星野だがわしが育てた 29

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社長が去って、岩瀬が申し訳なさそうに私に話し始めた。
 「北京五輪から帰ってきたあと、監督への報告で
“WBCには選ばれても出ない”と言ったんです。「北京は僕にとって、
野球生命が終わるぐらいのダメージがありました。だから、無理だと」

北京五輪で中継ぎに回った川上はダメージが抜けず、
半月近く戦列に復帰できなかった。
あくまで想像だが、指揮を執った星野監督が、
かつての教え子に頼らざるを得なかった気持ちはよくわかる。
だが、2人のダメージは予想以上だったのである。
7992:2008/12/18(木) 01:13:34 ID:4Ku3MRHg0
一方、WBCの投手コーチを任された山田久志氏は、
中日の選手を選ぶに当たって、若い浅尾、高橋を候補に入れた。
中日の元監督として、若い投手に大舞台を経験させることが
成長の糧になると思ったからである。
古巣への愛情から生まれた案だった。

だが、疲れ果てて帰国した岩瀬、川上の姿を目の当たりにしたドラゴンズの
選手たちの間では、いつしかWBC拒絶の空気が充満していたのだ。