信長の野望 パ王伝

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598代打名無し@実況は実況板で
〈[IIII》 
( ~ε~ )

小関竜也(1976〜
下野は南宋そば屋の生まれ。
元服前は潜水殺法で有名な渡辺俊介と同輩で、
当時は渡辺よりも名を馳せた球投げの名人だった。
だが、投げ手の道を捨て、足軽として獅子国に仕官。
外堀右翼櫓守衛の名人として、その連続防衛回数は
未だ破られていない。
また、野戦時には先鋒隊と主力部隊の繋ぎ役として、
多大な力を発揮し、元服直後の者のみが得られる冠位をも得、
獅子国が太平洋制覇の折には、繋ぎ役でありながら
自軍に対した敵軍の3割を撃破したという記録が残っている。

だが、本人の注目願望からか次第に本来のつなぎ役を忘れ突撃し、
撃沈する回数が増え、軍師佐藤友亮や、剛剣誉れ高き栗山巧、
快速二刀流赤田将吾の台頭により、次第に主戦から外れてゆく。

家臣団長まで上り詰めた彼だったが、晩年はは出家し、
国外へと向かったという。

余談だが、彼の出兵時に叩かれる示威判の大太鼓は、
獅子国支援者の中ですこぶる評判であったという。