870 :
箱庭帰り:03/04/20 02:11 ID:XoqAZWMY
>864
一度はづきちゃんねるにUpしたんですが、なぜか破損する・・・。
流れにくいUpろだありませんか?
1Mあればオッケーです。
871 :
誘導:03/04/20 02:24 ID:P6UCGV13
今でも高木大成まんせー
高木耐性はまだ現役だぞ!
今でも谷中真二マンセー
今でも新谷博マンセー
今でも横田久則マンセー
今でも辻発彦マンセー
今でも黒田哲史マンセー
今でも富岡久貴マンセー
今でも中嶋聡マンセー
今でも東尾修マンセー
今でもジェファーソンマンセー
今でもマルチネスマンセー
あげとく
今でもフェルナンデスマンセー
早く移行しすぎじゃないの?スレは使い切ってくださいwww
887 :
代打名無し:03/04/24 05:48 ID:QXf8Y3Dc
暇だから妄想しよーぜ!
俺的妄想獅子軍
3 タイセー .320 18
4 奈良原 .265 2
7 垣内 .279 32
D 清原 .299 29
5 鈴木健 .348 24
2 和田 .310 16
8 大友 .268 5
9 外国人 .266 22
6 松井 .284 4
ああ、すまねぇ。揚げちまった。
889 :
動画直リン:03/04/24 05:49 ID:h+FMWj+u
この前中途半端で終わったヤツ、続きやりますわ。
今日は夕方までヒマなんで(^^;
とりあえず某スレよりコピペ開始↓
タイラー・リー・ヴァン・バークレオ(87〜91西武・92広島)
日本では珍しい育成型の外国人選手。
87年に来日したが、そのシーズンを丸々ファームでの育成期間に費やす。
その破壊力が日の目を見たのは翌88年のシーズンから。
典型的プルヒッターだったバークレオは穴も大きかったが
ツボにきた時の飛距離は秋山・清原をも凌ぐ凄まじいものがあった。
しかし、その勢いは2年と続かなかった。
攻め方を覚えられ、スランプが長引いた89年のシーズン途中
ライオンズ史上最強の助っ人「カリブの怪人」ことデストラーデが入団。
それを境にバークレオの影が徐々に薄くなっていってしまったのは致し方ないところか。
90年のシーズンはほぼ丸一年ファームで過ごし、その年のオフに出番を求めて広島へ移籍。
しかし、89年当時の輝きを取り戻すことはできなかった。
ホセ・トレンティーノ(93西武)
前年度限りで帰国したデストラーデの代わりの主軸候補として来日。
「本塁打よりも率を残せる巧打者」という触れ込みだった。
しかし、オープン戦で見た彼の打撃※を見て
デストラーデと比較するのも申し訳ないくらいの烈しいダメ外人の悪寒が…
その予想は裏切られることはなく、出場はわずか30試合に留まり
打率.152 本塁打1本 打点6という惨憺たる成績。
当然のごとくこの年限りで解雇となったことは言うまでもない。
※簡単に言うと'02年にホークスに在籍したバークハートを
極端なオープンスタンスにしてバットを肩に担がせたようなフォーム。
それでいて極端なアッパー&ドアスイングというとんでもないシロモノだった。
レイモンド・ヤング(92〜93西武)
ライオンズでは珍しい黒人投手。
150km/h超の重いストレートが武器という触れ込みで入団した。
が、ストライクゾーンにボールがこなければ折角のストレートも宝の持ち腐れ。
コントロール改善のためのフォーム矯正もままならず
在籍2年間のその大半をファームで過ごし、93年度限りで退団した。
通算5試合に登板、1勝2敗0S、防御率5.95という
あまり褒められたものではない成績を残して。
スコット・クーパー(96西武)
メジャーオールスター出場経験もある現役大リーガー。
「ロケットアーム」と呼ばれたほどの強肩・好守・巧打の内野手…という触れ込みだった割に
その守備の印象が全く残っていないのは何故?
打撃面でも取り立てて見るものはなく、9月で途中帰国→そのまま退団。
終始ジミ〜な外国人選手だった。
ロッド・ブリューワ(94年西武)
前年度のトレンティーノがあんなの(
>>892)だったので保険を掛けたのか
94年度は二人の外国人選手を獲得。
ブリューワはどちらかというと長打を期待されて入団した選手だった。
その打撃を一言で言い表すなら「左の垣内(ヘタレバージョン)」
当れば飛ぶが、普段は外の変化球におもしろいようにバットが空を切るという
簡単に言うと“大型扇風機”状態。
その年の日本シリーズにも出場したが、第五戦の中盤のピンチで
レフト線にフラフラと上がった打球を目測を誤り長打にしてしまい
その試合の敗戦を決定付けてしまうという最悪のやらかしを犯してしまう。
そして、この試合がブリューワの日本での最後の出場機会となったのであった。
マイク・パグリアルーロ(94年西武)
とにかく印象に残ってない…
日本シリーズで代打で出ては芸術的POPを打ち上げるという
およそ助っ人とは思えない非力さを見せていたことだけが記憶にある。
途中入・退団だったわけでもないのに出場機会が100試合に満たないのは
何かケガでもしていたのだろうか。
とにかく、前評判(現役メジャーリーガーだった)の割に影が非常に薄い選手だった。
ダリン・ジャクソン(95〜96年西武)
デストラーデ退団からマルティネス獲得までの数年間
ことごとく大外しし続けた外国人選手だったが、このジャクソンだけは例外。
中距離ヒッターで、俊足・強肩の外野手という触れ込みだったが
やっと看板倒れでない選手を獲得できたものだと当時はホッとしたものだった。
外国人としては珍しくトップバッターを勤めた機会も多く
先頭打者本塁打も何本か記録している。
欲を言うならもう少し率(通算.277)を上げるか、本塁打数(通算39本)が増えるか
どちらかが叶っていたら本当に文句の付け様がなかったのだが…
チームの深刻な長打力不足の余波を受け、96年度限りで解雇されたが
“帳尻選手”という悪評も一部であったとはいえ「勿体ない…」と思ったのは俺だけではないと思う。
>>896 パグリアルーロは記憶では怪我をしたから、出場機会が少ないはず。
確か8月頃には完治してたような記憶が在るけど、なぜか使われなっかった。
あと、記憶違いでなければ来日当初は7年契約(引退後はコーチとして)って書いて
あったような・・・。ただの記憶違いかな?
確か年俸もべらぼうに高くって西武も思い切ったことするな
と思って新聞をよんだような・・・
ジム・タイロン(79途〜80年西武・81〜82年南海)
79年の後期(当時のパリーグは前後期制を敷いていた)より
不振のミューサー(西武球団創設時より在籍)に代わって入団。
バッティングより守備がウリという当時としては珍しい外国人選手だった。
通算成績や批評などを見るに、ジャクソン(
>>897)に似たタイプだったらしい。
しかし、球団としてはもっと打てる野手が欲しかったのだろうか
81年のキャンプ中にテリー・ウィットフィールドを獲得。
その余波を受けた形で開幕して間もなく南海・名取との交換トレードで放出されてしまった。
2002年、阪神・エバンスと橋本の交換トレードが成立した際に
「日本人と外国人とのトレードとは…」と一部で騒がれたが
何のことはない、その約20年前にライオンズも同じようなトレードを敢行していたのだ。
※参考資料
「'80 われらがライオンズ」←古本屋で100円で購入(w
>>898 やっぱりケガだったのか。
長期契約の話は初耳。
その後アッサリ解雇になっていることや
西武球団が違約金を払ったという話を一切聞かれないことから考えると
入団交渉中にそういう話が代理人から出された程度のことだったのかもね。
あと自己レス。
>>899の最終行「約20年前にライオンズも」じゃなくて
「約20年前にもライオンズは」の方が意味が通るな…
テイラー・ダンカン(80年西武)
強打・攻守の内野手という触れ込みで入団。
71年ドラフト1位指名を受け、78年にはアスレチックスの正三塁手として
100試合に出場し打率.270と中々の実績を持つ。
前期だけで14本塁打を放ち、その実力の片鱗を見せ付けたが
いかんせんチャンスには弱かったらしく打点は36しか残せず終い。
後期より現役大リーガー、スティーブ・オンティベロスを獲得し
玉突きで前期限りで解雇の憂き目に遭った。
まだ26歳と若く、起用法次第ではこれからもっと伸びたのではないか?と
ちょっと惜しまれる選手…だったのかな?
リアルタイムで知らないので何とも言えないけど(苦w
※参考資料
「'80 われらがライオンズ」
テリー・ウィットフィールド(81〜83年西武)
前年度までSFジャイアンツのレギュラー選手だったバリバリのメジャーリーガー。
豪快なスイングと鉄砲肩、そしてチャンスで滅法強いバッティングで
ライオンズ第一期黄金時代を作り上げた選手の一人と言っても差し支えあるまい。
82・83年の日本シリーズでは勝負所で長打を放ち連続日本一に大きく貢献するなど
記録にも印象にも残る外国人選手だった。
83年限りで大リーグ復帰のため退団。
親を亡くした子や孤児を毎年自腹を切って球場に招待し
82年のオフにはベストファーザー賞で特別表彰を受けた経歴のある
心優しいナイスガイでもあった。
スティーブ・オンティベロス(80〜85年西武)
一発はあるが勝負弱く打率も低かった(65試合で.235)ダンカン(
>>901)に代わって来日。
この選手も前年度までカブスの正三塁手を務めたバリバリのメジャーリーガーであり
スイッチヒッターの好打者という触れ込みだった。
長打力はそれほどでもなかったが、通算打率.312が示す通りの巧打者で
日本での実働5年間で3割を切ったのは僅か1シーズンのみ。
また、84年には20本塁打ながら打点が100を超え(101打点だったかな?)
非常に勝負強いバッターでもあった。
そして何より(2chの)ライオンズファン的には見逃せない点が一つ。
それは…
彼がとんでもない 若 ハ ゲ で ヅ ラ の 愛 用 者 で あ っ た ということだ(w
母国ではカツラメーカーのCMにも出演したことがあるとかないとか…
さて、続きは明日以降にまた…
このスレが落ちてなければ続き書きますんで
アレーーーーーーックス
909 :
代打名無し:03/04/25 18:13 ID:2aaAUigS
909
910 :
山崎慎太郎:03/04/25 18:14 ID:vaBaVI53
(^^)
さて、ヒソーリと再開しますか(w
とりあえず二人追加↓
ジェリー・ホワイト(84年西武・85年大洋)
テリー(
>>902)の後釜として獲得。
メジャーでは主に守備固めなどで使われる機会が多かったという。
俊足堅守強打の外野手として期待されていたが
打撃も守備走塁での貢献度もテリーにはやや及ばなかったようだ。
それでも27本塁打68打点と一応それなりの働きはしているのだが
やたらとチャンスに弱かったのがネックとなったのか
この年限りで大洋へと金銭トレードで放出された。
ちなみにライオンズ時代は登録名が「ジェリー」だったのを
大洋では姓である「ホワイト」の方を登録名としていた。
ジョージ・ブコビッチ(86〜87年西武)
前年度までインディアンスのレギュラー外野手だったという
これまたバリバリのメジャーリーガー。
こうしてみると当時のライオンズは日本球団に獲得例の多い
3Aクラスの荒っぽいスラッガータイプのバッターではなく
メジャーのレギュラーもしくは準レギュラークラスの
割と率を残せそうな選手を好んで獲得していたことが分かる。
それはさておき、大きな期待を持って入団したブコビッチだったが
一年目の成績は.260の18本塁打、二年目も.244で14本塁打と
2年契約・年俸8000万という当時としては破格の高額年俸に見合った
活躍をしたとは到底言い難いものだった。
それでも86年の日本シリーズ最終戦で決勝タイムリー二塁打を打ち
87年のシリーズでも江川から本塁打を放つなど
大舞台ではいい働きを見せ、辛うじてメジャーリーガーの
面目を保った、といったところだろうか。
来期からカブレラマンセー
今から高木大成まんせー