伊原さんの珍プレー・珍プレー・好プレー

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4代打名無し
思えば根本管理部長という人間は大した人物だった。
あのオーナーと現場の両方をうまく渉りあったのだから。
通常の神経なら半年も持たない。
堤も、言うことを聞いたり聞いたふりをしたりする根本を煙たがっていたが、
結果(優勝)を出し続けたので、露骨な現場介入はできなかった(それでも姑息な
間接介入をしていたが)。
広岡にとっては、現場の意見を100%聞いてくれない根本に業を煮やし、
堤に直訴して根本を追い落とし、自分がゼネラルマネージャーになることを画策したが、
意外にも堤は広岡を切った。これには広岡も驚いたが、堤は堤で全く別のことを考えていた。
5代打名無し:04/04/05 12:08 ID:/3MRg7bQ
広岡を切れば、来季の優勝は難しくなるので、そうなれば根本に責任を取らせ首を切って、
自分の言いなりになる人物を据えようと、堤は思っていた。

ここで、当時の堤と広岡との「辞任会見」を思い出して欲しい。
広岡の辞任理由はなんと「通風が痛んだため」という仰天するものだった。
古今、数多くの監督が退任してきたが「通風」を理由にした監督などそれこそ前代未聞。
その「通風」が何を意味するか、堤にはよく分かっていた。
しかし、堤の陰険なやり方を「通風」と表現した広岡もなかなかのものだ。

堤はそれを聞き「通風が痛むというのは、痛む理由があったからだろう」と彼独特の皮肉
で返した。おそらくはらわたは煮えくり返っていたろう。
辞任会見後、側近に当り散らし、会見設定でちょっとしたミスをした社員を即刻首にしている。
かつての大物オーナー・大正力を敬愛していた広岡は、物事をずばりという正力と比較して
陰で陰謀を画策する堤は許せなかった。堤と縁を切っても球界で生きていけるだけの自信が
彼にはあったので、あの皮肉が言えたのである。

しかし、いかに広岡といえどもマスコミに対して直接的な表現での堤批判は出来なかった。
あの「通風辞任」が彼の出来る範囲での抵抗であった。
「通風」のなんたるかを感づいているマスコミ記者も、いることはいたが、むろん真実は
書けるわけがない。せいぜい広岡・根本の確執劇としてお茶を濁すのが精一杯だった。
6代打名無し:04/04/05 12:10 ID:/3MRg7bQ
広岡は堤を暗に「通風」にたとえてマスコミの前で堂々と批判した。
それは同時に西武グループとの決別も意味していた。
しかしのちに広岡はこのことを大いに後悔することになる。
彼が強く望んでいたのは、実は巨人の監督の座である。
選手時代、あの有名な「長嶋ホームスチール事件」がきっかけで
川上監督を始め首脳陣批判をしたばっかりに、石もて追われた球団。
できれば古巣巨人の栄光の監督の座にどうしてもつきたい。
そしてあのとき俺を追い落とした奴らを見返してやりたい。

そしてそのチャンスが巡って来た。
王が監督を解任される昭和63年、シーズン終盤のことである。
7代打名無し:04/04/05 12:14 ID:/3MRg7bQ
昭和63年のシーズンも終盤にさしかかり、巨人の優勝はすでに絶望となっていた。
王に見切りをつけた巨人フロントは、次の監督候補の検討に入っていた。
このことは極秘裏に進められた。
最終的に名前が残ったのは藤田と広岡である。
そして二度目の藤田よりも西武を常勝チームに育てた広岡の方を推す声の方が、
フロントには実は多かったのである。

そして、フロントは内々に広岡に来季の監督就任を打診してみた。
広岡にとっては、これを逃せば二度とはないチャンス。
本心では二つ返事で引き受けるところだが、彼にはひっかる点がひとつあった。
8代打名無し:04/04/05 12:16 ID:/3MRg7bQ
巨人軍にはチームを取り巻くマスコミと膨大な数のファンのがある。
その規模は西武の比ではなく、彼らを無視してうかつには行動できない。
そして忘れてならないのは超スーパー・スターのONの存在がある。

広岡には、長嶋退陣時のマスコミとファンからの猛反発が頭にあった。
今季、優勝できそうにないとはいえ、成績は2位。
王にもまだやる気はある。そこで自分が就任を快諾してしまうと、王を追い出した
悪者になってしまう。ただでさえ「冷血動物」との批判があったヤクルト・西武の
監督時代。うるさいOB連中がいる巨人では、最初から悪党の烙印を押されてスタート
するのはいかに広岡とはいえ、やはりやりずらい。
広岡は、ああみえても結構気配りをする繊細な面もあるのである。
特に待ちに待った巨人軍監督の座。一度なったからには2〜3年で辞めたくはない。
そのためには、ことは慎重に運ぶ必要があった。

そこで、広岡は提案した。
「王はまだ監督を続ける意思を持っていると思う。それならあと1年だけやらせてはどうか。
 そして来季優勝できなかった場合に、私は監督を引き受けましょう」
それを聞いた某フロントは、広岡の言葉をオーナーに報告した。
当時の巨人のオーナーは、あの「山があるから登るんだ」で有名な大正力の不肖の息子である。
この男が広岡の考えを、西武の堤オーナーに遠慮して言っているものと勘違いして、
結果的に全てをぶち壊してしまった。
9代打名無し:04/04/05 12:22 ID:/3MRg7bQ
広岡には計算があった。
王に一年間の猶予を与えることで、彼の顔も立つ。
それに王自身が中畑・篠塚・角などの長嶋派から総スカンを喰っている今の状態では
来季の優勝はとても無理。悪くするとAクラスも危ないかもしれない。
あと一年だけ我慢すれば、夢にまで見た巨人軍監督の座につけるのだ。
その前に阪神から破格の年俸条件で誘われたにもかかわらず、それを蹴ってまで
待ちつづけたジャイアンツの現場トップになれるのだ。

それに、生真面目で一本気な王のこと、フロントからあと一年との念押しをされると
自ら辞任を申し出るかもしれない。そうなれば「フロントの熱意に押されて、
愛する巨人軍のため、お世話になった大正力に恩返しをするために」引き受けたとの
大義名分が発表できる。その日はもうすぐ目の前に来ている。
広岡の心は踊った。この当時の広岡に逢った人は「あんなに機嫌がいい広岡は見たことがない」
と述懐している。本当に心から嬉しかったのだろう。
10代打名無し:04/04/05 12:24 ID:/3MRg7bQ
バカ息子オーナーからことの一件を聞いた堤オーナーは、その場では
「広岡さんはうちを常勝球団にしてくれた偉大な監督。巨人の監督でもりっぱに
 連覇を成し遂げるでしょう。正力さん、日本シリーズでまたお会いしましょう」
との儀礼的なエールを送った。
これで正力は「大きな山を越えられた」とでも思ったか、ほっとして球団事務所に
帰って、あとは広岡就任に向けての詰めの作業を行なうだけと思い込んでいた。

事務所に着くと険しい顔のフロント幹部が正力を出迎えた。
「どうした。何かあったのか?」正力は怪訝な顔で幹部に尋ねた。
「オーナー、広岡さんの話はダメになりそうです。」
「えっ、なぜ?だって俺はたった今堤さんと会ってきて…」
「それですよ、オーナー。先程堤さんの側近から電話があって、広岡さんが
 西武を辞めたいきさつと、今後彼が巨人でどんなことを企んでいるかを
 詳しく話してくれたんです。」