ニコちゃん日記 3月3日 ジ・エアポート!の巻
今日スギモトさんと話をした。わたしのピッチングについてはみんな信頼しているし、十分日本で成功できるとのこと。
しかしランナーをかかえたときのボークの多さが不安だと言われた。これが続くようなら接戦ではつかいづらくなる、と。
ようするに練習しとけということである。
今日は背中にかなり張りを覚えた。この十日間、違和感があったのだ。投球のときだけ感じる。
おそらく宮崎でのベッドのせいかもしれない。福岡のアパートのベッドはずっと堅くて気に入っている。
だが背中の張りは消えないのだ。
関連する話題となるかもしれないが、このところわたしの球速は例年のこの時期とくらべて時速3から5マイル落ちてきている。背中のせいだけだと思いたい。
とりあえずトレーナーにイブプロフェン(アレヴィあるいはアドヴィル)をくれと頼んでみた。
するとトレーナーはヴォルタレンはどうかと訊いてきた。これは非ステロイド系鎮痛消炎なのだ。
いただこう、と返答してすぐさまかれをぎゅっと抱きしめたわたしであった。
薬品の支給に関してはチームごとに方針が異なる。リベラルなチームもある。保守的なチームもある。
第3種処方箋なしで強力な鎮痛消炎剤が手に入るとはうれしいかぎりだ。
これで背中の痛みが消えてくれることを望む。だんだんと気力にまで影響を及ぼしつつあったからだ。(続く)
(続き)
家族が明日の夜に飛行機に乗る予定だったが、のっけからトラブルに見舞われていた。
妻がアトランタの空港から電話をかけてきて、ユナイテッドの係員が搭乗許可を出してくれないと訴えてきた。
家族が片道切符しか持っていないというのが理由である。日本政府が乗客の入国に際して往復切符を要求しているという。
しかしわたしは一月前に同じ片道切符とビザで入国してなんの問題もなかった。係員たちは妻をさんざんいじめているようだ。
おそらく彼女は涙目になっているだろう。時差を克服するために徹夜しているのですでにくたくたなのだ。
おまけに子供を二人連れている(7歳児と5歳児)。とどめはスーツケース9個。もうぐちゃぐちゃであった。
わたしは契約の世話をしてくれたスカウトのシンに電話をした。
かれいわく、それはユナイテッドが勘違いしているのであって、とにかくできるかぎりの手を打つとのこと
。しかしここ日本では土曜の午後9時なので、接触すべき関係者をつかまえるのがむづかしそうである。
ようするにわれわれは混信シグナルを受け取っているわけだ。航空旅行関連のトラブルはいつもそうだ。
問題のチケットのブッキングをしたANAがシンに語った話だと、妻も子供も入国に際して復路切符は必要ないという。
しかしアトランタの搭乗ゲート係員は必要だと言い張っている。(続く)
(続き)
シンのほうから、本当に申し訳ないがミーガンと子供たちのために復路切符を購入してもらえないだろうか、予定のフライトを逃したくないからと言ってきた。
もちろんその分はこちらがもつから、と。そこでわたしはミーガンにそのように伝えたのだが、もちろんアトランタの旅行代理店がカウンターでの直売をしてくれるはずもない。
幸い彼女が乗る予定のフライトが一時間遅れたため、余分の時間を稼げた。
わたしはユナイテッドに電話をして家族三人分のチケットを5600ドルで購入した。
そんなこんなで家族は本来予定していたファーストクラスに載ることができた。
ちなみにホークスがこのフライトのために支払っていた金額はおよそ25000ドルである。
わたしが電話越しに買ったチケットは払い戻し可能であった。なんというか政府の思考回路が不思議である。
理論的にいえば、わたしは家族が福岡に到着次第ユナイテッドに電話をして5600ドルを取り戻せるわけで、そうなれば家族はもはや往復切符を持っていないことになる。
なんのための往復要求なのか。さらにいえばわたしが電話口で購入したチケットは東京発ロサンゼルス行きであって、家族はアトランタから福岡に飛ぼうとしていた。
ようするに厳密には往復ですらなく、単なるアメリカ発アメリカ着となる。わたしに言わせると、あほらしいの一言だ。
ともかくも家族が搭乗出来たので一安心だ。最初のフライトが一時間遅れている。最後に家族の顔を見てから35日になる。早く、早くここに来てほしい。