GUTS 小笠原道大 PART5

このエントリーをはてなブックマークに追加
1代打名無し:03/05/22 20:17 ID:6RajWdKH
2代打名無し:03/05/22 20:18 ID:CaeZYdXw
ヽ( ・∀・)ノウンコー
3代打名無し:03/05/22 20:22 ID:6RajWdKH
4代打名無し:03/05/22 23:08 ID:1oUUdOX3
5代打名無し:03/05/23 00:28 ID:Wcl3pmn6
★☆小笠原 道大☆★ Part4
http://ex2.2ch.net/base/kako/1041/10415/1041579145.html

立ち上がれ小笠原 この世のために 島国が生んだ 和製大砲
http://homepage3.nifty.com/mitoma/object/musics/fighters/Fs_ogasawara.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~winters/chakumero/ogasawaraff-p.html
http://gaisuke.tripod.co.jp/ogasawara-ff2.mid


年々パワーアップしている。
97年 2軍で4割、気管支喘息で後半絶望
    だが、外野の頭をこす流し打ちはこのころから光っていた。
98年 1軍で代打兼控え捕手として出場。4割近い成功率を維持。
    野口加入後完全代打に。 捕手の守備でダイビングキャッチを試みて骨折し離脱するが、
    回復を待たずに盛田からプロ入り初代打ホームラン。このころは、まだホームランを
    打てる打者ではなく、単打を的確に量産する打者だった。この頃は代打の切り札的存在。
99年 オフに打撃の良さを買われて完全ファーストコンバート。キャンプでの紅白戦15打数
    12安打くらい打ってレギュラーをものにする。
    開幕戦から絶好調で凡打でも全部いい当たりとエエデに称賛される。そして、プロ入り
    初登板松坂からプロ入り2本目のバックスクリーンへ弾丸ライナー。 この時は「小笠原
    って誰だよ?」とほざく香具師もいた。この年はまだ2塁打を量産するアベレージヒッター
    でモミーに少しパワーをつけたタイプという印象だった。ただ、左中間を破るあたりの打球
    はこのころが一番美しかったかもしれない。
6代打名無し:03/05/23 00:28 ID:Wcl3pmn6
00年 不動の2番打者として、クリーンアップの前でチャンスメーカーとしてブレイク。
    結果としてチーム1の安打数、安定感を発揮。この年にホームランも打てる打者として何かを
    掴んだ。打球をつぶすうち方で、角度さえ良ければ何処までも伸びるという打球が東京ドーム
    のフェンスを何度も越えていた。ゴキローに首位打者を獲られたのが残念。
01年 さらに打撃が安定し、ヒットを打つコツを身につけた。左翼スタンドへのホームランが習い打ち
    できるようになったのもこの年から。終盤少し調子を崩したが、小笠原が全国で注目されるよう
    になったのもこの年のオールスターからという印象。 打球の速さが半端じゃなくなった。
02年 いうまでもなく前半まで首位打者を独走。ホームランもローズ、中村とタイトル争いに参加。
    ただ、死球と腰痛により徐々に調子を下げ、最後には休養を余儀なくされたが、前半の調子を
    維持できたら3割6分40本も可能だった。 この年は勝負強さも発揮していた。今まではソロホーマー
    が多い印象だったがこの年は2ランや3ランも出ていた。レフトへのホームランも確実にミートした結果
    柵越えという理想的な形が続いた。 
7代打名無し
なんか伸びませんね
今回は