元スレより転載
中国新聞記事 カープを支えた男達 第1回 小早川毅彦さん(57)。2019.01.15
かつて山本浩二2世と呼ばれカープの4番、引退後はコーチも務めた小早川さんが
鯛焼き屋をオープンしたとの情報を得て取材に向かった。
今年で10年目を迎える新市民球場へと向かう道途中にそのお店はあった。
簡素なプレハブ作りのお店の中で、若いスタッフ4人がせわしなく動いていた。
お店の前で待つ事10分、高級外車が停まった。
中から降りてきたのは、原色の派手なスーツに身を包んだ小早川さんだった。
挨拶もそこそこに、厨房に入って行く小早川さん。
すぐに右手に白い物を持って出て来て、それをお店の玄関に盛りつけはじめた。
「ああ、盛り塩なんですよ、運気が上昇するようにね、商売繁盛、繁盛」
ー続きー
近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、お話を聞く事になった。
〈記者〉鯛焼き屋を始めた理由はなんですか?
初期投資がかからないからね、それにアルバイトで回せるから人件費も抑えられる。
〈記者〉お店には立たないのですか?
うん、全てアルバイトに任せている。
僕は閉店前にこれ(と言ってセカンドバッグを指差す)を持って売り上げを回収するだけ。
〈記者〉鯛焼き、当たりますかね?
丁度10年前、僕がコーチを辞めた年にブームがあったでしょ、あれから10年だから、ブームは繰り返すって言うよね。
〈記者〉食べ物屋さんは、当たれば大きい。
そうだね、それに鯛焼きだと食中毒のリスクが少ない。
赤痢なんて出したら。それこそ洒落にならない。
〈記者〉小早川さんらしいお答えですね、でも任せっぱなしだと暇では?
うん、ほとんど喫茶店で時間を潰すね、それとあとパチンコ。
〈記者〉大丈夫ですか〜
ああ、2時間ごとにチェックに行ってるからね。
若いバイトの子だから、すぐにサボろうとする。
〈記者〉その時はなんて言うのですか。
大きな声で「働け!」って言ってやるよ(笑)
〈記者〉・・・今日はありがとうございました。
うん、しっかり宣伝しといてよ。
喫茶店での小早川さんの分も支払いを済まし、高級外車でパチンコに向かう
小早川さんを見送りながら記者の頭に例の言葉がよぎった。
「働け働け!小早川!」
元スレより転載
中国新聞記事 カープを支えた男達 2024.04.20
第5回「上」マーティーブラウンさん(62)
中区のせせこましい路地を少し入った所に開店から15年を迎える人気のお好み焼き屋がある。
この店のオーナーこそ、かつてカープを率いて戦ったマーティー ブラウンさんである。
2009年オフ、チームの低迷の責を問われる形で解雇を言い渡された。
「分かっていた事だが、ショックだった。だが準備はシーズン中から始めていた。」と当時を振り返った。
オールスター明けからチームは低迷を続け、特に打線の不振は深刻だった。
当然、来季の契約は無い事を感じたブラウンさんの気持ちはお好み焼き屋にシフトしていた。
日本人女性と結婚したばかりでアメリカに帰る選択肢は無かったと言う。
「妻はすぐに理解してくれお好み焼きの教室に通ってくれた。」
気持ちは既に野球には無く、チームも再び浮かび上がる事は無かった。
解雇を言い渡された次の日から行動に移った。
「シーズン中に場所は決めていた。」すぐに不動産屋と契約、内装工事に取りかかる。
お店の宣伝の為、地元ローカルのCMや情報番組のリポーターも勤めた。
「宣伝の為にプライドを捨てた。」話題のお店を食べ歩いたり、イベントを取材したり、時にはピエロのように振る舞った。
その甲斐あって翌年3月に「お好み何処 茶」はオープンした。
オープン初日は宣伝効果もあって沢山のお客が訪れ、その中には開幕を控えたカープの選手達の姿もあった。
順調に見えたお好み焼き屋だが、そこに大きな落とし穴があった。
準備期間が無かったとは言い訳出来ないミスを犯してしまったのだ。
「あれはイージーミスだったね。」
何故か関西風のお好み焼き屋を開店してしまったのだ。
監督時代からファンに「選手を見る目が無い」と言われたブラウンさんらしいミスだった。
「何故、関西風?」と、ファンが離れて行くのに時間はかからなかった。
中国新聞記事 カープを支えた男達 2024.04.21
第5回「下」マーティーブラウンさん。(62)
開店してわずか1週間で休業に追い込まれた。
残された道は「広島風」への変更しか無かった。
「広島風は技術が必要、楽な道を選んでしまった。」
新たな技術の習得のためお店を休んで特訓の日々が続いた。
開店までに3ヶ月を要したが、7月には広島風お好み焼き屋として再スタートを切った。
最初はまばらだった客数もブラウンさんの人柄も手伝って、だんだんと増えていった。
オリジナルメニューも開発した。牡蠣や鯉の身をトッピングした【マーティーズスペシャル】が人気だ。
焼くのはもっぱら奥さん、ブラウンさんは仕込みを担当する。
多い日は1日100個はキャベツを刻むという。
「現役の時より重労働だよ。」と笑う。
あれから15年、今では市内に5店舗を構えるまでに成長した。
支店の店長には元カープの選手もいる。宮崎充登さんと上野弘文さんである。
かつてはカープの苦しい投手事情を支えた二人だが、今は白球をヘラに持ち替えて自慢のパワーアームを披露している。
今年から広島風お好み焼きには欠かせないキャベツの仕入れルートが変わった。
「甘みがあって力みを感じる、うちのお好みにはピッタリなんだ。」
埼玉の大竹農場のキャベツである。3年前にカープを引退した大竹寛さんのキャベツだ。引退後地元埼玉に帰って農業を始め3年目にしてやっと納得がいくキャベツが採れたとのこと。
「去年から親友のリプジーの牧場から素晴らしい豚肉が届くようになって最高さ。」
かつて赤ヘル戦士として共に戦った仲間の協力を経て、ブラウンさんは今日もキャベツを刻む。
記者:広池浩司
中国新聞記事 カープを支えた男達 第6回上 大竹寛さん(36)。2019.05.25
今年で10年目を迎える新広島市民球場に、新しいグルメがオープンした。
ユニークなお弁当で球場の新たな名物になりつつあるお店のオーナーは
一昨年現役を引退した、大竹寛さんである。
長年カープの先発の大黒柱としてローテーションを守り続けてきたが、タフな体も年齢的な衰えは隠せなかった。
晩年は中継ぎをしての当番が増え、打ち込まれる事も多くなった。
引退試合も開いてもらい、満員の球場でお別れの挨拶も。
「あの時は緊張しました。初登板の時以上でしたね。」
引退後、一年間は野球解説者をして広島を中心に活躍したが、元々口は達者な方では無かった為、すこぶる評判は悪く翌年の契約は無かった。
「上手く喋れませんでしたね、喋ろうと思うと力んでしまい言葉が出なかった。」
今後の自分の人生に不安を覚え「埼玉に帰ってサラリーマンも考えた。」そうだが広島への愛着が大きかった。
その頃、元カープ監督のブラウンさんのお好み焼き屋が繁盛しているとの噂を耳にする。
「俺も食べ物屋をやってみよう。」その時、現役時代のあの日が頭をよぎった。
新球場元年、開幕当初から好投を続けていたが、その日は滅多打ちを食らった。
激しいヤジと共にレフトスタンドから弁当が投げ込まれた。
悔しかった、悲しかった、それは自分の投球に対してでは無く「食べ物を粗末にされた。」からだった。
元々、口に入れる物は何でも旨そうに食うと評判だっただけに、食べ物に対する思いはかなりのものだったに違いない。
そうなると気持ちも固まり「俺には弁当があるじゃないか、白飯の素晴らしさを伝えたい。」
開店準備に邁進する日々が始まった。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第6回下 大竹寛さん(36)。2019.05.26
一億円プレーヤーだっただけに資金面では心配は無かったが、メニューを考えると頭が混乱した。
「定番がいいのか、奇抜なものが良いのか迷った。」答えは中々見つからなかった。
ブラウンさんにもアドバイスを求めた。「ワカラナイ」増々迷ってしまった。
その時、あの投げ込まれた弁当が再び頭をよぎる。
新緑の芝生の上に散らばった白飯。
「そうだ!白飯中心で行こう!」もう迷う事は無かった。
こうして白飯がやたらと多く、おかずは「梅干し」と少々の「おかか」だけの「寛ちゃん弁当」が完成した。
「原価も安く済むんですよ。」と顔を赤らめて笑う。これも白飯を味わってもらう為の心配りだと言う。
丁度その頃、松田オーナーから球場にテナントとして誘いを受けた。
二つ返事で承諾し、トントン拍子で開店にこぎ着けた。
そしてペナントレース開幕と共に「白飯最高!寛ちゃんのお弁当」がオープンした。
初日はカープ球団から、昼食用に大口の注文が入った。
又、最初のお客さんは同じく元カープ選手でマンション経営の前田智徳さんであった。
白飯ばかりの弁当を見て「前田さん、はぶててましたね。」と大竹さん。
カープナインからも「こりゃぼったくりじゃろ」との声も。
確かにこの内容で750円は高いかもしれないが「白飯が最高なんです」と、値下げは考えていない。
「まだシーズンは始まったばかり、僕も諦めず頑張りますよ」と肩をグルグル回しながら豊富を語る大竹さんは現役当時そのままだ。
寛ちゃん弁当の帯には「絶対に弁当は投げないで下さい!」の文字が踊っている。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第7回 浅井樹さん(48)。2019.05.27
横川駅からすぐ近くの雑居ビル1階にある「割烹いつき」を訪ねることにした。
出迎えてくれたのは店主でカープで代打の切り札として、引退後はコーチも務めた浅井樹さん(48)だ。
ユニフォームから割烹着に着替えて忙しい毎日を送っているようだ。
そんな浅井さんに色々と聞いてみた。
〈記者〉コーチを辞めた理由は?
コーチ時代に体調を壊してしまいグランドに立つことが難しくなった。
球団に迷惑をかけると思い退団を申し出た。
〈記者〉割烹を始めようと思ったきっかけは?
退団して休んでいる間にOBの北別府さんと釣りに行った。その時釣り上げた魚を見ていたら何だか他人に思えなくなって、
自分も今後どうしたらいいか悩んでいたので北別府さんに相談してみたら「お前魚に似ているから魚関係の仕事がいいんじゃないの」と言われて。それなら魚を料理してやろうかと思った。
〈記者〉料理の経験は?
全く無かったので専門学校に通う事にした。お店を始めるにあたって2人板前を雇った、自分は経営の方を主にやっているが、仕入れは自分が市場で競り落としているよ。
〈記者〉競りは難しそうですね。
魚を見る目はありますよ、似ているせいかな(笑)大丈夫です。
〈記者〉魚に似ていて困った事は?
厨房で作業している時に間違えて板前にさばかれそうになったり、生簀を掃除していてアルバイトにもりで背中を刺されたことかな。12も縫ったよ。
〈記者〉それは大変でしたね。
間違えるなって言うほうが無理かもしれない。
〈記者〉今後、お店をどんな風にしていきたいですか?
まだまだ僕の個性を活かせた料理を提供出来てないと思ってます。
お客さんに浅井らしいなって思ってもらえる料理を考えていきたい。
〈記者〉頑張ってください、期待しています。
ありがとうございます。皆さんを「ギョッ」と驚かせるようなメニューを考えてみせます。
〈記者〉ありがとうございました。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第8回〈上〉 永川勝浩さん(39)。2019.05.29
三次のある中学校で元カープの選手が教師として戦っているとの話を聞いて取材に出かけた。
そこで見つけたのはカープで抑えの守護神として活躍した永川勝浩さん(39)であった。
新人王こそ取れなかったが、リリーフエースとしてカープを支え続けた男がユニフォームをスーツに着替え、ボールをチョークに持ち替え、マウンドから教壇に戦場を移した男がそこにいた。
亜細亜大時代に教員免許を取得した。地元三次で教育実習もした。
カープに入団が決まっていた為、教師になる事は考えてはいなかった。
プロ野球選手としては順調だった。チーム最高年俸も獲得した。
不安定ながらセーブ数も確実に増やしていった。
直球とフォークだけで「守護神」の地位も確立した。
だが引退の時は突然訪れた。
「ストレートが全く走らなくなってしまった。」永川さん35歳の時だった。
その後はストッパーは後輩に譲り、もっぱらリードされた場面でのリリーフ専門となった。
その年、自ら引退を申し出た。2軍で調整中だったため引退試合も行われなかった。
多くのファンも引退を新聞紙上で知った。
「自分らしくて良いと思った」その日、同級生の梵と抱き合って泣いた。
球団からはコーチの打診も貰ったが断った。
「野球と離れて生活してみたかった。」
しばらくは何もせず自分を見つめ直した。家族サービスも沢山した。
しばらくして自分の中にある想いが沸き上がってくるのを感じた。
「教師になるのも悪く無いかな。」
教員免許はもっていたが、あまりにもブランクは長過ぎた。
勉強の日々が始まった。
一年間家にこもって勉強し、古里の三次で採用試験を受けた。
結果発表まで緊張した日々を過ごした。「ドラフトの時より緊張したね。」
採用通知が届いた時は家族全員でお祝いした。
「嬉しかった、新しい人生が始まると感じた。」
三ヶ月後、三次で教壇に立つ事になったが、それは新たな戦いの始まりだった。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第8回〈下〉 永川勝浩さん(39)。2019.05.30
晴れて教壇に立った永川さんだったが、そこには強敵巨人や中日にも負けず劣らずの強敵が待ち構えていた。
永川さんが担当したのは2年生、血気盛んな年代だ。
始めての授業、教室に入っても生徒達のおしゃべりは収まらなかった。
「ザワザワザワ」それはかつてストッパーを勤めていた頃の風景を思い起こさせた。
自然と汗が吹き出てきた、思わず首筋を触る。
「NG川じゃん!」ある生徒が声を荒げた。
教室は爆笑の渦となり授業どころでは無かった。
教師としての初登板は1アウトも取れずKOであった。
そんな日々が続いたが永川さんは諦めなかった。「いつか生徒も分かってくれるはず。」そんな想いが体を突き動かした。
授業の最初に宣言した。「おしゃべりしているのを見つけたら容赦なくチョークを投げるぞ」
それでも生徒はおしゃべりを辞めない。永川さんは生徒に向かってチョークを投げた。
しかし悲しいかな現役時代からコントロールは悪かった。
おしゃべりしている生徒を外し隣の女子生徒を直撃してしまった。
「どうして私に投げるんですか!」女子生徒の怒りに「ああ、ごめんね」と謝ることしか出来なかった。
次の日、手加減してコントロール重視でしておしゃべりしている生徒にチョークを投げ込んでみたが、悲しい事に教科書で打ち返されてしまった。
チョークは永川さんの額を直撃し教室は爆笑の渦となった。
「中日戦より悲しかった。」人生で最悪の日となった。
あれから2年、永川さんの戦いの日々は今も続いている。
「だんだんと生徒も僕を理解してくれている。」
少しづつだが永川さんのクラスも平穏を取り戻しつつあるようだ。
「教師もストッパーも根底は一緒だと思う。いつか皆と笑える日が来ると信じてます。」
そう元気に笑う永川さんに現役時代の面影を重ねるのは、皆さんも同じだと信じてこの取材を終了することにしよう。
ALL-IN!!
中国新聞記事 カープを支えた男達 第9回 嶋重宣さん(43)。2019.07.30
うだるような猛暑の中、市内のある体育館で最近ちょっと話題になっているイベントが開催されるというので取材に出かけた。
会場の前には大きなポスターが貼られ、そこには「ライガースピリッツ」と書いてある。
これは広島市出身のプロレスラーのライガーさんが去年立ち上げたプロレス団体だった。
プロレス界の低迷に心を痛めたライガーさんが、故郷広島で
プロレスの灯火を再びとの想いを元に中国地方を中心に地道に活動を続けている。
その中でひと際大きな声援を浴びる人気プロレスラーがいた。
その人こそ、今回探し求めていた元カープ外野手の嶋重宣さん(43)だ。
午後3時過ぎ、7割がた埋まったあまり大きく無い会場に嶋さんは姿を現した。
鯉のぼりを思わせる全身赤のタイツに身を包み、テーマ音楽に乗ってさっそうと登場。
背中には白で大きく「55」と書いてある。
ゴングが鳴ると、カープ時代より二周りほど大きくなった体はまるで重力を無視したように動き回った。
圧巻だったのはトップロープから回転しながら相手に飛び降りる「ムーサルトプレス」を披露した事だった。
この体に似合わない動きから熱心なファンの間でカープ時代の愛称をもじって「動きすぎるデブ」と呼ばれている。
ー続きー
試合終了後、焼肉屋で食事中の嶋さんを直撃した。
〈記者〉お疲れさまです、体は大丈夫ですか?
大丈夫ですよ、こう見えても鍛えてますから。
〈記者〉プロレスラーになったきっかけは?
野球を辞めてしばらくは解説の仕事をしていたのですが仕事も減って来て、そんな時ライガーさんに声をかけてもらったんです。
〈記者〉ライガーさんはどうして嶋さんを誘ったのでしょうか?
まず体格的なこと、プロレス向きでしょ(笑)それと知名度じゃないかな。
〈記者〉なるほど、プロレスに転向するのは大変でしたか?
大変でしたね、今まで殴られたり蹴られたりってあまり経験無いですから。
相手の技を「受ける」のも技術だと知りました。
〈記者〉どんなプロレスラーを目指していますか?
見た目で判断されないプロレスラー(笑)体型からは想像出来ないような「飛んだり跳ねたり」するプロレスラー。
〈記者〉凄いですね、空中殺法ですか。
ムーンサルトは試合で必ずやります、フィニッシュ技ですから。
それと最近はスワンダイブのニールキックを良く使います、お客さんの反応も良いですよ(笑)
〈記者〉最後にこれからの抱負を聞かせてください。
「ライガースピリッツ」を盛り上げて行きたいですね、来月からは九州で初の興行があります。
いずれ全国区の団体になってプロレスの灯を再点灯したいですね。
僕も「動きすぎて困るデブ」と言われる様、頑張ります!
[取材後記]
取材中も全く箸を止める事が無かった嶋さん。
わずか20分の間に焼き肉15人前をペロリと平らげ「腹八分目ですね」
と、サラリと言ってのけた嶋さん、凄すぎます。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第10回 スコットシーボルさん(40)。2019.07.31
今回は「コルビーバーガージャパン」のCEOとして広島に帰って来たスコットシーボルさん(40)にスポットを当てる。
記事のテーマ「カープを支えた」かどうかは意見が分かれると思うが、読者の判断で読み切って頂きたい。
最初に「コルビーバーガー」の説明をしたいと思う。
コルビーバーガー(以下CB)はカープで先発の柱を勤めたコルビールイスさん(40)が
引退後アメリカで始めたハンバーガーショップである。
最初は小さな店だったが、父の影響からレース場での販売から火がつき
瞬く間に全米で百店舗を超えるまでに成長した。
広島に強い愛着を持つCEOのルイスさんの願いが叶い、このたび日本初上陸の場を
広島で迎える事が出来た。
日本上陸にあたって「コルビーバーガージャパン」を設立、CEOにシーボルさんが選ばれた。
又、設立にあたっては元カープ投手でドジャースでも活躍した黒田博樹さん(44)も出資しているという。
ではCBジャパンのCEOに登り詰めるまでのシーボルさんの人生を振り返って行く事にする。
-続き-
シーボルさんが2年間プレーしたカープを去ったのは2009年の秋だった。
クリンナップを期待されたものの、不調に怪我が重なり結果を残せなかった。
アメリカに帰り3Aで3年間プレーしたがメジャー復帰は叶わなかった。
その後は完全に野球から離れた生活を送る事になる。
家計は主に婦人がショッピングセンターで働き生計をたてた。
その間シーボルさんは「専業主夫」として育児と家事を担当した。
その間、色々と仕事の誘いはあったが踏み出せなかった。「抜け殻のようだった。」と当時を振り返る。
まるで、ど真ん中の球を腰を引いて逃げているような生活だった。
転機が訪れたのは昨年の半ばだった。
何年か振りにシーボルさんの携帯が鳴った。相手はルイスだった。
「家族以外の人と話すのは久しぶりだったので緊張したよ。」
ハンバーガーが好調で日本進出を考えている、是非君に広島で頑張ってもらいたい。
そんなルイスの熱い言葉がシーボルさんを長い眠りから呼び戻した。
今日、オープンを迎えるCB広島1号店の前には沢山の人だかりが出来ている。
一番先頭に並んでいるのは、元カープ選手でマンション経営の前田智徳さん(48)
昨日の夕方から並んでいるとのこと、かなり暇なようだ。
午前10時を迎え店内は大勢のお客さんで一杯になった。
シーボルさんも接客に大わらわだ。
慣れない手つきでお客さんにハンバーガーを手渡す。レジも無難にこなしている。
シーボルさんの横にはカープで一緒だった通訳の古河さんが寄り添う。
今回はホームシックにかからない様、家族も来日しているという。
忙しい合間を縫って、古河さんに話が聞けた。
「あんな笑顔のシーボルは始めて見たよ。」
だが記者にはいつもの無表情なシーボルさんにしか見えなかった。
古河さんは言う「彼の表情を見分けるのは、野球より難しいね。」
中国新聞記事 カープを支えた男達 第11回 天野浩一さん(40)。2019.08.02
高松市瓦町の商店街に元カープ投手の天野さんのうどん屋があると聞いて取材に向かった。
商店街のアーケードが途切れた辺りを左に曲がると、天野さんのお店が見えて来た。
大きな松の板の立派な看板には「讃岐うどん あまのっち」の文字が。
お店の前で天野さんが笑みを浮かべながら、こちらに向かって手を振っている。
「今年も渇水で大変なんですよ。」商売柄、水の事が気になるようだ。
お店の中を見せてもらうと、ごく普通のうどん屋さんといった風情だ。
ここが天野さんの新しいグランドだと思うと、少し胸が熱くなった。
カープを退団後、四国IL、BCリーグと渡り歩いたが4年前に故郷の高松に帰り
うどん屋を開業した。
「長い間、香川を離れていると、その地で食べるうどんの味に納得がいかなくてね。」
BCリーグの監督時代から野球を辞めたら高松でうどん屋を、と決めていたそうだ。
生地の練り込みからトッピングの天ぷらまで、全ての作業を天野さん一人がこなす。
特にこだわっているのは、うどん生地だと言う。
「最初はこう、方足でね、こねるんですよ。」
その動きはまるで現役時代の投球フォームを思い起こさせた。
少し変則な足の上げ方、カープのリリーフ投手として壊れるまで市民球場でファンに披露した、あの動きだった。
「仕上げはね、こうやって手でこねるんですけど、手の使い方がまた変則で。この手の型パームの握りなんですよ。」
と、嬉しそうに記者にうどんのこね方を説明する天野さんはまるで高校球児のようだ。
メニューに関しても「定番しかありませんよ、強いて言えば釜玉がお薦めかな。」
奇を狙ったメニューは考えていないようだ「ピッチングと同じで基本が大事。」納得である。
ー続きー
そんな天野さんだが、オープンするまでは不安がいっぱいだったそうだ。
「お客さんが本当に来てくれるか不安で仕方無かった。」眠れない夜が続いたそうだ。
だが、そんな心配も一瞬で吹っ飛んだ。
開店と同時に波のようなお客が店内に流れ込んで来た。
「嬉しいと同時に、どうしようって思いましたよ。」と当時を振り返って笑う。
お客さん第一号は、わざわざ広島から来てくれたカープでは大先輩だった
マンション経営の前田智徳さんだったと言う。
最後に天野さんに抱負を聞いてみた。
「お客さんから、お前しかおらんって言われるようなうどん屋になりたいですね。」
野球選手としては短命だったが、うどん屋としては「太く、永く」活躍してもらいたいものだ。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第13回 東出輝裕さん・梵英心さん。2019.08.05
元赤ヘル戦士の二人がお笑いコンビでデビューするとの噂を聞いて取材することにした。
新幹線に飛び乗り、大阪を目指す。
電車を乗り換え、ライブが行われる会場がある難波に向かう。
楽屋を訪ねると、笑顔で記者を迎えてくれたのは東出輝裕さんと梵英心さん(共に39)だった。
梵さんは引退後、解説者。現在はCM出演や、広島の情報番組の司会をつとめるなど
テレビで顔を見ない日が無いほどの活躍振りである。
一方の東出さんは、引退後故郷の福井に戻り一年間サラリーマンを経験した後
広告代理店「株式会社野球小僧」を設立、現在に至っている。
設立当初は社員三人だった会社は、僅か数年で社員十五人、年間売り上げ十二億円までに成長した。
広告制作からお祭りのイベント企画まで、現役時代を彷彿とさせる守備範囲の広さを発揮している。
「でも、ポカも多いんですよ。」と、東出さん。
最近ではカープグッズの企画制作にも積極的に取り組んでいる。
二人がお笑いコンビの結成に至った経緯は、去年の夏休みに東出さん一家が久々に広島を訪れた時だった。
梵さん一家と一緒に三次でキャンプをした。
その夜、梵さんの実家のお寺で二人で飲み明かした。久々の再会にお酒も進んだ。
そのうち、どちらからともなく「また二人で何かしたいね」と切り出した。
「やっぱり、皆を楽しませる事がいいよね」少し考えて、酔っていたせいもあって
「お笑いでも、やってみる?」話がまとまった。
この瞬間、お笑いコンビ「二遊間」が誕生した。
ー続きー
福井と広島と離れていることもあって、顔を合わせての練習は月一度ほど
その他のネタ作りやネタ合わせ等は、インターネットを通して行っている。
練習機会は少ないけど「代打の心境で集中して」やっているそうだ。
久しぶりに姿を拝見した東出さんは、額が広くなった事を除けば現役時と変わっていない。
今日は野球のネタで初舞台に挑むそうだ。一つネタを披露してくれるようお願いしてみた。
〈東出〉「バッター売った!ショートの深い所、遠投!アウトかセーフか!」
〈梵〉「南無阿弥陀仏!」
〈東出〉「それを言うならアウトやろ!」
〈二人〉「チャンチャン!」
〈記者〉「・・・・・」
まるで小学生のようなネタを見せられて不安がよぎったが、開演まで後少しと迫った。
開演のベルが鳴り緞帳が上がった。
そこには今日のお笑いライブのトップバッターとして舞台をつとめる「二遊間」の二人の姿があった。
緊張の色は隠せないけれど、一生懸命さが伝わるステージだ。
時々台詞を噛む場面も見られたが、額に汗をにじませ大きな身振り手振りで演じ続ける二人。
こうしてまばらな拍手の中、約10分の「初打席」は終了した。
客席最前列で見ていた広島市のマンション経営前田さんは
「息は合っとったがポカが多い、昔と変わっとらん」と手厳しい。
ライブを終えた二人に話を聞いた。
〈梵〉「今日の結果は三振だったけど切り替えて行きたい」
〈東出〉「野球ではホームランは狙わなかったけど、お笑いでは狙っていきます」
現役時代、厳しいファンからの野次に鍛えられた二人にとっては
今日の結果は只の通過点でしか無いのかもしれない。
中国新聞記事 カープを支えた男達 【番外編】
元カープの横山竜士さんの居酒屋がオープン間近との噂を聞きつけ取材に出かけようとした記者の携帯が突然鳴った。
電話の相手は以前紹介したマーティーブラウンさん。
「今、前田がうちの店で昼飯食ってるから取材してみては」とのこと。
早速、予定を変更してアポ無し取材を決行することにした。
※横山さんすみません。(後日、怒りの横山さんから蛇入りの小包が編集部に送りつけられた)
お店に到着すると、隅っこの一番目立たないテーブルで食事中の前田さんを見つけた。
(以下、インタビュー原文のまま)
〈記者〉こんにちは、お食事中のところ申し訳有りません。少しだけお話を・・・。
「・・・・・・・ええよ。」
〈記者〉今のご職業は?
「勝手に新聞にマンション経営って書かれとったろ、まぁあれでええよ」
〈記者〉すみません、引退時にコーチの打診がありましたが何故受けなかったのですか。
「教えたい奴もおらんかったし、教えても理解してくれんじゃろ」
〈記者〉多くのファンは前田さんにまたユニフォームを着て欲しいと思ってますが。
「レプリカなら毎晩着とるよパジャマ替わりに、背番号は18じゃけど」
〈記者〉それは健太投手の・・・。
「もうワシのは売っとらんし、似たようなもんじゃろ8が余分なだけじゃけ」
〈記者〉そういう問題では・・・。普段は何をされて?
「ゴルフが多いの、浩二さんや池谷さんとよう行くのう」
〈記者〉取材中によく前田さんを見かけるのですが。
「元カープの連中のとこはほとんど行っとるかの」
〈記者〉ほとんど一番乗りですよね。
「そう、背番号と一緒よ」
〈記者〉暇、なんですか?
「失礼な事言うなや、有意義に時間を使っとるんよ、でもまあそうかもしれんの」
ー続きー
〈記者〉(笑)
「そういやぁ、ここ(お好み焼き)も小早川さんの鯛焼きも一番じゃったのう」
〈記者〉今後、ユニフォームを着たいとお考えですか。
「お姉さん、生中おかわり!それはどうかのう考えとらんわ」
〈記者〉どうしてですか。
「たいぎいし、ネットで悪口書かれとう無いしの」
〈記者〉今のカープをどう思いますか。
「いけまあ、あれじゃぁ。打者がヘボばあよコーチがいけんのじゃろうの、誰かのコーチは?」
〈記者〉緒方さんですが。
「ん!ここは書いちゃいけんど!」
〈記者〉ええまあ・・。カープの試合はご覧になりますか。
「もっぱらテレビじゃの、途中で寝とる事が多いけどの、球場には当分行っとらん」
〈記者〉それはどうしてですか。
「途中でなんかダンスするじゃろ、あれやっとったら誰かが写真撮ってのネットに流れたんよ」
〈記者〉それ見た事ありますよ(笑)
「おまけに画像を加工までされて、散々よ」
ー最後ー
〈記者〉それは大変でしたね。今日はこれからどうされるのですか?
「飯食ったらプロレス観に行くで、嶋んとこの、全試合観とるけえの」
〈記者〉ライガースピリッツですね。
「今日から新井が参戦じゃけ楽しみにしとったんよ」
〈記者〉新井というと?
「途中でおらんようになった奴よ、悪役らしいで」
〈記者〉激しい試合になりそうですね。
「ガチで喧嘩になるかもしれんで」
〈記者〉やはり最前列で?
「そう背番号と一緒じゃ言うとろうが、お、タクシーが来たで、じゃぁの!」と席を立つ。
〈記者〉場外乱闘には気をつけてくださいね、次はユニフォーム姿の前田さんを取材させて下さい。
「お前に言われんでも・・・・」
そう言ってタクシーに乗り込みプロレス会場に向かった前田さん。
最後の最後に前田さんらしい言葉が聞けたことで記者の胸にある言葉が浮かんだ。
「前田智徳はまだ死んではいない」
広池さんはこのスレを見つけられるじゃろうか
津田
中国新聞記事 カープを支えた男達 第14回 大竹寛さん(36)。2019.08.05
広島で弁当屋として成功した大竹さんであったが、ドミニカ米混入を指摘され、会社は倒産。
「地獄の日々でしたね。会社玄関に弁当を投げ込まれたり、何度も現実から逃げようとしました。」
しかし、そんな辛い日々を支えたのは、元お天気キャスターである愛子夫人であった。「元々は始球式のために広島を訪れたのですが、はぶてていた主人の姿を見て、不器用なところに惹かれたんです。」
「埼玉に戻ってやり直そう。」そう誓い、農業に専念するため、麦わら帽子を被りトラクターに乗る日々が続いた。
「最初は心が折れそうになりました。抑えに回った選手生活晩年は球場でリリーカーに乗っていたのに、今では埼玉でトラクターに乗っているわけですから。」
「けど、もうあのときのように逃げるわけにはいかないと思ったんです。」
中国新聞記事 カープを支えた男達 第14回(下) 大竹寛さん(36)。2019.08.05
降雨量の少なかった年に国産米の値段が急騰、値段の安いドミニカ米を2000万円で大量に購入し、弁当に混入した。
しかし、そのことが週刊誌に指摘され、会社を倒産させてしまった過去を、大竹さんは悔いている。
「現役時代もピンチになると逃げの投球になってしまった。でも今は家族もいるので、逃げるわけにはいかないんです。」
「今になって、津田さんのおっしゃりたかったことの意味が分かるようになりました。」と語る大竹さん、現役時代同様、トラクターに座右の銘を刻み、畑作業に精を出す日々である。
「平常心 ゆっくり投げ切る 15」
中国新聞記事 赤ヘル潜入ドキュメント「マスクを被った裏切り者」2019.08.10
自らプロレス団体を立ち上げ、中国地方を中心に地道な活動を続けるライガーこと山田恵一さん。
彼は今、新たな選手を獲得の為、新幹線で大阪を目指している。
電車を何本か乗り継ぎ辿り着いたのは、大阪市内のあるマンション。
ちょっとばかり豪華さを感じるマンションの最上階にお目当ての男がいるのだ。
インターホンを押すと奥さんが出て来た。しばらく交渉するとドアがあいた。
部屋を訪ねると、先ほどの奥さんが出迎えてくれた。
中に通され頂いた麦茶を喉に流し込むと、一気に汗が吹き出て来た。
奥さんに交渉するが、本人は会いたく無いとの事。
ここ何年か他人との接触を拒むような生活しているそうだ。
広島から遥々来た手前そう簡単に引き返す訳にはいかない。
ライガーさんは席を立ち、遮ろうとする奥さんを制して彼の籠る部屋の前に立った。
「ちょっと話だけでもさせてくれ、同じ広島人じゃないか、雑談でいいから!」
五分ほどすると、そ〜っとドアが開き無言のまま、お目当ての「彼」が出て来た。
ライガーさんはマスクで隠れてはいるが、満面の笑みで彼を出迎えたように見えた。
すっと籠りっぱなしの生活のせいか顔色は冴えないが、190センチ近くある巨体は迫力があった。
ー続きー
リビングで私(記者)を交えて三人で話をする事になった。
たわいもない雑談で何とか彼の心を開かせようと試みる。
途中、おやつにと奥さんが近所で買って来たたこ焼きを頬張りながら会話を進めると
少しづつ彼の表情がほぐれて来た。チャンス!とばかりに本題に切り出す。
「君と一緒にプロレスを盛り上げたいんだ、古里の広島で!」この言葉には迫力があった。
一瞬たじろいだが、真剣に食い入るようにライガーさんの言葉にうなずく。心が動いた瞬間だ。
最初は戸惑いを隠せなかったが、ライガーさんの迫力に彼も決心を固めた。
「どこまで出来るか分かりませんが、やってみます。よろしくお願いします。」深々と頭を下げた。
ガッチリと握手を交わす二人を見ていると、記者の目に熱い物がこみ上げてきた。
かといって、いきなりプロレスデビューとも行く訳も無く、三ヶ月間の特訓メニューが課せられた。
内容は、あくまで基礎体力の強化メニューだけだ。
彼は「これだけでいいんですか?技とか覚えなくても」と不安を口にした。
ライガーさんは「いいんだ、俺の言った通りにしてくれれば、シナリオはもう出来てるんだ」と笑った。
何とか彼を納得させ、安堵の表情(マスクで見えないが)を浮かべライガーさんは大きな声で言った。
「よろしく頼むよ!新井貴浩くん!」
そう、彼こそかつてカープの四番を勤めながら、FA行使により先に阪神に移籍した歌丸、いや金本を追ってカープを去った新井貴浩さん(43)であった。
彼の事を今更細かく書くのも野暮な話であるが、少しだけ触れることにしよう。
阪神に移籍したものの、不振と持病の腰痛に悩まされ移籍後わずか五年で解雇。
その年、阪神の監督に就任したアニキと慕う金本からもコーチの声はかからなかった。
当然、関西での解説の仕事も依頼はなく「只のよそ者」扱いで彼の側から皆去っていった。
元々精神的にタフでは無かったため、人間不信に陥ることとなった。
ー続きー
帰りの新幹線の中でライガーさんはご機嫌だった。座席の足下があっと言う間にビールの空き缶で埋まった。
どうして新井をレスラーに誘ったのか真相を聞く事にした。
「ウチは今、小柄な選手ばっかりでね、大きいのは嶋くらいでしょ?元々ルチャリブレを基本にしてたから
どうしても小柄な選手ばかりになっちゃうんだよね。最近メキシコからポプアーノって選手を呼んだんだけど
彼も小柄でね、だからもう一人大型の選手が欲しかったんだよ。」
それから、シナリオについても尋ねてみると。
「うん、詳しい事は言えないけど、デビュー戦は嶋とタイトルマッチをさせる、勝つのは新井だ、もう決めてる」
正直、驚いた、デビュー戦でいきなりチャンピオンなど聞いた事も無いし、そもそも嶋が呑んでくれるのか疑問だ。
「大丈夫、嶋は分かってくれるさ」私に向かって親指を立てると、缶ビールを一気に飲み干した。
あの日から三ヶ月の月日が流れ、新井選手のデビュー戦の日を迎える事となった。
事前にライガーさんからポスターを頂いていたのだが、何度見ても新井選手の姿は写っていなかった。
不安を抱えながら、試合会場へと向かった。
試合開始まで三時間ほど余裕があるので、プロレス団体の裏側を覗いてみることにした。
ー続きー
体育館の裏側で、久しぶりに嶋さんの元気そうな姿を発見した。「取材ですか、ご苦労っす!」
リラックスしているのか、覆面の選手とキャッチボールをはじめた。
流石、元プロ野球選手だけあって良い球を投げてる。が、相手の覆面もめちゃくちゃ上手いぞ。
パンフレットを見ると「ポプヤーノ.ダテンゴ」つい最近メキシコから来たらしい。
どう見ても素人には見えないし、嶋とは日本語で会話してるし、聞く所によると何故か広島の土地勘があるらしい。
怪しい、なんかどっかで見た事あるぞ、170センチちょっとで、もしかして投手以外全部守れる人?
なんて変な疑問が浮かんできたが、それもプロレスらしさと自ら納得させることにした。
そうしていると、ライガーさんが姿を現したので新井について質問した。
「え?ポスターに新井が出ていない?いや!出てるよ、ほらっここ!」
とポスターに写っている覆面レスラーを指差した。「こいつが新井だよ」
何と新井は覆面レスラー「アー・ライサン」インド出身の悪役レスラーとしてデビューするのだ。
これではバレバレではないかとライガーさんに詰め寄ったが「まあ見ててよ」と意に介さない。
時間はあっと言う間に過ぎ、試合開始の時刻となった。
会場には、敷きつめられたゴザの上であぐらや体育座りや、はたまたお弁当を食べながらのお客さんが約500人。
のんびりした雰囲気の中、試合は進行してゆく。
セミファイナルで登場した「ポプヤーノ.ダテンゴ」選手は特に印象に残った。
流石メキシコ?から来ただけあって動きが素晴らしい。空中殺法を軽やかに決めてくれる。
途中、リングから場外にブランチャを決めた時、誤ってお客さんを巻き添えにしてしまい、大事には
至らなかったが、何だか日本語で謝っているように聞こえたが錯覚なのだろう。
試しに「○ム○ク〜!」と声援を送ってみると、ピクッと反応してこちらを見たのは目の錯覚だったに違いない。
そしてとうとう、メインイベント。新井のデビューの時がやって来た。
ー続きー
会場が暗くなり、オリエンタル風の入場テーマが響き渡る。曲名は分からないがチャダさんの演歌のようだ。
一体、誰が選曲したのか。
そして、スポットライトを浴びて「アラ・イーサン」が姿を現した。
覆面まで含めて全身ルンギー織りの衣装に見を包み、見方によっては「カレー屋さん」にも見える出で立ちリングイン。
腕組みをして対戦相手のチャンピオン嶋選手の入場を待つ。
間もなくして、おなじみのテーマに乗って全身赤タイツの嶋選手が入場した。決戦の時である。
新井選手に「負ける」事を説得するにはライガーさんも骨を折ったそうだ。無理も無い。
だが、今後この団体が盛り上がって行くため渋々ブックを呑んだそうだ。
二人のボディチェックが行われ、そしてゴングは鳴った!
試合開始と同時に嶋は仕掛けた。やはり一日の長がある。キック、投げと畳み込んでいく。新井は何もできない。
ロープに振られると、手足をバタバタさせながら戻って来た。それはかつて見たサードゴロをはじく動きを思い出させた。
観客の何人かも、同じ感情を持ったようだ。特に最前列で観戦していたマンション経営の前田智徳さんは敏感に反応していた。
試合も20分を経過して、嶋選手がコーナーポストに登った。フィニッシュのムーンサルトプレスを出すつもりだ。
嶋選手の135キロの巨体が宙を舞ったその瞬間、新井選手は間一髪でかわす事に成功。
ムーンサルトの自爆で嶋は動けない、すかさずフォールに入る。
無情の3カウントが刻まれた。新チャンピオンの誕生である。
試合では全く何も出来なかった新井がチャンピオンになった。会場にブーイングがこだました。
勝ち名乗りを受け、二人が握手。汗のせいかもしれないが二人とも泣いているように見える。
チャンピオンになりベルトを巻いたアラ・イーサンにリングアナからマイクが向けられた。
「おめでとうございます!今のお気持ちを聞かせて下さい!」
約10秒ほどの沈黙した後、声を振り絞りながら客席に向かって叫んだ。
「辛いです!」
やがてブーイングは拍手に変わった、か、どうかは定かではない。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第14回 梅津智弘さん(36)・マイク シュルツさん(40)。2019.08.10
今日は「広島県優良食品知事表彰」が行われるということで、広島県庁に取材に来ている。
記事の主旨とは違うと思われる方も多いと思うが、表彰者の中には、かつてカープの苦しい投手事情を
リリーフエースとして大車輪の活躍をした二人の戦士が選ばれているのだ。
県庁内の会議室の一室、整然とテーブルが並べられ表彰式の準備が整えられている。
関係者各位が忙しなく動いている。地元メディアも各社もれなく取材に来ている。
時計が午後三時を指した頃、会場に知事が姿を現した。「皆さんご苦労さまです」
紺色のスーツを着込んだ白髪の少しお洒落なご老人こそ、三年前に県知事に就任した
古葉竹識さん(83)である。
83歳とご高齢ながら、足取りはいたってしっかりされており、流石はもとプロ野球選手だと
感心させられる。
準備は整い、会場に表彰者10名が通され式典は始まった。
一列に並んだ表彰者の中で、頭一つも二つも飛び出た長身の男性二人が、ひと際目をひいた。
この二人こそ、元カープ投手の梅津智弘さん(36)とマイク シュルツさん(40)である。
古葉知事の祝辞が陳べられ、表彰者が順々に表彰されていく。
二人の賞は「広島県知事特別賞」である。知事の手で二人に記念のメダルが手渡された。
これは広島に縁のある食品に対して、古葉知事の独断と偏見で送られる賞である。
梅津さんは「梅酒」で、シュルツさんは「魚醤」での受賞となった。
表彰式も無事終了し、まだ緊張が残っているという二人に話を聞くことにした
ー続きー
梅津さんは現役時代重要な場面でのリリーフとして大活躍したが、何度も肩の故障に襲われ
30歳を目の前にして引退を決意した。
「故障中は体に良いと思った事は何でもやった」そんな中で梅酒と出会った。
早く故障を治す為、先ずは食生活の改善からと有りとあらゆる物を試してみた。
そこで出会ったのが「梅酒」だった。「食前酒として取り入れた」
疲労回復には効果があったが、肝心の肩の故障は完治には至らなかった。
引退後は球団職員として営業を担当、主に年間指定席を法人に販売する業務であった。
外見からも相手先に気に入られる事も多く、球団内でも高い評価を得た。
ある日営業先で、先方の担当者に自作の梅酒をプレゼントしたところ、すこぶる好評。
たちまち、あちらこちらで噂になり自分が呑む分も無くなるほど配らなければならなくなった。
「梅津の梅酒」はこうして知る人ぞ知る「名酒」として語り続けられる事となる。
一念発起した梅津さんは、半年後球団を退職し故郷の山形で本格的に梅酒作りに取りかかる。
球団職員時代にお世話になった方々の協力もあって、全国から注文が殺到した。
今では年間39万本を売り上げるまでの人気銘柄となっている。
ー続きー
シュルツさんはカープを退団後、再びメジャーを目指しマイナーリーグでプレーする事になった。
5年間プレーしたがメジャーでの登板は僅か15試合に過ぎなかった。
その後はマイナーリーグのコーチとして3年を過ごした。
マイナーでの生活は日本のそれとは大きく違った。特に食生活には天と地の差があった。
「やはり日本での食事は素晴らしかった、和食が最高だったね」全てが大味な米国の食事は
もうシュルツさんの舌には合わなかった。
ある日、自宅でステーキを焼いている時、試しに日本から持って来たある調味料をかけてみた。
それはもうアメリカでは食べられないを思っていた醤油の国「日本の味」だった。
これは隠し味として色々な料理に応用でき、どんな料理も美味しく仕上げた。
「もうこれは自分で作るしかない」そう思い立つと製造方法等を勉強し、何度も失敗を重ねながら
2年後にやっと完成した。
最初は恐る恐るネットで販売してみたが、瞬く間にヒット商品となり、今では吉田ソースと並んで
年間一億本以上を売り上げ、各家庭に一本はあると言われるほどのポピュラー商品になった。
「シュルツの魚醤(しょっつる)」でシュルツさんは伝説の成功者となったのである。
梅津さんは「今では生産が追いつかないので新しく工場を建てようと検討中」と言う。
シュルツさんは「来年には逆輸入として日本での販売を考えています」と意欲的だ。
表彰式を終え、山形とアメリカへ各自帰路を急ぐ二人の後ろ姿を見送りながら考えた。
成功者に失礼だが、ただ二人とも語呂合わせでビジネスプランを考えたのではないのか。
いや、そんなはずは無い、気のせいだと言い聞かせながら、
「うめつのうめしゅ・しゅるつのしょっつる」と何度も何度も口ずさんでみたのだった。
中国新聞記事 カープを支えた男達 第15回 横山竜士さん(43)2019.08.12
前回、前田智徳さんの直撃インタビューの為、延期になっていた元カープ投手横山さんの
居酒屋を取材する事にする。
前回の記事で、急遽取材を取りやめたため、怒りの横山さんから編集部宛にヘビの入った小包が届けられた
事は皆さんご存知だと思う。警察まで出動する事態となり一歩間違えればテロである。
再度こうした事態を起こさぬ様、今回は元野球評論家でカープOBの安仁屋 宗八さん(75)と一緒に
取材に向かうことにした。
現在、安仁屋 さんはご隠居の身で一ファンとしてカープを応援している。かつて投手コーチとして
指導にあたった横山さんの事が気にかかっていたそうだ。(本心はタダ酒が飲めるだけだと思うが)
陽もほぼ暮れた頃、中区のある繁華街の一角に数日前にオープンした横山さんのお店に到着した。
腐食させた銅板の看板には「IZAKAYA YOKORYU」の文字が刻まれている。
いかにも横山さんといった感じの、ちょっと見クラブ風のたたずまいのお店である。
お店の中に入ると、赤のTシャツのユニフォームを着込んだスタッフが忙しそうに動いている。
厨房に目をやると、同じTシャツに鉢巻きといった出で立ちの横山さんが、こちらを見つめていた。
「待ってましたよ、今日来てくれなかったら、またヘビを送りつけようと思ってたんですよ」
危機一髪で、非常事態は回避出来たようだ。
横山さんは現役時代、先発、リリーフと大活躍したが、やはりリリーフエースてしての印象が強い。
肩に不安を抱えながら、歯を食いしばって投げる姿は今でも鮮明に覚えている。
36歳で引退後、3軍コーチを5年間勤めた後、長年の夢だった居酒屋をやっとオープンさせたのだ。
野球選手から居酒屋への転身はやはり大変な苦労があったのであろう、額に刻まれた深いシワと
密度の減った頭髪が物語っているようだ。
ー続きー
丁度、横山さんの正面にあたるカウンター席に通され、繁忙時で手が離せないため、仕事をしながらの
横山さんに色々と話を伺うこととなった。
店内には、ロックの音楽が流れ、お客さんの年齢層は比較的若いようだ。
「店長横山お薦めコース」を頼み、お通しに箸をつけながら安仁屋さんと生ビールで乾杯。
朝10時からの仕込み作業で横山さんの一日は始まる。
「まず、厨房(ブルペン)で仕込み(肩つくり)をして、本番に備えるんです」と横山さん。
「ほんとそうですよね、ブルペンでしっかり汗をかくことが大事ですよね」と安仁屋さん。
最初に出てきたのは刺身の盛り合わせ。「魚に関しては色々と浅井さんにお世話になりました」
続いて出て来たのは、地鶏の唐揚げだ。「これは山崎さんとこから仕入れているんです」
噛むと肉汁がジュッと溢れ、非常に柔らかい肉質は絶品である。
「走り回らない様に、ずっと地面にへばりつくように育てている」為、肉質が非常に柔らかいのだそうだ。
お店の定休日は、居酒屋としては珍しく月・木と二日間もある、その理由を横山さんに聞いてみると
「3連投以上はしない」との返事が返ってきた。
「横山はねぇ、大事に使って欲しいですよね」と安仁屋さん。
ここで急に店内のBGMがサブちゃんの演歌に切り替わった。「気分転換」と笑う横山さん。
「ここら辺でね、変わった酒でも出て来たら面白いんですがね」
安仁屋さんの声が聞こえたかどうか分からないが、「これ試してください」と奇妙な焼酎が出て来た。
「これヘビ酒なんです、滋養強壮にいいですよ」アオダイショウを生きたまま焼酎に浸けているのだという。
「ヘビはね僕が由宇の山で捕まえてくるんですよ、手掴かみでね」
これか、編集部に送られて来たのは、と思いながら恐る恐る口に運んでみた。
思ったより臭みもなく、飲み干した後体がカッと熱くなるのを感じた。
「体がカッとなるでしょ、カットボールみたいなもんですよ」
「インコースをズバッと攻められたみたいですね」と安仁屋さんも満足げのようだ。
お酒も料理も進んで行くうちに、いよいよ本日のメインディッシュとなった。
最後に出て来たのは、牛の肩肉を緩く焼いたものだった。
「これが、ルーズショルダー焼きです、僕の野球人生が全て詰まってます」
正に、究極、至高の言葉がピッタリの味であった。作った人の人生が表現された逸品である。
海原雄山も、山岡四郎も絶賛したに違いない。
夜も更け、閉店時間が迫った頃、取材を終えると同時にお別れの時間を迎える事となった。
これからも頑張って下さいとの投げかけに「故障しない様に頑張ります」と笑って返した横山さん。
帰路に向かう我々を、お店の前で見送ってくれた横山さん。ありがとうどざいます。
帰りのタクシーの中で、ほとんど泥酔状態の安仁屋さんに、「横山さんらしいお店でしたね」と話しかけてみると
眠っているはずの安仁屋さんの口が「ほんとそうですよね」と動いたように見えた。
長すぎて読む気しないんだけど 前のスレの広池さん?
あらゆるカープネタがふんだんに盛り込まれてるな
40 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/08(土) 12:01:25 ID:HRwmKMIg0
長げえ
津田恒美
ネタスレはスポーツサロン板でやれよ
43 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/10(月) 21:15:14 ID:ODynsB560
佐藤が秋田に帰郷し家業のリンゴ農家を継ぎ、テキ屋の會澤が佐藤から仕入れして
とうかさんでリンゴ飴を売ってるところに前田が訪問バージョンはいかがでしょう。
中国新聞 地方ニュース 20××.08.11
野球解説者でカープOBの佐々岡真司さん所有する馬が、秋のエリザベス女王杯に出走する事が決まった。
「シンジノドーター」は雌馬3歳、地方競馬で連戦連勝、その功績が認められ今回の出走となった。
オーナーの佐々岡さんは、馬と会話が出来るためレースの度に騎手に馬の調子を伝えているという。
佐々岡さんは先週、週刊誌に隠し子疑惑を報道されたばかりで少しお疲れ気味である。
「僕にそっくりでしょ?でも隠し子じゃないですよ」と隠し子説を否定した。
来週から、後三ヶ月後に迫ったレース本番に向けて、故郷の島根県で調整に入るそうだ。
【写真説明】シンジノドーター(右か左のどちらか)とオーナーの佐々岡さん(右か左のどちらか)
中国新聞 カープ情報 2012.08.11
本日MAZDスタジアム内の球団事務所にて、スタッフ会議が行われ、今秋のドラフト会議での
クラウド選手(ツキノワグマ:安佐動物公園)の指名が濃厚となった。
ここまでの流れは、今期海外FA権を取得し、流出が確実視される栗原健太内野手の後任を早急に
育成しなければならない苦しいチーム事情が影響している。
クラウド選手は一時バット回しで全国的有名になったが、その後野球に興味を示さなくなった。
しかし、昨年あたりから再びバット回しに挑戦、メキメキと頭角を現した。
松本スカウトは「荒削りな所はあるが、バットコントロールは天性の物を感じる、パワーも充分」
と太鼓判を押す。
松田元オーナーは「素材は栗原より上、体も丈夫で新人王を狙える素材」と熱い視線を送る。
現在中日・ロッテも獲得を検討中との情報もあり、他球団の動向次第で上位指名も考えられる。
【写真説明】元カープの前田智徳さん(左)から打撃指導を受けるクラウド選手(右)
中国新聞 カープ情報 2012.11.10
カープが今回のドラフトで3位指名した安佐動物公園のクラウド選手の入団が決まった。
契約金はドングリ3t、ヤマブドウ2tで年俸はドングリ1tで最終合意に達した。
園長は「長い間、動物園の顔として活躍してくれた、別れるのは寂しいがカープの一員として
優勝を見せてほしい」と、エールを送った。
すでにキャンプも一軍スタートが決定、野村謙二郎監督が明言している。
新人ながら、移籍した栗原選手の穴を埋めるべく「四番・ファースト」の期待がかかる。
松本スカウトは「指名順位も栗原と同じ、栗原以上にやってくれると信じている」
と、期待の大きさを除かせた。
※金額は推定
【写真説明】笑顔で握手する松本スカウト(左)クラウド選手(中央)代理人の前田智徳さん(右)
前田智徳さん活躍しすぎだろ
中国新聞 carpキャンプリポート はつらつ!クラウド! 2013.02.05
クラウドが元気だ。キャンプインから5日目だが疲れを全く感じさせない。
打撃に、守備に、走塁にと一際目を引くのがこのルーキーである。
守備では野生の反射神経で、どんな打球も俊敏にかつ正確に捌く。
本領を発揮するのは打撃である。「柔らかく凄まじいパワーがある」とは浅井コーチ。
フリー打撃では計測不能の大飛球を連発、新たにネットが増設された。
偵察に来ていた各球団のスコアラーも「要注意だね、帰ってから対応策を考える、脅威だ」
と戦々恐々だ。
あと少しでオープン戦が初まる、クラウドの実戦デビューが待ち遠しい。
中国新聞 オープン戦情報 悩むクラウド 2013.03.15
クラウドが悩んでいる。ぱったりと人の目を釘付けにしていたプレーは影を潜めた。
あれほど注目されたクラウドだが、オープン戦ではさっぱり。
5試合に出場して20打数の2安打、打率わずか一割に沈んでいる。
打撃が守備にも影響し、一塁ながらすでに7失策を記録している。
「変化球に対応できていない」と浅井コーチは分析する。
だが、全く希望が無い訳ではない、放った僅か2安打がいずれも特大のホームラン。
並外れたパワーを見せつけた。
野村監督は「慣れれば対応出来ると思う、開幕までに間に合ってほしい」
と期待をよせている。
開幕まで三週間を切った今、クラウドは悩み続けている。
【写真説明】見逃し三振をして呆然とするクラウドと、客席で渋い顔をする前田さん(右上隅)
中国新聞 【球¥】夢見心地、雲の上 2013.04.01
今夜ばかりは何も言いますまい、まさか生きているうちにこんな光景が拝めるとは。
「サイクルホームラン」漫画世界でも見た事が無いとんでも無い演出だった。東京ドーム
に歴史的なドラマを演出したのは、まぎれもなくオープン戦で悩みに悩んでいたクラウド
であった。
二回の裏に飛び出したソロホームランがドラマの開演だった。内海の投げたスライダーを
フルスイングすると、打球はレフトの看板を直撃。この一打が巨人投手陣を崩壊に導いた。
「熊に打たれた」今まで味わった事の無い屈辱が、巨人投手陣の戦意を奪った。
カープ野手陣もその隙につけ込み、30安打で25得点と開幕戦を歴史的大勝で飾った。
その中で一際輝いたのは、サイクルホームランを含む5安打13打点のクラウドであった事は
間違いないだろう。
オープン戦では変化球に苦しんだ、浅井コーチのマンツーマンの指導も連日深夜に及んだ。
食生活も改善した。チームメイトの影響で焼き肉を憶えた。そのせいで体重は急激に増加し
本来のキレを失っていった。トレーナーの指摘も有りどんぐり中心の食事に切り替え開幕には
ベストコンディションで臨む事が出来た。
ただ手放しに喜んでいる訳にはいかない。5回に見せたまずい守備は今後の課題だろう。
しかし今夜ばかりは「サイクルホームラン」を肴に旨い酒を飲みたいものである。
まさに夢見心地、雲(クラウド)の上である。
【写真説明】ヒーローインタビューでスタンドに手を振るクラウド
中国新聞 【球¥】ドームに掛かった白い月 2013.04.03
開幕三連勝とは一体誰が想像したことだろう、しかも巨人相手にである。
この開幕三連戦のMVPは間違いなくクラウドであろう。初戦のサイクルホームラン
から始まり、二戦目も4安打6打点2HR、そして三戦目の今日も3安打5打点2HRと
まさにクラウド山大噴火である。
打撃では非の打ちようの無いクラウドだが、守備に関しては苦言を申し上げたい。
2回の裏にそれは現れた。二死満塁から亀井が放った強烈なファーストゴロを好捕したのは
良かったが、動物の本性が出てしまいゴロゴロとボールをくわえて、じゃれてしまった。
東出がボールをもぎ取った時には、既に走者二人が返ってしまい2失点。
今後、こうしたミスをいかに少なくするかがコーチ陣に課せられた課題であろう。
しかし、ミスを帳消しにする打撃は魅力たっぷりである。
明後日からは地元に帰って中日との三連戦が待っている。地元初お目見えのクラウド目当て
にチケットは全て完売と聞く。是非、地元ファンに豪快な打撃を披露してもらいたいものだ。
【写真説明】浅井コーチ(左)からのご褒美のヤマブドウを頬張るクラウド(右)
中国新聞 カープ情報 浅井コーチに聞く 2013.04.04
巨人との開幕三連戦を全勝で飾り、明日から地元で中日を迎え撃つカープの中で
打率8割以上、8HR、24打点と驚異的な活躍を見せているルーキーのクラウド選手。
好調振りを取材しようと球団に申し込んだが「言葉が理解できない」との理由で
しかたなく、打撃コーチの浅井さんに話を聞いた。
ークラウドの好調の原因は?
「変化球に対応出来るようになった、動体視力は元々、人間を超えていたため前足(腕)
の使い方だけが課題だった」
ー体調管理は大丈夫ですか?
「キャンプ中に焼き肉の味を覚えてしまい、檄太りしてしまった、今はどんぐりや栗中心
の食事に切り替えてベストな状態に仕上げている」
ー今後も維持出来ますか?
「他の選手達には、試合後絶対に食事に誘うなと指示している」
ー指導していて苦労する点は?
「彼、今はまだ魚の味を知らないからいいけど、いつか僕が食べれるかもっていう恐怖感はあるよね」
ーそれは大変ですね
「天谷が僕の目を盗んでクラウドに鮭をあげてるのを見た時、背筋が凍ったよ」
ー食べられない様、気をつけてください
「そうだね、今度僕が生きていたら取材に来てね」
そう言って、クラウドの打撃練習に付き合う浅井コーチの背中が寂しそうだったのは、気のせいだろうか。
53 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/13(木) 02:52:30 ID:/sU+SbkD0
54 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/13(木) 04:07:58 ID:CzrbLNE3O
大竹のが1番面白い
56 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/14(金) 01:31:31 ID:Sd+r+gk/0
中国新聞記事 カープを支えた男達 第16回 河内 貴哉さん(37)2019.08.15
元カープで投手として活躍した河内さんが、新しい人生に挑戦中との噂を聞き取材した。
河内さんは99年にドラフト1位でカープに入団したが、故障が原因で29歳の若さで現役を引退した。
現役時代はコントロールに苦しみ、思ったような成績は残せなかった。
引退後は球団職員としてカープに貢献していたが、昨年退職し新たな人生のスタートを切った。
東京の杉並区にある河内さん宅を尋ねると、作務衣姿の河内さんが笑いながら出迎えてくれた。
額は随分と広くはなったが、マウンドで闘志あふれるピッチングを見せてくれていた頃と変わっていない。
現在は、二ヶ月後に迫った個展の為、作品制作に没頭しているとのことらしい。
球団を退職後、旅に出た。「世界中をまわった」リハビリ中におぼえた写真を撮りまくった。
個展には世界中で撮った写真と、現在製作中の陶芸を出展する。「陶芸はまだ作品が出来ていない」
写真の時もそうだが、「形が決まらない」。ピッチングと同じ不安が付きまとう。
何度ろくろを回しても、しっくりこない。とっくりの形を決めるのに上から絞ったり、横から絞ったり
色々なフォームで試行錯誤を繰り返しているそうだ。
河内さんはまだ「旅の途中」のようだ。
個展まで時間はないが、「リハビリと同じで焦らない」そう言ってラッキーストライクをふかして笑った。
57 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/14(金) 01:50:08 ID:8t8Wxj+TO
ああくだらねえ
でも笑った
58 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/14(金) 02:02:53 ID:3W1+Op0AO
何かやっつけ感が目立つなw
実は、
>>25>>26の大竹続編は俺が書いたんだけど、好評ならまた書こうかな、と
広池さんの書いたのを発展させてみた 中国新聞関東支社にするか・・
関東スポーツ広島版にしようかな・・
>>56 元スレ転載以外ではこれが初めてじゃないか。
広池さんの書き込み。
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第1回〈上〉大竹寛(26)さん
広島で弁当屋として成功した大竹さんであったが、ドミニカ米混入を指摘され、会社は倒産。
「地獄の日々でしたね。会社玄関に弁当を投げ込まれたり、何度も現実から逃げようとしました。」
しかし、そんな辛い日々を支えたのは、元お天気キャスターである愛子夫人であった。「元々は始球式のために広島を訪れたのですが、はぶてていた主人の姿を見て、不器用なところに惹かれたんです。」
「埼玉に戻ってやり直そう。」そう誓い、農業に専念するため、麦わら帽子を被りトラクターに乗る日々が続いた。
「最初は心が折れそうになりました。抑えに回った選手生活晩年は球場でリリーカーに乗っていたのに、今では埼玉でトラクターに乗っているわけですから。」
「けど、もうあのときのように逃げるわけにはいかないと思ったんです。」
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第1回〈下〉大竹寛(26)さん
降雨量の少なかった年に国産米の値段が急騰、値段の安いドミニカ米を2000万円で大量に購入し、弁当に混入した。
しかし、そのことが週刊誌に指摘され、会社を倒産させてしまった過去を、大竹さんは悔いている。
「現役時代もピンチになると逃げの投球になってしまった。でも今は家族もいるので、逃げるわけにはいかないんです。」
「今になって、津田さんのおっしゃりたかったことの意味が分かるようになりました。」と語る大竹さん、現役時代同様、トラクターに座右の銘を刻み、畑作業に精を出す日々である。
「平常心 ゆっくり投げ切る 15」
第2回と第3回も書いたのに、なぜかアク禁になった・・
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第2回〈上〉永川勝浩(29)さん
平穏を取り戻したように見えた永川さんのクラスであったが、その平穏は長くは続かなかった。広島市内の中学で「西の番長」と言われ手のつけられない不良であった、金本君が転校してきたのである。
「金本君には参りました。筋力トレーニングを導入しているので怪力ですし、弟分の新井君も手がつけられなかったんです。」と語る永川さんにとって、試練の日々が続いた。
シュルツ先生のクラスにいた頃は大人しかった金本君であったが、クラス替えで永川さんのクラスに来てから態度が豹変した。
「授業中に教室を抜け出してグラウンドでもぐらを殺したり、放課後のグラウンドで護摩行を始めたりと手に負えませんでした。しかも学校には連続出場を続けていて、絶対に休まないのです。」
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第2回〈下〉永川勝浩(29)さん
ある日授業中に喫煙をしていた金本君を見て、永川さんは注意をしたが金本君は突っぱねた。「ザワザワ」教室中が騒然とした空気になり、「劇場が始まる」誰もがそう思った。
チョークを握った永川さんの投じた渾身のストレートは金本君によって打ち返され、サヨナラ3ランになってしまった。「やはり、フォークでないと駄目か。」
永川さんはそう思った。次の瞬間、永川さんの投げたフォークによって金本君は三振。教室は平穏を取り戻した。
「俺のナイアガラフォークは石原さんじゃないと取れないんだよ。覚えておけ。」グレート・ティーチャー・ナガカワ(GTN)の誕生の瞬間であった。
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第3回〈上〉前田智徳(38)さん
現役時代は天才打者として名を馳せた前田さんであったが、広島市内でのマンション経営を経て、今は故郷である熊本でそば打ち職人として暮らしている。
「自分はやはり求道者ですから。職人の道が似合ってると思って故郷に帰りました。」前田さんの経営するそば屋では、客の前でそば打ちを披露することが好評で、開店前から行列ができることで有名となっている。
「足が悪くて満足にそばを打てない時期は、はぶてたりしました。」現役時代の怪我によりなかなか納得するそばを打てない日々が続き、かつての天才打者も頭を抱える日々が続いた。
「前田頑張れ〜」現役時代からのファンに激励を受けても、「お前に言われんでも分かっとる!」と素直に受け止められなかった。
◆関東スポーツ広島version カープを支えた男達 第3回〈下〉前田智徳(38)さん
「内野安打ならいくらでも打てる。けど自分が求めるそばはそんなものではないという思いがありました。」練習の虫である前田さんはバットをそばに持ち替え、日夜研究に励んだ。
転機となる日が訪れた。思うようなそばを打てない日々の中で出前に訪れたロペスさんの家で、はぶてた出前の様子を見て憤慨したロペスさんに殴られたのである。
「悔しいけど文句が言えませんでした。あれで逆に目が覚めたんです。」これまで断っていた地元TV局の取材にも応じるようになり、客は増えた。
「自分の気持ちの変化がそば打ちにも表れて、内野の頭を越すそばを打てるようになりました。」そう語る前田さんの様子は、現役時代よりも表情豊かに感じれられた。
なんかネタ的に書こうとすると、選手に悪い文章になっちゃうな・・
大竹も永川も金本も新井も前田も嫌いじゃないのに。なんか心苦しい
70 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/14(金) 15:18:54 ID:ttl6oENf0
>>66 RT8xJCOz0さん以外のは全部私です
と、いうか最初の記者名に「広池」を使っただけで、私が広池さんと呼ばれるのはどうも・・・
71 :
70:2009/08/14(金) 15:21:59 ID:ttl6oENf0
応援してるよ
73 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/15(土) 09:09:11 ID:5DIgxtSe0
木下さんの野球鳥、今朝ズムサタでやってたよ
中国新聞記事 カープを支えた男達 第16回 井生崇光さん(38)2019.08.15
まだ残暑厳しい福岡のある町中で、元カープ戦士と待ち合わせ中である。
その人は現役時代ユーティリティープレイヤーとして、地味ながら玄人受けするプレーで
ファンを楽しませた、井生崇光さんである。
待ち合わせの場所で待つ事五分、私に向かって軽トラックがやって来た。
ドアが開くと「いおう!」と威勢のいい声と同時に、日焼けした顔が現れた、井生さんである。
井生さんは故障も有りチームの方針と相まって、30歳で現役を引退した。
その後は「高橋由伸」に似ている事から、ものまね芸人としてデビューしたが鳴かず飛ばず。
芸人生活は、僅か半年しか続かなかった。
それからは自暴自棄にかられ、荒れた人生を送る事となる。
ある日、借りたDVDを観ているうちに心の中に変化を感じる事となる。戦争映画だった。
その映画の舞台を目で確かめたくなり、「硫黄島」を訪れた。「自分が情けなくなった」
二万を超える精霊達の声が井生さんの心に響いた。「俺も、もう一度戦おう」
井生さんは。現役時代どんなポジションもこなした経験を生かそうと考えた、考えて考えた末
出した結論は「便利屋」だった。
故郷の福岡に帰ると「有限会社HOI」を立ち上げ、たった独りでお客のありとあらゆるニーズに
応えて行った。「華やかな舞台ではないが、どんな仕事でも引受ける、それが自分らしい」
その熱心な仕事ぶりが口コミで広がり、次から次へと仕事が舞い込むようになって行った。
そんな井生さんだが開業して三年になるが、従業員は雇わず今でも独りだけで営業を続けている。
犬の散歩から子守りや買い物まで、全てのポジションを独りでこなしているという。
「今の時期は、スズメバチの駆除が多いですね」と緊張した面持ちで語る。
刺されて入院した事も何度かあるそうだ。「一番難儀だけど達成感がある、捕手のような仕事だね」
そう言って、依頼を受けたお客の家に「いおう!」と元気に飛び込んで行った。
井生さん、お気をつけて。
75 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/18(火) 23:25:24 ID:TGvrjUJY0
(゚ω゚)
つだ
つねみ
78 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/22(土) 18:43:24 ID:8LXK39hvO
残留あげ
79 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/23(日) 07:02:10 ID:zsWRpFcUO
>>19の前田が一番面白いな
最近のは微妙
クマの話は最悪
あ
この記者の人今ミクシでやってるね
ミクシやってないおいらも読みたいよう
84 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/27(木) 12:03:44 ID:GKwnyz170
げ
85 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/28(金) 01:08:27 ID:IDLky8m20
さ
86 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/29(土) 11:51:18 ID:UhrQvejyO
age
87 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/31(月) 17:20:43 ID:85wjJ1060
捕手
88 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/08/31(月) 17:48:28 ID:MfEYuFC6O
いおうほしゅ
あいざわしょうらいのせいほしゅ
90 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/01(火) 10:59:50 ID:R7XiHGNhO
いしはらあとじゅうねんはせいほしゅ
91 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/01(火) 11:31:29 ID:KwnOvnbyO
しらはま
93 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/02(水) 17:07:57 ID:UPn8e+geO
うえむら
GJ!!!
なかひがしもいちおうほしゅ
97 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/03(木) 00:30:20 ID:FLg9Zt1/0
くら
しらはまなぜ12なんかあたえやがったほしゅ
99 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/03(木) 07:32:03 ID:yzK/d0tK0
井生さん、最後の一軍?
100 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/03(木) 15:44:07 ID:AuIt25i00
100
ぃぉぅ!
ホームレス
104 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/05(土) 13:10:32 ID:/7plzH2vO
きむたくもいちおうほしゅ
前田が必ず一番乗りなのがwww
たぶんさよならやまもとしょうほしゅ
くらあぶなっかしいきゃっちんぐほしゅ
ブラウン
津田をもう一度見たかった・・・
111 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/15(火) 23:43:43 ID:tSTYPmdf0
14
14
114 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/20(日) 11:04:01 ID:06pq4Nk10
津田さんのメッセージ、イタコに頼んで誰か書いて欲しいなあ。
115 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/09/20(日) 21:34:08 ID:zcMdrqJY0
津田恒実
衣笠監督
こうじ
120 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/10/02(金) 21:32:09 ID:Zu8jBXC20
ヽ(`Д´)ノ
俺たち
kunugasa
つふぁ
つだ
125 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/10/19(月) 16:42:19 ID:QdM0WEr10
誰?
レーシッチ
藤井
130 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/10/27(火) 13:50:00 ID:yVgaA0GIO
福永トレーナー
小早川
大野
22
このスレまだ残ってたのか
あげ
>>1も戻ってきてくれないかな
なぜ三村を挙げない
carp
op
衣笠
津田
142 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/11/23(月) 11:55:07 ID:Mhi4VmYN0
広商出身のT川さん
勝利打点王獲得した'87年限定の小早川
144 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/11/28(土) 11:48:08 ID:0EjVtQslO
新井選手
'90年の巨人戦でバックネットに攀じ登ったクモ男
思えばNHKの全国ネットだったからあの日を狙ってたんだろうか…
間違いないよ
NHKの放送開始と同時によじ登ったんだから
赤いハンカチW
支えてないか
監督としての森永さん
149 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/12/14(月) 17:40:00 ID:S02vbLzN0
ルイス
150 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2009/12/20(日) 00:52:57 ID:3BJIAl8TO
金本でしょ。
サンフレ盛田選手が職場体験
中国新聞2010年1月8日(金)11:00
J1サンフレッチェ広島の盛田剛平選手(33)が7日、引退後の進路探しの目的で
広島市西区のお好み焼き店「ロペズ」を訪ね、職場体験に励んだ。
午後1時半から「弟子入り」した。 グアテマラ出身の店主フェルナンド・ロペズさん(46)の指導を受け
キャベツ6玉を千切りにし、お好み焼きの焼き方も習った。
ロペズさんから「ヘラ使いが上手だ。筋がいい」とほめられると、照れ笑いを浮かべていた。
4時半の開店後は、客から注文を聞いたり、水を出したりしていた。
盛田選手は「今後を考える年齢に差し掛かっている。飲食業に興味があり、
この体験を将来に役立てたい」と話していた。
↑これ改変して使えないかな
152 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2010/01/19(火) 23:29:16 ID:RFq3owFf0
使えないね
153 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2010/01/20(水) 00:17:40 ID:Mb6OOxN0Q
石貫博臣 近藤芳久 畝竜美 河野…使い捨て同然でしたなぁ
その中で使い捨てと呼べるのは石貫だけ
近藤は先発だったし、畝は上で投げてるのを見た事がない
河野は・・・なぜ河野
155 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2010/01/23(土) 18:46:11 ID:VCMDY/RI0
浩二、衣笠、三村、慶彦、外木場、安仁屋、
つださん
158 :
代打名無し@実況は野球ch板で:2010/02/17(水) 19:06:38 ID:PqQWYXhy0
河内
津田
今井譲二はリアルで魚屋さんだっけ