幕田、阪神の2軍捕手をバットで殴ってスッキリ

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218幕田伝説
【幕田伝説】
・横浜高校3年生時代、当時1年だった松坂が幕田の打撃を見てあまりの凄さに驚き自信を失くしかけた。
・高校1生年だったころの松坂は幕田の付き人みたいなことをしておりマッサージなどもしていた。
・現在中日で幕田のチームメイトであり同じ歳である森野は高校を選ぶ時、幕田が横浜高校に行くことを知り、ヤツと同じ
 高校では自分の出番がなくなるからと横浜高校を避け別の高校に入学する。
・ドラフトの評価ではドラフト本でおなじみの小関氏に大いに評価される、「幕田をドラフト3位で獲れた中日
 は運がいい」というような声も出る。しかしこの人に評価された選手達のその後は・・・
・一軍プロ初打席の相手は当時全盛期だった横浜の佐々木、しかし信じられないことに幕田は三振しなかった(セカンドゴロ)
・サインは達筆、おそらくプロに入る前、多くのファンにサインをねだられるだろうと練習に練習を重ねたに違いない
 だが今ではそれほどファンからサインを求められずヤフオクなどで数少ないであろう幕田のサインがたまに出回ることも・・・ 
・8年間で唯一一軍で安打を打ったのは2002年のみでその年打った3安打が通算安打数(30打数3安打)
 しかしその安打3本は全て得点圏で打ったものでその年の得点圏打率はなんと600(5打数3安打)
・2003年9月、一時は善村とともに戦力外通告寸前まで追いつめられるも落合新監督に救われ残留する。
・2003年の秋期キャンプで何をどう間違ったのか4番候補の一人に上げられ幕田も「狙ってみたいと」本気に4番を狙う。
・2004年のオープン戦でファインプレー、大沢親分にほめられる。
・2004年4月30日、先発川崎が早々とKOされたため早い回から代打で登場、そのまま一塁守備につく、しかし結果は
 三振 三振 併殺と散々でおまけに失策を犯しこの試合後ファームへ落とされる。
・8月上旬、福留が五輪で抜けた代わりとしてなぜかファームでも打率1割台だった幕田が一軍に呼ばれる。
219幕田伝説:2005/09/26(月) 15:03:26 ID:xi5GIOqc0
【幕田伝説】 その2
8月、一軍に上がった幕田は試合の終盤守備固めや代走などで登場するが幕田の登場した試合は何かと波乱があり
 敵味方関係なく投手が炎上したりエラーが続出する、その原因は幕田の放つマクー空間の仕業との声が上がる。
・8月20日横浜戦、ハマスタで痛恨の落球、それによりドミンゴがリズムを狂わせ4点リードを守れず同点とされてしまうが
 9回表、横浜の捕手新沼がパスボールしたボールを見失うという不思議なエラーにより勝ち越しに成功しチームは勝利。
・8月21日の中スポに幕田が落球したことをドミンゴにあやまるという記事が載るがドミンゴが幕田にどう返答したのかは
 書かれておらずその時ドミンゴが幕田を許したのか激怒したのかは謎となる。
・8月22日の横浜戦、雨天中断時に谷繁と楽しそうに会話する、リナレスに紙コップを捨ててくるよう命令される。
・2004年9月9日、この試合は伝説の試合となり永久に語り継がれるであろう、幕田が2004年もっとも輝いた日だった。
 まず最初に幕田は代走で登場、その直後にリナレスの逆転ホームラン、さらに続く荒木にもホームランが飛び出す。
 だがこれはほんの前座にすぎない、幕田はその後守備につき6回の表、二死二塁で打席が回る、ネクストサークルに
 は森野が控えていたがこの時捕手をしていた村田善は幕田が2002年に得点圏打率600というデータと幕田のド迫力
 にビビリ敬遠を指示する、そしてさらに9回表にも幕田に打席が回り2−3のフルカウントからきわどいボールを平然と
 見送り貫禄の四球を選ぶ大活躍。
・9月9日の試合の敬遠の場面で東海ラジオの解説をしていた大矢に「どうしてあるかせるんだろう?幕田でしょ?バッター」
 と馬鹿にされる。
・同じく9月9日の試合で幕田の打席時に全国放送の巨人戦だというのに選手名鑑のやる気のない顔写真とともに紹介され
 てしまう、ちなみにその時いっしょに紹介された好きな言葉は「根性」。
220阪神ファンですが:2005/09/26(月) 15:03:37 ID:oL7s1M0N0
これは岡崎の方が悪いと思うよ
221幕田伝説:2005/09/26(月) 15:03:59 ID:xi5GIOqc0
【幕田伝説】 その3
・9月24日のヤクルト戦、幕田はヤクルト石井の前にあっさり三振、これが幕田の2004年一軍最後の打席となったが
 その試合のCBCラジオ解説の彦野は「完全に振り遅れてますね、幕田相手にされてないって感じです」と発言しOBにも
 あきられてしまう。
・10月1日、この時ファーム落ちしていた幕田だが一軍優勝の胴上げにはチャッカリ参加する。
・ファーム選手権で3点リードされた8回裏二死走者なしで幕田に打席が回り三振するも幕田との勝負に力を使い果たした
 日ハム先発の須永が完封ペースだったのに突如9回裏に崩れ日ハムは逆転負け。
・日本シリーズの登録メンバーに幕田の名が入る、結局出番はなかったが日本シリーズの分配金160万程をゲットする。
・11月、解雇濃厚と思われていた幕田だが2005年も残留することが決まりそれどころか年棒は150万UPする。
・月刊ドラゴンズ12月号の似顔絵イラストのページに幕田が登場、長島一茂のような顔だと評価される。
・1月の自主トレは高橋光、渡辺、森野とともに始動、高橋の選球眼、渡辺の攻守、森野の野球センスを吸収しパワーUPに成功。
・合同自主トレで新人投手の中田の打撃、スイングに「きれいなスイング・・・」と驚く。  
・ファーム開幕戦、ソフトバンク寺原から先制タイムリー、幕田に打たれた寺原は序盤で大量失点でKO
・巨人とのファーム交流戦、野間口をも撃沈させる、その試合さらに去年幕田を敬遠した村田善と再戦、二死二塁と一塁があいているのに
 かかわらず村田今度は無謀にも勝負を挑むが幕田貫禄のスリーベース、改めて実力の差を見せつける。
・ファームの試合でオッサンの野次にブチギレ、睨みつける。
・あるファンが「ブログやってる?(まっくんのひとりごとのこと)」と幕田に質問、それを聞いた幕田、「人なめんなやコラ!」と怒る
222幕田伝説:2005/09/26(月) 15:04:55 ID:xi5GIOqc0
【幕田伝説】 その4
・05年、6月10日ついに一軍登録される、
・05年6月16日についに今期初打席も貫禄の三振、三重テレビ解説者の藤波に「気持ちで負けてます」と言われる
 ちなみにその時、CBCラジオ解説者の前監督の山田は幕田のことをいっさい触れず違う話をしていた。
 補足事項(03年9月、一度は幕田は戦力外であると記事にもなった、しかし一年間選手を見極めたい
        と言う落合監督になったことによって残留できたのだ、つまり山田が契約通り04年も監督していれば
         間違いなく幕田は解雇されていたのでこの時は語りにくかったと思われる)
・6月22日、延長戦でレフトの守備で出場、幕田レーザーで見事な中継プレー、2塁走者をアウトにする好守備を見せる
しかしこの後チャンスで打席が回るが代打を出される、幕田の代わりに代打に出た森野は三振、チームはサヨナラ負け。
・6月23日、ついに4番ライトで途中出場、その時ウグイス嬢が「4番、ライッ・・・ライ・・・失礼しました」と放送ミスする
・7月21日のファームの紅白戦、紅組キャプテンとして迷采配でチームを勝利に導く、その試合、バントミスした自軍の清水清には正座させたが
 自分のバントミスには「攻めたうえでのバント」と力説し正座しなかった。
・7月21日の紅白戦後のサイン会、無表情で黙々とサインする。