片岡篤史ベンチにスワローズ5秒前

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624代打名無し@実況は実況板で
片岡篤史交友録 〜我が野球人生支えてくれた人たち〜 (13)歌手・谷村新司

 谷村さん宅のホームパーティーに呼んでもらったのは、1995年(平7)のことでした。
 関西人同士と言うことで盛り上がり、昔話になると谷村さんが「売れない時、同じ喫茶店に行って
必ずブラックコーヒーを頼んだもんや」と言うのです。何でですか?と聞くと、「人生はそんなに甘く
ないからや」の返事。学生時代にアリスの「チャンピオン」「22歳」などを聞いていましたから、なんて
格好ええこと言う人なんやろ、とたちまち魅了されたことを覚えています。
 谷村さんは中国の上海音楽学院の教授をされるほどの勉強家でもあり、幅広く活躍されています。
ボクにとっては頭の上がらない恩人の1人です。2001年(平13)のシーズンが終わり、オフに入ると
FAに結婚、写真週刊誌には写真を撮られ、気持ち的に不安定な状態が続きました。そのせいでしょ
うか、結婚披露宴の雰囲気が硬く感じられました。そんな空気を、谷村さんが一言でやわらげたの
です。
 「篤ちゃん、オレのマネをしたんだよなぁ」と小川知子さんとのデュエットのワンシーンを引用し、当
意即妙のスピーチで会場の爆笑を誘うと、「何がええの」とリクエストを促し、「いい日旅立ち」を熱唱。
「ホンマものはうまいなぁ」と出席者の誰もがうっとりする最高の花を添えていただき、披露宴は最高
潮のままお開きを迎えることができました。
 秋口に谷村さんが奈良・東大寺でコンサートを行う時、関西のテレビ局を訪れ、関係者と野球の話
になり「野球をご覧になりますか」と尋ねられると、「片岡が出ないから、見ない」と言われたと聞きま
した。「そこまで自分を思っていてくれたのだ」と感激した半面、なんでもっと頑張れなかったんだ、と
情けない思いに駆られたものでした。
 ここまで応援していただき、ありがとうございました。谷村さん、ホームパーティーの際は、また「校
長先生ゲーム」をやりましょうね。