で、ライブでも演奏することとなる「Ticket To Ride」で
   ジョージを差し置いて、ポールがリードギターを弾いて録音してしまったのである。確かに、ポールはビートルズの前身グループ
   クォーリーメンにいてはギタリストで、ハンブルグでも最初はギタリストとして参加していた。ベースに転校したのは、
   スチュアート・サトクリフが画家になるために、バンドを抜けたことが原因だった。それに、ポールはギターだけでなく
   ピアノもドラムも、何でも器用にこなす。ミュージシャンとしては、誰もがうらやむ才能にあふれていた。しかし、プロとして
   メジャーのEMIからデビューした今、ジョージの内面には、リード・ギタリストとしての自我が完全に出来上がっていたのである。
   ソングライターとして、うまくやって行けると思い始めた矢先の出来事。まさに、「一難去ってまた一難」だったのだ。
147ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 19:08:06 ID:???0
    〜 The Beatles / You Like Me Toomuch
    〜 The Beatles / Ticket To Ride
148ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 19:24:50 ID:???0
□リクエスト
  ・いつも聴いている曲が流れると嬉しくなります。最近読んだ伊坂幸太郎さんの本に出てきたゴールデン・スランバーズを流して
   欲しいです。ストーリーと曲がマッチしていて、とてもいいです。聞いていると安心します。(江東区/女子高生)
    〜 The Beatles / Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
      (小林)Carry That WeightとThe Endを聞かないと完結しないので、メドレーで聞いてください。

  ・世の中、決まりがたくさんで、見えない鎖がいっぱい! みんなきつかったり、苦しかったりするんですよね。音楽は、一種の緩和剤
   のように感じます。リクエストは「Take on Me」です.空を飛べそうな気分になれます。(松戸市/女性)
    〜 A~ha / Take on Me
      (小林)いやー、つながったね! Golden SlumbersからA~haまでつながりました
        音楽は色んな役目があるんですよ、一番の役目は癒してくれる。ビートルズの音楽は、そういったものがスゴいけど
        人によっては音楽を積極的に、また人間一人でも自分が弱い時は、気分を癒してくれたり、自分が強いと、一部の
        ジョンの音楽のように、一緒に怒りたい、一緒に叫びたいというのもありますね。また、ビートルズの良いところは
        ポールの音楽のように、にっこりと笑わせてくれる音楽もあります

  ・四半世紀も前ですが、ボクも受験生でした。深夜勉強をして休憩をする時は、ベランダに出てコーヒーを飲むのが楽しみでした。
   その当時、ポールの「No More...」のビデオクリップを見て、ポールがコーヒーカップを握りしめ、建物の屋上で花火を眺める
   シーンが印象に残っています。僕と似たような状況は親近感を持ちました。(江戸川区/男性)
    〜 Paul McCartney / No More Lonely Night
149ポール・キロックトニー:2008/10/05(日) 19:35:12 ID:???0
(小林)お話の方は、ジョージの内面の葛藤を話してますが、みなさん考えてください。二人の天才、ジョン・レノン、
   ポール・マッカートニー。この二人がいるってことは、大変なことですよ。ジョージ・ハリソンになって、考えたことが
   ありますか? もう、馬鹿にされるんだよ。馬鹿にされなくても、自分が小さく感じてしまうんだよ。そんな中で、ジョージが
   戦うわけです。僕は11月29日というジョージの命日が来ると、必ずプロデューサーの言葉を思い出すんですよ。ジョージが
   亡くなったときに言いました。「ジョージ・ハリソンは普通の人だったけど、偉かった。二人の天才にはさまれて、普通
   だったら潰されてしまうところ、潰されるどころか自分のものを作り出した。」
150ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 18:32:18 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年10月12日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月12日)
  ・1969年 (39年前)
    ビートルズにとってはもう後半、終わり頃です。デトロイトのFM局WKNRのラス・ギブスが、放送上で「実は、この放送局に
    匿名で電話があった」と放送するんです。その人間が言うには「1966年の11月9日、ポールはアビーロードスタジオで
    メンバーと言い争って、レコーディングをやめて、スタジオの外へ飛び出して行った。自分のアストンマーチンを運転して
    衝突事故を起こして、死亡したようだ。亡くなっているんだ、ポールは。」ということを放送で言っちゃったばかりに
    あっという間に「ポールは死んだ」というニュースが世界を駆け巡ることになるわけです。この頃は、音楽を聴いて
    深読みをする時代だったんです。「アビーロード」のジャケットを見ると、ポールが裸足で横断してるんです。で、あの服装
    は、亡くなった人の服装だとか。そばに停まっているワーゲンのナンバーが「IF28(もし生きていたら28歳)」だとか。
    みんな深読みをして、世界中の人が「ポールは死んだんだ!」って大騒ぎをしたんです。39年前の噂の話なんですが
    さらに噂は広がって、この曲のエンディングは、ジョンがぼそぼそって言うんです。それは「I buried Paul(俺はポールを
    埋めた)」って言ってるんだということで、またこの曲が売れたり、この曲を聞き直す人がいたわけです。
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

    どうでしたか? ベリーってのは聞こえるよね? 一回目フェードアウトしてから二回目のあたりで、言ってるような気がす
    るんだよね。でも、ジョンは公式に「俺は言ってない」と言ってますね。じゃあ、なんて言ったのかってのは、僕忘れま
    したが、"クランベリーソース"だとか、そういうことを言ったんだとか、ジョンが言ってますよ。それから、「俺は死ん
    でないんだ」とひげ面のポールが、スコットランド農場から出てきて記者会見をやったこともありましたね。
151ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 18:52:40 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・1964年初頭にアメリカを制覇し、一躍全世界のトップアイドルとなったビートルズ。こうなると、マネージャー、ブライアン
   ・エプスタインが代表を務める事務所NEMSには、世界中からコンサートツアーの依頼が舞い込むようになった。資料を紐解く
   と、この年だけで100本を越えるステージを、ビートルズはこなしている。100本というと意外と少ないなと思う方もいるかも
   しれないが、ビートルズの100本は、あの何万人もの絶叫の中の100本である。その消耗の度合いは、普通のステージの5倍
   いや10倍に達すると言っても過言ではない。しかし、いくらツアーが忙しいとは言っても、EMIとのレコーディング契約もある。
   シングルやアルバムを出さないわけにはいかない。ビートルズは、デビュー盤の"Love Me Do"からずっとオリジナルで勝負し
   てきたグループである。曲も書かなければならない。いくらジョンとポールが天才的なソングライターチームだと言っても
   出来た曲がすべて合格というわけにはいかない。プロデューサーのジョージ・マーティンは、その道で何年もやって来た
   プロ中のプロ。彼の耳はごまかせない。毎回が真剣勝負だ。そこに、3人目のソングライターである、ジョージ・ハリソンが
   割り込むことは容易なことではなかった。2ndアルバムでやっと1曲。5枚目のアルバム"Help!"で、やっと2曲が採用となった。
   だが、曲が採用されたと思ったら、次にはポールが本来ならジョージのパートであるリードギターを弾いてしまう有様。これ
   には、ジョージのプライドも傷ついた。メジャーデビューしてからというもの、ジョージは幾度となく、かつてのドラマー
   ピート・ベストのことを思い出していた。ルックスもよく、ファンも多かった。それに、口数は少ないけど良いヤツで、ドラム
   の腕も悪くなかった。なのに突然クビになった。もちろん、リンゴの方が人気も腕も上であった。だけど、まさかクビなんて。
   自分も間もなく、ピートみたいに突然解雇なんてことになるんだろうか。またしても、よからぬ被害妄想に陥るジョージだった。
152ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 19:08:15 ID:???0
  ・俺はビートルズをクビになるのか? ジョージがそんな被害妄想に陥る原因は、他ならぬポールにあった。かつては近所に住んで
   一緒の学校に通い、一緒にギターを練習した仲だった。しかし、世界のトップグループになった今、彼らにとってロックはビジ
   ネスになっていた。プロになった以上、レコーディングにもステージにも、妥協は許されない。ポールはそういう、プロ根性の
   固まりのような男だった。それに音楽を愛する気持ちも人一倍で、スタジオでは自分の主張を曲げないことも多い。そんな
   ポールの一途な思いが、時にジョージを傷つけてしまうこともあった。アルバム"Help!"のレコーディングの時には、3曲で
   ポールがリードギターを弾いた。もちろん、公式ではリードギターはジョージである。しかし、ポールは自分のセンスを信じて
   疑わなかったのである。スタジオでのやり取りは、いつもこんな感じだった。「ジョージ、この曲のリードソロ、3回ほど弾い
   てもらったけど、もっとソウルっぽく弾けないかな?」ジョージは答える。「ソウルっぽくって、どういうのかな。もう少し
   詳しく教えてもらえないかな。」「ほら、この間買ったオーティス・レディングのレコードみたいにさ。」「ああ、スティーブ
   ・クロッパーの世界か。あれはシブすぎて、ちょっと難しいな。」尻込みするジョージにポールが切り返した。「そんなことは
   ないよ。ちょっと俺が弾いてみるから。」そう言うとポールは自分の左利き用のギターを取り出し、流暢に弾いてみせた。いつ
   もポールは、スタジオにマイギター持参で着ていたのである。ここまでされると、ジョージに出番はない。明らかに自分より
   表現力が豊かなのである。「ポール、それで良いよ。君のギターの方がこの曲には合ってるんだから。」こうして、アルバム
   "Rubber Soul"の"Drive My Car"、"Revolver"の"Taxman"でも、ポールの冴え渡るギターソロが採用された。こうしてポール
   は、ギタリストとしてもアレンジャーとしても、着実に自信を持ち、反対にジョージはグループの中に置ける居場所に疑問を
   持つようになったのである。
    〜 The Beatles / Drive My Car
    〜 The Beatles / Taxman
153ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 19:09:52 ID:???0
>>151の後に、↓が抜けていました

    〜 George Harrison / This Guitar (Can't Keep from Crying)
    〜 The Beatles / Revolution 1

   ぼーっと聞いてると、本当に優しいサウンドですが、その中に本当にスゴいものを毒のようなものを盛り込んでいる曲でもあり
   ます。
154ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 19:24:36 ID:???0
  ・1964年、ビートルズは人気の絶頂の中にいた。そんな中制作された、ビートルズにとって2作目となる映画が"Help!(4人は
   アイドル)"。メガホンをとるのは、"A Hard Day's Night"と同じリチャード・レスター監督。この映画に、インド料理屋の楽団
   が演奏する中、男がスープの中に投げ込まれるギャグシーンがあるが、撮影の合間にジョージは、初めてシタールを手にとって
   みて、"面白い音がするな"と感じた。そして、あまり日を置かずにシタールを手に入れると、今度は演奏家であるラビ・シャン
   カールの名を何度も耳にするようになった。そして、カリフォルニアのバンドで人気絶頂だったバーズのデビッド・クロスビー
   に教えてもらったラビ・シャンカールのレコードを買うと、何度も何度も聞き込んだ。この、シタールとインド音楽との出会いを
   ジョージは語っている。「僕の中のある部分が、強く揺さぶられているのが分かった。僕の知性は理解していなかったんだけど
   僕の残りの部分は、それと一体化していたという感じかな。」こうして、インド音楽に魅了されたジョージは、まだ22歳だった。
   具体的にはまだ自分たちの音楽に、インド的なものをどうやって取り入れるかは考えていなかった。ただ、イギリスやアメリカ
   では、ロック以前からジャズや映画音楽で、インドを始めとする東洋の音楽をうまく取り入れた作品もあった。そしてちょうど
   この頃、1965年ロンドンではちょっとしたインドブームが起きていた。既に人気グループになっていたキンクスとヤードバーズ
   がインド音楽に影響を受けたシングルを出し、翌年1966年になるとローリング・ストーンズは、ブライアン・ジョーンズが弾く
   シタールをうまく使ったシングル"Paint it Black"で、3枚目のイギリスNo.1を獲得することになる。ジョージがビートルズに
   インド音楽と文化を持ち込むのは、そう先のことではなかったのである。
    〜 The Yardbirds / Heart Ful of Soul
    〜 The Beatles / She Said She Said
155ポール・キロックトニー:2008/10/12(日) 19:41:35 ID:???0
□リクエスト
  ・先週初めて番組を聞いて、初めてリクエストします。ツェッペリン、拓郎がかかっていたので、ビートルズ関連なら何でも良いん
   ですよね。ビートルズと言えば、ポール。ポールと言えば、カミングアップ。カミングアップと言えば、テクノ。テクノと言えば
   YMO。ライディーン。僕はビートルズマニアですが、家内はYMOの方が好きなので、今後もボリュームを上げて聞き続けるために
   よろしくお願いします。(横浜市/氏名不詳)
    〜 Yellow Magic Orchestra / Rydeen

  ・ビートルズは、キレイ好きな父の影響もあり、父が家を掃除する時に流していたので、耳にしていました。今回リクエストしたい
   のは、R&Bのツイスト・アンド・シャウトです。ずっとビートルズの曲だと思っていたので、原曲があると知り、ビックリしまし
   た。(柏市/女性)
    〜 The Isley Brothers / Twist and Shout
      (小林)ビートルズはカバーをやってますが、原則的にあまり有名でない曲をやっていたみたいです。そりゃそうだよね
        例えばプレスリーをやったりすると、プレスリーのイメージが強いから、自分たちのイメージが消えちゃうじゃない
        ですか。でも、アイズレー・ブラザースだとソウルだけど、ジョンがやるとハードロックになるんですよね。

  ・こないだの放送で、ポールが他のアーチストに参加した曲をやってましたが、今度はジョージをお願いします。ミスマッチのよう
   な組み合わせですが、ビートルズ解散後にジョージのスライドギターが聞け、ベリンダのさわやかなサウンドにも、うまく味付け
   されています。(浦安市/男性)
    〜 Belinda Carlisle / Leave a Light On
156ホワイトアルバムさん:2008/10/18(土) 20:32:57 ID:???0
大いなる伝説って、この番組のパクリやないけ!
157ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:10:14 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年10月19日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月19日)
  ・1967年 (41年前)
    ジョージとリンゴが、スウェーデンに飛びます。コペンハーゲンを経由してということなんですが、その目的は
    スウェーデン南部のマルネという都市の郊外にあるヨーロッパの裕福なご婦人方の超豪華な施設、そこにいるのは
    マハリシ・マヘシュです。この頃ちょうど、彼と知り合うことになって、ビートルズの全員が興味を示すわけです。
    で、この二人が何故行ったかというのは、翌年になると2月3月4月とビートルズのメンバー全員がインドに行きます
    よね。それの下見みたいな感じ。もうひとつは、このマハリシ・マヘシュという人間はくせ者で、ビートルズを利用
    してやろうという下心がある。で、米ABCテレビに「俺、特別番組にビートルズ連れて出るから」と約束したわけ
    です、ビートルズの許可なしで。その頃、ビートルズと行ったらスゴいじゃないですか。で、ビートルズは冗談じゃ
    ないよ、断れってわけで、その断りに行ったんじゃないかという、2つの説があります。
    さあ、それでは、ビートルズが11月に発売予定のアルバム、マジカル・ミステリー・ツアーの最終ミックスや編集で
    大忙し、アビーロードにいました。この日は、この曲の編集作業をやっていたということです。
    〜 The Beatles / Hello Goodbye
158ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:30:34 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・1964年から65年にかけて、ビートルズは人気の絶頂にいた。文字通り、世界のトップアイドルとして、王座に君臨していた
   のである。しかし、リードギタリストのジョージにとって、あまりにハードなスケジュールのツアーと、アルバムのレコー
   ディング。おまけに、映画撮影までもが組み込まれた毎日は、苦痛そのものであった。レコーディングでは、自分が書いた
   曲がなかなか採用されない。映画での演技には全く自信がなく、いつの間にかリンゴばかりが評価される。唯一のミュージ
   シャンとしての存在の見せ所は、ステージであるはずなのに、何千何万というビートルマニアの熱狂の元に、自分のプレイは
   完全にかき消されてしまう。もう、うんざりであった。そんな中、ジョージは映画「ヘルプ! / 4人はアイドル」の小道具に
   使われたインドの民族楽器シタールに興味を示すようになった。撮影の後、すぐにロンドンのインド人街でシタールを購入し
   毎日つま弾くようになっていた。ちょうどこの頃、ロンドンのロックシーンでは、キンクスやヤードバーズといった人気
   グループが自分たちのレコーディングにシタールを取り入れたり、インド音楽に影響を受けたアレンジを施したりしていた。
   もちろん、ジョージがそれを聞き逃すはずがなかった。自分なら、どうやってシタールをビートルズの中に反映させるか。
   それが、ジョージの課題だった。しかし、シタールはギターと比べると、構造も弾き方も難解であることこの上ない。そう
   やすやすと上達できる代物ではなかった。これは手強い。するとある日、当時アメリカの西海岸の中心で人気を誇った
   フォークロックバンド、ザ・バーズのメンバーであるディビッド・クロスビーがシタール音楽の巨匠と言われるラヴィ・シャン
   カールのレコードを教えてくれた。もちろん、すぐに買いに行き、何度も何度も聴きあさった。そして、このラヴィ・シャン
   カールという音楽家が、ジョージにとって10代の頃、死ぬほど憧れたロックンロールの創始者と同じぐらい、大きな存在と
   なっていくのである。
159ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:31:43 ID:???0
    〜 Ravi Shankar / Bangla Dhun (The Concert for Bangladesh)
    〜 Norah Jones / Don't Know Why

     実は、ラヴィ・シャンカールが、ノラ・ジョーンズのお父さんなんですよ。ただ、ノラ・ジョーンズのお母さん、つまり
     ラヴィ・シャンカールの昔の嫁は別れちゃって、ノラはほとんどお父さんのことを知らないと。
160ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:46:11 ID:???0
  ・ラヴィ・シャンカールのアルバムに出会って、ジョージはインド音楽とシタールの魅力に、完全にやられてしまった。それは
   今まで味わったことのない、深い世界だった。この頃既に東洋の音楽は、単なる物珍しい効果音ではなかった。モダンジャズと
   フォークは昔から東洋音楽理論の影響を受けているし、イギリスのアコースティック奏者ジョン・レンボーンやアメリカの
   ジャズギタリスト、ジョン・メイヤーもインド音楽から強い影響を受けていた。ブラジル人ギタリスト、ガボール・ザボーに
   至っては「ラヴィ」という曲で、文字通りラヴィ・シャンカールへの畏敬の念を表したぐらいである。このようなインド音楽
   ブームに対し、当事者であるラヴィ・シャンカールは語っている。「今日にシタールブームが沸騰して、私はスーパースターに
   なったんです。」インドで一番神聖な都市ベナレスに生まれて育った彼は、1930年ラヴィが10歳の時に家族と共にパリに移った。
   一番上の兄ウダイが一人でヒンズー舞踏団のリーダーをしていたときである。そんな環境で育ったラヴィは、ごく自然に音楽と
   楽器に親しむようになった。1日12時間もの訓練を3年間も続け、21歳にして名人の域に達し、インド音楽を広めるために
   西洋の国々をツアーで廻る日々を暮らしていた。インドは元々イギリスの植民地だったこともあり、ロンドンにはインド人街が
   あったため、シタール音楽もさほど珍しいものではなかった。やがて、ラヴィの噂はイギリス中に広がり、コンサートや作曲の
   依頼、大学でのセミナーの仕事などが数多く舞い込むようになり、ついにはロンドン交響楽団と共演するまでになった。そんな
   ラヴィの音楽とジョージが出会ったのはホンの偶然であるが、千載一遇の強い運命でもあった。ロック以外の音楽にはある意味
   保守的で、あまり耳を貸さなかったジョージが、インド音楽への反応は別であった。それは、耳に入ってきた途端、引きつけら
   れる何かがあったからで、こうしてビートルズの中で常にいらだちを感じていたジョージの精神は、ラヴィ・シャンカールと
   ロックンロールの間の壁を一度に破壊してしまったのである。
161ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:48:07 ID:???0
    〜 The Beatles / Within You Without You - Tomorrow Never Knows (Love)
    〜 The Beatles / Your Mother Should Know
162ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 18:59:11 ID:???0
  ・ビートルズのリードギタリスト、ジョージの精神は、ラヴィ・シャンカールの弾くシタールの音によって、まったく違う世界に
   導かれようとしていた。とはいうものの、この時点ではまだ、ジョージはまだ、この難解なシタールという楽器をどうやったら
   自分のものに出来るか、まったく分かっていなかった。とりあえずは、教則本をたよりに毎日練習し、ラヴィ・シャンカールの
   アルバムを聴き続けること ── それしか方法はなかった。そうしているうちに、ビートルズの次のアルバム「ラバーソウル」
   のレコーディングが始まった。ビートルズはこの年1965年に、既にシングルを2枚とアルバムを1枚発売し、その上2作目の
   主演映画にも出演していた。もちろん、夏の間はずっとワールドツアー。天才作曲家コンビのジョン・レノン、ポール・マッ
   カートニーの曲のストックも、さすがに底をついてしまっていた。さあ、困った。しかし、アルバムはどうしても年内に発売
   しなければならない。それが、メジャーの契約というものである。こうして、ジョンとポールは生まれて初めて1年間に1ダース
   つまり10曲以上もの曲を書くハメになってしまった。もちろん、ジョージもリンゴも曲作りに励んだ。そして、ジョンが書き
   上げた曲「This bird has flown」に、ジョージのシタールを入れてみようということになった。ジョンの提案である。もちろん
   曲調はインド音楽ではなく、ジョンが得意の三拍子で、歌詞もジョンの浮気体験を歌った内容。とても、哲学的といえるもので
   はない。しかし、ジョージにとって新境地ともいえるシタールを試せることは確かに興味深いことだった。既にシタールを導入
   していたヤードバーズなどは、あくまでインド人の演奏家を招いたもので、グループのメンバーが自分たちでシタールを演奏し
   たとなると、これはロック史上初めてのことである。アビーロードスタジオのエンジニアもジョンも、もちろんジョージも緊張
   した。1965年10月12日、この日がジョージのシタール・デビューだったのである。
    〜 The Beatles / Norwegian Wood (This bird has flown) (Anthology 2)
    〜 The Beatles / Day Tripper
163ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 19:15:27 ID:???0
□リクエスト
  ・公開録音行きました!ところで、番組は長く続いているようですが、ネタはつきないんですよね。すごーい!(四街道市/女性)
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down
      (小林)実は...、ネタは同じネタをやっていても、次やることには皆、忘れてるんだ昔のこと。ま、同じようなネタも切り口を
        変えたり、また新しい発見があったりして、同じネタを同じようにやるようにはなっていません。安心してください。

  ・公開録音で、「あゆみちゃーん」と叫んだ男です。私は小さい頃、父親の仕事の都合で海外で暮らしていました。小学6年の頃
   イギリスに転居し、家の近くにはクリフ・リチャードが住んでいて、近所のスーパーで彼を目撃することがあったり、学校は
   アビーロードスタジオの近くにあったり、公演のためイギリスに来ていたボーイ・ジョージと空港のラウンジで会い、記念写真
   を撮らせてもらったり、サインをもらったりと。今の生活からは考えられないぐらい、ブリティッシュ・ポップに囲まれた暮らし
   をしていました。社会を出てから、ビートルズを聴く機会が減ってしまったのですが、ある日車に乗った時に聞いたのが「ビート
   ルズから始まる。」でした。ちょうど母が好きだった「Mr. Moonlight」がかかっていて、幸せだった子供時代を思い出しました。
   (千葉市中央区/男性)
    〜 The Beatles / Mr. Moonlight
      (小林)なかなかいい思い出の話ですね、うらやましいところがあります。
164ポール・キロックトニー:2008/10/19(日) 19:20:58 ID:???0
  ・原宿のペニーレインという喫茶スナックをご存知でしょうか。1974年、その名のとおりビートルズのペニーレインを名に開店した
   吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」という曲で、一躍全国的な人気スポットとなった店ですが、60年に一度閉店しながらも
   2006年5月再び原宿に復活し、現在も営業を続けています。今日は「ペニーレインでバーボン」をリクエストしたかったんですが
   この曲は歌詞の一部に差別表現に当たる部分があるということで、残念ながら今では放送自粛ということになっているので、代わり
   といっては何ですが、同じく吉田拓郎の「ペニーレインへは行かない」をリクエストしたいと思います。(柏市/男性)
    〜 吉田拓郎 / ペニーレインへは行かない

(小林)ビートルズの第三の男ですよね、ジョージ・ハリソンの心の葛藤を描いています。リクエストもよろしく。
165ポール・キロックトニー:2008/10/26(日) 23:42:37 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年10月26日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(10月26日)
  ・1965年 (43年前)
    朝11時15分、ビートルズはバッキンガム宮殿へ入ります。何をするためか? エリザベス女王から、MBE勲章をもらうため
    であります。43年前の今日、ビートルズは女王から勲章をもらいました。有名な話ですが、いろんな後々の話もあってね
    当時の首相は、ハロルド・ウィルソン。リヴァプール出身だからもらったという説もありますが、ビートルズは英雄ですから
    ただ、この勲章はね、この勲章の中では5番目の勲章。だから、大した勲章じゃなかった。それが証拠に、ビートルズと同じ
    勲章をもらった人達は数百人、五百人以下の数百人も、ビートルズがもらったということで「俺たち、こんなものいらない!」
    ってことで、退役軍人とかが勲章を返しちゃうんですよ。こういう現象がありましたね。だから、ビートルズは、ちょっと
    嫌われてたってのもありますよね。一部の若者は、「ビートルズにあげるんなら、ストーンズにも勲章を!」ってデモも
    あった。それから、ジョン・レノンは1969年になって、「イギリスがナイジェリア・ディアフラ侵攻をした」っていう
    理由なんだけど、本当はヨーコとやった「コールドターキー」のシングルが売れなかったってことで、怒ってこのMBE勲章
    を返しちゃってるんですよね。ジョンらしい話だし、それから、もう一つ面白い話は、この勲章をもらうために女王に会う
    前に、「いけないもの」をトイレでやってるんですよね。「あ、いけないんだ。いけないんだ。」みたいな。
166ポール・キロックトニー:2008/10/26(日) 23:43:28 ID:???0
    今日の一曲目は、勲章授与からさかのぼること2年前、ロイヤル・コマンド・パフォーマンス ── 女王をはじめ、王女や
    いろんな王室の人達が見守る、ロイヤル・バラエティー・ショーってのがあるんですよ。音楽のコンサートじゃなくて、
    ジャグラーとか、いろんな芸人がやったり、最後は音楽っていう出し物なんだけど、この中でジョンが歴史の残る有名な
    ジョークを言うんです。「安い席の方達、拍手をしてください。その他の人達は、宝石をじゃらじゃら鳴らしてください。」
    これは、金持ちの人達に対するジョンの独特の皮肉なんですよ。ウケ方を聞いてください。
    〜 The Beatles / Twist and Shout
167ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:00:55 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・1965年10月12日火曜日、ロンドン・アビーロードEMI第2スタジオ。ビートルズのアルバム「ラバーソウル」のレコーディング
   が行われていた。曲は、ジョンが自分の浮気体験を元に書き上げた「This Bird Has Flown」。後に「Norwegian Wood」とタイトル
   が改められ、有名となるナンバーである。曲を書き上げた当初から、ジョンはこの曲を平凡なものに終わらせたくなかった。
   メロディそのものは、ちょっとけだるい、ジョン得意のワルツであるが、なんといっても簡単には理解できない、シュールな歌詞が
   独特の世界を表現している。ジョンは思った。(アレンジどうするかな、正直言って、ビートルズもそろそろネタが尽きてきたしな。
   ポールの「イエスタディ」みたいに、メンバーなしでやるのもアリかもしれない。後で、ポールみたいだと言われるのも癪に触るし
   そうだ、ジョージがさいきんハマっているシタール。シタールでも入れてみるか。)思い立ったらすぐに行動に移してしまう性格の
   ジョンは、即座にジョージに電話した。そして、次のレコーディングにシタールを持ってきてもらうことにしたのである。正直
   ジョージはあまり乗り気ではなかった。何しろ、シタールの演奏家としては修行中の身であるし、これをどうやって、ビートルズ
   の音楽に溶け込ませるか。まだまだ、暗中模索だったのである。しかし、スタジオに入ったらもう、腹をくくるしかない。ジョンと
   プロデューサーのジョージ・マーティンの指示で、曲の雰囲気にそったイントロのアレンジが決まった。そして、テープが廻った。
   エンジニアは難色を示した。シタールの出す音量レベルが、かなり不安定なのである。弾き始めたかと思ったら、すぐにレベルが
   上がり、音がひずんでしまう。この日は何とか終了したが、彼らはこの出来に納得しなかった。翌週の木曜日、改めてレコーディング
   は行われた。曲は最初のバージョンより、ヘビーなリズムパターンに変貌し、ポールのコーラス、リンゴのパーカッションも素晴
   らしい演奏で、ジョージをもり立てた。こうして、ジョージのシタールデビュー曲「Norwegian Wood」は完成したのである。
168ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:02:42 ID:???0
    〜 The Beatles / Norwegian Wood (This bird has flown)
    〜 George Harrison / Give Me Love
169ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:14:44 ID:???0
  ・アルバム「ラバーソウル」に収められたジョンの新曲「Norwegian Wood」で、ジョージはシタール奏者として、デビューを飾った。
   アルバムは1965年の12月に発売され、大絶賛を浴びた。しかし、ジョージはこのシタール演奏に、まったくもって、満足していな
   かった。それよりもジョージは、今回自分が書きおろした曲「If I Needed Someone」と「Think For Yourself」に対する不当な評価
   にガマンがならなかった。実際のところ、「If I〜」はアルバムに収録する予定ではなかった。その証拠に、プロデューサーの
   ジョージ・マーティンはこの曲をビートルズと同じレコード会社、EMI/パーラフォンと契約しているホリーズのカバー曲候補に推薦
   している。ホリーズと言えば、ビートルズ、ストーンズと並ぶ人気グループ。そのホリーズがA面にジョージの曲を採用してくれる。
   ビジネス的にはもちろん、悪い話ではない。なんせ、ビートルズのセールスから得られる楽曲印税なんて、ジョンやポールに比べれば
   わずかも良いところ。まさに、雀の涙であった。ジョージも承諾し、ホリーズのシングルとして発売することとなった。しかし、
   当初の約束と違って、「If I〜」はビートルズのニューアルバムに収録された。最終段階になって、ジョンとポールの書いてくる曲が
   間に合わなかったため、ジョージの曲が補欠繰り上げ当選となったのである。結果、ホリーズのカバーバージョンはふるわず
   イギリスで20位どまりとなった。ジョージは憤慨した。自分の曲が、あまりに不当に扱われている。こんな、どうでも良いような
   扱いを受けるなんて、あまりにひど過ぎる。さらに、もう一つのジョージの曲「Think〜」の扱いもひどかった。ジョージが
   魂を込めて書き上げたこの曲が、ジョンやポールのようにレコーディングにちゃんと時間をかけてもらえなかったばかりか、あから
   さまに、実験材料に使われてしまったのである。セッションは、ビートルズファンクラブ用のソノシートの録音の合間に行われた。
   ジョージのアレンジも、ギターも決して悪くはなかった。しかし、ポールが試しに使ったエフェクター・ファズのかかったベースの
   音色がすべてを支配し、ジョージの意図とは全くかけ離れてしまったのである。
170ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:18:19 ID:???0
    〜 The Beatles / Think For Youself
    〜 The Hollies / If I Needed Someone
171ホワイトアルバムさん:2008/10/27(月) 00:28:15 ID:???O
キロックトニーさんいつも乙です。初めて聞く話ばかりで本当に面白いです。
172ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:30:46 ID:???0
  ・1965年のビートルズは、世界制覇を果たした前の都市以上に順風満帆であった。シングルは軒並み、全米ナンバー1。コンサート
   ツアーは、記録的に動員数を伸ばし、NYシェアスタジアムでの歴史的コンサートも、実現させた。二作目の主演映画「ヘルプ!
   4人はアイドル」も大好評で、それに伴う5枚目のアルバム「Help!」は15週間連続1位を記録。続くアルバム「ラバーソウル」も
   新境地と賞賛された。10月にはイギリス王室から勲章も授けられ、ビートルズはまさに時代の頂点に君臨していた。これが、翌
   1966年になると、少しずつではあるが、事態が変わって行った。やはり、コンサートツアーが苦痛になっていたのである。ジョン
   とリンゴは家族があり、子供もいた。さらに年が明けて、1月21日。ジョージは三年越しの付き合いのあった、モデルで女優の
   パティ・ボイドと結婚した。パティは18歳で美容師となったのであるが、店にお客としてきていた、女性誌の記者に「あなた、
   モデルになりたいと思ったことはないの?」と手放しで褒めちぎられた。その、すらりとしたプロポーションとゆったりとした
   立て巻きヘアーがあまりにも魅力的だったのである。この言葉に後押しされ、パティは自分の生きる世界をシャンプーとカール
   の向こう、つまり、美容院の外に広げることを決心した。映画「ハード・ディズ・ナイト」のロケで初めてジョージに会った頃の
   パティはヴォーグやセブンティーンといった雑誌、そして日曜版のファッションページの新しい顔となっていた。有名なところでは
   ツィッギーなどとおなじミニスカート族の一人として、人気を誇るモデルであった。当時のファッション評論家は、彼女を褒め
   たたえ、記事にした。「1960年代の現在、お手本にすべきかわいい女性の必須条件は、マレーネ・デートリッヒではなく、パティ
   ・ボイドである」そして、まもなく、ジョージは恋に落ちたのである。
    〜 The Beatles / Something
    〜 The Beatles / Michelle
173ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:50:33 ID:???0
□リクエスト
  ・ビートルズの中で一番好きな「イエスタデー」をお願いします。母がビートルズファンで、よく家でかかっていました。なんか、
   秋に似合う哀愁漂う曲かなと思いまして。(川崎市幸区/女性)
    〜 The Beatles / Yesterday

  ・トッド・ラングレンをお願いします。曲はやはり「ハロー・イッツ・ミー」。トッドを知って四半世紀、年もオーバー60。しかし
   良いものは良い。(千葉市中央区/男性)
    〜 Todd Rundgren / Hello It's Me
      (小林)トッド・ラングレンは、あなたの年齢の人達が一番指示してるんじゃないですかね。一人ビートルズみたいな、アーチスト
        ですよね。

  ・この番組で何回かエリック・クラプトンのことを紹介されてました。彼は前に、クリームというグループで活躍してましたね。
   あの頃は、いろんな素晴らしい曲を残しました。クリームの傑作をお願いします。(柏市/男性)
    〜 Cream / White Room

  ・この秋再結成される甲斐バンドのオリジナルだと、ついさっきまで思っていました。小林旭がオリジナルだなんて驚きです。
   (千葉市花見川区/男性)
    〜 小林旭 / ダイナマイトが150トン
174ポール・キロックトニー:2008/10/27(月) 00:52:31 ID:???0
(小林)ミュージシャンの中に、ジョージ・ハリソン的立場、ジョージのスタイルがたまらなく好きだと言う人いますね。リクエスト
   お待ちしています。
175ホワイトアルバムさん:2008/10/27(月) 10:13:53 ID:???0
>>171
>キロックトニーさんいつも乙です。

同じ。

>初めて聞く話ばかりで本当に面白いです。

この番組で語る伝記の内容には嘘も多い。
特に著者の感想文はデタラメが多すぎる。
全ては信用してはいけない。
176ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:11:40 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年11月2日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月2日)
  ・1965年 (43年前)
    Music of Lennon-McCartneyという、イギリスのグラナダテレビでのTV番組。これの撮影が終わったとあります。撮影は、11月1日
    から2日間あったそうですけど、この頃はビデオではありません。ビデオが出てくるのは、60年代の終わりの頃からですからね。
    フィルムです。フィルムで撮って、音楽は口パクが常識だったわけですが、出演はビートルズの他にピーター&ゴードン、ビリー・J・
    クレイマー&ダコタス、マリアンヌ・フェイスフル。この頃は、ミック・ジャガーの恋人。ローリング・ストーンズと一緒にレコードを
    出したり。それから、ピーター・セラーズ。有名なコメディアン。彼の語りの「ハード・ディズ・ナイト」は、ヒット中です。そして
    アメリカのヘンリー・マンシーニ。そして、ジョージ・マーティン・オーケストラ。番組の司会は、ジョンとポールが務めて ──
    これ面白いんですが、この映像がYouTubeでも見れる。で、ジョンとポールの司会が絶妙。そればかりじゃなくて、色んな国の言葉で
    ビートルズのヒット曲をカバーしてるヤツを聞いて、ジョンが「ポール、これは何語だ?」とかコントをやってたりするんだけど
    このコントが絶妙らしい。ジョンとポールは、史上最大の作詞作曲かチームの一組ですけど、実はしゃべりが絶妙にウマいということが
    あまり言われてないですけどね、二人は大変なもんです。さあ、このショーの中では「ディ・トリッパー」が使われてます。実はこれは
    12月に放送になってね、その頃シングルで出るわけですけど。だから、この時点では新曲ということになります。この番組では口パク
    で、ビートルズが紹介しています。
    〜 The Beatles / Day Tripper
177ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:19:58 ID:???0
    ところで、二人がしゃべると、どちらかというとジョンがボケ気味、ポールがツッコミ気味になるんですが。英語ではボケのことを
    Stoogeといいますね。そしてツッコミは straight、straight manと言います。
178ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:34:55 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズがメジャーデビューして以来ずっとジョンとポールの陰に隠れ、いつまでたっても一人前扱いされなかった男、それがジョージ
   ・ハリソンであった。元々、ポールとは近所に住み、同じ学校に通う友達であった。ギターもほぼ同時期に弾き始め、中学生の頃は年下の
   ジョージの方が上達が早かったぐらいである。それが、ポールがジョンのバンド「クォーリーメン」に参加し、次にビートルズに発展し
   リヴァプールのみならず、ドイツのハンブルグにまで巡業で出かけるようになると、ポールのプロ意識はそれまでとは変わっていった。
   さらにメジャー契約し、レコードデビュー。イギリスに続きアメリカ、そして全世界征服と売れるに売れ、ジョージの居場所は徐々に
   なくなっていった。曲を書くのは、ほとんどがジョンとポール。その上、この道で長いことやって来た、プロデューサーのジョージ・
   マーティンの検閲もあり、ジョージの曲はほとんどは使ってもらえない。これではまるで、やる気が出なかった。そんなジョージにも
   私生活の上では幸せな出来事が訪れた。1964年3月2日、ビートルズにとって初めての主演となる映画「ハード・ディズ・ナイト」の
   撮影初日。ロンドンのパディントン駅から汽車に乗り、車内での道中を撮影するシーン。ジョージは運命の女性と出会うことになる。
   その女性の名は、パティ・ボイド。ビートルズと同じ列車に乗る女学生の役で登場したパティは、ジョージより二つ下の19歳。その
   すらりとしたプロポーションと豊かな縦巻きヘアのあまりの魅力に、ジョージは文字通り一目惚れしてしまった。パティは18歳で美容師
   となったのであるが、客として店にきていた女性誌の記者の強い後押しでモデルとしてデビューしていた。「ハード・ディズ・ナイト」
   のロケでジョージと出会った頃のパティは、雑誌「ボーグ」や「セブンティーン」。そして日曜版のファッションページの、新しい顔
   となっていた。有名なところではツィッギーなどと同じミニスカート族の一人として人気を誇るモデルの一人であり、1960年代という
   時代を象徴する、女性でもあったのである。
179ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:36:00 ID:???0
    〜 The Beatles / Do You Want to Know a Secret
    〜 The Beatles / And I Love Her

   最新の情報としては、今年パティは自叙伝を出してますね。ボクも買って、斜め読みをしてしまいましたけど。あの頃の特にイギリスの
   情景が浮かんで面白いですね。モデルになるんだけど、なかなか売れないんだよね。そういうようなところが面白いし、ジョージ・
   ハリソンと知り合ったところの話も泣けるところもあります。
180ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:48:07 ID:???0
  ・1964年2月のアメリカ上陸により、ビートルズは押しも押されもせぬ、世界のトップアイドルとなった。NYのJFK空港に降り立つ6日前
   2月1日には、彼らのシングル「I Wanna Hold Your hand」が全米No.1となり、それは7週間も続いている。この日からビートルズの4人
   の人生は、180度変貌してしまった。まず、NYでもマイアミでも、ホテルから一歩も外に出ることはできない。もちろん、ボディガード
   付きでレストランを貸し切るとか、閉店後のショップに行って、特別待遇でショッピングをするとか、それならば可能であるが、基本的
   には、常にカゴの中の鳥になってしまった。その代わり、食べるものは超一流のものばかり。同じ仕事先でも、ハンブルグのときはポテト
   と卵とサンドイッチをビールで流し込むのが関の山。とても、味わうなんて代物ではなかった。それでも、食事の心配をしないで良いだけ
   マシだった。そんな生活が最高級のワインやシャンパン、分厚いステーキにスモークサーモン、どでかいデザート。どれも、いままで
   見たこともないものばかり。そして、急な来客であったボブ・ディランから教わった、いけない嗜好品。さらには、ローディーのマル・
   エヴァンスが厳選に厳選を重ねた上で、部屋まで連れてくる洗練されたプロの女たち。まるで、夢のような毎日であった。こんな日々が
   続いたら、誰だって勘違いしておかしくない。それも、ビートルズの4人は全員がまだ20代前半の若者である。ずっとこんな状態が続くと
   何度も錯覚に陥った。しかし、4人の中でただ一人、ジョージだけはすぐに我にかえった。こんな毎日、ずっと続くわけがない。このホテル
   も食事も女も、みんなレコードのヒットと、今の人気が運んできたもの。俺は、そのどちらにもそれほど貢献していない。曲はジョンと
   ポールだし、人気は俺よりリンゴの方が上だ。じゃ、俺はすぐ、クビになってしまうんだろうか。またしても、出口のない堂々巡りである。
   ついには、エド・サリバン・ショー初日の当日、ジョージは風邪をこじらせてしまい、リハーサルにも出られず、ホテルで首にタオルを
   巻いたまま、出られぬ始末。ジョージのストレスだらけの日々は、まだ続くのである。
181ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 18:54:23 ID:???0
    〜 The Beatles / Baby's in Black
    〜 George Harrison / For You Blue (Naked)

   もう5年も経つんですね、Let it Be ... Naked が出てから。あれが出たときは、色々ありましたね。そのまま放っておいて、いいんじゃ
   ないとか。でも、このFor You Blueを聞く限り、ジョージの良いところが出ているような気がします。
182ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 19:08:03 ID:???0
  ・1964年2月、ビートルズは確かに全米を、そして全世界を制覇した。4人の出向くところ、どこでも大勢のビートルマニアたちが大歓声。
   迎えにくる車はリムジン。宿泊先は、超高級ホテルのスイートルーム。食事も、ルームサービスを何でも頼み放題。もちろん、女も厳選
   された上玉が部屋までやってくる。まさに至れり尽くせり。こういった待遇に、ジョンとポールは満足した。リンゴもまんざらでもなかった。
   しかし、ジョージだけは退屈で仕方がなかった。ジョージはまたしても、悪い方向に陥った。ビートルズに対しての評価は、ほとんどが
   ジョンとポールに対してのものだ。俺のギタープレイなんて、ほんのお飾りみたいなもの。それに、人気投票をとると、決まってリンゴが
   一番だ。俺の存在価値って、一体なんなんだ。超VIP待遇で迎えてくれたアメリカも、ジョージにとっては全くつまらないものに終わった。
   イギリスに戻ったジョージは、ストレスを発散させるために、次から次へと車を乗り換えた。ジャガーのEタイプに、アストンマーチンの
   DB5。それに飽きると、1960年代のロンドンを象徴するミニ・クーパー。そして、次に乗ったロールスロイスにも飽きると、それを
   ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズに売っぱらってしまった。その前の週、ジョージはロンドンのハマースミスにある
   メルセデスのショールームで、お気に入りの一台を見つけてしまった。もちろん、天下のビートルズのメンバーの来店。店員は、これ以上
   は出来ないというぐらい、何度も何度もジョージに頭を下げて接した。翌週、ジョージの依頼通り、指定したナンバープレート、そして
   ジョージの体型に合わせて形を整えたシートに改造されたメルセデスが納車された。これには、リンゴもポールも驚いた。一節には、
   二人もメルセデスをオーダーしたという噂もある。しかし、これだけ散財しても、ジョージの心には満たされない何かがあったのである。
183ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 19:12:46 ID:???0
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun - The Inner Light (Transition)
    〜 The Beatles / I Want to Tell You
184ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 19:37:05 ID:???0
□リクエスト
  ・僕がビートルズと出会ったのは、この番組でした。ボクはビートルズのことを何も知らず、何人のメンバーで、構成とかも何も知りません
   でしたが、ある日車の中でなんとなくラジオを聞いてると、克也さんの絶妙な紹介でこの曲が流れてきました。最初は、誰の曲で、曲名も
   分かりませんでしたが、聞いた瞬間に衝撃を受けました。兄にビートルズだと聞き、その日を境に片っ端からビートルズを調べ上げ
   お小遣いで少しずつアルバムも揃えました。それまでは、音楽にも興味がなかったけど、興味を持つことが出来ました。なかなかラジオ
   では流れてくれないので、ぜひお願いします。(山武市/男性/16歳)
    〜 The Beatles / I Want to Hold Your Hand

  ・先日、ビートルズにどっぷり浸かった私の車を、実家の母が運転する機会がありました。その時、サー・ポールが、マッカートニーが
   プロデュースしたメリー・ホプキンのCDをカーオーディオに入れたままにしていたんですが、おかげで自動的に再生が始まったとある
   曲が母の耳に届いた瞬間、あっと思い出したそうです。この歌には、まだ母が私より若い頃に、冬の登山で寒さがたたり、風邪をひいて
   会社を休んでいた時に、ラジオでかかった曲だったそうです。それ以来、ラジオで何度歌曲を耳にする機会がありながら、なんという
   曲なのかが分からぬまま、年が経っていたとのことでした。私に無断で、曲の歌詞カードをコンビニでコピーし、無断で何度も聞いて
   いたみたい。そんなことを笑顔で話してくれた母の笑顔には、数十年という時を越えて、若い女性に戻っているようでした。私がこの世に
   生を受けて既に34年。長い時間を越えて、一人の人間の記憶に残り続ける音楽の力に改めて感動しました。母がいつまでも元気でいてく
   れることを願い、この歌をリクエストします。(千葉市花見川区/男性)
    〜 Mery Hopkin / Those were the Days
185ポール・キロックトニー:2008/11/02(日) 19:48:11 ID:???0
  ・毎週この時間は、国道16号の渋滞にハマっている頃で、番組を楽しみにしているトラックドライバーです。克也さんのトークとビートルズ
   の音楽で癒されています。ところで、ビートルズの曲ではないんですが、この番組でしか聞けない懐かしい曲をリクエストします。
   (川越市/男性)
    〜 Dawn / Knock Three Times
    〜 America / Sister Golden Hair

   リクエストに応えて、2曲もかかっちゃったよ。ノックは三回は、トニー・オーランドって人のグループなんですけど、マンションに
   住んでて、恋人が家族と住んでるわけですよ、上と下に。で、ダメな時は暖房のパイプを二回、OKだと天井を三回叩いてくれって。
   まだ、トニー・オーランドはね、ラスベガスでやってるみたいですね。こないだ、有名な「ラスベガス」っていうドラマがあるんですけど
   それに出てましたね。

(小林)ジョージはね、かなり車にうるさい人だったんです。晩年の80年代は、レースにお金を出したりします。しかし、運転は実はジョージ
   よりも、ポールの方が遥かにうまかったんだって。実は、スピード狂で、交通事故もジョージより多いと記録が残ってますね。結局
   運転が一番下手だったのはジョン。これはおなじみの話ですね。
186ホワイトアルバムさん:2008/11/02(日) 22:21:29 ID:???0
>>175
克也さんも「話半分で聞いてください」と何度も言ってるからね。

でも、そういうのはメディアの側の立場としてどうなのかなとも思う。
東スポの紙面に「本誌の記事は話半分で読んでください」って
書いてるようなもんだもんな。
187ホワイトアルバムさん:2008/11/03(月) 00:00:09 ID:hIfpy84eO
全然ちがう。
188ホワイトアルバムさん:2008/11/03(月) 00:33:28 ID:???0
まあ・・・ビートルズのインタビューみたいなもんだな
どこまでが冗談でどこまでが本気か
そのうち本人達もわからなくなる


「その髪型(マッシュルームカット)は誰が考えたのですか?」
ジョン「それについちゃデタラメばかり言ってきたから忘れちゃったよ」
189ホワイトアルバムさん:2008/11/03(月) 05:34:53 ID:???O
>>188
おもろいな〜ジョンはw
190ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 18:14:24 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年11月9日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月9日)
  ・1961年 (47年前)
    ビートルズは、有名なキャヴァーン・クラブのランチ・セッションに出ています。そこに初めて、背広を着ているブライアンと助手の
    アリステア・テーラーが見に来るわけです。ブライアンは、リバヴァプールで家具屋を数軒やってて、家具屋なんだけど、電気製品も
    ある、レコード売り場もある、そのレコード店の店長をやっているブライアンが、中学生ぐらいの子が「ビートルズありませんかー」
    ってやってくるわけですよ。「ビートルズのマイ・ボニーありませんか?」って。「ビートルズって、どういうグループなんだ?」
    って、実は500mぐらいしか離れていない、キャヴァーン・クラブに出てるってことが分かって、見に来るわけです。しかし、ビート
    ルズは、このブライアンってのを知ってたんですよ。だから最初にジョージが「おやおやー、なんでブライアンさん、ココに着たのか
    なー」って、冷やかしで声をかけたりするんですが、ブライアンの音楽の好みってのは、映画音楽とかミュージカル。ロックには全然
    興味がなかった。もう、場違いも甚だしいわけです。で、色んな説があるんですけど、ブライアンがとても気に入ったという説と、
    実はジョンに一目惚れした、ブライアンは元々ゲイなのでとか、色々説があります。結果、ビートルズとは一ヶ月以上かけて、契約に
    こぎ着け、ブライアンはビートルズがいつでも自分からやめれるようにと、署名をしなかったいう有名な話です。
    〜 The Beatles / Long Tall Sally - I Saw Her Standing There (Live at the BBC)
191ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 18:27:33 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・メジャーデビュー3年目の1964年2月、アメリカでの大成功、そして、全世界制覇。ビートルズは名実共に、世界最高のグループとして
   君臨していた。しかし、その成功の裏で、常にストレスを溜め続けた男がいる。ジョージ・ハリソンである。ジョージの担当楽器は、
   リードギター。ロックバンドの中では、花形といえるパートである。というと、確かに聞こえは良い。しかし、現実ビートルズは
   ギターソロよりも、楽曲そのものやコーラスの妙で聞かせるバンドであった。ステージでのジョージは、ジョンやポールから一歩下がっ
   た所で着実にギターを弾き、必要なところできちんとコーラスを入れるというのが与えられた使命。もちろんジョージは、その使命を
   いつでもそつなくこなしていた。ハンサムで端正な顔立ちに、女性ファンも少なくはなかった。しかし、問題は作曲家としての評価で
   あった。ビートルズは、メジャーデビュー前こそ、ロックンロールやリズム&ブルースのカバーで人気を得たグループであったが、今
   ではオリジナルで勝負するようになっていた。特にシングルは、ジョンとポールで書いたオリジナルで固めていた。ライバルのローリン
   グ・ストーンズとは、そこが決定的に違っていた。しかし、ジョージの書いた曲が採用されたのは、1963年11月に発売された2枚目の
   アルバム「With the Beatles」に収録された「Don't Bother Me」ただ一曲。やはり、天才ソングライターのコンビ“レノン・マッカー
   トニー”、そしてレコード業界で百戦錬磨のジョージ・マーティンの厳しい検閲をくぐり抜けることは出来なかったのか。それとも自分
   には元々全く才能がないのか。悩み苦しむジョージが、ストレス解消のために選んだのは、車三昧。スポーツカーを次から次へと乗り換
   えるその様は、まるで病気の様でもあった。この頃のジョージには、まだまとまった印税が入ってはいなかったため、車の請求書は全て
   ブライアン・エプスタインの事務所NEMSに廻ってきた。それを何も言わずに支払うブライアンの心の中は、葛藤にもだえ苦しむ21歳の
   若者ジョージ・ハリソンに対する哀れみにあふれていたのである。
192ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 18:36:19 ID:???0
    〜 The Beatles / Drive My Car
    〜 The Beatles / Getting Better
193ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 18:42:24 ID:???0
  ・なんで、俺の曲が採用されないんだ。ビートルズの中で一人葛藤に苦しむジョージであったが、私生活の中に転機が訪れた。1964年3月
   ビートルズにとって、初の主演となる映画作品「ハード・ディズ・ナイト」の撮影で、女優と仕事をする機械に巡り会った。当初、この
   作品は1950年代のロックンロール映画のスタイルで、ビートルズが実際には歌ったり、演奏したりしない、口パクのスタイルで次から
   次へとヒット曲を演ずるというものが考えられていた。しかし、それではあんまりであるということで、少々ストーリーが書き加えられ
   るということになった。役者陣もイギリス喜劇会の名優ピーター・セラーズも候補に挙がり、話題は話題を呼んでいった。女優として
   名前が挙がったのは、1950年代から活躍する小生意気で鼻の丸い、まだ16歳の女の子ヘイリー・ミルズであった。どういう事情か、
   ビートルズの一人がこのヘイリー・ミルズをエスコートして、ヒッチコック映画の試写会に出かけることになった。当たりくじを引いた
   のは、他ならぬジョージ・ハリソン。もちろん、この一回きりのデートは大きな話題となったが、実際にビートルズの映画にヘイリーが
   出演することはなかった。それ以上に話題となったのが、ジョージの運命の女性、パティ・ボイドの登場である。ビートルズがロンドン
   のパディントン駅から列車に乗り、道中を共にする女学生の役に抜擢されたのは当時人気モデルとして活躍していたパティであった。そ
   の吸い込まれるような目と、ブロンドの巻き毛に、ジョージは文字通りノックアウトされてしまった。この出会いに、メジャーデビュー
   以来のストレスは、吹っ飛んだといっても過言ではなかった。パティのすらりとしたプロポーション、それでいて、小柄でセクシーであ
   り、小悪魔的な笑顔も、やわらかい立ち振る舞いも、すべてジョージのストライクど真ん中であった。どう見ても、リヴァプールにはい
   ないタイプであり、今までビートルズの周りにいたどんな女性と比べても、超ハイレベル。初登場1位。それも、20週は独走しそうな勢
   いだった。ジョージはこの時、自分より2つ年下の19歳のパティが、我が人生を翻弄する運命の女になろうとは思ってもいなかったので
   ある。
194ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 18:43:05 ID:???0
    〜 The Beatles / Think for Yourself (嘘つき女)
    〜 The Beatles / I Feel Fine
195ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 19:02:21 ID:???0
  ・ビートルズ最初の主演映画「ハード・ディズ・ナイト」のロケシーンで、ジョージは運命の女性と出会った。その女性の名は、パティ・
   ボイド。本名をパトリシア・アン・ボイドといい、1945年イギリス南西部のサマーセット州で6人兄弟の一番上の長女として生まれた。
   パティが生まれてから4年後、イギリス空軍に勤務する父親の配置換えのため、家族は東アフリカのケニアに移った。それから5年後、
   一家がイギリスに戻るとパティは寄宿学校に入れられた。17歳になる1962年には、ウインブルドンで、美容師として働き始めていたが
   そのあまりの美貌に、店の外から彼女を見物に集まる男が後を絶たなかったといわれている。ある日、客として店にきていた、女性雑誌
   のライターのアドバイスで、パティは美容師をやめ、モデルとしての道を歩むことになる。最初は小さな仕事ばかりであったが、彼女の
   美しさに幸運も手伝い、あれよあれよという間に、パティは「ヴォーグ」や「セブンティーン」といった人気雑誌に登場するようになっ
   た。ビートルズの初主演映画「ハード・ディズ・ナイト」の監督リチャード・レスターは、1960年代の若者文化を撮るのがうまいとい
   われていたが、撮影の半年ほど前、テレビでコマーシャルに登場したパティを見て、その魅力に弾かれた一人であった。その時のパティ
   は、真っ白な歯を見せ微笑む表情と、舌足らずなしゃべり方が印象的だったのである。映画では、ロンドンのパディントン駅から列車に
   乗るように見えるが、車内のシーンはスタジオ内に組まれた列車のセットで撮影された。ここでは、パティを含めた4人の女学生がくす
   くすと笑っている前で、ビートルズが「I Should Have Known Better」を演奏するのである。パティは回想し、語っている。「ジョージ
   が私ばっかり見ている。あんまりじっと見てるから、恥ずかしくなったぐらい。それと、撮影が終わったとき、彼にサインをお願いした
   んだけど、私の名前の下に、キスマークを7つも書いたのよ。あれには、少しビックリしたわ。だって、ジョージって最初、もっと消極
   的に見えたんだもの。」
    〜 The Beatles / I Should Have Known Better
    〜 The Beatles / Old Brown Shoe
196ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 19:20:57 ID:???0
□リクエスト
  ・小林克也さんの淡々とした語り口が心地よく、大好きな番組です。これはカバーですか? でしたら、元の曲も聴いてみたいです。
   ポールの自由に歌う感じ、ジョンの高い声が大好きなのでお願いします。(海老名市/性別不詳/13歳)
    〜 The Coasters / Searchin'
   (小林)これはビートルズが初期にやっていた曲で、ビートルズは最初、デッカというところのオーディションを受けて落ちるっていう
      有名な話がありますが、もっと有名なのは後になって、ジョージとそのデッカの審査員だった人間が、一緒にクイズに出るんです
      よ。「おまえ、俺を落としただろ」という話をするわけですよ。で、「ストーンズという良いグループがいるから、見に行った方が
      いいよ。」というわけです。

  ・(横浜市青葉区/男性)
    〜 The Tremeloes / Suddenly You Love Me

  ・(新治郡/女性)
    〜 斉藤和義 / 歌うたいのバラッド
197ポール・キロックトニー:2008/11/09(日) 19:26:45 ID:???0
(小林)リクエスト、13歳とか16歳とかの子がくれるとうれしいんですが、ビートルズがデビューした時は13歳とかの若い連中が夢中になっ
   ちゃって、音楽じゃなかったってことなんですよ。もう、ファッションから髪型から全部びーとるずにならないと気が済まない。そう
   いう感じだったんですよね。このところやってるジョージの話ですが、ジョージは四人の中で一番毛が多いんですよ。で、ヒゲも濃い
   のね。だからちょっと見ると、額がせまくて、そういうタイプの男の子っているじゃないですか。そういった男の子がみんな、ジョージ
   のファンになって、ジョージの髪型なんか真似した頃があるわけですよ。今からだと、ビートルズ熱ってのは考えられないね。この番組
   では、出来れば再現しようと考えています。
198ポール・キロックトニー:2008/11/17(月) 00:31:46 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年11月16日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月16日)
  ・1965年 (43年前)
    プロデューサーのジョージ・マーティンが、アルバム「ラバーソウル」の曲を製作中。アビーロードスタジオに電話をして
    自分の決定を伝えたとありますが、この時点でビートルズは、ラバーソウルを作っていると。ラバーソウルという名前も
    「ゴム底」なんだよね。ところがこの頃から、リズム&ブルースは「ソウル・ミュージック」と呼ばれだすんですよ。
    ビートルズは、ラバーソウルにソウル・ミュージックをかけてるんだよね。つまり、自分たちを「ゴムのソウル」だと。
    ちょっとへりくだった感じってのが分かりますかね。プロデューサーのジョージ・マーティンは、この時点でEMIを辞めています。
    EMIが給料を上げてくれないってことで、自分の会社を作って、ビートルズの面倒を見て、という状態であります。
    〜 The Beatles / 12 Bar Original
199ポール・キロックトニー:2008/11/17(月) 00:49:22 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズにとって、ロックの歴史において、1964年は特別な年である。この年の1月に「I Want to Hold Your Hand」が全米
   第1位に輝き、2月には初めてアメリカに降り立った。そして、大人気番組「エド・サリバン・ショー」が最高の視聴率を記録し
   ビートルズは全米の、そして全世界のアイドルとなった。アメリカでの扱いは、まさにVIP待遇。空港からの移動はリムジン。
   最高級のスイートルーム。出歩くことは御法度であるが、ルームサービスは何でも頼み放題。その上、上玉のプロの女性も毎晩
   のようにやってくる。リンゴは語っている。「俺たちは、身も心も太っていった。なにせ、スモークサーモンなんてもの、初めて
   食べたんだからね。とにかく、食べて食べて、食べまくったね。」事実、ビートルズが話題にならない日はなかった。ボブ・ディラン
   も敬愛する、ビート音楽の詩人アレン・ギーンズバーグは、うまく表現している。「ビートルズは、全宇宙の意識の中心にいる」
   まさに言い得て妙。ビートルズの強みは、明らかなリーダーがいないことだった。ビートルズが登場する以前の、音楽の走りは
   クリフ・リチャードとシャドウズ ── リードシンガーとそのバックバンドというスタイル。もしくは、ディブ・クラーク・ファイブ
   といった、ハッキリとしたリーダーがいるタイプの二つであった。ところがビートルズは、それまでの常識を覆した。4人全員が
   演奏し、全員が歌った。ファンはお気に入りのメンバーを変えながら、グループ全体に対する忠誠を維持することが出来た。
   ビートルズを知って間もないファンには、グループのまとまりが何よりの魅力のポイントだった。しかし、その裏を返すと
   4人の個性のちがいが、この何ともいえない調和を保っていたともいえる。例えば、リンゴのどこかとぼけたようなウイットが
   アメリカでのビートルズの人気に貢献したことはまぎれもない事実なのである。
    〜 Ringo Starr / Only You
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
200ポール・キロックトニー:2008/11/17(月) 00:59:48 ID:???0
  ・個性あふれるメンツが集まるビートルズの中で、ジョージはどうだったのか。本人が語っている。「僕は絶対に、表に立とうと
   しない役回りだった。」これはおそらく、ジョージが謙遜して語っているのではない。それが証拠に、当時リヴァプールで発行
   されていた雑誌「マージービート」がジョージを特集した際に着けたタイトルが「ジェントル・ビートル」。物静かな ──
   というか、優しいビートル。さらにこれが、「シリアル・ビートル(まじめなビートル)」と形容されることもあった。実際、
   ジョージのイメージはポールやジョンのように、ユーモラスで印象的な発言はしない代わりに、最年少とは思えないしっかりとし
   た受け答えをするメンバーというものであった。それが、いくかのインタビューに答えてるうちに、「マネー・ビートル」とか
   「ビジネス・ビートル」とか呼ぶマスコミ連中も現れた。皮肉なことに、いずれジョージにはこのニックネームが似合うように
   なっていくのだ。実際のところジョージは、1964年当時それほどリッチではなかった。アルバムにオリジナル曲がほとんど採用
   されないジョージとリンゴにとって、最大の収入はコンサートのギャラ。ジョージとリンゴは、コンサートの4分の1ずつを平等
   に受け取っていた。つまり、ツアーのギャラはメンバーが4等分していたということ。しかしこれが、シングルとアルバムの売り
   上げから支払われる印税となると、話は全く異なってくる。ジョージは語っている。「ジョンとポールの方が、僕たちよりずっと
   稼ぎがよいってことは、リンゴと僕は常々思い知らされていた。」ビートルズのオリジナル曲のほとんどを作詞作曲するジョンと
   ポールが、ビートルズの音楽を管理する出版社「ノザーン・ソングス」からもらう金額は、ジョージの20倍以上になっていた。
   もちろん、この事実をジョージ本人が知らないわけはない。それでもビートルズは、というより、ジョンとポール、そして
   ジョージ・マーティンは、このバランスがベストであると考えた。ジョージ・ハリソンがビートルズのアルバムで採用されたオリ
   ジナル曲は、この時点で立った一曲だったのである。
    〜 The Beatles / Don't Bother Me
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
201ポール・キロックトニー:2008/11/17(月) 01:14:08 ID:???0
  ・(ジョンとポールは、俺よりも20倍以上稼いでいるのか) その事実に、ジョージは甘んじていた。もちろん、コンサートツアーの
   出演料に関しては、ビートルズは4人とも同じ金額である。ただし、レコードの売り上げからくる印税となると、割合はまったく
   異なっていた。それもそのはず、1964年のこの時点で、ジョージの書いたオリジナル曲は「Don't Bother Me」、ただ一曲しか
   採用されていなかった。ジョンとポール、プロデューサーのジョージ・マーティンの検閲をくぐり抜けることは、簡単なことでは
   ない。ビートルズが四半期に一度行っていた、会計士を交えた会議は、ジョージにとって退屈きわまりないものだった。ジョージ
   は当時を思い出し、こう語っている。「あんな会議たいくつで、まるで学校に逆戻りしたようだったよ。」自分に支払われる印税
   の根拠とか、音楽出版社などの第三者に権利の一部を認める理由についても、いちばん突っ込んで質問するのは、決まってジョージ
   だった。マネージャーのブライアン・エプスタインは、金銭感覚に疎く、ついつい相手に都合のいい契約を結ばされて帰ってくる
   ことは、既にビートルズ関係者の間では周知の事実。この頃、ドイツでのレコード契約の現状について、改めて調査をするように
   命令をかけたのも、他ならぬジョージ・ハリソンだった。この時のジョージの持論は、次のようなものだった。「自分はお金を稼ぐ
   だけで、管理するのは他の人と考えて無関心を決め込むのは簡単だ。でも僕は、自分がいくら稼いで、どこに使われて、最終的に
   自分はいくら使えるのか。把握しておきたいんだ。別に僕が他の人に比べて、金にうるさいってわけじゃないよ。ただ、これまで
   があまりにもいい加減にやってきたので、もっとしっかりしないといけないと思うんだ。」この時21歳のジョージ、実はポール
   以上のしっかり者だったのである。
    〜 George Harrison / Wah-Wah
202ポール・キロックトニー:2008/11/17(月) 01:35:27 ID:???0
□リクエスト
  ・中1のとき初めてラジオで聞いたんですが、ずっとジョンが歌っているもんだと思っていました。この曲がかっこいいと思っている
   のは私だけでしょうか。知らない人のためにもぜひ聞いてもらうたいので、よろしくお願いします。(横浜(住所不明)/性別不詳)
    〜 Paul and Linda McCartney / Monkberry Moon Delight

  ・遠くて近いリヴァプールが、さいたまにありました。(江東区/男性)
    〜 John Lennon / Steel and Glass

  ・初期の頃が好きです。(霞ヶ浦市/男性)
    〜 Matt Monro / Walk Away (Warum Nyr Warum)

(小林)このところジョージの話をしていますが、きょうの話でも分かったと思いますが、「お金」がついてくるんだよね。だから、ジョージは
   納得できないわけですよ。だからなんていうと、金人間みたいですけど。
203ホワイトアルバムさん:2008/11/20(木) 12:44:01 ID:???O
ベストヒットUSAのスポンサーがビートルズとは真逆ともいえるジャニーズエンターテイメントなんで
小林克也は同じ局でもあるスマステでナレーションの仕事を貰えてるのですね?

分かりました
204ホワイトアルバムさん:2008/11/21(金) 22:46:41 ID:???0
せめて「プラスティックソウル」を逆手にとって『ラバーソウル』にした
くらいの話はしといてくださいよ小林さん
ゴム底はないだろ、ゴム底は
205ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 18:10:41 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年11月23日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(11月23日)
  ・1968年 (40年前)
    ローリングストーンという雑誌に、ジョン・レノンのインタビューが載りました。40年前というと、今のローリングストーンという
    音楽雑誌、日本版があるんですけど、その頃は時代が違うんです。ミュージシャンの心構えが違っていたんです。ビートルズをはじめ
    自分たちがやっていることは、世界を変えるかも分からない。自分たちは芸術だみたいな意識がありました。今のミュージシャンは
    それがないから、音楽雑誌てのはファンの雑誌みたいになっていますが、ローリングストーンという雑誌はロックのことばかりじゃ
    なくて、政治のことだとか色んなことを語る本だったんですよね。ミュージシャンの心構えがそういう時代だったから、音楽を語るっ
    てことは、一つの文化だった時代。この中でジョンがものすごくまじめに、自分の音楽について、自分の作曲、ボブ・ディランの
    音楽との比較について。ローリングストーンのインタビューとプレイボーイのインタビューが有名ですね。ということで、
    ビートルズのお気に入りのカバーと語っていた曲があります。後になって、ジョンはポールのことを「お前はイエスタデーしか
    ないじゃないか」と言ってましたが、この時点では認めていたんですね。
    〜 Ray Charles / Yesterday
206ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 18:26:07 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズ最初の全盛期となる1964年当時、ジョージ・ハリソンは悩みを抱えていた。自分の音楽性がバンドの中でどうしても評価
   されないということ。最年少のジョージは、兄貴分のジョンに仲間に入れてもらうまで、ジョンの後を追いかける弟分。いわば
   「パシリ」的な存在であった。ポールとは中学の時からの友人・後輩として、一緒にギターも練習したほどの仲であったが、音楽的に
   急激な伸びを見せたポールがジョンのバンド「クォリーメン」に入ってからは、ジョージよりずっと格上になってしまった。その後
   ジョンのお許しをもらい、クォリーメンに加入したジョージだったが、ビートルズに発展してからも、その舎弟扱いは続いていた。
   リンゴ・スターは、前のドラマー、ピート・ベストの代わり。メジャーデビュー直前に加入したせいもあり、まだまだ新参者的存在。
   それに元々リンゴという男は、自分の我を通すタイプでもなく、スタジオでもタバコとマンガ本で待ち時間を潰す男だった。実際には
   この頃からジョージには野心があった。だからこそ、今の境遇に不満があった。なぜ、俺の曲が採用されないんだ。アルバムには
   14曲も収録できるのに。今更ながら、人の曲をカバーするより、俺の曲を使ってもいいぐらいだ。ジョンもポールも、俺を見下して
   いる。それに、プロデューサーのジョージ・マーティンもジョンやポールの機嫌を取っているだけじゃないか。マネージャーの
   ブライアンは音楽が分からないから、レコーディングにはいっさい口を出さないし。どうなってるんだ、いったい。いつの間にか
   俺ひとりぼっち。完全孤立状態じゃないか。元々繊細なタイプであるジョージは悩んだ。それに、世界のスーパーアイドルになった
   といっても、まだたったの21歳の若者である。そんなに、バランスの撮れた考え方が出来る年齢ではなかった。それに最大の問題は
   ジョージにはそれほど多くの金が支払われていなかったということ。ジョンとポールが自分の20倍以上の金を受け取っているという
   ことは、まだ知らされていなかったのである。
    〜 The Beatles / Taxman
    〜 John Lennon / Stand by Me
207ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 18:44:48 ID:???0
  ・ジョンとポールが受け取る印税は、俺の20倍以上だと? ジョージは、その事実を知り驚いた。そして、金銭的にもっと専門的な知識
   を身につける必要があると感じた。その結果ジョージは、3ヶ月に一度行われるメンバー全員と顧問会計士、そしてマネージャーの
   ブライアンとが集まって開かれる会議にも積極的に出席し、発言するようになった。ここで経済的な知識を身につけたジョージは
   後にロンドンのナイトクラブ・シビラーの株を買ったり、リバプール時代の友人、ピート・ショットンが関わるヘーリング・
   アイランドというスーパーマーケットの取締役にも名を連ねるようになっていった。ビートルズ時代のジョージは、お金に余裕がある
   と、すぐにこういった投資にお金をつぎ込んだため、財布にはほとんど現金がなかった。何か必要なことがあると、付き人のマル・
   エヴァンスに借りるか、それが多額になると、マネージャーのブライアンのオフィスである、NE、NEMS(小林どもる)のツケで買う
   のが慣例になっていた。もちろん、ジョージも若くして急激に成り上がった若者の一人である。いくらしっかりしていたとは言え
   そこは天下のビートルズのメンバー。金の使い方はハデであった。一時は、毎月のようにスポーツカーを買い替えていたぐらいである。
   それが、ジョージの積もり積もったストレスの発散方法だった。ビートルズのデビュー以来、彼らと仕事を共にしてきたレコード
   エンジニアのジェフ・エメリックは、メンバーの性格について語っている。「ポールは最初に出会った時から、暖かみのある誠実な
   男だった。自分の求める物を、正確に把握していた。しかし、決して無理強いすることなく、外交的な手段を使って、自分のやり方
   を通すやり方を知っていた。やっぱり、ポールがリーダーって感じだった。ただ、ポールは時々ジョージの音楽的な限界にいらだちを
   見せていたと思うね。僕の知る限り何回かは、ジョージのギタープレイがうまくいかなくて、あきれた表情をしていたことは事実。
   自分ならもっとうまく弾けるのにって、さぞかしじれったい思いをしていたんじゃないかな。」
    〜 The Beatles / Helter Skelter
    〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
208ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 18:48:33 ID:???0
   チャック・ベリーのカバー、ステージではジョンがボーカルをやっていたんですけど、レコーディングではジョージ。はっきりいって
   ジョージではテンションが落ちます。そして、その前は、ポールの天才ぶりが見事に発揮されております、一節によると全部の楽器を
   ポールがやってるんじゃないかと言われている、ポールがギターを弾いて歌いまくっています、ヘルター・スケルターでした。
209ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 19:02:10 ID:???0
  ・ビートルズの当初からのアシスタント・エンジニアとしてスタジオを共にし、後半はエンジニアとして昇格した、音の職人ジェフ・
   エメリックは語っている。「ポールは最初から社交的で、まさにリーダーって感じだったね。録音した曲の出来が今ひとつだったと
   しても、いつも前向きに考えるのはポールだった。プロデューサーのジョージ・マーティンが『今のは悪くなかった、でももう一度
   やってくれるかな?』というと、決まってジョンやジョージは不満そうな顔をするんだけど、ポールは常に笑顔で『やろうぜ、全力
   を出して、やろうよ!』って、皆の尻を叩くんだ。それも、イヤな感じじゃなくてね。4人の仲でいちばん複雑なのは、言うまでも
   なくジョンかな。機嫌のいい時のジョンは優しく、チャーミングで信じられないぐらいおかしかった。けれども彼は、気分屋で虫の
   居所が悪いと、恐ろしく辛辣で意地悪で、本当にイヤなヤツになった。まるでおでこにハッキリと『怒り』のマークが書いてあるよ
   うだったよ。問題は、どちらのジョンに出くわすか、皆目見当がつかないってこと。それぐらいジョンは、急激に機嫌が悪くなった
   りしたんだ。そうなったらそれは、もう回復を待つしかない。その内、ジョンの機嫌が悪くなる時は、その前に長い沈黙があること
   に気がついた。ずーっと遠くを見つめて、どこか夢でも見ているような雰囲気だったね。ジョンはスタジオではいつも、黒ぶちの
   眼鏡をかけていたんだけど、どうやらそれは度が合っていなくて、ほとんど役に立ってなかったみたいだね。疲れ目でしょっちゅう
   目をこすり、いけない薬物にハマるずっと前から、どんよりとした表情を浮かべ、いつもどこか他の場所にいるような、どこにも
   いないような、おかしな目つきをしていたんだ。おそらくジョンにとっては、世界のあらゆるものがピンぼけに見えていたんじゃ
   ないのかな。」
    〜 The Beatles / Lucy in the Sky with the Diamond
    〜 The Beatles / Good Day Sunshine
210ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 19:20:11 ID:???0
□リクエスト
  ・歌詞の中の「You might be a big fish」の節が好きです。(市原市/男性)
    〜 Coldplay / Lost!

  ・まもなく、ビリー・ジョエルが来日します。自称第5のビートルズの彼に、心の平穏が訪れることを祈って、リクエストします
   (千葉市中央区/男性)
    〜 Billy Joel / To Make You Feel My Love

  ・歌詞の中で、「裏切りと涙で焦がした夜を一杯の酒で流せるはずはないけど」とありますが、この歌詞が41年苦労続きの自分には
   沁みるんだよねー。ぜひかけてくださいよ。(習志野市/男性)
    〜 甲斐バンド / メモリーグラス

  ・ホリーズの「If I need〜」から、小林旭の「ダイナマイト〜」。ビートルズから、ビートルズ以外の色んな曲を流してくれるこの番組。
   提供の石井食品様に感謝です。(板橋区/男性)
    〜 フラワーカンパニーズ / 香り

   (小林)歌詞がよく聞き取れなかった!
211ポール・キロックトニー:2008/11/23(日) 19:23:50 ID:???0
(小林)やっぱりジョージ・ハリソンは、100%才能があったとは限らないですね。その中で、最後には自分のスタイルを見つけていって
   世界に君臨するという。これは、音楽の話ばかりとは限らないね。会社に勤めていても例えば、営業の仕事がどうもダメだという人がね
   だんだんその適材適所のふさわしいところを見つけていって、出世していく人の話ともとれますよね。別にそこに持っていくことも
   ないんだけど。
212ホワイトアルバムさん:2008/11/28(金) 01:22:02 ID:bIvcSulT0
小林
フラカンなめるんじゃねー!!
213ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:10:24 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年11月30日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也
(今日からオープニングにBGMが加わる)

□ビートルズカレンダー(11月30日)
  ・1970年 (38年前)
    その前に、きのうはジョージ・ハリソンの命日でした。そして、きょうはジョージ・ハリソンのソロアルバム。ビートルズでは
    ど真ん中にいなかったジョージが、初めてど真ん中に来ました。イギリスで発売になった日です。これはまあ、世界中で売れる
    ことになって、ヒット曲もいっぱい出るわけですが、時代的にまだヒッピーのムーブメントが続いていて、サイケデリックの時代
    です。世の中は精神的な救いを求めているような、そこにジョージの崇拝する神の念を素直に表現しているような、聖心的なもの
    も入っているアルバム。そして、エリック・クラプトンを始めとして、アメリカですごい人気のデレク・アンド・ドミノスのメン
    バー、リンゴ・スターも入っている。プロデュースは、ジョージ・ハリソン本人。そして、フィル・スペクター。彼の音世界の
    作り方は、聖心的なものとうまくマッチした。すごく合ったんだよね。だからこのアルバムは、当時は本当に良く出来たすごい
    アルバム。それから、そのアルバムには、ビートルズ時代に採用されなかった、ジョンやポールが使ってくれなかった曲。そして
    書き溜めた曲、オンパレード。まさに名盤というアルバム「All Things Must Pass」。これが、38年前の今日、イギリスで発売に
    なっています。さあ、きょうの一曲は、70年になってビートルズのソロアルバムが出そろうわけですが、この曲が最初にNo.1に
    なっています。訴えられたりした事件もあって、曰く付きの一曲ということですが、今聞いてもいい曲です。
    〜 George Harrison / My Sweet Load
214ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:17:14 ID:???0
    後半は、フィル・スペクターの世界になっています。フィル・スペクターとジョージ・ハリソンの音楽性が、ぴったし合いました。
    ジョージのギターを何回も重ねさせたのもフィル・スペクター。独特のジョージの音が作られたと言ってもいい。ただ、惜しむらくは
    この曲が盗作だってことを訴えられて、ジョージが負けた。というよりも、意識はしてなかったんだけど、こういう簡単な曲だからね
    「あ、きた! これは新しい曲が出来た!」と思った。誤解したんだよね。だけど、実は昔のメロディだったという。ジョージの元には
    罰金は払ってないんだけど、印税はそっちの作曲者に行くということで。
215ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:28:23 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズの四人の中で最年少であるジョージ・ハリソンは、一種独特なユーモアセンスの持ち主だった。それは、ビートルズが
   イギリスというウィットに飛んだ国の、しかもリヴァプールというローカル色豊かなな街の出身だったこと。そして、四人共が
   豊かな環境では育っていないというところに理由があった。まさに彼らは、自分たちの対面を守ることも、取材陣の前でスカした
   ところを見せることも、まったくもってゼロ。いつも、ライブ・パフォーマンスそのものであり、失うものなど何一つない。まさに
   ロックの生き様そのものだったのである。実際、ビートルズのプロデューサーとして有名になるジョージ・マーティンとの、最初の
   レコーディングセッションの時にも、ユーモアに関しての逸話は残されている。クラシック畑出身で、イージーリスニングやコメディ
   のレコードを作るプロであったジョージ・マーティンは、個人的にはティーン・エイジャーのためのポップ・ミュージックは、あまり
   好みではなかった。しかし、EMIパーラフォンとしては、時代の流れ、つまりロックン・ロールのブームに乗り遅れることは許され
   ない。つまり、マーティンは会社の命令として、ロックの新しいアーチストを捜していたのである。しかし、コロンビアレーベルの
   アイドルスター、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズに対抗できそうなグループは、そう簡単に現れてくれなかった。そんな時
   マーティンの前に現れたのが、リヴァプールからやって来た、ブライアン・エプスタインという青年。ジョージ・マーティンは
   ブライアンの言うビートルズというグループには、それほど興味をそそられなかったが、なぜかこのブライアンのいう青年には
   他の誰にもない、オーラのようなものが見えた。つまり、この男となら仕事がうまくできるかもしれないと思わせる雰囲気を感じ
   取ったのである。こうしてビートルズは、ロンドンのセント・ジョーンズウッドにあるEMIのアビーロード・スタジオで最初の録音を
   行うことが決まった。スタジオのスケジュールは、1962年6月6日午後6時に押さえられたのである。
216ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:36:55 ID:???0
    〜 The Beatles / Love Me Do (Anthology 1)
    〜 The Beatles / Across The Universe

   おなじみの曲が続いています。「Across〜」は1970年「Let it Be」から。そういえば、きょうの最初にジョージの曲をかけたけど
   70年はビートルズのアルバムが出て、メンバーのソロアルバムも出て、すごい年だったんだねー。その前は「Love Me Do」という
   有名な曲ですが、実はこれ1990年代に入って出ました「Antoholy」に入ってるヤツで、ドラムスがリンゴじゃなくて、ピート・ベスト
   が叩いていました。違いに気づきましたか?
217ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:49:20 ID:???0
  ・ビートルズが三回目のハンブルグ遠征を終え、帰国してから一週間とたたない季節外れの寒い夜、機材運びと付き人であるニール・
   アスピナルは、とてもスタジオのようには見えない、アビーロード3番地にある、ビクトリア調の白い建物の駐車場に車を入れた。
   最初は、本当にスタジオなのか、管理人に確認したほどである。ニールとビートルズは、ハンブルグでのスタークラブの三週間に及ぶ
   演奏の毎日ですっかり疲れきっていた。そして、ビートルズと同じく、くたびれてしまった機材もスタジオの中に運び込まれた。この
   数週間前、ハンブルグにいたビートルズの元に、マネージャーのブライアンから、電報が届いていた。この頃ビートルズは、ハンブルグ
   ですっかり人気者になっていて、出演集のスタークラブが宿舎に当ててくれたホテルも、まずまずのクラス。その日も明け方まで演奏
   していた四人は、当然のごとく昼過ぎまでは死んだように眠っていて、電報を受け取ったのは、たまたま早起きしていたジョージで
   あった。ブライアンからの電報は、EMIパーラフォンでのレコーディングセッションが決まったという、彼らにとって、この上ない吉報
   だった。
218ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 18:51:08 ID:???0
若いジョージは思った。(ああ、これで貧乏暮らしとはおさらばだ。スポーツカーだって、プール付きの大きな家だって、何で
   も買える。そうだ、リヴァプールに住んでる親父には、キャンピングカーを買ってあげよう。)何とも可愛らしい、短絡で無邪気な妄想
   である。そして、ついにその、レコーディングの日がやって来た。スタジオの職員たちは、リヴァプールからおかしな髪型をした連中が
   きたと一様に話題にしていた。実際のところ、この日の録音はまだ正式なものではなく、いわばオーディション代わりである。もちろん
   そのことをビートルズは知らない。プロデューサーのジョージ・マーティンも、この日の仕事は、アシスタントのロン・リチャードに
   任せて、EMIの食堂で別の仕事の構想を練っていた。しかし、何曲か録り終えるとすぐにスタジオに呼ばれた。マーティンはすぐさま
   ビートルズの魅力に取り付かれてしまった。そして、かなり疲れきって不機嫌そうなビートルズに対して、たずねた。「君たち何か
   不都合はあったかね?」すると、ジョージ・ハリソンが答えた。「そうだな。あんたのネクタイが気に入らないな。」
    〜 The Beatles / Devil in Her Heart
    〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
219ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 19:04:22 ID:???0
  ・EMIアビーロードスタジオでの、オーディションセッションは終了し、疲労困憊、疲れきって笑顔もないビートルズに対し、プロデューサー
   のジョージ・マーティンが聞いた。「何か不都合なことでもあったのかな?」四人は場が悪そうに目を伏せ、互いに見つめ合っているだけ
   であった。そんな空気の中、床に寝転がっていたジョージ・ハリソンが声を上げた。「不都合って言われたらあるよ。まず、あんたの
   そのネクタイ、気に入らないね。」このひねりの利いた発言に、その場の雰囲気は一気に和らいだ。ジョージはビートルズの中で最年少
   メンバーではあったが、どこかひねりの利いた発言をすることが多かった。もちろん、ジョンもポールも、そしてこの時点ではまだメンバー
   になっていなかったリンゴも皆、ウィットに飛んだジョークを得意としていた。こうしたビートルズのキャラクターは、プロデューサーの
   ジョージ・マーティンを音楽性以上に魅了した。マーティンは思った。(こいつらは、音楽で成功しないかもしれない。だが、間違いなく
   人を引きつける何かの魅力を持っている。よし、契約だ。)こうしてビートルズは、メジャーであるEMIパーラフォンと契約することに
   なった。マーティンはさっそく、この先のプランを考えた。(まず、二枚のシングルを作ろう。そのセールスの結果によっては、アルバム
   の発売を考えれば良いか。)さすが、業界の長いジョージ・マーティンだけあって、慎重なプランである。さらに、曲についても考えた。
   (どうも、今回録音した四曲は、本来の彼らの持ち味の明るさとユーモアにかけている。やはり、オリジナルでは無理か。ビートルズを
   華々しくデビューさせるには、音楽出版社を廻って、プロの書いた曲を探し集めるしかない。)ジョージ・マーティンは、そう考えていた。
   このときまだ、ビートルズがロック史上最大のアーチストになるとは、誰も考えていなかったのである。
220ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 19:25:41 ID:???0
□リクエスト
  ・両親が車の中などでかけ、幼い頃から耳にしていたビートルズの楽曲。中一になって、「1」によって、それが心の奥から呼び起こされ
   というとおおげさですが、彼らのマジックで、今となってはビートルズにつかりっぱなしの生活です。そうして、ビートルズばかり
   聴いてるせいか、最近ビートルズを聴くと飽きや、精神を集中して疲れてしまい、聞かないでおくと聞かずにはいられない、中毒症状
   に陥っています。そんな状態を救ってくれるのが、メンバーのソロ時代の楽曲です。結局ビートルズなんですが、今回はジョージの命日
   も近いことですし、有名ではないけど美しいナンバーをリクエストします。(川崎市麻生区/男性)
    〜 George Harrison / Life Itself

  ・若かりし頃、バンドを組んでビートルズの曲を、あれこれコピーしていました。筋金入りの音痴なので、リードギターをやっていたのは言う
   までもありません。(長野県塩尻市/男性) 奥さんが、大学の生涯教育のピアノ教習に通うことになり、課題曲に「Let it Be」を選んだ
   よです。少しは弾けるようですが、先生のお褒めの言葉はなかなか聞けないようです。実は、指は二本でいいですよと言われてしまい
   これで火がついて、家でもエレクトーンで練習に励むようになりました。奥さんにホンモノを聞かせてください。(千葉市/男性)
    〜 The Beatles / Let it Be
221ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 19:26:21 ID:???0
>>220の前に、これを入れるのを忘れてました。すみません。

    〜 The Beatles / It Won't Be Long
    〜 The Beatles / Hey Bulldog

   楽しそうにやっています。ポールは、ああいうのが好きだった。最近のポールのニュースですが、ポールが「14分のアヴァンギャルドな
   音源が出てきた」と、これはリンゴがイビキを出していたり、それはそれは面白いものでと、イギリスのBBCか何かで放送されたのかな。
   そんなことが、ニュースで伝わっています。その前は、もうすぐ僕は君のものという、初期のビートルズらしい曲。
222ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 19:31:57 ID:???0
  ・栃木の山の中のへんぴな小学六年生のある日、プレイヤーもない環境で、ラジオで「抱きしめたい」を聞いたとき、頭を撃たれたような
   背筋がぞくっとしたような感覚が、今でも忘れられません。布団の中で、夜遅くまで隠れて聞いていると、熱でラジオが溶けて、変形して
   しまいました。翌日父は、見かねて安いレコードプレイヤーを買ってきてくれました。毎日、すり切れるほど聞いたものでした。
   (春日部市/男性)
    〜 The Beatles / Dizzy Miss Lizzy

   (小林)(リクエスト者は)病気をしてますからね、お大事に。

  ・先日、デーブ平尾さんが亡くなりました。63歳、あまりにも早過ぎるし、残念でたまりません。鈴木ヒロミツさんに続き、とても貴重な
   和製リズム&ブルースバンドがなくなってしまったわけで、ビートルズ同様、これでオリジナルメンバーによる演奏を聴くことが出来ない
   のだなあと思うと、悲しくて悲しくてしかたありません。(台東区/女性)
    〜 THE GOLDEN CUPS / 愛する君に
223ポール・キロックトニー:2008/11/30(日) 19:33:46 ID:???0
(小林)ジョージを中心に話しても、ビートルズは面白い。ジョンを中心に話しても、ポールを中心に話しても、リンゴを中心に話しても面白いと
   いう、さすがビートルズ。
224めぐ:2008/11/30(日) 19:37:14 ID:n8idOwYd0
ポールは 見損なった 散々文句垂れておきながら トヨタの
車 ただで もらったなんて スターとして 失格だ 意外と
ヘザーの言う事は 正しいかもね 文句 言った 以上は 金払うべき
だと思うよ 金残して 何の意味がある くだらない メス豚に
金使うんだったら 黒人の おかげで 売れたんだから アフリカに
225めぐ:2008/11/30(日) 19:40:41 ID:n8idOwYd0
木でも 植えてやれ そして 水道でも 作ってやれ 一部分にばかり
日 当てたって 何の意味もないわ どうせ 偽偽善者だ通の 見抜いていたが
ていたが そこまで 汚いとは この人 アメリカに寄付しているけど
なんで あの国に寄付する必要あるのだ 愛する リンダ様の
国だもの その程度だろう あの人の 活動なんて
226ホワイトアルバムさん:2008/12/01(月) 10:47:54 ID:EJp4v3Gb0
>>222オイラは24歳。車運転中に聞いてたけど
初めて聞いたゴールデンカップスの曲が良すぎて耳からはなれません
227ホワイトアルバムさん:2008/12/01(月) 12:15:50 ID:???0
>>222
>オリジナルメンバーによる演奏を聴くことが出来ない

ブッチが既に故人なんだけどね・・・
228ホワイトアルバムさん:2008/12/01(月) 14:53:29 ID:CnpnCqAVO
ゴールデンカップス
ていいよ!
229ホワイトアルバムさん:2008/12/01(月) 15:46:35 ID:???0
【世論調査】最も信頼できる媒体は「ネット」で36.9% ついで「テレビ」が20.5%、新聞は11.5%
http://wiredvision.jp/news/200811/2008112719.html
パチンコ解禁は断末魔? 信頼も文化も失ったテレビとCMの未来
http://www.cyzo.com/2008/07/post_735.html
視聴者激減のテレビ・新聞に広告効果なし?マスコミが必死で隠す「花王ショック」とは
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318812603
【大橋巨泉氏】「テレビは貧困層の王様」「負け組、貧乏人、それから程度の低い人が見ているんです。」
http://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060127005218_print.shtml
「押し紙」率7割!老舗販売店経営者が直言「毎日新聞は癌末期」
http://news.livedoor.com/article/detail/3394103/
230ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 18:13:08 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年12月7日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月7日)
  ・1963年 (45年前)
    まだアメリカで、誰もビートルズを知らない。しかし、イギリスでは大変なことになっています。だ・か・ら、45年前のきょう
    イギリスで発売になったビートルズの2枚目のアルバム「WITH THE BEATLES」、これがいきなりNo.1になっちゃった。ね、
    発売早々No.1。そして、それまでのNo.1は、自分たちのデビューアルバム「PLEASE PLEASE ME」、これがNo.1だったんだけど
    自分たちのアルバムを蹴落として、1位を獲得して、初のミリオンいっちゃったっていう、すごいことになってますね。このアルバム
    は、半分がカバーで、後はレノンとマッカートニーの作品で、ようやくジョージの曲も採用された。リンゴのボーカルも1曲入って
    いた。こんな感じなんですが、ジャケットのビートルズの写真、有名なロバート・フリーマーが撮ったんですが、彼らの顔を片側
    からライトを当てて、片方が影になるという手法ですね。これは、ビートルズがハンブルグにいた時に知り合ったアストリッド、
    この彼女は、ビートルズの当時ベースをやっていたサトクリフの彼女ですよね。で、ビートルズはハンブルグにいた時に、演奏相手
    は、酔っぱらった船乗りとか、船関係の人がほとんどだったんだけど、やっぱりすごかったのは、ドイツの芸術的にとても敏感な
    若者たちがビートルズを既に発見していた、アート系の学生たちです。その中に、アストリッドがいた。で、ビートルズは彼らから
    ヘアスタイルとか、ファッションとか、色んな影響を受けているんですよ。
    〜 The Beatles / Please Mr. Postman
231ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 18:26:07 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・「気に入らないところがあるかって? それなら、あんたのネクタイが気に入らないね!」EMIパーラフォンのベテランプロデューサー
   その道のプロ中のプロであるジョージ・マーティンに向かって、まだ19歳のジョージ・マーティンが平然とこう答えた。もちろん
   イギリス流、それもリヴァプール仕込みのジョークのつもりだった。マーティンは、一瞬あっけにとられて沈黙したが、すぐに場の
   空気が和み始めた。この瞬間、ジョージ・マーティンは、何か魔法にでもかかったかのように、ビートルズのとりこになってしまった。
   そして、それまで考えていた誰をメインに持ってくるかという問題も、一気に解決した。ビートルズは、誰がメインか、そんなの
   問題じゃない。グループとしての魅力にあふれている。このまま、このままでいい。4人全員が演奏して、全員が歌う。よし、それで
   いこう。ジョージ・マーティンの決断は正しかった。この時の決断が、後のビートルズの世界制覇を決定づけたと言っても過言では
   ない。そして、ビートルズはデビューシングルのレコーディングのため、9月に再び、EMIアビーロードスタジオにやってきた。また
   しても、リヴァプールから車での長旅である。この時のビートルズは、マネージャーではなく、自らの決断で、それまでのドラマー
   ピート・ベストをクビにし、あらたにリチャード・スターキー、つまりリンゴ・スターを迎え入れていた。このドラマー交代劇に
   関しての、ジョン、ポール、そしてジョージの判断には、とても二十歳そこそこの若造の判断には思えない、計算が隠されている。
   それは、ピート・ベストはクビにした。でも、ピートの家の下宿人で、親友であり、さらにはビートルズのローディ、つまり機材運び
   兼運転手のニール・アスピノールは、そのまま引き止めたことにあった。なんせ、ニールはおんぼろではあったが、白のバンを持って
   いた。今、この車がなくなっては、音楽活動に支障をきたすと判断した。これには、クビになったピートも文句を言わなかったとされ
   ている。こうしてビートルズは、サクセス・ストーリーを着々と進めていくのである。
232ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 18:37:40 ID:???0
    〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
    〜 The Beatles / She's a Woman

  ・ビートルズになれなかった男ピート・ベストは、寡黙な男であった。そして、昔気質な男であったとも言える。バンドの中では黙々と
   自分の任務を果たすだけであったし、遠征先のハンブルグでも滅茶苦茶になることはやらなかった。ピートの母親モナは、なかなかの
   やり手で、自宅の地下室を改造し、カスバというクラブを経営していた。もちろんここには、ビートルズも出演しただけではなく
   一時モナはビートルズのマネージャーも兼任し。演奏する仕事をあてがっていた。これもすべて、かわいい息子ピートのためと、せいを
   出していたのである。さらにモナは、自分の家の下宿人である若い会計士、ニール・アスピノールにビートルズの機材運び兼運転手
   つまり、ロックの世界で言うところのローディをやらせていた。ニールは白いバンを持っていただけに、ビートルズにとってはまさに
   至れり尽くせり、渡りに船であった。今回のドラマー交代劇、つまりピート・ベストをクビにして、リンゴ・スターを入れるという
   発案は、マネージャーのブライアンやプロデューサーのジョージ・マーティンの入れ知恵ではなく、ジョン、ポール、そしてジョージの
   三人が決めたこと。そこには間違いなくこれからの先々を見据えた展望があった。三人が考えた結果は、こうであった。
233ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 18:41:08 ID:???0
   ピートはクビにする。でも、ニールはそのまま。つまり、今ニールにやめられてしまったら、楽器は誰が運ぶんだ? EMIのあるロンドンまで
   誰が車を運転するんだ? 車はどうやって調達するんだ? ということである。もちろん、ピート・ベストの家の下宿人でもあったニール
   は面食らった。おまけにピートの母親モナは、怒り狂った。あれだけ良くしてやったというのに、ビートルズの連中は恩をあだで返す
   のかい? ごもっともな見解である。人情に厚いニールは困ってしまい、ピートに相談した。ピートの反応は意外だった。「彼ら
   ビートルズは、この先間違いなく成功して、ロックのスーパースターになる。君も、彼らを信じてついていったらいいと思うよ。」
   ピートは、疑いもなくそう語った。こうして、ニールは会計士の道をあきらめ、バンドのスタッフとなり、後にビートルズの会社
   アップルの重役となり、運命を共にするのである。
    〜 The Beatles / Besame Mucho
    〜 The Beatles / Octopus's Garden
234ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 18:55:30 ID:???0
  ・1962年9月のEMIアビーロードスタジオでの2度目のセッションの前、ビートルズはそれまで苦楽を共にしてきたドラマーのピート
   ・ベストを解雇し、当時リヴァプールで最も人気のあったグループ、ロリー・ストーン&ハリケーンズのドラマー、リチャード・
   スターキー、あのリンゴ・スターをあらたに迎え入れた。リンゴとは既にライブスポット、コンサート会場でも共演し、よく知る仲
   でもあったし、遠征先のハンブルグでも一緒になることもしばしば。時には、ビートルズの代役を頼むこともあった。さらに付け加える
   と、ハンブルグでは、色んないけないことも一緒にやった間柄である。ビートルズの中では、特にジョージが親しかった。メンバーの
   交代劇は、リヴァプールではそれほど珍しいことではなかったが、これが既に人気バンドとなっていたビートルズの話となる事情は
   違っていた。マネージャーのブライアンが雑誌関係者に流した話によると、今回の交代劇は双方合意の上でのことということになって
   いたが、事実はそうではなかった。大勢のピートの熱狂的なファンが不満を爆発させ、大騒動へと発展してしまったのである。ある夜
   ジョージの乗っていた中古車がボコボコにされたり、ピートを復帰させて欲しいという嘆願書がブライアンの元に提出されたり、あら
   たにリンゴをくわえたビートルズがキャヴァーン・クラブへ楽屋入りしようとすると、その前の通りマシュー・ストリートでは暴動が
   起こったりした。この事件と前後して、ジョージにはかなり災難が降り掛かった。自分のつき合っている女の子が、あまりにもビート
   ルズに夢中になっている。男としては、面白くない。いったい何なんだ、まったくもって気に食わねえ! と怒りに震える一人の若者が
   突然ジョージに殴り掛かってきたのである。結果、ジョージの左目のまわりには、青あざが出来てしまった。レコーディングセッション
   の時に撮られた写真にも、ハッキリと写っているのである。
    〜 The Beatles / If I Needed Someone
    〜 The Beatles / Lovely Rita
235ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 19:14:22 ID:???0
□リクエスト
  ・大学に入って上京して、23歳になりまして、久しぶりにラジオをつけてみたら、なんと「ビートルズから始まる。」をやっているじゃ
   ないですか。昔、千葉にいた頃は毎週書かさずに聞いていました。そう、僕は東京ではbayfmが聞こえないものと思い込んでいたんです
   恥ずかしいです。東京で聞けるとなったら、また欠かさず聞くという生活が続きそうです。(世田谷区/男性)
    〜 John Lennon / Mind Games

  ・毎週、競馬場のからの帰りにオケラになりながら聞いています。ビートルズの曲で「Two of Us」というのがありましが、二年前まで
   Usを地球のEarthと間違えて、思い込みとは恐ろしいもので、ビートルズは地球のことも歌ってさすがだなあ。今風に言うとエコなこ
   とを当時から考えていたんだ、すごい!という内容でこの番組にもリクエストを送ってみたところ、題名を間違えていたのに、リクエ
   ストは答えてくれました。しかし、メールの内容はやはり読んでくれず、名前だけをよんでくれたのは言う間でもありません。今
   考えるととても恥ずかしく思います。(八千代市/男性)
    〜 The Beatles / Two of Us

   (小林)いやあ、まあそんな感じもするよね。別にいいんだよね。
236ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 19:25:31 ID:???0
  ・11月18日、ビリー・ジョエルが日本で一夜限定ライブ、すべてヒット曲ばかりだったそうで、行きたかったな。ビリー・ジョエルは
   ビートルズのメンバーとも親交が深かったようですが、ジョージとはどうだったんでしょうか。アルバム「ナイロン・カーテン」は
   ジョージのギターがきこえるような気がします。(江東区/男性)
    〜 Billy Joel / Surprises

   (小林)ビリー・ジョエルは、ストレンジャーなんかが入っているアルバムをフィル・ラモーンと作るのに、自分の音を作るのに成功する
      んだけど、欲を出して、というと失礼になるんですが、ビートルズの「サージャント〜」を目指して、「ナイロン・カーテン」を
      作るんですよ。だから、結構ビートルズっぽいでしょ? けど、ちょっと暗い。ビリー・ジョエルに合わない。もともとメッセージ
      っぽいことをやったりするの好きなんだけど、合わないってことで、これは売れなかったんですよ。ビリー・ジョエルは、オート
      バイ事故に遭うとか、カミさんと別れるとか、最悪の時期があるわけですが、それから忘れた!もうこういうことは!!ってんで
      アップタウン・ガールとかをやって、また「ビリー・ジョエル」に戻ってきたというわけですね。
237ポール・キロックトニー:2008/12/07(日) 19:35:28 ID:???0
  ・この前、話題にしていたパティ・ボイドの自伝ですが、題名は何ですか? 日本で発売されてるんですか? 読んでみたいんで、教えて
   ください。ジョージ・ハリソンで、「Long Long Long」をかけてください。アルバムの中で、ジョージの曲の声はいつも「小さいな」
   と感じてしまうんですが、僕はその小ささがかえってメロディに合って良いなと思います。(台東区/男性)
    〜 The Beatles / Long Long Long

   (小林)日本語訳は出てないですよね。出てる? 出てるそうです。「ワンダフル・トゥディ」というタイトルで出てるそうです。
      粘って買ってください。こういうシブい曲のリクエストもよろしく。もちろん、大ポップスもOKです。

(小林)先週は、ジョージ・ハリソンの命日の翌日放送して、あっという間に今度は、ジョンの命日の前の日ということでしたが、いかが
   でしたか。ビートルズが売れてきた頃の話になっています。で、ジョージ・ハリソン中心にお送りしていますが、ジョージには独特の
   ジョークのセンスがあった。みんなビートルズはしゃべっても面白い。それぞれの面白さがありますね。いちばんおしゃべりがうまくて
   うまいってのは、如才なくしゃべるってのではなくて、人を感服させるおしゃべりのうまさは、やはりジョン・レノン。ジョンの
   おしゃべりっていうのは、彼は誰も恐れぬ、心の中のそのままを言葉にするっていうことで。ほら、女王様たちの前で「金持ちは宝石を
   じゃらじゃら鳴らして〜」なんて有名な話ですけど。ポールも皮肉いっぱい。ポールの舎弟のジョージも。リンゴはとぼけた味。
   だから、ジョージ・マーティンがビートルズは音楽なくてもすごいなって言うのは当たり前ですね。
238ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 18:10:25 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年12月14日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月14日)
  ・1963年 (45年前)
    先週から、「With The Beatles」のアルバムはNo.1を続けています。そして、シングルのチャートで初登場1位に入ってきたのが
    「I Want to Hold Your Hand」。この曲は、レコーディングした時は17テイクとっていたんだけど、どれも同じ出来だった。
    デビュー2年目にして、これぞビートルズという曲が出てきたわけです。ご存知の通り、アメリカでの、そして世界各国でのデビュー曲
    であります。アメリカは、キャピトルレコードというところが「ビートルズは、アメリカで売れないでしょ」っていうことで
    なかなかOKしなかったんだけど、まあやってみるかってことで、翌年の1964年1月13日に発売します。そして、2月1日には
    全米No.1になる曲です。君の手を握りたいっていう曲なんだけど、これを聞いたボブ・ディランが「完璧にこれはドラッグの歌だ」
    と。♪I get high〜(ハイになるんだ)と歌っていると思ったらしいんですけど。ビートルズは、I can't hide(その気持ちは隠す
    ことが出来ないんだ)と歌っていた。これは、有名な話で、この番組でも話したことがあります。
    〜 The Beatles / I Want to Hold Your Hand
239ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 18:24:44 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・1962年9月のEMIアビーロードスタジオでの二回目のレコーディングの前、ビートルズはそれまで苦楽を共にしてきたドラマーの
   ピート・ベストを解雇し、当時リヴァプールで最も人気のあったグループ、ロリー・ストーン&ハリケーンズのドラマー、リンゴ・スター
   を新たに迎え入れることを決意した。その3ヶ月前の6月6日、ビートルズはロンドンのアビーロードスタジオで、最初のオーディション
   を受けた。もちろん、この時のドラマーは、ピート・ベスト。この日のピートの演奏について、プロデューサーのジョージ・マーティン
   は、特にどうという印象を受けなかった。プロの耳で聞いたら、20そこそこのグループがうまいわけはない。そんなことは最初から
   期待していなかった。しかし、シビアな目で見てみると、ピートのドラムはレコーディングのレベルに達していないことが明らかだった
   ため、レコーディングが終わるとマーティンは、マネージャーのブライアン・エプスタインをオフィスに呼んで、きちんと話している。
   「あなたがこのバンドをどうしたいか、私には良くわからないが、このドラマーは私の望むレベルに達していない。レコードを作ると
   したら、こちらでプロのドラマーを連れてきたいと思う。これは、あなたたちにとっては、そう大きな問題にならないでしょう。
   レコードの中でドラマーが差し替えられてるなんて、発表しなければいいわけですから。」マーティンの見解は、プロフェッショナルの
   レコードプロデューサーとしたら、きわめて正しいものであった。もちろん、この意見にブライアンは一言も反論しなかった。そして
   他の3人のメンバーと一緒にセッションの興奮もさめやらぬ様子で楽器を片付けているピートにも、このことは伝えられなかった。
   この時マーティンは、レコードを作るとしたらとは発言したが、実際に何をどうするか、まだ具体的にはプランを立てている最中だった。
   ただ、ドラマーの腕はともあれ、このビートルズというグループには、それまでに感じたことのない、明らかに独特の魅力を強く感じて
   いたのである。
    〜 The Beatles / Ask Me Why
    〜 The Beatles / Nowhere Man
240ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 18:40:25 ID:???0
  ・ビートルズは、イギリスのどのグループにもない、不思議な魅力を持っている。プロデューサーのジョージ・マーティンは、予感が確信
   になっていくのがわかった。確かな手応えを感じ始めていた。だが、それと同時に、これほどまでに荒削りで、もしかしたら、まるで
   売り物にならない可能性があるグループと契約すれば、EMIにおける自分自身のプロデューサーという役職と地位も危うくなる ── と
   分かっていた。それに、この頃のマーティンは、プロデューサーとして脂がのりまくっていた時期であり、数多くのアーティストとの
   レコーディングで、予定はつまっていた。7月になってマネージャーのブライアンはようやくEMIから連絡を受けた。マーティンは
   ビートルズがEMIのパーラフォンレーベルでレコーディングすることを承諾したのである。しかし、そのアーティストとしての契約書は
   EMIが慎重に慎重を重ねて、自分たちに利益をもたらし、かつ自分たちが損をしない内容で作られた。分かりやすく言えば、出来る限り
   ケチ臭くまとめた。ビートルズにとっては隷属的な、馬鹿にされたような内容だった。その内容とは、初年度の1962年から63年に
   かけて、EMIはシングル盤4枚を発売し、ビートルズ側に対する印税は両面2曲入りレコード1枚につき1ペニー。つまり、1ポンドの
   1/100、わずか1円ぐらいのものである。その後は1年ずつ4回まで、契約延長が可能で、ジョージ・マーティンが判断する。各年度の
   見直しの度に、印税はレコード1枚あたり、1ファージン。つまり、たったの1/4ペニーだけ増えるという、あまりにしみったれた内容
   であった。しかし、このような、あまりに資本家側に有利で、アーティスト側を馬鹿にしたような契約内容も、おぼっちゃま育ちの
   ブライアンには、契約がひどいものかすら判断できなかった。いや、その節に異論を唱える者もいる。ブライアンは、元々一族の経営
   するNEMSのレコード部門を任されていた男である。ビジネスが出来ないはずがない。しかし、この契約ごととなると、ことごとく
   その無能ぶりを見せてはばからない。ビートルズを世界のスーパースターにした男、ブライアン・エプスタインがなぜ、こんな不利な契約
   を結んだのか。それも、いまだ謎に包まれたままなのである。
241ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 18:51:38 ID:???0
    〜 The Beatles / Honey Pie
    〜 The Beatles / You Like Me Too Much

  ・1962年7月、ビートルズはその後の世界制覇というサクセス・ストーリーから考えると、あり得ないほどの悪条件で、EMIパーラフォン
   と契約を結んだ。契約の席に座った、マネージャーのブライアン・エプスタインが無能であったのか、はたまた当時のレコード契約は
   ほとんどがレコード会社側に有利に作られていたのか、あるいは、ビートルズが成功するなんて誰も考えていなかったため、契約内容
   よりも、早くレコードを出すことを第一に考えたのか。今となっては、想像するしかない。1回目のレコーディングセッション、実質的
   にはオーディションとなった録音の数日後、ビートルズのドラマー、ピート・ベストは、ある男から妙なことを言われた。「あいつらは
   お前を追い出そうとしてるんだ。でも、出来ないんだ。お前には、ファンがたくさんついてるからな。奴らは、そのファンを失うことが
   怖いんだよ。」そう言われても、ピートには全くわけの分からない、たわ言にしか聞こえなかった。同じ頃、ビートルズが根城にしていた
   リヴァプールのクラブ「キャヴァーン」のDJ・司会者ボブ・ウーラーは、夕暮れになるといつもの行きつけの店「ダニー・イングリッシュ
   」に行った。そこには、ビートルズのマネージャー、ブライアンとポール、ジョージが、打ち合わせの最中だった。この日、ボブは長年
   の信頼できる相談相手として、ビートルズから着て欲しいと要請されていたのである。何の相談なのか? ブライアンからは、まったく
   聞かされていなかった。しかし、話の流れで、ボブはすぐ気がついた。そして、ブライアンの口から、決定的な一言が発せられたのである。
   「ボブ、ビートルズのメンバーはピートを解雇したいと言っている。プロのDJである君の意見を聞かせて欲しいんだ。」ボブは、あまり
   の驚きに、すぐには言葉が出なかったのである。
242ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 19:11:57 ID:???0
    〜 The Beatles / Ain't She Sweet
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

□リクエスト
  ・ビートルズの見事なカバーなので、お願いします。(住所不詳/男性)
    〜 高橋幸宏 / Tomorrow Never Knows

  ・4年前、14歳の頃ビートルズの大ファンになってから、ジョンのこの歌もお気に入りで、ずっと聞いてきました。オリジナルもだいすき
   ですが、やはりジョンのこの声がいいです。(千葉市若葉区/男性/高校生)
    〜 John Lennon / Stand by Me
243ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 19:24:16 ID:???0
  ・ぼくが中学生の頃、英語の授業で使っていたラジカセでかけて、友達とおどっていました。(習志野市/男性/40歳)
    〜 Arabesque / Peppermint Jack

  ・来日しましたね。高校のときからのファンでした。自分も時間が取れれば、一日限りのコンサートに行きたかったです。自営業のぼくは
   時間を取ることが出来ず、泣く泣く我慢。その頃のアルバム「イノセント・マン」は、すり切れるんじゃないかと思うほど聞いたなー
   となつかしく思い出しました。(守谷市/男性)
    〜 Billy Joel / An Innocent Man

   (小林)レコードがすり切れる! この感じは、若い人には分からないよね。CDからの人にはね。結構良かったみたいよ。ぼくは、ビデオ
      でしか見なかったんだけどね。コンサートが終わったら、羽田から27歳のカミさんとバリへね。やるよね、ビリー・ジョエルは。
      東京でのコンサートは、他の国とは違って、ストレンジャーから入ったらしいよ。日本ではウケたから。昔からジャイアンツの
      ことを良く知ってて、ジョンソンとかのファンで、80年代日本に来たときは、わざわざ後楽園球場に応援に行ってたもんですよ。
244ポール・キロックトニー:2008/12/14(日) 19:27:28 ID:???0
(小林)初期のレコード契約は最悪だったんだよね。最後にビリー・ジョエルの話しましたが、ビリー・ジョエルは、ビートルズが大好きで
   ビートルズのサージャント〜に負けないようなつもりで「ナイロン・カーテン」というアルバムを作っています。今、アメリカはどん底
   でしょ? その頃もどん底だった時代でね、暗いアルバムでね、売れなかったんですよ。ですが、気になる方は、もう一度「ナイロン・
   カーテン」聞いていただくと、なかなかシブい曲が入ってたりして、いいアルバムなんですよね。
245ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 18:11:54 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年12月21日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月21日)
  ・1967年 (41年前)
    比較的、有名な日なんですよ。ロンドンで、リンゴのカミさんのモーリーンとリンゴ、ジョンと、ポールと、ポールの婚約者
    ジェーン・アッシャーがマジカル・ミステリー・ツアーお披露目パーティーが開かれて、4人が会場に来ました。マジカル・
    ミステリー・ツアーは映像作品です。世界全国で売ろうと考えていました。ポールは、サンフランシスコに行って、1967年って
    いうと、サイケデリック元年ですから、独特のロンドンにはない盛り上がりがあって、一つのバスを借り切って、アメリカを
    色んなところに行って、それを撮影して、その頃の言葉で言うと「ハプニング映画」を作ろうってわけだったんですよ。しかし
    12月26日のクリスマスの翌日がボクシングデーっていうんですが、BBCで特別番組として放送されて、評論家たちは散々!
    こんなものよく作ったねー。ジョン・レノンに至っては、史上最高の金をかけたホーム・ムービー、最悪だ!五億円以上かけた
    らしいんですけど。だから、その当時の評判は良くなかった。しかし、そのお披露目パーティーに参加したのが、41年前のきょう。
    でも、改めて聞いてみると、よく努力したのが分かる。そんなに悪くはない。音楽もね、シブい曲が入っているじゃないかって
    分かります。
    〜 The Beatles / Magical Mystery Tour
246ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 18:25:10 ID:???0
□ジョージの目から見たビートルズ史?
  ・「俺たちビートルズは、ドラマーのピート・ベストのことをクビにしようと考えている。付き合いの長いお前さんに聞きたいんだが
   どう思うかな。」そう、相談を持ちかけられたのは、ビートルズが地元リヴァプールで根城にしているクラブ「キャヴァーン」のDJ
   ボブ・ウーラーだった。ボブにとってビートルズは、兄弟も同然。もちろん、ドラムスのピート・ベストだって、ずっと応援してきた
   仲間である。ピートをクビにすることをどう思うか、なんて質問に、すぐに答えられるわけがない。マネージャーのブライアン・
   エプスタイン自身はピートをやめさせたいという、ジョン、ポール、ジョージの申し出に、しばらくは反対していた。ブライアンは
   ピートはライブ要員として確保して、レコーディングの時には、プロデューサーのジョージ・マーティンの考え通り、スタジオ
   ミュージシャンに着てもらえば、ことは解決するんじゃないか。前に進んでくれると、考えていた。ブライアンは、ピートのことを
   ほんの少しも悪くは思っていなかった。それどころか、時間にいい加減なビートルズの中で、唯一いつも時間通りに現れるピートの
   ことを信用し、頼りにもしていたぐらいである。かつて、ビートルズがレギュラー出演し、今でも最も多く、ミーティング場所とし
   て使わせてもらっているカスバクラブは、ピートの実家であったし、そのクラブのオーナーであるピートの母親モナには、たくさん
   の恩義があった。ブライアンが現れる前、ビートルズに仕事を紹介し、応援していたのは、他ならぬモナ・ベストであった。それに
   今やビートルズの運転手兼機材運び兼ボディ・ガードのニール・アスピノールは、ピートの親友であり、同時にベスト家の下宿人で
   もあった。そんなベスト家の女主人モナを怒らせたらやっかいなことになると、ブライアンは重々承知していた。そんな中、EMIの
   プロデューサー、ジョージ・マーティン多忙のため、レコーディング再開の連絡もなかなかこない状態。こうして、ビートルズの
   ドラマー入れ替えの計画も、そのまま宙ぶらりんのまま、毎日が過ぎていたのである。
247ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 18:38:45 ID:???0
    〜 The Beatles / Dig a Pony (Naked)
    〜 The Beatles / Paperback Writer

  ・早くピートをクビにして、もっと腕の立つドラマーを入れなくては。メンバーチェンジにはあまり気の進まない、マネージャーの
   ブライアン・エプスタインを尻目に、ジョン、ポール、そしてジョージの三人のビートルズは、焦る毎日であった。ブライアンは
   早くもビートルズを契約したパーラフォンのニューグループとして宣伝しまくっていたが、実情はまだレコーディングのスケジュール
   も決まっていない、いわば飼い殺し状態である。ビートルズは以前のとおり、イギリス中のホテルのボールルームやコンサートホール
   を廻るツアー暮らしに逆戻り。イギリスの国営放送BBCの音楽番組「ノーザン・ダンス・オーケストラ・ショー」に出演した時など
   メンバーの中で最も人気の高かったピートは、冗談ではなく、本当に大勢の女性ファンに襲われた。その騒動の後、打ち上げの後に
   ある男がピートにこう話している。「なあ、ピート。信じられないかもしれないけど、ビートルズの他の三人は、お前さんのことを
   追い出そうとしてるんだ。気をつけた方がいいと思うよ。」もちろんピートは信じるどころか、考えただけで大笑いしそうになった。
   今、ビートルズはレコード会社との契約も決まり、波に乗っている。そんな状況で、自分がバンドから追い出されるなんて、あり得
   ないにもほどがある。話があまりにもおかしかったため、ピートは翌日、この事をマネージャーのブライアンに話した。もちろん
   ブライアンはビックリしたが、あわてて答えている。「なんて馬鹿げた話だ。冗談にもほどがあるよ。」こう答えるのがやっとだった
   ブライアンは、動揺を隠せず、顔を真っ赤にしていた。そして、7月後半になって、ジョージ・マーティンから知らせがとどいた。
   「お待たせしました。やっと契約書が用意できましたので、ロンドンまでお越し下さい。」もちろん、ビートルズにとっては、良い
   知らせである。契約が終われば、本格的なレコーディング。そして、デビューシングルの発売。順調に行けば、大ヒットも夢ではない。
   しかし、この一連の情報は、ピートにはいっさい伏せられたまま、まったく知らされないでいたのである。
248ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 18:56:44 ID:???0
    〜 The Beatles / I'm Down
    〜 The Beatles / Ticket to Ride

  ・ピート・ベストを(小林、声が裏返る)クビにして、もっとレベルの高いドラマーを入れる。この目論みについて、実際のところ
   ジョンは、どうでも良かった。たしかに、世の中にピートより良いプレイをするドラマーはいるだろう。しかし、ジョンは自分の
   歌に対しては執着していたが、ポールほどはバンドの演奏に関してはこだわりがなかった。まだ、プロとしての自我が芽生えていな
   かったのである。それよりも、今のジョンにはもっと深刻な、切羽詰まった問題があった。それは、学生時代から連れ添ってきた
   恋人のシンシア・パウエルのこと。ある日、口数の少ないシンシアが珍しく、自分から話を切り出した。「ねえ、ジョン。私、毎月
   くるアレがこなくなったのよ。」最初ジョンは、なんのことだか良くわからなかったが、冷静に考えてやっと分かった。「え?
   じゃあ、シンシア。俺たちの子供が出来たってこと?」そういった方面には全く無頓着なジョンは、どうしてシンシアが妊娠したの
   かも分かっていなかった。避妊の知識すら、ほとんど持ち合わせていなかったのである。最初、妊娠の兆候に気づき、一人で産婦人科
   を訪れたシンシアは、いかにもキャリアウーマンの匂いがする女医に、こっぴどく叱られてしまい、その場で泣き出してしまった。
   と同時に、自分たちのしでかしたことの重大さに恐ろしくもなってしまった。とは言っても、母親に話すことも出来ない彼女は
   当然のことながら、ジョンを頼りにした。こういうことに対しては潔いジョンは、すぐに結婚を決意した。「わかった、シンシア。
   こうなったんだから、結婚しよう。それが一番いいさ。何も心配はいらないから。」そういうジョンを、シンシアは心を預け、頼り
   にした。しかし、どうやって事を進めたらいいのか。二人には皆目見当もつかない。頼りになりそうなのは、ジョンのおばさんで
   育ての親であるミミただ一人。しかし、こんなことが知れたら、あの厳しいミミがただで済ますわけがない。事の真実はしばらく
   ジョンとシンシア、二人だけの秘密になってしまったのである。
249ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 19:14:48 ID:???0
    〜 The Beatles / Girl (※「番組の途中ですが、地震の情報をお送りします」のアナウンスが入る)

□リクエスト
  ・20年ほど前に買ったリアルタイムのロックCDが、ジョージのクラウド・ナインでした。ちょうど、レコードとCDの発売枚数が逆転
   したと記憶しています。レコードではなく、これからはCDだなと思って買った、初の現役ロックのCDがこれでした。ジェフ・リン
   は、いい仕事をしていると思います。(船橋市/男性)
    〜 George Harrison / That's What it Takes

  ・ELOの音楽を聴いて、ただただ感じるのは、ビートルズの愛に満ちあふれている。と考えているのは、おいらだけでしょうか?
   (千葉市花見川区/男性)
    〜 Electric Light Orchestra / Four Little Diamonds
   (小林)すべての人が感じるんじゃないですか?
250ポール・キロックトニー:2008/12/21(日) 19:26:36 ID:???0
  ・今回はポールをお願いします。(横浜市磯子区/男性)
    〜 Paul McCartney / Press

  ・中学の時、熱中していたチューリップが、今年長年の活動に終止符を打ちました。去年のツアーで見た彼らは、ビートルズという
   栄養を吸収した苗木が生長し、見事な果実をつけた大樹のような気がしました。(宇都宮市/女性)
    〜 チューリップ / Someday Somewhere

   (小林)きょうはELOといい、チューリップといい、ビートルズ・ダッシュみたいな…。ただ、両グループには、ジョン・レノンみたい
      な存在がいないんだよね。それが、ちょっとおもしろいところだと思いましたね。

(小林)リクエストの皆さんが、まったく個人的な音楽体験を話しているじゃないですか。そういうのがいいんですよね。リクエストをぜひ
   お送りください。ビートルズの初期の、ピート・ベストがクビになる話をしてますけど、バンドはこういうのがつきものだよねー。
   ぼく、分からないですよ。ホントは、どういう事なのか。誰がやめさせたのかって、いう。ぼくにとっては謎なんですけど。
251ホワイトアルバムさん:2008/12/22(月) 07:30:45 ID:NvqCZmmK0
キロックトニーさんいつもどうも。

ところで、ピート・ベストがジョージ・マーティンの差し金で辞めさせられた、
というのは、マーティンの自伝、耳こそはすべて(ALL YOU NEED IS EARS)河出出版によると
事実ではないようだ。
最初のレコーディングの時にピートが来なかったのでマーティンは非常に驚いた、と書いている。
マーティンのサジェスチョンでピートが辞めさせられたというのはまったくの
ウソだということだ。これに関しては、ジョージもそれを認める発言しているね。
252ホワイトアルバムさん:2008/12/23(火) 00:07:36 ID:???0
>>232に、「ジョージ・マーティンの入れ知恵ではない」とあるけど
ジョージ(ハリソン)は、なんて言ってたの?
253ホワイトアルバムさん:2008/12/26(金) 20:34:38 ID:???0
ジョージ「 自分にかなりの責任がある。
      リンゴをメンバーに入れようとジョンとポールに働きかけた。」
ポール 「 ジョージ・マーティンにドラマーを替える気はないかと言われた。
      プロとしての決断だった。」

というのが通説だと思ったけどなあ。
254ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 18:17:16 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年12月28日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(12月28日)
  ・1970年 (38年前)
    「マザー」が発売になっています。ジョン・レノンの「マザー」って曲はね、普通ね、シングルになったりする曲じゃないですよ。ポー
    ルだとか、ジョージ・ハリソンや、リンゴ・スターのシングルとジョン・レノンは、かけ離れています。まったく、プライベートなこと
    を歌にしたんですよ。お母さんに向かって、お母さんにばかりじゃないですよ、お父さんに向かって、叫んでる曲です。「帰ってきてく
    れ! 帰ってきてくれ!」こんな曲をシングルにして、ね。どうしようと思ったんでしょうか、考えられないよね。この頃、ジョン・レノ
    ンは、プライマル・スクリームっていう、心理治療をヨーコと受けています。これは、赤ちゃんとして生まれて、最初の叫び、その頃に
    戻って、色々曲がった精神的に苦悩があったかも分からないけど、その頃に戻ってもっと純粋な気分を勝ち取ろうよっていう心理治療な
    んですけど、それをやっています。つまり、この「マザー」ってのは、ジョン・レノンの心理治療そのままが出てるんですよ。「お母さ
    ん、どうして私を捨てたんですかー! 私を生んだだけなんですか−!」っていう、これがシングルだったんです。ジョン・レノンの心意
    気ってのもありますよ。ぼくは自分の音楽をこういう風に持っていきたいんだという一つの宣言でもあった、大切なアルバムです。だか
    ら、売れるはずがないです。売れなかったと言っても、しかし、ジョンです。最初は、あ、もうすぐ除夜の鐘が聞こえてくる季節でもあ
    ります。これは、ホラー映画の効果音にヒントを得たとも言われています。これから、始まるんです。
    〜 John Lennon / Mother

    すごいでしょ。ね、ジョン・レノンの魂が出てますよね。だから、ジョンの魂というタイトルにしたんでしょうが。この頃は、ジョンだ
    けが違う道を歩み始めた、そんな感じが皆にしたんじゃないかと思いますが。
255ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 18:32:07 ID:???0
□ピート・ベスト解雇
  ・「ブライアン、俺たちはピート・ベストをクビにしたいんだ」ビートルズとEMIパーラフォンとの契約も本決まりになりかけていた1962年
   7月、マネージャーのブライアン・エプスタインは、ジョン、ポール、そしてジョージの三人に相談を持ちかけられた。この、ピート・ベ
   ストを解雇するという案に、特に本気だったのはポールとジョージ。恋人のシンシアを妊娠させてしまうという事件のまっただ中にいた
   ジョンは、どちらでもいいと考えていたとされている。いずれにしても、この突然の申し出にブライアンは、すっかりうろたえてしまった。
   たしかに一ヶ月前、ロンドンのEMIアビーロードスタジオで行われた録音の際には、プロデューサーのジョージ・マーティンから、「ドラ
   マーのピートは使えない」と、ハッキリダメだしされている。しかし、使えないと言っても、それはレコーディングでのこと。ツアーに関
   しては、マーティンが口を出すことではない。争い事や面倒なことを最も苦手とするブライアンは、ピートはツアー要員、レコーディング
   の時には、もっと腕のいいミュージシャンを雇えばいいだろうと、安易に考えていたのだ。これに対し、ポールとジョージは、真っ向から
   食い下がった。二人は、ビートルズが本物のロックバンドとしてデビューし、世界に君臨することを信じてやまなかった。ポールは言った。
   「ブライアン。俺たちは、良い子のアイドルバンドじゃないんだ。」本物のアーチストがレコーディングで代わりのドラマーを雇うなんて、
   まったくあり得ないことであり、受け入れられるわけがない。ポールとジョージにとって、それだけは絶対に譲れない生命線であり、ロッ
   クの魂そのものであった。こうして、ビートルズとEMIパーラフォンとの契約は、ピートにはすべて秘密裏に行われた。ある日、すっかり
   メジャーデビュー気分になり、車を買うつもりでいるピートに、ポールはこう忠告した。「ピート。車を買うのは君の勝手だけど、お金は
   いつまでもあるものじゃない。貯めておくことも大切なことだよ。」
    〜 The Beatles / Like Dreamers Do (Anthology 1)
    〜 The Beatles / Rock and Roll Music
256ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 18:45:57 ID:???0
  ・メジャーデビュー直前になり、突然解雇。クビになる段取りとなった、ドラマーのピート・ベスト。実際のところ、ピートがクビになった
   本当の理由とは、一体どこにあったのだろうか。ビートルズの他の三人の言い分は ── まず、ジョン・レノン。「まったく罪のないヤツ
   だったけど、鋭さがなかった。他の皆は、頭の回転が速かったけど、ピートは俺たちについて来れなかった。そもそも、ハンブルグに行く
   時、ドラマーがいなくて、とりあえず入れただけだ。ルックスが良くて、女の子にモテたから、まともにドラムが出来なくても構わなかっ
   た。ちゃんとしたドラマーが見つかったら、降りてもらうつもりだった。」ポール・マッカートニーは、「性格の問題だった。プレイヤー
   としても、あまり良くなかったし、ぼくと違ってビートは、あまりにまともなヤツだったからね。」最後に、ジョージ・ハリソン。「ピー
   トは、ギグが終わると、一人で出かけて、僕らとつるもうとはしなかった。本番はよく休むし、そんな時、リンゴに代役を頼んでいた。リ
   ンゴがドラムを叩くたびに、これだ!と思ってたから、僕がリンゴを正式なメンバーにしようと、ジョンとポールに働きかけたってわけさ。」
   どれも一理あるようではあるが、決定的な理由かどうかは、定かではない。ただ、一つ言えることは、当時ビートルズが既にトレードマー
   クにしていた、マッシュルームスタイルの髪型。これに、一人だけ同調せずに、以前からのリーゼントスタイルを貫いていたのが、ピート
   であった。一説には、ピートはかなりの個人主義者 ── マイペースな人間であり、かつ、女性ファンには元も人気があったため、ポールが
   嫉妬していたというのも、クビになった大きな要因の一つと考えられている。こうして、ピートがビートルズをクビになる日は、刻一刻と
   迫っていたのである。
    〜 The Beatles / Love Me Do (Anthology 1)
    〜 The Beatles / That Means a lot (Anthology 2)
257ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 19:04:11 ID:???0
  ・「ピート・ベストをクビにして、もっとビートルズにふさわしいドラマーを入れたいんだ。」この提案に積極的だったのは、ポールとジョ
   ージであった。マネージャーのブライアン・エプスタインは、自分の裁量では判断がつかず、ビートルズを支援してくれている男、キャヴ
   ァーン・クラブのDJで司会者のボブ・ウーラーに、相談した。もちろん、ピートの友人であったボブは反対した。しかし、ポールとジョー
   ジの決心は、固かったのである。ビートルズが正式に、EMIパーラフォンとの契約を済ませた、1962年8月になっても、事の進展は、ピー
   トには伏せられたまま。つまり、何も知らせれていなかったのである。そして、8月15日水曜日。ついに、その日がやって来た。この日、
   ビートルズは、キャヴァーンのランチタイム・セッション ── つまり、「昼の部」のライブに出演した。そして、その翌日には、リヴァ
   プールから、車で一時間ちょっとの街チェスターにある、リバーパーク・ボールルームでの4日連続公演を控えていた。ピートはいつもの
   ように、自分で車を運転し、ジョンを拾っていこうと考えていた。キャヴァーン・クラブの楽屋を出る時、ピートはジョンに確認した。
   「ジョン、明日なんだけどさ。何時に迎えにいったら良いかな?」ジョンは表情を変えずに、つぶやくようにこう答えた。「来なくて良い
   よ。」そして、そのまま立ち去ってしまったのである。ピートは、(ジョンはいつものご機嫌斜めなんだ)と解釈し、家に帰った。そして
   その夜、ブライアンから電話をもらった。「ピート、今日はおつかれさま。明日の11時半、事務所に来て欲しいんだ。」翌朝ピートは、
   何も心配せず、きっとスケジュールの確認か何かだと予測し、ブライアンの事務所のドアを叩いた。しかし、ブライアンの顔の表情で、こ
   れは何かがあったのだと見当がついた。そして、ブライアンは淡々と語った。「ピート、落ち着いて聞いてくれ。ビートルズの三人が言う
   には、君にバンドをやめて欲しいそうだ。君は、ドラマーとしては力不足だと、そう思っている。」ピートは、唖然とした。そして、ブラ
   イアンに、叫ぶようにぶつけた。「じゃあ、俺のこの二年間、この苦労は一体なんだったんだ。」
258ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 19:18:47 ID:???0
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever (Love)

□リクエスト
  ・中学1年の時にビートルズを知り、どっぷりハマりました。でも今回は、ビートルズではなく、ビートルズと同年代に活躍したフーの曲を
   お願いします。この曲を演奏している動画を見ると、火薬を使った爆発シーンや、ギターを床に叩き付ける過激なシーンがあり、とても迫
   力があります。(山武市/男性)
    〜 The Who / My Generation
   (小林)最近じゃ、YouTubeなんかで昔の映像も見ることが出来たりしますが、これは名曲というか、フーがギターを壊したり、ドラムスを
      爆発させようと、この時はさせて、火薬の量を誤って、キース・ムーンがやけどを負ったりするという事件があった、迫力のシーン
      のように思いますけど。これは、ビートルズの曲と同様、ロック世代からは永遠に愛される曲の一つです。やっぱり、こうやって聞
      いてみると、すごいなと思います。それから、吃音がロックになってしまうというのは、まことにおもしろいと思います。

  ・最近、この手のハモンドオルガン系に、ハマってまして。このバンドのメンバーが、スゴいのなんのって。(千葉市花見川区/男性)
    〜 Graham Bond Organisation / Little Girl
   (小林)そうなんですよ、クリームのジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーがいました。やっぱり、これはすごいグループだったんで
      す。ただ、こうして何年も経ってみるとね、時代が変わっても残ってるグループと、その時代のトップのグループとに、分けること
      が出来ると思います。この人たちは、“あの時代の”トップにいた人たちであります。
259ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 19:36:53 ID:???0
  ・はじめまして。勇気を奮って、初投稿をしてみました。13歳、中学二年生、女性のジョージです。ビートルズやイーグルスなどの洋楽が好
   きです。学校の英語で、洋楽をリクエストして歌う授業があるのですが、その時に歌った、ビートルズの曲をお願いします。(住所不詳/女性)
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da

  ・この番組は二・三ヶ月前から聞いているんですが、ビートルズの知識がベテランリスナーさんほどないので、どういった文章で、何をリク
   エストしようか、考えているうちに月日が経ってしまってました。最近やっと、これだという曲がありました。ビートルズと時代が違うの
   ですが。前々から、誰の曲か分からないけど、とても良い曲だと思っていたんですが、最近これがジョージの曲だと分かったので、リクエ
   ストします。(千葉県/男性/高校生)
    〜 George Harrison / Got My Mind Set on You
   (小林)やっぱ、音楽はね、知識で聞くものじゃなくて、感性で聞くものだから。知識があれば助かるって程度。自分がおもしろければ良いっ
      っていう、これが大切。
260ポール・キロックトニー:2008/12/28(日) 20:43:03 ID:???0
(小林)ビートルズが活躍していた頃の、他のバンドを聞くとおもしろいですよね。ビートルズが突出しているから、特にその頃からビートルズは
   スゴかったんだけど、今になるとビートルズが残っているじゃないですか。あの頃の他のバンドを聞いたりすると、「あ、そうだったんだ
   この時代は」なんて、改めて僕なんて思いますけど、若い人なんか、どうなんでしょうかね。では、良いお年を!
261ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:17:58 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年1月4日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月4日)
  ・1976年 (33年前)
    マル・エヴァンスって、聞いた事ないですか? ビートルズの物語をずーっとお送りしていますが、ニール・アスピノールと
    マル・エヴァンスっていう名前が、何回もこの番組に出てきましたが、マル・エヴァンスがロサンゼルスで、警官に打たれて
    亡くなっちゃいます。事件というのは、マルが一緒に住んでた恋人のフラン・ヒューズっていう女性が、「アパートで銃を
    持った男が立てこもってる」と言って、警察を呼ぶんですよ。ところが彼は酒に酔ってて、エアガンを集まってきた警官に向
    けたんです。で、警官によって ── 分かんないですからね、エアガンかどうか ── 射殺されて、40歳で亡くなった。亡く
    なった(年齢は)ジョンと同じです。この、マル・エヴァンスという人は、ビートルズの二人目のローディです。最初は、ニー
    ル・アスピノール。ニール・アスピノールは、ずっとビートルズの荷物運びから色んな事をやって、最後はアップルの重役に
    なっていくわけですが、マルはその経営面じゃなくて、実際ビートルズと音楽を作ったり、後にビートルズが解散すると、プ
    ロデュースや、アレンジャーとしても、後はバッドフィンガーのアルバムとか、フーのキース・ムーンのアルバムのプロデュー
    スとかやってます。で、なぜロサンゼルスかというと、70年代ビートルズが解散して、みんなロサンゼルスに家を買ったりし
    て、ジョン・レノンはヨーコと別れて、ロサンゼルスにいた。リンゴ・スターもいたってことで、ロンドンから、離婚して、
    ロサンゼルスに来るんですよ。で、毎日毎日飲めや騒げの一日を過ごしていた。ジョンが言うところの「失われた休日」の悲
    しい出来事であります。さあ、今日の一曲目は、映画「レット・イット・ビー」にも映ってるんですが、ハンマーを亡くなった
    マルが叩いている曲です。有名な曲!
    〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
262ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:26:03 ID:???0
    いやー、これは、シルバーハンマーが頭に落ちて、亡くなっちゃうという ── 内容はそういうあれですが、ビートルズ独特の
    世界ですよね。このハンマーを叩いているのは、33年前のきょう、亡くなったマル・エヴァンスということであります。また
    映画「ヘルプ!」の中で、ドーバー海峡を泳いでいる男としても、映画に出ています。存在感の強い人だったようですね。
263ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:37:50 ID:???0
□ピート・ベスト解雇
  ・「ブライアン、すぐにピートをクビにして、もっといいドラマーを入れたいんだ。」マネージャーである、ブライアン・エプスタ
   インは、ポールとジョージに詰め寄られ、しぶしぶピートに解雇を宣告した。もちろん、ピートにとっては、青天の霹靂。思って
   もいない事件。いや、これはもはや、事故と呼んだ方が良いくらいである。ブライアンは、ピートにこう告げた。「ピート。みん
   な、君にバンドを辞めてもらいたいんだそうだ。ドラマーとしては、力不足だという事だ。」ピートは声を震わせながら、叫ぶよ
   うに答えた。「なんだって? じゃあ、連中は二年もかかって、僕のドラムが力不足だってのに気づいたっていうのか?」ピート
   が言うのも無理はない。ビートルズは二年前にドイツのハンブルグでの長きにわたる営業が決まった時、ドラマーを補充するため
   に、ピートに白羽の矢を立てた。その後、二回にわたるハンブルグ巡業をはじめ、イギリス国内ツアー、そしてもちろん、地元
   キャヴァーン・クラブでのレギュラー出演も数えきれないぐらいこなしてきたドラマー。それが、ピート・ベストという男である。
   寡黙でありながら、与えられてきた責任はきちんとこなし、時間にも正確であったし、何よりその端正なルックスで、女性ファン
   の人気が一番高かった。もし、自分にどこか不十分な所があったのなら、もっと早く忠告して欲しかった。それが、ピートの本音
   であった。しかし、もう遅い。審判は下されたのである。ピートはブライアンから告げられた解雇通告を潔く受け止め、オフィス
   を後にした。そしてその事を、ビートルズの機材運び兼付き人兼用心棒であり、ピートの実家の下宿人で、何より彼の親友である
   ニール・アスピノールに伝えた。ニールは、即座に答えた。「なんだって? そういう事なら俺も辞めるよ。」そのやり取りの一部
   始終を、後を追ってきたブライアンが見ていたらしく、二人をなだめた。そして、次のドラマーが見つかるまでの数週間、ピート
   はビートルズの仕事を続ける事に納得した。どこまでも、性格のいい男である。そしてニールとは、昼間からパブで、ビールを何
   杯も何杯も、酔いつぶれるまで、飲み続けたのである。
264ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:52:29 ID:???0
    〜 The Beatles / One after 909 (Anthology 1)
    〜 The Beatles / Kansas City ~ Hey Hey Hey Hey!

   ビートルズは、昔ロンドンでやったときなんか、レパートリーが少なかったから、カンサス・シティーみたいなクラシックのロッ
   クンロールをカバーするときは、ヘイヘイヘイヘイとか、ほらレイ・チャルーズが、What I say〜みたいな、自分の演奏を伸ばし
   たみたいな技をやってたんですね。
265ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:54:21 ID:???0
□リンゴの目から見たビートルズ史?
  ・1962年8月、それまで苦楽を共にしてきたドラマー、ピート・ベストがクビになり、新しいドラマーとして、当時リヴァプールで
   は、No.1の人気を誇ったグループ「ロリー・ストーム&ハリケーンズ」のドラマー、リチャード・スターキー ── そう、あの
   リンゴ・スターが加入する事になった。リンゴは、1940年7月7日、リヴァプールのディングル地区、その中でもかなり奥まった、
   マドリグストリート9番地に生まれた。リチャードと名付けられたその男の子は、本当に恵まれない子供であった。出産が予定より
   1ヶ月遅れたために、何とか鉗子で引っ張りだされ、母親のエルシーが産後で体を休めようとしたその矢先、第二次世界大戦中のド
   イツ軍による最初の空襲を知らせるサイレンが鳴った。家が密集して乱立する地区では、防空壕と言っても、階段の下の石炭置き
   場ぐらいしかなかった。母親のエルシーは、生まれたばかりのリッチー、つまりリチャード、後のリンゴを連れて、近所の三人と
   一緒に、そこで身を潜めていたが、背中におぶった赤ん坊がどうしても泣き止まない。どうしたものかと確認した所、あろうことか
   赤ん坊を逆さまにおんぶしていたのである。父親の名前を受け継ぎ、リッチーことリチャードと命名された赤ん坊は、悲しげな目を
   していた。リッチーの家は、あまりに貧しかった。最初に彼が寝かせ着けられたのは、ソファーの代わりに使われていた、壊れた車
   の後部座席。ほどなくしてリッチーは、母親に連れられてマドリグストリートから、すぐ近くのアドミナルグループにある、それよ
   りさらに小さなテラスハウスに引っ越した。父親のリッチー・シニアはパン職人で、その頃は既に別居していたが、妻と子供への生
   活援助は、誠実に続けていた。それでも父親が仕送りできるのは、週に30シリング。すずめの涙である。これではとても、生活は出
   来ない。ということで、すぐに母親のエルシーも、パブでウエイトレスとして働くようになった。そのため、リッチーは幼い頃のほ
   とんどを、おじいさんの家で過ごした。おじいさんは、地元の企業マージー造船所のボイラー製造職人。淋しい日々を過ごすリッ
   チーは、それでも幸せに育っていくのである。
266ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 18:54:56 ID:???0
    〜 The Beatles / Octopus's Garden

   ビートルズのレパートリーの中でも、リンゴがボーカルをとってる曲は少ないです。その中でも、リンゴが作曲して作詞してる曲は
   この曲だけ。
267ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 19:11:07 ID:???0
  ・母親のエルシーが、働きに出ていたせいで、おじいさんの家に預けられ、一人遊びをしながら育っていった、リッチーことリチャー
   ド・スターキー。後の、あのビートルズのドラマー、リンゴ・スターである。リッチーは、わずかなものしか与えられなくても、幸
   せに育った。ただ、母親に対する不満は一つ。それは、自分に兄弟がいないこと。リッチーは思った。(兄弟がいれば、雨が降って
   外に出られないときでも、話し相手がいるのに。)勉強の方はと言えば、度重なる病気のために、出だしからつまずいた。小学校に
   入ったばかりの6歳の時、あまりの腹の痛さに耐えきれず、病院に担ぎ込まれる。診断結果は、盲腸の破裂。緊急手術である。幸い
   すんでのところで、命は助かったが、数週間昏睡状態が続いた。母親のエルシーは、パブでの仕事が終わる遅い時間に病院に立ち寄
   り、ベッドに寝かされたままの我が子の小さな姿をのぞき込んだ。そして、体も回復して、以前の明るい子供に戻ろうかと思った矢
   先、隣のベッドの少年にバースディカードを見せようとして、病院のベッドから転落してしまい、そのまま退院は丸一年先までお預
   けになってしまった。その結果リッチーは、8歳になっても読み書きが出来ない子供になってしまったのである。近所の世話好きで
   親切な女性メアリー・マクガイアーは、なんとかリッチーが学校で皆に追いつけるようにと、雑誌から単語を拾って、スペルを覚え
   させようとはげました。しかし、盲腸の手術のせいで、固くなってしまった胃腸は、なかなか完全に治ることはなかった。夕食にラ
   ムシチューが出ると、親切なメアリーは、リッチーの皿から、丁寧にタマネギだけを取り除く作業を惜しまなかった。この極端な偏
   食の習慣は、その後もずっと続いた。ビートルズのメンバーになって、インドに修行旅行に出かけたときも、現地での食べ物を心配
   したリンゴは、スーツケースに煮豆の缶詰を目一杯詰め込んで望んだ。そして、その缶詰が底をついた時、リンゴは妻のモーリーン
   と共に、メンバーの中で最初にインドを後にしたのである。
268ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 19:17:31 ID:???0
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
    〜 The Beatles / Yellow Submarine

   Tomorrow Never Knowsは、ビートルズの中でも違う意味での名曲です。このタイトルは、リンゴがほら、字が読めなくて、いつも
   英語がおかしかったんですよね。「It's been a hard day's night」も英語としては誤りなんだそうですが、「Tomorrow Never Knows」
   も英語の表現としては、これは文法的にバツ。しかし、わざわざジョン・レノンは好んで、リンゴの失言をタイトルにしたという曲です。

□リクエスト
  ・僕はビートルズ世代ではなく、オアシス世代なので、ビートルズをとても尊敬しているオアシスのモーニング・グローリーを流していた
   だけないでしょうか。(習志野市/男性/26歳)
    〜 Oasis / Morning Glory
   (小林)イギリスは世代によって、自分たちが尊敬するロック・グループが変わっていて、本国で言うと「オアシス世代」も古い感じ。
      そんな時代です。もう、フランツ・フェルディナンドとかね、もう次の方に行ってんのかな? アーケイド・モンキーズ…あれ
      何だっけ? アークティック・モンキーズとかね。そんな方へ行っちゃってると思いますけど。オアシス世代と言っても新しく
      ないんだよね。で、この曲なんてもう、スタンダードな感じがするし、ビートルズ世代が聞くと、「おー、ビートルズの影響
      もろ受けてるなー」ってのが分かるはずであります。
269ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 19:35:51 ID:???0
  ・なんで、ペパーミントジャックが流れてるんですかー? めずらーし過ぎですよ、この番組。その次、ビリー・ジョエルってないし。
   あーあ、もう2008年終わっちゃうじゃないですか。今年はリクエスト1回もかかんなかったよなー。ハンバーグももらえなかったなー。
   松茸ごはんの素、おいしいっす。そうだ、新年向けにリクエストしようっと。んーと、んーと、ジョンのスターティング・オーバーどう
   っすか? だめだ、やめよう。新年、んーお正月、これだ、ヒア・カムズ・ザ・サンだ。本当にこれなのかー?(住所不詳/性別不詳)
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun
   (小林)メールの文体は、10代とか20代のノリで書いてるけど、これ分かるのは、スターティング・オーバーとか、ヒア・カムズ・ザ・
      サンとか、ビリー・ジョエルとか、ペパーミントジャックとかちゃんと知ってて、音楽相当詳しい。30代かな?

  ・私が初めてビートルズ興味を持たされた曲であり、洋楽で初めて好きになった曲であります。1978年にとある国営放送で、「その町を
   消せ!」というドラマの中でキーワードになっていたのがビートルズでした。LP盤から流れ落ちる「イエスタデー」。なんてすてきな曲
   なのに、この世界では聞けないんだ ── と番組に引き込まれていったのは、言うまでもありません。この年齢になって、あらためて
   ビートルズ、イーグルス、レッド・ツェッペリンのスゴさにしびれまくっています。洋楽のバイブル、ビートルズの「イエスタデー」を
   ぜひお願いします。(川口市/男性)
    〜 The Beatles / Yesterday
270ポール・キロックトニー:2009/01/04(日) 19:39:53 ID:???0
  ・ぼくはまだ二十歳なんですが、父がビートルズが大好きで、その影響でぼくもビートルズのファンになりました。ビートルズの番組を
   やってると聞いてから、毎週日曜日楽しみに待ってます。リクエストはイマジンなんですが、ジョンの命日なのに、克也さんかけてくれ
   なかったから、リクエストします。(取手市/男性/20歳)
    〜 John Lennon / Imagine
   (小林)年末って言う、ジョンの命日から、ビートルズの曲がかかり始めたりする。で、慌ただしい時に、ジョンのイマジンも特別な響き
      があるんですが、1月になって聞いたイマジンはいかがでしたか。それも、イエスタデー、イマジンと、きましたよ。

(小林)話の中で、新しいドラマ、リンゴ・スターの小さいときは、本当についてないですよね。家がとても貧乏、それから、病気続き。出れる
   時に、また骨を折って、病院戻りみたいな。そういう苦しかったリンゴだから、大人になってから、極端なお金持ち趣味になったって話
   ですよね。光るものが好きで、指輪をいっぱい持ってて、親指とか人差し指にも指輪をしてたりして。で、「リング」から、「リンゴ」
   と呼ばれるようになったというのもお話ししましたが、有名な話です。
271ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:12:31 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年1月11日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月11日)
  ・1963年 (46年前)
    ビートルズにとって決定的なイギリスでのシングル「Please Please Me」が発売になります。デビューシングルってのは
    「Love Me Do」って曲なんだけど、これはマネージャーになったブライアン・エプスタインが自分の店のために1万枚を
    仕入れます。その当時のチャートは、もちろん全売上を勘定するっていうスタイルですから、ブライアン・エプスタイン
    が1万買ったということで、これのおかげで17位まで上がるわけだけど、ヒットじゃなかったわけですよね。で、この
    「Please〜」は勝負シングルとなるわけです。元々、プロデューサーのジョージ・マーティンは、ビートルズの曲として
    ミッチ・マレーという人が作った「How Do You Do It?」という曲をシングルにしたらどうか?ということで、ビートルズ
    も録音するんだけど、ビートルズの偉かったのは、冗談じゃない!やっぱり自分たちはオリジナルで勝負するということで
    一歩も譲らなかった。じゃあ、オリジナルを聞いてやろうということで、この「Please〜」のデモかなんかを聞くわけで
    すね。ところがこれは、とてもスローな曲で、今では考えられないようなスローな曲で、あの、これメロディを知ってる人
    は、ゆっくり歌うと分かるんだけど、なかなかいいメロディなんだよね。ところが、ジョージ・マーティンは、早くやれ
    早いスピードでやれということで、早いスピードでやって、ビートルズはレコーディングの時は完璧にやるらしいんですが
    18回録るわけです。その中で、一番勢いあるバージョンが採用されました。ジョンもポールも歌詞を忘れていたりしたん
    ですが、勢いが勝っていたということです。で、録音が終わったら、スタジオにはトークバックというのがあるんですが
    そのトークバックを使って、ジョージ・マーティンが「みんな、今、君たちの最初のNo.1シングルが出来たよ」 ── 有名
    な言葉ですよね。と、言ったとか。結果、本当にNo.1になります。
272ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:12:57 ID:???0
    〜 The Beatles / Please Please Me

    これは、何回聞いてもスゴい曲ですよね。また、しばらくたって聞いても、まあこれはスゴいな! あらためて、そう思う
    曲であります。
273ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:32:48 ID:???0
□ピート・ベスト解雇
  ・1962年8月 ── さあ、これからいよいよメジャーデビューと勢いに乗るビートルズに、突然の事件が起こった。それは、地元
   リヴァプールやドイツのハンブルグへの巡業など、苦楽を共にしてきたドラマー、ピート・ベストの脱退である。正確に言うと
   ピートが一方的に解雇、つまりクビになったという方が正しい。ピートは時間に几帳面で、まじめな性格であっただけでなく、
   その母親の後押しも並々ならぬものがあった。ピータの、ピートの(小林、言い間違い)モナ・ベストは、自宅の地下室を改造
   し、カスバ・クラブとして営業していた。このクラブは、ティーン・エイジャーたちにも、広く門戸を提供するため、身分証明
   書のチェックや、アルコール販売も厳しく制限した。そのおかげで、よからぬ連中がたむろすることも、暴力沙汰もなく、経営
   は健全そのもの。PTAにもすごく評判が良かった。モナは、このカスバ・クラブに、ビートルズを出演させたり、無料で練習場
   所として提供するだけでなく、他の店やホテルなどへの出演も斡旋したり、スケジュールを管理してあげたり、文字通り、親身
   になって、ビートルズに尽くしていた。それもこれも、みんな息子であるピート可愛さあってのこと。モナにとっては、損得抜
   きの当たり前の行為であった。それでも、ジョージとポールは、ピートの解雇を強く主張した。おぼっちゃま育ちで交渉が苦手
   もめ事が嫌いなタイプである、マネージャーのブライアン・エプスタインは、これには困ってしまった。確かに、レコード会社
   EMIでのオーディションの時には、プロデューサーのジョージ・マーティンに、「ピートのドラムは、レコーディングでは使え
   ないな」とダメだしをされてはいた。しかしそれは、あくまでレコーディングでのこと。ライブでは、ピートがメンバーとして
   頑張ればいい。ブライアンは、軽いきもちで考えていたのである。
274ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:35:20 ID:???0
   しかし、そんな妥協は、ビートルズには許されなかった。
   ツアーの移動中の小さなワゴンの中でかわす、ネタのような会話があった。いつも、ジョンがメンバーに向かってこう言った。
   「なあ、俺たちは、これからどこに行くんだ?」すると決まって、ジョージがこう答えた。「決まってるよ。ロックのてっぺん
   のてっぺんの、ずーっと上の上さ。そうだろ、ジョニー。」
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
    〜 The Beatles / You Like Me Too Much

   モナが営業していたカスバ・クラブは、昼間営業の、夜は営業じゃないティーン・エイジ・クラブだったんですよね。
275ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:50:05 ID:???0
□リンゴの目から見たビートルズ史?
  ・1962年8月 ── 苦楽を共にしてきたピート・ベストがクビになり、新しいドラマーとして、当時のリヴァプールで絶大な人気を
   誇ったグループ「ロリー・ストーム&ハリケーンズ」のメンバー、リチャード・スターキー ── あの、リンゴ・スターが加入する
   ことになった。リンゴは、リバプールのディングル地区という、貧しく荒れた地区で生まれている。出産は予定より一ヶ月も遅れ
   それもかなりの難産。両親は、すぐに離婚。それでも、シングルマザーとなったエルシーに愛情を持って育てられたリンゴであっ
   たが、小学校に入ったばかりの6歳の時に、盲腸の破裂で緊急手術。そして、入院。麻酔の処置のトラブルのせいか、数週間昏睡
   状態。さらには、退院寸前にベッドから転落し、骨折。その後、入院生活は一年間も続いた。小学校一年生というと、教育過程で
   とても大切な時期である。そんな一年間、まったく学校に行けなかったリチャード少年は、8歳になっても、読み書きがほとんど
   出来なかった。それにくわえ、盲腸の手術で過敏になってしまった胃腸のせいで、リンゴは極度の偏食児童になっていた。この偏
   った食生活は、大人になっても治ることはなかった。リンゴが11歳の時、母親のエルシーは、リヴァプール・コーポレーションに
   勤務する塗装工で、ロンドン出身のハリー・グレイブスとつき合い始めた。その二年後の1953年、リンゴが13歳になる年、ハリー
   とエルシーは結婚した。リンゴは既に、ディングルベイル中学校に進んでいたが、それまでながく休学していたため、勉強に関し
   ては、他の生徒よりかなり遅れていた。さらに悪いことにリンゴは、カゼが原因で肋膜炎を起こし、片方の肺に病状が及んだ結果
   今度は二年間の入院生活となった。やっと退院できた15歳のとき、教育委員会の計らいで、卒業だけは出来るようになった。しか
   し、卒業証書をもらいに、中学に行くと、そこにはリンゴを覚えている人間は一人もいなかった。実に、さびしい話である。読み
   書きは、何とか病院で覚えたが、体はやせ細り、顔色も悪かった。おまけに、頭と眉には、若白髪も見え隠れする有様。それでも
   持ち前の明るい性格だけは失っていない、リッチー少年だったのである。
276ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 18:59:45 ID:???0
    〜 The Beatles / Boys
    〜 The Beatles / You Really Hold Got a Hold on Me

   ビートルズは、有名な曲をカバーしなかったという話は、この番組でもしたことがありますが、ミラクルズのヒット曲で「You〜」
   そして、シレルズのヒットで「Boys」。ま、いかにビートルズがこういった黒人グループとか、R&Bのアーチストからいただいて
   いるかってのが、良くわかりますね。
277ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 19:25:06 ID:???0
  ・幼少時代から病気がちだったせいで、リンゴ・スターは15歳で中学校を卒業する時点で、学力的にはかなり遅れを取っていた。それ
   に、長い入院生活のせいか、体もガリガリで、既に若白髪もちらほらと見え隠れしていた。体こそ弱かったとは言え、明るく前向き
   な性格は、リンゴの持ち前のもの。卒業すると、さっそくリヴァプールの、青年職業安定所に職探しに出かけた。ここでリンゴは、
   自分にとって天職ともいえる仕事を見つける。それは、鉄道の伝令係の仕事。リンゴは、幼い頃から鉄道が大好きだったのである。
   しかし、機関士や車掌と違い、伝令係には決まった制服が至急されないということが原因で、リンゴはたったひと月半で、この仕事
   を辞めてしまった。制服がもらえないとなれば、ここにいる意味がなかったのである。そして、次にリンゴが着いた仕事が、リヴァ
   プールとニューブライトンの間を往復する、マージー川のフェリーの上の、パブのウェイター。これも、それほど長く続かず、その
   後は、母親の再婚相手である、ハリーの口利きで、地元の土木会社ハンツで建具屋の見習いとして働き始めた。オーバーオールの制
   服に、計算尺を支給され、何年も先まで決まっていた請負工事の会社で、生活は安定していた。同じく、この会社ハンツの見習い仲
   間であったエディ・マイルズは、リンゴの家の近所に住んでいた。1956年に、スキッフルと呼ばれるイギリス独自のビート音楽が
   起きると、エディとリンゴは、会社の昼休みに仕事仲間を楽しませるためのバンドを結成した。リンゴは、いつでも何かしら物を叩
   いて、リズムを取るクセがあったため、最初からドラムス担当であった。リンゴに、初めてのドラムセットを買ってくれたのは、
   リンゴの父親となったハリーであった。血がつながっていないとはいえ、ハリーはリンゴを本当の息子のように可愛がっていた。
   ハリーは、ロンドンで10ポンドのドラムセットを買うと、買ったその足で電車に乗り、リヴァプールまで、ドラムセットを運んで
   帰ってきた。驚き、そして喜びを隠せないリンゴがいたことは、言うまでもない。
    〜 Ronnie Donegan / Rock Island Line
    〜 Ringo Starr / Liverpool 8
278ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 19:32:48 ID:???0
   最初にかかったのが、ロニー・ロネガンの曲で、つまりこれがスキッフルという、ジャズの延長みたいな形で、詳しく言うと、ロック
   はジャズの延長ですよね。だから、まあ、人によって解釈は違うかもしれないけど、イギリスはおもしろいですよ。スキッフルが最初
   にきて、ビートルズも最初は、スキッフルをやってたからね。

□リクエスト
  ・言い訳をしますと、受験勉強で曜日の感覚が鈍っていて、そんなことはどうでも良くて、今週の放送で私のメールが読まれたみたい
   です。なぜ、聞きそびれたのに、読まれたことを知ってるかというと、本名で投稿したために、それを聞いていた友達の母親が、私に
   教えてくださったそうです。人生で初めて読まれたお便りを、自分ではなく、友達の母親が聞くとは、何とも悲しく、そして何より
   自分が情けないです。(千葉市/男性)
    〜 The Beatles / Paperback Writer
   (小林)そういうもんですよ、人生は。

  ・いつも、ビートルズ・ストーリーを楽しみに聞いています。ビートルズが解散してからのファンです。30年ほど前、フィルム・コン
   サートで、中野サンプラザに行きました。まわりの少女たちが、スクリーンに向かって「ジョ〜ン!」「ポ〜ル!」とか叫んでいるの
   が怖かったです。彼女たちも、私と同じく、オバさんになってるのかしら。(住所不詳/女性)
    〜 Chicago / Beginings
279ポール・キロックトニー:2009/01/11(日) 19:43:19 ID:???0
  ・ぼくが最初にギターで練習した曲であり、好きな女の子と仲が悪くなった時に、号泣した曲でもあります。(佐倉市/男性)
    〜 The Beatles / Yesterday

(小林)リンゴ・スターって、子供の頃は本当についてない、可哀想な少年でしたね。病院から出ようとしたら、ベッドから落ちて骨を折ったり
   ね。だけど、ビートルズに入るときは、リンゴ・スターが一番金を持ってたりしたんだよね。他の三人は、自家用車も持ってなかったり
   とか。リンゴ・スターは、リヴァプールで一番売れてたグループのメンバーで、アメ車に乗ってて、すっごい羽振りが良かったらしいで
   すよ。
280ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 18:11:06 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年1月18日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月18日)
  ・1969年 (40年前)
    きょうはキリがいいです。キリがいいッたって、40年前だからね。あのアルバム「イエロー・サブマリン」、当時はアルバム
    のことをLPと言った時代でもありましたが、「イエロー・サブマリン」のLPがアメリカで一週目で、実は前の日に発売になっ
    たわけだけども、一週目でいきなりトップ30に入ったっていう、まあこれは忘れてもいいですけど、「イエロー・サブマリン」
    っていうアルバムが出た頃だということですよね。この「イエロー・サブマリン」はご存知の通り、ビートルズのアニメ映画
    です。話知ってますかね、ペパーランドに悪者の一味が入ってくるわけですよ。で、あらゆる武器を使って、ペパーランドか
    ら音楽も愛もすべて消し去ってしまう。そこに登場したのが、イエロー・サブマリンに乗ってかけつけた、ビートルズの4人。
    彼らは、武器を使わなかった。音楽と愛を使って、ビートルズの歌の前に、ブルーミーニー一族は逃げていく。ペパーランド
    に愛と平和が戻ってきました。めでたし、めでたし。っていう、これが「イエロー・サブマリン」ですが、これのLPが売りに
    出された..売りに出されたっていうかね。イエロー・サブマリンっていうのは、ビートルズが興味がなくなりかけてたらしい
    んですよ。元々、マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなる前に話をつけていたらしいんだけど、俺たちやりたく
    ないよって言ってたんだけど、実はおもしろい話じゃない、それから絵とか色とかがサイケデリックだってんで、ビートルズ
    は気に入って賛成して、イエロー・サブマリンが実現しています。
    〜 The Beatles / All Together Now
281ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 18:27:25 ID:???0
□リンゴの目から見たビートルズ史?
  ・1956年、イギリスではロックンロールと時をほぼ同じくして、スキッフルと呼ばれる独特のビート音楽のブームが巻き起こっ
   ていた。ロックンロールの最初のヒット曲と言われるビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」
   が前の年。1955年に、イギリスでも大ヒットしていたが、エルビス・プレスリーのブームは、イギリスにはまだ到着していな
   い、1956年の1月。リヴァプールの多くのティーン・エイジャーは、ラジオをルクセンブルクから流れる、ロック・アイランド
   ラインという曲を耳にした。この曲は、ジャズ・ファンにとっては、かなり有名な曲で、スキッフルと呼ばれるスタイルで知ら
   れていた。元々は、アメリカの貧しい南部から生まれた音楽であった。そこに暮らす人々は、レント・パーティーと呼ばれるも
   のを自分たちの家やアパートで開き、家賃を稼ぎだしていた。そこで使われる楽器はギターやバンジョー、そしてカズーという
   おもちゃのような笛。それに、ブリキ缶や洗濯桶を使った簡単なベースなど。そうしたスキッフルのスタイルに、ブルースっぽ
   い語りや声のビブラートをうまく取り入れたのが、イギリスのロニー・ロネガンという歌手であった。彼のヒット曲「ロック・
   アイランド・ライン」もそうであったが、多くのスキッフルのリズムラインの中心となっているのが、どの家庭にもある洗濯板。
   この洗濯板を、栓抜きなどの固いもので引っ掻いて、パーカッションの代わりにした。そしてこの「ロック・アイランド・ライ
   ン」は、イギリスを熱狂の渦に巻き込んでいく。誰もが、このスキッフルのとりこになった。演奏も、シンプルで簡単。スキッ
   フルグループなら、誰でも簡単に結成できる。母親の洗濯板を失敬し、茶箱にホウキの柄を着けて、ひもを張れば、簡単なベー
   スを作ることが出来た。リヴァプールで建具屋の見習いをしていたリチャード・スターキー少年、後のリンゴ・スターも、ご多
   分に漏れず、すぐにスキッフルグループを結成した。ドラマーとしてのキャリアも、職場でのスキッフルからスタートしたので
   ある。
    〜 Lonnie Donegan / Rock Island Line
    〜 The Beatles / What Goes On
282ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 18:33:33 ID:???0
   ロック・アイランド・ラインってのは、ニューオリンズまで行く鉄道で、鉄道なのに途中お金を払わないと通してもらえない区
   間がある。そこで、その番人が「お前の汽車は何積んでるんだ?」「いやー、家畜が色々。牛や馬や羊やー、いっぱい積んでる」
   「だったら、金払わなくていいや」みたいなことから始まって、物語になってるんだけど、ジャズの伝統に乗った、ロックだけど
   ロックまで至らないっていう、半熟のロックみたいな感じですね。
283ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:10:08 ID:???0
  ・リンゴは、建具屋の会社で見習いとして働く仲間エディ・マイルズと、スキッフルのグループ、その名も「エディ・ブライトン
   スキッフル・グループ」を結成した。いつも、何かしら叩いているクセのあったリンゴは、当然のようにドラムス担当。毎週日曜
   になると、ふたりは教会のホールを廻って演奏していた。同じ頃、ジョンが組んでいた「クォーリーメン」と、まったく同じ営業
   活動の内容である。その頃リンゴは、最初のドラムセットを売り払い、おじいさんから頭金の50ポンドを借り、新品のドラムセッ
   トを分割払いで買って使っていた。その後、1959年になると、リンゴはそのピカピカのドラムセットを名刺代わりに、当時リヴァ
   プールで最も人気のあったアマチュアグループ「レイディング・テキサンズ」に加入する。その後「ハリケーンズ」と名前を変え
   た四人組は、人気シンガー、ロリー・ストームのバックもつとめた。根っからのショーマンであったロリー・ストームは、カラフ
   ルな衣装を身にまとい、ショーが盛り上がってくると、コンサートホールの柱をよじ上ったり、絶叫したり、お客が喜ぶパフォー
   マンスなら、何でもやってみせた。リンゴの芸名が決まったのも、この頃である。元々、指輪が大好きで、手に指輪をたくさんし
   ていることから、メンバーは最初「リングス」というニックネームを着けていたが、これをさらにアメリカのカントリー&ウェス
   タン風にしようということで、「リンゴ」になった。さらに、ラストネームのスターキーも短くして「スター」になり、ついに
   「リンゴ・スター」という、世界に類を見ない、あまりにオリジナリティあふれるステージネームが誕生した。
284ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:15:10 ID:???0
   この頃から、リン
のドラム・ソロのコーナーは、スタータイムと呼ばれるようになる。1961年当時、リンゴの所属するロリー・ストーム&ハリ
   ケーンズは、ビートルズより遥かに魅力も人気もあった。そのリンゴが、初めてビートルズを知ったのは、ハンブルグでハリケー
   ンズが、カイザー・ケラーといういかがわしいクラブに出演していた時、それ以来ねぐらとして提供された映画館のトイレの隣の
   部屋や、近所のバーで一緒に時を過ごしているうちに、リンゴとビートルズは次第に親しくしていくのである。ビートルズの連中
   は、いやし系とも言われるリンゴのキャラクターが好きであった。
    〜 The Beatles / Octopus's Garden (Love)
    〜 Ringo Starr / Photograph
285ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:24:02 ID:???0
  ・ドイツ・ハンブルグでの下積み時代、次第に親交を深めていく、ビートルズとリンゴ・スター。ビートルズの四人は、リンゴの悪
   意のないユーモアが好きだった。ケバケバしいネオンに照らされた、現実離れした夜を過ごす中で、リンゴは桟橋にちょこんとと
   まっているハトのように、皆をほっとさせてくれる、そんな存在であった。そして明らかに、リンゴはピート・ベストよりも、優
   れたドラマーでもあった。もしかしたら、ピートを追い出す筋書きは、1961年の時点で既に出来上がっていたのかもしれない。
   この頃、ピートの体調が優れないときなど、幾度となくリンゴにピンチヒッターを頼んだことがあった。その実力を、ポールも
   ジョージも、既に見抜いていたのである。1962年の始め、ハンブルグのトップテンクラブに出演させるバンドを探そうと、コン
   サートプロモーターのペーター・エッグホーンが、リヴァプールにやって来た。この頃になると、ビートルズにはブライアン・エ
   プスタインというマネージャーがついている。以前のようなひどい条件では、とても仕事を受けることなど出来ない。そこで、エ
   ッグホーンは、リンゴに再びハンブルグに来て、以前ビートルズがバックをつとめたこともある、トニー・シェルダンの後でドラ
   ムを叩いてくれないかと交渉した。条件は、週給で30ポンド。宿泊場所も悪くはない。女にも不自由はさせない。悪くはなかった。
   しかしリンゴは、リヴァプールと母親のエルシーと離れるのがイヤで、この仕事を断った。成人してはいたが、相変わらずリンゴは
   一人っ子の甘えん坊。結局この年の夏も、ロリー・ストーム&ハリケーンズのドラマーとして、恒例のバトリングス・ホリデーキャ
   ンプでの演奏に出かけた。そんな、8月のある日。ツアーで留守にしていた、リンゴの自宅のドアのベルが鳴った。母親のエルシー
   が出ると、そこには青白く、にこりともしない表情で、ビートルズのジョージ・ハリソンが立っていた。もちろんエルシーは、この
   若者が誰かなんて分からない。「あなた、用件は何なの?」ジョージは、即座に答えた。「あなたの息子さん、リンゴに伝えてくだ
   さい。今すぐ、僕らのバンド、ビートルズに入って欲しいんです。」
    〜 The Beatles / Good Night
286ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:24:41 ID:???0
□リクエスト
  ・僕がビートルズを好きになったきっかけは、中学生の時に文化祭でやった、へたくそバンドの「Back in the U.S.S.R」です。この時
   から僕は、41歳になった今でも聞き続けていることは言うまでもありません。ジェット機の効果音がたまりませんなー。(住所氏名
   不詳/男性)
    〜 The Beatles / Back in the U.S.S.R
   (小林)そうですか、へたくそバンドがきっかけですか。へたにも色々あるんだよ。愛嬌があるへたとね、どうしてもダメなへたもあ
   るわけで、覚えてるって言うぐらいだから、きっと愛嬌のあるへただったんだろうね。

  ・この曲は、吉田拓郎も自作の詩に使っていること、またお店の名前にも使っているとのことです。(静岡県富士市/男性)
    〜 The Beatles / Penny Lane
   (小林)吉田拓郎ファンなんだね、きっと。彼はその昔、番組でしゃべっていて、彼のおかげでビートルズファンが増えたり、あるい
   は、ボブ・ディランやバンドのファンが増えたりとか、そういう貢献をしておりますよね。
287ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:29:13 ID:???0
  ・この曲は、吉田拓郎も自作の詩に使っていること、またお店の名前にも使っているとのことです。(静岡県富士市/男性)
    〜 The Beatles / Penny Lane
   (小林)吉田拓郎ファンなんだね、きっと。彼はその昔、番組でしゃべっていて、彼のおかげでビートルズファンが増えたり、あるい
   は、ボブ・ディランやバンドのファンが増えたりとか、そういう貢献をしておりますよね。

  ・ビートルズのファンに始まり、ずっとコービィのファンであります。ビートルズから始まる。パーティも、ミラマーレとイクスピアリ
   の二度行かせていただきました。後一歩メジャーでない斉藤和義とコービィは接点がないのかと思っていましたが、コービィ還暦のお
   祝いに自宅録音の歌をプレゼントされたことを知り、ぜひコービィからの紹介で聞きたくなりました。斉藤和義は「歩いて帰ろう」か
   らのファンです。「歩いて帰ろう」は、今年成人式に出かけた二番目の息子が四歳の頃、幼稚園に行く前に見ていた「ひらけ!ポン
   キッキーズ」で、その後大物となった安室奈美恵が宇宙人の格好で歌っていたのをビデオに撮り、何度も繰り返し見ていたものであり
   ます。(船橋市/男性)
    〜 斉藤和義 / 愛に来て
288ポール・キロックトニー:2009/01/18(日) 19:39:10 ID:???0
  ・昔はあまり洋楽を聴かなかったんですが、この番組を聞くようになってからビートルズが大好きになり、今では毎日のように聞いてい
   ます。私が一番好きなのが、ジョン・レノンの「イマジン」です。学校の教科書に載っていたので、なんだかなつかしい気分になりま
   す。(千葉市稲毛区/女性)
    〜 John Lennon / Imagine
   (小林)やっぱり、洋楽のファンになるとか、この曲を通して視野が広がるとか、そういういい影響が出ると、なかなかやっててうれし
   いです。

(小林)ビートルズが人気が出て、アメリカに行ったときは、一番四人の中でリンゴがダントツ人気があった人ですよね。やっぱり名前も華や
かだし、その華やかな名前に負けないようなパーソナリティがあってね。番組の中でも言ってたけど、いやし系。リンゴというのは、西部劇
風っていう名前、リングスからきてる。実際、リンゴっていうカウボーイは、結構いるんですよ。カントリーのヒット曲で、リンゴウってい
う曲があります。これはどちらというとカントリー・ラップって言う、アメリカで一位になったヒット曲なんだけど、あのちょっとマカロニ
っぽいような感じのメロディでね。リンゴってのは、何てのかな、リンゴ・スターだけの名前みたいだけど、結構一般に使われてる ── そ
んなにメジャーじゃないけどね。そんな名前なんですよね。リンゴ・スターとは僕、一回話をしたことがあります。会ったことはないんです
けど、1973年深夜放送の生番組をやっていた時に、ロンドンでリンゴ・スターが待って話をしてくれるからってことで、リンゴと20分から
30分ぐらいインタビューをしたことがあります。その時は、僕覚えてるのは、リンゴ・スターは口数が少ないんですよ。だから、英語力が
足りない僕は、結構四苦八苦したんですが、覚えてるのはその頃ちょうど石油ショックで「これから何するの?」って聞いたら、「うん、石
油を買いだめしに行くんだ。」って答えたのを覚えています。
289ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 01:38:16 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年1月25日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(1月25日)
  ・1969年 (40年前)
    ちょうどきょうはキリがいい、40年前のきょうです(先週も言ってた)。アップルスタジオって名前、あんまり聞いたことない
    でしょ? ビートルズの会社は、アップル。スタジオは、EMIスタジオでほとんどやってます。ところが、アップルという会社
    を作って、その一つの仕事が、アップルスタジオっていう自分たちのスタジオを作ることだったんですね。ジョン・レノンの
    友達と言われる、マジック・アレックスというギリシャ人に、このスタジオを任せたんです。ところがね、このアップルスタ
    ジオというのは出来るんですけど、マジック・アレックスという人間が大インチキで、何十億というお金をかけたにも関わら
    ず、もう本当に粗末なものばっかりで、結局プロデューサーのジョージ・マーティンは、EMIスタジオから(機材等を)持ち出
    して、ようやく録音が出来る状態にするわけです。ここで、ビートルズは40年前の今ごろ、スタジオに籠って、いろんなセッ
    ションを録音しています。有名なところでは、♪gonna way home〜とかね、Because you're sweet lovely、これは、ああ
    そうか。Bye bye love....数多い曲をセッション的に録音するんですよ。つまり、40年前のきょうの後に、アップルのスタジ
    オの屋上に行って、伝説の屋上でのセッションをやるんですが。まあ、このアップルスタジオがメチャクチャってことで、
    ビートルズもこの頃は、もうバラバラの状態で、経済的にも破綻の道を歩んでいた。それでは、この日に録音が行われた、
    最初のバージョンを聞いてみましょう。レコードになったバージョンも、良く聞いてると思いますが、初めてのことですか
    ら、いろいろセッションをやったんだと思うんですが、こんなセッションをやってます。
290ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 01:40:25 ID:???0
    〜 The Beatles / Let it Be

    いかがですか? レコーディングの模様。どこかで聞いたことがあるな? そうですよ、この番組でも使用してますが。この頃
    は、ジョンとポールは仲が悪いはずなんですが、この曲が始まる前は「すごい曲だな、これはイクよー!」って言ってるし
    ね。終わるときも、「うわー、いいねー」って言ってるしね。仲が良さそうですね。それから、これはトリビアっぽいけど
    この時のアシスタント・プロデューサーが、アラン・パーソンです。80年代にアラン・パーソンズ・プロジェクトで、「Eye
    in the Sky」とかのヒットを出す、アラン・パーソンが助手をやってるんですよ。
291ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 01:59:50 ID:???0
□リンゴの目から見たビートルズ史?
  ・1962年8月の、とある日。ツアーで留守にしていた、リンゴの自宅のドアのベルが鳴った。母親のエルシーが出ると、そこに
   は、青白くニコリともしない顔で、少年が立っていた。その少年の名は、ジョージ・ハリソン。まもなくメジャーデビューが
   決まっている、ビートルズのギタリストである。もちろんエルシーは、その若者がビートルズのメンバーであるかどうかなんて
   わからない。お決まりの言葉を交わした。「あなた、用件は何なのかしら?」ジョージは、即座に答えた。「あなたの息子さん
   リッチーに伝えてください。今すぐ、僕らのバンド、ビートルズに入って欲しいんです。」そしてジョージは、リンゴが仕事で
   出向いている、イギリスの南部にあるバトリン休暇村の電話番号を聞き出し、ジョンに教えた。そしてついに、ビートルズの
   リーダーであるジョンが、直接リンゴに電話をすることになった。「もしもし。こちら、リヴァプールからなんですけど、ぼく
   ジョン・レノンと言います。そちらのキャンプにバンドの仕事で出向いている、リチャード・スターキー君に、この電話をつな
   いでもらいたいんですが。」「リチャード? ああ、リンゴとか呼ばれている、ハリケーンズでドラムを叩いているお兄ちゃん
   ね。ちょっと待って、今すぐ呼び出すから。」ジョンは、リンゴが電話に出るのを、しばらく待っていた。すると、リンゴの
   声が聞こえてきた。「おお、ジョンか。久しぶりだね。ところで、どうした。何かあったのか?」「リンゴ、折り入って頼みが
   あるんだ。今度、ビートルズがEMIからメジャーデビューすること、知ってるよな? 手っ取り早く言うと、すぐにバンドに加
   わって欲しいんだよ。色々と考えたんだけど、やっぱりビートルズにふさわしいドラマーは…リンゴ、お前しかいないと思うん
   だ。頼むよ。」リンゴは、ちょっと考え込んだが、すぐに心を決めた。「ああ、ジョン、分かった。俺、ビートルズの演奏好き
   だし、ポールのヤツともウマが合うし、やってみるよ。よろしく頼む。」
    〜 The Beatles / Act Naturally
    〜 The Beatles / Dig a Pony
292ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 02:22:34 ID:???0
  ・バンドのリーダーである、ジョンからの直接の電話で、リンゴはビートルズに加入することになった。既にこの時、リンゴはプ
   ロのドラマーとして活躍し、立派に生計を立てていたため、ギャラのことを相談する必要があった。しかしリンゴは、目先の収
   入よりも、ビートルズの魅力と、世界一になるという、ジョンとポールの野望にかけてみようと考えた。結局、週給25ポンドと
   いう金額で納得した。さらに、それまでポマードで萎え着けていた前髪を降ろすこと。ユーモラスで人気のあったヒゲを剃り落
   とすことも、同意した。とにかく、リンゴは早く、ビートルズになじみたかったのである。もちろん、それまで世話になった
   バンドのリーダーで、リヴァウールでは人気No.1のエンターテイナーである、ロリー・ストームにも仁義を通さなければならな
   い。リンゴは、ロリー・ストームに、自分がビートルズから誘いを受けていること。そして、どうしても、ビートルズでドラム
   を叩きたいことを、正直に話した。この、バンドリーダーは、物わかりが良かった。リンゴの移籍に関し、何ら異論を唱えるこ
   とはなかった。ロリー・ストームは、ただ一言「リンゴ、ビートルズでも頑張って、いいプレイを聞かせてくれよ。あ、そうだ。
   いつもの、ピンクの衣装な、あれだけは置いていってくれよ。結構高かったから。」粋な、バンドマスターである。結局、リン
   ゴの着ていたステージ衣装は、後任のドラマー、ケンプが引き継いだ。ただしまだ、16になったばかりのケンプは、リンゴ以上
   に小柄だったため、背中に洗濯バサミで止めたままで、ステージに上がることになる。リヴァプールを中心に人気の高かった音
   楽誌「マージー・ビート」は、この年の8月23日号に、トップニュースとして、こう伝えた。「ビートルズのドラマー、ピート
   ・ベストが脱退。後釜に、リンゴ・スターが加入。」記事によると、このメンバー交代は、双方合意の元に友好的に行われたこ
   とになっている。もちろん、マネージャー、ブライアン・エプスタインの巧みな情報操作によることは間違いないが、これで収
   まらないのが、地元リヴァプールの熱狂的なピート・ベスト・ファンたちであった。
293ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 02:23:20 ID:???0
    〜 The Beatles / Ain't She Sweet
    〜 The Beatles / Drive My Car

   ちょっと確かめておきたいんだけど、僕はどうしてリンゴが(ビートルズに)入ったかって、あまり分からないんですよ。ジョン
   とポールが世界一になる野望を持っていたっていうのは、これはまったくのウソなんですよ。ポールもジョンも語っていますが
   この頃はビートルズが世界一になるなんて、夢にも、1%も思ってないわけです。せめて、イギリスで有名になるか、なんてこ
   とは考えていた。自分たちが売れなくなるかも分からない、売れなくなったら、作詞作曲で生きていく ── みたいな、だから
   そういう時期に、リンゴ・スターは打算じゃなくて、ビートルズに入ったってことは、すごい確かなんですね。
294ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 02:41:27 ID:???0
  ・「ビートルズのドラマー、ピート・ベスト脱退 代わりに、ロリー・ストーム&ハリケーンズのリンゴ・スターが加入」当時、
   リヴァプールを中心に人気の高かった音楽誌「マージー・ビート」がトップで取り上げた。この記事では、今回のドラマー交代
   劇に加え、EMIのプロデューサー、ジョージ・マーティンがビートルズをロンドンに迎え、メジャーでのデビューシングルをレ
   コーディングすると発表した。ビートルズは、新しいドラマーのリンゴ・スターと、9月4日のレコーディングのために、飛行機
   でロンドンに向かう ── と、日程まで書かれていたのである。それと同時に、ピート・ベストのファンの間に大騒ぎが起こった。
   その大きさは、地元リヴァプールのクラブで、ビートルズの本拠地「キャヴァーン」の司会者兼DJ、ボブ・ウーラーの予測を遥
   かに上回っていた。ボブ・ウーラーは、ピートをクビにしたらいいかどうか、ジョージとポールに相談され、最初から反対して
   いた人物である。ピートの熱狂的なファンは、自分たちの大切なアイドルが抹消されることに猛烈に抗議し、何百人もの若い
   ファンが署名した嘆願書を、マージー・ビートの編集部に持ち込んでいた。リンゴの、ビートルズとしてのデビューライブは、
   幸運にもリヴァプールから少し離れた場所で行われた。その時には、さほど熱狂的なファンもおらず、それほど大騒ぎにはならず
   に済んだ。しかし、これがビートルズに加入して最初のキャヴァーン・クラブ出演となると、話は大きく違っていた。キャ
   ヴァーンのステージにリンゴが登場すると、「ピート・ベスト・フォーエヴァー! リンゴ・ネヴァー!」という、完全に敵意に
   満ちた大合唱に取り囲まれてしまった。さらにこの、ピート脱退に抗議する運動は、キャヴァーンだけにとどまらなかった。し
   かし、こうした抗議活動も、徒労に終わることになる。リンゴを迎えた新生ビートルズはメジャー・デビュー、そしてロック史上
   類を見ないサクセスストーリーに、一直線に突き進んでいくのである。
    〜 The Beatles / Help!
    〜 The Beatles / I Feel Fine
295ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 03:09:04 ID:???0
□リクエスト
  ・先日、克也さんが「音楽は知識じゃなくて、感性で聞くものだ」とコメントされていたのを聞き、直感でこれだ!と思った楽曲です。
   新しいものが古くなり、古いものが新しく生まれ変わる。なんだか、楽しくなってきましたー。そうですよね、楽しければ、それで
   OK!(千葉市花見川区/男性)
    〜 Elvis Presley / A Little Less Conversation [JXL Radio Edit Remix]
   (小林)これ、もうだいぶ前の曲なんだけど、今かけたら、どんな感じかな? ちょっと気になりますね。そしてこの、JXLはね、
   オランダ人のDJでね、ジャンキーXLみたいな、ジャンキーで知られていたんだけど、プレスリーから許可をもらう時に「ジャンキー」
   なんて言葉を使わないでくれみたいな条件があって、「JXL」と名乗りました。オランダ人の、とても真面目なDJが、リズムをつけて
   こんな風にプレスリーを、平凡な曲を格好良くしちゃったんです。

  ・こんばんです。昔ですが、キャバクラでキャバ嬢をしていた時の話です。そこのキャバクラはステージがあり、半ば強制的に出さされ
   ていました。私はビートルズのコーラス部隊でしたが、本当に難しかった思い出があります。ちゃんと衣装も当時に似せて、スーツ
   着てやりましたよ。また、キャバクラには、等身大のビートルズ人形が4体飾られてました。デビッド・ボウイや、キッスや、色々飾
   られてました。(葛飾区/女性)
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
   (小林)面白いキャバクラだったんだ。
296ポール・キロックトニー:2009/01/26(月) 03:12:33 ID:???0
  ・ビートルズ世代ではないんですが、この「ビートルズを始まる。」を聞いてから興味を持つようになり、翌日CDショップに行ったら
   ビートルズのアルバムがあったので、さっそく購入しました。このアルバムで、僕が一番印象に残ったのが「ヘイ・ジュード」。
   しっとりとしたリズムと、すてきな歌声に魅かれました。(取手市/男性/21歳)
    〜 The Beatles / Hey Jude
   (小林)判断は正解ですよね。やっぱり、「ヘイ・ジュード」は、一番人気高いものね。さっき、知識で聞くものじゃなくて、感性で
   聞くものだって言いましたが、若い人たちは、実は幸せで、と同時に困ってるはずなんです。僕らの頃は、こんなに買うCDってのは
   あまりなかったんだけど、今は90年代、80年代、70年代。それから、ビートルズなんて、60年代。もう、過去40年ぐらいの素晴ら
   しいものが、みんなCDで売られていて、中には古くさくてダメなものもあるんですよ、もちろんね。今の時代、聞いてても全然新し
   いし、時代はかえって進歩してるのか?と思えるようないいものがあったりするんです。そういったなかで、自分の耳で聞いてくだ
   さい。若い方からのリクエストも待ってます。

(小林)リンゴ・スター、なんでビートルズに入ったのかなー?っていうね。ただ、考えられるのはね、ロリー・ストームっていうバンドに
いたわけですよね。そこが面白くなかったっていう。ギャラは良かった、ビートルズより良かったんだよね。羽振りも良かったリンゴ・ス
ターが、そこをやめてまで、ビートルズに入ってきた。ビートルズが、よっぽど楽しかったんだよ。ジョージやジョンやポールの、雰囲気
がすごく良かったんだろうと思うんですけどね。
297ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 18:14:19 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年2月1日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月1日)
  ・1964年 (45年前)
    これはね、大変な日なんですよ。ビートルズの「I Wanna Hold〜」が、とうとうアメリカのビルボードで1位になった日であります。
    ビートルズはどこにいたかというと、あのー、パリのオランピア劇場。つまり、英語読みではオリンピア劇場です。ここで、10日間
    以上に渡るコンサートがあって、これは有名なコンサートなんですけど、ビートルズのコンサートじゃないんですよ。当時、ビート
    ルズをしのぐ人気があった、トリニー・ロペスとか、地元のシルビー・バルタンなんかとの一緒のコンサート。だけど、やっぱり
    イギリスですごい人気があったわけですけど、その人気がパリに移っていて、やはりこの仲ではビートルズが一番人気だったそうです。
    だけど、イギリスと変わってるのが、男のファンの方が多かったという。パリでは、ビートルズの男のファンの方が。イギリスでは
    圧倒的に女性のファンだったんですけどね。そんな中、ホテルに泊まっていたところ、アメリカで1位になってきたっていう知らせが
    入ってきて、ビートルズは大騒ぎをします。この大騒ぎの模様ってのは、いつかこの番組で放送したことがあると思いますけど
    アメリカのレコード会社も予想していなかった1位だったわけです。ま、この頃のお話には、色んなお話がありますからね。まあ
    1年間番組を続けられるぐらい、話があるわけですが。さて、アメリカで評価を高めたのは、A面の「I Wanna Hold〜」ばかりじゃ
    なくて、B面に収められていた、この曲。この曲も、ビートルズってすごいグループだなーと、皆を認めさせました。
    〜 The Beatles / This Boy
298ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 18:15:14 ID:???0
    これがB面だったわけですが、歌詞はね「That boy」というのと「This boy」というのが対比。That boyは、「アイツが自分の女を
    取っていった」って歌ってるわけだね。だけど、This boy ── 自分のこと、自分は帰ってきて欲しいと思っている。曲の方は
    どちらかというと50年代風。しかし、1964年ですよね。50年代風のことをやっても、ビートルズはとてもあか抜けていたというこ
    とで、評価された曲であります。
299ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 18:28:11 ID:???0
□ジョンの目から見たビートルズ史?
  ・ピート・ベスト脱退騒動の渦中、1962年8月23日木曜日。道路工事のドリルの騒音のうるさい、リヴァプールのマウント・プレゼント
   登記所で、ジョンはシンシアと結婚した。この登記所は、ジョンの父親フレッド・レノンと、母親ジュリアが婚姻届を出した場所でも
   ある。フレッドとジュリアの時と同じように、この日はジョンとシンシアの親も出席しなかった。シンシアの母親は、一旦移住先の
   カナダから戻っていたが、この時はリヴァプールを離れており、ジョンの育ての親にあたるミミおばさんに至っては、ジョンとシンシア
   が今で言う「できちゃった結婚」にあたることが、どうしても許せなかったため、この日は参列しなかったのである。結果、シンシアの
   父親役を務めたのは、兄のトニー。そして、新郎であるジョンの付添人は、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインで
   あった。シンシアは、新品のウェディング・ドレスなど買う余裕がなかったため、ハンブルグに行った時に、当時ビートルズのメンバー
   であった、スチュアート・サトクリフの恋人、アストリッドにもらったドレスを着て、登記所の前に立った。ポールとジョージも
   もちろん参列した。しかし、あまりの可笑しさと決まりの悪さから、落ち着きがなく、挙動不審であった。本来はありがたいはずの
   登記所の役人の話の大部分は、道路工事の音にかき消されてしまった。届け出が終わると、急に土砂降りの雨。その雨の中を、新郎新婦
   そして、参列者の一行は、走って道路を渡り、予約してあったカフェテリア「リーシス」で、ランチの会食となった。しかし、この店は
   アルコール販売の許可をもらっていなかったため、乾杯は形式だけ ── 水で行われた。日本風に言うと、水杯となったわけである。
   そして、結婚式の後はハネムーンにとはいかず、この日の夜もライブの仕事が入っていた。場所は、リヴァプールから車で走ること
   1時間の町、チェスターのボールルーム。つまり、ダンスホールでの演奏。まだ、メジャーデビュー前、印税生活などとはほど遠い
   ビートルズは、来る日も来る日も、ライブで日銭を稼ぎ、何とかしのいでいたのである。
300ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 18:32:04 ID:???0
    〜 The Beatles / Matchbox
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps

   有名な曲、エリック・クラプトンも入ってる曲。もちろんこれは、ジョージ・ハリソンの曲です。そしてその前は、1964年のビートルズ
   のカバー。リードボーカルは、リンゴ・スター。あのー、カール・パーキンスの、リンゴは大ファンなんですけど、「マッチボックス」
   という曲をやってました。
301ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 18:56:48 ID:???0
□ピート・ベスト脱退騒動
  ・ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、ピート・ベスト騒動なんて、せいぜい一日か二日で終わるだろうと、
   タカをくくっていた。しかし、それは大きな間違いであった。ピートがクビになってから一週間たち、ビートルズがキャヴァーンに
   戻ってきた時、表にはまだ怒りの抗議を表す横断幕に加え、仰々しくピケが張られていた。さらには、楽屋口では騒動が繰り広げられた。
   ピートの側に付く連中、つまりピートの味方は、ビートルズに何かといちゃもんを着けては、喧嘩を売ってきた。既に、他のバンドに
   入っていたピートも、その楽屋騒動の現場に出くわしていたが、それを止めに入ることはなかった。ピートは優しい男ではあったが
   さすがに今回の突然のクビには、当然腹の虫は収まっていなかったのである。そして、遂にジョージが、その生け贄となってしまった。
   ある男のパンチが、見事に左目をヒットした。「やばい!もうすぐ本番じゃないか。」しかし、遅かった。ライブは、予定通りスタート
   した。本番の間、ジョージの左目のアザは、どんどん腫れ上がっていった。この一件の後、ビートルズのマネージャー、ブライアン・
   エプスタインは、ボディガードを着けてもらわないと、出演を見合わせると、キャヴァーン・クラブのオーナー、レイ・マクフォールに
   強く訴えたという。この時点で、世間的にはピートをクビにしたのはブライアンであるということにしてあった。元々、自虐的な性格で
   あるブライアンは、このリヴァプールで一番の憎まれ者というレッテルが、まんざら嫌いでもなかった。そしてさらに、ピートの母親で
   あるモナが、ブライアンに猛烈な抗議を浴びせてきた。それも、一度では済まなかったのである。モナは、ピートがクビになったのは
   ジョンとポールとジョージの嫉妬が原因であると、信じて疑わなかった。「あの子は、ドラムでも何でも、皆を助けてあげたのよ。
302ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 19:00:30 ID:???0
   大勢のファンが、あの子こそビートルズだと思っていたわ。ピートをクビにしたのは、ブライアンじゃないことぐらい分かってる。
   だって、ブライアンは、ピートを自分の両親に紹介するぐらい、大切にしていたんだから。クビにするなんて、あり得ない。やっぱり
   他の三人よ。あの三人が、ピートを追い出したのよ。間違いない!」と、ピートの脱退騒動は、まだまだ収まる気配を見せなかった。
    〜 The Beatles / I'm Happy Just to Dance with You
    〜 The Beatles / Ticket to Ride

   僕は、あ〜 She's gotta ticket to あ〜ってのが、僕は好きなんですけど。
303ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 19:06:16 ID:???0
  ・ビートルズのドラマー、ピート・ベストが突然クビになった。この騒動は、なかなか収まることがなかった。特に、ピートの母親、モナ
   の怒りは半端なものではなかった。この騒動で、ピート本人を別にすれば、最も大きな被害を被ったのは、ビートルズの付き人兼運転手
   のニール・アスピノール。ニールは、後にビートルズが設立した会社、アップルの重役になる人物である。このニールは、既に
   ビートルズにとって、欠くことの出来ないスタッフとなっていた一方、ピート・ベストの家族との絆も、どんどん深くなっていた。元々
   ニールは、会計士を志望する若者で、ちゃんとした会社に勤務する、ピート・ベスト家の下宿人だった。その、下宿人であるニールが
   大家であるジョン・ベスト、つまり、ピートの父親が仕事で長期にわたって留守にしている間に、下宿先の奥さんであるモナとあらぬ関係
   になってしまったのである。時にモナは37歳、ニールはまだ19歳である。その結果、ピートがビートルズをクビになる、ほんの数週間前
   の7月21日、モラは(小林、言い間違える)、モナはニールとの子供を出産していた。ローグと名付けられた、その男の赤ちゃんは
   ピートや弟のロリーと一緒に、兄弟として育てられることになる。ニールは、ビートルズとベスト家の間の板挟みになり、苦しんだ。
   しかし、そこにピートが助け舟を出してくれた。ピートは、ニールが義理堅く、誠実な男であることは、十分に分かっていた。だからこそ
   自分のために、親友であるニールを苦しめたくなかった。ベスト家に義理立てて、ビートルズのスタッフをやめようとしたニールに対し
   「後、半年ぐらい様子を見て、ビートルズの仕事を続けてはどうだ」と提案したのは、他ならぬピートであった。本当に、心の広い
   いい男である。こうしてニールは、とりあえずビートルズのローディとしての仕事を続けることになった。しかし、それでもまだ、
   ドラマー交代騒動は収まっていなかったのである。
304ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 19:09:41 ID:???0
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down
    〜 The Beatles / Get Back

   有名な、ジョン・レノンの「これで、オーディション合格するといいな」みたいなセリフが入っていました。「Don't〜」、これは
   「Get Back」のB面だった曲。あ、両方ともこの曲は、アメリカ人の、黒人の、あのー、後にソロとしても有名になるビリー・プレストン
   亡くなってしまいましたが、キーボードで入ってます。当時は、5番目のビートルズとか、彼は自分で呼んでいたようであります。
305ホワイトアルバムさん:2009/02/01(日) 19:10:08 ID:???O
ニール・アスピノールってモナと子供作っちゃったんだ…初めてしった。
306ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 19:35:56 ID:???0
□リクエスト
  ・アース・ウインド&ファイヤーの「Got to get〜」が、ビートルズをカバーした中で最高だと言ってましたね。同感です。あれは、
   ビートルズの原曲を越えていると思います。オアシスの「〜Walrus」にしても、「You've got〜」にしても、悪くはないけど
   原曲の方がいいですものね。最近ラジオで聞いた、吉田美奈子と渡辺香津美の「Eleanor Rigby」はいいですね。原曲を越えたとまでは
   言いませんが、独自の世界を作り上げてると思います。(住所不詳/男性)
    〜 吉田美奈子 & 渡辺香津美 / エリナー・リグビー

  ・トラック・ドライバーです。いつも、トラックの中で聞いているんですが、盆と正月だけは休みなので、克也さんの新年最初の放送を
   自宅のステレオでゆっくり聞くのを楽しみにしていたんですが、突然の来客のため、聞き逃してしまいました。残念です。年二回の
   チャンスの一回を聞き逃して聞けませんでした。(川越市/男性)
    〜 The Temptations / My Girl
307ポール・キロックトニー:2009/02/01(日) 19:39:50 ID:???0
  ・日曜夕方にラジオを合わせていると、まるでサザエさん症候群になったようです。今日のリクエストは、ビートルズ、ストーンズは
   別格として、では自分が好きな二番目のグループはと考えて、イーグルスとピンク・フロイドで悩むんです。エルトン・ジョンもいいし
   プリンスも捨てがたい。統一性がないな。いや、統一性がないのがいい。CDを買いにいって、どちらを買うか。同じ日にライブがあって
   どちらに行くのかと考えると、イーグルスとピンク・フロイド、悩むところです。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は、私に
   とってNo.1の曲ですが、断腸の思いでピンク・フロイドをお願いします。17歳から8歳の時に初めて聞いた「原子心母」は、こんな
   ロックがあったのかと、新しい衝撃でした。長い曲なので、全部とは言いませんが、始まりのところを時間の許す限りお願いします
   (千葉市若葉区/性別不明)
    〜 Pink Floyd / Atom Heart Mother
   (小林)...この後も、延々と続くんですけど、ピンク・フロイド、先週言ったアラン・パーソンズという人が、「Let it be」の第二
   エンジニアをやっていて、70年代に入ると、ビートルズで鍛えられたエンジニアが、ピンク・フロイドの音を担当するんです。
   有名なアルバム、チーフ・エンジニアがアラン・パーソンズです。

(小林)FMで、ピンク・フロイドの原子心母が、一部ではありますが、記念すべき2月1日となりました。ビートルズのお話の方も、ジョン・
レノンの最初の結婚式とか、お金がない、土砂降りの中での、それもドリルの音、工事の音でかき消された結婚式とか、ピート・ベストの話
とか、人間ドラマがありますね。面白いですよね。また、来週やります。
308ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 18:14:39 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年2月8日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月8日)
  ・1958年 (51年前)
    ジョージ・ハリソンが15歳になる直前、ポール・マッカートニーがジョンの元へ、ジョージ・ハリソンを連れています。そして
    ジョン・レノンのバンドはクォリーメンと言いましたね。ポールは、既にメンバーです。ジョン親分に、「ジョージというギタリスト
    がいるんだけど、ちょっと年若いけど」ってことで、紹介します。で、ジョージ・ハリソンは、昔の曲「ロンチー」って曲をやります。
    で、ジョンは「なかなかやるな」と思います。だけど、すぐにメンバーにはさせてくれません。ポールとジョージはね、家が近かった
    し、幼なじみ。ポールの弟分というか、家来的な感じ。二人ともギターをやっている。だけど、この頃の一歳の年の違いっていったら
    大変なもんで、ジョンは不良少年の親分格。なかなか、入れてくれないんですよ。ま、この番組では、何年ぐらい前ですかね、この頃
    の模様をお伝えしてますけど、ジョージ・ハリソンはまだ駆け出しでね。ほら、ジョン・レノンがデートする時、30m・40m後を付
    いてきたっていう、なんとなく、ジョージ・ハリソンは可愛いなあ。他のメンバーの話によると、ジョージ・ハリソンは、ちょっと
    透明人間ぽかったっていうような話がありますけどね。しかし、最終的には、ジョージもメンバーに入るわけですが。何かにつけ
    ジョンはジョージに「ロンチー」を演奏させたというワケなんですが、それでは、どんな曲なのか? ちょっと、聞いてみましょう。
    〜 Bill Justis / Raunchy

    これはね、その昔プレスリーが最初にレコードを出した、メンフィスの小しゃな(小林、言い間違える)、小さなレコード会社、サン
    レコードから出ていた。これをやったわけです。で、ジョンは、まんざらでもなかった。51年前のきょうのお話であります。
309ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 18:29:06 ID:???0
□ピート・ベスト脱退騒動
  ・1962年8月、メジャーデビュー前のビートルズは、ドラマーのピート・ベスト脱退騒動のまっただ中にいた。脱退とは体のいい表現で
   実際には、ジョンとポールとジョージの三人が、一方的にピートに離縁状を叩き付けたのも同様である。この突然の解雇に、当の本人
   ピートを除けば、最も大きな被害を被ったのは、ビートルズの付き人兼運転手のニール・アスピノール。元々ニールは、会計士を志望
   する若者で、ピート・ベストの家の下宿人であった。その下宿人であるニールは、大家の奥さんで、ピートのお母さんモナとあらぬ関係
   になってしまっていた。その結果、ピートがビートルズをクビになるほんの数週間前の7月21日、モナはニールの子供を出産している。
   責任感の強いニールは、ビートルズとベスト家の間に板挟みになり、苦しんだ。しかし、ピートはニールに対し、「後半年だけ様子を
   みて、その後でビートルズの仕事を続けてはどうだ」と提案した。本当に、心の広い、性格の良い男だったわけだ。しかし、まだこの
   一件は、ビートルズのまわりの人間関係に、問題を残していた。まずビートルズは、ピートをクビにしたにも関わらず、いまだに
   ピートの実家が経営するカスヴァ・クラブを集合場所、つまり「たまり場」として使っていた。とは言っても、さすがに女主人である
   モナとは顔を合わせないように、細心の注意を払った。しかし、それも到底無理な話である。クラブの前に車を停めさせて欲しい時には
   モナの許しが必要だったし、仮にモナがいなくても、ピートの恋人であるキャッシーが待ち構えていた。このキャッシーという女が
   これまた気の強いことで有名で、ジョンとポールをカスヴァで見かけるたびに、懇々と説教をはじめるのが常であった。もちろん
   ピートをクビにした件に関しては、ビートルズ側の分が悪過ぎる。ジョンもポールも、キャッシーのヒステリーを黙って聞き流すしか
   なかった。そんな中、元来事なかれ主義であった、マネージャーのブライアン・エプスタインは、ピートの受けた打撃を少しでも和ら
   げようと、彼を中心にしたニューグループを作ろうと提案していたのである。
310ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 18:33:58 ID:???0
    〜 The Beatles / Besame Mucho
    〜 The Beatles / I've Got a Feeling

   (笑)解散の年の「I've Got〜」。そして、初期の時代に色んな曲をやらなくちゃいけなかったんだけど、ステージが長いから。だから
   「ベサメ・ムーチョ」もよくやった。これは、ポールのアイデアですが。アンソロジー1の中に入っています。
311ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 18:48:48 ID:???0
  ・クビにしてしまったピート・ベストを救済しよう。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、そう考えた結果、
   ピートを自分の友人であり、良き理解者でもあるジョー・フラナリーがマネージャーを務めるグループ「リー・カーチス&ザ・
   オールスターズ」に入れることにした。フロントで歌っているリー・カーチスは、ジョーの弟である。ピートのドラムプレーは
   さほど評価されていないが、なにせ、あの甘いルックスがある。間違いなく、女性ファンを獲得することが、約束されている。
   万が一、リーの人気をピートが食ってしまうことがあっても、バンドそのものには、むしろ良い刺激になるだろう。よし、ピートを
   入れよう。そう考えたジョーは、ブライアンの願いどおり、ピート・ベストをバンドに受け入れた。後にジョーが語るに、このメン
   バー移動は、きわめて巧みに行われたもので、ブライアンらしい仕事ぶりであったと言われる。ジョーの記憶をたどって語る。「まず
   ブライアンは、僕にピートを受け入れることを納得させた。それから僕が、ピートに話を付けたんだ。ミスター・エプスタインには
   僕から筋を通すから心配いらないってね。そりゃもう、しっかりとした筋書きだったよ。」これで一応、ピートの脱退騒動は、何とか
   収まった。もしかすると、これがブライアンにとっての、ビートルズにおける最初の重要な仕事だったのかもしれない。もちろん
   リンゴは、まだロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズでの消化試合、つまり残りのライブがあったため、すぐにはビートルズの仕事に
   参加できなかった。ここでもブライアンは、その敏腕ぶりを見せた。リンゴが来られないからと言って、ライブの仕事に穴を開ける
   わけにはいかない。ブライアンはすぐさま、リヴァプールでは先輩格に当たるバンド、ビッグスリーのドラマー、ジョニー・ハッチ
   に声をかけて、数日間リンゴの代役を頼むことにした。これからメジャーデビューするバンドであるビートルズの名に恥じないように
   ギャラも出来るだけ弾んでやった。ジョニーのプレイも、ブライアンの仕切りも完璧だ。そして、人間関係上のトラブルを乗り越え
   ブライアンは、マネージャーとして着々と信頼を勝ち取っていくのである。
312ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 18:54:37 ID:???0
    〜 The Beatles / Bad Boy
    〜 The Beatles / Anna (Go to Him)

   ビートルズのカバーには、ポリシーがあって、なかなかシブい曲を選んでいます。えっと、これは...まず1965年の、アメリカの
   アルバムに入っていた曲で、ラリー・ウィリアムスという人のヒットで「バッド・ボーイ」。それから、こっちの方は1963年の
   プリーズ・プリーズ・ミーに入っています。アーサー・アレキサンダーの「アンナ」。二曲続きました。
313ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 19:07:54 ID:???0
  ・ピートをクビした、あの一件も、なんとか片がついたようだ。ブライアンのヤツ、なかなかやるじゃないか。ジョン、ポール、ジョージ
   の三人は、マネージャーであるブライアンとの信頼関係を深めていた。そして、既にこの頃ブライアンは、コンサート・プロモーターと
   しての才覚も、徐々に発揮し始めていたのである。ピートがクビになる寸前の1962年7月27日、リヴァプールから北東に車で三時間
   走ったところにある街、ニューブライトンになるタワー・ボールルームで、大々的なビートルズ・ショーが開催された。今回の主催者は
   ベテランの大物プロデューサーではなく、NEMSエンタープライズ、つまりブライアンが経営し、ビートルズが所属するプロダクション
   であった。このショーで目玉のスターは、コックニーなまりの英語を話す、ロンドン生まれのロックン・ローラー、ジョー・ブラウン。
   当時は、チャートの上位に食い込むヒットもあった。そのジョー・ブラウンの次に名前が挙がっていたのが、なんとビートルズ。
   メジャーデビュー前のバンドをそういう扱いにするのは異例の扱いであったが、それこそがブライアンの狙いであった。つまり、スター
   シンガーであるジョー・ブラウンも、ビートルズの前に記載されている、単なる文字に過ぎない。そういうイメージを、客に植え付けた
   のである。その後のショーのときも、プスターやチラシ、看板の最初には「ビッグスター」。そしてその次には、同じ扱いであるかの様
   に、「ザ・ビートルズ」の文字をおいた。元々、レコードショップの店主が本業であったブライアンは、いつでもチャートをチェックし
   誰のレコードが一番売れているか、毎日チェックしていた。興行のセンスが良かったのか、日々の勉強の成果なのか、それはブライアン
   本人にしか分からないことであるが、ブライアンの催すライブイベントは、日に日に盛り上がりを見せていった。ビートルズが世界中で
   ブレイクする一年半も前のことである。
314ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 19:17:04 ID:???0
    〜 The Beatles / Oh! Darling
    〜 The Beatles / Old Brown Shoe

   ビートルズ後期の作品が並びました。アビーロードから「オー!ダーリン」そして、「ジョンとヨーコのバラード」のB面が、この曲
   だったんですね。「オールド・ブラウン・シュー」という曲が並びました。そういうわけで、ビートルズはブライアンと契約して
   ブライアンが「俺、ダメかもしれない..やめるならいつでも」というわけで、ブライアンだけ契約書にサインしなかったという話は有名
   ですけど、特にこの番組、去年はブライアンのダメ・マネージャーぶりというのを毎日(?)紹介していた時期もありましたけど
   この頃はね、ブライアンは野望に燃えていたわけだし、そしてね、決定的に違うのはね、ブライアンは、コンサートとかライブに関して
   は、すっごい腕を発揮するわけですよ。どうやって、ビートルズを盛り上げるかっていうことで。だから、ビートルズをまだ誰も知らない
   名前を大きく看板に使っちゃうなんて、そういう技を開発するわけですが、ところが、コンサートをやらなくなってから、ブライアンは
   落ち込んでいくわけですよね。ビートルズがコンサートをやってるときは、ブライアンは飛ぶ鳥を落とす勢いだったんですが、ただ弱点
   は、お金のどんぶり勘定。どんぶり勘定だったのが、弱点だったわけです。
315ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 19:37:47 ID:???0
□リクエスト
  ・私、家族を九州に残して、単身生活中の70年代ロックにうるさいおじさんです。私が洋楽を聴き始めたのは、ビートルズが解散する直前
   の頃で、その頃からの5〜6年は、ロック界は大変活気にあふれ、新しい才能が次々に現れていたことが、なつかしく思い出されます。
   ビートルズのメンバーでは、ジョージ・ハリソンが好きで、特に解散直後は、彼が最も活発な活動を行っていました。リクエストは、彼
   が主催したバングラディシュ・コンサート、これは別ミュージシャンですが、レオン・ラッセルによる、ストーンズの「ジャンピング〜」
   をお願いします。(習志野市/男性)
    〜 Leon Russell / Jumpin' Jack Flash
   (小林)これはメドレーなんですが、どうお送りしましょうかねー。

  ・きょうは、「レット・イット・ビー」に関して、ちょっと書きます。アルバム「レット〜」は元々「ゲット・バック」というタイトルで
   出されるはずだったんですよね。ビートルズのブートレッグの中でも、BBC物と「レット〜」関連の物は、枚挙にいとまがない感があり
   ますが、どうせならオフィシャルで全部出せばいいのになー。僕が初めてブートレッグに手を染めたのは、今から30年ぐらい前。西新宿
   の怪しい店で、キッスの「Take Me」というレコードを見つけたときのことです。さすがに当時は海賊版の存在のことは知らず、かと
   いって、普通に売っている正規版と違うようなことは理解していたんですが、これが迷宮入りのきっかけになろうとは。ジャケットに
   「Live at BUDOUKAN」の文字を目にした途端、レジに向かっていました。あれから30年、相変わらずブートの表示に騙されていました。
   元々ドMなんで、これも楽しみです。レット〜についてはなくて、ブートレッグについてになってしまいましたが。(八街市/男性)
    〜 Bon Jovi / Living on a Prayer
   (小林)いかがですか?ライブで続いたんですよ。
316ポール・キロックトニー:2009/02/08(日) 19:43:14 ID:???0
  ・中学生の息子も聞き出し、ビートルズの話題を知りたがっています。会話が噛み合ない年頃ですが、ビートルズのことだけは
   話が弾みます。中学生は「イエロー・サブマリン」、母は「ミッシェル」をリクエストします。(松戸市/女性)
    〜 The Beatles / Michelle
   (小林)(リクエスト者の名前が)「りんこ」と読めますからね。てっきり、お母さんの方がリンゴの曲かと思いました。そんなダジャレは
   さておき、お母さんの方のリクエストを採用。

(小林)最後のリクエストは面白かったですね。夕食時に、お父さんとお母さんと息子たちが、この番組を聞いている。ま、うれしい限りなんで
すけど、やー、面白いと思いますよ。ビートルズは決して、サザエさんや笑点じゃないんですよ。このビートルズが出てきたときは、音楽の
曲名だったんですよ。今の、ビートルズが出てきたときは、そりゃビートルズは古いけど、今の音楽がそんな新しく進化したかというと、それ
ほど進化してないんですよ。だから、家族団らん、楽しくいただきながら、このそういうことも話をするといいですよね。ビートルズは、親の
方が「古くないんだよ!実は新しいんだよ」「いや、古い」「どうして古いんだよ」とか、そういったことまで、たのしく団らんしていただき
たいと思います。
317ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 18:26:35 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年2月15日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月15日)
  ・1965年 (44年前)
    アメリカだけのシングルですが、「8 days〜」が発売になります。これは元々、彼らの二作目の映画「8 arms hold you」の主題歌
    として、作られました。これがどういうタイトルかというと、「君を抱く8本の腕」というタイトル。もちろん、ビートルズの4人
    の8本の腕といいう、ちょっと考えオチのような、なかなか良いコピーっぽいじゃない? だけど、当時のビートルズにとって、オジン
    臭かったんですね。結局、この映画は「Help!」になっちゃうんですが、ここがまたビートルズの偉さなんですけど。「週に八日も
    仕事なんて」とリンゴが嘆いていう、それが歌になったみたいなことをポールが言ってました。ビートルズは、曲によって色んな発明
    があります。斬新な発明、新しい試みがあります。この曲ね、イントロがいきなりガーンとくるんじゃなくて、フェードインしてるん
    ですね。小さい音からずーっと入ってるんです。これは、後にピンク・フロイドのエンジニアになるプロデューサー、ノーマン・スミ
    スの案だということなんですけど、簡単な曲に聞こえるようだけど、色んなバージョンを録ったそうです。で、紆余曲折を経て、この
    フェードインになったそうであります。どうして、フェードインに決定したかというと、「8 days〜」というのは、「毎日毎日忙しく
    働いて、一週間に八日も働いて忙しい」で、これは結局「八日も君のことを想っている」というラブソングに通じてるわけだけど、
    それがずーっと続いてると、いきなりじゃなくて、前々から続いてるという気分が、フェードインの歌に通じるんですよ。
    〜 The Beatles / Eight Days a Week
318ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:11:56 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・1962年8月、ビートルズはドラマーをピート・ベストからリンゴ・スターに交代させ、あらたなスタートを切った。そして、この一件
   にまつわるゴタゴタを何とか片付け、メンバーとの信頼関係を一気に深めたのが、マネージャーのブライアン・エプスタインであった。
   さて、ここからがマネージャーのブライアンとしての腕の見せ所となる。この頃になると、ブライアンの経営する事務所、NEMSエンター
   プライズは、ビートルズのマネージメントにとどまらず、コンサートツアーの企画や運営にも手を伸ばし始める。そんな年、1962年
   8月上旬、ブライアンは地元リヴァプールを中心に人気の高まってきた音楽新聞「マージー・ビート」に、一面広告を出した。この広告は
   リヴァプールばかりか、ロンドンのプロモーターをうならせる物であった。その広告の内容とは、「元祖ロックンロール・シンガー
   リトル・リチャード、ニュー・ブライトンで我らがビートルズと共演」という物である。ロックンロール自体は、本国アメリカでは
   1959年を境に下火になりかけていた。そのあまりの過激さに、全米教育委員会から睨まれ、排斥運動が起こっていた。エルビス・
   プレスリーは兵役を終えた後、ハリウッドに移り、映画の中だけで歌った。バディ・ホリー、エディ・コクランといった若手は、不慮の
   事故で亡くなり、チャック・ベリーも黒人であるが故、いわれのない罪状で刑に服した。実際、当時のチャートを見ると、ロックンロール
   の時代が終わり、10代向けの甘いポップスの時代に移行していたことが良くわかる。しかし、イギリスは違った。ロンドンやリヴァプール
   を中心に、ロックやR&Bへの熱はどんどん強まるばかりである。そんな中、アメリカのシンガーの中でもトップクラスのパンチと存在感を
   持つ、リトル・リチャードとビートルズが共演するとなると、これはもう大事件。もちろん、まだデビュー前の新人バンドが、いきなり
   ロックの王様と同じステージに立つのである。そう、すんなりと行くはずがない。さらにこの時、ビートルズには、いよいよデビューと
   なる、シングル曲の録音の日が、まさに目の前まで迫っていたのである。
319ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:14:06 ID:???0
    〜 The Beatles / Cansas City ~ Hey Hey Hey Hey!
    〜 The Beatles / Slow Down

  ・1962年6月6日 ── ビートルズは、EMIアビーロード・スタジオで、最初のオーディション録音を行った。慣れないレコーディングの為
   緊張し、ジョンもポールも出来は芳しくなかった。むしろ、弟分のジョージの方が調子が良かったぐらいである。それに、曲もまだ練ら
   れてはいなかったため、プロデューサーのジョージ・マーティンも、果たしてビートルズの魅力のどの部分を前面に押し出すべきか、
   決定が出せないまま、90日が過ぎていた。そしてこの日、9月4日火曜日。ビートルズは、ファーストシングルの両面に収まる二曲を録音
   するために、再びアビーロードへ出向いた。朝のうちにリヴァプール空港を出発して、ロンドン・チェルシー地区の小さなホテルにチェッ
   クインし、スタジオに現れたのは昼過ぎだった。この時、ビートルズは間違いなく、噂の新人であった。特に、彼らの評判は、EMIの若い
   スタッフには、気になって仕方のない物になっていた。
320ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:15:35 ID:???0
   この日も、スタジオの食堂では、まだ十代のエンジニアがサンドイッチをほおばり
   ながら、話し込んでいた。リチャード・ランガンと、クリス・ニール。そして、後に専属エンジニアとなる、ジェフ・エメリックの前途
   有望な三人の若者だった。まず、クリスが切り出した。「なあ、リチャード。今夜、例のビートルズのセッションに付くんだろ?」チリ
   とトマトで口をいっぱいにした、リチャードが返事の代わりに、首を縦に振ると、クリスはさらに興奮し、自分が知っているビートルズ
   の情報を、洗いざらい話し始めた。「むさ苦しい連中でさ、皮のジャケット着て、髪を前に垂らしてるんだ。すごく突っ張ってて、オー
   ディションの時には、メンバーの一人が『アンタのネクタイが気に入らない』なんて言ったらしいぜ。けど、ハーモニーは、エバリー・
   ブラザーズみたいに最高だし、本物のロック魂の持ち主なんだ。あ、時間だ。」興奮したままそう言うと、クリスは食堂を出て行って
   しまった。リチャードが続けた。「なあ、ジェフ。お前なら、分かってくれると思うけど、ジョージ・マーティンももう36だろ。36歳の
   おじさんに、ビートルズのレコードが作れると思うか?」ジェフは答えた。「よおし。じゃあ、今夜それを確認しようじゃないか。さあ
   楽しみだ。」
    〜 The Beatles / Rock'n Roll Music
    〜 The Beatles / She's a Woman
321ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:22:08 ID:???0
  ・遂に、あのビートルズが、レコーディングに、アビーロードに来るぞ。EMIの若いエンジニアたちは、みんな興奮した。まず、ビートルズ
   が、北の出身であることが、大いに好奇心をかき立てた。1962年当時は、ロンドンの住人と、首都圏以外の街 ── とりわけ、リヴァ
   プールのような、すすけた北部の街で暮らす人々との間に、明確な階級格差が存在した。それはあたかもイギリスが、二つの国に別れて
   いるかのようだった。少なくとも、純国産のポップスターは、自分がロンドンに暮らしていたと言っている。すべてのレコーディング
   スタジオが、この街に集中していたわけであるから、それも当然のことである。つまり、ロンドン以外の街から、バンドがデビューする
   というのは、それ自体革新的で、ある意味、奇妙とも言える出来事だったのである。スタジオのスタッフが、それをネタに噂話をする理由
   にも、そういった背景があった。そのビートルズが今夜レコーディングをするとなると、誰もが興奮せずにはいられなかった。この日の
   レコーディングは、夜の7時からとなっていた。EMIの中で、第2スタジオは異彩を放っていた。それは、世界中のどこにも例を見ない作り
   だったからである。このスタジオのコントロールルーム、つまり、プロデューサーやエンジニア、その他のスタッフがいる場所、ミキサー
   卓や、テープレコーダーが置いてある場所だが、ミュージシャンが演奏し、歌うスタジオエリアのフロアにあり、見下ろす形になっていた。
   二つのフロアを行き来するには、木製の狭い階段を使うしかなく、コントロールルームからの指示は、スタジオの反対側、非常出口の真上
   にかかった、二本の巨大なスピ−カーで伝えられる ── という、ある意味隔離された世界である。さて、この先長い付き合いとなる
   アビーロード第2スタジオに、ビートルズが遂に、姿を見せたのである。
322ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:28:24 ID:???0
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun ~ The Inner Light (Transition)

   これは、メチャクチャ古いスタジオなんですよね。スタジオっていうと、みんなどういう所を思い浮かべますかね。例えば、オーケストラ
   がいて、そこで演奏している。それを、全部上から見れるような作りになってるんですよ。日本でも、結構そういうようなものが、昔は
   あったんですけどね。それから例えば、メンフィスの「フェイム」のスタジオや、ごめんなさい、「スタックス」のスタジオや、それから
   「ハイ」のスタジオ。両方とも、古い映画館を買って、それを改造したもんで、ほら映画館って、フィルムを映すところがあるじゃない。
   それから、二階席とかいったところがあるじゃない。それが、コントロールルームになっちゃってね。下の客席が、演奏する(場所になっ
   てる)。スタジオの種類、色々あるんですけど、アビーロードのスタジオは、本当に古いスタジオだったわけですよ。
323ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:35:50 ID:???0
□リクエスト
  ・僕は14歳の時にビートルズを知り、小遣いが一ヶ月三千円でしたので、月一でLPを買い、むしゃぶるようにビートルズを聞き、ある時は
   ビートルズのフィルムコンサートに一人で出かけました。あれから、27年。色んなことがありましたが、番組を聞いてから、あの時の
   情熱がよみがえるのを実感しています。ビートルズの曲は、どの時代も好きなんですが、特にサージャントの時代が好きです。何百回と
   聞いていますが、全然飽きがこない不思議な曲です。(千葉市花見川区/男性)
    〜 The Beatles / I am The Walrus
   (小林)飽きがこない、それはすごいよ。例えば、こういうのどうですかね。3年とか5年とか、Walrus断ちをするわけです。あえて聞かない。
   で、5年経ってから聞いてみる。そうしたら、感動するんじゃないかと思いますけど。

  ・奥田民生さんは、曲の歌詞に、たびたびビートルズを登場させてますよね。ハチャメチャなようで、計算されているメロディーが、また
   帰ってくるのかと、楽しみにしています。(江戸川区/女性)
    〜 UNICORN / 大迷惑
   (小林)歌詞ばかりじゃなくて、曲の方も確信犯的にビートルズが登場してきますよね。
324ポール・キロックトニー:2009/02/15(日) 19:42:09 ID:???0
  ・ずっとリクエストしたかったけど、「ベイFM」を「ビーFM」と思って、リクエストできませんでした。中学3年の時、たまたま見たロック
   の特集番組で、まったく興味なかった音楽が好きになり、特に好きになったのが、ビートルズのポールでした。そして、僕が勝手に「イエ
   スタデー」と並ぶ傑作だと思っているのがこの曲です。(白井市/男性)
    〜 The Beatles / I Will

  ・ビートルズは中学生の頃、英語の授業の始まりに、必ず歌った思い出があります。(住所不詳/性別不詳)
    〜 The Beatles / Yesterday

(小林)やはり、ビートルズが使ったということで、メチャクチャ古いスタジオらしかったらしいですよね、昔は。機械も悪い機械だったらしい
古いっていうのかな。駐車場も狭くて大変だったらしいんですけど、ビートルズが使うことによって、メチャクチャ有名になって、日本のアーチ
ストも、EMIにわざわざ行って録音した人いますよね。最近では、オアシスのニューアルバムね。それから、U2のニューアルバムの一部ね。
オアシスが全部押さえてたんだって、それをU2が金出して、使わせてもらったというエピソードがあるくらい、結構こだわるんですよね。
325ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 18:14:45 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年2月22日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(2月22日)
  ・1969年 (40年前)
    Oh,Yes! 場所は、トライデント・スタジオ。ロンドンの有名なスタジオなんですけど、レコード会社のスタジオじゃないんですよ。
    この頃、ビートルズはLet it Beのアルバムをスタートさせて、暗礁に乗り上げています。メンバー4人は、やりきれない気持ちだった。
    メンバーが4人バラバラだったっていう、ちょっとほら、仲が悪くなっていたということもありますし、もう一つ大きな原因というの
    はね、自分たちの音楽は絶えず時代を作ってきた、時代の先端だった。ところが、1969年。特に、67・68・69年になると、新しい
    ものがどんどんどんどんまわりから出てるんですよ。焦りみたいな物が、あったんですね。で、40年前のきょうは、I Want Youって
    いう有名な曲。これは、カッコをつけてShe's So Heavy。どういうことかというと、この頃はドラッグカルチャーです。で、良く効
    くな!っていうときは、そのスラングがHeavy。つまり、「彼女は重い」んじゃないんです。彼女はスゴいよ!I Want You、それを
    実にテイク35までやったと言われています。これは、ビートルズが如何に迷ってたかということですよね。プロデューサーのジョー
    ジ・マーティンばかりじゃなくて、後になって有名になるクリス・トーマスなんかも携わったといいます。きょうは最後まで聞いて
    いただきたいと思います。ビートルズの迷いを感じながら。
    〜 The Beatles / I Want You (She's So Heavy)

    どうですか? 突然のエンディング。やっぱ、こうやってエンディングをつけなきゃ、ダメだよね。これは結構 ── 、情報ってもの
    はどこにあるかっていうと、音楽の中にありますよね。ビートルズがこの時点で、どんな風に悩んで、どんな風に苦労して、どんな
    風に音楽を作ったかというのは、この音楽を聴いてあげることで、一番良くわかりますよ。メンバーが仲悪かったとか、色々聞くよ
    りも、やっぱりこの音の中に真実が入っているということですね。
326ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 18:30:12 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・今夜、遂にビートルズのレコーディングが始まる。今年36歳のプロデューサー、ジョージ・マーティンにロックのレコードが作れるか
   どうか。しっかりと確認しようじゃないか。さあ、楽しみだ。ロンドンEMIアビーロードスタジオの新米エンジニア、リチャード・ラン
   ガムと、ジェフ・エメリックが興奮しながら、話し込んでいた。1962年9月4日のことである。それほどまで、ビートルズが興味を持
   たれた理由、それはまず、ロンドン市内やその近郊に生まれ育った人間にとって、北国であるリヴァプールは、まったく想像も出来ない
   外国のような存在であったことにある。特に、ショービジネスの世界では、そのほとんどがロンドンの出身者、もしくはロンドンに住む
   連中で占められていた。それが、遠い北の国リヴァプールから、朝一の飛行機でやってくるなんて話は、誰も聞いたことがなかった。
   そんな、噂のビートルズは、新人バンドというよりは、新しい生物を見られるようなもの。まるで、動物園に新しく到着するパンダの
   ようでもあった。そのビートルズが、この日の夜のレコーディングに、アビーロードの第2スタジオにやって来た。このスタジオは
   プロデューサーやエンジニアのいるコントロールルームと、演奏するスタジオブースが、木で出来た階段でつながっている。いわば
   2階建ての形をとっていることで有名だった。したがって、新米エンジニアである、リチャードとジェフは、上の階からメンバーを見
   下ろすことになっていた。そして、遂にその時がやって来た。当時の印象を、ジェフ・エメリックは語っている。「初めて目の当たり
   にしたビートルズは、正直言って、さほど記憶に残る物じゃなかった。なんせ彼らは、皮のジャケットを着て、すごく尖った連中だと
   聞いてたんだけど、実際の格好は、きちんとアイロンがけされた白いシャツにネクタイだったからね。でも、あの独特のヘアスタイル
   で、誰がビートルズのメンバーか、すぐに分かったよ。」かつてのバッドボーイ・ファッションは消え、マネージャーのブライアン・
   エプスタインの提案で、ビートルズはすっかりクリーンなイメージに変身を遂げていたのである。
327ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 18:36:42 ID:???0
    〜 The Beatles / Ask Me Why
    〜 The Beatles / Nowhere Man
   きょうは、このNowhere Man覚えておいてくださいね。あとで、面白いことがあります。
328ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 18:45:38 ID:???0
  ・ビートルズはついに、デビューシングルのレコーディングのため、アビーロードに現れた。しかし、皮のジャケット姿ではなく、清潔
   なイメージの白いシャツにネクタイというファッション。これは、スタッフも、肩すかしを食らった。当時、新米エンジニアだった
   ジェフ・エメリックは語っている。「ぼくは、あまりにも駆け出しだったので、実際にプロデューサーのジョージ・マーティンを見るのも
   初めてだったんだ。だけど、ビートルズのメンバーと一緒に立っている、背が高くてやせた紳士がマーティンだって、すぐに分かった
   ね。どっか、プロの業界人だっていう、オーラを放っていた。他の二人、片方は眼鏡をかけた熊のような巨漢、もう片方は小柄で、さほ
   ど目立った特徴もない男で、彼らは忙しそうに、ドラムセットやギターアンプをセッティングしているところからすると、いわばロック
   バンドの付き人、いわゆるローディみたいだったね。この二人のローディこそ、あの名物男マル・エヴァンスと、後にビートルズの会社
   アップルの重役となるニール・アスピノールであった。ニールは、ビートルズをクビになったドラマー、ピート・ベストの家の下宿人で
   ピートの親友でもあった。そして、新米エンジニアであり、後のビートルズサウンドの屋台骨となる、ジェフ・エメリックは続けて語っ
   ている。「今となっては、ちょっと恥ずかしい話なんだけど、ビートルズを初めて見たとき、ぼくが一番衝撃を受けたのは、彼らの細い
   ニットタイだったんだ。それですぐに同僚のリチャードに、あのネクタイ格好良くないか?って、話しかけたのを覚えている。当然二人
   とも翌週には、同じニットタイを見つけてきて、スタジオに締めてきたんだ。そしたらその内、EMIの男性社員は、一人残らずそのニット
   タイを締めるようになったんだ。ぼくとリチャードは、鬼の首でも取ったみたいに喜んだんだけど、それよりも、そのビートルズの影響力
   のスゴさに驚かされたね。音楽はもちろんなんだけど、そういうネクタイとか細かいところまで真似したくなる力って、やっぱりスーパー
   スターと呼ばれる人間だけが持っているものなんだね。絶対そうだよ、間違いないね。」
329ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 18:46:35 ID:???0
    〜 The Beatles / Paperback Writer
    〜 The Beatles / Blackbird - Yesterday (Love)
330ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 19:02:37 ID:???0
  ・ビートルズのデビューシングルのレコーディングが、アビーロードで始まるぞ! EMIの若いエンジニアたちは、興奮を隠しきれなかった。
   理由は分からないが、とにかく、何か新しいことが始まる気配を感じていたのである。何せ、スタッフは皆、北国のリヴァプールの者と
   仕事をしたことなど、ただの一度もなかった。ベテラン・プロデューサーで、パーラフォン・レーベルの制作部長であるジョージ・マー
   ティンが、このバンドのどこに魅力を感じて契約に至ったのか。会社中探しても、一人として、理解している人間などいない。それだけ
   ビートルズは、未知の存在である。機材のセッティングが終わると、しばしのチューニングを経て、コントロールルームのスピーカーか
   ら、演奏が聞こえ始めた。ビートルズの4人は、リハーサル中である。ジョージ・マーティンは、二人のシンガー、つまり、ジョンと
   ポールに、はさまれるように高いストールに腰掛けていた。演奏していたのは、彼らの新曲でポップな曲である。この時点で、特に光った
   ところはなかったが、バンドがたたき出すビートは、誰が聞いてもご機嫌でキャッチーだった。60年代前半のレコーディングは、そのほ
   とんどがバンド全員による、いわゆる一発録りであるが、それぞれの楽器の音が、お互いを邪魔しないように、何枚かのつい立てを立てて
   あるのが通常であった。この日、スタジオの中で一番背の高いつい立ての向こうに、せっせとビートを作り出すドラマーが見えた。とても
   鼻の大きい小柄な男で、他の3人のメンバーほどは、曲を良く覚えてないらしく、何度も演奏を止められていた。この男、もちろん、あの
   リンゴ・スターである。ビートルズに加入して、まだ二週間もたっていない時のレコーディングである。リンゴが曲を覚えていないのも
   無理はなかった。チーフ・エンジニアのノーマン・ハリスが、アシスタントにテープレコーダーを録音状態にするように指示を出し、曲の
   タイトルと、何回目の録音であるかを、真面目腐ったような声でアナウンスした。「How Do You Do it ── Take1」
331ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 19:03:13 ID:???0
    〜 The Beatles / How Do You Do it
   ビートルズは特に、初期の頃は恋の駆け引きを独特の見方で曲にしているわけですが、なんとなく10代っぽい感じの恋愛の世界を描いてい
   ます。この曲は、例のアンソロジー1の中に入ってる曲です。
332ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 19:21:43 ID:???0
□リクエスト
  ・夕方の犬の散歩をしながら聞いています。夏の6時台は、まだ夕日がまぶしい時間帯で一仕事できそうな気分ですが、冬だと寒く真っ暗な
   時間で、お風呂が恋しくなります。私のイメージだと、この曲をビートルズで聞くと、「乾いた風が吹く大地に、変わった男がいる」と
   いったような感じなんですが、カレン・カーペンターの声で聞くと、「今にも雨が降りそうな街角に、たたずんでいる男」の歌に聞こえ
   ます。(成田市/男性)
    〜 Carpenters / Nowhere Man

  ・我が家の日曜の晩ごはんは、夫特製の関西風お好み焼きです。子供の頃、実家のお父さんが良く焼いてくれたそうです。結婚7年半、毎週
   日曜日は克也さんのカッコいい声をBGMに、おいしいお好み焼きを焼いてくれてます。そんな夫に、一ヶ月遅れのバースディ・プレゼント
   として、リクエストします。ビートルズ、とりわけジョンをこよなく愛する夫ですが、誕生日がエルビス・プレスリーと一緒だと、いつも
   誇らしげにしゃべっているので、音楽に疎い私に変わって、克也さんからエルビスの曲をチョイスしていただけるとありがたいです。
   (北区/女性)
    〜 Elvis Presley / Wear My Ring Around Your Neck
333ポール・キロックトニー:2009/02/22(日) 19:28:48 ID:???0
  ・来週のこの時間、彼の公演に行く予定です。クラプトンもまたビートルズと同じように「クラプトンから始まる。」といった番組があって
   もおかしくないほど、エピソードがあると思いますが。(香取市/男性)
    〜 Derek & The Dominos / Layla

(小林)ビートルズのお話、かなり具体的ですよね。エンジニアのジェフ・エメリックの本を参考にお送りしています。それから、リクエストで
夕食を食べながら番組を聞いてらっしゃる方、かなりいるということで。きょうは、ビートルズの名曲「I Want You」、エリック・クラプトンの
「Layla」、最後までかけました。これも、音楽のごちそうでしたね。
334ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:04:53 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年3月1日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月1日)
  ・1968年 (41年前)
    Oh, Yes! リンゴ・スターとモリーン、つまりリンゴ夫婦。最初のカミさん、モリーンがロンドンへ帰ってきました。どこから、帰って
    きたか? インドから帰ってきました。どういう状態だったか? 這々の体(ほうほうのてい)! 這々の体って、最近なかなか使わない
    日本語ですが。もう、こりごりっていうことで、インドからリンゴ・スターとカミさんのモリーンが帰ってきたんです。ビートルズの
    皆、ほら、ポールはジェーン・アッシャーなんか連れて、インド行くじゃない? これ、修行に行くんですよね。ジョージ・ハリソンが
    インド行って、色んなことがあるよってんで、ビートルズもインド行けば、精神的にプラスになるんじゃないかと思って、行くわけです。
    ところが、リンゴ・スターだけは10日しかもたなかった。10日でリタイヤ、帰ってくるわけです。ま、ビートルズがインド行った話は
    この番組でも、何回かやったわけですが、精神修行と言ってもVIP待遇で、信者には内緒で酒は出るわ。2月25日は、ジョージの誕生日
    だったワケですけど、盛大な誕生パーティ。飲めや歌え、ケーキも用意されて。しかし、リンゴ・スター、この前お話したんですけど
    生まれた時の事故が原因で、極度の偏食家。ゆで卵、フィッシュ&チップスなんかが(インドには)ない。だから、スーツケースに一杯
    豆の缶詰なんか持って行ったんだけど、それでも食べ物が合わない。
335ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:05:50 ID:???0
    さらに参ってしまったのは、蚊です。蚊がイヤだ。蚊に刺される
    のがイヤ。で、帰ってきたのが、41年前のきょうであります。しかし、このインド旅行というのはね、ビートルズにとって大変なこと
    をもたらすんです。それは、ホワイトアルバムと呼ばれるアルバムですが、このアルバムのほとんどを、ジョンやポールは、このインド
    の修行中に書いちゃうんです。だから、インドは決してマイナスじゃなかったんです。プラスだったんです。リンゴは、逃げて帰りまし
    た。みんな、曲を作りました。リンゴだけは、インドの影響を受けないで、自分の前作った曲を、完成させてホワイトアルバムに入れて
    います。
    〜 The Beatles / Don't Pass Me By

    なんか、いい感じだね。いい感じですよ、ホントに。ホワイトアルバムは、結構みんなバラバラのアルバム。だけど、違う意味で評価さ
    れたアルバムですけど。ビートルズというグループを作った、ジョンもポールも、ジョージも成長するんですが、リンゴもスゴかったん
    ですねー。なかなか良い曲を書きましたね。珍しく、リンゴのオリジナルをお送りしました。
336ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:06:26 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・1962年9月4日火曜日 ── この日ビートルズは、二度目となるロンドンのEMIアビーロードスタジオでの、レコーディングに望んだ。3ヶ
   月前のものは、正式なものではなく、正式な契約のための、いわばオーディション代わりだったため、今回が事実上の最初のレコーディン
   グとなった。もちろん、デビューシングルとなる曲を録音するという、重要なものである。この時点で、ジョンとポールは既に50曲以上の
   オリジナルをストックしていた。後に、レノン=マッカートニーとして、20世紀最大の作曲家チームとなるコンビとなる、最も初期の楽曲
   である。しかし、この日プロデューサーのジョージ・マーティンが、レコーディングに選んだ曲は、音楽出版社から売り込まれた「How Do
   You Do it」。ミッチ・マレーという、プロの作曲家が書いたナンバーであった。チーム・エンジニアのノーマン・スミスの「How Do You
   Do it、テイク1」というアナウンスの後、一瞬の間をおき、ジョンが震える声でカウントを出した。「ワン、ツー、スリー、フォー。」
   バンドは、演奏を開始した。演奏は、前評判ほどのものではなかった。これが本当に、リヴァプールとその一帯のマージーサイドを熱狂の
   渦に巻き込んでいるビートルズの演奏か? 大したことはないな。スタジオにいる誰もが、そう思った。リズムギターを弾きながら歌う、
   リードシンガー、ジョン・レノンは、鼻にかかったユニークな声の持ち主で、音を外さずに歌ったものの、それほど熱がこもっている感じ
   でもなかったし、リードギターのジョージ・ハリソンは、なんだか不器用そうに見えた。この演奏で、一番印象深かったのは、パワフルで
   メロディックなベースプレイだった。スタッフが二階からスタジオをのぞき込むと、このベーシスト、ポール・マッカートニーは、ベース
   を弾きながら、器用にも同時に、コーラスパートも歌っていた。ほんの2、3回演奏すると、ビートルズのメンバー全員、それとプロデュー
   サーのジョージ・マーティンも出来映えに満足したらしく、録音された演奏を聴くために、階段でコントロールルームに駆け上がってきた。
   メジャーと契約して、最初に聴く、自分たちの演奏であった。
337ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:07:13 ID:???0
    〜 The Beatles / How Do You Do it
    〜 The Beatles / When I'm 64
   会社の方が、ビートルズのデビュー曲として指定して、ビートルズが録音した「How〜」。そして、その時点では、もうポールが書いていた
   曲であります。
338ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:07:45 ID:???0
  ・ビートルズの、EMIアビーロードスタジオにおける、2回目のレコーディングは、1962年9月4日に行われた。この時点では、ビートルズも
   マネージャーのブライアン・エプスタインも、地元リヴァプールに住んでいたため、朝の飛行機でロンドンに到着した。この日、ビートルズ
   がアビーロードスタジオを訪れたのは、午後になってから。レコーディングのスケジュールは、余裕をみて、夜の7時からとなっていた。最
   初に録った曲は、ジョンとポールが書いたオリジナルではなく、音楽出版社に手配させ、プロの作曲家が書いた「How〜」という軽快なポッ
   プなナンバー。2、3回演奏すると、ビートルズは録音されたテープを聴きに、階段を駆け上ってきた。アビーロードの第2スタジオは、演奏
   するブースが一階、録音や編集作業をするコントロールルームが二階という、古い設計のままであったためである。この時、プロデューサー
   のジョージ・マーティン以外のスタッフは、初めて間近でビートルズを見ることになる。ビートルズの四人は、ロンドンの住人には、耳なま
   りのリヴァプールなまりでしゃべった。この時の第一印象を、当時のアシスタントで、後にビートルズの専属エンジニアとなる、ジェフ・エ
   メリックは語っている。「リードシンガーのジョンは、50年代のロックンローラー、バディ・ホリーを思わせる黒ぶちの眼鏡をかけて、かぎ
   鼻が印象的だったね。ちょっと、ぶっきらぼうだったかな。ずいぶんと落ち着きがなくて、おかしな男だった。しゃべりだすと早口で、大声
   になるんだ。ジョンとは対照的に、小柄で無口なドラマー、リンゴは会話にもあまり加わらなかったね。ジョージ・ハリソンは、すごくやせ
   ていたけど、何か雰囲気を持っていた。そうそう、その時のジョージは、目にアザをこしらえていた。リヴァプールで、ケンカに巻き込まれ
   たそうだ。そして最後、ベーシストのポールは、一番気さくで、見た目も一般ウケする感じだったね。とにかく魅力的だし、愛想も良かった。
   メンバーの中で唯一、アシスタントの僕らにも会釈してくれたしね。僕らは全員、いっぺんでポールが好きになってしまった。そういうわけ
   さ。」
339ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:08:19 ID:???0
    〜 The Beatles / All My Loving
    〜 The Beatles / Lovely Rita
   ポールの作品には、ジョンのと違って、女の子を描くというか、例えば女の子ばっかりじゃないけど、「レディ・マドンナ」「エリノア・リ
   グビー」とか。そういう物語を書きますけど、駐車場の女の子、可愛かったんですよね。
340ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:10:03 ID:???0
  ・ビートルズが、アビーロードで正式に行ったレコーディングで、最初に録音したのは、他人の曲「How〜」だった。当時のアシスタント・
   エンジニアで、後にビートルズの専属エンジニアに大抜擢される、ジェフ・エメリックはそう証言している。さらに続けて、ポールの印象を
   語っている。「とにかく、チャーミングで魅力的な男だったね。それに、仕事にも熱心だった。レッコーディング(小林、なぜか言い間違え
   そうになる)の仕上がりにも、一番興味を持っていたのはポールだった。ジョンのように、興奮して大声を出すことはなかったけど、僕は
   はっきりポールが、ビートルズのリーダーだっていう印象を受けたんだ。ポールがしゃべると、他の三人は熱心に聞き、いつも決まって
   『うん、その通りだ』ってなるんだ。録り直しの時、演奏の直前に『なあ、みんな。全力を出そうぜ!』って、ハッパをかけるのも、いつも
   決まって、ポールだったしね。とにかく、前向きな男だったよ。その、録り終えたばかりの、デビューシングル候補曲「How〜」を聞き終え
   プロデューサーのジョージ・マーティンの指示通り、手拍子などをオーバーダビングして完成させた後、スタジオの中で、ビートルズの4人
   が、何やら話しこんで、考えをまとめている様子を見せた。そして遂にジョンが、無遠慮にも、ジョージ・マーティンに向かって切り出した。
   「なあ、ジョージ。ハッキリ言って俺たち、今録音した曲は、クズだと思うんだ。」ジョージ・マーティンは、驚きの表情を見せた。すると
   ジョンは、少し表現を和らげた。「つまり、確かに良い曲かもしれないけど、俺たちがやりたい路線とは違ってるってことさ。」「じゃあ、
   君たちは、どういう曲をやりたいんだ?」困り顔のプロデューサーがたずねると、ジョンは眼鏡を外し、目を細めて、単刀直入に言った。
   「俺たちは、どっかの誰かが書いた、ヤワな曲じゃなくて、俺たち自身の書いた曲。つまり、俺たちのロックがやりたいんだ。これだけは
   絶対に譲れないよ。マーティンさん。」
341ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:11:28 ID:???0
    〜 The Beatles / It Won't Be Long
    〜 The Beatles / Come Together ~ Dear Prudence ~ Cry Baby Cry (Transition)
   いかがですか? 曲が続きましたけど、この「Come〜」初めて聞いた方もいるかもしれません。うわーっと思ったでしょ? 結構カッコよさが
   違いますよね。

□リクエスト
  ・中三で受験生です。息抜きにラジオを聞いています。ビートルズファンになったので、毎週聞いています。初期の方が好きなので、この曲を
   お願いします。(住所不詳/女性)
    〜 The Beatles / I Saw Her Standing There

  ・ぼくは今中学三年生で。友達の寝室に忍び込んで、音楽を練習しているんですが、最初にはじめた曲をリクエストします。(佐倉市/男性)
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da

  ・ビートルズ以外の曲で、他のミュージシャンの提供や共作など、たくさんあるんでしょうか? 私は数曲しか分かりませんが、さすがポール
   だと思います。私が好きなのは、エルビス・コステロの「ベロニカ」、メリー・ホプキンの「グッドバイ」。リクエストは「ベロニカ」を
   お願いします。(越谷市/男性)
    〜 Elvis Costello / Veronica
   (小林)ポールは、ほとんどがビートルズ、あるいは自分のグループですよね。最近ポールは、ファイヤーマンというグループを作ってね、
   これはこの年になっても俺は冒険をするんだっていう意気込みが見れるバンドですから、良かったらチェックしてください。
342ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 00:19:50 ID:???0
  ・私は、ビートルズの現役ではないんですけど、エレクトーンで習って、好きになりました。ミッシェルが好きなので、イエロー・サブマリン
   (松戸市/女性)
    〜 The Beatles / Yellow Submarine

(小林)きょう、ぼくはあえて強調しなかったんですが、この番組長くやってますが、ビートルズの物語やってますよね。一番カッコいい、決定的な
瞬間だったんですが、そう感じましたか? ビートルズは、大きなレコード会社と契約したってことは、嬉しいわけですよ。そのデビューソングを演奏
する、ジョージ・マーティンというプロデューサーが、この曲は君たちに良いからということで「How〜」をやるわけだけど、その後でジョンが
きましたね。「ジョージ!」ファーストネームです。「ジョージ、今録音したクズは、デビュー曲にしたくない」イギリス人だから「Rubbish」、
クズっていう言葉を使うんですけど、ジョン・レノンはそういう言葉を言ったんですかね? いやあ、これはカッコイイ。普通だったらだよ、その曲
を飲むかもわからない。まあ、会社が言うんだから、やっといて後で自分たちの思うようにやれば良い、そういう風に思うかも分かんない。ビートル
ズは最初から、こんな曲はやりたくない! スゴい、これはカッコいいことですよね。ということで、ジョン・レノンのカッコいい発言があった。
やっぱ、自分たちの曲を自分たちで見極めた方向に、自分たちのロックをやって行くっていう宣言をしたということを、覚えておいてください。
343ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 22:45:11 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年3月8日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月8日)
  ・1971年 (38年前)
    もう、ビートルズは解散しています。気になる二人が、38年前のきょう、違うことをやっています。ジョン・レノンは
    「Power to the People」を、スタジオで録音しています。そして、ポール・マッカートニーは、自分のソロの「Another Day」
    これは大ヒットする曲なんですが、イギリスでシングルを発売しています。この頃ね、二人はご存知の通り、バラバラになって
    います。この二人の活動に、ジョンらしさ、ポールらしさが出てきます。ジョン・レノンは、昔からのプロデューサー、自分が
    尊敬するプロデューサー、フィル・スペクターと共同作業をやっています。フィル・スペクターはね、ジョンやジョージ・ハリソン
    が大好きな人です。ポール・マッカートニーは、我が道を行く、自分で自分のことはやるんだっていう、セルフ・プロデュースに
    こだわっています。この頃ね、ポールはもう既に自分のソロの活動の準備をしてたみたいで、ビートルズ時代に書き貯めた曲を
    レコーディングするんだよね。ところが、ジョンの場合は、やっつけ仕事っていうか、これがとても、ジョンらしいです。そして
    きょう1曲目におかけする曲は、実はジョンが、38年前のきょう、スタジオでフィル・スペクターと録音した曲なんですけど
    音に、ジョンとポールの決定的な違いを聞くことが出来ます。ポール・マッカートニーは、ひずんだ音って、あまり使わなかった
    んですけど、ジョン・レノンは、やっぱりロックはひずまなきゃ!ってことで、この曲、頭、気をつけて聞いていただきたいんで
    すけど、ロックらしい、ひずんだ音から始まります。これが、ジョン・レノンの正体であります。
    〜 John Lennon with the Plastic Ono Band / Power to the People
344ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:11:38 ID:???0
    いかがですか? ジョン・レノンのプロデューサーは、親友のフィル・スペクター。ジョン・レノンの音の世界、気がつきましたか?
    ビートルズを良く知ってる方は、それぞれソロになった、ポールはウイングスのヒットを出してますよね。この音を、ちょっと頭
    の中に描いてください。根本的に違うんですよね、ジョンとポールは。
345ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:13:56 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・「俺たちは、どっかの誰かが書いたヤワな曲じゃなくて、自分で書いた曲。つまり、俺たちのロックがやりたいんだ。これだけは
   絶対に譲れないよ、マーティンさん。」1962年9月4日、火曜日。ロンドンのEMIアビーロードスタジオで、ジョンはプロデューサー
   のジョージ・マーティンに向かって、本音を言った。マーティンが用意してきたのは、プロの作曲家であるミッチ・マレーが書いた
   軽快なポップな「How Do You Do it」という曲。こんなのが、俺たちのデビュー曲か ── と、心の中では思いながらも、プロの
   ロック・バンドとして、初の本番レコーディングに望んだビートルズの4人は、そつなく演奏をこなした。しかし、アビーロード
   第2スタジオの階段を駆け上がり、コントロールルームで録音した音を確認すると、それはやはり、満足のいくものとは言えなかった。
   ジョンは、考えた。この曲は、確かに手慣れたプロの仕事だ。一度聞いただけで耳に残るし、おそらくヒットはするだろう。だけど
   何かが物足りない。何だろう。それって、ロックが持っている毒。俺たちが、まるで中毒のように夢中になったのは、それがあった
   からじゃないのか。そうだ、俺たちビートルズは、もっと毒のある曲をやらなきゃダメなんだ。そうなると、こんな曲は当然ボツだ。
   結果、ジョンはバンドのリーダーとして、ハッキリとジョージ・マーティンに、こんな曲はデビュー曲にしたくないと、発言した。
   もちろん、マーティンは驚いて答えた。「そうか、じゃあ君たちは、どういう曲をやりたいんだ。」ジョンは、即答した。「そりゃ
   自分たちが書いた曲に決まってるよ。」「それじゃあ、言わせてもらうよ、ジョン。君たちが、これに負けないくらい、良い曲を
   書いてきたら、喜んでレコーディングしようじゃないか。」ジョンは、ガンを飛ばした。不穏な空気が流れる中、ポールが軌道修正
   した。「今の僕らは、ちょっと違った方向性を目指したいと思ってるんです。それに、僕らの曲は、決して今の曲に負けてないと
   思います。もし良かったら、ちょっとやってみたいんですが。」話し合いは、続いた。
    〜 The Beatles / One after 909
    〜 The Beatles / She's a Woman
346ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:16:30 ID:???0
  ・「僕らの曲は、決して今の曲に負けてないと思います。もし良かったら、ちょっとやってみたいんですが。」相手が、メジャーの
   レコード会社のプロデューサーだろうが、お構いなしに食ってかかるジョンとは対照的に、ポールは言葉を選んで、行儀良く話を進め
   ようとした。ジョージ・マーティンも、熱くなった頭を冷やしながら、エンジニアのノーマン・スミスと顔を見合わせた。ここで
   権威を振りかざすべきなのか、それとも、まだまだ未知数だらけの若者たちの要求をのむべきなのか、迷っている様子でもあった。
   しばし、4人のメンバーの顔を見つめ、彼らの本気度を察し測ろうとしていたが、遂に沈黙を破り、ジョージ・マーティンは穏やかな
   声で言った。「わかった。じゃあ、君たちのその曲を聴かせてくれ。」ビートルズの4人とジョージ・マーティンが、階段を下りて行くと
   エンジニアのノーマンは、アシスタントのジェフ・エメリックとリチャード・ランガムの方を振り返り、かぶりを振りながら、「こりゃ
   また随分と生意気な連中じゃないか。でも、たぶんああでもなければ、ここまで来れなかったのかもしれないな。」スタッフが、
   コントロールルームから、下の階のレコーディングブースを見下ろすと、今一度ジョージ・マーティンを取り囲むようにして、リハーサル
   をするビートルズの姿が目に入ってきた。ジョージ・ハリソンは、エレキギターをアコースティックギターに持ち替え、自信たっぷりに
   かき鳴らしている。重いビートであるにも関わらず、その曲にはキャッチーなメロディがあった。マイク越しに、会話の一部が聞こえて
   きた。ジョージ・マーティンの声だ。「どうやら、大元は出来てるようだな。だが、今のままじゃ、何か足りない。」そして、ジョンの
   方を向いて、彼は言った。「ジョン、君はハモニカ吹いてたな。何か、ブルースっぽいフレーズを吹いてくれないか。なんなら、ソロも
   ハモニカにしたっていいよ。」これこそまさに、5人目のビートルズと称された、ロック界最高のプロデューサー、ジョージ・マーティン
   が、ビートルズをプロデュースした、最初の瞬間だったのである。
    〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
    〜 The Beatles / I am the Walrus
347ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:18:05 ID:???0
   対照的なヤツがかかりましたね。「Can't〜」、1964年。そしてこれは、「I am〜」、ジョンの名作。ただ、これは2006年、ジョージ
   ・マーティン親子がプロデュースして出した「Love」のアルバムの中に入っている、原曲よりもメロディアスな部分が強調されていて
   かえって、曲の深みというか、いい音になって、かえって深みが出ている作品であります。
348ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:20:52 ID:???0
  ・「ジョン、君はハモニカを吹いていたな。何か、ブルースっぽいフレーズを吹いてくれないか。なんなら、ソロもハモニカにしたって
   いいよ。」プロデューサーのジョージ・マーティンは、自分が用意した曲をボツにされたことも忘れ、ビートルズのオリジナル曲の
   プロデュースに没頭した。ジョンの指示で、ローディーが車に積んであるハモニカを取りに行った。ジョンは、いくつかのシンプルな
   フレーズを演奏し始めた。そしてそのまま、しばらくリハーサルを続け、一旦中断して、話合いになった。話の内容は、コントロール
   ルームまで聞こえてこなかったが、ジョージ・マーティンが中心になって、濃密な話し合いをしているのが察知できた。話し合いが終わり
   リハーサルが再開されると、さっきまでジョンだったはずのリードボーカルは、ポールに変わっていた。アシスタント・エンジニアの
   ジェフ・エメリックは、思わず同僚のリチャード・ランガムに向かって口走った。「見ろよ、リチャード。違うヤツが歌ってるよ。」
   もちろん、ジョンはハモニカを吹いているので、その間、歌うことが出来ない。そのため、ポールにスイッチした。その、理由は分かる
   のであるが、そんなに簡単に、同じバンドの中で、シンガーが変わるなんて、見たことも聞いたこともなかった。チーフ・エンジニアの
   ノーマン・スミスが含み笑いをしながら話しだした。「そうだよ、そこがビートルズの強みの一つだよ。3ヶ月前のオーディション
   の時、このバンドには一人じゃなくて二人のリードシンガーがいることが分かったんだ。それに、あのやせっぽっちのギタリストだって
   歌うんだよ。まあ、二人に比べたら、そううまくはないんだけど。だけど、悪くもないんだよ。」アシスタントのジェフは、ポールの声
   が気に入ってしまった。丸みのある、その声質は、ジョンのどぎつい、角ばった声とは、まさに好対照。そして、それ以上に印象的だった
   のが、二人の声のブレンド。まるで、エバリー・ブラザーズじゃないか。普段は、おとなしい性格のジェフは、すっかり興奮してしまった。
   この時ジェフは、ビートルズ・マジックに、かかってしまったのである。
    〜 The Beatles / Drive My Car
349ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:44:13 ID:???0
   そうなんですよね、やっぱり。ポールの丸みのある声と、ジョンのどぎつい、角ばった、うまい形容だと思いますけど、この二人の
   ハーモニーは、エバリー・ブラザーズじゃないかって言ったんですけど、実は、エバリー・ブラザーズを越えているんですよね。
   エバリー・ブラザーズは、言葉の通り、兄弟なんですよ。兄弟だから声が似てる、似てる二人がハモるのは当たり前。それとはまた
   まったく違うものが、好対照の二人の声がハモった時のハモりというのは、それはそれは、相性にもよるでしょうけど、パワーが出る
   ものなんですね。

□リクエスト
  ・最近、映画の影響でアバの曲を良く聴くようになったので、おすすめの一曲というと、シブい曲と言うか、ど真ん中の曲をお送りする
   ことになると思いますが、(リクエスト者)は大学生ですね。大学生というと、これね、まず一緒に声を出してみると分かるんですけど
   この曲は結構音域が広いから、歌えるようでなかなかうまく歌えないね。(千葉市花見川区/女性)
    〜 ABBA / Dancing Queen
350ポール・キロックトニー:2009/03/11(水) 23:45:11 ID:???0
  ・ぼくが、就職浪人をしていた頃、卒業した大学の研究室で、アルバイトをすることになったぼくは、可愛くちょっと気の強い女性を
   好きになりました。就職は無事に決まったものの、なかなか思いを告げることが出来ず、別れのときが近づいたある日、彼女が昔
   良く聞いていたというビートルズの曲に思いを込めて、日本語にし、手紙に書いて彼女に渡しました。ビートルズは、やはり偉大で
   手紙を渡してから、数日後、彼女とつき合うことになり、約6年間の遠距離恋愛を経て、結婚しました。さらには、子供にも恵まれました。
   仕事で、いつも帰りが遅くなってごめんね。(松戸市/男性)
    〜 The Beatles / In My Life

  ・中学生のぼくは、今ビートルズの曲をたくさん聴いています。(志木市/男性)
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows (Anthology 2)

  ・わたしは、ビートルズの曲、あまり知らないけど、リクエストするのであれば、ヘルプ!の軽快な曲調が好きなので、でも今回は
   ビリー・ジョエル。(北埼玉郡/女性)
    〜 Billy Joel / Honesty
351ホワイトアルバムさん:2009/03/12(木) 17:54:52 ID:MIwEgCM70
1からここまで読んだ。
ポール・キロックトニー、有難う。
知らないエピソードがいっぱいで楽しかった。
小林さんは、ポールの才能は認めてるけど好きではない感じが見て取れるw
ラジオ、聞いたことなかったので日曜日に聞いてみます。
352ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 18:11:42 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年3月15日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月15日)
  ・1968年 (41年前)
    Oh, Yes!! ヒッピー文化が始まっています。今から41年前のきょう、イギリスで「Lady Madonna」が発売になりました。これは、イギリスで
    1位になります。しかし、アメリカでは、この日ではありませんが、1位にはなっていません。この1968年は、「Lady〜」と「Hey Jude」という
    これはね、すごいヒットになったわけですが、この2曲しかシングルを出していません。ビートルズはこの時点で、三人は ── ジョンとポールと
    ジョージは、インドに残ったまま。インドでの生活は、何回となくこの番組で伝えていますが、リンゴは食べ物が合わない、蚊がイヤだということ
    で、リンゴだけはイギリスに帰ってきています。この「Lady|」なんですけど、インドに行く前に録音して、元々音楽的なテイストは、50年代に
    ジョージ・マーティンがプロデュースした、ハンフリー・リトルトンボールというアーチストの「Bad Penny Blues」という、トラディショナル
    ジャズがベースになっています。ドラムスをダビングしていたり、カズーを入れてみたり、最後にダビングしたのは、ジョンとジョージのスキャット。
    二人とも、ポテトチップスをほおばりながら歌ったので、良く聞くとバリバリというノイズが入ってるとか、入ってないとか。これは、チェック
    するには、良いヘッドホンで聴くと、バリバリと聞こえてたら、良くわかります。さあ、その「Lady〜」ですけど、「Eleanor Rigby」とか「Lovely
    Rita」とか、実在したんじゃないかと思われる女性を登場させた、ポール・マッカートニー独特の世界です。
    〜 The Beatles / Lady Madonna
353ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 18:14:54 ID:???0
    ジョージとジョンの「パッパパー」スキャットのコーラス、ノイズ入ってました? ホントに、分かるときは分かるんだからね。ヒマがある方は
    聞き直していただきたいと思います。それからB面がね、とても変わった曲が入ってるんですが、きょうは嬉しいことにリクエストがきてるん
    ですよ。後で説明しますけどね、お楽しみに。
354ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 18:32:27 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・「ビートルズの強みの一つ、それはバンドに一人じゃなくて、二人のリードシンガーがいることだ。それにあの、やせっぽっちのギタリストだって
   歌うんだ。ジョンやポールに比べたら、そううまくはないんだけど。でも、悪くないよ。」ビートルズのレコーディングで、チーフエンジニアを
   務めたノーマン・スミスは、そう語った。ちなみに、このノーマン・スミスという人物、この数年後、EMIから独立し、あのピンク・フロイドの
   プロデューサーとして成功した人物である。ノーマンの言葉通り、プロデューサー、ジョージ・マーティンの指示で、ハモニカを吹くことになった
   ジョンに変わって、ポールがリード・ボーカルをとった。この出来事に、一同スタッフは騒然。何せこの時代、ロックバンドと言ったら、なんとか
   &なんとかズ ── というスタイル。つまり、シンガーはフロントに一人というスタイルが普通であって、二人・三人といったシンガーがいることは
   きわめてまれなことだったのである。さらに、ジョンとポール声はまさに好対照。どぎつくざらついた攻撃的なジョンの声に対し、ポールの丸み
   のある力強い声も、すぐにスタジオのスタッフをとりこにした。さらに、この二人のブレンドが素晴らしかった。ジョンとポールがハモると
   それはアメリカの大人気兄弟デュオ、ビバリー・ブラザーズのリヴァプール版、いや、そのビバリーを越えていると言っても過言ではなかった。
   ボーカルのアレンジが決まると、プロデューサーであるジョージ・マーティンは、2階のコントロールルームに戻り、エンジニアのノーマンに
   意見を求めた。ノーマンは答えた。「悪くないよ、ジョージ。うん、悪くない。さっきの曲、すが、すぐ(小林、言い間違える)火がつくという
   わけにはいかないかもしれないが、確かに聞かせるものがある。大丈夫さ。」ジョージ・マーティンは、むっつりとしたまま、深くうなづいた。
   まだ、確信が持てなかったのである。曲も演奏も悪くない。ただ、一つだけ言えるのは、自分が思っていた方向性とは違う。しかし、もう行くしか
   なかったのだ。
    〜 The Beatles / Mr. Moonlight
    〜 The Beatles / Don't Let Me Down (Naked)
355ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 18:52:07 ID:???0
  ・「デビュー曲が「How〜」だと? そんなの、まっぴらごめんだ。俺たちビートルズは、オリジナル曲で勝負するバンドなんだ。」天下のメジャー
   レーベル・パーラフォンの制作部長・プロデューサー、ジョージ・マーティンに向かって、ジョンは真っ向からそう言ってのけた。結局、この断固
   としたビートルズの主張に押し切られた形で、ジョージ・マーティンはビートルズが持っていた新曲にトライすることになった。リハーサルには
   少し時間を割いたが、ジョージ・マーティンのプロデュースの勘は冴えていた。アレンジの指示は完璧。それでもまだ、迷いはあった。でも
   行くしかない。「リチャード、録音ボタンを押してくれ。」マーティンは、アシスタントに指示を出した。だがビートルズは、この本番をモノに
   するまでは達していなかった。苦労していた。前にやった曲に比べ、明らかにリハーサル不足。なかなかテンポをキープできない、新米ドラマー
   のリンゴに対して、ポールはいらだちを見せ始めていた。一つのテイクを録り終える毎に、ビートルズの四人はすがるような目で、コントロール
   ルームを見上げた。ジョージ・マーティンも、マイクを通して、精一杯メンバーを励ましたが、四人と隔離されたコントロールルームの中では
   エンジニアのノーマン・スミスと、リンゴの安定しないドラム演奏を嘆いていた。そして、ビートルズの四人に何とか合格点を上げられる演奏が
   終わると、マイクで伝えた。「よし、今夜はここまで。お疲れさま。」ただ、この時は四人をコントロールルームに呼ばず、演奏を聴かせること
   も、しなかった。壁の時計は、夜の9時半を指していた。エンジニアスタッフはまだ、編集とミックス、そして、視聴用のレコードを作る作業が
   残っていたが、ビートルズと二人のローディは、ここでホテルに引き上げた。1時間後、作業の終わった若いエンジニアたち、ジェフ・エメリック
   とリチャード・ランガムは、この数時間の出来事を、興奮気味に反芻した。ジェフは語る。「その晩、僕らが経験したのは、疑いなく、まったく
   新しいエキサイティングな出来事だった。問題だらけだったけど、スタジオにはハッピーなエネルギーがあふれていた。それが、ビートルズ特有
   のエネルギー、カリスマなんだよ。」
356ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 18:54:28 ID:???0
    〜 The Beatles / Thank You Girl
    〜 The Beatles / Let it Be

   これは二つバージョンがあるということになりますね。フィル・スペクターがプロデュースしたバージョンと、ジョージ・マーティンがプロ
   デュースした、シングルのバージョン。違いが分かりましたでしょうか。そして「Thank〜」、これは「From Me to You」のB面なんですね。
   ジョン・レノンが甘ったるい声を出そうとしているときは、独特の表情がありましたね。
357ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 19:10:02 ID:???0
  ・ビートルズのアビーロードスタジオでの正式なレコーディングから3日後の金曜日、スタジオの食堂では、若いアシスタントエンジニア、ジェフ・
   エメリックと気の会う同僚リチャード・ランガムが、ランチをとっていた。そこに、チーフエンジニアのノーマン・スミスがやってきた。「やあ
   若者諸君。ご機嫌はいかがかね。一緒に座っても、よろしいかな?」ジェフがあわてて答えた。「もちろん、どうぞここへお座りください。」
   三人はすぐに、三日前のビートルズとの仕事の話になった。特に、不慣れなドラマーについて、ノーマンが見解を述べ始めた。「彼、リンゴとか
   言ったかな。まだ、新しいメンバーだからね。ちょっとまだ、自分の居場所が見つからないんだろうな。それでも、ピートとかいう、前のドラマー
   に比べたら、ずっと上出来だよ、心配ないよ。」さらに、ノーマンが続けた。「どっちにしてもだ。ジョージ・マーティンは、プロのセッション
   ドラマーを呼ぶことにしたから。来週のセッションでは、もうああいう問題で、頭を抱えることはないよ。」若者組は、顔を見合わせた。また、
   ビートルズが来る?「連中、来週も来るんですか?」すると、ノーマンはめざとく、ジェフとリチャードの顔色の変化に気づいた。顔色が変わって
   当然。三日前のセッションは、それまで聞いたことも見たこともない、新しく刺激的で、そしてハッピーなものだった。するとノーマンは
   いたずらっぽい表情で、こう続けた。「じゃあ、こういうのはどうかな。今夜、パブでおごってくれたら、スタジオ管理部に提案して、君たち
   二人が、次のビートルズのレコーディングのスタジオにつけるように、何とか都合を付けてやるよ。」二人の若者のうち、特にジェフは強く反応
   した。「スミスさん、ぜひお願いします。ぜったいに良い仕事しますから。もう、ビールでもスコッチでも、何杯でもどうぞ、どうぞ。」
   その夜、ベテラン・エンジニアのノーマン・スミスが、ロンドンのパブでしこたま飲んだことは言うまでもない。
358ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 19:15:20 ID:???0
    〜 The Beatles / The Ballad of John and Yoko
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

   ジョンとヨーコが結婚するまでの苦労をそのまま歌にするんですが、これはさかのぼること三年、1966年ジョンがロンドンで、自分の親しい女性
   記者に、ビートルズはキリストよりも人気があるってことを言いますよね、それがアメリカの雑誌に載っちゃって、アメリカでビートルズの不買
   運動になって、ジョンはあやまるわけです。だけど、全然反省してないような。キリストみたいだよ、俺をまた張り付けにするんだよ。だから
   これは、アメリカでは放送局によっては、放送禁止になった曲でもあります。
359ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 19:38:42 ID:???0
□リクエスト
  ・ぼくは、ビートルズのメンバーで、特に誰のファンというわけではなく、ポールもジョージもリンゴもだいすき。ジョンとポールの曲は対局という
   か、陰と陽というか、お互い真似の出来ない、素晴らしい才能の持ち主だと。さて、最近はそうでもないんですが、以前はジョンは人気があるのに
   ポールはいまいちみたいな感じでした。曲を聴いた時には、改めてポールの才能に平伏し、感動しました。(千葉市花見川区/男性)
    〜 Paul McCartney / We All Stand Together

  ・おとうさんは、この番組のレギュラーの人です。(日立市/男性/小学二年生)
    〜 The Beatles / Get Back

  ・先週、アメリカでは「Eight〜」が発売されたという話を聞いたんですが、B面は何だったんですか。じゃあ、アメリカのみで発売されたシングルの
   B面なんですが、「Nowhere〜」「The Long〜」などのB面を教えてください。(常陸大宮市/男性)
    〜 やまがたすみこ / (曲名不詳)
     (小林)「Eight〜」のB面は、「I Don't Want To Spoil The Party」。「The Long〜」のB面は「For You Blue」、「Nowhere〜」はEPで
     シングルじゃなくて、「Drive〜」それから「Michell」「You won't see me」、この4曲がEPになって発売されています。大丈夫?
     ぼくはこういうものには興味なくて、良いものは良いって行ってるわけなんですが。
360ポール・キロックトニー:2009/03/15(日) 19:40:35 ID:???0
  ・曲の内容を解説してくれたら幸いです。(白井市/男性)
    〜 The Beatles / The Inner Light
     (小林)この頃ジョージは、えらい仕事をやってるんですよ。ワンダーウォールの映画を作るのに、インドに行って、ムンバイで現地のミュージ
     シャンを使って録音して、今でも紙ジャケットのCDになって売られてますけど、ワンダーウォールのサントラ、これは結構、ジョージの好きな
     人は、世界をこれで体験していただきたいと思いますが、Inner lightというのは、要するに自分の中への旅なんですよ。この頃の時代の流行の
     一つだったわけですけど。この出来があまりにも良かったので、ジョンが自分の「Across〜」をB面にするってことだったんだけど、いいよ!
     って、実は二つ理由があって、ポールのB面になりたくなかったってことと、ジョージのこれが良かったんで、ジョンが推薦して、これがB面
     になったというわけで。

(小林)毎週、生々しいビートルズのスタジオの中での、まるで昨日の出来事のような感じでしょ? これは、ジェフ・エメリックの本です。ビートルズに
関わった色んな人が出たりしてますけど、やっぱりさすがということですね。
361ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 18:09:45 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年3月22日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月22日)
  ・1963年 (46年前)
    イギリスで、アルバム「Please Please Me」、それもステレオじゃありません。モノ・バージョン、これが発売になった日です。
    で、この同じ日にビートルズは、ロンドンのEMIハウスで、演奏をしています。そして、プレゼンテーションが、ありました。
    実は、シルバー・ディスクをとったわけです。どういうことかというと、予約の時点で、シルバー・ディスクの資格である6万枚
    を越えていた。なお、シルバー・ディスクというのは、イギリスとフランスしかなかった。アメリカでは、シルバー・ディスク
    なんてものはなくて、ゴールド・ディスク以上だったわけですね。ただ、市場の小さいイギリスやフランスは、6万枚を越えると
    おめでたい!というわけで、シルバーがもらえた。もう、だけど、発売日に6万枚を越えていたので、ビートルズはシルバー・
    ディスクももらっちゃったということであります。このアルバムなんですけど、既にシングルになった4曲が入ってるんだけど
    10曲は、2月11日に10時間程度で録っています。10時間で10曲録ったんだよ。それはもう、ばっちり記録に残っていて、
    ビートルズのスゴさが伝わっているものであります。1日で10曲録音!これから聞いていただくのは、10曲も録音しますから
    ジョンの声は既にガラガラになっていました。ミルクでうがいをして、録音しました。で、スタジオ時間も、EMIは厳格な規定が
    あったんだけど、少しだけ延長したという、おまけがついていました。そして、これは後になってのおまけなんですけど、この曲
    は、イギリスから出た、ハード・ロックというのはイギリスからスタートしたといって良いと思いますが、ハード・ロック第1号
    とも言われている、ロックの歴史に残る曲であります。
    〜 The Beatles / Twist and Shout
362ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 18:25:12 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・「ビートルズの連中、来週も来るんですか?」EMIアビーロードスタジオの若き見習いエンジニア、ジェフ・エメリックは、スタジオの
   食堂で、思わず叫んでしまった。ビートルズの2回目となる、レコーディングの情報をくれたのは、ベテランのチーフ・エンジニア、
   ノーマン・スミス。後に独立し、あのピンク・フロイドをプロデュースしたことでも、有名な人物である。比較的おとなしい性格の
   ジェフ・エメリックが思わず叫んでしまうほど、ビートルズは魅力あふれる存在であり、それ以上に予測不能な、未開発の新人グループ
   でもあった。週明け月曜日の朝、ジェフは真っ先にスタジオのスケジュールをチェックした。金曜日に、パブでビールをごちそうしたこと
   が功を奏し、ノーマンの計らいで、ジェフは再びビートルズの録音スタジオに、見学アシスタントとしてブッキングされていた。それも
   ジェフと同じく、ビートルズに夢中になっている、同僚のリチャード・ランガムも一緒である。これは、素晴らしい。また、リチャードとも
   この素晴らしい空間を共有できる。セッション当日の火曜日、ジェフはいつもよりずっと早く出勤した。レコーディングが始まる前の準備も
   すべて、一部始終見ておきたかったのである。殺風景な納屋のような第2スタジオでは、何人もの機材担当者が右往左往する中、先週はリンゴ
   ・スターのドラムセットが置いてあった場所に、なぜか別のドラムセットがあった。特に気にも止めず、階段を上って、コントロールルーム
   に行くと、チーフ・エンジニアのノーマン・スミスが、初めて見る男と話し込んでいた。そして、こっちに気づいて言った。「やあ、お早う
   ジェフ。こちらが、今日のドラムを叩いてもらう、アラン・ホワイトだ。」アンディが右手を差し出した。細身の小柄な男で、Vネックの
   セーターにスラックスという、カジュアルな服装をしている。ここで、話されていたことを聞きかじるに、アンディは最新のチャートを
   にぎわせているいくつかの曲で、ドラムスを演奏しているという。ジェフは、感心した。ああ、これがプロのミュージシャンか。しかし、
   すぐに不安にもなった。待てよ、するとリンゴ・スターは、どうなるんだ?
363ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 18:36:37 ID:???0
    〜 The Beatles / I Wanna Be Your Man
    〜 The Beatles / Good Morning Good Morning

  ・きょうのドラムスは、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイト。ってことは、リンゴ・スターは、いったいどうなるんだろう?
   見習いエンジニアのジェフ・エメリックが心配する中、ビートルズの二人のローディ、ニール・アスピノールとマルコムが、アビーロード
   の第2スタジオに入ってきた。そして、すぐさま楽器のセッティングを始めた。すると、二人のうち巨漢の方、マルコム ── 通称マル・
   エヴァンスが、まごついた表情になった。マルは、頭をかきながら、変だなぁという表情で、重々しく階段を上った。そして、コントロール
   ルームのドアを開けてたずねた。「あの、どなたか、リンゴのドラムセットのセッティング場所を教えてもらえませんか?」愛想のいい声
   だった。すると、プロデューサー、ジョージ・マーティンのアシスタントである、ロン・リチャーズが居心地悪そうに答えた。「いやー
   実を言うと、今週はリンゴも、リンゴのドラムセットも、必要ないんだ。ところで、君。ビートルズのローディなのかな?」マルが答えた。
   「ええ、そのローディの方です。マル・エヴァンスって言います。」マルは、とても気さくな男で、コントロールルームにいる全員に、握手を
   してまわった。挨拶が終わると、マルは分厚い眼鏡越しに、もう一度ロンを見つめて言った。「そうですか。リンゴはきっと、いい気持ちが
   しないだろうな。でも、あなたがボス。つまり、責任者なんですね。わかりました、メンバーに話してきます。」そう言い残して、マルは階段
   を降りて行った。ビートルズの反応が気になった、見習いエンジニアのジェフは、コントロールルームの窓から、メンバーの様子をのぞき込んだ。
364ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 18:55:09 ID:???0
   マルが、もう一人のローディ、ニール・アスピノールに事情を説明しているのが分かった。ニールは肩をすくめ、何てこった!という表情を浮か
   べながら、アンプのセッティングを続けていた。すると、スタジオにビートルズの四人が登場した。マルは、メンバーに合流し、何か身振り手振り
   で、説明している様子だった。スタジオのマイクは、まだオフのままだったため、その様子はコントロールルームには聞こえてこなかった。しかし
   当然のことであるが、リンゴの様子がおかしかった。
    〜 Ringo Starr / I'm The Greatest
    〜 The Beatles / Mother Nature's Son

  ・1962年9月11日火曜日、ビートルズにとって、正式なレコーディングとしては2回目となる、この日の朝。スタッフのロン・リチャーズが、こう
   言い放った。「いやー、実を言うと今週は、リンゴもリンゴのドラムセットも、必要ないんだ。」リンゴは、明らかに動揺を隠せない様子だった。
   もちろん、ジョン、ポール、ジョージの三人は、リンゴをなだめようとしていたが、ついにはあきらめてギターを肩にかけ、チューニングを始めた。
   リンゴは、見捨てられたように、辺りを見回している。と、不意に階段の上にあるコントロールルームに向かって、歩き出した。ドアが開くと、
   チーフ・エンジニアのノーマン・スミスが、椅子から離れて、リンゴを出迎えた。「ああ、おはようノーマン。」リンゴが、その場の雰囲気に
   ピッタリの、陰気な声で挨拶をした。そして、明らかにプロデューサーを探している様子で、部屋に入り見渡し、さらに悲しげな声で、問いかけた。
   「マーティンさんは、どこ?」ジョージ・マーティンのアシスタントである、ロン・リチャーズがあわてて対応した。ロンは、咳払いを一つすると
   リンゴに自己紹介した。「はじめまして。ジョージ・マーティンのアシスタントの、ロン・リチャーズです。」決まりの悪い沈黙に続いて、ロンが
   切り出した。
365ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 19:14:16 ID:???0
   「ジョージ・マーティンは少し遅れるので、私がレコーディングをスタートさせることになったんだ。」すると、再び沈黙があり、
   リンゴはまた、見捨てられたような表情を浮かべた。ロンが続ける。「ジョージ・マーティンから言付かってきたんだが、今日はここにいる、
   アンディ・ホワイトにドラムを叩いてもらう。彼は、今日のために雇われた、プロのスタジオ・ミュージシャンだ。」すると、リンゴの表情は、
   さらに暗くなった。一番近くの橋の上から、飛び降りてしまいたい ── そんな顔をしている。すると、気まずそうな顔をした、代役のドラマー
   アンディが立ち上がった。「やあ。」アンディは、リンゴに話しかけた。「君たちのグループは、色々といい評判を聞いているよ。」二人はぎこち
   なく挨拶を交わし、アンディはコントロールルームのドアを開け、階段を下り、スタジオフロアに向かった。もちろん、リンゴ・スターはまだ
   意気消沈したままであった。
    〜 The Beatles / This Boy

□リクエスト
  ・この春、娘が高校生になります。音楽好きで、勉強なんかそっちのけ。ぼくが昔聞いていたカセットを、どっからか引っ張り出し、聞いていたのが
   ワム!のアルバムでした。(守谷市/男性)
    〜 Wham! / Freedom

  ・最近、我が家のbayfmの電波が良くなり、主人と聞き始めました。初めてビートルズを知ったのは、中学の卒業式の時に、卒業生が在校生に向かって
   歌った「Let it Be」。心に入ってくる曲と思い、他の曲も聴いたら、好きになりました。当時のチャートをにぎわしていた曲とは異なり、不思議と
   新しさを感じました。「Let it Be」を歌っていたら、当時つき合っていた彼が、「Let it Be」のアルバムをプレゼントしてくれました。初めて
   自分のレコードを持ったのが嬉しく、父親のステレオでこっそり聞きました。針を何度も折って、怒られたのがなつかしいです。(川口市/女性)
    〜 The Beatles / Let it Be
366ポール・キロックトニー:2009/03/22(日) 19:23:56 ID:???0
  ・約10年ほど前から、楽しみに傾聴しています。昔は、ダンナと二人。週末、釣り帰りに聞き、今は8歳の男の子、5歳の女の子の家族4人でドライブ
   しながら、聞いています。(日立市/女性)
    〜 西 慎嗣 / Drive My Car

  ・ビートルズが思い浮かばなかったんで。(竜ヶ崎市/女性)
    〜 EXILE / 道
     (小林)ぼくみたいな年寄りから見ると、ビートルズとEXILEってつながるんですよ。EXILEは、ルーツを辿れば、リズム&ブルースですよね。
        面白いですよね。ルーツ辿ると、同じ所にあったって、いうのはね。

(小林)結構細かく描いてますよ、ビートルズの最初の頃。アシスタント・エンジニアのジェフ・エメリックの観察、彼の本からですけど。リンゴ・スターは
本当につらいよね。こういう瞬間って、人生にあるんだよね。自分は、堂々と行くわけですよ。ドラムセットを持って。君はいいからって言われたときの
リンゴ・スター、この続きはどうなるのか。まあ、続きは分かってるんですけど。ちょっと楽しみですね。
367ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 18:33:01 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年3月29日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(3月29日)
  ・1961年 (48年前)
    Oh, Yes! 大昔だね。ビートルズは、何をやってると思います? ドイツの ── 当時は、西ドイツです。ハンブルグのトップテン・クラブと
    いう所で、演奏をしています。ビートルズが有名になる前、ドイツのハンブルグで、何回も仕事をしたっていうのは有名な話ですけど
    もう最初に行った頃は、スゴかったんだよね。一日七時間とか、八時間とか、演奏したらしいからね。曲も限られてるのにね。で、これが
    勉強になったんだね。で、結局ビートルズはハンブルグで、どれぐらい仕事をしたのかっていうと、資料があるんですが、1960年、最初
    はインドラ・クラブっていう所で、102日間。2回目がトップテン・クラブで、98日間。3回目が1962年になりますが、スター・クラブ
    っていう所で、50日間。4回目は、ビートルズもう偉くなってますから、ちょっとね。スター・クラブで、2週間。合計すると、9ヶ月弱
    で、ハンブルグでお世話になってると同時に、これはビートルズにとっては勉強の時間だったんだね。演奏時間トータルで、1,500時間
    演奏してるわけです。演奏してるばっかりじゃなくて、勉強ばかりじゃなくて、社会勉強もやりました。女性関係、色んないけないもの
    も体験しました。っていうことで、さあ、それじゃあ、ハンブルグ時代。実は、ビートルズはレコーディングをやっています。貴重な
    資料音源の中から、初めて彼らがレコーディング体験をした、これは1961年6月22日、録音となっています。アメリカのスタンダード
    ナンバーをやっています。リード・ボーカルは、ジョンです。ジャズっぽい曲です。
    〜 The Beatles / Ain't She Sweet
368ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 18:48:52 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・「きょうのレコーディングは、リンゴも、リンゴのドラムセットも、必要ないんだ。スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトを
   呼んであるからね。」1962年9月11日火曜日、ビートルズにとっては、正式なレコーディング2回目となる、この日の朝。プロデューサー
   ジョージ・マーティンのアシスタント、ロン・リチャーズがこう宣言した。もちろん、リンゴ・スターは大ショックである。その表情は
   まるで、この世の終わりを告げられた男のようでもあった。しかし、これもレコーディングスタジオという、プロの現場の最高責任者
   プロデューサーのジョージ・マーティンの判断で行われたものである。先週のレコーディングの際に、まだバンドに加入したてで、
   曲も良く覚えていないリンゴの、どっち付かずの演奏を聴いたジョージ・マーティンは、このままではレコーディングのレベルに達しない
   だろうと判断。プロとしては当たり前の決断と判断をし、スタジオ・ミュージシャンに声をかけていた。もちろん、このことを前もって
   ビートルズに伝えてしまってはトラブルの元と考えたマーティンは、レコーディングの当日まで、事実を伏せようともくろんだのである。
   もちろん、リンゴ・スターは傷ついた。しかし、どんなにリンゴが落ち込んでも、レコーディングのスケジュールは決まっている。
   デビュー・シングルの発売日も、宣伝プランも、同時に進むのがビジネスというもの。レコーディングは、リンゴを椅子に残したまま
   始まった。ビートルズはまず、「P.S. I Love You」というタイトルの新曲にかかった。ほんの数回のリハーサルだけで、ドラマーの
   アンディは、曲の勘所をつかんだ。リンゴに比べ、明らかに覚えが早かった。初めてあったメンバーにも合わせることが出来る、
   柔軟さも兼ね備えていた。つまり、アンディは、プロ中のプロ。きわめて優秀なミュージシャンだったのである。ジョージ・マーティン
   の決断は、正しかった。
369ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 19:04:14 ID:???0
   そして、短い打ち合わせの後、この曲にはドラム・セットは必要ないという結論に達し、アンディはボンゴ
   だけで参加することになった。さらにこの日は、マーティンの代役を仰せつかっていたロン・リチャーズのアイデアで、リンゴは
   マラカスで参加した。少々いびつな状態ではあったが、ビートルズはまずは一曲完成させたのである。
    〜 The Beatles / P.S. I Love You
    〜 The Beatles / Real Love

  ・「ボンゴは、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイト。リンゴは、マラカスで参加してもらえないかな。」この日の
   レコーディングを欠席した、プロデューサーのジョージ・マーティンに代わって、アシスタントのロン・リチャーズのアイデアで、
   リンゴも「P.S. I Love You」のレコーディングに参加することになった。四人に一人を加えたビートルズの出す音は、少なくとも
   一週間前の音よりも、ずっとあか抜けて聞こえた。本人たちも大満足で、コントロールルームに駆け上がってきた。仕上がりを気に
   入った四人は、この「P.S.〜」をデビュー・シングルのA面にしたいと言い出した。もちろん、ジョージ・マーティンの判断なしに
   結論を出すことの出来ないロンは、この意見を却下せざるを得なかった。ロンは、何とか言い訳を考えて、取り繕った。「悪くは
   ないけど、やっぱりA面になる曲じゃないね。予定通り、デビュー・シングルのB面に入れたらいいと思うよ。さあ、スタジオに
370ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 19:15:25 ID:???0
   戻ってもらえるかな。きょうはもう一度、Love Me Doにトライしようというのが、マーティン・プロデューサーのお達しなもんでね。」
   この時リンゴは、Love Me Doは自分がドラムスを叩かせてもらえると、信じていた。が、結果はまたしても無惨。ロンの一言が
   またリンゴを落胆させた。「リンゴ、今度はタンバリンを叩いてくれ。これも、ドラムスはアンディにやってもらう。」今度の曲でも
   アンディは、ごく短い時間でモノにした。彼のリズムキープは、先週のプレイよりも、明らかに安定している。アンディのしっかり
   したリズムのせいか、三人も先週に比べ、ずっと良かった。もちろん、一週間でリハーサルを重ねてきた成果もあがっていた。ポール
   のボーカルは、遥かに堂々としていたし、リンゴのタンバリンまで、アンディのドラムとマッチして、かみ合っていた。まるで、
   いつも一緒に活動している、メンバーの様でもあった。こうして、ビートルズの二回目のレコーディングは、着々と進行していった
   のである。
    〜 The Beatles / One After 909 (Naked)
    〜 The Beatles / Nowhere Man

  ・1962年9月11日、火曜日。ビートルズは、二度目の正式なレコーディングの真っ最中である。ただし、ドラムスはリンゴではなく
   プロデューサーのジョージ・マーティンが手配した、プロのミュージシャン、アンディ・ホワイト。一曲目の「P.S.〜」に続いて、
   デビュー・シングルの第一候補曲「Love Me Do」が録音された。やはり、こちらの曲でも、リンゴはスティックを握らせてもらえず
371ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 19:17:42 ID:???0
   不本意ながら、タンバリンで参加することになった。前の曲よりは、少し時間はかかったものの、アシスタントのロン・リチャーズが
   OKのサインを出すと、ビートルズのメンバーは、我先に録音した音を聞こうと、コントロールルームの階段を駆け上った。今回も、
   ポールが最も熱心に、録音した音を聞いていた。ポールは、スタジオの場でも社交的で、目配せをしながら、曲の出来不出来を確認
   し合っていた。とにかく、仕事が楽しくて仕方ないといった感じだったのである。こうして、OKテイクが出来上がると、ロンは手拍子
   をダビングしようと提案してきた。もちろん、これも欠席していたジョージ・マーティンからのお達しだったが、ビートルズのメンバー
   は、すぐに階段を下りて、配置に付いた。ドラマーのアンディ・ホワイトは、自らの判断で、コントロールルームに残った。たとえ
   手拍子とは言え、リンゴがやる気を見せてるんだから、自分がしゃしゃり出る幕はない。まったくもって、如才のない男であった。
   これこそが、プロの仕事人である。こうして、オーバーダビングは、一度リハーサルをしただけで、すぐに完成した。アシスタント
   エンジニアのジェフ・エメリックが、スタジオの時計を見ると、まだ正午になったばかり。ということは、ビートルズはたったの二時間
   で、デビュー・シングルのA面とB面を完成させたことになる。この日の出来に関して、プロデューサー・アシスタントのロン・リチャーズ
   の採点は、満点。チーフ・エンジニアのノーマン・スミスは、まずまず。どちらの評価正しいか、その答えは、一ヶ月後の発売を待つこと
   になるのである。
    〜 The Beatles / Love Me Do
    〜 The Beatles / You Like Me Too Much
372ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 19:30:11 ID:???0
□リクエスト
  ・最近、またアバがヒットしていますが、アバの男性二人は、ビートルズの影響を受けて、曲を作ったと聞きました。ビートルズがなければ
   アバも存在しなかったんですね。(習志野市/男性)
    〜 ABBA / Angel Eyes

  ・入浴中に聞いています。ビートルズは、23歳の時につき合っていた人が大好きだった影響で聞くようになりました。その彼とは別れて
   今の主人と結婚し、ビートルズを聞かない生活を送っていましたが、bayfmでこの番組を聞き、すごくなつかしく、彼らのエピソードを
   お風呂場で聞いて、いつものぼせます。今、当時の彼とつき合っていたら、ビートルズの色んなエピソードを自慢できるのになーと思ったり
   もしています。できたら、Penny Laneをお願いします。理由は、秘密です。(八千代市/女性)
    〜 The Beatles / Penny Lane

  ・私が、中学生の時に出会って、メガトン級の衝撃を受けたバンド、キャロルのこの時期にピッタリなナンバーをリクエストします。
   (宇都宮市/男性)
    〜 キャロル / 涙のテディ・ボーイ
373ポール・キロックトニー:2009/03/29(日) 19:39:08 ID:???0
  ・中学生の頃、私の姉が「この曲、良い曲だから聞きなさい」と、なぜか曲を聴く前に、この曲が作られたときなどのいきさつを聞かされ
   ました。それから、社会人となった私は、全国各地を転々としました。一昨年の夏からは、家族を千葉に残し、神奈川への単身赴任。
   金曜の深夜に千葉に戻り、日曜の夕方、神奈川に戻るという生活です。その際、この番組を知り、毎週車の中で聞いております。
   (綾瀬市/男性)
    〜 The Beatles / The Long and Winding Road

(小林)ジェフ・エメリックという、有名なエンジニアの本から紹介しているわけですが、リンゴが結構苦しいよね。だけど、リンゴの名誉は回復
していくわけですが、来週をお楽しみに。
374ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 18:36:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年4月5日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月5日)
  ・1967年 (42年前)
    ビートルズのファン、ビートルズのファンじゃなくて、洋楽とかそういうモノが好きな人たちは、1967年はビートルズの
    サージャント〜の年と覚えていただくといいです。で、1967年というのは、ヒッピーが大量発生したりと、とても重要な年
    なんです。1967年、これはちょっと面白いのはね、昭和42年です。今から42年前。つまり、昭和42年から42年経ったわけ
    だね。大したことじゃないですけど。この年の今ごろ、ポール・マッカートニーは、仕事を一区切り終わっちゃいます。とい
    うのは、サージャント〜の終わりが見えてきたってことで、休みをとるわけです。そして、ポールはどこへ行くかというと
    サンフランシスコ経由で、アメリカのコロラドに到着します。そして、きょう婚約者のジェーン・アッシャーと一緒にコロラ
    ド観光というか、ロッキー山脈を見たり、観光コース色々あるんですよ。そこを見て、夜は ── ジェーン・アッシャー、
    有名な女優だってことは、この番組で何回もお伝えしてますが、ジェーン・アッシャーの劇団の「ロミオとジュリエット」の
    デンバー公演に行ったということなんですね。仕事忙しいけど、ポールが25歳。ジェーンが21歳。誕生日だから…そうだ、
    これを忘れていた。誕生日だから、ポールはわざわざアメリカに会いに行って、ひとときを過ごしたということですね。そし
    てですね、ポールがアメリカに行くことによって、一つの重大なアイデアが浮かぶんです。バスを借り切って、ビートルズと
    仲間たちが乗り込んで、行き当たりばったりの旅をする。そしてそれを、ドキュメンタリーとして、映画にする。そしてもち
    ろん、映画にはサントラとして音楽があるということで、サージャント〜の名アルバムの後、ポールのアイデアで、マジカル〜
    というのが生まれるわけですね。これはもう、何回かやったんで、みなさんご存知だと思いますが。だから、この数ヶ月後
    作品となったということで、その作品を聞いていただきます。一曲目!
375ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 18:41:14 ID:???0
    〜 The Beatles / Magical Mystery Tour

    始まりがね、「さあ、みんな近くに寄って。マジカル・ミステリー・ツアーの始まりだよー」って、マジカル〜テーマがか
    かりましたが。これ、良く聞いてみると、やっぱりパターンが似てるんだよね。サージャント〜は、なんというか、救世軍
    みたいなバンドですよ。そういう架空のバンドが演奏するというパターン、これはマジカル・ミステリー・ツアー。なんと
    なく似てるんだよね。で、ジョン・レノンは実は、「面白くないな、こういうのはな」って、思ってたわけですよ。「ポール
    が頑張って、一生懸命やってるから、仕方ないか」と思いながら、自分も曲を書いたりして。だから、67年の流れはずっと
    サージャント〜もポールのソロアルバムといわれたぐらいですけど、ポールが押し切ってますよね。
376ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 18:53:45 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・1962年9月11日、火曜日。ビートルズは、三度目の正式なレコーディングに入った。まず、録音した曲は「P.S.〜」と「Love
   Me Do」。しかし、この二曲に、リンゴ・スターはドラマーとして参加していない。マラカスとタンバリンを振っただけである。
   前の週のリハーサルセッションを見た、プロデューサーのジョージ・マーティンは、まだバンドに入ったばかりで、曲もよく
   覚えていないリンゴをあまり評価しておらず、レコーディング出来るレベルには達していないと判断した。その結果、レコー
   ディングの当日は、セッション・ドラマー、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトが雇われていた。もちろん、リンゴ
   はショックを受けた。ああ、俺も前のドラマー、ピート・ベストと同じように、お払い箱になってしまうのか。いつも明るい
   リンゴは、ついつい悲観的になった。こんなリンゴの心配をよそに、レコーディングは順調に進んだ。午前中だけの2曲のペース
   これはなかなか優秀な成績。「じゃあ、他にやりたい曲はあるかな?」この日、他の仕事で現場に来ていなかったジョージ・
   マーティンに代わり、現場を任されていた、アシスタントのロン・リチャーズがビートルズにたずねると、「そんなの、いくら
   だってあるよ」と、ジョンの強気の発言が返ってきた。とその時、チーフ・プロデューサーのジョージ・マーティンが姿を見
   せた。ロンと、チーフ・エンジニアのノーマン・スミスが、この日の作業が順調なことを報告すると、マーティンはメンバー
   に「みんな、お疲れさま」と挨拶した。レコーディングは、一旦休憩に入ることになり、ここでスタジオ・ミュージシャンの
   アンディ・ホワイトは、お役御免となった。すぐさま、ビートルズの二人のローディ、マルとニールが、リンゴのドラムスの
   セッティングに入った。マーティンは、マイク越しではなく、直接ビートルズと話をするために、階段を下りて行った。一方、
377ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 19:06:45 ID:???0
   二階のコントロールルームでは、午前中に録音した曲の出来について、話が始まっていた。「最後の曲は、きっとヒットするよ」
   という者があれば、「いや、スゴくいい出来だと思うけど、ちょっと平凡なんだよな」と、あまり確信が持てない者もいた。
   いずれにしても、その結果が出るのは、そう遠いことではなかったのである。
    〜 The Beatles / Love Me Do
    〜 The Beatles / Penny Lane

  ・ロンドンEMI、アビーロードの第2スタジオで、ビートルズは3回目のレコーディングに入っていた。午前中だけで、「P.S〜」
   そして、「Love Me Do」の2曲が録音され、まずまずの出来に、メンバー、スタッフ共に満足であった。ただ一人、不安を抱えて
   いたのは、自分に代わって、ドラムスの立場をスタジオ・ミュージシャンに奪われてしまった、リンゴ・スター。しかし、午後か
   は、自分の出番が来るということで、少し気が晴れた。エンジニアのノーマン・スミスが、機材をいじり、スタジオ内でのビート
   ルズと、ジョージ・マーティンのやりとりが、小さな音で聞こえてきた。ビートルズがリハーサルしていたのは、黒人音楽っぽい
   ナンバーで、ジョンがたっぷりとフィーリングを込めて歌っていたが、ちょっとテンポが遅く、ジョージ・ハリソンのギターも
   あまり良い出来とは言えなかった。むしろ、曲を台無しにしていたぐらいである。リンゴも、ちょっと奇妙なことを実験的にやっ
   ていた。片手にマラカス、もう一方の手にはタンバリン。そして、椅子に座って、バスドラムをキックしていたのである。これを
   見て、エンジニアのノーマン・スミスは、爆笑していた。「見ろよ、あのドラマー。まるで、大道芸人みたいだ。」端から見ると
   それぐらい、妙ちくりんな格好だったのである。最初のリハーサルが終わると、長い打ち合わせが始まった。ジョージ・マーティン
   は、明らかに不満げな様子だった。そして、言葉を選びながら、ビートルズに提案した。「いいか、みんな。確かに、この曲には
   光るモノがある。だが、もう少し手を加えた方がいいだろうし、テンポだって、上げるべきだと思う。後、ジョンのために、ハモ
378ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 19:10:40 ID:???0
   ニカのフレーズ。ポールには、ボーカル・ハーモニーを考えてやるかな。」さすがは、ベテラン・プロデューサーのジョージ・
   マーティンである。指摘は、的確であった。ビートルズの面々は、熱心にうなずき、マーティンの指摘にそって、試行錯誤を始め
   たが、時間はもう、あまり残されてはいなかった。そして、「よし、この曲は次の機会にもう一度、トライしよう」というジョージ
   ・マーティンの一言で、この日のレコーディングは、お開きとなった。多くの課題は残されていたとはいえ、プロとして駆け出し
   のビートルズの四人は、明らかに大きな手応えを感じていたのである。
    〜 The Beatles / P.S. I Love You
    〜 The Beatles / You Really Got a Hold on Me

   ビートルズがカバーすると、チャック・ベリーのロックンロール・ミュージックとか、ちょっと泥臭いものがね、イギリス風のコン
   チネンタルに聞こえるんですよ。洗練されて聞こえるんですよ、面白いですね。
379ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 19:23:36 ID:???0
  ・「次に、わがパーラフォン・レーベルがデビューさせる新人は、リバプール出身のビートルズという、4人組のグループです。」EMI
   のプロデューサー会議で、ジョージ・マーティンがこう発言すると、オフィスには、さざ波のように、笑い声が広がった。出席した
   全員に「またジョージお得意のコメディ・コレードか」と思われたのである。あるプロデューサーは、ジョージに向かって、皮肉
   たっぷりに、「また、もうかりもしない、コント・グループのレコードですかな」と、つまりこの時点では、誰もビートルズなど
   本気で認めてはくれなかったである。こうして、マーティンの孤軍奮闘ぶりと時を同じくして、リバプールではマネージャーのブライ
   アン・エプスタインが、スターになったときの準備を始めていた。ブライアンの経営する事務所NEMSの女性スタッフ、フリーダ・
   ケリーは、メンバー全員に聞いて廻った。好きな食べ物、気に入っている服、好きなもの、嫌いなものについて、たずねた。好きな車
   の項目に対し、ポールは「フォード・クラシック、グッドウッド・グリーン」。嫌いなものに対しては「嘘つきで、とろい人」と答え
   望むものの項目に対しては「お金、その他」と答えている。ジョージは、一番嫌いなものに対し「こないだ殴られたときの、目のまわ
   りのアザ」と皮肉たっぷりに返し、音楽面で一番影響を受けたミュージシャンには「カール・パーキンス」。望むものは「たっぷりと
   お金を貯めて、引退」と答えていた。ジョンは、万年筆で書いたイタリック体の文字で、こう答えている。嫌いなもの「頭の鈍いヤツ
   トラディショナル・ジャズ」。好きな映画監督「イングマル・ベリーマン」。望むもの「お金、その他すべて」。リンゴの答えは、
   好きな食べ物に「ステーキ&チップス」、好きな人「僕を好きな人、すべて」であった。情報が、雑誌やフリーペーパーに掲載される
   に従って、リバプールという地方都市出身のロックバンドが、ロンドンでもじわじわと認知されて行ったのである。
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / Revolution
380ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 19:38:16 ID:???0
□リクエスト
  ・僕が今ハマっているのが、ローリング・ストーンズ。ビートルズから音楽鑑賞が始まりましたが、自分の中でビートルズと同じぐらい
   の格になってしまったのが、ストーンズです。(白井市/男性/高校1年生)
    〜 The Rolling Stone / Happy
     (小林)これは、キースの曲で、ボーカルもキースなんですよ。だから、普通の人が聞くと、ポールとかジョンだとか、ああいう
     リードボーカルじゃないんで、ボーカルが弱いんじゃないかと思うんだけど、これがリズム&ブルースっぽくてね、格好いい曲だね。

  ・この曲の最後、2回目のウーの後、小さく犬がうなるのが、聞こえてきましたか?(川崎市/女性)
    〜 The Beatles / I Feel Fine
     (小林)こういうのっていいよね。ビートルズとか、音楽が好きなんだなってのが、伝わってくるもんね。
381ポール・キロックトニー:2009/04/05(日) 19:46:48 ID:???0
  ・克也さんの番組「ベストヒットUSA」の「大いなる伝説」も楽しみにしています。(鶴見区/男性)
    〜 John Lennon / Jealous Guy

  ・毎年、この時期の花見は、学生時代の友達と会うのが常になっていて楽しみなんですが、全員朝が弱いので、場所取りに失敗して
   普通の飲み会になってしまうのを、四年も続けています。(千葉市/男性)
    〜 森山直太朗 / さくら(独唱)

(小林)ビートルズが売れる頃ってのは、一番面白いと思うんですけど、えーただ、面白いのは、EMIというでっかいレコード会社からデビュー
するわけですけど、EMIのど真ん中の所から出るんじゃないんだよね。端の端、それも会社の中では馬鹿にされてる、コメディとか色物担当の
パーラフォンというところから、ビートルズがデビューします。もう、色物だと思うわけだよ、コメディ・バンドかとね。でも、実は違っていた。
ジョージ・マーティンが偉いプロデューサーというのは分かるんですが、なんていうんですかね、一番売れてるのをやってる人たちは、あまり
ものが見えない。クラシックとか、人を笑わせるとか、人を奇襲攻撃して、ビックリさせるようなことをやってったから、ビートルズが成功した
っていうことですかね。なかなか、面白いですね。
382ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 18:11:46 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年4月12日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月12日)
  ・1968年 (41年前)
    Yes, indeed. ビートルズが、インドへこぞって行ったっていう話はご存知ですね。1968年に、インドへ行くんですよ。インドの
    マハリシに、色んなことを学ぼうと行くわけです。まあ、そのきっかけを作ったのは、ジョージ・ハリソンですけど、みんな行く
    んです。で、インドは、「なんだ、つまんないよ」「ツライよ!」ってことで、まずリンゴ・スターたちが、蚊がいるってことで
    食べ物が合わなくて、帰ってきて、あと、ポールとジェーンが「得るものなし」と判断して、3月26日にイギリスに戻ってきます
    そして、実はマハリシってのは、ニセモノくさいなって、みんな感じ始めるわけですよね。で、マジック・アレックスが、夜な夜
    なバンガローに若い女性信者を呼び集めて、ことに及んでるってことが噂になって、女性信者を辿って行くと、どうもそうらしい
    ってことで、アイツやばいですよってことで、ジョンとシンシアとジョージとパティと、マジック・アレックスが一緒に帰ってく
    るんです。ジョンとシンシアとマジックは、あのー、そのー、なんていうんですかね、マハリシの所から脱走するような形で、結
    構お前タダじゃおかないぞ!っていう脱出当日は、マハリシがジョンを睨みつけたそうです。だけど、色んなことがあったりして
    無事に帰国するのが、今から41年前のきょう、彼らはロンドンに戻ってくるわけです。で、ジョンはイギリスに戻ると、俺たち
    は間違っていたと、インドに教えを請いに行ったけどダメだった、もうそれ以上いうことは無し!で、アーチストらしく、曲の中
    で、言いたいことを言うんですね。その曲が、この曲です!
    〜 The Beatles / Sexy Sadie
383ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 18:29:10 ID:???0
□ビートルズ、デビュー
  ・1962年9月 ── ビートルズは、デビューシングル「Love Me Do」と、そのB面の曲「P.S. I Love You」のレコーディングを終えた。
   その完成度に関して、メンバーはリンゴをのぞいて、まずまず満足していた。リンゴが満足しなかった理由は、当日スタジオに行っ
   てみると、リンゴの代わりに雇われた、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトがいたことであった。まだ、バンドに入り
   たてで、曲もよく覚えていなかったリンゴを見て、プロデューサーのジョージ・マーティンは、安心できるプロのミュージシャンを
   手配していたのである。リンゴは、深く傷ついた。俺も、ピート・ベストのように、ビートルズをクビになるのか。しかし、その心
   配も思い過ごしであった。ライブ・ツアーになると、リンゴは徐々に、力を発揮した。10月2日になると、ビートルズとブライアン
   ・エプスタインの間で、二度目のマネージメント契約が結ばれた。今回は、完全に法的に効力があるもの。法律の定める通り、イギ
   リスでは、未成年と見なされる年齢のポールとジョージには、それぞれの父親も契約書にサインすることになった。契約期間は、5
   年。ブライアンの収益に対する取り分は、25%。付加項目として、両者には半年前の通告による契約解除の権限が与えられた。1962
   年10月12日、アメリカのロックン・ロール・ブームの立役者の一人、リトル・リチャードとそのバンドが、ニュー・ブライトン・
   タワーでのコンサートのため、リバプールに到着した。「ルシール」「グッド・ゴリー、ミス・モリー」などの大ヒットで知られる
   この伝説の人物は、アメリカでのブームも下火になったこの頃になると、言動もファッションも、すっかりおとなしくなっていた。
   ただし、ステージでの豹変ぶりは相変わらずで、多くのイギリスのファンの度肝をぬいた。そして、以前ほどではなくなったとは言
   え、多くのコンサート・プロモーターにとって、利とル・リチャードを呼ぶということは、リスクが大きいということに変わりはな
   かった。しかし、ブライアン・エプスタインのNEMSエンタープライズは、この時期そのリトル・リチャードと、ツアー契約を結ん
   だのである。
384ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 18:41:30 ID:???0
    〜 John Lennon / Slippin' and Slidin'
    〜 The Beatles / Oh! Darling

  ・伝説の黒人ロッカー、リトル・リチャード。この男と契約したことのある、コンサート・プロモーターから聞くエピソードは、ぞっ
   とするようなことばかりであった。リトル・リチャードは、気性が激しく、まるで当てに出来ず、突拍子もない行動に出て、ステー
   ジでは、歌うというよりもストリップでもやらかすようなばかりの勢いであった。しかし、ブライアン・エプスタインが取り仕切っ
   た、ニュー・ブライトン・タワーでのショーのときのリチャードは、どうしたことか、全く素直で協力的になっていた。ブライアン
   が、何かやって、手なずけたんじゃないか?という、噂も飛び交った。何せ、ブライアン・エプスタインもリトル・リチャードも、
   ホモ・セクシュアルであることを公表せずとも、隠してはいなかったのだ。二人がホテルで一夜を共にしたという噂まで飛び出した
   のであるが、これに関しては、リチャードは否定して、こう語っている。「ブライアンとは、本当に何もないよ。サンドイッチひと
   つだって、分け合っていないんだから。」始めのうちは、ビートルズも偉大なスタート同じ舞台に立つという緊張感で、一緒に写真
   に収まって欲しいと、頼む勇気さえ出なかった。そこでジョンは、リチャードがステージにいる間に、舞台の袖に立ち、ポールに頼
   んで、あたかもリチャードと同じフレームに収まっているかのように、撮影してもらったぐらいである。コンサートが終わると、リ
   チャードは、愛想を振りまき、「イギリスとリバプールが大好きだ!」と、地元ジャーナリストに語り、ビートルズの面々とも、写
   真に収まった。もちろん、ビートルズは、大感激である。さらにポールを、「僕の理想の男の子」と行ってはばからないリチャード
   は、ポールを追いかけ回し、何とかモノにしようとした。もちろん、ポールは柔らかに拒絶した。そればかりか、逆にリチャードの
   リトル・ホラーと称される、あのトレードマークのシャウトを、ちゃっかり伝授してもらっていた。リトル・リチャードは、後にな
   って、こう語っている。「ビートルズは、俺のグループだよ。俺が、すべて教えてやったんだよ。」
385ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 18:59:22 ID:???0
    〜 Little Richard / Long Tall Sally
    〜 The Beatles / Til There was You

  ・伝説の黒人ロッカー、リトル・リチャードを、ブライアン・エプスタインが手なずけている。そんな噂も飛び交う、1962年10月。
   ビートルズは、デビューシングルのレコーディングを終え、再びツアー暮らしに戻っていた。ビートルズのマネージャーである、
   ブライアン・エプスタインは、リトル・リチャードに対し、よほど強い影響力を持っていたらしく、ブライトンでの公演の後、リ
   チャードをリバプールに連れてくることに、成功した。今度のコンサート会場は、エンパイア・シアターで、リトル・リチャードを
   ヘッド・ライナー、つまりオオトリに持ってきて、ビートルズも同じステージにたつことになった。この興行を仕切っていたのは、
   他でもない、ブライアンの経営する、NEMSエンタープライズ。ブライアンは、このステージを、ビートルズのメジャー・デビュー
   公演と考えていたのである。コンサート当日、ビートルズはピンクの丸首のシャツで、舞台に立った。ブライアンの会社、NEMSの
   スタッフで、元々ビートルズの熱狂的なファンであったフリーダ・ケリーは、この夜の熱狂ぶりを思い出し、こう語っている。
   「今でも、覚えているわ。ピンクのシャツを着たポールが、スポットライトに照らし出されて、『ベサメ・ム−チョ』を歌いだした
   の。その瞬間、思った。(ついに、やった! これで、ビートルズも、本当のスターだわ!!)ってね。」そのステージからさかのぼる
   こと、一週間前の10月5日。ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」が、発売されることになった。しかし、この週のイギリスの
   ヒットチャートを見ると、見事にアメリカの歌手に牛耳られている。キャロル・キング、トミー・ロウ、ボビー・リー、リトル・エ
   ヴァ、そして、レイ・チャールズ。デル・シャノン。一見、ロック音楽は、完全に廃れてしまったかのように見えたし、ギター・グ
386ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 19:15:58 ID:???0
   ループなんて、影も形もなかった。しかし、ヒットチャートの上位ならいざ知らず、ライブ会場になると、特にリバプールを含む、
   マージー・サイドでは、ビートルズに代表される、ロック・ギター・サウンドが、花盛りであった。このブームが、リバプールから
   ロンドンに飛び火する日も、そう遠いことではなかったのである。
    〜 The Beatles / A Taste of Honey
    〜 The Beatles / Taxman

□リクエスト
  ・「ブルースをけとばせ」お願いします。リクエストお願いします。(住所不明/男性)
    〜 THE BLUE HEARTS / ブルースをけとばせ
     (小林)何か、書いてくださいよ。これかけますから。もし、聞いていたら、住所とか教えてくださいね。

  ・この曲を聞いたのは、20代のときのことで、良く聞いていたジョン・デンバーが歌っていたことです。ちょっと、ユーモアのある
   曲調が好きです。(静岡県富士市/男性)
    〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
387ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 19:28:33 ID:???0
  ・約5年ぶりのリクエストです。以前から、書こうと思っていたことがあります。こんなことがありませんか? 例えば、上空を飛行機
   が飛ぶ。すると、「Back in the USSR」の曲が、頭の中で流れ始める。英文を読んでいて、「pity」という言葉に遭遇すると
   突然、ジョージ・ハリソンの「Isn't it a pity」が流れ始める。いつの時期だったか、英語の試験を受けている時に、ある単語を見た
   途端、知っているメタルのフレーズが、頭から流れ始めて、テストに集中できなかったことがあります。ということで、リクエスト
   は「darkness」の単語を見て、頭の中に流れる、ジョージ・ハリソンの曲をお願いします。(松戸市/男性)
    〜 George Harrison / Beware of Darkness
     (小林)ちょっと、単純過ぎるねー!

  ・最近のニュースで、ビートルズを研究して、博士号を取得できる大学院が、イギリスにあるそうです。そのニュースで、思い出した
   んです。今から10年以上前に、江東区の文化センターに、ビートルズ講座があったんです。講師のお名前を失念してしまいました。
   すみません。その時の先生が、ビートルズの曲にブルー・ノートが使われています。と、おっしゃいました。曲も聴きました。でも
   ブルー・ノートについても、ビートルズのどの曲なのか、すっかり忘れてしまいました。(江東区/女性)
    〜 The Beatles / I Want You (She's so Heavy)
     (小林)ブルー・ノートってのは、例えば音階の3番目・5番目・7番目が、微妙に下がる、半音下がるとか、言われています。その
     音なんですよ。で、これは、ブルースとか、元々ブルースでスタートしたんですよ。この曲も、ギターがちょっと上がりきって
     いない。そういうのが、ブルー・ノートなんです。それの方が、ファンキーなんだよ。上がるよりも。だから、音階で言うと
     えっと、ソシ、レが、うわっと下がって行くんですよ。わかりましたね? やだね、こういう紹介は。面白かったねー!
388ポール・キロックトニー:2009/04/12(日) 19:31:12 ID:???0
(小林)ビートルズの話では、古い人だけど、リトル・リチャードという、スゴい人がいたんです。この人ね、いまだに活躍してるんですよ。
オーストラリアに行った時に、飛行機が落ちて、「もし、神様、いま僕を救ってくれたなら、ぼくは神のために尽くします。」ってことで
伝道師みたいなこともやってます。
389ポール・キロックトニー:2009/04/19(日) 22:32:59 ID:???0
本日放送分は、HDD/DVDレコーダーのHDDが
ぶっ飛んでしまったため、記録できませんでした
この不況時に....
390ホワイトアルバムさん:2009/04/20(月) 21:20:23 ID:???0
>>389
毎週乙です。

・・・先日の放送ですが、
「Love me do」をブライアンが買い占めたという話、
そして初めてその曲がラジオで流れたときのラジオで掛かった時の話、
ビートルズの各メンバーは決して裕福な家庭に生まれたわけではないということ
などが話題になっていました。

放送された曲は、
・Ticket to Ride
・Across the Universe(『Let it Be』収録版)
・Rock and Roll Music
などですが、完全には覚えておりません・・・。
391ホワイトアルバムさん:2009/04/27(月) 10:51:26 ID:???0
>>389
いつもご苦労さまです。
早い復帰を祈ってます。
392ホワイトアルバムさん:2009/05/10(日) 18:46:53 ID:???0
季節はずれのハッピークリスマスに噴いた。
でも季節関係無しに聴くのも楽しいな。
393ホワイトアルバムさん:2009/05/11(月) 19:52:51 ID:CDCV6OVY0
>>392えっ!wwwwwwマジ!すかwww
394ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 22:55:41 ID:???0
>>390-391 ありがとうございます
ブルーレイ買いましたが、規制に巻き込まれてしまいました
やっと規制が解けたので、今までの分書き込みます。

■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年4月26日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(4月26日)
  ・1969年 (40年前)
    これね、ちょっと面白いんですよ。ポール・マッカートニーの「Oh! Darling」という曲があるんですが、これの最初にボーカル
    を録音したと書いてあります。そして、これが完成してないんです。で、元々この曲は、ポールが10代の時に、デビュー前の時
    に書いた曲なんです。で、この日、初めてボーカルをやったんだけど、満足いかなかった。そのレコーディングの日は、誰より
    も早くスタジオに来て、必ずこの曲を一回だけやるんです。それで、「んー、今日もダメだな」。で、また次の日も来て、「ダ
    メだなー」。スタッフが、「もう大丈夫だから、OKにしましょうよ」と言っても、「いやー、まだまだ」。その次もその次も
    もうホントに、ビートルズの曲の中でポールが一番最高に歌った曲だと思いますよ。で、なんで毎回ワンテイクかというとね、
    荒削りな所を出したかったんですね。で、この試みは、4ヶ月後、8月11日まで続いたそうです。この中には、ジョンと一緒に
    やった、ツイン・ボーカルのバージョンがあるんですけど、これは「アンソロジー」の中に入ってますが。で、実質的には最後
    のアルバム「アビー・ロード」にこの曲は収められています。詳しく言うと、世界的にお披露目になったのは、1969年9月26日
    のこと。いいですか、ポールが10代の時(に作った曲)ですから、もう10年以上たってから、ようやくビートルズが解散する、
    ちょっと前に出したという。これは、執念というか、因縁みたいな話ですよね。
    〜 The Beatles / Oh! Darling
395ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 22:58:50 ID:???0
    いかがですか? ポールの執念が入った「Oh! Darling」。これは、ポールが高校2年とか3年とかに、作った曲なんですよ。それが
    発表されたのが、単純計算すると、27歳になってから。ポールの、本当に執念だよね。で、ジョンとのダブル・ボーカル・バー
    ジョンもあるし、ジョンが言ったのは、「俺に歌わせなかった、俺に歌わせたら、きっとうまくいった」というようなことを
    言っています。ジョンのこれを想像しただけで、面白いよね。ジョンも、こういうのは得意だもんね。ビートルズの、ロック
    バラードっぽい曲はないんですよ。ポールは、そういうこともあって、神経使ったんだと思います。

□ビートルズ、デビュー
  ・1962年10月 ── EMIは、ビートルズのデビュー・シングル「Love Me Do」を発売し、これがイギリス国内のチャートで、17位
   を記録する、スマッシュ・ヒットとなった。悪くない成績である。EMIの中でも、窓際的存在で、お荷物レーベルでもあったパーラ
   フォンとしては、かなりの面目躍如となった。もちろん、プロデューサーである、ジョージ・マーティンの株も上がった。が、本当
   の勝負はこれから。デビュー曲の場合は、古くからのファンや、地元リバプールの連中がご祝儀のように買ってくれる。しかし、
   これがずっと続くわけがない。顧客の財布の中から、お金を使わせるには、それに見合うだけの力がいる。つまり、良い曲でなけれ
   ば、ならない。どのアーチストもそうであるが、それを持続するのは、容易なことではない。ビートルズの場合も、例外ではなかっ
   た。最初、ビートルズのデビュー曲として用意されていたのは、「How Do You Do It」という曲。これは、ジョージ・マーティンが
   ある音楽出版社に手配した曲であった。その音楽出版社とは、「ディック・ジェイムス・ミュージック」。ここの社長の、ディック
   ・ジェイムスという男は、1950年代には、シンガーとして活躍した人物で、ビートルズが所属するEMIパーラフォンからは、ジョー
   ジ・マーティンのプロデュースで、レコードも出したこともあるという、経歴の持ち主。ジョージ・マーティンは、「Love Me Do」
396ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:02:00 ID:???0
   の時に組んだ、大手音楽出版社のやる気のなさにうんざりしていた。なにせ、彼らはビートルズのことを、田舎から出てきた、一発
   で終わる新人グループと馬鹿にし、ろくに宣伝活動もしてくれなかったのである。したがって、全英17位という好成績は、ビートル
   ズとジョージ・マーティンが、自力で勝ち取ったと言える。実際、ヒット曲というのは、アーチストの事務所やレコード会社だけで
   なく、音楽出版社が作り出すものというのが、レコード業界の常識である。ジョージ・マーティンは、ブライアンの経営するNEMS
   と同じように、規模は小さくても、これから大きくなるぞという野心をもった音楽出版社とタッグを組もうと考えた。こうして、
   ビートルズのセカンド・シングルに向けて、お膳立ては着々と進んで行ったのである。
    〜 The Beatles / Day Tripper
    〜 The Beatles / I Want To Tell You

  ・「ディック。申し訳ないが、君が持ってきてくれた『How Do You Do It』、あの曲ね。ビートルズに、拒否された。彼らはどうしても
   オリジナルにこだわりたいんだ。」プロデューサー、ジョージ・マーティンからの連絡に、音楽出版社のディック・ジェイムスは、
   いらだちを覚えながらも、「ああ、そうか。そういうことなら、しかたないな。」と、答えるしかなかった。しかし、ディックは、
   野心も金銭欲もある前向きな男で、このいかにも生意気そうなリバプールの四人組、ビートルズに興味を持った。気分を取り直して
   翌日、ブライアンとジョージ・マーティンを交え、ミーティングをすることになった。議題はもちろん、既に完成しているセカンド・
   シングル「Please Please Me」についてである。明くる日の10時20分、約束より早い時間にブライアンは、ロンドンのデンマーク・
   ストリートにある、ディック・ジェイムス・ミュージックを訪れた。本来はその前に、別の音楽出版社と会うはずだったが、連中は
   ブライアンを軽く見たらしく、応対を事務所の雑用係にさせたばかりか、視聴用レコードも聴いてくれない始末。これには、相当頭
   にきたブライアンは、さっさとそこを切り上げて、ディックの所に来てしまった。というのが、ことの顛末である。幸い、いつもよ
397ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:03:16 ID:???0
   り早く出勤していたディックは、ブライアンを笑顔で出迎えた。もちろん、ブライアンの方はまだ、怒りが収まっておらず、赤い顔
   をしていた。ディックは、新しくレコーディングされたばかりの曲「Please Please Me」の視聴用レコードを、30秒聞いただけで
   すっかりビートルズを気に入ってしまった。「ブライアン。ぼくの事務所で、ビートルズの曲の版権を管理させてもらえるかな。」
   いきなりのディックの申し出に、ブライアンは少しためらった。事務所が、あまりにもみすぼらしかったのである。しかし、それで
   もこのディック・ジェイムスという男には、何かビジネスマンとしてのオーラがあった。ブライアンは、質問した。「EMIの広報は
   まったく当てにならない。あなたなら、ビートルズのために、何をやってくれるんでしょうか?」するとディックは、にやりとしな
   がら、電話の受話器を取り上げ、自信たっぷりの表情で、おもむろにダイヤルし始めたのである。
    〜 The Beatles / She Loves You
    〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand

  ・1962年11月 ── ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」が、イギリスでチャートインと、まずまずの好成績を残している中、セ
   カンド・シングルの「Please〜」が完成した。「Love〜」の時は、レコード会社であるEMIの広報も、そこからあてがわれた大手音
   楽出版社も、ろくに宣伝してくれなかった。まさに、自分たちの頭と足で勝ち取った17位だったのである。マネージャーのブライ
   アンは、考えた。(このままでは、いけない。ビートルズは、絶対に1位になる才能を持っている。そうだ、必要なのは、音楽出版社
   とのチームワークだ。)そう考えたブライアンは、音楽出版社を探し歩いた。結果、プロデューサーのジョージ・マーティンの紹介で
   ディック・ジェイムスという人物に巡り会う。オフィスを訪ね、ビートルズのプロモーション展開について答えを求めると、ディック
   はおもむろに、電話の受話器を取った。「ああ、わたし音楽出版社のディック・ジェイムスですが、ちょっとこのレコード聞いてもら
   えますかね。」そう話すとディックは、レコード・プレイヤーのスピーカーに受話器を置き、先方に「Please〜」を聞かせた。あまり
398ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:04:32 ID:???0
   に直接的で、大胆な行動である。電話の向こうにいたのは、土曜日に放送している人気テレビ番組「Thank Your Lucky Stars」のプロ
   デューサー、フィリップ・ジョーンズ。フィリップも、ビートルズを一発で気に入ってくれ、番組への出演も約束してくれた。こうし
   て、たったの5分間で、ビートルズのプロモーション交渉は成立した。ブライアンは、まるで魔法でも見ているかのようであった。
   ディックは、笑顔のまま続けた。「エプスタインさん。この先、ビートルズの出版と宣伝は、この私に任せていただけないですかな。」
   あまりの急な展開に、ブライアンはまたしても判断能力をなくし、答えた。「ええ、ぜひ。ぜひとも、ビートルズをよろしくお願いし
   ます。」
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night
    〜 The Beatles / Something

   出版社というのはね、普通の人だと、雑誌とか本とかを発行する所かと思うかもしれないけど、そうじゃなくて、「音楽」の出版社って
   のがあるんです。だから、ビートルズがEMIと契約しますよね。で、レコードが売れますよね。その何%かは、契約でビートルズから
   EMIに払わなければならない。ところが、ジョン・レノンとかポール・マッカートニーは、作詞作曲をやって、そのお金というのは、
   実はレコード会社から払われないんです。後になってレコード会社はね、音楽出版社に払うんです。で、音楽出版社から、作詞作曲と
   して、何%かが払われる。しかし、音楽出版社は、それと同額以上のお金がもらえるんですよ。そういう風な仕組みになってるんです。
   だから、音楽出版社ってのは、かなりオイシいんですよ。だから、現状では、例えばビートルズの事務所があると、今だったら、事務
   所が自分の出版社を作ったり、その出版社に管理させたりするんですけど、何も分からないんですよね。だから、この契約はいいんだ
   けと、ビートルズに不利な契約をしてしまうということで、ちょっと音楽出版社の解説をしました。
399ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:08:17 ID:???0
□リクエスト
  ・ぼくが通っていた習志野市大久保小学校は、登校時間の終わりに「Please Please Me」のインストゥル音楽をかけて、遅刻寸前の奴ら
   をあおってました。今も、「Please〜」を聞くと、ダッシュするのは言うまでもありません。リクエストに応えてくれたら、家の中で
   ダッシュします。(習志野市/男性/42歳)
    〜 The Beatles / Please Please Me
     (小林)ホントだな。よーし、ダッシュ!

  ・CDは未だ未発売の「ハリウッドボウル」の盤をかけたんです。ジェット機の轟音のようなファンの感性と共に、「Twist〜」が始まり
   淡々としたポールのMCをはさんで数曲かかり、A面も終わりにさしかかって「Thing〜」がかかりました。おかしいぞ?なんか早過ぎ
   るじゃん! 普段の4倍ぐらいの速いテンポに、ターンテーブルを見回してみると異常はなく、そこでようやく、ああ疲れてるんだなと
   気づきました。トークはため息まじり、おっさんみたいです。リンゴのドラムはやけくそ気味で、ジョージはいつもより増して無口で
   当時のリアルタイムのファンをうらやましいと思いながらも、彼らがちょっと気の毒で、今みたいにじっくり聞くのも良い気がしてき
   ました。(南埼玉郡/男性)
    〜 吉幾三 / 俺ら東京さ行ぐだ
400ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:10:58 ID:???0
  ・オリジナルバージョンも好きなんですが、なんとも言えず気に入ってます。(柏市/男性)
    〜 和幸 / カレーライス

  ・ビートルズは大好きですが、二番目です。一番は、サイモンとガーファンクルです。克也さんは、サイモン&ガーファンクルが好きで
   すか?(市川市/男性)
    〜 Simon & Garfunkel / The Boxer
     (小林)ビートルズと比べると...。S&Gというのは、完全な大人の世界。ビートルズは感性で言うと、子供がいるって感じがする
     よね。

(小林)ビートルズのマネージャーが、目の前でスゴいことをやられてんで、契約しちゃうんです。やっぱり、ビートルズは不利な契約を
しちゃうわけですよ。そういうことも、だんだんお話ししていくことになります。
401ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:20:24 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年5月3日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月3日)
  ・1950年 (59年前)
    古いよ! だけど、これは誕生日だからね。1950年は、誰の誕生日かというと、メリー・ホプキンの誕生日。メリー・ホプキンって
    知ってますか? ビートルズ・ファンは、知ってますよね。ビートルズがアップルというレコード会社を作って、そこからポール・
    マッカートニーがプロデュースしてデビューさせた、メリー・ホプキンという人の誕生日です。メリー・ホプキンを語るとね、その
    頃のファッションとか、色んなものがついてくるんですよ。どうしてかというと、メリー・ホプキンは、元々民謡歌手 ── 民謡歌手
    という言葉も…フォーク・シンガー! ウェールズ地区出身なんで、ウェールズのフォーク・ソングを歌っていたわけですが、
    ツィッギーに見いだされるんです。どういうことかというとね、ポール・マッカートニーが、良いシンガーを捜しているわけですよ。
    で、ツィッギーが電話して「ポール。良いシンガーを探してるんだったら、スゴい子がいるわよ。」ということで、紹介します。
    ツイッギーって、これがまた当時スゴいことになっていたモデルなんですよ。世界は、ツイッギーを注目していた。ツイッギーが
    やせて、(ツイッギーの意味は)小枝ですからね。なぜ、ツイッギーが注目を集めたかというと、ミニ・スカートをはいていた。
    そう、ミニ・スカートが、この頃誕生したんです。もう、カッコいい女の子は、みんなミニ・スカート。冬になると、ミニにマキシ
    コート。そういうファッションでしたが、とにかく、このツイッギーがポールに紹介して、ポールがプロデュースをして、実はこの曲
    世界中で1,300万枚売れています。イギリスでも、アメリカでも、No.1。そして、日本でも、No.1。1970年には、大阪万博ってのが
    あったんですよ。盛り上がったんですよ。日本がまだまだ、今とは考えられないぐらい遅れていた頃、大阪万博。その前は、オリン
402ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:22:45 ID:???0
    ピック。で、ドンドンドンドン! と、世界に打って出るわけですが、その時にメリー・ホプキンが来日して、ライブ・レコーディング
    を行っています。
    〜 Mery Hopkin / Those were The Days

    「悲しき天使」という日本語タイトルがついていて、日本でもスゴいヒットしました。さっきも言いましたが、1,300万。ビートルズ
    の一番のヒット「ヘイ・ジュード」は、700万。だから、ほぼ2倍弱売れた。スゴいよね。それも、ポール・マッカートニーがプロ
    デュースして、2作目はポールが書いた曲で「グッドバイ」。3作目は…、1作目がカバーだったからね、民謡の。3作目もドリス・
    ディの「When I was just little girl...」っていう有名な、ケセラ・セラをポールがやろうとしたんだけど、ま、ここまで来ると、
    みんなやっぱり、ビートルズより売れたってんで、でかいツラするわけですよ。だから、ミッキー・モストのプロデュースで、違う
    曲になって、それからポールと縁が遠くなるんですよね。それから、売れなくなってくるんですけど。世の常であります。というわけ
    で、きょうがメリー・ホプキンが59歳ですね。

□ビートルズ、デビュー
  ・「エプスタインさん。この先、ビートルズの出版と宣伝は、この私に任していただけないですかな。」いかにも、やり手風に見える
   音楽出版のプロ、ディック・ジェイムスのあまりの急な切り返しに、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、
   またしても、判断能力をなくし、やっとの思いで、こう答えた。「ええ、ぜひ。ぜひとも、ビートルズを、よろしくお願いします。」
   結果ビートルズは、ディック・ジェイムス・ミュージックと、音楽出版に関しての契約を結ぶことになった。かつて、シンガーであり
403ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:28:40 ID:???0
   後にビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンの元でヒット・レコードも出したことのあるジェイムスは、お金にシビア
   だった。シビアというよりは、むしろ「率直」だった。というのも、1950年代当時のイギリスでは、アーチストの印税は、限りなく
   ゼロに近い条件でしか、契約されていなかったのである。さらに、そのレコードが、アメリカで売れたとしても、受け取れるお金は
   スタジオ使用料のみで、印税はゼロ。つまり、1円たりとも、受け取ることは出来なかった。ジェイムスは、そういった、時代的に
   冷や飯を食わされた世代の経験者だったのである。この時、ディック・ジェイムス・ミュージックと、ブライアンの会社NEMSが交わし
   た契約は、妥当なものであった ── という見方が、ほとんどである。当時のミュージシャンを食い物にするタイプの版権契約であれば
   楽譜1枚の小売価格に付き、10%。それに加えて、ラジオでの放送使用料。カバー・バージョンから派生する印税の半分までを取るのが
   普通である。だが、ジェイムスは、ビートルズが絶対大ヒットを飛ばし、世界のスーパースターになると、信じて疑わなかっていなかっ
   た。これには、何の根拠もなかったのであるが、ショー・ビジネスの世界で、長いことしぶとく生きながらえてきたジェイムスは、まさ
   に動物的とも言える直感があった。そこで、ジェイムスは、彼のもくろみを提案として、ブライアンにぶつけてきたのだ。「ご安心くだ
   さい、エプスタインさん。ビートルズはね、必ず、金になりますよ。私が、これから申し上げる提案ですが、ちょっと聞いてはいただけ
   ないでしょうか。」
    〜 Dick James / Robin Hood (Theme from U.K. TV Series "The Adventures Of Robin Hood")
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever (Love)

   なかなか、良く出来てるでしょ? 改めて、そう思いますよね。ジョージ・マーティン親子がやった仕事です。いわば、お化粧が違う、
   同じ女性を見るような感じで、正体が良くわかりますね。ビートルズというか、ジョン・レノンの正体ってモノがね、これを聴くことに
404ポール・キロックトニー:2009/05/13(水) 23:40:47 ID:???i
すいません
この続きはまた今度。
405ポール・キロックトニー:2009/05/14(木) 06:16:37 ID:???0
   よって分かると思いますよ。それと、新しく聞こえたのが、その前の曲が「ロビン・フッド」という、子供たちと一緒にやってましたね
   これ、初めて聞かれる方が多いと思いますが、これが歌手の時代のディック・ジェイムス。プロデュースが、ジョージ・マーティンなん
   ですよ。もちろん、歌手として売れませんでしたけど、ビートルズに目を付けることによって、この人は大金持ちになるわけですね。

  ・「エプスタインさん。ビートルズの印税関係の仕事は、今後ディック・ジェイムス・ミュージックに、すべて任せていただけないでしょ
   うか。」このディック・ジェイムスの、物腰が柔らかでいながら、自信たっぷりな態度に、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エ
   プスタインは、圧倒された。元々、書類に甲とか乙とか書いてある契約諸関係の仕事が、大の苦手であったブライアンは、この時点で既
   に、交渉そのものが面倒になっていた。というよりは、頭の中が真っ白になっていた。もちろん、目の前にいるディック・ジェイムスは
   ビートルズが所属するレコーディング、EMIのプロデューサーである、ジョージ・マーティンの紹介。ビジネス的な間違いや、トリック
   などは、あり得ない ── と、信用しきっていた。そして、ジェイムスは、提案してきた。「私は、従来の音楽出版社のように、大きな
   割合の報酬を、ビートルズに要求しようとは思っていません。その代わり、ウチの系列会社を作り、ジョンとポールの書いた楽曲の、独
   占販売をさせていただきたいんです。つまり、ビートルズが売れれば、ウチもうるおう。言うなれば、我々は運命共同体になるんです。
   いかがですか? エプスタインさん。」ブライアンは、真っ白になったままの頭で答えた。「えっと…、分かりました。ただ、ちょっと
   この話は、いったん持ち帰らせてください。よく、考えてみたいんです。それにしても、ジェイムスさん。どうしてあなたは、そこまで
   ビートルズに、良くしてくださるんですか。」ジェイムスは、微笑みを絶やさずに答えた。「そりゃあもちろん、ビートルズにかけてい
   るからですよ。彼らは、必ずスーパースターになる。そう信じていなかったら、こうして今日、あなたとお会いすることもなかったで
406ポール・キロックトニー:2009/05/14(木) 06:19:43 ID:???0
   しょう。『Please Please Me』は、必ずイギリスで1位になり、その次はヨーロッパ全土、そして、アメリカ。全世界。そうなることが
   私には分かるんです。エプスタインさん。あなただって、それを信じてるでしょ。二人で、頑張って行きましょう。ねえ、エプスタイン
   さん。」ブライアン・エプスタインは、完全にディック・ジェイムスのペースに、飲み込まれていた。
    〜 The Beatles / Paperback Writer
    〜 The Beatles / Here, There and Everywhere

  ・「ビートルズは、必ずスーパースターになります。エプスタインさん。あなたが、それを信じなくて、どうするんですか。私は、人生を
   かけて、応援しますよ。」個人経営の音楽出版社の社長、元歌手ディック・ジェイムスは、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エ
   プスタインと、日を改めて会い、確信に満ちた表情で、熱く語った。ブライアンは、圧倒された。その反面、なぜこのディック・ジェイ
   ムスという人物が、ここまでビートルズに肩入れしてくるのか、理解できなかった。確かに、ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」
   が、イギリスで17位という、好成績を残した。2枚目の「Please Please Me」も、レコーディングは完了し、プロデューサーのジョージ
   ・マーティンも、必ず1位になると太鼓判を押してくれた。でも現実には、まだ発売にもなってないし、実際に1位になるどころか、デ
   ビュー曲を下回ることだって考えられる。なのに、どうしてこのディック・ジェイムスという男は、ビートルズに人生をかけることが出
   来るんだ。ああ、俺には分からない。そうして良いか分からなくなったブライアンに対し、ディック・ジェイムスは、結論を急いだ。
   「エプスタインさん。私が考えたアイデアは、こうです。まず、私どもの関連会社として、ビートルズの音楽出版を専門に扱う『ノーザ
   ン・ソングス』という組織を発足させます。そして、ビートルズに入ってくる印税の半分を、このノーザン・ソングスに。20%を、
   ジョンとポール。残りの10%をあなた、エプスタインさんの会社NEMSに渡します。いかがですか。みなさんに納得いただける条件だと
407ポール・キロックトニー:2009/05/14(木) 06:25:31 ID:???0
   思いますがね。」もちろんこれは、1962年当時のイギリスの音楽業界の中では、悪くないどころか、かなりの好条件であった。しかし
   何故ここまでジェイムスは、ビートルズに入れ込むのか。ブライアンは、今一度確認したくなった。「ジェイムスさん。どうしてあなた
   は、ここまで良くしてくださるんですか?」ディック・ジェイムスは、まだ少し疑っているブライアンに対し、いらだちを隠しながら答
   えた。「カンですよ。正直、こればっかりは、お答えのしようがない。『Please Please Me』は、必ず大ヒットする予感がするんです。」
    〜 The Beatles / Please Please Me

   ということで、ご存知の通り、この「Please〜」は、大変なことになるわけですね。ビートルズは、まずイギリスを制覇して、世界を翌
   年には制覇することになるわけですけど、ディック・ジェイムスは、商売がうまかったのか、本当にそういう風に思っていたのか。自分
   が半分取るわけですからね、今考えたらスゴいですよ。ビートルズの出版の権利の半分を取るわけですからね、ディック・ジェイムスは
   この時大勝負をかけてたわけです。

□リクエスト
  ・最近、リクエストでかかるのが、ポップスが多い気がする。(松戸市/男性)
    〜 Jimi Hendrix / Purple Haze
     (小林)ちょっと悲しいですね。ポップスとかロックとか、分けて聴いてたんですかね。もう、40年以上も前にビートルズが、そんな
     ポップスやロックといった境を取り外しました。そんな番組です。ビートルズから始まってるんです。だから僕たちもそんな意識は
     なくて、良いモノか悪いモノか。せめて、好きなモノか嫌いなモノか。そういう聴き方する方が、音楽楽しいですよ。
408ポール・キロックトニー:2009/05/14(木) 06:29:24 ID:???0
  ・今年のゴールデン・ウィークは、最大16連休と聞いてますが、実は工場勤務の私も、10日を越える休みをいただいてしまいました。金
   もないのに、時間だけ手に入ってしまい、戸惑っています。休みたい時に休めず、働きたい時に働けず、悲しいですね。私は、ビートル
   ズの来日は見に行けなかったけど、彼の来日のときは、見に行けた世代です。(八千代市/男性)
    〜 Michel Polnareff / Holidays

  ・ビートルズより、小林さんのファンです。私のビートルズ初体験は、小学5年。リコーダーに夢中になり、毎日飽きずに練習してた私。5
   つ上の兄が、この曲を教えてくれました。遠い国の音楽と思っていたビートルズが、自分と同じ楽器を演奏している。すごくショックだっ
   たと同時に、とても身近に感じました。(千葉市美浜区/女性)
    〜 The Beatles / The Fool on The Hill
     (小林)例えばジョンは、最初の楽器はギターじゃないですからね。ハモニカだってのを知ってますよね。ハモニカ、無茶苦茶子供の
     時から、大人たちに聞かせてたっていうエピソードがあるぐらいですから。ビートルズはね、色んなミュージシャンを雇わずに、自
     分たちで、いろんな楽器にトライしています。

  ・あれは自分が高二のときのこと。新卒の男性の先生が入ってきて、ちょっとイケメンだったので、女の子に人気があったんです。その先
   生が学園祭の時に、勇士でギターの弾き語りで、ビートルズのこの曲を歌うと聞いたんです。自分は、8つ上のビートルズファンの兄が
409ポール・キロックトニー:2009/05/14(木) 06:41:21 ID:???0
   いて、小さい頃から自分の家で耳にしていたんで、興味がありました。それに、英語の先生ということもあって、期待をして体育館に見
   に行ったんです。いざ、演奏が始まり、歌に入って、みんな目が点になりました。「レット・イット・ビー、レット・イット・ビー。」
   英語の発音がカタカナ英語というより、あれはひらがな英語といった感じ。一つ一つの単語は分かりやすいんですが、さすがにあれでは
   女の子の人気も、一気になくなりましたね。やっぱり、英語の読み間違いや発音の悪さは、支持率を下げますね。(市原市/男性)
    〜 The Beatles / Let it Be
     (小林)発音が下手というか、雰囲気がなかったんでしょうね。下手でも、ウマく聞こえる人がいますからね。

(小林)マネージャーのブライアンが、ディック・ジェイムスという人と契約をする。これはおそらく、いろんなビートルズの本を読んだ人も
えー、そんなことがあったのかってことで、結構新鮮な感じがしてるんではないかと思います。ホントは、あれですよね。ブライアンは、ロク
な契約をしなかったってことで責められて、契約もなんでジョンとポールが中心でやってるのに、ジョンとポールはあれだけ少ない額しか来な
いんだってことでね、非難があるわけですけど。当時としては、スゴい良い契約だってことが分かりましたかね。当時は、ひどかったんですね。
音楽の世界はね。
410ポール・キロックトニー:2009/05/16(土) 15:53:41 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2009年5月10日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(5月10日)
  ・1963年 (46年前)
    BBCの「ジューク・ボックス・ジューリー」という番組。これはですね、新しい曲を聴きながら、審査員が「これはいい」
    「これは悪い」とか、あと客にも聞いて、「これはヒットするかなー」とかいう番組のゲストに、ジョージ・ハリソンと
    デッカ・レコードのディック・ロウが参加します。この二人は因縁です。というのは、デッカ・レコードのディック・ロウが
    ビートルズを採用しなかったんです。しかし、ビートルズはスターになりましたよ。残念なことをしたわけです。で、ジョージ・
    ハリソンは、そのデッカ・レコードのディック・ロウに、「良いグループを紹介するから、俺たちと同じように良いから
    今度は採用してやれよ。俺たちみたいに蹴落とすんじゃないよー。」と言います。で、そのバンドというのが、ローリング・
    ストーンズだったわけですね。実はビートルズはね、プロダディ・クラブというクラブで、ローリング・ストーンズを見に行って
    そこで、メンバーと色々話をして、特にジョンとミックが親友になります。だから、ストーンズをデッカに推薦したわけですね。
    で、デッカ・レコードはストーンズを採用して、マネージャーのアンドリュー・オールダムという人も若いけどやり手でね
    イメージもビートルズと違って、髪をもっと長くしたり、徹底して不良のイメージを作ったり、シングルも同時期に出さない。
    ずらして、競争を避けたわけですね。手を握ってたわけですね、ビートルズとストーンズはね。さ、今日の一曲目は、ミック・
    ジャガーとキース・リチャーズにせがまれて、当時ローリング・ストーンズは、自分たちで曲を書いてなかったんですよ。最初
411ポール・キロックトニー:2009/05/16(土) 16:36:44 ID:???0
    のシングルの曲もカバーでしょ。で、2枚目のシングルにするんだけど、曲作ってくれないかなってんで、ジョンとポールが、
    ライブハウスの楽屋の屋根裏部屋でモノの10分ぐらいで書き上げて、それをプレゼントしました。ローリング・ストーンズは
    これを2枚目のシングルとして、発売しました。
    〜 The Rolling Stones / I Wanna Be Your Man

    リンゴが歌うバージョンがあるけど、これはもう、雲泥の差でしょ。同じ10分で書いたような曲でも、ストーンズがやると
    ボーカル力の差が出ていますけど。このストーンズのボーカルは、すごいいい出来だと思うんですよ。どうですかね?

□ビートルズ、デビュー
  ・「カンですよ。正直、こればっかりは説明のしようがない。Please〜は、必ず大ヒットする予感がするんです。」そう予言していたのは
   ビートルズの音楽出版の管理を一手に引き受けることになった、ディック・ジェイムス。彼のオフィスであるディック・ジェイムス・
   ミュージックの関連会社「ノーザン・ソングス」の契約条件は、1962年当時としては、アーチスト側に有利なものであった。こうして
   準備は万端整った。ビートルズの2枚目のシングル「Please〜」の発売予定は、年が明けての1963年1月に決まった。それまでの間、
   ビートルズはまたハンブルグへ行き、興行主マンフレッド・ワイスレイダーのスタークラブに、2週間出演する契約になっていた。この
   仕事は夏に決まっていたものであったが、EMIの専属アーチストとなった今、このギャラの額も含め、ハッキリ言って魅力的なものでは
   なかった。それに、ビートルズのメンバー4人とも、ハンブルグのあの猥雑な歓楽街レイパーバーンでの修行も、そろそろ卒業したいと
412ポール・キロックトニー:2009/05/16(土) 16:38:36 ID:???0
   思っていたのである。さらに今回は初めて、クリスマスと大晦日もリバプールを離れることとなり、何から何まで気乗りのしない仕事で
   あった。この時のツアーについて、スタークラブの用心棒ホルスト・ファッシャーは語っている。「あの頃のビートルズは、もうメジャー
   デビューしていて、リバプール近辺、つまりマージービートではかなりの人気グループになっていたね。レコードの印税収入となると
   まだまだだったんだろうけど、ライブのギャラでちゃんと食えてたんじゃないかな。そのあたりの仕切りに関しては、ブライアンもなか
   なかやり手のマネージャーだったしね。ただ、スタークラブ側からすると、自分たちが育ててやって、イギリスでは逆輸入という形で
   人気グループになったわけだから、恩返ししてくれてもバチは当たらないだろうって気持ちもあったんだよ。それでもなかなかやる気
   になれないビートルズに対して、興行主のワイスレイダーは取っ払い、つまり領収書のいらない裏金を1000マルクも用意して、ビート
   ルズに渡していたね。実際にビートルズが不満だったのは、金だけじゃなくて、ハンブルグの女に飽きてたからなんだけど。特にポール
   がね。まあ、若気の至り。今じゃもう、時効になった話だよ。」
    〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen (Live! at STAR CLUB in HAMBURG, Germany 1962)
    〜 The Beatles / Mr. Moonlight (Anthology 1)

  ・1962年12月18日 ── ビートルズは、まったく行く気ゼロのまま、ハンブルグへ向けて出発した。そしてこれが、スタークラブでの最
   後の巡業となる。2枚目のシングル「Please〜」の発売を直前に控え、外国に姿をくらますより、自分たちのホームグラウンドであるリ
   バプールに留まって、新曲の宣伝に備えるべきという声も多かった。しかし、これは無理な話であった。今回の話は、EMIとの契約が決
   まる前にマネージャーのブライアン・エプスタインが取り決めたもの。そう簡単に、断ることは出来なかった。しかし、今回のクリスマ
   ス巡業は、ビートルズにとって、少し嬉しいニュースもあった。なんとスタークラブでは、彼らの10代の頃からのアイドルであるロカビ
413ポール・キロックトニー:2009/05/16(土) 16:44:49 ID:???0
   リーのスター、カール・パーキンスと共演できるというのである。その頃既に、スタークラブのあるハンブルグの歓楽街レイパーバーン
   地区のトップアーチストの座は、キングサイズ・テイラー&ザ・ドミノスに奪われていた。名前の通り、そびえ立つような大男キングサ
   イズ・テイラーは、ノドを震わせるような声で歌い、故郷では肉屋の見習いをしていた。テイラーは、ハンブルグでの巡業を人生最大の
   チャンスであると思い、このスタークラブを仕切るマンフレッド・ワイスレーダーなど、ドイツ人プロモーターの元で、不満も言わず
   馬車馬のように働き、時には一日に12時間、1時間毎に12分の休憩のみでステージに立ち続けた。それまでは、このキングサイズ・テイ
   ラーも、かつてはビートルズが押し込められた、クラブの上の臨時宿泊所に寝泊まりしていたのであるが、ここでは催涙弾が投げ込まれる
   など、悪いいたずらが相次いだため、イギリスからのミュージシャンは皆、パシフィックという小さなホテルに移されることになった。
   もちろんビートルズも、そのパシフィック・ホテルに到着した。ステージに立つと、ライバル同士とは言え、お互いイギリス人同士。ス
   ターを夢見る若者同士。キングサイズ・テイラーは、ビートルズとの再会を心から喜んだ。安い白ワインを買ってきて、お互いその白ワ
   インを掛け合って、朝までどんちゃん騒ぎをした。さあ、こうしてまた、ハンブルグでのワイルドな夜が始まったのである。
    〜 The Beatles / Besame Mucho (Live! at STAR CLUB in HAMBURG, Germany 1962)
    〜 The Beatles / Honey Don't

   ワンポイントで録ってるから音は悪いんだけど、ビートルズって、すごい良いバンドだね! そして、カール・パーキンスのカバーを、
   リンゴ・スターがやってます。ぼくは、リンゴ・スターと話をしたことがあるんです。電話ででしたけど。一番好きな歌手は?と言うと
   ね、もう文句なしにカール・パーキンスだと言ってましたね。これも、カール・パーキンスが好きだからやったんだと思いますけど。
414ポール・キロックトニー
   改めてビートルズは有名になってね、1965年かなあ、その頃にカール・パーキンスをわざわざ呼ぶんです。自分たちがレコーディング
   やってる時に。で、一緒に演奏したりして、カール・パーキンスと記念写真して、お土産を持たせて、カール・パーキンスありがとう
   ということをやるんです。その時は、カール・パーキンスが感激したっていうからね。世界のアイドル、ビートルズに呼ばれて、一緒に
   演奏した(というわけだから)。この頃、ビートルズにとっては、カール・パーキンスはアイドルだった。

  ・1962年12月 ── ビートルズにとって最後となる、ドイツはハンブルグでのクリスマス巡業が始まった。レギュラー出演したスターク
   ラブは、この倉庫のような構造のせいで、音響は最悪であった。バンドが演奏中の音を聞くのは、ほとんど不可能。しかし、共演者の
   キングサイズ・テイラーは、ビートルズの共演は、この時が最後になるのではと直感し、スタークラブの劣悪な音響条件の中で、彼らの
   演奏をテープレコーダーに録音し、記録として残すことにした。これによって偶然にも、ビートルズの演奏が後世に残されることになっ
   たのである。ビートルズの4人も明らかに酔っぱらっている様子で、歌詞も演奏も間違え、適当なドイツ語でヤジに対抗しながら、昔な
   がらの流行歌とロックをちゃんぽんに混ぜ合わせた選曲で、彼らは1ステージにつき20曲をやり通した。ロックンロール、カントリー&
   ウエスタン。俗っぽいバラードなど、何でもありである。チャック・ベリーから、ラテンの「ベサメ・ムーチョ」。そして、ドイツのカ
   リスマ女優、マレーネ・ディートリッヒの持ち歌までもが飛び出した。いくらビートルズが、最初にハンブルグにやってきたときよりも
   上達し、成長したといっても、客筋は変わっていない。ほとんどが酔っぱらいと、商売女とホテルにしけこむ前の、いかがわしい連中ば
   かりである。そんな中でもビートルズは、自分たちの新しいスタイルを見つけようと奮闘した。ある日、共演者のキングサイズ・テイラー
   の演奏を見ていたら、アメリカの黒人リズム&ブルース・グループ、アイズレー・ブラザーズの新曲「Twist and Shout」をやっていた。