北海道日本ハムFIGHTERS Part405

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391代打名無し@実況は実況板で
国政の場では、土井たか子に代表されるマドンナブームで社会党が大躍進しており、
大いに期待が膨らんだが、成果を出すまでには至らなかった。

情勢が大きく動いたのは6年後の1994年、萱野茂が「アイヌ」のアイデンティティを掲げる者としては初の国会議員に当選してからのことである。
これによりメディアでも「アイヌ」という言葉が広範に使われるようになり、
北海道旧土人保護法という時代錯誤の法律が残ったままになっているという事実がようやく全国的にも認知されるようになった。
こうして自社さ政権である村山内閣のもとで1995年、内閣官房長官の懇談会としての「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が設立される。
その2年後にあたる1997年、ようやくアイヌ新法が制定され、北海道旧土人保護法が撤廃される運びとなった。

以上を経緯を考えれば、日本人(和人)側の「教える」「導く」「守る」という一方的な善意と、それと表裏一体となった利己的な振る舞いとが、
アイヌという集団を長年翻弄し続けてきたと言える。

1990年代を過ぎると、サブカルチャーとしてのゲームにアイヌを題材にしたものが登場してきたこと、
彫りの深い顔立ちを「アイヌ的」という表現で若者が良い方向に評価するようになったことなどから、
アイヌに対する民族差別的な偏見は完全に消え失せていったと言える。 だがこれは、初期においては政策的な、戦後は社会的な同化政策が続いたことにより、
アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまく行われず、ほとんど放棄されてしまい、
文化集団としてのアイヌ民族がそのまま日本人化してしまったが故に、かつてあった問題が単に消失してしまっただけと見ることもできる。
それ故、積極的な解決が成されたわけでは決してないとする指摘もある。

皮肉なことに、純粋なアイヌ文化が稀少化してしまったことで、アイヌ文化は却(かえ)って日本人により一層肯定的・同情的に理解されることとなった。
今日、北海道各地に残っているアイヌ語起源の名称は、北海道そのものを日本人にエキゾチックで魅力的な土地として認識させるに十分であり、
さらに、かろうじて生き残っているアイヌの舞踏は観光資源としても極めて有意義なものであると言える。