仰木前監督死去2

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42代打名無し@実況は実況板で
前オリックス監督の仰木彬氏が死去
 プロ野球、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブで監督を務めた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日、福岡市の病院で死去した。

 70歳。自宅は福岡市小倉北区片野1の12の15。喪主は妻、征子さん。

 福岡県中間市生まれ。福岡・東筑高から1953年夏の全国高校野球大会に出場し、54年に西鉄に入団。
三原脩監督の指揮で黄金時代を築いた西鉄の二塁手として活躍し、67年に引退。現役14年間で、打率2割2分9厘、70本塁打。
60年にベストナイン。

 70年から18年間、近鉄コーチを務め、88年から92年まで監督。
ロッテとのダブルヘッダーとなった88年最終戦は、時間切れ引き分けで、リーグ優勝を逃した。その「10・19」は、球界の語り草となっている。

 翌89年にリーグ優勝。94年にオリックス監督に就任。阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、リーグ制覇を成し遂げた。
96年には長嶋巨人を破って日本一にも輝き、正力松太郎賞を受賞した。

 今季は70歳で統合球団、オリックス・バファローズの初代監督を務めた。
しかし、体調を崩し、シーズン終了後の9月に辞任、自宅のある福岡で療養していた。

 緻密(ちみつ)なデータを生かした大胆なさい配は「仰木マジック」と称賛された。
近鉄では野茂英雄投手をエースとして起用、オリックスでは、無名だった鈴木一朗外野手(現マリナーズ)を
「イチロー」の登録名で、7年連続首位打者を獲得する球界のスーパースターに育て上げた。

 監督としての通算成績は近鉄、オリックス時代の14年間で988勝815敗53引き分け。

(2005年12月15日23時1分 読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20051215it16.htm?from=top