「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の十八歳のときなどは、クズみたい
なものだったな」高知県・春野の西武キャンプで、私は清原にこういったが、
本当にそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
私が清原に会ったとき、ほれぼれとながめてしまい、ふだん解説者として禁句
にしている「すばらしい」という言葉を使ってしまった理由はほかでもない。
新人に必ずあるといってもいい、ひと目で見ぬける弱点がなかったからだ。打
撃フォームは、すでに完成品だった。内角・外角と打つポイントが一定しない
例はいくらでもある。フィニッシュも安定している。タイミングのとり方、バッ
トを移行させる軌道も正しい。技術的な弱点の見えない十八歳の新人はめずら
しい。この「見えなさ」を証拠だてる例に、長嶋と張本の清原評のちがいがあ
る。長嶋は「上半身は完璧、ただ、下半身の使い方が疑問」というが、張本は
「下半身は完璧」と、まったく反対の意見となる。
とはいっても、私の記憶の中にある榎本、中西、張本らの一年目にくらべてみ
ると、清原の場合、実はもうひとつピンとこないところがある。彼らには、はっ
きりと未熟さが見える一方で、未知数の粗けずりな魅力があった。清原の場合、
未熟さを感じるのだが、その未熟さがはっきりと目には見えてこない。
気にかかることをもうひとつ。彼の器用さである。外角球をチョンと右へ打つ。
私は、ホームランの量産は意外に少ないのではないか、とみる。器用さに流れ
てしまうことは弱点に通じるといっていい。不器用族と起用族、どちらが強い
のか結論ははっきりしている。「オレは不器用だ」という自覚が「どうすれば
いいか?」という質の向上につながっていく。私の出会った一流選手の多くは
不器用族だった。あの金田は、はじめはストライクを満足に投げられなかった。
王については二十二年間の三振の多さ、千三百十九個という記録を指摘すれば
足りる。
清原の遅れているところは、スイングのスピードだ。いまのスイングでは速い
球についていけない。内角球に苦しむ、となると一流の打者の資格がないこと
になる。救いは、清原の体がまだ少年のそれであることだ。スイングのスピー
ドは、下半身の強化と、ムダな力を抜くことで改善できる。スピードの根源は、
下半身からの瞬発力にある。三、四年たったあとの清原が楽しみだ。この一年
目、清原はそこそこに打つだろう。合格点である打率二割五分にはたぶん達す
ると思う。いまのパ・リーグにはほんとうに速いピッチャーはいない。清原の
いまのスピードでも、とりあえずついていける。これは強運のひとつともいえ
ようが、将来の大成を考えれば、危険な落とし穴と紙一重でもある
週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年4月4日号)
ペナントレース前半戦。清原は弱点をさらけだした。内角球をバットの根っこ
で打たされていた。私の見誤りの原因は、強打者になる条件としては致命傷で
ある、この弱点へのこだわりであった。内角球を打つには最高のテクニックが
いる。これを会得するには、どんなに順応力を備えている選手でも最低一年、
ふつうは二年かかるのだ。だが、彼の進歩は私の目のはるか先にいってしまっ
たようだ。
清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出な
かった内角の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はい当たりのファ
ウルにする。まだフェアにする力には乏しいが、投手をおどかすには十分だ。
ホームランを打てる甘い外角球を投げてもらえるのはこのためだ。
清原は久々の、そして全く新しいタイプの傑出した十九歳の野手だろう。シー
ズン後半の活躍を予測できなかった不明を認めていい。だが、私の本当の気分
は、ここまでみてきた彼の”進歩”が面白くない。長い目でみれば、逆に災い
になる不安すら感じる。かつて強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いず
れも内角に強く、下半身がうまく使え、腕の操作が巧みだった。必然的に「引っ
ぱる」打者だった。清原は流すことで成績をあげている。外角に強いのはリー
チの長い打者特有のものとはいえ、流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打
法である。バースや落合の活躍を見習い、「とぶボールの時代だから、僕は楽
な右打ちでいや」と悟ってしまっているのならこわいことだ。未熟-基本- 応
用の階段を着実にのぼらず、未熟からすぐ応用へ走ってしまったツケはやがて
払わされると思う。体をひらいて外角球を見逃す。苦手のところを空振りして
みせる。スタンスを変えてみせる。こんな投手との駆け引きは、天性の限界が
みえた後、プラスアルファを出すためのものだ。清原の今は、天性・素質の限
界をためす時期である。未熟時代は「ためし」、基本会得期は「おぼえ」、応
用期は「みつける」ことに専念するのが常道である。投球への読みでは第一人
者の山本浩二も大卒で入団後、しばらくは荒々しく素質の限界をためしていた。
王が一本足打法に変えたのは、二本足で残せる数字の上限を思い知ったからで
ある。清原は克明に対戦相手のデータをとっているという。これは応用期の作
業だ。「未熟」から「基本」へ階段をのぼりかけた彼に、いまはかえって邪魔
になる。
週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年9月26日号)