北海道日本ハムFIGHTERS Part405

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347代打名無し@実況は実況板で
1884年には若干の千島アイヌが日本領北端のシュムシュ(占守島)に残っており、
北の国境に民間人を置いておくよりも南の地で撫育した方が良いと考えた日本政府は、
97名を半ば強制的に色丹島へ移住させ、牧畜・農業に従事させた。
しかし先祖代々続いた漁撈を離れ、新しい土地で暮らすことに馴染めず、健康を害するものも現れた。
望郷の念を募らせる千島アイヌに対し、
日本政府は1898年以降、軍艦に彼らを乗せ北千島に向かわせ、
臨時に従来の漁撈に従事させる等の措置をとったものの、1923年には人口は半減していた。
更に第二次世界大戦における日本の敗戦に乗じたソ連による千島・北方領土の占領に伴い、
千島アイヌを含んだ日本側居住者は全て強制的に本土に移住されられ、各地に離散した。
1970年代に最後の一人が死去した時点で千島アイヌは消滅したと思われる。

樺太のアイヌも国際情勢の変化の影響を強く受けた。樺太・千島交換条約に伴って樺太がロシア領になることから、
同条約発効に先立つ1875年10月、もともと樺太南部の亜庭湾周辺に居住し日本国籍を選択した108戸841名が宗谷に移住させられ、
翌年6月には対雁(現江別市)に移された。
生活環境の変化に加え、運の悪いことに1886年のコレラ、さらには天然痘の流行が追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。
1905年の日露戦勝によって南樺太が日本領になると、1906年、漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。
ところが第二次世界大戦後に樺太全域がまたもロシア(当時はソ連)の占領下となり、
同国政府によって樺太アイヌの殆どが北海道へ強制送還された。
しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。