北海道日本ハムFIGHTERS Part405

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345代打名無し@実況は実況板で


千島・樺太のアイヌ


千島・樺太のアイヌは日露両国の進出、南北千島の分断統治、樺太と千島の交換、日露戦争、ロシア(当時はソ連)の北方領土占領によって国際的に翻弄された。
千島列島には先史時代から居住者がいたが、記録に残っているのは18世紀からである。千島アイヌは千島列島を南北に移動して交易していたが、この頃、日本の北進とロシアの南進によって、彼らは生産・交易活動を両国に依存することが多くなっていった。
1799年、エトロフ(択捉島)までを支配下に収めた江戸幕府は、1803年、エトロフ-ウルップ(得撫島)間のアイヌの移動を禁止した。これによりウルップ島以北のアイヌは日本との交易が困難になり、ロシアの影響を強く受けるようになった。
1854年の日露和親条約によって千島列島は日露両国が南北を分断して統治することになったが、1875年には樺太・千島交換条約に基づき千島列島が全て日本の領土になった。その際居住者は日本国籍を得て残るか、ロシア国籍を得て去るか選択させられ、大部分は日本国籍を得た。