仰木・Bu×森・L

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1名無しさん@お腹いっぱい。
’88〜’92の仰木・Bu×森・Lは、とても見応えが
ありました。
当時のスタメン、投手陣、首脳陣をリストアップしてみま
した。

Bu             L

大石大(第)         辻
新井             平野
ブライアント         秋山
リベラorトレーバーor石井   清原
鈴木貴            デストラーデ
金村             石毛
村上             田辺
光山             伊東
吉田剛or安達         吉武

投手陣
小野、阿波野、山崎慎、    工藤、郭、渡辺久、
高柳、加藤哲、吉井、     渡辺智、森山、
野茂、赤堀、高村、      潮崎、石井丈、
佐野、池上、入来智      新谷

監督・コーチ
仰木、中西、         森、土井、
権藤、立花龍司        伊原、森(繁)

当時の両チームの陣容を振り返ると、以下のことがわか
ります。
・対照的なチームカラーであること。
・選手、首脳陣とも個性的であること。
・両チームとも、ドラフトで獲得した選手をうまく育て
ていること。
(外国人選手と平野、吉武以外は、全て生え抜き。)

当時の両チームとそれ以外のパリーグにまつわる思い出、
現在のプロ野球に対する問題提起、等々について語り
合いましょう。
2:2000/11/18(土) 12:04
すいません。間違いがありました。
新井も生え抜きではありませんでした。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 12:09
近鉄が特に魅力的なチ−ムだったね。
4KM:2000/11/18(土) 13:41
チームカラーも何もかも違って面白かった。
私は近鉄ファンだけど、このときの西武は、敵ながらにも、
やるやんけ、くそっ。とか、敵ながら天晴れじゃ。…みたいな感情を持てたなあ。
ああ、あんときゃ良かった。
西武って、本当にバランスのとれたチームだったね。
よく近鉄は西武の黄金時代を一年だけでも崩すことが出来たもんだ。
5KM:2000/11/18(土) 13:45
いや、それにしても、
このころの西武って、
なんちゅうか、穴、ないね…
このオーダーを組むのが苦しくなってからの比嘉氏尾
がやった若返りは「思いきったことするなあ」とおもったけど、
見事に成功したね。
東尾って有能やと思う。
(西武ファンの自作自演じゃないよ。わし。近鉄ファン)
6名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 13:45
昔のヴィデオ見てると80年代中半は今と比べてプレーの質が明らかに低いんだけど
森西武からは今と同等なんだよな。日本野球を変えたチームかも。
そんなチームと互角にやり合ってた近鉄は今考えると奇跡的。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 13:48
西武→勝てるゲームは落とさない、負けるときも強い
近鉄→勝つときはバカ勝ち、負けるときはボロ負け
このころの近鉄は投手陣が抜群によかったよね。西武以上だと思う。
でももろいところもある。みていておもしろかった。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 13:51
西武は根性とか気合いとか言う前に仕事をキチッとこなさないと話にならないチームのイメージだったよ。
近鉄はその逆(笑
9名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 13:58
たとえ最下位であっても、年に1度は8連勝だの10連勝だのする無敵モード
に入る近鉄が好きです。

>5
穴ですか、ありすぎて見えないだけでは…
今のところ穴なのは、中継ぎ投手、左の先発投手、1・2番、クリーンアップ、
下位打線の繋ぎ役、代打陣、といったところなんですけど(死)


10名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 14:02
>>9
よく読もうぜ。
「このころの」西武だよ。
今のじゃないよ(キケン
11名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 14:03
10・19川崎球場「最終戦」のビデオは
何度見ても熱狂するが、あの年の西武が
もんのすごく強かったからこそのドラマですな。
12:2000/11/18(土) 20:00
>6
確かに、80年代半ば頃、レベルが低下していた時があり
ましたよね。
パリーグは、森監督になってライオンズが戦力を整え、こ
れを、仰木監督が率いるバファローズが追いかけていくと
いう構図で、80年代後半から盛り返しましたが、セリー
グは、90年代前半、野村監督がスワローズを強くするま
で低迷していたと思います。

この頃のバファローズは、野茂が入団したら阿波野が不振
に陥り、トレーバーという4番を任せられる外国人選手を
獲得したら、ブライアントが故障したり、赤堀が安定感の
ある抑え投手になったと思ったら、打球を指に受けて長期
欠場したり等々、主力選手が全員揃ったシーズンがありま
せんでした。
一方、ライオンズは、不思議なくらい、主力選手がケガで
欠場したり、極度のスランプに陥ったりすることがなくて、
シーズン通じて、戦力が整っていました。
バファローズの優勝が1回で、他のシーズンは全てライオ
ンズに優勝を持っていかれた原因は、この辺にあるのかも。

このスレッドの冒頭に挙げた選手が、全員揃った状態で1
シーズン戦うバファローズが見れなかったのが、ファンと
しては残念でなりません。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 22:08
個人的にはキャッチャー並立が好みなので、
当時の山下・古久保・光山3人体制のバファローズは
とても気に入っていた。まあ正捕手を確立したチームの方が
強いってのはわかってんだが。

14⊂(´ー`⊂⌒ヽつ:2000/11/18(土) 22:11
>>12
当時の西武には優秀なフィジカルコーチがいたりしたのかな
159:2000/11/18(土) 22:15
>10
「このごろ」かと思ってました(キケン
恥ずかしい…
16名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 23:40
立花コーチを抱えながら毎年故障者続出ってのは?
謎だ・・・。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 02:12
ここらの時代が近鉄黄金時代だったなぁ。
ブライアントの三振をまた見てみたい・・・。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 07:29
ブライアントの三振→バット折り...なつかしい。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 11:20
91年は阿波野が働いていれば優勝できたと思う。
野茂の存在で腐ってしまった印象。
両雄並びたたず、か。
20新井が渋くて良かった:2000/11/19(日) 13:35
 西武×近鉄は当時「パリーグの黄金カード」なんて言われてましたね。
またそう呼ばれるようになってほしいなぁ。
 私は近鉄ファンだけど、あの10.19川崎劇場については
何かと悪役扱いされるロッテにも敬意を表したい。
 最下位が決まっていながら、あそこまでプロとしての誇りを賭けて
戦ってくれたのだから。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 13:43
つい一昨年までこの時期の遺産でペナントを闘えていたっていうのも凄い。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 14:31
>19
西武、伊原のボーク指摘事件だろ
あれであわのの投手生命は半分絶たれた
23名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 15:49
>22
あれは確信犯で阿波野を潰しにかかってました。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 15:55
俺の持ってる阿波野のカードには野茂との両輪って書いてあるよ。
優勝目指せうんぬん書いてある・・・
25名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 17:53
両チームとも、自前で選手を育たうえで、欠けている所を、外国人やトレードで
巧く補強していますよね。
ライオンズでは、秋山、清原といった長距離打者を育てながら、デストラーデを
入れてAK砲が敬遠されないようにしているし、平野と吉武で外野の守備を堅く
しています。
バファローズでは、一発狙いで打ちたがりの選手が多い中に、新井のような巧打
者を入れて、打線にアクセントをつけています。
ライオンズの方が補強面での戦略は1枚上という感じは否めませんが、バファロ
ーズも、新井を獲得する所など、なかなかのものでした。近年の救いようのない
トレードを連発しているのが信じられないくらいです。
チーム作りというのは、まず、自前で選手を育成し、それでも欠けた部分を外国
人、トレード、FAで補強して欲しいものです。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 19:31
近鉄のトレードは近年理解しがたいのが多い
27名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 19:37
昔を思い出すとウチュになる、、
キヨ、秋山、デス、、、ハァ
28名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 20:00
このカードが黄金時代に野球ファンになった人間からすると
近鉄本社に殴り込みをかけたくなる気分だ。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 20:24
この頃の西武は、、、
AKDはともかく下位打線もヤだった
田辺、伊東あたりが特に
30名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 20:33
中畑とかぶるやつだれだっけ?
31名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 20:43
>30
石毛?
でも、中畑なんて、G以外の球団だったら、そんなにもてはやされなかった
だろうね。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 20:52
>29
そうそう。伊東には痛い目にあってますよ。
代表的なのが94年の開幕戦。
この試合、野茂が8回終了までノーヒット・ノーランをやっていて、
9回表に石井が3ランホームラン。
西武球場で生観戦をしていた私は大感激。
ところが、9回裏、ヒットを打たれてランナーがたまったところで、野
茂と心中するはずの「投げたらアカン」が、野茂から赤堀にスイッチ。
そして、伊東がサヨナラ逆転満塁ホームランで、悪夢の幕切れ。


33名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 21:20
その試合、93年のJリーグフィーバーで野球危うしと言われていた頃で、
伊東がヒーローインタビューで
「これが野球の面白さです。サッカーじゃこういうのはムリでしょ」なんて言ってたのを思い出すな
34名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/21(火) 01:36
思えばこれが野茂とクサの確執の始まり。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/21(火) 03:05
近鉄でイケイケドンドンの豪快野球をやっていた仰木さんが
オリックスでは一転猫の目打線。融通無碍ですな。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/21(火) 03:14
>32
そんなゲームあったね
37名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/21(火) 23:40
結局クサの就任がすべてにわたって転機だったような気がする。
38戸谷真人:2000/11/24(金) 11:28
何かが起こる藤井寺、あげ。
39:2000/11/24(金) 13:26
>38
藤井寺で、両チームホームランの乱れ打ちの末、バファローズがサヨナラ勝ち
した試合もありましたね。
その時のライオンズ・森監督のコメントが「この球場は、何が起こるかわからん。」
でした。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 13:32
勝つために、能力見極めて監督に起用されたわけではなく
「現役時代にスターだった選手への温情・口約束」でクサを監督にした時点で
優勝諦めてたのと同じ
4138:2000/11/24(金) 16:10
>1
藤井寺には魔物が住んでいるのかぁ〜!!。
という戸谷真人の絶叫もよく聞いた。
スレのタイトルからは外れますが、個人的には、85年後半からBU-Lは盛り上がってきたような気がします。
85年後半の意味は敢えて言わなくてもわかりますよね!?。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 16:36
89年の西武球場のダブルヘッダー、
ブライアントの奇跡の4連発は、思い出すだけでも背筋がゾクっとする。
特に3本目だっけ?満塁ホームラン。
打たれた渡辺久が、ヒザをついてがっくりしてた。
まさに「黄金カード」の名に相応しい一戦でしたね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 16:46
藤井寺が満員になってたもんなあ…。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 17:18
>>40
しかし球団もあらかじめそう決めて外に出し、当時監督の
予定席と言われたNHKの解説もさせて勉強したり人脈作っ
たりする期間を与えてたのだから・・
(あの頃は川上も広岡も藤田もいたし、星野・確か山本浩等も
 一緒にいなかったっけ)

それでも就任した当初は神妙だったのになあ。
「団体競技でみんなが満足するという事はないから、
何かあったら自分に直接言って来てくれ」
とか、新聞にも出てたけど・・
45名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 00:45
でもクサスレ見りゃ実像は就任前から
明らかだったろうに(ワラ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/26(日) 20:05
あげ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/26(日) 20:28
実際のところ、近鉄も仰木には期待しておらず本命・そうこんへのつなぎという扱いだったのだと思う。
ところがこれが予想外に名将の器だったということなんだな...
88年の開幕前に選手名鑑で「仰木ってだれ?」と思った人間はかなり多いと思うよ。
実際最初は地味だったから。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/28(火) 14:38
現役時代の実績が芳しくないから「つなぎ」扱いだったのに、
就任してみたら名監督。やっぱり実績重視で監督を選ぶのが
そもそも間違っていると思う。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/28(火) 16:29
>>48
森監督も就任当初は「つなぎ」扱いだったが
就任後に輝かしい実績を残しているところが
仰木監督と似ているところに
このカードの面白さがあったよね。
50:2000/11/30(木) 20:27
仰木監督が西鉄時代の三原野球の継承者で、
森監督がV9時代の川上野球の継承者。
この二人が、ショートリリーフの監督という点で一致しているのは
興味深いものがあります。

当時のBuとLのラインアップをみていると、Buは三原監督の時
の西鉄に似たチームカラーで、Lは川上監督の時の巨人に似ていま
すね。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/30(木) 20:41
そう言えば森は主力選手の背番号までV9時代に似せようとしていたね。

清原(長嶋)の3は最初からだからともかく、
秋山(王)24-1、郭(堀内)12-18と無理して替えていた印象があった。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/01(金) 01:37
ただ今後森系統の野球は継承者が出てくるだろうが、
奔放で豪快な仰木バファローズの系譜は二度と出て
こないのではなかろうか。
当の仰木さんがBWではスタイルをまるっきり転換して
しまっているだけに。
53名無しさん@お腹いっぱい。
今思うと、88年、89年は仰木の意図しなかったシーズンで
その後、エースが投げて4番が打つという懐かしのスタイル
を選択して悦に逝っていたような気がするのだが。
本来スター主義の人なんじゃないかね。
そんなことより、近鉄はあのユニフォームと牛の絵を何とかせえ。