【楽天】野村克也 19ツンデレ

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496ノムラの考え(第三戦)〜1
〜西武打線は「投手中心」の鶴岡のリードに対応しきれていない〜

 巨人にとって、正捕手の阿部が負傷でマスクをかぶれないことが、最大の弱点になるかもしれない、と思っていた。
今季31試合にしか公式戦出場がない鶴岡に、マスクをかぶらせる。これは非常に苦しい状況だ。
しかし、巨人は2勝1敗と優位に立った。その原因をつくっているのは、西武打線かもしれない。
 六回に飛び出した中村の3ラン。カウント0-1から、西村のシュートが真ん中に入った。
初球の内角要求が完全に逆球になって、外角へのボールになっているのに、また同じコースに要求した。
制球力を欠く投手が、しかもピンチで登板したのだから、私なら投球練習でも投げている原点(外角低め)で感覚を取り戻させる。
 しかし、カウント0-1から、内角直球(またはシュート)。この配球が「多いな」と第1戦から6度、第2戦では5度。そして第3戦でも中村の本塁打を含めて5度もあった。
 なぜ「おやっ?」と思ったのかといえば、カウント0-1から内角直球の要求は、私の考えにはないからだ。
内角直球は原則的には打者の壁を崩すための「見せ球」であるから、ボールゾーンに投げるべき球種だというのが、私の考えである。
0-2にすれば圧倒的に打者有利のカウントになる。よほどの弱点でない限り、選択肢にはならない。
 「なくて七癖」ということわざがあるが、このパターン化は「鶴岡のクセ」なのだろう。配球のパターン化―。それは大きく2つに分かれる。
『カウントからくるパターン化』と『打者が見えないことによるパターン化』である。今回のケースは前者だが、このパターン化から、もう一つ理解できることがある。
497ノムラの考え(第三戦)〜2:2008/11/10(月) 23:06:03 ID:8Cm+z/jg0
 配球には@投手中心A打者中心B状況中心―があるが、鶴岡が採るのは「投手中心」。この3試合の上原、高橋尚、内海はみな直球、変化球ともに制球に優れていた。
この日の内海は特に、大きなカーブをカウントの稼ぎ球にも誘い球にも使い、直球とのコンビネーションで緩急を、チェンジアップで横の変化をつけられていた。
 だが西武打線に、極端なD型(ヤマを張る)の打者は皆無で、ほとんどがA型(直球待ちで変化球に対応しようとする)。
しいていえば、中村は追い込まれてからヤマを張る事もある程度で、片岡は前打席との関連でB型(内か外か狙う球のコースを絞る)を使い分ける。
もちろん能力の高い打者が多いから、並の投手にはA型で対応できてしまう。
 この日の内海のように緩急と横の揺さぶりを自在に操られると、「絞り込む」(D型)タイプのいない打線は苦労する。だから投手中心の配球だけで抑えられてしまう。
 13年目とはいえ、鶴岡は経験十分とはいえず、また巨人に移籍したばかりなのだから、投手のよさを引き出そうとすることは間違いではない。
しかし、それが同じ相手と最大7試合戦わなければならないこの舞台で、いつまで通用するか。
 私は、日本シリーズは「捕手のためにある」と考えている。日本シリーズを戦う捕手は、グッタリと疲れきってしまう。
私は1試合を試合前の「準備野球」、「実戦」、試合後の「反省野球」と3度繰り返せと指導するが、同じ相手に7試合それを繰り返すことは容易ではない。
 カウント0-1からの内角直球が多いことなど、すでに鶴岡の配球の「パターン化」は西武も分析している。
今後、鶴岡は「変化するか、しないか」を見極めなければならない。
そして何より、西武打線がA型のまま鶴岡のリードに対応したならば、今シリーズの大勢は決してしまうのかもしれない。
498ノムラの考え(第三戦)〜2:2008/11/10(月) 23:06:50 ID:8Cm+z/jg0
〜細川が惚れた岸のカーブが自在のリードを引き出した〜

 岸とは楽天でも何度も対戦したが、これほどカーブが多いピッチングを見たことがない。
それほど細川がこの日のカーブに「惚れた」のだろう。
 一回、小笠原にフルカウントからすっぽ抜けて四球になった球が、この日最初のカーブだった。
続くラミレスには、2-2から7球目に誘い球として使った。二回は李承Y、阿部、亀井に1球ずつ投げたが、いずれも追い込んでから。
このあたりで細川は「巨人は岸のカーブを事前にまったく意識していなかった」と気づいたのだろう。
三回になって初めて鈴木尚にカーブを続けた。巨人打線がバットに当てたのは、四階の脇谷が初めてだった。
「岸はスライダーピッチャーだ」という先入観がある。私もそうだ。
シュート系の球とスライダー、チェンジアップが主で、カーブは意識したことがない。
 この日の岸は球速以上に直球の切れがあった。そして縦のカーブが使える。
そうなると、得意のスライダーよりもカーブの方が高低と緩急の変化がつけられるだけに「内角直球と対になる球種」としてうってつけだ。
細川が『惚れた』理由はこれだ。
 巨人の強力打線は「何となく」打席に立ち、「何となく」打ち取られ続けた。
配球の基本には@緩急A高低B横のゆさぶり―があるが、直球、スライダー、チェンジアップだけなら@とAがあっても極端ではない。
しかし、カーブは@とAの幅を広げる。しかも事前情報が少なかっただけに、途中から気になり始めた。迷うから「何となく」と見える。
 たとえばラミレス。第1打席で内角への直球に空振り三振。内角に意識を高めている第2打席では、外角へ直球を2球続けられた後、予期せぬカーブで遊ゴロ。
第3打席では内角の直球に加えてカーブを意識した。だがカーブは1球もこなかった。そればかりか、内角を意識していた分だけ甘い真ん中の直球に振り遅れてファウル。
最後はチェンジアップで右飛に仕留められた。まるで追えば逃げる“鬼ごっこ”のようだった。
499ノムラの考え(第四戦)〜2:2008/11/10(月) 23:08:01 ID:8Cm+z/jg0
 私が考えるカーブの攻略法は、ただひとつ「捨てる」だけだ。「追い込まれるまでカーブはやめよう」と強い意志を持たなければ、つい手が出てしまう。
意識して捨てなければ、狙い球にもできない。そんな状況だから細川は簡単に打者心理を読み、「打者中心」のリードで巨人を封じた。
特に2試合連続本塁打で息を吹き返していたラミレスを再び眠らせ、李を不振のどん底にたたき落としたことは、バッテリーにとって殊勲甲である。
 
 最近の少年野球では、カーブをはじめ変化球を投げることは禁じられている。その理由は、骨が未発達なためにひじや手首など関節の故障が多くなるからだという。
そして最近のプロ野球選手がカーブを打つのが下手なのは、子供のころからカーブを見て育っていないことに一因があるのではないか。
 地方の無名校の野球少年だった私は、プロに入ってからカーブの打ち方を覚えた。「カーブの打てない、ノ、ム、ラッ!!」とスタンドからやじられたこともある。


・・・・・・・・・・・・・上は第4戦の1です
また「技術だけで勝利することは難しい」というのが私の信念でもあるが、これも落差の大きなカーブを打つために
「ヤマを張らなければ打てない」とD型で臨むことを覚えたことが一端になっている。
 関節だけでカーブが投げられるわけではない。全身の正しい使い方を教えることこそが必要なのだ。
子供たちはみな、岸が巨人打線を手玉に取ったカーブを目を輝かせて見つめたことだろう。
また、どうやってカーブを打つのかも知りたいはずだ。そうした好奇心や興味が努力の源になるということだけは、忘れてはならない。
500ノムラの考え(第五戦)〜1:2008/11/10(月) 23:08:58 ID:8Cm+z/jg0
〜「エースの交代」よりも「正捕手の交代」が大きく勝敗を左右〜

 三回の上原の交代は、まず考えられないことだ。私が考える投手交代の基準は、@信頼A疲労B不調C打者との相性―などである。
だが巨人が上原をこのシリーズで「エース」だと考えていたなら、信頼関係を崩す可能性がある交代は難しい。
それでも決断した交代の理由を探っていけば、こう考えられる。
 上原は外角低め、内角高めへの直球の制球力とフォークが持ち味。逆に、スライダーとカーブには信用がおけない。
直球のキレがないなら、必然的にフォークに頼らざるをえなくなる。全52球のうち、フォークは24球にものぼった。
三回は中島、石井義、後藤がフォークを狙って打っていったのも当然で、危険な配球ばかりだった。
 これは上原自身の不調に加え、中村ら不振だった打者にも当たりが出てきたことで、捕手の鶴岡に「恐怖心」が芽生えたことも一因である。
フォークは空振りを奪える球種という先入観から、ピンチで頼りがちになる。
しかし私は楽天の捕手に「“困ったときのフォーク”などありえない」と言い聞かせている。
落ちなければ半速球となり、打者の餌食になるからだ。結局、直球とフォークが主の上原は基本的に「投手中心の配球」しかできない。
打者の反応を見るにはそこそこ球速があり横の変化があるスライダーが一番だが、上原はこれに頼れないから「打者中心の配球」が難しい。
「調子がよくない」「フォークを狙われている」「配球が悪い」―の三重苦。
「エースの交代」には早すぎるが、今季の巨人は、山口、西村健、越智ら充実した中継ぎ陣で勝ってきた。覚悟にまさる決断なし。これは大きな転機だった。
501ノムラの考え(第五戦)〜2:2008/11/10(月) 23:09:45 ID:8Cm+z/jg0
 しかし「エースの交代」よりダメージが大きかったのは、「正捕手の交代」だった。私は『日本シリーズは捕手のためにある』とくり返し書いてきた。
七回に涌井が喫した5連打は、銀仁朗の未熟が招いたものだ。
 亀井と脇谷の安打は、いずれも変化球がボールになった{亀井はカウント0-1、脇谷は0-2)後の外角直球を簡単に打ち返されたもの。
第4戦までの細川は、初球や2球目に変化球がボールになっても、2球目に同じ変化球でストライクを取らせていた。
これは「同じ変化球を狙いづらい」打者心理をよく理解したもので、シリーズを通して私は、よく心理を読んでいると感心してみていた。
また、細川は「巨人打線が緩急に弱い」という欠点をつかんでいた。第4戦で岸にカーブを多投させたのが代表例。
涌井も第1戦ではカーブをカウント球や誘い球に使っていた。しかし銀仁朗に代わってからカーブは3球だけ。問題の七回には1球もなかった。
 まだ3年目、出場が100試合そこそこの銀仁朗に多くを求めることができないのは承知している。
しかし私が「日本シリーズは捕手のためにある」と強く思った日本シリーズがある。
今年と同じ「ジャイアンツ対ライオンズ」となった1958年。
西鉄は稲尾和久と名コンビといわれた21歳の和田博実を捕手にすえて、いきなり3連敗を喫した。
 ところが第4戦の途中から、西鉄・三原脩監督は38歳の大ベテラン、日比野武に捕手を代えた。
そこから「神様、仏様、稲尾様」の大逆転が始まった。稲尾の投球もすばらしかったが「捕手の交代」が球史に残る大逆転劇の転機になったこともまた事実だった。
 野球というスポーツは、精神野球から管理野球、情報野球へと発達してきた。現在の情報野球ではデータや傾向が数字になって表れてくる。
しかし専門知識や情報が増えれば増えるほど、捕手の応用力、観察力、洞察力がゲームを左右する。
西武を昨年の5位から優勝へ導いたのは細川が「守備の要」であったからだ。
彼の復帰が、今年の日本シリーズの行方を決するといっても、いまや過言ではなくなった。
502ノムラの考え(第六戦)〜1:2008/11/10(月) 23:10:35 ID:8Cm+z/jg0
〜「読み」だけが「欲」という本能を忘れさせる〜

 細川の離脱という西武の致命的なピンチを、岸が救った。
短期決戦で最も大事なのは『戦術に集中せよ。戦略は忘れよ』というものだ。
 私は七回の西武の攻撃で、岸に代打を出せば危ないと思った。「あしやも岸で…」などと渡辺監督が欲を出せば、巨人に逆転の目が出ていた。
だが、渡辺監督は欲を捨てて「戦術」に徹することができ、西武はがけっぷちをものにした。
 第4戦で指摘した岸のカーブがこれほど有効だとは、本人も気づかなかっただろう。
このシリーズで緩急の効用という「打者のいやがる投球」を覚えてしまった。
同じリーグの監督としては、来年の岸はやっかいだと苦笑するほかない。カーブが改めて“古き良き新球”として見直されるかもしれない。
 直球を狙うのに勇気はいらないが変化球、特にカーブを狙うのには勇気がいる。しかも、3日前に見ているカーブである。
A型(真っすぐに重点を置きながら変化球にも対応しようとするタイプ)でついていけない球種なのだから、
D型(ストレートか変化球か、球種にヤマを張るタイプ)に転じて「狙う」勇気が必要だった。
追い込まれるまで「捨てる」ことが攻略法だと指摘したが、巨人打線は打者有利なカウントで「稼ぎにくる」カーブすら狙っていかなかった。
木村拓、鈴木尚、李承Yらは明らかに腰が浮いていた。カーブの打ち方を知らなさすぎる。
503ノムラの考え(第六戦)〜2:2008/11/10(月) 23:11:24 ID:8Cm+z/jg0
 最終戦に「戦略」はない。可能な「戦術」を駆使して戦う、監督の腕の見せどころだ。技術のぶつかり合いだけでは勝てない。
そこでもうひとつ、指摘しておきたいことがある。第6戦は、あまりにも「本能」だけで野球をしすぎていた―という点である。
 細川の代役を務めた銀仁朗には、いくつも「危険な配球」があった。一例が八回一死一、三塁でのラミレス。
初球スライダーがボール。初球の変化球がボールになれば、打者は本能的に「次は直球だ」と考える。銀仁朗は外角直球を要求した。
しかし、打ち損じのファウルに救われた。そこに捕手のセオリーはなかった。
 対するラミレスも「本能」にとらわれていた。3球目の内角要求は真ん中低めの「危険ゾーン」に入ったが、打ち損じの二飛。
試合を決めたいという「4番打者の本能」にとらわれていた。甘い球が「きた」と思うと強引になる。
 私はそんな強打者を「0.1秒喜ぶのが早い!!」としかり飛ばす。
追い込まれるまでは強引になるが、追い込まれれば自然とバットが出て素直に打ち返せるものだ。欲=本能を捨てていれば打てたはずだ。
 細川、阿部と「正捕手の不在」、上原の3回降板による「エース不在」、クルーン、グラマンへの信頼が薄いことによる「守護神不在」―。
私はこんなシリーズを見たことがない。かつて稲尾和久、杉浦忠、秋山登らが連投していた時代、日本シリーズは名投手のためにあった。
それが「捕手のためにある」と変化したと考える。しかし、今年は様相がどれとも異なっている。
 一つ言えるとすれば、本能を克服したチームが勝つということだ。渡辺監督は巨人打線が打てないカーブを持つ岸の中2日投入という短期決戦ならではの戦術をとった。
一方で、第7戦を見すえた岸の交代という「欲」を捨てた。だから岸に実力以上の能力を発揮させられたのだろう。
 『欲から入って、欲から離れろ』という。野球で欲を忘れさせるものは「読み」だと考えて、私は野球人生を送ってきた。
 カーブを狙う、打者の反応を見て配球を決める、甘い直球に素直にバットを出す―といった個々のプレーを可能にするものは「読み」だ。
それこそが選手が本能から解放され、勝つための一投一打に徹する道である。
504ノムラの考え(第七戦)〜1:2008/11/10(月) 23:12:09 ID:8Cm+z/jg0
〜西武が土壇場で魅せた「気勢の上がるプレー」が巨人との「ほんのわずかな差」になった〜

 勝負はいつでも「ほんのわずかな差」で決する。
力は五分と五分、大きなミスはない。それでも「わずかな差」が生まれたのは、西武に生まれた『気勢の上がるプレー』だった。
 私の考える『気勢の上がるプレー』とは、具体的には「本塁打」と「奇策」である。ベンチに「行ける!!」という一体感が生まれるものだ。
第7戦の西武にはそのどちらもが出た。前者は五回のボカチカだが、私が重視したいのは後者の「奇策」、すなわち八回の片岡の盗塁である。
 1番から始まるこの回をしのげば、巨人の勝機は大きく広がる。だから先頭で死球を受けた片岡は、手をたたいて喜んだ。
続く栗山の打席での定石は送りバント。だが片岡は、初球に盗塁を決めた。これは根拠がなければ走れない。
直前の七回一死一塁で、越智は走者の平尾に対して牽制動作はしたものの、実際には投げなかった。越智は牽制が苦手なのではないか。
確証がなかったとしても、犠打よりも盗塁を優先するための、大きなヒントになっただろう。
 第1戦の一回先頭で、片岡は上原に牽制で刺された。巨人は「片岡の足封じ」に対策を練ってきていたが、短期決戦の中で蓄積した情報を分析し直していたのだろう。
鶴岡の肩、投手のクイックと牽制のクセ―などの比較から、その後の5盗塁は生まれた。
 越智は、中村との勝負を避けた二死一塁から野田に四球という致命的なミスを犯した。
ラッキーボーイの平尾には、初球フォークから入り「(第6戦で)直球を打っているオレを怖がっている」と心理的余裕を与えてしまった。
平尾は変化球に狙いを絞り、素直にセンター返しの打撃をすればいいだけ。西武の『気勢』にバッテリーが飲み込まれた。
 西武は第6戦の岸、この日の石井一、涌井のリリーフ投入など、渡辺監督が意識して『気勢』を上げる選手起用を続けた。
シーズンの延長で戦うのではなく、臨機応変に「全員で行くぞ」という一体感を生み出す采配に徹した。
逆に巨人は西村、越智ら若いリリーフ陣の勢いを買ったが、最後は「型」にこだわって敗れた。これが「ほんのわずかな差」だったのだと私は分析する。