>>175 皆さんは、日本ハムファイターズが何故「公」と呼ばれているか
ご存知ですか?今日はそれに、まつわるお話を致しましょう。
ー「公」誕生秘話ー
日本ハムは来期から札幌ドームを本拠としますが、
知っての通りGと同じく東京Dが本拠でした。
好き嫌いは別にして、Gは日本の趙人気チームです。
故に、パの日本ハムは比較され、冷遇されて参りました。
1990年のシーズンでしたが、
デーゲームで日本ハムの試合をし、夜はGの試合をした日がありました
その試合で日本ハムは西武と対戦し、0−8で大敗しました。
が、その試合の後日本ハム応援団と、夜に控えていたG応援団
との間でちょっとしたトラブルがありました。
G団「なんだよ、日本ハムまた負けたのかよ。おまいら、そんな弱い
チームの応援なんて辞めたらどうよ。」
日団「うるせーな。お前らには関係ないだろ。」
G団「なんだ?‘継子’のくせに態度がでけーな。」
日団「なんだと、テメーやる気か!」
まさに、一触即発の状態でしたが、
この時声を掛ける者が居ました。石毛宏典公でした。
当時の石毛公は、常勝ライオンズの中心選手としており
プリンス・貴公子などと形容さるようなオーラを発していました。
プロ野球いや、日本人なら知らぬものなどいませんでした。
そのスーパースターの突如の出現に、
気の荒い応援団も驚きを隠せませんでした。
G団「な、なんだよ、ちょっと男前だからといって、野球が強いと
言うわけではないぞ。」
日団「い、石毛選手・・・」
応援団も石毛公の迫力に押されて、支離滅裂状態です。
そして、石毛公はゆっくり口を開きました。
石毛公「プロ野球に順位の差はあっても、存在自体は平等なんだよ。
また、どのチームを応援するかは個人の自由だよ。」
G団「な、何言ってやがる。強い者が生き残るんだよ。
に、日本シリーズが、た、楽しみだぜ。」
そう言うと、G応援団は逃げるように去っていったといいます。
残った日本ハム応援団も呆然といしていましたが、石毛公は彼らに
石毛公「試合中は敵同士だけど、野球を愛する心は同じだよ。
今度は、いい試合をしましょう。」
と、話ました。
感激した彼らは、
日団「有難うございます。日本シリーズは頑張って下さい。
あの憎いGをやっつけて下さい。」
石毛公「ああ、約束したよ。」
そう言って、ニヤリと笑った石毛公の顔が今も忘れられない
と、その応援団はいいます。
さて、その年の日本シリーズは森・西武と藤田・Gの対戦になりました。
西武は、圧倒的な強さをみせて4連勝で日本一に輝きました。
パ・ファンはこの結果に溜飲を下げたものでしたが、
特にあの日本ハム応援団は喜び、それ以来敵ながらも
石毛公の事を「貴公子」「プリンス」と尊称することになりました。
その名残が現在の2チャンネルで呼ばれる
日本ハムの呼称、「公」になったのです。
ちなみに、Gはこの年の日本シリーズの惨敗が忘れられず、
Wオーナーの厳命により
チームでこのシリーズの話をする事は禁止されているといいます。