「ああっと! またしても森、打てません! 見逃しの三振!」
左打席のショーゴー、天を仰いだ。この試合、4打席、全て三振。
チームは大量得点&ピッチャーの好投で久々の快勝。
しかし、このショーゴーだけが波に乗り切れずにいた。
森章剛。外野手。98年ドラフト2位でドラゴンズに入団。
高校時代は「九州のデストラーデ」と呼ばれた、地方では名の知られたスラッガーだった。
高校通算75本塁打。清原でさえ64本であることを考えると、驚異的な数字である事が伺える。
パワーだけの選手ではない。足も決して遅くないし、肩も強い。
プロ初安打は巨人戦。初球を、そのままレフトスタンドに放り込んだ。ファンは、和製大砲の誕生を確信した。
「あかんなぁ……」
ベンチでがっくりとうなだれる章剛。
幕田に巻き込まれる形で、新球団幕田カイコスターズを作り入団した。最初は6番ライトで出場し
ていた。それが7番ライトになり、8番ライトになり、気がつくと試合終盤はベンチにいる事が多くなって
いた。
それもそのはず。現在の打率が.198。0本塁打。自慢の長打力も発揮できずにいる。
そもそも、バットに当たらない。
「練習、ちゃんとやってるんだけどなぁ……」
努力は惜しまない。中日のころから「練習の虫」として有名だ。
カイコスターズではかなり真面目で、勤勉なつもりである。毎日ひたすら素振りと腹筋を繰り返している。
野手陣のなかで一番汗を流しているのは自分だ、という自負もある。
カイコスターズに入団し、勤勉さはさらに磨きを増した。しかし、全く打てない。
「率が上がってくれば全然違うのに……」
打てない打てない打てない。フルスイングしてもミートしにいっても、結果は同じ。三振。
ため息。
いまや章剛は、着々と力をつけているチームの中で、足を引っ張っているだけの存在になっていた。
チーム初の札幌遠征。
北海道にフランチャイズを移した、北海道日本ハムファイターズとの2連戦である。
「スッスキノ♪ スッスキノ♪」
札幌郊外のホテルに着いたカイコスターズ。
借り切った会議室に集まった選手達。
ブリーフィング終了とともに、はしゃぎまくる孝政コーチ。清原や幕田、山崎らに声をかけている。早く
も夜遊びの算段をしているらしい。
「孝政さんのススキノ好きは有名だからなぁ」
苦笑する石毛。
そんな浮かれるチームメイトを尻目に、自分のバッティングについて考え込んでいる、章剛。
そんな悩めるスラッガーを、達川ヘッドコーチがじっと見つめていた。
「アイツ何とかならんやろうか」
「う〜……ん。」
達川、石毛に尋ねる。
「あいつは多分、野手版の小山みたいなもんでしょ。気が小さいというか、情緒不安定なところがあるんだ
と思うけどな」
「パッと見はボーっとした感じなんですけどねぇ」
無愛想、というか表情の変わらない男、森章剛。
しかし、その鉄面皮の裏側で、ドキドキドキドキしているのはベンチから丸分かりだ。
「だったら酒でも飲ませればええんちゃいますかね」
「バッターが酒呑んで打席立っても、ボール見えんだろう。1塁に走ってるうちに転んじまうしな」
「……そりゃそうでっけど」
「しかし、なんとかしないとなぁ。アレだけの逸材をみすみす守備固めに使うってのはもったいないぞ」
「ですやろ?」
2人のため息がシンクロした。
# # #
休憩を見つけて、章剛は札幌市街に出てきた。
福岡出身の章剛、ラーメンにはうるさい。地元のラーメン本を購入し、繁華街を訪れる。
目当ては当然、札幌ラーメンだ。
目星をつけた店に入る。空いている店内には2、3人くらいしか客がいない。
章剛は店内を見回すとカウンター席の端っこに座った。味噌ラーメンの大盛りを注文したところで、カウンター関のど真ん中を占拠している、茶髪にサングラスの男に気付いた。
スポーツ紙を全開に広げているその男に、章剛は見覚えがあった。
「あれ、SHINJOさんじゃないですか」
「? 誰キミ」
「あ、カイコスターズの森です」
「おっ! 野球選手じゃん。スゲー!」
にっこりと笑うSHINJO。自分なんかメジャーリーガーだろうに。
「堀君っていうんだ、ヨロシクね」
「……いや、堀じゃなくて森です。森章剛って言います」
「ショーゴー君か。うん、そっちのほうが覚えやすいね」
章剛はSHINJOの方に席を移した。
「でもSHINJOさんっていいですよねぇ。華があって」
章剛の言葉にきょとんとするSHINJO。
「華?」
「そうですよ。オールスターでホームスチールとか、大舞台で結果残せてますし…」
章剛はSHINJOや清原(ついでにある意味幕田)など、華のある選手に憧れていた。
(自分には華が無いからなぁ……)
羨ましいのである。打席に立つだけで歓声が上がる、何かやってくれるという期待をファンに抱かせる選手が。
(自分も、そういう選手になりたかった……)
「あははは! 僕に華? そうでもないよ!」
快活に笑うSHINJO。
# # #
札幌の第一戦。日ハムの先発はミラバル。
「俺が1番か…右のミラバルに左の俺ってところかな」
石毛監督はここで1番センターに章剛を起用した。カイコスターズの面々は1番センター森、2番セカンド酒井3番レフトレイサム4番ファースト清原5番DH山崎6番ライト幕田7番サード筒井8番キャッチャー
カツノリ9番ショート福井となっている。先発は宮越。
札幌ドームのライトスタンドには緑の旗が翻っている。遠くナゴヤ球場から多くのファンが駆けつけてくれていた。なんだかんだで愛されているカイコスターズの面々だった。
章剛、左打席へと向かう。
プレイボール。ミラバル、足を上げて第1球を投げた。ストライク。ミラバルのストレートが膝元に決まる。
(……初球、振れなかった……)
悔やむ章剛。
2球目。これはインハイにボールになった。1−1の平行カウント。ミラバルの3球目。
「……ッ!」
アウトコースに甘く入ったストレートに手が出てしまった。セカンドへの内野ゴロ。章剛は打球の行き先を見、1塁に向かうことなくベンチに戻った。
この後の2番3番も凡退。
日ハム、1番はライトの坪井。初球を叩いてしまい、打球はセンターへ。章剛は定位置のまま、両手で大事にボールをキャッチ。1アウト。
2番はセンターSHINJO。三塁側のスタンドが一気に盛り上がる。
「しんじょー!」「頼むぞシンジョイ!」
(歓声が凄いな……いいなSHINJOさん)
宮越の初球は外へのスライダー。余裕を持って見るSHINJO。ワンボール。
2球目はシュート。止めたバットにあたり、平行カウントの1−1。
宮越、足を上げて3球目を投げる。インコース低目。これをSHINJOが当ててしまう。
予め前進していたサードの筒井がキャッチ、ファーストへ送球。一生懸命走っていたSHINJOだが、これは流石にアウト。このあと3番、絶不調の小笠原をPOPフライに仕留めた。
このあとのカイコスターズは清原がセンター前ヒットを打つも次の山崎がゲッツー。
以降は9番までが全員凡退。日ハムはセギノールが特大のホームランを打ったが、粘る宮越はその一点に抑えた。
4回表のカイコスターズの攻撃。
章剛、2度目の打席。足を上げるミラバル。見逃す。低目のスライダーがギリギリ入ってストライク。
(これは振ったらあかん)
2球目。同じコースに同じ球。これはボール。
(高めに見せ球しといてアウトローだな。高めに来た球をスタンドに放り込んでやる)
章剛の腹のうちが決まった。
3球目。これがアウトローへのストレート。ストライク。2-1と追い込まれた。
これに章剛が混乱してしまう。
(あれ? 高目くるはずじゃん。なんでアウトローに来るんだよ。逆球? それとも裏をかいたのか? あれ? あれ? どうする、どうするんだよ)
頭の中が真っ白になっている章剛に、高目に入ってくるチェンジアップ。混乱している章剛に対応できるはずが無い。当然のように固まってしまう。
キャッチャーのミットに収まる白球。主審の腕が上がる。見逃し三振。
がっくりと肩を落とす章剛。
ここでお役御免となり、1番には堀田が入りライト、センターには幕田が入った。
そしてこの試合、宮越が7回3点で抑えたが8回のカラスコが大炎上。結局8−1で日ハムが勝利した。
試合後、章剛は達川コーチに呼び出された。
「あかんかったなぁ、ショーゴー」
「……すみません、せっかくチャンスを頂いたのに」
うなだれる章剛に、達川は笑顔で返す。
「2打席凡退くらい別にええやろ。そんなんワシ、現役んときいくらでもしてたで?」
「はぁ……」
「んでな? ショーゴー。明日は休んどけ。んで外野の三塁側に席とったから、明日一日SHINJOのプレーをじっと見とけ。
お前に足りんもん、いっくらでもあるはずや。観察しろい」
「はい?」
ほら、とチケットを渡す達川。
「…………はい?」
# # #
2戦目。カイコスターズのスタメンはいつもどおりに戻っていた。1番善村2番酒井3番幕田…と続き、6番ライトには堀田が入った。カイコスターズの先発は吉井。日ハムは金村。
「……ここで見ろったってなぁ。SHINJOさんと俺じゃ、プレーのタイプが違うのに」
SHINJOは俊足・強肩を活かしたアグレッシブなプレー。長打力があるわけではないので、それを思い切りと足でカバーしている。かたや章剛はパワーヒッター。足も肩も普通で、守りは堅実に堅実に行こうとする
選手だ。
この日、章剛はスーツ姿に黒いサングラスといういでたちだ。そんな格好で、三塁側の日ハムファンにまぎれている。ユニフォームを着ると鈍重に見える章剛だが、他の格好をすると意外と細く見える。これなら
気付かれまいと自信満々だ。
(野球ファンの中にいて気付かれないプロ野球選手ってのも寂しいものがあるけどな)
この日の吉井はひたすら燃え上がった。ことごとく高目に入ったストレート・変化球がこれでもかという
具合に痛打される。小笠原に打たれる。SHINJOに打たれる。セギノールに打たれる。木本に打たれる。島田に打たれる。まだまだ終わらない。それでも石毛監督は4回まで投げさせ、9失点を喫してしまった。
「あーあ。こりゃ駄目だわ」
対する金村は昨日のミラバル以上。5回までを完璧に抑えこんで河本に継投した。
SHINJOは例のごとくはつらつプレーを繰り返す。打席では一生懸命走り、守りではいつもの、軽くジャンプしてのフライ捕球。外野に球が行きそうなときには頻繁にレフトライトに声をかけている。
(ふうん……?)
6回表。5番山崎が強引に引っ張った当たりがレフト、ちょうど章剛が見ている方向に飛んだ。
しかし上がり過ぎ、完全なレフトフライ。島田に代わってレフトに入った森本が追いつく。オーライオーライとばかりに大きく手を上げてキャッチにしにいく。
……と。
「あっ、おとした!」
「あっ、おとした!」
このなんでもないフライを、森本が落としてしまう。広い札幌ドーム、やる気なさげに駆け足していた山崎はこれをみて慌ててダッシュ、1塁を回ったところでストップした。森本の落としたボールはカバーに入
っていたSHINJOが掴んでショート返球している。
「……」
SHINJOがドンマイ、と森本に声をかけ、センターへと戻っていく。しばらく肩を落としていた森本も、よし、とばかりに定位置についた。
このあと、堀田の打球を森本が難なくキャッチし、3アウト交代となった。
章剛にはSHINJOが羨ましくて仕方なかった。足も速い、肩も強い。外野手としては間違いなく日本一の選手だろう。
そしてそれだけでなく、日本にいるどの選手にもないものを持っている、これが羨ましかった。
それが何かが章剛には分からなかった。
けれど、今、なんとなく判った気がする。
「……行こう」
こうしてはいられない。章剛は三塁側ベンチに向かった。
「監督! 俺を試合に出してください!」
急いでユニフォームに着替えた章剛は石毛監督に頼み込んだ。
「……7回終わって試合は2対13、今から逆転はかなり苦しい。わざわざ代打で出すこともないと思うが」
石毛監督はいまいち乗り気ではない。このあとが7番サードキンケード。8番キャッチャー小田。
9番は代打から入ったレフト大友。外国人やキャッチャーに代打を出すのは巧い手ではないし、大友は守りのいい選手だから代打を出したくないためだ。
「……じゃ、ショーゴー。どういうバッティングをするんだ? 建山のどの球に狙いを絞っていく? 引っ張るか? 流していくか? 初球からいくか? じっくり待って打つか?」
章剛は答えた。
「無心に振ってきます!」
石毛監督は暫く考えたあと、行って来い、と章剛の背中を叩いた。
監督は7番に代打、と主審に告げると、達川の隣にドッカと座った。
「見ときましょ、ショーゴーがこのチームを変えてくれるかもしれへん」
「……期待しましょ」
「7番、キンケードに代わりまして、代打、森」
ウグイス嬢のコール。
ライトスタンドのカイコスターズファンからは「うぉ−」という気の抜けた歓声と、微妙な拍手が上がった。
「キンケード」なら「出塁」できる公算は高いが、どうもファンからは歓迎されていないムードがあった。
一方の「森章剛」はチームが出来る頃からのメンバーであり、ナゴヤ球場の常連には愛されている。
「打てるかどうか、なんだよな……」
一人ごちる章剛。マウンドには復調の兆し、建山。ロージンに手をやる。
章剛はいつもより少しオープンスタンス気味に、膝を曲げて腰を下げて構えた。
いわゆる「ダイヤモンド打法」である。
足を上げて建山、投げた。アウトロー、隅の隅に決まってストライク。章剛はバットが出かかったが、振らない。
建山、第2球を投げる。足を上げた。
(俺にはファールで粘る技術も、韋駄天のような脚もない……)
振りかぶる建山。捻った身体を解いていく。
(パワーはあるけど、清原さんみたいにジャストミートしてスタンドインさせる巧さもない……
……だから、しSHINJOさんも言ってたじゃないか)
あのラーメン屋で、華があるだろうといわれたSHINJOはこういった。
「僕はね、一生懸命やってるだけだよ。それしかないじゃん、野球選手って」
右のサイドスロー、建山の指から放たれたボールはこちらへと向かってくる。
(だから、俺だって、1つ1つのプレーに、一生懸命になろう!)
インロー、食い込んでくるスライダーを、ただ無心に、思い切って、力の限りに振りぬいた。
ガツン!
「当たったッ!」
章剛、心の中でガッツポーズ。
速い打球は1塁線の内側、フェアゾーンを抜いていく、長打コースだ。角度はない、白球は一気にフェンスまで到達する。章剛は1塁を蹴って一気に2塁に向かう。走り抜ける。
ショート金子が立っている。セカンドベースまであと少しだ。一気に滑り込もう。
瞬間、何か白いものが視界に入った。
だん、という音がした。
だん、という音がした。
「アウト!」
滑り込んだと思ったそのとき、2塁塁審の手が上がった。
「…………はい?」
立ち上がった章剛には、何がおきたか分からない。
金子がグラブを見せる。セカンドにカバーに入っていた金子のグラブにはボールが入っていた。
打球が飛んでいった方向を見ると、SHINJOが笑っていた。
「あんな? SHINJOさん、ライトレフトを1塁線3塁線側に寄せてたのな。
んで、フェンスのとこにいたライトの坪井さんが取って、んで間に入ったSHINJOさんに投げて、
そこからSHINJOさんが一気にセカンドベースの俺んとこに返ってきたわけ」
やられた。
「……負けました。さすがです」
下がっていく章剛。しかし。
「ナイスバッティング!」「いいぞ章剛!」
ライトスタンドのカイコスターズファンが、いやそれだけではない、ファイターズファンからも声と拍手が飛んだ。
「SHINJOもナイスプレー!」「これこそ野球だ!」
章剛は、外野に向かって頭を一つ下げ、ベンチに入った。
試合は結局そのままのペースで進んでゲームセット。
カイコスターズ初の札幌2連戦は連敗に終わった。
この日から章剛の練習が変わった。
「練習のための練習ではいけない!」とメニューを根本から変え、より実戦的で実践的なものになった。
試合中では元気に声を出すようになった。特に、ライトでの守備では(考えなしの)センター幕田やセカンドへ、中継プレーの指示を出すなど、これまで以上に頑張っている。
「ん、声出せ。声出さなあかんよ。声と気合。野球やるんやからな。チームも変わるじゃろ」
章剛の豹変振りに、満足そうに達川コーチが頷いた。
(カイコスターズ・オブ・ドリーム番外編 「プレーに咲く花」 終わり)