187.また、みんなで
「助けなきゃ……英智を助けるんだ」
俺は動かない大西さんの手に握られた拳銃に手を伸ばす。
大西さんの指はまるで蔦のようにグリップに絡みついていて、拳銃を離そうとはしない。
力を入れてその指を引き剥がそうとすると、ぱき、という木の枝を折るような軽い音と共
に、拳銃が離れた。
なんの音かは知らない。知りたいとも思わない。
「助けるんだ……」
拳銃を両手でしっかり握って、銃口を桧山さんに向ける。
英智は明らかに劣勢だ。このままでは間違いなく、殺されてしまう。
はやく、はやく撃たなくちゃ――
気は逸る。けれど震える手は、俺の意思に反して照準を定めてはくれない。
はやく撃たなければ、英智が殺されてしまうというのに。
そこまでわかっているのに、俺は何を迷っているというのか。
拳銃はあまりにも軽い。コレが人殺しの道具だなんて思えないほどだ。
……けれど、コレは間違いなく、人殺しの道具だ。
人差し指を曲げるという、ただそれだけの行為で簡単に人の命を奪うことができてしまう
代物だ。
引鉄を引けば、確かに英智を助けることができるだろう。
けれどそれは、桧山さんを、人を殺すことになるかもしれない。
助けるため、なんて大義名分があれば、ひとを殺しても許されるのか?
こんな状況だから、ひとを殺しても許されるのか?
そんな都合のいいことなんてありはしない。
たとえ、どんな理由があろうとも。
人を殺せば、それは罪なのだから。
俺は、背負えるのか?
殺人という罪の重さを。
残された者の憎しみを。
自身に残る後悔を。
――――くそ、迷うな。
俺が撃たなければ英智が、仲間が殺されてしまうんだ。
そう、俺が本当に仲間を助けたいならば、とるべき行動はひとつしかないんだ。
覚悟を決めろ。
――そう、覚悟だ。
人を殺す覚悟じゃない。
全てを背負う覚悟。
いまの俺に必要なのは、それだけだ。
英智を助けたい。
……いや、助けたい、じゃない。助ける――助けるんだ。
そのためなら、なんだってしよう。
――なんだって、背負ってみせよう。
殺人という罪の重さも。
残された者の憎しみも。
自身に残る後悔も。
どんな罵倒の言葉も憎悪の眼差しも、生涯拭えはしない罪悪感も後悔も、何もかも全て。
大切な仲間を救うためなら、どんなモノでも背負ってやろうじゃないか。
俺はまたみんなと、中日ドラゴンズのみんなと野球がしたいんだ。
だからここで、大事な仲間を失うわけにはいかない――!
いつの間にか手の震えは止んでいた。
思考はクリア、時間が停止したとさえ錯覚するほど。
それはまるで、重要な場面で託されたマウンドの上に立っているときのような感覚。
迷いはもう無い。あとは全神経を指先に集中して、引鉄を引くのみ――――!
ぱあん、という軽い銃声が一つ、森に響いた。
それはあまりにも軽く、けれどやけに大きく響く音。空に染み渡るように広がっていく
その音が、完全に消えたその直後。
銃弾を受けた桧山は、まるで糸の切れた操り人形のように力無くくずおれた。
小笠原は銃口を桧山に向けたまま、ゆっくりと近づいていく。
桧山は英智に覆いかぶさるようにして事切れていた。
「桧山さん……すいません」
心からそう告げて、小笠原は桧山の体を英智の隣に寝かせた。
桧山の表情には、苦渋や恐怖といったものは無い。ただ、何が起きたのかわからない、
というような驚愕に満ちたものだ。見開かれた双眸は焦点を失い、ただ薄暗い曇天へと向
けられている。
その目蓋を、小笠原は指でそうっと閉じさせた。
降りしきる雨は、まるで桧山の死を悼むようにその足を速めていく。
「撃った……のか?」
歩み寄ってきた井上が、桧山の顔を覗き込みながら訊いてくる。話すのもやっとなのだ
ろう、その表情は苦痛に歪み、声はかすれている。
「……ええ。俺が、撃ちました」
「……そうか」
井上はそれ以上の追及をしようとはせず、英智の方に視線を向けた。
「英智――よかった。息をしている」
井上の表情に安堵の色がさす。
……だが、それもつかの間。
「お前、足が――」
ありえない方向に曲がった英智の右足を見て、
「馬鹿野郎、外野手が足怪我してどうするんだよ……」
井上は悔しげに呟いた。自身も満身創痍でありながら、自分よりまず後輩のことを考えられ
るのがこの男の魅力なのだろう。
「……とにかく、雨を凌げるところへ行こう。――そうだな。あのでかい木の下なんてどうだ」
井上の指差す先には、大人数人がかりでやっと一抱えできる位の巨大な幹を持った木があっ
た。
「そうですね。俺が英智を背負いますから、一樹さんは先に行ってて下さい」
「大丈夫なのか? 疲れてるだろ」
「一樹さんこそ、刺されたんですよ? 俺はまだまだ大丈夫ですし、怪我もありません。いい
から任せてください」
そう言って小笠原は笑って見せた。
「……わかった。任せる」
井上はそう言って大木の方へと歩いていく。その背中をすこし眺めたあと、小笠原は英智へ
と視線を移した。その顔にはもはや先ほどまでの笑みは無い。
小笠原は地面にしゃがみ込み、片膝を立てて英智を持ち上げ、背に負った。
その重みは、疲労した体にはかなりの負荷だろう。
けれど小笠原はそれを微塵も表層に出しはしない。辛いとさえ思わない。
大木に向かって歩いていくその途中。引き結んだ小笠原の口が小さく開き、言葉を紡ぐ。
決意の言葉を。
「――――絶対に生き残って」
また、みんなで野球をするんだ――――
呟きは激しさを増していく雨音に掻き消え、誰に届くことも無い。
【残り14人・選手会9人】