>>9 受験生から20年以上も経った身やけど、変わらんのやなぁ。
大学、学部の格とかプライドとか、そういうのも大事やけど、それだけともちゃうで。
大学からはな、高校までみたいに日本中で同じことを勉強するんとちゃうのや。卒論書くあたりからは、教科書が無い世界、つまり、世界の誰も見たことなくて、君だけが見ている世界に入っていくんや。
教科書なんかあらへんで。それまでに覚えたもの、それから、研究室に伝わる方法論に頼りながら、誰も知らないことを研究していくんや。
そう考えると、結局、いい研究室がある大学、学部にはいらなあかん。と思っていても、6つとかの研究室の中から、最後はじゃんけんかなんかで配属が決まってしまうんやけどな。
それから、もし、君が受験生レベルやとすると化学の専門的な話から離れた例の方が分かりやすい思うので、話飛ばすで。
例えば、万葉集について勉強したいと思ったら、どこの文学部に行けばいいと思う?国文科に入ったかて、先生の専門は漱石だったりするよ。逆に明治文学やりたいと思ってたのに、先生は古代の比較言語論かもしらんで。
今やったら、ホームページとかで各大学の研究室のこととかある程度調べられるんやから、大学、学部、選ぶ時、君の行きたいとこにどんなことをやっている先生がいるのか、ちゃんと調べてから入った方がいいと思う。
それでもな、例えば、名大とかそうやけど、教授が退官したら研究室をさらにしてしもうて、よそから教授を招聘したりするんや。そしたら、入学した時の目論見は無駄になったりするけど。
最後は、「縁」なんやろな。
>>14君
うん、言いたいことは分かった。
でも、今は阪大もそんなになってるの? ちょっと、ショックです。
僕が居た頃は、3年生までは遊んでいても、4年になって研究室に入ったら違ったけどな。
鬼軍曹みたいに厳しい先輩や、こんこんと諭してくれる先輩に囲まれた。先生方も先輩やしね。
そんな中で、公私問わず深い状況、精神的に追い込まれる中で人間として切磋琢磨し、化学者として、人間として磨かれたように思ってるんやけど。
14君の言うように、インスパイアされあう環境であることは物凄く大事ですね。