【西武】ヒラム・ボカチカ4【残留シタイネ】

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162代打名無し@実況は野球ch板で
ナカジがボカチカを訪ねにプエルトリコまで行ったみたい。
新聞記事になってるので、(やっつけだけど)訳するわ。
http://www.elnuevodia.com/hermandadsinfronteras-650798.html

国境を越えた兄弟
言葉や文化が違っていても彼らは最高の兄弟だ。

中島裕之は日本の”デレク・ジーター”と呼ばれる選手だ。
彼の実力は日本のプロ野球で最も有名なダルビッシュ有と並び称される。
中島はまだ27歳なのにダルビッシュ同様に億の額を稼ぎ将来はメジャー・リーグを夢見る。
それにプエルトリコ料理の鶏料理や豆ご飯も大好物。
エル・ヌエボ・ディア紙がこの中島の食べ物の嗜好について知ったのは、
数日前にバヤモン市のマグノリア通りにある”エル・バルコンスポーツバー&グリル”の
伝統的プエルトリコ料理を食べていたからだ。
そう、そこは彼の前のチームメイトであるヒラム・ボカチカがオーナーのレストランだ。

「ボカチカが日本でしようとしなかったことを今こっちで僕が体験してる。
それはシーズン中にボカチカからいろいろ聞かされて教えてくれてたことだけど、
でも日本ではボカチカは逆の立場であんまりやろうとしなかったんだよなぁ。
それって不公平ちゃう?」中島は笑って、彼のチーム通訳である黒沢春樹を通してこう答えた。

彼らの4日間の滞在のうち1日はゴルフを楽しみ、他の日は今行われているウィンター・リーグを見て
プエルトリコを楽しんだ。
「彼(中島)は去年はアレックス・カブレラの招待でベネズエラに行って気に入ったようだったんだ。
で、今年は俺が彼にプエルトリコに来いって誘ったよ。じゃ飛び上がって喜んでさ。
日本で彼とは最高の関係だったよ。彼はスペイン語が分からず俺は日本語が分からず、
でも通訳が間に入らなくてもお互いに分かり合える関係だった。」と、ボカチカは言った。
163代打名無し@実況は野球ch板で:2009/12/20(日) 23:55:25 ID:s2HFxQPM0
ボカチカは昨シーズン怪我の影響でポジションを奪われ来年中島のチームメイトになるかどうかは
今のところ分かっていない。
でも、そんなことは今は関係無しに中島、黒沢そしてボカチカはプエルトリコでカリブ文化を楽しんで過ごした。
バヤモン市からドラド市まで、プラザ・ラス・アメリカスからプラザ・パブリカスやポンセ市のボンバ公園まで、
中島はプエルトリコの隅から隅まであちこちを知ることができた。
「気候、ビーチ、景色がすごく気に入った。すべてきれいでボカチカの国で彼と一緒の時間をすごせたのが嬉しい。」
と中島。
「それにボカチカが地元で所属するチームの試合を見たのも面白かった。
違った国の野球を見るのは自分にとっていい経験になった。見たことの無い選手の動きや試合への入り方など。」
中島は将来メジャーリーグに行くために違った文化の野球を今のうちから興味を持って知っておきたいと説明した。
そして2年後、3年後にいつか世界一のリーグでプレーすることができる日を夢見ている。
日本では一旦チームと契約するとポスティングではなくFAでアメリカに行くには10年くらいかかるようだ。
164代打名無し@実況は野球ch板で:2009/12/20(日) 23:57:05 ID:s2HFxQPM0
でも、ボカチカはこう約束する。
「もしその時が来たらメジャーのチームは何チームも手を上げるだろう。彼は日本のデレク・ジーターそっくりだ。
性格的にも人間的にも。でもグランドの上ではジーターよりパワーがあるバッターだ。
非常に才能を持っている。メジャーでも良い成績を残すのは間違いないだろう。」
ボカチカは第2回WBC日本代表のショートで活躍した中島をこう評価した。

中島はWBCでも日本の最高のバッターだった。大会で、.364の打率に2本の二塁打、6打点。
その2本の二塁打は準決勝のアメリカ戦で打ったものだ。
一方日本のシーズンでは、.309、22本、20盗塁、92打点、100得点だった。
6シーズンの通産打率は.304、102本、411打点。

中島は既に日本のスター選手で、ボカチカもこの点では誇張無しにそれを認めている。
「ファンからサインや写真を求められたら、どこでも優しくそれに応じる。人間的に素晴らしくできた青年だ。」
ボカチカは中島についてこう強調した。
ジーターと比べられることについて中島に直接質問してみたら、彼の答えはこうだった。

「僕が日本のデレク・ジーターって?いやぁ、そんなこと言われても分からんわぁ(笑)。」