■星野仙一と牟田口廉也 その共通点を探る■

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1代打名無し@実況は野球ch板で
五輪で歴史的大敗。メダル無しに終わり
日本野球に深いキズを残した日本代表監督・星野仙一。

大東亜戦争において無謀な作戦を遂行。
軍を疲弊させ、破綻を招いた日本陸軍中将・牟田口廉也。

時代や組織は違えども、両者のたどった道筋はあまりにも似ている。
このスレッドでは彼らの失敗や共通点を探り
来たるべきWBC、また今後の日本野球はどうあるべきかを語り合うスレッドです。



2代打名無し@実況は野球ch板で:2008/08/27(水) 22:11:23 ID:mO0mRmT20
牟田口 廉也(むたぐち れんや) Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F

牟田口は前線部隊に対しては現在地死守の命令を繰り返すのみで撤退を一切認めなかった。
この頃つけられた呼び名は「鬼畜牟田口」。また当時このような歌も流行った。
「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。
「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした
指揮下部隊を置き去りにしていち早く戦域を離脱し安全な後方地帯へと逃げ込んだ。
将兵からは「馬鹿な大将、敵より怖い」と罵られ、「鬼畜の牟田口」と呼ばれていたと伝わる。
インパール作戦失敗の責任を問われると、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と
牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始した。 兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かった。
それどころか遺言を残して、自分の葬儀においても自己弁護を印刷したチラシを参列者に対して配布させた。

日本軍史上、現代に至るまでこれほど酷評され、擁護する人間が全くいないのは、将官、将校では稀有な存在である。
3代打名無し@実況は野球ch板で:2008/08/27(水) 22:11:39 ID:mO0mRmT20
無謀なインパール作戦で日本軍将兵10万人を死なせたとされる「日本史上最低の無能将軍、牟田口」であるが。

・体育会系の豪放磊落な性格であり、大本営内での評判は非常によろしかった。
・ちなみに、単に酒の飲みっぷりと部下の殴りっぷりが豪快だっただけである。
・何回作戦に失敗しても、「あの牟田口さんが失敗するはずはない」「たまたま運が悪かった」
 「兵士の士気が低かった」と弁護され、より大きい作戦を任されるようになった。
・女遊びも豪快で、司令部に併設して芸者宿を作らせた。
・芸者を囲って国費で連日どんちゃん騒ぎ。
・前線視察のときに、芸者を飛行機に乗せて連れて行った。
・たまらず諫言した部下を、最前線送りにして玉砕命令。
・何かと腹を切ってでも責任を取ると何度も口にしていたが、終戦後も一貫して失敗を認めずに天寿をまっとう。
4代打名無し@実況は野球ch板で:2008/08/27(水) 22:11:57 ID:mO0mRmT20
星野仙一 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E4%BB%99%E4%B8%80

「プロは結果を残さなければ去るべし」という冷徹なポリシーも持ち続けていた。
1995年にドラフト1位で入団した金森隆浩が1996年10月9日の対阪神最終戦(甲子園)にプロ初先発し、
日本プロ野球のタイ記録である1イニング2本の満塁ホームランを打たれ10失点で降板したときは、
「これを記念に消えてなくなれ。もう二度と俺の目の前に姿を見せるな!」と言い放ち、
その後一度も一軍に上げることなくその年のオフに戦力外を通告した。
5代打名無し@実況は野球ch板で:2008/08/27(水) 22:12:18 ID:mO0mRmT20
ニュースZERO 星野仙一発言まとめ

・キューバ戦で負けたのは国際審判のストライクゾーンがおかしいので
 選手が臆病になってしまったため
・審判の判定はみんな一緒だと言うが、日本のピッチャーはコーナーを攻める、
 韓国のピッチャーは勢いだけ。日本に不利だった
・判定が日本にだけ不利だったとは思いたくはない(案に日本にだけ不利と強調)
・合宿地が東京だったのが悪い。宮崎みたいな田舎だったら一体感が出来た
・韓国は国際球を事前に使ってたから日本より有利だった
・調子の悪い岩瀬を使ったのはチャンスを与えるため。それが俺の主義。
・しかし実は代わるピッチャーもいなかった
・世界との差はない。選手のピークを試合にもってこれなかった
・元気がなかったのではない、元気がないように見えるだけだ
・しかし選手が健康管理を徹底できなかった。それは私の責任だが
・監督と言うのは臆病だ。だから縁起を担いでずっとベンチで座ってた
 あくまでも縁起を担いでいたのであって無策だったのではない
・今後の課題はタフさ。日本の選手は精神力が弱い
・仲良しグループと批判されたが、予選を通ったときは何も言われなかった。
 結果が悪かったから批判されるのであって、仲良しグループの何が悪い
 田淵も浩二も野球のことでは熱心に話をする
・私がこれだけバッシングされるのは日本人が野球を好きな証拠
・(WBC監督については)昨日帰って来たばかりだから今日は言わない
 でもチャレンジし続けるのが私の人生、私の人生はまだまだ長い
・(ZEROのファンの皆さんへ一言)「今後もチャレンジしていきます。
 勝負していきます。夢を持たなきゃいけない。私の人生長いのでまだまだ行きます」
6代打名無し@実況は野球ch板で:2008/08/27(水) 22:13:02 ID:mO0mRmT20
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■星野仙一を歴史上の人物や出来事に例えると?■
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7代打名無し@実況は野球ch板で
牟田口は太平洋戦争緒戦ではまともな働きをしていた。
参謀本部の無謀な攻撃要請に体を張って反対するような
正論居士としてそれなりの人望もあったのは事実。

インパールのときも、始めるまでは
「自ら進んでのような作戦を強行するとは…」と
不思議がられたもんだが、惨敗に終わると
あること無いこといわれて総叩きに。