ラヴ・ミー・ドゥ LOVE ME DO
ビートルズのメジャー・デビュー・シングル。ポールが学生時代、隣の席のオナゴに向かって鼻歌交じりに囁いた自作曲。
オナゴにはフラれたが、数年後に世界中のティーンエイジャー(中の下から下クラス)を虜にするとは、
さすがにポールも予想出来なかった。
当時を回想しながらポールはこう語る。
「僕は女の子に歌で告白するんだ。これは初めて挑戦したオリジナルだ。今頃あの子は後悔しているだろう。だって記念すべきデビュー曲で口説かれたんだから。こんな名誉はどこを探したって無いさ」
2 :
1:2006/04/19(水) 23:33:22 ID:???
このスレはフィクションです。
ネタならもう少し自演してくれないかな?
>>3 自演は要りませんです。
ネタスレじゃないですから。
5 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 13:07:06 ID:gwQ6KFaq
P.S.アイ・ラヴ・ユー P.S. I LOVE YOU
これもポールの作品で「ラヴ・ミー・ドゥ」c/w曲。
ポールは女の子に手紙を書いたことは無かったが、書いたつもりで作ってみたら、意外によく出来たのでこれをレコーディングした。
しかしジョージ・マーティンは気に入らず、“you you you”というフレーズを加え、曲にアクセントを付けた。
マーティンはこのアイディアを自画自賛し、アメリカでプッシュしたところ、見事トップ10ヒットとなった。
「あれは俺の曲だ」とマーティンはほざく。
7 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 14:49:08 ID:jI+CGXvq
>>6 >>1よりだいぶ劣る。
このスレが消えたらおまいのせいだ。
8 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 14:57:07 ID:3Prugujh
プリーズ・プリーズ・ミー PLEASE PLEASE ME
デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」は、マネージャーのブライアン・エプスタインが町中のレコードを買い占めたにも関わらず、国内でトップ10に入ることが出来なかった。
「使えねえ」と烙印を押されたポールに変わってコンポーザーの役目を負わされたのはジョンだった。
ジョンは全くやる気を見せず、毎晩飲んだくれてはスタジオに放尿するといった悪態をついていたが、遂にマーティンが切れてスタジオに脱糞し、ジョンに対抗した。
これにはさすがのジョンも参り、慌てて曲作りに取りかかった。
しかしメロディは全く浮かばず、困り果てたジョンは“ドレミファソラシド”をマイクの前で繰り返した。
呆れたマーティンはジョンにクビを宣告した。
ジョンはおどけて“ドシラソファミレド”と歌ってみせた。
その時マーティンのエメラルド・グリーン・アイズが鋭く光った。「テンポを落として、もう一度歌ってみろ」。
ジョンは面白がって何回も繰り返した。
マーティンはジョンに命じた。「そのフレーズをもとに明日までに曲を作ってこい。ものになればクビはチャラだ」。
ジョンは家に帰り、昔聴いたロイ・オービソンを思い出しながら、「プリーズ・プリーズ・ミー」を完成させ、何とかクビを免れた。
9 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 15:26:49 ID:3Prugujh
アスク・ミー・ホワイ ASK ME WHY
デビュー・シングルの一件でマーティンにそっぽを向かれたポールはショックで落ち込み、作曲どころか演奏さえままならない状態だった。
見かねたマーティンは「プリーズ・プリーズ・ミー」のカップリング・ソングもジョンの曲に決定した。
「アスク・ミー・ホワイ」は非常に地味で馴染み難かったが、この音楽センスにマーティンは強く惚れ込んだ。
“なぜかって?”。このフレーズはジョンの口癖のようなもので、これと似たようなジョンの性格は、解散寸前の「ビコーズ」にも見てとれる。
セカンド・シングルのヒットに気を良くしたジョンと、ジョンに株を奪われ落ち込むポール。
対照的な二人を見てマーティンは「こいつら、絵になるぜ。二人が力を合わせれば、きっと凄い事が起こるだろう」と感じた。
無論、ジョージとリンゴの事はすっかり忘れられていた。
10 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 16:31:44 ID:3Prugujh
アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア I SAW HER STANDING THERE
「プリーズ・プリーズ・ミー」のビッグ・ヒットに便乗して急遽ファースト・アルバムが1日で録音されることになった。
この曲はマーティンが以前から目をつけていたが、レコーディングの出来があまりにも良かったのでオープニングに起用した。
デビュー・シングルの一件で落ち込んでいたポールにようやく笑顔が訪れた。
これはハンブルク時代、ハコ(ライブ会場)に毎晩来ていた老婆に思いを込めてポールが作った曲である。
当時を思い出しながらポールは語る。
「ハンブルクはとてつもなくハードだ。暴力とドラッグと女の子が三大勢力だった。
僕はあの、いつも入り口の脇に立っている、背中の曲がったテンガロンハットのおばあちゃんに毎晩癒されたのさ。
彼女はステージが終わると、声も上げず、拍手もせず、ただ黙って真っ先に扉から出て行った。
ある時、失礼を承知で歳を尋ねたんだ。71才だって。ひっくり返してセブンティーンさ。とても不思議な思い出だよ。」
ねぇねぇ、こんなの書いて面白いの?w
12 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 18:13:01 ID:jI+CGXvq
なんか少しジョソさんを思い出すw
どんどん続けよう!
マーティン男前だなw
14 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/20(木) 23:57:49 ID:3Prugujh
ミズリー MISERY
当時のイギリスはビート・グループの創世記だったが、ほとんどのアルバムはオールディーズのカバーだった。
飛び抜けてルックスが良いわけでない4人がこれらに勝ち、生き残る為には何としてもオリジナルが必要だった。
マーティンは4人に曲のアイディアを持ち寄る様求めた。
しかしリンゴは本を読み、物思いにふけるばかりで話にならず、ジョージは「自信が無い」と自ら辞退した。
「だったらその下手クソなギターを練習しておけ」とマーティンは苛立ったが、これに燃えたジョージは鬼の形相でギターを弾きまくった。
腕はなかなか上がらなかったが、ジョージの「売り文句」が欲しかったマーティンは、名目上リード・ギタリストとして据えることで、何とかジョージの顔を立てた。
ポールも自信喪失気味で新曲を書けず、マーティンの願いはジョンに託された。
「ミズリー」の“It's gonna being back, misery”という部分のメロディーにマーティンは心を打たれ、これを採用した。
悲壮感溢れる歌詞も良かったが、実のところジョンは交際相手のシンシアに子供が出来たことを深く嘆き、徐々に奪われていく自由に未練を込めて書いた曲だった。
勘の働くマーティンはすぐに察し、これを問い詰めたところジョンは自白した。
「口外すれば即座にクビだ。」
暫くの間、ファンはこの事について知る由も無かった。
このスレ面白いw
16 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/21(金) 00:27:57 ID:6dcFQvX9
面白い!
つづけてくれ!
ジョソはもっと面白かったよ
自演するなよw
18 :
ホワイトアルバムさん:2006/04/21(金) 10:29:15 ID:KWv7KDAA
19 :
John Nnolen ◆Ai56JZCGF6 :2006/04/21(金) 11:03:11 ID:Fvyuwo4p
アンナ ANNA
おそらく最も多くのファンが初めて耳にしたカバー曲。
これを聴いたティーン達はがっかりしただろうか。それともオリジナルと勘違いして気にも止めず夢中で歌ったのだろうか。
当時のLPレコードは30分前後のプレイ・タイムが主流で、その限られた枠の中にどれだけ曲を詰め込むかが勝負だった。
マーティンは出来ることなら全曲オリジナルで勝負したかったが、それは叶わなかった。が、大部分ではそれが功を奏したとも言える。
マーティンはヒット・チューンの安易なカバーを毛嫌いした。「オリジナルにひれ伏すな」は彼の座右の銘である。
しかしマイナー過ぎるのも良くない。そこでマーティンは、有名アーティストの中ヒットから無名曲まで時間の許す限りピック・アップし、数十人の知人に向けて電報を発信した。
“大至急、このリストの中から君の好きな曲を選んでくれ”。
アンケートの結果、誰も選ばなかった6曲をビートルズに歌わせた。
そのうちの一つが「アンナ」だ。原曲はインパクトに欠けたが、ジョンの威圧感に満ちた、震える様なボーカルが曲に存在感を与えた。
「大抵のアルバムは3曲目から聞き流されてしまう。スピーカーの前へ釘付けにするにはジョンの声を
20 :
John Nnolen ◆Ai56JZCGF6 :2006/04/21(金) 11:05:57 ID:Fvyuwo4p
2曲続けることが肝心なんだ。」
マーティンはジョンに厳しく接しながらも、絶大なる信頼を寄せていた。
21 :
John Nnolen ◆Ai56JZCGF6 :2006/04/21(金) 11:14:22 ID:Fvyuwo4p
こんにちはスレタテです。
応援、冷やかし、ありがとうございます。
頭の中の記憶と妄想を頼りに書いているので誤字等があると思いますが、
内容はともかく、全曲制覇目指してふんばります。
トリップ付けたので、この先はsageで書きます。
良スレ乙。乞続編。
>1
気の向いた時でよいのでよろしく。
チェインズ CHAINS
巷の人気ロックンロール・バンドは、2枚目男がボーカルを務め、電車の網棚でたまたま拾った新聞の募集広告を見て集まった様な、思い付きで行動するロクデナシが脇を固めるパターンが大半だった。
「ビル・ヘイリーと彼のコメッツ」の様なコメディ・バンドもどきのネーミングをマーティンはあざ笑い、そんなものはジェリー・マースデンやビリー・J・クレイマーにでもやらせておけば十分だと考えていた。
ビートルズをその様な路線に乗せることは、例え高級カツラをプレゼントされてもマーティンは避けたかった。
それだけビートルズに入れ込んでおり、彼らを何としても「全員歌えるロックンロールバンド」に仕上げたかった。
おかげで、作曲ができない、ギターをちゃんと弾けない、声に張りが無い、迫力が無い、と無い無いづくしのジョージ・ハリスンにもリード・ボーカルのチャンスが巡って来た。
ところが、またしてもジョージはマーティンの依頼を断り、代わりに自作インストゥルメンタルの「クライ・フォー・ア・シャドウ」を弾かせてくれと懇願した。
マーティンの血管は一瞬大きなうねりを見せたが、何とか堪え、
「よし弾いてみろ」と、ジョージに三度目のチャンスを与えた。
それから15秒も経たないうちに、ジョージのリード・ボーカルによるカバー曲「チェインズ」の収録が決定された。
ボーイズ BOYS
ハリケーンズ時代のリーゼントを、さらさらのマッシュルーム・カットに直してご機嫌斜めのリンゴ・スターは、労働時間より休憩の方が長い唯一のビートルだった。
しかもリハーサルの為にマーティンから呼ばれた時でさえ、
「あと30分で読み終わるから待っててくれないか」と、愛読書のSF小説を手放そうとしなかった。
そんな時マーティンは、
「次のレコードで君は“リチャード・スターキー”とクレジットされるだろう。
君のデカい指輪は誰からも注目されず、代わりにそのデカい鼻だけが議論の的となるだろう。
世間とはそんなものだ」
と言ってリンゴを黙らせた。
一方でマーティンはスタジオで息が詰まると、リンゴとモノポリーで遊んだ。
必ずマーティンが負けるので、これがリンゴの自尊心をくすぐり、気分良くレコーディングを再開することが出来た。
ダテにハゲちゃいない。
「ボーイズ」は妙ちくりんな曲だった。
これをカバーできるのは君しかいないと、マーティンはリンゴに伝えた。ドラムを叩きながらでも歌えるから、とは言わずに。
曲自体、マーティンは好きでなかったが、リンゴがあまりにも楽しそうに歌うので、収録を決定した。
リンゴは初のリード・ボーカルについてこう語った。
「“ボーイズ”は僕の大事な宝物だ。だが悔しいことに、この小説にはかなわない。よかったら読んでみてよ」
ド・ボーカルについてこう語った。
「“ボーイズ”は僕の大事な宝物だ。だが悔しいことに、この小説にはかなわない。よかったら今度読んでみてよ」
あり?
書き込みがダブってしまった。
スマソ
>>14訂正
× it's gonna being back, misery
〇 it's gonna be a drag misery
スマソ
ラヴ・ミー・ドゥ(アンディ・ホワイト・ヴァージョン) LOVE ME DO
マーティンは、「ラヴ・ミー・ドゥ」のもたついたドラミングが気に入らなかった。
そこでマーティンは、マスターテープの速度を上げたり、テープを火であぶったり、塩でもんでみたり、と色々やってみたが成果は得られず、
結局再録音することにした。リンゴが図書館へ本を返しに行っている間に。
マーティンは、アンディ・ホワイトなるドラマーがスタジオ内にいることを聞きつけ、二階の便所で彼の「臭い」を発見した。
「やあアンディ、続きは後だ」
アンディはケツも拭かずにレコーディング・ブースへ駆けつけた。
「遠慮せずに叩いてくれたまえ。ビートルズと、君の未来のために」
マーティンの合図と共に、レコーディングは始まった。
スタジオは臭かったが演奏は良かった。
「P.S.アイ・ラヴ・ユー」も彼に続けてプレイさせた。
アンディの叩く「ラヴ・ミー・ドゥ」はファースト・アルバムのB面トップに採用された。
後年、このヴァージョンは全米で1週間ながらトップに輝き、ポールは汚名を一気に挽回した。
ポールはこれ以降、記者会見の仕切り屋として、解散するまでその座に君臨した。
アンディも非常に喜んだ。
「あれ以来、果報は便座に腰掛けて待つ習慣がついたんだ。」
一方で、プライドを傷つけられたリンゴは、珍しく後悔した。
「本は借りるもんじゃない。一つ学んだよ。」
>>29訂正
× 汚名を挽回
〇 汚名を返上
スマソ
いいぞいいぞ
ベイビー・イッツ・ユー BABY IT'S YOU
「“Sha ra ra ra ra ra ra”を3回繰り返した後にリズムを止め、
再び“Sha ra ra ra ra”とジョンが歌う部分は、黒人女性のヒップにも負けないくらい強烈だ」
とマーティンは講釈を垂れる。
だが確かにマーティンの額とこのアイディアが光ったおかげで、
ビートルズは黒人女性グループ、シュレルズの「ベイビー・イッツ・ユー」に新たな生命を吹き込んだ。
ジョンのボーカルも冴えている。
ジョージはポールと一緒に、今回もバック・コーラスに回った。
「僕は完全に脇役だった。すべてにおいて、ジョンとポールには叶わなかった。
今に見てやがれという気持ちが、グループに居続けられた原因なんだ。
だから自分で食っていける曲を作れる様になった頃には、グループは既に崩壊していたよ」
ジョージはそれもまた人生、といった顔つきでフィッシュ&チップスを叩き割った。
以下、マーティン語録。
「ビートルズにはロックンロール・バンド4つ分の力があった。ジョンとポールで4なんだ。
ジョージとリンゴは関係ない。」
「常に正直であり続けることが重要だ。グループを成功させたかったらね。ジョージは力不足だったがビートルズには欠かせない。これも正直な気持ちだ。」
「陰の功労者はでしゃばらないもんだ。だが今だから言う。“ベイビー・イッツ・ユー”は俺の曲だ。」
ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット DO YOU WANT TO KNOW A SECRET
ジョンがディズニー映画を観に出かけた時の事を思い出しながら書いた曲。
並々ならぬ感情を歌詞から察したマーティンが、
「随分と粋な詞じゃないか。新しい恋人でも出来たのかい」と尋ねたが、
「ここじゃ言えないね」とジョンは笑った。
マーティンはジョンをルーフ・トップに連れ出し、一服させた。
「ジョン、浮気は良くないぞ。増してや子供がいるってのに。」
「その点については心配ご無用だ。」
マーティンは浮気相手を知らされると、ショックで抜け落ちた毛を拾うのに手間取った。
マーティンは遙か階下の道路を指差し、ジョンに警告した。
「今度私を困らせる様な事をしたら、そこの横断歩道を下半身丸出しで歩いてやる。
私は世界中のゴシップとなるだろう。そうなれば君達4人の人生も終わりだ。」
ジョンはやれやれ、といった表情でスタジオに引き返した。
風に打たれたマーティンは途中、便所に寄って髪をセットしながら、
「ジョンにそのまま歌わせるのは将来的に危険だ」と考え、リード・ボーカルは職探しをしていたジョージに内定した。
しかし、このトロくさい曲はジョージの歌声にピタリとハマった。
「ジョージの最高傑作だ。彼が歌ってこその曲なんだ。私がジョージをビートルズとして認めた初めての瞬間だ。」
マーティンは嬉しそうに言った。
勿論、エプスタインは残念がっていたが。
禿ワロス
面白いよ〜〜〜っ
蜜の味 A TASTE OF HONEY
ロンドンで開催される“世界の一流カツラ展覧会”を翌日に控えたマーティンは、
何としてもアルバム・レコーディングを1日で終わらさなければならなかった。
マーティンは、出番の少ないポールに声をかけ、リストの中から好きな曲を1つ選ぶ様に指示を与えた。
ポールは無難にレニー・ウェルチが歌ったスタンダード・ナンバー「ア・テイスト・オブ・ハニー」を選択した。
某資料によると、ウェルチのバージョンは、
ジョンが歌ったアーサー・アレキサンダーの「アンナ」と同じ1962年9月17日にリリースされている。
誤植臭いが、どうやら本当の様だ。
仮にこの年のレコード半年分が9月17日にまとめて発売されたのだとしても、
ポールとジョンの不思議な縁を感じさせる。
ポールのボーカルは何度も録り直されたが、
腕時計に目をやったマーティンが突然OKサインを出した。
カツラのことで頭がいっぱいだったマーティンは、ポールのダブル・トラック二重唱という非常手段に出たのである。
「レニー・ウェルチに毛が生えた程度の仕上がりになってしまった」と、マーティンは指で毛をつまみながら語る。
「もう少し詰める必要があったかもしれない。あの日、カツラ展さえなければ、アルバムは1週早くトップに立ち、30週連続首位を成し遂げたはずだ。
その点は認めよう。」
ビートルズと己の頭髪の狭間で揺れ動くマーティンの人間らしさが伺えるエピソードである。
ゼアズ・ア・プレイス THERE'S A PLACE
ジョンが殆どを書き、ポールが少し手を加えて完成した。
ビートルズならではの非常に印象深いコーラス、特にミドル部分が特徴的だ。
歌詞の“僕の心”はすなわち“ジョンが慕う誰か”と思われる。
「ジョンの詞は、いつも何かを感じさせた。
ポールが甘いラブ・ソングを書くが、ジョンは常に悲観的であり続けたんだよ。
これは、ジョン・レノンという男をそのまま吐き出した様な曲だ。
とても気に入っている」とエプスタイン。
ジョンにとってエプスタインは、幼い頃に亡くした母親ジュリアの代役であり、
マーティンはさしずめ、口うるさいミミ叔母といったところであった。
エプスタインはジョンを、そしてビートルズを大地の様な心で見守り、欲しいものは何でも与えた。
シングルがチャートで1位に輝いた時、ジョンはミニチュアのレーシングカーをプレゼントされ、一時期は酒と女よりもハマったという。
ポール「僕らがいつもベストの状態でステージへ上がれる様に段取りをしてくれる。ブライアンは最高のマネージャーさ。」
ジョージ「優しい男だよ。困っていると、必ず相談に乗ってくれる。ずいぶん助けられた。」
リンゴ「絶版の小説を取り寄せてくれた。泣いたね。」
ジョン「僕らの良きパートナーで、友達であり、母親の様でもあり、そして大事な僕の恋人だ。」
ツイスト・アンド・シャウト TWIST AND SHOUT
アイズレー・ブラザーズのカバーながら、アルバム中最もインパクトを与えるこの曲は、アルバム・レコーディング・セッションの最後に録音された。
リード・ボーカルのジョンは歌い過ぎて喉が嗄れてきたので、発声練習で声を整えた。
するとポールとジョージもそれを真似した。
「アー、アー、アー、アー」
その時、マーティンの脂ぎった額に火が注がれた。
「そいつを歌に入れよう。」
中間部とエンディングに、このフレーズは加えられた。
「サヨナラ満塁ホームランだ」
レコーディング中、マーティンはガラスの向こうで腰を振りながらノリノリのツイストを披露した。
こうして、アルバム用に新たに用意された8曲のレコーディングが1日で無事終了したのだった。
「成功を確信した」マーティンは翌朝、地球上の誰よりも早く目覚め、心ゆくまでカツラを楽しんだ…
はずだったが、会場に到着したマーティンは激怒した。
そこでは婦人用カツラの輸入品大バーゲンがひっそりと催されていた。
「男性用を探している」
マーティンは店主とおぼしき小太りメガネの胸ぐらを掴みかけそうになったが、自分の確認ミスであることに気付き、拳を震わせながらも、その場を足早に去った。
時間の空いたマーティンは、ボウリングで怒りを発散した後、近くでローリング・ストーンズなる人気グループのライブが行われることを知り、早速出かけ、ステージが始まる前に楽屋へ挨拶に出向いた。
「マネージャーは君かい。」
「ドラムを叩いている。」
老け顔のチャーリー・ワッツは不機嫌に答え、この瞬間からストーンズとのライバル関係は始まった。
カツラネタワロス
FROM ME TO YOU フロム・ミー・トゥ・ユー
ビートルズの4人がカンパをし合い、マーティンにカツラをプレゼントした時の事を歌った曲で、主にジョンが書き、ポールが手を加えた。
マーティンがスタジオの片隅で仮眠を取っている隙にジョンが頭のサイズを計り、オーダーメイドした。
マーティンは毛が逆立つ程ショックであったが、精一杯の笑みを浮かべるしかなかった。
「せっかくだがジョン、変装の趣味は無いんだ。どうだろう、エプスタインにプレゼントしてみては。」
髪はプライベートで最重要事項であったが、ここはさらりと交わすことでプライドを維持するしかなかった。
ジョンは、それならばせめて歌でと、マーティンの豪快な鼻毛を見つめながらこの曲のイメージを完成させた。
レコーディングで4人はこれまでに無い調和を見せ、ハーモニーは飛躍的に美しく進化した。
マーティンへの思いが一致団結した結果だろう。
マーティンは、この曲が自分へのメッセージだという事に薄々感づいていた。
「非常識な子供達だ。カツラをプレゼントする奴がどこの世界にいる?今だから笑えるが、爆弾テロよりも危険な犯罪だ。」
3枚目のシングルとなるこの曲でビートルズはイギリス国内での人気を不動のものとした。
しかし、この曲の知名度が世界規模に発展する事を恐れたマーティンは、アメリカでの再プッシュを拒否した。
その甲斐あって、全米大ヒットは免れた。
続きを待つ
サンキュー・ガール THANK YOU GIRL
ヘレン・シャピロに感謝の意を込めて、ポールがメロディの大筋を作り、ジョンが手を加えて完成した。
何に対しての感謝なのかについては様々な説がある。
@ヘレンのツアーに同行していたビートルズが、列車の中でフロム・ミー・トゥー・ユーの曲作りを彼女に手伝ってもらった。
A財布を忘れたエプスタインが電車賃をヘレンに借りた。
B当時童貞だったジョージの為に、ジョンがヘレンに「あいつを男にしてほしい」と頼んだところ、母性本能を刺激されたヘレンはジョージをトイレに連れ出し、簡単に事を済ませてしまった。
その時ジョージはクールであったが、ヘレンがいなくなった後、号泣しながらジョンに何度も「ありがとう」とお礼を言い、ジョンは面白がってそれを元に詞を書き上げた。
筆者の研究によると、Bの説が有力である。
曲は「フロム・ミー・トゥー・ユー」のc/wとして取り急ぎレコーディングされた。
ジョンのハーモニカはその時ブライアンに隠し持たれていたため、ハーモニカ・パートは後から追加された。
発売日の都合で不完全なミキシングのまま曲がプレスされ、完成度を吟味する間も無くイギリスでリリースされたことに対してマーティンは憤りを感じ、
それが原因で髪が抜け落ちたことに対して更に憤慨し、エプスタインに説教してマーティンの髪は更に抜け落ちた。
エンディングにハーモニカがフィーチュアされたバージョンは、結局キャピトル用のマスターテープとなり、
後にアメリカで発売された『SECOND ALBUM』に収録された。
イット・ウォント・ビー・ロング待ちage
苦笑してしまうのは俺だけか?
46 :
ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/06/25(日) 23:49:11 ID:G3qI17sf
よく出来てるな。面白いぞ、もっと続けて頂戴。自作自演かもしれないが、相当ビートルズ
に詳しくないと書けないよ。
ベイビーイッツユーはビートルズの曲ではなくデービッドバカラックの曲だが。
47 :
ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/06/26(月) 00:07:08 ID:A6T71nYX
ごめん間違えた。バートバカラックだね。
48 :
ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/06/26(月) 19:45:34 ID:A8SEFcbh
これ大河スレの方ですか?
シー・ラヴス・ユー SHE LOVES YOU
ジョージ作を除く初期のオリジナルは、すべてレノン/マッカートニーとクレジットされているが、二人同時進行で共作した曲は殆ど無いと言っていいだろう。
国内4枚目のシングル「シー・ラヴス・ユー」は、メロディはポール、詞はジョンが中心となって書かれたものと思われる。
前作「フロム・ミー・トゥ・ユー」と同様、今回もイントロ無しとなったが、二番煎じ扱いを嫌って僅かなドラム・イントロを挿入した。
コーラスとドラム、ギター、そして劇的なエンディングが光り、前作の売り上げを今回も大幅に上回った。しかもその購買層にはティーンの男性が多く含まれた。
「彼女は君を愛してる」このフレーズは、全英のウブでモテないニキビっ子達に大きな勇気を与えた。
当然その中には、レジナルド青年(後のエルトン・ジョン)やジェフ・リンといった、当時は得体の知れないバックストリートのならず者も多く含まれていた。
「シー・ラヴス・ユー」によって、「ビートルマニア」人口はロンドン中心部のそれを上回った。
群集は常にビートルズを囲み、変装しマーティンを名乗ってスタジオに侵入し、メンバーに近付こうとする不届き者も現れたが、「生え際」を見たスタッフによってすぐに追い出された。
「私にはビートルズが何故、アメリカ人に受け入れられないのかが理解出来なかった。当時のアメリカは保守的で、音楽も低迷していた。ビートルズはいつ成功してもおかしくない状況下にあった」
マーティンはアメリカのメジャー・レーベルとの契約に向けて、着々と準備を進めていた。
髪は逆に後退していったが。
50 :
ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/06/26(月) 21:05:51 ID:HY18cm0C
ノレン君、おもしろいよ。
頑張って。
ここ読んでから、マーティン先生の生際が気になるようになったw
age
アイル・ゲット・ユー I'LL GET YOU
オリジナル作品中、議論の対象にならないものとして5本の指に入るであろうこの曲は、シー・ラヴス・ユーの録音が始まる前に、声慣らしとしてレコーディングされた。アース・ホール(ケツの穴)を手で押さえながら。
がに股気味に歌うジョン特有のスタンディング・ポーズは、尻の痛みを堪えたものと言われる。
しかしそれは苦痛ではなかった。
ジョンは昨日の「夜」を思い出し、ブライアンの色んな姿を想像した。
そして imagine というフレーズを使って溢れる想いを歌にしようと試みた。
初めジョンはこの曲に「PAIN IN MY ASS HALL」というタイトルを付けたが、さすがにマーティンの眼光が気になりこれは諦めた。詞も女の子へのメッセージに修正した。
冒頭の Oh yes も、 Oh yeah に変更されたが、低いうめき声の様な歌い方はそのままでいくことにした。
大筋を書き上げたジョンがポールに歌ってみせると、
「面白いね。僕にも手伝わせてくれよ」とポールはその場で、しょうもないミドル部分をランチよりも早く完成させた。
マーティン曰く、「サビに向かって盛り上がる部分が良いが、私の額の輝きに勝るインパクトではない。そこでハーモニカを加えたんだ。」
ブライアンの口臭にまみれ限界に来ていたハーモニカを、ジョンはレコーディング終了後、彼にプレゼントした。
「唯一、彼の苦手な部分」とジョンは後年、その心情を明かしている。
数ヶ月後に録音されたリトル・チャイルドでは新品のハーモニカが使われた。
が、勿論それもブライアンの標的となった。
54 :
ホワイトアルバムさん@自治議論中:2006/07/27(木) 00:13:36 ID:+tsx/i1T
次は〜
イット・ウォント・ビー・ロング IT WON'T BE LONG
1stアルバムはマーティンの大事なプライベートの為に1日という「短い」期間でレコーディングされたが、カツラは見つからなかった。
短いのは縁起が悪い、髪にも良くない、ということで、セカンド・アルバムには前作に比べて100倍のレコーディング猶予が与えられた。
マーティンの気と髪の短さからは想像もつかない余裕のスケジュールである。
「時間をやる。機材もいいやつを使わせてやると言ったんだ。そしたらジョンがこんなのを持ってきた。」
オープニングには「LONG」という縁起の良い単語がタイトルに含まれたこの曲が選ばれた。
「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」の冒頭で「ショップ・アラウンド」を真似た様に、
この曲も、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズからの影響が窺える。
後に世界一有名となるアルバムのジャケットは、ジョンが「僕の排便まで撮ろうとした」と評する熱血カメラマン、ロバート・フリーマンによって撮影された。
「昔、アストリッド(ハンブルク時代に引っかけた貧乏臭い女子美大生)がやった手法を思い出したんだ。」
ジョンの頭がデカいので、半分を影にしてそれを隠すというアストリッドの秘策を、ポールはフリーマンにオフレコで伝えた。
フリーマンは驚いた。ハーフ・シャドウはジョンの顔を一層引き立ててしまった。今さら立ち位置変更を申し出るのも不自然である。
結局写真はそのまま使われた。
EMIの重役が、「うちの子供が泣いた」とクレームを入れてきたが、ブライアンが子供に菓子の詰め合わせを与え、恐怖のジャケットがお茶の間に届けられることになった。