北海道日本ハムFIGHTERS Part405

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380代打名無し@実況は実況板で
穀物栽培もけっして知らなかったのではなく、ヒエ(ピヤパ)の栽培が古くから行われ、祭事に用いるトノトという酒をこれから醸造した。
ほかにアワ(ムンチロ)、キビ(メンクル)の栽培も行われた。これらを炊飯したものをチサッスイェプ、かゆに炊いたものをサヨと呼んだ。
アイヌ民族の衣装としては、イラクサの繊維から作られるテタラヘ・ユタルベなどの草皮衣や、毛皮・アザラシの皮・鮭やイトウの皮などで作られる羽織状の上着(獣皮衣、魚皮衣)があるほか、
オヒョウなどの木の皮から繊維をとって作られるアットゥシと呼ばれる丈夫な樹皮衣が17世紀以降一般的なものとなった。その他、日本からは木綿の衣装が大量に輸入され、中国からは山丹貿易で絹の衣装も輸入され、各々着用された。
絹の衣装は「蝦夷錦」として日本に売られ、またアットゥシも日本各地へ輸出され、服として加工された。
アイヌ民族は、信仰面では、日本人同様、非常に汎神論的(アニミズム的)であり、更にあらゆるものにカムイ(神)が宿るとしている。
例えば、イオマンテ(熊送り。代表例 : 熊祭、熊の霊送りの踊り)では、熊の狩猟に際して熊の命を最大限敬うという独自の文化をもっていた。
また、これに伴い、明治時代に入るまで神前裁判の風習を色濃く残していた。しかしながら、こういったことが、江戸時代およびび明治維新以降の近代国家建設中の日本人からは十分な理解を得られず、
日本人のアイヌ蔑視に結びついたという説がある。
現在では、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中、アイヌとしての意識は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。
アイヌとしての生き方はアイヌプリとして尊重されている。
アイヌの歴史や教訓、生活の知恵などが描かれている叙事詩を歌として語る「ユーカラ」が、口承されており、その記録活動もはじまっているが、継承者が亡くなっていくなど難航している。
ユーカラの研究者としては、知里真志保(ちり ましほ)、金田一京助などが知られている。