□リクエスト ・FM番組は数あれど克也さんに紹介してもらうと、曲がぐっとよく聞こえるのは何故でしょうか 年輪を感じさせるしゃべり方からでしょうか ロン・ウッドと一緒に書いた曲だそうで、ロンもコンサートで演奏しているそうです(市川市/男性/パン屋さん経営) 〜 George Harrison / Far East Man (小林)ありがたいですねー
・カバー曲を歌うのは難しいという話がありましたが エルビスほど、オリジナルを越えて歌う人は珍しいと思います(土浦市/男性) 〜 Elvis Presley / Love Me (小林)Far East Manからしぶい流れで曲がかかりましたね ビートルズが一番好きだったのはエルビスで オリジナルを絶対に越えることは出来ないとまあ そういうポリシーを貫き通したわけですけど 彼にも適不適があって、こういう泣き節が発揮されるヤツは良いですよね
・かっちゃん、いつもビートルズ情報をありがとう 「リンゴを大統領にしよう」という曲をお願いします 初めて聞いたとき、鳥肌がたつほど感動したのを覚えています(足立区/男性) 〜 Ringo Starr / I'm the Greatest (小林)「Ringo for President」という曲がないので、別のリンゴの曲をお送りします アメリカは人気が出ると、その人を大統領にしようっていう発想が出てくるよね 日本で、落合を総理にしようなんて言わないけど
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1964年2月 〜宅配便がきてしまいましたので、この間は聞き取りできず〜 こういう手段で発散されているのであった 〜 The Beatles / Another Girl 〜 The Beatles / I Don't Want To Spoil The Party ('64) (小林)この曲は、あまりかからないよね
・この番組を聞きながら風呂に入るのが一週間のうちで楽しみです 私には、バンドでベーシストをやっている息子がいるのですが 今度、ふるい曲をやりたいと思っているので おすすめの曲を教えて欲しいと言われたのですが 残念ながら、音源がありません かつて、自分のバンドでコピーしていたこの曲をお願いします(船橋市/男性) 〜 Suzi Quatro / The Wild One (小林)股間に響くというキャッチフレーズが好評でした
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1964年2月 ── アメリカを席巻したビートルズ そこで、いつも冷静でいられたのはポールだった ビートルズが成功するにつれて 自分がリーダーにならなければという自覚がポールには生まれていた そのやり方は、他の3人との間に目に見えない溝を作った 一方、マスコミは(ビートルズのリーダーはジョン・レノン)という 見方を崩すことがなく、ポールはいらだちを覚えていた さかのぼること2年、1962年2月のこと ビートルズは、ホスピタルラジオ(病院に入院している患者に聞かせるラジオ)に出演した これが、ビートルズとしてのラジオ初出演だった そこで、ポールはこう発言した 「ぼくたち、ビートルズのリーダーは、ギターのジョン・レノンです」 たしかに、そう言ったのは事実だ でも、それはほんの駆け出しの頃の話だ まだ、自分は20歳だった 今のビートルズは、自分なしにはやっていけない ヒット曲だって、ぼくが書いた ぼくがリーダーだと言ったって、何もおかしくない ポールは、自分への評価の低さにいらだっていた 〜 The Beatles / The Long and Winding Road (Let it Be ... Naked) 〜 The Beatles / Lady Madonna (Love) (小林)いずれも、こういう言い方はどうかと思いますが 21世紀に入って曲が作り直された2曲です
□リクエスト ・ミスターDJ、こんばんわ ドアーズを聞き始めたのは10年前、最初の印象は決して芳しいものではなかったのですが 「Light My Fire」の間奏で、延々と続くオルガンにすっかりやられてしまいました 時々、ドアーズが聞きたくなります それも、耳ではなく、体が求めるという感じなんです(さいたま市/男性) 〜 The Doors / Break on Through
・この間、ストーンズのボーカルはミックだけじゃないと キースの「Happy」がかかりましたが、なんとストーンズにはもうひとり ボーカルがいたと知り、びっくりしています ビル・ワイマンのこの曲をお願いします(台東区/女性) 〜 The Rolling Stones / In Another Land (小林)まあ、そうですね 彼は、ストーンズの中でも平凡なメンバーで ビートルズのリンゴ・スターといったかんじでしょうか
・「ビートルズでおなかスッキリ―胃腸のはたらきを改善する音楽療法」という本を読んで 聞くやり方によっては、胃腸を改善できることを知りびっくりしました 石井食品の食品は添加物がなくて安全なのが良いですね(調布市/女性/69歳) 〜 森山良子 / Good Night (小林)大変面白いですよね
・四人をクリーンなイメージに保つという方針は マネージャーのブライアンだけのものではなかった イギリスの政府も、実はそう考えていた 二枚のアルバムを政府は、立派な芸術品と考えていた そのため、新聞や雑誌も、彼らのやんちゃな振る舞いには目をつぶることにした 彼らは、王室と同じぐらいの特権を得ていた ある日、大使館主催のダンスパーティに四人は招かれた そこで、ピンクのドレスを着た中年の婦人がこう訪ねた 「あら、字も書けるのね」 すかさず、ジョンがアナウンサーのような口調でこう答えた 「ええ、でも誰に対してでも書けるわけではないですよ」 このことは、イギリスではたいした話題にならなかった 笑いのつぼが、違ったのである さらにこのとき、少年の乱入者が入ってきて ハサミでリンゴの髪を少し切り、逃げていった 四人は、疲れきっていた 〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun 〜 The Beatles / In My Life
・彼らは次第に、イギリスという国の政治的戦略として使われるようになった しかし、実際の扱いは、変わっていない パーティでも人間的な扱いをされなかったが 二日後、大使館の方からお詫びしたいと申し出がきた これは、ゴア夫人も同じ考えだった ブライアンは、丁重にお礼の手紙を書いた それは、外交上、株を上げるものだったことは言うまでもない ブライアンは、メンバーを政府高官のオモチャにはさせないと誓った アメリカ訪問は輝かしいものだった ほんの数週間前までは、ビートルズなんて聞いたことなかった人たちが 彼らなしでは生きていけないというほど、魅力となったのだ かつて、これほどまでにビッグになったミュージシャンはいなかった 〜 The Beatles / I Should Have Known Better 〜 The Beatles / Across The Universe (小林)エルビスの頃は、子供だけが夢中になったんだけど ビートルズの場合は、大人もこぞって受け入れたんだよね
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1964年2月から続く成功で、ビートルズは今や怖いものなし 映画「A Hard Day's Night」も大成功 評論家の受けも良く、熱狂ぶりに拍車がかかる 彼らのヘアスタイルとスーツスタイルは若者たちにコピーされ 最も最先端のファッションとなった さらには、映画館に押し寄せる若者だけでなく 各国の大統領、そして、マーガレット王女までもがファンだと公言した 〜 The Beatles / Can't Buy Me Love 〜 The Beatles / There's a Place (小林)コンサートで、特にジョンは、よく進行を忘れていたので コペンハーゲンのステージから ポールのベースの横にカンペを貼るようになったそうです
□ビートルズカレンダー(4月1日) ・1970年 〜ビートルズのメンバーがスタジオに現れた最後の日 夜7時、やってきたのはリンゴ一人、 「The Long Winding Road」「I Me Mine」他、3曲を録音 フィル・スペクターが、あれこれ騒いで大変だったが リンゴは、スタジオの袖にフィルを連れて行き 「おとなしくやろうよ」となだめる なお、フィルは現在、女優の卵を殺害したかどうかで裁判中 〜 The Beatles / The Long and Winding Road (小林)後にポールは「Let it Be...Naked」でやり直してます でも、これが落ち着くっていう人が多いですね
・1964年を、忙しさの中で過ごしたビートルズ 訪米、映画、レコーディング、ツアー そして、8月28日 ブライアンとメンバーの5人は、NYでボブ・ディランと会う フォークの人気シンガーとして既に有名で、世代も一緒だったディラン 特に、ジョンは魅力を感じていた 「何を飲むのかな?」 「安いワインを頼む」 この言葉は、新鮮に思えた ルームサービスは高いものを頼むものと相場が決まっていたのに 自分の好みで、好きなものを頼んだディラン ジョン「コイツは大人だ、お膳立てされている俺たちとは違う」 そしてディランは、マリファナ入りのタバコを差し出した ブライアンも含め、これが最初のマリファナ体験だった 「え、やったことないのかい? 抱きしめたいの歌詞はどういう意味なんだ?」 そして、"I can high" の部分を "I get high"に変えて マリファナの歌にしてしまったのだ 〜 Bob Dylan / Subterranean Homesick Blues 〜 The Beatles / You've Got to Hide Your love away (小林)ディランの影響が強く感じられる、ジョンの歌でした
・マリファナの手ほどきを受けた5人 ディランは、ドアがロックされていることを確認すると 臭いが廊下に漏れないよう、ドアの下に濡れたタオルを挟んだ 慣れたものだった ジョンは、最初吸い込まず、まずリンゴに恐る恐る手渡した 手にしたリンゴは、笑い出した そして、他のメンバーたちも口にし始めた ポール「そのときぼくは、はじめて『考える』という言葉の意味が分かったんだ」 それが原因で、将来牢屋に入れられるとは考えてもいなかった 次第にマリファナは、ポールやジョンが書く歌詞に大きな影響を与えることになる ポール「彩りが加わったんだ そして、どんな壁も打ち破ることが出来るともね」 こうしてビートルズは、アーチストとしても変わっていく 〜 The Beatles / Help! 〜 George Harrison / When We was Fab (小林)最後は、いかにもジョージらしいよね インド風でね ヘルプ!は、今までと同じように見えるけど、内々的な歌で ここから変わったんじゃないのかな ジェフ・リンがプロデュースした〜Fabですけど wasって、学校じゃ怒られますけどね、wereじゃないかって
□リクエスト ・中学生の頃好きだった、バグルスの曲のCDを買いました ところで、バンド名のバグルスは、ビートルズのもじりではないでしょうか? 両方とも、虫であること、Bで始まり、lesで終わるところ、辞書にない言葉であること 克也さん、どう思いますか?(船橋市/男性) 〜 The Buggles / Video Killed The Radio Star (小林)半分当たってると思いますよ トレバー・ホーンは、そうだよと言わないと思いますけど
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1964年8月、NYのホテルでボブ・ディランと再会したビ−トルズ ボブは、彼らにマリファナを勧めた 彼らは、同世代のボブの生き様にも感銘した ボブは、田舎者のビートルズに比べると都会的で大人だった 彼の存在は、ジョンやポールの曲作りに大きな影響を与えた そしてポールは、依存症と言えるほど、マリファナとの付き合いが長くなる 「視覚に色彩感が加わったんだ」 それは、彼のスタイルを極めていったといっても過言ではなかった 「腰を下ろして、気分が乗ってきたらギターを構えて そしたら、ばっちりというわけ 出だしのコードを見つけたら、もうそれでOKさ」 こうして彼は、最高峰の曲を生み出すのである 〜 The Beatles / Mother Nature's Son 〜 The Beatles / I've Just Seen a Face (小林)この歌はあまりかからないね かかったのは2回目だね
・ボブからの影響で教えてもらったマリファナは良い方向に作用し 最も重要なものとなるあの名曲を生むことになる その曲は、恋人ジェーン・アッシャーのベッドルームから突然生まれた 朝、ポールは突然ベッドから飛び出して、ピアノの鍵盤に手を置いた 「『今、一曲出来る!』という気持ちが沸き上がってきて そしたら、するすると魔法のように出来上がったんだ完璧だったんだ」 しばらく、それが本当に自分が書いたものかどうか半信半疑だった 「実は、誰か他の人の曲で、知らず知らずのうちに自分が真似してしまったのかと思ってた この歌、何て歌だっけ?って他の人に聞いても 『いや、聞いたことないよ。すごく良い曲じゃないか』と言われるだけだったんだ」 彼は、その曲に「スクランブルエッグ」という仮の題を付けていた 歌う時は「♪スクランブルエッグ(炒り卵ちゃ〜ん) キミの足はとてもキレイだよ」 という意味のない歌詞で歌っていた その後、歌詞は書き換えられた 「♪以前のような半人前の男じゃないんだ」そこに彼の気持ちが込められていた そして、1965年6月14日、曲は録音された 23歳の誕生日の4日前だった 〜 The Beatles / The Night Before 〜 The Beatles / And I Love Her
・じっくり楽しく聞いています ポールの話は、知らなかったことだらけで、毎週聞き逃せません 夜のお話もあって、夫と二人で無言になってしまうこともあります この時期になると、なぜか聞きたくなる曲があります カーペンターズの歌は、春の歌そのものです 桜とかそういう直接的なものを歌うより、私にとっては春の歌なんです(江東区/女性) 〜 Carpenters / Close to You (小林)たまに聞くから良いのであって、ほんと甘ったるい歌詞なんだよね いや、文句を言うのはやめましょう
・ビートルズも好きですが、ザ・バンドも好きです バンドが好きというと、地味だとか渋過ぎとか言われます あの、言葉では表せないようなサウンドが好きです 同じ世代のロックファンにも、伝えたいです(神奈川県/男性/19歳) 〜 The Band / The Weight (小林)ボブ・ディランのバックも務めたですから どこかビートルズとつながってますね この人、19歳ということですが たしかにその年じゃ、地味とか渋いとか言われるかもしれない
□ポールの目から見たビートルズ史? ・ポールが神様から授かった名曲「イエスタデー」は、大きな評価を受けた アメリカチャートでNo.1を獲得 2,500人を越えるアーチストがカバー 取り上げたアーチストは、有名どころで フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、ジャン&ディーンなど、そうそうたる顔ぶれ ラジオでの放送回数は、500万回を越えた ポールの最大のライバル、ジョンまでもが体を震わせ 「良い曲じゃないか、素晴らしいよ」と叫んだ しかし、だからといってビートルズが ポールのワンマンバンドになったというわけではなかった 初めての主演映画「A Hard Day's Night 〜 ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」で ひとりでどてっぷちを歩くリンゴに人気が集まった そして、自然体でユーモラスな映画俳優、リンゴ・スターの世界が確立されていった 〜 The Beatles / This Boy 〜 The Beatles / Mr. Moonlight (小林)初期の名曲をお送りしました
□リクエスト ・小学校高学年でビートルズを知り 中学校でKISSのとりこになりました どちらも好きですが、何がが違うんです 二つのバンドは、イギリスとアメリカなのに似てるように感じていたんです 最近分かったんですが、どちらのバンドも全員が歌えるんです(船橋市/男性) 〜 KISS / Rock And Roll All Nite (小林)最近の人は、カメラのCMのアレで知ってるのかも分かりませんが で、この意見ですけど、そういえばそうですけど ひとそれぞれ、いろんなひとがいるんだなと感じました ある意味では正しいし それだけ、似てないところが多いのかもしれない
・この前英会話教室で、イマジンの歌詞穴埋め問題をやらされました(四街道市/女性) ダイアナ妃を追悼するイベントで、ビートルズの楽曲を出演者全員で歌う そうですが、何を歌うのでしょう?(千葉市/女性) 〜 John Lennon / Imagine (小林)何を歌うんでしょうね イマジンじゃ、サマにならないと思いますけどね
・まだ20代前半のポールだったが おかしな奇行が目立つようになっていた 家の中は荒れ放題 しかし、例の瞑想室は着工されず仕舞だった それは、ポールがいかなるプロの勧めも聞かないからだった ポールには、あまりにもそれが馬鹿げたことに思えた 彼は、自分がセレブであることの象徴が欲しかったのだ その後ポールは、牧場を購入した 183エーカーにもわたる膨大なものだ 彼は、庶民的な街で知り合った連中よりも、自分のファミリー以外の者と交流を持ちたがった メンバーやブライアンと親密な関係になることを拒んでいた パーティーに出向けば、有名な出席者との交流に努めた 影口をたたかれるようになるが、ポールは気にも留めなかった それどころか、ポールの上流思考は、日に日に上昇していくことになる 彼は、ますます孤立していった 〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money 〜 Paul McCartney & Wings / Mull of Kintyre (小林)ポールだけはロンドンの高級なところに家を買って メンバーのところに遊びにいくようなことはなかったそうです
・ポールは、父親のジム・マッカートニーをロンドンに呼んだ ジムは、自分の息子が貴族階級と交流を持っていたことにびっくりした ポールは、父親に話した 「お父さんたちのおかげで成功できた、ぼくは感謝している それで、相談なんだけど、そろそろ隠居して、そろそろ広い家に住まないかい?」 てっきり、反対されると思っていたポールにとって、返ってきた答えは意外だった 「ありがとう、そうさせてもらおうかな」 ポールは、その豪華でバスルームが3つもある屋敷に ジムと弟のマイケルを住まわすことにした リバプールから、一等地への引っ越しだ ポールは、そこに頻繁に訪れた 日曜日には、ジムとランチを共にすることもあった 絵に書いたような孝行息子である しかし、そこにポールの最愛の女性である母親のメアリーだけはいなかった 〜 The Beatles / Let it Be 〜 The Beatles / Fool on The Hill (小林)名曲ですね
・先日の「ペイパーバック・ライターの意味は?」に感心してしまった初心者です ところで、YUIの出した新曲のタイトルが「Can't buy my love」でしたが 「Can't buy me love」とどう違うんでしょうか?(佐倉市/男性) 〜 YUI / Can't buy my love (小林)私の愛は買えないよ〜だ!と言ってるような感じでしょうか これはなかなか良い曲だよ!
・ポールと親しくなっていたタラ・ブラウンは 大金持ちとは言え、ヒッピーのはしりのような青年だった タラは、ポールのイヤな部分に気がついていた 彼は、いつまでたっても、自分をさらけ出そうとしないのである 仲間内の雰囲気は、次第にぎくしゃくしていった しかし、相手はポール・マッカートニーである 気を使わないわけにはいかない タラたちは、目の前にいるのは、ポール・マッカートニーではなく 「ポールが自分をこう見て欲しいと思っているポール」じゃないかと気がついた ポールは、常にバリヤを張り巡らせていた やがて、ポールは孤立した 最終的に、タラはポールから距離を置き ローロング・ストーンズのブライアン・ジョーンズに近づいた 素朴だったポールに比べると、ブライアンは生粋の不良青年だった タラは、すぐに意気投合した 1966年12月18日、タラ・ブラウンは、愛車のロータスを運転中に命を落とした わずは20数年の命だったが、ビートルズへの影響は計り知れないものがあった ビートルズは、彼への哀悼として、アルバム「Sgt〜」の中の 「A Day in the Life」で、こう歌っている 「彼は、信号に気がつかずに、車ごと吹っ飛んでしまった」 〜 The Beatles / A Day in The Life 〜 The Beatles / All I've Got To Do (小林)可愛らしい曲だね
□リクエスト ・以前、リクエストした時にもらった石井食品の詰め合わせですが 「プロの口に合うがどうか」と言われましたが それどころか、ごはん三杯いってしまいました 今度は、公開録音にも行ってみたいです 定休日の火曜日だとありがたいのですが(世田谷区/男性・焼き鳥屋さん) 〜 Ike and Tina Turner / Proud Mary (小林)アンテナ建てて聞いてくださってるそうで ありがたいことです いい曲だよね〜 CCRもやっていて、彼らのバージョンもスゴいんだよね
・ビートルズに恋して34年になりました 最近、番組の中で初期の頃の話が出ますが ビートルズの初期ドラマーのピート・ベストは どうして、やめてしまったんでしょう? 実際、ピートはドラムがうまかったという話もあるようです 追い出された後、Pete Best Fourというグループを作りましたが このグループの曲は聴いたことがありませんので、お願いします(佐倉市/男性) 〜 Pete Best Four / I'm Gonna Knock On Your Door (小林)いろんな話があって ポールが、彼を嫌いだったとか ポールはハンサムだけど、ピートはもっとハンサムで メンバーの中でも一番人気があって、キャヴァーンクラブでも声援が一番多くて それに焼きもちしたとかね ドラムは、リンゴよりうまかったというのが定説ですね それから、彼のお母さんがいろいろ口を出すのも ジョンとポールが気に入らなかったという話もあります また、ジョージ・マーティンが「あいつはレコーディングに使えない」 と言ったという説もありますが、どれが本当か分からないですよ
・MBE勲章授与の場でも、ジョンはいつものペースでいどんだ 一応は、不良ロック青年を気取っていたが 実際は、いたずらをする子供みたいでかわいいものだった こういうイメージは、マネージャーのブライアンの戦略で ジョンは、あまり嬉しく思っていなかった 単に、グループの汚れ役を担っていただけなのだから それも当然である しかし、もしマリファナのことがバレたら 北アメリカでのビジネスは暗礁に乗り上げていたに違いない そのツアーだが、メンバーにとっては最大の楽しみだったし 特にポールに取って、ファンの前で演奏するのは至福の喜びだった 後にポールはこう語っている 「ファンの前で演奏するのは、サッカーのワールドカップで戦うようなものだった 観客は、全員応援してくれて、女の子は失神するんだからね ときどき、皮肉を言われたりもしたけど、どうでも良いことだった 喜びはそれしかなかった、それがすべてだったんだ」 〜 The Beatles / Sgt. Peppers Loneley Hearts Club Band 〜 The Beatles / With a Little Help from My Friends
・ツアーから帰ると、ニューアルバムの録音、映画撮影、そしてまたツアー さすがのポールも、いよいよツアーがうっとうしくなってきた ジョンに至っては、それを悪夢と呼び始めていた メンバーたちは、ぼーっとしたまま、世界中を廻った それでも、もちろん会場は大声援 この夜のものとは思えない、30分の悪夢が続いた ポールのワンツースリーというかけ声や、ひどい時にはリンゴのドラムの音も聞こえない コーラスに関しては、勘に頼ってやるしかなかった あるとき、ジョンのいたずら心で、歌詞を卑猥な言葉に変えて歌ってみたのに、反応はなかった ジョージ「ビートルズをやってる時は、いつもハタチの気分だった これが永遠に続くように思えていた。 でも、外から見たら、楽しく思えたかもしれないけど、僕らはそれを見たことがなかったんだ」 ツアーでのビートルズは、完全に隔離された状態だった 飛行機、ホテル、マリファナパーティー、巨額のギャラが入った茶封筒、商売女 その繰り返しだった それが、ツアーでのビートルズそのものだった 〜 The Beatles / Being For The Benefit of Mr. Kite!/I Want You (She's So Heavy)/Helter Skelter (Love) 〜 The Beatles / I'm Looking Through You (小林)ラバーソウルが一番好きっていう人は多いですね ジョージの発言ですが、実は間違っているんですよ 一般の人たちの感じ方を、ビ−トルズは知らないんですよ 逆に言うと、かわいそうな感じだってことですかね
□リクエスト ・千葉に戻ってきて、また聞くことが出来るようになりました 戻ってきたので、Back in the USSRをお願いします(市原市/男性) 〜 The Beatles / Back in the USSR (小林)ビートルズから始まるじゃなくて ジェット音から始まります 昔の歌をポールが歌うと、楽しいリズム&ブルースになるんですが これをジョンが歌うと、まったくニュアンスが違ってくるんですよね 影のある、いわゆるロックになるというか
・ひとりぐらしを始めて、番組を聞くようになりました 父がビートルズ好きで、反抗期にはビートルズなんかキライと思いながら 今は好きになっています(市川市/女性/25歳) 〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun (小林)お父さんに言われてたんですかね 「お前には、Happiness is a Warm Gun は分からないだろうな」とか ジョンのちょっとぶっ飛んだ曲です それにしても、「幸せは暖かい銃」って、コピーライターみたいですね 後期は、こういうわけの分からない曲が多いのもビートルズの特徴です
(小林)時々考えるんですが、40年ぐらい前の物語や曲を届けてるですけど 古いことをやってるのに、全然古く感じないんですよ 今とつながってるというか、 今日、Being For The Benefit of Mr. Kite!をかけましたが あの中に、桑田佳祐の「東京」が隠れていたの、気がつきましたか?
□ビートルズカレンダー(5月27日) ・1966年 〜ロイヤル・アルバート・ホールで、ボブ・ディランのコンサート開催 ディランが泊まっていた、メイフェア・ホテルへ行き ローリング・ストーンズのメンバー共々、ロンドンのドリーズ・ナイト・クラブへ遊びに行く 〜 Bob Dylan / Like a Rolling Stones (小林)長い曲だよねー 最近のラジオでは、全部かからないんだけど ビートルズがボブ・ディランに影響されたって何度も言ってますが それは何も、歌い方とかだけじゃなくて ボブ・ディランなりの、世の中とか人生を見る目ってのがあるんですよ ジョンは、それにかなり影響されてます 例えば「レボリューション」なんかも、そういうところがかなりあります
・いつも元気ですが、秘訣は何ですか? 少し前に、「ユー・アー・ビューティフル」という曲がはやりましたが ビューティフルといえば、この曲です(船橋市/男性) 〜 Joe Cocker / You are so Beautiful (小林)5人目のビートルズと言われた、ビリー・プレストンが作った曲なんですよ 機会があったら、彼のバージョンも聞いてください 歌唱力からいったら、こちらにはかなわないんですが 本当に、絶望的な歌い方をするよね
・退屈な演奏メニュー、カゴの鳥のようなホテル生活 嫌気がさしたビートルズは、コンサートツアーに終止符を打った 場所はサンフランシスコ、キャンドルスティック野球場 この三年間、ビートルズは最高の位置に君臨し、色々なジャンルを越えて、最も顕著な成功例だった それは、希望と野心そのものであった しかし、ツアーをしていた3年間に、世界は変化を告げている アメリカはベトナム戦争で落ち込み、イギリスも不況、ソビエトや中国は鎮圧 ビートルズに関しても、それは影を落としていた 天性的な作曲のひらめきやテクニックも、こうした状況に対応していかなければならなくなった ファブ・フォーという呼び名や髪型も、今では古びた感じになっていた ビートルズに対し、大きな変貌の時期が訪れていた 〜 The Beatles / Got To Get It Into My Life 〜 The Beatles / Across The Universe (小林)ポールとジョンの代表的な曲が続きました
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1966年8月、心底疲れ果てたビートルズはライブに終止符を打った 長い夢を見ていたようなものだった ジョンとポールは、その夢からなかなか抜け出せないでいたが それでも、この上ない喜びであることは間違いなかった ジョージは、映画「Help!」の小道具部屋に置いてあった シタールに興味を示し、ラビ・シャンカールに教えを請うため、インドまで出かけた 「これだ、何もビートルズのメンバーでいることだけが、俺の道じゃない」 リンゴは、ナイトクラブに身を投じた 一方ジョンは、自宅にこもったまま、出なくなった 昼間はテレビを見続け、夜は夜でいけないことと知りつつ 強烈な違法なものに身をそめてしまう始末 タラ・ブラウンに影響を受け、サイケ色にペイントした ロールスロイスでロンドンの中心地に乗り込んだりもしたが 退屈な空虚な毎日だった 〜 The Beatles / It's Only Love 〜 The Beatles / Don't Let Me Down (小林)ビリー・ブレストンが担当した「Don't Let Me Down」 「Get Back」のB面でしたね ジョンだけがダメなんですよね で、ジョンは太り始めるんですよ この頃の自分を、ジョンは「ファット・エルビスの時代」と呼んでいます
・やっとツアーから解放されたビートルズ それが、ジョンにとっては裏目に出た 引きこもりとドラッグで、精神状態を良くない方向に持っていった ポールは、イエスタデーで一人前 ジョージは、シタールで自分の道を歩んでる リンゴは、いつでも明るい 俺なんかよりも過酷な道を歩んでいたはずだし、ものすごいタフだ 彼なら役者になっても、カミさんと美容院を経営してもうまくいくだろう この世界は入れ代わりが激しい 世間はもう、ビートルズなんて忘れているかもしれない どこへいけばいいんだ、ラスベガスか? しまった、ツアーをやめるんじゃなかった、もう遅い ジョンは、お笑いタレントに転向することも考えた プレスリーでさえ、死ぬほどくだらない映画を大量生産している 30歳になった時、自分はロックンロールスターでいられるのか? ジョンは自宅で、悶々としていた 〜 The Beatles / Bad Boy 〜 The Beatles / Run for Your Life
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1966年8月、ツアーをやめたことでビートルズには時間が出来た この時間が、逆にジョンの心を悩ませた 果たしてツアーなしで、自分はやっていけるのか エルビスのように、くだらない映画スターになってしまうのではないか ジョンの悩みは、人間関係にもあったのである 一方、ポールには、そういう悩みは微塵もなかった 創作意欲が沸いて沸いて仕方がなかった ポールは、頭の切り換えのうまい人間だった 彼の頭は、はち切れんばかりになっていた 恋人ジェーンの影響もあり、文化面における自己改革も怠ってなかった 芝居、映画…、彼のどん欲さはスゴかった 映画「二人だけの窓」の音楽も担当し、もはや彼は単なるロックスターではなかった 人気歌手クリフ・ベネットが「Got To Get You Into My Life」をカバーすることになると ポールはすすんで製作に加わり、イギリスで6位を記録するヒットをとばす ポールは音楽を作りたくて、作りたくてしかたがなかった 今すぐにでも、メンバーを呼び寄せたかった 〜 The Beatles / Got To Get You Into My Life 〜 The Beatles / Im My Life (小林)おなじみの曲ですね その前もポールのイキのいい曲です
・ビートルズ、最大の名アルバムである「サージャント〜」 プロデューサーのジョージ・マーティンは語っている 「あれは、実験の時期だった」 こうした、実験的な意味合いが強いアルバムに、ジョンは疑いの念を抱いていた 「今までのビートルズのファンはどう思うんだろう?」 今まで応援してくれていた、ファンの許容範囲を越えてしまうんじゃないか? そんなジョンの心配は、ポールが押し切ってしまった ポールは、ビートルズの音楽をこれまでにないぐらいの頂点に持っていくことを目標としていた 当時を思い出して、ポールは語る 「アルバムのコンセプトは、LAから飛行機に乗ってる時に思いついたんだ ビートルズの人格を分からなくしてしまう、そんなのもいいなと思ったんだ」 それまでの音楽業界はといえば、アーチストの尻を叩き ついには捨ててしまうという事務所などに牛耳られる社会だった ポールは、自分たちの進む道だけでなく、ロックの進む道をも示していた ビートルズは、ふたたび音楽の道を歩き出した 〜 The Beatles / She's Leaving Home 〜 The Beatles / A Day in the Life (Love) (小林)これはめずらしく、ポールとジョンの曲が合体した曲です 最後のオーケストラの音に 当時は、みんなガーンときたんですけど クラシックではよくあることみたいですね ポールの部分とジョンの部分は歌い方が全く違いますね
・妻の嫁入り道具の中に克也さんのビデオがありました 「愛だ、愛なんだ!」と言いながら、この曲を歌う姿が忘れられません(江戸川区/男性) 〜 Huey Lewis and The News / Power of Love
・ビートルズなんて、あんまり興味なかったけど 克也さんの解説のおかげで少しずつスキになってきました 日本でいえば、キャロルやクールスみたいなバンドだったんですね(ひたちなか市/男性) 〜 The Beatles / Let it Be (小林)この番組はビートルズから始まるなんて言ってますが 実際には、その前にもいっぱい色んな人がいて ビートルズもその途中だったと思うけど みんながビートルズ好きだったわけじゃなくて 反発した人たちもいるんですよね 「俺たちはビートルズになっちゃいけない」と思ったり ロックでいうと、R.E.M.とかね それも、ビートルズというグループがいたからで そうそう、この映画では、リンゴが作曲する場面がありましたね この曲は、ポールの作品ですが
□ビートルズカレンダー(7月22日) ・1944年 6月22日という説もあるのですが この日、ピーター・アッシャーが生まれます 本当だったら、ポールと結婚するはずだったジェーン・アッシャーのお兄さん ピーター&ゴードンとしてデビューし、ポールに曲ももらいます 解散後ピーターは、リンダ・ロンシュタット、J・Dサウザー、シェールなどのプロデュ−サーとして大成功 ヨーコと別居していた頃に、ジョンがピーターの豪邸を借りていたことも 〜 Peter and Gordon / A World Without Love (小林)ビートルズがやっていたとしても不思議のない曲でしたね
・この頃ポールは、ロンドンの前衛的な音楽に影響されていた テープを逆回しにしたり ── こうした音楽はジョンのものとして知られているが 実際には、ポールがジョンに教えたものである ある日ポールは、バッハの音楽を聴いて感銘を受ける あのトランペットはいったい何なんだ? その音は、今度の新曲のイメージにぴったりだった まだ、曲名は決まっていないが ポールもジョンと同じように故郷の思いを歌にしたいと考えていた こうして、ニューシングル「ペニー・レイン」は完成した 〜 The Beatles / Penny Lane 〜 The Beatles / The Long and Winding Road (小林)フィル・スペクターがこのようにアレンジして ポールが怒ったというバージョンでもありますが 永遠に輝くバージョンでもあります
・ビートルズは、彼氏の影響で聞くようになりました 内容はよく分かりませんが リクエストは曲の柔らかい感じが好きです(国分寺市/女性) 〜 The Beatles / Across The Universe (小林)ぼくは、これ聞いたとき、歌詞が ── ことばが空を飛んでいるっていうんですよね そういう特別な才能を持った人がそういうんだったら 作詞も作曲も簡単なんだろうなって思いましたね
・ビートルズの歴史上、最も優れたアルバムと言われた「サージャント〜」 そこでのプロデューサーは、ジョージ・マーティンからポールへと移っていった もちろん、プロデューサーとしてのポールはまだまだ一年生である ジョージ・マーティン曰く「ポールは、常に感性を持つ、唯一のメンバーになった ジョンはと言えば、自分に関係するところだけやって、後は帰ってしまうタイプだった ジョージも一生懸命やってはいたが、ポールには及ばなかった この頃のジョンはドラッグの大量接種で知覚が鈍ってしまい、身の回りのことに無頓着になっていたが それでもジョンは、あの頃が「エキサイティングで楽しかった」と語っている しかし、死ぬ直前のNews Weekインタビューの中では、こう語っている 「1967年だったか、“ぼくの戦争”を撮っていた頃のぼくは、 ビートルズをやめる口実をいつも見つけていた 実際には、そうする勇気がなかったけど 持ち上げられたヤツは、回りにはやし立てられてダメになっていく プレスリーだって、そうしてダメになった 王様ってヤツは、側にいるヤツにダメにされてしまうんだよ」 〜 The Beatles / I'll Be Back 〜 The Beatles / Fool on the Hill
・アルバムに先駆けたシングル盤を録音していた、それとほぼ同じ頃 「When I'm 64」の録音も進んでいた これは、ポールが15歳の時に書いた、ボードビルソングということになっている アイデアはほぼ出来上がったとはいっても、実際にはまだ、収録する曲をかき集めている段階だった それには理由があった きたる4月5日は、恋人ジェーン・アッシャーの21歳の誕生日で 誕生パーティーをコロラド州で行う予定になっていた ポールは、当然それに参加する予定で、それまでに仕上げないといけなかったのだ 締め切りを自らに科すというやり方は、ポールらしいとも言えた 15歳の時に書いた曲をひっぱりだしたかと思うと たまたまに見つけた道路工事での穴で、穴を埋める(Fixing a Hole)という歌も出来た そうかと思うと、駐車場の管理人とのやりとりから「Lovely Rita」という曲を作ったり そうした曲の中には、裏の意味があるものもあった たとえば、「穴を埋める」という曲は、ファンに関するものである ポールの家を取り囲み、何時間も見守るファンたち でも、何時間立ち尽くそうが、ポールの家の敷居をまたぐことは出来ない そういうポールの冷たい面をも表したものでもある 〜 The Beatles / Fixing a Holl 〜 The Beatles / In My Life
・ビートルズと並んで好きなグループにU2というのがあるんですが 何度聞いても飽きることがありません 克也さんのU2評も聞きたいです(江戸川区/男性) 〜 U2 / With or Without You (小林)え〜、U2はとても好きなグループではありませんが すごいグループだと思います これで良いですが
□ビートルズカレンダー(8月5日) ・1961年 キャバーン・クラブ初めてのアフタヌーンショーに出演 午後のショーにも出演したが、キャバーンはジャズ・クラブだったため、いかにも不似合い 当時マネージャーをやっていたピート・ベストの母が、ブッキングした 〜 The Beatles / Some other guy (BBC Live) (小林)この頃、良くやっていた曲です 他の男が彼女を持って行っちゃった、寂しい〜 っていう単純な歌なんですが、昔は良かったよね
・ビートルズ史上、最高のアルバムと言われている「サージャント〜」の録音中 ポールのあまりのワンマンで身勝手な行動が問題になっていた なにしろ、相手を選ばない オーケストラの手配をさっさと済ませてしまい、ジョージ・マーティンにいきなりアレンジを頼もうと電話をした ところがマーティンは、同じEMI所属のシーラ・ブラックの仕事が入っていた 「30分でいいからきてもらえないか?」 「ポール、行ってやりたいところなんだが、セッションの途中なんだ」 「なんだよ、使えないヤツだな いいよ、他の奴を探すから」 天下のビートルズなので、別のアレンジャーはすぐに見つかり ポールは何事もなかったようにレコーディングを進めた ジョージは困っていた 俺は、王子様の召使いなどではない がさつで無作法な4人組に機会を与えたのは、ジョージだった 技術的な手腕を発揮して、曲作りにもアドバイスした 色んなことを教えたのは、まさしく彼だった しかし、ビートルズは、あの頃とは全く別のものになっていた 〜 The Beatles / I am the Walrus 〜 The Beatles / Within You Without You (小林)ジョンのぶっ飛んだ曲の後に、ジョージの曲を聴きましたが ジョージの存在というのもすごいですよね
□リクエスト ・昔、海賊版で聴いた曲ですが、今では「Live at the BBC」で良い音で聞くことが出来ます 初めてビートルズを聞いてから、30年になります 今から思えば、あの衝撃は、映画「2001年宇宙の旅」で、初めて武器を持って 動物から人に進化したような感じでした こんな私にとって、ビ−トルズは大げさではなく、「神」です リクエストは「Soldier of Love」ですが、Live at the BBCより良い音のものがあれば それでお願いします (小平市/男性) 〜 The Beatles / Soldier of Love (Lay Down Your Arms) (小林)それよりいい奴が見当たりません 昔の曲は、こういうフェードアウトで終わるよね もう言いたいことは終わったから、これ以上繰り返さなくてもいいや みたいな感じで
□ビートルズカレンダー(8月12日) ・1964年 (世界的に売れた年) 初のアメリカツアーを祝い、ブライアンのアパートに色んな人を呼んで大パーティ 呼ばれたのは、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ピーター&ゴードン ジュディー・ガーランド、イギリスの有名なDJなどなど この頃、一番人気があったのはリンゴだったが リンゴはろくに小学校も出てない人だから、ヘンな英語のクセがあって 「今日は忙しい日だったね (It's been a hard day)」というところを 「〜a hard day's night」を言ってしまった もちろん、英語としてもおかしいんだけど こりゃ面白いってことで、ジョンが歌にしたということです 〜 The Beatles / A Hard Day's Night
・ビートルズ史上、最も優れたアルバムと言われる「サージャント〜」で ポールは、プロデューサーとしての方向性を示していた 彼は、自らの創造性に酔いしれていた それに、自分は気づいていなかった アルバム13曲の内、インド音楽の強い影響を受けた「ウィズイン〜」はジョージの作品 3曲はジョンの作品、そして残りの9曲のうち、8曲はポールがひとりで書き上げた ポールは、それまでのロックアーティストとしての成果のすべてを「サージャント〜」につぎ込んだ しかし、その仕事ぶりは、彼のエゴの固まりとして評価を落とそうとしていた 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band ~ With A Little Help From My Friends (小林)架空のバンドが歌っているという設定ですが 「Lonely Hearts Club Band」ってのは、寂しい独身者の集まりという意味合いがあるんですよ
・「サージャント〜」は、ほぼポールのワンマン体勢で進められた それでも、アルバムのクレジットは、以前と同じく「レノン・マッカートニー」だった もちろんそれは、昔からの約束事でもあったが ポールからすると、自分がワンマンでやっていないという世間への提示でもあった 実際、唯一の共作は、「ア・ディ〜」のみだった 他の曲でも、アレンジや歌詞にちょっとしたアイデアを与えあうことはあったが 二人が腰を下ろし、向かい合って曲を書いたのは、これだけである ジョンは、友人だったタラ・ブラウンが愛車のロータスで、交差点に180kmで突っ込んだことを歌にした それに対しポールは、スクールバスに乗って煙草を吹かしたりしたことを そしてさらに、ビートルズ史上初めて、ジョンがオーケストラを使うことを提案した 自信がなかったジョージ・マーティンは反対したが、主導権をもつポールの意見で 比較的少人数のオーケストラでレコーディングが行われることになった ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、モンキーズなど 多くのギャラリーが見守る中、レコーディングは行われた 〜 The Beatles / A Day in the Life 〜 The Beatles / Here, There And Everywhere (小林)「A Day〜」は一曲扱いですが、よく聞くと二曲が同居していますね
・今年はなかなか梅雨明け宣言が出なかったのですが、8月に入ってようやく出ましたね 夏は、川辺でバーベキューをやってます 克也さんの声でこの曲が流れると、夏っていう感じです(土浦市/男性) 〜 The Beach Boys / Surfin' USA (小林)いわゆるクラシックが流れました この頃は、ビートルズとは対極にいたグループだったんです
・ジョージ・マーティンは語る 「サージャント〜は、ビートルズをありきたりのロックンロールバンドから 芸術集団にかえた レコーディングの技術的に考えてみても、最初から最後まで楽しめる 確かな芸術フォーマットにたえうるもの まさに、音楽の彫刻と言ってもいいんじゃないかな」 これまでも「ラバーソウル」や「リボルバー」は、評価が高かったが しかし、「サージャント〜」は、そうした一連のものを高く越えていた まさに、すでにロックというジャンルを越えていたのである 〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamond 〜 The Beatles / Nowhere Man (小林)ジョンの作品が続きました
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1967年の新しい時代を象徴する「サージャント〜」を 完璧に仕上げたポールは、ジャケットにまでこだわりを見せた しかし、その案に待ったがかかった 肖像権の問題である すべてを法的に解決するには、軽く見積もっただけでも100億から200億円はかかる しかし、ブライアンやEMIの意見、にポールは耳を貸そうともしない ポールには、直感的な確信があった ビートルズは、すべてに受け入れられているという確固たる自信があったのである ブライアンは、この件を秘書のウェンディー・モーガンに丸投げした そしてもし、文句を言ってきた人間がいたら、あくまで法的に対処するように指示した やがて、EMIからヒットラーとキリスト、ガンジーだけは外すように指示があった ガンジーは当時、インドに独占権があったのである こうして、EMIも徐々にポールのペースに乗せられてきた 使用許可をくれたのは、わずか半分 アルバムは、発売のその日を待つばかりとなった 〜 The Beatles / Good Morning, Good Morning 〜 The Beatles / You Won't See Me
・ジャケットの件で、頭を抱えるブライアン 防衛策として、アメリカで発売するときは、レコードを茶色の袋に入れることを提案させた こうして、「サージャント〜」は、発売された 発売されるや否や、ジャケットは大きな反応を呼んだ ポップアートとポップカルチャーの地位を高め、レコード業界だけでなく ファッション業界を含め、すべてのビジュアルアートに影響を与えた ポールは語る 「今までのレコードはヒット曲の寄せ集めで、ジャケットはまあよく撮れた写真で それはそれでよかったんだけど、それ以上でもそれ以下でもない 今回のアルバムで、アルバムそのもののデザインが気に入ってもらえて僕は満足している」 そしてそれは、彼らのすることなすことすべてが、大きな影響力を持つことになる始まりともなったのである 〜 The Beatles / Fixing a Hole 〜 The Beatles / Love You To (小林)この時代の感じだよね 穴を直すのがうたになっちゃうなんて
・「サージャント〜」は、音楽と同じぐらいに、ジャケットの影響力も絶大なものとなった そして、ジャケットの写真の意味するところが議論されるようになっていた 評論家たちは、こぞって写っている以上のことを読取ろうとしていた 例えば、花はマリファナであるという解釈 もちろん、そんな意味は全くない それから、レコードの内袋にLSDが仕込んでいるという これに対しては、ジョージがあきれ顔で 「あのケチなEMIが、内袋に一枚一枚染み込ませるわけないだろう」と語っている そして、出来上がったのはマリファナの力だという意見に対し プロデューサーのジョージ・マーティンは 「彼らは当時、マリファナにのめり込んでたし 製作そのものに、影響がなかったと言えばウソになる しかし、もちろん彼らには素晴らしい才能があった ただ、そういう時代の産物であったことは、だれもが認めざるを得ない」 〜 The Beatles / Being For The Benefit of Mr. Kite! - I Want You (She's So Heavy) - Helter Skelter (小林)いかがですか、曲がうまくつながっていたね
□ビートルズカレンダー(9月9日) ・1946年 (大昔、61年前) ビリー・プレストン、テキサス州ヒューストンで生まれる 5人目のビートルズと呼ばれたのは3人 1人はマネージャーのブライアン・エプスタイン もう1人はプロデューサーのジョージ・マーティン そして、もう1人がビリー・プレストン ジョージが色々いじめられていた頃に連れてきた 〜 The Beatles with Billy Preston / Don't Let Me Down (Let it Be - Naked) (小林)ビリー・プレストンはジョージと仲が良いんで バングラディシュの救済コンサートに出てるんですが オルガンを弾くのかと思ったら、踊るんですよ これがイケてます
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1967年、「サージャント〜」が発表された頃 4人は、完全にドラッグに依存していた その中でも最もアバンギャルドなポールは、コカインを常用していた これは、タラ・ブラウンからの影響であることは明白である EMIは、見て見ぬ振りをしていた 本来なら、きつく警告を促すべきであるが、甘やかしたままだった ジョセフ・ロックウッドは語る 「彼らが、ドラッグをやっていたのは、当然気がついていた しかし、金のなる木だったし、ロックミュージシャンが稼ぐ額をはるかに越えていた だから容認したんだm悪いことだと知りながらね」 これらのことは、プロデューサーのジョージ・マーティンも知っていた そして、「サージャント〜」が発売されたとき、関係者のほとんどにこの件は知れ渡ってしまった なぜか? それは、全曲の歌詞が完全な形で印刷されたことにあった 一見普通のポップスに見える曲にも、どこかドラッグに関わる事実が隠されていたのだ 〜 The Beatles / With a Little Help From My Friends 〜 The Beatles / Being for The Benefit of Mr. Kite! (Anthology 2) (小林)歌詞の件ですが、「“友達”が助けてくれたって」のは何なんだ? ってなってくるわけです
・アルバムが発売されてから、ちょうど40年となる今年 ポールは、インタビューに答え語っている 「サージャント〜のレコーディングにとりかかるまでは こんな自由なやり方でアルバムを作れるなんて考えたこともなかった」 しかし、ジョンは、引きこもりの時代を引きずっていた 家に閉じこもり、テレビはいつでも付けっ放し 精神分裂病状態で、完全に立ち直ってはいなかった しかも、ドラッグの服用により、健康状態も良くなかった そこに、テレビからコーンフレークのCMが流れてきた コーンフレークのCMは、健康をうたい文句にしていたが それに、不健康きわまりないジョンが反応した そして、「おはよー!おはよー!」という一曲をもたらした 〜 The Beatles / Good Morning, Good Morning (Anthology 2) 〜 The Beatles / For You Blue (Let it Be - Naked)
□リクエスト ・昔から、お世話になってます 克也さん司会のベストヒットUSAをよく見ていました 当時の曲を聞こうと思いましたが、何しろカセットなので伸びてしまい、聞くことが出来ませんでした 歌詞の意味など知らずに、ただ真似していたのを覚えています(守谷市/男性) 〜 Asia / Heat of the Moment (小林)この頃、地名のグループが多かったね ヨーロッパとか、ボストンとか…
□リクエスト ・克也さんとの最初の出会いは、「栄光のロックヒストリー」というロック番組だったと思います これが、洋楽を聴くきっかけとなりました 最終回、ビルボードで一位になった曲すべてをかけるという企画があって それを録音して何度も聞きました 一曲あたり、数秒しかかからなかったので、ビートルズ以外はあまり分かりませんでしたが 克也さん、覚えていますか? その時、最後にかかったのが、デビー・ブーンの「恋するデビー」でした 後で知ったのですが、パット・ブーンの娘だったのですね(市川市/男性/42歳) 〜 Debby Boone / You Light Up My Life (小林)覚えています! パット・ブーンは、養女も含めてたくさん子供がいるんですが デビーは、実の血がつながった娘でして なのに、歌い方が素人っぽいんですよ、それがよかったのかな 何週一位を
・子供の頃は歌詞の分かるグループサウンズがはやっていましたが 中学高校時代、クラスメイトで口ずさむのはビートルズでした(我孫子市/男性/51歳) 〜 The Beatles / I've Got a Feeling
・先日、久々に「ウッドストック」を見ました 当時、私はビートルズ・シネクラブに在籍し、ビートルズ以外には目もくれませんでした バンドの仲間に誘われて、いやいや見に行ったレッド・ツェッペリンの「狂熱のライブ」と の同時上映だったこの映画を退屈しながら見ていたところ ザ・フーの演奏にぶっとび、ジミヘンに圧倒されました それからの私は、幅広く音楽を聴くようになりました ジョー・コッカーが歌っていたこの曲が、ビートルズの曲だったと気づいたのは それから数十年後です(笑)(千葉市美浜区/男性) 〜 Joe Cocker / With a Litle Help From My Friends (小林)この時代の空気が、時代の魂が入っている感じだよね
・ビートルズが大成功を収めていた裏で、ブライアンは苦悩にさいなまれていた このままでは、自分の居場所がない ── 精神的にもマズい状況になって行った 薬の量は、日に日に増えて行く それこそ、薬を食べるように摂取していた そんな中、5年間だったマネージャーの更改時期がやってきた 自分は、追放されてしまうのではないか? 当時、ビートルズの側近であり、後に伝記を書くことになる、ピーター・ブラウンは語る 「ブライアンをクビにしようなんて、とても考えられない 確かに、当初は苦労もしたけど それでも、ブライアンのおかげで9年間のレコード契約も得た 連中も若かったし、何がなんだか分からないまま、突っ走ってきた ツアーに対して熱心なのは、ブライアンだった そりゃあ、ブライアンは悩んだだろう 辛い時期に、ドツボにハマってしまったんだ」 〜 The Beatles / I Me Mine 〜 The Beatles / Fool on the Hill
・ブライアンは、精神的・肉体的にダメージを受けていた プロデューサーのジョージ・マーティンは語る 「ビートルズは、いずれブライアン・エプスタインに、見切りをつけるだろうなと思ってました 4人は、日々成長していましたが ブライアンはいまだに、4人が自分の思い通りになる男の子たちだと思っていたのです それに、彼の薬の量は、尋常なものではありませんでした 寂しい日々を過ごしていたのでしょう かわいそうな人でした」 そんなブライアンに、追い討ちをかける出来事が起きてしまう ビートルズのキャラクター商品の商品化計画に不備があり、損失が出てしまったのだ これには、ビジネスに対してもシビアになっていたポールが怒りまくった ブライアンは、すっかり立場をなくしていた 〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money 〜 The Beatles / Good Day Sunshine
□リクエスト ・物置を整理していたら、懐かしいレコードが出てきました プレイヤーがもうないので、聞くことが出来ません(埼玉県比企郡/男性) 〜 Paul McCartney & Micheal Jackson / Say Say Say (小林)ポールとマイケルが手がけた二曲の内の一曲ですが もともと、ポールの家に「一緒にやろうよ!」と電話がかかってきて ポールがアメリカに行って、レコーディングして、ヒットしています ビデオクリップも印象的で、アメリカの田舎を街から街へ 薬を売って歩くという内容でした
「今日のお客さんのノリは無茶苦茶いいですよね 最後の曲になってしまいました(え〜) もっと聞きたいですよね(ききた〜い)。ぜひ、ぼくのコンサートに着てください。 じゃあ、8月29日にリリースした新曲です。Birth of Treasure、聞いてください。」 〜 K / Birth of Treasure
・ミック・ジャガーと親交を深めていた、ポール ミックは、ポールよりも一つ年下だったが、ロンドンの大学を出たこともあり、とても洗練されていた ストーンズの初期のマネージャーは、ブライアンのもとで修行をした、アンドリュー・ルーグ・オールダムだった オールダムは、ユダヤ人のアラン・クラインの手にマネージングをゆだねた アラン・クラインは、乱暴な点はあったが、腕利きの商売人だった アランは、支払が未払いになっている男の元へ行き、「10万ドルでどうです」と話しかけ、度肝を抜く 「ただ、あなたの経理を見たいんです」 そうして彼は、未払いのお金を支払わせることに成功した 〜 The Beatles / The Night before 〜 The Beatles / She Came in Through the Bathroom Window (Anthrology 3)
□リクエスト ・この間、仕事の都合で6時ちょうどから聞くことが出来ず 途中から聞いたところ、「レボリューション9」がかかっていて、ビックリしてしまいました ラジオを聞いていた人が「ラジオが壊れたのでは?」と思ってしまったのではないでしょうか とても、マニアックな曲が聴けて嬉しかったです この曲がラジオでかかったのは、初めてでは? そう思うと、途中で終わったのに、なんだか安心してしまいました 私もマニアックに行きたいと思います 何が起きてるのだか分かりませんが、歌いながら笑いを抑えられないポールが大好きです(千葉市花見川区/男性) 〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing (Anthrology 1) (小林)におってくるような感じですねー
・ビートルズは、中学生の時に、友達のM君から小田和正さんと一緒に教わりました 先日、実家に帰省したとき、80年代にはやったワールドミュージックを聞きながら (あの頃は、暴力的な音楽を聴いていたなあ)と感慨に耽ってしまいました 最近は、クラシックにはまってるせいでもあります(市原市/男性) 〜 Al Green / Sha-La-La (小林)最近は、キリスト教の仕事にはまっている彼ですが このときの勢いはすごかった! ラジオを通してだと、音圧とか伝わって来ないと思うけど マイクを相当離して歌う人ですね
・ケニー・ロジャースの曲をリクエストしたら、友達から渋すぎると言われました ですが、彼の歌は心にしみる曲ばかりです 忠実な妻のことを歌った、この曲をお願いします(江東区/男性/16歳) 〜 Kenny Rogers / She Believe in Me
・順風満帆のビートルズに比べ、ブライアンはことごとくうまくいかない日々を過ごした そこへ、NYからアランが出現して、ますます立場は危うくなっていた ポールは、毎日のように、ブライアンをしかりとばしていた ブライアンは、精神的に参っていた 昼夜が逆転するばかりか、いつ寝て、いつ起きてるかも分からなくなっていた 廻りの人間は、「明るい時間に見かけることはなかった」と証言している 「サージャント〜」が絶賛で迎えられる中、続くシングル「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」が衛星生中継された これは、まさに画期的なイベントだった もともと、若者のアイドルとしてデビューしたビートルズが、社会的文化的に意味を持った大イベントに出演するのである これは、世界中の大人たちが、ビートルズを受け入れたことになる ポールはこのとき、「ついに、ビートルズは世界を征服した」と確信した 〜 The Beatles / All You Need is Love 〜 The Beatles / You Know My Name (小林)ビートルズの遊びですね 「有名だから、勝手に電話番号探してくれ」っていう...「レット・イット・ビー」のB面でした この頃には、B面というものがありました
□リクエスト ・確率15倍の中から選ばれ、公開録音を見ることが出来ました 開演前に、イクスピアリをウロウロしていた克也さんに握手もしていただきました また来年もお願いします さて、入場料が高騰する中、大好きな杉山さんのライブが見れて良かったです しかも、ポールのソロ曲をチョイスしてくださるなんて、最高です リクエストは、たしか、ジョージとトム・ペティがゲスト出演していたこの曲をお願いします(千葉市花見川区/男性) 〜 Traveling Wilburys / End of the Line (小林)手は固かったよー このグループでは、みんな「ウィルベリー」と名乗ったんですよね
・ジョンについて、しっくりこないことがあります 日本では、ジョンはとても神格化されてますが ジョンは、完璧な人間ではなかったし、もっと人間臭かった もし、ジョンがこれを見ていたら「冗談じゃないよ」とグチでもいいたくなるはずです(住所性別不詳) 〜 John Lennon / Jealous Guy (小林)確かにそうなんだけどね もう、亡くなっちゃったわけだからね もう、50代のジョンや、60代のジョンを見ることは出来ないわけで ポールは逆に見ることが出来る 生きてる人はそうなんですよ ジョンが死ぬまでは、どちらかというとポールの方が6−4ぐらいで評価されてたんですよ 死んでしまったってのは、大きいですよね 聞いていたら、住所を教えてください、石井食品から素晴らしいプレゼントを差し上げます こういう人が本当にジョン・レノンが好きなんだねと感じるよね
□リクエスト ・ビートルズを聴くことが、父によく思われていません 去年の秋頃から、同級生の影響で、ビートルズを聴くようになりました リクエストは、好きなアルバム「リボルバー」からです(住所氏名不詳) 〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing (小林)お父さんに反対されてるなんて、4〜50年前のビートルズみたいですね この番組をBGMにしながら食事をしているという家庭もあるんですが 家庭それぞれということで 良かったら、住所氏名を送ってください 石井食品から、素敵なプレゼントをお贈りします
・受験勉強の息抜きで聞いています と言っても、別れた彼女のことが気がかりです 今頃、彼女も聞いてるんでしょうか?(春日部市/男性/高3) 〜 Hugh Grant & Drew Barrymore / Way Back Into Love
・スネークマンショーの「はい、菊地です」がかかりましたが 以前、リクエストしたのは、ぼくなんです 二回も聞けるとは思いませんでした この番組で、よくかかる曲が、「オブラディ〜」だと思いますが この曲は、いちはやくスカを取り入れた曲だと思います(板橋区/男性) 〜 Bob Marley / One love
・先日、公開録音にいきました 初めて、克也さんが見れたのがよかったです 克也さんは、ファンキーでした(川口市/男性) 〜 Cyndi Lauper / I Drove All Night (涙のオールナイト・ドライヴ)
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1967年夏 ── ポールのLSD発言をかばおうとした、マネージャーのブライアンの発言 「LSDなら、僕も何度かやってことがある」は、却ってマスコミからの攻撃をあおってしまう結果となった こんな内容を、世間が許すはずがない ブライアンは、起死回生とばかりにパーティーを催した サンフランシスコから取り寄せた上物のLSDをふんだんに提供するアシッドパーティーである パーティーは、大盛況の内に行われたが、肝心のポールが参加していない ポールからは、最後の頃になって電話がかかってきた 「せっかくのパーティーだけど、用事があっていけないんだ 次は、もうちょっと早く誘ってよ」 やはり、ポールはまだ怒っている、自分を許してはいない 他のメンバーたちがブライアンを慰めようとしたが、たいしたキキメはなかった (ポールは、来るって言っていたのに) ブライアンは、夜通しつぶやき続けていた 〜 The Beatles / I am the Walrus 〜 The Beatles / The Word (小林)ラバー・ソウルの中に入ってる曲ですが、なかなか面白いよね
・「サージャント〜」が発売された1967年夏 ── ビートルズの絶好調とは裏腹に、ブライアンはドツボにはまっていた ブライアンの主な仕事はツアーを仕切ることだったが 前の年にツアーをやめてからは、まったく自分にお鉢が廻ってこなかった レコーディングは、スタジオプロデューサーのマーティンに任せておけば問題ない それに、最近ではポールのプロデューサーとしての成長ぶりも著しい 3年前には、商品ライセンスの不備で、大損失を負い それに加えて、ポールをかばおうとしての余計なコメント ブライアンは、すっかり立場を失っていた サイケな花柄のシャツを着ても、どこか空々しく見えてしまう すっかり、ブライアンは空回りしていた ポールのいびりはもちろん、他の3人も大切には思っていないようだった ブライアンは、自分の半生を綴ってみた、自伝を書こうと思い、パーティーの席でジョンに相談した ここで、ジョンの意地の悪さが顔を見せてしまった 「タイトルは、『ユダヤのホモ野郎』とか、そんなんでいいんじゃないの?」 ジョンのこの一言が、ブライアンにとって決定的なものとなってしまったのである 〜 The Beatles / Nowhere Man 〜 The Beatles / Till There was Yo (小林)ビートルズの、というかポールの初期の作品 初期の作品ってイイですよね なんか、不意打ちを食らわされたようで
□ビートルズカレンダー(11月11日) ・1968年 (39年前) 「Unfinished Music No.1 / Two virgins」アメリカで発売 ジャケットは、ジョンとヨーコのすっぽんぽんのオールヌード 発売前、ジョンはEMI会長のロックウッドに呼び出され 「ハダカでは売れないだろう、何を考えてるんだ 誰もお前のハダカは見たくない 絶対にウチでは出さないからね」と言われる アメリカでも、店先では茶色の紙袋に入れて売られた 日本では、東芝が「わいせつ物に当たる」と判断したため 発売されることがなかった 〜 John Lennon & Yoko Ono / Two Virgins Side Two (小林)ここらへんで絞らせてもらいます
□リクエスト ・11/17、弟が結婚式を行います 兄の影響か、それなりに彼もビートルズを好きになってくれてます 弟の一番好きな曲は、なぜか「You Know My Name」で この曲をリクエストしようとも思ったのですが 結婚のお祝いという雰囲気でもないので 人生の先輩として、ウイングスの「Listen To What The Man Said」をリクエストします ポールとリンダのように、世界中が認めるベストカップルになってください(千葉市花見川区/男性) 〜 Paul McCartney & Wings / Listen To What The Man Said (小林)(リクエスト者)はスゴいね パソコンから携帯から、アドレスがみんな「beatles」が着いてるんだね 当時は、「あの娘におせっかい」とか、意味のない邦題が着いていましたが
・久しぶりに、学生時代の友人と飲み会をしました 腹を割って話せてとても良かったです この番組の存在も教えてもらいました 友達って、とても良いものですね(霞ヶ浦市/男性) 〜 The Beatles / With A Little help From My Friends (小林)だから、この歌なんだね
□ポールの目から見たビートルズ史? ・サイケデリックムーブメントまっさかりだった、1967年8月 ビートルズは、地球の中心にいた いや、ビ−トルズを中心に地球が回っていた そんな中、メンバーたちはあらたなコミューンを作ろうとギリシャに飛んだ 家族などと一緒に暮らそうと考えていたのだが 目論みは右翼政権により、観光用の宣伝材料に使われそうになったため断念する 次にビートルズが目をつけたのは、インドだった 前の年、妻パティと一緒に、ジョージは訪れていた その際、パティはヒンズー教に魅せられ、精神再生運動の会員になっていた マントラ(教典)までが授けられ、パティの入れ込みようは半端なものではなかった ジョージもやがて、興味をいだいていく もともとは、映画「ヘルプ!」の小道具として置かれてあった シタールが、その始まりだった 〜 The Beatles / Within You Without You 〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
・インドからやってきたマハリシのセミナーに参加するため、列車に乗り込んだメンバーたち この時、ジョンの妻シンシアは、列車に乗り遅れてしまう それは、彼らの結婚生活を表しているようでもあった 最初の夜は、ビートルズのメンバーも、セミナーの規則通り、狭い寄宿舎で過ごさなくてはならなかった 翌朝、ポールは記者たちを集め、声明を出した 「僕たちはこれまでドラッグに依存してきましたが、教えに従い、ドラッグと手を切ります ドラッグはもう、必要ありません あの境地に到達するのです 今、その方法を模索しているところです」 ビートルズがドラッグをやめた? イギリスの新聞としては、トップ記事扱いである これまで、ドラッグを合法化しようと寄付までしてきた ポールの変貌ぶりは、いったい何なんだろう ビートルズは、またもや予測の着かない方法で、世間をあっと言わせたのである それもつかの間、バンゴアに着いたメンバーたちに、スタッフのピーター・ブラウンから電話があった 電話を取ったのは、ポールの恋人ジェーンだった ピーターは、「ポールに、すぐ電話するように伝えて」と話し、電話を切った 公衆電話からかけ直したポールに、ピーターは話した 「いいか、ポール、落ち着いて聞いてくれ 今朝、ブライアンが、ブライアンが死んだんだ」 〜 The Beatles / Sun King - Mean Mr. Mustard - Polythene Pam - She Came in Through the Bathroom Window 〜 The Beatles / This Boy (小林)「This Boy」は、自分のこと 「That Boy」が彼のこと、取られたんですね彼女を
□リクエスト ・みなさんと同じように、夕食を食べながら聞いてます 今日は、少し早いんですが、息子が結婚式をあげるので、これからの幸せのために、この曲をかけてください 結婚式にふさわしく、ジョンがいろんな人の結婚式で歌って欲しいとヨーコも語っていました これから、結婚式でのテープに、この曲を忍び込ませます(住所/氏名不詳) 〜 John Lennon / Grow Old With Me (小林)この時間ってのは、早いんでしょうか、遅いんでしょうか 僕の知り合いの「聞いてるよ!」という人は、ゴルフ帰りに聞いていて ゴルフだと朝が早いから、これぐらいの時間は眠くなるらしいんですよ で、知ってる人間が仕事してるとそれで目が覚めるそうです 目の覚めるエフェクトを使っています、この番組、脱線してしまいました ちょっと、結婚式には間に合いませんでしたが、おかけします 渋い曲でした、結婚式のテープに忍び込ませるということですが コブクロとか、入ったりするんでしょうか?
・ビートルズは詳しくは存じませんが、父の影響で耳にする機会が多かったです 冬には、やはり聴きたくなる曲ですね(柏市/女性) 〜 John Lennon & Yoko Ono / Happy Xmas (War is Over) (小林)詳しくなくても良いんですよ ただ、聞き流しても良いし、勉強しても良いし、僕なんかは、番組やりながら勉強しています これからの季節は、この曲がよく流れますよ ジョン・レノンの天下ですかね、これからは
・「今朝、ブライアンが死んだんだ」 ── そう、ポールに伝えたのは、スタッフのピーター・ブラウンだった もともと、マハリシのセミナーには、ブライアンも誘っていたが ブライアンは、パーティの第二弾を計画していたため、誘いを辞退していた 長旅出来るような健康状態でもなかったし、パーティーをやってる方が楽しいというブライアンの判断でもあった パーティーの参加状態は、芳しくなかった ブライアンは、ピーターたちを別荘に残したまま、ロンドンの自宅に帰ってしまった 土曜の朝、ブライアンからピーターに電話が入った 「ブライアンだけど、今日は夜遅くなるけど、車でそっちにいくから」 「ブライアン、あなたが車を運転するのは危ない 電車にしてください、そんなに時間はかからないし、何時でも待っているから」 「わかった、じゃあ電車の時間が分かったら電話するから」 別荘の夜は、主人を待つだけで静かに過ぎた しかし、真夜中を過ぎても、ブライアンからの電話のベルが鳴ることはなかったのである 〜 The Beatles / Fool on the Hill 〜 The Beatles / Ticket to Ride
□ポールの目から見たビートルズ史? ・「サージャント〜」が全世界で絶賛され、サンフランシスコで始まった ヒッピー、フラワームーブメント元年と言われた1967年 ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが死んだ 死因は、睡眠薬の過剰摂取によるものだった ビートルズを見いだし、襟なしスーツを着せ、きちんとしつけ オーディションを受けさせ、アメリカのエド・サリバンショーに出演させ、空前の視聴率を稼ぎ 主演映画も二本に出演させ、行く先々ではファンで大騒ぎとなり ビートルズは、ブライアンによって、二十世紀最大のアイドルになったのである そのビートルズが、1966年にコンサート活動をやめ、ブライアンの居場所はなくなった それどころか、不注意きわまりないミスが目立ち、ビートルズの、特に、ポールの怒りを買うことになった 日に日に、ポールのブライアンに対する、いびりの度合いはヒドくなった いつの間にか、他の三人もポールと同様に、ブライアンをいびるようになった そんなブライアンにとって、心の支えはジョンであった しかし、そのジョンまでもがブライアンから離れてしまう ブライアンは、アルコールとドラッグに溺れるようになり 32年という、寂しく短い人生の幕を閉じたのである 〜 The Beatles / Here, There and Everywhere 〜 The Beatles / A Day in the Life (小林)まだ、余韻が残っている、すごいねー あ、まだまだ残ってる イスがぎいぎい言ってる 聞くたびに、いろんな音が聞こえるね (エンディングの繰り返し) あ、ちょっと聞こう
■SUNDAY MUSIC STADIUM bayfm 78.0MHz 2007年12月9日(日)17:00〜17:55放送内容 DJ:ALAN J
WINGS / SILLY LOVE SONGS WINGS / MULL OF KINTYRE PAUL McCARTNEY & STEVIE WONDER / EBONY AND IVORY PAUL McCARTNEY / NO MORE LONELY NIGHTS PAUL McCARTNEY / WONDERFUL CHRISTMASTIME
□ポールの目から見たビートルズ史? ・「サージャント〜」が絶賛されていた1967年8月、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが急死した 死因は薬物の過剰摂取で、信じられないことであったが、自分たちがもっと成長することが ともらいになると考えたポールは、自宅にメンバーを集めて次のプロジェクトについて説明した ツアーをやめていた四人にとって、創作活動の欲求は、もっぱらレコーディングであり 特にポールは、すぐにでもスタジオにこもりたい気分だった ポールは、4月に訪れていたアメリカで、アイデアを思いついていた 1台のバスをチャーターして、ビートルズとスタッフと家族が乗り込み、気ままな旅をする この思いつきに、ジョンは良い反応を示さなかった ポールは孤立した ブライアンを失ったビートルズは、既に方向を見失いつつあったのである 〜 The Beatles / I am the Warlus 〜 The Beatles / For No One (小林)「I am the Warlus」は何回も聞くんですが、いろんなものが入っている すごく凝った作品だってことが分かりますね
・ポールが次回作として考えていた映像作品は、「マジカル・ミステリー・ツアー」と名付けられた ジョンは思った(ビートルズは、間違った方向に進んでる) しかし、自分が正しいと思って、真っ先に進んでいるポールを押さえつけることは、誰にも出来なかった そうこうしている内に、廻りが折れてしまうというのが、パターンだったのだ ジョンは思った(作品の出来を決めるのは一般大衆だ、とりあえずポールのアイデアを実現させてみようじゃないか) ツアーのバスは、9月21日の午前に出発した サイケな色に塗られたバスは、行き先も決めず、あてもなく走り続けた その時の様子を、そのままフィルムに収めようというものだ まず、バスはいきなり交通渋滞にあい、そして車内は喧嘩になってしまう ジョンは、かっとなってバスを降り、マジカル・ミステリー・ツアーと書いた旗を破いてしまった まるで、子供である さらには、着いた先で、スタジオの使用を断られてしまった 誰も、あらかじめ予約しておくなどということを考えていなかった もはや、先導を失った船も同然だ ロケは、フランスでも行われた ポールの新曲「Fool〜」の映像を撮るためだったが、パスポートや財布、カメラを忘れてしまい たった2分半の曲を撮るために、4000ポンド(3000万円)を費やしてしまう ポールも、映像作品となると、全くの素人だった 〜 The Beatles / Fool on the Hill 〜 The Beatles / Old Brown Shoe
□リクエスト ・克也さんは、この道を置いては、右に出るものがないです リスナーの方も、幅広く音楽を楽しんでいることにびっくりです 繰り返し聞いては楽しんでいます(四街道市/男性) 〜 Roberta Flack / Let it be me (小林)右に出る人は、けっこういます でも、僕は長いことやってます
・石井のミートボールで育った45歳です ビリー・ジョエルが好きなため、旧ソビエトでのライブをお願いします(住所不詳/男性) 〜 Billy Joel / Back in the U.S.S.R. (小林)彼が「イノセント・マン」を出した時に、NYから生中継をしたことがあったんですが その時に言ってましたね 「自分はビートルズの大ファンで、五番目のビートルズだと思っていた」って
・中学生の時からビートルズのファンです 彼氏外人です リクエストすると良く歌ってくれます(市原市/女性) 〜 John Lennon / Imagine (小林)どうですか いつも思うんですけど、12月に聞くとなんかジョンの味が染み渡ってくるんだよね 夏に聞くよりもいい感じで (彼氏外人です〜の辺りを呼んで)なんかこのへん、外人の話だからなのか、「てにをは」がないね
・ブライアンが亡くなってから数週間後、顧問弁護士のデイビッド・ジェイコブが自殺した 普通に考えれば、グッズのライセンス契約で損失を出してしまったことを苦にというのが妥当なところだが またしても、事実無根の噂が乱れ飛んだ ポールはそれに対し、「それは間違いだ、でもあの二人は信じられないほど、馬鹿なミスをやってしまった それは事実だけどね」と語っている ブライアン・エプスタインがいたからこそ、ビートルズはその価値を見いだしていた ジョンに好意を持っていたブライアンは、ジョンをいつも特別扱いしてきた 中産階級の上品なおぼっちゃんたちという、ブライアンが作り上げたイメージをジョンは毛嫌いしていた これはポールも同様だったが、ブライアンはビートルズを実に見事に操縦していた 彼が死んでから、ビートルズのバランスを撮ってくれるものがいなくなっていた もし、ブライアンが生きていたら ポールが独断で物事を進めることは、なかっただろう あんなくだらない映画を作ることは、なかっただろう バンドがバラバラになることはなかっただろう もし、ブライアンが生きていたら しかし、ブライアンを呼び戻すことは出来ない それどころか、ジョンまでもが、ビートルズを離れようと思い始めていた 〜 The Beatles / Don't Let Me Down 〜 The Beatles / Rip it up ~ Shake, Rattle and Roll ~ Blue Suede Shoes
・ポールが中心となって進めた「マジカル〜」の評判は最悪であった マネージャーのブライアンを事故で失い そして、ジョンまでもが、グループに興味を失いかけていた かつてポールは、ジョンを兄のように慕っていた ジョンとポールが顔を突き合わせていれば、一日に何曲だって出来た ポールはジョンを頼りにしていた そして、ジョンもポールが大好きだった ポールといれば、どんな夢も実現できるという確信があった しかしポールは、グループの中の人間関係よりも、作品の出来を大切に考えた 妥協を許さない姿勢 ── それはプロとしては当たり前かもしれない だが、人とのふれあいに飢えてきたジョンにとって、バンドは家族も同然だった 甘い、青いと言われようが、自分の考えに嘘はつけなかった リンゴもそうだった ジョージに至っては、いつまでも末っ子で、ジョンの弟分だった ポールは、違っていた 成功がすべてだった 〜 The Beatles / Getting Better 〜 The Beatles / You Really Got A Hold On Me
・ブライアンが亡くなり、グループの中で何かが壊れていた それを挽回しようと、ポールはがんばった ミーティングを開いたり、「マジカル〜」を寝る時間をも削って完成させ、楽曲も自らが指揮を取って完成させた しかし、ジョンはそこから離れようとしていた 原因は何も、ポールのワンマン的なやり方だけにあったわけじゃない 悪いことがあると薬に頼ってしまう悪い習慣が、まだ抜けていなかった しかし、もともと自分がリーダーだったグループは、今ではポールだけのもの もともとのビートルズは、ジョンとポールの化学変化が見物だった 初期の頃にねりあげた曲は、二人の友情の賜物と言えた そして、この頃、それからの二人の人生の大部分を占めることになる 二人の女性が、その大事な時期に現れる 一人は、一眼レフを抱えたブロンドの白人女性 そしてもう一人は、全身黒尽くめの奇妙な日本人女性だった 〜 The Beatles / Everybodys Got Something to Hide Except for Me and My Monkey 〜 The Beatles / I am the Walrus (小林)「I am the Walrus」がまたかかっちゃいましたね でも、「Everybodys Got Something to Hide Except for Me and My Monkey」の後にかかると つながりがよかったですね〜
・ビートルズは、ジョンとポールが中心になって売れたバンドという評価は、揺るぐことがない この評価に対して、ジョージは不満を持っていた プロデューサーのジョージ・マーティンは語る 「確かに私が、ジョージのために、時間を割いたことはなかったですね そのことに対しては、申し訳なく思っています ポールには、おすすめのアルバムを貸してやったり 楽譜の書けないポールの思惑を理解してあげ、イエスタデーのストリングスを実現させました」 ジョンにしても、ストロベリー〜で、キーもテンポも違うバージョンを編集してつなげたのもジョージ・マーティンだった 「ジョンとポールは、何時間も飽きもせず、ピアノの前でいろんなフレーズを弾いていました そんな時、僕はちょっとアドバイスしてあげるんです そうすると、すぐに曲が完成してしまう シングルになったアイ・フィール・ファインなんか、典型的なパターンだね」 〜 The Beatles / I Feel Fine 〜 The Beatles / All Things Must Pass (Anthology 3)
□ビートルズカレンダー(1月6日) ・1966年 (42年前) 「We can work it out/Day Tripper」、アメリカでゴールドディスクを記録 がんばれソング、ポールが主に作った曲 中間の「Life is very short〜」の部分はジョンが作った ポールらしさ、ジョンとのチームが良くわかる曲 正月にふさわしい曲ということで 〜 The Beatles / We can work it out
・1967年 ── 既に、コンサートをやらなくなっていたビートルズは レコーディングだけのグループになっていた ジョン、ジョージ、リンゴの3人は、どこか力が入っていなかった どうとは言えないが、やる気が失せていたのである それに対し、ポールは自分の溢れ出るイメージを実現させたくてうずうずしていた しかし、ポールは空気が読めない男ではない 3人のやる気がないことには、うすうす気づいていた ポールは、曲を完成させることで、紛らわしていた バンドをまとめることが自分の役目であると自覚していた 後に、ポールは語っている 「ポール・マッカートニー個人であることより ビートルズのポールでいることが好きでたまらなかった」 この発言には、ジョンと一緒にいる、心地よさも含まれている 根っからのコンプレックスの固まりである、ジョンは複雑だった やつにとって、音楽は人生そのものだ それに対して俺は何なんだ 音楽家になりたいのか、それとも、ただの金持ちになりたいのか そんなくだらないことで悩んでいる ジョンは、日々もがき、苦しみ続けていた 〜 The Beatles / Being For The Benefit of Mr. Kite! - I Want You (She's So Heavy) - Helter Skelter 〜 The Beatles / Here Comes The Sun
□ポールの目から見たビートルズ史? ・「サージャント〜」と「マジカル〜」を発表した1967年 ビートルズの人間関係は、少しずつ崩れていた ジョージは脇役であることに不満を抱き、ジョンは自信喪失のスランプに陥っていた そんな中、ポールだけが自ら率先してバンドを引っ張っていた ── よう見えたが、そのがんばりが仇になった 他の3人にとっては、それはうざいものだったのだ 後にポールは語っている 「僕とジョンは、常に競争し合っていた たしかにジョンは気分屋だったし、ジョンのやる気を引き出しそうと いろんなこともやった ジョンだって、同じことをしていたんだと思うよ だから、ビートルズの音楽はマンネリにならなかった」 ビートルズは、実にバランスの撮れた集合体だった ビジネス的に優れていただけでなく、芸術集団としても大きな評価を得ていた そんな4人がいつしか、歯車が噛み合わなくなっていた こんなのは今までのビートルズじゃない メンバーも心の中では、中の良い4人に戻りたがっていた そんな4人を戻す目的もあって、家族旅行という名目で、インドのマハリシの瞑想にいくことになった 1968年2月のことである 〜 The Beatles / Lady Madonna 〜 The Beatles / Blue Jay Way
□リクエスト ・時代は変われど、ごはん、みそ汁、そして、食後のお茶は変わりません ごはんはビートルズ、みそ汁はツェッペリン そして、僕の場合、このバンドが欠かせません(西多摩郡/男性) 〜 The Oasis / Go Let it Out (小林)気持ちは良くわかりますが ごはんはビートルズ、みそ汁がツェッペリンというのは賛成しかねます
・克也さんお元気ですか、私は40肩ですが元気です 友人が「こいつもビートルズ・チルドレンだから聞け」というのがニール・ヤングです(銚子市/男性) 〜 Neil Young / Heart of Gold (小林)ビートルズ・チルドレンじゃないね、全然 ビートルズが成長してくるじゃないですか、その頃LAで バッファロー・スプリングフィールドというグループが結成されるんだよ ビートルズは、注目していたと思うけどね ニール・ヤングは、ビートルズの中で言うとジョン的だね
□ビートルズカレンダー(1月20日) ・1964年 (44年前) アメリカでNo.1を獲得し、ビートルズ旋風まっただ中 「Meet The Beatles」アメリカで発売 2週間で75万枚発売、11週連続1位 当人たちは、パリのオランピア劇場でバラエティショーに出演中 〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand (疑似ステレオ)
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1968年2月 ── 伝道師マハリシの教えを請うため、ビートルズはインドへと出発 まず、ジョンとシンシア、ジョージとパティが到着 そして、リンゴとモーリーン、ポールとジェーンも遅れて到着した 2月25日には、ジョージの誕生パーティーも催され、親交の印に世界地図が授けられた ジョージにとってはありがたい体験だったが、他のメンバーにとってはそうではなかった ビートルズは、マネージャーのブライアンを失い、人間関係の上でぎくしゃくしていた そんな違和感を元に戻したいという一心で、インドにやってきた インドでの生活は、ハッピーではなかった マハリシは、想像していたような崇高な人間ではないことがわかったのだ まず最初に、インドでの生活に降参したのは、リンゴだった 宗教上などでの違いから、ビーフ、卵はおろか、ポテトまでもろくに食べることが出来ない リンゴは、わずか10日間で、インドから帰ってしまった 〜 The Beatles / Don't Pass Me By 〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby (小林)「ドント〜」は、民族的なルーツも入ってる作品でした
・孤立状態にあったポールにとって、インドは頼みの世界でもあった ビートルズは絶頂のうちに、ツアーから手を引いた ツアーから解放されると、4人は虚脱状態に陥った ジョンはノイローゼ、自信喪失症になったが、ポールは違った これまでは、ステージでの演奏を考えてアレンジしていたが、もうそんなしがらみからは解放される ポールは自ら主導し、どのロックミュージシャンもやったことのない音を作り込んだ それは、人生における快感だった ビートルズは大きな評価を浴び、成功を収めた その成功が、ポールを孤立させることにつながった しかし、ポールは止まらなかった ブライアンが死んだときも、すぐに仕事に戻った それでも、やはり、ここでもやることなすことが、他の3人に理解されない なんとか、ぎくしゃくした人間関係を戻したい そのためには、遠くインドに行くのもいいかもしれない こうしてポールは、インドに望みを託したのである 〜 The Beatles / Back in The U.S.S.R 〜 The Beatles / Get Back (Naked) (小林)「バック〜」は、インドでポールが書いたもの そして、2003年、ファンの間で意見が分かれた「Let it Be ..Naked」に入っていた 「ゲット・バック」でした
□リクエスト ・この番組は私の勝手な解釈によると 後輩たちの音楽を含め、広い意味で音楽を広めるための道しるべではないでしょうか? リクエストは、ザ・フーをお願いします デビュー前はハイ・ナンバーズと名乗り、リズム&ブルースをやっていました ツェッペリンと同様、今もイギリスに現存する ビートルズから派生した一派じゃないでしょうか?(千葉市中央区/男性) 〜 The Who / I Can See For Miles (小林)(道しるべではないでしょうか?に)その通りです! ザ・フーは、ビートルズと同じように二人のメンバーが死んでしまったけど 残ったロジャーとピートは、ツアーをどんどんやっていくと宣言してますね
・先日、番組で「Like a Rolling Stone」がかかっていましたが 日本人でカバーしている方がいますのでリクエストします ご存じない方も多いと思いますが、他の番組ではかからないと思いますので(千葉市美浜区/男性) 〜 片桐麻美 / Like a Rolling Stone (小林)バックでは、ザ・バンドのメンバーや、アル・クーパーとかが参加しています 詩の方は、まったく違う方向に行ってます、こういうアプローチもありだとおもいます もしよければ、どろどろした世界の方も堪能してください
(小林)リクエストではビートルズがかからなかったけど、ビートルズから逃れられないっていう感じで フーは、本国イギリスでは、ビートルズも好きだけどフーも好きっていう、人気が二分されてましたね パフィーは、ちょうど孫みたいな存在 ── 井上陽水と奥田民生が作ってあげたという ── だった Like a Rolling Stoneも変わっててよかった
□リクエスト ・去年はリクエストに答えていただき、ありがとうございました おかげで石井食品のおいしい食べ物をいただくことができました リクエストは、ビートルズの弟分のバッドフィンガーをお願いします(八王子市/男性) 〜 BadFinger / No Matter What (小林)よく、バッドフィンガーのことを「ビートルズの弟分」と言いますが これは間違えてます、全然関係ないバンドなんでね ジョンはこのバンドのことを嫌いだったし、ポールがプロデュースしたというだけです このバンドにケチを付けてる訳じゃなくて、本当のことを伝えたいだけで
・今年(2007年)一年を表す言葉、それは「愛」です 前半は就職が決まらず悶々としてましたが、そんな僕を家族や友達は愛してくれました 就職が決まってからも、みんなに支えられ、今の僕がいます 支えてくれたみんなに、この曲を捧げます(霞ヶ浦市/男性) 〜 John Lennon / Love (小林)この曲で有名なのは、ヨーコがベートーベンの「月光」を弾いていて そしたらジョンが「この作品を逆さまにのコードでやったら、別の曲が生まれるんじゃないか」 と作っていったと みんな、ベートーベンのことをあまり知らないでしょ、「ジャジャジャジャーン」とかその程度で でもこの曲によって、ベートーベンのことを教えてくれるんですよ いい曲って、逆さまにしてもおなじような世界なんです、同じっていったら変だけど
□リクエスト ・毎週録音もして、番組が大好きです 最近、気になったのは克也さんがおっしゃった「ポールはうざい」という日本語です 「うざい」という言葉は、認知されてるんでしょうか? 数年前にはやった「ださい」という言葉は、死語ですよね? 職場で「うざい」などとほざく若者に、殺意を覚える毎日です なんてことを思っているのは私だけでしょうか? 私は古い人間なのでしょうか? 「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます」 と言った鶴田浩二さんは、どう思ってるんでしょうか ジョージの大ファンです(越谷市/男性) 〜 George Harrison / Love Comes to Everyone
・この間、ボン・ジョビのドーム公演に行きました ドームは広い! リクエストは、ボン・ジョビには関係なく、オアシスです(西多摩郡/男性) 〜 Oasis / All Around the World (小林)さっき、バッドフィンガーはポールみたいって言ったけど こちらは、ジョン系のバンドですね リアムは、息子にレノンと名前を付けてるぐらいだもんね
・1967年、ジョンの色覚は、いちじるしく低下していたという見方が有力だった それに対し、ポールは慎重だった 色覚に悪い影響を及ぼしたり、健康を害することは避けていた 俺は絶対に、ジョンのようにはなりたくないというのが、ポールの口ぐせだった 自己意識のなかで作品を作っていく ジョンは、いつしかポールの反面教師となっていた コカインを常用していたかと思うと、それをすぐにやめてしまったり 健康な状態を一番に考えていた サージャントのレコーディングを終え ピーター・ブラウンとクラブをハシゴしていたポールは、バッグ・オ・ネイルズというクラブに入る 酒も入って、すっかり気分が良かったポール そんな中、ブロンドでスラッとした女性に、ピーターが声をかけた 女性の名は、リンダ・イーストマン リンダとポールの、運命の出会いだった 〜 Paul McCartney & WIngs / My Love 〜 The Beatles / Don't Let Me Down (小林)去年、ビリー・プレストンは亡くなりましたが 後半は、彼が引っ張ってますよね
□リクエスト ・中一以来、30年来のファンです 小説を良く読んでいますが、その中にもビートルズは良く出ており、影響の強さを感じます 村上春樹をはじめ、いろいろ読みました リクエストは「ゴールデン・スランバー」をお願いします 「アビー・ロード」のメドレー曲の一部ですが、ポールのまた一緒にやろうよという声が聞こえてきます(笠間市/男性) 〜 The Beatles / Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
□リクエスト ・いつも、お風呂の中で聞いています ビートルズに特に思い入れがあるわけではありませんが、彼らの人生を一つの伝記としてして楽しんでいます 歌手名も曲名も分からないのですが ポールがロシアの民謡を参考に、女性歌手に提供したという曲をお願いします(住所性別不詳) 〜 Mary Hopkin / Those Were the Days (小林)ポールがプロデュースして、大ヒットさせています ビートルズのファンでしたら、知っていると思いますけど 昔風の奴を作る名人ですね
・何度かリクエストしましたが、一度も読まれたことがありません 今時、ビートルズのファンなんて、そんなにいないだろうとたかをくくっていましたが 年末のイクスピアリからの公開録音も毎年からぶりで、人気を思い知らされました ビートルズ専門のライブハウスも満席状態で、フィーバー&シャウトしてきましたが そこで、リクエストしてもかなわなかった、ビートルズの、いやジョンの「アイ・ウォント・ユー」をお願いします リクエストは最後までかけてくださいね、チュッ(柏市/男性) 〜 The Beatles / I Want You (She's So Heavy) (小林)いやー、最後までかかるかなー? 〜いかがでしたか? 約6分かけました ここまでかければ合格だね?
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1967年5月15日 ── ポールはロンドンのクラブ「バッグ・オ・ネイルズ」でリンダ・イーストマンと出会った 長身でブロンドの美人であるリンダは、動物とカメラとロックンロール音楽に囲まれて育った 50年代当時のハイスクールライフを経験した女性である リバプールで育ったポールは、リンダにあこがれを抱いた リンダは、ただのロック好きには終わっていない ミュージシャンを中心に写真を撮る、カメラマンでもあったのだ ポールは、ジェーンとの関係にはスリルを感じていなかった 彼を世の女連中が放っておくわけはない なのに、なぜかリンダには、強く惹かれた しかし、その夜のポールは、運命的なものを感じていた ビートルズの中で孤立したせいで、人恋しくなっていたのかもしれない リンダには、自分をさらけ出して話すことが出来た リンダも聞く側に廻った 馬があったのである そして二人が、ロンドンの街に消えて行ったのはいうまでもない 〜 The Beatles / And, I Love Her 〜 The Beatles / Eight Days a Week (小林)いかにもビートルズらしい作品です
・業界人だけを集めた「サージャント〜」お披露目パーティ ポールとリンダの二人は、アイコンタクトだけで気持ちは通じていた そしてこれ以降、ポールとリンダがこっそり会っている姿が目撃されている 重役会議に参加するため、ポールがLAにやってくると リンダも自腹で飛び、記者会見の最前列で撮影した これには、ポールも心を動かされた つき合っていたジェーンは育ちが良すぎて、自分の方から迫るなんてことはあり得ない リンダの行動力は、新鮮そのものだった これが、噂に聞くアメリカのキャリアウーマンか こんなの映画の中でしか見たことない! しかし、女好きのポールは、相手を一人にしぼったわけではなかった 数々のロックスターと浮き名を流していたウィノナ・ウィリアムス ディビッド・ボウイやジミ・ヘンドリックスも含まれているという噂であるが ポールは自分の欲求を満たすため、彼女をバンガローハウスに囲っていた 〜 The Beatles / Hold Me Tight 〜 The Beatles / Good Morning, Good Morning
□リクエスト ・このところ、ヨーコ、リンダ、パティといった女性がエピソードに登場していますが みんな、ただ者であるはずがありませんね とくにヨーコさんは、日本人という事もあって、我々にとてビートルズをより身近にしてくれた人ではないでしょうか? そのヨーコさんが、最初はポールに近づいたという話を聞いて、びっくりしました ヨーコさんの功績は、称賛に値すると思います(横浜市鶴見区/男性) 〜 The Beatles / All You Need is Love (小林)話の方で、どうして会話の内容まで分かるのかってのがあると思いますが 本人へのインタビューなどで、想像して作ってて、きっと正確じゃないと思うんですよ 半分疑いながら、半分信じて、聞いていただければと思います
・3月2日の放送を聞いて、改めて「洋楽っていいな」と思いました 歌詞の意味や解説まで加えて、放送してくれる克也さんには感謝です 私たちの世代は、洋楽の黄金期を知っています テレビ番組やCMなどで洋楽がかかると、息子たちにタイトルや背景などを説明したりしています 克也さんの番組は、いろいろ解説してくれる そこのところが、聞いていて安心です(松戸市/男性/53歳) 〜 Edison Lighthouse / Love Grows(Where My Rosemary Goes) (小林)いいところついてきますね タイトルは、ローズマリーが行くところ、恋が芽生えるという感じなんですが なぜか日本語では「恋の炎」と訳されていました
□ビートルズカレンダー(3月23日) ・1964年 (44年前) EMIでセレモニーがありました ジェリー&ペースメイカーズ、シーラ・ブラック、ビリー・J・クレイマー&ダコタスが シルバー・ディスクを贈呈されます ここには、ブライアン ── ビートルズのマネージャーの、ブライアン・エプスタインが一緒にいまして ブライアンが始めた、音楽事務所「NEMSエンタープライズ」が彼らを手がけていたということでした 〜 Gerry And The Pacemakers / Ferry Across The Mersey
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1967年8月に、マネージャーのブライアンを失ったビートルズの今後をどうするかを話し合う 重役会議に参加するため、LAに飛んだポールを待っていたのは、ウィノナ・ウィリアムスだった ポールは彼女を囲っていたが、育ちの悪さにうんざりしていた 単なる、欲望のはけ口だった そこに、ポールと面識があるどころか、一夜を共にしていたリンダ・イーストマンが現れた 彼女は、自腹でポールをLAまで追いかけてきており、ポールはそれに心を打たれた ポールは、レコーディングで先頭に立って頑張っていたが その反面、他のメンバーから孤立していた事も事実である クリエイティブの現場は、多数決が通るわけでもない 良い作品を作るためなら、喜んで悪役を担う そんなポールの心に入り込んできた女性がリンダだった お嬢様女優ジェーンとの関係には、何の刺激も感じていなかったポールにとって リンダの存在は、救いの女神だったのである 〜 Paul McCartney & Wings / Band on the Run 〜 The Beatles / Michelle (小林)おしゃれっぽいヤツは、ポールの得意中の得意ですね
・互いに愛を育んだ、ポールとリンダ ポールにとって、リンダはまったく申し分のない女性だった 自分にはない専門的なキャリアもあり、すべてに惹かれていた 子持ちであることはハンディになるどころか、むしろ逆だった ポールは、美人の妻と娘を同時に手を入れる妄想にひたった そんな中、リンダからエアメールが届いた なかには便せんいっぱいに書かれた、心のこもった手紙と、写真が入っていた 写真と言っても、リンダはプロの写真家 ── かなり手が込んだものだった それは、ポールのスナップに、リンダがキスしているようにコラージュされたものだった 母親を亡くして以来、男手一つで育てられたポール 母親をなくした痛手を、その一枚の写真が取り戻してくれた ポールは、心に決めた 自分は、彼女の夫となり、ヘザーの父親になる しかし、ポールは、前の年のクリスマスに、恋人ジェーンとの婚約を正式に発表していた かつては、入り婿状態にまでなっていたポールだったが その煮え切らない態度に、ジェーンの家族が態度を硬化させ そんな中での婚約発表 さてどうしたものか、ポールは板挟みになってしまった 〜 The Beatles / All Together Now 〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (小林)独特の雰囲気があるんだけど クラプトンが入っていても、政策上名前を入れてもらえなかったんですよね その前の All Together Now も、やっぱりいっぱいもらってますね マザーグースから
□リクエスト ・いつも楽しく、そして日曜日が終わってしまう悲しさを紛らわすために聞いています 今回はビートルズではないのですが、ポールと共演していたマイケルのリクエストです 今回もビッグな方と競演しているので、頑張って欲しいです(八千代市/男性/39歳) 〜 Michelle Jackson / Girl Is Mine 2008 with will.I.am
・小学生の頃、下校時刻となるとこの曲が流れました 子供心に良い曲だなーと感じてました 今でも聞くと、当時の思い出が蘇ります(霞ヶ浦市/男性) 〜 Ben E. King / Stand By Me (小林)なかなか粋な学校だね
□リクエスト ・僕も生まれてから38年間、コンサートに行ったことがありません 彼らしくない、ロック調がビートルズの番組にぴったりだと思います(千葉市/男性) 〜 Billy Joel / We didn't Start The Fire (小林)歌詞は、アメリカの歴史の重要な出来事とか人物が、ずーっと羅列されるだけなんですよ で、現代史の勉強になるということで、当時はカセットにして学校に配られたそうです 住所がないので、知らせてください 石井食品から、今晩のハンバーグなどをセットにしてお送りします
フランシーヌはポールに対し、実に甲斐甲斐しく尽くした 彼女の得意料理は、炒めた豆をのせたトーストであったが、ポールはこの味が気に入った 久しぶりに味わう、おふくろの味だったのである そして、ポールがろくにしつけもしていない、ペットたちの排泄物の後始末 これも、フランシーヌは嫌な顔一つせずにやってくれた ドラッグの売人のあしらい方だって、すぐに上手になったし、とにかくポールに対して、彼の望むことは何でもしてあげた まさに母親のような存在であった しかし、フランシーヌは、ポールとのメイクラブに関しては、満足していなかった 彼女曰く「ポールはうまくも下手でもなかったわ、ただ、気持ちが全く伝わってこなかった ポールにとってのセックスは、きっと欲望を満たすためのものにすぎなかったのよ」 〜 The Beatles / I've Got a Feeling 〜 The Beatles / You Like Me To Much (小林)君は僕を好き過ぎる ── 面白いですよね
翌日、荷物を引き取りにやってきたのは、かつてポールが下宿人としてお世話になった、ジェーンの母親であった 皮肉なことに、その荷造りは、騒動を引き起こした張本人であるフランシーヌが手伝っている こうして、5年間続いたポールとジェーンの関係は終わった ロック史上、イギリス史上に残る、王子様とお姫様の恋物語は、悲しい幕を閉じたのである 〜 The Beatles / Yesterday 〜 The Beatles / Don't Let Me Down
□リクエスト ・ビートルズの中で一番バランスのとれていたのはポールでしょう イニシアティブが有り、協調性も有りました リンダが亡くなったときはかわいそうでした 戒めの意味もこめて、手当り次第に女性におせっかいを焼くのは程々にして欲しいので ポール・マッカートニー&ウイングスの「あの娘におせっかい」をかけてください(茨城県古河市/男性) 〜 Paul McCartney & Wings / Listen to What the Man Said
・僕は14歳で、ビートルズ歴1年です 僕はその中でも、ジョージが大好きです この曲を初めて聴いた時、ジョンやポールに全然引けを取らない天才だと思いました ジョージが生きていたら、コンサートに行きたかったと思います でも、その夢は叶いません(山武市/男性) 〜 George Harrison / All Things Must Pass (小林)そうだよねー、ジョージは独特の世界をもってますからね 曲のタイトルも、万物流転の歌ですからね
・先日、シルビー・ヴァルタンのコンサートを聴いてきました とてもすばらしかった、ビートルズのメンバーと同年代のシルビー お茶目なところも有り、親しみを感じました ファンを大事にする方だとも思いました 20曲近く歌っても声の伸びも良く、力強く感じました その中でドライブ・マイ・カーも含まれて、すごく感激しました シルビーが歌っているドライブ〜をお願いします、なければオリジナルで(練馬区/女性) 〜 Sylvie Vartan / Drive My Car (小林)シルビーはね、最初の結婚はフランスのプレスリーと呼ばれたジョニー・アリディなんですよ ジョン・レノンたちと年格好が似ていて、プレスリーからビートルズの影響まで受けてますからね ビートルズのカバーをやるのは当たり前でしょう
・正直、最近までビートルズには興味がなかったんですが 行きつけのうどん屋さんでビートルズがBGMとして流れているのと、この番組のおかげですっかり好きになり ビートルズをより深く知ることが出来て、大変勉強になっています 音楽的な意味でも、プライベートな部分でも謎が多いなーと思い、知れば知るほど奥が深いです その後、彼らがどういう展開をしていくのかとても楽しみなので、今まで通り期待しています(柏市/男性/25歳) 〜 The Beatles / From Me To You
これだけです、どうですか トータルに読むと、ジョンらしいなあ ジョンが学生の頃から書き溜めていた、ちょっとナンセンスなショートストーリー オチがなかったり、普通のオチを狙ったりとか、そういうのじゃないところがものすごくいいんですよ で、彼のイラストもなかなか面白いし、これが発売になった日なんですが ちょうどこの日、アメリカでは本当だったら、ポールの義理のお兄さんになるはずだったかも分からない ピーター・アッシャーが、友人のゴードンと作ったピーター&ゴードン このピーター&ゴードンのために、ポールが曲を提供しました その曲が発売になった日でもあるんで、この曲を聴きましょう 〜 Peter and Gordon / A World Without Love
実はこれは、ビートルズのために書いた曲で、本当はね、50年代のエルビスとかが全盛のときのヒット曲で 「A White Sportcoat and a Pink Carnation」というのがあるんですが それに、訴えられない程度にそっくりなんです で、ジョージ・マーティンは、プロデューサーは「これはやばいよ」ってんでボツにしていたのを ポールがちゃっかりあげたってわけで、アメリカで一位になるヒットになったわけですね、儲け物ですよね さ、そのピーターの妹との話がちらっと今日もあります
しかし、リンダの場合は違っていた ほとんどのポールファンは、リンダのことをまったくもって、良く思っていなかったのである 熱狂的なファンになればなるほど、欠点を洗いざらい見つけては、決定的にけなしてかかった 大体、この時のポールはビートルズの、イギリスいや世界のロックの王子様と言っても過言ではなかった そんなポール・マッカートニーの次の恋人になったとしても、当然受け入れられるはずがなかった ポールは、ビートルズの中でも唯一の独身 それに対し、リンダは子持ちのバツイチ どう転んでみても、ファンが納得するわけがなかった ポールの自宅の前に、ほぼ毎日のように張り込んでは、まるでストーカーか捜査中の刑事のように見張りを続けてきたファンの一人 マーゴ・スティーブンスは語っている 「ある日、初めてリンダって女を見たのよ そしたらあの女、ポールよりよっぽど毛深かったのよ そんな女、誰だって許せるわけがないわ」 〜 The Beatles / Another Girl 〜 The Beatles / You Can't Do That
しかし、ただ一人、ビートルズの古くからの友人で、アップルのスタッフであったピーター・ブラウンだけは分かっていた ピーターは語っている 「彼女、リンダはね、幸せな家庭を切り札にしていたんだ、わかるだろ ジョンもそうだけど、ポールは多感な時期に母親を亡くしている そのことがポールに大きな穴をあけたままで、埋まってなんかいなかった それを埋めるには、家庭を持つしか方法がないことをポールは分かっていたし、望んでいたんだよ ただ、僕が不安だったのは、リンダがまだミック・ジャガーをあきらめていなかったってことなんだよ 執念深いからね、彼女は」 〜 The Rolling Stones / Get Off of My Cloud 〜 The Beatles / I'm Happy Just to Dance with You (小林)短くて味があるねえ
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1964年にアメリカそして全世界でブレイクして以来、ビートルズの周りには常に莫大な金がうごめいていた しかし、ビートルズに直接入ってくる金額に限ってみると、1967年の終わりまでには驚くほど多額の税金を持っていかれていた ジョージは代表曲「タックスマン」で、「10分の1をあなたに、10分の9をわたしに」と歌っていたが これでも彼らを甘く見ていた つまり、税務署を見くびっていたことになる 実際アメリカ当局は、ビートルズの収入のなんと96%を税金として徴収していたのである ここまで税金を搾り取られていたとはいえ、稼いでいる額が違っていた ビートルズの暮らしぶりは、依然としてよかったのである 1697年までに彼らは、家、車、その他ロックスターとして必要な品物のために75万ポンド 今の価値にするとざっと20億円程度を費やしていた お金は永遠に手元に入ってくるかのように思えた しかしながら現実は厳しく、彼らはその金額が身分不相応のものであったことをいずれ思い知らされることになる この頃、あらたな税金の請求が次から次へとビートルズを襲ってきた これを回避する方向は、たった一つだけであった それはまったく無駄なことと分かっていても、とにかく経費として金を使いまくること、それしか術はなかった 結果彼らには大して現金は残らなかったのである 1965年、マネージャーのブライアンは、メンバーの金銭問題がこじれてくると、本国であるイギリスや 最も稼がしていただいているアメリカの管理機関による搾取 ── つまり税金の請求から逃れるため 税金天国とも言えるバハマに本拠地を移す計画を立てていた しかし、いつものことであるが、ブライアンの最も苦手な作業 ── それが金勘定であることは言うまでもなかった 〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money 〜 George Harrison / Taxman (Live In Japan) (小林)91年にジョージがエリック・クラプトンと一緒にやったライブです このツアーで、クラプトンと喧嘩したという噂もありますが
そして1967年8月に、彼は自殺とも事故ともとれる、悲しい最期を遂げることになる その後、ビートルズの顧問会計士たちが別の提案をしてきた 彼らは、事業を拡張することに関する企画書を持ってきた それは、最も手っ取り早い方法 ── 株式公開という究極的な目的を持って、関連事業や不動産に投資すべきというものだった これは今までも健全で最もフェアなアドバイスであったため、まず先にポールが興味を示した ポールの全面的な後押しもあり、ビートルズは会社を興すことになった アップルという社名は幼い時の無邪気さの象徴でもあり、どこかしっくりきた ポールは、このアップルコーポレーションという名前をとても気にいった アップルのスタートは、ビートルズが音楽をはじめとする自分たちに関することに責任を持つという、次なるステップとなるはずだった いわば、ビートルズが自我に目覚めるべき瞬間だったのである しかし、まだこの時点では、もぎ取られたばかりのリンゴがどうなるか、誰にも分からなかったのである 〜 The Beatles / Come Together 〜 The Beatles / Drive My Car
・先日の放送で、ダイアー・ストレイツの「マネー〜」がオンエアされました マーク・ノップラーがスタジオで演奏している最中にポリスのスティングがたまたま偶然居合わせたと言ってました ここで分析心理学のユングの言葉を思い出しました 無意識の干渉のような強磁性シンクロニシティーが共演時にマーク・ノップラーとスティングの間にあったのでしょうか ビートルズと人気を二分するストーンズでも、「ベガーズ・バンケット」録音時にたまたま偶然にゴダールが録画していたという 悪魔を憐れむ歌を思い出しました ストーンズというとジミー・ミラープロデュース作品が出色のできばえですが、こんな選曲はいかがでしょうか(市原市/男性) 〜 The Rolling Stones / Sympathy for the Devil (小林)僕は、かなり結果論だと思うんですよ この曲が世界的な大ヒットになったから、そう言われるんですよね ゴダールもそんな有名じゃなかったら、そんなにみんな騒がないんだけどねー
さらに、ピーターは当時を振り返って答えた 「ポールは毎日オフィスに顔を出すタイプの男で、私と元付き人のニール・アスピナルが ポールにお伺いを立てるように連日会議を行っていた 我々がまず先に何をすべきか、そして仕事をどうやって組み立てていくか、それをポールに説明して 彼が納得したら、その決定を仰いで先に進む、それがアップルのやり方だった それがポールの好きな方法だった、そういう時のポールは、自分がビジネスマンとして仕事をしている満足感に浸っていたね」 この頃、ポールはNYから子連れでポールの元にやってきたリンダと暮らすキャビンディッシュ・アベニューの家からオフィスまで おしゃれをして徒歩とバス、または地下鉄を使って通っていた まさに典型的なビジネスマンである ポールはまるで、アップルの社長のように振る舞った 社員には徹底した利他主義、つまり「自分の利益ではなく会社の利益を追求しなさい」という考えを教育していた ポールのアーチストとしてでない、別の一面が一気に顔を見せ始めていたのである 〜 The Beatles / Penny Lane 〜 The Beatles / I Want to Tell You
□リクエスト ・私はビートルズのライバルである、ローリング・ストーンズのファンであります ビートルズファンの友人からは「ストーンズは惰性でやっている」と嫌みを言われますが 40年以上活動していることはすごいと思います(佐野市/男性) 〜 The Rolling Stones / Start Me Up (小林)昔からビートルズとストーンズは二つに分かれたねー、ビートルズ派とストーンズ派 ビートルズは解散したけど、ストーンズはメンバーが少し変わったけどずっとやっていて 70年代、ストーンズがださく響いた時代があるんです、色々迷った時代もあります 80年代、ミックとキースが仲違いしてソロをやった時代もあります だけどなかなかうまくいかない、40年は惰性でやってるわけではなく、いろいろ悩みながらやってるわけで
・ビートルズのビートルズによるビートルズのための会社「アップル」を宣伝するためにポールは奔走した それまで以上にバンドのスポークスマンとしての才能を発揮した これに対し、アップルに対して後にジョージ・ハリソンは次のように語っている 「僕たちは掘り出し物をキープしておきたかったのさ」 まさに、言い得て妙である その目的を更に押し進めるために音楽業界紙にPR広告を掲載した 広告写真には大道芸人風の男が写っている そして、写真にはこういうキャプションが添えられていた 「この男には才能があります かつてこの男は隣の家から借りてきたテープレコーダーに向かって歌い デモテープにして、写真と履歴書と共に送ってきました あなたも同じことをしようと思っているなら、まさに今がチャンスです この男は今やベントレーに乗っているのです」 もちろん、この広告は全くのでっち上げ・偽装・やらせであった 大道芸人の真似をしていたのは、亡くなったマネージャーブライアン・エプスタインの古くからの友人で ブライアンの会社NEMSでオフィスマネージャーにまで出世した人物アリステア・テーラーという男 彼は、傾きかけた会社NEMSを見限って、アップルに寝返ったわけである このPR広告の効果でアップルオフィスはすぐに群衆に取り囲まれてしまった ベントレーのオーナーになりたい若者が、そこいら中にあふれていたのである この勢いに乗り、アップルは50万ポンド、今のお金に換算すると50億円以上のお金を費やして 最上級の洋服屋が建ち並ぶ由緒正しい街セヴィルロウに事務所を移転した 王朝時代に建てられた5階建てのこのビルはアップルの象徴とも呼べるものであった 臨機応変で自由な行動力をモットーとしたアップルの風潮は若者達を魅了した アップルビルディングの前の通りは、ビッグになりたいヒッピーやヘルスエンジェルの行列でいつも塞がれていたのである 〜 The Beatles / Why Don't We Do It in the Road 〜 The Beatles / I am the Walrus (小林)サイケな時代に入ってきたポールとジョンの作品ですけど、ほんと対照的ですよね
□リクエスト ・ポールの女性関係暴露話は端から聞いていても面白いですね これは応援歌になりますか?(土浦市/男性) 〜 Lenny Kravitz / Are You Gonna Go My Wa (小林)あおる曲でもありますしね
・6組のアーチストがディランを演じる映画が封切られましたが、サントラもユニークです パール・ジャムのエディー・ヴェダーが、ウォッチ・タワーをカバーしていますが、これがディランのカバーというより ジミ・ヘンドリックスのカバーという感じなんです ディランもコンサートではジミヘン風にやってますが そっちの方がかっこいいですよね PS:ストップ・メイキングセンスは、私も大好きです(横浜市/男性) 〜 Jimi Hendrix / All Along The Watchtower
・ビートルズの影響を受けたと思われるグループにシカゴがいます その音楽は、ジャズとロックをミックスしたようなもので、聴いてみると爽やかです 高校の頃、同じクラスの子に誘われて武道館に行き、シカゴのパワフルな音楽を楽しむことが出来ました(柏市/男性) 〜 Chicago / Saturday in the Park (小林)テクニックのある、ラスベガスのショーバンドだったんだよね で、人の曲ばかりやってたんだけど、「サージャント〜」を聞いて180度音楽が変わったんだって
・5月11日は母の日でした、僕は16歳で母を亡くしています カーネーションと一緒に、この曲を送ります(霞ヶ浦市/男性) 〜 The Beatles / Let it Be
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1968年、ビートルズは自分たちの会社アップルを運営し始めた バンドとしての活動と同じく、リーダーシップをとっていたのはポールである もともと、この会社の設立に関しては、ジョンは真っ向から反対だった しかし、またしてもポールの熱意によって、押し切られてしまっていた しかし、音楽以外にもクリエイティブなことなら何でも出来る自由な会社にしたいというポールの理想は ものの見事に崩壊していった アップルビルディングの前の通りは、金持ちになりたいヒッピーやヘルスエンジェルズの行列でいつも塞がれていた 多くの若者が自分の夢を高く買ってもらおうと、ビートルズへの謁見を試みた 自宅録音されたデモテープや、明らかに使えそうもない短編映画の脚本などが連日大量にオフィスに送られてきた もちろん、ほとんどがゴミ箱行きである デザイナーグループ「ザ・フール」は、ベーカー・ストリートにオープンした店アップルブティックで 20万ポンドの損失を出してしまった ギリシャからやってきたジョンに良く似た男、通称ジック・アレックスは、アップル社の資金10万ポンドを費やして ありとあらゆる研究を重ねたが、結果特許と認められたものはゼロ レコード会社EMIの優秀な弁護士や弁理士が躍起になってアレックスの発明を申請したが、どれもこれも却下されていた さらにビートルズの有名なスタッフであるデレク・テーラーの広報用のオフィスには 明らかにいけないものを服用している連中がなぜかどさくさにまぎれて部屋を与えられていた このあまりの狂乱ぶりには、誰もなす術がなかったのである 〜 The Beatles / The Continuing Story of Bungalow Bill 〜 The Beatles / Old Brown Shoe (Anthology 3)
〜 Mary Hopkin / Those Were the Days 〜 James Taylor / Something In the Way She Moves (小林)おや? 「Something In the Way She Moves」どっかで聞いたことがあるような? そうですよね、実はあのジョージの傑作「サムシング」は、この歌詞で始まるんですよ で、ジョージも告白してるけど、この一行をジェームス・テイラーからいただいたことで出来上がったわけですね
□リクエスト ・高校生の頃からマドンナのファンなんですが、最近マドンナの魅力を改めて発見しています(武蔵野市/女性) 〜 Madonna / Vogue
・懐かしい曲もたくさんかかるので、楽しみに聞いています ビートルズに興味を持ち始めたのは、ちょうど解散した後で、初めて買ったレコードは ジョージの「All Things Must Pass」でした 今でもリアルタイムに聞けなかったことが残念でなりません 日本のロックにも興味を持ち、はっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンドを毎日レコードが すり切れるまで聞き込んだものです 学生時代、この曲をギターでコピーしようとしたんですが 滅茶苦茶難しくてすぐにあきらめたことを思い出します(越谷市/男性) 〜 はっぴいえんど / 風をあつめて (小林)はっぴいえんどは、曲だけじゃなく詞の世界もかなりサイケですよね
□ポールの目から見たビートルズ史? ・1968年 ── ビートルズが正式に設立した自分たちのマネジメント、クリエイティブの会社アップルは狂乱状態にあった あまりにインチキで滅茶苦茶な連中が集まって、ビートルズを食い物にして、暴れ放題だったのである しかし、その一方でポールを始めとする制作部門は絶好調だった 1960年代当時、ミニスカートの女王として一世を風靡したツィッギーが、ある夜TVでアイドル発掘番組を見ていて 目にとまった女の子のことをすぐにポールに電話で教えてくれた ポールは、このまだ17歳の女の子、メアリー・ホプキンが一発で気に入ってしまい、プロデュースを買って出た ロシア民謡をベースにした「Those Were the Days」は、イギリスでトップに躍り出て、アメリカでも最高位二位を記録 なんと1300万枚ものヒットとなった さらにポールはデビューアルバムを全面的にプロデュースした 「Post Card」とい可愛らしいタイトルが付けられたこのアルバムは、チャートの一位となり クリエイターとしてのポールの実力を見せつける結果となったのである そして、忘れてはならないのが、ビートルズとしてアップルレーベルから発表するシングルとなった記念すべき曲「ヘイ・ジュード」 これは、ジョンがシンシアと別れるに際し、子供であるジュリアンを励ますため、ポールが書いたナンバーである ジュリアンは実の父親であるジョンより、独身で自分を可愛がってくれるポールに、ものすごくなついていたと言われている 当時としては型破りの7分を超える曲となった「ヘイ・ジュード」は、ビートルズ最大のヒットとなった 気がついたら700万枚というビッグセールスを記録していたのである 〜 The Beatles / Hey Jude 〜 The Beatles / A Day in the Life (Love)
・ビートルズの会社アップルは、クリエイティブ部門のハチャメチャぶりとは対照的に、音楽部門は順風満帆であった アップルレーベルとしての最初のシングル「ヘイ・ジュード」が700万枚 そして、ポールが手がけた女性シンガーメアリー・ホプキンの「Those Were the Days」がじわじわとセールスをのばし あれよあれよという間に1300万枚というとんでもないセールスを記録してしまった 音楽業界では常識的なことであるが、レコード会社の制作費などを販売するレコード会社に委ねるのではなく 自分たちのレーベルがその全てを管理する場合、ヒットしたレコードの利益率は二倍三倍どころか何十倍も違ってくる 当然、アップルは金銭的に、「かなり」どころではなく安定していた この急激なアップルの好景気に関して、経営指導者であるピーター・ブラウンは語っている 「マスコミから周囲から最大の混乱と見られたのは広報担当のデレク・テーラーだったね この知的かつチャーミングな、でもかなりいかれた人物はだだっ広い部屋に愛人達を侍らして 高級な籐の椅子に腰掛けて御満悦だった やっかいな奴が訪ねてくると私達はデレクの部屋に通して いけないタバコを渡したり、ウォッカを飲ませたりしていたわけだ デレクの部屋にかかる経費? それは1ヶ月で600ポンド、それで来客をもてなして仕事をつないでたわけだから 高くはないと思っていた ま、今思うと散財していたのかもしれないね デレクの一階下にはアメリカのリバティーレコードから引き抜いたロン・カスがいて しっかりと成功を収めていたし、出版社もあって、そこには元ピーター&ゴードンのピーター・アッシャー 分かりやすくいうと、ポールの婚約者だったジェーンの兄貴だね 彼はジェームス・テイラーなんかのアルバムを担当して、優秀なプロデューサーだった 私は総合経営管理者だったわけだけど、いつも十分すぎるぐらいの売上げがあって、まったく心配なんてなかったね 自分たちのやり方が間違ってるとも思わなかったし、いい時代だったよ あの頃が一番かな」 〜 Bad Finger / Come and Get it 〜 The Beatles / Only a Northern Song
□リクエスト ・小さい頃、よく面倒を見てくれた叔父の車でよくビートルズを聴いていて、なつかしくてたまりません リクエストはビートルズから始まってないかもしれませんが、叔父の車で聞いていた「イエローリバー」という曲なんです アーチスト名も分かりませんが、思い出を蘇らしてみたいと思いリクエストしました、ダメですか?(千葉市中央区/女性/45歳) 〜 Christie / Yellow River
・何十年も前のビートルズの話にも関わらず、この時間になると、今週はどんな珍事をやらかしてくれるのやらと 期待して聞いています(千葉市中央区/男性) 〜 Billy Joel / Baby Grand (小林)ビリー・ジョエルも、この人はクラシックからロックに行って、ビートルズを聴いて (俺もやろうかな)と思った人なんですよね ビリー・ジョエルとレイ・チャールズです レイ・チャールズも同じキーボードをやっててね、作詞をやってる人ですから レイの影響も受けてるという話もあってね 俺の歌なんてしゃべってるようなもんだよ、本家本物のレイ・チャールズに比べればと言ってたりもして その二人のデュエットでした
〜 The Beatles / Slow Down 〜 John Lennon / Sweet Little Sixteen (小林)そうです! これは「サーフィンUSA」なんだよね ジョンの「Sweet Little Sixteen」 チェック・ベリーのカバーですけど、「ロックンロール」に入ってるヤツ、フィル・スペクターがプロデュースしたヤツ しかし、この「Sweet Little Sixteen」は、ビーチ・ボーイズは歌詞を変えて「サーフィンUSA」となった曲ですね そしてその前は「スローダウン」この曲がかかるのはもう、数年間かかってませんでしたね 二回目ぐらいですかね、珍しい曲がかかりました
〜 The Beatles / I Want You (She's So Heavy) 〜 The Beatles / Honey Pie (小林)これは、1950年代/60年代のハリウッド映画の、そうだよね、映画の映写機の音が聞こえるような懐かしい感じがします ポールの作品です そして、「アビー・ロード」の目立った作品です ちょっと長かったけどね「I Want You」 She's So Heavy=彼女は重いってのは、若い方のために(説明すると)ヘビーってのは、この頃のスラングですよ 流行語、今は例えばアメリカ人が「オーサム!」とか言うじゃないですか、あんな風に、別にヘビーというのは その時代の流行語だから、「重い」んだけど「スゴい!」ってことなんだよね
〜 The Beatles / One after 909 〜 The Beatles / Words of Love (小林)ちょっとビートルズメロディーとは違ったなという感じ... 正解ですよ バディー・ホリーのオリジナルをビートルズがカバーしたもので、1964年の作品 アメリカの若くして亡くなったロック・ミュージシャン ビートルズは多大な影響を受けています バディー・ホリーのバンドがクリケッツ ビートルズはカブト虫ですが (バディー・ホリーがクリケッツ=コオロギだから、よおし虫にしよう) ってのは有名な話しですね