1865年 - 岡本監輔が、樺太最北端ガオト岬(北緯55度)に至り、「大日本領」と記した標柱を建てる。
1867年 - ロシアが強大な軍事力を背景にペテルブルグの国境交渉で、幕府を恫喝し、樺太島仮規則に調印。日露両国民の雑居地となる。
1868年 - 明治維新。
1869年 - 戊辰戦争、函館戦争で終了。蝦夷地及び北蝦夷地をそれぞれ北海道及び樺太と改称、無主地として名実ともに日本領土、内国植民地として開拓を始める。
1870年 - 開拓使設置。現地で初となる屯田兵が置かれる。
1871年 - 戸籍法制定(編製は翌年)。アイヌは「平民」に編入。アイヌの開墾者に家屋・農具 を与え、独自の風習を禁じ、
日本語教育を含めた同化政策を始める。
1870年2月13日、樺太開拓使が開拓使から分離して、久春古丹(樺太大泊郡大泊町楠渓)に開設される。
1871年8月7日、樺太開拓使を閉鎖し、開拓使に再度統合する。
1872年 - 開拓使、北海道土地売貸規則・地所規則を公布。
1874年 - 屯田兵例則、制定。
1875年 -
屯田兵、札幌郊外の琴似兵村に入地。本格的な屯田兵の北海道入植が始まる。
ロシアと樺太・千島交換条約締結。日露住民の紛争の絶えなかった樺太をロシア領、千島列島全域を日本領とする。
これに伴い、日本国籍を選択した樺太アイヌ108戸841名を宗谷に、翌年対雁に強制移住させる。
1876年 - 鹿猟規則によりアイヌの伝統的猟法(仕掛け弓矢)が禁止になり、代わって猟銃が貸与される。
1877年 - 北海道地券発行条例公布(アイヌ居住地を官有地第三種に編入)
1878年 - 開拓使、アイヌの呼称を「旧土人」で統一。札幌郡内諸川での鮭漁を全面禁止に。
1878年 - 北千島アイヌ全97名が色丹島に強制移住。
1886年 - 北海道庁設置。北海道土地払下規則公布。
1889年 - 北海道庁、アイヌの食料分として許されていた鹿猟を禁止。
1894年 - 北海道庁、近文に、アイヌへの付与予定地を確保。以降、第七師団設置に伴う移転命令や反対運動が起きる。
1897年 - 北海道国有未開地処分法公布。150〜250万坪の土地が無償貸与される。
1899年 - 北海道旧土人保護法。