'07阪神&中日限定 来季の各球団戦力分析スレpart1

このエントリーをはてなブックマークに追加
734代打名無し@実況は実況板で
こんなのもあるよ

片岡篤史交友録 〜我が野球人生支えてくれた人たち〜 (1)岡田彰布監督
 岡田監督といえば、オレの中では85年のリーグ優勝が、すごく強烈でね。当時PLの1年生で
タイガースファンだったオレにとっては研志寮の大広間で隠れて優勝決定試合を見たほど憧れの存在だった。
 初対面は、監督がオリックスの選手で、まだオレが日本ハム時代の話。PL学園の先輩でもあ
る金石さんに誘っていただいて、食事することになった。「あぁ、岡田さんや!」目の前に座っている姿を見て、感動したのを覚えている。
 それから縁あって、オレが02年に阪神へ移籍。当時はまだ2軍監督をやっておられたけど、左
手中手骨折して2軍調整中に、監督が「セのバッテリーはバッティングカウントでもボール球を振らせる」とセ、パの違いを話してくれたのを覚えているよ。
 忘れられないのは、02年の秋季キャンプやね。期待されながらドン底の成績に終わった、移籍
1年目のオフ。野球人生をかけて臨んだオレに、ノックの雨を降らせてくせらんが監督(同年オフから1軍守備走塁コーチへ転身)やった。
 「とにかく体のキレを取り戻さなアカン」と午前中は全体守備で、そして午後からは個別の特打か
特守。こっちもグラウンドに倒れ込むまで、まさに自分の限界にチャレンジできたキャンプやった。
 故障もあって参加できたのは10日間だけやったけど「来年はいける」と思えたのは確か。さびつ
いた体のサビが落ちて、自信を手にすることができた。それが03年につながったのは間違いないし、いま思ってもすごく充実した日々やった。
 残念なのは、監督と選手という関係になってからは、ケガばかりで力になれなかったこと。それ
でも、最後までベンチに置いていただいたし、引退試合もオレのワガママを聞いて、フル出場させていただいた。
 引退を申し出た時も「あと1、2年あったとしても、辞める時の寂しさは一緒。いつかは来るんや」
ってね。そして、こうも言っていただいた。「引き際として、ここが最高とちゃうか」。岡田監督の下で
終われて、ホンマに良かった。監督、ありがとうございました。