各球団の永久欠番を語るスレ

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185Retired
>>182-183
巨人の4番が永久欠番の理由
対象となっている黒沢俊夫は左投げ左打ちの外野手。
黒沢は生え抜きの選手ではない。巨人の選手が徴兵で主力が抜けてた苦しい時期に、球団初のトレードで入団した強打者。徴兵で抜けた川上哲治の後を継ぎ4番に定着。
当時主力選手は打順で背番号を決めており、4番打者であったのと、空き番であったため4番を着用する。
また、俊足でホームスチール10回の記録を持つ。そして、戦後川上が復帰すると5番を打つ。
しかし、47年不治の病であった腸チフスにかかり、現役中の逝去。
臨終の際、選手が見取る中「私が死んだら、死体に巨人軍のユニフォームを着せて欲しい、巨人軍の一員のままで死にたい」
という遺言を残した。そして、遺言通りに行われた。
当時、球団はメジャーリーグにあやかって、永久欠番を作ろうとしていた。沢村栄治の14番を永久欠番にしようとしていたときに、一人の選手が球団と掛け合った。
当時チームの主将であった千葉茂は、黒沢の遺言と共に、「黒沢選手の4番を永久欠番にしてほしい。彼は、巨人軍の危機を救ってくれた。欠番にする事で功績を後世に残したい」と伝えた。それは全選手の願いでもあった。普通これだけでは動かないだろう。
腸チフスでの急死という事情と、背番号「4」のイメージが忌避されるというのもあったのだろう。
彼のあと4番を背負う人間がいないだろうという判断もあって、1947年7月、沢村栄治の14と共に正式に4番が永久欠番になった。