北海道日本ハムFIGHTERS Part405

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389代打名無し@実況は実況板で
戦後の日本の政治の中で、アイヌを巡る状況はさらに救い難いものになっていく。
もともと北海道では、国鉄・鉱山の労働組合が大きな影響力を持っていたこともあり、戦後まもなく、社会主義運動の波が押し寄せてきた。
また、戦後まもない頃の北海道は、外地からの帰国者の就労場所であり、さまざまな利権が渦巻いていた。
これにより北海道は、55年体制に入った日本における、自民党と社会党の利権争奪の場となった。この政治的対立にアイヌ民族もご多分に漏れず巻き込まれてしまった。
この時、アイヌの圧倒的多数が社会党側についたことが、北海道旧土人保護法の撤廃を遅れさせた遠因ではないかとの指摘もある(55年体制下では一貫して野党であった社会党がなかなか法案を提出せず、
仮に提出したとしても社会党とは対立関係にあった与党の自民党が法案を通す見込みは非常に薄かったと言える)。 さらに北海道アイヌ協会が北海道ウタリ協会に団体名を変更したことも、
「アイヌ」という言葉を自ら忌避しているかのような印象を与え、「アイヌ」を差別用語として社会に認知・定着させてしまうことに寄与してしまったと見ることもできる。この名称変更は差別をめぐる状況に対応した措置であったが、
皮肉にもこれにより「アイヌ」という言葉自体が公に流通しにくくなり、肝心の差別撤廃の全国的アピールのほうが遅れてしまったという観は否めない。
それでも1980年代に入ると、北海道における差別は徐々に弱まり、理解も広がっていった。こうして1988年、北海道旧土人保護法の撤廃とアイヌ文化保護のためのアイヌ新法に関する議論を北海道の総意として国に提出するまでに至る。