【ガッツの】小笠原道大 Part4【フルスイング】

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674代打名無し@実況は実況板で
94年のヤクルト戦で西村投手が村田真に頭部死球をしたあと、「西村にぶつけろ」と指示。
投手は西村の頭部に速球で報復死球を与え大乱闘に。その後長嶋は「目には目をですよ」
とほざいた。しかし長嶋には何もお咎めなし。
上のようにほざいておきながら2002年3月に
「うちはぶつけごっこをする気はありません」 
遠征先で麻雀をしていたが、長嶋の捨て牌だけ異様に黒い。他の選手が長嶋を見たら、タバコの灰を座布団代わりにしていた布団の上に撒き散らした上に、布団にタバコを押し付け火を消していた。そして出来た焼け焦げの穴に長嶋は指を入れていた。 
上の様な感じなので麻雀はとても弱かったらしく、若い頃は麻雀で300万の借金を抱えていた。長嶋と打つと必ず勝てたので「小遣い配給係」と呼ばれていた
知合いから、生まれた子供の名付け親になってくれるよう頼まれたシゲヲ。ああでもない、こうでもないと、思案をかさねたが、挙句の果て選んだ名前は「茂雄」(以上2つ情報提供:赤レンジャー様) 
シゲヲは早朝ランニングをするのが、日課だったが、走ってる最中に、ジャンパーなり、ジャージなりを脱ぎ捨ててくるので、マネージャーもシゲヲに同行することになった
デービー・ジョンソン(現オランダ代表監督)が読売でプレーしてた時(75・76年)の話、ある日の試合で4タコに終わったジョンソンがシャワーを浴びてると、シゲヲがいきなり入ってきたあげく、
ジョンソンの股間をつかんで一言、「ユーはマンだろ」といった。ジョンソンはこのことへの謝罪を要求したがもちろん、聞き入れるはずはなかった。
なお、ジョンソンはアメリカでは名将として名高いが、これはシゲヲを反面教師にしたかららしい
シゲヲはオフシーズンは必ず、伊豆で「山篭り」をしてると報道されてたが実際はこれ幸いとうまいモノを食いに行ったり、海外旅行してたそうだ。
そしてある年のキャンプ初日、シゲヲがオーバーウェイトでキャンプインしたのに気づいた牧野ヘッドコーチ(故人)が「オマエ、また山篭りしてたのでは?」と突っこむとシゲヲは
「まあいいじゃないですか!」ととぼけた