★☆新井貴浩をまったり応援するスレ〜PART2〜☆★

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新井貴浩(すべて真実) 
大学時は通算本塁打2本と目立った活躍のない無名選手でプロには無縁の選手だった。 
しかし駒大の先輩でもある野村謙二郎らカープ関係者に頼み込んでドラフト指名しても 
らい入団する。(当時、同期生は耳を疑い、ドラフト会場では嘲笑もおきたほどだった。) 
入団当時「打撃も守備も荒い」と言われた新井であったがコーチと二人三脚で練習に励 
み鍛えられていった。 
また「新井を四番として育てる」と当時の監督である山本浩二氏が結果の出せない同選 
手を我慢強く起用し続けた。(新井育成のためのシーズンだと呼ばれた年もあった) 
優先起用は今は亡きオーナーに気に入られよく可愛がられていたからとも言われている。 
とにかく球団もファンも将来のためにと見守り続けた選手である。 
そして苦労の甲斐もあって05年ついに開花し本塁打王を獲得、翌年06年には初の100打 
点を達成する。 
52/2:2008/07/03(木) 12:54:42 ID:47WMHmxS0
そして同年、同選手は生涯広島宣言をした。(この時、新井は黒田選手のようにファ 
ンに引き留めてほしいと語っている) 
翌年07年、FA権を取得した新井選手に対してファンは同選手の希望通り残留を願い球 
場で残留願いをした。 
球団側も球団史上初となるFA権行使後の残留を認める方針を打ち出し、年俸倍増、四 
年契約の大型契約を提示し出来うる限り最高の誠意を見せた。 
しかし、彼はこれまでの言動とは裏腹にその年FA権を決意、行使したのである。 
その時の会見ではなぜか涙を流し「カープが好きだから」「ファンには喜んで出て行く 
わけではないことを理解してほしい」などと意味不明なことを述べた。 
この会見に対し達川、緒方、野村氏らは不快感をあらわにした。 
その後、同一リーグの阪神へ移籍した。広島から阪神へは過去金本、シーツ選手と四 
番打者が二人も移籍しており、ファンの最も嫌がる球団であった。 
さらにその後、「(野次を想定し)僕に対して罵声を浴びせる人より僕の方がカープも 
愛してる」と述べたり(広島系HOMEテレビ正月特番にて)関西系の番組出演時に自らの 
入団経緯に関して「たまたま拾ってもらった」と述べている。 
なお阪神に移籍後、達川氏の呼びかけをシカトしている。その時同氏は「新井を美化す 
るな。ろくなもんじゃない」と切り捨てた。 
以上新井がカープファンから最も嫌われている理由である。