【スペランカー】彡 ´ー`)彡 ゚ー゚)×53【多村仁】
【2008年のスペ履歴】
01/31 キャンプイン前日、右肩痛を理由にB班に入れられる
02/16 紅白戦初戦、4打数4安打、1ホームラン3打点と大活躍も…
02/17 腰の違和感により、紅白戦を欠場
02/27 右目下のものもらいを切除、オープン戦を欠場
03/05 オープン戦第1号を放つが、後の打席で右足に自打球
03/09 肘の違和感により、オープン戦を欠場
03/28 31回目の誕生日。人生初の花粉症に悩まされる?
04/02 第1打席で2号3ランも、第3打席で左ひじに死球を受け退く。
04/18 腰痛により欠場。
【2007年のスペ履歴】
03/13 オープン戦、自打球を足に当ててしまい一回のみで途中交代
04/04 三ゴロで一塁を駆け抜けた際に左太もも裏側を負傷し途中交代。翌日の試合には
代打で登場しタイムリーヒットを放つが…
04/07 次のカードを欠場、開幕からの連続試合出場は11で途絶えた。
04/29 スライディングキャッチを試みた際に左太ももを痛め途中交代。翌日より4試合欠場。
05/15 走塁中、2塁直前で相手外野手の送球が局部に命中し悶絶も出場続行
05/19 ゲッツー崩しをした際に2塁手の下敷きになるも出場続行
06/09 ホームに突入した際に審判にぶつかり左太ももを痛め途中交代
07/02 体調不良(鼻がムズムズする)で練習を早退。病院で検査を受け、宿舎で静養。
08/17 腰痛のため欠場
09/15 股関節の痛みを訴え一打席で途中交代。翌日より3試合欠場
10/19 秋季練習初日。風邪を押して居残り練習までこなしてから、病院で点滴を受ける
11/22 五輪予選代表候補対オーストラリア代表との親善試合前に腰痛を訴え出場せず。
結局、代表候補から落選。(形式上は辞退)
【2006年のスペ履歴】
4/4 試合前に「食わず嫌い王決定戦」収録で荒川静香と対戦。大嫌いなアンチョビパスタを食べさせられる
4/7 耳にデキモノ(炎症性アテローム)で39度の高熱。一打席だけ試合に出るが途中交代
4/9 4/8に出塁した際、帰塁時に首・肩を痛め、代打のみの出場。首の骨はズレてた
4/12-18 この期間はわずか2安打に終わる。強行出場か
4/17 左太腿に違和感をおぼえる。診断は内転筋の軽い肉離れ
4/19 試合前の打撃練習中、ファウルを打ち上げた際に左肋軟骨を挫傷。全治10日の診断
4/20 長期故障を危惧し、一軍登録抹消が決定
4/21 Yahoo!にまるでお悔やみのような写真の記事を載せられる
5/26 ゴッドハンドな整体師に体のずれを直してもらった翌日、両腿と脇腹の張りで途中交代
6/3 打球がバウンド変わってそれを追いかけた際に左足首ねんざ、途中交代
6/7 本塁への走塁の際、捕手と激突。捕手のひざを左脇腹に受け途中退場。左肋骨の7,8,9,10番の4カ所の骨折が判明し
入院。左手薬指の靱帯も負傷。8日に出場選手登録抹消。復帰まで早くて二ヶ月との診断
8/18 二ヶ月ぶりに一軍復帰するが代わりに古木が二軍落ち
8/19 東スポに多村 江原啓之に霊視をお願い記事を載せられる
8/19 復帰2日目、自ら招待した視覚障害者の人たちのためにと決勝タイムリーを打ちお立ち台に上がるが、
翌日腰痛でスタメン落ち
8/27 スタメン復帰4試合目、ベースランニング゙中に左足の内転筋に強い張りを感じたため途中交代
9/10 シーレで再調整のため今季3度目となる登録抹消
10/24 右腰に痛みを訴え、24日の秋季練習(ベイスターズ練習場)を欠席。病院へ行き、エックス線検査を受けた
10/30 右腰のヘルニアで、同30日に神経ブロック注射を受ける
【2005年のスペ履歴】
1/ 1 寒川神社に初詣に行き家族の健康などを祈願するが、自分が風邪をひいてしまう。
2/11 沖縄で野球教室を開き、肩に野球バックを掛けたまま何百人にサインした結果、左肩が内出血。
3/30 全試合出場を目標に掲げていたが、開幕直前にインフルエンザに罹り緊急入院。
B型のインフルエンザ注射を打ったがA型に罹ってしまうという、ある意味強運を発揮し、開幕三連戦の出場を断念。
4/24 サードゴロを打ちヘッスラ敢行するもアウト。右肩負傷で途中交代。
5/6〜7 GW中からの発熱を押して出場するも無理がたたり気管支炎に悪化し、欠場。
5/20 センターからバックホームの際、右肘を痛める。
6/4〜5 痛めた右肘の影響か、DHとして出場。
6/14 自打球を右足甲に当て途中交代。
6/21 疲労をおして出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にぎっくり腰を発症し、自宅休養。翌日登録抹消。
6/29 横須賀の練習場へ向かう途中、愛車が雨でスリップし、側壁に衝突。エアバッグの衝撃で左顔面と左肩を打撲。
自分で119番し、検査のため緊急入院。翌日のスポーツ紙の一面を飾る。
左肩関節挫傷・左外傷性複視・網膜震盪症と診断され、1ヶ月間棒に振る。
9/28 6月におこした事故の後遺症が出ていないかを調べる為、血管造影検査を受ける。
【2004年のスペ履歴】
2/27 ポスター撮影中にジャンプして右足関節捻挫
4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴
5/ 2 キャッチボールでぎっくり腰、翌日登録抹消
6/ 5 フェンスに激突でセルフエルボー、途中交代
6/24 前日の試合で空振りした際に肩を痛めスタメン落ち
8/11 試合前の練習中に腰を痛めてスタメン落ち
8/28 ファインプレーをした際に膝を強打し途中交代
9/19 ストライキの際の握手会で左掌の炎症し、その後2日連続スタメン落ち
10/7 腰痛で途中交代
【2003年のスペ履歴】
5/14 左手親指のじん帯断裂で二軍落ち
8/ 5 腰痛で途中交代
8/11 左手首痛でスタメン落ち
8/22 脱水症状
9/15 肩痛でスタメン落ち
9/23 発熱でスタメン落ち
9/25 スタメン復帰、死球で途中交代
10/6 風邪でスタメン落ち。そのままスタメンに戻ることなく全日程が終了
【スペランカー伝説〜序章〜】
<中学時代>
体育祭のリレーで転倒。靱帯を痛めて救急車で搬送されたらしい。
<高校時代1>
プロ野球選手の甲子園伝説 1994年春の特集。以下抜粋。
(前略)1年前のセンバツ開会式の日は病院のベッドの上にいた。
ベンチ入りが決まっていたにもかかわらず、成長痛に見舞われ左ひざを痛めて手術。
「みんながうらやましいし、悔しいし、自分で自分を責めて泣いてましたね」
渡辺元智監督の計らいで甲子園球場に呼ばれ、外野の芝の上を歩いただけの甲子園だった。(後略)
<高校時代2>
以下プロ野球aiに載ってた記事の一部を抜粋。
「僕自身より、チームが勝てばいい。もちろん、一番の目標は優勝です。98年に優勝したときは、僕、手術して病院にいましたから」
さらにさかのぼれば高3の夏、横浜高の五番バッターとして県大会優勝を果たした多村は、
胴上げに加わろうとセンターから走っていく途中、足がつってしまい、歓喜の輪に間に合わなかった。
「みんなが校歌を歌っているのに、僕だけマウンドのところでうずくまっているんです。
しかもそれが、しっかりVTRに残ってる(笑)。
今度こそあの輪に入りたい、優勝したときにフィールドに立っていたいですよ」