1 :
名無しの心子知らず:
2 :
名無しの心子知らず:2012/06/09(土) 22:53:48.49 ID:xafAxz4I
一(゚д゚ )乙 これは乙じゃなくてポニーテールなんたらかんたら
3 :
名無しの心子知らず:2012/06/09(土) 23:02:50.70 ID:MrjSDHvN
4 :
名無しの心子知らず:2012/06/12(火) 00:52:43.45 ID:L9gy0nfo
1乙
いつの記憶か分からないけど、水を手ですくって飲ませて貰うのが好きだった。
今みたいにコンビニで水買う時代じゃなくて、水道しかない時母が手ですくってくれて、自分ではどうしてもすくえないので、どう違うのか、手をしげしげとみていた覚えがある。
全く育児に役立たない気がするな。
5 :
名無しの心子知らず:2012/06/21(木) 00:06:07.14 ID:TGD2iTAr
保守がわりに自分の体験を1つ
椅子やテーブルの下がやたら面白くて楽しかったなー
モップ代わりになってしまうので掃除はこまめにしないとだよね
たまに子供視点で見てみるのもいいかも?
洗面台の蛇口周りとかトイレの下の方等、
大人視点だと気づきにくい汚れってあるから
6 :
名無しの心子知らず:2012/06/22(金) 09:34:12.77 ID:vVYj57BP
うーん、一番幼い記憶は・・
祖母が遊びにきた時かな、恐らく3歳くらいの記憶
「おばあちゃん来たよー」
やったーおばあちゃんだー!うれしー!
その勢いでU????????????????????????ジャー
7 :
名無しの心子知らず:2012/06/24(日) 10:34:30.11 ID:5HkimYpH
誘導されて来ました
私が赤ちゃんの時の記憶です
たぶん新生児
保健師さんが来て母と話している
体脂が残っているのを心配して尋ねている
他も2、3ヶ月くらいかな
母が座布団に斜めに寝かせて対角線に背が足りないとはしゃいで
祖母を呼んでいる
おむつを替えてもらう時、いつもお股見られるの恥ずかしいなぁと感じてて
でもこんな歳でそんな事いったらびっくりされちゃうしな〜今は仕方ないか
はやくおむつ被せてよ!と思ってて、被されるとほっとしてた
だから今、赤ちゃんの娘のおむつ替える時は、ちょっと失礼、と声をかけてから手早く替えてる
娘が尊重されてると感じてるかどうかわからんがw
あと、寝かしつけの時おなかをポンポンされると苦しかった
軽いタッチとはいえお乳を飲んで満腹の後なんでポン、グエ、ポン、グエてなってた
寝た後で母が顔をじーっと見つめているのも知ってた
深く眠ってしまうとわからないけどいつもわかってた
寝た後で小さくて可愛いからと手を持ち上げたりすると
短い間でも抜けそうなくらい痛くてだるくて、眠ってても心の中で悲鳴をあげてた
これはほんとうにつらかった
それで絶対に眠っている間は手を持ち上げないでそっと撫でるだけにして、お腹はトントンしないようにしてる
8 :
名無しの心子知らず:2012/06/24(日) 10:41:36.78 ID:5HkimYpH
あとは抱っこされている時に壁にかかっているオルゴールみたいなおもちゃを
もう一度見せてとせがんだのに言葉になってないのか通じなくて
何回もお願いして必死になって泣いたら
お腹すいた?とおっぱい出されて夢中で飲んで、でも飲んでる途中で
あ?あれ?なんか違うぞ、と気がついて
でもなんだったけ?まあいいや!てまたフゴフゴフゴフゴ飲んでた
産着を着て寝かされている時
大きくて袖を通してなくて、体にぴったり添わしてるんだけど
ひょっとして腕伸ばせるかも?とひらめいて
伸ばすぞ、伸ばすぞ、伸ばしたぁ!と袖に腕が通ってものすごい達成感あった
でもやっぱり体につけてた方が安心するからまた腕を抜いて体にくっつけた
離乳食の時
まだ話せなくて引き戸にもたれてゆらゆら立ってる
母がかんだご飯をスプーンに出して、ハイと差し出した
やだーーっ食べたくない‥と思ったけど、これ食べないと他に食べるものないし
とあきらめて食べてたw
大人になって母に確認するとなんでそれ知ってるの?じゃまくさくてさーと笑ってた
全部1歳になるまでの出来事
かえって2〜5歳頃の記憶がまったくない。こんな感じでした
9 :
名無しの心子知らず:2012/06/24(日) 10:43:28.38 ID:/Bkl9U7m
地球外生命体の話は役に立つのかどうか…。
>>7-8 すごくカワイイ!
みんな覚えてないだけでこんなこと考えてるのかな。
>>7 すごい!そこまで低月齢の話ってここでも珍しいよね。
また他にもあったらぜひ!
>>8 腕を抜いてって多分新生児に近いよね。すごいなあ。
>>1乙ー
あと、ポン、グエ、ポン、グエ、って笑っちゃいけないけど笑ってしまった。成る程…気をつけよう。
幼児の頃、新しく覚えたものを家族の前でやるというのがなんか恥ずかしかった。
正しく箸を持つのも照れくさくて保育園でしかやらなかったし(家だけ握り箸)、
家族にありがとうごめんなさいを言うのも照れくさくて内緒話みたいにこそっと言ってた。
今は仕事で新しく覚えたことはやらざるを得ないのですぐ実践するけど、
流行の服を着たりするのはいつもワンテンポ遅れてて三つ子の魂を感じる。
>>16 あー、似た感じの子供だったかも。
親に教えてもらったことを、親の前でやるのが恥ずかしかったし、先生に教えてもらったこともその先生の前でやるのが恥ずかしかった。
今考えればただの自意識過剰だけど。
18 :
7:2012/06/25(月) 09:59:55.14 ID:Qxw6dz5D
いま思うと低月齢の数日だけの記憶みたい
そういえば、はいはいの記憶がない。仰向けに寝かされたらそのまま動けなかった
ほかの目印はメリーが吊ってあった事(あと引越す前の家)
その他覚えているのは
母がおむつ替えのために座布団に寝かした時
隣の父に「たまにはおむつくらい替えてよ!」と疲れた様子で言って
父が言われるがままおむつを外したはいいけれど、次どうするかわからなかったらしく、ぼーーっとしてるw
ややして母が気がついてしびれをきらして「もういいわ!自分でする!」とちょっと怒って交代した事
少しだけ泣いたら声を出す事が気持ちよくて
抱っこされても大声で泣き続けたら「なんで?どうして?」と母が困ってうろたえてる事とか
自分の赤ちゃんの時もおむつ良し、お乳よしで他に心配な要素がなかったら抱っこして
これは泣きたいだけなんだな、と落ち着いて「いっぱい泣きなさい、よしよし」と声かけてます
ほかにはお腹が空いて、おむつも冷たくて泣いたけど誰も来てくれない
泣きつかれて眠って目が覚めて、また泣いたけどまだ誰もこない!ショック!ああもうだめだ〜絶望、とか
こんな記憶をお披露目する場があるとは。1さんありがとう。
お役にたてたら嬉しいです。これで全部です
>>18 素晴らしい。
泣きたいだけの時もあるのねw
手を持ち上げるのとか満腹時のお腹ポンポンとかすごい参考になった、ありがとう。
本当に素敵な思い出だね!
0歳児でも、大人の言うことを理解してるんだって改めて実感させられました。
言動には本当に注意しよう。
>>7さんほどではないですが、赤子の頃の記憶があります
産まれて初めての夏、多分お盆だと思うのですが、親戚が我が家に集まっていました
私は縁側と座敷の境あたりに座布団の上にあおむけにされて、おむつを替えてもらっていました
その様子を見ていた従兄弟たちが
「〇〇(私の名前)のおケツは三角おケツ〜」
とはやしたて、赤子ながらに「(女の子に向かって失礼なことを言って!!)
とぷんすかしました
座布団の上に敷かれた青いバスタオルとか、茶色の座布団とかも覚えています
おむつを替えてもらってから哺乳瓶で飲んだりんごジュースがとてもおいしかったな
という話を母にしたところ大層驚きまして、確かにそんなことがあったそうです
親戚が隣の座敷でわいわいがやがやしていたのもよく覚えています
幼稚園かその前位の時だと思うけど、
冷蔵庫の中身が少なくなると、もう補充されないんじゃないかと思って怖かった。
大人になって母に聞いたら、
まとめ買い→使い切る!やりくり上手な私ってのが好きだっただけらしい。
>>7-8 、
>>18 0歳児の記憶、すごい・・・
何も言えなくてもやっぱり一人前?の感情があるんだねえ。
みんな忘れちゃってるだけなのか。
24 :
名無しの心子知らず:2012/07/03(火) 19:50:07.74 ID:GmU3h640
多分幼稚園の頃の記憶なんだけど
娘が保育園で覚えてきた童謡「てをつなごう」を聞いて、自分が好きだったことを思いだした。
それで
まあるい豆が ポンポンポン
お鍋の中で はねました
ってどういうことか疑問だった。
豆が自分ではねる?…今子供に聞かれてもうまく説明できる自信がない
>>24 はははw可愛いね
お鍋で煮てるんじゃなくて炒ってるから爆ぜてるんでしょwたぶん
みんなけっこう覚えてるもんなんだな
自分は5歳くらいからの記憶しかないぞ
いくつか分からないけど、まだ言葉を話せない頃の記憶
母親が自分のことを他の誰かに話すのが嫌だった
「この子はこんな子で〜」とか「○○が出来て、△△は出来なくて」とか
母親を信頼して自分を見せているのに、それを他人に教えてしまっていることに
裏切られたような悲しい気持ちになった
分かるのに分かってないと思ってるんだろうな〜なんて考えてた
でも自分が親になると言っちゃう。せめて子が寝てからにしてるけど、うっかりすることも多い
>>24 透明な蓋のついた鍋とかでポップコーンをやってみせる、ってのはどうだろう?w
ばぶばぶ
はっきりいつかはわからないけどおねしょしてた時だから幼稚園かな
このスレは幼稚園でもあり?
自分自身おねしょに対してそこまで罪悪感はなかったし
母も三人目ということもあって全然怒らなかった
でもおばあちゃんの家に泊まったとき
夕方から水分を殆どもらえずに寝る前に喉が渇いたので牛乳をねだったら
コップに泡しか入れてもらえなかった
また、幼稚園のお泊まり保育の時で布団を配られたとき
私だけおしっこの染みだらけの敷き布団だった
この二つは子供心にショックだったし、プライドが傷付いたなー
思い出とかすぐ忘れちゃうタイプなので子供の頃の記憶とか殆どないんだけど
この二つだけは当時の状況も心境もはっきりと思い出せる
だから自分の子供には他人の前でもプライドを傷付けるような発言は避けてる
>>31 覚醒は起こっても、それで脳=膀胱の神経連絡が瞬間接続するわけでなし、
おねしょしなくなるまでの期間は、子供なりにどう過ごされていたんですか?
幼稚園だか保育園だかの時からだけど、父に叱られると怖くて顔を上げられなかった。
でも父の方を見ないと余計叱られるので、顔は下に向けて目だけで見てたら、「なんだその目は!」と言われたよ。
当時は意味がわからなかったけど、反抗的な目に見えてたんだね。
今二歳前の息子、注意すると同じように俯いて上目遣いで見てくる。静かに言っててもやっぱり怖いんだなあw
良スレ保守。
ここの書き込みを見ていたのが役に立ちました。
行った事のない街で長時間、時間を潰さなくてはならなくなって、1歳娘の
オムツを替えるのに手近にあったスーパーへ。そしたらあまり設備の整っていない
所で、オムツ替え台は階段踊り場にあった。人通りは少ないとはいえ、当然
丸見え。さて替えようと娘を台に乗せたら、寝てくれなくて、私の腕にしがみつく。
「もしかしてここが嫌なの?」と聞いたらうなづいた。
遠いけど、ちゃんと女性用トイレの中に交換台のある役所へ行ったら
大人しく交換させてくれました。
本当に、赤ちゃんにも恥ずかしいと思う気持ちがあるんだね。
恥ずかしのもあると思うけど、怖かったのもあるのでは?
踊り場でオムツ替え台だと、相当高い場所に見えると思うよ。
それとはちょっと違うけど、私は2〜3頃、踏み台がないトイレが怖かった。
外出先は大抵踏み台無くて、一人でトイレに行けなかったよ。
トイレットペーパーを取る時が特に落ちそうで怖かった。落ちた事はないけど。
親は「出掛けると甘えん坊さんね」ってトンチンカンな事言ってたなあ。
怖いって感情はよく覚えているなぁ。
手すりにつかまっても、どうしてもエスカレーターに一人で乗り降りできなかった。
動いているからタイミングがわからなくて、急に体をもっていかれる感じが嫌だった。
親と手をつないでなら平気だったわ。
一部分だけ親の体に触れてるだけで安心して乗り降りできるのに
よその同い歳くらいの子が1人で乗り降りするのを見て嫌味ったらしく、あんたは1人じゃ何もできないのねって言われるのがすごくムカついた。
人は人だし、まだ自分は小さいから慣れてないだけなのに!って思ってた。
子どもでも、複雑なことちゃんと考えられるしプライドだってある。
幼稚園入園すぐくらいの記憶だと思う、多分三歳なりたてくらい。
>>33 一緒。でもその記憶があるので子どもが上目遣いで見てても
なんでこんなに可愛いのにあの時父親は怒り狂ったのか
としか思わない。
子供の頃男の人が嫌いな子供だと思われてた
でも男が嫌い、というか、「よその家のお父さん」に遠慮してた
自分の家もそうだけど、お父さんがいる時って大抵家族がそろう時。
よそのお家にお父さんがいると、そこで家族が完成してて疎外感を感じると言うか
居心地が悪くて仕方なかった。
なのでよその家のお父さんがいる→自分は帰らなくては!と思ったのをかすかに覚えてる
お父さんがお仕事に行ってる時間は私達子供とおばちゃんの時間、と思ってた
ああ、わかるなあ。
私もあったそういう気持ち。すっかり忘れてたよ。
>>38 友だちの家にお邪魔してて、旦那さんの帰りが早かったりすると
帰らなくては!って慌ててしまうよね。正しい感覚なんだと思う。
某HN:赤 帯eta* *n・瓜 ん 坊っ子その他某らも、左親指くっちゃい手しゃぶりのちっちゃぃ幼少期以前の『シュールシャーマン斬新画伯,申婆doll・Dariみたいな手法で』胎児期の記憶に戻って、hospitalで催眠療法で虐め行為改善してくれないかしらーー。
彼(彼女?)らはこのようなネットいじめのみならず、やはり学校時代はリアルに、鈍い弱い子らをイジるいじめごだったって聞くしネーー。
まだ寝てばかりの時。ハイハイをしようとして、でもうまく体が動かなくて。
そんな時、大人たちが手を出して抱っこしてくれるんだけど、「じゃますんなよー」って思ってた記憶がある。
今ならわかるけど、手伝ってくれてただけなのにね。
うちの子はまさにハイハイ練習中。つい足とか直したり手伝っちゃうけど、そんな風に思ってるのかー。
様子見るだけにとどめよう。
44 :
名無しの心子知らず:2012/08/20(月) 00:26:31.39 ID:LI9ffGZo
乳児の頃の記憶。
うつぶせから初めて寝返りが出来て「あぁー、これが天井ってやつかぁ」と新鮮な気持ちで天井を見つめてた。
ふと台所をみたら母親が背中を向けて立っていた。 近くに母親がいたことにとても安心する。
幼稚園の頃。 朝から体調良くなくて、帰りの会で気持ち悪くなり大量に吐いた。
45 :
名無しの心子知らず:2012/08/20(月) 00:29:27.36 ID:LI9ffGZo
先生に「なんで気持ち悪くなったって言えなかったの。○○ちゃんにもゲーがついたじゃない」って手洗い場で叱られた。
私、泣きながら「本当に気持ち悪いときには気持ち悪いって言えないのに。先生はわかってくれないんだ」って悲しくて泣いた。
46 :
名無しの心子知らず:2012/08/20(月) 00:36:00.08 ID:LI9ffGZo
最後。そんな私も母親となりまた幼稚園の先生になって10数年。
体調悪い子には「吐いちゃってもいいからね、もし吐くかもーって言えるときは 先生の服を引っ張るとかなんでもいいから教えてね」って言うようにしてる。
四ヶ月の息子には少しでも離れるとき「○○に行ってくるけどすぐに戻るからね」と声をかけるようにしている。
長文失礼しました。
お腹が痛かったり、気持ちが悪い時になぜか言えないっていうのはあったね
小さい頃、転んだとき「泣かなかったね〜えらいえらい、強いね」って言うのが馬鹿にされてるみたいで嫌だった。転んだのにえらいってなんだよと。「痛いの痛いの〜飛んでいけ」も嫌だった。痛いって言わなくなるまで呪文が止まらないから黙るしかないんだなと思った。
一番古い記憶は、ベビーベッド(柵の中)に寝かされて、メリー(当時は天井からぶら下げてた)がクルクル回ってるのをホゲーって見てた
視界がぼんやりして殆ど見えてない世界で、何かがクルクル回ってるのを見てるのが面白かった
あと、哺乳瓶の乳首を舌の裏側に突っ込まれるのが、スゴい嫌だった
何度も自分で押し出して舌の位置を直して飲むんだけど、ある日面倒臭くて飲まなかったら「あら、要らないの?」って取られてしまい、泣いて抗議したことを覚えている
保育園の3歳になる前
51 :
50:2012/08/21(火) 18:46:07.56 ID:1UbPrqCD
ごめん、途中で書き込んでしまった。
2歳くらいのことだと思う。
保育園のトイレに扉がないのがすごく嫌だった。
和式で背後が開いてるタイプで、お尻を見られるのと、
人が見てる中でトイレっていうのが嫌で嫌で仕方なかったな。
その保育園の3歳からのトイレは鍵がかからないタイプだったんだけど
それもいやで仕方なかった。
二歳終盤〜三歳前半くらいの頃の記憶。
鼻水が出ることは悪いことだと思っていた。
だから、当時鼻が悪くて鼻水が出るのがとても恥ずかしく、周囲にばれないように
袖で拭き、それが怒られると腕で拭いて、腕がガサガサになってしまっていた。
鼻のかみ方もよくわかっていなかったと思う。
上に姉がいたこともあり、見よう見まねで幼いうちから割と何でもできていたので
親は「なんで、何でもできるのに鼻だけちゃんとできないの!?」という感じだったけど、
所詮見よう見まねは見よう見まねで、根本的な意味とか正確に理解できてるわけじゃ
ないことも多いんだなー
小さい頃の記憶がある方にどうしても聞きたい!
ウチの娘3才は気が強くて泣き虫なんだけど、3才ってだけあって言葉も通じるし自分の気持ちも話せる。
だけど最近弟ができたことで赤ちゃん返りしてて、夜泣きが復活してしまった。
夜中に一端泣き出したら抱っこしても宥めても歌ってもTVつけてもお菓子出しても泣きやまない。
全くこちらの呼びかけが通じない感じなんです。(夫が怒ると聞くけど)
結局号泣しまくって抱っこで何とか落ち着くまで30分くらいかかってしまいます。
どなたか幼い頃の泣いていた記憶で「こうしてくれたら満たされた」とか「これが本当に嫌だったんだ」とか
あったら教えてください!ギャン泣きしているときに親の言葉は耳に届いているのか、それとも全く聞こえていないのかも
お願いします!スレチだったら本当にごめんなさい!
>>53 妹にママを取られたとずーっと思ってた私としては、
泣き出すと自分でも止められなくて泣き続けちゃうかもしれないけど、落ち着いてきて満足したら泣き止むし、ママがちゃんと自分のことをしっかり相手してくれるのがわかったら不安は薄れていくと思う
ママに甘えたいんだと思うに一票
保育園入る前で年齢はわからないけど
二階の壁から一階の壁まで油性ペンで線引いた(しかも新築だったとか)
油性ペンは手の届かないところに保管してお絵描きはある程度の年齢までは親の監視のもとでさせよう
なんの役にも立たない話だけど、一歳くらいの時よく父お手製の木で出来たベビーサークルに入れられてた。
柵につかまって軽く爪先立ちをして、柵の一番上の筋っぽくない軟らかい木をガジガジするのが好きだった。
生え立ての歯が気になって、ガブッと噛み付くと木の匂いがしてなんだかスッキリしたのを覚えてる。
あとこれはちょっと大きくなってからだけど、3、4歳くらいの時トイレで●したら緑のが出て、すごくショックで「病気かも…」と半泣きで母にコソコソ話した。
そしたら大丈夫大丈夫。緑のお野菜いっぱい食べたからかもね。と優しく教えてくれてホッとしたのに、聞き耳立ててた父がでかい声で
「なんだ?どうした、緑の●でも出たんか」と言ってきたので、このデリカシーのない糞親父!!と許しがたい怒りを覚えたのは忘れない。
以来、絶対人が学校とかで●しても笑わなかったし、子供のいる前でそういう話をしないようにしてる。
下らなく見えるけど笑われたりデリカシーない発言すると、想像以上に傷付いてる事もある。
>>53 弟が寝てる間に内緒で赤ちゃんごっこしてくれたことがあって
ちょー恥ずかしかったけど、嬉しかった。
泣いてない時にやってもらえて、ガンバろって思ったことを覚えてる。
弟が寝てる時間をみはからってやってみては?
余裕持つのも大変だけど、どうしようもない時にあれこれやるより効くような気がする。
>>58 分かる。
愚図ってるときほど大袈裟に甘えさせて欲しい。
>>53 弟がまだ数ヶ月の赤ちゃんの時に母のお乳を飲んでるのみて
飲みたいっていうと笑いながら手招きして飲ましてくれたのうれしかったなあ
2歳の頃。
松田道雄さんの著書「自由を子供に」から抜粋 (ちょっとうろ)
『昔は子供たちだけで外で遊べる自由空間があった
そこでは親の目もなく、初めて誰にも束縛されることなく自分が自分の主人として人間性を取り戻せたのである。
それは精神的にも自由に成長し、試練される場でもあった。
今では外遊びも必ず親がつきそって、
「おもちゃを順番に使いなさい」「ごめんなさいは?」などと常に指示している。
外出には丁稚がつきそっているお坊ちゃんのような状態なのである。
かつては2、3歳になり弟や妹ができるといっぱしの箔がついたような
大人びた誇らしい気持ちになって外へ駆けだしていったものである。
現在の夢のマイホームといえば聞こえはいいが核家族だけの密室では
祖父母という助けや緩衝材となる立場の者もなく
その場を支配する母親たる者の歓心を得ようとすれば、赤ちゃんに戻って世話を要求することになるしかないのだ。
そして母親はこれでいいのかと1人悩んで自信を持てないでいる。』
私は号泣している時に声はきこえてた
(自分の泣き声できこえにくいはあるかもだけど)
残念ながら満たされる事は少なくてお菓子が欲しいと言っても
我慢を覚えさせなきゃいかん、とかいわれてショックだったw
一生のベースになる時期なんだから、ささいな事なのに満たしてくれたらよかったと思う
わがまま放題とはまた違うもの
泣きまくってる30分が母親を独占している満たされた時間でもあるよね
>>54泣き出すと自分でも止められない
これも覚えてる。 自分でももういいいのにと思ってもいかんせん止まらない
一方でおばあちゃんに抱っこされてあやされるともっと泣きたいのに止まってしまったり
62 :
53:2012/09/09(日) 09:10:00.16 ID:t8HQKdbh
53です。皆さん本当にありがとうございます。
荒ぶる娘に手を焼きすぎると同時に私が風邪を引いてしまって、実家に帰りました。そこで
・泣いたらしっかり相手をする
・こっそり赤ちゃんごっこ
・オッパイ飲みたがったので飲む?と言ってみる
をやってみました。オッパイは物凄く照れながら超嬉しそうにほんの少しだけ飲みました。
その姿を思い出すだけで泣けます。我慢してたんだなあといじらしくてたまらない。
赤ちゃんごっこは一回やってから毎日毎晩「赤ちゃん抱っこして〜」と来るようにw
腕と腰との戦いになってきましたが、結果的に落ち着いてきたので良かったです。
そして泣いたらしっかり相手をする、泣いていても声は聞こえている、泣きやみたくても出来ないときもあると
自分に言い聞かせながら抱っこしていると心理的にも楽でした。何というか出口がある、と思えました。
まだまだ先は長いと思いますが、皆さんのご意見を参考に子供達と向き合っていきます。
本当にありがとうございました。
良かったー!かわいいなあ…
横から読んでるだけですがすごく参考になりました
うん、良かったねー
ほんと参考になるわ
私も聞きたいことが
夫がテレビで見たと言うんだけど6歳までにつく嘘は自覚のない嘘で、本人に悪気はないから怒ってはいけないってほんとかな?
この辺のことを覚えてる人いますか?
怒っちゃいけないならなんて言えばいいんだろうと思って。
その嘘っていうのは罪のない空想的な嘘では?
「これをしたのはあなたでしょ」「ぼくじゃないよ、○○ちゃんだよ」
的な嘘は叱っていいと思う
自分も怒られたくなくて嘘つきまくっては怒られたしw
>>64 当時の記憶の話じゃなくて申し訳ないけど
ご主人のみたTVってほんまでっかTVかな?
だったら6歳までは自分の損得考えない空想の嘘だから叱るなとは言ってたね。
(本当は自分が割ったけど)お化けが来て花瓶割っちゃった!系も叱るなと言ってたが
それ損得考えてない嘘になるか?と少々疑問だったけどね。
三才のときに姉と口喧嘩して負けた腹いせに嘘泣きし、「お姉ちゃんが叩いたー」と嘘ついた
手をだすと叱られまくるから、それを見て、ざまあwと思ってた…
子供でも腹黒いやつはいる
自分の小さい時や周りを思い出して子供は基本腹黒いと思ってる。
子供が純真無垢で天使なんて大人がそう思いたいだけ、幻想だよ。
私は4才くらいの頃、自分の失敗(牛乳を絨毯にこぼした)をオバケのせいにしました。
父が容赦なく怒る人だったので怖かったんだと思います。
でも母が「そっか〜オバケがやったんだね」と認めたので「えっ信じた??」と
ビックリすると同時になんとなく「あーこりゃバレてるな」と理解したのを覚えてますw
自分のとっさの嘘を母が叱らないで信じた(振りをしてくれた)のが嬉しいというより申し訳なかったな。
いまとなってはちょっと気恥ずかしくて温かい記憶です。
叱られたくないから嘘をつくってのも「損得を考えた嘘」だと思うんだけどな
4才のとき、庭に猫がいてエサをあげたかったんだけど、
母が猫嫌いで餌付けして居着かれるのをすごく嫌がってたから、
「おなかがすいたから、おやつに煮干しが欲しい」って嘘ついて、
煮干しもらって猫にあげたことあるよ
>>68 男児・男に比べたら女児は天使。
大人の女でさえ天使に近い。
何ってw
俺は本当の現実を書いただけ。
全世界の男が毎日どけだけの数の犯罪してる?
天文学数字やで
見つからないのや戦争含めて
どれだけの
スレ違い
そういや、自分でも悪いことをした自覚があって、絶対怒られる!と思っていたのに、怒られるどころか優しくしてもらってものすごく安堵した気持ちを思い出した。
あの何とも言えない温かくて幸せな気持ち。
子供自身が悪いことをしたってわかってる時は、追い打ちをかけるように怒らないようしよう。
みなさんありがとう
>>64です
そうです、ほんまでっかです
やっぱり6歳以下でも腹黒いw嘘をつきますよね
私も親を騙すのってちょろいなと思っていて、子ども頃は嘘つきでした
でも今思えば大人からするとバレバレの嘘でそれは親がスルーしてただけなんだろうけど
>>69さんとの違いってなんだろ
嘘への対処って難しい・・・
まあいろいろ考えを巡らせる事もあれば無心な時もあるよね
4歳くらいの姪っこがボタンかけられなくて、泣きそうにじれててこっちもじれったかったけど
黙って手をかしたり、せかしたりしないで「手伝いましょうか?」
と声をかけたらはっと大人びたしゃんとした顔になって頷いてたわ
童話作家の福永令三さんが大人が大きな子供であるように子供も小さな大人であると書いてたな
だからなめたらいかんとw
>>78 あなたのレスにハッとした。
何か有難う。
>大人が大きな子供であるように子供も小さな大人である
なるほどなあ…子供にも人格が〜って解ってるつもりで忘れがちだけど、
この言い方はすとんと入ってくる。
>>72 >>71>>73は育児板で有名な荒らし。
鳥間婆と呼ばれてる。
女児age男児sageが特徴。男児叩きの変なスレがよく立ってるけど、この荒らしのしわざ
>>81 お前以外の人は俺がお前の言ってるトリマと違うのは解かってる。
基地外
昔からトリマトリマ言ってるが
意味不明なんだよ基地外
何だよトリマって
俺はスレの立て方なんか知らねえし立てるかっての
お前が真性の基地外荒らしやろが
何でこのスレにまで来るか
お前は暇だから全部のスレ見たり俺のID検索してストーカーか
なら俺がトリマじゃ無いの解かるやろが
構って野郎
超キモッ
最近ずっと基地外荒らしのお前とかロリコンアニオタ基地外荒らし見掛け無くて気分良かったのによ
男児関係スレからお前等基地外二人出て来んな
隔離されてるカス
自己紹介乙
ここまで自己紹介乙なレスはなかなかないよねww
だから昔から俺をトリマとかロリコン通り魔アニオタと間違えてるのは何でや
構って欲しくてワザとやろ
最近俺の書き込み真似したりしてた基地外アニオタ通り魔を見掛け無くて嬉しいわw
自分が3歳くらいの記憶。
従姉妹のとこに泊まりに行って、夜中目が覚めて、怖かったから叔母ちゃんの寝室に行ったら…布団のなかで叔父ちゃんが上になって動いてた。子供ながら何してたかは分からなかったが、嫌悪感がすごかったのは覚えてる。
88 :
名無しの心子知らず:2012/10/18(木) 23:44:19.50 ID:eEiVDF2x
ジャンケンに負けると泣きながら、グーの手を開いてチョキチョキ切ってた覚えがある。
89 :
名無しの心子知らず:2012/10/19(金) 07:12:37.48 ID:iK2TgJD6
ディズニーランドでデカいペロペロキャンデーをかってもらって機嫌よくしてたら、次の日、母親がトンカチで割って食べさせてくれてしょんぼりした
90 :
名無しの心子知らず:2012/10/19(金) 14:40:28.25 ID:fH1jCaAn
小学生の姉に早い段階からひらがな教わって3歳で読めたらしい
確かに自分自身4歳からりぼん読んでた記憶がある
思い返すと兄貴は6歳でカレー作ってた
あの頃は将来有望だったな
私2歳の時から本読んでたみたい
小さい頃は本当によく出来て末は博士か大臣かだったけど
大学受験失敗したし今は普通に2児の母だしハタチ過ぎたらただの人だよw
私も三歳のときにはひらがなカタカナ、一部の漢字がよめ、九九も言えた
しかし小学校の頃には九九も忘れ、アホの子になってた
二才のときに「(浮き輪使って)泳ぐの上手ね〜」と誉められたので図に乗り
浮き輪無しでプールにダイブして溺れました
浮き輪の意味がわかってませんでした
二才娘が同じことやろうとして(気づいて止めたけど)思い出した記憶
やっぱりうちの1歳児は、親の手持って歩いてるのに自分で歩けてると思い込んでいるのでは
と
>>92を見て思った
漫画家さんの子育てエッセイ漫画で、服を着るのに手を貸すと
怒って全部脱いで最初からやり直しちゃう、見えないところから
ちょっとずつ手を貸すと自分で着た気になるってあったな
(でも仕上げにボタンを止めてやろうとしたりするとまた怒って脱ぎ棄てるw)
年少のときには、胸を見られる事が堪らなく嫌だった。
園ではパンツ一丁での水遊びが夏にあり、
憂鬱だった。
保母さんには「やらしいコ」といわれて傷ついていた。
いま娘が同じ様に恥ずかしがっているから、配慮したい。
幼稚園年長の時に、椅子に座って足を組んでいたら、担任の先生に
「生意気」
と言われたことを思い出した。
年長とはいえまだ園児、かっこつけていたわけじゃなく、楽だからそうしていただけなのでとても傷付いた。
わかる。自分も2歳半位の時、父親にパンイチで縁側にいる所を写真に撮られたのだけど
反射的に胸を両手で隠した。
何故か「そうしなくちゃいけない!」って強迫観念のようなものを感じた。
父親は「ん〜?」てな感じでもう一枚写真を撮り、何かを確信し母親を呼んで
「おい見ろ、○○子は写真を撮る時胸を隠すぞ!ワハハ!やっぱり女だな!」と
大笑いしながらその様子を母親に説明していた。
その時の写真がアルバムにあるが、見る度に当時の何とも言えない屈辱感と恥ずかしさを思い出す。
幼児の頃、よく母に「子供らしくしなさい!」って怒られて、
自分は悪いことしてるらしいので罪悪感を感じたけど、どうしていいかわからなくて困ってた。
自分はインドア派で、絵本読んで紙を切って絵を書いてパズルして…と一人で忙しく遊んでたんだけど
傍から見ると友達もいなくてじっと動かないで子だったので、外で友達と走り回る他の子供を見て心配だったらしい。
インドアで一人遊びスキーな子もいるよってことで。
2・3才の頃、予防接種の帰りに母親に「注射で泣かなかったよ!」と誇らしげに言ったら華麗にスルーされた。
“泣かないのが普通なのか…。”と内心、気恥ずかしくなった。
最近、母親にその話をしてみたら「あんたたち(私の兄も)赤ちゃんの頃から注射や医者で泣かなかった。」そうで、わざわざ褒めることではないと思ってたらしい。
あと、3才くらいのなんで?なんで?時期に母親に質問した記憶。
虹ってさわれる?→さわれないよ。
サンタはいる?→いるかいないか私が断定できない。
今思うも夢がない返答w
ただ、絶対に嫌な顔をしたり嘘をついたりはしなかった(誤魔化しはあったかも)ので母親に対して信用を置くようになった。
一方、父親は夢を与えようとしたために嘘を教える人認定されたw
上の人同様、保育園のビニールプールにパンツ一丁が嫌だったの覚えてる!ちゃんと理由を言ったら休ませてくれた。
子供扱いしないで尊重してくれた母親には感謝してる。
注射話で思い出したのでカキコ
当時3才位だったと思うけど、集団予防接種で注射を打たれて全然大丈夫だったのに、周りの皆が泣いているのを見て「泣いたほうがいいのかな?」と思って、ちょっとだけ泣いた記憶があります
子供の頃のが空気読みスキル高かったかもw
あーなんか思い出した。
3歳の頃、朝ふと目覚めたらなんとなく自分で1階まで降りる気にならなかった。
下で朝食の準備をしている母親に来て欲しくてわざとワーンとかいって泣いてたら本当に涙が出てきた。
そしたら思い通りに母親が来てくれて「怖い夢でも見たの?大丈夫?」
と優しく抱っこしてくれ階下までつれていってくれて嬉しかった。
私も4歳くらいの頃、転んだ時に「転んだから泣こう」と思ってウワーって言ってみたけど
周りに誰もいないし大して痛くなかったので「やっぱりやめよう」って思って
立ち上がってスタスタ歩いて遊びに行ったの思い出した。
最近うちの息子(2歳)を連れて干潟観察ツアーに行ったけど、
人が集まってるところで水着に着替えさせようとしたら、
急に「ズボン〜!ズボン〜!」って泣き出したんだけど、
やっぱり小さくても羞恥心はあるのかなとここ見てて思った
悪いことしたわ
105 :
名無し:2012/10/24(水) 22:10:40.99 ID:pv1tD1Ea
生まれた直後のことを覚えている
へその緒を切られたときものすごく胸(肺から空気が入るから)が痛かった。
お湯で体を洗われて、男性の医者に尻の穴まで確認された。
父と兄と対面したとき、兄に「さる(動物)みたいと」言われて
悪口を言っていると感じたから腹がたった記憶がある。
その後、看護士さんに抱きかかえられた
ベッドに移動した後、母親は寒い寒いとうめいていた
(婦長さんが出血があるから寒く感じる、後で毛布を持ってくると言っていた)
105さん、生まれた直後ってすごいね。
自分ははいはいの頃のことを覚えてる。
父親と母親が並んで、二人で同時に「○○ちゃん、こっちだよー」
と呼んで、私がどちらに来るか遊び半分で競争(?)してた。
私は、どっちでもいいんだけどな・・・(困ったな)と思った事を
覚えてるよ。
赤ちゃんも意外と冷めてるもんだねw
一瞬の記憶だけど
布団に寝かされていて、おそらく嘔吐してしまい
顔は横向きだったので目にも白い液体?が入り視界がぼやけてしまった。
母来てよーと思っていたが、声が出なくて部屋を行ったり来たりしてる
母を目で追ってた。
これだけ断片的に覚えてるのだが母に聞くと生後3,4ヶ月で白痢になって
嘔吐と下痢がすごかったとの事。
強烈に気持ち悪かったので覚えてるのかも。
小さい赤ちゃんでも、目で姿追いながら話せなくても母親の動きとか
見てるんだなあと思った。
>107
おお。病中の記憶とはスレタイですね。
「母来てよー」ってちょっと控えめなニュアンスを感じますが、
お母さんも着替えや洗濯が忙しいんであって、
ほっておかれているわけじゃないって理解していたのかな。
>108
107です
いや、どーして気がつかないの、早く気づいて、何してんのよー
って思ってた。
>>109 泣いて訴えなかった理由はありますか?
夜中目が覚めた赤子と目があっても泣かないから気づかないフリしてそっとしてるんだけど
どう思ってるのかなと気になってるもので…。
>>110 声が出なかったんだよね
体調が悪かったらしいし、吐いて嘔吐物が口中に
あって声出せなかったのかも。自分でもその辺りの
気持ちはわからない。
でも早く来てどうにかしてくれと思ってたよ。
記憶とは関係ないけど赤ちゃんて目は開いてるけど
別次元で微睡んでる事ってないですか?
焦って声掛けたり抱っこするとl却って泣かせてしまう事が
私は多かったから、私も目があっても泣いたりしないようなら
そっとしてます。赤子も一人時間欲しいよねと解釈しちゃったりしてw
112 :
名無しの心子知らず:2012/10/26(金) 10:26:28.09 ID:FDr1nj8o
>>105 すごい!その記憶を最初に思い出したのはいつですか?
生まれた直後の写真があって、それを幼稚園で見た時に思い出した、とか。
私は生後100日祝いの時の写真が生まれて最初の写真なんだけど、それを
小1年ぐらいの時にアルバムを見ていて、ずーっと見ていて、その時の状況を
思い出した。
父が私を抱っこしていたんだけど、お腹で組まれた手が暑いな〜と思って
必死に取ろうとしていたこと。
取ってくれたら、今度は寒くなったのでまた組んでもらおうとしたけど上手くいかなかったこと。組んでる写真とそうでないのがあったので。それからカメラ目線の写真。
さっきから光ってる。私の方を見ている。あの黒い物体は何だろう?と思って
じーっと見ていたことを思い出した。「あ〜あれはカメラだったんだ」と小学生の私は理解した。
そういう写真が残ってるとか、一度思い出してるとかあると覚えてるもんだと思う。
>>111 ありがとう。
声が出なかったのか…。すごくしんどかったんだろうね。
うちはもうすぐ6ヶ月だけどまだ夜泣きがなくていつ始まるかとビクビクしてるんだ。
だから目が合うとすごく怖いんだけど、でも寂しかったりするのかなと不安に思ったりもして。
様子をよく見て対応するわ。
114 :
名無し:2012/10/27(土) 15:00:24.93 ID:/GbdcFw5
112
おっさんなんで、歳をとれば自然と思い出すと思います。
小さい頃やたら犬になつかれていて
1歳の頃、急に雨が降ったから公民館みたいな中で親と一緒に雨宿りしたとき
足を投げ出して座っているとき柴犬が近づいてきて、犬の腹が目の前にきたと思ったら
よっこらせというかんじで膝の上に座ってきた。
むちゃくちゃ重いわけではないけど身動きができなかった。
飼い主がきてどかすんだけど何回か繰り返してきて、犬本人はここに座りたいだけど
という顔をしていた
今して思えばあれがツンデレかと納得した。
幼児の頃、なぜか「自分は絶対にコケ(苔)を踏まないぞ」と決めていて
友達と遊ぶときも
コケの生えている場所へは極力寄り付かないOR何としてでも避けて歩いた
いつの間にか気にしなくなったけど
この前娘が友達に「ほらこっちおいで〜コケがいっぱいでおもしろいよ」と誘われ
「いやだ!私は絶対にコケは踏まないって決めてるんだから」と言ってて
デジャブかとおもうたよ
へええー遺伝…?じゃないよね
何か先祖の記憶の様なものなのかな?
集合体恐怖とか羽毛恐怖とかは祖先の恐怖の記憶がって聞くよね。
>>115 志向が遺伝しているのかもしれません・・
>>117 たしかに集合体恐怖に近い感覚かもしれません
コケ踏まないこと、旦那に言ったらハァ?でしたが
子供たちは全員絶対に踏まないと言ってました
苔は滑りやすいからね。こけないためには必須だろう。
【審議中】( ´・ω)(´・ω・)(`・ω・´)(・ω・`)(ω・` )
わろたw
苔を踏まない=お花を踏まない感覚じゃないの?
ありきたり話かもしれないけど…
両親共働きだったので祖母に育てられてきたんだけど
両親の悪口を言われた時の婆ちゃん可哀想というのとそんな事言わないでという板挟みのグズグズとした気持ちは鮮明に残ってる
建て直す前の家の光景と共に思い出すからきっと三歳以前だと思うんだ
あと自分のワガママで姉さんが怒られてるのを見た時のヤッチマッタ感
あれは間違いなくヤッチマッタ感という名の罪悪感だった
素知らぬ顔をし続けてたけど心の中ではすまぬ…すまぬ…だった
みんなちゃんと小さい子供で再生される
カワイイwかわいいなあww
女の女児の記憶は可愛いなぁ。
これがキモ男のキモ男児の記憶書き込み連続なら反吐出るよ
キモ男でも子供時代はみんな天使だよ
それは妄想w
男は生まれ付き暴力とエロ
そして君にも私にもその遺伝子は引き継がれているのである。<完>
まだ小さいとき、写真撮られるのが嫌だった記憶がある。
父が写真撮るのが大好きで、ちょっと笑えばすぐカシャッ!可愛い仕草でカシャッ!おしゃれしてカシャッ!
子供ながらにうぜぇぇ…って思ってたなw
まぁ、離婚時に紛失したらしく撮ったであろう大量の写真無いんだけどね
最近つかまり立ちをする娘を見てたら、
「手を離して立つなんてできるわけないじゃない、どうして手を離して立たなきゃならないの?」
と思ったことがあることを思い出した(わかりづらくてごめん)。
情景込みでいちばん古い記憶は、2歳の頃に階段に洗濯せっけんを塗って遊んでいたら、
よじのぼりを覚えた弟がやってきて足を滑らせて何段か落っこちたこと。
「チッ楽しい遊びの最中なのに弟がきたよ、うぜー」と思った気持ちと、その時握ってた石鹸が青かったことは覚えてる。
あと保育園の頃の記憶なんだけど、
お花畑にうさぎがいる絵を描いた時、遠くのお花は小さく・近くのお花は大きく描いて遠近を表現しようとした。
でも画力が幼児だから表現できてなくて「うさぎとお花が宙を浮いてる絵」に見られたらしく、お花は飛ばないよwと保育士に笑われた。
反論したかったけど「こんな小さい子(自分)が遠近法なんて言ったらおかしいし…」と思って言葉を飲み込んだことがある。
子どもは子どもなりに考えてやろうとしてるから、笑わないようにしてやろうとは思ってる。
長文ごめん。
3歳ごろかな、私の母はスイッチが入るとヒステリックな声(まさに金切り声)で
感情のままに罵詈雑言を投げつける人だったんだけど、
私も同じように弟を怒鳴りつけては大人にたしなめられていた。
でもその頃の気持ちを思い出すと、単に母の真似とか、よく聞くからクセになってるわけではなく、
「ママはもちろん私を好き」⇒「この言い方は、私のことを思うからこそ」
⇒「相手のためには、こういう言い方のほうがいいはず!」と信じ切っていたから。
子供って親にどんなひどいことを言われても、まったく愛情を疑わないんだよね…
だから、他人にきつい言い方をたしなめられても、何が悪いのか分からなかった。
結局、学生〜大人になっても「相手のため」と思って人を追い詰めるような言動が多くて
対人関係では本当に苦労した。矯正されたのは社会人になってから。
我が子には、カッとして叱らないように注意を払っているけど、たまに言葉が過ぎた場合は
「(叱った内容は妥当だけど)、ママの言い方は良くなかった」とフォローするようにしている。
それでフォローになるか分からないけど、間違った対人感覚が身に付かないようにと願って。
>>130 お母さんは当時あなたにヒステリックな態度をとったことを認めてる?
愛情を疑わなかった幼少時から今まであなたの認識はどんな風に変わっていきましたか。
よろしければお答えください。
結局女達が書き込んでるのは自己視点だから嘘や思い込みや自分に甘く他人に厳しい都合いい書き込みになってるから
真剣に取るな
女の脳幹は左右繋がってるから感情的で自分中心のヒロイン目線になる
男の脳幹は左右分かれているから客観的に第三者的に他人的に自分を冷酷に見ている
だから理解不能な嘘や鬼畜犯罪をする
自分の中に色々気持ち悪い人格を飼ってるのが男
5歳くらいの記憶なのですが、喫茶店で父の同僚にであい、
父に、「このお兄ちゃんと結婚する?」とか言われて、
こっちは内気だったから、その人の顔もみてないのにと、
困惑した覚えがあります。
「なんでこんな初対面の人と結婚したいもんか。
でもきっぱり言うのも悪いし、お父さんと結婚するからダメっていっとこ」
というような。父は娘ラブだったからいい気分だったろうけど。
こっちはどの席に座っていたかまで覚えている。
カウンター席で右側に兄さんが座ってたろ?
こういう子どもを出汁にした遊びはやめたほうがいいかも。
>>130を読んで思い出した事
5歳ぐらいの記憶
保育園で虐められていた。
だけど大概の嫌がらせは母にされていたので精神的ダメージは全く無く
迷惑な事してくるウゼェぐらいにしか捉らえていなかった。
私が無反応なので虐めは流行しなかったが、変な子のレッテルを貼られた。
自分の母がおかしいと気付いたのは10歳頃でそれまでは親を慕っていたので吉田松蔭の辞世の句は勘違いだなと思う。
>>136 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂?
138 :
名無しの心子知らず:2012/11/07(水) 13:18:03.62 ID:gbpADI41
>>137 親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん
私は0歳の時の記憶があります。
0歳だったという意識はないですが、私が1歳になる前に亡くなった叔母のことを覚えていて、
風船で遊んだことも覚えています。
成人して叔母の写真を見ながら私が「この叔母さん、風船をたくさん持っていたよね?」と母に聞いて母が固まり、
「なんでそんなこと知ってるの?」と言われた時に気付きました。
叔母さんは保険外交員をしていてポケットティッシュや風船をたくさん持っていたそうです。
驚くことに叔母さんの住んでいた間取りまで覚えていました
母が「あんたそれ0歳のときだよ!」と言われ、
「え?うそ!?」となったくらい自分が0歳だったという認識ではないんです。
叔母は体が弱く、子供が産めないと若い時に分かり独身を貫いたそうですが、とても綺麗で優しかったし、笑顔も覚えているんです。
だから、自分の子供にも0歳の時はとにかく笑顔を見せてました。
今は昨日のことも忘れちゃうくらい記憶力ないのになんでだろ?
>>140 頭カラッポの方がー夢つめこめるー♪
的な。
寝たきりの頃の記憶だけある。
みんなが覗き込んでて嬉しいやら恥ずかしいやらなんだけど、
少ししたら誰もいなくなっちゃって、寂しいんだけど
ぼーっとしてたら眠くなって寝た。
かけてもらったタオルケットが気持ちよかったなぁとか。
そこから真っ白になって、気付いたら幼稚園児だった。
たいした記憶じゃなくてすみません。
かわいい記憶だね
ほんわかさせてくれてありがとう
スペイン上空霊界層から来あしたーー。。
画集や本にも書かれたけど、わしは胎児期の記憶ありますょーーーー。
筆と指揮棒ピアノの違いあれど、同じ前衛芸術創造表現者の後輩の
南Franceのポールモーリアちゃん(87)と前世で同性デートした
でも、互いにゲイではないよーーーだ。ピン!
私ではなく義兄の話なんですが、
赤ちゃんの頃昼寝すると自分の心臓の音がよく聞こえてとにかく怖かったらしいです。
>>144 基地外大泉晃煩いよ
自分の糞で野菜作ってろ
メリーゴーランドってありますよね。
赤ちゃんの頭上で、オルゴールの音楽を奏でながら
くるくる回るやつ。
眠いのにうるさくて眠れなくて、鬱陶しくて鬱陶しくて
気が変になりそうで泣きまくった記憶があります。
できることなら、引きちぎってたたき壊したかった。
その感情まではっきり覚えています。
たぶん1歳未満の記憶。
>>148 友達から頂いて、これで赤ちゃん気を紛らわせてくれ放題だ♪
と思って使ったら、
あんまり気にいってなさそうだったんで、次第につかわなくなったよ
回ってない時は付いてる人形をもてあそんだりしてた
やはり回ったり音楽鳴ったりするの、うっとおしかったのかー
音はなかったけどぐるぐる回るやつ、うっすら覚えてる。
2〜3歳頃ふいに思い出して、親にあれはどこにあるのかと尋ねたことがあるな。
うちの親は赤ん坊にたくさん着せる傾向があるようで、
でも赤ん坊や小さい子供って暑がりじゃないですかね?
結構いつも暑い〜暑い〜って思ってた記憶もあるわ。
3つくらいのころ「パチパチ君の絵をかいて」と父に
頼んだけど、「わからない」といわれた。
なんども「パチパチ君だったら、かいて」と言ってるうちに
怒り泣きした記憶。
そもそもCMキャラと伝えられてなかったらしい。
それはソフランのキャラで、父が気に留めるはずも
そもそも放送時間帯には仕事だったろうから本当に悪かったんだけど、
当時の私としては「テレビでやってるんだから知ってるはず」と
思いこんでた。
でも、もっと「絵本で見たの?テレビでみたの?」とか
質問してくれて、「お父さんは見てないからわからない。」と
言っていくれたら納得したと思うんだよね。
今youtubeで見てみると、ピンクのセーターの女の子と
かわいいパチパチ君が出てて、いかにも子どもが好きそうな感じだった。
子どもは、「番組」なんて概念がないから、CMも一生懸命見てる。
なんだパチパチ君てwわからんぞw
静電気だっけ?
>>151 番組って概念がないからというわけじゃないよ
自分は小さい頃から番組よりCMが好きだった
CMはCMなりの魅力があるんだよ…
今のCMはあまり魅力ないけど、昔はCMほんと好きだった。
実際音声も大きくなるし雰囲気変わるし、
番組は見なくてもCMになるとTVを見るという子どもは結構いるらしい。
余談でした。
15秒から30秒で起承転結があるから
集中して見やすいんだろうね。
パチパチくんwww
なつかしいwww
自分は今でもCMわりとすきだなあ。気がついたら番組見ないでCMになってる局をはしごしてたりする…
ファーファって首傾げて言う幼女が可愛かった昔のCM。
うちの3歳児は録画見ててCMになると
「お話まで飛ばして」っていうぞ。
たまにリアルタイムで見ていても言われるので困るw
録画との区別がついていないんだろうけどさ。
あるある。
見たいシーンを何回でも見られると思ってて、
リアルタイムだから無理っていうと怒ってた時期があった。
161 :
名無しの心子知らず:2012/11/27(火) 15:28:30.57 ID:xpWWtFWV
幼少期でもないけど、さんざんテレビを見ていると、どういうタイミングでCM
が入って、前の番組と次の番組までのつなぎのCMとかが分かるようになるんだけど、
それを親が理解してないのが不思議だった。
ちなみに親はいまだに理解してない。もう終わったのに「まだ始まるよ」とか言ってたり。もう放っといてるけど。
親世代はCM音消して観てるし、予告しといてから
CMへ導入へ行く手法にじらされるのがいやみたい
>>159 うちの子じゃないけど友達の子(電車好き1歳)だが、
電車が通過すると「もっかい、もっかい」とせがんでたぞ。
録画どころか、小さい頃はリアルと映像も区別つかないんだなーとびっくりした。
>>150 子供は体幹だけ温めればいいと言われるけど、どうなんだろうね。
うちの親はランニング下着にシャツにベストに…って感じで体幹のみ厚着させてたけど、
私自身は、お腹暑いんですけど!ていうか、手足寒っ!!と思ってた。実際、しもやけできてたし。
体温調整って難しい。
3才くらいの頃、うちは8時就寝が決まりだったんだけど兄二人が習い事で9時過ぎに帰ってくる日があった
その日に襖一枚隔てた向こうで母がメロンを食べようと言い、私以外の家族で食べ始めた
…この疎外感!!泣きながら家族のとこに行ったけど「えっ!起きちゃったの!?」っていう迷惑そうな反応に更に虚しくなった
眠れなくても寝ないと怒るから毎日頑張って寝たふりしてたのに…
一言「寝てるかな?一緒に食べる?」って声かけてほしかった
>>164 かわいそう
しかし親となった今は、親御さんの気持ちもちょっとわかるなぁ…
子どもが寝てる間は思いっきりリラックスできるし、
自分へのご褒美みたいな感じでデザート食べたりしてるしw
まぁ、子どもへの言動は気をつけようと思った
>>163 リアルと映像の区別というより、電車は一回行っちゃったらしばらく来ないんだってことが理解できていないんじゃない?
電車の用途やしくみもまだ理解できないだろうし。
>>164 >眠れなくても寝ないと怒るから毎日頑張って寝たふりしてたのに
これつらいんだよね〜
自分は満三歳まで保育園だったんだけど、お昼寝の時間が苦痛だったなあ。
寝ないと怒られるから、タオルケットを頭までかぶって、タオルケットに指で絵を描いて遊んでたw
外から見たらまるわかりなんだけど、バレないと思ってたんだよね〜w
すごい形相の先生にいきなりタオルケットまくられて、人差し指だしたまま硬直してたら、
そのまま無言でまた頭から被せられた思い出ww
>>166 先生w
一人で大人しくしてたから見逃してくれたのかな?
うちの親もそうだったけど時間になったら「さぁ、はい寝なさい」って言われてもそんな簡単に眠れないよね。
大人になった今でもうまく寝付けないこと多いし、子供に寝なさいって怒る前に眠れないの?って聞くように心がけよう。
歯磨きが嫌だった。
2才前後かな。
子供だけにある、前歯の真ん中上歯ぐきにある筋?皮?をガシガシこすられる痛さ。
子どもの歯磨きをするようになり、あの筋を口に見つけて思い出した。
歯磨きする時は、なるべく力を抜いて筋に触れないよう気をつけてる。
>>168 それ、子供の歯磨き指導で聞いた事あるよ
子供は大人より痛いから気を付けてって
大人もなくはないんだけど、ちょっと離れてるんだよね
それで歯磨きが嫌いになる子が結構いるみたい
>>169 確かに大人にもあったw
思いっきり舌で上唇突き出すと出てくるね。
懐かしいけど嬉しくない痛みだー
うちの親はガシガシこすったからもうイヤでイヤで。
毎回泣いた気がします。
皆さんも乳幼児の歯磨きにはお気をつけて。
私の祖母の家で、「仏間横の和室の縁側で座布団にちょこんと座った
優しい顔した小さいお婆さんは誰だったんだろー?
上半身裸でドリフみたいな胸してた。
お兄ちゃん達が走り回ってて 元気だねーって話してたんだけど」
と子供が走り回って遊んでるのを見て思い出して母に言ったら、
曾祖母だと驚かれた。夏は暑くて 上半身裸だったらしい。
兄を抱いてる写真を見せてもらったら、はっきり顔は覚えてないけど
雰囲気はそのままだった。
でも、私が生後2ヶ月半の時に亡くなってる。話した記憶があるのにな…?
そんな赤ちゃんの時の記憶があるのか。と半信半疑な母に
じゃあ1番小さい頃の記憶と話したのが、
病院に私だけを残して何回も母は帰った。オムツを剥がされて
看護師さんが押さえ付けられて お尻に注射をされるのが嫌でしかたなかった。
痛いよりも、たくさんの人にお尻を見られるのが 恥ずかしかった。
と言ったら、生後4ヶ月の時に 6日間入院した事があったらしい。
小学生の時の記憶は 所々しかないけど、保育園と幼稚園の頃の事は
結構 覚えている。
小さい子扱いにえらく自尊心を傷付けられた。
入園前あたり、できないことを笑われるのがすごく嫌だった。大人は可愛くて笑ってるんだろうけど、傷ついた。
今1歳の娘が何か失敗?した時に実家の家族が微笑ましくて笑ってるの見て思い出した。
一緒になって笑わないで、フォローに回ってあげようと思う。
ふーーんそうかーー
174 :
名無しの心子知らず:2012/12/15(土) 11:00:08.21 ID:/XnEfEli
ttp://ameblo.jp/sipscrack-hachi/entry-11341474978.html 子供の両手を押さえつけ、大人用メガネを無理矢理かけさせて
写真を撮るハチ夫婦。
メガネ男子萌えだってw やっぱ失明させたいんだwww
↓
ツイッター
twitter.com/hachi0k
ブログ@
ameblo.jp/sipscrack-hachi/entry-11393125992.html
ブログA
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ハチが絶賛自演中のanago.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1353707979に支援をお願いします
あっかちゃん
瓜 ん 坊 手しゃぶり
だいちゅき (^O^)
177 :
名無しの心子知らず:2013/01/17(木) 16:31:28.56 ID:2fsqhERx
かけ毛布が2才頃のお気に入りだったのを覚えているから多分それくらいの記憶。
お昼寝中、洗濯物か何かを片付けに部屋に母が入ってくる気配がした。
あ、お母さんだ!目を開けようかな、声を出そうかななんて思ってると
母が屈み込んで寝ている私の頭をなで始めた。
なんだか嬉しくて恥ずかしくて目を開けづらくなってしまいそのまま寝たフリを続けてた。
しばらく撫でた後母は部屋から出て行ったけど、母の静かな愛情を感じて寝たままでいてよかったなぁなんて思ってた。
さっき隣室で寝てる子の様子を見に行って、思わず頬に触れてしまったので思い出した。
>>177 素敵だなー
心があったかくなった!
自分の子も覚えてなくともそんな風に思ってくれたら幸せだな
2歳半ばくらいだったと思う
車で遠出したとき、道路脇の公園に立派でカラフルな滑り台があって
「わー!滑りてええ!」と一目惚れし主張して滑らせてもらった
でもいざ滑った感じはいつも遊んでるしょぼい滑り台と一緒で(当たり前だけど)
あーこんなもんかと冷静になり何回か淡々と滑って満足した
…という記憶ではあるけど覚えてるってことはやっぱり大興奮だったのかも
滑り台の色形もちゃんと思い出せる
中学生くらいまでこの記憶が夢か何かだと思ってたから、写真見た時は心底びっくりした
何歳かは覚えてないけど話せない位の頃
母が『お鼻はど〜れだ〜』というので、
母の鼻をぺちっと触ってみたら良くできましたね〜と
すごい喜んでくれた。
え?こんなことで喜んでくれるのか?と驚きつつ嬉しかったなぁ。
二歳ぐらいの頃、
となりのトトロのOPのさんぽとか、教育番組の歌が
恥ずかしくて仕方なかった。
特にさんぽのあっるっこ〜♪でいつも鳥肌が立った
私はいつも明るく朗らかな歌を好む訳じゃねぇ!
と何時も理不尽な気持ちになってた。
幼稚園の時も、お遊戯で蝶々とかチューリップとか
アホらしくて子供じみてて大嫌いだった。
ピアノをやっていて絶対音感だったからかな?
『なんでこんなくだらない歌で楽しまなきゃならないの?』
って不快だった。
でもこれを楽しそうにやるのが子供の義務なのかなぁと
割りきってやってた。
意外とさめた子供だったけど、回りが喜んでくれるから
楽しいふりしてるところは多かったな。
>>180 前半はよくわからんが、後半は園児にありがちだと思うよ…
実家は私が2歳の時に建て替えたらしいんだけど、ちょうど家ができかけの頃に家族で見に行った記憶が残ってる。
まだ階段がかけられてなくて、はしごで2階の様子をお母さんが登って見にいくんだけど、私は必死にそのはしごを支えてた(つもり)
で上からお母さんに「みきちゃん(私)はしご持ってくれてありがとうねーみきおかあさんだね〜」
と言われてすごく嬉しくてさらに張り切って支えてた。
その頃確かお母さんの真似ばっかりして、店(自営業)の手伝いとか掃除の手伝いとか、お母さんの助けになることに喜びを感じてたんですよね。
今思うと邪魔だったろうけど、ありがとー助かるわあ〜とか、おかあさんみたいだねーって言ってもらったのはずっと覚えてる。
今娘がちょうど2歳で、私の真似してあれこれしてくれる(笑)んで、正直邪魔なときもあるけど絶対ありがとうって言ってあげようと思ってる。
本人は張り切って手を貸してるつもりだからね〜。
ママみたいだねーって言うとやっぱり喜んでる様子。
良い話だ。
もう我が家は二歳過ぎちゃったけどこれからも気をつけよう。
みきちゃん
タモリは幼稚園自主退園したって話してるよねw
>>187 幼稚園見学に行ったらお遊戯やってて、あんな屈辱的なことはできないと必死に入園を拒否したんだったかと
189 :
名無しの心子知らず:2013/01/21(月) 13:09:03.66 ID:jK2iazoS
インフルエンザワクチンは障害者になりたくなければ
絶対に打つな! WHOの幹部が中国人になってから日本で盛んにワクチンを打つように
マスコミが大騒ぎしはじめた。
インフルワクチン、キシリトール、フッ素 は絶対体に入れるな!
ロッテが朝鮮企業だからキシリトールばっか売ってるだろ?日本人を殺すためだぞ!
家族に教えてやれ!お前らの家族護れ!
タモリは朝鮮人だから日本の文化を批判してるだけのこと。あんな奴の言うこと真に受けるというか
まだTVなんて見てるのか?
まだ字の読み書きが出来なかった頃なので、2〜3才かな?
拍手と握手という言葉がどうも同じに聞こえていて、色々な場面で「拍手をして下さい」や「握手をして下さい」と聞くと、他の人は拍手をしたり握手をしたりする。
私はそれを見ながら、同じ言葉なのになんで手を叩いたり、手を繋いだり違う事が出来るのかな?
同じ言葉だけど、状況を見て区別するのかな?別に合図でもあるのかな?的なことを思ってました
いつもいつも食事に時間がかかり、毎回
『早くしなさい!』
と言われていた。
『冷めたら美味しくないでしょ!』
とも。
でも冷める=マズイではなかったし、そんなに早くかっこむなんて…と思っていた。
さっさと他の人の食卓の食器を下げられ、一人孤独に食べていた。
食事は嫌な思い出。苦痛だった。
今、息子は二歳児でゆっくり食べるけど、早くと言う言葉は言わないし、食器も下げないし、なるべく側にいるようにしている。
外では流石に無理でも、せめて家では、自分のペースで食べさせてあげたい。
げんこつやまのたぬきさん〜の、おっぱい飲んで、の部分が恥ずかしくて仕方なかった。
おっぱいと口に出すのも憚られるのに歌になんかするんじゃねえ!と。
両親も周りの子も普通に歌ってるのが信じられなかったな。
でも現在おっぱい星人の子についつい歌ってしまう…
>>193 ああ、分かる!
で、恥ずかしいと思っている自分が恥ずかしくなり、思っているのを悟られない様にしたり。
子供の頃、とにかく夜が怖かった!
暗いのが怖かった。
幽霊(?)みたいなものがみえる時もあった。
小学校に入ったあたりで落ち着いた。
夜泣きの酷い子供だったんだろうな…。
怖いといえば、雪が怖かった
雪が怖いというのを伝えることもできず
パニックになって泣いて救急車に運ばれた
今思えば何がそんなに怖かったんだか
お月がこわかった
ずっと追ってくるし
ついでに丸いものはみんな怖くなった
別に丸いものを見ても変身したりはしない
>>193 これ私もそうだったw
アブラハムの子でも「おしり!」ってのが嫌で、アブラハムみたいな体操はすごく嫌いだった。
にほんむかしばなしのエンディングの「おっぱいがいっぱい」も嫌だった。
恥ずかしいというのもそうだけど、なんか自分が屈辱的な目にあってる気がして嫌だったなあ。
3歳くらいかな?妹と母と信号待ち中にスーツを着た男の人にトローチをもらった、これが夢か現実かわからなくて母に聞いた。
そしたら話してる途中で「どうして知らない人にもらったもの食べるの!」って怒られて、違うの夢か現実かわからないからお母さんに聞きたかったのって伝えたくても、伝えられないし聞いてもらえなくてすごく傷付いた。
あとは熱が出たときに部屋が大きくなっていくというか、自分が小さくなっていく感覚が怖かった。
手をギュッって握ってもらえたら安心出来たんだけど、妹にうつらないように隔離されててそれも寂しかったなー。
>>199 >部屋が大きくなっていくというか、自分が小さくなっていく感覚
不思議の国のアリス症候群 じゃないかな
熱の時とか起こりやすかったはず。
おお、あれに名前ついてたんだ。
自分もけっこうよくなってた。
重力の感じがなくなって体がフワフワしてまわりがグルグル回ってるように感じる、遠近感がものすごくおかしくなる感じ。
ピアノの練習してる時(すごく嫌いだったw)と、母に叱られてる時は毎回なっていた。
おそらく焦点が定まらなくなったり体がふらつくからだろうけど、まじめに聞いていないわかってないと判断されていたらしく、そういうときはすごく説教が長かったw
みんなあるもんだとおもってたけどそうでもないのか…
>201
あなわた!
ピアノ練習中になってた!!母が鬼でもんの凄くピアノ嫌いだったわ!
鍵盤が遠ざかっていく感じがしていた。
どちらも一歳の頃の記憶
姉とビニールプールで遊んでいた時、水面をパチパチ叩いて水を飛び散らせる遊びが楽しくて夢中だった
目の前で母親がカメラ構えて「◯◯ちゃん、こっち向いて」とニコニコしながら言っていたが、わざと水面叩きを止めなかった
あえて天邪鬼を演じる事で、もっともっと自分に興味を持って欲しかった
家の前で転けて泣いた時、母親がすぐに痛いの痛いの飛んで行けーをしてくれた
「飛んで行けー」で母親が指差した方向に“痛いの”が本当に飛んで行くんだと思って、私も一緒に指差した
「うん、あっち飛んで行ったね」と言われて安心した
自分じゃなくて義父の話だけど
一歳未満のころ、赤ちゃんの自分を見るために親戚が家に集まって来てた
なんでか忘れたが泣けてきて、たくさんいるおばちゃんがみんな次々に抱っこしたけど泣き止まなかった(泣き止めなかった)
そしたらその場にいた唯一の男性である親戚のおじさんが「抱っこしてやろう」と言って抱かれた
なんだか不自然でぎこちなくて、周りにいるおばちゃんたちも、おじさんが抱っこすることで急に緊張してるし、泣いてる場合じゃないかもしれんぞ…と思ったら泣き止むことができた
ちなみに65歳になって初孫ができてから初めて思い出したらしい
>>204 そのお年で思い出すこともあるんだねえ
すごい
1歳半の娘を見ていて色々思い出した
1歳すぎ位
夏の暖かい日で布オムツの上にピンクのおぱんつを履いていた日のこと
ピンクのおぱんつが当時すごくお気に入りでピンクぱんつの日は機嫌がよかった
お祭りかなんかで獅子舞が近所を回ってきて凄くにぎやかだった
私はイヤだったのに母親が無理矢理抱っこして外に連れ出して獅子舞に頭を噛んでもらいに行った
パンツだけで靴下も靴もなかったから地面を見て裸足でいるのが凄く怖かった
獅子舞も恐ろしくて怖くて鼻水垂らしながら泣いているのに無理矢理されて怖かった
ママは何で私が泣いているのにイヤなことするのーと凄く悲しく裏切られた気がした
実家にはその時の写真がアルバムに残っていた
まだ話せないけど歩ける頃のこと
母親と二人の姉と一緒に買い物に行ったとき姉二人はスーパーの袋を持ってお手伝いしていた
うらやましく思った私は母親に私も持つとお願いしたのに分かってもらえず泣いてしまい
何で泣くの?他の人の迷惑だから泣かないのと怒られて傷ついた
それから少ししてやっと荷物を持たせてもらえたのに私だけ小さい袋で
もっと大きいの持てるのにと子供扱いのような馬鹿にされている気がした
家まで帰る途中に荷物が邪魔になったけどいらないと言えず仕方なくそのまま帰った
母親の友人が保育園を経営していて母は働いていなかったけど私たち三姉妹は保育園に通った
私は三人姉妹の末っ子で姉二人を見て色々自分なりに真似してやっていたけど
着替えなどうまく出来なくてもどかしかった、早く大きくなりたかった
保育園のお遊戯とかもちゃんと出来なくて行きたくなかった
続き
2歳すぎくらい
野菜は好きだったけど生野菜が堅くて飲み込みにくくて苦手だった
中でもキャベツの千切りは口の中に刺さってぶつかって痛かった
でもある時ケチャップをかけたら食べれるようになった、母親は初めて残さないで食べれたことを喜んでくれた
ある時父親にも喜んでほしくて私は得意になってケチャップを沢山かけたキャベツの千切りを食べた
それを見た父は、汚ねえ食い方するな、気持ち悪りいなー、キャベツにはマヨネーズだ、と凄い顔で怒られた
私はケチャップが無ければ食べれないから残してしまったらまた怒られた
食べれたことを褒めてもらえず悲しかったしそれ以降他の食べ物にも自分はケチャップをつけちゃいけないと思った
夜寝てたのに起きてしまい、隣の居間から明かりが漏れていてまだ親は寝ていないんだと思い
眠れないよーといいにいこうと思ったら親と姉二人の声が聞こえてきた
私に内緒で何かを食べている、お菓子なのか果物なのか?姉二人は甘ーいと喜んでいた
私も食べたいと思って起きていくと、凄く困ったような焦ったような感じで
テーブルの上を手で隠されて、どうしたの?寝なさいと怒られた
私は咄嗟におしっこと言ってトイレに言って用をすませてきた
そして私も食べたいと言うともう歯磨きしたから明日あげるから寝なさいと言われて寝た
次の日に昨日のちょうだいと言ったら母親はすっとぼけて昨日の?
何か夢でも見たんだねーそんなのないよーと嘘をつかれて凄くショックで泣いた
まだ小さくて食べれないものだったのかもしれないけど嘘をつくのではなくて
私用の子供用のおかしでもその時くれれば良かったのにと今になって思う
当時を思い出してからは今の育児で気をつけていること
・小さくてもちゃんと一人の人間として尊重すること
・泣いている理由が分からなくても怒らずに子供にどうしたの?どうしてほしいの?と問いかける
まだバイバイやママパパくらいしか話せなくても言ってることは理解しているみたいだから
・子供の気持ちを聞こうと理解しようという姿勢を見せること
・出来なくてもすぐ手伝うのではなく出来るよと励まし、一緒にやろうと言ってやって出来たら沢山褒めてあげる
・まだ小さいから分からないだろうとか嘘をつくのではなくちゃんと説明して言い聞かせる
>>207 結構悲しい思い出ばかりだね(´・ω・`)
私も気をつけよう
>>207 「目の前の子供は子供時代の自分だと思え」て言葉思い出した。
嘘とか悲しいね。ありがとう。
大好きだった伯母が生きていた頃の、3〜4歳の記憶。
自宅の2件隣が母方の祖母+伯母の家で、実母は働いていたので祖母に預けられ、
そのまま夕飯も食べさせてもらう時がよくあった。
私は大好きな伯母と祖母と夕飯を食べるのが大好きだったが、何を思ったのか
母が「自宅で食事をしろ」と連れ戻しにくる事があった。
自宅は(毒父の浮気のせいで)夫婦仲が悪く、夜になったら喧嘩ばかりしていたので
帰りたくなかった。
既に食事中でも手を引っ張って連れ戻そうとするから、嫌で嫌で大泣きした。
で、子供心に「あんたらの夫婦喧嘩が嫌なんだよ!子供の前で殴り合いの喧嘩すんな!」
ってムカついてたが、言ったら母が傷つくのが分かっていたので言えなかった。
あと、毒父は本当にちょっとした事で不機嫌になって怒鳴るから、
彼の機嫌を損ねないように、子供心にたいそう気を遣って生活していた。
伯母が亡くなり、妹が出来て母の愛情も半減したせいか、妹誕生〜小学校2年生までの
自宅で過ごした記憶がほぼない。幼稚園・小学校の記憶は鮮明にあるんだが。
同じく4歳ごろ。バスに乗る為、駅前の信号・横断歩道無しの車道を反対側に
渡る必要があった時の記憶。
田舎だし駅前の激狭ロータリーなので車の速度自体は全然出てなかったんだけど、
ひっきりなしに車・タクシーが通るので、タイミングを見て渡らないといけない。
母は子供と手を繋ぐことをせず、さっさと自分だけ道を渡り、付いて行こうとした
私が車に驚いて歩道に留まったままな事に後から気付き、対岸から手招きだけで
私に道路を渡らせようとした。
私は「なんで手を繋がずにさっさと自分だけ行くんだろう!」と猛烈に不機嫌になり、
車がばんばん通るのに、戻って来ずに手招きだけの母親に絶望して、わざと車道に
飛び出した。
左右から来ていたタクシー2台、すぐに停まってくれたんだけど、私は母親への
抗議の意味で車道の真ん中でギャン泣きw 母は私を抱えてバスに逃げ込んだ。
私は「自分が事故に遭う事で母親が他の大人から怒られれば良いのに」と思っていた。
あの時のタクシーの運ちゃんごめんなさい……。
で、どこが育児に役立つの?
ただの思い出話だね
女と言うのは男と違って同性の女達に自分の心の中を常に聞いて貰いたい生き物なんです。
女は女無しじゃ生きられない。
逆に男は男が全部敵。それでいてキモイ存在
男も女いなきゃ生きる気力無くなる。
祖母の家にいたときのお座りできる頃の記憶
母が叔母と出かけてしまい祖母と家で二人きりに
最初は平気だったのに段々寂しくなってきて泣いた
祖母は自分を抱き上げてベランダに連れて行ってくれた
マンションの9階から道路を見下ろすとたくさんの車が行き交うのが見えた
もちろん車という認識はまだないんだけれど(当時の視力では左右に移動するもの程度)
泣いていたのに面白い風景で泣き止むんだけれど
そうやって簡単に泣き止むのが悔しくて
また泣いて祖母を困らせて母を呼ぼうとしているのに、
「ほら見てごらん」といわれるとつい見てしまい
また泣き止んでしまうのが嫌だったw
で、どこが役立つんだい?
書き込まれたレスから読んだ人それぞれが役立てるヒントを考えたらいいんじゃない?大人なんだから。
いちいち全部教えてもらおうというのは幼いね。
>>217 同感
聞いてて、へえっ、て感じて楽しい
>>216 なるほどな〜、そんな小さい時でもちゃんと一丁前の思考をしてるんだな、扱いには気をつけよう、となかなか参考になるよ。
私は思い出話でもいいから、いろんな人の幼少期の記憶を聞きたいと思うけどな。
220 :
名無しの心子知らず:2013/02/19(火) 09:42:21.94 ID:uj0uAuPJ
自分も幼少期の記憶やこう感じていたっていうのを知れて十分育児に役立つと思うんだけど。
役立たないと思う人ってこうしろああしろって具体的に書いてもらわないとわからないの?
書き込んでくれる人がいなくなるからやめて欲しい。
>>220 同意
どこが?って言ってる人達は読解力のない頭悪い人にしか思えない。
これまでだって逐一分かりやすく解説したレスばかりではなかったはずなのに、突然何なんだろ。
何かの拍子で泣いてしまった時に、父親に
『悲しいからって泣くんじゃない!』といつも怒鳴られてたのだけど
全く悲しくなんかなくて、言いたい事は沢山あるのに
小さいから語彙力が足りなくて上手いこと表現できないから
悔しくて勝手に涙が出てきてただけだった。
その事すら伝えられなくて余計に悔しくて、
この気持ちはどうやったらお父さんにわかってもらえるんだろうって
ただただ泣くだけだった。
伝えたいのに言葉がみつからないジレンマを
子供は持っていると考えて接するようにしてる。
幼稚園(2年保育)にはいる前だから、3歳か4歳ごろ。
当時住んでいたマンションと、祖母の家は1kmちょっと離れていたんだけど、どういう理由でか、
一人で祖母宅に行く事になり、母が祖母に「これから行かせるから」と電話をいれてくれ、一人で家をでた。
途中、大通りで信号待ちをしてたら、若い男性に声をかけられて、「◯さんの家を探している、手伝って欲しい」と言われた。
どう断っていいかわからなくて、「じゃあ、5分だけ」と答えた。
大人に頼られることが誇らしいような気持ちもあった。
その男が乗っていた自転車の荷台に乗せてもらって、数十メートル先のマンションのエントランスに連れて行かれて
目を閉じて口を開けるように言われた。
でもエントランス入ったあたりからの、男の落ち着きのなさ、目を閉じて口を開けるという不可解な指示に、
なんかおかしいと思って、「なんで?どうして?」を連呼して相手を睨みつけて、
そのままエントランスの階段の先の部屋のドアをガンガン叩いて大声で助けて!って叫んだら男は逃げて行った。
誰もでてこなかったけど、しばらくそのドアの前で待って、それから祖母の家に向かった。
祖母がなんでこんなに遅くなったのかと訪ねたので、正直に「知らない人に(略)逃げてった」と話したら
即電話で母を呼び、二人掛かりでいろいろ聞かれ、自分的には「なんかちょっと怖かったけどもう済んだ事」と
けろっとしてたのに、母が泣きそうだったり、言いにくそうな感じで「触られたりしなかった?」など聞かれるのが
物凄く嫌だった。
今、息子が当時の自分と同じくらいの年齢だけど、いくらしっかりしていようが、子供の知恵や状況判断なんて、
絶対大人にはかなわない。大人が本気になったら、子供なんて簡単に騙せるし、漠然と
「知らない人について行ってはいけない」なんて教えてもダメなんだと思って、
いろんなパターンで、「こういう時、◯◯してもいい?ダメだよね」と教えるようにしている。
>>222 それすごいよく分かるわぁ
私は父に「近くのスーパーで小麦粉買ってきて。帰りに肉まんも買ってきていいから」と言われお使いに行った。
そこで2才上の兄が小麦粉買っているところを目撃して(父は兄にも全く同じことを言っていたらしい)私は兄が買うんだったら家に小麦粉二つもいらないと思って肉まんだけ買って帰った。
案の定怒られたんだけど、何で?と聞かれてもそれだけの出来事と考えを言葉に出来ず、悔しいのもあってずっと泣いてた。
言いたいことがありすぎると話を組み立てるのが難しくて何も言えなくなる
あと相手が怒ってたり威圧的だとそれだけで言えなくなってた
こういうときって言葉を引き出してあげるような話し方をしないといけないなと思う
じゃ
わしの嫌な想い出も
小一くらいの時に田舎の集落に一軒だけ小さい個人商店が有り
若い夫婦と子供の家族がいた
お使いにたまたま行かされてたが
土曜の半ドンが終わったくらいで遊ぶ時間でふらふらしてたら
そこの男に話しかけられたが何の気なしに何か流行ってた「馬鹿」ってのを言った瞬間に
わしは子供なのに怒って拳骨で頭をぶん殴られた
泣かないわしも凄いが
子供の時からわしは大人からは「こいつの表情や仕草は大人の事解かってる奴だ」と勘違いされてたみたいや
後日、ソイツが帰化チョンなのを知った
小一くらいにもなれば、ちょっと印象的だった出来事なんか皆だいたい覚えてる
三歳の時に保育園のゆりかごっていう対面式ブランコがすごく嫌だった。
嫌だっていうのを無理やり同級生に乗せられて、私が怖がるようにわざと無茶な運転をされて私号泣。
先生が来てしかってくれたんだけど、あなたもこれくらいで泣くんじゃないの!ってしかられたのがショックだったな。
ちなみに今でも絶叫系は苦手だしバイクの二人乗りもできない。
添い乳されてる時の記憶。
母曰く、三ヶ月程で母乳は止まったそうなので低月齢の記憶だと思う。
最初はパイ飲むのに一生懸命なんだけど、お腹が落ち着いてくると顔にかかる母の呼気が気になって気になって。
腕枕も嬉しいし、くっついて寝るのも嬉しいんだけど、呼気がかからないと良いのになーって思ってた。
しばらくすると、呼気がかからなくなるから(多分、しばらくは私の顔を見ていたけど、途中から上でも向いて寝てたんじゃないかな?)満足して眠りについてた。
だから、なるべく息子の寝顔に息かけないようにと思うけど、可愛いくて見ちゃうw
>>228 うちの子も嫌なのかなぁとか 授乳中気になっちゃったよw
そして少ししてハァハァ呼吸がかかってること気づいて顔そらした
確かに、ダンナの寝息も自分の顔にかかると微妙な気持ちになるから
赤子もいやなのかもしれないね
勉強になるわ
童話読んでもらってたししゃべってたからそれよりはだいぶ大きくなってたとは思うけど、読み聞かせの時、
ぴったりくっついていたいけど、息がかかるのがイヤでジレンマだったの思い出したw
何とか顔をそむけたりちょっとずつするんだけどダメで、母になんとか伝えようとして「いきー…いきー…くさい。」
母はショックだったろうなあと思う。
でもくさくていやだったわけじゃないんだ。呼気特有の臭いはあったけど、でも、それじゃなかったんだ…
一歳には卒乳してたらしいから10ヶ月とかかな
自分がπ飲むときに父親が来て
「反対のこっちはオレの〜」
とかやってたことがあった
物心ついてから時々ふと思い出しては「キモッ」て思う
寝てるとき息がかかるの気になったな〜うちも。でも子供なりに気をつかって、臭いって言っちゃいけないと思ってるんだよね。
それでなんか色々思い出した、寝る時のこと。年長くらいでひとりで寝るようになったからその前のこと。
お母さんに抱っこされるみたいにして寝るのが好きだったけど、最初はいいけどお母さんの腕がだんだん重くなって苦しくなったり。腕枕も首か頭痛くなってきたり。
寝れないときはお母さんの首もとのほくろ見てたなあ。
息がかかるからお母さんの息吐くタイミングで一緒に吐けば臭くない!と思って呼吸合わせてたりしたな。
あと向き合って寝て、自分の足をお母さんの太ももではさんでもらって寝るのがあったかくて気持ちよかったなあ。
1人で寝るようになってから、久しぶりにお母さんと寝た時に前みたいに足はさもうとしたら、体が大きくなってて足曲げないとはさめないからうまくできなくて変な感じだったなあ。
今は自分が2歳の娘の足はさんで寝てるけどお母さん側もあったかいなこれ
二歳なりたての息子を、主人が肩車。
天井タッチがすごく嬉しそうで得意げな顔を見て、私も父親の肩車で天井触って興奮した事を思い出した。
ざらついた感触。
ついでに、照明の傘に埃が溜まっていた光景も思い出した。
235 :
名無しの心子知らず:2013/03/30(土) 04:11:08.62 ID:abqtE893
三歳か四歳の頃、ピンクの狭いトンネルから這い出る夢をみた。
今思えば、産まれ出る瞬間の記憶が夢に出てきたのかと思う。
昼間のお風呂場が怖かったなぁ。
空っぽの湯舟、シャワーの吹き出し口のブツブツ。
あと、ぞうさんジョウロが苦手で、祖母や母親が近づける度に嫌で嫌で、
笑いながら近づけてくるから余計に腹が立った記憶がある
おそらく2〜3歳の記憶
小さいテーブルつきの子供用椅子に座らされて、一人で朝ごはんを食べてた
母は洗面所で洗濯してた
おにぎりとお味噌汁を黙々と食べてたら
母が「○(私)ちゃん、ごはん終わったらグチュグチュペー(うがい)してね」と洗面所から言ってきた
その瞬間、頭の回路がピーとつながり、味噌汁でテーブルの上に豪快にグチュグチュペーした
あの脳が誤作動した感じはちょっと忘れがたいですw
続き
決していたずらしたんじゃなく、母の声がけ(うがい)と
口に含んでた液体(味噌汁)が結びついてしまった感じだった
子どもって、そういう連絡ミスwがけっこうあるかもしんないなあ、と
早合点してしかりつけたりしないよう気を付けてる
長文失礼しました
>>237 読んだ瞬間楽しくて笑っちゃいました(≧▽≦)
子供は4ヶ月なのでまだ先ですが、
将来気をつけます(^_^)
2chで顔文字やめようね。
241 :
名無しの心子知らず:2013/03/31(日) 18:39:50.70 ID:5zuRwl06
スレチかもですが、3ヶ月になる息子の黄昏泣き、抱っこしてないと泣いちゃう、
抱っこで寝たからベッドにおいたら背中スイッチ入ってギャン泣きが
激しいです。このへんのこと覚えてる方いますか?
黄昏泣きは「夜が怖い〜寝たくない〜」でしょうか?
背中スイッチは「1人にしないで!抱っこして!」って言ってるんですかね?
>>241 自分は子供の頃から今でも黄昏症候群?です
幼児期から今でも一貫しているのは「理由もないのにただただ悲しい」「絶望感」「虚無感」「死ぬんじゃないか」等マイナスの感情にドッと襲われることです
最近まで世の中の人みんな同じだと思っていましたが母に聞くと私の黄昏泣きには手を焼いたとのことでした
その瞬間は一説にはうつ病の方と同じ心理状態らしいので、ただ抱き締めたり手を握ったり優しく触れて声をかけて欲しいです
毎回大変ですが「恐いね大丈夫だよ」と言ってどうか安心させてあげて下さい
すぐに泣き止まなくてもそれが嬉しいはずです
自分は幼稚園年少くらいまで、黄昏症候群(?)でした。
単に日が落ちて気温が下がってくると、体が冷えてそれでスイッチが入ってたような気がする。
あったかくしてあげてみて。
3歳の時に実母が父と喧嘩をして出て行った。
その後、何度も玄関で実母が待ち伏せしてデパートでおもちゃ買ってくれて
ケーキを食べさせてくれて家に送ってくれた。
当時3歳でも「一緒に暮らしてないのにお母さんに会っていいのかな」と思ってた。
実母の視線が寂しくてケーキも喉に通らなかった。
おもちゃは犬小屋の裏に隠して父親の前で遊ぶ気にはならなかったなー。
(すぐバレるけど)
今思えば3歳の子供でもこんなに大人の事情が何となくでもわかるんだな。と思うと
子供の前でうかうか話をしたり無責任な行動は出来ないな。と思う。
なんか塩っぱい思い出話でスマン。
245 :
名無しの心子知らず:2013/04/01(月) 06:15:46.95 ID:bfiRAWNt
>>242-243 ありがとうございます。
参考になりました。
声をかけながら暖めてみます。
背中スイッチに関しては、お腹にいた時と同じように
背にCの字のカーブをつけてやるといいという説もあるよ。
猫背が落ち着くのに、布団に置くとピッと背筋が伸びちゃうのが嫌とか。
>>246 クッションソファーだとよく眠ってくれるのはそれなんだなー
沈みこみすぎて窒素とかしないか心配だから目は離せないけど
うっすらとしか覚えていないけど紙おむつが嫌だった。
ガサガサしてチクチクするのが嫌だよーって泣いている記憶。
母が言うにはおむつかぶれがひどくて大変だったと。
外出前に布から紙に変えようとするとお尻を踏ん張って変えさせなかったらしい。
多分3歳になってないくらい
デパートにおままごとの道具が綺麗に陳列されてバラ売りしてる所があって、親数人が井戸端会議してる側で子供たちで遊んでいた
まだおままごとセットが家になかったんだけど
野菜や肉は本当に食べれるのか気になって売り物にかじりついた、そして母親のところに行き「これ食べれない」って言ってもちろん怒られた
怒るなら喋ってないでちゃんと見てろよと子供ながらに思ったw
余談だが6歳のときにも同じことをした学習能力のない自分
幼稚園くらいの時、母に着せ替え人形の様にされるのがすごく嫌だった
しかも、自分の嫌いな色とか気に入らない形ばかりで文句言っても
「可愛いから」の一言で片付けられてショックだった
言わなかったけど心の中で私は母のオモチャじゃないと強く思ってた
>>250 私もだった。
しかも母が「いいね〜」と褒めるので
ガッカリさせたくなくて、気に入ったフリをしていた。
幼稚園〜小学校高学年までそんな感じ。
スキーウェアが皆、ピンクとか赤の時代に
「からし色」だったのも嫌でした・・・。
子供が「この服嫌だ」と言ったら
なるべく尊重しよう。
※親のエロ話含む
両親と寝室が同じで、良く隣でセックスしてる声が聞こえてきて起きてた。
それが嫌で嫌で、いつも泣いてた。
私が3歳の頃、もう一人作ろうということになったらしく、旅行したんだけど
その時も夜中起こされた。
でもなぜか泣いて止める気にならなくて(私は子作り旅行と言う事は知らない)
ボーっと見てた。
約1年後無事弟が産まれた。
あの時いつものように止めてたら弟はいなかったかもと今だに思う。
>>251 わかるわー。
幼稚園の時に、スカートは短い方がかわいいと言う親の感覚で、
ミニスカートばっかり着せられて恥ずかしかった。
親戚のおばちゃんがキャラものTシャツをくれたのに、
親の趣味に合わず一度も着ないまま捨てられて号泣した。
みんながキャラものの靴なのに、
自分だけアシックスなのが嫌だった。
髪を括られる時に、思いっきり引っ張られたり、
ピンをグサグサさされて、痛かった。
でも、周りに髪型を褒められるとうれしかったな。
趣味じゃなくても、欲しがるならキャラものも時々買ってあげようと思う。
>>248 おむつ替えで寝かされてておしりの方におむつをあてるので
母が何気なくおしり上げてーと言うから足を踏ん張ってヒョイとあげてみた
すると言葉がわかるよ!大きな声で驚いている
祖母はまだこんなに小さいのに言葉がわかるわけなかろうって笑ってる
ほらっもう一回おしり上げて!
ヒョイ(お安い御用で)
わーーほらね!すごいでしょ!ほらっもう一回あげて!あげて!
ヒョイ(どっこいしょ)
わーー!すごいすごい!もう一回!
……(もう飽きた)
こんなのがあったなー。たぶん一歳になってないと思うんだけど
もう一回を何回もいうとやらなくなるのは
やっぱり飽きてるのかw
>>254 かわええw
娘がまさにそんな感じのことしてたなあ
大きくなって覚えているのだろうか
私の1〜2歳くらい?まだスプーンが使えない頃の記憶
母にあーんとスプーンで食べさせてもらうのだが、スプーンにこんもりよそうので口には入るけど上手く噛めなくて嫌だった
イヤイヤする→もう食べないの?→イヤイヤ(お腹は空いてる)→食べるの?→(口を開けると母が口にスプーンを運ぶけど直前でやっぱ多い!と思って)イヤイヤ→どっちなの!→仕方なく食べる→やっぱり多くて時間がかかるのに次も→イヤー!!!
ですごくイヤだった
一口が多い、スプーンに半分くらい下さいなんて高度なこと言えなくて、父か姉かに言われて母は気づいたようで助かった!と思った
娘にやりかけて思い出した
>>257 イヤイヤするのに何故食べる?と謎な時があるけどこういうことだったのかも
スプーン半分くらいにしとこうと思っててもつい目一杯すくっちゃうんだよね…気を付けよう
>>257 2歳の息子に、よく大きい大きい(多い)って言われてる
話せないうちからちゃんと気付いて気づかってあげれば良かったなぁ
次にやれば食べるのに
時々べーって口から出されるのは
これと同じ訳だったのかも
あと時々違うものをあげるとべーって出される
しばらく後に「あ、やっぱりその味大丈夫だった」って感じで次のは食べる
慎重派(?)なんだろうな
ただすぐ出さずに、口の中でもうちょっと考えてからでもよいのではないかw
まだ弟がいなかったから2才だと思う
ご飯を食べ過ぎてお腹がポンポコリンになってしまって、これヤバイかも?と思った
どのくらいヤバイのか聞きたくて、祖母と母に服をめくってお腹を見せて
どう!?どうなの!?とか聞いた気がする
祖母も母も笑ってるだけで(当たり前)
子供だと思って答えてくれないんだ、んもー!って思った覚えがある
他にも、疑問に思って大人に聞いたのに答えが返ってこない!って事がたくさんあったけど
今考えると大人は何を聞かれてるのかわかんなかっただろうなーと思う
>>261 母を信頼してあげてw
まぁ本能なら仕方ないか
>>262 むちょむーちょかわええ!
そういえば小さいころ真剣に言った事に大人が噴き出す事あったのは
今になればわかるわーw
>>263 ちくっとした痛みがあったら思わず手を引っ込めるのと同じ。
女の子はお腹が普段からぽっこりしてるから見せられたら可愛過ぎて笑っちゃうわな。
男の子ってお腹ぽんぽこりんじゃないの?
うち4歳の娘だけど未だにぽんぽこりんだわ
女の子も7歳ぐらいになると腹へこむよね
乳首も女の子は可愛いよ。
何て表現したらいいか解からんが男児とまったく違う形。体型。
生まれた時から男女は顔も身体もホルモンも匂いも柔らかさも脳も行動も発言も声も何もかも違う。
女児は天使。
百日咳になって、咳が止まらず苦しくて泣きながら目が覚めた。
子供部屋のふすまを開けるとそこには沢山の人がいて、手巻きずしパーティーの真っ最中だった。
みんな楽しそうにご馳走を食べていて泣きながら文句を言いたかったけど、なんて言ったらいいかわからなくて余計に泣いた。
二才くらいかな。
自分だけ仲間外れにされてるみたいでとても悲しかった。
子どもだからわからないだろうと軽んじられているのだと思った。
お前等も女児の時は天使で可愛かった。
可愛い女児の記憶。
>>271 この間のまるこでもそんな話だったねw
うちも夜トイレに起きてきて、テーブルに食べ物あるとブーブー言われるわ
生まれた時から今と全然自分が変わってないんだよな
生まれてすぐはえらく苦しくて眩しかったなぁ
私の脱走癖に業を煮やし、母親が真鍮製のフック錠を、ドアの上部にねじ止めしている姿が記憶に残っている。
フック錠が低い位置に取り付けられていた時に、その外し方は学習済みだったから、
背が届かない高い位置の錠を、どうやって外すか母の背中を見ながら冷静に考えいた。
結局、子供椅子を踏み台にして、プラスチックバットでフックを押し上げることを思いつき、
脱走に成功するのだが、あとで母に聞くと私が1歳くらいの出来事らしい。
問題が目の前にあると、子供は感情にとらわれず機械的に解決方法を探そうとするのかもしれない。
どうして脱走したかったのかな?
理由とか覚えてます?
あまりお喋りする幼児ではなかったけど、大人の言う事はほぼ理解できてた。
自分の気持ちと全く違う事を、こうでしょ?と代弁されるのが嫌だった。
小さいから分からないと思って「大人の話」をするのは絶対駄目。
親戚の婆が親に私がおかしいんじゃないかと言ってて、悲しい気持ちになった。
自分にとって良くない話をされてる事って敏感に分かってしまうものだし、
言葉もずっと残る。
>>276 脱走したかったわけじゃなく、家の中と外を区別してなかっただけかな。
部屋のあっち側からこっち側へ移動するのと、気分的には同じだった。
そもそも、移動すると言う観念もなかった。
世界の中心は常に自分なもんだから、「行く」も「帰る」もないのよ。
行ったら行きっぱなし。たどり着いた場所が、自分の居場所だった。
近くに親がいない不安みたいなものも無かったな。
そもそも、親がいなくなると言う状況を想像できなかった。
>>278 おー!ほんとそう
母がいつも、おはよう、お腹すいた?あったかいね?とか
こっちは返事もしないけど抱っこして話しかけてくれる言葉は理解していた
心のなかでうん、とかそうよーと答えてた
ある時、母がわけのわからない調子で話しかけてきて面食らってそのまま固まってた
ずっと途切れずに一方的に話し続けて言葉ががききとれない心の中で返事をする合間もない
どうも歌を歌っているらしい。なにかそういうものだとわかったら楽しくなってきて
いいねーいいねーと内心のってきてたら、二曲目始まったばかりで突然やめてしまった
ツマンネ、みたいにポンと寝かしてどこかに行ってしまった
たぶん低月齢で無反応すぎたんだと思う
>>280さん、278ですが低月齢の頃っていうのは凄いですね!
私は恐らく1歳代だと思います。
他に覚えているのは、母に抱かれて父の食事風景を見た時のこと。
ラーメンに入ってるワカメが気になって凝視してたら「あら〜w◯ちゃん
パパのご飯狙ってるw」と言われて、えぇ〜…そんな…って思った。
思ってないことばかり言われるから常に突っ込みっぱなしだった。
ちなみに親戚婆におかしいと言われたのは発語が遅かったから。
小学生の時に母からそういうことがあったと聞かされ、記憶と一致してたので
放言が事実だったんだなと悔しかったよ。
アウトプットできなくてもインプットは出来てることが多いと思うし、
子供だからと変なこと言っちゃよくないね。
幼稚園入る前の記憶です。
当時偏食だった私。
食べたくない理由が
食器の模様や色が気に入らないとか
名前が気に入らない
(茶碗蒸しは虫を、混ぜご飯はマズいご飯をそれぞれ連想するから)
等くだらない事でしたw
・子供の偏食に悩んでいる場合、見た目や料理名、食器等工夫してみるといいかも
蒸しパンのレーズンを虫だと思い込んで頑なに拒否してたわ
友達と遊ばずにじーっと動かずに一人遊びしてたり
時計の秒針の音がうるさくて眠れないと訴えたりする子だったので、
子供らしくないとか神経質だとかよく怒られたけどどうしたらいいか全然分からなくて、
自分はダメなんだっていう自己否定感だけが残った。
人間関係にも冷めていて、喧嘩して仲直りする子達を観察して
「へえ、あいてがないたらああやってあやまるのか。ひとつおぼえた」
とか意識的に処世術をひとつひとつ覚えていく感じだったので、
母のもっと子供らしく無邪気にはしゃぎまわれ、みたいな要求にはすごく困った。
だから将来自分の子供が理想の子供像と合わなくなっても否定しないようにしようと思う。
多分、2歳以前の記憶です。
横抱っこされていて、お母さんからお父さんに抱っこが代わると、
ギャン泣きした記憶があります。
理由は、お母さんの体は柔らかくて気持ちがいいのに。お父さんの
体はゴツゴツしていてリラックスできないから。
また、泣けばお母さんに代わってもらえるので、お父さんと交代するたびに
泣きました。
でも、母が抱っこできなくて、泣いても変わってもらえないとわかってからは、
諦めて父の抱っこに甘受した記憶があります。
>>285 甘受wお父さん気の毒だw
でもそういうのもかわいいんだよね
お父さんは甘受されてる事に気が付いたんでしょうか?
全部元娘ちゃんの回想記憶だから女児の記憶スレだからな。
女児や女の特徴で有る。
288 :
285:2013/06/12(水) 15:09:32.08 ID:sull2orL
>>286 父の様子までは覚えてないなぁ。
自分の子供には、頻繁に夫に抱っこしてもらうようにしてる。
こんなスレがあったんだ!
私も一つ
多分2〜3歳くらい。幼稚園に入る前だった。
玄関で遊んでて下駄箱の上の花瓶を割ってしまったときに母が走って玄関に来た。
私は怒られる!と思って、ごめんなさいってすぐ謝ったら母が私を抱いて怪我が無くて良かった〜と優しい声で言ってくれた。
すごく厳しい母だったので不思議に思い、怒らないの?と聞いたら、○○ちゃんが素直に謝ってくれたから怒らないよ!と優しく抱いてくれた。
心の中でごめんなさいともう一回言ったら、母が心の中でごめんなさいと言ったでしょ?って言ってくれて恥ずかしかった。
お母さん、分からない時があるからちゃんと口に出して言ってねと笑って言ってくれたのが嬉しかったのを覚えてる。
そこから、ごめんなさいとありがとうは素直に言えるようになった記憶があるから自分の子が自分の意思で自らごめんなさいと言えたときは抱きしめてあげようと思う。
ええ話や
階段を一人で登れるけれど降りる時は抱っこじゃないと降りれなかった時の話。
階段を何度も登っては、親に降ろして貰うのが申し訳なくて今日は一人で降りてみよう!と一段降りたらそのまま頭から真っ逆さま。
その後は覚えていないんだけど頭に包帯を巻いた写真が残ってた。
うちの実家の階段は踊り場なしのまっすぐ13段、それもかなり急。
子供の頃はその階段をパーマンみたいにヒューって飛んで降りる夢を何度も見てた。
ある朝、なんか飛べそうな気がしてジャンプしたら、ガコンガコン13段転がり落ちたwww
幸い大きな怪我はなかったけど子供の寝起きって夢と区別ついてなくて危険だわ。
男の子の幼児期の記憶ももっと聞いてみたいな。
ご主人や兄弟に聞いて、エピを載せて欲しいです。
5歳くらいの頃なので、スレの趣旨とずれるけども。
小公女セーラのエミリーみたいなお人形をねだったら、
ベッキーみたいなグレー系衣装でそばかす顔のを与えられて泣いた。
結局それでは一度も遊ばなかった。
後に亜麻色の髪で赤いワンピースのお人形を買ってもらった。
こっちは熱心に世話して遊んだ。
ドレスをねだったら、ブラウン系でウール素材の
お受験ワンピみたいのだった。
赤やピンクのカワイイやつを好むに決まってるのに、
なんで「わざわざこんな地味なのをヒドイ」と思った。
買ってもらえないつまらなさよりも、
希望と全然違うものを与えられる残念さよ。
日常でも使えるとか、こっちのほうが高品質なんだとか
そういう大人の都合で選ぶと結局無駄になるという
教訓にしている。
>>293 もっとって誰も書いてないやろw
それに幼児の記憶に限らず
女は女にしか興味無い。
女の脳は共感力や同調性の脳だからだ。
まったく考えてる事が違い身体も内面も脳も違うキモ男の事話されても
お前等には遠い世界の事しか感じられず現実感は無い
>>293 うちの旦那は「物心ついたのが小学校あがる直前」
「おぼろげな幼稚園の記憶はあるにはあるけど」
らしいのでまるで期待できない。
夫にはいくらか聞いたことあるけど
ある意味直感的に生きてるんだなって感じただけだなー
直感的ながらも、
ここをこうすると→こうなる
だからそこをこうすると…?→こうなるのかー
の積み重ねで成長していく
子供の頃は赴くままに進んで、大人になったら経験則で考える、みたいな
うちの夫も小さい頃の事はあんまり覚えてないって
ペダルカーっていうのかな、足でキコキコ漕ぐ車に乗ってる写真がある
でも、どんな感じだったのか感覚は覚えてるけど、どんなところで乗ってたとかは全然覚えてないって
小3の息子にも小さい頃の事を覚えてないか聞いてみた
ネジが錆びちゃって捨てた赤ちゃんの頃のおもちゃの事を覚えてた
錆びたところを舐めたら嫌だって夫が捨てちゃったんだけど、本人はとても気に入っていて、捨てられて傷付いたらしい
本人の承諾を取るって言うのも難しいんだけど、わからないって決めつけて、大人が勝手に決めちゃうのは良くないね
自分の赤ん坊〜幼児期の記憶 ですよー
家族の話はスレチ
>>300 すれたいよめますか?
にほんご、わかりますか?
>>301 くうきよめますか?
ともだちいますか?
>>301のIDに「KY」とあってわろた
自分のではないがじゃあどこに書く、という話も。
まあ話がおぼつかないレベルの子どもの話だと、それはちょっと違うなという気はするが。
幼稚園に入る前ぐらいの記憶かな?
母親が手作り好きで、親子でおそろいのワンピースを作ってくれた。
好きな柄じゃなかったけど、おそろいが嬉しくて、その服はお気に入りになった。
今でもその柄覚えてる。
あと、もっと赤ちゃん時代の思い出は、夏のタオルケット。
白地にピンクで花とかハートとかバンビとか、赤ちゃんながら、
なんてカワイイ柄なんだろうと思って見ていた。
今思い出しても、赤ちゃん時代、ピンク色が一番好きだったかも。
うーん。そうなのかぁ
二人目は性別違うけど、ある程度大きくなるまであまりわかんないかなと思って
一人目の服をそのまま着せようかと思っていた…
そう聞くと、赤ちゃん時代にも服の好みがあるってことで本人嫌がるかなぁ
それともそうして着たのが好みになって形成されてまずいことになるかな
まずは着てみないと好みもないだろうし、「嫌だ」って思うのも
成長の過程のひとつだと思うよ
親としては幸せな記憶だけを与えたいけど、
不愉快や理不尽に対して主張を理解させたい!っていうのも
成長のきっかけになるんじゃないかな
だから気にしすぎる必要ないと思う
甘やかしてばかりじゃよくないしね
上の子の服もったいないし
エコを教えるものまた教育だと思う
姉妹がほしかったママ友が、下の男の子に女の子みたいな格好させてたけど、4歳でピンクはもう着ないって言い出したそうだよ
小さい頃は、お姉ちゃん大好きって事もあって、本人もお下がりを喜んで着てた
本人が嫌がるまでは、お下がりでいいと思う
私の二歳の誕生日の記憶
お祖母ちゃんにお風呂に入れてもらってた
田舎の家で、母屋と離れがあって、私が入っていたのは離れの風呂
そこに近所に住む男が大きいカッター持って乱入して、お祖母ちゃんが私を庇ってカッターを素手で掴んだ
私の記憶には、私の為に肘から先を血だらけにしたお祖母ちゃんが鮮明に残ってる
あんまり鮮明だから、きっと小学校くらいの記憶だろうと思ってたら、二歳の誕生日の出来事だって知った
乱入した男のことは全く記憶にない
必死の形相のおばあちゃんしか記憶にない
ちなみにそれが原因で小指が動かなくなったけど、それ以外は無事でした
男は本当に近隣で田舎のこともあり被害届など出さなかったらしい
未だにおばあちゃんに頭上がらない
4歳くらいの頃、祖母がワンピースを縫ってくれた
パッと見てすぐに気に入ったのに、横から兄が
「カルピスみたい〜だっせー」と言ってきて
そのネガティブな評価を気にして着れなくなってしまった
別のワンピースを着ていたとき
父に「横からおっぱいが見えるよ」と言われ
母が「ほんとう」と笑ったので
「どうやって隠せばいいんだろう」
「子どもがそんなの気にしちゃいけない」と
思い込もうとしたことがあった
ちょっと変な子どもだったのかな
>>311 わかるよ、私も幼稚園の年少のときにおままごとで腰にエプロンを巻きたくて先生に巻いてもらったんだけど、男の子に「おばさんみたい」って言われてすぐとっちゃった
わかるなー。2才くらいの時、歩いていてオムツが下がっちゃったの。母が笑うのが恥ずかしくて照れ隠しに一緒に笑ったのをよーく覚えている。
母は今でも、どうして私が一緒に笑ったのか不思議だと言うよ。
2歳だと照れ隠しはあるし分かるよ
0歳とか言われると驚くけど
スレチで申し訳ないが、自分の娘が10ヶ月なんだけど、つかまり立ちがまだフラフラしてておでこを打ったんだけど
振り向いて私を見て照れ笑いのように笑うんだよね。10ヶ月で照れ笑いってするのかなぁ。
えへへ〜ってちょっと引きつったような笑い方なんだけどw
>>315 先輩の息子さんは11カ月の時
「また嘘泣きやろ?」と言ったら、顔をあげて「ばれたか!」って感じで
にやっと笑ったそうなw
その少し前からう〜う〜と泣き声っぽい声上げて、慌てて大人が抱き上げると
けろっとしてると言う事を繰り返していたらしい
>>316 レスありがとう。11ヶ月でもそんな高度な技使うんだ。
うちの10ヶ月の娘の照れ笑いもありえるのね。かわいいぢゃないかクノヤロ。
育児に役立て!自分の赤ん坊〜幼児期の記憶
自分が赤ちゃん〜幼児だった頃の記憶の話を書くスレだよ
2歳の夏くらいかな?母が今日は暑いからこれでしばらくいいよね、と
庭にオムツ一丁で出されて、ちょっぴり恥ずかしいなあと思ってた
写真を見るとヨシズの影でタオルのほっかむりとオムツで満面の笑みなんだけど
娘が四ヶ月の時、おもちゃに見とれてて
背後から近寄ったら、足音がなかったらしく、気がついたら真後ろの私に驚いて
どぅわあああーーーーっ!と大人みたいな部屋に響きわたる大声と恐怖の表情で仰天してた
乳児と思えない発声に度肝を抜かれて、私も同時にきゃーーーー!と叫んでしまったわ
この子も私の時みたいに大人並みのはっきりした意識で記憶が始まっているのかなー
>>318 そういうなら自分の記憶を書けばよろし。
てことでマイ記憶。
3つ離れた妹が生まれる前だったと思うので1歳か2歳。
地元は冬に雪が積もる地域。外で遊ぶ時はツナギや手袋、帽子必須。
その帽子なんだけど、キャップ型に耳当てがついてて、顎のあたりでマジックテープで止めるもの。
その帽子の耳当てをきちんと止めてかぶるのが嫌いだった。外してかぶるくらいがカッコイイと思ってて。
でもそれを嫌とは言っちゃいけない、となんとなく思ってて浅知恵で「雪ついた!」と言って外してもらおうと思ったが「雪なんてついてないよ!」と言われて失敗。ダメか…と思って諦めた。
実際は雪とちゃんと言えず「にゅち」と言っちゃうような歳でもダサいとか思うもんなんだなーとたまに思い出す。
女の子ちゃんは可愛いな。
>>321 浅知恵っていうけど
考えてることが色々高度だよね
言っちゃいけない、ということは何故いけないのか
葛藤だったり、自分では内心わかってるわけで
1〜2歳でそんな風に色々考えてるものなのかー
今うちの子はそろそろ2歳なんだけど、そんな風に考えてるものなのね
水を「みぢゅ」と言ってしまうような歳でも
病院が結構好きだった
一歳頃から病院の記憶があって、また来れた!ってドキドキワクワク。不安や怖さは全然なかった
家と違うのが良かったのかな
小学校に上がってから母に「赤ちゃんの頃何回も病院に行ったのが楽しかった」と言ったら驚かれた
便秘が酷くて頻繁に通ってたと教えて貰った
便秘といえば家で浣腸されるのがめちゃくちゃ嫌だった。これも同じく一歳代?
病院だと適度な緊張感でフワフワしてて何されても我慢できるんだけど、家でやられると
リラックスできる空間のはずなのにそれを壊される感じがして…
耳くそ鼻くそ取りも、執念深くやられるのは凄く嫌だったな
寝ててもされるとすぐ分かったから、抵抗しまくった
規制が解けた!
とにかく食べない子でした。
一歳から保育園だったけど、毎日給食食べた子からお庭で遊べて、食べられない子は給食室に残された。
毎日いらないのーいらないのーって泣いてた。
家でもそうだった。実母は超メシウマなんだけど。
何故かというと空腹って感覚が無かったから。
いくら体動かしてもお腹空かなかったし、口に食べ物入れる感覚が嫌だった。
小学校入ったら三時間めくらいからお腹空いた!て感じる様になってそこから食べる様になった。
頭使うとお腹が空くみたいで、今もそう。
口にずっと物入れるのは未だに苦手で、飴やガムは嫌い。
なので子がご飯食べないでお悩みの方、こういう子もいるってことで。
年中の時遠足で動物園行って、どうしてキリンてあんなんなんだ?てずっと考えてたらお腹すいて
お弁当初めて完食して、母が褒めてくれたのを覚えてます。
中身はサンドイッチと、りんごと缶詰のさくらんぼと、動物形に入ったプロセスチーズだった。裏の銀紙に動物クイズ?みたいなの書いてあった気が。
体は何故かでかくてずっと成長曲線ぶっちぎりだったからか
母はまあ食いたきゃ食いなーとおおらかだったのが子供ながらにありがたかった。
326 :
325:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:VOwzMezF
もういっちょ。
昼寝が大嫌いで、いつもしなかった。
保育園の昼寝の時間が苦痛で、いつも布団かぶって寝たふりしてた。
先生が見回りに来る時、一人で起きてるのばれたら恥ずかしいな、と思ったので。
ぐーぐー寝る同級生達をみて、良くみんな寝れるよなーと思ってた。
食わない寝ないで育てにくい子だっただろうな。
>>321です。
ちなみにずっとこの記憶を覚えていたわけではなく、よく親から「にゅちついた事件」的に思い出話を聞くことがあって
ある程度大きくなってから「そういえばこの時こんな気持ちだったような…」と思い出した感じ。
>>323 親はその帽子を良いでしょ〜って言ってたから、私が嫌って言ったら傷つくよなぁとか思ってた。
でも今思えば子供なんだからもっとストレートに言えば良かったよね。
大人になった今も、そういう気持ちの表現が上手にできなくて苦労することがある。
328 :
328:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:+TI76NoA
get!
幼稚園くらいの頃、おばたちと墓参りに行った
なりゆきで一番にお線香上げる番になった私に
おばが「ご先祖様が、一番にあげるのを見てるよ」
と言ったので、それ以来、ご先祖様が
上から見下ろしているということを強く意識するように
トイレの最中も「ご先祖様が見ているのだろうか」
と天井を眺めたのを覚えている
はじめて仏壇に手を合わせるとき
祖母に「いい子になりますようにと思うんだよ」といわれ
それ以来、二十年以上、手を合わせる=「いい子に〜」と念じる習慣に
仏壇の上に飾ってある先祖の写真が
子どものころはやった学校の怪談シリーズの影響で
「目が動くんじゃないか」とか失礼なことを考えていた
口に出すと祖母に怒られ叔母に笑われたが
目を離した隙に表情が変わっているかもと期待半分にいつも写真を見ていた
やっぱり変な子なんだろうなあ
普通過ぎるw
世界の子供共通。
今の時期に役立つかな?
海水浴に行ったら水着に砂が入って気持ち悪くてあそこが痛かった
定期的に抱っこで海に浸かって水着から砂を出して貰ったのが良かったのを覚えてる
子供向けに可愛らしい動物の絵とかで飾り付けてる小児科や歯医者を冷ややかに見ていた。
こんなもので子供の気持ちを和ませようとしても、結局診察内容は変わらないじゃないかと思っていた。
自分の子供がそれらの子供向けレイアウトにすっかり騙されてるのを見て、ちゃんと効果があるものなんだとビックリしたw
跡付けの記憶やな
幼児がそこまでは考えない。
>>333 幼児と言ってもいくつかな。
私は年中位で幼稚園にくるサンタさんは、併設の教会の牧師だと気付いてて、
騙されてる同級生をpgrしてたな。
>>334 自分もサンタなんか信じたことなかった
幼稚園のクリスマス会も、誰かの変装と分かってて
皆そういうものとして楽しんでるんだとばかり。ごっこ遊びの本気版として盛り上がってた。
今思えば、周りのみんなは信じてたのかな
普段はみんなの方が大人だったのに(早生まれだったので)不思議なかんじ
336 :
332:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:VTGOplrE
332です。
確かに年中か年長くらいの記憶だったと思う。
サンタを信じた事がないのも同じです。
親に気をつかって信じてるフリをしてたけど。
子供向けレイアウトについては、冷ややかというか、純粋に疑問に思ってたかも。
「…だから何だっていうんだろう?」みたいな。
保育園のお遊戯がくだらなくて嫌だった
いかにも園児というバカみたいな振り付けが嫌で嫌で
そういう人に聞いてみたい。幸せな子供時代だった?
私は疑問にも何にも思わず、お遊戯も楽しくて仕方なく、
子供時代はとにかく楽しかった。一人でラララ〜とか歌ってた。
>>338 337じゃないけど
「子供時代に戻りたい」とかいう人の気が知れない
世界が辛くて仕方なかった
やりたくないことやらされて、いろんな悪意が見えて
鬱陶しいと大人に思われるのもすぐわかったしね
考え足らずの子どもも嫌いで
大人になって自分のキャパが増えたので、随分色々楽になった
周囲の多様性を許容出来ない自分もまた子どもだったというオチ
340 :
332:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:VTGOplrE
>>338 楽しかったですよ。
お遊戯とか演奏会とかは楽しんでた。
でも、「子供はこうすりゃ喜ぶんだろ」みたいな、あざとさが透けたらダメだったんだと思う。
子供用歯みがき粉も味が嫌いだったな。
跡付けやな。
女に有りがち
女は男より敏感で悪意が有り女の世界は汚いと妄想してる女に有りがちな脳内跡付け
人間の脳や視覚は過去と現在と妄想と虚実と映像や夢がゴッチャになって混ざってるからな。
こんなスレでいちいちそういうこといって何になるの?
さみしい喪男だから無視してスルーでOK
>>342 本当の事は指摘しないと
スターマンとか日本の糞ドラマばかり見てる現実感ない馬鹿女達は常に妄想しかしないからな
そもそも
「人間の脳や視覚は過去と現在と妄想と虚実と映像や夢がゴッチャになって混ざってる」
ってことだから、
あんたのいう「本当の事」もまったくアテになんないけどな。
>>339 え?あなたには聞いてないよ
いかにも園児という馬鹿みたいな振り付けが嫌で嫌で
って思ってた人に聞いてるの
思春期の頃とは違うしね
>>346 いやだから、そういうバカみたいな振り付けで、
精一杯踊って楽しむとかがまるで出来ない子だったからレスしたんだけど。
思春期の話じゃないよ。
幼児期の厨二病はなんて呼ぶんだろう
自分はなんか逆?だったなー
入園前くらいだけど、「子どもなんだからこうしてればいいんでしょ」みたいな、例えば何か間違えたり失敗した時も、分かってて間違えたのに「わかんなかった(テヘッ)」みたいに誤魔化せばいいやと思ってそうしてた。
面倒くさいから「子どもはこういうもの」という大人のイメージを踏襲してればいいや、て感じだったなあ。
そうやっていつも何か自分の言動と内心が離れていた感覚がある。
年少時代までは外ではとても大人しくてあまり笑わないし喋らなかった
典型的な内弁慶の人見知り
一人遊びが好きだったから園でも基本放置
けど年長のときの受け持ちの先生がそんな私を気にかけてたくさん話しかけてくれた
それから園でおしゃべりするのが楽しくなって、性格も少しずつ社交的になり
小学校に上がってすぐに学級委員長に任命されるまでになった
子供達だけの社会では補いきれない部分に対して
家族以外の大人が果たす役割も大きいと身に染みて感じているので
家族ぐるみのお付き合いなど、信頼できる大人と関わる機会を積極的に設けるつもり
二歳か三歳ぐらい。物を隠すのが大好きだった。
一番のお気に入りはスリッパを階段の隙間から下に落とすこと。今と違って、階段は一枚ずつ板があるだけの昔の家だったんだよね。
パッタン、パッタンと音がして最高だった。
掘り炬燵に潜り込むのも大好き。よくいろんな物が出てきたって母から言われた。
幼稚園児になったら押し入れが好きになった。
暗くて狭いところが落ち着いたのは自分でも不思議だったなぁ。
>>351 暗くて狭いところが落ち着くのはお母さんのお腹の中みたいだから?
暗くて狭いところって秘密基地みたいで特別感があるよね
何かと何かの隙間、とかも楽しい
お母さんのお腹みたいとか思ったことないと思う
ほとんどの子供が押し入れみたいな所好きだよね
布団にもぐりこんでテント状態にしてあげると喜んで入ってくる。
私は7段のお雛様の裏にいるのが好きだったなぁw 秘密基地っぽいのが。
傘を何本も広げて、ドーム状に組み立てた中に入るのが大好きだった
>>351だけど、お腹の中よりはテリトリーって感じだったな。
ピアノの下、椅子の横が私の場所だったり。
皆が言うように、秘密基地とか大好きだったわ。
布団と布団の間に挟まれて、更に上に兄が乗って苦しくてもキャッキャ笑ってた。
>>356と一緒。雛祭りの時はかくれんぼの場所がひとつ増えたwww
>>359 わかるわかる、テリトリーだ。
子供だけのお城が欲しいって、ずっと思ってた。
親から自立したいっていう本能的なものが働いてたのかな。
布団を敷いてシーツをふわっと広げるたびに子供がダイビングしてきていつまでもセットができないんだよね・・・
初めて一人で普通のトイレでした時の記憶。ちなみに和式の汲み取り。
●をしたくなったが母は別の用事をしていた。それまで母がいれば
手伝ってもらってトイレでできるけども一人の時はおまるでしていた。
おまるでするかぁと思ったものの後でブツが残るし臭いもするし…
と何か気がすすまなかった。
ふと大人のトイレでも一人でできんじゃね? と思い勝手にトイレに
行って一人でした。
母には事後報告で怒られたか誉められたかは覚えてないけど
あの(できんじゃね?)みたいな感覚はずっと残ってる。
>>363 何歳くらいの話か聞いてもいいですか?
「できんじゃね?」と思って余計な事までやっちゃう子供らも山ほどいるんだろなw
366 :
sage:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:67NQqDDL
7ヶ月の娘がいる。イスに頭ぶつけて泣いた時に、
「あら〜可哀相ねぇ、娘ちゃん泣かせて悪いイス!めっ!
ほら、お母さんがイスさん怒っておいたからね〜。」って、やった時にふと、
「あっ、私これ子どもの頃にやってもらってた!」って思い出した。
妹(もうすぐ2歳の娘あり)にその話をしたら、妹も「私もそういう風に言うよ〜!」とのこと。
母に聞いてみたら「そうそう!お父さんがいつもあんたらにそういう風に言ってたのよね〜ww」と。
それまで全く記憶になかったのに、自分が幼い時にされたことを自然に娘に繰り返してる自分たちに、
ちょっと感動した。
367 :
366:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:67NQqDDL
ごめんなさい。あげてしまった。
368 :
366:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:67NQqDDL
補足で、そういう風に言ってもらうと、なんか納得して泣き止んでたなぁ。
自分がはっきりと覚えてるのは、保育園に入ってすぐだから3歳くらいかな?
寝付きが悪い子で、昼寝の時になかなか寝られない時に、保母さんが目の上に手のひらを当ててくれて、
そうすると安心してすっと寝付けてた。
だから私も、なかなか娘が寝ない時に、娘の目の上とか耳の上とかふわっと手を置くんだけど、
結構効き目がある気がする。
たまに邪魔そうに振りほどかれるけどw
ageてもいいじゃん。良スレだし。
いいお母さんだなぁ、と思って読んでいたら、まさかの父親。かっけー
目の上に手を置くのは、寝たいのに眠れない子には有効だけど、
「寝かそうとしたってそうはいくか」って思ってる子には逆効果orz
>>366 大事に大事に育てられたんですね。胸が暖かくなりました。スレチごめんなさい
「悪い椅子めっ」って良い子育てなの?
そういう言い方って最悪だと思ってた
別に椅子は悪くないよね・・・
何でも思うようにならないと物や人のせいにするようになりそうだよね。
このペンだと試験がうまくいかない!とか。
2〜3歳頃の話
牛乳が飲みたくて、お母さんに「牛乳、牛乳」と必死にねだったんだけど
お母さんは「ん〜、はいはい」と適当な返事で新聞読んでた
何回も何回も言ってるのに全然牛乳くれなくて埒があかないのでお母さんを台所に引っ張ってコレ!と牛乳を指すと
「な〜んだ、牛乳が飲みたかったの!」
と言われた
「何回も言ったじゃん!」
と私は憤慨したんだけど、大人になってから母にその話をしたら
「がーにー!って必死に言ってるな〜と思ってたら、牛乳!だったのよね〜全然わかんなかった^^」
とのこと。
あぶぶ〜とかの乳児言葉、大人からしたら言葉になってなくても
本人ははっきりした言葉を喋ってるつもりなのかもって思う
女の子は可愛いな。
>>371 よくない言い方のテンプレみたいなもんだよね
椅子に頭ぶつけたら、本人の身を案じたり大丈夫?とかもう痛くないよ〜ならわかるけど、物が悪いっておかしくない?
何かあって泣く度に悪い○○だ!とかいうの?
まんこに割り箸突っ込んでギチギチ言わしとけや
両親揃っていってなければたいした影響はないでしょ
本人がまともに育ってそうだからそんなに悪い影響ないんじゃない?
育児書のすべてが正しいわけじゃないよ
両親からの愛情が子供にちゃんと伝わっていれば無問題
>>373 そうかも
今2歳のうちのこも
たまに宇宙語になるから、同じように発音するとちがーう!って怒る
音痴な人も、おそらく自分ではそれほど外れてないと思ってるはず
音を脳に反響させながら、認識出来るように歌うと
軽度な音痴も簡単に治るっていうしね
一歳か二歳くらいに母が床を拭いているのを覚えている
離乳食かお茶かよくわからないけれど派手に撒き散らかされているのを
母が背中を丸めて一生懸命拭いている
自分がやったのはわかってる。
大人だったらすまないなーと思うところだけど、全然そんな気持ちはおこらなくて
拭いてるなぁ。うーむ。拭いてるなぁ。とただつっ立って眺めているという、そんな光景
>>378 多分3歳位に書いた字のつもりの落書きを
しばらく自分で読み返してた記憶がある
文字を書けるようになったら以前書いた字(のつもり)が字じゃないと気付いて驚いた
字じゃないと気付くまでたまに「やっぱり昔書いたから下手だな、でも読める」と思っていた記憶がある
多分2歳位だと思うけど、食事中にいちいち口の周りをガーゼで拭かれるのが嫌だった。
自分の出て拭うほうが刺激が少なかった。
>>379 > 拭いてるなぁ。うーむ。拭いてるなぁ。とただつっ立って眺めているという、そんな光景
わろた
>>381 ガーゼの同じ面ばっかりで拭かれると冷たいわい!とか思ってた
384 :
名無しの心子知らず:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:5ZARjw9Z
何歳か覚えてないけど
私が親の髪の毛ひっぱるだか叩くだかしていて親が
いたいいたい〜って言ってた。
大人は強いし子供の力は弱いと思ってた私は『へぇー大人でも痛いんだー』って悪びれもなく思ってた。
しつこくしてたら親が怒って初めて悪いことだって知った。
私は一人っ子なんだけど、ずっと自分より小さい子にどう接したら良いか解らなくて
公園に来てる赤ちゃんとか見ても可愛いとも思えなかったしで
母には何度か「弟か妹は欲しい?」って訊かれても「絶対いらない」って言い続けてた。
それでこれは3、4歳の頃の記憶の筈なんだけど、母に連れられて出かけた公園かどこかで
他所のおばさんと話してたらまた「一人っ子で寂しくない?」とか「何で兄弟欲しくないの?」
とか言われて面倒だったけど、正直に「小さい子は苦手だから」なんて言ったら聞こえが悪いよなあと思って
絞り出した理由が「お母さんを取られるから」
我ながら空気読んでたよなあと思います。
ちなみにそんな感じだったので子供が産まれて可愛いと思えなかったらどうしようかと
不安だったけど、自分の子供は別枠で良かったですw
でも小さい子が苦手な子って多いよね
見てたら分かるから、親は分かってただろうね
>>386 うん、親には正直に言ってたよ。
「他所の人」に対してこういう場合は子供らしい答えをした方が良いと思ったんだ。
もし子供が
>>385さんのように「絶対にいらない」と言ってたのに、
下の子が出来た場合、上の子はどう思うのかな。
経験ある人いないかしら?
自分は2人目が欲しいと思っても、子供が嫌がったら躊躇するよね。
でも私はそこで子供の意思より自分の意思を尊重してしまいそう。
そういうのは子供を尊重しすぎなくて良いと思うよ
傷つけないだけが良いことじゃない
乗り越えないといけないこともあるからね
自分がいらないと言ってたから兄妹作らなかったと言われたら
責任が重すぎてしんどいよね・・・
三歳か四歳の頃
初めて中耳炎になって耳鼻科に連れて行かれた
その時の治療がその頃の自分にとっては信じられないくらい痛くて、泣き叫びまくった
一週間くらい後に経過を見せにまた耳鼻科へ
先週の超痛かった記憶があるので、医者の前に座る前からギャン泣き
いざ耳に何かを入れられて、そら来た!!とウギャーーー!!!と大声で叫んだ
だがしかし、初回のときのように痛くはなかった。ていうか、全然痛くなかった
多分先生は耳の中をチェックしただけだったんだと思う
しかし、叫んだ手前引っ込みがつかなくなり、ちっとも痛くないのにギャーギャー泣き叫んだ
先生が「痛くないだろ?」と言ったけど、泣くのはやめなかった
そして心の中で、はい、痛くありません。先走りました。的なことを考えてた
>>388 しっかり記憶があるかないかはともかく
カーチャン盗られる!って本能的に負の感情を抱くのはよくあるんじゃない
赤ちゃんがえりとかもその一種でしょ
自分も弟との初対面で物凄く嫌な顔したらしいし(邪魔者認定したのが一目瞭然の表情だったとか)
でも皆ちゃんと兄弟になっていくよね
そんなもんだと思う
>>388 385だけど、自分の気持ちが決まってるなら子供に訊かずに作っちゃえばいいと思うよ。
うちは両親の夫婦仲に問題があって母自身が積極的に二人目は望んでなくて、
でも私が一人っ子で寂しいと思ってたら…って感じで訊いてたみたいだし。
状況が違って問答無用で弟か妹ができてたら、きっとそれなりにお姉ちゃんになってただろうしね。
2、3歳の時、夜中に目を覚ましたら横で姉が寝てた。
親のダブルベッドで二人で寝てたみたいなんだけど、探しても母がいなかった。
暫くべそかいてたんだけど、思い立って母を探しに裸足のまま外へ出た。
マンションの入口の前まで何とか出たんだけど、そこから先に行く勇気がなくて、マンションの廊下と入口付近をウロウロしてた。
そしたら、巡回中のお巡りさんが自転車で通りがかって声をかけてくれた。
母がいない!探してる!と伝えると、「お巡りさんが探しておいてあげるから、おうちに帰ってなさい」って言われて、「わかった!」と納得して家に帰って寝た。
>>364 規制で亀になっちゃってごめん。
2歳後半〜3歳くらいだと思います。
自分も来年くらいには子どものトイトレしなきゃなんだけど
排泄物に対する嫌悪の感覚が育つとトイレでしたくなるのかなと思いました。
トイレ話便乗
二歳くらいの時かな、居間におまるが置かれるようになった
母にそこで排泄するように言われたんだけど、えっ絶対嫌だ何か変…って思ってた
プラスチックのオモチャにしか見えなかったし、そんなところにおしっこ…?って
座らされても違和感しかなく、抵抗してた
当時、直径20センチくらいの空き缶を母がリメイクした小物入れか何かがあったんだけど
あのプラスチックがOKならこれも同じだろう、と缶におしっこした
めちゃくちゃ怒られた
私は親のトイレ使用を見てて大体分かってたから、最初から便器に座らされた方が早くおむつ外れたんじゃないかと思う
でもそれをうまく伝える術もなかったし、一人で挑む行動力もなかったから暫くおむつに甘んじた
トイトレ、恥ずかしい気持ちがあるか確認するのも大事なんだね。
私が初めて階段を一人で手すりなしで昇り降りできた記憶。
昇り→今までは手すり掴んで腕の力で昇ってたけど、今日は掴まないぞよいしょーっ!
あれ片足だいぶ踏ん張らなきゃいけないんだな、うーん、えいっ!できたー!
これを交互にやるのか、大人って大変だな
降り→手すりなしで降りるぞー!片足そーっと降ろして…あれ、届かないまだかまだか怖い落ちるーっ!あ、着いた。
できたー。
なんか降りる時って段差が大きくてすぐに足が届かなかったから、一瞬落ちるようにならなきゃいけないのが怖かった。わかるかな?
なんだかわかりにくいねごめん。
>>397 わかるよ〜
大人でも登るのはいいけど、降りる時は距離感が掴めなくて怖いときがあるものね。
自分の記憶。
幼稚園入園の面接のとき、園長先生に「朝ご飯は何を食べましたか?」と聞かれた。
子供の頃、食が細くて特に朝はほとんど食べられない子だったので、いつも朝食はトースト半分に果物程度なんだけど、
「トーストと果物だけ、って言ったら親が手抜きしてると思われて可哀想」と思って
「ご飯、味噌汁、焼き魚に(ry」ってザ・朝食ってメニューをでっち上げた。
でも母に「え、やだ、今日はパンだったでしょ!」園長先生に「どんなご飯が食べたいか、って質問だとおもっちゃったのね」といわれて
「あー、余計な気遣いだった?」みたいに思ったこと。
2歳の頃から、早く3歳になりたい!とか、早く4歳になりたい!って思ってた。
悪いことしようと思ってやったんじゃなく好奇心でやったことをすごく怒られて外に出されたりして傷ついてた。
>>399 >悪いことしようと思ってやったんじゃなく好奇心でやったことをすごく怒られて外に出されたりして傷ついてた。
それたまに子供にやっちゃう
外に出すまではやらないけど
悪気があった訳じゃないけど、悪い事をしちゃったんだなーって子供がしょんぼりしてると、怒り過ぎて悪かったなって思う
>>399 外に出されるで思い出した
4〜5歳くらいかな?はっきりしないけど
私は怒られるとたまに外に出されてたみたい
普段は家に入れてと泣き叫んでたけど、ある日
「泣いても疲れるし、外で遊んでいよう」と思いついた
それで裏庭の柿の木に向かってトコトコ歩いて行ったんだけど
柿の木に辿り着く前に何故か母が走って追いかけてきて
家に連れ戻された
「外に出したのになんで連れ帰るんだ??」と
当時ものすごく不思議に思ったのを覚えてる
あとは怒られて押入れの中に入って
「ママは私が死んだら泣けば良い」とよくしくしく泣いていた
あとあるクリスマス、靴下の中にお菓子の詰め合わせが入ってるのをもらって
中身を全部あけてビニールに入れた
自分では意味があってやったことだったんだけど
母に怒られて理不尽だと思ったな
>>397 あー!なんかその降りるときの感覚思い出したー!
幼稚園入るくらいまでは、指に力はいらなくて
靴の紐結ぶのと、ボタン留めるのが思うようにできずもどかしかったな。
あと自分ではちゃんと「きゃきゅきょ」と発音してるつもりだったのに、
ちゃちゅちょだって〜可愛い!と親にいつも笑われて悔しかったし、ちゃんと言えてるじゃん!と憤慨してた。
あとあと、2歳の時初めて母にわがままというか口答えして、物凄い罪悪感に襲われた。
三歳だったかな。
母に出掛ける前に「トイレは?」、って言われるんだけど、その時はしたくなくて首を振った。
「行きたくなったら言うのよ」と言われたので、暫くしてから「トイレ」と言うと何故か怒られた。
だって、言えって言ったじゃん…と思っていた。
そんなことが何回かあって、怒られるから「トイレ」って言えない→我慢できなくなってきてから言う→怒られる→漏らす
を何十回とした。
母に聞いたら、私はいつもトイレが近くにないところに限って言い出すから、と言っていた。
でも、小学生くらいまでトイレ=怒られるから抜けられなくて困った記憶があるから娘には絶対同じことはしない…
405 :
名無しの心子知らず:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:1X15r90D
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■■■■今季の阪神は優勝を断念しました。またCSに於いても今迄同様無策であり■■■■
■■■■短期決戦の戦い方が全くわかりません。即ち、今季の戦いは終了しました。■■■■
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母の日にプレゼントをした。
自分の引き出しの中にあったかわいいクリップ3個に手紙を添えて。
翌朝引き出しを開けたら、クリップが元通り仕舞われていてショックだった。
喜ぶ姿を期待して一生懸命考えて贈った気持ちまで無言であしらわれた気がして悲しかった。
渡した時も「ありがとう(苦笑)」で終わり会話もなかった気がする。
それを選んだ理由とか楽しく話したかったし、不要でも「これは(私)に買ったものだから(私)が使いなさい」とか説明してほしかったな。
一事が万事、子供の気持ちに興味を持たない親(聞いてこないし伝えても流す)だったから、私は気持ちを言葉で伝えられないまま育った。
くだらない事実の裏にもたくさんの気持ちがあるんだよ。
自分の子にはなるべく理由を聞くようにしている。
叱っている時も、私ができなかった口答えをしてくるとうれしい。
3つくらいの時、
祖母と外に散歩に出かけた。
祖母が立ち止まって電柱のほうを指差し
コウモリが飛んでると教えてくれたけど見えなかった。
祖母に背負われてる弟は見えているようで
コウモリを指差してあーとかうーとか言ってた。
4つくらいの時、
遊びにきた祖母と二人でスーパーにいって、
アイスを買ってもらった。
夏だったからすぐに熔けて落ちてしまい、
がっかりしたけど、アリさんが喜ぶねえと祖母に言われて
そっかー!と思った。
アイス食べたことは弟に内緒だよ
と言われたのも嬉しかった。
それよりも昔の記憶は、
ムーンライトステッキで弟を殴ったぐらいしか覚えてない。
弟はかわいかったけど嫌いだったんだろうな。
>>403 私も、自分ではちゃんと言えてるつもりなのに、母と姉に「おかしいね〜」と笑われて悔しかったよ。悔しいよね。
子供にはたとえ拙くて可愛くても、変に笑わないようにしようと思ってる。
>>404 も参考になった〜。気をつけよう。。
子供のころからずーっとあった記憶。
家の居間で曾祖母と親戚のおばさんがお茶を飲んでいて、私は曾祖母の隣に座ってた。
で、急に二人ともこちらを見て慌てて何か叫んでいて、何かな〜?と思いつつ頭に違和感を感じ手をやると、真っ赤な血に染まった私の左手…。
記憶はそこで終わる。
長すぎたので続きます
昔から幾度となく母にこの記憶を話しても母は知らないの一点張り。
夢での記憶だったのかなーと私も思い始めてた。
長女がお座り覚えたての頃、ごすんと後ろにひっくり返ってしまった。
その時、たまたま居合わせた母が
「あんた気をつけなさいよ!あんたもこのくらいの頃に後ろにひっくり返ってガラス戸に頭突っ込んでケガしたんだから!」
って言われて、あの記憶はその時のだったんかい!と納得すると同時に、ガラス戸の近くに生後6〜7ヶ月の娘を座らせんなと思った。
これが私の中の一番古い、しかし鮮明に覚えている記憶。
お母さん、バツが悪くて隠してたのかなw
それなのに、娘さんのこと注意するのに自爆してしまうとはうっかりさんだな。
生後6〜7ヶ月で頭に手が届いたの?
頭を触らなくても血が垂れて手についたんじゃない?
頭に手が届いたなんて書いてないと思うが
6,7ヶ月なら後頭部には届かなくても、額くらいは余裕で届くよね。
隠してたっていうか、まさかそんな赤ん坊の頃の記憶が残ってると思わなくて
紐付けられなかったんではw
幼児の頃
母親がお風呂入れてくれるときに
歌いながらおでこ同士合わせてほっぺと鼻を指で触られてたんたけど
年中くらいになるとしつこくされると正直鬱陶しいなあと思うときがあった
でもあんまり強く嫌がると母が傷つくよなと思って黙ってた
今おもうと黙ってたけど顔には出てたかもしれない
小さい子供でも結構親に気を使ったりするよね
二歳半のとき
「手のひらを太陽にすかしてみれば
真っ赤に流れる僕の血潮〜♪」を聞いて
手のひらを太陽に透かしてみた
血潮が何かはわからなかったけれど
手の甲が赤くなったのに感動してた
それを年上の女の子が
「あー歌の通りにやってんのー!」と笑われたので
途端に恥ずかしくなって手を引っ込めて
以来、太陽に手を透かすときは人に見つからないように(=恥ずかしいことと認識)
と決意してたw
二歳半で「すかす」の意味を知ってるなんてすごいな
小学校低学年で習ったとき意味がわからなかったよ
私が馬鹿だっただけなのか
私は遊びとかで親に教わってたな
小学生で初めて知った衝撃の言葉は「知り合い」
>>419 「つまみぐい」を手づかみで食べることだと勘違いしてたよw
箸を持ってきたら、父に「そうじゃない」って突っ込まれた
寝返り覚えたての頃、暇さえあれば、寝返りに夢中になっていた。
おむつ替えの時、寝返りをしようとしたら、母親に母親の足で私の腕を固定して身動きが取れない状態で変えさせられた。(テープタイプだったと思う)
母の勝ち誇ったような、いやらしい笑顔をみて、軽蔑した。
私は、純粋に寝返りを頑張ってたから。
うずきゅうめいがんをひいばあちゃんがカミカミしたしょう油味の普通の煎餅に混ぜて飲まされたorz
1歳代だと思うんだけどなぁ
>>423 いままさに我が子がその状態なんだけど、勝ち誇ったようにいやらしく笑わないよう気をつける
でもそのくらいの顔しないとやってられんw
マジレスすると、赤さんは下から見上げるから、
上から見下ろす、勝ち誇った顔に見えるのかもね。
たぶん母親は「こうすればおむつ替えできるじゃん!やったね!」くらいのことしか思ってないんだろうけどね
子供にしてみたら自分を押さえつけて喜んでる図に見えるよな
「ワッハッハ!捕まえた〜!これでもう逃げられまい!」ごっこをする時があったけどもうやめる
>>430 あなたのそのときの笑顔がお子さんに安心感を与えてるかもしれませんよw
子供の受け取り方次第だからねえ
一緒に楽しんでるかもしれないし、嫌かもしれないし、冷静に観察してるかもしれないw
幼稚園に入る前の託児所の記憶。
多分2〜3歳。
託児所が嫌で嫌で、毎回ギャン泣き。
でもある時に、どんなに泣いても預けられるんだと悟って泣くのをやめた。
母親が祖母に、
やっと慣れてくれて〜、楽しそう〜。
と話しているのを聞いて、
慣れてもいないし楽しくもないわ、諦めただけだし。
と思っていました。
>>433 どうして託児所が嫌だったの?
どういうフォローがあったら嬉しかった?
来月から預けて働かねばならないので、私が寂しくて悲しい…
親なんだからしっかりしないといけないんだけど。
>>433 まあそういう場合もあるよね
意外とけろっとしてるとか育児板でよくみるけど
無責任というか、自分勝手な意見だよなと思う
預けないとどうしようもないことはあるだろうしそういうときの為に保育園や託児所があるから
預けることは否定しないけど
泣かない=馴れたと簡単に決めつけるのは大人のエゴだと思うよ
知らない人達の中でよく頑張ってくれたね、ありがとうと声をかけてあげたりしてもいいと思う
泣かないと心配してくれない!と思ってしまったらまずいし
こんなスレで自分語りごめんね
>>433 私もどうして嫌だったのか気になる
親と一日一緒でも毎日遊びに連れて行ってくれる訳でもないだろうし、託児所だと色んな遊びをしていて退屈していなそうに見えるんだけど
親と一緒ってだけで楽しいものなのかな?
親と一緒だと楽しいわけじゃなくて、離れるのが捨てられるっていう感覚らしいね
二度と会えない、みたいな毎回真剣勝負
>>433 私の場合、一時保育だから、毎回知らない人たちの集まりに入るのが恐怖でした。
眠くないのに昼寝したり、集団行動も苦痛でした。
ママ友ランチに行ったら楽しくお喋りできるのに、なんでママ友ランチが億劫で引きこもってるの?
って聞かれるのと似ています。
行けば楽しいけれど、表面上の楽しさで結構疲れるし、スッピンで家でDVD見てる方が楽だったりしませんか?
私自身2〜3歳のころは、1人で妄想遊びが楽しかったので、余計に集団に入れられるのが苦痛でした。
託児所に連れていかれるのは、諦めれたけれど、母の慣れてくれた〜♪にイラっとしましたので、
子どもの感情にはもう少し敏感になって欲しいです。
帰ってきた時の楽しかった〜は、終わってホッとしたこと、ママに会えて嬉しい気持ちもプラスになったうえでの楽しかった〜であり、
行く前にグズるようであれば、それが本心です。
あと、ままごとが出来るようになった、他者を交えて遊ぶ楽しさを知った年中以降、
幼稚園に通い出してからは楽しく通えました。
>>437>>438 ありがとうございます!
はーなるほどー…
ママ友ランチわかりやすい…
2、3歳の子でも気疲れするんですね
子どもって本当親の想像以上に色々考えたり感じたりしてるんだなぁ
とても分かり易かったです!
うちももう少ししたら保育園利用するので、お話聞けて良かった〜
ちゃんと本心を探って接するようにします
ありがとうございました!
>>438 私もいろいろためになった
来年幼稚園だけど、よく子供の様子を観察してあげようと思う
お前等の子は娘なんだろうなw
お前等皆の記憶は可愛い女児のだからな。
キモ息子には当て嵌まらんよ
>>435〜
ありがとう。小さくても大人と一緒なんだなあ。
私も人見知りで集団苦手なのは小さい頃からだっけ…
言葉で喋れなくても、複雑な心の動きがあるのね。
必ず迎えに来るからね!と、頑張ったねありがとう!は伝えるようにする。
幼稚園に初めて自力で通う日を思い出した。
(入園式とか、保護者が付き添うやつじゃなくて、普通の登園がスタートした日)
不安を母親に伝えると、「わからなくなったら人に聞くといい」と言われ
案の定自分の教室が分からなくて、園に着いてから年長のお姉さんに道を聞いた。
お姉さん二人は親切に道を教えてくれたけど、教室まで誘導してくれると勝手に信じ込んで後ろをついてったら
年長さんの教室の前まで来て、お姉さん達が私がついて来てしまった事に気付いて「あれっ!」と驚いてた。
その後の事はよく覚えてない。
私は2年保育で年中から入園したから、1歳しか違わないはずなのに、
年長のお姉さん達がすごく大人に感じていたのをすごく覚えている。
年中から見た年長なのに、高校生くらいお姉さんに感じてた。
2、3歳くらい。母とはいつも頬にキスしたりされたりしてた。
テレビで口と口でキスしてるのを見て、あれをしたらきっとお母さんにっこり笑ってくれる!と思った。
でも実際したら母はすごくびっくりした顔して、微妙な空気になった。
母の反応にショックを受けると同時に、これはしてはまずいことだったんだ…と悟ってその場から逃げた。
たぶんファーストキスだからと思って母も唇はとっておいてくれてたんだろうねw
多分ようやく歩き出したころだと思うけど
べちゃって転んで、あんまり痛くなかった時は、泣こうかどうしようか考えてた。
たまに泣き出してから自分で冷静に「泣くほど痛いか?これ」とか思ってた。
あと、泣いてはみたものの、周りに誰もいなかったらすぐ泣き止んでた。
幼児ながら姑息だったわw
絶対痛いはず!と思って勢いよく泣いても実際痛くなくて
ギャン泣きし始めた手前引っ込みつかないことってよくあったなw
子どもの頃は涙簡単にでてたわ。
>>445 あったあったw
泣こうかと思ったけど周りに人がいなかったからやめたことがある
うちの子、本気泣きと普通泣き全然違うわ
わがままが聞き入れられないときの普通泣きは、自分で意識して泣いてるんだろうなーwかわゆす
本気泣きは必死に泣いてて周りが見えてない
普通泣きは私にしがみついてきたり私を睨みながら床を叩いたり、私こんなに悲しいの!!こんなに嫌なの!アピールw
今日もアピールしながら泣いてるわーと思ってにやにやしながら慰めると余計怒る、怖いw
一人でちょっと遠くまで散歩して、
転んで痛くて号泣して、通りがかったおばさんに
「転んだの?痛かったねえ」と声をかけてもらった事を覚えてる。
それで、ああ、ここでこのまま泣いててもお母さん来ないんだ!と気付いた。
1才にもなってない頃の記憶
母と2才上の姉とお風呂に入っていてお風呂からあがる時にどうやら母が姉に手間取ってたらしく
テンパった母はそれまで抱っこしてた私をお風呂の中に一旦置いて、姉の方に専念してたらしいんだけど
まだ自力で起き上がれない私はそのままお風呂の中に沈んでいた時の事を覚えてる
湯船の底から見上げて、お湯越しにユラユラと見える天井が不思議というか面白くて見とれていて、溺れてるはずなのに苦しいとか怖いって感覚はなかった
溺れてたっていってもほんの10秒くらいだろうしね
ただものすごくビックリしたから救出後に思わず泣いた
>>450 え?お風呂の中って浴槽の中ってこと?
テンパリすぎるにもほどがあるぞお母さん(爆)
あ、450読んで思い出した。3歳くらい?の記憶。
家族親戚でどこかの温泉に行ったとき、
床から少しせりあがっている浴槽のふちに手をかけたら、
体重を前のめりにかけてしまったのか、手がすべり、声をあげる間もなく、
頭からお湯の中にドボンと沈んでしまった(幼児は頭の比重が重いからね)
びっくりしてお湯の中で目を開けると、不思議な景色が見えて、
しばらく呼吸も忘れてぼんやりしてた。
周りの大人が、「あれ!? ○○ちゃんがいない!」と気づき、
浴槽の底に沈んでる私を発見してすぐに引き揚げられたからよかったものの、
ヘタに呼吸しようとしたり、発見がちょっと遅れてたら、溺れてたのかも。
そういえば私も池に落ちたの覚えてるなあ
多分4歳くらいだけどボールが庭の小さな池に何度か落ちてプカプカしてて
しゃがんで取ってたんだけど
あるときになかなか取れなくて体重を前に掛けすぎて頭から落ちた
頭から落ちた筈なんだけど底じゃなくて水面のキラキラしたのが見えてきれいだなーとか私も思ってた
同じく苦しくなかったな
すぐ祖母が母屋から出てきて引き上げてくれた
「落ちると思ってたわ注意したでしょうが」て呆れて言われたのが申し訳ないことしたなーと子供ながらに思ったわ
苦しくないのはデフォなのかな
>>450 振り返ったら赤ちゃんが湯船に無表情で沈んでたとか育児スレで見るけど、そういう心境なんだね
>>453 >>454 3歳4歳でもそうなるんだね、気をつける
幼稚園児の頃、父親にお風呂に入れられるのが嫌でした。
洗ってくれるとはいえ、異性なので体を触られるのが恥ずかしかったのです。
でも、嫌だって言ったらパパ傷つくだろうから、我慢しよう…
と、思いつつ10歳くらいまで一緒に入っていました。
子供でも恥ずかしいって気持ちはあるんだなあと、思い出したのでカキコ
10歳!?ずいぶん我慢したね
もう小学校上がる頃には嫌だって言った覚えがあるなー
お風呂に落ちる流れから…
ちょっと違うけどボットン便所に落ちたことならある
と言っても腕で引っ掛かったので完全に落ちたわけじゃないけど
おばあちゃん家で、便器からそのまま直径30センチくらいの穴がストーンと下まで開いてたんだよね…
落ちないように必死で腕に力入れて泣いて助けを呼んだよ…
3歳頃、鼻の穴に小さい四角い磁石を入れた。
入れたらどうなるのかなと思って。
奥まで行ってしまって、焦ったけど取れた。
翌日、今度は玩具のネックレスのビーズを入れてみた。
取ろうと思ったけど、ビーズは丸くて指先でクルクル回って取れない。
大騒ぎになって、結局医者で取ってもらった。
別の時、ブランコを漕いでて、両手を離してみた。
離したらどうなるのかなと思って。
思いきり後頭部から落ちた。
号泣して、姉に抱えて家に連れてかえってもらった。
すごいコブが出来てた。
なんでそんなことするの?って母に叱られたけど、
するとどうなるのか知りたかっただけなんだよな。
>>458 前世とかあるとしたら、人間になったのは初めてです、て感じw
>>458 あるあるw
私はピーナツを鼻と耳にいれた。
それ以来小学4年生まで鼻をかめなくなった。
ブランコもしたなぁ。
そのうち飛び降りて着地するようになった。
ベッドから飛び降りて捻挫したり、階段の途中から飛び降りて頭ぶつけたり、外を裸足で歩いて釘がささったり。
全部幼稚園に入る前。
いくら気になるっていってもなんでそんなことしたかったんだろなぁ。
>>461 小学4年生まで鼻をかめなくなった、ってどういうことですか?
そういや保育園で「ハエが耳の穴に卵を産んで耳が聞こえなくなった人がいる」
「保育士さんの娘が鼻にピーナッツ入れて取れなくなった」
って話聞いてガクブルだったなあ。
夜寝てる間に虫が入ったらどうしようと思って耳塞いで寝てたw
うちの息子がやらないうちにピーナッツの話をしておこう…
詰めた豆が生だと芽がでてくるよ!気をつけよう!
↑
これマメな
だれうま
それはまめちしきじゃなくて豆の知識や
>>463 それダンスィだったらなおさらやっちゃう・・・
4歳の記憶
親戚の家のスプリングベッドでピョンピョン跳び跳ねていたら小学生の兄が飛び乗ってきて、ベッド脇の窓が開いていたので私は弾みで外に転落した。
あおむけに倒れて、空がきれいだなと思っていたら兄の報告を受けた両親が駆けつけてすぐ病院に行くぞ!と騒いでいた。
車の後部座席に寝かされて病院に向かう車中、「救急車は呼ばないのか」と聞いたら「車で行く方が速い」と言われ、楽しみにしていたのでがっかりした。
頭を10pくらい切ったけど特に痛くなかった。
0歳代の記憶
父親がお風呂に入れてくれてて、「こんなちっちゃいの大丈夫なのか」と言っている。
その後浴槽の中で●を漏らしたらしく父が必死に母を呼んでいる。
お湯を取り換えるためにすぐ浴槽から引き上げられ、寒くて残念な気持ちになった。
両親に聞いたら新生児の頃の出来事らしい。
>>462 ずっとすするか、ふくだけでした。
今じゃ立派な慢性鼻炎ですよ。
>>470 新生児の記憶キター
「残念な気持ち」とか淡々としててリアリティあるね。
自分で訴えられないうちは、子に寒い思いはあんまりさせたくないよね。
>>450 流石に一歳もなってないのに記憶はないだろw
跡付け跡付け。
>>470 小さい時から両親がしてた話を小耳に聞いていてからの跡付けやね。
〜年中。
保育園で父の迎えを待ってた。外は真っ暗。多分最後だったんじゃないかな。
ようやく父が来て、ホッとした。ただ、待ってた時は寂しくはなかった。
その保育園はタンクタイプボットン便所。家のボットンは垂直タイプだったから、糞尿はあんまり見えない。
保育園のボットンを覗いて、広っ!ウ○コいっぱいある!汚っ!と思ってた。
何歳か不明。
食卓のイスを移動させ、包丁ゲット。持って遊んでて、手の甲側の手首付近が切れた。
傷も痛くないし、包丁というアイテムがなんか面白かった。すげー楽しかった。
白い服(オーバーオール?)を着ていた気がする。
>>474 その指摘が正しいかどうかはともかく、
「跡付け」じゃなくて「後付け」だから。
まず漢字の勉強をしような。
2歳頃の記憶。
居間で遊んでいると、母が台所から入ってきた。
あ、お母さんだ!と思って足に抱きつこうとすると「危ないから来ちゃ駄目」と言われる。
でも私は抱きつきたくて、足に飛び付いた。
すると母が持っていた熱々のコーヒーを肩にかぶってしまった。
その時の熱さは覚えてないんだけど、今でも跡がうっすら残ってるくらいの火傷。
母がごめんね、ごめんね、と泣きながら私の肩を冷やしている間
「私が駄目と言われたのに抱きついたのがいけないのに、何でお母さんが謝るんだろう」って考えてた。
追加。
駄目っていう言葉の意味は分かってても、子どもは衝動的に動きたい気持ちを止められないんだなーと思う。
言葉で言う前に極力危険は排除しないといけないなあ。
そういうの聞くとやっぱりベビーサークルやゲートは必須かなあと思うな…
子供はダメじゃ止まらないよね
育児の痛恨の失敗スレでもヤケド話多い
子供が歩き始めたら熱いうどんやラーメン、コーヒーなどは作らないか
ゲートをつけたキッチン内でのみOKとかにした方がいいね
ダメつながりで幼稚園の時の記憶
高いところに登るのが大好きで、木でも壁でもなんでも登ってた
先生たちに「落ちるから危ない、ダメ」と止められた
でも、バランス感覚がよくて一度も落ちたことがなかったので
「落ちないから危なくない、ダメじゃない」と勝手に変換して登り続けてた
先生たちからしたら、言うことをきかない問題児だっただろうと思う
子供にダメって言うの、難しいね
自分の子にはどう言えばいいのかなあ
落ちてひどい目にあった子の話とかをリアリティたっぷりにすればいいのかな
>>483 >「落ちないから危なくない、ダメじゃない」と勝手に変換して登り続けてた
この理屈すごくわかる。万能感というらしいけど注意の理屈に納得してないからやるんだよね。
>落ちてひどい目にあった子の話とかをリアリティたっぷりにすればいいのかな
これはダメだった。へー可哀想ねで終わるか、その時はビビってもすぐ忘れてた。
難しいけど、納得させないとダメだなと自分の子供時代を思い出して覚悟してる。
後付けやねどれも。
女は年取っても妄想や空想が多いから。
プッ
ネットで方言って中高生だよねえ…実年齢か精神年齢かはともかく。
触っちゃだめ!
子供の頃熱を出して、おかしな夢を見た。
ぼんやりとした視界で、巨大な柱の周りをゆらゆら揺れている夢。
薄暗くて、うなるような低い音がずっと流れている。
怖くて、死後の世界なんじゃないかと思って泣いた。
大人になって、赤ちゃんの視力がひどく悪いことを知った。
ついでに、物心ついてから出張ばかりで家にいなかった父が、
自分が新生児の頃は毎日早く帰ってきて寝かしつけてくれていたことも。
あれは新生児の頃、父に抱かれ子守歌を歌われていた記憶なんだろう、
と改めて気付いた。
そんな話をしていたら、母が話し出した。
赤ん坊の頃、満州の大連で見た、地平線に沈む夕日を覚えているそうだ。
「でも、3歳で死に別れたお母さん(祖母)の事は覚えていないのよねえ。
引き揚げで何もかもなくして、写真も一枚も残っていないのに」
と笑っていたが、寂しそうだった。
人間の脳は映像も夢も現実も空想妄想も区別しない。
寝てる時にごっちゃに混ぜて処理して記憶になる。
後付けやね。
ここに粘着してる後付け厨って何なの? 馬鹿? アスペ?
使ってる専ブラにNGワード機能がないのが残念
女は女だけの居場所や馴れ合い場所を壊されると真剣に怒り反応するw
スルー出来ない感情的なのも女の特徴。
女の脳幹は男と違い左右の脳が太く繋がってるのですぐに感情的になったりパニックになる。
冷静だったり客観的に第三者的に自分を見つめる事は出来ない。
スレタイは「幼児の記憶」なんで、戻りましょう。
たぶん一歳後半〜二歳なりたてくらいだとおもうけど、母親に抱っこされて育児サークルみたいなのに連れてかれた記憶がある。
そのサークルの名前が、たんぽぽクラブだかたんぽぽ教室だかで、とにかく、あー、たんぽぽねー、あれね、たんぽぽ、うんうん。とひたすら思ってた
他の同じくらいの子どもがいっぱいいたはずだけど全然興味ない、というか記憶に残ってなくて、手遊び?みたいなのもその時はどうでもよくてとりあえずずっと抱っこされて満足してた
大した記憶じゃないけど、うちの子もそういう場に行ってもきょとんとしてるし手遊びとか食いつかないから、無理にやらなくてもいいやと思うようになった
私も1歳〜2歳、育児サークルかなにか集まりみたいなところに行って
面白いと思わなかった記憶ある
子を産んでから育児サークルに「お母さんの息抜きに!」って言われて
誘われたとき
あーほんと、そういえば小さいとき楽しくなかったわって思い出した。
とにかく母にまとわりつきたかったし
遊びといえば、自分の世界で他の子はあんまり興味なしだったような。
親たちの合いの手
(子ども同士の仲を取り持つような言動?子どもの代弁みたいな言動っていうか)
なんのこっちゃっ、そんなんじゃねーよ、ほっといてよ
て感じで、内心イライラに近い気持ちが
あったような記憶がある。
何かをやらされようとするより、母に甘えさせてほしかった記憶もある。
ぼんやりした記憶なためか、文章が変でごめん。
ご飯を食べさせてもらっていた時期。
どうにも食べるのが遅いらしく母はイライラしてた。
「ほら早く口開けて!」って言うんだけど、(口の中にまだ残ってるじゃん?それ食べおわんなきゃ無理なのよー)と我ながらマイペースに考えゆっくりもぐもぐごっくん。
全部口の中のものがなくならないと次食べられないと思ってたから、
(母はなぜこんなに早く口にものを入れようとするんだろう)とずっと不思議だった。
(頑張って早く噛んでみても疲れるから嫌だし、大きいものとかたくさん呑み込むの苦手なんだよねえ)
と言葉では言えず、きょとーんとした顔で母を見てたと思う。
もう少し大きくなって自分で食べるようになってものんびり食べてたら、
「ご飯を口にいれたら、おかずを口にいれるの!」と言われカルチャー?ショック。
(え!?食べてる途中に他のものいれるの?ありえん!)と思ったけどやってみたらできた。
皆こうやって食べてるから早いのかと納得。
でもやっぱり苦手で、小学校時代はばっかり食べして怒られてた。
三角食べが苦手なのは、前世が外人なのかもしれないw
>>497 うんわかるよ
勝手に赤ちゃんの手をとったりして「こんにちわ〜」とか「ばいばーい」とかやらせるやつだよね
子供ができる前から、というか子供のころからそういう赤ちゃん見てかわいそうだなあと思ってたよw
大人の付き合いに赤ちゃんまで付き合わされてるなーと
>>498 ご飯とおかず同時に口にいれるの?
行儀悪いこと教えるなんてひどいね
食べるの遅いから怒るって最悪
?日本人って大抵口内調味して食べない?
懐石とかだと別々がマナーみたいだけど、普段の食事も欧米みたいにごはんとおかずを完全に別々で食べる人って少数派だよ
白米だけなんて食べないよね大多数は
日本は別々に口に入れて口の中で混ぜる
韓国は混ぜてから食べる
まあどっちもどっちな気もするが
混ぜるのは後味にじゃなくて?
流石に口の中に入ってる状態で次のは入れなくない?
口の中におかずが入ってる状態じゃなきゃ混ざりようがないよ
別に絶対そうしろとは思わないけど、ほとんどの人は無意識にそうして食べてるから
リアルでこの質問したらみんな「?」ってなると思う
ご飯の上におかず乗せて一緒に口にいれて食べるんじゃないの?
子供の頃誰にも教わらなかったからごはんとおかずを一緒に食べるなんて知らなかったよ
私は無意識にはできなかった
野菜炒めとかも具を一つずつ食べてたよ
人の食べ方見て気づいたのは小学校の3、4年生くらいの頃
それまで白米は全く手をつけないこともよくあったし残しても母には何も言われなかった
味のない白米を毎回毎回出されて、これどうしろっつーんだよと思ってたけどこうやって食べるのか!と衝撃だったよ
今は教えてくれればよかったのにと思ってる
いつも残されてめんどくさかっただろうに
自分の場合、未だに口の中で混ぜながら食べられないよ
白米の味や真っ白なところがとにかく大好きで
お茶碗で白米におかずの色がついたり、口の中で味が混ざるのが我慢ならない
(混ぜご飯や炊き込みご飯は別として)
親は教えなくても自然にそうなると思ってたらしく、変人扱いされるけど
子供ってどうしてこんなこと教えなきゃわかんないの?!てことあるよね
私はトイレトレーニング後何故か●以外はふかないと覚えてしまって
幼稚園のとき保母さんが発見してやっと改善された
下着で母は気づかなかったんだろうか
あと朝に顔を洗うことを祖母に指摘されるまで知らなかった
大人だけがやるもんだと思ってた
勉強関係はシッカリ教育されてたのに日常生活が母は大人の見てれば子供は自然にやるだろと勘違いしてたぽい…
このスレ見ると、母親がイライラしてても子はきょとんとマイペースだったりするんだね
生真面目に育児してストレスためてキーッてなるだけ無駄か
>>497 >(子ども同士の仲を取り持つような言動?子どもの代弁みたいな言動っていうか)
>なんのこっちゃっ、そんなんじゃねーよ、ほっといてよ
>て感じで、内心イライラに近い気持ちが
あーなるほど、親側もそうじゃないよねと思ってても他所の親子の手前で言っちゃう事あるしなあ
お遊戯的なものも、子が楽しんでるかどうかちゃんと見てあげないとダメだよね
>>510 そんなことないよ!
生真面目に頑張ってるあなたは偉い!
私の母はよくイライラしてたような感じ
私が追い掛け回すのを困ったような顔や態度
そういうものを肌で感じてたから。
嫌われたくない!・・・そんな気持ちで頑張ってたよ
・・報われなかったがw
ずれまくってるねw
女だけでの世界で会話すると狭い世界で展開する
3歳の頃、近所の友達が庭でプールしていて、そこのお家のお母さんに誘われて入ったけど、凄く嫌だった。
男の子2人入ってて、パン一で入れられて恥ずかしかった。
断ればいいのに、いいです、くらいしか言えなくて、遠慮しなくていいから!って入ることになっちゃったんだよね。
気を遣って、嫌だとは言えなかったな。
それと似たような感じで、貰ったものは全部食べなきゃ失礼だと思って、お腹空いてなくてもお菓子とか飲み物とか勧められたら完食してたんだけど、母からこの子は食いしん坊でって笑われた時は悔しくてトイレに入ってひっそり泣いた。
こういう気持ちを親に言えばいいのに、何故だか言えなかった。
幼児って結構気を遣って生きてるのかも。
でも気を遣ってる事を知られたくなかったのか何なのか、大人に言えない事は多かった記憶。
過去の自分には、言えば良かったのにwと思うけど
>>516 自分の気持ちをストレートにアピールしていいんだって、
子どもの側が思えるような関係が、
いちばん身近な大人である親との間で作れてるかどうかなんだろうか。
特に、言葉をそれなりにしゃべれる年齢になるまでは、
子どもの気持ちを親が思い込みで決め付けがちになるだろうし。
たとえ相手がしゃべれなくても、親の方から、
どんな気持ちなのか常に問いかける姿勢で接していたら、違ってくるものなのかなと。
感情を言葉にするスキルを養う意味で。
>>516 なんか切ない話だね
後半の、言えばいいのに言えなかったって話は、たぶん親が言うなら間違いないんだろうと思ったんじゃないかな
自分は気を遣ったと思っていた行為は、ただの食いしん坊な行為だったんだとショックを受けたのでは
お母さんは私のことをわかってくれなかった!って気持ちじゃなくて、
私の気遣いは間違ってたって思って悲しくなったのかも…
そして間違った行為を頑張っていたことに悔しくもなった
全然違うかもしれないけどw
「赤ちゃんの時おしゃべりできなくて凄く嫌だった!」と喋れるようになった我が子に言われたと友人が言ってた。
その子が乳児期に友人の腕の中で心外だという表情をしているのを見たことがあったので納得したのを覚えている。
赤ちゃんの 「心外だ」
かわいいw
>>498 同じくらいの食べさせてもらってた時期に
もぐもぐしていたら母にお茶飲む?ときかれた
ん?なんで?口の中今いい感じですし?いりませんけど?
と思ってたけど口元にコップを当てられたもんでぐっと飲んでしまった
そしたらお口の中がさっぱりして驚いた
あー喉がスーーッとするなぁ!と新鮮な感動があった
>>522 >ん?なんで?口の中今いい感じですし?いりませんけど?
ワロスww
女子はおとぽけばかりだな。
可愛い。
3歳前後、階段から転がり落ちた
当然泣いたんだけど、不思議と痛みはなく
ただ驚いたのが理由だった
それと、なぜか階段を転がり落ちる最中
頭の中に浮かんだ映像はドラえもんが階段を転がり落ちるイメージw
別のとき、たしか2歳前後ハイチェアを座りながら傾けてふざけていた
大人に転倒の危険性を注意されるも「自分は大丈夫」と思ってた
そして後方に転倒、背もたれにかけていた指の一部が大きく裂傷
めちゃくちゃ痛くて、痺れて、周りのパニックでさらにパニックに
救急隊員が顔を覗き込んだとき、涙でぼやけていたのをよく覚えている
幼稚園のあった日@年長
母が迎えに来ず、幼稚園の先生も帰ってしまい
さびしく幼稚園の表にある階段に腰掛けて母を待っていた
「知らない人についていってはいけない」という大人の言葉はよく理解できていたのだが、
その日、私の家を知っている、私が誰だかわかると名乗る女性について行った
幸い誘拐されることはなかったが、こうして寂しさに負けて誰かについていくことはあるだろうなあと
子どもの理解力ってその程度だと過信しないように自分は気をつけている
ちなみにその後も知らない人に付いて行ったことが一度か二度あるw
>>516 自分も幼稚園で、パンツ一丁で男子と一緒に水遊びするように言われて恥ずかしくて拒否したら
子供のくせに恥ずかしがっちゃってとpgrされたので、しぶしぶ入ったことがあるわ
>>525 誘拐されなくて良かったね!
誘拐されずに済んだのはどうして?
相手の様子も気になる
>>527 「あなたのお父さんと友達」とか自称していたのが事実だったんだと思う
幼稚園のときは中年のおばさんだったけど、本当に親切な人でよかったよね
実家は地元では古くて有名な資産家なので、うちのことを知らない人って
幸か不幸か昔から住んでいる人ならあまりいないんだよね
でも、相手の自己紹介を鵜呑みにしちゃうっておばかさんだよね
まあ、こういうときの自分の思考回路って
「嘘でもいいから人のいるところに連れて出して欲しい」だから無意味かもしれんが
>>528 本当にあなたを知ってる人たちだったんだね。
今の時代ではお迎え待ちポツンなんてありえないけど、私も一度だけ迎え来ないときあってそのときは先生が家まで送ってくれた。
結局母は家にいて素知らぬ顔して夕飯の準備してて呆気にとられた記憶がある。
なんで迎えに来てくれなかったのか聞き出せなくて(子供心に嫌われたと思った)このまえふと母に聞いてみたけどなんでだろう?と覚えてなかった。
>>516 大人に言えないの分かる。違うのにって思うけど言えないんだよね
気を遣って何かをしている時点でもう親や他の大人との間に壁作ってるから、それを曲解されても訂正なんてできないのよね。
お迎えが来ない時、薄暗く人がまばらになった園内が珍しくてワクワクして
夢中で広いフロア走りまわったり、おもちゃ独り占めして遊びまくって
さらに特別にTVも見せてもらって、おやつと牛乳まで出てきたので
「なにこの超VIP待遇!めっちゃ楽しい!先生もなんだか妙に優しいし、
うちら(居残り組)だけ特別にこんないい思いしちゃうなんて
きっと秘密のご褒美の日なんだ!他の早く帰った子には内緒にしたほうがいいかなー」とか
すごく勘違いしてホルホルしてたのを思い出した
そんで19時頃に父が「ごめんごめん(存在を)すっかり忘れてた」と
カブで迎えに来た時は、え?このまま保育園で遊んでいられるんじゃないの?
せっかく盛り上がってたのに…ってガッカリしたのを覚えてる
誰も迎えに来ないって事自体まったく気にもしてなかった自分は脳天気バカだったんだなぁ
その後も何度か忘れられた事があったから、時間外で見てくれた保育士さんには申し訳なかった
自分も、幼稚園だけど母親の迎えが遅れて幼稚園に一人だった時、楽しかったな〜
ホルホルって何?
>>525 落ちたの思い出したw
首は据わってるはずだからたぶん5ヶ月かその辺りだと思う
家族が抱っこさせてと母に声かけてて
母が私の両脇に手を差して
あーなんかいろいろ思い出してきた
「なに言っているのかわかんないね」って大人同士が言っているのに傷ついてた
自分の子には言わないで「そうねー」って返してる
そのせいか、喃語なのにすごく話が長いw
ごっこ遊びを茶化されたことに傷ついてた
なりきって遊んでいるのに途端に興ざめするし、恥ずかしくなるし
いつも母に「きいてきいてー」って言ってた
「きいてはきいたから話なさいよ」って言われるんだけど、聞いてないの
第二子だったからか母には構ってもらえなかったなあ(第三子は完全に放任)
三人兄弟の第二子って母を独占する時間がないって本に書いてあって、本当にそうだと思う
母が幼児教室をやっていたんだけど、人のおもちゃを無断で
教室用のおもちゃにしてしまうのがいやだった
「いい子だからわかるよね」っていわれて、言い返したくなかったけど
無断だったこと、特に気に入っていたぬいぐるみを知らない子が
遊んでいるのを見つけたときのことが今でももやっとしてる
聞きわけがよすぎたよ…
>>535 「いい子だから」って、大人の勝手な都合で使われる言葉だよね。
いい子って要するに親にとって都合の良い子だよなぁと
子育てはじめてから気付いたから使わないようにしてる。
>>531 476だけど、割と最近、父が「そういえば、お前を保育園に迎えに行くことを忘れてたことがあったな〜」と告白(?)してきた。
476のときのことなのかは分からないけど、告白はめちゃくちゃ衝撃だったw
うちの父以外にもお迎えを忘れる父さんがいるとは…
保育園に初めて行った日(3歳)泣かなかった
良い子ってほめられたかったし
たいして泣きたい気持ちにもならなかった
予防注射も同じで、良い子と言われたかったし
泣くほど怖くはなかった
そのうち保育園のお迎えに母じゃなくて祖母が
来ることが増えたんだけど
そのとき言葉にできない気分の悪い感情になった
言葉にできないから言えなかった
後でその感情が「さみしい」ってものだったんだとわかった
それまでさみしいと言って甘えたことがなかったのかも?
あと小学生になるまで「車酔い」がわからなくて
車が臭いと言ったり車に乗るのをすごく嫌がったんだが
両親車酔いをしないからかまったく気づいてもらえず
出不精な子だと言われていた
やはり3歳頃か、夜中に咳が止まらず何度も吐いたことがあって
それ以来吐くのが怖くてなかなか吐けなかったから
よけい気づいてもらえなかったのかも
「吐き気」ってのもよくわからなかったし
ゲロはなんか変だなと思っていると急にオエッと出るものだった
なかなか気持ちを汲んで代弁してもらえなかったんだね
言葉の表現は実際使うか読んだりしないとわからないよね
離乳食を食べていた時の事、味はいつも通りだけど、食べたい気分でもりもり食べていた私を見て、母がそこまで美味しいかと私の食べている最中の離乳食を横から食べた。
奪って食べる様子が堂々としていて(私のなのに)、少し腹がたち、また卑しいと思った。
ことわらずに食べたから腹たったんだろうけど
本当に卑しい人は人にただで食べ物を作ったり与えたりしないよね
腹がたつまではわかるけど
離乳食の段階の子でも卑しいって思うものなんだねー
>>543 赤ちゃんに、ただで食べ物を作って与えるのは親として当然の義務だし、そもそも赤ちゃんに見返り求めたくても無理でしょうがw
単純に「私のごはん取られた!」ってことよね
547 :
名無しの心子知らず:2013/10/04(金) 07:55:45.44 ID:i8O7YNSm
ここって歪んでる人多いね
>>546 子が大人になったとき、見返りを求める親もいる
毒親の話を基準にされても困る
両親共働きで、近所のばあちゃんに預けられてた。
ばあちゃんの離乳食は、ばあちゃんが口の中でくちゃくちゃ噛んだものをくれてた。
はじめは汚いなぁと思ってたけど、馴れるうちにとても美味しいと思うようになった。
ばあちゃんの口の中から出てくる物は何でも美味しい。ばあちゃんは凄い!と思ってた。
母の料理は不味くてあまり食べなかったけど、ばあちゃんの料理は大人用にきちんと味付けされてた物だったんだろうな。
老後に面倒見てもらおうと思って子供を作るやつは少なくないな。
542みたいなこのスレど真ん中のカキコをせっかくしてくれたんだから、
変なのが湧いてもスルーして欲しいと思うの。
>>542 なんかうちの娘と重ねながら読んじゃった。
子どもが食べてるうちはぶんどったりしなかったけど、
もしやってたら同じように根に持たれていたかもしれないw
>>542 確かに、当然のように食べちゃうけど、子から見たら取られた!て感じだよね、納得。
555 :
名無しの心子知らず:2013/10/04(金) 19:50:00.06 ID:ebb90aqA
育児には役立たなそうな思い出だけど…
幼稚園の頃、音楽教室に通っていて、何人かのグループで歌を歌ったりしてた。
ある日先生のピアノに合わせて皆で歌っていたとき、間奏から2番に入るタイミングを間違えて1人で2番の出だしを歌ってしまった。
先生も皆も笑って、それがもの凄く恥ずかしくて、帰って親に、音楽教室辞めるって言った。
理由は屈辱的で言えなかった。そのまま教室をやめてしまったけど、ピアノ習えたのにって今は後悔してる。
556 :
名無しの心子知らず:2013/10/04(金) 19:56:39.97 ID:ebb90aqA
同じく幼稚園の頃、靴や服を親が「小さくなっちゃったね〜新しいの買わないと」ってよく言うから、
服や靴など身の回りのものは日が経つと縮むんだと思ってたw実際は自分が大きくなってたんだけど…。
あと、大人は大人として生まれてきて子供は子供として生きるべく生まれて来ると思ってた。
親が、しょっ中「忙しい」とか、「疲れた、お母さんは大変」とか独り言で言ってたから、大人って可哀想…私は子供として生まれて良かったって思ってた。
そのせいか大きくなってもモラトリアムが長かったなぁ…。辛いことしか無いと思い込んでたから、大人になりたくなくて仕方なかった。
私は子供に、大人は辛いとか、人生は辛いみたいなことは絶対言わないようにしようと思う。
557 :
sage:2013/10/04(金) 20:53:44.03 ID:kIZEaix9
恐怖症と呼べる位苦手なムシがいる
理由もなく昔からとにかく駄目
で、1歳から2歳過ぎまで住んでいた借家に巨大なソレが頻繁に出たらしく
母親がしょっちゅう悲鳴をあげていたらしい
私自身の記憶は2歳半の保育園入園式が1番古いものなので
母親の悲鳴などは勿論覚えていないが恐らくトラウマの原因になってると思う
記憶に残ってなくても親の言動が大きな影響を与えるんだと肝に銘じて子供には接するようにしてるよ
558 :
557:2013/10/04(金) 21:00:16.12 ID:kIZEaix9
あぁミスった!!ごめんなさい!!
虫でトラウマといえば、私も子供の頃から恐怖症レベルに
苦手になったのがいるw
3歳前だと思うけど父親が目をつむらせた私の手にチョウを
入れてくれたのね。
で、目をあけてみてごらん〜まではよかったんだけど
ルリタテハ(大きくなってから調べた)ってチョウは外側が
子供心には恐怖を感じる柄だったみたいで、ハネを閉じたり
開いたりしてるのみてギャーって号泣した。
今までみたことないチョウ+柄が怖いで刺激が強すぎたのかなあ、
そこから燐粉ついてる連中は全部ダメw
10年くらい前までは米粒くらいのがいても怖くて動けなかった。
子供にサプライズプレゼントをする時は品物をよく選ぼうという
お話でした。多分。
>>556 え?おかしいな、私の服は毎月小さくなるけど・・・ね
小さい時(3歳くらい)に皆で話し合った事がある。
仕事や習い事、幼稚園に通う=一つの部屋で毎日同じ事をすると言う
窮屈で自由がなく、非日常的な事で怖いよねって話だ。
基本的に子供はこんな感覚で、通うを捉えている
皆がそれぞれの心情を話し合った結果
楽観的な子は何も気にせず通い(好きな事のためとも)
賢い子は、通う事を日常に組み込み
小心者な子は、断固拒否と言う意見だった。今思い返すと面白いな。
ご飯の食べ方か〜
私は全般的にはボケっとした子供だったけど
幼稚園児の頃、自分以外の家族が一口食べて飲み込む前に
また一口食べてることに気が付いた。
へぇ、大人はそうやって食べるんだ、私は子供だから
ちゃんと飲み込んでからじゃないと次食べられないわ。と思った。
あんまり役に立たん話だな すまんの。
0歳児ぐらいかな?赤ちゃんの頃。
親が赤ん坊には厚着させたがるタイプなのか、
しょっちゅう「熱い〜熱い〜〜〜熱いよ〜〜」と思ってた。
自分で脱ぎ着できるようになって、2歳ぐらいの時に
昔は(と言っても1〜2年ほど前のことだが)自分で脱げなかったから大変だったわ〜
と思い出していた。
>>560 え、三歳児同士でそのテーマで話し合いしてたの?
そんなことまで出来るんだ!三歳侮れん…
とりあえず、横成長期乙。お互い程々に抑えられるようにがんばろう。
>>555 親がゆっくり理由を聞き出してあげたらいいのかな
子供が嫌だって言っても、理由を言わなければ簡単に辞めさせない方がいいのかな
性的犯罪被害にあっていたりしたらダメだけど
難しいね
幼稚園の時、発言などが子供らしくないと母親によく叱られてたんだけど
一歳下の妹の言動を見て、「あんなセリフ子供っぽすぎて絶対言えないわ〜」とか思ってた
>>562 文章にすると小難し感じだけど実際は
「幼稚園やだーこわいー行くのやだ」
「行ったら帰れないから怖いよね」
「うん、ずっと箱の中にいるんだよ怖いね、誰かにずっと見られてるの」(←これは私が言った)
「○○ちゃんは平気だよ先生が好きだから」
「しょうがないのよ、いつもと一緒って思えば良いよ」
上記のような会話だった。行く=通うって思い返して解釈したんだけど違うかな?
それと年少の時で3〜4歳の友達との会話だな。
侮れないよね、同じ通うって言葉一つとっても、子供って色々感じてるんだなと。
ではお互い頑張りましょう。
大きくなってからの跡付けの記憶です殆どは。
脚色です。
また婆に怒られるw
後付け。
>>566 素朴に疑問なんだがなんでこのスレ見てるの?
構わない方が
気持ち悪かったらごめんなさい。
私が三歳〜四歳くらいの時の記憶。
親同士も仲が良く、親戚の子達とよく遊んでた。
(兄は2個上、弟は同い年の兄弟)
いつも3人で走ってギャーギャー遊んでたんだけど、
兄の方が
「今日はおとうさんとお母さんごっこしよう。お母さんたちには内緒ね」
って言って私だけを暗い寝室に連れて行った。
「僕がおとうさん。◯はおかあさんね! 仲良しだから二人でお布団に寝て、お尻触るんだよ。」
って言って、布団の中で密着。パンツ膝まで脱がされて、下半身触られまくった…
私はボ〜とただ寝てた。
変な遊びだな、つまんないな 位で、特に何も思わなかった…
母達が「あれ!子供たちは?」って探しにきて、お兄ちゃんがヤベェ!!って感じで必死に私にパンツ履かせた。
母が、寝室から出てきた髪グシャグシャ服ヨレヨレな私に
「なんで肌着出てるの!?もしかしてお尻出したの?」
とか聞いてきた。
…もしかして今のってバレたらヤバイ事だった!? てか、なんか私も今になって恥ずかしくなってきて
「ちがう!暑いから脱いだの!」 って必死に言い訳した。
母は「本当に?お尻出したんじゃないの?」
って何回も聞いてきて、恥ずかしくてムカついてた。
まぁ、母はなんか変なことしてたなぁ ってわかってたっぽいけど。
でも親にそうやって聞かれるのがすごい嫌だった。
でも、自分にも四歳になる娘が居るけど そんなことされたなら絶対教えて欲しい…
母同様、きっとしつこく聞くと思う
>>570 でも訊かれても多少ものが分かるようになってると、570の幼少期のように答えない場合も多いだろうね
疑いすぎは良くないし、逆にトラウマにさせても困るし、難しいね
お兄ちゃんに聞けばよかったのかな。
私も思い出した、もっとアレかもだけど。
幼稚園児の頃床オナ(?)を恥ずかしいこととは知らずなんか気持ちいいのでよくしてた。
それを母親に見つかり、物凄く怒られて
「今してた事をママの目の前でやってみなさい!ほら早く!やりなさい!」
と延々言われて初めて恥ずかしいことだと知り、
そんな恥ずかしいことをもう一度やれと怒鳴られてなんかもう辛かった。
そういう記憶って大人になってもトラウマとして引きずってる部分ある??
>>570 こわいねー
親戚の子は親がやってるのを見たのかなあ
自分ちの子がそんなことやらないかも怖いな
性犯罪や交通事故にあったことをつい隠す子ってけっこういるみたいだけど
どうやって言っておけばいいんだろうね
隠さず言って欲しいよね。
そういえば私も、軽い交通事故にあった事あるけど、親には言わなかったな…
事故ならまだしも、性犯罪だとエスカレートしていきそうで怖い。
子供って、変に恥ずかしがることがあるよね
本当は恥ずかしくないことなのに
何が恥ずかしいことで、何が恥ずかしくないことなのか、教えることも大事なのかも
私は親戚の大人の男に幼児〜小学生にかけていたずらされてたことがあるけど
大変なことをされたと思ったから、
もし言ったらおおごとになると思って黙ってた
知らない人ならともかく親戚だったから言ったらその男がかわいそうだとか、その男の親類が悲しむとか
他の人に言わなければ自分の中でなかったことにできるから言わなかった
自分がかわいそうがられるのも嫌だった
かわいそうがられたらたぶんすごく悲しい思いをすると思うから
口にするだけでも傷つくし、
>>570みたいに問い詰められたらすごく辛かっただろうな
でも、言わなかったことで幼児から小学生まで続いちゃったんだよね
多少辛くても問い詰められた方がマシなのかな
事故も性犯罪も、言ったら叱られると思って言えなかった。
普段から転んで怒られ、コップを倒して怒られ、夜寝られなくて怒られ、下校が遅くなって怒られ…
とにかく良くないことをした時は怒られてた。
事故はともかく痴漢はずっと引きずってて異性が気持ち悪く感じ、
25で旦那に会うまで男子、男性と触れ合ったこともなかった。
私は年の離れた姉二人にそれぞれえっちごっこみたいのさせられてたな
裸で触りあいっこみたいな。
下の姉とたまにしてるのがバレて、上の姉が私ともしようって言って一回だけした
たぶん姉が中高くらいで、私が幼稚園くらいだから幼児期過ぎてるけど…
二人ともメンヘラビッチだったからそういうこと興味津々で、私で練習してたんだろうな
私も絶対に言えなかったよ
100%被害者ってわけじゃないからかなぁ
全力で拒否すればいいことだったのに、できなかったし。まぁ幼児にそれを求めるのは酷だけど
でも事故にしても性犯罪にしても、自分に少しでも過失があると思うと言えないよね
いや、普通のことはそれでもいいけど、性犯罪被害と交通事故はダメでしょ
後遺症とかも出たらこまるし
>>579 うちも些細なことで叱られまくってたから言いにくかったな
それで黙っていたら、ばれた時に嘘つきと罵られて
親子の関係で大事なのは、子供がどんなことを話しても、親が受け止めてくれるという信頼関係があることだとか
むやみに怒らずに、子供が安心して話せる環境を作ってあげたいな
たとえ子供にも過失があるとしても
気持ち悪い流れだなぁ
>>584 とはいえ、子供なりの「親に言えない」って気持ちは参考になるんじゃない?
どういう対処が最適かは、ケースバイケースだろうけども。
まあ些細なことでガミガミしたらダメだと思いました
だねえ。
うちも母が何かとガミガミ言って、しかも人格攻撃的な言い方だったから
この人には何も言うまい、どうせ聞いてくれないし。と幼い頃から思ってたわ。
>>580 姉妹は可愛いな。平和。
雌は猿とか哺乳類が仲良くするからな。将来の成長の模倣として。
上下に寝て性器擦り合わせるホカホカとかw
可愛いし平和だ。
雌や女は。
若い雌猿は子供の面倒も見るし。
多分2才ごろ
昔は交通ルールとかあんまりうるさくなかったから
祖母の乗る自転車の前カゴにバスタオルひいて、体育座りしてたんだけど
○ちゃんまた大きくなったね、重くなったねって言葉を真に受けて
私みたいな大きくて重い子供を抱っこしてカゴに乗せたり自転車こいだりして
おばあちゃんはお年寄りなのに大丈夫かしらと思っていた
祖母は当時は50代で、私は前カゴに乗れるサイズのくせに余計なお世話過ぎるw
当時2〜3歳
大人の男の人に「かわいい」と言われると嫌な気持ちになった
そしてそれを言った人が苦手になった(自分は女です)
「将来美人になるよ」とか「芸能人の○○に似てるね」とかはむしろ嬉しかった
592 :
名無しの心子知らず:2013/10/14(月) 23:18:02.89 ID:GHwBaBQB
3才頃
保育園に入園したんだけど、私は絵を書いたり本を読んで過ごすのが好きで
同学年の子達が絵本を一人で読めないことに驚いた記憶がある
そして今思えばすごく生意気なんだけど、キャーキャー騒いで
園庭を走り回る子達を見て「子供っぽいな」と思ってて混ざりたくなかった
みんなと一緒に遊んでおいでという保母さんの誘いを断るのに苦労してた
一応あんな子供っぽいことしたくないっていうのはマズイと思って
適当に理由つけてたのでそれが面倒だった
もし自分の子がうまいこと同年代に混ざれてないことを心配してる方がいたら
こんな子もいるってことで
二歳半で弟が産まれた
それを知らされた時に自分に浮かんだ明確なイメージは
二本セットの棒アイスを二つに分けてあたえなくちゃいけなくなったー!というセコイもの。
かわええw
女の子は可愛いな。
597 :
名無しの心子知らず:2013/10/17(木) 22:08:04.98 ID:yJrfL8kr
母は産後すぐ仕事に復帰し、私は託児所に預けられていた。
主に夜しかふれ合えないのでいつも添い寝してもらっていたが、看護師で夜勤があるため夜中に目を覚ますと母が出勤して居なくなっていることがよくあった。
夜勤の日は母が居なくならないようにしっかり抱きついて眠りにつくのに、気がつくと居なくなっていてとても寂しかった。
「お母さんは忙しいし疲れているから迷惑をかけてはいけない」と父に言われていたので、母に今日の出来事を聞かれると良くない事は伏せて喜ばれるような内容を選んで話していた。
話す内容で母親がどんな反応をするのかは小さい子でもよくわかっていると思う。
ほんとはよくないことも話してほしいよね
「親に迷惑をかけちゃいけない」と子供に思わせるのもあまりよくないのかな
迷惑なことを話しても良いんだな、と子供に目撃させるんだよ
愚痴を聞いてもらって有難う&言って元気になったのなら良かったよ
ネガティブ吐いても、その相手が怒ってない、むしろ笑顔でニッコリだ!
この現物を見ない限りは、子供は安心して悪いことを親に話せない
言いたいことはわかるけど「目撃させる」とかちょっと言葉がおかしくね
598ですが私の場合は母と接する時間が少なかったので貴重な時間を無駄にしたくないというか、母の顔を曇らせるより笑顔で抱っこしてもらいたくて会話の内容を選んでいたようにも思います。
余談ですが30歳になる今も母との会話で内容を選ぶ癖が抜けていません。
個人の性格によるものかもしれないけど我が子と何でも話せる関係になりたいですよね。
そうかー
接する時間が短いと、そういう気づかいさせちゃうこともあるんだね
参考になるわ
一歳、もう疲れました。初めて食べるもの、よくわからないものは恐る恐る一口目を舌で触りますが渋い顔をしてその後は絶対に口をあけません。
白いご飯は好きでよく食べます。慎重派なんだと思いますがこのままでは食べられるものの種類が全然増えません。
小さい頃食べなかったという方、どういう心理で食べ物を拒否していたのか聞きたいです。
また新しいものを食べてみようと思うきっかけのようなことは覚えていますか?
用心深い性格なんじゃない?
ご飯に混ぜてもだめなの?
新しいもの拒否とは違うんだけど少食に悩んでる方のために私のケース
小学卒業まで親に怒鳴られても給食居残りさせられても食べれなかった
何故ならお腹がほとんど減らない
お菓子とか間食してるわけでもないのになぜか減らない
それなのに食え食え言われても辛くて米なんて粒一個一個摘まむような食べ方してた
中学で運動部に入ったらお腹が減ってきて普通に食べれるようになった
でも小学生の頃も体育あったし運動してたわけではなかったのに不思議
今では軽く大食いになった
満腹中枢が遅かったんだろうか?
新しくもの食べないのも年を重ねるごとにいきなり食べるようになるかも
魚は子供の頃大嫌いだったけどあるとき味覚が変わったのか
ちょっと摘まんでみるかと気まぐれで口に入れたらそのときからは美味しいと感じた
味覚が変わるのはあるね。ふと今なら食べられる気が
すると思ってから平気になったものが結構ある。
私は新しい食材への警戒心が強くて、小さい頃は毎日のようにゲーゲー
やってたw偏食多いし10歳まで超小食だった。
口ざわりがダメだと思ったものは吐き気がするし実際吐いてた。
3才の頃には偏食や小食は恥ずかしいし親にすまないと思ってたけど
吐き気は止められない。いまだに嫌いなものにはゲーとなるw
おかげでかなり大きなパーツでも丸飲みするテクニックが身についた。
食べなれないものを食べてえずくのがイヤだから食わず嫌いでもある。
多分
>>604さんの子も口ざわりを気にする性質じゃないかと思う。
初めてのものは、なるべくなめらかにするのは効果的かと。
この手のタイプは第一印象が大事。ダメとなると長々引きずる。
ちなみに私はもやしのシッポがモゾモゾして吐いたことがある…。
歯ごたえのあるものはぐだぐだになるまで加熱・小さく切る。
私と同じタイプなら、野菜がシャキシャキなんておいしいと思えない。
多分だけど軟らかく煮えたお芋なんかはおとなしく食べてない?
長文が続いてすまぬ。
小さな頃つらかったのは皆が平気で食べてるものが、自分には
まったくおいしいと思えないし食べたいとも思えないことだった。
自分はおかしい、ダメな奴だって自己嫌悪もひどかった。
でもほんとにある日、嫌いなはずなのになんでだか今日は食べられる気が
するって天啓wが降りてくるんだよなー。
それが小学校に上がる頃か二十歳過ぎかわかんないけど。
こんなあんぽんたんに母がいろいろ手をつくしてくれた事は感謝している。
食にこだわりのある子で今すごく大変だろうけど、もうちょっと育ってから
食べられないものがあっても「またチャレンジしてみようね!今日より大人に
なってて今度は平気かもしれないから」て感じでフォローしてくれたら
子も少し気が楽になると思う。
>>604 まだ1歳なんだからそんなに神経質にならなくても平気だよ
うちの姉は2〜3歳の頃、ほぼ牛乳とバナナしか摂取しなかったらしいしw
今はなんでも食べるけど小食だし、そもそもご飯自体に興味なし
そういう子もいるんだよ
>>604の子も今はまだご飯に興味ないだけかもしれん
離乳食期の記憶がある訳じゃないのに長々とすまん
離乳食食べないと思ったら、歯ごたえマニアだったケースもある。
あるある。
私はいつまで経ってもお粥を全く食べず、
母がダメ元で普通に炊いたご飯を出したらモリモリ食べたそうだ
米どころかいきなり漬物をボリボリいった友人のような子もいる
「なにこれ半分溶けてんじゃん、ドロドロして気持ち悪いんですけど」
って感じか
気持ちは分かる
613 :
604:2013/10/19(土) 21:01:57.59 ID:rOt9PuSM
まとめてのお礼で失礼します。
ただの悩み相談みたいでスレチぽいのに丁寧にレスありがとうございました。
食べたくない理由はやはりあるのですね。
子は相変わらず今日も白いご飯だけを食べていました。やきもきはしますがあまり焦らずにいたいです。
食べないことに罪悪感を覚えていたという話は親としては辛いです。
気付かず責めないようにしないと。
大きくなったらまたチャレンジしてみようねと安心感を与えるというあたりが腑に落ちました。
何年先でもいいから笑いながら本人になんで白米しか食べなかったの?って聞ける日がきたらいいな。
引っ越す前だから、2歳くらいだと思う
裸足で遊んでたら、トゲが刺さってしまった
それを母に言ったらライターで縫い針をあぶりだした
火も針も普段危ないから絶対に触るなって言われてるものだから怖くて仕方なかったけど、
「そのままにしてるとトゲが体の中を回って死んじゃうんだよ」と言われて我慢した
でもなかなか取れなくて針でグサグサえぐられるのが痛すぎてギブアップしてしまった
その時言われた「あーあ、◯◯ちゃん死んじゃうね。あーあ、バイバイ◯◯ちゃん」っていうのを信じ込んでた
数日後に自然に取れたんだけど、その時は(もう体の中に入っちゃったんだ。もう死ぬしかないんだ)と思って怖かった
それからもペンを舐めたとか口紅を塗ったとかで死ぬ死ぬ言われてたから親としては軽く言ってたんだろうけど、小学生くらいで気付くまで本当に死ぬと思い込んでたからいつも怖かった
なにか楽しみな予定ができても、(でもそれまでに死んじゃうかもしれない)とか思ってた
子供を叱る時に死をちらつかせて脅すのは絶対にやめた方がいい
うわー、ちょっとそれは、あなたの親御さんが特殊なのでは??
トゲがそのままだと死ぬって私もいつも言われてたなぁ
少しずつ心臓に向かって行って最後には心臓を刺してしまうとか
今もそれ信じてたんだけど違うの?
多分親も信じてたんじゃないの?
コーラ飲むと骨が溶けるとかさ
このケースは刺抜かないとは死ぬて言ったのが悪いんでなくて
抜けないのを「あーあ死ぬんだバイバイ!」とか見放したこと言うのが問題だと思うけど…
うちも刺は血管に入って心臓にいってそれが刺さって死ぬって言われたし親も信じてるみたいだった
>>616 私小学の時に指にシャープの芯刺さって取れなくなって
そのうちきずがふさがってしまったけど現在33だけどまだ生きてるよw
今でも芯が皮膚から透けて見える。
私もコーラ飲むと骨溶けるとか食べ物残したら
夜中に勿体無いお化け出て襲われるて言われて怖かったから我慢して食べてたわ。
子供の純粋さに付けこんで脅すなんて酷いよね。
ブラックジャックにそんな話がなかったっけか。
血管に刺か針の先だか入って、でも途中でうまいこと外に出てきてくれたーみたいなの。
>>620 あった。カルシウムで覆われた状態で出てきて、人体ってすごいねーみたいな話だったかな
脅してドヤッてる親の顔は今思い出してもちょっとイラつく
でも散々嘘つかれたりしたのに私はバカ正直に育って今も苦労してる
持って生まれた性格なのかな
>>621 それは昔体内に置き忘れたメスが後々出てきた話。
620のは、体を一周して最初の傷口? から出てきたんじゃなかったかな。
どっちも人体の不思議で締めくくってたけど。
>>621 バカ正直って自分で言う奴のウザさ
正直イコールいい人ってわけではない
アスペルガーなんじゃね
わかる、自称バカ正直って違和感w
自称天然と同じ匂いがする
こういう噛み付きレスが入るとスレが止まるんだよね。
私良い人なんですドヤァってレスには見えないけどなあ。
人の話を馬鹿正直に信じてしまう自分にイラつく感じがわかる私は多分アスペだ(未診断)w
ついでに
>>614の状況はつい最近のうちであったよ。
刺を抜くのを怖がってやらせようとしない4歳児にほぼ同じような脅し文句を・・・。
でもやらないわけにはいかないし、どう説得すればいいのかな。
予防接種なんかも嫌がるけど、日にちをかけて説得していけば
ある時突然本人が「やる」ということがあるので
そのタイミングを逃さず医者に連れて行けるけど、刺は時間に余裕がないし。
626 :
名無しの心子知らず:2013/10/24(木) 16:12:42.23 ID:DRkQeYSF
食べ物関係で
うちの親はあまり離乳食の形式にこだわりすぎず、私が興味をもった食材は食べさせていたみたい
もちろん味付けとかは注意してたみたいだけど
まだ歯も生えてないくせにトウモロコシを必死になって齧っていたのは
未だに親戚の語り草になってる
もちろん消化できないでそのまま出てきてたらしい
そのせいかすごく食いしん坊で好き嫌いなく育ったし、料理も小さい頃からさせてくれたから好きになった
あと、私はかなりくるくるの天パで子供の頃は男子に鳥の巣とかからかわれまくった
でも天パは大好きな祖母からの遺伝と小さい頃から教わり
かわいいと言い続けてくれたおかげで天パ自体を嫌いにならずにすんだ
>>626 天パを嫌いにならなかったのいい話だなあ
いくらおばあちゃんが好きでも「天パ似ちゃってかわいそう、悪い所ばかり似るもんだ」とか言われてしまいがちだと思う
良いところが似れば褒められるけど
でもそれってどうなの?と思う
確かに病気とかが似てしまうと心配になるけど
駄目だ駄目だって言われて育てばコンプレックスになるし
大好きな人に似て良かった良かったって言われれば人に何を言われても気にならない、自分は好きでいられるね
うちの子も天パなので参考になった。
本人はストレートに憧れててサラサラの髪いいなぁとか言ってるけど、フワフワで可愛いとこれからも言い続けよう。実際可愛いし。
パパと義母の遺伝なんだけど、2人とも天パが嫌でずっと縮毛かけてて
周りの人も気づいてないので誰の遺伝だよみたいな感じになってる。
>>626です
天パは本当に思い返せば嫌なことたくさんあったし今も手入れに手は焼いてますが
なんだかんだで愛着があって気に入ってます
もし親が「天パに産んでごめんね」なんてことを言ってたらこうは思えなかったと思います
ちなみに妹はサラサラストレートなので羨ましさもありましたが
私も天パで髪の毛クルクルだったけど絵本に描いてある巻き髪のお姫様の絵を母が指差して
「ほら、○○の髪の毛と一緒だよー」って言ってくれたから“本当だー私お姫様みたいー”って嬉しかったし天パお気に入りだった
あとおでこの生え際につむじがあって前髪を真っ直ぐおろそうとしてもそこで分かれちゃうんだけど
それも母が「セーラームーンのうさぎちゃんの前髪みたいだねー」って言ってくれたから当時セーラームーン大好きだった私はそれも嬉しくてお気に入りだった
確かに親の言い方で変わるね
ためになる
結局ポジティブ最強ってことなのな
私の場合、蒙古斑が人より大きくてどす黒かったので
医者からは成人しても残るねと言われて
両親はいじめられないか心配したみたい。
私が幼稚園の時にこれ(蒙古斑)何?と聞いたとき
親は蒙古斑とはなんぞやと言う事と、気にするものではないと
いうことを当たり前のように話してくれたから
私もそんなもんかと全然気にしないまま大きくなったわ。
実際今も太ももの半分灰色だけど治療してない。
そういうことをふまえて幼くてもしっかり説明すれば
納得はしなくても理解は出来るものと思って育ててる。
まぁしっかり説明するのが難しいんだが。
ポジティブに捉えようがある事なら良いけど…
毛深いのが悩みなんだけど、娘(まだ赤子だがいずれ)にはどうポジティブに説明したら良いかまったく検討つかぬ
へえーー
>>634 「毛深い人は情が深いって言われてるの あなたは愛情いっぱい持ってるのね」
「毛が薄い人は、描いた眉毛が落ちないかヒヤヒヤするらしいよ?あなたは得したね」
「純日本の血やな、他所の国の人に思われんでエエやないの!
それよりはよご飯食べな蟻さんくるで!!」
「ナ(あなた)の流れし血は、縄文より受け継がれし倭の國の血!!」
姫神の神々の詩を歌いながら子どもを巻き込んで踊る
>>634 説明は思いつかないけど、大人になったら永久脱毛おすすめ
安い光脱毛で手足脇をやって10年以上経つけど快適
もし毛深いのを気にするようになってできる年齢になったらやらせてあげて欲しい
脱毛はお金でなんとかなると思う
>>636-637 姫神ワロタwありがとう!
愛情深さが伝わるレスにじーんとしました
正直猿人レベルの毛深さですが誇り高い娘に育つといいなと思います
>>636 ちょw横だけど吹いたw
うちもいざとなったら使わせてもらおう
>>633 最後、納得はしなくても理解はできるじゃなくて
理解はできなくても納得はするの間違い?
>>640 間違いじゃないよ。
理解はできないけど納得はする。
>>634 毛深いけど、親にどんなフォローされても絶望しかなかったわ
親が何言っても、小学生の時から男子に「すね毛すげえな!」とか言われるし
うちは親が、毛が濃くなると剃らせてくれなかったけど、小学生高学年になったら
家庭用脱毛マシンとか使わせてあげてほしい(数千円で買えるやつ)
そして、大人になったら永久脱毛で楽になるよと教えてあげてほしいな
ちなみに、うちの母親はムダ毛が薄いんだけど「ムダ毛は剃るな」「大人になれば薄くなる(ウソ)」
と言い続けていたから、どんなに男子にバカにされてもがんばってたんだけど
高校生になって耐えられなくなって勝手に剃ったら
「あらあ、すべすべ。こんなんだったらもっと早くそったらよかったわねえ」と
毛深いので苦しんだ小中学校生活を思って白目になったわ
>>641 理解はできないけど納得はする
と言いたいなら
>>633はやっぱり間違ってるよね?
>>633は納得はしなくても理解はできるものと書いてあるよ
>>644 もうウザいよ
ROM専だけど、最初のレスで意味分かるじゃん
自分の理解力のなさでズルズルレスすんなよ
いや、640の返しとして641はおかしいと思うけど…
細かいな
二歳くらいのとき親がノースリーブのワンピのつもりでジャンバースカートを私に着せた
ジャンバースカートは肩紐が細いもので乳首がでてしまった
近所の男の子が、おっぱいでてるー、
ってはやしたててきたのがすごいいやだった
言葉にできなくても自分の娘には絶対にそんなことしたくない
保育園に行く朝のこと。
自分で靴を履きたかったのに、急いでいた母に無理やり履かされた。
今となっては子供のやりたいことを毎回優先してらんないという
母の都合も理解できるのだけれど、
その時の悔しい気持ちは今に至るまでずっと残っているw
>>649 小さい子に、見えかけのワンピ着せてる親けっこういるよね
気にならないのか、他人事ながら冷や冷やする
女の子は可愛いなぁ。
幼稚園くらいまでは
水着のパンツだけ着用、ビキニのトップがズレまくる、男風呂に入る
なにも感じなかったw
囃したてるマセガキたちが周囲にいなかったからだな
プールや海、お風呂じゃなくって、
普段着でいる場所での出来事だったから嫌悪感も強かったんじゃないかな、
読点と句点まちがえた。
その辺の感じ方って個人差大きいから
○歳だから〜とか、男の子だから〜とかじゃなくて、
ちゃんとその子の気持ちを汲んであげたいね。
世の中では自分の思い通りにならないことの方が多いのだから
多少は嫌な思いをすることにも慣れて欲しいと思うのだが、
さじ加減がむずかしいよねこればっかりは・・・
>>650のようないやなことは経験してもいいかなと思うけど
>>649のようないやなことは経験させない方がいいかなと思うなあ
>>650は自分ではできないこと(素早く靴を履く)を人に任せた方がいいこともあるって教訓になるかなと思う
>>649は意味のないただの辱しめだ
母が私を出産して入院中の時の事。
気持ち良く寝てたのに授乳の時間かな?看護師さんが抱っこしてくれて、看護師さんの腕や抱き方が心地よくて『あぁ気持ちいい』と思ってたら母に渡された。
母は太ってて工場で働いてたからゴツい。その腕や抱き方が嫌で泣いた。
あとは保育園の入園式でお友達が泣いてて泣きやませようとママが抱っこしたのを見て私も母に抱っこしてもらいたいが為に嘘泣きをしたんだ。
そしたら引くに引けなくなり泣き止む事が出来なくなって、集合写真は私だけ母に抱っこされてたな。
保育園のお友達と遊んでた時の事。お友達のママが色々な遊びを知ってていつもこうやって遊んでもらえるお友達が羨ましくて隠れんぼの時に泣けてきてお友達のママを困らせちゃった。本当は狭くて怖かったんじゃないんだ。
娘に何回言っても靴を左右間違えてはくんだ。そこで思い出した。今日は敢えて左右反対に履いてみたぜ!なんて事があったな。娘もそうなのかな。
私の母はフルタイムで働いてたから遊んでもらった記憶がない。母も遊んであげた事がないっていってた。日中は祖父母に預けられてたけど祖父母も自営だから遊んでもらった記憶がない。
だからお母さんが家にいるだけで羨ましいと思ってた。
泣いちゃった時は確か、かくれんぼや家の外で草花を摘んで遊んでたかな。
あとその子の園服やその下に着てたブラウスの襟にワッペンがついてのが羨ましかった。
あと、その子のお母さんを見習って母親にはキレイでいてほしいと思ってたな。
>>661 入院中って、生まれてすぐの記憶かぁ、すごいわ。
私は1歳になる前ぐらいの記憶かなあ。
母が、兄、姉、私を連れて家出した時の話。
飛行機に乗ってたんだけど、兄と姉は「めばえ」や「よいこ」を読んでた。
私は毛布をかけられて、外を見てた。夕焼けだったのかな、とにかく雲がピンクできれいだった。
CAのお姉さんに、兄と姉が飴をもらっていたのを見てうらやましいなと思った覚えがある。
もう少し大きくなって、母と買い物に行った時に飛行機の中で見た飴を見つけて
あ、あの時の飴だ!と感激した。
あと、2〜3歳ぐらいだったか、風邪で祖母に病院に連れて行ってもらった時。
寒いからといって、でっかい毛糸のパンツをはかされていた。
先生が診察しようとしたら、モッコモコに防寒対策されてる姿を見て吹き出していた。
恥ずかしい〜〜!と思ったなあ〜
今、赤ん坊の娘がいるけど、話せるようになったら色々聞いてみたいw
一歳前でも飴を食べてみたいと思ったりするんだね
離乳食の進みかたとかはどうだったんだろう
お菓子はほしいけどごはんはイラネな子だったのかなあ
+1で脱出!
幼稚園のころまでよく思ってた
「大人ってでっかいな〜」「顔が見たいのにいつも遠いなあ」
「母さん、もっと話を聞いて」「もっと、抱っこして」
お風呂上りに髪の毛を拭かれるとき、父も母もゴシゴシと強くしたので痛かった
母が髪をとかすときいつも痛かったのに、痛いといっても信じてもらえなかった
寝入りばな、いつも大人の話を聞いていた
「寝ちゃったね」「よく寝てるね」など聞きながら眠くて返事ができなかった
イライラしているときに「眠いんだね」と大人が話し合っているのを聞くともっとイライラした
眠くて食事中にハイチェアに残されたことがあった
目が覚めると隣の居間でみんなが団欒していて、暗い部屋に一人で残されているのが分かり怒った
大人の立ち話は長いなーといつも思ってた
飴をなめていると、大きいから片方の頬にばっか飴が当たって頬がしわしわになっちゃって不思議だった
階段を移動するとき、片足ばかりで上るのがいやだった
足を入れ替えていると「はやく」といわれて↑が説明できないから「ちがうのに」って思ってた
>>668 ほんとに子供の気持ちがよくわかる
>母が髪をとかすときいつも痛かったのに、痛いといっても信じてもらえなかった
これとか
1歳の娘が爪を切って間がないのに爪切って!切って!と騒ぐからよく見たら
ものすごく小さな逆向けがちょっぴりできてたりとか
ちゃんと注意深く対してると正当な主張なのをよく実感する
遅いなと思っても、本人なりの気持ちややり方があるんだと、じっと待って見てたら
小さいなりにちゃんと工夫して追いついてきたりとか
えらいもんだな−と
このスレすごく役立ってるみんなありがとう
ところでお菓子とお母さんどっちが好き?とかきいたらいつも、かーちゃん!と即答で
間違わないのがおかしくて、いつも何回もきいてしまうのだけど
これっていい加減うざいと思われているのかなぁ
>>669 「○○はどうして△△なんだろうね〜」と、答えの出ないような疑問ともなんともつかぬ事を半ば独り言のように子に言い続けていたら、
ある時子が「そんなの知るかっ」と答えたのでびびった、という話を友人から聞いたことがあるw
子が何才かはよく分からないけど多分年中か年長くらい。
1歳の娘が爪を切って間がないのに爪切って!切って!と騒ぐからよく見たら
ものすごく小さな逆向けがちょっぴりできてたりとか
↑
可愛いw
二歳違いの妹の一歳の誕生日でのこと
妹は背中にのし餅を背負わされてヨチヨチと歩かされていた
しかし妹が数歩すすむと誰かが満面の笑みで背後から妹をつっころばす
その様子を見て周囲の大人たちみんなが声を立てて笑う
また妹を立ち上がらせて歩かせては大人がつっころばす
わたしはその様子を大人の膝の上に座って見ていて
「いもうとがいじめられている!助けなければ!」と立ち上がろうとしたが
背後から押さえつけられた
その間も大人たちの大笑いは続く
シュールでホラーで本当に恐ろしい出来事でした
しばらく大人たちに不信感を抱いていました
まるで自分以外の家族全員が突然悪い宇宙人に乗っ取られたかのように
たとえ3歳の幼児でも、どうか事前につっころばしの行事について教えてあげてください
「これはイジメではなくて、妹の幸せを祈るためのおまじないなんだよ」と
そんな行事あるんだ
語りかけ育児読んで思い出したんだけど
やっぱり大人にされる大人は回答知っている質問はいやだったなー
「お父さんの名前知ってる?」とか訊かれて答えられなくて(普段家族でパパって読んでたし)
「そんなのも知らないのー?○○だよ、よく覚えておきな」って叔母に笑われたの忘れられないわ
忘れられないといえば、私は昔から何か生意気な口を利くところがあった
それで親戚の人に何か言ったらしく「自分が親ならひっぱたいてやりたい」って言われた
子供ながらにそのすごい睨みようと殺意に怯えて遠くの部屋に逃げた
あと、スレチかもしれんが、小学校受験のときの記憶
いわゆるIQテストや色盲検査、平均台の上をまっすぐ歩けとかフープで遊べとか言われた
あまり試験管が乗り気でない顔していたこととかすれ違うライバルを見て
「お互い大変よねー」って思ったこととか
子供のころは習い事を週に最高7つも、いろんなものを大量にさせられたんたが
やっぱり親と過ごす時間が欲しかったというのが本音
もちろん習い事先ではイイコにしていたけれど、何かやめるための理由をいつも探していた
で、やめてもまた親が何か探してくるんだよね
体験に連れてかれて感想訊かれて「面白かった」とか言ってみると次から通うことになってたの
(今になって振り返れば、母は自分が習い事の間を自由時間に使いたかっただけなんだよね)
>>672 私がニュースで泣き相撲?をみたときと同じ気持ちかな
赤ちゃんが早く泣いた方が勝ちみたいなやつで、子供の健やかな成長を願う行事とかだったような気がするんだけど
毎年見るけど笑顔で赤ちゃんを高く掲げて揺すって泣かせて、泣いたら周りの大人は大笑い
子供が可哀想なのと子供を泣かせて喜んでる大人は達がなんか怖くて見るたび不快なんだ
大勢の見物客の中でただでさえ赤ちゃんに負担だろうに
あれに連れてこられた上の子は
>>672みたいな嫌な気持ちになってるだろうな…
一歳の誕生日きたら餅を背負わせて歩く行事あるよ、餅を背負わせ写真撮ったりもする。
うちは北海道だけど地域によっては複数のものから選ばせて
赤ちゃんが選んだもので将来の職業当てみたいなのもあるみたいだね。
これだけだとあれだから今夜か近々幼児期の記憶書きます。
前にも獅子舞とかお菓子食べてるの嘘つかれたといろいろ書いたけどまた少し思い出したの。
いや一升餅の風習は割と全国的なものだと思うけど、
わざわざ転ばすというのはあまり聞かないね、という話じゃないの?
私は初めて聞きました。
転んでも転んでも、自力で立ち上がる人になってほしい
ってことなんだろうけど、小さいとその辺の意味合いとか察することできないだろうから、
赤ちゃんをニコニコ虐める図、不条理で怖かったろうね。
わからないかなと思うような事でも、ちゃんと説明した方がいいんだね
子供の時は車に乗せられて知らない間に病院だったり親戚の家だったりで
面食らってたから自分の子には新生児の時から真面目に説明してる
誰々さんがお祝いにくるよ、すぐ帰るよとか
いつもはかどって困らないから、この子状況がよくわかってるみたいねと言われた事がある
そういえばウチの子もサプライズで連れていくとグズるけど、ちゃんと説明するときちんとしてる。
相手の年齢に関わらず説明する事って大事なんだな。ありがとう!
私は妊娠中にこのスレを見つけてから、どうせ赤ちゃんだから分からない という考えを捨てた
何をするか、何故それをするか
>>679みたいに説明してるけど、うちもあまりぐずらない
こっちも話しかけるネタになって良い
つい黙々とやってしまうけど今日からちゃんと説明してあげようと思った
低月齢だからわからないとか思ってたらいかんね
>>682 スレチになるけど、息子が2ヶ月位の時、たまたま病院でミニコンサートに出くわして端っこで観たことがある。
助産師さんが、ぜひにって言ってくれたから観てたんだけどしばらくすると息子が泣きかけた。
抱っこしてた夫が「がまんがまん」って声かけたら本当に我慢する顔で我慢した。
だから低月齢でも意外にわかってるんだなぁと感心した。
妊娠中にこのスレ見てたのもあるし、実際に息子の反応見たのもあって、小さくて子供だけど一人の人間として扱うようにしてるよ。
684 :
672:2013/11/27(水) 22:11:22.61 ID:XviUzJ0q
一升餅を背負わせて転ばせる行事は正式には「転ばせ餅」「転ばし餅」というそうです
言葉足らずで申し訳ありませんでした
転ばせ餅・転ばし餅について:一升餅で1歳のお誕生日を祝おう
ttp://mochi.mamagohan.net/towa/korobashimochi.html > 誕生日前から、早く歩き出した子供は、将来早く家を離れたり、
> 親元から遠く離れて暮らすようになると言って嫌い
> (男の子が将来養子などに出ないで、その家の姓を受け継いでもらう為に)
> 餅を背負わせて、突き倒したりする真似をする地域もあるようです。
今回初めてこの行事について調べたところ上のような説もありましたが、
真似でなく本当に突き倒されていた妹は
結局、国外へ嫁に行ったので転ばせた甲斐はなかったのかも?w
676です。
2歳のとき
5歳上の姉のホッチキスがとても不思議なおもちゃに見えた。
握ったのにすぐ離れるのが面白くて姉がパチパチ挟むのがうらやましくて私は1人の時こっそり遊んでいた。
親指と人差し指の水かきのとこを軽く挟んで遊んでたらほんとに刺さってしまった。
でも半分刺さったままでホッチキスに芯がくっついたままで指に刺さって取れない。
母を呼んだら、あんた馬鹿だねーと言われてはずしてもらったら
勢いよく血がダラダラ流れて血を見たら凄く痛くて泣いたけど
刺さってる最中は全然痛くなかったのが凄く印象に残ってる。
多分3歳くらい?
今と違ってボットンだったから用足し中は母親が抑えててくれるんだけど
母が手が離せないとかで1人で行くことになった。
足がまだ短いせいか思った以上に股を開かなきゃならなくて
いつもは抑えててもらってたからその調子で開いたらバランス崩して片足から落ちてしまった。
両肘で体をささえる状態になり胸から下は穴の中、下を見れば汚物が深い洞窟の中にあるように見える。
怖くて泣きながらママーって叫んだのに来てくれない、掃除機の音がしていた。
なかなか来てくれなくてパニック状態で泣き叫んでやっと来てくれた。
あらーあんた何やってんのーwって半分笑いながら引き上げられた。
落ちた拍子に片方のスリッパを落としてしまった。
10歳くらいまでボットンだったけどそれまでに記憶がある分では6回落ちてる。
毎回親呼んで引き上げてもらって、そのうち2回は足に力を入れてスリッパを落とさなかった。
未だにたまに夢に見る、夢では当時の年齢のままですごく怖くて起きてから安心する。
今娘が2歳3ヶ月でトイレトレーニングや文房具などそろそろ機会があるだろうから
慣れていても絶対1人にさせない、ちゃんと親が見てる事がとても大事だと思う。
子供は普段使いなれている物でも親が目を離したすきにとんでもないことをやらかすから。
学習能力の無い私は小学校の時にシャープ出し入れして遊んでいたら
指に芯がささってとれなくなり未だに中に入っている。
ありゃー
好奇心旺盛なのは素晴らしいけど繰り返しすぎw
お母さんも油断しすぎだったね
ホッチキス不思議だよねー
私も幼稚園ですっごく不思議で作業中自分の指にあててぐっと挟んだら
もちろん刺さって血が出て泣いて先生呼んだw
痛くなかったかは覚えてない
もっと小さい頃炊飯器の蒸気出口が不思議で出るとこに親指ぎゅーして大やけどw
ほんと何するかわからないよね
>>685-686 読んでて思い出した。
うちの母は、ハサミとかカッターとか触りたがると、
必ず「いい?刃に触ったらイタイイタイなんだよ?刃に触らないよう気を付けてね」と
言い聞かせた上で、結構自由にやらせてくれた。
で、やってみて指とか切れちゃったら「ほらねーだから言ったのに」と苦笑して手当してた。
誰かがどっかのスレで親の「だから言ったでしょ」が嫌だったって言ってたけど、
私は特に嫌とは思わなかったなあ、実際に自分のミスだし。
ただしストーブとか本気で危ないモノは、強く言ってビビらせ、
それでもさらに近付きたがったら、私の手を取ってストーブギリギリに近付けて
「ほら熱いでしょ!危ないのよ!いつも、いいものはいいよって言ってるでしょ?ダメなモノは危ないモノなの!」
と相当脅された。そういう時は本当に恐かった。メリハリって大事なんだなぁ。
まぁ、それでも結局二回もストーブで火傷したから、聞かない子は聞かないねw
>>687 あなたが嫌じゃなかったのは、苦笑してるか怒ってるかの違いだと思う
大抵は「だから言ったじゃない!全くもう」とプリプリしながら手当てされるから嫌なんだと思うよ
子供の不器用さや好奇心を理解してくれて苦笑で済ませるお母さんいいね、見習おう。
私はニオイの記憶が強いです。1-2歳ごろだと思うが、母親がタバコ・酒・歯肉炎(?)でとにかく嫌で嫌でたまらなかったなぁ。ニオイからだんだん母親自体が嫌いになってしまい、言葉で話せるようになってそれを伝えると徹底的に嫌われ虐待された。嫌な思い出だなぁ。
母親のにおいはどんなにおいでも好きになるものだと思ってた…
母親ではないけど子供の頃大好きな親戚の人がたばこ吸ってて、たばこのにおいが好きになったんだよね
たばこのにおいですら好きになったから大体のにおいは母親のにおいなら好きになるんだろうなと…
重度ワキガの私涙目
>>690 私の母もワキガだったんだけど、ギユッてされたり膝の上で歯磨きの仕上げ磨きをされるのが臭くて嫌だった記憶があるよ
でも、『臭くて嫌』とか言えなくて『歯磨き嫌い』とか言ってた
きっとタバコとは臭いのレベルが違うんじゃないかな?タバコの匂いは普通でも好きな人がいるけどワキガはね・・・
>>690 タバコに酒に歯肉炎て、いくら子供が盲目ったってそりゃ無理でしょう
母親が好きなことと臭いが嫌いなことはイコールじゃないけど、気をつけられる程度に注意した方がいいと思う
タバコだけならOK。お酒は毎日じゃないだろうし、「お酒くさいー」って言えるからまだOK。
でも歯肉炎はないわ。
あれはドブみたいな臭いがする。
>>693 あーうちの母親は歯肉炎だったんだー。
ほんとドブみたいなうんこみたいな臭いがして
毎朝コーヒー飲むからコーヒーとドブとうんこが混ざった臭いで
顔近づけて話したり嫌すぎた、一メートルくらい離れてほしかったわ。
私は他の兄弟が中学生の時に生まれた。
自分で言うのもなんだけど、可愛いだけの存在だったと思うw
なので、間違ったことをしてもみんな笑うから、それが正しい(やってもいい)ことだと思っていた。
例えば、食事中にわざとスプーンを投げたり…。
自分の子がマナーの悪いことをしても無表情でいようと思う。
あと、保育園の時から自分が毛深いのがとっても恥ずかしくて嫌だった。
毛深い女の子が生まれたら早く毛の処理してあげようと思う。
そして早めに永久脱毛させる。
一番古いクリスマスプレゼントの記憶は、サンバルカンの超合金ロボット。ほんとにめちゃめちゃ嬉しかったんだ。かなり大きくなるまで大事に持ってた。
すごく鮮明な記憶だから5歳くらいだと思ってたけど、調べてみたら私が2歳の時の番組だった。
女の子なんだからこっちにしたら? とか言わなかった両親には感謝してる。その後も女の子だから…とはほとんど言われなかった。そのおかげで女子力足りなすぎて、なにかと苦労してるけども。
3歳の時、6歳の兄とお昼寝していて起きたら母がいなかった。
手紙が置いてあったけど漢字混じりで所々しか読めず、兄は揺さぶっても起きないし、パニックになった。
母は近所に買い物に行っていただけなんだけど、いなくなった!としか思わなくて怖くてずっと泣いた。
目覚めて隣に私がいないと泣く娘をみて、ふと思い出した事。
本当に怖かったなぁ…
娘が大泣きする気持ちも分かるわ。
三、四歳かな?母親に、私がどちらかというと母方の祖母ではなく父方の祖母に懐いていたことを責められたことがある。
後から聞くと、なかなか強烈なトメだったみたいだから母としては複雑だったんだろうけど、本当に悲しそうにどうして向こうのおばあちゃんの方がいいの?って聞かれたのが子供心にすごくショックだった。
誰が一番好きとか、どっちの方が好き系の質問は子供に無駄に気を使わせるだけだから絶対しないようにしてる。
2歳の頃、夜両親が喧嘩していたので寝室をこっそり覗いてみたら
母が包丁を胸にあてて父に「私を殺せ!」と泣きながら言っていたのを今でも覚えてる。
母いわく、父が兄のお受験教室の先生と不倫していたとかなんとか。
いつも「あなたたちがいなかったらとっくに離婚してた、いや自殺してたと思う」と言われて育てられたけど重いだけだしうざい。
子どもの為に離婚しないとか言う人間心底嫌いだ。
まるで私のせいで人生犠牲にしてきたみたいな感じ。好き勝手に生きてくれたほうがずっといいわ
親と絶縁した私が通りますよっと。
今では連絡もないし声聞く必要ないし絶縁最高快適。
死んでも会いたくないし葬式も無理だわ。
>>700 同意
子供がいながら不倫する人間は本物のゴミだと思う
どんな言い訳も陳腐
変にオチがついててわろた
最初の記憶じゃないんだけど、アパートの外階段とかで踏み板の裏板のない階段が
怖かったなあ そこから滑り落ちそうで
あと、跳び箱の踏み板の間に入れる板が蓋のある箱型なら飛べるんだけど、
その板に蓋がなくて枠だけのがあり、飛んだらその枠の中に落ちてしまいそうで
(落ちるわけがないんだけど)怖くてその跳び箱だけ飛べなかった 教師は当然理解しなかった
生まれて最初の記憶は実姉に髪をむしられ引きずられて半殺しの折檻を受けてる記憶
>>308 >>309 いい加減亀ですがどうしても捨て置けないので
多分もうなさってると思いますが、下の子にだけ強烈にエコを教えるだけじゃなく、
上の子にも教えてくださいね 上の子にもリサイクルのものを与えてください
そうしないと上の子が自分だけが特別である、とへんな優位性を持つようになりますよ
>>707の中で、半年前のでもレスせずに居られないほど、
思いが強烈に残ってるんだねー。考えさせられるわ。
>>706は蹴込み板が無い階段が怖かったってこと?
自分もそうだった気がする。そこから落ちるわけ無いんだけど、
落ちたらどうしようっていうか、吸い込まれそうっていうか、
そんな感覚があった
あとサラッと書いてるけど最後の行が怖いんだけど
私も
>>706の最後の行ちょっと気になってた。
706がまだ本当に寝てるだけの赤ん坊だったり
お姉さんの歳がうんと上だったりすると怖いけど、
歳が近くてもう立って歩いてるような時期だったらその位のケンカは普通な気がする。
普通ではないかと
>>707 私は上の子で妹が私のお下がりを着てるのを見てたけど別に優位性なんて持たなかったよ
仮にあなたが下の子で嫌な思い出があるのかもしれないけど『皆がそうなる』みたいな書き方は良くないんじゃない?
ただでさえ半年前のレスだし・・・
兄弟でお下がりは嫌なものだが
姉妹のお下がりは可愛いね。
祖母のお下がりを大事に孫娘が着てたりね。
女系は可愛いし愛情が有る。
お下がりどころか
リサイクルショップやバザーで服買って年齢関係なく女は服を着回せすればいい。
服に大金使うな。
>>715 大金は使わないけど、服ってある程度着るとほつれたり機能的な面で問題がでてくるからそこまではどうかと
誰かも書いてたけど、私も寝かしつけの時にお腹をポンポンされるのが嫌だった
特にミルク飲んだり、何か食べた後はポンポンされるの苦しかったよ
それで逃げるように体を動かすんだけど、親は喜んでると勘違いしてか笑顔でポンポンしてきたから最終的には諦めて真顔で『早く終われー』って思ってた
717 :
名無しの心子知らず:2013/12/27(金) 20:15:07.44 ID:TSi3Q4g4
>>713 私も姉のお下がり嬉かった〜w
姉の着てる可愛い服、来年は私が着れるんだってwktkだった
母親がうちの父の実家に同居していて、そこで私が産まれた。
母親には同居生活がすごくストレスだったみたい。遠くから嫁に来ていて友達もいなかった。
だから私が思い出す母親の顔は、いつも困ったような悲しい顔。
笑顔を思い出せない。
母親が悲しんでいるのが、すごく伝わってきて、自分もいつも不安な気持ちだった。
母親がストレスを感じると、それが子どもにも伝わっちゃうんだなと思うから、自分はできるだけ笑顔で接したいと思ってる。
それと、母親を喜ばせたいとか、悲しませたくないとか、ガッカリさせたくないとか、そんな気持ちが大人になるまでずっと続いたせいで、精神的に病んだ時期がある。
母親を悲しませたくないから嘘もいっぱいついてきた。
だから、自分の子どもには同じ思いをさせたくない。
今考えると「何も怖くないよ。大丈夫だよ」 って笑顔で抱きしめて欲しかっただけなんだと思う。
夜が怖くてなかなか寝れなかったし、いつも褒められる良い子でいないといけないと思ってた。
何も悩みがない天真爛漫で幸せそうな友達が憎くてたまらなかった。
だから、こうならないよう自分の子どもは、そのままをすべて受け止めてあげたい。
この流れで思い出した。私は兄2人いて女の子1人だから母親が可愛い服を買ってくるんだけどお下がりが欲しくって毛玉のついた男の子服を喜んで着てたなあ。
ねずみ色の柔らかい素材のズボンがボロボロなのにお気に入りで、母親がやめてくれって泣きそうになってた。
今気づいたけど、お下がりは生地が柔らかくなってるから肌が弱くてチクチクしやすい自分には良かったんだと思う。使い古しのタオルケットもないと眠れなかった。
>>718 母親が笑顔でいること、大丈夫だよって受けとめてあげられる状況でいることは大事だね
参考になりました、心に留めておく
>>717 姉妹の女児は可愛いなーw
天使だわ。
兄弟のお下がりなんか悲惨
それも死ぬくらい親の影でブン殴られてるのに
わしの体験な。
>>719 女児は男兄弟の下でも可愛いなーw
内臓破裂や歯も床に打ちつけられて歯茎の上の繋がってる所切れたり歯並びにも影響したろうな。
投げられて鎖骨も折れたよ。大怪我で殺人未遂だ。
祖父が帰る前で意味無くみぞおちグーで殴られ息が出来ないまま泣いた。
祖父は何も言わず帰ってった。
わしとは親子くらい身体の大きさが違う三歳差。
わしが身体大きくなった中二からは殴っては来なくなった。
男とは悪魔で弱者にしかやらない。
当然死亡ぬ迄大人になっても許さないし会う事も話す事も無い。
わしの人生は酷い目に会い人生と健康が狂わされた。
精神的にも。
内臓破裂でもおかしくない程の暴力な。
病院行ってないかに解からん。
そのせいか高校の健康検査でわしだけ引っ掛かった。
精神的に家で地獄で安らげない疲れから苦しかった。
持病が悪化して今だに苦しめられる。
気持ち悪い人が湧いてきたな
前から書いてるがw
初心者か
気持ち悪いも何も
わしが書いてるのは全部事実だ。
男は全部悪魔なのもな
妄想糞ブスが多いからいつもそうじゃ無いぞ妄想するなとキモ将来犯罪者妄想ブス母親達に書いてる。
そんなブス達は天使の女児を貶すキモ妄想だからな
>>725みたいな
>>718 すごいな私が書いたのかと思った
私も子供のころとにかく良い子とほめられることをしようしようとしてた
小学校のころ軽いいじめにあったんだがいじめられるような子だと思われたくなかった
がっかりされると思って
ついつい子に「いい子だね」と言っちゃうんだけどそれは当たり前かな?
優等生じゃないことをしても好きだとちゃんと伝わってるだろうかと不安になる
私も精神的に病んだことがあったり今も不安になりがちなんだが
子のためにも大丈夫と笑顔でいたいと思った
>>727 いい子だね、と言わない方がいい
いい子をついつい演じてしまうようになるから
無理するのをを習慣づけてしまうからと
子供は無条件に母親が大好きだから期待にこたえようと頑張りすぎてしまうんだと
親の好みに合わせて自分の本当の気持ちに蓋をして苦しくなるんだね
尾木ママが言ってたぞい
私の姉(長女)が大人になっても必死でいい子を演じてるのが不憫で
自分の子には「いい子だね」と言いたくなった時は、
ちゃんと一人で出来て偉いね、なんて具体的に褒めてる
いい子だなぁーーーて気持ちが高まった時は大好きだぞぉぉぉーーーーぐりぐりこねこね(いま2歳w)
>>718です
もうひとつ。
ずっと家族以外の大人がすごく怖かったです。
なんでなのか自分なりに考えてみたら、母親が周りの大人を信用していないのが子どもながらにわかっていたからだと。
姑ともうまくいってなかったし、小姑にいじめられていたのもわかっていた。
家の中が暗かった気がする。
大人はみんな敵だと思ってた。
でも母親が頼りにしている、私からみたら祖母と叔母には、私も気兼ねなく甘えることができて好きだった。
小学校に入ってからも、先生という存在が怖くて、先生になついて仲良くしている友達を見て「なんでそういうふうに振る舞えるんだろう?」と不思議だった。
人間ってもっと優しいんだってことを小さいときから教えたいと思う。
甘えていいんだってことも。
>>726 男が全部悪なのじゃなく、上の子が基本的に悪なんだと思う
やさしくお世話を手伝う上の子、なんて信じられないし、親の前ではそう見せていても
影では苛めてるのかも、とか思うし
うちのは親の前でも堂々と苛めてたけどね
ウンコに構うなっつの
少しスレ違いになってしまうかもだけど、子をほめるときはどういう言葉を使ってる?
>>728のように「大好き」はいいと思うけど、ほかにどう言えるだろう
うちは「かわいい」と言ってたら、かわいく演じようとあざとくなってきてしまって失敗してる
いい子もだめだとすると、じゃ何が?
いい子を演じるのってダメなことなのかな?
親が喜ぶ為に頑張るって素敵なことだと思うけど。
私の子は私の為に頑張る(都合の)いい子!って
親が勘違いしなきゃ大丈夫じゃないかな。
私は逆に大人が怒ろうが宥めようが物で釣ろうが
自分の意志は絶対に曲げない頑固な子どもだったので、
和を乱さず人に褒められてばかりのいい子は羨ましかった。
今でも仲直りとか下手で苦労してる。
>>732 頑張ったね
褒められようと頑張るように…w
>>728 具体的に褒めればいいのか!ありがとう
>>733 駄目なことかはわからないが度が過ぎると本人が苦しくなると思う
私とか精神病んで就職もできなかったし人生詰みそうになった
こんなでは親に申し訳ないと思って死も考えた
いい子からそのままエリート人生の人もいると思うけど、気持ちが苦しいままだと辛いと思う
ある程度ならいいんじゃないかとは思うけど
>>732 何かを達成した時はできたね!て言うかな
あと自分が祖母に言われて嬉しかった「大事」
無条件に許されてる気がした
三文安になったけどねw
できたね、頑張ったね
なるほど〜!ありがとう!
どちらかというと親の都合から言ったことを子供が守った場合、
(ご飯前だから粘土遊びより片付けが簡単な絵本にして、とか)
なるべく「ありがとう」って言うようにしてる。
>>732 「できた!偉いね」 「すごいねー」 「おいしい、嬉しいね」 「一人で上手だね」 「おっ!立派だねえ」「大人みたいだよ、一緒だね」
「お父さんも上手だねって言ってくれるよ、見せようね」 l「お母さんうれしいな」
「アンパンマンも頑張ったねって言ってるよ」 「助かるなあ」 「おりこうさんだね」 ←利口は成長とともに卒業するだろうから自分的にはセーフライン
言葉の他に意識してニコッとすると子もペカッと嬉しそうに笑顔になる
日中は母一人子一人だから、さっきまで自分無表情だったかなぁなんてちょっと反省もするw
女の子が可愛いさを演じてしまうのは、他からも見聞きしてるとよくあって
男の子との性質の違いというか、大なり小なり本質的なものみたいだよ
>>738 ありがとうも言うね
どうもありがとう、とお願いしますはよく使う。変化球で「どうもすみませんねえ」
とにかく子供の頃の事は根深いから
子供を悲しませたくない、傷つけたくない。でも後になってみないとわからん部分もある
自分では何一つ踏み外さなかったとしても、大人になって文句いわれるかもしれんしw
子供の頃嬉しかった事といえば
大人が慣れた手つきで上手に何かしてると、とても簡単そうに見えて
やらせて!せがんでと交代してもらったこと
ぐちゃぐちゃになったりしたけど、させてくれたのが嬉しかった
巻き寿司まいたり、お餅こねたりすっと出来る気がしたw
やらせてもらえるのはうれしかったね
危なくないことはなるべくやらせてあげよう
そういえば子供の頃おりこうさんとよく言われたけどおりこうさんの意味がわからなかったw
誉められてるのはわかるんだけどさ
幼児よりちょっと上の時期だからスレチだけども
「やったぁ!できたね!」とか母子でハイタッチとかすると楽しい。
遊びの延長
>>743 しまじろうやってるから家は出来タッチて言いながらハイタッチしてる。
子供も喜んでるし出来た喜び共感してるのがまたいい。
これだけだとあれだから私の記憶
保育園の時だから2歳から5歳まで
私は母にくすぐられるのが好きだった。
いっぽんばーし、こーちょこちょこ、たたいーてつーねっての
つねるのが凄く痛くて痛くて涙出そうだったのを必死でこらえて
階段登ってコチョコチョコチョコチョを考えるようにしてのりきってた。
子供は皮膚が薄くて筋肉もないしちょっとでもつねると激痛が走る。
母には痛いとは言えなかった、くすぐられると痛みが和らぐし何度もしつこく
やってもらってたからか母が痛くさせてると気づかせるのが
母を傷つけてしまいそうで怖かったから。
うちの2歳5ヶ月もこの遊びが大好きでしつこいくらいやらせられるけど
決してほんとにつねらないように、摘む、親指と人差し指を軽く当てるくらいに
気をつけてやってる。
>>744 くすぐられるの楽しいのかな
うちもたまにやるけど、くすぐったいから笑うだけで実は嫌なのかなあとか気になってた
もちろん一切つねってない
ほんとにつねる親もいるんだね
うちの三歳はくすぐってー!って言ってくるよw
でも嫌だった人もこのスレ(前スレかも)にたくさんいたから嫌な子もいると思う
私もイヤだった一人
私は笑いすぎて息継ぎができなく苦しくていやだったから、息継ぎの時間は入れるようにしてる
笑い続けると苦しくなるのは誰でもわかってるはずなのにね。
私も親が際限なくやってくるからくすぐられるの嫌だったわ。
あとおでこをペチン!って叩かれるのも嫌だった。
多分ぎゃっ!て顔するのが面白かったんだろうな。
自分の子には絶対にしない。
しつこくされるのって嫌だよね
2〜3歳の頃、親がいないいないばぁでわざと変顔(白目とか)してくるのが嫌だった
怖いというより何回もやってくるしつこさが…
多分一番最初にやった時いい反応しちゃったから何回もしてきたんだろうけど
怖いって言うとますますやられるから困ってた
わざと怖がらせたり嫌がらせたりするのは、見てる分には可愛くてもされた方はストレス
私の反応見て大受けしてる親が邪悪な感じに見えて嫌だったし
自分は同じことはしたくないな、と思う
お下がり良かった、って人が多いみたいだけど、私は嫌だったよ。
姉ばかり新品で羨ましかったし、姉のお下がりは汚れていたのも嫌だったw
自分に子供が生まれるときに、譲るよって言葉を殆ど断って新品を揃えたのは
幼少時からのトラウマのせいだと思ってる。
「お下がりは柔らかいし、汗の吸収も良いんだよ」と言われても
それでも新品が良いんです、と頑なだったなー
子供にも一人一人個性があるんだから様子を見ながら臨機応変に
うちは逆に毒母が頑なに親戚から頂いたお下がりを拒否して送り返したりとかっていう失礼な行いをしてたのを見たせいか、状態のひどくないお古は長子の時から喜んで頂いて着せてるなぁ。
下手すると自分たちで買った新品の服より質のいい服頂くこともあるしありがたいもんだよ。
でも新品を着せてやりたい親心もよく分かるから、人それぞれ良いと思うようにやればいいと思う。
離乳食を食べさせてもらってる頃、毎回口に目一杯入れてくるのが嫌だった。
>>718 亀だけど
デッドマザーコンプレックスだっけ
ちょっとググっても出てこない専門用語なんだけど
うつ状態の母親(デッドマザー)を見て、赤ちゃんが励まそうと無理に笑う話
赤ちゃんの心の中には死んだような母親の顔が焼きついてしまう、だったかな
ソース:母子臨床と世代間伝達 渡辺久子
で、こういったうつ状態の養育者による発達への影響が6ヵ月後に現れるとか書いてあった
直後じゃないんだよね
>>730 ま
上がってのはそうだ。
だが圧倒的に男が暴力や酷い事をする
相手が大きくなったり強くなるとやらなくなるのは男の特徴
それは国も
中国にはアメリカもロシアも手出せないインドにも。
だが
男が全部悪魔の申し子なのは事実だぞ過去の歴史も今も
男社会だからなずっと悲惨な
人間の歴史とは。
女は家畜やペットと同じ存在。
当の本人の現代日本の女達は解かっても理解もしてないで威張ってるがw
阿部の秘密保護法とか戦前や中国の文革やないか
何も変わっちゃいない
民主主義も共産も変わりは無い
一番強いのは軍隊・軍部なのだから。
クーデター起こせば簡単に国を乗っ取れる
結局男は暴力
相手を殺すしかないので有る
これが本質
>>751 兄弟全て平等にお古ならいいんだよ 問題は長子だけ常に新品で下の子は常にお古のケース
犬でさえお下がりは嫌がるもんなあ
わきの下が痛かったんだよね
手を差し入れられたときに関節の隙間に指が入り込むと、もう痛すぎて
抱っこされそうだと両腕挙げてすり抜けてた
観賞用植物の小石を食べたことがあった
キラキラしていてとても綺麗だと思って、次の瞬間にはパクパク口へ運んでいた
口の中でツルツルした食感を楽しんでいたら、すごい形相で祖母が来て
二本の指で頬を強く挟まれ「出しなさい」といわれてすごく抵抗した
「こんないいものなんで出さなきゃいけないんだ。おばあちゃんひどい!」って怒った
祖母はこのときのことを覚えていて「一生懸命口をあけようとしているのに唇を真一文に閉じて抵抗された」って
結局、口はこじ開けられちゃって、すごく敗北感を感じたんだよねーw
たぶん、1歳代の頃のこと
いつだか分からないけど、同じような記憶
足の指をふと口に入れたらすごく面白くって、噛んだり舐めたりした
仰向けのとき、届くかなあと思って引き寄せたら簡単に届いちゃったんだよね
爪がツルツルしていて、親指はくすぐったくて夢中で舐めてた
それを遠くで大人があきれた顔していたのも覚えている
面白いね
うちの子も抱っこする時にわきが痛いかもだから気をつける
あるある
くすぐられる時とかも肋骨に指が入ってた痛かったなー
全然関係無いけどパパのヒゲを顔にじょりじょりも柔肌にはかなり痛かった
寝起きに話しかけてもらうの大好きだったけど、
寝起きだからこその口臭が苦手だった。
「おはよー、おかあさん」(うっ…クサイ)みたいに。
母が気にすると思い、クサイと思ってるのを勘づかれないように気遣ってた。
我が子には極力寝起きには口開けて話しかけないようにしてるけど、
起きるとすぐ顔近づけてくるから気づいてるかもw
逆にマスクしてる時は緩和されてるだろうと思ってガンガン話してるw
>>760 わかる。
うちの母親は口がウンコのようなドブの臭いがしてほんと臭すぎて嫌だった。
歯肉炎とか口腔内の炎症があったかは知らん。
姪が5歳くらいの時に、おばあちゃん口臭いって本人に言ってて私は心の中で共感してたわ。
ふと思い出した お風呂嫌いな子でした
なぜかと言うと、母と姉は太くてゴワゴワで刺さるような強い髪の毛でしたが、私は父親似で
ネコっ毛で細く柔らかで天パで量も少なかった それを母姉の毛質と同じようにゴシゴシ
力を入れて洗われると痛くて痛くていつも泣いてました
ネコっ毛の子は優しく洗ってやってください
お風呂といえば、弟が生まれて、当時3歳の自分が
台所のシンクにベビーバスを使って入浴させている母に
「そこはお風呂じゃないよ」って言ったこと
ベビーベッドを自分が使っていた頃のベッドメリーの音楽が
ディズニーのわんわん物語りに出てくる「ララルー」だったのをはっきり覚えてる
「唐紙を破くな」とどちらの祖母にも言われたんだけど
破きだすと止まらなくって、目を離した隙に破きに行っては怒られてたw
ゼロから破くつもりはなくて、破けかけているところをピーっと剥くのが面白く
その後も、机にボンドを乾かしては剥く、とか手の皮を剥くとかが好きな子になった
白いご飯が嫌いだった
ふりかけをかけたり、海苔や野沢菜漬けで巻くとよく食べられた
混ぜご飯や炊き込みご飯は大好きだったが
赤飯は小豆のほこほこした食感が苦手で先に小豆を食べて怒られてた
確か年少の頃、珍しく雪が降った
幼稚園で雪遊びをしていたのだがふとした瞬間にズボンが恥ずかしくなった
ミキハウスの赤いズボンだったんだけど、派手で女の子らしくないと感じて顔が熱くなった
そのとき初めて服装を認識した気がする
あと四歳くらいの頃、近所のおばさんに預けられた
妹と畑で遊んでいたら妹が鍬を触って遊び始めた
止めるべきかわからなくておばさんを見ると、おばさんは首を振った
おばさんは止めてねって意味でそうしたんだけど、私はわざわざ聞いたことが恥ずかしくなった
2歳くらいの時、妹が産まれるから父と2人でお留守番しててその時に赤いスポーツカーのプラモを一緒に作った
赤いスポーツカーしかあんまり記憶になくてあとは多分手で転がして遊んでただけだと思うけど、すっごく嬉しかったのはちゃんと覚えてる
激務でなかなか一緒に遊べなかったから余計に嬉しかったんだと思う
5歳くらいの時、おばあちゃんの家でざるそばを食べた
一人分ずつわけてあって、蕎麦に海苔が少し盛ってあった
よけていたわけじゃないけど最後に海苔が残ってしまった
おばあちゃんに「海苔が嫌いなら言っていいんだよ、おなかいっぱいなんて嘘つかなくていいんだよ」って言われたのがすごく悔しかった
蕎麦がメインなんだから、うっかり海苔が残るのはだめなのか?ってイライラしたけど当時そんな語彙もなく…
海苔が残らないようにバランスよく食べれば良かったんだろうけどそこまで気にしてなかったよ
この一件で「この人は私を信じてくれない…」って感じておばあちゃんが嫌いになった
>>767 言い方が悪かったのかもだけど、文章を読む限りだとおばあちゃんカワイソス
海苔が残ったからって「海苔が嫌い」「嘘をついた」と決めつけて責めるばあちゃんが悪いでしょ
嘘つき呼ばわりは酷いわ
>>769 「海苔が嫌いなら」って、仮定の話じゃん。
「……なら」の仮定、「……いいんだよ」の許容、
大人なりの心遣いが、まだ子どもには理解できなかったっていう、
そういう齟齬の話でしょ。
嘘つくって言葉には敏感なのかもしれないね
ざるそばの海苔を残すって難しくない?
それなのに残ってたから嫌いなのかと思ったんじゃないのかな
なんかごめん
ばあちゃんに悪気がなかったのも、
>>767が傷ついたのも分かる切ない話
勝手な思い込みで嘘をついてると思われたら悔しいわ
「海苔が嫌いだった?」でいいのに
そんなぁ
ばあちゃんは、もしかして海苔が嫌いなのかな?言いにくいのかな?と気を遣っているように、元の文からは読める
言い方のニュアンスが悪かったのかもだけど嫌いになるとこまで行っちゃうと、ちょっと可哀想。
>>776 「可哀想」っていうかさ、このスレは皆の昔の記憶を今の子育てに生かそう!ってスレだからさ、「こういう言い方だと子供はこう感じちゃうこともあるんだなぁ〜」って感じで受け取ればいいんじゃないかと
だよねえ
95 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2014/02/02(日) 06:05:03.79 ID:exGeC5y1
ベビーベッドの傍らで母が父じゃない人とギシアンしてた記憶が有る事。今でもたまに夢に出る。
幼いから覚えてないと思った母は、離婚原因は父の浮気だと私に言って聞かせた。
でも残念、少なくとも髭面のおっさんとリーマンの二人と絡んでたのを覚えてる。
祖父母に確認したら誰から聞いた、いつ会ったと大層驚かれた。
幼い頃は経験不足で理解が追い付かないけど
成長するにつれてあれはそういう事だったのかと分かるようになっただけ。
あんま子供なめんな。
>>779 違いない
自分も両親のヤってんの横で聞いてた
そのせいか、もともとか夜は頻繁に起きる子どもだった
子どものころ、両親の喧嘩がいやだった
泣いてパニックになってた
そんなとき、そんな意図を知らない両親が慰めに来ると拒絶した
あの頃の自分は、喧嘩に関係のない大人の保護か
喧嘩について両親が謝罪することを望んでいた
近づく両親に対し「こっち来るな」「放っておいて欲しい」って思ってた
妄想と空想はイカンよ君達
殆どは後付けの記憶
後半解説
両親が喧嘩しているという現実にすごく怒っていたんんだよね
喧嘩してほしくない、と思っていた、というか
それで、喧嘩している両親が怖かったしやめてほしかったし嫌だった
心理学でも目の前で暴言暴力など喧嘩をすることは
子どもに直接その行為を行っているのと同等のストレスが掛かるって言われている
子どもに喧嘩を見せる(見られてしまう)ということは虐待している、という人もいる
そんなわけで、パニックも兼ねて両親に対し終わり4行の反応をしていた
…で、少しでも伝われば幸いです
>>783 >両親に対し終わり4行の反応
わかる。わかりすぎる
自分も旦那には声が大きくなるから心に刻んどく猛反省だわ
あんたらのせいで泣いてんのに、何慰めに来てんのよ、
そんなことより謝罪と夫婦円満!ってところか。
幼稚園年中の頃、兄の友人宅で兄(+3歳)と同い年の男の子
その下の女の子と子どもだけで遊んだ
その兄と同い年が意地悪な男の子で
私が誕生日に買ってもらった変身スティックを
嫌がっている中無理やり取り上げた挙句壊したんだよね
言葉足らずなりに抗議して叩いて取り返して壊れたの確認して泣いた
その一部を見ていた意地悪な男の子の母親にすごく叱られたんだよね
「私はよその子でもちゃんとしかるんです!」って言ってたのむかついたなあ
年齢的にもその男の子が自分の罪を認めて説明することだってできたのに
母に自分の言葉で何があったか伝えたんだけど、母は取り合ってくれなかった
悲しくて、その家に滞在中コタツの中で拗ねて泣いてた私
この頃通っていた塾の先生も私の話を信じてくれなかった
宿題の隅にコーヒーのシミができていた
我が家では「子どもはカフェイン禁止」なので親が飲んだものに違いなかった
だから「コーヒー飲みながら宿題やってはいけません」て怒られたとき抵抗したんだよね
頭ごなしに「嘘を言うんじゃありません!じゃあこのシミはなんなの」って言われたっけ
この頃同じく、習っていたスイミングスクールで、プール内のコースの真ん中まで泳がされて
先生に呼ばれた順にバタ足で先生のもとへ戻ってくるというレッスンをしていた
自分だけ呼ばれずに先生が次のレッスンの説明を開始したとき、
呼ばれてないことを言ったんだけど、あの時も悲しかったなあ
>その兄と同い年が意地悪な男の子で
その兄と同い年の男の子が意地悪な子で
>>786 うわあスティックの件可哀想だなあ
年中の子ならある程度言ってる事分かっただろうに、相手の母親も酷すぎる。
塾?の先生も、園児がコーヒー飲むとか思ってんのかな。雪印みたいなやつでも園児に与える親はあんまりいないと思うんだけど、辛かったね。
>>786を読んだら自分の過去を思い出した。
保育園の時、4月生まれの大人びた女の子(愛ちゃん)がいた。
ある日親しくない男子から人気のない所に呼ばれて行ったら、いきなり男子に後ろから
羽交い絞めにされた。
周りをみると、同じようにされた女子がもう一人いた。
他には、男子に挟まれた女子、愛ちゃんとその周りに複数の男子がいた。
愛ちゃんは、男子に挟まれた女子に対して、羽交い絞めにされてる女子のどちらかを
逃してあげると言った。
>>789続き
その子は、私じゃない方を選びその女子は釈放された。
残された私はgkblしていたがチャイムが鳴り、何事もなかったかのように散った。
大人になってから、保育園卒業時の文集を読んだ。
保母さんからのコメント、愛ちゃんの欄には、「みんな愛ちゃんになりたがってます。
みんなの憧れ愛ちゃん」とべた褒め、3月生まれの私の欄には「甘えん坊でみんなに手伝ってもらってる私ちゃん」
と書かれてあった。
>>790続き
ちなみに愛ちゃんとは、喋った記憶がない。
きっと、クラスいち遅く生まれて頭も悪く体も小さい私が標的にされたのかなと思う。
複数の男子を手下に持ち、周りの大人やクラスメイトを味方につける愛ちゃんって凄すぎる。
今、何してるんだろう。
連絡帳みたいな個人に渡るやつならともかく、文集にそんなこと書く先生も何だかね
よっぽど愛ちゃん天下だったんだね…
確かにその子がどうしてるか気になるw
私も普通にかなり気になるw
お前等の女特有の妄想空想は続く
796 :
名無しの心子知らず:2014/02/08(土) 14:01:14.93 ID:gt0ZlMuc
友達に愛ちゃんみたいな子いるかもw
私は大人になってから知り合ったから過去のことは本人から聞いただけだけど、幼少期から男をはべらせていたらしい。
「問題に正解した男の子にはちゅーしてあげる」などと発言して、男の子を競わせていたって。
男の扱い、さらに女を使うのも上手かった。自分は出来ないから〜って何でも人に自然にやらせるの。
例えば、一緒にマックに行って、商品を同じ袋にいれてもらって、商品を受け取ったのは彼女なのに、マックを出たらはいっと袋を渡されたw
超自然だったし、苦笑いはしたけど腹も立たなかったw
今は専業主婦になりたい!との願望がかなって、普通の主婦です。
幼稚園の頃、大勢の味方をつけて女王様だったような子って、小学校も
中学年くらいになると一斉に女子にハブられて一人になっちゃってた
・・・って記憶あるけど。
違うのかな。
>>795 お前がな
男にメルヘンは無いが女にはメルヘンとファンタジーが有る。
特に最近の女は世の中の男の酷い犯罪や嫌な事を見ないで無かった事にして生きてる
>>800 そんなことはどうでもいい。
記憶にあることを書けよ。
ないならROMっとけ。
2才の時からの記憶が鮮明にある。
真夜中に目が覚めると親がいなくて、3つ違いの兄と二人きりにされた事があった。兄がパニックになって泣き叫んでるのを「何がそんなに悲しいんだ?」と思って見てた。
あまりの兄の取り乱し様に、「こういう時は泣かなくてはいけないんだ」と思って、自分はそんなに悲しくないのに兄と同じように泣き叫んでたけど、心の中ではしらけてた。
あと、当時「拍手」と「握手」の違いがわからなくて、父が「拍手」と言った時に手を差し出したらその場にいるみんなが笑った。プライドが傷ついて本当に嫌な気分だった。「かわいいねー」のニュアンスだったんだろうけど、何日も立ち直れなかった。
我が子はまだ1才だけど、幼児にもプライドはあるという事を常に忘れてはいけないと思う。
あーわかる。
結構空気読んで泣いたりするよね、幼児の頃って。
舌っ足らずからの言い間違いを笑われたりすると、何笑ってんだよ!って思ったりした。
大人は可愛いと思って笑っててもバカにされてると思うんだよね。
そうそう!別に心の傷になってるとかじゃないから、どうって事ないんだけどね。バカにすんな!みたいなね。
とにかく「子供扱い」が嫌だったんだよね、2才のくせにwww
女なんだけど、3歳頃に公園に遊びに行こうと思ってとてとて走ってたら、向かいからやってきたリーマンにニコニコされた記憶がある。
「ああ、あたしが可愛くて、あたしに気があるのね」なんて、ませたこと考えた。
今思えば、子供好きのばぁ〜っていう笑顔だったし、ほんと何勘違いしてんだって思ってる。
本当、女は小さいころから女だな!と自分で思う。
男の子産んだけど、女のコと違いすぎて正直扱いがわからん。
>>805 すごいな
私は、子供の自分にニコニコされたら、「なんでこの人笑ってるのかな?なんかいい事あったのかな?よかったねぇ!」みたいに思ってた
我ながらアホっぽいw
最近、娘がちょこちょこ走るのに微笑みかける人を見て、あぁこういう事かと思い至った
うちの場合は、娘の方が女子力高そうで戸惑いつつ、ちょっと安心してるw
女の子は世界一可愛いからな。
神が創った。
>>805 ばあーで思い出した。
ベビーカーに乗ってる弟の横歩いてたから3才の時だと思う。
知らないおじさんにばあーってされて「わたし赤ちゃんじゃないのに…」って思った。
弟は赤ちゃん、わたしはおねぇちゃんって思ってたから自分がすごく大きい子だと勘違いしてたw
あと、大人の言う「また大きくなったね、重くなったね」を真に受けてたので
祖父母にだっこされると「お年寄りがわたしみたいな大きい子をだっこして大丈夫だろうか」と要らぬ心配をしてた。
祖父母は当時50代、余計なお世話過ぎるw
生後半年の頃、お風呂に入れてもらってる時に父親が手を滑べらせて湯船に沈んだ時の記憶。
一瞬の事だったんだろうけど、すごーくスローモーションでぶくぶく沈んで、水面がゆらゆらしていました。赤子ながら、「えwちょっwww」みたいな事思ってましたね。
引き上げられて顔を拭かれてる時に父が「ごめんごめん。大丈夫大丈夫いけるいける!」とか言ってました。きっと父もテンパってたのでしょうね。わたしは泣きもせずお利口でしたよ。
お前等の無意識フィクションw
保育園の頃かな?お風呂中に喉が渇いて渇いて仕方なかった。
お風呂中に蛇口から飲む冷たい水がものすごく美味しくて、いつも飲んでた。
今から考えるとかなりゲロゲロだ…
頭が痛い時どこが痛いの?どんな痛み?って聞かれたけど、全体が痛いしどんな痛みかわからなくてイライラした。
子供の頭痛にキーンもグリグリもズキズキもわからんよ…
あと、これは小学生だったかもしれないけど…。
泣いてる時に、泣きやんでるけど息が苦しくてしゃくり上げてるのに早く泣き止みなさい!いつまで泣いてるの!って怒られるのも嫌だったなぁ。
泣きやんでるよ!でも止まらないんだよ!お前は子供の頃こうなった記憶ないのかよ!って思ってた。
子供には、抱きしめて苦しいんだよねって背中を撫でてあげたい。
そうして欲しかった記憶がすごく鮮烈にある。
>811
私の場合演技でしゃくりあげてたな(苦しいフリしてた)
やっぱり親からは泣き止みなさいって怒られたけど
もし私があの時抱き締められてたら、更につけ上がった性格になってたと思う
思えば最初っから性根曲がってたわ…
>>812 >>811じゃないけど、私も泣きすぎて苦しいとき親に「よしよし大丈夫」ってして欲しかったから子供にもそうするようにしてるけど
性格によっては逆効果なこともあるのね
うーん難しい
814 :
811:2014/02/14(金) 01:26:01.91 ID:DOl0R4M4
>>812 そうか、そういう事もあるのか…難しい…
そこは子供の性格を親が見極めて行くしかないのかな?
うちの場合は一方的に押さえつけたり、決めつけるばかりで話を聞いてくれない、って不満が常にあったからなー。
たとえどんなに小さくても、じっくり話を聞いて欲しいってのはあるね。
子供なりに色々考えてても、受け止めてくれない、って諦めちゃうから。
泣き止みたいのに怒られて泣き止めなくてよく吐いてたなーw
自分の気持ちを言葉にするのがすっごく難しかった。
怒られる時になぜこうなったの?って聞かれても、なかなか言葉が出てこなくて黙ってると「黙ってたら分からないでしょ!」って怒られて、早く言わなきゃってテンパって余計言葉が出てこないって負のループみたいになってた。
大人になった今でも両親や他の人に自分の気持ちを言う時にはすっごく時間がかかるし、それでイライラされる事もある。
だから、もし子供が黙ってたら「言いたい事あるでしょ?ゆっくりでいいからね」って優しく言ってあげるって決めてる。
この言葉は旦那と付き合ってた時に喧嘩?かなんかした時に言われた言葉なんだけど、すっごい嬉しかったんだよね。
わかるなー。違うのにって思っても上手い言葉が出てこないとかね
幸いうちは詰問する親ではなかったけど、たまに「言わなきゃ分からないでしょ!?」と責めたり、理詰めで問い詰めてるお母さん見ると、黙って下向いてる子に共感しちゃってお母さん止めたくなるよ。
>>812 こういう話すごくためになる
時には何でも子供の要求通りじゃ駄目なんだな
>>815 めちゃくちゃわかる
>>817 子供の要求通りにしないじゃなくて、嘘泣きに騙されるなって話では
想い込みフィクション
わざと泣いてても優しくしてあげてたな、私
構ってほしいことをうまく伝えられないこの子なりのアプローチだと思っていたんだけども
今3歳
私もわざと泣いた後にずーっとしゃくりあげてたなあ。
親はそういうのちゃんと察知してウザーってされてた。
仲直りしたくてやってたんだけど今思えば逆効果だったわ。
>>802 >
>。プライドが傷ついて本当に嫌な気分だった。「かわいいねー」のニュアンスだったんだろうけど、何日も立ち直れなかった。
>我が子はまだ1才だけど、幼児にもプライドはあるという事を常に忘れてはいけないと思う。
わかる。
私も幼稚園ぐらいのときに
スーパーでお母さんと買い物してて
ちょっとお互い離れたところにいた時
あ、お母さんだ!と思った人のカゴに
自分の欲しいお菓子をなげこんだら
その人違う人でめっちゃ恥ずかしかった
あらあら~みたいな感じでにこにこしてくれてたけど、恥ずかしすぎて一週間ぐらいひきずり、
今世界中で一番つらいの私だ、とか思ってたの覚えてるw
一人前に、プライドとか恥じらいとかあるんだよね
スーパーといえば
母と二人で買い物に出かけ、ひとりでお菓子売り場へ向かった
たぶん年中くらいかな
ベビースターラーメンが5連くらいになってぶら下がっていて
それを兄が食べたのを覚えていたからほしくなって
引き下げれば手に取れるタイプの陳列だと思い込んで
引き下げたらベビースターラーメンめっちゃ散って
予想外すぎてびっくりしてたら店員さんが片付けに来て
母もその騒ぎに気付いて私を迎えにきたんだけど、なぜか怒らなかったなあ
子どものころって妙な思い込みが多かった
信号渡るとき、白い線しか踏んじゃいけないとか
一度自分から引き離したお皿は食事中でも引き寄せちゃいけないとか
世の中に、全部は説明されないけどルールがあるって分かりはじめていた時期のこと
私は全部知りたかったから、周囲の大人を質問攻めしていたなあ
幾つかはよく覚えてない。歩き始めた頃かな?紐に柱で繋がれてた。当時住んでた家はド田舎の木造一軒家。無駄に床の間が広かった。その床の間の真ん中の柱に黄色と黒の紐で繋がれてた。
高校入るくらいまで夢に出てたよ。
だから、我が子にはハーネスだけは着けまいと思う。
ハーネスはそんな使い方しないよ
>>825 それ、ただの軟禁、ハーネス違う
うちの父親もそんな風につないで育てられたらしくトラウマらしい
紐で繋がれる、というか感覚が嫌なんだろうね。
>>825 涙でネズミを…
私も親が農作業中は縛られてた口だけどリュック型ハーネスは使ってるわ
まったく動けなくさせられて周りに誰もいないのと
動けるけど隣に親がいてある程度で戻されるのは全然違うと思う
今みたいにサークルとかベビーベッドとかなかった(簡単に手に入らなかった)時代はそうしないと危なくて仕方なかったんだろうね
確かに
囲炉裏に落ちて大やけどして障害を持つとか昔の話でよく聞くもんね
昔は子供の事故も多かったし、死ぬよりは繋いでおく方がましだったのかも
3歳くらいの時
私が一人遊びをしている最中に、2歳上の兄が親に怒られて泣いているのが可哀想で悲しくて私も一緒になって泣いてた
それでいつも、なんであんたが泣いてんのさwってなってそれ以上兄は怒られなくて済むことが多かった
でも家族で出掛けてる時とかに母が兄と並んで歩いて楽しそうに話している姿を見るといつも嫉妬していた
べつに兄だけを可愛がってるわけじゃないのにたまたまそういう場面を見ると「お母さんはお兄ちゃんの方が好きなんだ!」って言ってよくみんなを困らせてた
ちゃんと父と手をつないでいる時でも父ちゃんなんか眼中にないと言わんばかりにw
母が大好きだったんだと思う
小さいときの理解力は言葉通りだったなー
母が台所で「小指を切った!」といい、結構ざっくりいったみたいで
救急車だか緊急外来だかで家を出てしまったことがあった(私はほかの家族と留守番)
言葉通りに受け止めて「お母さんは明日から小指がないんだ」って怖くてしばらく母の手を見れなかった
でも、「なんだ、小指あるじゃん」って発見した記憶がないからその後はすぐ忘れたんだろうなあ
母方の祖母が、いたずらする私の気配を感じて背中を向けていても注意する人で
「後ろにも目があるのよ」と言ったことも真に受けてたw
それ私も同じだww
髪の毛のなかに目が隠れてるんだろうなと
後ろに目がある人とない人がいるのかな、大人になったら私も後ろに目ができるかなとか
怖いこと考えてたw
>>835 わかる!
そしたら小学生になって読んだぬ〜べ〜で
体中に目玉ができてくる話があって、もうしばらくそのイメージだったw
よく考えれば、ンナなこたぁねえってわかるんだけど子どもの頃は素直すぎた
837 :
sage:2014/03/07(金) 00:08:15.61 ID:eujVNw+0
幼児の時って親戚が集まって目の前で
「●●ちゃんてホントあれこれよね!」「そうそう、それで××くんてあれそれじゃない?w」「ほんと子供って(´∀`*)ウフフ」って
でかい声で会話するから、我々幼児軍団は「う…期待に背いちゃいけないな…」てアイコンタクト?で
親戚の会話どおりの行動をしぶしぶしてたw ほとんど理解できてるんだよねー大人の会話……
あと私の3歳時くらいの記憶だけど
夕飯のあとに気分が悪くなって、廊下で夕飯を吐いちゃって(胃腸が不調だったようだ)
普段ほとんど吐かない子だったので怖くなって、「ママ〜!!」って泣きながら居間に走った
吐いたショックでオシッコも漏らしてた
げろげろと吐きながら絶叫しながらオシッコ流しながら居間に駆け込んでくる私を見て母が
「そこで止まって!!!とまってええ!!うごかないでええ!!」て叫んだ
母にしてみりゃ居間カーペットがゲロまみれになるのを防ごうとしたんだろうが
幼心には「ママはゲロ吐いてる私のこと嫌なんだー!うわあああん!」て超ショックだったなw
sageれなかった…すみません
自分は3歳時くらいからの記憶しかないんだけど、その当時からいつも見てた夢があって
・すごく息苦しい暗い道から、明るい広場まで行かないいけない
・そのとき、人間の姿じゃなくて、アメーバみたいなふよふよした生物だった
・BGMはエレキベースの音?(べーーーーん……)(ずーーーーーん…)というこもった重低音がずっと。
明るい広場にたどり着くと、「キャーーー!」という高低音が聞こえて、息が楽になる
そんな夢をよく見てました
いま思うと出産時の記憶なのかな?と思うけど真実はわかりません
1歳になる頃?
人形のかぶってた帽子をひっぺがして自分で被ろうとしたら
全然入らなくて「あれ?あれ?」とすごく不思議だった。
どう見たって入るわけないサイズなんだけど、幼児には分からないんだな。
あと、居間で一人で遊んでて、母は台所で料理してた。
私が何か声を出したのか、母が振り返って笑顔で抱っこしてくれた。
そしたら口と口が当たって「あらチューしちゃったわw」と母が笑った。
その時の笑顔が、文句なしに嬉しくて幸せそうで今も忘れられない。
じゃあ「お母さん嬉しそうで私も嬉しい」と思ってたかというとそうでもなくて
「なんか嬉しそうだな〜」とだけ考えてたw
3歳くらいからの記憶しかないなあ
冷蔵庫の扉を勝手に開けないようにロックを付けられて、
こざかしい…みたいな気持ちになったとか、
父が仕事から帰ってくるのを窓際のソファに立って待ってて、
父が見えるとトーチャン!トーチャン!って連呼して飛び跳ねてたのは覚えてる
>>837さんが見ていたような夢を、夜泣きしてるとき自分も見てた。
タイヤのようなものがいくつもすごい勢いで目の前を転がってて、
音も激しいんだけど、ふと穏やかな風景になる、っていうのがエンドレス。
花の咲いた草原に小さな家があって、明るくて、ほっとしたのも束の間、
またごうごう音がする暗くて苦しい世界に突き落とされる感じ。
小学校入る前くらいまで見てたような…
母に背中をさすってもらうと楽になったなー。
大草原の小さな家…
ピノッキオ
に ん じ ん
保育園の窓辺に座り込んでいるとカーテンがふわっと捲れ、眩しい太陽の光と運動場で遊んで年長生たちが見えた。
その瞬間、自分がこの世界で特別な存在ではなく、保育園にひしめく子供たちの一人に過ぎない事を唐突に悟った。
>>844 確かおばあちゃんに、昨日より大きくなったねと声をかけられて
昨日というのを思いだして、今日という日、私、という概念がわかって
カメラが自分を中心に据えたままサーっと引いていって部屋全体を映し出すイメージで把握して
はっきり自分がわかった瞬間を覚えてる。3才すぎくらいかも
>>844 なんか文章が素晴らしいな〜。
自分がそういうの悟ったのは小学生の時だわ。
みんなそれぞれ自分が主人公の人生を生きてるんだと知った。
小さい頃靴下きちんとはかされると爪先が痛いというか気になるというか、
指が伸ばせなくて嫌だった。
たぶん2歳ごろだと思うけど、タイツとかは爪先がなければ良いのにと思ったなぁ。
>>846 私も!
忘れもしない小2の時に自分の部屋で。
ぼーっと考え事してたんだけど、人の一生というものを意識した瞬間だった。
生まれて育って大人になって、年老いて死ぬのか…と。
時の流れが怖いと感じたな。
言葉を単語で話し出したばかりの頃だから二歳位だと思う。
母が料理中で私に長ネギを見せて「これなあに?」と聞いてきた。私はネギなのはわかっているけど、「ねに」って言うと母が「めんこいねー」と喜ぶのでわざと発音を下手にして「ねに」って言っていた。
大人って騙されやすく単純だと思っていた。
ねに可愛い
なんか分かるなあ、大人の思ってるような子供っぽさを演じたりとか。
うっかりジュースとかこぼしても、やばいなー拭かなきゃ手を洗わなきゃとか分かってるのに、
それが出来る子だと知られたら叱られたりして損な?気がして敢えて幼いフリして半泣きでボーッと突っ立って、母親が「あらあら」と全部やってくれるの見てたり
今思えば昔からダラだったのかもw
2歳半の時兄が肺炎で入院して、初めて家に父と二人きりになった。
父は激務で父と一緒にお出かけとかしたことがあまりなかったと思う。
その夜、「誰ー!?この人誰ー!!?嫌ー嫌ー!」と泣き叫びながら父から逃げ回った。
冬だったから、コタツの周りをぐるぐる追いかけっこ状態w
本当はこの人は父だと言う事をちゃんとわかってたけど、困らせたいみたいな気持ちになってそんな事言った。
一晩一緒にいたらすっかり仲良くなって母に驚かれたけどw
改行変だったらごめん
いつ位か覚えてないんだけど叔母の結婚式の時に兄貴と花束渡したんだよね
おじちゃん、おばちゃんおめでとうって言ってたからおしゃべりはできたのかな?
すっごいおめかししてウキウキだったんだけど、口紅の色がオレンジだった
心境としてはえー?ピンクないの?え?赤もないの?定番の色なのにあり得ないでしょー、って感じだった
本当はピンクとか赤の方が良かったんだけど周りの皆はにこにこして可愛いねーって言ってるし
結婚式とかいまいち分かってなかったけど幼心にここでゴネたらマズイよなって思って我慢した
ここでも言われてるだろうけど子供って小さいなりにこだわりがあるし、
でも空気読んでるし我慢もしてたんだなぁと今更ながらに思ったよ
オムツからパンツに変えた時の記憶がある。
多分、3歳頃。
保育園ではトイトレする子も増え、おまるを見る機会も増えた。
私は、友達が持ってるおまるが欲しくて親にねだったが買ってもらえなかった。
(トイトレがしたいというわけではない)
共働きでダラな両親のもと、トイトレなんて一切やらず、子供ながらにいいのかなぁと思っていた。
ある日、急にトイレの使用法を教えてもらうと同時にオムツからパンツをはかせられた。
つづく
>>854つづき
パンツの履き心地は悪くなかったが、
甘えん坊の私は母親との触れ合いが減るのが嫌だった。
トイレの使用法を教えてもらう前からやり方は知っていたが、知らないふりをした。
洩らそうかどうしようか悩んでいる中、尿意を催し慌ててトイレに行った。
母親が来て満面の笑みで「できたじゃない!」と。
しまったと思ったがもう遅い。
結局、私はトレーニングせずにオムツがとれた。
その後、失敗もしていない。
私も子供に、特にトイトレをさせるつもりはない。
オムツ代はかかるだろうけど。
>>854 すごく参考になったと同時に、トイトレをしない方向でいく決意がより固まりましたw
トイレトレで思い出した
補助便座が付いてたけど補助便座の穴から絶対下に落ちると思ってて怖かった
お婆ちゃんが服装に凄く煩くて、「今日は寒いから、もう一枚〜」とか毎日のように言われてた。「嫌だ」と言っても自分の言うことを頑固に通すから、もう着せられるままで、凄く嫌だった。
布団も必要以上に着せられてた。
もうそれが鬱陶しくって鬱陶しくって、大人になった今では冬でも薄着で生活しちゃう。
後、女性に良くいるお節介な人が大嫌い。これもおばあちゃんの影響だなと思う。
幼稚園に通い始めた4歳かな?お弁当を食べたくなくて毎日2,3口しか食べなかった時期があった。
するとある日母がキレてお弁当箱の中にでかいおにぎりとさくらんぼだけという日があったのを覚えてる。
蓋を開けた瞬間のインパクトがすごかった。
その日は完食出来てそれ以降は食べられるようになった。
手の込んだお弁当が毎日減らずに返ってくるなんてさぞ落胆しただろうと今になるとわかるけど、その気合いが重かったと言うか。
母には悪いがにんじんのグラッセより焼いただけのソーセージの方が好きだったんだよね。
子供にお弁当を作る時はあまり気負いすぎないようにしようと思う。
完璧主義な子供だった
母とはうまく意志疎通が出来ていなかったのて、母はずぼらな子だと思っていたはず
例えば塗り絵をするとき、自分の中では綺麗にはみ出さず塗り色合いも完璧な理想像があるのだけど
所詮五歳の出来ることには限界があって、はみ出したり色合いが悪かったりする
そうすると理想像から外れた自分がバカで不器用に思えて苛立つ
苦しい思いをするなら結局やらない方がまし、になっていた
細かいところが気になって苛立ってた
ノートの端が曲がること、筆箱が汚れること、教室の机が真っ直ぐ並んでないこととか
母は自分の考え以外認めない類いの人なので、私がそれを訴えても受け入れられないとわかっていた
母の望むような人間になるには理想像に沿わなきゃいけないと思ってたな
誰かに完璧でなくてもいいと言って貰えてたら楽だっただろうなあ
子供が何かをしていていきなり苛立ったり嫌がったりするのには、親でも想像の届かない理由があると思う
そのときに子供が理由を打ち明けてくれるかどうかは、それまでの信頼の積み重ねなんだろうな
>>860 お弁当で思い出した。
幼稚園でお弁当のエビフライを食べていたら、
横にいた先生に「ココにエビのウンチが入ってるんだよ」って言われて
それ以来エビが食べられなくなって、今でも苦手。
成長して母親に聞いたら、背わたは必ずとってるから残ってる筈がないとのこと。
先生は軽い冗談だったんだろうけど、幼児には大ショックだったよ。
ああ、わかる。
うちも父親が下品な冗談が好きで、食べながら生卵のカラザを鼻水だのシイタケの細切りをナメクジだの言うんで
それまで大好きだったシイタケや卵かけごはんが食べられなくなった。
その癖コイツは好き嫌いが多いとかぬかす。
子供の感受性は大人のようにスレてないからこういった事は気を付けて欲しいよね。
昔から予想外の展開にパニックになって泣くところがあった
5歳の登園のときも、雨が降っていたので車で幼稚園まで送ってもらったのだけど
ドアを開けて降りた先に水溜りがあったことで、濡れたことよりも予想外だったのでパニックになって
そのあとは親がどんなに宥めても登園する気持ちに切り替えることができなかったのを覚えている
3歳くらいになった頃には、親が絶対に自分を置いていったりしないとなぜか確信していた
「世間はそういうことを許さないはず」みたいに親の義務をなんとなく理解していたみたい
それで、どんなに寄り道して親を待たせても気にしてなくて、
親が自分からわざと離れたときも絶対に戻ってくるって思い姿が見えなくても追わなかった
(親は姿を隠したら慌てて探しに来ると思って隠れていたらしいw)
あるとき、親の都合で短時間ホテルの一室に子どもだけにされたことがあった
ホテルのある建物に親はいて、時間はもう夜とかで、部屋にはみっつ違う兄と弟と一緒に居た
多分兄が、誤って部屋の有料チャンネルを押してしまった
そこにあるものが何かはよくわからなかったけれど、子どもなりに興奮してしまい
親が戻ってくる頃は全員全裸だったのを覚えている
>>862>>863 自分はいらん事を言った側だわ・・・
小学校低学年の時、たちの悪い冗談を口にする癖があった私は
4つ年下の幼稚園の妹にお吸い物に入っていた薄切りの椎茸を指さして
「ナメクジが入っているよ♪」と言ってしまった。
妹は数秒置いてから、口に入れていた椎茸をうえっと吐き出し
それ以後妹は一切椎茸が食べられなくなってしまった。
言った直後から「しまった!」と思って下手なフォローを入れたような記憶があるけど
取り返しがつかず、姉妹とも30歳を越えたいまも
妹は飲食店で椎茸のだしの臭いがしただけでも気分が悪くなる重度の椎茸嫌い。
素直で優しい妹なのに。ひどい事をしてしまったと今でも後悔してる。
変態さんを喜ばせたいわけじゃないんだけど
小さい頃、おまたをティッシュで拭くと、濡れたティッシュがこびりつくのが嫌だった
親がおまたの洗い方を丁寧に教えなかったので、結構汚かったと思う
というのを、ブラジリアンでツルツルにして思い出した
子には丁寧に教えるようにするわ
3歳か4歳くらいのころ、母がアイロンがけの準備をしていて触ったらダメだよ!と言ってからどこかへ行った。
「ダメなのかーなんでかな?よし、触ってみよう。」と思った私は湯気が出てるアイロンにベターっとタッチ。母が私を抱き抱えて走って台所へ行き、流水で冷やしたのを覚えている。
同じくらいの時に、ミシンを使ってる母の横にいてミシンのぐるぐる回ってる部分に指を突っ込んだこともあった。
2つとも熱いとか痛いとか感覚は覚えてないけれど、どうなるんだろうという気持ちと慌てた母のことはすごく覚えているなあ
>>867 私も同じ動機で、カッターで手を切ってみたよw
痛いの意味、よく教えなくちゃいけないよね
私も父の髭用のカミソリで髪の毛を切ってしまったことがある
どう切れるのかが気になったけど
自分には髭はないから髪でって感じ
「あんたバカじゃないの?!」て母に叫ばれたのを今でも覚えてるわw
多分年少くらいだった気がする
私も手の水かき?をホチキスで綴じてみたり刃が出てきたカミソリの刃を戻そうと
指で押したらパックリ切れて大量に出血したり
炊飯器の蒸気に興味を持って手を押し付けて火傷したり
シャープの芯を出し入れして遊んでたら指に刺さって未だに指の中に入ってるw
椎茸つながりで思い出した。
うちの父が椎茸が嫌いで、私が小さい頃「お父さん椎茸の匂いがダメでなー。昔これで吐いた事があるんだよ」と何度となく聞かされた。
おかげで「椎茸=臭い=おいしくない」と刷り込まれてしまい大人になるまで食わず嫌いでずっと避けてた。
母も食わず嫌いの人でアサリ以上の大きい貝も食べずに育った。他にも色々あった気がする。
しかし社会人になってお酒を飲むようになってから椎茸も貝も克服したなー。
親の影響って大きいよね。旦那がタマネギ、ピーマンなどなど嫌いな物が多いから子供には極力言わないでおこうと思う。
>>867 わかる。扇風機に指突っ込みたい衝動に駆られて血だらけになった。
妹は、ベランダに干してある布団によじ登って日向ぼっこしてたな。
我が家は4F。母に知らせた後、血相変えて妹を引きずりおろしてた。ホント子供って、血の気が引く事ばかりやるもんだと思う。
息子がこれから、そんな事やる様になると思うとクラクラする。
>>親の影響って大きいよね
そうなんだろうねー
うちは父親が漬物嫌いなこと自分が結婚するまで知らなかったよ
旦那のうちは「あれ嫌い」「これ嫌い」なうちで、親戚の子たちも好き嫌いを恥じないんだけど
親が好き嫌いあると余計正当化しちゃうよね
でも、酒飲むと食べれるようになるってこと、意外だけどありそうで期待
自転車の前輪に裸足の親指突っ込んだなぁ〜
指にホッチキスも差したことあるし
画鋲ふんでみたこともある
何だろうね、あの止められない止まらない好奇心
私が2歳半の時、親が家を新築した
空き地を何度も見に行き、そこにある日突然家が出現したような記憶がある。
一番印象的なのは、父が芝生を買ってきて黒土だけの庭に植えてるシーンなんだけど、
普段は温和で動じない父が、妙にテンション高く独り言を言いながら芝生のレイアウトを考えていた。
新しい家で私と兄は家中走り回って喜んでたが、
父はそれをただニコニコ見てるだけのような人だったから、なんだお父さんも嬉しいんだなって思った。
あと同じで、6才くらいだけど家族で初ディズニー行ったとき、
出不精で行楽地とか嫌いな父が、すごく嬉しそうにスペースマウンテン乗ってた。
私ももちろんそれまでの人生で一番スリリングな乗り物に大興奮だったが、
嬉しそうな私を見て嬉しくなる父を見て更に喜ぶ私、みたいなとにかく興奮が無限ループしてる感じだった。
その後ディズニーは何度も行ったが、あれを超える楽しさはもうない。
>>875 いい思い出だね!ほっこりした
嬉しい時は出し惜しみせずに体現することにしようw
>>875 私も同じ歳の頃ディズニー行った
あまり休みが無く一緒に出かけるどころか顔を合わせることも少なかった父が、取引先の付き合いでプレオープンに行って「これは」と思って休みとチケット取ってくれたみたい
入った途端、こんな世界があるのか!と驚き、次はこれ、次はこれ、と色々並んで乗せてくれる父の姿が嬉しかったし一番の思い出
こないだ2歳児を連れて行って、あぁあの時の場所に自分の子を連れてきたんだなと感慨はあったけど、やっぱり5〜6歳で初めて連れて行く方が感動はあったかもと思う
幼稚園児位の頃はとにかく父は朝早く夜遅く土日仕事で顔を合わせる事が少なかった
出かける父に「また来てね」と言った時に母がコミュニケーション不足を痛感して日記帳を買ってくれて、父と交換日記してた
今見ると全然読めない字で、何とか解読しても「タコのダンスをしました」とか書いてあるのに、父はきちんと返事をしてくれて、毎日読むのが嬉しかった
今は旦那は定時で帰ってくるけど、コミュニケーションの取り方は色々あるんだなと思うし、日記帳買ってくれた母に感謝してる
連投スマソ
子供の頃、親類からの定番の質問、「今いくつ?」が嫌だった思い出があるな〜。
少なくとも三歳の頃には嫌がってたわ。
第1子でかまわれ過ぎくらいにかまってもらっていた私は
何人もから同じ質問をされると、「またかよ。面倒くさいな。本当は何歳か知ってる癖に
何でわざわざ聞くんだよー」と思いつつ嫌々答えてた。
しかし親が忙しくなり、アピールしないと構って貰えなかった妹は
そういう「答えは知ってるけど話をつなぐために聞いてくる質問」に答えるのが上手で
質問の答え+大人が喜ぶようなしぐさを付けたして相手を喜ばせてた。
この手の質問は苦手な子も、むしろ得意にしている子もどちらも居る
って話でした。
うちの姉妹と全く同じだー
5歳の姪に初めてうちの0歳児を会わせた時、
何度も赤ちゃん何才?って聞かれたんだよね
何も気にせず、0歳だよー小さいんだよーって答えてたら、
そうだった何回も聞いてごめんね、びっくりして忘れちゃうの
って言われたことがあってさ
なんで謝られたんだろうとずっと不思議だったんだ
姪もしつこく歳聞かれて嫌だなあと思ったことがあるんだろうね
連投ごめん、すっきりしたものでつい
883 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/04/27(日) 09:36:15.26 ID:5oZ/b4F7
幼児の時なんか何歳って何回聞かれたって嫌がらないよ幼児は。
女児の言葉じゃなくて指でぽわーんと答えるの超かわゆすw
私は歳聞かれるの嫌だったなー。
嫌だから、口で言えるけどあえて手で表現したり恥ずかしいふりして
答えなかったりもした。
あと、「お父さんとお母さんどっちが好き?」
って質問もよくされて、またか・・・、くだらねー。とか思ってた。
同じく
>>886 3歳の子にどっちが好きか聞いた時、素っ気なく「どっちも。」って言われたのはそういう事だったのか
うちの妹は
「お母さん好き!でもお父さんも好きだし〜、あ〜選べない!」
とかわいいこども風
私は
(お母さんすぐヒスるし、でもお父さんもどうでもいいことだキレて怒鳴るし、どっちがマシか、うーん)
とか思ってたw
>>886 >あと、「お父さんとお母さんどっちが好き?」
>って質問もよくされて、またか・・・、くだらねー。とか思ってた。
うんざりするよね
心の中で(どっちも好きって答えるのがウケるんでしょ、でも言わされ感あるしなあ)とか思ってた
私は母から両親どっちも好き!と言うように教育されてたw
ずっと誰が1番好き?って問いに対して、
兄(2人兄妹だった)と答えるようにしてたな
でも特に兄が好きだったわけではなく、無難だから選んでただけ
大人になってからの跡付けの記憶改正によって捻くれた過去や大人びた記憶に転換するスレ
後付け
おむつ外れる前だから2歳くらいだと思うけど
う○こする時、カーテンにくるまるか、冷蔵庫開けてふんばってた
なぜだかさっぱりわからないけど
冷蔵庫の中にあった養○酒がベトベトで汚かったな
895 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/05/18(日) 12:44:25.44 ID:VkiySi5i
(((((((/⌒彡
/ 冫、 ))
/ ~ヽ O , (((( ティモテ
| \ y )))) ティモテ〜
| 謙 一つ))つ なんか不調ねー
|、ー‐ < (( 脱糞脱会してよかったわ そうょ
/ ヾ \、
// しヽ_ rc_ba llade_pour_ade line@soft ba nk.n e.j pppppp?
Or
_ rc_ballade_pour_adeline@gm ail.com?
_ rc_ballade_pour_adeline@yb b.ne.jp?witch??
え、? どれなの?天国行きのPassport入るmアドレスって....
896 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/05/19(月) 20:34:18.77 ID:u/PML6MU
自分はお空きれいだなぐらいしか考えてないアホな子どもだったから、みんな考えてたことが大人っぽくてびっくりした
幼稚園か小学生ぐらいの時、母親の友達の親が経営してる居酒屋にいったことがある。
二階に家がある作りだったから、昼間は二階で母の友達の部屋で私のためにと出してきてくれたブロックで遊んだり、飼っている黒い犬の顔が怖くて固まってしまったり。
おいしい焼き鳥と瓶のオレンジジュースを飲んだ後は、居酒屋独特の炭の匂いにつつまれて、母の楽しそうな話し声を聞きながら母に抱かれて微睡んでいたのが今でも覚えてる。
あの何とも言えない非日常感とちょっぴり大人の仲間入りをしたような、そんな気分はもう味わえないんだろうな。
幼稚園の頃欲しいものがあると買ってもらえないの分かってるのに、地面に寝そべって大泣きしていつも暴れてた。
習ってたスイミングも嫌で大泣きして暴れてた。先生に無理矢理着替えさせられてたなぁ。
四人姉妹で私だけこんな子だったから、もう生まれ持った性格だったんだろうなと思う。
小学校入ったら落ちついた。
姉妹皆お喋りだけど、今は姉妹の中で私が一番静かだー。
可愛いね姉妹は。
女児が暴れてても可愛い。
はー出たよ未来の勝又
逆やで。
女児や女の可愛さで癒される。
わしが死んで欲しいのはキモアニオタとかAKBオタとかのキモ二次元達
一緒だよバカじゃねーの
気持ち悪い
餌を与えるな
>>901 どこが一緒や
お前
他スレで気に食わなくてID検索してここに書いた様な感じやな
こんな過疎スレで
キモストーカー
キモ
とにかく
こういうキモはやたらレスが速いのが特徴な基地
904 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/06/11(水) 06:33:08.05 ID:cY/y2M4y
思い出
私には二歳年上の姉がいる。
当時私達は幼稚園児
私は幼稚園大好きっこで開門時間15分前からスタンバッてた。
もちろん母と歩いて登園し、母は一度家に帰り姉と普通の時間に再度登園してた。
今自分が二児の母になりめっちゃ面倒かけてたなと反省した。
>>904 ごめん釣りにしか見えないw
色々と無理がある
>>905 祖父母と同居で幼稚園の近くに住んでれば可能じゃない?
うちの園に実際に時差登園してた兄弟いるよ。
早く行きたがる上の子と、行きたがらずに泣く下の子を一緒に連れて行くより、
別々に連れて行った方が楽だったからって。
>>906 まさにその通り
同居で幼稚園まで5分くらいかかった。
姉は朝ごはん食べるのが遅いからいつも私がさっさと行っちゃう。
自営業だった為、父と母で姉妹別々を送ったりもあった。
幼稚園の頃。
店で目に止まったおもちゃを、軽い気持ちで「欲しいなぁ」と言ってみたら、母がはっきりと否定しなかった。
ので、押したら買って貰えるかも!?と期待して、買って買ってとプッシュしまくった。
でも結局買って貰えなかった。
そのおもちゃは大して欲しく無かったのに、「こんなに欲しいと言ってるのに買ってくれない!」に思考がすり替わって、後に引けずジタバタワーワー泣き叫んだ。
母がこちらを見ずに生返事で「そうね〜」「またでいいでしょ〜」等と言ってたので、こっち向いて欲しくて、要求を聞いて欲しくてあらぬ方向に行ったのかも。
というわけで、息子の「買って」攻撃には、一言目に目をまっすぐ見て「今日は買わないよ」と強めに言うことにしてる。
効かない時は何したって効かないけどね。
3歳くらいの時、市民プールに姉と親と遊びに行って、姉と遊んでたら、男の人数人にお尻触られた。
姉や親が見てないところでやられて、何度払ってもやめてくれなくて、姉に相談したら「ほっときゃいいのよ」って言われて守ってもらえなかった。
親には怖くて言えなかった。
それ以来かなり大きくなるまで男性不信だったし未だに親や姉のことは信頼出来ないでいる。
小さい子なら覚えてないだろうと性犯罪する奴、私はちゃんと覚えていたよ。
お腹空かないって少食っ子の話はあったけど、食いしん坊はどうなんでしょう?
やっぱり食べても食べても腹が減る!!って感じなんでしょうか?
うちの息子が(1歳半)吐く程食べたがるので気持ちを知りたいです
910さんのごはんおいしいんだね?
子供の頃、ジップアップの服が嫌いだった。
金具が肌にあたるひゃっとした感じとか、ファスナーを上げる時に肉を挟みそうで怖かった。
姉妹だったから服はいつでもお下がりだけど、姉とは仲が悪かったからそんな人のお下がりも嫌だった。
ある日母が出してきた服がジップアップのジャンスカで当然お下がり。
死に物狂いで抵抗したけど頬を張り飛ばされて呆然とした隙に着せられた。
脱ごうと抵抗したらランドセルと一緒に玄関から放り出され「さっさと行け!遅刻するでしょ!」と言われた。
この時の事が忘れられなくて今でもジップアップの服は着れない。
母はその事を忘れてるようで「執念深い!蛇みたい」と言う。
自分の子供はあまり好みを言わないけど、買う前には一度「これ、どう?」と確認するようにしている。
>>913 わかる
自分も幼稚園の時ジップアップのジャンパーが嫌いだった
幼稚園で先生に泣かれたことが一番古い記憶かなあ
どうしてか自分でもわからないけど幼稚園に行くと声が出なくなって全く喋れなくなる子だった
先生は必死に私を喋らせようとしてたけど終始無言の私にどうして喋ってくれないの?って怒りながら泣いてた
私は先生を泣かせたいわけじゃないのにどうして声が出ないのかな困ったなと思って先生を見てた
先生が座ってたピアノ(オルガンかも)の黒い椅子が妙に印象に残ってる
緊張とかで声が出なくなる子がいるらしいね。
話せないだけでなく動けなくなったり。
家に帰れば普通らしいから、障害とかではない。
その後話せるようにはなったんですか?
>>916 幼稚園では結局喋れないままで小学校上がってからちょっとずつ話せるようになっていきました
親に外で喋ろうとしないと皆に見捨てられて一生ひとりぼっちになるぞとおどされて何とか喋ろうと子供なりにかなり努力しました
人見知りと言うか内向的なのは大人になっても変わらないです
そういうあがり症?があると、前にテレビで見たよ。アンビリバボー的なやつだったかな。
家では普通に喋られるのに、外に出た時や自宅にお客さんが来た時だけ喋られなくなるっていうの。
親は幼稚園の先生から全く喋らないと報告を受けて、そこで初めて知ってびっくりしたとか。
対策として、家で喋っているところをビデオに撮って、それをクラスメイトに披露したら少しずつ喋られるようになったんだったかな。
915さんは、親に脅かされつつ、自力で克服したなんて、まだ小さい子供だったのに過酷だったね。
場面緘黙症だね
緘黙(かんもく)、私も最近初めて知ったんだけど、昔はもっと知られていなかったのかな
先生もこんなに一生懸命やってるのに結果が出ない、自分の何かが足りないのか?という思いを
あなたにぶつけてしまったのかな
私も子にそういうこと思って怒ったり泣いたりしたことあるよ
反省して気をつけないといけないと強く思った
親御さんも緘黙の知識がなく、家では喋れるんだからわがままとかでしゃべらないと思い込んでしまったのかな
小さいうちでは説明もできないし
本当によくがんばったね
私も子の気持ちをよく聞いてあげないと
うまく言えなくても子の味方にならないと
実際そういう親になるのがなかなか難しいんだけど
弟が亡くなった時だから、3歳の時。
お葬式が終わって、火葬場に行ったところから覚えてる。
歩けるし、眠い訳じゃなかったけど、お骨になってしまったのを見たくなくて
ずっと父に抱っこしてもらって寝たフリしてた。
暑くて、本当はくっつきたくないのに、
目をつぶって立てないから、必死にしがみついてた。
弟の記憶はほとんどないのに、そこだけ鮮明に覚えてる。
親に話せないから、このスレで吐き出しごめん。
弟さん、病気だったのかな
三歳位の断乳日は鮮明に覚えてる。
今からおっぱい終わり!わさび塗ったから辛いよ!ダメ!と言われ、この世の終わりかと思うくらいショックでずっと泣いてた。
既に母乳は出てなくてお風呂上がりだけ吸ってたらしいけど、いつも当たり前に吸えるおっぱいが急にもらえなくなり大号泣した記憶がある。
習慣の一つてのもあるけど、安心&甘えTIMEが急になくなって嫌イヤいやぁー!て感じ。
私はもう大きかったけど、やっぱり言い聞かせって大事だなと思った。
小中学校で全然しゃべらない子がいたりしたけど、そういう病気?だったのかもな。すごく不思議だったからスッキリした。
保育園のころ
近所の公園で友達とブランコに乗って遊んでいた
その日は雨上がりで、ブランコの下のくぼみに水たまりができてた
何かの拍子にバランスを崩して、ブランコから落ちて、顔半分が泥だらけに
家がすぐ近くだったので急いで家に帰ったら、私の顔を見た母親に大笑いされた
子供心に「私は転んで泥がついて大変だったのに、何で笑うんだ」と酷く傷ついた覚えがある
子どもが生まれて外で走り回るようになって、母が笑った気持ちも理解できたけど
もし子どもが同じようなことになったら、笑わずに対処してやりたいと思う
小さい時(3歳くらい?)、やたらお手伝いをしたいブームがあった。
でも、母は私にやらせるよりも自分でやった方が早いからとやらせなかったばかりか迷惑そうにあしらわれた。
それがショックで、二度と手伝いなどするものかと誓った。
習慣とは怖いもので、大きくなってから手伝いを頼まれても全くやる気もおきず、手伝いをしない事に慣れてしまった。
母も大変だっただろうと思うが自業自得とも思う。
娘ができ、手伝いをしたがったら、面倒でも積極的に手伝わせようと思っている。
保育園でも言われたけど、やっぱり関心を持ってやりたがった時にやらせてあげるって大事なんだね
危ないことやいけないこと以外は
ベビーベッドでメリーを見ていた記憶がある
ぼんやりした景色の中、赤と黄色と白のものがあって、たまに回る
回らないかなーと思いながら見ていた
回ると嬉しい。目が離せなくなる。止まっていてもじーっと見られるから嬉しい
家族が時々覗きにくるけど、そうすると家族の頭でメリーが隠れて見えないから、早くどいてって思っていた
頭で隠れるとかはわからないけど、顔がくるとメリーがなくなるみたいに感じていた
しばらくしたらメリーはどれだけ待っても動かなくなって、そのうち撤去された
なんでなくなったの、また見たいーと思うけど何も言えない
それからは視界は茶色の天井だけになって物凄く退屈だった
動けないからそれしか見えないし
この記憶があるから、子供には赤ん坊の時から色々な色のといっても原色の玩具を見せていたよ
でも顔も沢山覗いてしまった、かわいいから
929 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/04(金) 12:41:00.71 ID:1V9MRAjt
「早くどいてって思っていた」
「でも顔も沢山覗いてしまった、かわいいから」
巡る因果の愛おしさよ
二歳ちょうどくらいの記憶。
母が妹を妊娠して、つわりピークのころ。
狭い社宅に住んでて、母が食事のあとにトイレでマーしてる。
おいかけてって、自分もおえおえなりながら、背中をさすってあげてた。
赤ちゃんくるって大変なんだと思った。
あと、妹が産まれた時の新生児室。嬉しかったなぁ。
優しいなあ。超いい子!
あなたみたいな人間性が自分にあればよかった
私、子供の頃は母親や父親とか、他の人間の大変さとかが実感としてわからなくて
いつも自分一番で、ちょっと冷めて生きてた気がする
「かわいそうね」って言われても、そうなんだーって文字面だけで理解して、本当の可哀想さがわからない感じ
物心付くころには、泣き出すと何時間でも泣く体力のある頑固な子だった
泣く理由も自分では「普段こんなに我慢しているのにこんな自分の希望も通らないのか!」という怒り系
これ以外の状況でも泣いた後は顔がベタベタして気持ち悪くて、拭いてさっぱりしたかったけど
大概泣き続けたせいで大人がうんざりした顔をしていたので今更そんなおねだりできないと思ってた
母は、こんな泣き続けた私を抱きしめて落ち着かせようとするタイプだったけれどそれこそが嫌で泣いた
自閉気質とかでは全くなかったんだけど、抱きしめて身動き取れなくて不愉快だった私がしてほしかったのは
ただ共感して話を聞いてほしかっただけだった
というわけで、自分の子どもには泣いたあとあったかいタオルで拭いてあげたりしている
ウワーって泣いて大暴れしているときも、嫌がったら抱き上げないけど側にはいてみたり
家族にかまって欲しくて2段ベッドの下に隠れた7カ月の夜。
後から聞いたけど、割と大騒ぎさせてしまったらしい。私は探してる家族の影を見ながら出て行ってはやらないよって考えてたな。最後は姉にみつかったらしく、私の武勇伝か。
>>928 私も一番古い0歳児の時の記憶がメリーだ
赤いメリーが回ってるんだけど、電池が切れかけてるのか音もわまり方も変で、早く止めて欲しくて怒ってた
とにかく音が気持ち悪くて仕方がなかった、大人になってから絶対共感が原因って分かった
泣いてるからメリーつける→怒ってよけいに泣く
で、親は不思議だったらしい
だから、子供にメリーやら音のなるオモチャをあげる時に、好きな音か何となく確認してからあげてる
絶対音感の間違い?
>>935 音感じゃなくて共感なんだよ
音が色とか絵、風景にみえるやつ
皆そうなんだと思ってたけど、大人になって違うんだって気づいた
レコードの音楽かけていれば、騒がないし大人しくベビーベッドにいる子だったらしい
だから、メリーつけると騒ぐのが不思議だったんだって
>>936 それは共感覚とは別?
私は文字が色付きで見えた
へー!初めて聞いた!
ありがとう
共感覚のことだよね、きっと
シナスタジアだっけ?
ジャンプの漫画にそんなのあったなぁ
1歳前後の頃
鼻の中に食玩具のミニカーを入れてみた
入るかな?と思ったら、入ってしまい、取ろうと思ったら取れなくなって、忘れてしまった
(違和感はあったけど)
母親がオムツを交換しようとした時に見つかり、即耳鼻科に連れて行かれ、先生や母親に押さえ付けられて取った記憶がある
あと、ポップコーンの豆を鼻に入れて取れなくなったこともある
息子の鼻はいつもチェックしている
子どもの時車のドアに手を挟んだことがある
開閉する扉側は挟まれないように気をつけていたんだけど
反対の手をドアの軸側に置いていたせいで、そりゃあもう色が変わるほど指を痛めた
そんな記憶もあって子どもにはドアを動かすとき細心の注意を払っている
鼻にミニカーとか怖すぎる!
自分の記憶は幼稚園年中くらい?だけど
父とお風呂に入ると身体の洗い方が雑で痛くて嫌だった(特におまたとか、タオルで乱暴に洗われてた)
今、子と入る時はできるだけていねいに洗ってあげている
945 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/08(火) 22:13:32.75 ID:YJL9AeE2
946 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/09(水) 00:40:18.24 ID:KgIdqfl8
鼻の穴にコーンを入れるくだらないTV番組をつけていたら、
熱心に見入っていた息子3歳が「俺も、鼻にコーンを入れる!」
と張り切りだして焦った。
うっかりTVも見られません。
947 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/09(水) 00:42:13.52 ID:KgIdqfl8
自分は女だったから、3歳のころはもうちょっとしっかりしてたな。
948 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/09(水) 01:03:16.63 ID:Rb3IOreT
性別由来じゃなくてパーソナリティ由来だから
現代ではあまり役に立たなさそうな記憶だけど。
たぶん3歳前。
デパートの和式トイレで、いつものように抱えられかけたところで
「自分でできるかやってみようか?」と降ろされ
えっ?と戸惑いつつ用を足したら「できたね!」と褒められ
それ以来抱えられて用を足すことはなくなった。
甘えん坊だったので、突然「大きい子」認定されたことがちょっと寂しかったな。
最初の記憶は、母に連れられてお買い物に行くところ
途中、いつも茶色い柴系の雑種ワンコがいて
そのワンコに会うのが凄く楽しみだった
わんわん!って指差して近寄って、でも怖いでも好き、みたいな記憶
ある日、ワンコは車にひかれて死んでしまって、なぜそこにワンコが居なくなったかわからなくて
しばらく、お買い物に行く度にワンコがいないか確かめたのを覚えてる
1才3ヶ月頃の事
1才10ヶ月の記憶
母の入院で、暫らく親戚に預けられた記憶
朝ごはんは母がいつもしてくれたように、お箸で味付け海苔をクルッと纏めた小さなご飯を、リンゴの形のガラスの器に盛って欲しくて
一所懸命に説明するも伝わらず、きちんと手で握った小さなおにぎりが出て来て、一口も食べなかった
でも、お皿は希望通りだった
20日程で父親が迎えに来た時、顔を忘れてしまっていて、怖い人にさらわれると思って、嫌だと泣きじゃくった
自分がその家の子供じゃない事は分かってたけど、親の顔は忘れちゃったな
この時以降の記憶は、もうしっかり色々鮮明にのこってる
物心つくのがめちゃくちゃ早かったみたい
今や、痴呆症かと思う程なんでも忘れてしまうのに・・・
2.3歳の記憶
おばあちゃんは遊びに行くとよく俵のオニギリを握って出してくれた
正直味はよくわかっていなかったけど感覚で美味しいと感じていた
その時期からすぐ亡くなってしまったのだけど最近母とおばあちゃんの話をしてて「あんたはよくおばあちゃんに可愛がってもらってたよ。おばあちゃんも◯◯(私)がオニギリを美味しいと言って全部食べてくれたと話してたよ」
小さいながら愛情というものを肌で感じていたんだなと思った
1歳前後の記憶。
よちよち歩きできるようになったのがうれしくてむやみに家の中を歩き回っている記憶。
その時母の姿は見えなかったから、隣の部屋で家事でもしてたのかも。
足もまだおぼつかないから、ビデオが手ぶれしたかのように視界もブレブレ&ガクガク。
その時の、ただただうれしい気持ちをいまだに思い出せる。
へー!視界も揺れるんだ!
それはけっこうな冒険だね。
ものすごく怖がりで慎重な上の子が、伝い歩きからなかなか
一人歩きに移行しなかったのが、今更ながら納得。
思い切りのいい下の子は、歩けそう?となったらすぐ歩いて
数歩で尻餅つきながらも、ものすごく楽しそうだったな。
おそらく3歳くらい、父と夏祭りに行ったとき、スーパーで小さいソフトクリームの形のアイスを買ってもらった
途中まで食べた頃にちょうだいって言われたのであげたんだけど、父が私をからかう為に、アイスをコーン部分まで全部口にいれてしまった
正直あんまり美味しくなくて飽きてたし、別に食べられちゃっても良かったけど、
なんとなく泣かなきゃいけないような気がしたので、頑張って悲しい顔して泣いた
父のよだれでべちゃべちゃのアイス返してもらったけど、全然嬉しくなかった
こんなふうに内心ものすごく冷静でドン引きしてるのに、空気読んで子供らしく振る舞っていた記憶がいくつかある
結局自分の気持ちが言えない、嫌でも断れない人間になってしまった
小さい子供が子供らしくなんて概念は無いけどな。
大人らしくだって大人になったって解からないのに。
>>942 一歳九ヵ月になったけど
なんでそんなとこ触るんだよ!危ない!ってとこに手をやるね
殆どの記憶は大きくなってからの補足記憶。
>>957 頭悪いのかな。
生き物は皆そうやって学習していく。
多分5才頃の記憶
当時の私はハローキティが大好きで将来はキティちゃんになるのが夢だったんだけど
キティちゃんの体重がリンゴ3つ分だって事を知った時に
“リンゴ3つ分って事は私の体重より遥かに軽い。私もこんなに軽くなるのは無理だから私はキティちゃんにはなれない”
って悟って絶望した記憶がある
その後多分5才の誕生日記念にピューロランドに連れて行って貰って園内で着ぐるみのキティと遭遇した時に
母に「本物のキティちゃんだよ」って言われたけど、身長がリンゴ5つ分で体重がリンゴ3つ分なはずなのにやたら大きいし鼻は金色だし手足長いしで
「これはキティちゃんじゃない!」って思いつつとりあえず握手してもらったけどなんか夢が壊されたみたいですごく悲しかったのを覚えてる
ピューロランド自体は楽しかったけどなんか悲しそうにしてる私を見た親の困惑した表情も印象深かった
七五三で化粧をされたのがとても嫌だった
せっかく可愛い着物を着せてもらったのになんで唇をこんなに真っ赤に塗るの!?って思って、悲しくなって泣いてた
うまく理由が説明できなくて悔しかったな
>>960 〉将来はキティちゃん
めちゃくちゃ可愛いw
ピューロランドの存在を認識したのがけっこう大きくなってからだったから、
キティちゃん手足長っwwwでかいwwwって思ってたけど、
純粋な子供はやっぱり悲しむよね…
私も化粧されるの嫌だったなあ
美空ひばりみたいなオレンジ色の口紅が嫌いだった
多分2歳頃
よくお父さんとお母さんどっちが好き?と両親から聞かれ、本当はお父さんだったけどそれは言っちゃいけないと分かってたから「おんなじ」と答えてた。
でもあまりにしつこく聞かれるし、内緒にしてくれるというからそれぞれに「お父さんだよ」「お母さん」と答えた。
それで2人が喜ぶなら、別にいいと思った。
ある日両親が他愛ない口喧嘩をしてるとき、「⚪︎⚪︎ちゃんはこっちの味方だよね!」という発言から、両方にいい顔してたことがばれた。
内緒にするっていってたのにとんでもないやつらだと私ドン引き。
コウモリ人間とか散々詰られ腹が立った私は、両親に私が兄と私のどちらが好きか問うた。
私は両親も違って内緒に出来るし、兄はこの場にいなかった。
2人を喜ばせようとした私の気持ちに免じて、私の方が好きと答えてくれるかと思ったら、
「お前は賢い子だなー」と2人でのらりくらりと躱し、終いには比べられないよと言った。
人には求めるくせに、なんて卑怯なんだ。これだから大人は…と本気で腹が立った。
今同じ年頃の娘を持って、これくらいの思考は持てるんだよなあとしみじみ思う。
>>963 めちゃめちゃわかる
私も、2歳じゃないけどほぼ同じことがあった
2歳でそこまで考えられるんだ、すごいなー
うちにも3歳児がいるから言動に気をつけねば…
すごいわかるー
持っている本に「大人が試す質問を子どもは嫌がる」ってあるんだけど
子どもの頃、大人が答えを知っているものについて試すような質問されるのが嫌だったなー
あと、当たり前だけど、親の言う悪口も親への悪口も心地悪かった
三世帯同居だったからいろいろお互いにあったんだろうけどそれでもね
またそれを悪気なく伝言しちゃって、余計に角立ててたことに最初は気付かないしさ
4歳くらいかな
ワンピースを着た女の子絵を描いていて、
上から順に書いていたら最後スカートから出た脚の位置がずれてしまった
横で見ていた叔母やいとこに「変だよ」と突っ込まれたんだけど
プライドなんだか意地なんだかで修正できなかった
「いいの!」の一点張り
私も子どもが楽しんで書き上げた絵にちゃちゃ入れるのはよそうと決めてる
>>963 2歳の、赤ちゃんに毛が生えた位の人間にコウモリ人間なんて暴言吐く親に衝撃
普段夫婦の会話もなく、両親が互いに963は自分の味方って思ってたのかな
大人が本気になって、こっちの味方って言ったくせに!ってなじってきたら怖い
968 :
963:2014/07/11(金) 06:11:11.56 ID:aVvqOkgx
>>967 いやいや、それはゲスパー
父は子供にはまったく役に立たない言葉を教えたがる風があったよ。
「そういうのはコウモリ人間って言うんだよ」みたいな。
両親は今でも仲のいい夫婦だよ。
この時のことは今でも笑い話になってるな。
まあそれだけ小さくても、うざい、可愛げがない子、気持ち悪い子とか
そういう暴言は理解してるし、場合によっては恨むかもね。
>>968 え?自分でコウモリ人間と散々なじられたって書いてますがな…
>>969 夫婦の会話もなく〜の下りがw
散々詰られっていうのは流石に子供に対するレベルだよ
お母さんの方が好きでしょうがー、お父さんじゃないのかよー
この間言ってたのはなんなのよー程度
一気に私が悪者だし、ついでに無礼なことも言われるし、
いついつもこうだったとかそれなんで蒸し返すかなーとか
当時は本当ムカつくってたけど、
大人は大した悪気はなく秘密を暴露したり、
それ人格否定だろって言葉を口にするんだよね
いやあ…この流れで思い返してみたけど、
うちの親は子供の前では決して陰口をたたかなかったし
秘密だと言ったことは少なくとも表面上は秘密を守ってくれたよ。
年の離れた兄弟がいたけど「私にはわからない話」に
参加させてもらえない時もあって寂しかったけど、
分別を学ぶことができた。
スレチになるけど長じて「あまり綺麗ではない話」
に参加させてもらえた時は、自分という人間が
信頼されてるな、大人として扱ってくれた、と嬉しかった。
私の母、ADHDの気があるけど、その辺はきっちりしてたんだな。
972 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/11(金) 15:39:55.50 ID:rkz7AHKq
私が4才くらいのとき10才離れた兄に性的イタズラされてた記憶がある。当時は何をされてるのかよくわからなかったけど、思い返すととんでもないことされてたんだなって思う。
>>970 >大人は大した悪気はなく秘密を暴露したり、
>それ人格否定だろって言葉を口にするんだよね
大人は〜じゃなくて、性格に問題がある大人だけだと思うよ
974 :
名無しの心子知らず@無断転載禁止:2014/07/14(月) 20:12:57.37 ID:025kJv62
2歳の終わりくらいの記憶。
当時、食事を食べ始めると必ずトイレに行きたくなってて、
食事始まって10分くらいでいつもトイレに行ってたんだけど、
ある日突然母が「食事中にトイレ行くんじゃない!我慢しなさい!」って怒った。
今まで何も言わなかったじゃん!って理不尽を感じたと同時に、
父や姉の前で言われたことがすごくショックだった。
今なら母の気持ちもわかるんだけど、それまで許容してたことをいきなり怒るのはやめようって思った。
3歳の頃
おへその横と膝にほくろがあるんだけど、それを見るたびに人は皆同じ位置にほくろがあると思っていた。
後、大人と自分(3歳)でまばたきする間隔が違うのを不思議に思っていた。
子どもながらに「大人は早くまばたきしないと乾燥するのかな」的なことを考えていた