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名無し@光の球場:
映画の大映株式会社の社長であった永田雅一は、無類の野球好きが
高じて昭和24年に大映スターズを結成し、自身はオーナーとなる。
昭和29年にパリーグ総裁に就任。その直後、リーグ活性化策として、
「勝率3割5分を割ったチームに500万円の罰金を科す」と号令。
シーズン終了後、最下位で罰金を払わされたのは、永田オーナーの
所有する大映だった。
昭和31年には、パリーグのお荷物球団であった高橋ユニオンズを
永田オーナーの所有する大映が吸収合併した。
翌年の昭和32年には6球団制を施行するために「このシーズンに
成績が最下位のチームは吸収合併によって消滅」と、また号令。
ところが、そのシーズンの最下位の成績で吸収合併される羽目に
なったのは、またまた永田オーナーの所有する大映であった。
合併相手の毎日の配慮もあって、吸収合併ではなく対等合併となり、
さらには、合併球団「大毎オリオンズ」のオーナーにも就任した。
「人気の面でセリーグに勝てない理由の一つは、東京にパリーグの
拠点となる球場が無いことだ」と、常々考えていた永田オーナーは、
本業の大映映画の経営が行き詰まっていたにもかかわらず、昭和37年
に私財を投じて東京スタジアムを建設した。
ただのわがまま親父とは違い、自チームだけでなくリーグと野球
そのものを愛し、自立とファンの利益の為に尽くそうとしていた。
昭和45年、チームは10年ぶりにリーグ優勝を果たした。しかし、
本業の大映映画の経営は既に破綻寸前の所まで追い込まれていた。
オリオンズ存続を第一義に考えた永田オーナーは、当時スポンサー
として球団経営に協力していたロッテに経営権を移譲すると発表。
昭和46年1月2日、球団は正式にロッテに譲渡された。
それから数週間後、ナインの前で号泣しながら最期の別れの
挨拶をする永田雅一の姿があった・・・。