読売巨人軍バトルロワイアル・Part2

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728江川編・1
いかにも疲れきった返事をし、江川は妻の顔も見ずに二階の書斎に向かった。
“いかにも疲れきった”どころではなく、江川は本当にくたびれていた。
原因は、ザ・サンデーの打ち合わせのせいである。
鬱陶しい徳光を追っ払ったはいいものの、優勝したわけでもないのに
ハワイで秋季キャンプを張っていたジャイアンツの選手が一軍・二軍ともに全員行方不明というのは
確かに大事件なのだった。
もっともそれとて、かの偉大なるミスタープロ野球勇退に加え、古田の頭脳が猛牛打線をねじ伏せた
日本シリーズの話題にかき消されていたが。
それはまったく、最初から予定されていたように、あまりにもスムーズに起こった一連の出来事だった。
―――――長嶋の“勇退”という名の辞任は、果たして「プログラム」発動のためのものだったのか。
長嶋が辞めたのは、本当に優勝を逃したため、だったのか。
だが、そんなことはもはや観客にはどうでもよいことだ。自分が賭けた選手がどこまで生き延びるか。
本命か。対抗か。それともダークホースがいるのか。
戦っているのが生身の人間であることなど問題ではない。
競馬だって、サラブレットがあのガラスのように繊細な四つの脚が骨折せんばかりに走ることに
金を賭ける。それと同じことだ。そして、賭けに勝てばもちろん嬉しいが、その過程をも楽しめてこそ、
真のギャンブラー。
・・・などと気取ってみたところで、毎週日曜日の朝に放映されるザ・サンデーについては、
江川らレギュラーやスタッフたちも頭の痛いところなのだ。秋季キャンプ中に消えた巨人の選手たちと
徳光の抜けた穴はあまりにも大きい。が、抜けた穴はさらに大きな漬物石で塞げばいいとばかり、
「偉大なる長嶋監督閣下」の、現役時代は言うに及ばず監督時代の(一部のファンやファン以外には
どうだっていい)パフォーマンスの映像を延々と流し続けることにし、それでも補えない時間は、
取ってつけたようにヤクルトスワローズの日本一を、そう言うのもおこがましいくらいささやかな特集を
組んで伝えることに決定した。
実はザ・サンデーで最も好評である石井浩郎と三澤興一のコーナーはあっさり中止となった
(これが決まったときに江川は何かしら感じるものがあったが、それは口に出さないでおいた。
なにしろ「プログラム」について知っているのは自分だけなので)。
自分は反王貞治派だったとはいえ、即長嶋派だというわけではない。
何が悲しくて徳光ばりに長嶋監督様のアリガタイお姿を拝見して万歳三唱しなければならないのだ。
江川も、そして毎回巨人に迎合するコメントを言うことを強いられるコメンテーターも眉を顰めたが、
氏家社長直々の「選手の失踪などという忌まわしい出来事は一切無視!日本国民の至宝たる
長嶋監督を誉めよ、称えよ」とのお達しである。これも仕事と割り切って、徳光に代わり司会を勤める
ことになった江川、アシスタントの松本・馬場の両女子アナ、そして間を持たせるために呼びまくった
ゲストコメンテーターは先ほど入念な打ち合わせを終え、こうして各自夜中に帰宅したのだった。
729江川編・2:01/11/03 12:04 ID:vjrgrXgl
二階への階段を上がり、書斎の扉の前に立つと、中からくすくすと、抑えようとしても
抑えきれなかったらしい笑い声が漏れていた。
江川は顔をしかめ、勢いよくドアを開けた。
慌ててパソコンデスクにバン!と手をつく音。
娘の早(サキ)が、きまり悪そうにディスプレイの前に立ちはだかっている。
その肩越しにディスプレイを見ると、選手に胴上げされたヤクルトの若松監督がくるくると回転し、
そのまま宇宙へ飛んでいったかと思うと大気圏に突入した挙げ句小野にヘディングをゴールをきめられた画像がある。
思わずブフッと吹き出した父を、娘はじいっと媚びるような上目遣いでみつめた。
さすがにバツが悪くなり、わざとらしく咳払いをすると「こんな遅くまでバカな画像見てないで、
さっさと休みなさい」と早を追い払いにかかった。
ネットに耽溺して生活が崩壊する若者のありさまをニュースで見聞きしていた江川は、娘と息子が
自分専用のパソコンを持つことを許さなかったのだ。それでこうして、子どもたちは父のいない隙に
父のパソコンを共用している。別に自分のパソコンを使われることは構わなかったが、もう夜中の
一時近くだ。子どもが規則正しい生活を送るにはあまりにも遅い時間である。少なくとも、父である
江川にとっては。
「パパだって笑ってたじゃん、今」
言いながら、早はデスクに置いてあった写真を江川に差し出した。
「また頼まれちゃった。いいよね?」
「写真は肖像権が絡んでくるからだめだって言っただろう?そうでなくても最近ネットオークションで
売りに出されて問題になってるんだから」
「何回もそう言ったんだけど、どうしてもって言われちゃって・・・」
早が渡したのは、彼女の友人がジャイアンツ球場に選手の練習を見物に行ったときに撮った高橋由伸
(背番号24)の写真だった。これに由伸のサインをもらってきてくれ、というわけだ。もちろん、
友人の名前入りで。
家族、親類縁者から巨人選手のサインを頼まれることは珍しくなかった。時には自分のサインも
頼まれたりする。サインだけなら気軽に頼めるし、選手も気軽に応じてくれる。が、写真となると
江川の言ったとおり肖像権なども絡んで面倒なことになる。
過去に一緒に写真を撮ってやったファンが、その写真を写真誌に持ち込んで「不倫疑惑!」などと
吹聴したために騒ぎになった選手だっているのだ。
そして、女性ファンの多い高橋由伸の場合、おどろおどろしい確執がファンの間で生まれるらしい
(らしい、というのは娘から聞いただけだから江川には実感として無い。だから理解できない)。
自分がいかに高橋由伸の印象に残っているかを競っているのだとか。単なる「色紙にサイン」ではダメで、
写真や、頼まれてもいないのに作ったグッズに“自分宛てに”サインを貰ってほしいと、
早は執拗に頼まれている。
もはや人気はプロ野球選手というより芸能人並みだ。無理を承知で友人に頼まれてしまった娘も可哀相で、
所詮一人娘の父である江川はつい甘くなり「しょうがないな。あまり期待しないで待ってなさい」と、
できもしない約束をしてしまう。
そう―――――今はもう、本当にできなくなってしまうかもしれない約束を。
わあ、と華やいだ声をあげる娘に、強引に「お休み」と言うと、案外あっさりと部屋を出て行った。
よほど安心したのだろう。
相変わらずゴールポストに突き刺さっている若松監督の画像を閉じるに忍びす(どこでこんな画像
拾ってきたんだ、いったい!でも面白いからこのままにしておこう)、江川は気もそぞろに「プログラム」の
ギャンブルサイトへアクセスし、プログラム実行委員会から付与されたIDとパスワードを入力した。
730江川編・3:01/11/03 12:05 ID:vjrgrXgl
データは「1分おきに更新」に設定してある。
―――――こいつは・・・
選手名簿の「上原浩治」「桑田真澄」の横に、それぞれ「交戦中」の文字が点滅している。
他に「交戦中」の選手はいない。
どうやら、賭けの対象になった二人が、なんとも都合よく対決してくれているようだ。
これだ。真っ向勝負ほど面白いものはない。
自動でリロードされる一分という間すらももどかしく、手動で更新し続ける。
真っ暗な部屋の中、ディスプレイの光だけが、瞬きも忘れて二人の選手の名を食い入るように見つめ、
マウスをクリックし続ける江川の顔を照らしている。
その形相は、名投手のものでも、冷静に説明を加える解説者のものでもなかった。
かつて人々から称賛を以って呼ばれた「怪物」そのものだった。命の奪い合いに魂を奪われる、
一人の「怪物」だ。
ブラウザがリロードしきれていないうちに、江川は何度もクリックし続けた。

カチッ、カチッ、カチ、カチ、カチ、カチ……………

やがて、「桑田真澄」の横の文字が消え、「上原浩治」の横に、目に痛いほど鮮やかな赤い「死亡」の
文字が輝いた。
江川には倦まず飽かずクリックしていたせいで長い時間が流れたように思われていたが、
実際はそうでもない、わずか5分間のできごとだった。
江川の顔に、不気味な笑顔が浮かぶ。
―――――ワイン仲間のよしみでこっちに賭けたんだ、儲けさせてもらわなくちゃな。
おもむろにプログラム実行委員会作成の専用メールソフトを立ち上げ、メールチェックをする。
これも今回特別に付与されたメールアドレス・[email protected]に、新たなメールが配信されていた。
勝者の名前、レート、配当金などが記されたメールである。
配当金はWEB上から、これも今回プログラムの為だけに開設された各人の口座に支払われる。
二者択一の賭けだったからレートも低く、大変な儲けになったわけではないが、それでも勝ちは勝ちだ。
嬉しいことに変わりはない。
ディスプレイの隅で大気圏に突入する若松監督を眺めながら、江川はデスクに両肘をついて、手を組んだ。

―――――さて、と。次の勝負のしどころは・・・“KK対決”か。

このまま、清原に賭けつづけるか。それとも、桑田に乗り換えるか。
今ならまだ間に合う。
今なら、まだ。
江川は思案に暮れた。