阿波野引退

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325両方見ました
10.19の時は、学生で「卒論」のゼミがあって、これはまじで出ないと、
卒業できなくなるという類のもので、終わり次第全速力で、池袋新宿などのターミナル駅
を駆け抜け、南武線で川崎に向かう車中で、ひたすら第一試合でペナントレースが
終わってないことを祈り、そして仮にまだ望みがつながっていて、球場が満員札止めで
あったなら、塀を乗り越えてでも中に入るつもりだった。駅から球場に向かう道すがら
まばらではあるが、なにやら球場に入れなくて仕方なくなく引き上げてくる風情のひとの
ながれがあるのを察知し、よーしペナントレースは終わってないぞと気合いをいれ、
とにもかくにも球場正面入り口につくと、同じ考えの野球狂が約100〜200弱くらい
(このへんの記憶はおぼろげ)各自口々にいろんなことを叫んでいたが、ひたすら
前へ前へと進んだ。この間、中で起きていたことは一切しらなかったのだが、
時間的に第二試合の序盤から中盤であろうということは雰囲気でわかった。そして自分がその
最深部にたどりついた頃の人垣はあとから足された分もかなり膨らんでいるようで、
身動きするのがどうも不自由だなと感じ始めた矢先に、内野の年間シートの空席分を
販売する旨のアナウンスがながれた。その刹那、怒号と悲鳴が辺りをつつみ、
「子供もいるんだぞー」という叫びも聞こえ、「圧死」の二文字が脳裏をかすめた。
おおげさでなくほんとに死ぬかと思った。とにかくそれでも前へ体を押し込んでいるうち、
視界がひらけたら、そこはチケットを「もぎる」ゲートだったので、一瞬からだを滑り込ませ
係員があっけにとられているうちに、すばやく財布から1500円(確かこの値段だったはず)
を取り出して、台におき、それじゃあっといって、すぐさま3塁側スタンドに走った。
後ろで何か叫んでいたが、当然ふりかえらず、スタンドへの入り口でも、猛然と走りこんだので、
特に静止されることもなく、カクテル光線を拝むことができた。奇跡はさらに続き、
その1分以内に雀友達に名前を呼ばれているのに気づき、振り向くと、そこに奴らはいた。
おれは今起きたことなどを興奮しながら話したが、皆、心ここにあらずという感じの表情
だったので、すぐさま話を試合経過のことに切り替えた。鈴木のあのホームインも、
この時はじめて知った。記憶ではグラウンドに目をやった直後に村上の大ファールだった
ような気がする。あとは話すまでもないことだが、自分の生涯最大の出来事はこの一日を
過ごしたことだと今でも思っている。あの頃、西武を倒すということの意味は、
なにかとてつもなく重大なことのように感じられたことが、いまでも生々しく甦る。
雀友たち、その他その場にいた人たち、Nステを食い入るように見てた人たち、
きっとそれぞれ「西武」をなにかに置き換えて、感情移入していた面もあると思う。
引き分けで終わったことが、「システム」との戦いを象徴しているかのような論調も
あった。が今は、ただ「野球」を「観戦」する者として、あの2試合の絶妙なあのスコア
そしてそこに至る経緯など、「今世紀最大」の形容詞以外思い浮かぶものがない。
それがまた、自分の「人生」の「岐路」と微妙に重なり合ったので、ことさら複雑な
心境になる。あのとき、卒論のゼミに出て鈴木と中西の抱擁の場面に立ち会えなかった
のが、今の自分には少なからず「トラウマ」になっている面があるからだ。
てなことで、翌年のことはまた気が向いた時にでも。長々とすまん。しかも阿波野のこと
には触れずじまい。