585 :
上の人:
>>549続き。ロッテ放出編
前略とか中略は基本的にはもちろん引用者(漏れ)によるもの。
全文読みたい人は原本買いましょう(ムックだからないかもしれないが)。
「いま振り返ってみて、一番感じるのは、球団の企業努力が必要なんじゃないか、ということ。
選手は商品なんだから、球団はその商品の価値を上げていかなくてはならない。
トレードというのは、その商品を他の球団に売るということでしょう。
だったら、売りたい商品にはいいイメージを付けておく必要がある。
それなのに、トレードへ出す時って必ずと言っていいほど、その選手が良くない捉えられ方をする。
わがままだとか、金に汚いとか、輪を乱すとか…いっぱいあるでしょう(笑)。
それも必要以上に暗いイメージが伝えられる(中略)ビジネスならウソでも『いい選手だから惜しいけど』と
白々しくでも言うのがホントの姿でしょう。それなのにプロ野球界は逆。(中略)
私だって、常に悪役でやってきた(笑)。移った先の球団の人には『何だ、実際は話の分かる男じゃないか』
ってよく言われたよ」
(引用者)最後のフレーズは監督就任の際の中日フロントとかともかぶるな。。
「主力選手のトレードともなれば、交渉の仲介者として、そのチームのOBが引っ張り出されることもある。
巨人のようなチームになると(中略)色々な人間が入りすぎると、失敗してしまう部分も(中略)そこへいくと、
中日は星野監督の意向とロッテ側の希望に従ってすぐに交換要員を決めたようだし…」
(引用者)このあたりは語り尽くされた話か。
引用元「トレード大鑑1936-2001(ベースボール・マガジン社)」落合博満インタビュー
久しぶりに眺めていたら、トレード論以外にも、実体験についての述懐で面白いところ色々とあったので、
ロッテ→中日のところ、思わず引いてしまった。まだ興味深い話もあるけど、時間ないので、また別の機会に。
※関係ないけど、ずっと「オレ竜(流)」っていう言い方、疑問持っていた。この人って一人称「オレ」より「私」の方が
圧倒的に多いよね。内容はけっこうエグくても、表面的にはかなり「慇懃無礼」な話し方をする人という印象あった。
586 :
上の人:04/11/04 23:19:04 ID:OSj0WCTf
○中日入団編
「それにしても、このトレードは言葉の持つ本来の意味通りに行われたものだったね。
有藤監督が就任するロッテは、チームカラーを変えるのと同時に投手力を整備したかった。
一方の中日は、常に優勝を狙えるチームの土台作りとして、助っ人ではない、長く貢献できる
日本人の大砲を求めていた。お互いの希望をぶつけ合い、交換要員では多少の痛手も覚悟
して成立させたトレード。
つまりお互いのウィーク・ポイントを補ったわけだよね。結果的に見ても、このトレードに絡んだ
選手は皆そこそこには働いた。中日は翌年にリーグ優勝できたから良かったんじゃないか。」
(引用者)トレード論についてはあまりに正論すぎて、特に言うこともないっすね。あと、
最後のフレーズって、いかにも落合節だなー。衒いなく自画自賛している。。。
「私自身は『ロッテに捨てられたのではなく、中日に望まれて移る』と考えていたので、明るい気持ちで
名古屋に行くことが出来た。当時は33歳になっていたけど、プロ野球という狭い世界の中で(中略)
どこの球団にも話くらいできる選手はいるでしょう。(中略)ただし、最初のシーズンを戦い終えて
感じたのは、やはり同一リーグ内での移籍の方が楽だろう、ということ。(中略)もちろんある程度の
数字は残しておかなければならない。その上での話なんだけど、獲得した球団も1年程度の猶予は
与えてやるべきだろうね」
(引用者)リーグの話はちょっと言い訳くさくもある。今年、小久保・ローズとか見てしまっただけに。
中略部分にもあるけど、ま、落合がデータで読んで打つタイプってとこに、由来する点も大きいか。
ま、1年くらいの猶予ってこと自体には同意ではあるけど。
いくら(新人と違って)完成品でも、慣れない環境ですぐに能力発揮できない人もいるかもしれない。
○巨人FA編
「これは、もうほとんど女房の意志(笑)」…語り尽くされ、ガイシュツ多いのでほとんど略。FA一番乗りとか。
「私の獲得については、渡辺恒男社長と長嶋さん以外はみな反対。
私を含めた3人は、巨人が優勝できなければ辞める覚悟を決めたからね」
引用元「トレード大鑑1936-2001(ベースボール・マガジン社)」落合博満インタビュー
(*´Д`)ハァハァ
588 :
上の人:04/11/04 23:25:09 ID:OSj0WCTf
連投長文スマソ。あと、3,4で終わりまする。
○FA論
「権利を獲得したら自分で手を挙げるというスタイルは、日本ではなじまないだろうね。
FA宣言した選手について、『それまで育ててもらった恩があるのに、他のチームに行きたいのか』
(中略)どうもビジネスライクに行かない雰囲気が感じられる。だから、解決策の1つとして、権利を
獲得した選手は無条件で全員FA宣言したことにしてしまえばいい。シーズンが終わったら、一斉に
12球団と交渉しなさい、というルールにね。それで、所属球団との交渉は権利を取得した日から
やればいいんだ。そして、シーズンか終わるまでになるべく、残留かそうでないかを明確にしておく。
残留なら、シーズン終了と同時に契約すればいいし、そうでないなせ他の球団と交渉(中略)
シーズン後にどの選手と交渉できるかもはっきりしているでしょう」
(引用者)今では実質上、もうこんな感じになっているような。。 無条件宣言みたいなのはないけど。ま、それも面白いよね。
○自由契約。日ハムへ、編
「(前略。清原獲得は私が進言とか、清原サードで、とか)
清原がファーストを志望(中略)球団が私の処遇に困ってしまったわけ。私だって、ベンチに座っているつもりはないから
『だったら自由契約にしてください』って言ったまでだよ。球団と選手はあくまで対等な関係になっているのが理想。日本の
場合は、選手が球団の言いなりになっていた時代が長いでしょう。だから私は、常に球団と対等な立場で契約してきた。
(中略。年俸交渉、調停の話)そして、球団を去るときは必ず自由契約という形にしてもらう。任意引退という身分では、最終
所属球団に身分も精神的にも拘束されて始末が悪い(笑い)。(後略。ハム選んだ過程は非常にあっさりとしか書いてないし)
ちょっと、このレスでは「トレード論」ぽいのは少なかったか、スマソ。次のはけっこう興味深いよ。
引用元「トレード大鑑1936-2001(ベースボール・マガジン社)」落合博満インタビュー
復活!
591 :
588:04/11/05 02:03:59 ID:/tdgM2gH
鯖が死んだのは俺のせいじゃないと思うんだけど、もうちょっと写経したので。。。
別に復帰を待っていたわけじゃなくて、別の仕事もしつつだったので。でも眠い。
いままでは雑記的なとこあったけど、これはかなりツボ、というか「監督論」的にも核心付く話かと。
○カイコスターズ論…ここのサブタイはもちろん引用者が勝手に付けているよ、これまでも。
(自由契約については、球団の申し渡す時期が〜 等のインタビュアーの問題提起を受けて)
「つまり、早く言ってくれれば他球団のテスト(中略)仕方のない部分もある。シーズンを終えて、
無条件に整理対象になる選手もいるけど、例えばFA、トレード、ドラフトと、戦力補強がうまく
いったら整理対象になる選手もいる。また、その選手の力量を秋季キャンプなどで見極めてから、
というケースもある。選手に対しては11月30日まで拘束する権利を持っているから、ここで自由契約に
される分には文句は言えないよね。早く宣告してくれたら、球団の善意と受け取るしかない。」
「支配下選手の70人制限が全てのネック。こういう問題を解決するためには、この制限を撤廃する
しかないと思う。」
(引用者)上のはなしは幕田ぴんち、じゃなくて、ま、いまもブレないだろうけど、下の話はどうなんでしょう。
ま、この人は筋の人だから、今もそう思っているんだろうな。
引用元「トレード大鑑1936-2001(ベースボール・マガジン社)」落合博満インタビュー
因みにこのムックは、落合インタビューが冒頭で、続いて江夏氏のインタビューもあり。
スレタイにあるからってわけじゃないけど、かなりオチとかぶっているし、結構おもろいので転載。
「ビジネスとしていかに割り切ってお互いのチームが戦力アップ成るのか、これが本当のトレードだよね」
「ただ、日本のトレードといえば例えば自分が出されたときのように
『ワガママだ、言うことを聞かない、首脳陣に反抗する』 と
さんざん言えるだけ悪いことを言って放り出してしまうというのが日本のイヤな部分」
「そういうトレードの進行中というのは深夜にホテルの密室でやるといったイメージで時代遅れ。
もっともっとイメージ的に明るくというのが絶対必要」
「自分の気持ちとしては『オレは阪神の選手で終わるんだ、まさか俺が出されっこない』とそういう自負
(中略)
あのときのトレードで許せなかったのは、あくまでも水面下でやられた。もう少しトレードの過程を
報告してくれればもっともっとスムーズに
(中略)
球団サイドが変にごたごたして、決まったら現場の最高
責任者である吉田義男監督が『知りませんでした、ワッハッハッ』と笑ったと言うんだよね
(中略)
現場最高責任者が、当時のエースと呼ばれた人間のトレードを知らなかったと言うんだから。
これは球団の姿勢としても恥ずかしいし、はっきり言って監督としても失格ですよ、本当に
知らないはずだったら。でも本当は知っていたんだよね。その次の年、トレード先の野村監督に
聞いてみたら、その前年度の8月か9月に吉田監督から『江夏はいらんか』と言われたことがあった」
(引用者)ムッシュ…
次の野村との出会いは、有名な衣笠空振りエピソードとか独自調整とか、おなじみな話も多いので略。
広島編も特にトレード関連話というより、まぁあの頃は良かったなぁ、と振り返っているだけなので略。
ハム時代、大沢親分話がおもろいので、これにておやすみ。
−そして4球団目の日本ハムに移籍。
「ハイハイ、分かりました、行きますよ、ビジネス、ビシネス(笑い)」
−当時、日本ハムの大沢啓二監督はとにかく優勝するために江夏が欲しいと言っていて、出さないと言っていたエース・
高橋直樹投手を交換相手にしました。
「日本ハムとしては大決断でしょうね。20勝を計算できたピッチャーですからね。それを出してまで僕を取りに来てくれた。
大沢監督の思いはひしひしと伝わりましたよ」
(中略。ハムは若くて戦力落ちるチームという話)
−そういうチームで最初は優勝なんて考えられなかったのではないですか。
「78年のヤクルト、81の日本ハム、85年の阪神の優勝は勢いだけでしたよね。」(トレード関係ないのにワラタので思わず引用してしまった)
(中略。大宮捕手の育成ばなしとか)
「大沢監督はいいオヤジでしたね。83年は西武の独走となって、大沢監督はけじめとして辞任するんだけれども、
普通だったら『オレは監督を辞める。お前たちは残って頑張ってやってくれ』というのが常識ある上司の言葉ですよね。
それが大沢監督は『オレがお前を広島から取ってきた。その獲ってきたオレが辞めるんだ。だからお前も辞めろ』と。
『どういう意味ですか』といったら『ハムを辞めろ』。『そこまでいうんだったら辞めますが、次の球団はどうするんですか』。
『オレは常務として残るから、ちゃんとお前の就職口は見てやるから、大船に乗った気持ちでいなさい。それで
江夏どこへ行きたい』『行きたくないところはあります。阪神、広島、巨人、西武で強い巨人や西武と対戦できるところ
だったらどこでもいいですよ』と言うと、『わかった、オレに任せとけ』」
(引用者記す)
親分かっこいいー。でも西武になってしまった。
江夏の広岡監督評「野球という分野では教えられることも多かったし、素晴らしい指導者と認めますが、
人間という部分で認められないものがあったから、最終的に意見が合わなくて84年限りで現役を〜」 おわり。