ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼は園川が勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた
ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼は浦和の駐車場で園川の到着を待ち
病気の妻に
サインをもらってやった
ふりむくと
一人の車椅子の少女がいる
彼女はテレビの園川を見て
投げることの美しさを知った
ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は十月十九日の近鉄戦の夜に
男に捨てられた
ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はおふくろに
園川の百勝目を見せてやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった
ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫に隠れて
園川の応援をしていたことが
たった一度の不貞なのだった
ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼は園川の生まれた五月一日に
自動車事故にあって
失明した
ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて初めてもらった月給で
園川の写真を撮るために
カメラを買った
ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生のマウンドに
自分の出番を待っている彼らの
一番後ろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
園川よ
お前のいなくなった広い神無月の野球場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ
ふりむくと
一人のトレーナーが立っている
彼はルームの鉄アレイを片付けながら
昔 マッサージした園川のことを
思い出している
ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院の檻の中で
園川の強かった日のことを
みんなに話してやっている
ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番凄いピッチャーは
園川だと信じ
サンドバッグにその写真を貼って
たたきつづけた
ふりむくと
一人のソープ嬢が立っている
彼女は園川が千個目の三振を取った日
新しいユニフォームシャツを買って
ソノカワとネームを入れた
ふりむくと
一人の老人が立っている
彼は園川の負け試合を見て
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった
ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼は園川から
挫折のない人生はないと
教えられた
ふりむくと
一人の捕手が立っている
かつて園川とともにバッテリーを組み
敗れて暗い日曜日の夜を
家族と口も聞かずに過ごした
ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机の引き出しには
園川のサインボールが
今も入っている
もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗いブルペンがあるだけで
そこには園川は
もういないのだから
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
園川がいなくなっても
すべてのゲームが終わるわけじゃない
人生という名の野球場には
次の試合を待ちかまえている百万人の
名もない園川の群れが
朝焼けの中で
ランニングをしている足音が聞こえてくる
思い切ることにしよう
園川は
ただ数枚のサイン色紙にすぎなかった
園川は
ただ一試合の思い出にすぎなかった
園川は
ただ十三年間の連続ドラマにすぎなかった
園川はむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと
だが忘れようとしても
目を閉じると
あの日のピッチングが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ
元ネタ「さらば ハイセイコー」寺山修司
改造しながら何だか泣けてきたよ…