2 :
名無しの心子知らず :2010/03/27(土) 22:07:10 ID:4E8kqm0b
人生初の2げと?
良スレだけど、1回書くとネタがないね。。
5 :
名無しの心子知らず :2010/04/05(月) 22:06:50 ID:WbPFifz3
あげ
6 :
まりんおばちゃん :2010/04/06(火) 19:36:48 ID:zwtA3SEN
おばちゃん、すごい小さいころからの記憶があるよ。 たどってみると、どう考えても1歳以下…。
8 :
名無しの心子知らず :2010/04/06(火) 23:38:51 ID:2Yy5mEqu
お母さんの心臓の 音を聞くと安心した記憶が… 『喋れない時期から 話してる事わかってたもん〜』 と 鼻高々に思ってた記憶がある…
ちょうどこの時期になると毎年思い出す話を。 年中で幼稚園に入園して、初めてのバス通園の日のこと。 その日、妹誕生時以外で初めて、母と長時間離れて過ごしたわけだが 登園時〜日中はぜんぜん平気だった。 自分でも「お母さんいなくても平気!余裕!自分エライ!」って思ってたw 色々珍しくて楽しく過ごし、にこにこで帰りのバスに乗った。 自分の乗るバス停はちょっと大きい通り沿いにあった。 家の近くに来て、進行方向右側に母発見! お母さんだ〜!ってテンション上がったところで、何故かバスが母の前を通過w このバス、まず遠くの子達を降ろし、Uターンしてから私の降りるバス停に来る ルートだったのだが、私はそれを知らなかった。 母の前を通り過ぎた瞬間、何故か、 お母さんの前を素通り→間違ったバスに乗っちゃった→もうお母さんに会えない!! と思い込んでしまい、そこから大泣き+バスを止めろと大暴れ。 バスを降りるまで先生に羽交い絞めにされてましたw もうウン十年前の事なのに、この時のショックというか絶望感は未だに忘れられない。 幼いながら真剣に「人生オワタorz」という気分になった。 それだけ母の事が好きだったんだな〜w
10 :
まりんおばちゃん :2010/04/07(水) 00:35:27 ID:5uLpBUnn
>>7 さん
>8さんと非常によく似てるよ。
まだ言葉が話せないときに、母親が理解してくれているのが
とてもうれしく、そうなんだよーって反応しているところだよ。
はっきり鮮明に覚えてる。
7か月のときに、海に行った時のこと。写真を撮ったときのこと。
それを成長してから、親に話して、「誰に聞いたの?」って言われたのが
3歳ごろ(笑
2歳か1歳かわからないけど、お母さんに抱っこされてて 耳に胸あてて心臓の鼓動を聞いて安心した記憶がある。 今でも鮮明で…。母親を去年亡くしたので 思い出しただけで泣けてくるよ
12 :
7 :2010/04/07(水) 20:13:49 ID:6sbFKZjW
11さんのお母様の御冥福をお祈りして携帯のちっちゃい画面の向こうから黙祷させてもらいます。
>>11 幸せな記憶がのこっていて良かったね。
おばちゃんも親を亡くしてるから、気持ちわかるよ。
頑張るんだよ。
>>12 さん
いえいえ。おかげでkwskの意味を知りました(笑
15 :
名無しの心子知らず :2010/04/12(月) 21:29:28 ID:5fCyGnli
うちの子が「ママにももうすぐ赤ちゃんうまれるよ」ってしきりに言うんだけど、子供の頃にそういうの分かってた記憶のある方いますか? 赤ちゃんきてくれたら本当に嬉しいんだけど。
16 :
名無しの心子知らず :2010/04/18(日) 08:06:44 ID:4GdNDjxt
今、子の授乳していて思い出した。 日曜日の朝は、父も母もいつもよりなかなか起きなくて(共働き) 外はだいぶ明るくなっても 部屋のカーテンを閉めたままで薄暗かったりで お父さんは起きてもテレビに夢中で構ってこないし お母さんも兄はずっと寝ているしで 「つまらないなぁ、お腹空いたな、外はとっくに明るそうだけど 何も変化がないな。 こんなに人が揃っているのに何もないや。 あーあ、つまらない。起きて損した。 早く眠くならないかな‥」 と、ずっと手足をバタバタしては首を右に左に動かしては 視界には私に対して無関心な世界が広がっていて ハァ‥とため息をついた。 とにかく一日の始まりが遅い日曜日の朝は苦痛だった。 手足パタパタ起きている乳児には外気浴なり 語りかけなどして、刺激や変化を与えて 朝の始まりに触れさせてあげるといいと思う。 なんだか、いつもの時間帯に起きて朝が始まっても 何もないのは本当につまらなくて乳児の身としては苦痛だった。 お父さんは朝からずっと家にいれるときは お母さんが寝ていても赤ん坊に語りかけや抱っこするなりすれば 高価なものを買い与えたりカメラマンになって無言で思い出集めに躍起になるよりは 子供からの好感度が下地からしっかり根付くだろうな、と思う。
3歳くらいのころ? 叱られてる時怖くて母の顔を見れなかった。 でも気になるので、横目で見てた。 なぜか横目で見たら母には見ていることが気づかれないと思ってた。 その横目で見る表情が反抗してにらめつけている様に見えるから、 余計に怒られてたけど。 自分の子供がしているのを見て思い出しました。 もし皆さんの子供もしていたら、 それは反抗しているんじゃなくて怖がっているんで誤解しないであげてください。
18 :
名無しの心子知らず :2010/04/30(金) 23:39:36 ID:ZC0MZkCQ
あげ
1〜2歳ぐらいの記憶 カーミットっていうカエルのぬいぐるみが怖かった あるとき自分が自由に歩けるようになってると解って、カエルを祖父母の部屋や犬小屋に隠した これで恐怖とおさらばだ! と思ったのはつかの間、朝起きたら布団の横で寝てた 家の中だと戻ってきてしまうんだと思って、今度は公園のベンチに置き去りにした けれどもやっぱりカエルは戻ってきた それを数回繰り返してたらカエルはアーニーを連れて帰ってきた カエルには逆らってはいけないと思った 未だにあいつは怖い
>>19 ワロタw可愛いな
私の話じゃないんでスレ違いかもだが
うちの1歳半の娘は、スティッチのゼンマイで歩くおもちゃを
動いてる間だけ異様に怖がってる。
よちよち歩けるのに、スティッチがジージー動いてる時は
高速ハイハイで逃げて、止まるとこそっと確認しに来て投げ飛ばしてる。
どこか娘の目につかない所にしまっておくことにするわ。
連投すみません。
>>17 の怒られて横目はうちの娘もやります。
こんなに幼い時から反抗心剥き出しなのかな?
と誤解してたのでとてもためになりました。ありがとうございます。
たぶんハイハイし始めのころの記憶。 姉が私にケーキを見せながらおいで〜って言ってる。 ケーキがすごく素敵な物に見えたので、 全力でケーキに向かっていったんだけど頑張っても頑張っても後ろに進む。 気持ちは前に行きたいのに後ろに進むか床にへばりついてしまう。 それを見た姉が「なにやってんのw」って言ったのがすんごい悔しくてよく覚えてる。 もう一個2歳ぐらいの記憶。これは断片的にしか覚えてない。 何をするのも右手を絶対使わないっていう遊びがなぜかマイブームだったw そのとき知らない白い服のおじさんとボール遊びをした。私は左手のみで。 最近母に右手を全く使わないから病院に連れて行ったことがあると聞いたw お医者さんがボールを転がして調べたらしい。母に言ったらめちゃくちゃ心配したのに!っていまさら怒られた。
>>22 うちの子も、気持は前に行きたいのに、後ろにさがっていた。
そんな時期にも意地があったんだね。
しかし、2歳で右手を使わないのがマイブームでそれを覚えているってすごい!
幼児期じゃなくて小学生だったと思うけどいいかな ある夏、両親と海水浴に行った まだ小さい弟がいたので母は弟を見てたと思う 浮き輪をつけて適当に波打ち際〜腰くらいの深さのところで遊んでたんだけれど 何も考えずのんびり浮かんでみたりぱちゃぱちゃ沖の方へ進んだところで 気づいた父が焦ってやってきて浜まで戻された 「こんな深いところまで行ってたんだ!」と 父(身長165くらい)が腕で胸の高さをさして母に説明してたけど なにがそんなに危ないのか、お父さん心配性だな、 浮き輪だってあるから平気なのになー…と思ってた 潮の流れとかの知識がなくて完全にプール感覚だったんだよね ちなみに、普段は無謀なことはしない慎重でおとなしい、どちらかというとお利口な子供でした 海水浴に行くときは、たとえ子がそこそこ成長してても油断しちゃダメってことで
2歳ちょうどくらい。 言葉が早いほうだったので ほぼ完ぺきに話せた。 車のアップリケがついたトレーナーがあって 母がこれは「アップリケよ」と 教えてくれたので 皆に「これはアップリケ」と得意げに言いふらしてた。 が 車のプリントっぽいのが「アップリケなのか」 車の本当の名前が「アップリケ」なのか自信が持てなかった。 が 母親は私がちゃんと理解してると思ってるらしいし 言葉が早いのを自慢に思ってるっぽいから 本当のことは聞けない。 必死で わかってるふりをするしかない!と思ってた。 ずっとそのことを覚えていて 真のアップリケの意味がわかったのは小学校に入ってから。 ・サルまねでわかってるようにしてても 年齢並みの理解度しかないから 子供の言ってることを過信しない ・反面 小さい子でも親の感情はかなりわかるし プライドもある
26 :
名無しの心子知らず :2010/06/05(土) 16:50:31 ID:AGQYVMiX
3歳から4歳の記憶。 大人から与えられる玩具に「大人の思惑」が透けて見える時があった。 表紙も中身も真っ白な絵本や、無塗装の木のママゴト道具、 さぁ創造しろ想像しろ、という声が聞こえてきて嫌だった。 シンプルな色形の玩具は心底嫌いだった。
弟と年子だったので、小さい頃はお母さんを取られたようでとにかく寂しかった。隙あらば割り込もうとしていた記憶ばかり。 ここからは母から聞いた話でスレチだったらごめんなさい。 まだ弟も小さく私が2歳台の頃、夜寝るときは母と弟と3人一緒の布団だった。 母は自分が真ん中に寝るつもりだったのに私が「私がジャムで〜お母さんと弟君はパンね!」とサンドイッチに見立て、頑として真ん中を譲らなかったらしい。 図々しいwwっつーか私うぜぇwと思ったけど、自分の娘に下ができたらなるたけ寂しい思いはさせたくないなーとオモタ。
28 :
名無しの心子知らず :2010/06/05(土) 21:48:22 ID:kVz+Qn3r
>>27 かわいいじゃないか〜w
サンドイッチに見立てるなんて賢いね。
ちょうど一才半くらいのとき、母親におんぶされて、夜桜を見上げてたのを覚えてる。 提灯が並んでて、花がいっぱい咲いてるのが目に映ってた。 この前昔のアルバム見てたら、桜の下で母親におんぶされて映ってる写真を見つけて、 日付を見たら自分が一才半の頃の写真で、そんなに前の記憶だったんだって驚いた。 きれいなものって子供にとってもきれいで、記憶に残るんだと思った。 今3歳と1歳の娘がいるけど、いろんなものを見せたり、体験してもらうようにしてる。
あともうひとつ 母親が弟を妊娠して、2歳くらいのときに保育園に行くようになった。 母親が大好きで甘えん坊だったから、預けられるのが嫌で、母親がいなくなって からずっと廊下で泣いてたのを覚えてる。 1週間くらいずっと泣いてたみたいだけど、それから後は楽しい思い出しかなく、 毎日保育園に行くのが楽しみになってたな。 なので、保育園でも幼稚園でも、最初は嫌がるかもしれないけど、しばらくしたら慣れて楽しめる ようになると思うので、心配しなくてもいいかなって思います。
そういえば私もベビカの素材や綺麗な花柄覚えてるな。 昔の物って配色が綺麗だよね。レトロな物見ると可愛い。 いつ頃から記憶ってあるかな。1歳2歳はなさそうって思ってたけど そういえば1歳までは町田の鶴川団地に住んでて、1歳過ぎて 今の地元に引っ越したんだけど、先日母や姉たちと鶴川団地に行ったら 見覚えある風景に切なくて泣きそうになった。 いつも連れて行ってくれた公園とか。 結構小さい時の記憶って脳の片隅に保存されてるのかもね。
叔母が若かった時、肺炎で竹刀の病院に入院していたことがあった。 その時によく祖母とお見舞いに行ってたんだけど、大きくて古い作りの病院の 内部の雰囲気は今でも覚えてる。 あと、あまり手入れされていない感じの中庭に生い茂っていた雑草の青々しい 色も。 後になってから聞いたら、私が二歳半の頃だったそうだ。 小さくても、印象に残ったものはいつまでも覚えているんだなと思った。
前スレか別スレで、人魚姫のぬり絵をしていて 虹色を表現しようと何色も重ね塗り→最後に黒を塗ったって話あったよね 私は祖母の家に遊びに行ったときにお姫様のぬり絵をしていて お姫様の顔の部分を、はだいろの色鉛筆がなかったのでふかみどりを塗ったことが有るw 今ならはだいろの代わりに近い色の黄色やピンクやオレンジを選ぶけれど はだいろが無い→じゃどれでもいいからこれ、って感覚だった 肌を塗るときははだいろ、というのはわかっていたけれど、その色が無くて別の色を…となったとき 肌を塗る、って目標をさっぱりと忘れて、今この絵全体を仕上げるために使いたい色を選んだ気がする 服や周りの背景がたしかピンクとか黄色だったから、ふかみどりも使ってバランスとったつもりみたいなw 近くにいた叔母に「ちょっとw病気の人みたいだよw」とつっこまれて あぁ、これは失敗だったんだなぁと初めて気が付いた 別に子供ならではの自由な色彩感覚がどうこうとか 精神面での不安定な様子を絵に…とかいうのではなかった
35 :
名無しの心子知らず :2010/06/07(月) 21:17:11 ID:Z0hZ93ZS
3歳以下のときだと思うけれど、ちょっと入院してたことがあった(病気ではない) おそらく一週間とか10日程度のことだったと思うんだけれど 退院して家に帰ったときの感覚が 「あ、ここ知ってる。前にもここにいたな、またここに来たのかー」 みたいな感覚で、自分の家に帰ってこれて嬉しいとか 懐かしいとかそういう感じじゃなかった たぶん『自分のおうち』って感覚がまだきちんと出来上がってなかったのかも そういえば入院中に不憫に思ったであろう母に 「早くおうちに帰ろうね」「おうちに帰ったら○○しようね」「あとちょっとだからがんばろうね」 とか励まされてた気もするけれど、正直家が一切懐かしくなかったので なんか変にお母さんが優しいなぁ…と違和感を感じていた 苦しい病気とかじゃなかったからか、入院で辛い、怖い、とも何も思わなかった あれーなんだかいつもと違うとこにいるなぁ、ぐらいで 両親に聞くと我慢強い良い子だったらしいが 自分の置かれた状況を理解できないぼーっとした子だっただけだと思う
弟の話。 恐らく二歳前。ピンクの着物を着て満面の笑顔で写真にとられている。 「この時のことはよく覚えてるよー俺は羽織袴が着たかったんだけど、 着物って言葉しか分からなかったから、着物着たいって言ったら姉ちゃんの着物着せられた。」 笑ってたのは、周りが喜んだからだそうな。 小さい子でも割と性別の感覚がはっきりしてるんだ。と思ったのと、語彙が少ないことで、子が伝えたいことと、大人に伝わることが違うんだなーと再確認した出来事でした。
幼稚園ぐらいの時だと思ってたんだけど、母に話を聞いたら2歳の時のことらしいので記念カキコ。 父と遊んでいて、ふざけておんぶするマネをしようとしたら足の骨にヒビが入った。 外へ遊びに行けないから、縁側に座ってケガした自分の姿をお絵かきして 上手く描けたとご満悦。……だったが、大きくなってから見たら物凄い下手だった。 あと、ギプスをはずすときに回転ノコで切るんだけど、子供の目には大皿くらいの大きさの ノコに見えて泣き叫んだ。実際はしょうゆ小皿くらいの小ささだったらしい。 ・子供は自信過剰 ・小さい子にはなんでも大きく見えがちなのでちょっとした治療器具も拷問具に見える あと、父は怪我をさせてしまった、と娘が三十路になっても気に病んでいるが、 本人は一度も恨んだり怒ったりしていない。なので ・ケガをさせても、わざとじゃない限り本人は案外気にしていない
怪我と言えば忘れられないのが… 風の強い日に鉄製の重いドアに指を挟んだ。 ぎゃーと泣いたらすぐに母が来たのはいいが、 幼心にも怪しい血止めの灰振りかけてぐるぐる巻きにされ、心配する様子もなく終了。 なんとか治ったものの、今でも爪は変形したまま生えてくるし納得いかない。 何か食べて唇が腫れ上がった時もそうだが、 ちゃんと心配されなかったり笑われた事はずっと気になる。 性格もあるだろうけどなw
2歳ぐらい 隣の商店へ行って遊ぶのが好きで可愛がってもらっていた。 ある日落ちた物を拾った時に手がストーブに当たった。 まったく痛くなかったんだけど隣のお婆ちゃんは大騒ぎ。 母へ連れられ即病院へ。 火傷の跡はあるけどヤカンを取りたいと思った事もあるから 今考えるとゾッとする… それ以来、隣とに気まずくなり子供心に申し訳なかった。 最近はストーブがない家が多いので外出先にストーブがある場合は注意。 3歳か4歳ぐらい ベランダに干した布団に登るのも好きだった。 悪いことだとはなんとなくわかっていたけどこっそり遊んでいた。 ある日顔面蒼白の母に見つかり酷く怒られるかと思ったらスルー… 母はショックで寝込んでしまったので二度とやる事はなかった。 今は布団乾燥機です。
>>40 読んで思い出した
3歳か4歳くらい
雪国の子供だったので、冬はもこもこのスキーウェアがお出かけ着の定番だった
ある日、外出から帰ってきて私はウェアを着たままストーブの前に座った
少したって、妹の面倒を見ていた母が悲鳴&猛ダッシュで私のところへかけつけ
腕が抜けるかと思う勢いで背中から煙の上がっているウェアをはぎとられたw
後の母によると、表面の化学繊維はドロドロに溶けて、中の綿が燃え始めていたそうだ
ストーブや火は触っちゃだめ、とは知っていたけれど
直接触らなくても長時間接近すると危ないとはわかっていなかった
本人はまったく熱に気づかなかったので、ストーブ周りは広範囲にガードすべし
あと、とっさに叱られる!とびびったけれど叱られずに済んでほっとしたのを覚えている
幼稚園にて。 鶏は肉より皮が好きだと先生に言ったら、「じゃあ、あめ玉も皮(包み紙)の方がいいよね」と返された。 それとこれとは話が別やろ!と思ったが言えず、それ以来先生のことは好きになれなかった。
私が2歳半ぐらい 弟が生まれる前のこと。 多分里帰りしていた母のところ(車で40分)へ、父と一緒に行った時の記憶。 道中に安全運転を呼び掛ける標識?があった。虎の両目が交互に赤く光るやつ。 雨の夜だったので、フロントガラスの水滴にもギラギラと乱反射していたのが とても怖かったと覚えている。 そして弟が生まれるときの記憶。 実家に里帰りしたはずの母だったが、救急搬送?で私たちのいる家の近くの 大きな病院へ送り返されてしまった母(確認済み・里帰りの意味なし・・・)。 自宅では、私の面倒を両方の祖母が見てくれたのだが、そのときのおもちゃが パラソルハンガーだった。広げてコロコロ転がして追いかけられた恐怖が・・・ 二人は笑っていたので、喜んでいると勘違いしたのだと思いたい。 それからもうすぐ30年、そんな私ももうすぐ母。 恐怖の記憶って残りやすいのね、意地悪をしないようにしよう・・・と心に誓います。
44 :
名無しの心子知らず :2010/06/24(木) 22:10:09 ID:4oIyOpAV
ほす
2才の時、お兄ちゃんと近所の女の子と撮った写真がある 私だけしゃがんでお尻向けてる 「写真撮るよ〜はいチーズ」って言われた時に お尻向けちゃえ〜イヒヒって思ったのを覚えてる
46 :
名無しの心子知らず :2010/06/24(木) 22:42:16 ID:HvrRAc9f
2歳頃 車の中で母が父の親戚のおばさんとのトラブルの愚痴をこぼしてるのを 聞いていた。結構リアルな細かい内容もちゃんと覚えていたし 母が普段しない怖い口調でマシンガントークしてるのが怖かった。 大きくなってから聞いたら何で知ってるのって驚かれた。 子供だから&寝てるみたいだからって子供の前で大人の話をするのはヤバイと思う。
>>38 と似てるけど。
4歳のとき、通っていた絵画教室で「母の日」の絵を描いた。
お気に入りの赤いプリーツスカートを母が物干竿にかけているところ。
見ていた大人達が「…何描いてるのかしら?」とヒソヒソしてるので、説明したら
「あー、なるほど!!!」と合点が行った様子。
私は内心、こんなにリアルな出来なのに説明してあげないと分からないなんてお馬鹿さんwと思ってた。
が、数年後に見ると「プリーツスカート」は画用紙の横いっぱいに引き延ばされてて、まるで塀。
絶対スカートに見えねえ。
でも、描いてるときは、たしかにスカートに見えてたんだよね…
たぶん幼児にとって視覚と視認は別のもので、ある意味、見たいと思ったものが見えるんだと思う。
>>38 さんも、描いてる瞬間は本当に上手に見えてたんじゃないかな。
ちなみに、小さい子に「何描いてるの?」と聞くのは禁句だそう(ヘタだから分からないんだorzとなるため)
だが、私は自信過剰な子だったので堂々と説明してしまったようだw
あと、この経験があるので犯罪などの子供の目撃証言は1ミリも信用できないと思っている。
>>47 訊いたらだめなんだ。
私いつも訊いてたわorz
わからないときはどうしたらいいんですかね?
>>47 それはアレ?
これはどっからどう見ても象を飲んだうわばみの絵なのに!ってやつ?
>>48 自信のある子なら訊いても大丈夫だよw
そうでない子の場合は、「素敵な色だね!」とか、見て分かる範囲のことを褒めれば良いみたい。
何を描いてるか知りたいときは…ごめん、分かんないやorz 会話しながらヒントを掴めばいいのかも。
>>49 うーん、ちょっと違ってて、うわばみの場合は帽子の形ということは認識してたと思うんだよね。
でも、ここに目があるんだからどう見ても(ry みたいな。
私が描いてるときは、形がちゃんとスカートに見えてたよ。母>スカートが行儀よく収まって見えてた。
でも見返すと、ひしゃげた横長の何か>>>豆粒みたいな母 で、うわ記憶と全然違う!!!って感じ。
目に映ったモノが脳内で像を結ぶ時点ですでに、都合の良いフィルタがかかって見えてたというか、
思い込みが視覚を超えてた感じです。
自分がまさに
>>47 の ヘタだから分からないんだorz となる子供だった
上から目線というか大人目線で「これは何かな?」と聞かれると自信喪失してモゴモゴ口ごもってた気がする
それを察していたのかうちの母はよく
「わあ上手。じゃあ私子ちゃん、この絵のことをお母さんに教えてください」
って感じで、私が先生役になって絵のことを説明する遊びにスライドしていたな
ナイーブなくせに乗せられやすい性格だったのでこのやり方だと素直に
「上手な絵を描いてそれを説明する私、先生みたいですてき☆」と楽しんでいたw
日頃から○○のことを説明する先生ゴッコ(○○の内容はその時々で変わる)
ってのを仕掛けてくるのが好きな母だったよ
>>51 なるほどー。そうやって聞くのね。
とても参考になりました。
2歳か3歳くらい? 時期がはっきりしないけど、父の会社が忙しくて母が手伝いに行ってる時期があった。 当時一人っ子の私は同居していた祖母が面倒見てくれていた。 ある日目が覚めたら、TVのある部屋に一人きりで、無性にさみしくて大泣きした。 TVのチャンネルにつまみがあったのも覚えてるw 4歳の時入院してたんだけど、同じ部屋の子どもたちとかくれんぼ?して遊んでた。 ベッドの下とか隠れて、すごい楽しかったなぁ。
54 :
53 :2010/06/25(金) 11:43:51 ID:URmFJGxt
ごめんなさい、まとめてなかったorz 一人きりだった時、今思い出しても切なくなるほど心細かった。 うちの息子も朝起きたとき誰もいないとぐずぐず言うけど、同じ気持ちなのかも・・・。 4歳入院時には、一人の女の子に結構いじわるされて泣いてたらしいんだけど、 そっちの記憶はまったくなし。 →いじわるされて泣いててもトラウマになるわけじゃない??
>>54 そんなことないよ。
私は4歳の時に5歳の女の子に幼稚園でいじめられてた。
嫌だったなぁ。
田舎だったから、その女の子とは中学校まで同じ学校に通って、
ずーっとその人が苦手だったよ。
多分、その子が繰り返し思い返すようなことが記憶に残ることだと思う。 どんなことを繰り返し思い返すかは性格によるんじゃないかと。 私は未だにお化け屋敷がダメってくらい怖がりでへたれなので、 怖かった夢と迷子になった時のことばかり覚えてる。 それ以外の記憶。 年中になってすぐの頃、保育園に向かう途中、何故か車が保育園への道から逸れた。 「保育園はあっちだよ」と言っても、「今日からこっちなの」と言われるだけ。 不安だったけど着いた先に保育園の友達が何人かいたので、安心して遊んだ。 でもいない子も沢山いた。何でだろうと気になってたけど聞けなかった。 子供心に結構悩んでたせいか、この日の前後のことはかなり鮮明に記憶に残ってる。 その新しい園の名前を決めようという話になった時、 私が発案した名前を皆が気に入ってくれて採用になった。 多数の中から自分だけが認められることって、幼心にすごい特別なことだったんだと思う。 しばらくの間「この園の名前は私が決めた」は最大の自慢話だったww 上記の状況が想像つきにくいと思うので、大人の事情を補足。 当時、地域唯一の保育園のやり方に疑問を持った親たちが独自に園もどきを発足。 それから約10年後、保育園の園長は悪い意味でローカル新聞の1ネタになってた。
育児には何の役にも立ちそうにない。
>>50 >>51 なるほど、勉強になりました!!
今度はそう言ってみようと思います。
保育園に通っている子が楽しそうでうらやましかった。 一日中一緒に居ても 家事やら何やらで相手してくれるのは一時間〜二時間がせいぜいだし 母と家にいるのは落ち着くが、暇なことが多くて楽しみがNHK教育だけだった。 ちなみに息子には保育園に通わせている。 楽しそうでいいな。
絵の話、わかるなあ。 私も「可愛い猫の絵だね」と誉められても「これは犬だよorz」と逆に傷ついたりしてたw 幼稚園の頃の話ですが、夜寝るとき静かにすると聞こえてくる音が嫌でよく泣いてました。 ドシン、ドシンという自分の心臓音が遠くから怪獣がやってくる足音に聞こえて怖かったり。 やけに響く時計のコチコチという音、空気の音すら怖かった。 寝かしつけは静かに暗闇で、が育児の鉄則っぽいですが 少し遠くからテレビや話し声、薄明かりが漏れるくらいが寝付きやすい子もいます。
決めつけられるのって大人になっても嫌な気分になるもんね 何気ない決めつけ発言には気をつけよう あと、小さかった私が生意気な事言うとまわりの大人が面白がった この子は大物になるぞーとか、頭が良いなーとか それが嬉しくて常に人の批判ばかりするようになってしまったため、保育所行ったら嫌われ者になったw 嫌われる理由も長い事わからず、10歳位でようやく性格の悪さに気付いたが簡単には治らなかったよ
62 :
名無しの心子知らず :2010/07/10(土) 03:32:27 ID:34Sk39Vj
保守
2歳の時の記憶なんだけど・・・ 乳幼児突然死症候群で亡くなった、年子の妹と遊んだ記憶が鮮明に残ってる。 お葬式で狂ったように泣き叫ぶ母の姿も、骨になった妹の姿も覚えてる。 勿論当時の私には死を理解していなかったので、悲しいと言う感情はなかった けどねー。 こう言う衝撃的な記憶っていつまでも残るもんなんだな。
自殺したおばあちゃんの遺体を、一番に見つけてしまった私みたいなものだね。 当時、3歳になりたてだった。
65 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 21:53:04 ID:Kuy7LToJ
>>63 >>64 読んでて鬱になったよ…
そんな悲しすぎるのかかないでほしかったよ
66 :
名無しの心子知らず :2010/07/12(月) 00:43:07 ID:cbqnJ1ay
5才位だったと思う。 まだボットン便所だった我が家。 スリッパを便器に落としてしまったが内緒にしていたら次にトイレにいくとちゃんとスリッパが戻っていた。 なぜ?と思い、また落としてみた。 また同じスリッパが戻っていたので このトイレは魔法のトイレ!と勝手に思い込んでその後なんどか落として魔法を確認してた。 大人に話すと魔法が消えちゃう気がしてずっと秘密にしてた。 30年たった先日、母親にその事を話したら「お前だったのか!」って怒られた 母が同じスリッパを買って補充していたのでした。 お母さんごめんなさい。
弟が産まれたばかりだったから3歳になる直前くらいの記憶 お腹の風邪を引いて水を飲んでも薬を飲んでもすぐ吐いてしまってた それを何度か繰り返したら母が泣きながらビンタしてきた 「薬飲まなきゃ治らないでしょ!馬鹿!馬鹿!いい加減にしろ!」 って 新生児抱えて寝不足で大変だったんだろうなぁ 私はその時の体調悪くて苦しいっていう記憶はあんまりなくて(子供は意外とゲロっても元気) 母を泣かせたっていうのがショックだった 普段はけっこう口うるさく子供に言ってしまうけど病気の時は絶対怒らないようにしてます
2歳頃。雪の中家族で寺院への道を歩いていたら、祖母に 「雪で足元が悪いからおんぶしてあげようね」と言われたのだけれど、 もう赤ちゃんじゃないし、シンプルで可愛いブーツを履いていたので 尚更自分で歩きたくて断った。母に確認したら合っているみたい。 外の手洗い場で弟のウン付き布オムツを洗う母を見て 「母親業ってハードだな・・・」と、自分には無理だと思った。 4歳頃?弟が宇宙語を話してまとわりつくので、「意味わかんないし困る」 と母に言ったら「あんたも赤ちゃんの時はそうだったんだよ。聞いてあげてね。」 と言われ、しょうがないなぁと話に付き合うことにした。 保育園の記憶は特に多いので、その中でいくつか。 紙に描かれたイラストを切り取って壁に飾るというイベントがあった時、 線より一回り大きく切るのがかわいいと思って切ったら、それを皆の前で 先生が褒めてくれて嬉しかった。その先生はいつもニコニコしていて好きだった。 髄膜炎で入院することになった時、受付で待つ間に母がポカリを買って 頭や首を冷やしてくれて、心配そうに優しくしてくれるのが嬉しかった。 隣のベッドの子がラジコン貸してくれて難しかったけど嬉しかったとか、 看護師さんはマジ凄い職業!と感動した。など、入院中の事を先生に話したら 「そんなに入院が楽しかったのか。へらへら笑って。もう一回入院する?」 みたいな事を言われてガッカリし、この先生には色々話すのやめようと思った。 劇発表会の後日、(多分お遊戯として)もう一回劇をやってみようねと言われ、 もう覚えてない!とパニックになり泣いたら、「覚えてるとこだけで良いんだよ」と言われ、 だったらやる意味あるんかい!と納得がいかなかった。 昨日、7ヶ月の息子と風呂に入っていたら、私のお腹(というか帝王切開痕?)を じーっと見ているので、「ここから出てきたね。大変だったねぇ。」と言ったら 満面の笑顔になった。たまたまかもしれないけど、ここを読んでいると 乳児の記憶がある人もちらほらいるので、言うこと気を付けようと思うなぁ。
>>66 子供にやられたら親としては「いい加減にしろぃ!」と思うだろうけど、
何か可愛いなぁw
>>67 親が突然激昂したり泣いたりするとショックだよね。
自分も息子が病気の時には怒らないように心がけよう。
>>66 魔法、分かるわw
私も、ダイニングの醤油さしがもうすぐ空になりそう…と思ったらいつも、次の日ぐらいに
満タンになってて、不思議な醤油さしだ!と思ってたw
ずーっと秘密にしてて、小1で母に教えてあげたつもりが逆に母が補充してたと教えられ、心底ガッカリ。
何故、小学生になってまで分からなかったか、今思うと
「醤油が残りわずかと気付いてるのは自分だけ」と、根拠なく確信してたせい。
だから母が補充してる筈が無いと。あの自信は何だったんだろう…
>>70 素敵なお母さんだw
醤油さしなんて
「お〜い醤油入ってないぞ〜」
「ない?娘子ちょっと入れといてよ」
「はぁ〜?もう・・・・ちょっとこの醤油おととしまでなんだけど!」
みたいな会話がデフォだと思っていた。
72 :
名無しの心子知らず :2010/07/14(水) 23:57:31 ID:zrtSMSqA
誰か通訳を…
どれを…?
私も子供にとっての魔法使いになりたいと思ってしまった
奥様は魔女w
>>71-73 ww
通訳すると、母より娘の方がしっかりしてるのが当たり前だと思ってたから
>>70 のお母さんはしっかりしていて素敵だってことでしょうw
>>70 の娘と
>>71 の娘は全然年齢違うから、比較する対象にはならないと思うけどねw
2歳直前の春(5月生まれ) 姉の通う仏教幼稚園の花祭りイベントに祖母と行った。 そのころはオムツ外れてたんだけど、自宅以外のトイレが大嫌いで 幼稚園でもお漏らししてしまい、下着やタイツが冷たかった。 着替えを持っていかなかったのか下を脱がされてパンイチのまま イベントに参加させられて恥ずかしかったが 子供のくせに!っていわれると思って我慢してた。 もうひとつは幼稚園年少。 体操の時間、先生が引っ張ったロープが首にからまり落ちかけたw 助けてくれた先生に「お父さんお母さんに言っちゃだめだよ」と言われた。 首に縄のあとがあったけど、先生が親に「○ちゃんが一人でやったんですー」といってたので 必死にあわせてた。バレたら自分が叱られると思って本当のことは言えなかった。 ・子供にも羞恥心はある ・幼稚園教諭は信用できない
幼稚園前のこと。 当時住んでたのが団地で、どこも同じようなつくりだったので 違う棟に迷い込んでしまい、同じようなおうちなのに自宅がない! もうおうちに帰れない!とわーわー泣いた。 近所歩いてるオバチャンがおうちどこ?といって 正しい号棟につれてってくれた。 ひとつしか違ってなかったけど、いったことないところだったから パニックになってしまってたらしい。
幼稚園年長の時、私はパンツ一丁で水遊びに参加してたんだけど 男の子に「パンツだけだって、変だよー」って笑われてすごいショック。 次からはしっかり水着を持って行った。 なんで持ってるのにあえてパンツだったのか・・・。
5〜6才時の記憶があるのはわりと普通だと思う
幼稚園くらい? 兄と両親とで川の字+1で寝てたんだけど 私がおねしょしちゃって、まずいおこられる!と思って 寝てる兄をずりずりひきずって私の寝ていた場所まで連行し、 私は兄の場所に寝なおして朝を迎えた。 ばれるかも…と思っていたが、兄がおねしょしたとしかられていた。 パンツやパジャマは確認しなかったんだろうか…。 大人になって母に確認したが「そんなことが!?」と心底驚いてたので わざと私の目の前で兄をしかって 罪悪感を植えつけようとかでもなかったみたい。 でも正直あれで「ばれなきゃいい」を覚えたなあw
幼稚園年中の時、工作で作る時計用の空き箱を忘れたというので一人廊下に立たされた。 箱を忘れたのはお母さん!私は悪くないのにキィー!となり、手をグーにして 教室の窓ガラスを叩き割った…。 もう手は流血で制服のスカートも血だらけ。先生が抱えて病院へ連れて行ってくれ 帰りのバスから降りた私が毛糸パンツ一丁だったので迎えの母仰天。 五月生まれだしおとなしい方だったのに豹変して先生も相当驚いたらしい。 今でも傷跡が残ってます。
>>80 えー…。
幼稚園の年中の子を立たせるの?
そうだよねー。お母さんが忘れたのにねー。
忘れるお母さんもいることを想定して、少しは幼稚園側で用意しておくものなのに。
かわいそうだったね。
そこに何故5月生まれが出てくるのかがわからない
冬生まれとかより早く産まれてる分落ち着いたお姉さん、と言いたいんでしょう
時期はわからないけど物心つくまでおっぱい離れできなかった私 赤ちゃんみたいと言われるのが嫌で「これで最後これで最後」 と言い聞かせながら吸った最後のおっぱいをなんとなーく覚えてる 赤5ヶ月、これから子が同じ思いをするんだなと思うとほろにがい。
うう…ちょうど赤が離乳の時期だから身にしみるわ
一番古い記憶のようなものなんだけど、 車の中で姉に、「これから新しいおうちに行くんだよ」と言われ、 花で飾られた家を思い浮かべてた。 引越ししたのは1歳の時。 それくらいから記憶に残るのかも、という話しです。
何歳かはわからないけど、かなり小さい頃。 親戚一同が集まり、 その中のイトコとのやり取りの中で、 (人が喜ぶと、なぜか自分も嬉しくなる)、ということに気づいた。 急いで母に、 「人が喜んでるところ見ると自分も嬉しくなるよ!」 と報告した。 母は何かあってイライラしてたんだと思うけど、 「そんなこと当たり前でしょ!」と怒られるように言われた。 その時の、なんでもない事を、大発見のように伝えたという、 すごく恥ずかしい事をしたような気持ちと、 邪険にされて悲しい気持ちが、今でもなんとなく思い出せる。 母は普段はすごく優しいので、その時に限って何か あったんだと思うけど、今でも思い出せるくらい残ってる。 大人になった今の自分の性格に、 多少なりとも影響のあった出来事だったと思う。
自分は割と昔のこと覚えてるなぁ。 生後10か月位? 私は歩行器に入れられてて、玄関の段差に車輪を落として泣くと 母が抱っこしてくれるもんだから、それが嬉しくて わざと車輪を落として泣いてた。 まだ「だっこして」とか喋れなかったから。
1〜3歳くらい お盆の時期に、2間続きの和室に毎年盆提灯が下げられてた。 でっかい提灯が下がっているのが面白くて、 夜になると明かりが灯されて綺麗で、毎年楽しみにしてた。 ある年、お盆になっても飾らないので母親になぜなのか尋ねたら お母さんにも分からないと答えられて、お母さんも知らない事があるんだ!と ショックというか、びっくりした。大人はなんでも知ってると思ってたから。 今思えば曾ばあさんの新盆と3回忌だったんだけど。 曾ばあさんが亡くなった時の事もなんとなく覚えてる。 実家の一番奥の部屋で西に頭をむけて寝かせられていて わたしはちょっと離れたところに座ってぼんやりしてた。 大人が出たり入ったりしてるのに、なんとなく家中が静かだった。
>>87 さんみたいな例は、親としてはつらいなー。
育児で普段頑張ってる大多数のことは忘れらてしまうのに、一瞬イライラしてた放った一言が
大人になるまでトラウマになって残ることがあるなんて。
このスレは勉強になることが多いけど、こういう例って防ぎようがない気がする…
>>90 全く同じ事思ってた。
一語一句違わず同意。
わかる。
お母さんも親戚の集まりで、何か言われたりないがしろにされたりして、
イライラしていたんだろう。
その辺は
>>87 さんも想像つくと思うけど、子供のころのそういった出来事って、
本当に底冷たい澱のように残るよね。
どちらにも切ない話だ…。
私も執拗に母にまとわりつきすぎて 突き飛ばされた(ただし布団の上)ときのことをよく覚えてるなーw そのときの布団と家具の配置とか、 母が何をしてたかとか鮮明に思い出せる。 忙しかったのだと今ではわかるけど。 ちなみに母はまったく覚えていなかった。
94 :
87 :2010/07/21(水) 22:44:29 ID:fuA2hqFc
>>90 ‐92
そうだよね・・ しかたのないことだったと思う
あまり役立たないこと書いてしまった・・ごめんなさい
トラウマまではいかないです。
善意とか、それにまつわる事とかを、する場合も語る場合も
人からどう思われるかが常に気になるというか。
その点についてだけです。
あとは昔はもちろん今もマザコンかってくらい母が好きです。
>>90 私がこのスレを見てて、ずっとぼんやり感じてたことがわかった。ありがとう。
ところで男性の書き込みってあまり見ないね。覚えてる人が少ないのかな。
旦那もはっきり記憶があるのって小学校上がってから位だって言ってたし。
>>95 した2行、まったく同じこと考えてたよ。
1歳男児持ちなので、男性の話を聞いてみたいけど
この手の話って女性のほうが好きそうだから
スレ住人に男性があまりいないのかと思ってた。
旦那に聞いてみたら保育園が楽しかったとか 遊んだ記憶はあるみたいよ 育児板が男少ない&女ほど感傷的じゃないのかもね
旦那話でいいかな? 旦那は2歳年下の弟さんが居るんだけど、彼が生まれた夜の事は、かなり鮮明に覚えている …義父がスピード違反で捕まって、旦那が警官を攻撃していたからだと思うw
99 :
名無しの心子知らず :2010/07/28(水) 17:16:59 ID:LUqMTKzx
引っ越す前の夏だからおそらく2歳半くらい アイスのピノが大好きになり、毎日お風呂上りに母に何個か貰っていた ある日、父の喉仏の形がピノそっくりだと気付く 隠してるんだーずるい!とつっかかりしつこくちょうだいちょうだいする 普段から寡黙な父はひたすら困ったように笑っていた 食い意地はってんなー自分w
3歳の誕生日にお人形をもらったので、名前を付けることになった。 ○○ちゃんと決まったのだが、私はなぜか「名前を付ける」とは 「その名前を書いたお団子を、ほっぺにバチコーン!!とビンタで埋め込む」ことだと 理解しており(その団子は、ほっぺと一体化して晴れて「名前が付く」仕組み) 両親に向かって「で、いつ名前付けるの?」「え、もう付けたでしょ?」⇒お互い「???」な 会話を繰り返していたw 何故そう思ってたのかは謎だけど、自分自身の名前もそうやって付けられたと信じてた。 子供と何となく話がかみ合わないときは、そもそもの言葉の定義を確認してみると面白いかもw
101 :
名無しの心子知らず :2010/07/29(木) 04:59:13 ID:rNLnkZXG
>>99 >>100 声だしてワロタw
かわいいね
私が三歳前後の頃、プールに連れて行ってもらって渕でプールの中を
のぞいていたら落っこちて溺れかけた。
見知らぬおじさんに引き上げてもらって助かった。
母は子供3人もいたので、全員に目が至らなかったんだと思う。
何人も子供がいるとしっかり見とけっていうのも難しいんだろうけど、
やっぱり目ははなしちゃだめだ。
102 :
名無しの心子知らず :2010/07/29(木) 16:50:37 ID:OuW8km3j
今は亡き母方の祖母がガレージで私をお風呂に入れてくれた しばらくすると祖母が猛烈に怒っている。 どうやら気持ちが良くてお風呂でう○ちをしてしまったようだ。 これが私の一番古い記憶なのだが、母に確認したら10ヶ月頃のことらしい。 母は「憶えているなんて嘘だ」というけれど、私は自分の記憶だと思っている
多分3歳なりたてくらいの記憶 近所に5歳の女の子が住んでてよく遊んでもらっていた その子に弟が産まれた 見に来い見に来いとしつこく誘われて、家にお邪魔して無理矢理抱っこさせられた 自分にも産まれて間もない弟がいたが、危ないから抱っこは早いと親に何度も言われていたので怖かった まだふにゃふにゃの赤ちゃんだったと思う そして、落としてしまった というかその女の子がいきなり私を揺すった 大泣きする赤ちゃん、その子の母が顔色変えて飛んできた 女の子に「危ないから駄目って言ったのに無理矢理抱っこしやがったんだこいつ!」 と嘘を言われ、私はその子の母にしこたまぶたれ鼻血を出して帰った 今思うとその母は精神的な疾患があったのかも 泣きながら自分の母に話し、その後親同士でどんなやり取りがあったのかは分からないがその家族は突然引っ越した 姉のように慕っていた子に嘘付かれた事より、他人の親に怒鳴られぶたれた事がすごく怖かったな 今でも言葉の暴力より実際の暴力のほうが怖い
今でも〜とかいらなくね とたんに愚痴っぽくなる
私近所のメンヘラ親子にいじめられたかわいそうな過去があるの だから今でも(ry
>>103 3歳になりたてでそんな経験したのか・・・
その5歳児、赤ちゃんにお母さんを取られたという感情からその行動に出たのかな。
自分が赤ちゃんに危害を加えたら自分が怒られるから
自分より年下の子を利用したとか。
今だったら確実に赤ちゃんから目を離してた母親のほうが悪いってなるのにね
鼻血が出るまで殴られるなんて
>>104 今でも、がないと、何をどう役立てたらいいか、わからないじゃない。
何歳か覚えてないんだけど、しゃべってた頃だから2歳くらいかな? アパートの1階でベランダでビニールプールで遊んでると、よく来るお兄さんがいた 高校生くらいかな おじさんて感じじゃなかった ベランダ越しに話相手になってくれてたんだけど必ず今すぐおしっこ出ないか聞かれた 出るなら見ててあげるって プールでしちゃだめってわかってたから出ないよーって言ってばいばいしてた その時お母さんが何してたのか覚えてないんだけど、部屋にはいたのかな? 覚えてない事ばっかりでもやもやするんだけど お兄さんは変態という名の紳士だったのか、それとも部屋にお母さんがいるから何もしなかったのか ただ単に小さい子の尿意を心配してくれたのか… 小さい子は本当に危機感無いよなーと思った 子供が何気なく話してる事でも ん?と思ったらよーく聞き返すようにしてる
183 名前:名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/29(木) 15:31:55 ID:wPID/2rK
親が仲良くても子供同士が仲が良くなるというパターンはすごく少ないよね
そういう場合はどっち優先なのさ
186 名前:名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/29(木) 15:51:58 ID:A7vRL0jx
>>183 親同士が仲よかったら子ども同士も仲良くならない?
私の周りはそういうのが多いけどな
逆に子ども同士が仲がいいからって
親同士も仲がいいかといったらそれは人それぞれだけど
188 名前:名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/29(木) 16:31:55 ID:B9cu6GDL
自分が幼稚園いく前に近所の子と遊ぶの強要されて
すごい嫌だったのを覚えてるから悩む問題だな。
私が一つ上で体も大きかったからお姉さん扱いされて
めんどうみてといわれて、
幼稚園前だから朝から夕方までいっしょですごい苦痛だった。
その子がわがままでいっしょにいるのいやと親に必死で訴えても
お姉さんなのにそんなこといわないのといわれて…
私あの子のお姉さんじゃねーよとw
私が幼稚園に行く年になると、その子と一日中離れられるのが
すっごい嬉しかった。
191 名前:名無しの心子知らず 投稿日:2010/07/29(木) 19:49:32 ID:RDqk0J83
逆に親同士が仲良いからって、
一緒に遊べ一緒に暮せ結婚しろなんて言われたら嫌じゃない?
大人と子供は違うんだよ!と言われればそれまでだけど。
>>188 ドウイ
私も子供のころ同じだった。
>>108 コエェェェ!!! 明らかに変態じゃん。
今なら写真撮られてるかもしれないし、シャレにならない。
小さい子の「この人いい人」フィルタって本当にあてにならないよね…気をつけなきゃ。
かくいう私も、女性なら可愛い・美人、男性なら柔和な顔が良い人と思ってた。
ブサイク=悪者 で、ブサ判定した人には絶対、笑いかけなかった。
エレベータの中で「このおじちゃんブサイクだねえ」と発言して、母を凍りつかせたこともある。
幼稚園に入ってからはもう少し優しくなったけど、我ながら嫌なガキだったわ。
3歳くらいのとき、父と入浴していて、蛇口にホースが付いていたので、
ホースをあちこちに向けながら水を出して「お父さんにかけちゃおうかな」
と言っていたら、手元が狂って本当に父に冷水がかかってしまった。
普段あまり怒らない父が「冷たいじゃないか!」と本気で怒ったので、
怖くなって泣き出した。
母が飛んできて「どうしたの?」と聞くので、父が「○○が水をかけた(怒)」と言ったけど
泣きながら「かけていない」と言い張ったら母は「せっかく楽しくお風呂に入っているのにかわいそうじゃない?」と逆に父に怒り出した。
入浴後、父はヤケ酒を飲んでいました。
お父さん、あの時はごめんなさい。
母は、子どもが悪くても子どもの味方をしてしまう人だったので、自分は気を付けようと思っています。
>>99 アイスのピノ、箱の蓋の裏にくじが付いていて、
10個くらい連続で当たりが出たことがありますよ。
当たりが出たら、ピノもう1個だったから、家と駄菓子屋さんを何度も往復したな〜。
以前書いたような…書いてないような…で曖昧なのですが 幼稚園の頃、内気で少しからかわれただけで何も言い返せずに泣いて家に帰るような子だった 小さい子供のいる世帯ばかりのアパートに住んでいたので 母が今で言うママ友と私のことについて話し合ってくれたらしい そしてある夜、寝るときにぽそっと母が 「今日は私子ちゃんのことでおばさん(=ママ友)たちと話したから疲れちゃった」(一部表現違う気もする) というようなことを言ったのがすごく記憶に残っている イヤミのような言い方じゃなくて本当に疲れた、って弱音に聞こえて それが、お母さんでも弱い部分があるんだ!って初めて自覚したときだったと思う 母といっても一人の女性で、子育てでいたらない部分があったりしても 母さんだって完璧超人じゃないし、一生懸命やっての結果だから仕方ないなーと考えられるのは こうして素直な早い段階でそれを知れたことによるところが大きいかもしれない 実は思春期にちょっとつまずいていわゆる問題児の集まる場所へ参加していたんだけれど 同じような立場の子の多くが「親が悪い」「親の育て方が○○だったせいで」「親が○○してくれなかったから」 っていうのを聞いて、いや、それは違うだろう…って思ってたんだよね (もちろんひどい虐待とかは別だろうけれど)
幼稚園に入る前なので3歳くらいの頃、うちに同い年の男の子とそのお母さんが遊びに来た。 当時私もその男の子もアトピーで、母同士が子のアトピーについて話していた。 すると突然男の子のお母さんが自分の子のズボンとパンツを脱がせて 子のお尻のアトピーをうちの母に見せ始めた。 うちの母は普通に見ていたけど 私は「なんでそんなことするの!?人前で恥ずかしいじゃん!」とギョッとした。 多分母達は小さな子に羞恥心があるとは思わずに 悪気なくそういう扱いをしたんだろうけど、 そのときに「どうして大人は自分も子どもだったときがあったのに 子どものときの気持ちを忘れちゃうんだろう。 子どもは小さくても大人が思っているよりずっと前から色々ちゃんと分かっていることを 自分は大人になっても絶対に忘れないようにしよう。」 と強く固く誓ったのをよく覚えている。 当時「こんなに強く思っていても 私も大人になる頃には忘れちゃうのかな」とgkbrしてたけど 忘れないようにしてると忘れないものだね。
昔から鮮明に覚えているのが、祖父との思い出。自転車に乗せてもらって近所に行ったり、ボートに乗せてもらったり。 2〜3才だった気がします。小さい頃からおじいちゃん子だったからなぁ…。 それと、1ヶ月の娘をお風呂に入れているときに、ある日自分が赤ちゃんのときに祖母にお風呂に入れられ、プカプカしていたのを思い出した。 ガーゼで体や顔をぬぐったり、祖母の優しい声とか歌声がすっごい嬉しくて幸せだったのを思い出した。娘もこんな気持ちなのかな…と考えた。
115 :
名無しの心子知らず :2010/08/18(水) 21:08:40 ID:mwNuEvv/
>>113 自分も医者にお尻の発疹診られた時抵抗感があったよ
116 :
名無しの心子知らず :2010/08/18(水) 22:01:43 ID:8RWPz3qJ
2歳の時の記憶 1歳になる妹の世話に忙しい母は、ある日4歳の姉の 幼稚園バスのお迎えの時間に「あーん誰か代わりに迎えに行ってー」と ぼやいた。それを聞いた私が「よし!私に任せて!!」と 多分歩いて10分程度の距離にあるバス停まで、こっそり一人で迎えに行った。 他のママさんたちがビックリしながら「まぁ‥偉いねぇ」と変な顔で 褒めてくれたけど、「いやいや、それほどの事でもないよ」と思っていた。 そのすぐ後に、母が妹を抱いて血相を変えて走って迎えに来ました。 母も困惑しながら「一人で来たの?‥ありがとね」と言ってくれ 調子に乗ってその後もこっそり一人でお迎えに行っていた。 初めにきちんと「一人じゃ危ない」と注意しないと分からないんだろうね。
117 :
名無しの心子知らず :2010/08/19(木) 00:25:22 ID:SLgiM9c0
>>113 私も大人になっても子供はこう思ってるんだって忘れないぞ!って事あったけど、きれいに忘れた
大人になったら忘れちゃうかもだからメモっといた方がいいかなって思った事まで覚えてるのに忘れた
なんだったのかなぁ
書いときゃよかった
118 :
名無しの心子知らず :2010/08/19(木) 00:58:13 ID:vfrih6Bu
3歳くらいのとき、母と一緒にプールに行った。そのとき、母が生理中だったらしくて 着替えるときに血が滴るのを見てしまい、すごくショックで映像がくっきりと焼きついた。 そのとき、なぜ血が出るのか母に聞いて『女の人は、みんな大人になると月に一回血が出る から平気なんだよ』みたいに言われた。そのこともなんかショックで、しばらく考え込んでた。 でも、この記憶は突然ぷっつりと忘れていたんだけど、自分に生理がきてから突然思い出した。
>>118 入浴するときにタンポンを使っていて、娘と一緒にあがって脱衣所で体を拭いてると、
娘がじっと、私の両脚の間から垂れ下がるタンポンのヒモを凝視していた。
いつか娘も思い出すときがあるかもしれないなぁ。
私はカップ使ってるから生理でもばれないな
小さい頃の記憶は結構残ってる。 離乳食辺りから歩き始めた時とか。 離乳食の時は食べさせてもらっていて、おかゆが熱くないか母が一度口に入れ、それをあーんって 貰ってたんだけど子どもながらに「えっ!?それ食べるの??ばっちぃ」って思ってた。 歩き始めは公園の芝生の上を歩いてて段差があって転んで大泣きした。 その時の風景なんかも憶えてる。 従兄弟や姉妹と歳離れての女の子だったから抱っこも争奪戦されてた。 よく物で釣れる子だったと思う。
725 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 12:43:35 ID:UHlVrsqS いじめなんて始めからなかった 学校で授業についていけないI子の妄言 それを大げさに利用した雅子の作謀です。 不登校にインネンをつけ、母子カイガイ逃亡を謀り 不可能になると同伴登校をやりだし公務オサボリのストライキ行動。 さらにあてつけで名目I子不登校治療にて長期に渡るご静養を敢行。 躾の悪さを指摘されるとマッチ、ポンプで親子セラピー、オーノによる親子 カウンセリング話を流して否定、一体このお方は何を考えていきているのか 言えることは本能、欲望、快楽、感情の赴くママいきているんだろうなって事。
123 :
名無しの心子知らず :2010/10/01(金) 21:19:20 ID:sRhLYejM
???
このスレ面白い。 私がうっすら覚えてるのは父方祖父のお骨あげの時。たぶん3歳位だと思う。もしかしたら4歳かな... それより以前に亡くなった母方祖父のお骨はあげたらしいんだけど(記憶無し)、父方祖父のお骨は怖がってあげなかった。 イヤイヤってする私に何でよ?どうしたの〜?って宥める母の声と、お骨をあげる父の姿だけ覚えてる。 なんて言うか、目の前にある真っ白なお骨と祖父が結び付かなくて軽くパニックになってたんだと思う。 母方祖父の時は何も解らずにあげたんだろうけどね。理解出来る事と出来ない事が入り雑じって恐怖になったと言うか。
2才前後の時、ノースリーブのワンピース着せられて嬉しかった。少しして、寒いからと母に上着をはおらされたのだけどそのコーディネートが嫌で終始不機嫌だった。 白いワンピに白の上着だったんだけど、ワンピがレースなのに、上着はパーカーみたいなカジュアルで「この組み合わせでは台無し。」と思っていた。 松田聖子に憧れてたんだよね。
126 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 12:30:39 ID:dkyndKaX
4歳か5歳頃、保育園で新しく歌を習った。 私はその歌が入っているレコードが家にあったのでその歌を知っていた。 先生にその事を話すと「園でかけたいからそのレコードを持って来て欲しい」と言った。 先生は「絶対に明日持って来てね、約束よ」と私に何度も念を押した。 家に帰って私は「レコードを保育園へ持って行きたい」と母に言った。 母がダメと言ったので、次の日私はレコードを持って行かなかった。 それを知った先生は「絶対に持って来てねって言ったのに、 ○○ちゃんは約束を破った、○○ちゃんは嘘つき」と私に言った。 その時私は先生に対して心から申し訳なく思った。 「先生との約束を守れなかった、私は嘘をついてしまった」と思った。 その日、クラスで園の近くの広場まで散歩に出掛けた。おやつの時、みんなが 輪になって芝生の上に座り先生がアメ玉を一人ずつ配っていく。 一番人気は赤いアメ玉。なめると舌が赤くなるから。私も何色が当たるかなぁとワクワクしながら待っていた。 私の番になった時「○○ちゃんは約束を破ったからアメはあげない」と言って 先生は私にアメ玉をくれなかった。その時も「私は約束を破ったのだから アメ玉が貰えなくても仕方がない、自分が悪いんだ」と思った。 続きます。
127 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 12:31:43 ID:dkyndKaX
続きです。 おやつの後またその広場で遊んでいると、木陰に座っている先生達が 「○○ちゃ〜ん」と私を手招きして呼ぶので私はそこへ走って行った。 すると先生は「○○ちゃんだけアメが無いのは可哀想だからやっぱりあげる」 と言ってアメ玉を一個私にくれた。私はとても嬉しかった。「レコードを 持って来なかった私にもくれるなんて、何て優しい先生なんだ」と思った。 でも見ると、もらったそのアメ玉はハッカのアメ玉だった。 子供は苦手だからみんなに配る時には省いていた白いアメ玉だった。 それでも私は先生に心から感謝して、そのアメ玉を口に入れた。 せっかくくれた先生に悪いと思って一生懸命なめたけど、どうしても最後まで なめられず、誰にも見られない様こっそりとアメ玉を草むらの中へ捨てた。 その日、家に帰って私はもう一度母にレコードを持って行きたいと頼んだら 今度は持って行くことが出来た。それから数日間、園では毎日私のレコードが かかっていた。それから返却されたレコードに傷が入っていて、私は母から 「もう保育園へレコードを持って行ったりはしないからねっ」と叱られた。 大人になって母にこの時の事を聞いてみたら、母も覚えていた。 当時母は私が先生と約束したとは言わなかったので、私が一人で勝手に持って 行きたいと言っているのかと思ったらしい。だからレコードを持って行ったら ダメだと言ったのだった。次の日になってもまだ言ってるので母は渋々持って 行かせたのだと言う。まさかそんな事が起こっていたとは知らなかったと驚いていた。 当時の私は純粋だったなぁと思う。自分が成長していくにつれて、 あの白いアメ玉をくれた時の先生の真意がわかってきた。 と同時に腹立たしさもわいてきた。 長文になりました。すみません。
保育園って劣悪な環境なんだね
かわいそうだな なかなか難しいけど子供言ってることはどうしてそうしたいのかきちんと聞いた方がいいんだね
130 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 13:16:06 ID:qgvaTVO9
カップって何
131 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 22:20:40 ID:6ECiuqWQ
>>130 ディーバカップ
生理の時、中にいれて使う
多分2歳まえくらいのこと。 家族で高原みたいな所へ遊びに行った。 兄や姉が大きな葉っぱを傘みたいにかざしてるのがうらやましくて 「○○もしたい」とを言ったらすっごく小さい葉っぱをあてがわれた。 もっと大きいのが良かったが 「○○にはこれで十分」みたいなことを言われたので泣いて抗議した。 そして「○○はわがまま」と言われすごい悔しかった。 いま1歳児の母だが、このくらいの子どもでも本当に色々な感情を持っているので 気をつけたいと思っている。
133 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 23:13:16 ID:622FnX8Z
歩き初めのヨチヨチの頃。 追いかけられる遊びが好きで、必死でヨチヨチ逃げては母に捕まえられ喜んでた。 すぐに母が疲れておしまいと言われ抱きかかえられた時に、なんでこんなにおもしろいのに追いかけてくれないの?とシラけた感情を未だに覚えてる。
離乳食。べちゃべちゃした感じとか薄味とか苦手だった。 「お母さんがオムツを取り替えた手で作ったの食べたくない」と本気で拒否。 ご飯時は、上手く喋れなくて毎日イライラしてたな。口に運ぶの速すぎだし。 小さいときの記憶は食べ物関係が多いなぁ。
135 :
名無しの心子知らず :2010/10/02(土) 23:36:56 ID:qgvaTVO9
ごめんよ〜すぐ疲れて、、
離乳食の頃の記憶がある人もいるんだね。 このスレ読んでると 赤ちゃんも親とは別の人格をちゃんと持っていて 独自の衛生感覚があって 好みも自尊心も持っているんだなぁ、と思う。 毎日気を付けよう…。子どもにダラ母だと思われてそうだ。
ベネのほうに、お母さんが口でふーふーしたんだけど、 唾液が糸引いてるの見てそんなの食べたくない!と泣いた ってのがあったよ、私も気をつけないとなぁと思った。 自分は保育園時代に寝つきが悪くてビンタされたの覚えてる。 いま甥っ子が保育園だけど同じ先生いて、やっぱりその保育園嫌がるみたい。
連投スマソ みんなみたいに具体的には覚えてないけど。。 天井にぶらさげるメリーみたいな房が一番古い記憶で、 歩行器(たぶん)が大好きだったなー 自分専用のテーブルが付いてるのが嬉しかった。 親が仲が悪かったんだけど、哺乳瓶で牛乳飲むのが好きで、 ある日母親が泣いてるとき哺乳瓶を渡して慰めたw あと水戸黄門が好きで、長い木の物差しで母親が叩かれそうなときに 間に入って白刃どりした。父親が手を止めたからできたのかもしれない。
小さい頃泣き始めると泣き止むタイミングがつかめなかった記憶がある。 鮮明に覚えているのは2歳くらいのとき。 私が、母がお風呂に入ってしまって寂しくて泣き始めたら、 父と姉が一生懸命宥めてくれた。 それで私も「あぁ、もう寂しくないし泣いていても仕方ないし そろそろ泣きやみたいな」と思ったのだけど、 一旦泣き始めた手前母がお風呂から上がるまでは泣き止められない!と 無理やり泣き続けた。 なぜだか泣き止むのが恥ずかしかったんだよね。
>>125 私もその頃定番の白タイツが大嫌いだった
2歳頃とかでも「ダサイ」と思う感情てあるんだね
141 :
名無しの心子知らず :2010/10/03(日) 02:17:30 ID:q1ixLjDZ
幼児の白タイツ、学芸会の子羊みたいにださカワイイところがいいのに…
いろいろと事情があってエーンと泣いているのにも関わらず、 「ああ、眠いんだねえ」とか言われるのが嫌だったなあ。 『違うよ!これこれこういう理由があるから泣いてるんだよ!』 と言葉にすることもできずに、寝室に連行されるのが甚だ遺憾じゃった。 ま、結局さくっと寝ちゃうんだけどね。
幼稚園くらいの記憶だと思う 母が、近所の今でいうママ友とうちの玄関先でお喋りしているのをきいていて、私と喋るときと喋り方が違うなぁと思ってた 私と喋るときは、やっぱり子供相手だから声のトーンを高くして優しく話し掛けてくれてたんだと思う でも私にはそれが馬鹿にされてるように感じた そこで、お喋りが終わった母に「なんで私と喋るときと喋り方が違うの?」「私のときも他の人と喋るみたいに喋って!」と不機嫌そうに言った 母は最初よくわからなそうな顔をしてたけど、私が言った通りに大人と喋るような喋り方で話してくれた その喋り方が声が低くて怖くて、すぐに「やっぱり今まで通りでいい」って戻してもらったw なんか屈辱だった 私なんか、まだこんな喋り方で話されるのがお似合いなんだと思ったなw それからお母さんは正しかったんだとも思ったw
寝る時に子守歌。うるさいと思ってた。寝ないから母はすぐ歌わなくなった。 母・さあだっこしてあげる! 私・(ウーン今遊んでもないし別にだっこされてもいいけど‥まあいいや)いい、しなくて! その後母を迂回してフラフラ。気持ち的に満たされてたしスルー。兄がだっこいらない!つってたのを見て覚えた。 走ってる電車に手を伸ばそうとして「だめよっ!」と怒られた。なんか電車動いてたから伸ばしてみた。手がケガする等なんて頭に浮かばずでした。
>>139 これ凄くわかる
同じではないけど似た感じ
ぽてん!てこけて「あぁーーー」って泣くけど本当は痛くなかった
まわりの大人が「あ!泣いちゃう!」って騒ぐから空気を読んで泣いてみたり
うっかり泣く所を間違える事もあった
泣き始めると引っ込みつかないし、気疲れしたもんだ
保育園やだったな。 仲良しの友達が先に迎えが来て、薄暗くなる園庭で一人迎えを待ってる時は、 この世の終わりみたいな気分だった。 小学校に入って保育園が少数派で幼稚園では定時に親が迎えに来てその後ずっと家で過ごせると知った時は、 人生の半分損した気分だった。大人になってからも保育園卒の子とは「保育園寂しかったね」と話題になる。 保育士も嫌だった。 お昼寝の時間に毎回ある男子の真横に布団を敷かれて寝るんだけど、 その子が寝ぼけてるのか起きてるのか私の布団に入ってパジャマを脱がせて体を触ってくる。 周りはみんな寝てるし部屋は暗くて静かだし、これは言ってはいけないことのような気がしてずっと我慢してた。 ところがある日のお昼寝中保育士が3人くらい固まってヒソヒソ話をしている。 「ねえ、あそこ見て?」「クスクス」「ニヤニヤ」「あれ絶対○○ちゃん起きてるよね?」 保育士達は明らかに私とその男子の行為に気付いてたけど、 まるで私が喜んで受け入れてあえて黙っているかのように言われてて、余計に恥ずかしくて何も言えなかった。
保育園スゲーな
4歳の時。 それまで第一子&親戚にとって初孫で、超猫かわいがりされてた。 なのに、妹ができて一変して周囲に冷たくされて、自分なりに 「きっと自分の『旬』は過ぎたんだ、若い子(赤ちゃん)しか愛されないんだ」と理解した。 で、もう大人(と言うかおばちゃんw)になりきろうとして 低い声で大人のように敬語を使おうと頑張って、服も地味色ばかり選んで スキンシップも一切拒否するようになった。 大人として生きていかないと自分の居場所がなくなっちゃう、って本気で思ってた。 今幼稚園の頃の写真を見ると、本当にババ色の服しか着てなくて 大人っぽい(と思ってたw)足組みポーズとかしてて、すごい変。 もう母はこの世に居ないけど、当時の私をどう思っていたのか聞いてみたかったな。
幼稚園に上がる直前の春。幼稚園は楽しみだったんだけど、 外で一人遊びながら、「来月からは幼稚園、その次は小学校…そして大学、社会人。 これからはずっと”何か”に所属し続ける人生なのか!赤ちゃん時代から続いた 何にも縛られない自由さも、今がもう最後…」と思って、とても切ない気分になった。 行く春を惜しむような思いで見上げた空の青さとか、今でも覚えている。
私も保育園嫌だった。 保育園行ってる子って物凄く親の顔色みてる。 保育園嫌だって言ったら親がどんなに困るかが分かってるから 「保育園楽しいよ!お友達と遊んだよ!」って無邪気さを装ってた。 あの切ない思いというか、悲しい思いを我が子には絶対させたくない…。 ちなみに 小学校上がってから幼稚園卒の子達の純粋さにビックリしたw 子供ながらに育ちの良さの違いを感じた。
私は保育園が羨ましかった。 自分が幼稚園大好きで、お友達がいつもたくさん居て先生も優しくて遊具もいっぱいあって いろんなプログラム(移動動物園とか芋ほりとか)があって…って生活が楽しかった。 帰宅後も友達の家とか公園とかで遊ぶんだけど、それでも幼稚園の方が好きだったから 幼稚園みたいな場所に長い時間いられる保育園の子が超羨ましい!!って思ってた。 実際同じマンションの保育園の子に「いいなぁ」って言ってたし。 だから、事情があって専業で毎日児童館とかで遊ばせている今 子どもに対して「毎日物足りないだろう、保育園入れられなくて申し訳ない」って本気で思ってるし 幼稚園入れたら延長保育たくさん使おうと思ってたよ。
>>150 > 小学校上がってから幼稚園卒の子達の純粋さにビックリしたw
> 子供ながらに育ちの良さの違いを感じた。
流石にこれはひがみ過ぎだろ
保育園卒園者に謝れ
>>152 いやいやいや ひがみじゃなく 本気でよ。
でもあくまで私の主観だから。
なんていうか、幼稚園卒の子の方がほわわーんとしてるというか、
サバイバル感が無いというかw
この感じ分かる人いないだろうか。
いや、育ちの良さは分からないけど幼稚園卒の子は子供らしい子が多かったよ。
家に遊びに行くと子供らしいおもちゃとか雑誌が転がってて、
家の人もみんなに分け隔てなくアイスとかくれて、地域で育てましょうって感じ。
保育園はうちはうち、よそはよそっていうか余裕のない印象。
>>151 保育園と幼稚園は空気感違うからね。
自分で長くいるのと強制的に長くいさせられるのは印象が違う。
>>153 保育園卒だけどちゃんとわかるよ。
保育園の子は大人びてる。みんな悲しい感じしてたし子供らしく過ごせた記憶がない。
156 :
名無しの心子知らず :2010/10/07(木) 18:59:09 ID:47b1NiJ2
何歳の記憶かわからないけれど、「たかいたかい」が嫌いだった。 脇にくる衝撃が本当に嫌だった。 高所恐怖症でもないしスピード感が怖い訳でもない、純粋にキャッチ時の衝撃が嫌だった。 でも、親(とくに父)が頑張って高い高いしているのはわかるから、泣いて嫌がったりはできず、微妙な愛想笑いを返していた。
>>156 あ、でもテレビで言ってたよね。赤ちゃんが高い高いで笑うのは本当は怖いからだって。
だから高い高いされてキャッキャ喜んだ日に限って夜泣きすることが多いとか。
>>157 そのテレビ内容は知りませんし、情報も初耳ですね。
最近よく言われてるよ
>>153 わかります。幼稚園の子は親が余裕あるんだよね。
保育園はやはり働いてるから、子供も・・・しょうがないよね。
子とべったりに疲れて保育園預けて働こうかと思ってたけど このスレみたらそうもできないな、切ないわ。。
>>162 本当に余裕がないのでなければ、家にいてあげる方が。
保育園って時間が長いから、登校拒否する子、多いのよ。
2〜3歳くらいの頃。 辞書は色んなことの説明が書いてある大事な本なんだと聞いて、 早速内緒で書き込みした。毎日少しずつこっそりと。 「○○っていうのはこういうこと」「××はこういう名前(自分で命名)」 「○○するといっぱい嬉しくなる」 とか、次々思いついた自分の発見や名案を書き込んで後で見つ かったときに自慢げに説明するつもりだった。 辞書にないことを書き足してるつもりで真剣に書いてた。 だけど、後で見つかったときそこにある書きなぐりのクレヨンの線が あまりに意味不明で、その場では何度も読み返せたもののはずなのに 自分でも何の意味を込めて書いたのか思い出せないことにとにかく ショックだった。 説明できないんじゃしょうがないよなーと諦めて素直に怒られたものの、これは 赤ちゃんじゃないと分からない言葉なのかもしれないな、と思ったら 急に寂しくなった。 それからは何か書くときに後から見ても絶対に分かるように気をつけながら 書き込んでいったけど、後から見たら気をつけて書いたことは覚えてるのに やっぱり書いてることが理解出来なくてまた悲しくなった。 少し前の自分が分からない、これが大きくなるってことか、としみじみ寂しくなった。 しばらくして文字を知ったときは「これ便利じゃん!」とかなりの衝撃だった。
文字って、読めるようになるまでは ただの模様なんだね。
携帯からなので読みにくかったらすみません。幼稚園の時の記憶。 三歳上の兄が幼稚園を卒園した事を知らずに、幼稚園バスに乗ったら兄がランドセルかついでて「お兄ちゃんは幼稚園行かないの。」と言われて、めちゃくちゃショック受けたのを鮮明に覚えている。 私は「お兄ちゃんいないなら行きたくないー!!」と暫く駄々こねてたらしい。 お兄ちゃんいないなら教えてほしかったって思った。 そして寂しかったのでお弁当に入っていた梅干しの種を「お母さんが作ってくれたお弁当だからずっとお口に入れておきたい」と思っていつまでも舐めてたな。お母さんのお布団の匂いとかも大好きだったし。 だからなんとなく子供生んでからは香水とか匂いのつくものつけなくなった。 このスレ読んでても思ったけど本当に子供って大人が思うよりずっと色々理解してるんだな。というか理解したいと思ってるのか。
ご用聞きなのか、耳にボールペンをひっかけた男の人と 母親が何か大きな声で話をしているのを覚えている。 玄関先だったか、勝手口だったか引っ越したから覚えてないけど それが一番古い記憶。 あと園の鼓笛。 縦に長い楽器を担当してしまい、実は上の方が見えづらかった。 でも間違えたらめちゃくちゃ怒られたんで、間違えないように必死で練習した。 大人目線で考えちゃダメだよね・・・。
連休中に義父(70代後半)と会って昔の話を色々聞かせてもらったんだけど 子供のときの記憶が結構あるらしい。 くすぐられると苦しくて辛いんだけど笑ってるからといつまでもやられるのが 嫌だった、というのが印象的だった。ちょっと自分も気をつけようと思った。
「自分のことは○○ちゃんじゃなくて私って言いなさい」と割と早くからいわれてた。 でもなぜか「私」って言うのがすごく恥ずかしかった。 それでも思い切って言ってみると、親、祖父母が大げさにほめちぎる。 「あっ!○○が私って言った!えらいね!その調子!」みたいに。 「こんなのたいしたことじゃない!ほっておいてくれたらいいのに!」と 余計に恥ずかしくなって拗ねてしまい、なかなか「私」と言えなくなってしまった。 結局「私」といっても親が触れてこなくなってホッとしてやっと言えるようになった。 おだやかにほめられるのは嬉しかったけど、「すごいね〜パチパチパチ!」なノリになると 照れてそっぽ向いてしまう子供だったよ…親としてはやりづらかったかも。
保守がてら自分の記憶 赤ん坊の頃、和室に布団を引いて寝かされていた。 まだ目が良く見えなかったので、襖を開けて誰かが入ってくると(誰?)と不安になっていた。 黙って部屋に入ってきては頭をペチペチたたいたり、飲んでいるミルクを取り上げたりする奴がいて 誰かが入ってくる度、また叩かれてミルクを取られるのでは?と身構え警戒していた。 そんな事などすっかり忘れていた小学校低学年の頃、何かの折に母親が 「そういえばお兄ちゃん(2歳年上)はよく○○(自分)のミルクを哺乳瓶のまま盗み飲みしてたよね〜」 と笑いながら話した。 その時上記の記憶がフラッシュバックのようにバーン!と蘇り、 「えー?そんなことしてないよー!おぼえてない!」と言い張る兄に (あれはお前だったのかー!)と心の中で突っ込んだ。 母親によると、自分でミルクが飲めるようになったので哺乳瓶を持たせ家事に戻り、 飲み終わった頃に様子を見に来ていたそうな。 で、兄(といってもまだ2歳)がこっそりミルク泥棒に来ていたとか。 きっかけが無ければ思い出さなかっただろう記憶で、しかも当時も今もはたからみると笑い話だが 赤ん坊の自分にとってはそれは恐ろしくて不安で堪らない出来事だった。
保育園にいた頃の記憶。兄4〜5歳私2〜3歳くらいの冬。 お父さんが仕事帰り迎えに来て、5時にやっていたアニメ(ルパン三世?)に夢中で兄妹でテレビから離れなかった。 アニメが終わり、さぁ帰るかと思ったら父がいない。駐車場にも父の車がない。 「お父さんが怒って帰っちゃった!置いてかれて、お家まで帰れない!」 と私が泣いたら、兄が「お母さんの仕事場に行けば、お家に帰れるよ」と、頼もしくて勇気が湧いた。 お母さんの仕事場と保育園の距離は車で10分くらい。 歩いている間、吹雪になり、おしっこもしたくなり、靴の中も水で濡れて、兵士になった気分だった。 山の上にお母さんの仕事場があるので、坂道を歩きながら 「もうすぐでお母さんに会る。おしっこできる。」とひたすら考えていた。 山道の途中で、若いカップルが車から私達に声をかけてきて 兄が事情を説明し、仕事場まで乗せてくれることに。 車に乗った瞬間、私はホッとしておしっこが出てしまい 「どうしょう止まらない!」と静かにパニックになりつつ、すごく眠くなってそのまま寝てしまった。 起きたら、お母さんのいる仕事場でカップルはいなかった。 保育園はいろいろ寂しい記憶があるけど、これが一番な出来事として憶えている。 この日を境に父親には不信気味に。私達に対してごめん、の謝罪もなかったので 父に対して反応薄くしたり会話を減らし始めたよ。
>>172 お父さんは本当に怒って帰っちゃってたの?
>>173 家族同士で会話することが少なかったうえに
母も父も、この件についてまったく触れない&聞いてもはぐらかされるので
当時の父が怒っていたか本当のところわからないが
たぶん、子供達を辛抱強く待つのも、ひっぺがして連れて帰るのも面倒くさかったから
先に帰ったんだと思います。
夢か何かとごっちゃになっているんだよ。 子供だけで保育園から帰すことは絶対に無いから。 映画やドラマの影響が強い。
幼稚園年少の時。 園庭で友達2人とかくれんぼしていて、夢中で遊んでふと見たら 自分達以外誰も居ない。 あれー?もうお部屋入るのかな?とか言いながら教室に戻ると みんなざわざわ普通に遊んでて、先生にも気付かれなかった。 後日卒園アルバムを見たら、この時に集合写真を撮っていたと判明。 もちろん追加で撮るとかもなく、私たち3人は写ってない。 20-30人?くらいのクラスなのに、いないと気付いてもらえなかったんだとショックだった。 他にも年長くらいの時に自分で門から出てしまった記憶があるし(友達に呼ばれて、すぐ自分で戻った)、 セキュリティ甘すぎだよあの幼稚園。
177 :
172 :2010/11/02(火) 03:35:10 ID:aNYkyT19
>>175 家でまったく話に出ないので、当時の私もあれは夢だったのかと思い
保育園で兄にひっそり聞いたら、同じ体験をしていたので
なんだか理由はわからないが、あまり話してはいけないことなのだ、と兄妹で思っていました。
保育士の先生達も迎えにきた父は、アニメが終わるまで
園内ではなく駐車場の車内で子供を待っているんだと思っていて
(私達も先生にそう説明して、玄関でさようならして駐車場に駆け出したので)
駐車場に父の車がない→保育園に戻らずにそのまま母の仕事場へGO
という形だったので
先生達も何があったか知らないままです。
似たような体験をしたなぁ。 年中の時、 その日、朝から雪が降り帰る頃にはかなり積もった。 幼稚園で雪遊びして楽しくて家に帰りたくなかったので、 迎えに来た母の「帰るよー」を無視して園庭で遊んでいた。 そのうち母がいなくなった。 友だちのお母さんが私の母がおらず、私が一人でいるのに気付き、 私を雪の降る中、家まで送ってくれた。 母を叱る友だちのお母さん。 母は何も言わなかった。私にも何も言わなかった。 まだ赤ん坊の弟がグズッていた。 ま、それだけの話なんだけど、母も弟の世話や舅姑の相手、 養蚕農家だったから冬でも桑の木の手入れとかあって忙しく イライラが募ったんだろうと思う。
>>178 その時のあなた自身の感情はどうでした?
淡々と事実だけを憶えてるって感じなのかな?
>>179 その時は、母がいなくなったことに不安を覚える程度でした。
周りにはまだ何人か園児がいたし、友だちのお母さんがやさしかったし。
小学生になったころに、母が私を置いていったことを悲しく思い、
思春期の頃は、置いて行った母に怒りを覚え、
我が子が幼稚園に通う今は、気持ちを理解出来る「ところもある」。
いろいろ思い出すけれど、母は子供たちをあまり好きではなかったかな?
という感じがするのです。
他にも、後になって「どうしてそんなことをしたの?」ということがいくつかあって、
その最大の物が、首を絞められたこと。
これ以上は、書くのをやめましょう。
>>180 むりやりに掘り起こす記憶でもないし、詳しく書かなくていい。
そんな行為をされた記憶は、子を持つ年齢になってもずっと残り続けてしまう、
それほどのことだってのが解っただけで十分。
普通はずっと残らないけど。 怨みが残った人がこのスレに常駐してる感じ。
何かあっても、他に楽しいことや嬉しいことが多ければ忘れるかもな。
3才のころ、毎日姉の幼稚園のお迎えに一緒に行っていた。 必ず幼稚園に向かう途中でおトイレに行きたくなって、たまに田んぼの端にかがんで野ションしていた。 すれ違った当時の母のママ友数人が、何故か三人で「せーの」で声を合わせて、 「出ましたか〜?」と聞いてきた。 私としては道端で用を足すのは不本意で、誰にも見られたくない思いだったのに、なぜわざわざからかわれたのか? ものすごーい恥ずかしくて嫌な気持ちになった。 それと、普段はめちゃくちゃ厳しい母が病気の時は激アマで、寝たままジュースを飲ませてくれたりしたので、味を占めて 仮病をよく使っていた。病気の時だけ優しい、は教育上良くないと痛感したわ。 うちの姉はおまるで用を足した時の事も鮮明に覚えているそうなので、子供がまだしゃべれない、小さいからと言って 「理解していない」と思うのは間違いだよねー。実は結構わかってるよねーという話をよくしています。
小さい頃、よく泣いたり、だだこねたりで、困った子供だったらしい。 父に一度 「泣き止まないと落とすぞ」 って抱っこされて、2階の窓から落とすふりされた瞬間を覚えてる。 落とされると大変とか怖いとか何も感情が沸かず、ただただ泣いてた。 今思うと、そんな脅しで泣き止む訳が無い。 幼稚園に行く時は、母と別れた後、みんなと並んで幼稚園に向かう途中も、 着いてからもずっと泣いていて、先生にいつも怒られていた。 「泣き止まないと、『のの様』の部屋に入れるよ!」 と暗くて広い部屋によく閉じ込められた。 仏教系の幼稚園だったので、でかい仏像のある怖い部屋だった。 余計に泣いていた。 今思うと、そんな怖がらせる事して泣き止む訳が無い。 大人ってむちゃくちゃだと、大人になった今でも思う。 なんか心理的に病んでたんだと思うわ、私。 我ながらかわいそう。
典型的な「親のせい」病。 子育て頑張ってね
>>185 です。
>>186 何!?何ですかそれ???非難じゃなくて純粋に知りたい。
スレ違いで読んでる人には悪いんだけど。
ただでさえ泣いている子供を 恐怖で泣き止まそうって無茶なことするよなぁw あの時代の親の常識だったのだろうか?
>>185 自分も泣いていたら押し入れに入れられたけど
怖くてかえって激しく泣きわめいた記憶があるなあ
うるさかったらしくすぐに出されたけどw
小さい子どもを暗い場所に閉じ込めたら泣くに決まってるじゃん…と思うんだけど
>>185 の場合といい、どういう意図があったのかなあ
>>189 よく寝ない子とか泣いてぐずる子の相談に
「放っておけばそのうち泣き止むから、安全対策だけして放置すれば?」って回答してる人いるじゃん?
そういう人たちと同じ思考回路なんだと思う。
時間はもっと短いけど、別室に放置して頭を冷やす時間を作らせる「タイムアウト法」とかもあるし。
いや、うるさくて家事の邪魔だったり他の子にも迷惑だから、隔離する意味合いの 方が大きかったと思うよ。 私も一時期、朝起きて布団に家族がいないと寂しいやら悔しいやらで泣きながら 両親に抗議してたんだけど、朝の支度が終わるまでベランダに出されてたorz そりゃもう、ますます火が付いたように泣きわめいて近所迷惑だったと思うわ… 忙しい時間に邪魔だったのは分かるけど、もう少し早く起きるとか対処法はあったような気がする。
どこかに書いた気がするけど、怒られてベランダに出されて近隣から 「○ちゃんどうしたの?」と言われてから、 地下に閉じ込められるようになった。 うるさいからにもう一票。
私は風呂に閉じ込められたことがある。 風呂での事故があったら困るからと引き戸の上に父が鍵をつけていた。 何をしてそうされたかは覚えていないけど。 結婚後両親と食事に行ったとき「昔は風呂に閉じ込められてさー」 と話したら父が「え、それ初めて聞いた」って。 当時父は早朝から深夜まで休みもほとんどなく忙しかったからなあ。 今思うと母も大変だったろうけど(今みたいに便利な育児用品ないし)、 教育上の効果よりも親が単に放置したいだけ、な気がする。
>>193 父も共犯なのに何いってんだと思ったけど、これは父が安全対策のため(勝手に入らないように)つけたカギを
母が閉じ込めるために悪用(というといい過ぎか)したってことかな?
七五三の時のことを未だに覚えてる。帯が苦しくて神社まで来たのにお参りせずに帰りたいとごねて親を困らせてた。
あと石段が私の足には高すぎてとにかく嫌だった。早生まれだから当時2歳8カ月かそのくらいで、
しかも同じくらいに生まれた子の中でも小柄だったから相当大変で……。
今では悪かったと思う。せっかくの七五三の思い出をごねる娘が大変だったエピソードにしたのはちょっと申し訳ない。
この一連の流れで思い出した。 小学校あがるまえ、家族+祖母とドライブに行って(山奥にある観光名所) 始めはワクワクしていたのに、景色を眺めるだけで結局つまらなく お土産屋も木彫りとか全然ワクワクしないのばっかりで 持参したおやつのグミも食べきってしまい 帰りの車内は、つまらない思いが募り グズって泣いていたら、父に「なぜ泣くのか」と説明を求められ 「つまらなかった」「こんなにつまらないなら来たくなかった」と言ったら 父が「車から降りろ!そんなことを言う奴は置いていく」と 祖母が止める中、車から引きずり降ろされて 見えなくなる距離まで車は行ってしまった。 私はさらに大泣き。 他の観光客が私を見ていたがお構いなしだった。 五分くらいして車が戻ってきたが父も母も何も言わず(無視?)、祖母が「車に入っておいで。せっかく連れてきてもらったんだから、あんなこと言っちゃだめだよ」という。 私は内心不服で、それでも、置き去りは恐いから祖母の膝枕で声を押し殺しながらひっそり泣いていた。 「ひどい親だ!」と腹を立てたのを覚えているが 叱る父と同じくらい、黙ったままの母にも不信感が残った出来事だったなぁ。 子供にとってつまらない場所へ行ってしまった場合 帰り道には子供にとってテンションのあがる場所や物を一つは用意してあげるといいかも。 あと、お仕置きのあとは親自身からの言葉のフォローやケアも大事! 泣いているから&小さいから話しても無駄と思わずに 丁寧に説明してあげるといいかも。
196 :
名無しの心子知らず :2010/11/09(火) 03:55:27 ID:GxhG/gFa
一番古い記憶は、2歳になったばかりのとき 曾祖母が亡くなって、葬儀をしてる最中の出来事。 周りには真っ黒な人(礼服だから?)がたくさん居て、みんな泣いていた。 唯一、となりで叔母さんの膝に座って甘えていた従兄の表情は今でも思い出せる。 目の前には黄色や白のお話が並んでいて お母さんの姿が見当たらないから不安だったけど なんとなく、おりこうにしてなきゃと思った。 これを母に最近話して、ようやく私が2歳ぐらいだったことを知りました。 幼稚園ぐらいの話かと思ってたので…
>>196 黄色や白のお話が並んでいて
ってなに?
「お花」の間違いじゃないかと
子供ってどこまで甘やかせばいいんだろうね・・・ 可愛げない子に育っちゃったらハイハイワロスワロス出来る自信ないわ
メリハリじゃない?
>>194 193ですが、説明下手ですんません。おっしゃる通りです。
子供がうっかり入って怪我したら困るからと父がつけた鍵が
母にとっては好都合なお仕置きスペースだったわけで。
>>195 子供は飽きっぽいからねえ。
景色楽しむとか温泉とか、乗り物に長い間乗るとか無理そう、
と思うと旅行は当分お預けでいいやと思ってしまう。
泣き止ませ関連でうちの母は「泣くな!泣くと叩くよ!」でビンタだった。 泣きやめネーヨ! しかし父親が怒りだす前に泣き止ませようと必死だったんだな、 と大人になったら今は思う。
転んだとかぶつけたとかでどっか痛いとき、 よく母親に痛いところをさすられながら慰められたんだけど、 痛いとこ触られると余計痛かったので、自分の子にはやらないようにしてる。 ほかのママさんたち見てると結構みなさんナデナデしてるのよね。 お腹痛いよーとか、内科的な痛みにはいいんだけど。
弟が生まれて初めて家に来た日を覚えてる。当時2歳7カ月。 病院には注射怖いと言って一度も行かなかったらしく、お腹に赤さんいると言われても ピンと来てなかったので、自分以外の小さい者が母親に抱かれているというビジュアル面でのショックと 世界の中心が自分じゃなくなった、という精神面のショックから即効赤ちゃん返りしたww 赤ちゃん返り=自分も赤と同じことすれば同じようにかまってもらえるに違いないという 子供の浅知恵なんだと分かっていたので自分の子のときは上の子中心にかまったけど、 それでも赤の存在そのものが自分の存在をおびやかすわけで、今まで100%だったものが 親がいくらがんばって上の子をかまおうとも70%くらいにはなっちゃうわけで、 やっぱり赤ちゃん返りはしたけど。
>>204 うちの息子は三歳だけど、
祖母に「痛いの痛いの飛んでけー!ほら、痛くないでしょ?」をやってもらってから、
痛い部分をさすって↑をやれっていうんだよね。
痛いところ触らないほうがいいんだろうに・・・
保育園が嫌だった人が多いけど、私は保育園が羨ましかった。 お昼寝布団が干してあるのを見て、フカフカ(に見えた)の布団にみんなと寝るなんて 楽しそうで、羨望の眼差しで見ていた記憶がある。 自分が幼稚園に行く前(姉が幼稚園に行ってて昼間遊ぶ人が居なかった) だから、3才くらいの記憶だと。 母は子育てうまくなく、一緒に遊んだ記憶はなく、ほとんど姉に相手して もらってたから、つまらなかった。 保育園からお迎え帰りの園児とそのお母さんを見て(家のベランダから) 楽しそうで幸せそうで、羨ましかった。 専業でも兼業でも、ちゃんと子と遊んで会話しないとダメだよね。
弟が産まれて、病院で窓越しでみた事を覚えてる。二歳一ヶ月。 弟だけ違う台に乗せられて、「さすが我が血を引く弟は特別扱いだのぅ」みたいな事を思ってた。もうすぐ娘が二歳一ヶ月。こんな小さいのに色んな事考えてるんだろな
ここを読むと子育てが怖くなってしまう。
自分は妊娠中にこのスレを見つけて育児が楽しみになったよ。 子供は親からの愛情が本当に欲しいんだな、とか 親との思い出づくりも子供は意外と憶えているんだな、とやる気がでた。 親からされた嫌な思い出は自分も覚えているから気をつける。 喋れない小さい子にも、ちゃんと向き合って返事や相槌したり 何かするときも事前に説明してからとか 些細なことだけど大事だね。
私は
>>164 の話が興味深かった。
子ども本人は、ちゃんと書いてると思ってやってるんだよね。
うちの子はまだ1歳8カ月だから、ほとんど宇宙語しか話さないけど、
本人は、日本語喋ってるつもりなんだろうなと思ったよ。
それにしても、164さんの、その場では何度も読み返せたというのがすごい。
そして、2〜3歳でも自分の成長について考えたりするもんなんだね。
四歳の時、夕方弟と遊んでいたら、知らないおじさんが、「オマタを触らせてくれ」って言ってきて触られた記憶がある。怖いとかまったくなくて、「???」って感じだった。今思うと私四歳、弟二歳。母ちゃん二人きりで公園に遊ばせるなよ!と思う
一番古い記憶。 たぶん1歳前後で、従兄弟のお下がりの歩行器に乗せられてた時。。 歩行器の前のテーブルにベビー用のおやつと哺乳瓶と小さいおもちゃが乗せられてた。 母親の近くに行きたい時は足を少し動かせば近寄れる。 目の前には好きな食べ物もおもちゃもある。 こんな素敵な場所があるなんて!みたいな感覚で歩行器に乗ってたよw 他にも、弟が生まれて(1歳差)母親の関心が分散された時に 今まで居なかった弟が憎くて仕方がなかった記憶がありますw あっちいけ!みたいな感じで弟の顔(ほっぺた)をぺちぺち叩いてたんだけど いかんせん力も無いし、両親は「弟君を可愛がってるね〜。お姉ちゃんだもんね。」って感じで、 私は弟が憎くて叩いてたんだけどそういう風に受け止めてくれて お姉ちゃんの意味もわからなかったけど、なでたり触って可愛がらなきゃいけないものなんだ。 って意識?が芽生えて、それからは弟大好きっ子になった覚えがあるw (小学校低学年ぐらいまで平気でチューとかしてた・・)
>>210 私も、新生児の頃から読んでたら、もっと子供に話しかけたのになあと思う。
あの頃は、どうせ通じないだろうと思って、無言で抱いたり移動させてた。
きっと、急に動かされたりして、びっくりしてたんだろうなあ。
今思い出すと、急に抱き上げたりすると、ビクッとしてた気がする。
夫の赤ちゃんのときの記憶。 風邪のとき、母親に鼻水を直に吸われるのが 汚くてショックですごく嫌だったらしい。 あと、お風呂場で父親に冗談で乳首を吸わされそうになり 気持ち悪いと本気で思ったそうだ。 赤ちゃんでも、不潔という感覚がきちんとあるってことだね。
子供に離乳食あげてて自分の記憶がフラッシュバックした まだ離乳食食べてる頃どろどろの食感が嫌で固形物が欲しかった 食べさせてるスプーンで顎についた食べ物をすくいとられるのもいやでアピールしてたけど母親には伝わらず辛かった 今になって聞くとあなたは食べるのが嫌いな子で食べさせるの苦労したと。 精一杯訴えてたのにな
まだ固形物は食べられないだろ
2歳前半。 祖母が、赤ちゃんを抱っこした隣の家の奥さんと立ち話してた。 赤ちゃん可愛いねー、○○(私)もだっこさせてもらったら〜?と祖母が言う。 私は内心で、いやいや無理、落としそうで怖いって! ていうか私が「じゃあだっこさせて」って言ったってどうせ抱っこさせないでしょ? なんで実際にはやらせる気のない事を言って面白がるんだろ!大人って意地悪だ! と憤っていた。 が、自分の気持ちをあまり言わない子だったので、外から見たらただもじもじしてただけ。 あと、幼児が真剣に何かやっても微妙にとんちんかんだったりとか、 言い方が面白いとかで「かわいい〜」とか笑われることあるじゃん。 あれがすごく悔しくて傷ついたのも覚えてる。黙ってたけど。 意外にプライド高かったり、色んな事考えてたりしたなと。(でも意思表示しなかったり) 自分の子も、言葉にできないなりに色んな思いがあるんだろうなと思う。 けど、それを汲むのもなかなか難しい…
>>219 あるある。
バカにされてる感がすごい嫌だったな
多分小学校あがる前。母が風邪で寝込んで父が看病していた。 母は熱があって「冷やさなきゃ」と思った私はティッシュ(w を水で濡らして母のとこに持っていった。 そしたら父にきつい口調で「向こうに言ってなさい!」と叱られ「私だって心配なのに!」とか「ティッシュだから?」と思いながらトイレで隠れて泣いた。 いつ頃のことか曖昧なので聞いてみたいけど、多分親は覚えてないと思うw それに、言ったら悲しませそうだし、私自身思い出しただけで泣きそうになるので一生言えないと思う。 子供にうつしちゃいけないと思ったのかもしれないけど、言い方って大事だと思った。
>>221 いたいけなエピソードじゃないか。私がお母さんなら聞かせてほしいって思うよ。
でもお父さんには言わなくていいかもねw
ちょっと大きくなってからのことで恐縮なんだけど、、、。 幼稚園年少のときX'mas会でサンタの衣装を着た本当にサンタっぽい人が現れた。 そのとき、初めて「サンタって本当にいるんだ〜!」と驚いた。 (街で売り子してるサンタもサンタ衣装来てるけど、 X'mas会のサンタは演技力抜群だったんだね、今思うと) 家に帰ってから両親に「X'mas会にサンタが来た!」と興奮して報告。 「この長靴のお菓子もらったんだ!」と。 母は「ちゃんとお礼言ったの?」 父は「どんな人だった?」 「おひげが真っ白で、赤い服着てて、外人だよ! 『メリークリスマス!』って言ってくれたもん!」 父は「イヤソウジャナクテ、眼鏡かけてたとか、色黒だったとか、太ってたとかアルジャン」 私「え、、、サンタさんだから太ってたよ。」 父は「ソウカ。太ってたなら、◯◯酒店の旦那かなぁ」 母は「◯◯さん、委員なのよね。だからお手伝いしたのよ、園の行事の」 私は、だれか幼稚園児のお父さんが扮装しただけかと、その日に理解してしまった。 それ以来、や っ ぱ り サンタはいないと諦めた。 X'masの夜、一応枕元に靴下をかたっぽ置いておくんだけど、 朝起きると、その隣にティッシュに包んだ昨日も食べたお菓子置いてあったりして、 たったそれだけでも子供心に不思議に思ったりしたもんだ。。。 (いや、昨日の残りというのも、置いたのは母だとは分かるんだけど、 いつの間に……? とか、不思議だった。) 実家は別にカネコマでもないんだが、 昭和初期生まれの両親は洋モノのお祭りなどバカらしいと思っていたふしがある。
似たような記憶がw 幼稚園のお遊戯室にサンタさんが現れた!驚いて嬉しくて興奮する園児たち! 私も、わー!サンタさんて本当にいるんだ!と嬉しかった! 「ヨシトモくんのお父さんだ!」 誰かがサンタさんを指さして叫んだ…。白いフサフサの眉と白いヒゲをたくわえ、わずかに目元しか 見えていないのだが、確かにそこにいたのは会ったことのあるヨシトモくんのお父さんだった。 私がサンタさんを信じたのは、わずかに40秒ほどだった。 今、年少の息子に「サンタさんは、いるか、いないか」どっちを信じるようにしようかと、旦那と議論中。
あ、サンタさんが友達のお父さんだと知った時の、ガッカリした気持ちの落差を 子供に味わわせるのが悲しいので、私はサンタさんはパパなんだよ。と教えたいのですが、 旦那は反対しています。 旦那は10歳になるまで信じていたので、楽しい気持ちを持っていてもらいたいと言っているのですが。 私もその方がいいかな、と思いつつ…。うーん。
ども、223です。すれ違いじゃなくてヨカッタ。 >サンタさんが友達のお父さんだと知った時の、ガッカリした気持ちの落差 「ヨシモトくんのお父さんは幼稚園でサンタを演じてくれたね。格好良かったね。 幼稚園ではホンモノサンタさんに会えなくて残念だったね。。。 でも、別の所にサンタさんはいるよ〜。」 で、ええんでねえの?>サンタを信じさせたかったら。 実際、ホンモノサンタの検定や資格を持つ人? みたいなのは世界中にいるらしいし。 (ご丁寧にも時期になるとそんなニュース報道があるよw) 手紙を受け付けるサンタさんとかもいるし。 ホンモノサンタをどう定義づけるか? は、また家族で相談だろうけど。。。 中学の時に友達に「私は高学年まで信じてた」と言われホント驚いた程、 自分は「サンタがいない」と信じてた。微塵も疑わずに。 けど、大人になって、実は「いる」というか、大人が色々作り出していることを知った。 で、次、子にどう伝えるかは自分も悩み中。
2歳すぎの節分の時の話。 父が豆に付いてた鬼のお面を被っていたみたい。 当時の私は『本物の鬼だ!』と思い『食べられる!』と思い、泣きながら必死に走って逃げ回ってた。 小さな体でドシドシ(?)走る振動や視界の揺れまで。 そんな夢を3歳の時に見て、泣きながら目が覚めた。 母に『鬼!鬼!』と必死に訴えたがスルーされていた。 そして5歳の時に私のアルバムを広げていると当時の泣きながら鬼から逃げている写真を発見。 母に写真を見せながら『この時の事を覚えてるよ!』と話しても何故か適当に作り話をしていると思われていた。 インパクトがありすぎる事は、月日が経ってからもフラッシュバックするみたい。 そして、あんなチャッチイ鬼のお面でも、父が付けていたとしても幼児には本物に見えるし本気で怖いという事を知った。
228 :
名無しの心子知らず :2010/12/08(水) 14:07:31 ID:DM3IF0Py
あ
>>225 ものすごくのんびりとした校区(転勤してきた先生がびっくりするくらい)の小学校に通ってた娘、
3年の時「サンタはいない」って言った子が、クラスで吊るし上げにあったらしい。
担任の先生がおさめたそうだけど、どうやったのかいまだに気になってる。
本人は小6の冬まで信じてた。
中学受験するので、塾の先生に「心情が読み取れないと困るので言いますが」
との前置きつきで知らされたそう。かなりショックだったそう。
それでも私の「プレゼントを持ってくるのは親だけど、その気にさせるのはサンタの魔法」
でとりあえずいまだに納得してる(現在大学生)。
自分は父親の「サンタを見たことがある」「後姿だけだった」
「声をかけようかと思ったけど、それで来年以降来てもらえなくなったら大変だから寝たふりをしてた」
を真剣に信じてて、「さすが大人は違う」と思ってたよ。幼稚園に入る前だから多分3歳くらい。
230 :
名無しの心子知らず :2010/12/08(水) 23:46:01 ID:mFb0OOQw BE:786142962-2BP(0)
皆みたいにはっきり覚えてないけど、0歳のときに和式の部屋に寝かされてて、 写真を撮るんだけど、お姉ちゃんが私の横にゴロンとしてきて一緒に写真を 撮ろうとしてたのが嫌で泣いてた記憶があるな。 とにかく姉ちゃんが自分の布団の上に入ってきたのが邪魔で嫌だった。 後は、年は覚えてないけど幼稚園に入る前の年齢の時、お母さんと買出しに行って お菓子買ってってかなりダダこねた時、家に着いたら車に一人で取り残されて 凄い泣いてたの覚えてる。 自分で車の鍵開けて玄関まで行ったら、家の中から私のことなんて忘れてお母さん と姉ちゃん2人が楽しそうに話してるのが凄い寂しい&ムカついたのが鮮明に覚えてる なぁ〜。
オカルト入るかもだけど 自分はここにいるはずじゃない、間違っている、帰りたいと思って 天井の方まで浮いて、来た所?に戻ろうとした記憶があるw そこからはどうしても帰れなくて、ああもう仕方ないんだなと。 後は、全部知っているのにまたやり直すんだ・・・というウンザリした思いを 強烈に憶えてる、これは幼稚園に行く前。 これから全て忘れるので、思い出す為に幼稚園や学校に行くんだろうか? そんなこと必要ないのに、絶対忘れないのに?みたいな。 で、もしかしたら今こうして考えていることも忘れるかもしれないので 憶えていなきゃ、絶対憶えているんだ!・・・と思って、今も憶えてる。 何か自分が気の毒になってきたわw そのせいか今現在、親とは交流無いです。 実家にいた時は本当に辛かった。
>>231 すごいね。
でも、その記憶は嘘じゃないと思う。
よくない思い出だけど、3歳の時に夜中に両親が夫婦喧嘩していてその声で目を覚まし両親のいる居間に4つ上の姉と行ったら母が『姉子!ママと行こう!!』と叫んで姉だけを連れて出ていこうとした。私は呼ばれなかった。 ショックすぎたから繊細に覚えている。大人になってから姉に聞いたら姉も覚えていた。 母のことが未だに好きになれないのはこれが原因かもしれない。
231です、
>>232 さんレスどうも。
何事も「思い出せるかどうかを試されている。」と思っていて
子供らしくないというか、斜に構えた本当に妙なクソガキでした。
親や周りの人も気の毒でしたね。
そんな風にして通った幼稚園が仏教系で、園長先生は坊さん。
因果応報とか輪廻転生とかを面白く話してくれて、それで納得したというか
自分の思っていることは正しいので、自信を持っていいんだ!と凄く嬉しかった記憶がある。
しかし絵本「耳なし芳一」では号泣、しばらく情緒不安定。
感受性が鋭い、にしては何かが大きくズレているのでw
本当に謎な子供だったらしい。
霊能者?な知人にその頃の話をすると「あんた前世は坊さんだから当然。」だって。
何がどこまで本当やら、もう汚れた大人になってしまったので思い出せないw
来世は東南アジアの仏教国で、学僧に生まれ変わる予定にしてます。
>>234 うちの子は、園の外遊びの時たまに一人ベンチに座って「ちょっと休憩したい」と空を眺めていたらしいけど、
もしかしたら「なんか違う」とか思っていたのかしら…
236 :
234 :2010/12/09(木) 20:59:46 ID:GO0LRLpZ
>>235 そうですね、ベンチから身体が浮いてたら要注意かもw
なんかこのスレ見て思い出した・・・気がする。 寝かしつけの背中トントン、自分はいやだった記憶がある・・・。
自分も背中トントン嫌だったなあ。でも母が触れてくれるのは嬉しかった。
>>231 やり直しのウンザリ、わかるわー。
当時この記憶は絶対忘れないでおこう、って強く強く思っていたけどやっぱり忘れたw
こんなに話してるのにだれも理解してくれないのはなぜ?と疑問に思う一方で
出ている声が「だー、あー」というのも理解していた。
本当はちゃんとしゃべれるのに!と歯がゆい思いをしていた。
ベビーベッドに入ってずーっと天井みさせられて、やることもないし
蛍光灯がつけばまぶしいし、呼んでも遠くで返事されるくらいだし
たまに兄が来るくらいで、寝てるのが退屈で退屈で仕方なかった。苦痛だった。
一度親戚が大勢で来て、まわりを囲んで「わー」って覗き込んできて、
かわいいーとかチヤホヤしてくれてすごく嬉しかったのを覚えている。
保育園で裸で日光浴させられるのが恥ずかしくて嫌だった
そのことを大人に伝えるのも、ませてる感じがして嫌だった
そして保育園は「めんどくさいけど行けば行ったで楽しいところ」だと思っていたw
自分にも周りにも寂しさや悲壮感なんかは感じていなかったな
>>207 さんの最後の一文の通りだと思うよ
出勤前なのに必死にこのスレ読んでしまった 幼稚園育ちの自分は、保育園出身の子が羨ましかったな うちの幼稚園は2年制だったので、「こんな楽しいところに もっと長く通えてたなんていいな!」ってそういう気持ちだった それに、保育園出身の子達はなんだか結束力が強い感じがした このスレを読んで、なんとなくその理由がわかった気がしたよ
私は保育園嫌いじゃなかったなあ。 延長保育がたまにしかなかったせいかな? わりと教育熱心な?保育園だったらしく、保育料の他に別途払えば英語教室なんかもあったようで、 これは記憶にないんだけど母によれば 「あんたは英語教室を廊下からこっそり聞いていた、月謝払ってないのにw」 だ、そうです。 あ、でも一度暗くなっても母が迎えに来なかった日があって、 そのときは 「まだこない…もしかしてもう来ないのかも…いやいやきっと来てくれるはず…でも…」 と、すごく不安になったのを覚えてる。 迎えに来てくれたときは嬉しかったなあ。 何歳の時かは覚えてないな。3歳くらいかな? そんな私も二児の母だけど、時々変な感覚に襲われる。 うまく説明出来ないんだけど、例えば子どもの髪の毛を洗っているとき、 「あ、私シャンプー目に入るの嫌だったな、いつシャンプー終わるか分からなくて泣いたな」 と思い出したり、子どもの体をバスタオルでふいているときに、 「あ、頭ふかれるときにバスタオルがばさーっと顔にかぶさって前が見えなくなってあわあわしたなー」 と思い出したり。 なんというか、大人の視点と子供の視点が同時に見える?感覚というか… ちなみにシャンプーはいつ終わるかを明確にするために数を数えたり、 バスタオルで頭をふくときは 「はーい、頭ふくよー」 と、あらかじめ声をかけるようにしてる。 そのせいかは知らないけど、娘は小さい頃からあまりシャンプー嫌がらなかった。
すごい思い出すね。自分で育児し始めると。1歳児餅。 自分が1歳3か月の頃に実母が亡くなり、その後、親戚を回され、 3歳で実父が養母と再婚して実父の家に戻ったそうだ。(ここまでは真実) 以下、記憶。(でも、3歳前でこんなに会話成立するのかな?) 私は、毎晩「明日はどこへ行くの?」と、寝間着を着せてくれる人に聞いていた。 「●●さん家よ」とか「■■県よ」と答えられると、ある意味満足して、 「●●さんいい人?」とか「■■県って遠いの?」とか、聞きながらおやすみなさいをするのが習慣だった。 「公園でも行こうかぁ」とでもはぐらかされるのが一番嫌だった。 でも、ある夜、寝間着を着るときのこと。 私「明日はどこへ行くの?」 オバサン「公園でも行こうかぁ」 私「違う! 明日はどこで寝るの?」 オバサン「明日もこの家で寝るのよ」と言われた。 私「いつまで? 次の日は?」 オバサン「明後日もよ」 私「アサッテ?」と難語だったので聞き返すと オバサン「明後日、知らないか。ずっと、よ。」と答えてもらえた。 (つまり1か月くらい続けてその家にお世話になったらしい) 私「今日と、昨日と、明日は知ってるけど、アサッテは知らない」 私「ずっとって本当? ほんとにほんとに本当?」と、めちゃくちゃ喜んだ記憶がある。 飛び跳ねて、寝られない程。 オバサン「おばちゃんちにいたかったらドンドンしないの! ドンドンする子はまた別のお家に行くことになっちゃうよ!」と怒られてorz。 それから忍び足でそ〜っとそ〜っと布団に入ったけど、本当に嬉しくて寝られなかった。 そんなこんなで、3歳前まではとても「いい子」だったらしい。が、 その反動は中学以降にやってきた。自分でも覚えているがすごく荒れたよ。 3歳までの生活の影響がどんだけあるかは知らないし、 その後の養母との関係も悪かったから、一概に何がどうとは言えないけど。。。
つらかったんだね。 「いい子」でいるようにきっとすごくがんばってたんだと思うよ。 小さい子供だからって本当になにもわかってないわけではなくて ある程度大人と同じ、もしくはそれ以上に鋭敏な判断力や 思考力を持ってると自分の幼い頃を思い出しても思うよ。 大人の物差しでは論理的とはいえなかったりするだけでさ。 自分は、6歳の年に家庭内の環境にいろいろな変化があって それが家族の病気に関することだったので数年間 不安定な状況が続いたんだけど、10歳頃の1年間、なんだか急に 暴力的になってしまって、クラスでも軽い問題になった。 すごく強い暴力をふるうわけではなくて、自分でもどうしてか わからないし止めたいんだけど、なかば反射的にクラスメイトを 軽くぽかっと叩いてしまうのがクセのようになってた。 意識して抑えようと思っても、すぐにまたやっちゃうんだよね。 家の中の状況がある程度落ち着いたからなのか、 大人になったからなのかはわからないけど、 11歳の頃には気がついたらそのクセは消えてたな。 後になってから、家庭内でのストレスがそうやって 現れてたんだろうと思ったけど、子供の頃にはそれがわからなかった。
両親共働きで帰りが深夜になることもあった我が家 あまりに遅いときは事故にあったんじゃ、、と心配で 無事に帰ってきますようにとお祈りしながら寝た。 現在、経済的に二馬力に戻したいけど自分が子供の頃の気持ちを考えると どういう働き方がベストなのか悩む。。
245 :
242 :2010/12/23(木) 22:01:09 ID:nxEQZDLS
>>243 ありがとう。
急に暴力的な時期もあった。大学の頃、彼をペシペシ平手打ちしてた時期があった。
やっと甘えられる存在に出会えたんだろうと、今思う。
その彼は現在の夫。夫に「毒抜き」してもらっていると感謝している。
>>242 の後日談を思い出した。
自分の2歳7か月のときのクリスマスイブ、
他の親戚の家に預けられ、クリプレが喪服(紺のワンピ)だった。
喪服を着て、そのおばちゃん家に戻った。おばちゃんの父親(おじいちゃん)の葬儀。
葬儀の後、おばちゃん一家はみんな泣いて私の部屋に集合した。
私は泣けなかった。
おばちゃんの実子の年長ちゃんが「私ちゃんはどう思っているの? みんな悲しいのよ」と言った。
私は「私にはおじいちゃんいないし、お父さんにもあんまり会わないし、よく分からない。
でも、もし今、年長ちゃんがいなくなったらとても悲しいと思う」と言うのが精一杯だった。
「そう……」と言って、またみんな泣いてた。
私は、いたたまれなくなって、笑った。年長ちゃんが私の頬を平手打ちした。
おばちゃんは精一杯謝ってくれて、年長ちゃんを叱ろうと別室に連れて行こうとした。
年長ちゃんは「私ちゃんはどうして笑うの?」
私「泣いて何か良いことがあるなら泣けば良いけど、泣いてもどうにもならない時は、笑った方がいいのよ。」
それを聞いたおばあちゃんが「そうね! 私、もう泣かない」と涙をぬぐいながら同意してくれた。
「なくすものがない方が、強いね」と。
「じじばば父母揃っていた年長ちゃんより、父にもたまにしか会えない2歳児の方が強いな。」
おばちゃんが言ったのを耳にしたけど、聞いてないふりをした。
2歳頃から聞かないふり、覚えていないふり、起きてないふり、をおぼえ、
本当に思い出せないものになり、35年も経った今、育児を通じて思い出される。
……という私は保育園より「キャンディキャンディの孤児院」に物凄く憧れていた。
>>242 せつねぇな…
私も自分の子を育てていて、自分の子供の頃を思い出す。
こんなに愛しい、とかかわいい、とか思って育てて貰ったのかな…いや違うなwと。
まあ同居クソトメ(祖母)がいたし、今は亡き夫(父)は関白宣言だったし、
忙しい中で、ロクに可愛がりもせず、子供3人に気を使う間も無く、過ぎてしまったんだと思う。
その環境では仕方が無いのは分かるけど、私が自己肯定が低いのは幼児期の育て方が影響してると思わざるを得ないw
たまにでいいから、可愛いとか大好きとかお姉ちゃんえらいね、とか言って欲しかったなw
ふとそういう事を思い出し、突然に子を「大好きだよー」と抱き締めてみたりしてる。
別に頭のいい子になって欲しいとかはないけど、自分が自分を認められない子にはなってほしくないなぁ
>>246 >自分が自分を認められない子にはなってほしくないなぁ
自分が自分を認められる子になってほしい!と否定形より希望形でいこうよ!
自分も育児をしていたら子供の頃をやたら思い出すようになった。
この前は小学校入学して初めて授業がある日、私はほぼ空のランドセルで登校して
隣の子に教科書見せてもらってたのを最近思い出した。
普通、親が用意してくれるか一緒に用意するよねorz
父親の浮気とか色々あった時期だから大変だったんだろうなとは思うけど
その時の教室でのいたたまれなさとかを思い出してちょっとせつない。
起きてないふり、知らないふり、聞こえないふり。 私も3歳頃から家の中でずっとこんな状態だった。 父や母から無視か怒られるか面倒臭がられるのがイヤで 家では一人でずっと喋らずにテレビを観るか寝ていた。 周りがお弁当のなか自分だけ先生が買ってきた菓子パンだったり 風呂や歯磨きの習慣がなくて髪がいつもボサボサで 冬には手の甲が自分だけカサカサして 爪がいつも伸びっぱなしで おしゃれな同世代の女の子と遊ぶのが恥ずかしくなり 袖でいつも手を隠していた。 父も母も「忙しい、疲れている」が口癖だから 風邪や怪我以外は、何か要求したり自分の気持ちを話したら怒られると思っていた。 妊娠中〜子育てが始まってから 子供の頃の記憶や惨めな感情が鮮明にフラッシュバックするようになった。 捨て続けた子供の時の感情を自 分自身に取り戻す作業をしているようだ。 同じ親の立場になってから、自分の両親(特に母親)には改めて怒りたくなる。 自分の子供には家庭的な普通の専業主婦のお母さんでいてあげたい。
250 :
名無しの心子知らず :2011/01/11(火) 11:57:14 ID:z+P/ygtV
インナーマザーの番組見た? 私も育児始めてから親に憎しみを感じるようになった そんなことにイライラする暇ないのにね
例えば着る服をタンスから選ぶときとかに 母親に「どれがいいの?」って聞かれて「これ」と選ぶと 「それはだめ、こっちにしなさい」ということがたびたびあった(服以外でも)。 「ダメって言うお母さんは怖いし、自分は多分間違ってるんだ」と かなりの幼児期から思い込むようになって、自己主張の全く出来ない子供になった自分。 色んなシーンで「どれがいいの?」はしょっちゅう大人に言われたけど、 自分の中では決まっていても自信が持てず、反対されたときがショックなので 「え〜っと、え〜っと…」をずっと繰り返していた時間は苦痛だった。 徐々に補正されたけど、思春期過ぎてもだいぶ長く、そして広く尾を引いた経験。 でも今でも、人に自分の落ち度を指摘されたりするのとか、自信がない意見を発表するときとか 価値がないと判断されたり(面接で落ちるとか)することがすっごく怖い。 全部が母親のせいではないと思うんだけど、自分の子供には引き継がないようにしたいなあ。
>>250 見た。
そして、自分はまだ大したことなかったんだと安心した。
殴る蹴るはされたけど、ご飯食べさせてくれたし、行きたい学校にも部活動もさせてくれた。
母にされたことに、がんじからめにされることもない。
周りの大人のフォローもあった。
私はまだ恵まれていると思った番組だった。
番組は見てないんだけど、
>>252 さんの内容が気になった
辛い経験してきたんだね
頑張ったあなたは、きっと良い親だと思う
赤ちゃんの頃、ベビーベットに寝かされると 可愛らしいメリーを親が回してくれたんだけど その中心部に人形?があって、いつも話しかけてた。 でもその人形は私の話なんてまるっきり無視で、知らん顔してくるくる回るもんだから つれないなぁと思いつつも、どうにか会話をしたくていつも話しかけてたw 親は私をベッドに寝かせて、メリーを回すと 心地よい音楽で眠るだろうと画策してメリーを回していたのに この子はベッドに寝かせると目がぱっちりするんだよ・・・と苦笑していたのを思い出す。
>>252 250ですが偉い!
私は情けないけど現在進行形で母親の影響から抜け切れない
今日も母親の宗教電話にイライラして声を荒げてしまった
ショックを受けてた子供の様子がたまらない、、
感情のコントロールを覚えたいよ。スレチスマソ。
このスレ見てると子供時代の抑圧って心に大きな影響を残すんだなぁと思う。
悪いことにばかり目を向けちゃいけないけど。
遅いけど「感情的にならない」を新年の抱負にしよう。
別に別のスレに行かなくても、幼児期の記憶から話が広がってるワケだし それはそれでOKだと思うよ・・・
258 :
名無しの心子知らず :2011/01/26(水) 06:40:02 ID:j9zobj7P
ほしゅ
母の子供の頃の話なんだけど 母は2歳位の時に実の母親(私からしたら実祖母)に捨てられてるのよね。 祖父の実家前で「ここから1人で歩いて行きな」って、手を離されて。 子供ながらに「あぁ、ここで母ちゃんとお別れなんだな」って気づいて 一生懸命思い出を忘れないようにしたんだって。 赤子の頃から話しかけてくれた声、顔、あたたかさ。 家の間取り、外の景色、いつも作ってくれた大好物。 泣かないように泣かないようにして、思い出まで失くさないようにってして。 今は、実祖母とも和解して、私もたまに遊びに行くけど 祖母が母の好物を作ってくれた時に「これ、母が大好きだったって言ってました」 って伝えると、驚いてた。少し、泣いてた。 弟夫婦に一度離婚問題が出て、義妹が「物心つく前に離婚した方が傷つかなくて済む」 って言ってた時に、母が泣きながら伝えてました。 どんなに小さくても、忘れないって。忘れられないって。子供ってそういうもんだって。 今でこそ笑って話してくれるけど。辛かったんだろうな。 どんな時でもあたたかく仲の良い家庭で育ててくれた母と父に、本当に感謝しています。
>>224 うわww似たような思い出がある
もう幼児じゃなかったかもしれないけど(小学校低学年?)
子供会のクリスマス会にサンタがやってきたが
「ヨシダのおっちゃんじゃ!」と子供たちが襲いかかってたwww
>>260 ちびまる子のみまつやのおやじがサンタ役だった話みたいだね。
>>259 これは切なすぎるよ…
でも、2歳でしっかり記憶と自分の意思があったんだね。すごいなあ。
小さい頃、父親が色々無理強いしてきたせいか偏食が酷くて、いつも「これを食べなくて死ぬとしても食べないんか!」と怒鳴られていた。 暴力もあったし、物心ついた頃には既に人生に絶望していたので「これを食べない位で死ねるなら死にたいよ…」と考えていた。 今は、息子に無理強いせず工夫で食事を楽しむ事を心掛けて、自分の偏食もついでに治してる。
左足の親指が大好きで、いつも舐めてた ちょうど良い大きさと丸さと口触りで、大好きだった 手の指は小さすぎて物足りず、右足は曲げにくかった 1才前の記憶はこれだけ 1才の誕生日に、重い餅を紫の風呂敷に包んで背負って歩かされた めちゃくちゃ重くて辛かった 母親が歓声を上げて「こっちよ」と言うけど、重くてなかなか足が出ない いつもはもっとすんなり歩けるのに、と腹が立った お婆ちゃんも笑いながら見てた お母さんまでのオレンジのカーペットがやけに長く感じた あとから聞くと、1才の誕生日にお婆ちゃんが来てくれてたらしい(相当遠方で、最初で最後) だから多分本当の記憶なんだろうなと思う
毎晩樋屋奇応丸飲まされるぐらい夜泣きがひどかった幼少。 あまりにもひどいので、おがみやさんとかお祓いまで連行されていた。 実際どんな気持ちで泣いてたかといえば、 理由はないけどなんだか毎晩毎晩イライラしてたのね。 腹が立ってしかたがないというか、そんな気持ちで眠れなかった。 なので、娘が夜泣きしてもあまり動じない。 そうか、おまいもイライラするんだなあ。仕方ないなあって思う。
私は、寝ない・母乳飲まない・気管支と腸が弱いの4拍子がそろい 初産の母を乳腺炎&育児ノイローゼに追い込む問題赤でした まず、朝と夜が繰り返されるというのが分からなくて、寝ると電気を消されるのがすごく嫌だった 真っ暗で独りぼっち(暗い&母の気配が無い=この世に独りぼっちだと思ってたw)な状態が永遠に続くかと思われて すごく怖かったし、そんな状態にさせられるのは母に見捨てられてるような気がして 心底悲しくてたまらなかった だから寝ることが嫌いだった 母乳は単純に不味いから飲みたくなかった あと、基本あまり体が丈夫じゃなかったせいか、常に体のどこかが不快な状態だった 痒かったり、暑かったり些細なことでも自分でどうすることもできなくて 力いっぱい泣いてた
よくフスマを蹴って破ったので 親が貰いもののカレンダーを切り抜いて穴をかくしていた 外国の何気ない風景写真だが その中の看板に描かれた抽象的な白人女性の顔がすごく怖かった 毎日寝る部屋に、怖い顔が貼ってあるなんて ただ、その部分はたった数センチの画なので 親に言ったところでどこが怖いの?って言われるだけなので言えなかった
携帯から失礼します。 当時、2つ上の兄がおまるでトイレトレーニング中で 私はそれを見てて 「あたしもおむつじゃなくてもおしっこ出来るのになんであたしはおまるでさせてもらえんのやろ…」 て不満やった。 それで 「私も出来る!」て言い張って おまるに座らせてもらっておしっこした。 そしたらみんなに 凄い!ってめちゃくちゃ褒められたけど、 私は「もっと前から出来たのに…子供扱いしやがって」 て思った。 この話を昨夜母にしたら 私がはじめておまるを使ったのは生後6ヶ月の時らしぃ… ここからは母に聞いた話で私の記憶じゃないけど 6ヶ月でまだ歩けんし喋れんのにそんな頃からおむつを嫌がるようになってしまい、トイレ行きたくなると 「しー!しー!」 と叫んでトイレに連れていかないといけなくなって 母は逆に凄い大変だったそうです
269 :
名無しの心子知らず :2011/02/24(木) 22:37:46.42 ID:+X8eiAd3
>>259 二歳のお母さん、いじらしい。
泣けた。
みんな凄いね。 私は3歳の記憶ならたくさんあるんだけど、2歳以前の記憶はほとんどないなあ。 多分一番古い記憶は、祖父母の家で寝転がっている私に 仕事から帰ってきた祖父が真っ先に私の方に笑顔で「○○ただいま」と近寄って くれた事が嬉しかったって事かな。 祖父は私が6ヶ月くらいの時に入院して1歳になってすぐに亡くなったので、 多分6ヶ月以前の記憶だと思う。 3歳からは、自分がその時に何を感じていたかを鮮明に覚えてる。 例えば、忙しい中母親が私の上着のボタンをとめようとしてくれたのに 「自分でするの!」と拒否。でもその後「お母さんは私よりも早く死んじゃうんだ。 だから今やってもらわなくちゃ後悔する!」と思い、「やっぱやって」と言い 母をイライラさせてしまい怒られながらボタンをとめてもらったり。 あと幼心に、成長するにつれ自分の記憶が上書きされ、 過去の記憶が薄れて行く事を切なく思っていて、後で思い出せる様にと お絵描きした絵やお菓子の袋、石ころなど、とにかくいろいろなものをとっておいたり。
子供の頃祖父母と同居だったんだけど、 祖父はヒステリーで気難しく、祖母はデリカシーのデの字もない、 人の気持ちを思いやるってことを全くしない人だった。 母は女中みたいな扱いされてて、今聞いてもほんとかわいそうな生活だった。 で、私はかーちゃん子で、夕飯の時とか一生懸命母に話しかけてるのに、 祖母が平気で割り込んで母に話しかける。 母は絶対服従を強いられてたから当然祖母を無視するわけにもいかず、 祖母の相手をする。 私はそれがすごく嫌で怒ってた。でも、割り込んだ祖母にじゃなくて 自分をほったらかして祖母と話す母に腹を立ててた。 なんでお母さん私の話きいてくれないの?って思ってた。 ばあさんが邪魔しやがって!とかは全く思わなかった。 つまりそれだけ母親との関係が全てだったってことだな、と思う。 母は私が3歳頃まで働いてて、平日はほとんど祖父母に育てられていたけど、 私はあまり懐いてなかったみたい。 赤ちゃんの頃から母が帰ってくると大喜び、 物心がついてきた頃はじいさんに着替えさせてもらうのを全力拒否したり、 こっそり出かけようとした母を裸足で泣いて追いかけたりしてたらしい。 兄はばーさん子だったけど私は違った。 記憶ないけど誇りに思ってるw
とにかく偏食だった私。 魚はパサパサしていてなかなか飲み込めない。 野菜(サラダ)は大きい上に、口の中で固まりがひっかかる。 カレーや麻婆豆腐は、兄に合わせた味付けだったから辛くて嫌いだった。 しかもおかげで食べるのが遅かったのに、めちゃくちゃ叱られて、 目の前でティッシュにくるんで捕まえた蜘蛛を背中に入れられたことまであって、食事が嫌いだった。 今は自分が親になり、過去を思い出して、しばらくは焼き魚は出さずに煮魚メインにした。 サラダはレタスは出さずにキャベツの千切り(長さも短め)からはじめた。 辛いと思われる料理にはあらかじめオリゴ糖を少しかけた。 結果、現在7歳の息子は今では魚は何でもたべるし、種類も見たり食べたりするとすぐに見分けられるようになった。 サラダも大好きで、バリバリウサギ並みにたべる。 カレーはオリゴ糖がなくても福神漬けという味方があることに気がついた。 好き嫌いはまったくない。 自分の苦い経験が役に立ったなと思ったら嬉しくなった。 あんな思いは、誰にもさせたくない。
雨が降り出したのに外遊びが楽しくて傘も差さずに数人の友達と遊んでた。 声かけてくれた大人がいたのにも気づかず夢中で遊んでた。 あの時「ほんっと可愛げがない子!!」と 声をかけにきた同級生の親に吐き捨てられたことは 40歳近くなった今も忘れられない立派なトラウマ。 今、自分が親となって娘を育てている中で 今後きっと色々な子と接することになるんだと思うけど 自分の子にも、子の友達にも、どんな子であっても 「可愛げがない」なんて絶対に子どもに向かって言ったりしない。 絶対、どんなに頭にきても、相手は子どもだと自分に言い聞かせる。 子どものトラウマになるようなセリフ、絶対に言わない。
前日の夜に母と「遊ぼう」と言う約束をしたんだと思う。 母は仕事に行ってなかなか帰って来なくて、私は真っ暗な玄関でずっと 待ってた。 どうしてお母さん帰って来ないの?遊んでくれるって言ったのに って裏切られた気持ちになった。 母は定時(17時過ぎ)に帰って来たんだろうし、兄やじいばあも家にいた筈 なのに私はひとりぼっちだった。 良くある「遊ぼう遊ぼう」しつこから「はいはいじゃあ明日ね」って 言う流れでそうなったんじゃないかと思う。 でもそれ以来他人を信用出来なくなったし、どんどん母への不信感が 募ったのもその事が原因なんじゃないかなと思ってる。 自分は子供にそういう事はしたくないな…。 親子に信頼関係が築けないって両方とも凄く悲しい事だと思います。 家の母はそんな悲しい事には気付きもしなかったんですがね。 だからあの人は悲しくも何ともないんだな…。ああ…。
>>274 書いてくれてありがとう。
迂闊に(という表現が適切ではないかもしれないけど)
気軽に「明日」と言ってはいけないね。
子どもは約束だと思ったら、信じて待つよね。そうだよね…
最近、子どもに言いがちなので、改めます。本当にありがとう。
276 :
274 :2011/03/03(木) 22:28:14.47 ID:hCATBL9b
>>275 ありがとうなんて言ってもらえて、何だか嬉しいです…。
大人からしたら本当に些細な事でも子供は深く傷付いて仕舞うんですよね。
275さんはそんな風にはならない優しいお母さんだと思います。
こちらこそ、ありがとうございます。
なんか思い出した。 4歳頃の記憶だからそんなに小さい時の記憶でもないんだけど、 母親が買い物に行ったかなにかで、私は一人で留守番していた。 なかなか帰ってこないから寂しくなって、バス通りまで行って通りに面した塀に登って座ってた。 あっちからバスに乗って帰ってくるはずだって思いながら、ずっとずっと待ってた。 待っても待っても帰ってこないから、さみしくなってわんわん泣いて、泣いて泣いて吐くまで泣いた。 その後の記憶が無いんだけど、きっと泣き疲れて寝てたのを母親が見つけたんだろうな、と思う。 今では考えられないだろうけれど、絶対にこどもを一人で置いてくのはやめて欲しいと思う。
>>277 私も経験ある。3歳台じゃないかな。
目が覚めたら母も、赤ちゃんだった弟もいなくて寂しいやら不安やらでただただ泣き叫んでた。
母が買い物から帰ってきて「よく寝てたから…」と言ってたけど、起こせや!と腹が立って仕方無かった。
1時間も無かっただろうけど、永遠に感じたよ。
今考えたら、0歳児と3歳児を連れての買い物って壮絶に大変だったろうから、気持ちは分からなくもないけどね…
でも、私も子を置いていくのは無理。
11.12日に震災の映像を2歳児にも見せちゃったんだけど 忘れてくれるといいな・・・。
>>278 レスありがとう。
あれから実家に帰った時に母にそれとなく聞いたら、近所の店にちょっと買い物に出た程度だったとのこと。
すぐ帰ってきたつもりだったのに、私が表で泣いていてびっくりしたそうだ。
もっとずっと長い時間だと思ったけれど、そんなに時間はたってなかったみたい。
ちょっとの時間だと思っても、子どもにとってはちょっとじゃないんだよね。
281 :
名無しの心子知らず :2011/03/27(日) 22:17:26.54 ID:hsS0NOfq
282 :
名無しの心子知らず :2011/03/27(日) 22:23:34.67 ID:RO2Z71Cd
このスレ久しぶりに見た いつの間にか「小さい頃親にされて嫌だったこと」を 書くスレになってたw
弟が産まれた時だから多分三歳なりたての記憶。 おっぱいが羨ましくて飲ませて欲しいと母に必死に頼んだ。 痛いからと渋る母に食い下がりおっぱいを食べた。 痛がる母に驚いておっぱいの味は分からなかった。 子供産んで乳首が切れて噛まれてあの時の母の痛みを理解した。 カーチャン、スマンかった
285 :
名無しの心子知らず :2011/03/30(水) 01:17:08.16 ID:faTvnXkB
>>268 わかる。子供扱いされるのいやだったな。
私は三歳の時「蝶々になりたい」って言ったら母親に爆笑されて腹が立ったな。母はかわいらしくて笑ったといってたけど、バカにされた感じで嫌だったな。
だから我が子がおもしろいしぐさをしても高らかに笑わないようにしてます。
わざとじゃない失敗をわざとやろって言われて死ぬほど傷ついた記憶がある。 母はコーヒーが好きだったからいつも母がやってるように コーヒーを入れてあげる!と張り切って手に取ったのがドリップの粉。 直接湯をそそぐインスタントのしか知らなかったから 同じように湯を入れたけど溶けるはずもなく濁ったお湯に黒い粉が浮かんでるだけ… こんなんと違う…なんで?と思いつつ母に持ってったら 「何これ!?わざとやろ」って言われて号泣した。 小学校中学年にはなってたと思うので幼児期ではないけど いくつになっても親に信じてもらえないのは世界の終わりくらい辛いことなんだよなあ。
>286 >282
父親が休みの日は母親が玄関に父の革靴をずらっと並べて順番に磨いていく習慣があった。 靴墨の匂いが独特すぎてクサいと思ってたのに、 母を独占しながら幼稚園や友達のことを話したりできるのが嬉くていつも手伝っていた。 いつもピカピカの革靴で仕事に行く父のことが誇らしかった。 言われなくても靴を手入れする母は、父のことがとても好きなのだろうと思っていた。 私は愛し合ってる二人から生まれた子だと無意識に感じていた。 母は今でも父の靴を磨く。 母親が父親のために何かをしてるって姿って子どもに良い影響を与えるんじゃないかなーと思ったので書いてみた。 もちろん父親が母親のために何かをする姿も。
いい話だな
「そんなに大きな声で泣いてたら、隣の家まで聞こえちゃうよ」と言われて 「よーし聞こえよがしにこれでもかと泣いてやる!」と無理やり大声で泣いた 泣きやみ時がわからないことはよくあったなー もう悲しくないけど、ヒックヒックが止まらなくて そのうち違う事(うるさい!とか言われたり)が悲しくなってエンドレス泣きしてた あと「おばあちゃん」に名前があることもびっくりした
おやつで貰ったバナナにシールが付いてたら自分の位が上がった気分になった。 些細なことだけど、忘れちゃうんだよねぇ。
292 :
名無しの心子知らず :2011/04/01(金) 01:00:37.59 ID:w3oB2XYS
>>291 36歳の今でもあのシールには特別感を抱いておりますw
二才ちょっと過ぎの夏、朝食は食べたけど、まだ日が高くなる前の午前中、薄暗い納戸の中での記憶。 古い洋箪笥の扉についてる、ガラスが青みがかって歪んでる鏡で、自分の顔を眺めてた。 その時初めて、自分は今ここに存在してる、私って一個の意識を内蔵した存在なんだなぁと考えついた。その時に確たる自意識みたいなものを認識したわけです。 で、「おかあさん」「おとうさん」「おじいさん」と呼んでる家族も、それぞれが1人ずつ頭の中に「自分自身、自我」を持ってるんだと思い至った。 すんごい発見したみたいで、でも言葉で上手く説明出来なくて 「今鏡見てて、私は私だってわかったの」 「お母さんはいつ自分がお母さんだってわかった?」 「おじいちゃんも、鏡見て自分が誰かわかった?」 周りの大人に聞いても「鏡ってのは自分が映るもんだ」「あんたが生まれたからお母さんになった」とか「おじいちゃんは昔は若かったんだよ」とか、聞きたい答えが返ってこない。 しまいに「何言ってるのこの子は、いいかげんにしなさい」お仕置きでさっきまで居た納戸に押し込まれちゃった。 そのあと、鏡を見ながら更なる哲学的思考を重ねてるうちに、気温が上がり暑くなってきた。青っぽい鏡の表面がなんだか冷たそうに思えて、ベロベロ舐めてる所を様子を見にきた母に取り押さえられた。
>>291 その感覚懐かしいー!
子供の頃って大人が何とも思わないことに固執してたよね
忘れちゃってるもんだなあ
長すぎるって言われたので、2分割。 3歳前に警察に捜索してもらうレベルの迷子になったことがある。 当時は団地住まいで、弟が生まれてから、 団地の敷地内なら一人で遊んでいてもOKが出ていて、 (多分、同じ年頃の子を持つ親が沢山いたので、それなりに目があったからだろうと思うけど) その日も一人で三輪車で遊んでいた。 でも、昼下がりのわりに自分以外本当に誰もいなくて、 ふと敷地の外を見たら、自転車に乗ってどこかに行こうとしている小学校低学年の男の子達が。 「どこいくの?」って聞いたら、 「○○公園」って、一番近所の公園の名前を言ったので、 (このお兄ちゃん達について行けば一人じゃないから大丈夫!)という、 何の根拠もない自信に基づいて、必死に三輪車で追いかけた。 帰りは、またついて行けば帰れるとタカをくくっていたけど、 公園で夢中になって遊んでいるうちに、気がついたらお兄ちゃん達はどこかへorz 自宅の方向は漠然とわかるんだけど、 坂を登るか、鉄道の陸橋を越えるかしないと帰れなくて、 三輪車ではとても登れなかった。 公園に三輪車を置いて帰るなんて、想像もしていなかった。 だから、坂を下っていけばどうにかなるんじゃないかと思った。 本格的に迷子になっている間の記憶は、親との説明とかなり食い違っているので、 ここでは省略。 自分では知っている道を歩いているつもりで、全然違うところに行っていたらしい。 結果として、信号と踏切をいくつか渡った2kmくらい離れたところで保護されたとか。
保護されたところから、また自分の記憶がつながっていて、 暗い道をとぼとぼ歩いていたら、パトカーからおじさんが2人出てきて、 「○ちゃん?」と聞かれた。 で、自分だけパトカーに乗せられそうになり、 「○ちゃんの三輪車!三輪車!!」と大暴れして、 結局、三輪車も後部シートに一緒に積み込んでもらった。 パトカーで団地に戻ったら、もう晩ご飯の時間なのに、 沢山の人が待っていて、なんか「良かったねぇ」とか「怪我も何もなくて」とか色々といわれた。 で、母の所に行ったら、弟が抱っこされていて、 代わりに父が抱っこしてくれたけど、 「こんなときでもおかあさんの腕は、私のためにはあかないのか」と、 悲しくて泣いた記憶がある。 その後、母は、 「一人で敷地外に行っては行けない」という言いつけを、 「お母さんかお父さん以外の人とは、決して行ってはいけない」という風に変更し、 約束した時間に帰宅しなければ、ご飯抜きとか、 外出関連に関してはかなり厳しくなりました。 まぁ、迷子になっていた約半日の間、排水溝とかまで泣きそうな思いで探したらしいので、 成人してもやたらと門限が厳しかったりしたのも、 しょうがないと言えばしょうがないと、親になった今になって思うw
いつだったか幼少の頃 母親の胸を見て(風呂上がりに裸で出てくる母)、垂れてるね-的な事を言ったら 「あんたがおっぱい飲んだから垂れたんじゃぃ」と言われ、 へぇ〜赤ちゃんにおっぱいのませたら垂れるんだ!私のせいなんだ〜‥て子供ながらにショックを受けた 今は 私が子を育てている。 母に、育児の相談など 私の小さい時の事を聞くと 「あんたはミルクやったもん」あれこれ昔を聞いても「もう全然覚えてないわ-」 ・・・・・ 私の育児どんだけええ加減やねん! 垂れた乳を人のせいにしやがって! 私のせいにされたこと 今でも忘れん! しかも私飲ませてもろてないし!
確か5歳のときの記憶。 2つ年下の弟と誕生月が同じで、弟は1日産まれ私は最後の日。 だからその月はケーキが2回食べられる特別な月だった。 誕生日に“誕生日おめでとう”のチョコとプレゼントを貰って ニコニコの弟を羨ましく思ってた。 弟は手のかかる子で母を常に独占してたし、父も男の子が可愛いようで 私は「毎日ちやほやされてるのに今日もか!」とふてくされていた。 でも今月末は私の番だから!と楽しみにして指折り数えていた。 でもなかなか誕生日はこなくて、これはおかしいと思い理由を必死に考えた。 すると「この世界が始まった時から私は5歳で、 この世界が終わるまで5歳なんじゃ?」という考えに至った。 保育所の先生や母や父に「私はずっと5歳なの?」と訊いた。 でもみんな「もうすぐ6歳だねー」とかニコニコして言う。それが怖くて大泣きした。 誕生日がくると大人に「今日から5歳だね」って騙されてしまうような気がして、 毎日毎日5歳の自分を意識して過ごしてた。 でもそんな不安も誕生日プレゼントとケーキで吹っ飛んだw あとサンタは信じてなかったのに鬼は信じてた。 母が用事で出かけるときに私がぐずると 「鬼を退治してくるから!」と決まって母は言って、 私は「分かったお留守番する」と言うんだけど、 母が無事で帰ってくるか不安でしようがなくて でも誰かが鬼を退治しないといけない!それが母なんだ!と なぜかずっと思ってたw みんなヒーローやヒロインは正体を隠して戦うから 母がヒロインということに気付かないふりの私って考えだった。
横だけど
>>285 と同じく息子(当時3歳)が「ボク、生まれ変わったらちょうちょになりたい」と言った。
そんなに人間の今が嫌なのかとショックだったが、理由を聞いたら「みんながキレイって言って見てくれるから」。
>>285 を読んでそんな忘れてた記憶を思い出したよ。
三歳くらいのころ、よく犬猫の真似をして、四つん這いで歩いたり 食事の時、犬食いしたり皿をなめたりしていた。 犬猫との違いがすごく不思議で、人間の体との違いを自分の体で 確かめたくてやっていたのだけど、言っても理解してもらえないだろうと 思っていて、叱られてもなにも言えなかった。
たぶん3歳くらいのときの記憶なんだけど 私の母は美意識が高いため実年齢より若く見えるし実際きれいで、 スタイルもそれなりによかったんだけど、幼心にそれが分かっていた。 母は愛想も良いので、よくいろんな人と立ち話をしていた。 そういう時私は大抵母の足元にひっついてたんだけど、話相手が男性だと 「お母さんキレイだから、独身だって思われて好きになられちゃう!私(娘)がいて結婚してるって分からせなきゃ!」 と思って、やたら私はここにいるよ!アピールしまくってたw 今思うと話し中にちょっかい出しすぎて邪魔ww キレイにしてる母は小さい頃から自慢でした。ただ私はとても父似なのが残念w この記憶が育児に役立つかは謎ですが、こんな子もいるよってことで
長文スマソ 妹(1)のアーウー、と一生懸命お喋りしていたのを全部把握していた 当時3歳の私。おままごとが出来るから可愛がっていた なんで大人は妹の言葉がわからんのか トンチンカンな受け答えばかりだと毎日1人イライラしていた ある日、妹が網戸をサッと開け40pくらいの高さから落ちてしまった 親は「姉ちゃんが開けたんだよね」なんて私のせい 急に泣き出した妹は『違う!』と言っていた なんて正直な子!と怒られている間、感動していた 何ボーっとしてんの!と更にゲンコツ、倍怒られたけどw
>>302 カワイソスw
以前、一歳だった息子を連れて公園に行った時
たまたま遊んでくれた三歳の男の子がいたんだけど、
宇宙語で話しかける息子を指して「何言ってるかわかんないよね〜ホホホ」って言った私に
「わかるよ」って真顔で返されたの思い出した。
動物の言葉もわかったりしないかな? うちの子(3歳)はよく犬とか猫の鳴き声に対して 「おなかすいたんだって」って通訳してくれる。 そうなんだ〜って普通に答えて終わってるけど、 本当にわかってたら面白そう。
3歳前後だと思うんだけれど、私は工作が好きな子供だった。 ある日何かを作りたくて、いい材料見つけた☆と 浮き輪やビニールプールを膨らませるポンプの付属ホースをちょきちょきとハサミで切った。 間もなく、それを発見した母に怒られた。(当然だw) 怒られて初めて「そうか、切っちゃったからこれはもう使えなくなっちゃったんだ、やっちゃだめだったんだ」って気づいた。 大人からみたら当たり前なことなんだけれど、本当にそこまで考えが回ってなかったんだよねぇ
>>302 私も3〜4歳の時、弟の「あーうー」を理解してた。
文字にすれば確かに「あーうー」なんだけど、弟の言いたい事は伝わってくるの。
大人が弟の言葉を理解できなかったのが不思議だったなー。
だから、弟が言ってる事を親に通訳してたよ。
なので、子どもってそういうものかと思っていたんだけど、
下の子が生まれた時、上の子は妹の「あーうー」は理解できなかった。
(年の差は私&弟と同じ3歳8ヶ月差。)
通訳してもらおうと思ってたのに。残念。
>>299 そうそうw
綺麗で空も飛べるからなりたかったんだよなぁ
三歳か四歳くらいのとき。 松田聖子の「青い珊瑚礁」などを熱唱していたら、 我ながら音感がよかったらしく大人に大好評。 オーディオマニアの父親がマイク持たせてカセットに録音。 母親は「聖子ちゃんが好きなの?」と聞いてきた。 流れ的にそう言ったほうがいいと感じて「うん好き」と言っておいた。 実は聖子ちゃんが好きなわけではなく 単に曲が好きなだけだった。 というか、まだアイドルが好きとかいう概念がなかったのだけど。 テレビは見てたけど、なんだかモヤモヤした感じでしか見てなかった。 大人が思うほど、脳内が秩序立っているわけではないのです。
子供って思った以上に大人に気を使ってるんだよね
子供なりにね。
当時、父は光ゲンジ?が大好きだった。 そのなかのナントカ君が一番好きだったらしく 毎日歌って滑ってる彼らのビデオを一緒に見せられて「光ゲンジかっこいいね!○○は誰が一番すき?」 って聞かれてた。 ぶっちゃけ誰が誰だかさっぱりだし まだ小さいから全く興味無かったけど、父がすごく嬉しそうに 「光ゲンジのビデオ見る!?」とか聞いてくるから、全然見たくないけど 「うんっ!!見る〜!光ゲンジ〜^^!」 みたいに好きなフリしていた。 見ながら(早く終わらないかな…)と内心思っていた。 いま思えば子供ながらに気をつかって好きなフリしてたんだなぁ…
312 :
名無しの心子知らず :2011/05/04(水) 15:27:37.38 ID:J18vUQ+i
私も3つ下の言ってることも考えてることも手に取るようにわかってたな。親はなんにも分かってないで、見当はずれなことしたり、騙されたりしてた。 面倒見る反面、だいぶいじめもしたけど、大人になってから殊更、親より私に忠実。 聖書に、1人目をしっかり育てて、2人目以降は長子に従わせろって書いてあるらしい。これ当たってると思う。
私は3歳になってもおしゃぶりがやめられなかった。 困った母が自分の兄に相談したらしく、ある日伯父が粘土遊びが大好きな私に 「この粘土と交換しよう。その代わりもうおしゃぶりは無いよ。いい?」と聞いてきて 「うん。」と返事をした私の前でおしゃぶりのゴムの部分をはさみで切ったのを覚えてる。 それからは一切おしゃぶりを頂戴とは言わなかったと母が言っていた。
私の一番古い記憶はたぶん2歳前後に海に行った事だと思う。 浅いところで従姉妹と遊んでいたみたいだけど、溺れて海に浮いていた事件。 確かに海に浮いていた記憶がある・・・ そのあとにお母さんが叫びながら走ってきて、そのあとに大泣きしたのを覚えてる。 死ななくて良かったw あと、3歳の時におまるを使うのが凄く嫌だった。 だからパンツを穿かされても、おまる使うの嫌で隠れてパンツの中にうんこしてた。 その経験から、自分の娘にはおまるを使わずにおむつを外しました。
保育園の時のバッグが誰かのおさがりだった 知り合いから貰ってきたやつ 見られないようにコソコソしてたなぁ 他にも服とかなんでも貰い物が多くて嫌で仕方なかった 新品買ってもらえなかった反動か自由にお金を使える今 服、ブランド品買いまくり 誕生日を祝ってもらう習慣もプレゼントもらったりもなかったから 今誕生日や記念日をすごく大事にしてます
>>314 思い出した。私もおまる嫌だった。公開うんちがはずかしくて。我が娘もおまる無しでオムツはずしてる。すんなり成功してます。
>>314 私もおまるが嫌だった
皆はトイレ行くのに、何故自分だけ下半身裸にされて皆が見てる場所でしなきゃいけないのかと
うちは料理屋だったんで調理場の隣の帳場におまるが置いてあって、大勢の板場や仲居がいる中でしなきゃいけないのが苦痛だった
食べ物扱ってる側に排泄物を出すのにも抵抗があったし、おまるの処理をする祖母や仲居に申し訳ないなとか、とにかく複雑な気持ちだった
娘には補助便座で行こうと決めた
歩けなくなるまで正座させられたり、エレベーターで降りそびれたらビンタされたり そんな記憶しか残ってないや
せっかく良い流れになってたのに。
>>315 私もおさがりが多くて、その反動が少し現在に来ている。
(元々がモッタイナイ星人なので少しは抑制が効いていると思うけど)
子供が生まれたときにそれが顕著に出た。
○○あげようか?→要らない!→・・・やっぱりもらっておけばよかった・・・
の繰り返し。
気持ち悪い話でごめん まだうまく話せなかった頃(2才くらい)の記憶 父が母をベッドに押し倒して、私の前でイチャついていた。 すごく嫌で悲しくて、号泣してやったら止めてくれた。 なんだか母がとられた感覚だった。 思春期のときにも度々思い出して、両親を気持ち悪いと思っていた。 子どもの前で性的なことは絶対しないでほしい。 トラウマになるし、小さくてもちゃんと覚えている。
>>321 やっぱり。
そんな気がして、上の子が一歳になる頃には、行ってらっしゃいと
だんなに軽くキスするのもやめた。
というかそれさえしたくなくなったんだけどw
子の前ではそういう姿見せたくないという思考、間違いではなかったみたいでよかった。
私も小さい頃、父がちょっとエロい冗談を母に言うのを見てすごい嫌悪感湧いた。
「おともだち」と言われることに抵抗があり、「別に親しくねーよ」と冷めてた 今も冷めてると皆から言われる
>>323 わかるわかるw
でも自分の子以外の名前を知らない子たちのことを「おともだち」と呼ぶと楽なんだよね。
3歳差の妹がいて、物心ついた頃から彼女のアレルギーの影響を受けていた。 アレルギーはいろいろある中でもきつい部類の卵と牛乳。 よくドラマとかアニメである誕生日ケーキとか、ちょっとした外食でファミレスとか、買い物の休憩でクレープ、とかそういった物は全部妹が駄目だから無縁ですごく羨ましかったのを覚えてる。 それとは逆に、ちょっと母と2人で買い物に行った時に内緒ねとアイスを買ってくれたり、妹が寝てからこっそり買ってきてくれた砂絵をやったりしたことを覚えてる。 アレルギー餅の下の子を持つお母さん、大変かもしれないけれど、お兄ちゃんお姉ちゃんは黙って我慢してたりします。 同じだけの労力をとは言わないから、2人で関わる時間を割いてあげてください。
326 :
名無しの心子知らず :2011/05/25(水) 00:11:28.92 ID:uYOsYe9i
何様だ
>>322 行ってきますのチューもだめなのかな?
アメリカとかの子供たちはじゃあ大変だね…
うちは性的なイチャイチャはないがいつも両親ラブラブで微笑ましかったけどな。
気持ち悪い話で申し訳ない 妹が生まれたのが3歳のときだから、その当時。 家が小学校のとなりなんで小学生がたくさん登下校するんだけど、男の子が通るときだけ歌をうたってた。 私としては、妹(女の子)に親をとらるたような感じだったのでお兄ちゃん(よその小学生)に救いを求めていたというかなんというか。 それに気付いた母親が、男の子にいまから色目を使ってるとかませてるとか言って、すごく恥ずかしかった記憶がある。 それでなんでか捻れたというか、幼稚園で男の子にちょっかいだしたりエッチな遊びをしたりするようになった。
>>328 それは母の言葉のせいと言うより、生まれつきの性格っぽい
就学前から多少の読み書きは出来たんだが、鏡文字だった 鏡文字だという自覚はあり悩んで悩んで、鏡文字をモデルに書いたら鏡文字じゃなくなるんじゃね? という画期的かつ単純な方法で克服した 最近気付いたが、私は発達障害丸出し 片付けられないんなら、散らかしてしまう場所に収納を設ければ良いんじゃね? という乱暴な方法で人並みに生活できるようになった
>329 いや、やっぱり家庭環境あると思う。 3歳の子供に向かって「色目使う」「ませてる」なんて言う親のほうが変。 「男の子が(優しいから、遊んでくれるから)好きなんだね〜」でいいじゃん。 男の人に声をかける=性的なアピールと直結するあたり、 その母親どんだけ脳内エロまみれなのよ、ってはなし。 子供の頃の記憶は、自分もあまりいいものは無い。 だから経験上思ったことをまとめて書いてみる。 ・子供の前で(寝てても)性的なことはやめて欲しい。大きくなった子供に性的な 質問されて「いやらしい」と蔑んだり質問に答えられないと思うならなおのこと。 人様の前で堂々と出来ないことは子供の前でして欲しくない。 ・お前は橋の下で拾ってきた、系の発言。子供は病みます。 ・離婚する、どこかに養子にやる系の発言。又聞きだけど「親戚に養子に出す」って 発言をされ続けた人が成人して本当に養子縁組しようとしたら 原因不明でぽっくり死んだそうだ。ストレスだったんだろうなと思う。 全部やられて相当苦しんだ。小学生から自殺念慮のない日はなく、 寝るときには胸の中で母親にのろいの言葉を吐き続けていたが 言っちゃいけない、言ったら生きていけないことがわかってたから 誰かの言った(言っても大丈夫な)言葉をまねしていってた。 当然、タイミングの合わない事ばかりになり、変な奴扱いされますます疎まれた。 母は「子供の頃の記憶は残らない、覚えてない」という持論だったが 私は1歳半から記憶がある。愚痴カキコすまん。
虐待の話は毒親系のスレにいって欲しい… 読むとイヤーな気分になる そういうスレじゃないのに
マジ迷惑
>>293 すごい亀だけど、「幼い頃は、自分と他人の区別がつかない。成長して初めて区別が付く」ということを、
こんなにはっきり覚えてるなんてすごい!
あと最後の「鏡を舐めているところを親に捕獲された」のもウケた。文章全体から文学の香りがします。
私は三歳頃、「なんで自分の言いたいことを、お母さんはわかってくれないのか!」と癇癪を起こし、
そのあと急に「もしやお母さんと私は、心が別々なんじゃ?」と気づいたなー。
自分が親になってみると、「子供と心が一体なら、なんで泣いてるのかわかってあげられるのに」なんて思うけどね。
>>332 同意
「いやらしい」と言ってしまえるが既に短絡的ないやらしい思考回路なんだよね
色んな経験を参考にするスレなんだから、虐待に該当するような経験談があっても良いと思う
人生綺麗なことばかりじゃないからさ……自分や他人のうっかり発言で傷付けないためにも
私は「こう言われて幼心にも傷ついた」系も参考になると思って読んでたけど。 育児する上で気をつけようと思える。
毒親スレって読んだことないけど、毒親に対する愚痴と このスレで注意喚起をしてくれるのは違うと思うし、 このスレでそういう話題が出てもいいと思うけどね。 ただ、我も我もってレスが続くと、書き手のボルテージが上がっていき 愚痴大会になる傾向があるのでその辺は淡々と描いてほしいなと思う。 >332の橋の下系の話は禿同。 私の場合は兄と姉に言われたんだけど、親が笑ってて否定してくれなかった。 兄弟もちの人は気を付けてあげてね。
橋の下の話みたいに、親が(あまり)悪気なくやったことなのに深く傷付いたって話なら歓迎 イヤミ言われたとか罵られたとか殴られたとか、明らかに悪意をもってやられたことは毒親スレ行ってね
ごっちゃ見てて思い出したけど、幼稚園に上がる前だから二歳のとき ひょう ちえ の体操コーナーがすごい怖かった。 あの「はああ〜〜〜」っていう声も恐怖の的だった。 それで、コーナーが始まるといつも別の部屋に行っていたのだが、 当時私はでかくてぷくぷくだったため、面倒を見に来てくれた祖母が 「太ってるから体操が嫌いなんだよね」といわれるのが本当に辛かった。 ひとつ上の姉が華奢でかわいくて、いつも比べられて お姉ちゃんよりでかくてお姉ちゃんみたいだね、といわれていた 私はそれを「私はでかくて可愛くないんだ、せめてしっかりしなくては、 周囲にそれを求められている」と受け止めてしまっていた。 だから、太ってるから、って言われるのも辛いし、かといって ひょうちえが怖いなんて赤ちゃんみたいなこと言えないし、と 子供ながらに苦しんでたな〜 でかいとか太い、色が黒い、男の子みたい…とかって、小さくても 結構女は傷つくなあと思う。大人はむしろほめ言葉で言ってたりするんだけどね。 うちは息子だから、男の子が言われたら傷つく言葉がしりたいけど ここじゃ難しいよなあ。
>>341 うちの弟や旦那や友達が言うには、3歳頃から可愛い・細い・色白など女の子の褒め言葉で傷付いてたらしいよ
強い・かっこいい・偉い・凄いとかも言われたいけど実際言われたら照れ臭くて天の邪鬼になっちゃうとかw
ただ褒めるだけじゃなく、
「わ〜〇〇くん強いね〜、これからも△△を守ってね!」
なんかの方が反応しやすいと、私に度々相談事を持ち掛けてくる上司の息子(小2)が言ってた
>>341 分かる。あのコーナーなぜか照明も暗くてちょっと怖かったよね。でも私はその怖さも割と好きだったw
>>341 ひょう ちえ のコーナー怖かったよねw
みんなのうたの「ラジャ マハラジャ」と「メトロポリタンミュージアム」も
なぜだか怖くてたまらなかった。
私の親は何でも相談なく勝手に決めちゃう人だった。毎日の服や食事から誕生日プレゼントや習い事まで。 親に従えの方針というより「この子のことは何でも分かっている」という勘違いな善意。 3歳ごろには不満があっても全く自分の気持ちを口にできなくなっていた。 いつも心の中だけで「またオレンジジュースかもう飽きた」とか「こんなの欲しくない」とか毒づいていて、 幼稚園時代から母親との溝が深まるのを感じていた。 今でも物事に対して自分の意見が何も思い浮かばないことが多いし、人に気持ちや意思を伝えるのが苦手。 絵本はノンタンか350円のアニメ絵本のみで自分で選んだ記憶はない。 他にこんなに面白い本の世界があったなんて知らなかったと、今子供と絵本を読みながらびっくりしてる。 小さい頃は親が見せてくれる世界が全てだし親のやり方が全てだから、 自分の子にはなるべく色々な選択肢を見せて、子供の決定を見守ったり、ダメなときは理由を伝えて気持ちを伝えあうように気をつけてる。
>>339 後半部分追加
確か親は「顔見ればわかるでしょ(私は母親似)」とは言ってくれたんだけど
私は「あなたは私たちの子だよ」と言ってほしかったんだよね。
確実な言葉がほしかった、というか。
愛情深い母親だったので、言葉に飢えてたとかではないんだけど
幼心には少しでも不安要素があるのが嫌だったのかな。
まぁ、そんな親の言葉にかぶせてさらに兄姉にからかわれたのもあるんだろうけどw
「いやいや違う拾われっこ〜」みたいにね、くそぅ。
つーか余りにしつこかったあやつらを叱ってほしかったわw
>>345 ああー同じく。
うちは支配する母親でした。
私は子どもをよく見て、子どもがやりたい事をサポート出来る親になりたいです。
スレ趣旨とは違うが、このスレのおかげだと思うので・・・ ここのスレを参考に、赤子になんでもかんでも説明するようにした。 予防接種の時は、痛いけど怖い病気にならないように大切なんだよ、すぐ終わるからね 出かけるときは、○○にいくよ〜 ○○はこういうところなんだよー 赤子は話せないけど、説明を聞いているように見えた。 1歳から保育園に入ったが、先生に「大人の言葉をよく聞いていますね」と言われた。 2歳2ヶ月の現在、よくしゃべる。周りが片言の中、文章で話すのでびっくりされる。 実家の母と電話で応対もでき、会話が成り立っている いやいやもあるが説明するとわかってくれるし、自分の気持ちも説明してくれるし ありがたい。このスレのおかげだきっと。
>>348 、歯医者さんに騙しうちで連れて行かれた記憶の人かな?
私もそこ読んでからちゃんと説明するようにしてました。
説明した時は泣くんだけど、自分に必要な事なんだって理解してる感はあります。
そして、よく喋る。
橋の下言われたことあるなー 傷つきはしなかったけど、今思うとひどい言葉だ おかーあさん なーあに おかーあさーんていいにおいー♪の歌を 会話形式に歌いたくて、何回もおかーあさん て言うのに もーだから何!?と返ってきて悲しかったのを最近思い出した
汚い話だよ。ダメな人は読まないてね。 保育園に通ってた頃、4歳くらいかな。引越しで環境が変わったせいか良く吐いてた。 給食の時間は毎度吐いてて、ウッとあがってきて上手く間に合えばトイレで吐けてた。でも間に合わない時もあって皿の上にバーッと出すことも。 先生も毎度の処理が嫌になったのか、「食べ物を粗末にしない‼せっかく給食のおばさんが作ってくれたのに!」と叱った。そして皿の上にのったゲロと残ったおかずをを食べろと言う。 子供は大人に従うものだ。イヤイヤ食べたよ。
ここ見ると、育児に疲れてイライラしたりしてた自分を振り返って また初心に帰って頑張ろうって思い直せる。子供視点でものを考えるって忘れがちだから。 自分の記憶。 上にもあったけど、私もおかいつの体操が嫌いだった。 私の場合は、お姉さんが動き回るのについていけなくて しかも間髪入れず次のコーナーに移っちゃうので、終始イライラしてた。 ついでに隣の子供が、同じ子供から見ても全然できてない(当たり前なんだが)のもイライラポイントだった。 今見ても、テンポ早すぎると思うんだよなぁ。 うちの子、やっと乗ってきた頃に終わっちゃってポカーンとしてるし。 それとも専門的にはそこが良いのかしら。
かぶった連投スマソ
>>351 それはひどい…可哀想だったね。
2才の時。朝ご飯を食べていたらTVから 「ただいま五つめの赤ちゃんが誕生しました!」 ってニュースが聞こえてきて、 「ええっ! 目が五つもある赤ちゃんなの!? 」 と恐怖にかられて泣き出したら両親に大爆笑された。 それからテレビで五つ子ちゃんは今シリーズを放送するたびに思い出す
355 :
名無しの心子知らず :2011/07/16(土) 00:30:52.09 ID:la4dksC/
何歳の頃か分からないけど、母に事ある毎に「何で?何で?」と質問攻めにしてた時期があった。 「何で好き嫌いはダメなの?」→「何でも食べる子は大きくなるんだよ」 「何で大きくなるの?」→「栄養をたくさん採るからだよ」 「何でたくさん栄養採るの?」(この辺から質問が意味不明w)→「…(返答に困る)」 「ねえねえ何で何で(ry」→「う〜ん…」 →母逃げる。 →背中を追いながら何で何で攻撃。 →母「今忙しいから…」で振り切る →「何で教えてくれないの〜」とむくれる→スキあらば「何でたくさん(ry」 というやり取りを毎日毎日繰り返してた。 私の中で母は完璧超人で、この世の心理(笑)を全て知ってるんだと思ってた。 だから「何で?何で?」を繰り返せば、その心理に辿り着けるのでは?と踏んでいた。 母=全ての欲求を満たしてくれる人。自分の全て。 そのくらい母を信頼してたし、自慢で誇りだった。 子の質問攻撃にあって参ってる方は、そのくらい信頼されてるんだって自信を持って欲しいです。 育児に役立たないかもしれませんが…元子供を代表して言いたい。 あなたは私の全てです。
私も母が何でも知ってる人だと思ってた。 よく質問攻めにもしたな。 ある日、歯を磨くときに、何気なく母に「水って何からできてるの?」と 聞いたところ、母は 「水素と酸素だよ。」 と答えた。 合ってるけど、当時幼稚園児の私は理解できず、狐につままれた思いだった。 母も困ったんだろうな。ごまかすわけにもいかず、正しいことを言ってみたんだろう。 もし自分が娘に聞かれたら、もっと上手くやろうと思う。
>「水って何からできてるの?」 うわ、これはかなりの難問だ。マジで。 「水素と酸素」としか答えようがないけど、子供に分かりやすく伝えるとしたら 何と言えばいいんだろう。思わず考え込んでしまった。
なんでも子供にわかるような答えを言わなきゃならないことはないと思う きつねにつままれたような気分になることがあったっていいじゃない ところで、幼稚園のときに水素と酸素なんて言われて、それを覚えてるの?
水は手近なとこで空気でいいんじゃない 夏なら冷たい水いれてコップの周りについた水滴みせる 冬なら結露 リアルタイムで目の前で観察できるし言語能力発達してない時でもわかりやすいんじゃなかろうか
なんで空気が水に??って余計にややこしくなるような気も・・・
カーチャンにだって分からないことやうまく説明できないことがあったっていいんだYO ちゃんと子供ちゃんの話を受け止めてるってことさえ伝わればそれで正解なんだ
>>360 空気は見えないけど水みたいなのを含んでるのよー
温度が下がると、含まれていた水みたいなのが、本当の水としてでてくるの
なんで温度が下がると出てくるの? って聞かれたら
→温度が高い空気のほうがたくさん水みたいなのを含んでて、
冷やされると今まで抱えてた水みたいなのを抱えきれずにでてくるのよ
なんで温度が高いほうが水みたいなのをたくさん含んでいるの?
→温度が高いほうがいろいろ溶け込みやすいのよー
お砂糖もお湯のほうがとけやすいでしょ
とか言ってく。上記は、私の理解だが
途中わからなくなったら、
そうだねなんでだろうね、一緒に調べてみようか、
とか言って一緒に調べる
なんでもいいんだと思うな。 理屈っぽく言っても、例え話でも、ファンタジーぽくても。 その子が大きくなっても覚えてたらだけど 「あ、お母さんはこのことを言ってたんだ」って繋がってくれればいいと思う。 嘘と知ったかぶりだけはやめとこうと思う。
私はままー太陽まぶしいーなんで?→燃えてるから→なにが?→…………ゴミ→ゴミ?→ゴミ!っていうやりとりをしたなぁ、 最近にそのことを思い出して母に言ったら苦笑いしてたけど 太陽=燃えてるゴミってなんちゅう適当な…。 今は子供向けの百科事典とかおもしろいのいっぱいあるから 私が聞かれてわからないことは子供と一緒に調べて勉強したい、 まだ胎児だから気が早いけどねw
365 :
名無しの心子知らず :2011/07/21(木) 13:14:51.69 ID:QJNlTcPp
子供の頃、いや、結構最近までだけど、 「大人って自分も昔は子供だったのに、子供だった頃のこと、忘れちゃうのかな〜?なんでかな〜?」 ってずっと思ってた。 今、子供生んでみて、確かにものすごい小さい時のことはかすかにしか覚えてないけど、 小学校1年からはバッチリ記憶ある。考えてたことも、感じてたことも全部覚えてる。 それ以上先の子供の気持ちを忘れてる大人は、やっぱり不思議だ。 ちなみに私は保育所で子供たちとまとめて保母さんに育てられたので、NHK お母さんと一緒で 「仕上げはおかあーーさん♪」って、子供が母のひざにゴロンして、歯磨きをしてもらうのが、 「何故、この時だけ母親が?」と、不思議だった。 生後40日で預けられたので、お乳を飲んだこともなく。 高校ぐらいまで、日常の中に母の姿はなかった。 今、子育てしてみて、母も子育てを全然知らないので、育児書読み漁って 格闘中。母に仕上げ磨きしてもらえるなんて、これ以上の幸せはないのに 何故嫌がる???!と、困惑気味ですw
>>365 他人に口の中を意思とは関係なく磨かれるのってけっこう不快よ。
試しに家族の人に磨いてもらってみたら?
痛かったり、おえっとなったりすることあるよ。
歯磨きばなしで思い出した。
私の母は力の加減というのができない。
思いやりがないのか、昔脳内出血の手術をした際の影響か、もともと頭が悪いのかはわからないが、とにかくなんでも力任せにやる。
肩揉みされたら青アザができ、おにぎりを作ればご飯粒がきりたんぽ並みに潰れるレベル。
なので、仕上げ磨きも頭を洗われるのも嫌で嫌で仕方なかった。
いう事聞かないとぶたれるから我慢してたけど、力任せに爪を立ててガリガリされたと思ったら、「息を止めなさい!!!!!! 」と怒鳴られて、洗面器でお湯をぶっかけられるというなかなかの苦行。
母と同居している義妹が出産間近なのだが、生まれた子を守り切れるよう祈っている。
367 :
名無しの心子知らず :2011/07/21(木) 19:51:25.48 ID:YmBM9Iqs
>>366 ウチの母もそういうタイプなのだが、診察をうけてないだけでやっぱり疾患があるのだと思う。
私は髪を結んでもらう時、ぎっちぎちにひっ詰められてたよw
「私はどうやって生まれたの」 と、小さい頃ありがちな質問を母にぶつけたら 「お母さんのお腹の中で運動会があって一番になったから生まれたんだよ」 と説明が返ってきて、「私ってすごい!」と感動したことがある。 いま思い返してもうまい答えだなーと思う。
>>368 お母さんすごいね、嘘じゃないしなんか夢があるw
幼稚園上がる前位の記憶。
母とスーパーへ買い物に行った時の事。
買い忘れた物があるからここで待ってて、と言われ入り口付近で待っていた。
自分は母を待っているだけなのに、
周りの大人が絡んで来るのが嫌だった。
お母さんは?とか聞かれて、
頭では今買い物してると分かっているのに、
言葉が上手く出なくて結局泣いたw
そうしたらアナウンスされて母が急いで戻ってきた。
幼児期はまだ言葉で上手く伝えられないから、
大人には色んな聞き方や接し方して欲しいなぁ〜
聞くんだったら答えやすい様に
お母さんどこにいるのかな?とか、
お母さん待ってるの?とか。
何が正解か今となってはわからないけどw
なぜ?どうして?と分からない事は何でも親に質問する子だった 大人なんだから何でも知ってると思ってたし、 答えられないことなんてないと思ってた だって大人じゃん? だから親がそのことに関して不快に思っているなんて考えたこともなく あるとき、親と話していて 「私だって子育ては初めてなんだから分からないことだってあるんだよ」 と言われたときになぜか妙に納得したことを覚えている 同時に、大人ってこんなものか、って幻滅した
>>368 涙がでるくらい素敵ですね。
私はお尻から産まれたと言われ…
あ
>>368 正しくてしかも夢がある、最高
ママのお腹を選んだ系が嫌いな自分も目からウロコ
374 :
名無しの心子知らず :2011/07/28(木) 15:51:30.54 ID:Spw/hcoi
>>302-303 亀だけど、興味深い。
最近、1歳2ヶ月の娘が「ららだダラらら〜〜!!」と意味不明の宇宙語を
言い続けてるので、こっそり後ろから携帯ムービーで録画した。
すぐに私に気付いて、その携帯を見せろと迫ってきたので、録画したばかりの動画を再生すると、
ニヤニヤ笑いながら見ていて、
「ららだダラらら〜〜!!」(大人には発音不可能)を、全くそのままに納得したように
頷きながら、発音していた。
子ども的に、ちゃんと意味のある言葉らしい!!!(驚)
375 :
名無しの心子知らず :2011/07/28(木) 16:27:33.21 ID:Spw/hcoi
たびたび思い返していると、記憶って残るものだと思う。 私の場合、2番目の子で、100日のお祝いの時からしか写真がないのだが、 初めてそれを見たのが小1の頃で、最初は、 「それが○○ちゃん(私)よ」と母に言われても、全く信じられなかったのが、 じーっと見つめているうちに思い出してきた。 ご馳走が並んでる中心に、父が私をだっこして座っている写真が何枚か撮られてるんだけど、 父の手が私のお腹をホールドしてるのと、解かれてるのとがあった。 そういえば暑くて、手を振りほどこうとしたのを覚えてる。何度かやってたら、 手を解いてくれたんだけど、今度は寒くなってまた手を組もうとしたんだけど、 上手くいかなかったことを思い出した。 「暑い」というか、当初はもっと原初的な感覚なのだけど、それを小1の知識で 人に伝わるように置き換えると「暑い」になる。でももっと感覚的な感覚だった。 それから、カメラ目線の写真が何枚かあった。それも見てて思い出した。 「あれは何だろう?」とじっと凝視していたら、光った。光ったりするからさらに 興味深くてずっと見ていた。 何の参考にもならんけど、写真や動画はたくさん撮っておいて、しょっちゅう子供に 見せるといいと思う。そのうちしゃべれるようになったら、「この時の気持ちは〜」って 教えてくれると思う。
376 :
名無しの心子知らず :2011/07/28(木) 16:35:31.99 ID:Spw/hcoi
あと覚えてるのは、ミルクを上唇に押し付けすぎて痛かったので、体をゆすって 伝えようとしたら、ミルクを持って行かれてしまったのを覚えてる。 その後お腹が空いて泣いても通じなかったので、 「複雑な要求は通じない」と学習して、それ以降は上唇が痛くても我慢して飲むようになった。 今にして思えば、ミルクを最後の方まで飲ませようと無理やり90度以上に傾けたせいだと思う。 あと、寝かしつけの時に、ポンポン叩いてくれるのはリズムが気持ちよくて大好き だったのだけど、背中でなくて、お尻をポンポンやられるので、そこじゃなくて上だと、 体をズラそうとするのだけど、どうしてもお尻を追いかけてくるか、やめてしまうので、 ここでも「複雑な要求は通じない」と、諦めて、お尻で我慢してた記憶がある。
母の実家近くに、看板に天狗のお面が飾られたお店があった。 二歳のころ母に抱かれてその前を通ったとき、天狗が怖くてワンワン泣いた。お面はすごく大きくてほんとに怖かったけど、母は通るたびにお面を見せて、私の泣くのを見て喜んでた。 その次の年母の実家に行ったとき恐る恐るお面を見たら、記憶より小さくて怖くなかった。「な〜んだ」と思ったけど、母が私の泣くのを期待しているのが感じられたので、怖くなかったけどワンワン泣いた。 子どもって親の期待に敏感だよね。ずるい嘘泣きじゃなくて、純粋に喜ばれたいって思ってるんだ。
>>375 オレンジケーキ返してwwwwwwww
ポンポンされたくて、寝てるときカーチャンの手を自分の背中に置こうとしたけど
重くて持ち上がらなかったのを思い出した
幼稚園に入りたての頃の記憶 同じクラスの女の子にとっても嫌なことを言われて怒った私はその子を突き飛ばした もちろんその子は泣き出し、泣き声を聞き付けた先生が話をなにも聞かずに私を怒りそのまま廊下に立たせた 立たされながら「向こうが先に言ったのに」、「お姉ちゃんに見られて恥ずかしい」(姉は年中で向かい側の教室)とかぐるぐる考えながら泣くのを我慢してた 今思えば手を出した私も悪いんだが、状況も把握せずに一方だけを悪いと決めつけるのも先生としてどうかと思う ちなみに母親にはだいぶ大きくなってから言ったら年少児を立たせたことにびっくりしてたよ 結構話も聞かずに怒る先生がいたから自分の子供は小さいうちから預けたくないなぁ、と思ってる
・父親に髪を洗われるのが嫌だった、ガシガシ洗われてすごく痛かった。 ・歯の仕上げ磨きは寝転んで母親の膝枕で磨いて貰ってたんだけど これも強くやられて痛くて嫌いだった。
記憶とちょっと違うかもだけど、幼稚園くらいまでトイレが苦手で、チョビチョビおもらし(パンツがちょい濡れるくらい)してた。 親には叱られるし、自分でもなんでかわからなかったけど、先日母と電話で話してたら「あんたは1歳ちょうどでオムツが取れたのよ!」と自慢げに言われた。 それ、取れたんじゃなくて、無理やり取ったんでしょorz 自分の子には無理させたくないなぁ。
自分も3歳すぎてお漏らししてた。 パンツを換えた直後でもちょびっと漏れるから、 毎回、大声で怒鳴られたり、頭をはたかれたりした。 でも自分の意思と関係なく出るので、どうしようもなかった。 できないことをやれと言われて、悲しくて途方にくれていた。 オムツ外しは無理しないのが一番だと思う。
私は小学校までお漏らししてたけど、膀胱尿管逆流症って病気だった。 保育園でパンツ借りるのが嫌だったな。 小2で手術したけど、それもトイレ我慢しすぎたせいで膀胱炎になったんだ!と思って最近病名知るまで自分が悪いんだと罪悪感感じてた。 病気の事はしっかり説明してあげて。
2歳の頃 子供部屋で積み木で遊んでいたんだけど、母が「もうバレエに行く時間だから、片付けて」と言った。 私はバレエも好きだったけど、その時はまだ積み木で遊びたい気分で、片付けずに遊び続けた。 そしたら母がキレて、怒りながら積み木を投げまくった。 その積み木のひとつが私の頭に命中し、母が急にあわあわし出した。 なにやらバレエではなく病院に行くと言う。 家を出て、階段を下りる途中で、母が私に 「お医者さんに、階段で遊んでいたら転んだ、って言いなさい」 と言った。 あの時の、えーーーって気持ちは忘れないw もちろん母の言うとおりに医者には言ったけど、医者が、傷を縫うとか、ホチキスでできるとか説明しているのをgkbrして聞きながら、母が少しでも罪悪感を持ってくれたらいいのに、とか思ってた。
上のに、教訓?書くの忘れた! 子供は大人の事情もわかっている。 でも、わからないふりをした方が大人にとって都合がいいこともわかっている。 だからこそ、大人は子供にも誠実な態度でいるべき。 まずい!と思った時ほど、素直に謝って欲しい。
3歳くらいの頃友達と庭先でボール遊びをしていたとき、ボールを追いかけて道路に飛び出して ダンプカーにひかれそうになったことがある。 普段から親には「道路に飛び出したら駄目」と言われていてそれを守っていたのだけど、 そのときはボールに夢中になっていてボール以外目に入らず、自分が道路まで行ってしまったことにも ダンプカーが走ってきていることにも気が付かなかった。 子どもって本当に周りが見えてないときがあるから親が気を付けないといけないな、と思ってる。
387 :
名無しの心子知らず :2011/08/02(火) 21:38:51.04 ID:SG9B2BtV
>>300 私もやってた。犬食い。
テレビ番組でサバンナのライオンがしまうまを食べてるシーンを見て「おいしそう」とか、かつおのタタキを「かいじゅうのお肉」と言いながら食べてた。
あげくのはてにデパートのトイレで母に「狐になりたい」発言ww
どんだけ野生に帰りたいんだよって感じだけど、母は常に優しく接してくれた。「何言ってるの」みたいな事は一度も言われなかったし、むしろ何故か誉めてくれた…犬食い以外はww
犬食いはさすがに怒られたが。
母は子供に否定的な事とか言わなかったから、すごくのびのび育った気がする。
>>379 私が保育園児の頃、いきなり同級生に引っかかれて泣いても、
上級生に囲まれて意地悪を言われて泣いても、先生は気付かず、誰も助けてくれなかった。
だから、集団生活における大人ってのは全く頼りにならないとずっと思ってた。
というわけで、私も自分の子どもは出来るだけ預けたくなくて、2年保育にした。
で、実際に4歳児になって幼稚園に預けてみたら、
そこの先生達は子ども達の事をすごく良く見てて、きちんと話を聞いてくれる先生ばかりだった。
>>379 さんのような事が起きれば、必ず双方の話を聞いてた。
幼稚園教育に全く期待せず、「集団でもまれて、早いうちに自分の生きる術を見つけるんだ!」と、
何も調べずテキトーに決めた園だったのに。
>>379 さんのお子さんに素敵な園が見つかりますように。
子ども達の通った園のおかげで、あの頃傷ついた幼かった頃の自分が救われました。
2歳位の時に耳掃除のたびに暴れたのは、 耳をひっぱる母の爪がだんだん力入ってきて 痛かったからなんだよなぁ あれさえなければなぁ
この流れでお父さんに背中を洗われる時のゴシゴシがすっごく痛かったのを思い出した なんであんなに力を入れて擦ってたんだろう?
392 :
名無しの心子知らず :2011/08/07(日) 22:41:34.40 ID:7qA9cEfR
>>200 超亀レスだけど、
>>172-195 みたいのは、典型的に親が子心を理解してないために起こる、育児放棄系の話じゃない?
育児をしっかり責任もってする範囲での「愛情」は与えても与えても与えすぎることはないと思う。
閉じ込め、放置、体罰系は、絶対にやっちゃいけない、逆効果だと、絶対にそう思う。
私は幸いそういった経験が一切ないんだけど、児童館なんかで、たまにうちの娘が3歳くらいの男の子に暴力をされてしまうことがあるんだけど、必ず親が、その子を小突きにくる。
親がまず暴力をしてしまってるんだと思う。
3歳の息子がいます 私が子供の頃に親に捨てられたので楽しかった思い出が無く、 息子にはいろんな体験して楽しく過ごして欲しいからいろんな所へ遊びに連れて行ってます 旦那は「そんな事してあげたって3歳の時の事なんて覚えちゃいない」って言います 確かに私自身も辛い思い出しか無いせいか遊びに行った事とか何も思い出せません もしかしたらどこにも連れて行ってもらってないのかもしれませんが… 今の時点では楽しかった所などはまた行きたがるし、一年くらい前なら覚えているみたいですが こういう記憶って無くなってしまうのでしょうか? もしそうだとしても私は今のように続けて行くつもりですが皆様は3〜4歳頃の楽しかった行楽など覚えてますか? それが聞いてみたくて、長文になりましたスミマセン よろしくお願いします
子によると思うけど、結構簡単に忘れてたりするよ。 うちの小一息子は、既に3歳の頃の行楽などはあまり覚えていない様子。 それでも、楽しかった思いや幸せな気分はどこかに残っていくんじゃないかな? 具体的なことは忘れたとしても。
395 :
名無しの心子知らず :2011/08/07(日) 23:37:53.55 ID:wocwPGWM
>>393 覚えてるか覚えてないかじゃなく「その時」を楽しませる為でいいんじゃない?
>>394 >>395 ありがとうございます
今楽しんで過ごせたら良いですよね
私も絶対覚えていてくれなきゃ嫌とか
覚えてないならもういいやとかではないんです
普通はどんなものなのかぁ、ぼんやりとでも覚えてる子もいるのかなと思って聞いてみました
旦那も歯医者通ってた思い出以外に
具体的な記憶は小学校高学年からしか無いと言うし
そんなものかもしれませんね
>>393 「何をしたか」は具体的には覚えてないよ。
「その時どんな気持ちを感じていたか」は割に記憶に残る。
「どっかにみんなで出かけて、お父さんもお母さんも楽しそうだった。
それを見て自分も嬉しかった」なんとなく、そういう感じで頭に残る。
だから、スケジュール盛りだくさん行事沢山でも、こなすことで精一杯で
母親がテンパって父親が怒鳴り散らすような家族行事なら、いっそ無い方がマシ。
398 :
名無しの心子知らず :2011/08/08(月) 00:22:06.17 ID:/KzUubXH
>>393 覚えてますよ!バッチリ!!
生まれて初めて行ったディズニーランドの「It's a small world」が、本当に本当に
楽しくて、夢のようで、「こんな素敵な世界がこの世にあったとは・・」と、今までの
人生の中でも楽しすぎた記憶として強烈に覚えております。
母によると3歳頃だったようで、「覚えてないかもしれないけど、当時は楽しんでたわよ」
って言われたましたが、覚えてますとも!!
小さい頃って、怖い体験は100倍怖く、楽しい体験は100倍楽しく感じられるものだと
思いますから、是非、色々連れてってあげてください。
近所の住民で夏になると毎年行く、「親子海水浴」というのが本当に本当に楽しかった。
スイカ割りをしたり、パン取り競争をしたり、宴会のように大人が前で歌を歌ったり、
子供たちで劇や、踊りや、出し物をしたり。
人生で初めて海に行くときは、父が「海って楽しいんだぞ〜!」と、私をかかえて
「ざぶ〜〜ん!ざぶ〜〜ん!」って波というのを教えてくれたのも、とても楽しくて
よく覚えています。
私は泳がず、同じくインドア派な母と砂場で母と砂ごっこで遊ぶのが好きで、
姉がよく遠くまで父と遊びに行ってました。
399 :
398続き :2011/08/08(月) 00:23:09.55 ID:/KzUubXH
保育所でもあちこちよく連れてってもらってたので、岩と川だけがあるような ところで、パンツ一丁で泳いだり、ボート乗ったり、キャンプ行ったり、、 とにかく、楽しかった記憶しかありません。 嫌なこともあったはずですが、楽しいこと3つあれば、嫌なこと1つは忘れてしまいます。 私の経験ではそうです。 保育所育ちなので、リクエストとかはできませんでしたが、親が直接連れてって あげれるぐらい贅沢ができるなら、繰り返し行きたがるところは何度でも 連れてってあげたらいいんじゃないでしょうか。 写真に残しとけば、必ず覚えてると思いますし、覚えてなくても「楽しかった」 記憶は間違いなく残ると思います。
私もけっこう覚えてるな 2歳代に弟が生まれて、その前後に祖母と叔母がたぶん母を休ませるため、私だけ鎌倉旅行に連れて行ってくれた 大仏の大きさに衝撃を受けたりしたのを覚えてる
自分の思い出にもなるよ。 大きくなったら、一緒に遊んでくれなくなるし。 自分が覚えてないことを親が楽しげに話してくれるのが、好きだったな。
私も2〜3歳の時の記憶はあるよ。ほんの断片的なものも あるけど。 ・母が弟を妊娠する前の3人家族だった頃、広い温泉に入った事。 温泉の湯船の底の模様と、楽しかった事を覚えてる。(2歳) ・お祭りに行って、急に両親が消えて「迷子になった!」と焦った事。 ものすごい絶望感だった。実際は、私の写真を撮るために両親が急に私の傍を離れただけ。 あちこちきょろきょろして、急に移動し始めた写真が残ってる。(2歳) ・弟が生まれた日の事いろいろ。(3歳) 現在小4の娘も、2〜3歳の時の記憶が少しある。 ・遊園地でコーヒーカップを母(私)が回しすぎて怖かった事。 観覧車に乗った事。観覧車の中にうちわと双眼鏡があった事。(2歳) ・母(私)に肩車をしてもらって、いつもここからと羽田陽区のお笑いライブを見た事。 雨が降っていた事。いつもここからがバイクネタとアルゴリズム体操をした事。(2歳) ・妹が生まれた時の事。立ち会ったからか、かなり細かく覚えてる。(3歳) 一方、私の弟は小学校高学年くらいからしか記憶が無いらしい。
女性の方が幼児期の記憶が残りやすいのかな?
>>403 言葉が早いか遅いかだと思う。
記憶を言語化しておけるかどうか。
知り合いは1、2歳の頃の思い出をたくさん話せるよ 人生で一番楽しかった頃だったって 仕事も学校も幼稚園もなく、毎日遊んで天国だったとw
私も一、二歳の記憶いっぱい残ってるけどろくなのない。 早期教育の漢字カードの読みが答えられなくて怒られた事とか、妹が産まれて初めて家に来た時(私は一歳五ヶ月)に「いい子いい子」して怒られた事とか、 父が当直でいないのに母が出かけようとして、私は不安で泣いてて、それでも強行突破しようとする母を寂しく見送った事とか。 トイレの窓から母が見えなくなるまでずっと見送ったよ。多分二歳くらい。 来週幼稚園入園って時に、制服を着て写真を撮ってもらったんだけど、その時に妹が「私も行きたい、制服着たい」と泣いてるのを見て優越感に浸ってる記憶もあるな。 何かあって泣いてるのを父に見つかると「泣くな!!!」と殴られてた記憶とか…私って不憫な子だったんだな。 自分の娘には同じ思いをさせたくないけど、やっぱり泣き声が不快すぎて「泣くな」って言ってしまう…はぁ、自己嫌悪。
泣くなじゃなくて、泣かなくていいんだよーに変えてみるとか うちも親が毒だったから、子には絶対絶対同じ思いはさせたくない トラウマは沢山残ってるけど、反面教師になって結果オーライと思い込んでる
>>406 つい「泣くな」って言ってしまったなら、後からでも抱きしめるか頭撫でてあげなよ
演技でも嘘でもいいから、「お母さんはあなたのこと好きなんだよ」って伝えてあげなさいな
「あなたのこと好きだから泣かれると辛いんだよ」って口に出してみたら?
たまには一緒に泣くのもいいよ
年中の頃アンパンマンが大好きだったな。 恋してたとおもう。アイドルを好きになる感覚? なぜかかっこよく見えたんだよね。その時は金曜の四時にやってたので、家に帰ってハァハァしながら見てた記憶が。
途中で送信してしまった。 だからアンパンマン好きな息子はそんな感じでみてるのかなぁ…と思ってみたり
>>404 言葉じゃないと思う。
私も父も弟も2〜3歳時の記憶があるが、映像で覚えてるもの。
映像を言語化することでより残りやすいってのは あると思うけどね。 この場合の言語化ってのは単純に「文章にする」ってのじゃなくて。
>>412 その映像を言葉で表現出来ないなら言語によらず記憶してるんだろうけど、「○○があった」と説明出来るなら言語も伴う記憶だと思う。
言語化ってペラペラ話せるとかじゃない。
記憶を引っ張りだす際のマークとしての言語。
反芻しないと引っ張り出せない様になっていくし。
2歳頃の記憶。 抱き人形をもらったのが嬉しくて、かわいがっていた。(実際は裸にして引きずり回していた) 親から「この子人形嫌い」と思われて、それ以来人形は買ってもらえなくなった。 今2歳半の娘も同じように裸の「ぽぽちゃん」を「カワイイー」と言いながら引きずり回している。 かわいがっているんだな、と思って見ている。
3歳くらいから。 親が、私が寝てると思って普段私の前でしないような話をしているときは 例え目が覚めても寝たふりしてた。 子どもは小さい頃からかなり空気読む。
二歳くらいかなあ。 宮崎のこどものくにでラクダに乗った。 すごく臭くて、でもそれにしがみつかないといけないのが辛かった。 視線の位置が高くて爽快感があっていいと一生懸命自分を励ましてたw あと、当時は母方の祖父が寝たきりになってて 半分痴呆入ってた所為で「今、何時か」と聞きまくってたらしい。 同居家族は皆ウンザリしててスルー気味だったのに お見舞いに行くと必ず「11時半よ、じいちゃん。11時半」って答えてた。 何故11時半なのかはわからないww
ちょうど同じことを何度も言う息子(2歳9か月)をみて 酔っ払いか痴呆のご老人みたいだと思ってたとこだわw >396 他の人も言ってるけど写真おすすめ。 家族で出かけたゆるぎない証拠だし、映像を見ることで 記憶が呼びさまされるかもしれん。 私は3歳ぐらいから記憶があるけど、小さいころから何度もアルバムを見てるから それによって記憶が補完されてると思う。 小学高学年以降しか記憶がないってのもびっくりだけど。
>>418 11時半
じいちゃんは、もうすぐお昼だなと幸せな気分を何度も味わえたろうな
3歳になるかならないかのころ。 アパートの2階に住んでいたのだけど、階段の上、踊り場と言うのだろうか そこで三輪車に乗っていた。 そうしたら近所の日とか見知らぬ人かは忘れたけど、 おじさんに「危ないよ」と注意された。 私本人は、落ちたら大けがする事を分かっていたし、そんなヘマはしないと思っていた。 どこで止まれば安全かを分かっているつもりだったんだね。 危ない事を分かっている子供に危ないって注意しても意味は薄い。 どう注意したらいいのかね・・・
私も3歳以前の行楽の記憶はほとんどない
自分が庭で遊んでいて窓から母が声をかけてきたとかの
ちょこちょこっとした日常風景がいくつか残ってるだけだな
どうやら海水浴やプールやキャンプにも連れて行ってもらったりしたらしいけれどまったく記憶にない
でも記憶には残らなかったけれど、
それぞれの経験は幼児だった私が育つための心の栄養としてきっと役立ったんだと思う
>>396 私も写真おすすめ
記憶に残らない幼児期だけじゃなくて、できたら高校卒業ぐらいまでは
何気ない日常の写真もいっぱい残してあげてほしい
私は小学校低学年からずっといじめられっこでいつも暗く悩んでいて
それはそれは暗い子供時代〜思春期だったんだけれど
自分が結婚するときにアルバムを見てみたら、
めちゃくちゃ悩んでた時期の自分の容姿がどうみても無邪気な小学生や純朴な女子中学生で
友達と一緒にピースして笑ってる写真なんかあったりして
なんだ悩んではいたけれど私も所詮こんなちっこい子供だったのか〜なんて客観的に思えて
子供のころの暗い経験をさっぱりと笑い飛ばせるようになるきっかけになった
多分二〜三歳頃の記憶。 目を離している間に、時計の針の位置が変わっているのが不思議で仕方なかった。 今日こそはその秘密を突き止めようと思い、時計の前にスタンバイして時計をジッと見つめ続けた。そしたら分針がカチッと進んだ! 時計の秘密を目撃した!と興奮した私は、畑にいる父の元へ走り、「お父さん!時計が動いた!」と教えてあげた。 でも、父は「ふーん?」って感じで、時計の秘密を当たり前のこととして知っているようだった。 私は父の態度を見て、大人には当たり前のことだったんだ、別に凄いことじゃなかったのに熱くなってた私ってバカだなあ…と思い、すこしへこんだ。 あの時話を合わせてもらえれば嬉しかっただろうけど、現実を教えてもらったのでよかったと思ってる。
自分は、遊園地などに行くのは嫌だったな。 父は腹が減ったり渋滞になるとキレるタイプで、行き帰りの車内は 毎回険悪な雰囲気になってたし、そもそも遊園地などの人工物で遊ぶより 近所で虫取りでもしてる方が面白かった。 「○○のアトラクションが面白かった」よりも、皆が楽しそうだとかの方が 子供には記憶に残るような気がする。
425 :
名無しの心子知らず :2011/08/12(金) 14:01:06.34 ID:35dn1PA1
私だけかもしれないけど、実際、自分が行動したり、触ったり、感じたりしたこと の方が、その時のその人の表情や、映像や音や感触とともに記憶に残ってる。 保育園の帰りにいつもみんなで「スプーンおばさん」を見ていたはずなんだけど、 その時は他のことも忘れて集中して見ていたのは覚えてるけど、記憶に残ってる ことと言ったら、エンディングの 「好きよ スプーンおばさん さあさ 一緒に 踊りましょう〜♪」 って歌だけだ。 逆に、保育園の庭でプールで遊んでいて、おしっこしたくなったので、お姉ちゃんに 「おしっこ」と訴えたら、「プールの中でしちゃいなよ」と笑顔で言われたこと 「そっか!」と思いつつ、「いいのかな?」と思ったこと。 その時のお姉ちゃんの水に濡れて楽しそうな表情やプールの中でそっと失禁する感触、 それ以来、海の中とかでもするようになったら、ある時は、股にビニール袋が くっついてたらしく、ビニールの中に黄色いおしっこが溜まってたこと、その映像とか 鮮明に覚えてる。
年子の妹が産まれて母の意識が赤ちゃんの妹ばかりにいって悔しかった。だから持ってた麦茶を妹の顔にかけたことがあります。
427 :
名無しの心子知らず :2011/08/12(金) 23:30:59.99 ID:35dn1PA1
>>426 その時何歳何ヶ月だったか、覚えてますか?
妹さんとどのくらい年離れてる?
私は2才の時妹が産まれて、やっぱり母がとられた様で悔しくて、妹の離乳食を取り上げて食べたりしてたな…
>>427 その頃の様子でしか、年齢は分からないので推測です〜。妹はまだ赤ちゃんで一歳と七ヶ月はなれているので、たぶん一歳〜二歳の間だと思います。
妹は泣くことなく、目をパチパチさせて麦茶を浴びてました。
2〜3歳の記憶です。 朝、祖父と両親が仕事に、兄が保育園に行くのに一斉に出掛けて行くのを見て やばい!私もどこかに行かなくちゃ!と焦ってみんなの後を裸足で追いかけて祖母に捕獲されました。 未だに家族は「みんなが急にいなくなったからさみしくて追いかけた」って思ってますが 私自身は「朝は出かけるもの、私も家にいるわけにはいかない」と思ってました。 あとおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃんと家族全員あだ名があるのに 末っ子の自分だけ名前で呼ばれて仲間外れ!みんなずるい!と思ってました。
何歳だろう、3〜4歳かな 当時住んでた団地の複数家族大勢で花火をやっていたけど、 私は手持ち花火すら出来ない歳だったのか、ただぶらぶら歩き回って見ていた。 噴き上げる筒型の花火かなにかで、火の粒が地面に零れて転がる様子を見た私は 「綺麗だな」と思い、足元に残っていた光る粒を拾って手の平に置いた。 …一瞬後に激痛で手を振って落としたとこで記憶が途切れているが、 大人数人に囲まれて、火傷には折ったアロエの汁を擦り込まれていたのは覚えてる。 今でも右手の中指の根元の近くに、直径2mm程の丸い火傷の跡があるw
幼稚園前か、その辺りの記憶。 わが家は両親と祖母が同居していた。大人は皆、口も、仲も悪かった。食事の時の会話は大体近所の噂や悪口だったけど、どこもそういうもんだと思ってた。 ある日従兄弟が、私にお土産をくれた。私は何て言っていいか考えて(お礼を言うという意識は無かった。)、いつも大人が言うように、お金の方が良かったのにと言ってしまった。 母に怒られたけど、いつも大人はそう言ってんのに、なぜ私が怒られるんだ!と不服だった。怖くて言えなかったけど。 弟が、おもらししてしまって、母にめちゃめちゃ怒られてたのも覚えてる。小さいからしょうがないじゃんと思った。もちろん怖くて言えなかった。 幼稚園に入る前までに、おむつ外れをしたかったのかなと思う。 大きくなって、我が家変だったな…と気が付いた。
5歳くらいかな? 親戚のおじさんの歯並びが汚くて、ヤニも付いてて「歯がきたない」と言ったらムッとしたのか「そんなこというと、お小遣いあげないよ」と言われた。 え、金?なんで金??と思ってすごく不快に感じた。金でひとの心を揺さぶるのが気持ち悪くて虫唾が走った。 単にコラって叱るならわかるんだけど、いきなり金の話になったのが意味不明なキモさだった。そのおじさんずっと嫌いなままで、結婚式にも呼ばなかった。 子供でもお金をだしにする奴は不快。 信用が下がるし、根に持つ子はウン十年根に持つので気をつけよう。
434 :
名無し :2011/08/15(月) 23:42:23.32 ID:QaabqA73
赤ん坊のときの記憶で いとこのおねーちゃん(女子高生)の胸を触ったとき 母親とあきらかに弾力が違うので すげーと思いながら、何回も触ろうとした記憶がある (あくまでも赤ん坊のすることなので、スケベ心はない) その後、母親にこっぴどくしかられた。
>>434 こっぴどく叱られるような年齢なら赤ん坊とは言わないんじゃないの?
せめて幼児期なんじゃないのかなと。
乳児時代の話だったらスマンが。
乳児相手でもこっぴどく叱る人はいるし 実際はそれほどでもなくても乳児の記憶で「こっぴどくしかられた」なのかもしれないし 一歳児だったら、こっぴどく叱る親は多いし 一歳児を幼児というか赤ん坊というかはそれぞれだし
437 :
名無し :2011/08/16(火) 18:40:12.95 ID:66vHPOGi
>434の続き1です 正確にいうと怒られたというより泣かれた感じ。 おねーちゃんの胸を何回も触ろうとしたとき 母親が膝をたたきながらこっちへきなさいと言っていた。 不器用なハイハイで母親のところに行き、文句を言ったところ (赤ん坊なので母親には何を言っているのかわからない状態) 「ごめんねー」と言いながら母親は俺を抱きかかえた 少し母親の胸を触ったところ(ため息をだしたかもしれない) 「誰のせいでこんな胸になったの?」「お母さんの事嫌い?」 と言いながら泣き出した。
438 :
名無し :2011/08/16(火) 18:42:34.07 ID:66vHPOGi
>434の続き2です べつに泣かなくてええやんと思いながら 母親の顔を舐めていた記憶がある。 すぐに母親の機嫌は良くなったが 残念なのはオネーちゃんの胸の感触を忘れてしまった事。
ネタでしょ。 目の前にかわいい自分の子供がいて、誰のせいでryなんて…
ほんと夏って感じ。 育児板で不必要に「自分は男」って強調する奴って禄なのがいない。 まともなお父さんは不必要に書き手が男だと強調しないんだけど。
>>438 の最後の一行さえなければ普通の赤ちゃんの頃の記憶だった
最後の一行がキモすぎる
おかげで
>>434 が書いたやつ全部キモい
>>440 その点をネタだと思えるのか・・幸せだね。
ゲスパだけど、慣れない育児に疲れ果てて、自分に自信がなくなっているときに
息子が若い子の胸にすり寄って行ったら悲しくもなるかと。
子が乳児期にいろいろ悩んで、鬱の経験があったのも手伝って
子を目の前にしてしょっちゅう泣いてたから
>>437 のお母さんの精神状態も少しわかるよ。
私は子を責めて泣いてたわけじゃないけど、
うちの子があの頃のことを忘れてくれることを祈ってるw
>>443 子はきっと覚えてないよ。
このスレほんと参考になるけど、私なんて最初の記憶は幼稚園時代で、
2年間に3つしかない。
小中高校もおぼろげ。
そんなヤツもいるので。
ちなみに自分のおっぱいはもう食料貯蔵庫でいいと思ってる。
ていうかなによりの使い道だw
445 :
427 :2011/08/18(木) 07:49:24.98 ID:sPxO5e5+
>>429 ありがとう〜
1歳7ヶ月でもそういうの分かるんだね。。2人目は何歳差がいいんだろ・・・
うちは姉と私が1歳6ヶ月差なんだけど、母が私のオムツを替えていると、姉が
オムツを持ってきたらしいので・・。分からないものかと思ってました。。
>>445 1歳7ヶ月どころかもっともっと小さいときから嫉妬するよ。
「何歳ならわからなくて嫉妬しないのか」より「何歳なら嫉妬しても比較的我慢できるか」を考えた方がいい。
小さい頃父親がくすぐってくるのがすごく苦痛だった、 父親は子供と遊んでるつもりなんだけどいつまでも止めてくれないから とうとう泣いたらやっと止めてくれて以来ある程度くすぐられたら 「まじ止めろ、めんどくせぇ…泣くか。」って頃合いを見て泣いてた。 子供って意外とあざといのかも、ちなみに今でもくすぐられるの大嫌い。
どこぞのブログに書いてあったんだけど 第一子は夫婦で迎えて夫婦が育てる、第二子以降は家族で迎えて家族が育てるもの らしい。上が嫉妬せずに下を世話出来るくらい離したほうがみんな幸せかもね。
>>447 私もよく3ヶ月の娘をくすぐってるorz
特に面白がってる様子もないし、もうやめよう…
450 :
名無しの心子知らず :2011/08/18(木) 13:21:23.31 ID:sPxO5e5+
ちょっとスレチかな? 寝たふりはバレてないものと小さい頃思ってたけど、親になってみて初めて バレバレであることを知ったw 小さい頃、愛されたくて、薄目開けて寝てるフリとかよくしてた。 そうすると必ず親が、まゆげ、目、鼻をなぞったり、キスしたり、 と可愛がってくれるのでそれが嬉しくて。 1歳3ヶ月の娘も、たまに薄目あけて寝たフリしてる。バレバレなんだけど、 わざと気付かないフリをしてあげてるww あと、オネショをすると、母親に裸にされて、母親の布団で一緒に寝かせてもらえるので それがぬくぬくして安心感に包まれて、嬉しくて気持ちいいので、わざと寝しょんべん したことが2度ほどあります。(謝)もう小3ぐらいだったと思うのだけど。 今、同居中の母にわざとだったことを告白してみたけど、 「そんなことあったっけw」と笑ってましたw ちなみに両親に愛を確かめたくて、家族みんなで雑魚寝してる真夜中に 寝返り打ったフリをして、手をすごい勢いで父親の顔にバーンと置いてみたこともあります。 父親はびっくりして飛び起きたけど、私の寝相だと気付くとまた眠ってしまった。 結構いやな子供だったんだな・・・でも両親には感謝してるし、未だに同居だし、家出たこともない。
3歳くらいの頃、紙工作が好きで「(自分の)ハサミがほしい」と親にねだったら 子供用のほとんど切れないハサミ(刃がプラスチック)を買い与えられたこと。 思ったように切れなくて、すごくガッカリした。 やっぱりその頃の誕生日。冷蔵庫&中身のミニチュアを父がくれたんだけど 中身が超細かくて(直径5ミリくらいの卵とか)、本体の冷蔵庫以外没収されたこと。 「口に入れるから」という理由だったはずだけど、入れないのに!と思った。 自分が嫌な子供だったことばかり覚えてるなんて複雑だw でも、当時の親の行動は何も間違ってないことを、やはり親になって知る…。
>450 寝たフリってバレバレなのか…、私はお姫様抱っこしてほしくてリビングで寝たフリしてたw
>>452 それは私もやった。
ちびまるこの作者も自伝的漫画で同じことやったと言ってた。
454 :
名無しの心子知らず :2011/08/20(土) 11:39:02.98 ID:ipXQymaw
小さい頃、「ごめんなさい」を言うのが嫌だった気持ちを覚えてる方はおられませんか? うちの5歳男児、かたくなに「ごめんなさい」するのを拒否します。 どうしてなんでしょう?どういう感情から彼は素直に謝れないんでしょうか? 諭したり促したりする際の手がかりとして、どんな気持ちで謝れないでいるのか 知りたいんです。 「ごめんなさい」と言えなかったエピソードを覚えておられる方、その時 親はどう諭せば「ごめんなさい」と言えたと思いますか?
>>454 私はごめんなさいが言えない子供だった。
思えば母がごめんなさいを言わない人だった。
家庭内でごめんなさいという単語を聞いたことがなかったよ。
例えば
父「ちょっと今日は味付けがこいなぁ」
母「じゃあ食べるのやめたら?」
(あらごめんなさい、ですみそうなのに)
私「身体の洗いかた痛いからもっと優しくして!」
父「大丈夫だろ、軽くやってるぞ」
(そうかごめん、となぜ言えない?)
そのわりに私にはごめんなさいを強要するから意地になってた。
なぜごめんなさいと言わせることに固執するのか理解できなかったな。
456 :
名無しの心子知らず :2011/08/20(土) 13:21:58.99 ID:k/l4vEm2
>>454 私の小さい頃は自分が悪いと思わない限り絶対に謝らなかった
親に諭されて自分が悪かったとやっと気づいたときには後戻りできなくて素直になれなくて謝るに謝れないでいたよ
謝らないでいたら親にシカトされ、それがとても悲しくて最終的に泣きながら謝るって感じでした
大人になった今でも自分が悪くないと思ったら絶対に謝らないけど少しでも悪いと感じたら素直に謝ります
ちょっと違うけど、私はすぐごめんなさいを言う子供でした。 例え自分が悪いと思ってなくても、特に親が横にいるときは素直にごめんなさいをしていい子アピール。 反面、弟は絶対謝らない子供で、 「とっとと謝りゃお母さんに怒られずに済むのに〜」 なんて思って見てた記憶もあります。 あ、頑固な弟はそのまま頑固に育ちましたが、普通の大人になりましたよ。
458 :
名無しの心子知らず :2011/08/20(土) 13:48:31.28 ID:XWYHureZ
2歳になっても指しゃぶりがやめられなかったけど、 近所の歯医者さんで指しゃぶりし過ぎてグチャグチャな歯並びの写真を見て ショックを受けて指しゃぶり止めたなぁ。 お母さんのストッキングを触りながら指しゃぶりして寝るのはとても心地よかったんだけどね。
>454 私は「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えなかった、 何故かそういう言葉が照れくさくてどうしても言わなきゃいけない場面でも 緊張で言うまですごく時間がかかってた。 大人になってからは意識して言うようになったけど 自分の否を認めるのはすごく辛い>ごめんなさい
うわー自分がいっぱいいるよ。
>>454 あくまでも自分の場合だけど、
理性では謝りたいのに、体が拒絶してる感じだった。
謝ろうと努力はしてたけど、喉の奥が熱くなって何故か言葉が出せなかった。
親がせかせかしすぎて子供が何か言うまで待てないとかだと
余計言葉が喉につかえて出てこなくなる感じになる。
「黙ってないで何か言いなさい」って急かされたり、
「もういい!!」と完全遮断(理由も聞かずにそのまま放置)されたり、
「自分に都合が悪くなると黙る」って決めつけられると
ますます悪化した記憶がある。
言葉に出して謝らない = 自分が悪いと思っていない
ではない場合もあるってことは覚えておくといいと思う。
あと
>>455 と同じで、家庭内でそういう言葉がさらっと交わされてるかどうか
というのはかなり影響が大きい。
うちは両親が共に謝らない人たちで「謝ったら負け」みたいな空気があった。
明らかに向こうに非がある時でもへらへら笑ってごまかされた。
あとは親が子供と徹底的に話をするかどうかも関係してくるなあ。
長くなるから割愛するけど。
>>454 役に立つか分からないけど、
「謝りたいけど謝れない」状態の時には
ボディランゲージとか一旦タイムアウトって手もあるんじゃないかな。
「実はこういう理由があったから聞いて欲しい」とか
「自分はこう思ってこういうことをしたから聞いて欲しい」とか
「自分も悪いけど、でもここは自分は悪くないと思う、
何で叱られないといけないのか説明して欲しい」
とか、いろいろな感情がぐちゃぐちゃになってて、
しかも体が発言拒否状態だと「ごめんなさい」のひとことを言うだけでも
相当大変なんだよね。そんな時は、
「ごめんなさいしたいけどできないのかな? じゃあこうしようか、
・ごめんなさいって思ってたらお母さんと握手してくれる?
・ごめんなさいって思ってたらお母さんとぎゅう(ハグ)してくれる?」
てな感じでまずは子供の意思確認。
最初は多分してくれないと思う。照れもあるし。
それでもじっと我慢。そこで突き放すとますます謝れないスパイラルなので。
しばらく待ってても駄目だったら/めでたく握手etcでごめんなさいを確認できたら、
「じゃあ、飲み物持ってくるから、一度落ち着こうか。
お母さんは○○の考えてることが知りたいから、話聞かせてくれる?」
と子供の話をきちんと聞くよという姿勢をみせる。とか。
面倒くさいかもしれないけど、子供の時の自分はとにかく
「自分の話をちゃんと聞いて欲しかった」っていうのが大きかったから、
自分だったらこうして欲しかったと今思うよ。
良スレだなぁ。
幼児期ではありませんが、ごめんなさい話に便乗。五歳くらいの時。 保育園の先生に「あやまりをいれなさい!!」と怒られた。何の意味か分からずニックになると先生がさらに怒ってました。 何を求められているのか分からなくて、なんとなく最終的に「ごめんなさい」と言ってみたらそれが正解でした。 出来れば何を求めているかいつもの言葉で言った方がいいなーと思いました。
>>463 あるあるw
保育園で「反省しなさい」と、目を瞑って正座させられてたから「反省」って正座で目を瞑る事だと思ってた。
それもあるあるw
>>461 みたいなのがさらっとできる親になりたい。
スレ違いですみませんが、参考になる本やサイトなどあったら教えて欲しいです。
466 :
名無しの心子知らず :2011/08/21(日) 15:43:13.87 ID:cPdIdqdn
うちの母は叱った後よく、
「○○ちゃんの言い分を話してごらんなさい」と言って、途中口をはさまず、
最後までよく話を聞いてくれた。それがよかった。
それと今振り返れば、自分の育児の都合をこちらに押し付けることは一度もなかったな。
今、自分が子育てしてみて、自分の育児の都合で叱ることばかりだから本当にすごいと思う。
「ごめんなさい」を言えない気持ちはよく覚えてる。
何歳だったかは分からないけど、友達との喧嘩で明らかに私が悪いことがわかったことがあった。
その時、みんなと遊ばず一人でいて、
「ごめんね」
この言葉を言おうと練習してた。
>>460 > 喉の奥が熱くなって何故か言葉が出せなかった
そうそう!本当にその通りで、この「ご・め・ん・ね」この四文字はどうして
こんなに言うのが難しいのだろう??と、一文字、一文字を分析してみたことすらあった。
「ご」なら言える。「め」なら言える。「ん」なら言えるけど、この3文字が合わさると
どうしても言えない。不思議だ。とか考えたな。「め」は「目」だと思って発音すればいい、とか、色々さ〜。
私はその時、「ごめんなさい」を迫られる状況ではなかったけど、友達から離れて、そう考えてたのはすごく覚えてるな・・。
467 :
名無しの心子知らず :2011/08/21(日) 15:44:37.74 ID:cPdIdqdn
あとは大人は子供を「純粋だ」とか「真っ白だ」とか清く、善良だ的なことを言うけど、 大人の方が秩序正しく仲良くしていて、善良だと思っていた。 「子供だけの世界なんかにしといたら、とんでもないことになるよ」とか思ってたな。 「喧嘩は負けた方が勝ちなんだよ」とか教えてくれる大人もいたが、 「自分がそのつもりで負けてあげても、絶対みんなは私が負けと思うから、それは絶対にできない!」 とか思ってたな・・w プライドが高いってーか、大人より感情コントロールがまだ慣れてなくて、できないんだと思う。 謝ることを学ぶのはやっぱ大事だよね。その時、謝っていれば、ひょっとしたら 謝れる大人になってたかもしれないし、、分からないな。結局、その時は謝らないまま だったんだけどね。。 今でも、夫婦喧嘩とか親子喧嘩で「後で悪いな」と思っても、謝れない私です。。 長文ごめん。
468 :
名無しの心子知らず :2011/08/21(日) 16:42:50.56 ID:nkSC6NP8
3歳ちょうどぐらい。 お母さんが「ちょっと近所までおつかい」の間お留守番をしてた。 お風呂の水をためるために、水を出しっぱなしででかけたらしく、水が出しっぱなしなことに気づいた私はパニックになりました。 「どうしよう、このままじゃおうちが洪水になっちゃう」 と思い泣きながら外に出て近所の人の助けを呼んだ。 そこに帰ってきた母。 家に帰ってからこっぴどくしかられました。 「恥ずかしい」って。 子ども心に本気で心配してたんですが「恥ずかしい」と言われてショックだった気が。
469 :
454 :2011/08/22(月) 16:00:23.24 ID:ceF+GBKA
「ごめんなさい」について、たくさんのレスありがとうございました。
息子の様子と皆さんからのレスを照合すると、
>>465 素直になれなくて謝るに謝れない
>>457 頑固
>>459 自分の否を認めるのはすごく辛い
>>460 理性では謝りたいのに、体が拒絶してる/謝ったら負け
>>467 プライドが高い
等々のキーワードが当てはまるかなと感じます。
470 :
454 :2011/08/22(月) 16:02:00.40 ID:ceF+GBKA
彼は、自分が悪いことは重々わかっている様子です。 (その証拠に、自分が悪い時ほど余計に意固地になって謝らない) そして普段、大変な負けず嫌いです。 でも、「謝ったら負け」なので、絶対に謝りたくない。 そんなところでしょうか。
471 :
454 :2011/08/22(月) 16:03:25.92 ID:ceF+GBKA
今後は、「謝る=負け」ではないんだよと根気強く諭し、むしろ
すぐに謝る方が人間関係がスムーズにいくんだという実体験を積み上げさせる、
こんな方向性でいこうかなと思います。
具体的な手段として、
>>461 さんのボディランゲージ法や
複数の方にアドバイス頂いた「子どもの話に耳を傾ける」ことなども実践して
段階的に「ごめんなさい」を言うことに抵抗をなくしていこうと思います。
謝る前は親子関係険悪→ごめんなさいって言ったら雰囲気よくなった!みたいな
ごめんなさいの効用を実感できるようなメリハリをつけて対応するのも
よさそうですね。
皆さんのおかけで、今後の方向性が見えてきました。
本当にありがとうございました!!
3歳か4歳ぐらいかな… 家の前の公園の砂場で遊んでたら、他の子が蹴り上げた砂が大量に顔にかかった(多分故意はなかったはず) びっくりして泣いて家に帰って、いつも味方でいてくれる母親に慰めて貰おうと話したら、 「何泣いてるの!やり返してきなさい!」 って思いっきり怒鳴られてすごくショックだった ただそれだけなんだけど自分の最古の記憶w
3歳くらいの話。 妹が産まれた→お母さんに会える(ばーちゃん家に居たらしい)と 父と一緒に病院に行って白い部屋に到着。この部屋に母が居ると聞いて 白いカーテンを開けたら知らない人が居てびっくりして別のカーテンを開けたら母がベッドに座ってた。 妹についての記憶は全然ない。 今思うと最初にカーテンを開けた所に居たお姉さんにとても失礼なんだけど (父が謝ってたはず)私としては母じゃなかった事にびっくりしてた。 それから約25年後、同じ病院で出産したんだけど、私の記憶と違って部屋は薄暗かった。 建物が古くなってるからってのもあるんだろうけど、記憶の中では真っ白なんだよね…
>>471 うちの2歳児もなかなか謝らない。
うっかり兄弟につまづいて泣かしちゃったとか、そういう時
「こういうときはごめんねって言うんだよ」
と促し、それでもだめだったら
じゃあ○○ちゃんを「なでなで」して?
っていうと、やってくれる。
ボディランゲージは良いのかもね。
475 :
名無しの心子知らず :2011/08/23(火) 15:55:34.18 ID:ryucV5R9
3歳の記憶。 妹が産まれたので、父に「妹を見に行こう」と言われ、二人で母のいる産院へ。 とてもわくわくしながら母に生まれたての妹を見せてもらう。 すると妹は丁度泣いている最中で、顔が真っ赤だった。 私はそれにとても驚き、 「私の妹が、このままずっと顔が赤かったらどうしよう…」 と不安になり泣いてしまった。早く帰ろう、と父に泣きついたりもした。 両親は「赤ちゃん返りが始まったねえ」などと笑っていたが、 そうじゃない!と更に泣いた。 いざ母が退院し、冷静に見てみると妹の顔が肌色になっていたので安心した。
476 :
475 :2011/08/23(火) 15:59:50.31 ID:ryucV5R9
それから、妹の名前を付けることになった。 祖父母を交えての名前会議、私も参加したかったのに部屋から追い出された。 しばらくしたら父が来て、 「お前がリカちゃん人形好きだから、リカちゃんって名前にしようと思うけど、どうよ?」 と聞いてきた。 私は大人達の安直さに、なぜか激昂。 「そんな簡単な考えで人の名前を付けないでもらえますか!?」 みたいな事を叫んだ。そして泣いた。 父は驚きながら、 「そうだよね、ごめん別の名前にしよう」 と言った。 あの時泣いてくれて良かったと今は妹に感謝されている。 (妹はあんまりリカちゃんって感じの女子ではなかったので…)
>>476 なんかワロタ
ご両親たちからすれば、赤ちゃん返りしてるお姉ちゃんにも受け入れて貰いやすいようにって理由もあったのかもねw
一歳ちょっとの時のこと。 父親とお風呂に入っていて、誤って浴槽の湯沸し器?(熱くなるところ)に私のおしりをつけてしまった。 私大号泣。熱いのなんの。 以来今でもそれがある側には近づけない。 どうでもいいトラウマになったw 一歳だから、そのときを映像として覚えているわけではないけれど、きちんと記憶している辺り相当衝撃的だったんだな。
凄く鮮明に覚えてる事 ・1歳前 ベビーベッドで母親の歌を聞きながら眠る。幸せ ・1歳 餅を背負ってこける、皆に爆笑される(多分親戚)なんか悔しくて泣く ・3歳 家に閉じ込められる。起きたら誰も居ない、寝るまで誰もいない。大泣きしてロールパンをかじる。しょっぱい。 ・4歳 両親に「パパとママ別れたらどっちに着いてくる?」としつこく聞かれ、答えれない。父親が居なくなる、自分のせいだ… ・5歳 母親が夜出掛ける様になる。「彼氏と過ごす」ってクリスマスにお重に豪華な料理を詰めていなくなる、独りでケーキを食べる。
479です 続き 5歳の頃母と祖母がパチンカスで隣の台によく座らせていたが、連れ去り事件?のせいで店内子連れ禁止に。 車内放置何十回、たまにキッズコーナー付きの店に行ったけど 見てくれる大人がいるわけではないので、そこで仲良くなった子と近くの公園にコッソリ行ったら 警察出動して大騒ぎwぶん殴られたw 親の事は好きだけど、たまに思い返してフツフツきます… 反面教師にして良識持った親になる!(´・ω;`)
>>480 乙過ぎる。記憶力あるのもつらいんだね。
がんがれ
子供はわかんないだろーし忘れるだろーなんて思っちゃいけないね。
2〜3歳?海に行った時のこと。 浮き輪で浮かんでいる私を父が面白がって深いとこまで連れて行った。 自力で岸にもどれるわけがないし、恐ろしくてほんと勘弁してほしかった。
>>481 479です乙ってくれてありがとう(;ω;)DQNの系譜は母の代で終わらせる!
>>479 >・3歳 家に閉じ込められる。起きたら誰も居ない、寝るまで誰もいない。大泣きしてロールパンをかじる。しょっぱい。
これ、私が覚えている訳ではないが、父によると似たような事があったらしい。
会社から家に帰ってきたら、私がこんな状態で冷蔵庫を開けてパンを齧っていたらしい。
父曰く、たまげたとの事。恐らく2歳の頃。
今思えば、母は某スレに載る程ではないけれど、放置親だった。
それだけでは何なので、少し大きくなってからだけど自分の記憶を。
ショッピングセンターでよく迷子になったので、
妹の手を引いてサービスカウンターに行き、そこでお母さんを呼び出してもらってたわ。
サービスカウンターの常連になっていた気がする。
最初は絶望した気分だったけど、親切な人にサービスカウンターに連れて行ってもらってから
図々しくそこに居座るようになってしまったorz
これ多分5〜6歳の頃の記憶。
>>483 ほったらかされるのは辛いよね。
しっかりお母さんになって、子供から愛されるといいね。
放置されるのって本当に辛いよね。 うちは普通の親だったけど、私自身がえらい心配性でちょっとでも 待たされたりすると心臓がぎゅっとなって身の置き場がなくて切なかった。 小さい子が放置される、って話を聞くだけでも悲しくなるよ。 そういう気持ちがわかる479の子供は、絶対479大好きだよ。
つ、つらいな… 小さいとき大きな環境の変化があるとわりとその前後の記憶は残る気がする。 自分は三歳なる直前で引っ越しと年中の一年間海外にいたからその前後の記憶はかなり残ってる。 二歳→ ・高いところ(当時の自分目線で)に熱帯魚の水槽があり、伸び上がって一生懸命のぞき込んでた。 隣にレコードプレイヤーがあった。 両方とも新居にはない。 ・引っ越し準備で障子張り替えるので障子を全部破ってもいいと言われた。 超楽しかったw ・引っ越しで空になった部屋で当時よく遊んでくれたお姉ちゃん、お兄ちゃん(たぶん幼稚園児くらい。近所の子)と遊んだ。 空の押し入れの中でお姉ちゃんが「お別れだから。私をおぼえていね」とキキララのガーゼハンカチをくれた。 「おとうさんおかあさんにはないしょね」っていわれたので本当に黙ってたw ありがとうお姉ちゃん。おかげで今でも覚えてるよ。 三歳→ ・従姉(8つ上)の家の階段が怖くて降りられずに泣き、従姉におんぶしてもらう。 ・その兄には「のど乾いたらつば飲み込めばいいんだよ!」と言われ一生懸命ごっくんしたら大爆笑され、悔しくて怒って泣いたw 従姉が慰めてくれたw ・従姉とブランコに乗る。 従姉は降りるときジャンプで降りる。すごい!!尊敬! 四歳→ ・クリスマスプレゼントがリカちゃんハウスとアルプスの少女ハイジのハードカバー童話。 リカちゃんハウスはともかくなぜサンタさんは挿し絵もない難しい本(小学校中学年くらいむけの堅い感じのものだった)をくれたのかと悩む。 ・アメリカに旅立つ日を父とカレンダーに印をつけて毎日指折り数えた。 ものすごく楽しみだった。 以降は誕生日クリスマスや親に叱られたこと、友達との思い出や旅行などけっこう順序だてて細かい記憶がある。 ほかのも覚えてることは子供同士のことが多いなあ。 うちの子もこれくらい記憶に残るんだと思うと嬉しいやらちょっと怖いやらw
487 :
名無しの心子知らず :2011/08/26(金) 08:39:57.67 ID:nV0hElPv
保守
幼児期の記憶。 私は何でかすごく遠慮しいの子供で、冷蔵庫の麦茶飲むのにも逐一許可求めたり、 誕生日プレゼントに何がほしいか聞かれて「何もいらない」と答えたり、 実の親にまで「継子みたい」とか言われてた。 それが原因で伯母(母の実姉)と母が大ゲンカになったこともあるらしい。 私が伯母の家で出されたジュースを「飲んでもいいの?」と母に尋ねる →伯母「子供がそんなこといちいち聞くなんて、あんた育て方おかしいんじゃない?」 →大ゲンカ (ケンカしてたのが怖かった記憶はあるが、その場の流れ自分まったく覚えてないw) 恥ずかしながら親とあまり良い関係じゃないんで、 「小さい時からしつけは厳しくしてた。外であんたを叱った時、よそのお母さんに “そこまで怒らなくても…”と何度かなだめられたことがあるくらい」 とのたまう母に萎縮してたんじゃないかとゲスパーしてる。 自分の子供はおおらかにのびのびとさせてあげたいなあ…
>>488 あるある。
うちの場合は躾厳しいとかじゃなくていろんな事にケチつけられたからだった。
「黄色すき!」→「基地外の色ね」
「お花の服がすき!」→「似合わん癖に」
半笑いで当人にとっては冗談のつもりだったのだろうけど
そんな質の悪い冗談がわかるはずがなくて好みを言うのが嫌だった。
>>488 私もずっと親の顔色窺うこどもだった。大親友の子が家に
来た時 「なんで自分の家なのに気使っているの〜?」と
言われ気付いたよ。
私も母に「センスないんじゃない?」って言われて傷ついたわ。 絶対覚えてないと思うけど。 それがあってかは知らないが今はデザイナーだ。
相変わらずこのスレは隙あらば カワイソウな幼少期の私語りになるなw
幼児期の記憶 母のあとにトイレに入ったら便器に血が流れてた。 母が何か重大な病気にかかって死んでしまうと慌てた私。 でもどんなに訴えても父は何もしてくれない。 泣きながら病院に行こうと母に訴えたら、「女のアレやから大丈夫や」と叱られた。 しかし納得のいかない私は、翌日近所のおばちゃんが集まる中で女のアレとは何か聞きまくった。 その後の記憶はあやふや。 母にこっぴどく叱れた気もする。 息子が産まれてから、セイーリ中はトイレの水洗にかなり神経質になってます。
494 :
名無しの心子知らず :2011/08/30(火) 00:09:13.43 ID:ZeNorrNh
>>492 隙あらばってか、単にそういう人が多いだけのことなんじゃないの?
昨今の事件やら荒れ具合を見るとまともに育った人が大半とはとても思えない。
そのカワイソウな思い出が衝撃的過ぎて覚えてるのだよー。 じゃほんわかしたのを混ぜ込もうか。 多分三歳。 当時妹が出来て、構ってもらえなかったり、抱っことかなくなったりしてたのでスゴく我慢していた。 そんな中、自分が結構な熱を出したので母と病院へ。帰りはタクシーでした。タクシーから降りると母がおんぶしてくれた。すぐ家だったけど、少しの間だけ。 母は「あー。○○ちゃん体ボッポしとるねぇ。しんどかしんどか。おんぶ久しぶりやねー。」と言ってた。 熱を出してぼーっとしてたけど、全身を母に預ける感覚。すごく心地良かった。なんというか、絶対的な安心感? 文字にすると安っぽくなってっちゃうんだけど、ふわーっとした感覚が残ってる。 あーやべー。思い出して汁でてきた。 大人になって言えること。母のぬくもりは忘れないので、思う存分抱っこやおんぶしてください。 抱き癖?アレはウソです。両親が恋しいのは当たり前ですぜ
1歳になるかならないかの時、歌番組観てたら マッチがマイクをサッと投げて取ろうとしたのを失敗して落としたのを覚えてる。 「あっ 落とした!」と思った。 あと3歳の時、歩く時に手を 「3歳だから、3の形にしなきゃ」 と、指を3にしながら歩いてた。 4歳になったら4の指。 5歳になってようやく「あぁ、やっと普通に歩けるわ」と思った。 何の為のルールだったんだろうw このスレ的に結論出すと、 子どもは勝手なルール作ってるけどキニスンナってとこかしら。
3歳くらいの頃、トイレトレで、おしっこをする時は前かがみになると良いって教わった記憶がある。 便座カバーをよく汚してたんだろうなぁ。 あとは、同じく3歳くらいの時に朝起きたら家に誰も居なくて、 泣きながら近所を歩き回ってたら近所のおばちゃんに保護されて昼食の席に着かせてもらった。 親切にされてたのは分かってたんだけど、よそのお家の家族の中で自分だけが他人なのが寂しくてまた泣き出しちゃった。 おばちゃん一家がおろおろしてたことまで覚えてる。 大人になって母ちゃんにそのことを聞いてみたら、 「みんなあんたのこと忘れちゃってたのよね〜」 ってカーチャンヒドスw
元々日本は子どもをとても可愛がる社会で欧米人が驚いたとか。 こんなにちやほや甘やかし可愛がって大丈夫なのか…と思いきや 一見欧米の子どもより幼く見えても精神が安定して落ち着きがあったそうな。 戦後欧米流子育てが大流行りでうちの母もどっぷりハマり 「抱き癖つくから抱っこNG、赤ちゃんのうちから個室で寝かせ甘やかさず自立した子どもに育てる」と大張りきりなのが 子ども心にひしひしと感じてたわ。 2歳の頃、居間から離れた部屋に一人で寝かされに行くのが最古の記憶だけど 「やっと私の時間!」と嬉しそうな母と対照的に私はいつも半ベぞで怖くて仕方なかったけど それ以上に母が怖くて言えなかったな。 今はまた昔ながらの添い寝や抱っこが見直されて良かった!
499 :
名無しの心子知らず :2011/08/31(水) 17:16:43.03 ID:ud080JNC BE:249543757-2BP(0)
三歳の時、七五三の記憶がある。 神社に行く途中、知ってる男の子に会って、おめかししてるのがすごく気恥ずかしかった。 お参り後、父親が写真を撮ろうと「こっち向いていい顔してー」と指示してくるのが鬱陶しかった。 その時のめんどくさそうな顔の写真が残ってる。 あと、弟が生まれる直前も覚えてる。 多分二歳。 里帰り出産で、母方祖母宅に預けられた。 祖母と一緒にお風呂に入ってる時、従兄にいたずらで電気を消されて「勘弁してよ」と思ったり。 祖父に大手饅頭を貰ったり。 母をお見舞いしたり。 ちなみに後日、「病院から帰るときに泣くかと思ったら平気だった。拍子抜けした」と苦笑された。 さみしいとか不安はなくて、それなりに楽しい感じがしてた。 肝心の弟と初対面シーンは忘れちゃった。 486さんのおっしゃる通り、幼いながらも普段と違うことには気が付いてるから、 より記憶に残りやすいのかな?と思います。
500 :
名無しの心子知らず :2011/09/01(木) 00:04:44.97 ID:pXlJKP5A
みんな、特別な時のワンシーンじゃなくて、日常のこと、たとえば1日の生活とかは
あんまり覚えてないの?
私は大勢の中で保母さんたちに1日中育てられるという、ちょっと特殊な育ち方を
したから、普通の子たちがどう育ったのか、それをどう感じていたのか気になって。。
>>59 さんみたいなのを教えて欲しいです。朝起きてから寝るまでを。
一歳手前くらいの記憶 建設中の実家をみんなで見ていた 途中で親戚のお兄ちゃんが 大工さんに四角い木の切れ端を貰ってきて マジックで●を書いてサイコロを作ってくれた そのサイコロは今でも実家のドアストッパー 後 一歳くらいの時 母の膝に座っていて 「お家出来たねぇ〜 凄いねぇ〜 ここが〇〇ちゃんのお家よ〜」って母に話しかられている記憶
502 :
名無しの心子知らず :2011/09/01(木) 02:18:39.55 ID:eVjoZ6nc
3才で光ゲンジ?が歌ってるTVを 母の膝に座って見てる記憶。 幼稚園に初登園し、母と職員室に挨拶してから 自分の教室へ行き、同じクラスになる友達と初対面した時の事。 幼稚園に入るまでは両親が共働きの為、日中は祖父母と一緒にいたが お客様が来ると構って貰えず早く帰れ〜と思ってた事。
水疱瘡で休んだ時、母が会社を休んで病院に連れてってくれた。上に姉兄がいる私は母を独り占めできてすごく嬉しかった。 父と2人の記憶もあるけど、母の存在は別格ですね。 自分の子もそう思ってくれたら嬉しいな〜。
2歳4ヶ月のとき妹が生まれた。 初対面の時、「キツネみたい」って思ったのを覚えてる。 一番古い記憶は二歳くらい? 積み木をしてたら父母に「もう寝るよ」って言われたけど、 無視して遊んでたら電気を消された。 怖くて不安になって、母の布団に飛び込んだ。 あとはずっと不思議なのが、我が家は私が年長の時に車を買い換えたのだけど、 それは父が車のエンジンを切り忘れ、車が壊れたからだと思ってた。 なぜなら母が大叔母にそう話すのを聞いたから。 でも実際は、家族が増えたのに軽だったから、大きい車に変えただけだった。 しかも母はそんな話はしていないと言うし… 夢でもみたのかもしれないけど、未だに私には母が大叔母に話している 記憶があるので、不思議でたまらない。
一番始めは一歳半。 祖母のうちに1人で泊まって、母がいなくて寝る前に心細くて泣いた。 叔母がすごく困ってたけど、悲しくて辛かった。 あとあと聞いたら、母はそのとき流産して 仕方なく祖母宅に私を預けたらしい。 その次は三歳のとき。 弟が産まれる前、母の腹がすごく大きくて ちょうどお腹のあたりが私の頭で 手を繋いで歩くと半分視界が遮れてイライラした。 弟が産まれて産院に行って、母のお腹を確認したけど 縫い目もなくて明らかに弟はヘソから出ないサイズで凄くふしぎだった。
最古の記憶だけじゃなくて、育児に役立て!の部分もよろしく
どんなに小さな子でも、それぞれ色々な事を感じているんだな、 とわかるから、記憶を書き連ねてあるだけでも十分育児に役立っているよ。
最古じゃないけど(たぶん2歳半くらい) 弟が生まれるので、私が使っていたベビーベッドを親が組み立ててた。 これはつい最近まで私が使ってて、すごくお気に入りだったのに消えたやつだ! ようやく出てきた。私のだから当然私が使うのよね! と思って「寝る!」と言っても、「これは赤ちゃんのだから」「もう大きいからはみ出しちゃうよ」 で使わせてもらえず、大泣きしてたら根負けした祖母が 「とりあえず寝せたら満足するから」でようやく寝かせてもらえた。 弟が生まれたとき、母が病人のようにベッドに寝ているのでびっくりしてたのに 両親は「赤ちゃんを見てびっくりしてる」と勘違いしてたこと。 全然違うのに、と思ったがまだ表現できる力がなかったので黙ってた。
509 :
421 :2011/09/02(金) 11:11:09.29 ID:JxvXPqYF
>>421 です。
最近またそれに関して思い出しました。
アパートの二階の踊り場で三輪車に乗っていたら注意された話です。
母に、三輪車に乗りたいのねだるが、見ていられないと言う理由で
(恐らく妹の誕生の前後だったため)禁止されそうになった。
でも、どうしても三輪車に乗りたかったため、どこなら乗ってもいいのかを交渉。
家の近所なら許可が下りるだろうと予想し、アパートの踊り場を提案。
当然落ちたら危ないからと却下を食らいそうになるが、
絶対落ちない、落ちない所でだけ乗るから、と約束。
母も折れて、具体的に運転していい範囲を決められた。
もちろん納得して決まった事だったため、それは遵守し、
一度も階段から転落する事は無かった。
わがままを言っても、二人で相談して折衷案を作り、
双方それに納得したらそのルールを守れるよ。
当時は、三輪車を運転する事を純粋に目的にしていたから守れたのかもしれないけれど。
移動手段として楽しんでいなかったんだよな。
>>509 それはあなたが聞き分けのいい良い子だったからだと思う。
子どもって夢中になると周りが見えなくなりがちだし。
私がお母さんの立場だったら親の見ていない、階段の踊り場で三輪車なんて怖くてOK出せないな
まあきちんとリスクについて話し合い、理解を得られたなら子どもは約束を守るって話だろうけど。
511 :
名無しの心子知らず :2011/09/02(金) 16:41:04.68 ID:/OxiU9P5
幼稚園生のころ、身体測定で男女ともパンツ一枚で並ばされるのが 恥ずかしくてすごく嫌だった。 「幼稚園生には羞恥心はない」と決め付けないでほしい。 たとえ幼稚園生でも、男女別の部屋で測定するとか配慮してほしかった。 実際、幼稚園の頃からエロい男子とかいっぱいいたし。
>>511 わかる!!
自分は女なんだけど、幼稚園の年長イベントのお泊り保育で
男の先生(園長の息子等が海パン着用)に体を洗われるのが嫌で仕方なかった。
自分はなぜかその情報をお泊り前に入手していて、それが嫌で行きたくないと言い張ったが
結局(当たり前だか)行かされた。
でも母にその理由を言うのは恥ずかしくて言えなかった。
翌日のプールの時間に友達とバスタオルで縄跳びをしてたら
足引っ掛けて顔から落下で鼻血ブーしたのでプールに入れさせてもらえなくてくやしかった。
3歳の頃家の庭でカミソリで葉っぱを刻んで1人でままごとをしていたら 指をざっくり切ってしまって縁側で談笑していた姉2人(7歳、5歳差)に助けを求めたけど 「泣き顔可愛い〜!」とカメラで撮りまくり。 手当をぜずに写真を撮りまくる姉2にかなりカチムカした。
>>511-512 昔はひどかったよね…w
私は保育園だったんだけど、プールで男女とも水着着てなかったよw
幼稚園児にも羞恥心はあるね〜。 どこがツボなのかわかりづらいこともあるけどw 自分は年少で初めてブルマを着たのがすごい印象に残ってる。 「こんなのパンツと同じじゃん!なんでみんな平気なの!?」って… 一応着替えたけど恥ずかしくて園庭に出れなくて、でも「恥ずかしいから」って言っても 誰も理解してくれなくて先生には促されるし、仲良しの子はきょとんとしてるし恥ずかしくて悲しくて泣いてた。 今でもまれにあるけどうちは園児全員基本上半身裸の方針でそれがほんとに恥ずかしくて嫌だった。
わかるな〜幼稚園児でも羞恥心しっかりある。 幼稚園の年少だとうちは水着あったんだけど 幼稚園の年少の夏に親に庭にビニールプール出されてそこ にパンツ一枚で入って遊びなさいって言われたんだけど、 庭は通りから丸見えだったからそんなところで上半身裸でパンツ一枚になるなんて嫌だった。 しかも水着に着替えないでパンツのままプールに入るのも気持ち悪くて嫌だった。 でも嫌がったら親から怒られたから嫌々入ってたけど、周りから見られないように プールの中に隠れるようにして入ってたな。 幼稚園児の女の子でも人前で裸が見えるような状況にするのは酷いと思うよ。
鮮明に覚えている記憶。 たぶん2歳なりたて、弟が生後半年くらいだと思う。 ベビーベッドに弟が寝ていたけれどお構いなしによじ登って中で遊んでたら 母親に「そこは弟くんの場所なんだからダメ」と怒られた。 そこは私のベッドだよ、弟に貸してあげてるだけなのに!って憤慨したのを覚えてる。 あとこれは1歳以下の記憶で怪しいんだけど ベッドメリーが大好きだった。天井からぶら下がってるタイプの。 撤去された時悲しくて大泣きしてたと思う。
ベッドメリーは存在自体が好きだった? それとも音楽?回ってるから?ぶら下がってるおもちゃ?
>>517 私もメリー大好きだった。
あれ、ゆっくり回っていても、赤ん坊の目には超高速回転に見えてた。
なんかすごいものが目の前でぐるぐる回っていて、すごく圧倒的で
「うわあ!うわあ!」
って感動してた。
四歳くらいの女児。 もうすでに異性は意識してました。しかも大人に対しても。むしろ大人の方に対してかも。同世代に意識した記憶がないから。 ある日、道端で遊んでいると若いサラリーマン風の男の人がこちらに向かって二カッと笑って通り過ぎて行った。今思うと、子供が好きで笑顔になったのだと思われる。 でも私は、ふふん、私の事がスキなのね、っぽい事を思った。 幼少期でも女は女である。あなどれん。
3歳まで住んでた家は、古い旅館を民家にした建物で、小さいけど風流な庭があった。 わりと暖かい地方だったんだけど、雪の積もった日、今は亡きおじいちゃんが雪うさぎを作ってくれた。 白い雪に庭の南天の葉を耳、実を目にした雪うさぎ。 当時、保育園の七夕で「大きくなったらうさぎになりたい!」って書くほどうさぎ好きだった私は、 すごく嬉しくて、こんなかわいいもの作れるおじいちゃんはすごい!って言ったら、 母が「それは雪うさぎっていうんだよ」と言った。 雪うさぎはおじいちゃんが考えて作ったものだと思っていたので母にすごく腹が立って、 「これはもともとある物なの?」「おじいちゃんが考えたんじゃないの?」としつこく聞いた。 子供心に雪うさぎがいつか溶けてしまうことも分かっていて、悲しくてすごくむしゃくしゃした。 うさぎはその後すぐに溶けちゃったんだろうけど(ここは記憶にない)、 縁側から見た綺麗な光景とかわいい雪うさぎは忘れずずっと心の中にある。
3歳ぐらいの時、夜中起きたら母がいなくて泣きながら祖母の家に電話したの覚えてる。電話番号覚えてたのにみんながびっくりしてた。 夜中私が寝たら1人家に置いて飲みに行くのはしょっちゅうだったからよく夜中家を出て泣きながら隣家に行ったり街をうろついて保護されたりしてた。 今な亡き母にこの話を昔したらいくら対策しても家から出てるから不思議でしょうがなかったって言ってた。 自分の子どもはいくら寝てても1人家に置いて買い物にすらいけない。目が覚めて近くに誰もいないって子どもにはすごく恐怖だと思う。
2歳、最古の記憶。 保育園で幼なじみと2人並んで絵を描いている。 お絵かきが得意だった私は女の子とお花の絵を描いた。 ふと見た幼なじみの絵がヘタクソで 「ふふん…私の方がうまい」って思ってた。 今考えるとスゲーやな子供だ。 でも、小さくても他人と比べて自分が優ってる部分ってのを よく分かってたんだと思う。(私は運動苦手、幼なじみは活発な子だった)
>>522 買い物ですら、どころか、ゴミ捨てですら行かないのが普通だと思うよ
あなたのお母さんは毒親だと思うから、しっかりあなたがお子さんを守ってね
ごめんなさい! お母様亡くなられてたんですね…
まさにKY
昔の親は、全般的に今よりもいいかげんだったと思うよ 子供が寝てるから買い物に出かけるとか、 歯磨きだってちゃんとしてあげないから昔の子は虫歯が多かったていうし
母に私が小さい時いつ買い物に行ってたか聞いたら 「ばーちゃんが来てた時か、あんたが寝てる時にダッシュで」と言ってたわ。 うちのマンションの裏が商店街だったのと、すぐ近くにばーちゃんが住んでたから出来たんだと思う。 私は地震が怖いので置いて買い物に行けない。
>>528 震災後は皆そうだよね>地震が怖くて置いていけない
と思っていたのに、ニュース見るといるんだよなあ…放置親…
寝てるからと買い物やあまつさえ飲みに出掛けたり、
昔は普通にやってた事らしいけど、この時代にやったらネグレクトだよね。
ネグレクトって病院に連れていかない事じゃなかったっけ
それだけじゃないよ よく知らないならググるなりすれば?
>>500 記憶に残っているのは特別に感じたことのほうが多いけど日常生活の感情などは覚えているものもあります。
お姉ちゃん気質な性格は幼稚園前から母に弟の面倒をみるのを手伝うようにと訓練されてたからだし。
弟がいるからといって、先生たちからしっかりしていない子のお世話係を押し付けられていた幼稚園からの記憶。
あれはものすごく負担でクラスで公園いくときも遊べなかった。悲しかったなあ。
毎日、幼稚園の子供トイレはドアがスカスカで恥ずかしくてイヤだった。
子供の世界は大人より低くて、子供の中でも小さかった私はいつも空気がわるかった。
病院、予防接種は母が笑っているので怖くなくなってきた。
怪我しても病気しても心配してくれるけどどしっと冷静だったので安心感があった。
こういう感情でしょうか。
細かく多く覚えていて纏まりがないですね。
533 :
500 :2011/09/09(金) 14:03:15.84 ID:+4E/4EjO
>>532 ありがとう。
幼稚園選びはしっかりしないといけないね。
そういうのが悲しかったり、嫌だったりしたことは親には話したことない?
その日一日あった出来事とかを、親に報告したりはなかった?
私は、朝起きたら親いない、夜寝た後に親帰って来る、ぐらいで、1週間に一度、
食事してる姿を見かけたらラッキーぐらいの生活だったので・・・。
>>529 私が三歳くらいの頃、深夜に両親と妹がコッソリ家を出て行った事があったよ。
私がぐっすり眠ってるから起こさなかったらしいが、出掛ける気配で起きてギャン泣きした。
あまりに泣いたからか(当時は官舎に住んでた)お隣りの父の上司夫婦が様子を見に来てくれて、そのままお隣りに泊まりに行った。
次の日両親はガッツリ絞られてた。私が泣いたのが悪いと逆ギレされて怒られたけど。
どうやら妹が高熱を出して夜間救急に連れて行ったらしいんだけど、二人で付き添う事ないよね。
ちなみに母は父が当直でいない夜、幼い子供二人残してママさんバレーとか行ってたよ。
私が赤ん坊だった頃は、集中して遊んでるから大丈夫だろうとスーパーに行ったりもしてたらしい。
あの妙な寂しさや不安感は大人になっても忘れられないわ。
535 :
532 :2011/09/10(土) 01:22:43.45 ID:r8f08HeE
>>533 母にも父にも毎日のこと話してましたね。
お姉ちゃんだからとか言われてたし、仕方ないと言われることが多かったです。
子供だからとかもいわれていました。
自分が親になって母は私の娘にも赤ちゃんだからしかたがないと人格を尊重しないことが多いです。
私は自分の経験から赤ちゃんには、会話が成立しなくても説明したり言い分をきいたり(赤ちゃん語わからないけど)しています。
病院が怖くなかったのは母のおかげだと言ったりもしました。
自分の子育てにとても参考になってます。
そういえば、主人の妹さんの記憶ですが
「ママは私とふたりだとかまってくれるけどお兄ちゃんが帰ってきたらお兄ちゃんばっかりで寂しかったしお兄ちゃんいらないって思った」というのがあるそうです。
上の子を可愛がりすぎてもだめなんだと思いました。
2歳くらいのとき、すごくお気に入りの洋服があった。 白地にカラフルな水玉模様の夏のワンピースで、毎朝着替えのときに「みずたまりの服がいい!」と騒いだことを覚えてる。 その度に、みずたま(模様)でしょ、と、母に指摘されるのだけど、???で「ちがう、みずたまり!」と怒ってた記憶もある。 なんだかんだで、洗濯中以外はほぼ着ていた記憶があったので、当時のアルバムを見ると、ほんとにそればっかりだったw 後にも先にも、そんなに好きな服はそれだけだったし、お気に入りの服で毎日過ごせて幸せだった。 自分の娘@3歳も、服にこだわりがでたら、なるべく付き合ってあげたい…と思って待ってるけど、まだなんでもいいみたいでちと寂しい。
2歳前後の記憶 野菜とかの移動販売車が家の前に来てた その車は到着の合図で音楽が流れる 母は毎日そこで買い物をしていた ある日その音楽が聞こえ母が準備を始めたので、私は引き出しからおんぶひもを取り出してきて 母に「さぁ、背負え」とニコニコ差し出した 母曰く初めておんぶひもを自分で持ってきたそうな その時の情景とかおんぶひもの色形とか、早くしなきゃ母に置いて行かれると(置いていかれたことはないのに) 凄い焦った気持ちをはっきり覚えてる
子供の頃、病院によく連れていかれたけど(心雑音があったので) 今日一日の流れを大体でも教えてくれたらいいのにと思った。 具体的に流れが知りたいと意識したのは小学生くらいだったかもしれないけど、 いつも急に病院へ連れてこられて、目当てもなく長い時間待たされて、 お医者さんには痛いことされるかどうなのか、検査があるのかどうなのか、 (個人的には心電図検査は好きだった) 何にもわからないでただじっと待ってるのが不安だった。 だから自分の子供達には、注射の日だろうが妹の健診に付き合うだけだろうが きちんと「明日〇〇するからね」「これから●●するから頑張ろうね」と予告している。 そのおかげか、待ち時間にぐずられたことはあまりない。
539 :
名無しの心子知らず :2011/09/12(月) 14:44:11.05 ID:lt37ulF2
なんでも口に入れちゃう頃の記憶がある人いますか? うちの子が今そういう時期なのですが、なんで、なんでもかんでも食べるのかなーと不思議でw
>>539 なんかね、舐めたり噛んだりしたくなるのよw
口淋しい感じ、大人ならお菓子つまんだりお茶飲んだりできるけど
とりあえず目の前になにか手頃な物があったらわけもなく口に入れたくなる。
純粋に、口の中ではどんな感触(食感)なんだろうって興味もあったし。
今では絶対無理だけど、そんな感覚で幼稚園の頃、アリを口にいれていた。
>539 540に似ているけど手で触って(触覚)目で見て(視覚)匂いを嗅いだ(嗅覚)ものが どんな味なのかと思って口に入れていた気がする。 味覚でも認識して知識として蓄えておくみたいな感じ。 折り紙やのりや積み木など口に入れていた記憶があるけど 食べ物でないのは分かっていたので飲み込みはしなかった。
>>539 不思議なものを発見=とりあえず口でどんなのか試してみるぞ!
って思ってた。
食べられないのはわかってるんだけど好奇心が勝つんだよね。
今思うとぞっとするけど、3,4歳の頃なめくじや毛虫をかんでみたことがある。
電池で口がしびれたこともあったなぁ。
子供って口内の感覚がすごく敏感で一番てっとりばやいんだと思う。
幼稚園の年中の時。 父の日にお父さんの絵を描いてプレゼントをしようという保育時間があった。 似顔絵なんて初めて描くし、ドキドキしたけど父が大好きだから一生懸命描いた。 大好きな水色で描いた。髪も。口も。鼻も。全部水色。だって一番好きな色をお父さんに使いたくて。 出来上がって、お父さん喜んでくれるかなぁと、ワクワクした。 見せると幼稚園の先生、母親に大爆笑された。 「お父さんのお顔は青色なの?なんで??他のお友達の絵を見て御覧なさいよ、普通にちゃんと描いてるじゃない、なんで青色?宇宙人みたい。」 …大好きな父親が馬鹿にされたようでむかついた。幼稚園の先生、母が嫌いになった。 父は微笑んで「ありがとう」と言ってた。だけど、それ以来水色を使わなくなった。 翌年、同じように父の顔を描く時は普通に書いた。肌色で輪郭を描き、口は赤色、髪は黒色。 先生に「上手に描けたね〜。すごい!」と褒められたけれど、ちっとも嬉しくなかった。 それ以来、絵を描くことが嫌いになった。自分が好きなように何かを描いても否定されるんじゃないかと思うようになった。 娘(3才)は青色が大好き。なんでも青色で絵を描く。今は青色がブームなんだな、と見守ってる。
>>543 ウチの子は黄色ばっかり使って色々描いてるよ。
作品を否定しないように気を付ける。ありがとう。
私は2〜3歳頃の記憶が最古。
近所に住んでた大好きなお姉さんと写真を撮る事になり、お姉さんが屈んで私の肩に手を置いてる所。
が、私はお姉さんが好き過ぎてカメラを構えた母を無視し、お姉さんを凝視。
お姉さんも母も困って「お母さんの方を見て〜っ」と言うが…
言葉は理解できても、言う事聞けなかったw
幼児・児童美術の世界って色彩豊かに描く = 良いこと っていう指導要領があるみたいだよね。 既成概念に囚われない感性の表れ、ということらしい。 だったら単色で表現したっていいじゃん。と思うんだけどな。 自分も青一色で月明かりの川の中の絵描いたら 「つまらない絵」と言われてものすごく傷ついた記憶があるわ。
>>539 口には入れなかったけど、鼻に入れた記憶ならあるw
鼻の穴ってどこまでも開いてるから気になってた。
3歳頃の話だけど、小さい磁石を鼻の穴にいれ、
どこまでも奥に行ってしまいそうなところを取り出す…ということをしてた。
その後、ビーズ(直径5mmくらい?)を鼻の穴に入れたら
指で触れても穴の中でクルクル回るだけで取れなくなった。
何度トライしても駄目で、ついに号泣して母に訴えて、
結局小児科で、ビーズに開いてる糸を通す穴に針金を引っ掛けてとってもらった。
口に入れなくなっても油断はならない。
実家自営で私が生まれる前から夫婦共働き。父方の祖父母と同居だった。 3歳の時の話。 引っ越してきた近所の子と初めて遊んだのが嬉しくて、母に報告しに店に行った。 後片付け中だった母の反応は「はいはい後でね」。 その時「お母さんはいつも後でね、ばっかり!この前もそう言ってポニーテールしてくれなかった」っていじけたのを覚えてる。 今考えれば仕事中で忙しかったんだと理解できるけど、実際親子がふれ合う時間が少なくて 「後でね」が実現されないままの事が多かった。「お祖母ちゃんに聞いてもらいなさい」も多かった。
で年長さんの時、祖母に「私ちゃんはおばあちゃんが育てたようなもんだ」と言われそのまま母に伝えたら大変なことにw 今は申し訳ないと思えるけど、そのときは「なんで怒るの、本当のことじゃん。お母さんは私をいつも後回しにする」て思ってた。 子どもは後でねと言われたら覚えて待ってるよ。 熱が冷めてどうでも良くなっちゃってることも往々にしてあるけど、それでも覚えてる。 私は家事をやりながらでも「あのねお母さん」に応えてあげたいなぁ
>>548 似たようなことがw
スズメの巣を取ってくれる、というので待っていたが、その日は取ってくれなかった。
翌日の朝も待っていたが、母は取りに行く気配を見せなかった。
私もそこで諦めればいいものを、幼稚園に行かずに待っていたので、
「早く行きなさい!」と引っ叩かれ、泣いて幼稚恵那に行った。
今でも母にスズメの巣を取ってもらいたいと、しつこく思っているw
>>544 数年前ヒーローショーで見た写真撮影のテクニック
ヒーローが子供をだっこしての写真撮影、
親がカメラを構えるも、子供はヒーローの顔を凝視w
ヒーローが人差し指1本を立てて子供の目の前に。
指に注目したところで、そのまま腕を伸ばし
カメラの方へ視線を誘導。親と目が合って、
そっちに注意が移ってカメラ目線になったら自分は
腕を戻してポーズ!カシャッ!
多分4〜5歳の頃
好き嫌いは無かったが
テレビでよく野菜嫌いや好き嫌いの話があるので
ホウレン草やニンジンが嫌いなふりの一つも
してみせた方がいいのかな?と考えたりもした。
実行はしなかったけど。
ニンジンは味も好きだが、赤い色がキレイで好きだった。
552 :
名無しの心子知らず :2011/09/13(火) 23:34:45.52 ID:rYE1kxE3
多分生まれて間もない0才の記憶。 ベビーベットで寝ていたら、女の子がよじ登ってベットに入ってきた。 「きゃ〜 あんた誰よ!ちょっと私の世話をしてくれる人 早く来てよ〜 」と 叫んでいたが、女の子はイタズラな微笑みを私に向け なかなかベットから降りて くれない。そこへ世話をしてくれる人が駆けつけて「まあ、○○ちゃんダメよ〜」 と苦笑いでやってきた。 その時に 私の中で この人が母で横にいるのが姉なんだと初めて認識した瞬間 かもしれない、とそんな記憶です。 なんだ、赤ちゃんって頭の中は大人並に言語並べてるよね。 言葉が通じない歯がゆさで大泣きしてるかもね。
>>548 >>549 うん、子どもって約束をいつまでも覚えてるよね。
私の記憶は幼稚園か小学校低学年の頃だから、ちょっとこのスレとは違うかもしれないけど、
当時親戚が買ってくれたおもちゃの中に「こなぷん」があった。
粉に水を混ぜて食べ物の形を作る、食べられない玩具なんだけど、
小さい子は間違えて食べちゃう可能性がある。
それ以上に、うちの母は若干潔癖で、そういう汚れる系の物が嫌いなので、
当時は遊ばせてもらえずに取り上げられた。
私はすごく遊びたくて、「じゃあ3年生になったら遊んでいい?」と聞いた。
母は「3年生になったらね。」と言った。
数年我慢して3年生になって、母に「こなぷんは?」と聞いたら、
覚えてたの?っていう顔をして、「とっくに捨てたよ。」と言われた。
私は泣いた。
別件で、もう1回同じようなことがあった。
長くなったけど、
結論:子どもというのは覚えてるから、軽々しく約束をするな。
自分も子どもにいい加減な約束をしないように気をつける。
三歳ごろの記憶。私は三人きょうだいの真ん中なんだけど 昔、姉は体が弱く、弟は赤ちゃんだったので私はあまり母に構ってもらえなかった 母が大変なこともわかってたし仕方ないことだと理解していたのでよく一人で遊んでた わがままを言って母を困らせたりすることも少なかった でも夜中に泣きながら目が覚めて、隣で寝てる姉に聞こえないように布団をかぶりながら 「お母さん、お母さん」と小さい声でずっと呼び続けてた記憶がある それが割と長い期間続いてた気がする 本当はすごく寂しくて母に甘えたかったんだと思う 母にはいまだに「あんたは手のかからない子で楽だった」と言われるけど そうするしかなかったんだよwと心の中で思ってるw 自分の子にはああいう思いはさせたくないけど、きょうだいって難しいなあと悩む今日この頃
いくつか忘れたけど家族でヨーカドーに買い物に行き帰宅してから 店内で母と行動を共にしていた私にずっと待たされていた父が「何買ってたの?と聞いてきたので 「○○と△△だよ」って答えた。 両親はそのことで口論になったらしくその後母に「この馬鹿!なんでお父さんに本当のこと言うの!」と怒鳴られた。 普段嘘をついてはいけないと言いながらそれはないでしょと理不尽さに腹が立ったのが未だに忘れられない。 親になってあの時の母の気持ちも理解できるようになったけど叱る前に普段の教育と矛盾しないか一呼吸おくようにしている。 ありがちな話でスマソ。
556 :
名無しの心子知らず :2011/09/14(水) 14:20:32.58 ID:oYq8V22i
昔、ニンジンとかピーマンとか茄子、貝類、海老、イカ、タコ、カニ、ウニ・・・ 嫌いなものがたくさんあった。自分の知ってる味しか受け付けない、 新しいものにチャレンジする勇気がない、という状態だったように思う。 ある時、幼馴染の女の子が、日に日に目が大きくなっていって可愛かったので、 可愛さの条件は目が大きいことだ、と思った私は、母に 「○○ちゃんは目がすごく大きくてかわいい!私も○○ちゃんみたいに大きい目になりたい!」 と哀願したら、母が、ニンジンを食べると目が大きくなるのよ。 と言った。私は喜びいさんで、毎日必要以上にニンジンを食べた。食べまくった。 すると日に日に目が大きくなった気がして、二重にもなって、可愛くなってきて 大変満足してた。 大人になってから、「目が大きくなるにはニンジンって言ったらほんとに食べたのよね〜w」 とか母に言われるけど、すごくよい教育だったと思う。 子供は母親の言うことは信じるし、結構、暗示にかかり易いところがあるし、 実際、ビタミンAが大量に含まれてるから鳥目にもいいし、あながち嘘でもないから 自分もわが子の教育にはこれでいこうと思う。
>>556 私は「母方叔父の顔にそばかす?(しみ?)が何故沢山あるの?」と母に聞いて
「野菜を食べなかったからだよー」と言われた記憶があるw
かといってその後野菜を食べまくった記憶はない。
ただ叔父に「野菜ちゃんと食べて!」とか言ってたな。
んでもって母が持っていたかわいい花のイヤリングを欲しいと言ったら
「10歳になったらあげる」と言われたんだけど、私が10歳になるまでに
妹(4歳下)にあげてて抗議したら「そんな約束知らない」とあっさり言われてショックだった。
558 :
名無しの心子知らず :2011/09/14(水) 14:33:39.96 ID:l61INedB
>>553 こなぷん!! 私も胸が痛んだ。
私も娘にできない約束はしないように心がけるよ。
幼稚園の頃、背が小さいのが嫌だった。 母に、どうやったら背が高くなるのか聞いたら、牛乳を飲めと言われた。 牛乳が嫌いだった私は一生懸命飲もうとした・・・ 嫌々飲むようにはなったけど、やっぱり飲むのはストレスだった。 でも、後日低脂肪乳の方が飲みやすいと気づいた私は、母にこれなら飲めると報告。 しばらく低脂肪乳ばかり買ってもらった。(安いから母にしてみりゃ助かったのかも) それまではジレンマとの戦いだった事を思い出した。 そういうので釣るのはいいと思う。思うんだけど。 やっぱり、調理法を変えてみたり、代替品で慣らしたりの過程はしっかりやってあげたいな。 味覚が成熟したら食べれるようになる事は多いんだし。
>>552 可愛い。
「世話してくれる人」って思ってくれてるんだなと思うと嬉しいわ。
561 :
名無しの心子知らず :2011/09/14(水) 19:35:56.79 ID:2hd9vAfi
子どもとの約束は必ず守ろうに同意。 3歳頃、毎夕昼寝をしていたが、昼寝中に母が買い物に行ってしまい 目覚めるといつも一人ポツンだった。それがたまらなく寂しくて、母に 「目覚めた時にそばにいてほしい。買い物に行かないで」と訴えた。 母は「はいはい」と答えたので安心して寝たが、目覚めるとやっぱり一人ぼっち。 寂しくて悔しくて号泣した。「約束したのに」って。 号泣しながら徒歩15分程の距離にあるスーパーに母を捜しに行った。 店内で泣きながら「おかあさーん!」と絶叫したら 買い物中の女の人全員が振り向いた。 「あ、この時間にここで買い物してるような人はみんな誰かのお母さんなんだから 『おかあさーん』って呼んだら全員振り向いちゃうんだ」と思って 「○山■□子さーん!」と母のフルネームを叫びながら店内を歩いた。 気づいた母がすっ飛んできたとこまで覚えてる。 その後、母が昼寝中に買い物に行かなくなったかは覚えてない。 私は、守れない約束はしない。ハイハイ受け流されて裏切られる悲しさは 大人になっても忘れられないから。 子どもの要求が受け入れられない時は、理由を説明したり、代替案を提示したりするようにしてる。 「目覚めた時に横にいないのと、遊びの時間減っちゃうけど一緒に買い物に 行くの、どっちがいい?」と相談するとかね。
562 :
556 :2011/09/14(水) 22:09:03.39 ID:oYq8V22i
>>559 なんだろ、、今にして思えば、ニンジンって、調理法が不味かったんだと思う。
茄子も、ただ、焼いただけ、とか。
ある日、いつまでも食べずに粘ってたら(全部食べ終わるまで片付けたり遊んだりしては
いけない規則だったので、限界が来るまで、食べ物いじったりして食べるフリしながら
時間が過ぎるのを待つのが習慣だった)保母さんが来て、
「私も昔、おなすが嫌いだったけど、しょうゆをかけたら美味しいってことに気付いて
それ以来、好きになったのよ」
と言われ、「騙されたと思って食べてみな」とかしつこく言われ、しょうゆをかけて食べてみた・・・ら、
おいしい!!!目からウロコだった!それ以来、茄子はしょうゆをかけて食べたし、大好きになった。
ニンジンも、ただ茹でただけ、みたいな、ニンジン本来のうまみが全部水に逃げてしまってる
ようなのがたまらなく不味かっただけで、一度その味を食べ、「ニンジン=不味い」
になって、食わず嫌いになってるだけだと思う。
実際、うちの1歳の娘は、油で揚げたニンジン(甘くておいしい)だとよく食べるが、
ブロッコリーと一緒に煮たニンジンとかは吐き出した(あれは確かに不味かった)。
563 :
556 :2011/09/14(水) 22:10:03.05 ID:oYq8V22i
>>559 ところで牛乳はなんで嫌いだった?
牛乳は体に良くないって説をとてもよく聞くし、私もそう思うから、牛乳でなく
豆乳をあげる育児方針で行こうと思ってる(現時点で既に娘は粉ミルクは飲まなくなった。
豆乳はよく飲む)。
牛乳は牛の子供の飲み物だし、牛乳を飲んでると骨がスカスカで体ばっかり
大きくなってしまうんじゃないか?人類が巨大化してる原因は牛乳では?
と思ってる。牛乳が一般的に広く飲まれるようになった経緯があやしい。。
牛乳で育って大人になってしまった私には、とても美味しく感じるからもう分からなく
なってるんだけど、どういう感じで牛乳が嫌だったのか、覚えてたら詳しく教えてくれると
嬉しいです。
564 :
名無しの心子知らず :2011/09/14(水) 22:38:38.02 ID:oYq8V22i
>>554 > 「お母さん、お母さん」と小さい声でずっと
なんて切ない!!!よしよし、母ちゃん、ここにいるわよーーー!!(なでなで)
我慢強い子だったんだね。
小さい頃って、愛されても愛されても嬉しい、愛だったらどんだけもらってもいい、って
ぐらい、愛されるのが大好きだったな。親の愛を試してたようなことは
何度もあるな。
>>450 に書いたようなのとか。
姉とよく母のひざを取り合いっこしてたな。
寝るときは、姉と私の真ん中に母が寝て、寝かしつけの時、10秒交代とかしてた。
母が姉を「トーントン」してる時は、私が大声で「いーーち!にーーい!!・・・じゅう!
もう十秒たったよおーー!!(怒)」
で、今度は姉が「いーち!!」とカウントw
ある朝、母が姉の方を向いて寝てた!!!、と私が怒った。
「たまたま向こう向いて寝てただけなのにww」と母は言ってたが、一晩中
向こう向いて寝てたかのようじゃんか。
565 :
564続き :2011/09/14(水) 22:42:47.59 ID:oYq8V22i
母がいない時に、姉と二人で 「私、ママのことが だーーーい好きだよ」 「私なんて、だーーーーーーーーーーー(息が続く限り伸ばす)・・・」 なんてことをやってて、その内、息が続くには限界があると悟った私は 「私なんてだーーー・・・・・・」で止めといて、 「私まだ、“い好き”って言ってないよ!」 姉もすぐ真似して「私も“だーーー・・・・・・」 なんてことをやってたw 早く「だーー」を言い始めた分、私の想いの方が勝ってると思ってたw ちなみにまだ「い好き」の部分は言ってない。たまに喧嘩した時、「い嫌い」って 言ってやろうかとか思うw でもそこまで嫌いでもないので言わない。 もうそこまで好きでもなくなったけど、でも今後も「い好き」の部分は言わないと思う。永遠に。 言っちゃったら想いに限界ができちゃう気がする。 この話はなんとなく恥ずかしいので母にはしてない。姉も未だに覚えてるけど、 姉も永遠に「い好きは」は言わないそうだw 姉も母には話してないってw 誰かに話したのも書いたのも初めてかも。 役立たない上に長くてごめん
5歳のとき弟が産まれた 弟が病院から退院してきて間もないころのことだと思うんだけれど ベビーベッドに寝かされている弟の手を触ろうとしたら 父だか母だかに「強くさわったらだめ!」と叱られた 私は優しく注意されるだけでも凹むような打たれ弱い子だったので 赤ちゃんに触っちゃだめなんだ→赤ちゃんに関わっちゃだめなんだ となぜか思い込んでしまい、それっきり弟の面倒を見たり 可愛がったりという親の育児の手伝いをした記憶がない 5歳児が新生児に触ろうとしていて注意する親の気持ちは当然と今ならわかるのだけれど できれば「こんな風に優しく触るならいいよ」「一緒にだっこしようね」というようなフォローがあれば 私もお姉ちゃんらしく赤ちゃんを可愛がる経験ができたのになーと思う 弟が幼稚園くらいになるころにはごく普通の姉と弟の関係になり 喧嘩しては一方的に私が勝利して泣かせていたけれどさw
567 :
559 :2011/09/15(木) 10:19:40.56 ID:sWekPVkI
>>563 嫌いになった経緯は覚えていないです。
母曰く、粉ミルクを飲みたがらなかったそうなので、多分その頃からの牛乳嫌いです。
でも、低脂肪乳なら飲めた経緯ならはっきりと覚えているので。
甘みです。
何故牛乳に甘みが無く、低脂肪乳なら甘いかと言うと、
乳脂肪の味がしない分甘みを感じやすかったのかと思います。
あと、加工してある分、牛乳の臭みが少なかったからかな?
(牛肉みたいな臭みありますよね、牛乳って。これはむしろ今飲みたくない理由ですが)
私も、牛乳=牛の子供に最適化された飲み物、と言う認識です。
カルシウム源なら、おっしゃる通り豆乳でも小魚でもいい訳ですし。
無理してでも飲ませる物ではないですよね。
>>563 うちの夫は未だに牛乳嫌いだよ。
ミルク拒否で母乳オンリーだったらしい。
味もさることながら、あの匂いが嫌なんだって。
夫はミロとか入れて飲んでたそうな。
私は豆乳飲んで、その青臭さにマーした覚えがある。
最近のはおいしいのかな。
ちょっとグロ。 三歳くらいのときに、食後歯を磨くのがめんどくさくなった時期があった。 困った母は、祖母の前に私を座らせ 「毎日ちゃんと歯を磨かないとこうなります」 と言って、祖母に上下総入れ歯を外させて にっこり笑わせた。 それから歯を磨かないと歯茎がもげると思って 毎日必死に歯を磨いた。 お陰で、今でも虫歯はほとんどない。 一時期祖母の笑顔がトラウマ気味だったけど、今となっては感謝してる。 子どもには、ただ◯◯しなさいじゃなくて しないとどんなことになるかとか するとどうなるかを明確に提示するといいかも。
571 :
名無しの心子知らず :2011/09/15(木) 18:02:24.50 ID:bdruUnGz
こんなところにも「買ってはいけない」信者が… こういう人って乳製品だけじゃなく 市販製品の原料の牛乳もちゃんと避けてるのかな。 まず洋食系の外食もできないよね。 そこまで徹底してるならあっぱれだけど、 「牛乳」のみだったら噴飯ものだわ。
つか、豆乳にカルシウムて
574 :
563 :2011/09/15(木) 23:48:36.29 ID:WuDEpbpb
>>567 d。
低脂肪乳なら成分調整乳から作られてるからその甘みだったのかな?
なんにせよ、牛乳自体ダメだったんだね。匂いか・・・
>>568 豆乳は今もマズイぞw
妊娠中は無理して飲んでたけど、授乳中は喉が渇いて乾いてごくごく飲めるようになったけどw
おいしくはないよなw
豆乳、無調整の方が美味しいよね。
豆乳はメーカーによって味が違う。
牛乳豆乳はお腹いっぱい。 だんだん内容もスレ違いになってるし そろそろどこか別のスレでやって。
578 :
名無しの心子知らず :2011/09/16(金) 11:50:18.71 ID:W4asU5CI
幼稚園年中の頃。 兄とケンカしている夢(多分おやつをとられたとかだったと思う) を見て隣で寝ていた父をばしーんとたたいてしまい 「○○ちゃん痛いよ〜」と言われたのを覚えている。 あとは年中のとき探検していて迷子になってしまいご老人に住所を言い (言えるようになったばかりだった)家まで送ってもらったこと。
1歳9ヶ月で引越したが、それ以前に行っていた乳児園から記憶がある 当時はおまるでトイレ練習中だったので、乳児園の男子用小便器の下の部分にまたがってうんこした そのころは小さい虫が好きでよく石をひっくり返してダンゴロムシやミミズやアリを捕まえてた 道を歩いてても下ばっかり見てて、大人が気付かずに小さい虫を踏み潰して歩くのを見てかわいそうだと思ってた ハイヒールでカタツムリを踏んだ親に「かわいそうだよ〜」と言った記憶があるので、2歳前で既にしゃべってたんだな俺
年中で入園する前日まで乳飲んでた。 出てたかどうかは覚えていないが、 ものすごーく安心していたのを覚えてる。 娘が1歳8ヶ月になり、断乳も卒乳も出来そうに無く 「もー、本当にやめなよー!」とか言いつつ あー、そうだよね安心するんだよねーと擁護してしまう。 いつになったらやめられるかな。 私は「乳飲んでる子は幼稚園行けないよ!」で 心に響いて止めた。
>>580 なにものにも変え難い安心なんだろうね
うちも1歳8ヶ月
歯科衛生士からは早くヤメロと言われたが、娘の幸せな顔見てると、なかなか辞めさせる決心がつかないよ
断乳後に、何に安心を求めたか覚えてる方いますか?
毛布〜とかぬいぐるみ〜とかになるのかな
母(乳)じゃなくなるのも寂しい(ノ_・。)
>>581 私も弟も毛布だった。
さらっとふにゃっとしたガーゼ地の。
583 :
名無しの心子知らず :2011/09/18(日) 21:36:14.29 ID:OQhPS7wK
幼稚園の頃、園長先生の話が幼稚でつまらず、退屈だったのを覚えてる。 それで足し算を倍にした計算が面白くて頭の中で一人でやっていた。 後にそれを掛け算ということを知った。 それから、4−6のような、答えがマイナスになる計算問題が全然出てこないので イライラした。小学校2年になっても出てこないが、「マイナス」ということだけを こっそり先生に教えてもらった。算数は昔はよくできた。 小4ぐらいになって、分数の割り算とか出てきだした頃からわからなくなって落ち込んでった。 しかし、幼稚園の、その興味を持ってるときから教えてもらってれば、算数はもっと よくできたんじゃないかと、今でも思っている。
584 :
名無しの心子知らず :2011/09/18(日) 21:42:00.73 ID:OQhPS7wK
娘とトイザラスのシルバニア・ファミリーのコーナーを通りがかって、 昔、こういう類のごっこ遊びができる家や人形たちをいくらねだっても 買ってくれなくて、それ一つさえあれば、ずーっとごっこ遊びに没頭して いられるのに、と本当に悔しい思いをしたことを思い出したので、 娘には絶対買ってあげようと思う。 旦那にもこの話をしたら、激しく同意して、自分も玩具の剣を買ってと お父さんにねだったのに、と。「それ一つさえあれば、勇敢になれる気が したのに」と言ってたw あるある、って話w ありきたりでごめんw
0歳時に気に入っていた物は、ふわふわのベビーマット(お昼寝用?)です。 肌に当たる感触が好きで手足を動かしてスリスリしてました。 1歳時に一番覚えている事は、 赤ちゃん言葉で話しかけてくる他人に不快感を持っていた事w 現在妊娠中ですが、幼児期の記憶がありすぎて逆に子育てコワーですorz
>>585 乳児期で他にも覚えてることあったら教えて。
2〜3歳ころかな。 布団で一人で寝ている時、襖の向こうから聞こえてくる両親のおだやかな話し声や笑い声が好きでした。 それを聞いていると、心から安心して眠りにつくことができました。 逆に、喧嘩している時は、不安で怖くてたまらない。 泣いているお母さんに、声をかけてなぐさめてあげたかったけど、どうしていいかわからず、かなしくて、下を向いてた。 両親の関係は、子供の情緒にとても大きい影響があるというのは、本当だと思う。
このスレでは小さい頃から色々理解してたって人が多いけど、私は誰かに褒められると普通に有頂天だったり、大人の考えることなんてさっぱりわからんという普通の子供だったと思う。 例えば「私ちゃんの入れてくれたお茶はおいしいね」と言われたら 「私にはものをおいしくする能力があるんだ!」とか思って張り切っちゃったりとか。 ちなみにいつまでも親がそういうおだてかたをするので中学生くらいまでそう信じてたw 寝なきゃいけない理由が「眠いから」以外に想像できなくて、起きてたらお母さんも私も楽しいはずなのに…と思ってた。 別に寝るのが嫌なんじゃなくて単に寝る理由がわからないだけ。 そして理由を説明されても理解なんてできなかったと思うから(アホなだけ?)、「小さな子でもちゃんと説明すれば理解できます! 」みたいな育児論は疑ってる。 だってわからないもんはわからないよ〜こういう普通の子もいます…
>588同意。 >「小さな子でもちゃんと説明すれば理解できます!」 理解しても従わない子だったよw 保育園のお昼寝の時間が大嫌いだった。 「自分の成長のため」とか言われたって、 「大きくならなくていいもん」とか考えてた。 (これは食べ物の好き嫌いにも当てはまる) うちの2歳児(そろそろ3歳)も寝かしつけについては 「寝ないと大きくなれないよ」より、「ママが困るんだから寝て頂戴」のほうが 効いてる気がするw
590 :
585 :2011/09/20(火) 06:43:50.85 ID:gfANampT
>>586 乳児期とゆうと1歳までかな?
それ以降の記憶の方が多いから参考になるかわからないけど…
0歳時は、視覚&聴覚の記憶よりも感覚がほとんど。
暖かいとか、気持ちいいとか、幸せな空気に包まれていて心地良いとか、
いつも優しさに包まれている様な気持ちでした。
あと、手足が思うより動かせなくて
いつもウゴウゴしてた気がするw
591 :
名無しの心子知らず :2011/09/20(火) 07:41:56.99 ID:FKi8JUXz
空想あそびが好きだった。ラピュタを見た後は、既に中1だったにも関わらず、 石を拾っては「この石は飛行石。私はシータ・・・vv」とかやってた。 実写よりアニメが好きだった。中学まで続いた。 なんで好きなのか考えるに、絵なのがよかったんだと思う。実写は線が細かすぎて 高度で嫌だった。 でも、初めて少女マンガ風の絵を見た時、大きくてキラキラしてるらしい描写の目と 点の鼻が、どうしても顔には見えなかった。 その内慣れて、かわいい顔、と思うようになったけど。 初めてひらがなを習った時、「あ」「い」「う」・・・と順調に覚えていって、 「ん」のとき、「ん」と発音したので、 「え?そんな音、日常生活の中で聞いたことない」と思った。 例えば、「みかん」と言う時の「ん」と「がんばる」と言う時の「ん」は全然発音が違う。 それで、もう一度聞きなおしたが、やはり「ん」としか言わなかった。 なのでいずれこの音にも出会うのだろう、と、蓄えておいた。 高校出てから外国語習って初めて日本語の「ん」は複数音があることを知って、 その時のことを思い出した。
>>590 ありがとう。
赤子でも母親や家族に愛着を持つみたいだから、その頃の家族への感情を覚えてたら聞きたかった。
しかし記憶力って個人差ありすぎだな
>>584 私も昔シルバニアが欲しかったけど買ってもらえず、「これさえあれば…!」と思ってたの全く同じ。
けどその時の自分を振り返って今はやっぱり買わないと思っている。
私の場合は「これさえあれば…!」とか思う人形(ネコとかクマとか)や家具セットが毎回違ったし
雑誌やチラシに乗ってる写真眺めてあれこれ迷ってる時間も今思えば楽しかった。
一揃え買ってもらったら多分またすぐ別のセットが欲しくなってたと思う。
シルバニアの代わりに筋消しみたいなミニチュアゴム人形で
家の本棚使って冒険ごっことか、ないなりに別の空想遊びは出来てたし、
それも結構熱中して遊んでた記憶がある。
594 :
名無しの心子知らず :2011/09/20(火) 08:50:59.93 ID:SDMdP4cZ
>>588 私も全く同じ。上手く操作されてたいい子ちゃんだったと思う。
幼児期ではないけど、小学校の頃とか読んだ本には
お化けや妖精とか「心が純粋な子供にしか見えない」という記述が時々あったけど
私そんなのみたことない…子供なのに私無能なの?と密かに凹んでいた。
あと、「子供は固定観念がないから」とか「大人が考えないような自由な発想」とかも
大体何でも「へーそういうものかー」と受け入れちゃう子供だったから、
私自分の自由な感想とか発想なんて何も無いわ…私ダメな子…と凹んでいた。
>>588 娘が通ってた幼稚園の園長が言ってたこと。
「親子遠足で動物園に行ったとき
お土産を買いたがる子供に
何で買っては駄目かをトクトクと説明し説得してるお母さんがいた。
でも子供には理屈じゃなく
駄目なものは駄目と教えることも大切。」
私の子供の頃の記憶。
4歳のとき、母の自転車の後ろに座っていたが
(母は立ち話で止まっていた)
急に進んだため、自転車から落ちた。
それで、おでこを3はり縫う怪我をした。
病院で麻酔なしで縫ったらしい。
「おじさん、やめろー。」と大暴れ。
しかし、私は自転車から落ちる直前のバランスを崩した記憶まではあるが
落ちたときや病院に行った記憶などが、まったくない。
人間は本当に嫌な記憶は忘れるようにできてるのかな。
あと、シートベルトや声かけは大事よね。
前戯30秒以内に射精
私は小さい頃から母が大嫌いで幼稚園の時(4歳頃)には既に家を出る決心をしていた。 その事は周りにも言い回っていた。(勿論親にも) 小学生になったら家を出る。おばぁちゃんと一緒に暮らす。お母さんは嫌。って。 勿論真剣に聞いてくれた人なんかいなくて、結局家を出れたのは高校卒業後だったけど。
お母さん嫌いで思い出したけど母が口臭さんで抱いて寝られるのがツラカッタorz 顔を近づけると臭いけど下を向くと胸にうずもれて苦しいのでどうしたもんかなといつも思ってた。 母ちゃんごめん。 でも何故かワキガの匂いは好きで「お母さんのにおい」と思ってた。 役に立たない上に臭い話ですまん。
今来た。だからまとめも何にも読んでないので既出かも。 生まれた子が適齢期になってもなかなかハイハイしなかった。 お尻でずーりずーりってしているのを見て弟から聞いた記憶。 「頭が重すぎて、いつ床にゴン!てぶつかるかわからんので 怖くてハイハイ出来なかった」とのこと。見てて思い出したらしい。 なかなかハイハイしない赤ちゃんは頭が重くて困ってるかもしれんですよ。 うちの子もハイハイする前に一度頭をぶつけているのでそれが原因だったかも。 あと、2歳かなぁ3歳かなぁ、自分の記憶。 トイレに行きたくて母親に耳打ちしようとしたら 「何?!おしっこ?うんこ?大きい声で言いなさい!」って怒られて萎えた。 みんなは子どもが内緒話したそうだったらつきあってあげてね。
>>599 多分相性もあると思う。今でも長い時間一緒にいたら気狂いそうになる。
元々母は常識があまりなく、性格的に問題がある。
しかし他の兄弟とは別に問題なく暮らしてた。(私は一人娘)同性だからぶつかり合ったのかもしれない。
母親が厳しかったから大嫌いで高校生くらいまで人間的に本気で嫌いだった。 怒られた記憶しかなくてそれも何故怒られたのかは憶えてなくて、 怖かった悲しかった嫌だった大泣きしたって印象しかない。 完全に叱ると怒るをはき違えた人だった。今でもそう。 何も買って貰えないからねだらなくなった。 試しにねだってみてたまにいいよと言われると、 戸惑っていらないやっぱいいと言ってしまうようになった。
子が生まれてから思い出した。 自分は保育園に行きだしたころにも●をごくたまに漏らしていた。 なんでか外のトイレに行くのが怖かったんだよね。 特に●するのが。 失敗するんじゃないか、下痢するんじゃないか、お腹痛くなったらどうしよう、と常に心配していた。 自分なりにトイレのおまじないを作って、このおまじないをすれば楽に●が出せるって思い込むようにすると失敗しなくなったよ。 結構外のトイレで失敗する子がいると知ったので自分の子にも応用できるといいな。
>>602 私も同じだったなー。
高校卒業して就職、一人暮らし始めた時は幸せだったw
今は三歳児もちだけど、ついつい子に厳しくし過ぎてしまい自己嫌悪。
母親の育て方しか知らないし、それが基準に育って来たからどこまで緩めて良いやらわからなくなる時がある。
>>604 母親の育て方しか知らない→その逆をやればいい(ピコーン
みたいなことにはならないだろうか?
反面教師というか。
以下、自分の記憶。
自分は本当に小さい頃から母親に話を聞いてもらえなかったこととか
兄が常に原因になってた兄妹ゲンカで何故か自分まで巻き添えくって
こっぴどく怒られたり(決して「叱られる」ではない)とかがすごく嫌だったから、
そんなことはすまいと思ってる。
親にしてみれば「兄妹平等」のつもりなんだろうが、
自分にしてみれば原因は100%兄なのに自分まで怒られてすごく理不尽に感じてた。
理由も聞かずに二人とも怒られて、兄は「妹巻き添えザマアwww」みたいに
ニヤニヤしてたのがすっごくムカムカした。
わざと怒られるためにちょっかいだされたりしたし。
今でも兄のことは大嫌い。
606 :
597 :2011/09/24(土) 20:00:16.45 ID:tGprwlYP
>>604 すごく分かる。どうしたら良いのか分からないよね。
うちも4歳女児がいるんだけど、距離感が分からない。
自分は母親に対して、話し掛けるな、触るな、近寄るな!
という感じで小さい頃から反抗期状態なので、娘とどう接したら良いか分からない。
ちょっと子供に冷たいんじゃない?って言われる。
>>605 うん。そう心掛けてはいるつもりなんだけど、気が付くと「あ、これ母親と同じことしてる」って我に返るというか。
私はなかなかうまく行かないよ。
>>606 ナカーマ
もしよかったら606さんが母親に対してそういう態度になった経緯kwskしてもいいかな?
608 :
597 :2011/09/25(日) 02:28:04.62 ID:3KpG6n/f
>>607 うーん、経緯分からないんですよね。物心ついた時には既に嫌いだったし。
もしかして産まれる前から嫌いだったんじゃないかと思うくらい(笑)
とにかくストレス凄くて、幼稚園の頃には既に頭痛持ちだったし、
中学では自律神経失調症になり高校ではストレス性胃炎になり、
進学し一人暮らしを始めた頃には鬱発症し、二年程治療してました。
10代の頃はずっと母に悩まされ続けていたような気がします。
現在は精神的にも物理的にも距離をとっているので、楽になりました。
最近、6ヶ月赤の髪の毛がふさふさになってきた。 頭にモフモフしていたら、突然、これは以前にもやったことがある、 誰かの頭に似てると感じた。 主人ではない、主人はもっと油っぽい。 で、何日か経ってから、急に、誰の頭か思い出した。 自分がすごく小さい頃の、赤ちゃんだった妹か弟の頭だ。 すごくかわいいと思ってモフモフしてた気がする。 実家とは折り合いが悪くて、母親もいらつくし、妹も弟も 決して仲が良いとはいえないのだけど、 すっごく小さい頃は、私の中にも妹や弟を愛おしく思う気持ちが 存在していたことにびっくりした。 乳幼児の頃の記憶って、突如蘇るね。 幸せな記憶は、現在自分がどういう状況であったとしても 温かい気持ちを呼び起こすんだ!と実感。 我が子には幸せ感をたくさん感じてもらいたいな。
>>609 幸せな記憶は、現在自分がどういう状況であったとしても
温かい気持ちを呼び起こすんだ!と実感。
いいね
生まれた時から中学まで幼馴染だった友達の話。 中学くらいの時に、「小さい頃よく、毛布をかぶっては“違う”と感じ、風呂に 入っては“違う”と感じ、“あれは何だったんだろう?”とどうしても思い出したい 感触があったけど、あれは子宮の中だったんだね」と言っていた。 私にはそういう記憶はなかったので、へぇ、と思って聞いてたけど、娘が生まれてから お風呂入れる時に、いつも、小さい洗面器の中に私の両足を入れさせて、その上に自分が 座り込んで落ち着く、ということをやってるのを見て、これも子宮の中を再現してる つもりなのかなぁ〜? と見ています。そういう記憶がある人っていますか? 子宮の中を再現しようとしてた、とか、中のこと覚えてたら、もっと凄い!けど。。
>>611 肌触りの良い毛布にくるまって上手くいくと
包まれる感触になってそれがものすごく心地良いポジションになる時がある。
あと、浴槽にたぷんって潜って仰向け体操座りを試みて
底でじーっとながめていたり。
鼻つまんで長く息を止めるのはリラックスからほど遠いけど。
小学校の高学年までこだわってた。
産まれたときから親の顔をうかがう子だった 親と言うより、大人全般 だからすごく気を使って生きて来たし、 両親に気に入られなきゃ、嫌われたらどうしようって毎日思ってた 何故そうなったかと言うと、母はすごく気分屋で毎回言うことが違うし、叱ると言うより怒る人だったから 昨日やって怒られなかった事が今日は怒鳴られるから 頭の中でこれをやったら怒られるんだというのか整理できなくて 何かする前に、いつも今日は怒られるかも…と、ビクビクしていた それがずっと続いていつの間にか親の顔色をうかがう子になったんだと思う 母が私をほめてくれる事が少なかったのも寂しかったな ほめられるような事が出来ない自分は無能なんだと思ってた
>>613 うちも似たような感じだった
とっくに過ぎたことを急に蒸し返されたり
何が地雷になるかわからなくてびくびくしてた
今思えば、母も回りに頼れる人がいないし経済的な不安もあるしで
いっぱいいっぱいだったんだろうけど、
カーチャンにはニコニコしててほしかった
ボーダーに育てられた子はボーダーになるはずなので。
2才なりたての頃の記憶。いとこのお下がりのガーリーデザインの服(ハイブランド品)がどうしても着たくなかった。 するといつも「おじいさんがグチャグチャいうから早く着ろ!」と母が私に平手打ちをして、 着たくもない服を痛みと悔しさで泣きながら着ていた。いとこのお下がりを着ていると祖父母は機嫌が良い。 いつも同居祖父母の機嫌を伺いながら私を育てる両親に対して「親なんだから私を一番に考えてよ!」憤っていたw 今でもあの頃がフラッシュバックしておしゃれな洋服店に10分もいられない。あと親が信用できないから15歳で自立、 結婚後もできるだけ顔をあわせたくない。そして旦那親とは死ぬまで 近 居 とはっきり言ってある。 私の娘、息子には28年も人生を無駄にした自分と同じ思いをさせたくないから。
うちの母は当時正社員。 私が風邪or怪我をすると学校から報告がいって、不機嫌MAXで帰ってきてた。(早退じゃない) 帰ってきて一言目が 「ふざけないでよ!またなの!?誰の金で病院行くと思ってんの!?この穀潰し!」 子供心に凄く怖いし罪悪感あるしで、成長するにつれて重症化するまで言えなくなった。 大丈夫なんて言ってもらったことないが、その分父は風邪を引いても怒らずにニコニコと笑顔で接してくれて凄くほっとした。 仕事が忙しいときに限って学校から電話があったりしてイライラすることもあるけど、それを子供には絶対に見せまい!と父のように接することを心がけてる
私は比較的大人しく聞き分けの良い子だったので いつも親や先生、周りの大人が褒めてくれていた。 そのため調子に乗ってしまって、いつも心の中で 「大人なんてチョロいもんさ」と思ってました。 我が子も大人しめなので、私のようにならないよう 過剰に褒め過ぎないようにしてる、つもり…。
>>619 大人なんてチョロイもんさ、と思ってたことによって
何か痛い目見たことある?それとも感づかれることはなかった?
>>620 慎重なタイプだったので痛い目を見た記憶は無いです。
感づかれていたかどうかは分かりませんが、
幼稚園では学年1の優等生と言われていたので多分バレてなかったはず。
しかし、常に大人から見た良い子を目指していた為か、
自分自身のやりたい事や夢がありませんでした。
大人に、将来何になりたいの?と聞かれるのが苦手で
適当にケーキ屋さんとか先生とか答えてました。
622 :
名無しの心子知らず :2011/10/13(木) 16:10:28.18 ID:GZwhsu8+
>>622 出産前までは、医療関係のSEをしてました。
残業が多かったので出産を機に退職し今は専業主婦です。
こども(現在3歳)が生まれてから我が子が可愛く、
子育ての毎日が本当に楽しくて仕方ありません。
家庭は裕福ではありませんが、子どもとの時間が減るのが惜しくて
なかなか再就職に踏み切れません。
自分が子どもの頃は、なりたい職業にお嫁さんやお母さんと答える友達を
「そんなの誰だってなれるじゃん」と心の中でpgrしてましたが、
今となっては「職業はお母さんです。」と、胸を張って言いたいです。
長々と自分語りすみません。
三才〜四才の頃、二つ違いの姉は保育所に、二つ年下の弟は赤ちゃんだった。 姉は毎日家の前にある大きな空き地の向こうにある保育所に通い、それをすごく羨ましく思った私は母に頼んでお弁当を作ってもらって、空き地にあった木の台みたいなベンチで一人で食べてた。 寂しかったからいつも空き地で一人で遊んでた。同い年の同性の友達が近所にいて、いつも行動を共にするってシチュエーションに憧れ続けてた。
続きます。 その後引っ越したけどすぐ近所の一つ年上の女の子が二人親友同士で、やっぱり自分は一人ぼっちなんだとつまらなく思った。 一番身近な女の子達が家族ぐるみで仲良くて、でもうちの母はそういう付き合いを見下してる人で、そのせいでは無いかもしれないけど、幼稚園年少の頃からかなり冷めた子どもだった。皆が運動場ではしゃいでるのを見て「若い子はいいなぁ」とか思ってた。
最後です 幼稚園〜中学生までは、頭脳は大人、身体は子どもって感じで、冷めた考えしか出来ないから、無邪気な同級生が羨ましくてしょうがなかったし、周りとペースが合わなすぎてすごく辛かった。 どうやったら無邪気に無心で同級生と遊べるのか、ずっと悩んでたし、今も友達付き合いが下手だと思う。
それ厨二病ってやつでは。
628 :
622 :2011/10/14(金) 14:54:44.25 ID:Mc9E3OdD
>>623 どうもありがとう。お母さんって大変だけどとってもやりがいのある素敵な仕事だよね。
>>627 どう解釈するとそうなるんだよw
自分の、ではないけど。 普段聞きわけのいい弟が、優しい伯父に対してわがままを言いだしてびっくりしたことがあった。 当時3歳くらい。 遊園地でもっと遊びたいとぎゃあぎゃあ騒いで、手を焼いた。 大人になって訊いてみたら、当時のことを覚えてた。 「この人は甘えていい人ってわかってた、だからわがままを言った」とのこと。 父はめちゃくちゃ厳しくて、すぐ怒鳴る&鉄拳制裁の人。 伯父は滅多に会えないから、すごく優しく接してくれた。 小さくても、ちゃんと甘やかしてくれる人を見分けられるし、人によって対応を変える、ってことを知った。
624だけど、まさに厨二病でしたね。 幼稚園児の頃から厨二病。 母もそれには気付いてたらしいけど、大人になるのを待つしかなかったてさ。 妙に冷めた子どもは、内心冷めてても 本当は皆と無邪気に遊びたいと思ってるはず。 そこを汲み取ってあげられる母親になりたいと、今奮闘中です。
2歳半ぐらいの時に、高熱で救急車で運ばれた。 病院に着いて、救命士のお兄さんが抱っこしてくれようとしたんだけど、 「○○ちゃん自分で歩けるの!」と言ってふらふらしつつも途中まで自分で歩いた。 私は歩いたり走ったりするのが同じ月齢の子より早くていつも凄いねって褒められてたもんで、自分で歩く=褒めてもらえる!となぜか強烈に思ってたのを覚えてる。 あのときの救命士のお兄さんのオロオロした表情が忘れられん…ごめんなさい。
一番初めの記憶は産まれて、産院から退院する時。産まれて初めて目に感じる強烈な太陽光でまぶしくて、 眼をつぶってもまぶしいし、季節は夏で暑いしで、なんかイライラしてたw 生後半年〜1歳になるちょい前、歩行器に乗せられてた。 歩行器に乗ってると、色々動けるのが嬉しくて足で床を蹴りまくり廊下を暴走、ドリフト走行するのが楽しかったけど、 歩行器から降ろされた後は急激に身体の疲れに気がつくんでしんどかったなあ。股と足がすごい疲れててダルかった。 キラキラしたおもちゃが大好きで、ハート型のプラ筒の中に水とラメ粉末と輪っかがはいってて、ボタンを押すと水にラメと輪っかが ふわ〜っと舞い散るおもちゃが2歳くらいまで宝物だった。 割と放置されてたので、ヨチヨチ歩き出来る辺りから勝手に一人で庭で遊んでて、なにかあっても誰にも報告できないし、 まだうまく喋れなかったので、ステキなものを発見してもうまく伝えられないわ、誰にもその気持ちを共有できないわで もやーっと寂寥感のようなものをずっと感じていた。たぶんその頃弟が産まれてたからほっとかれてたと思うんだけどw 幼稚園にはいる前まで、保育園に行って常に周りに沢山人がいる子たちがスッゴイ羨ましかったなあ。 弟=邪魔物、面倒くさい→だけど面倒みたり構うとお母さん喜ぶ→嬉しい! で、がんばって面倒見る→喜ばれるけど、自分の事甘やかしてもらえない… でも面倒見ないとお母さんが喜ばない、しっかりしなきゃ!で寂しいのに変に親に甘えられなくなっちゃって悲しかった。 だから、お母さんがいない時は弟いじめまくってたなあ。ヒドス。 ・どんなにはしゃいでて喜んでても、大人がリードしてちゃんと休憩時間を取ってあげる事 ・女の子はやっぱりキラキラしたもの好き。 ・長女、長男もやっぱりお母さんに甘えたい。ちょっとでいいから「お姉ちゃん、お兄ちゃん」をやめさせてあげて 一人っ子タイムを作ってあげて欲しい。 ・やっぱり子供は母さん大好きで、世界の中心だった。だからなにもしなくても側にいてくれるだけで幸せ。
>>633 退院って凄いですね。
文章を拝見しててその時の気持ちなどがすごく伝わってきました。
娘が眠る時、何もしないでそばにいるだけで眠ってくれるんだけど、
もしかしたら横に居てくれるだけで幸せって思ってくれてるからかな?
幼い時、車酔いが激しかった。
両親は二人で会話して子供は子供で勝手にって感じだった。
遊んでいても、どこへいくのか、いつ到着なのかとか予定がわからない時は特に酔った。
あとどれくらいとか、次はどこへ向かうとか、先の予定は子供に言って欲しい。
いつまで続くのかわからない車中が苦痛で酔い出す一因になる。
母が助手席にのって父との会話に夢中になると退屈で酔うし。
まだ赤ちゃんの我が子だけど行き先や予定はいうようにしてる。
夫など大人との会話に夢中になって放置しないようにしてる。
たぶんまだ自分が赤ちゃんのころ。 目をつぶってたみたいで視界は真っ暗なんだけど、 誰かに抱っこされているのはわかった。 抱っこでゆらゆらされてて、そのうちゆらゆらのスピードが変わった。 そしたら背中と頭にドスンと衝撃。(布団に下ろされたみたい) その瞬間、わーっと泣いた。 ・・・という記憶を、娘を布団に下ろした瞬間泣きだしたのを見て、思い出したよ。 ・赤ちゃんは、目をつむっていても、意識はあってまだ起きてるかも。 ・布団に下ろす時は優しく優しく。
母方の祖母は、私が3歳になったばかりの頃に亡くなった。 祖母にまつわる記憶はふたつあって、ひとつは多分2歳の時。 母実家に遊びに行くと、祖母がカルピスを1瓶くれた。 新しいもの、珍しいものが好きな祖父が買ってきたらしい。 「おじいちゃんが自分では飲まないものを買ってきて!」 と祖母が怒っている隣で、祖父がしゅんとしていた。 私にとって祖父は「えらい! つよい! すごい!」存在だったので、 「おじいちゃんよりおばあちゃんの方が強いんだなあ」 と、新鮮で楽しかった記憶がある。 ふたつ目は祖母の通夜の時の記憶。かなり鮮明に覚えている。 座敷に寝かされて顔に白い布をかけられた祖母が、 もう生きていないんだってのはすぐに理解できた。 顔を見たかったけど、見ちゃいけないから隠してあるんだと思って我慢していた。 そしたら、どこかのおばあちゃんが布をとって手を合わせていたもので、 「なんだ、とって見ていいのかよ!」と心の中で全力で突っ込んだなあ。 でも結局、顔を見たいと言い出せず仕舞い。 で、4歳か5歳の時。 母実家に預けられていた私は、祖父にホットケーキが食べたいとせがんだ。 祖母が生きていた頃、よく作ってもらった記憶があったから。 で、祖父はホットケーキ作りにかなり苦戦して、出来上がりは真っ黒焦げ。 祖父が笑いながら、でも申し訳なさそうに「ごめんな」って言った時、 私は祖母を亡くしたことが、祖父にとって本当に大変な事だったんだと気がついた。 初めて、おじいちゃんはなんてかわいそうなんだろう!と心底思った。 やっぱり「生物的な死」は理解できても、喪失感とか悲劇性なんかの理解は こどもには難しいのかなって思う。
>>634 車酔いのこと、すごく納得!
自分の子にもちゃんと説明して、話しかけるようにしてみよう。
社交的でお転婆な妹がいる。 私は充分に両親に愛されて育ったとは思うが、大人しくて真面目な私より、 妹の方が心配の種が多く、両親の目はそちらに行きがちだった。 姉妹とも結婚した今も、両親は妹の方を気にかけていて 私は「あなたは、昔からしっかりしているから大丈夫よね」と言われる。 親になった今、両親の気持ちはわかるけど寂しい時もある。 私の子供は兄3歳、妹1歳。 妹の方が手がかかる年齢なので、昔の自分みたいに寂しい思いをさせてるだろうなと思う。 それで、先日私と旦那が揃い、妹が先に寝た晩にふと思いついて 「お兄ちゃん取り合いごっこ」をやってみた。 私「(兄)くんはお母さんのものだ!(抱き寄せる)」 旦那「いやいや、お父さんのものだ!(抱き寄せる)」 最終的に3人でぎゅーっと抱き合う。 兄がすごく嬉しそうな表情を見せてくれて、私もなんだかすごい満足感を味わった。
>>638 読んでて幸せそうでキュンキュンしたw
やっぱり長男長女や、しっかりしてる子って寂しい思いする機会が多いから
そういう時間取ってあげるのって大切ですよね。
うちも下が産まれたらマネします。
>>638 うちも姉3歳、弟2歳のきょうだい
上の子がなんでもしてくれるから
つい頼ってしまって下の子優先にしてしまうから
寂しい想いをしてると思う
あなたのを読んでハッとしたよ
ありがとう
>>636 の話で思い出した
2,3歳の頃、月に1回くらいの頻度で親戚の家に連れて行かれていた
そこには開かずの部屋みたいのがあって、行くなと言われていた
たまにその部屋の前の廊下を壁伝いによろよろ歩く人がいた
震える低い声で「(私)ちゃぁ…ん…」と名前を呼んでくる
恐ろしくて悲鳴を上げて逃げていた
ゾンビみたいだった
しばらくして、その家でお祭りがあったのか、親戚中が集まった
もう、あの怖い人はいなくなったと聞いて、嬉しくて嬉しくて、はしゃぎ回った
6歳くらいになったとき、あのゾンビはひいおじいちゃんで
お祭りではなくお葬式だったと理解した
知らないとはいえ、ひいおじいちゃんが亡くなったことを心から喜んでいたことに
ものすごい罪悪感を感じた
とにかく母乳と粉ミルクの味が嫌だった でも今の自分が口に出来るものはこれしかないので我慢しながらミルク飲んでた記憶がある でもある日とうとうこんなもん飲みたないんじゃー!!!!これ以上口にするくらいなら死ぬぞという感じで頑としてミルクを拒否した 実際、早い頃(いつかは忘れた)から母乳やミルクを拒否してたらしい
0歳台の記憶を書いてくれる人は貴重だなあ。 すごく参考になります。 私の最古の記憶がベビーベットに寝かされていて、まだ自由に身動きがとれなかったので恐らく0歳の頃だと思う。 ぼんやりと天井を見上げていると、目の前に舞うホコリが太陽の光にあたってキラキラして見えて綺麗だなあと思った。 しばらく一生懸命見ていたのだけど、一人で放置されてじかん
切れてしまったorz 一人で放置されて時間が経っていたのか、ひどく退屈になってうんざりしたのを覚えている。 教訓 一人でお利口さんにしていると思っても、できる限り長時間放置しないw
>>642 貴方のお母さんじゃなくて良かったw
母乳嫌いだったとか言われたら凹みまくるだろうなあ…
647 :
642 :2011/10/31(月) 03:55:41.28 ID:G7Sz4lN0
>>645 自分は味が嫌なんであって母親はその頃から大好きですよw
ベビーカーに長い間乗ってると、周りの景色が色々見れて面白かったけれど親の顔が見れないので確認の意味合いで泣いた記憶もあります
なんというか、自分は泣くか笑うかくらいしか出来ないので母親が嫌になってベビーカーの押す人が母親から途中で別の人にかわってるんじゃないのかって気持ちになりはじめるんです
「押してるのはほんとにお母さんだよね?!返事して!!」という意味で泣いていました
>>646 乳製品大好きです!
>>647 良かった、なんかホッとしたw
味が嫌なんて子いるんだねー。でもお腹すいても飲むものは母乳、ミルクしかないわけだし
地獄の半年だったんだろうなあ。
>「押してるのはほんとにお母さんだよね?!返事して!!」という意味で泣いて
かっ…かわいいww
でも赤ちゃんってお母さんの顔見ただけですごい安心するみたいだし、眼を沢山
合わせてあげよう。
最古の記憶。 1歳2,3ヶ月くらい。 オレンジ色のベビーカーに乗せられて家の前を散歩してた時に、 おばさんに出会って母と親しそうに話したり、私に話しかけたりした記憶。 言葉で返事した記憶はないから、まだ話せなかったんだと思う。 大人同士の会話は理解できないけど、 簡単な言葉で話しかけられるとちゃんと分かるし、嬉しい。
私が3歳、弟が1歳過ぎたくらいの頃。 食事の時はどうしても弟に手がかかるから私は結構放置だった。 頭ではわかってるんだが、自分だけ蚊帳の外みたいな疎外感を感じてだんだん食事が苦痛になっていった。 放置にしても、たまに自分の方向いて「おいしいね〜」とか話し掛けてもらうとすっっごくホッとして嬉しかった。
たぶん2歳とか頃の思い出。 朝起きるのが早起きだったり遅く起きたりまちまちの時期かな。 毎朝、両親と同じ時間に起きる事が出来て、一緒に朝食が食べれた日は機嫌が良かった。 逆に一緒に起きれなくて、自分が起きた頃には朝食が終わってる・出遅れたと気付くと、もうギャン泣き。 特にお父さんが、朝食終わるとスーツに着替えに一旦また寝室に戻ってくるんだけど そのタイミングで目が覚める事が多かったのね。で、寝起きでスーツ着てるお父さんが目に入って、 「ああ、一緒にゴハン食べれなかった…っ!!」って凄まじい勢いで泣く。 で、両親が自分が何で泣いてるのか理解してくれないから、余計に泣く。 でもその歳の小さい子って、朝泣きながら起きるとかよくある事だしさ。 無理して起こす歳でも無いから、グッスリ寝てれば寝かしつけたままにするのがむしろ親心だしさ。 両親は多分「なんでこの子、朝泣く時と泣かない時の差が激しいのかしら」って思ってた気がする。 いやでも流石にこんだけ分かりやすい理由だったら気付いてはくれてたのかなぁ。 親の立場になってみれば、朝の忙しい時間に幼児が一緒に起きてくるより寝ててくれた方がありがたいだろうし…w なんにせよ、朝泣きとか結構生理的なモノっぽい「泣き」でも、実は一つ一つ絶対に理由があったうえで泣いてたのを覚えてる。 大人からしたら無いに等しいくっだらない理由だったりはするんだけどww特に思い出せる涙の理由はそれかなぁ。
最近のニュースで思い出した、多分三歳になる少し前の話。 昭和天皇が亡くなる少し前から、すごく大人とテレビの雰囲気が不気味だった。 母親に聞いたら、園の先生に「昭和が終わっちゃう」と泣いて訴えてたらしいw
確かに、ある意味世界の終わりの雰囲気あったからね
654 :
名無しの心子知らず :2011/11/25(金) 12:02:58.42 ID:64fWENO7
tt
いろいろあるけれど育児に役立ててほしいと個人的に思うこと(使用頻度は低いかもしれないけど) 3歳か4歳くらいから股に違和感があった どうも大陰唇が構造的に空気を取り込みやすかったようだと今は理解している 別に尿意がなくてもそこがもぞもぞして気持ち悪くて、でも説明できなかったので いつも大人にはオシッコ我慢しているのかと聞かれてその度回答に困っていた 2歳の終わりから3歳まで正式でない幼稚園に所属していた トイレに行ったあるとき、おそらく尿道から出血してしまっていて、子どもながら大変混乱した その旨を先生に伝えようとするものの、場所を示す言葉が分からず、 咄嗟に下着を下ろして指を指し、ここから出血していると訴えたが、上手く伝わらなかった それどころか先生らは失笑してしまったので恥ずかしくなり、それからそこには行けなくなってしまった 結論:可能であれば女性器の名称を幼児語で教えてあげてほしい (周りの反応で恥ずかしい場所だということはたぶん理解しているので)
よろしいですかな?来年還暦になる♂ですが、これほど内容の濃いスレは久しぶりに見ました。 下手な育児書よりよっぽどためになるかも。育児書は読んでことありませんがw で、小生の記憶を一席。 生まれた時だったろうと思う。ものすごくまぶしくて、あまりのまぶしさに目が痛くなるのじゃないかという恐怖心で泣いた。 痛くはならなかったけど。そのひょうしに初めて息をした。 生まれて初めて吸った空気は例えばミントを口にするとひんやりするようにえらく涼しかったけど痛みはなかった。 「最初の呼吸はつぶれていた肺が膨らむので激痛で産声を上げる」というのを聞いたことがあるがそれはウソです。 小生の場合はあまりにまぶしく怖くて泣いたのです。 看護婦さんに抱かれたと思うが、白衣で袖が絞ってあった。幼稚園に行った時に先生や子供たちの袖が絞ってあったのを見て思い出しました。 特に育児に役立つ話ではありませんが悪しからず。
>>656 育児には直接役にたたなくても、
出生時にもちゃんと周りを認識している、ということですよね。
たとえば、産まれたときに泣いている子に、
声をかけて、大丈夫だよと言ってあげよう、声かけは無駄じゃないよ、
ということで、興味深い内容だと思います。
>>655 最近娘が4カ月検診でおまたがくっついてると指摘されて大学病院で剥離してもらったよ。
生まれた時におまたがくっついてる子は一定数いるみたい。男の子でいうところの真性包茎みたいなもんらしいです。
おしっこがでる部分だけは開いてるから気が付かなかったんだけど。
だからきっと同じ症状だったんだろうね。きっと言葉にできなくて辛かったんだろうなと思います。
私の記憶は、母が2歳上の姉が赤ちゃんかえりをしないように、私が赤ちゃんの間は放置気味だったので、
すっごい不満だった事。母は「赤ちゃんの間はわからないから、姉に寂しい思いをさせないように」と後年に語っていたが、
赤ちゃんでも十分かまってもらえない寂しさはわかるので、自分は上の子も下の子も同じようにかまおうと思う。
>>656 還暦が草を生やしてることにビックリしたwww
そこかよw別にいいじゃん
>>656 すごい、そんな生まれたての記憶が有るなんて。
今朝思い出したこと。
私はファスナー付きの服を着るのが嫌だった。
母がいつも忙しくてイライラしていて、
私にファスナー付きの服を着せるときにファスナーを思い切り
勢い良くしめるのが怖かった。
下から上にすごいスピードで変な音を立てて上ってくるファスナーが、
自分の顔まで挟み込んでしまいそうで恐怖だった。
小さい子は、大人よりも色々な感覚が鋭いと思う。
ファスナーのスピード感は半端なかった・・・
そういえば、ファスナーの服はあまり自分で買ったことが無い。
663 :
名無しの心子知らず :2011/12/02(金) 14:35:42.57 ID:J/T+Mcan
他スレからのコピペで失礼します。 母が常に他の子と比較する人間だった。 あからさまにではなく、なんとなくだけど痛い程伝わってきた。 まだ乳児の時の頃から、はいはいが遅いのだの立つのが遅いだの言われていた記憶がある。 弟が生まれてからはさらに記憶がはっきりしていて、お姉ちゃんはこの時期まだ寝返りもできなかったのに、もう出来て凄いね云々言っていた。 ものすごくショックだったからよく覚えている。 そのせいか?とにかくはやく物事をこなさなくてはと常に焦っていた。 チンタラしていたら嫌な顔をされると。 物事に対して、自分のペースでちゃんと仕上げる事より、とにかく周りと合わせて早く仕上げる事を一番に考えていた。 これだけが原因ではないけれど、小学校ではいじめられていました。 成長過程で自分がやたら焦っている事を自覚して、少しは修正できたけど。 三つ子の魂〜で染み付いた癖は抜けないらしく、気をつけないと悪い癖が出る。 母親とは仲が悪くはないが良くもない。用事がなければこちらから連絡をすることはない感じ。 致命的ではないけれど、ちょっと失敗されたのかな?という体験談でした。
幼稚園に行きはじめたぐらいの頃。 大人が、しゃがみこんで姿勢を低くして、いかにも子どもに話しかける調子で話してくるのが嫌だった。 子どもの目の高さで…って言うけど、すごく嫌で 大人どうし話すのと変わらない調子で、気を使わず話してくれる人が好きだった。 そんな人いますか? あんまり古い記憶じゃなくて申し訳ない。
>>663 待ってました。よかった、来てくれて!
乳児期にそんなことを言われてかわいそうだったな、と思います。
マイペースでいいから出来ることを認めてもらえていたらなあ。
今、自分の子がハイハイが遅くてちょっと焦っているのだけど、
子のペースで見守るようにするよ。
>>664 私もそういう大人は嫌だった
しゃがみ込んで顔を近づけられることが逆に怖かったのと気持ち悪かった
子供の目の高さで・・・というのは、心理的な物だけでいいと思う
今も、物理的に近づかれるのはイヤだな
「目の高さ」で思い出したけど 小さい頃、スーパーの下りのエスカレーターが怖かった。 母が手をつないでいてくれれば乗れるし、 一旦乗ってしまえば全然怖くないんだけど、 乗るまでに時間がかかって、毎回一人では乗れなかった。 あるとき母が手をつないでくれずに先に乗ってしまい 一人で上の階に取り残されてしまった。 怖くて乗れなくて泣きべそをかいていたら、 通りかかった知らないおばさんが 手をつないで一緒に乗ってくれて嬉しかった。 (恥ずかしいとかは思わなかった) なぜかそれ以来、一人でも乗れるようになった。 幼児の低い目線では、下りエスカレーターは 乗っている人が、急に下に消えていくように見えていた。 その頃、高いところから落ちる夢をよく見ていたので、 それを連想して怖かったのもあると思う。 身長が伸びて目線も高くなると、下の方までよく見えるようになったから なんであんなに怖がってたのか、そりゃ大人の母にはわからなかっただろう。 大人と同じものを見ていても、子どもの目には少し違うものが映ってるので 何かを嫌がるときは、子どもの目の高さで見てみるのも必要だと思う。
>>664 わかる。
子どもらしくしなきゃいけないのかなと緊張した。
>>666 エレベーターの上で固まってる子を
階下の赤ちゃん連れたお母さんの所まで送っていった経験のある自分としては
ホッとしている。余計な事かなぁって思ってたから。
小さい時って動く階段に目が追いつかなくて怖いんだよね。
>>666 全く同じ体験をしたw
あの時手を繋いでくれたおばさんが、とても優しく思えた。
668 エ、エルェヴェータァー?
娘が泣くのこらえて背中むけたり、私をじっと見つめるのを見て「私もこうだったなぁ」って思い出した。 泣いたら負けみたいに思ってたな。 私は4姉妹で姉や妹が先に泣くのを見て段々冷めていった。 真ん中っ子ってプライドの塊だw 小さい頃は姉の周りをちょろちょろして、誰かに喋りかけられても黙ってるぐらいシャイだったってよく言われるんだが違うんだ。 黙っててもどうせ姉ちゃんが私の名前や心情まで勝手に喋っちゃうんだろ?って思ってた。 実際何でも姉が先回りしてやってしまう。何でも決めつけるし。 「私ちゃんはこれが良いんでしょ」って言われると、じゃあそれで良いよって思ってた。 妙な諦めもすごい小さい時からあった気がする。 母親が押し付けなくても、姉ちゃんがしっかりし過ぎるのは困りものかと。 あと、一番下の妹とは年離れてるんだけど 妹が3歳ぐらいの時「歌ヘタクソ」って私が言ったの覚えてるらしい。 私は覚えてないけど未だに私とはカラオケに行ってくれない… ごめんね、姉ちゃんあの頃反抗期だったんだw 芸術系は貶すべからずだな。 絵は私がかくの好きで、いつも隣で落書きしてたけど特に貶したこともなく むしろどんな絵でも上手ねーとか面白い絵だねって誉めてたらしい。←これも覚えてない それが良かったのか一番下の妹の絵は個性が爆発だ。
>>671 >芸術系は貶すべからずだな。
本当にその通りっす。
好きで人並みに描けて漫画も書くの好きだったけど
美術の教師にこきおろされて以来、描くのやめたもん。
好きでのめりこんでいることに対し
一刀両断での評価は小さい頃から本当に傷ついてきた。
その道がふさがるように感じるのでやめたほうがいい。
赤ちゃん布団に寝ていたので多分ゼロ歳児のころ 優しい手が体をさすっていた 多分母だと思う その後弟が生まれ典型的毒親になった母だが あの手の優しさと全面的な安心感は覚えている
歌うこと、人前で歌うことが大の苦手でカラオケもいちども行ったことないんだ けど、2歳ぐらいまでは歌が大好きで、ずーっと歌っていたらしい。 自分の記憶には無いんだよね モノゴコロついたころにはもう、人前で歌うのなんか絶対無理だった きっと何かいやなことがあったんだろうね…。 子どもが生まれても、のどにつっかえて何も歌ってやれない
676 :
名無しの心子知らず :2011/12/03(土) 23:10:49.58 ID:SZ4I3fV+
乳児の頃、下着(スリップ?)だけで上着を着ないでお出かけを したいと言っては親に止められてた。 でも自分にとっては、レースが着いていて子供心にドレスみたい!!と思っていたんですよね。 うちの母親は「元気良く遊ぶために、子供服はシンプルが一番!!」みたいな考え方で、 レースやリボンのついたスイーツな服をほとんど与えられなかったので きっと反動で女の子らしいものを求めてたんだろうな。 自分が大人になってみると、同じくキャラクターものとかスイーツなものは あまり買いたく無いなあと思ってしまうんだけど、ある程度はやっぱり子供の 好みも尊重してあげないといけないな〜と思っている。 プリ○ュアの服が欲しいとか言うんだろうな〜
677 :
名無しの心子知らず :2011/12/03(土) 23:12:35.40 ID:SZ4I3fV+
↑ ×レースが着いていて ○レースが付いていて
678 :
名無しの心子知らず :2011/12/04(日) 01:05:28.83 ID:9aXWl9AW
3才位の頃の記憶。 箸も鉛筆も左手を使っていたのを、母が右手に矯正させようとして、何かを書いていると長い線引きを持って真正面に座り、いつも怒られていた。その頃、人の前で箸や鉛筆を持つのがすごくイヤだった。 今、上の子が左利きなんだけど、ダンナにも実両親にも義理母にも園の先生にも話して、無理な矯正をしないでくれって頼んでる。
>>676 幼児の頃だったけど同じような記憶がある。
レースとリボンのついた唯一の服がスリップで、
風呂上がりに鏡の前でドレスを着てるつもりでくるくる回ってた。
母はあなたはベージュが似合うからと飾りの無いシンプルな
アースカラーな服ばっかり買ってきたので
自分は赤やピンクを着る資格が無い=女の子らしくないんだと勘違いしてしまった。
今自分の子供は男の子しかいないけど、頂き物の
私の趣味ではない服でも色々着せてみる事にしている。
>>676 >>679 私もそうだった。
母の好みでモノトーンの服ばかり着せられ、
ピンクやキャラものの服を着てる子が羨ましかった。
でも自分から強く「ピンクが着たい」と言った記憶は無い。
子ども心に、言ってもどうせ無駄だし、みたいな感情だった。
服の好み以外は、自主性を尊重してくれていたけど、
いまだに自分の好きな物を選ぶっていうのが苦手。
これでいいや、みたいな感じで買ってしまう。
3歳の娘には、できるだけ自分で選ばせてあげたい。
681 :
名無しの心子知らず :2011/12/04(日) 14:41:59.74 ID:Hbq2Q7hA
>>679 、
>>680 676です。
同じような経験の方いらっしゃるんですね。
私も、かといってこれが良いあれが良いと駄々をこねた記憶がありません。
真ん中っ子の性か、自分が食べたいものでもゆずってあげちゃうような子でした。
そういう子って、主張しない=欲が無いのではないのですよね。
言わない、言えないだけ
自分の子供がこんな子だったら自分の子供のときの気持ちは忘れないように
しようと思ってます。
ちなみに、幼稚園は遊びやすいようにショートパンツで通わされていたので、
男子からショートパンツ下ろしの標的にされました。
スカートだったらスカートめくり(=一瞬パンチラ)で済んだのに、
と母親を恨みました(笑)
私は逆に母のピラピラした少女趣味が大嫌いで、モノトーンやアースカラーでシンプルかつ実用的な服が好きだった 特にお出かけの時の、ふりふりソックスのレースは歩く度に擦れて痒かったし、エナメルの靴は指が痛かったし、ひらひらしたワンピースやボレロは冷えるしあちこちに引っかかるから嫌いだった ふりふりを選ばないことで毎日毎日文句言われて物凄くストレスだった 子供には「それ」が嫌いな理由が必ずあるはずだから、よく観察して欲しい
母が宗教にハマってて毎日のように道場とやらに連れていかれてたなー。 私はいつも離れた子供部屋で一人寂しく遊んでたわ。 母は常に誰かしらと真剣に話してたから邪魔してはいけない、いい子にしてないとって思ってた。 その反動でグレた。 あとはおやつがいつも味噌きゅうりだったのを覚えてる(笑)
684 :
名無しの心子知らず :2011/12/04(日) 16:50:14.65 ID:Hbq2Q7hA
>>682 そうそう、大人には意味不明な突拍子も無いわがままやこだわりも、
子供なりにちゃんと理由があるんですよね。
きっと。
保育園のトイレで並んでるとき、 ふと、今の私はもしかして、大人になった私が 思い出してる私じゃあるまいか?と思った。 そして現在、実現されている。 あと、せっかくかわいい幼児期の私なので、 私が抱き締めとこう、と自分で自分を 抱き締めておいた。自意識過剰だった。
>>682 そういう服を選ぶ度に「子どもらしくない」だの
「そんな色は似合わない」だの言う祖父母がいたら
ぜひ親にも援護射撃してもらいたい。
目線の高さについていろいろありがとう。 同じ高さに来ると安心する、ってよく聞くけど、安心しなかった自分って…と思っていたので ちょっと安心しましたw 距離か…それは思いもしなかったけどあるかも。 困ってる子には、ちょっと腰を下ろして原因を探してみる&話しかけるようにします。 キャラ物フリフリ服はいやだったし、親も着せようとしなかったので助かりました。 でも、はじめてお金持たされてひとりで服買ったとき、すごく楽しい気分で帰ったのに 趣味悪いとか、その値段でそれ?とか言われて悲しかったな 確かに今思えば、もっともではあるんだけど
>>652 亀だけど
娘が最近ニュースみてると おりんぱすこわれちゃったの・・・って
すごい悲しそうに言うようになった
689 :
名無しの心子知らず :2011/12/12(月) 22:10:15.68 ID:1jo5vyni
ほしゅ
690 :
名無しの心子知らず :2011/12/12(月) 22:29:06.52 ID:XNdUVMAb
三人兄弟で、私だけ歳が離れてる末っ子なんだけど、とにかく声が大きかった。 耳の病気を疑われ、病院へ。 耳に異常は無く、無意識にアピールをしていたらしい。 話を聞いてほしい、輪に入れてほしいと。 兄弟からは、お荷物扱いされる事が多かったから、何にも言えなかった記憶がある。
バギーに乗ってた時期、たぶん一歳から二歳くらいの記憶 姉と色違いでお揃いのお気に入りの毬があった。 父が海外で買ってきた柔らかい布製で鈴が入ってて、ふるとシャンシャン鳴る ビーチボールみたいに接ぎ合わせでイチゴ柄、私は青で、姉は赤。 ある日母とバギーで近所の小児科に行き、帰宅してバギーから降ろすときに私が持っていたはずの青い毬がない!と母が気づいた 「きっと見つかるよ」とすぐに来た道を小児科まで戻って探してくれたが、どこにもない 道端の側溝や病院待合室隅々まで探したが無くて、二人でトボトボ帰宅。 私は自分が落としたことも、見つからなかったことも悲しくてショックを受けました あんなに素敵な毬だから、誰かが拾って持っていっちゃったに違いないと思うと、悔しいし残念でした 四つ上のジャイアン姉はおとなげないので、残った赤い毬も貸してもらえず追い討ち… それ以来、自分の持ち物に執着するようになりました 一度外で落としたら、もう見つからないんだと深くインプットされた 善意を疑うといえば大袈裟ですが、少し疑い深くなった気がしますね
何かまた思い出した。 うどん屋で「私3歳だから山菜うどん」って言って注文したのを覚えてる。 おじいちゃんのうちに母と妹と帰省して、お迎えを待つ間夕飯を済ませようとしていたと記憶。 その後4歳になった時、「もうさんさいうどん食べれない」とショックを受けてたw しょうもない話ですいません。 つまらんダジャレをスルーしてくれた母に感謝。 楽しい気分でうどんを食べれたので、山菜は好物になった。 なるべく子の動機付けが変だからって、水をささないようにしようと思う。
2歳くらいかな、右手の小指の付け根に丸い痣があって、それをもしお母さんと離れ離れになってしまったら私を探す目印にして貰おうと思って 「ここに丸いのあるね」ってヒントのつもりでお母さんにずっと言ってた 何回も何回も繰り返し言ってたからさすがに鬱陶しがられたけど あとお母さんが世間話で「他の兄弟は人参嫌いなのにこの子だけは喜んで食べるの」って嬉しそうに言ってたのを聞いたから、別に人参なんて好きでも嫌いでもなかったけど美味しそうに食べなきゃと思って演技して食べてたw
幼き>692に「ごめんください、めんください」を聞かせてあげたい
とにかく母親が外面ばかり気にする人だった。 おねしょを繰り返していると →安心させるどころか、「なんで毎日毎日!」と文句を言う 近所の人へ恥ずかしくて挨拶出来ない時 →挨拶の大切さを教えるのではなく、母が恥ずかしい思いをしたくないから挨拶しなさいと叱る 授業参観で先生に差されて答えられない時 →家に帰ると、さっきはどうしたの?と聞いてくれないで「(母が)恥ずかしかったじゃない!」と言う 他にもこの手の記憶はたくさんある。 これらのまったく逆の対応をして子育てしているが、子供達はスクスクと良い子に育っています。
子供の頃、家に親が買ってくれたりおさがりのおもちゃが部屋を埋めるほどあったけど、 自分が気に入った物が一つもなかったし、親が気に入ったおもちゃばかりで自分が本当に欲しい物は買ってもらえなかった。 だからいつも「わたしの家はおもちゃがない」って淋しい惨めな思いをして泣いていた。 その反動で、自分が欲しかったのに買ってもらえなかった人形が友達の家にあると独り占めしたりわざと壊したりして嫌われた。 自分の子には、本人が欲しい!と言ったおもちゃを大事に使うと約束してね、と一言添えて買っている。
似たような感じで 木の玩具、コルクの玩具ばかり親は買ってくれて、自分自身それらの玩具が 嫌いではなかったが、友達の華やかなプラや超合金の玩具と引き比べて 「うちは貧乏だから木の玩具しか買えないのだな」と引け目に思っていた… うちは当時、周囲(田舎の農家)と比べればやや裕福だったのだけれど、 結婚まで都会で華やかな職についていた母は、当時の友人たちと自分を比べてなのか 「うちは貧乏だから」とよく言っていた。今にして思えば自虐ネタなんだけど、 上記のことと合わせて「うちは貧乏」が幼少期に重くのしかかっていた。 小さい子供の前で、過剰な自虐ネタは良くないよね。私も自虐がちだから気を付けたい。
定番だけど、お下がりにまつわる記憶。 兄弟構成=姉・私・弟、必然的に姉のお下がりが回ってきてそれはもう不満だった。 お雛様は立派な七段飾りがあって共用ということになっていたけど、自分的にはそれは姉のものだったし 下着など消耗品以外は新しいものを買ってもらえないのが悲しかった。 実用性重視の母の選ぶ服は子供心に趣味じゃなかったっていうのもある。 そんな中で1着だけ強烈に覚えているのが、母方の祖母が四歳の誕生祝いに買ってくれたワンピ。 子どもの私に、大人が好きにデパートで選ばせてくれた。本当に嬉しかった。 当時小公女セーラwにかぶれていた私はウエストにリボンの付いたドレスに憧れていて お嬢さん風の襟付き・リボン付きの可愛い長袖ワンピを買ってもらったんだ。 同行していた母は微妙そうな顔していたけどね。 今なら「洗濯も着替えも面倒そうな服だなオイ」という母の気持ちも分かるんだが たまには子どもの意見(願望)を尊重してあげたいと思ってる。際限なくは無理だけど。 もうひとつ。 優しくて大好きだった祖母は、数年前に亡くなってしまったのだけど 最近になって祖母の家から新品のお雛様(親王飾り)が発見された。 どうやら祖母が私誕生時に購入して贈ったが、行事関係にドライな実母が忘れていたらしい、母ヒドス 自分にも自分専用のお雛様があったことを30年越しに知り、泣けて泣けて仕方なかった。 もっと早く存在を知っていれば直接お礼もいえたし、小さな頃の自分の自尊心も満たされていたはず。 親王飾りは、その後生まれた娘にあげた。正確には私と共用か。 飾られないまま押入れの中で眠っていたお雛様に日の目を見せてあげたいし、 祖母が自分たちを見守ってくれているようでありがたいから、これからいっぱい大事にしていく。 現在二人目妊娠中、性別はまだわからないけど もし次も女児だったら、お金はないけど出来る限り配慮してあげたいなと思ってる。
全私が泣いた
私はお下がりを全く気にしない子だったw 従姉妹たちの中でも年下だったのであらゆるものがお下がりだったが、こだわりがなかったので気にならなかった 新しい服とそうでない服の違いすらよくわかってなかった(タンスの一番上のものを着てた) でも母がミシンで縫ってくれたスカートだけはすごく気に入ってたな 未だにファッションには物凄く無頓着だ 3歳までは2K(6畳+4畳くらい?)の古い狭いアパートに住んでいたんだけど そんなところに七段飾りのお雛様を出すもんだから邪魔で邪魔で、 しかもむやみに触ったら怒られるからあまり好きではなかったな 不満を感じることもなかったけど、楽しみの少ない生き方してるかもなぁ ある程度の贅沢って必要だよね 世界が狭くなっちゃう
たぶん3歳くらいの時に、母と叔母と姉と私とで居間にいたんだけど、タイミングがずれていたのか 私だけ会話に入れない、なにか言っても母も叔母もまったくスルーするって時があった。 それが凄く悲しくてしばらく無言でいたら、母が私に何か話しかけてきた。 でも腹が立っていたので「私だって無視するもん」と思って無視していたら母が激怒。 すると姉が「お母さん、私子にだって言い分があるんだよ。泣きそうやん、何か傷ついたんよ」と 言ってくれたのを覚えている。 喧嘩も多く怖い姉だが、30になってもこの恩は忘れていないw
姉ちゃん……(´;ω;`)
2歳の時。 昼間は母にお客さんがきて お茶受け代わりに梅味の海苔巻せんべいをかごにもって出していた。 梅味は当時我が家ではめったに出なかったけど大好物だったので 食べたくてよだれが出そうでじっと見つめてたら お客さんが私にもどうぞと勧めてくれた。 しかし母が「あなたはお腹を壊わしてるからやめなさい(嘘)」と言った。 母はこの手の意味のないウソを良く言う人だった。 なので 自分は極力子供に嘘は言わない。 お客さんが来た時も子供用になるべく同じおやつを用意してる。
お下がり嫌な人は多いのかな 私は未だにお下がり気にしないタイプなんだけど 兄弟構成が上下に男で、母は私を着せ替え人形みたいにしたい親だったらしく フリフリの可愛いの買ってきたり、スカートや花柄履かせようとしてた 私は走り回ったり木に登るような子供だったので、兄のお下がり大好物 ついでに兄大好きでついてまわっていたので何一つ不満はなかった 思春期頃ですらメンズのTシャツ買ったりして兄弟みんなで好きに交換してた 妊娠してコトメがいっぱいお下がりくれるから喜んで来ているけど 逆にトメが気を遣って中に新品を足しておいてくれてるくらいだし おもちゃも、イトコや母の友達の子が使ってたおフルで十分楽しめたし 子供っぽい食器とか偽物っぽいおもちゃとか大好きだった(夫は子供時代本物志向だったとか) 別に貧乏な家庭ではなかったからものが買えないで困ったことはなかったけど 母にしてみれば可愛いもの気に入らないだけで物を与えやすかったんじゃないかと思う 今でこそ結婚前より経済状況が悪いけど、夫も「え?そんなんでいいの」って もので十分喜べているから幸せなんじゃないかなあって思ってる 微妙にスレチでごめんなさい でもこういう子供もいますよ、ってことで
多分、経済的に余裕があって、「あの服欲しい!」「あのおもちゃ欲しい!」と言ったとき、 そんなに押さえつけず与えることができれば、そういうのにこだわらなくなると思う 逆に、経済的に余裕がなくて、子供がそれを「お下がりのせいだ」と結論付けると、 本来はお下がりでも気にしなかったものですら、「お下がりである」という理由だけで嫌になると思う まあ、当たり前の話だけどね
末っ子でおさがりばかりの身からの意見だけど
>>708 はなんか違うなぁ。
あれ欲しい、とか考える前に、気付いた時にはおさがりばかりなんだよ。
「自分の物」として手に入るものが古びれていることが悲しかったの。
傍では姉が新しいものを手にしてきているのを見ているからね。
新しい綺麗なものが欲しかったんだよね。
何でもいいから、「私のために買ってくれたもの、私が一番初めに手にしたもの」ということが重要だったかな。
>>709 >>703 だけど、なるほど、うちは姉のも従姉妹からのお下がりだったから気にならなかったのかも
>>709 すごいわかります。
好きで次女に生まれたわけじゃないのに、と不公平に感じてました
自分は洋服や小物集めが好きで、チビの時からいろいろこだわるタイプでした。
気に入った服や靴に囲まれて暮らすのに憧れてたから、バイトするようになってからやたらファッションに散財したなあ
我慢してた反動がでたのかも。
あと高校に入ったとき、初めて新品の制服と指定カバンを買ってもらえたのが嬉しかったな〜
幼稚園も中学も、すべてが姉のお下がりだったからさ…(つд`)
幼稚園でクラスの子と砂場で遊んでる時、 恐る恐る「友達になってくれる?」と聞いて、相手が 「いいよー」と言ってくれてめちゃくちゃホッとした、って記憶が その時のドキドキ感を含めてよく覚えてるなー。 普段遊ぶ友達はいたんだけど、なぜか「友達になって」「はい」の やりとりがないと『友達』ではないと思い込んでたんよね。 あとは幼稚園で何か行事があるたびに、行きたくないやりたくないと よく泣いてたな。散々泣いてから、行っちゃえばケロッと楽しんじゃうのに。 私のように良く言えば繊細、悪く言えば極端に臆病なタイプなら、 一度事前に安心できる大人同伴で予行演習してくれるとかなり助かる。
自分も凄く臆病なタイプだった。 3歳くらいのとき、なにかの集まりに連れていかれたら、 母が他の人とすごく楽しそうに賑やかに話をしていて、自分ほったらかし。 他に子どももいたんだけど、そんなのもう目に入らなくなって、とにかく母がいなくて ものすごく悲しくてさびしくて、でも泣いたらいけないと思って、 必死に我慢してたのを覚えてる。 そしたら、優しく話しかけてくれたお姉さんがいて、めちゃめちゃ嬉しかった。 今でもあのお姉さんの顔を覚えてる。 だからかな、自分も大人になって、不安そうにしてる子がいると、 気になって傍に付きっきりになってしまうw
おさがりってどんな相手のものをおさがりするかでもちょっと違う気がする。 うちは従姉妹と幼なじみからよく貰ってたけど、 「これは○○ちゃんの、こっちは××ちゃんの」っていつまでも言って喜んでた。 従姉妹も幼なじみも大好きな憧れのお姉ちゃんだったし、そのお姉ちゃんたちと同じものを着れるのは単純に嬉しかったなあ。 新しい服よりお気に入りで大事にしてた。 旦那も男兄弟で旦那の弟はみんなお兄ちゃんのおさがりだったけど、やっぱりおさがりのものは喜んでたらしい。 言うこと聞かないと殴ったりもしてたようだけど旦那はなんだかんだ言って 半分親代わりみたいな面倒見いいお兄ちゃんだったようで、弟もお兄ちゃん命みたいな感じだったみたい。 これが一種ライバルのような兄弟関係だったりすると感じ方も違うのかもしれないね。
>>713 なんだかあなた良い人だね。優しさが滲み出てる
多分2〜3歳くらい。 自分では普通に喋ってるつもりなのに母と姉にはうまく伝わらず、「この子は喋るのトロいね〜」「何言ってるかわからないね〜」と笑われた。 自分には皆が言ってること、自分が言いたいこと全部分かってるのに馬鹿にされて悔しくて泣いた。 娘が産まれて、この子が何か一生懸命喋ってたら、分からなくても真剣に聞いてあげようと思った。 可愛くて笑う事もあるかもだけど、笑って流さないようにしようと思う。
3才くらいの時、母の実家に泊まりに行くための大きい荷物を2階から1階へ一人で運ぼうとして階段から転がり落ちた 母と姉が駆け付けて来て、トイレのお尻拭きで唇の血を拭かれたのを覚えてる 同じくらいのころ、姉が生まれた時に親が作った、姉の名前入り絵本が憎たらしかったなー 姉の名前が入ってる所全部塗り潰して自分の名前に変えてたw
ガンガレ!
物の仕組みが知りたくて色んなものを解体してた リモコン、時計、おもちゃ、電動ひげそり、それにリカちゃん人形の手足とかw 母親の車のヘッドレストの穴の深さを測ろうとして割り箸突っ込んでつまらせたこともある 怒られるだろうってことは分かってるのに好奇心が勝っちゃうんだよね 唯一怒られずに済んだ実験()は3、4歳の時に山ブドウでハンカチを染めたことくらいかな 山ブドウで遊んでて服が汚れるのを見てからの逆転の発想だった
720 :
名無しの心子知らず :2012/01/13(金) 07:34:21.22 ID:TLAgIEli
自分自身じゃなくてすみません。 以前ラジオで聞いた話 その方は3人目の子を妊娠中に長女から、 「私ね〜ママのおなかの中にいたとき、1回こわくて帰っちゃったの。 でもやっぱりママがよくて戻ってきたの」 長女がいないときに次女から話を聞くと 「お姉ちゃんとじゅんばんこで待ってたの」と。 実はこの方は1度目の妊娠のときに赤ちゃんが胎内で死んでしまっている。 それは誰にも話してなかったことなのに。 その方は3人目の子の記憶を聞くのが楽しみだと締めてた。 自分が知っている記憶系の話で一番理想的な話でした。
>>720 素敵な話なので「胎内の記憶」スレに投下お願いします!
722 :
名無しの心子知らず :2012/01/13(金) 09:25:40.25 ID:TxeqlOLI
幼稚園の面接 2年保育だから、たぶん4歳。 先生に渡されたひらがなの表を見て 全部わかったけど黙ってた。 先生が「まだわからないかなー」と言っていたのが嫌だった。 もう少し前、たぶん2歳か3歳。 家に両親の友人が来ていて、私は父と風呂に入ってた。 パンツがなくて、部屋まで裸で取りに池と言われたのがすごく嫌で 猛烈拒否して困らせたのを覚えてる。 「裸なのが嫌だ」ということをうまく伝えられなくて泣いたんだよな。 まだ子供だからという理由で男性がいるところでも 娘を裸にしたり、着替えさせたりはしないようにしようと思うよ。
>>719 どういったご職業に就かれました?気になる。
保育園のときの記憶。 親が共働きだったので、いつも早い時間に預けられてた。 他の子が来るまでの静かな園内、それが至福の時間。 なぜならそこに絵本があるから! 賑やかになる前に、大急ぎで夢中になって絵本みてた。 あのめくるめくような絵本の世界!! 小学校の休み時間にも教科書を読みふけるような子になって、 「外で遊べ」と、先生に教室から追い出されたりしましたが、 中学校くらいまで、国語は勉強しなくても点がとれる教科でした。 絵本には絶対触れさせるべきだと思う。
>>724 自分も保育園の年長組にいた頃、よく1人で本を読んでいた
歴史上の偉人について書かれたマンガが置いてあって、『リンカーン』がお気に入りだったw
その影響なのか、学生時代は史学の成績だけはよかったな
726 :
719 :2012/01/13(金) 15:49:29.27 ID:d9l1w2Ad
>>723 大学卒業後、印刷会社勤務を経て漫画家になりました
>>724 、
>>725 自分もよく本読む子どもだった
読み始めると集中しすぎて周りの音が一切耳に入らなくなるから
よく人の話とかチャイムとか無視してしまって両親にも先生にもしょっちゅう叱られてたな
保育園のころのお気に入りはいもとようこさんの絵本
けど一度だけ彼女の絵本で気に入らなかったことがあった
動物の親子の食事シーンに焼きリンゴが出てきたんだけど、
自分は生リンゴが大好きだったから「焼く」という行為をリンゴに対する酷い冒涜だと感じた
まあその後リンゴジャムやアップルパイに出会ってからは考えを改めるんだけど
「冒涜」なんて言葉は知らなくても該当する感情は抱くもんだよね
冒涜って感情あったあった! 通わされた幼稚園が裸足推奨だったので園庭を裸足で皆がキャーキャー言いながら駆け回ってたのを見て 「なんて野蛮なッ!」って驚愕したのを覚えてる。 親の都合でそれまでイギリスに住んでたから余計裸足に衝撃を受けたんだと思うけど。 靴という文化と文明に対する冒涜だと思ってた。
>>726 レスありがとうございます。漫画家さんスゴス
幼稚園に行く前だと思うので2、3歳の時の記憶。 母と隣のおばちゃんが井戸端会議をしている近くで自分の三輪車を脇に置いて石を積んで遊んでいた。 すると自分と同い年のおばちゃんの子供が三輪車を奪おうとしてきたので応戦。 母は貸してやりなさいと言うし、おばちゃんは笑ってるしで不条理を感じた。 貸してみたいに言えば使ってなかったから貸したのに、笑ってないでてめーの娘叱れやって思ってた。 元々の子供の資質もあるのかもしれないけどいけないことはいけないと教えなきゃ被害者がかわいそうだと思う。
>>712 4〜5歳で社宅に引っ越した。
中庭の公園に同年代〜年上の子が数人いたので、駆け寄っていって、
「ねえねえ、お友達になろっ!」と言った。
だが、見知らぬハイテンションな子どもに、全員文字通りドン引き。
ささーっと立ち去ってしまった。
私、大泣き。
それまで外国だったもんで日本の印象最悪に。
社宅という特殊な空間性もあり、一年後再び越すまでその土地は大嫌いだった。
その一件が原因ではないだろうけど、ヒトミシリーな喪女に成長しましたwww
「お友達になろっ!」の言葉はかなりのトラウマ。
えっと、これだけだと何の役にも立たないな…
号泣する娘を「びっくりしたのかな〜?」とか「悲しかったねー」とか、
慰めつつフォローしてくれた母には感謝しています。
今ではネタ扱いされてるがw
保育園で男児と並んで立ちションする格好して尾股ビチョビチョにした事ある 将来生えてくんだろと本気で信じて また同じ事繰り返す女児だった
うちの息子が三歳になる前の話し。 オシッコは?って何回聞いても、ない!って言いはって漏らしてた。 ある日、旦那がそれを見ていて「ああ、俺も息子ぐらいの時オシッコ聞かれるのイヤだったなー恥ずかしくて。」と懐かしげに言ってる。 試しに息子に小声で聞いて見ると、小さく頷きそのままトイレに連れていくと無事に成功。 人前でも関係なく大声で確認されるのが恥ずかしかったみたい。 デリカシーのない母ですまん。 それから聞かないようにしたら、自分から私を引っ張ってトイレに行くように。 簡単にオムツ外れてしまった。 私の記憶じゃないのでスレチかもだけど、旦那の記憶が役にたったので書いてみました。
>>732 うわあ〜〜〜目ウロコ! いい話きいた。
旦那さんをはじめとする男性陣の話って参考になる
うち男児だからさ。つい男児なんてうんこちんこ煩いから恥ずかしいとかないだろうとか
思うところだった。
三才まえくらいの事。か行が言えなくて両親にからかわれるのが、ほんとに辛かった。 まくらをまつらとしか言えないことをにやにや何度もからかわれてた。 自分でも間違いをわかっているのに口がうまく動かないんだよ!と思ってた。
>>734 うちの息子が「だめ!」を「ばめ!」って言うので
つい笑っちゃうんだけど、気をつけようと思った。
自分もからかわれるの、すごくイヤだったのにね。
思い出させてくれてありがとう。
736 :
名無しの心子知らず :2012/01/23(月) 13:55:48.52 ID:NbwBY7un
過疎ってるからあげてやるからな  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ age (・∀・ ∩ age (つ 丿 ( ヽノ し(_)
あるあるw ちょっかいだしたり絵本をなんでも子供の名前で読んだり、用もないのに名前読んでみたり、ふざけて〜たんとか〜ぽんとかアホみたいな呼び方してみたり… 考えてみれば幼児でもすごい嫌だったなあ。 でも可愛いからやっちゃうんだよなあ… ちょっと気をつけよう。
母が遠くの親戚と電話で話す時、よく「お変わりありませんか?」と問いかけてた。 当時自分は3〜4歳で、「お変わり」=「ご飯のおかわり」だと思い込んでた。 おかわり欲しいって言われたら、お母さんは届けてあげるつもりなのだろうかと、訝ってた。 その内、どうやらお母さんは親戚が元気か確認してるようだ、と理解して、 「ご飯をおかわりしたか」→「おかわりできるくらいに元気だ」→「良かった」 と会話しているのだと解釈していた。 なので、子供が微妙にとんちんかんなことを言い出したら、似た言葉と混同してる可能性があるかも。
寝るのが怖かった。 目が覚めて違う部屋にいたり、明るい空が暗くなってたり 暖かい部屋が少し冷えてたり、隣にいた母がいなかったり 鳴ってた音が止んでたりするのが怖かった。 今思えば、起きたら身の回りの状況が変わってしまう事は、無知な私には世界が変わってしまったくらい大袈裟な事であったし 時間の感覚や理解がないから、私はその時々の外の明るさやご飯のタイミング、散歩 お風呂などが1日を大まかに区切り、時間という概念はなく、とても曖昧に生きていた事も思い出した。 と言うのも、この間気を失い、目が覚めた時のパニックがとても懐かしい感覚で 上記の事を鮮明に思い出した。私は3歳まで寝ない子で、母はノイローゼに陥って入院したりしていた程。 なので、寝ない子は時間の感覚が身に付くと、マシになるかも。
>>740 うちの子が寝ないのは毎日ズレズレだからか・・・!
幼い頃、玩具屋で母におもちゃをねだると当然希望は却下されて、怒られるんだけど それでも欲しいと粘る。 そうしたら母は折れたのか呆れたのか『じゃあ、コレを買えばいいんだね!?』と語気を強めに言うんだけど それが怖くなる。 買って貰ったら、その瞬間に母に嫌われて私が捨てられそうな気がしてそれが怖い。 だから『ヤだ!』って泣く。 母は『じゃあどうしたいの!?』って。 そんなこと言われてもどうしたらいいのか解らなくて、また『ヤだ!』って泣く。 そんなことを母と話してて思い出した。 当時の私は怒られて嫌われそうで怖かったんだけど、当の母はそのイヤイヤ期が可笑しくて仕方がなかったらしい。
>>742 なんか分かる。
親の言うことに反抗すると叱られるんだけど、好きにしなさい!って言われるとうごけなくなるよねw
昔、お絵描きせんせい(磁力で絵が描けるアレ)が欲しかった。 絵を描くのが好きな私には、無限に描けるアレは何よりの憧れだったが ねだっても却下された。 たまに買ってもらえる落書き帳には表紙から裏の厚紙まで、裏も表も隙間がないくらい絵を描いて それが無い時には、古新聞から裏の白いチラシを探しては描いてた。 だが元漫画家の母の影響で、私含め三姉妹全員が絵を描くのが好きで裏の白いチラシを取り合うのだが 四歳上の姉には体格的に勝てるわけもなく、三歳下の妹は泣くから勝てない。 敗けた私は、壁に床にシーツに家具に愛犬に妹に…果ては自分にまでクレヨンで落書きしては怒られた 他に描く物があればあんなものには落書きしなかったよ! いつか子供が生まれて、その子が絵を描くのが好きだったらとりあえずお絵描きせんせいを買おうと思う。 あと昔からすごく涙腺が緩くて、少しの事で泣いてしまうんだけど その度『泣いてもダメ!』って叱られるのが嫌だった。 好きで泣いてるんじゃないし、私だって泣きたくないのに なのに『またそうやって泣けば許されると思ってるんでしょ』的な事を言われるのは、すごく不服だし屈辱だった。
両親じゃなくおばさんなんだけど 注意されて、自分ではちょっと納得いかないことだったけど、おばさんが怒ってたから我慢して謝った。 すぐに謝ったし何度も謝ってるのに、おばさんは何度も同じことを言って責めるので、私は泣き出してしまった。 そしたらおばさんは部屋を出ていってしばらく戻らなかった。 戻ってきた時には私ももう泣き止んでいて、おばさんは自分の言い分をまとめて「次からは気を付けるように」というようなことを言って話を終わらせた。 自分の言い分を話せないまま納得いかないまま終わったのでおばさんに対して不信感が残った。 泣かれると面倒なんだな、とにかく言うこと聞かせたいんだな、この人には私の気持ちなんてどうでもいいんだ、とか思った。 その後おばさんに会っても聞かれたことに答えるだけで 近寄らなくなったし、その場の「嬉しい」や「悲しい」もおばさんには伝えようと思わなかった。
4、5歳くらいのころ。「0」って概念がよく分からなくてぐるぐる悩んだ記憶がある。 保育園で数字を習って家でそれについて思い出してた。「ゼロ、いち、に、さん、し…」 先生に「いちはこれが(リンゴの絵を一つ取り出して)一個です。コレを食べちゃうとゼロになります。」と言われた。 そうかそうかゼロってなんにもなくなっちゃうことなのか。なんもない…あれ?でもゼロがあるよ。これは何?何もないのにゼロがある。なんだ?1より小さいものってあるの?ゼロはなくなることだから小さくないよ? ってな感じです。 今じゃメンドくさくてそんなこと考えないけど、子供の頭の中って「どうして?」でいっぱいだったなぁと思い出した。
絵を描くのが好きだったけど、「上手だね〜何書いてるの?」と言われるとムカついた。 『何書いてるか分からないくせに上手とか口ばっかり!』と思ってた。 そもそも何か具体的なものを書いているわけではなく、ただ線や色をきれいだと思って描いていることも多かった。 想像上の人を描いてるだけなのに、大抵「誰描いてるの?ママかな?」とか言われるので嫌だった。 『「何」とか「誰」とか、大人は具体的なものにしか興味がないのか。私は自由な世界を楽しみたい』という感覚だった。 ちなみに何を書いたか言いたいときは、自分からこと細かに解説してたw 自分の子には、「きれいな色だね」「いっぱい描いたね」「絵を描くのが好きだね」とか、 私が感じたことや事実だけを伝えて、あまり踏み込まないようにしている。 子供がどう思ってるかは分からないけど。
テスト( ̄□ ̄;)
昔の記憶は自分が何歳だったかわからないものが多いけど、誕生日のことははっきりと年齢がわかるから印象に残ってる。 うちは何か祝い事があると近所のお寿司やさんから注文していた。 私が二歳になった日もそうで、チャイムが鳴ると喜びいさんで玄関に出たはいいけれど、知らない人に緊張してしまい何もしゃべれなくなった。 優しいお寿司やさんが「こんにちは、かわいいね、いくつ?」と話しかけてくれたので、おそるおそる人差し指を一本立てようとして、あっそうか私はもう二歳だと思って中指も追加で出した覚えがある。 言葉や数の概念は、理屈じゃなくて感覚で理解していた。 だからまだわからないしとせずに、あなたはいくつになったんだよとか、たくさん話しかけてあげたいなと思う。
チャイムで出るで思い出した。 なぜかお客さんが大好きだったw ピンポーンを聞くと全力ダッシュ。 しかし玄関までの道のりは曲がりくねっていて、それをよけて通る技量がなかったorz なのでまず全力で冷蔵庫に激突→納戸の扉に激突→玄関ドアに激突してドアあける頃には号泣w でも、お客さんくるのはなんかすごく嬉しかったんだよ…
>>750 人見知りしないタイプではないですか?社交的というか。
息子が4歳で人見知りなし、悪く言えば誰にでも馴れ馴れしく行くタイプで、お客さん大好きだ。
ちょうど妹(2歳半違い)の誕生日なので妹の生まれた日のことでも。 私は病院の廊下の長いすに座っていて両隣には父と父方祖母がいた。 でも、とにかくそのとき眠くて眠くてコクッと意識が遠のいては父や祖母に 「もうすぐ妹ちゃんとお母さんが来るから!」と無理やり起こされてイライラしてた。 そのうち、母が現れて妹を見せながら「私ちゃん、妹よ〜」と言われたのを覚えてる。 でも、相変わらず眠いしなんかくしゃっとして「可愛い」とは程遠いし ものすごく変な臭いがするしで最悪の初対面だった。 「眠いのをこんなに我慢してまで見るものなのか?」と思ったけど 周りの大人が「可愛いね〜」とか「妹出来てよかったね」とか言うから 一緒になって「かわいいね〜」と言ったのを覚えてる。 こうやって書くと嫌な幼児だ…。 案外幼児も気を遣ってるってことで。
私は小学校時代の記憶さえもほとんど無いんだけど、 すごく覚えてる3歳頃の記憶を…。 いつも通り幼稚園に行って帰りのバスに乗る。 バス降りる場所まで母が迎えに来るんだけど、 突然現れたぐるぐるパーマの母にびっくりして、先生にしがみつき大泣きしました。 髪型すごーく変えるときも、いきなりはトラウマになりますw 事前お知らせとかあったほうがいい感じ。
>>740 産まれたすぐって寝るのが怖いって聞いたことがある。
死ぬ感覚と似てるんだって。
4才くらいのときに親と動物園に行った時の記憶。 トリ全般が苦手で、特にクジャクが怖かった。 たまたまクジャクの前を通りかかったとき、クジャクが豪華な羽を広げてた。 親が「ほら、クジャクさんが〇〇ちゃんに見てほしくて羽を広げてくれてるよ〜」と言った。 自分は、気持ち悪いとか思ってごめんなさい、 せっかく羽を広げてくれてるのにきれいと思えずごめんなさい、と ひたすら心の中で謝り倒していた。 というか動物園は動物がかわいそうな気がして苦手だった。 シロクマとか、日本じゃ暑いだろう絶対。トリだって飛びたいだろう。檻とかなんなの。 大人は子供を動物園に連れて行きたがるけど、 もし自分の子供が動物園をあんまり喜ばない様子だったら、無理強いしないであげたい。
2歳半までアメリカにいて親が離婚し、日本に帰ってきた。 親は私をバイリンガルにしたかったようで、英語を忘れないようにと 英会話教室に通わせた。けれど私が嫌がり1年くらいで辞めた。 当時の私は幼稚園でも英語を使っていたけれど小学校あがる頃には 英語をどんどん忘れていき、母はガッカリしたそう。ここまでは親に聞いた話し。 学生時代は、英語の成績は普通より下で、聞き取りも別に得意じゃなかった。 しかし子供を産み、英語で遊ぼうという番組を子供と見ていたら クイズの場面で子供に自然に「go ahead」と声をかけた。 なぜだか、私は英語で遊ぼうの英語は聞き取れるし 受け答えも出来る、この事をアメリカにいる親戚(日本人)に話したら その番組は知らないけど、あなたが話そうとしているのは幼児の話し方だよ。と教えてくれた。 だから、忘れたんじゃなく使わないから記憶の片隅に追いやられたのかな。 良く、忘れるから小さい子供の英語教育はムダとか言うけどムダじゃないと思う。 小さい頃に習った童謡が、今でも直ぐに歌えるのと同じ様に、英語を引き出せれば良いのだけれど。 スレチだったらごめん。一応、幼少の記憶(英語)が残ってたと言う話です。
>>757 それ、日米逆のケースが『日本人の知らない日本語2』に載ってた。
ヒゲのおっさんなのに幼児語満載の日本語が使えるという
向こう側に手をでん!てついて戻っておいで! 戻ってきたらチョコあげるね。 そう言われて弟と一緒に広いグランドの向こう側にいって手をついて、戻ってきたらお母さんはいなかった。 それから一年、お母さんとは会えなかった。 じいじ、ばあばと暮らした。 父の借金返済のため、母も働くために私たちは預けられたわけだけど、 私たちの泣き顔を見たら、離れられなくなると思ったのか、こんなやり方で母は私たちをおいて、都会へかえった。 ウソはいけない。 子供心に、ちゃんと言ってくれたらわかったのに。 ちゃんとお別れしたかったのに。 そんな後悔ややりきれなさを感じながら一年すごした。 当時5歳。 それから実のじいちゃんに火傷などの身体的虐待をうけ、親戚たらいまわしの一年だったけど そんなことより、お母さんに嘘つかれたことがショックだった。 おいてかれたことじゃなく、 戻ってきたら待っててくれるって言ったのに、騙して都会にかえってしまったことのほうがショックだった。 だから自分の子供には、どんな小さなこと、理解できそうにないこともきちんと話して嘘はつかないときめてる。
幼稚園くらいのとき熱を出して寝こんでいた。寝ているのに部屋がグルグル回ったり、部屋の家具が大きくなったり、小さくなったりした記憶がある。 今考えたら目眩がしてたんだと思う。 あと夕方自転車の後ろに乗っているとバイクの音が聞こえてきて恐怖を感じ、母にしがみついた。 ちなみに今でも夜にバイクの音を聞くとビクビクする。
>>754 中学生になっても恐かったな
赤さんが眠りに落ちる前にほぼ毎回絶叫するのもそのせいか
763 :
名無しの心子知らず :2012/02/16(木) 21:29:38.13 ID:0dadTsDH
うわあぁぁぁぁん 低月齢スレから来て読んだら うちの3ヶ月に色々とかわいそうなことをしてたなと気づいたorz さっそく、子のあうあうを真剣に聞いて笑顔で相槌を打つようにしたら 目を輝かせてキャッキャとはしゃぎながら話してくれるようになった 今読めて本当によかった みんなありがとう 主に一歳以下の記憶のある方に質問なのですが ・立ってユサユサだっこで寝かしつけるとき、黙っているのと歌っているのはどっちがいいでしょうか? ・父に子を頼んで母は短時間外出というのはどんな気分でしょうか? やはり寂しいですか? 父は普段から毎日子と遊んでいて、子もいつも笑顔を見せています。おむつも換えます 参考にしたいので教えていただけたらと思います
ごめんなさい、ageてしまったorz これだけでは何なので、自分の記憶。 幼稚園生の頃、夏休み中は帰省先で保育園に預けられてたんだけど お昼寝の習慣がなかったので、お昼寝の時間にはほぼ毎日全く寝付けなくて暇だった というか、さっきまで一緒に遊んでたときは、みんなと心の距離みたいなものをすごく近く感じたのに 自分は眠くないのにぐっすり寝てるみんなは、自分とはすごく異なるもののように感じた 昼寝の時間も起きてる保母さんが、この空間の中では一番自分と似た、理解しやすい存在だと感じた 良くも悪くも評判が筒抜けな田舎の保育園だったこともあり、ギスギスしたことはなかった気がする あとは、帰省先のある家庭について。 小梨の老夫婦の家庭なんだけど、旦那はのびのびして奔放なんだけど 奥さんは一歩引いてるというか、遠慮がちというか、妙に影があって 理由はわからないけれど二人のことを夫婦と呼ぶのは強く抵抗を感じていた でも「口にしてはいけないことだ」という印象を奥さんから受けたので 誰にも言わなかった 大人になって、私の知っている奥さんは二号さんだった(旦那の本妻は別にいた) と母から教えられて納得がいった 最後にその家を訪問したのは5歳の頃なので、幼すぎてわかるわけないよと母は取り合ってくれないけれど わかったんだからしょうがない 子供は弱者であるせいか、違和感を感じ取る能力はすごく高いと思う 幼児体験ってテキスト化しようとしても綺麗な日本語にならない……。
>>757 を読んで早期英語教育は無駄かもな〜って思った。
私は主に必要なのは受験英語とビジネス英語だと思うから。(メーカーで海外部門でした)
ネイティブみたいな発音は要らないけどヒアリング力は付けてあげたいと思ってたんだけどな。
役にたったよ、ありがとう。
766 :
名無しの心子知らず :2012/02/17(金) 01:40:28.37 ID:fA9xEzyG
3歳の頃、母がコップに牛乳を注ぎながら 玄関と居間を仕切る引き戸を脚で開け閉めして 歩いてくるのが、とてもかっこよく見えた。 ある日、自分で牛乳とコップを持ってくるように言われた私は かっこいい姿を真似しようと、胸をときめかせて 牛乳をコップに注ぎながら歩いて…… もちろん失敗してこぼして、母に「何やってんの!」と激しく叱られた。 それで「冒険は失敗すると怒られるから失敗しないように」と学んだ私は おてんばだったので、その後いろんな冒険をしたけれど 失敗するようなことには決して手を出さない人になった。 これがたぶん原初の記憶。
初めて覚えた言葉は何故か「ぜんぜん」だった。 大人たちが面白がって「私子ちゃん、かわいい?」とか聞いてくるんだけど、 ここではぜんぜんって答えておいたほうがきっと喜ぶんだろうなぁ…って なんか空気読んでた記憶がある。 他に言葉を知らなくても、頭の中では考えたり気を遣ってたりするもんなんだね。
一番最初の記憶は、お墓にお参りに行って親が目を離したすきに 卒塔婆を何本か抜いたこと。ズボっと抜けてすごく爽快だった。 どうも3歳の時らしい。 空がすごく青かった。卒塔婆を抱えながら「青!青!きれい」と思った。 卒塔婆を抱えて上機嫌な私を見つけて、親は狼狽したと思うのだが、 親の反応は全く覚えてない。
豪快な記憶だねー
www
あんなもの、3歳で抜けちゃうものなのかぁ! うちは月2回はお墓参りするから、子が成長してきたら気をつけよう。 うちのお墓には卒塔婆がない(浄土真宗?)から、よそのお墓の卒塔婆に興味を持ちそうだ。
横断歩道をわたっている時に、歩行者用信号が点滅し始めて赤になったから、赤になったところで止まった。 道路の真ん中だから、邪魔にならないと思った。 (テレビで真ん中が植え込みになってる道路を見たことがあるので、それと同じだと思ってた。) 親に担ぎあげられて運ばれながら叱られたが、「ちゃんと真ん中でテレビでもやってる止まり方なのに!」と内心ムカついてた。
母親が三人目の妊娠のとき初期流産した頃の話 下の兄弟とは二年半離れているので単純計算で私が二歳くらいの記憶だと思う トイレに居た母はおもむろに近くに居た私をドアを開けて呼び寄せた 便座から立ち上がった母は中を覗かせ「これが赤ちゃんだった」と話した 真っ赤でなんだか分からないものだったがとにかく気分が悪くなった こういう親はそうそういないと思うが、知識がない子どもに性教育したところでなんもないので気をつけて 逆に最近友人宅で出産のドキュメンタリー(CGも使う)をそのうちの4歳の子と観た 最近は赤ちゃんごっこにはまっているらしく胎児の真似をして床に伏せたり、 母親の服の中に入って遊んだりしていていいな、と思う
ごめん、二歳ってことはないな 一歳半くらいかな
家にあった着せ替え人形の、寝かせてると目を閉じて起こすとキョロンと開く目が怖かった。 でも母も周りの「女の子だからお人形さん好きよね」という雰囲気を感じてちょっと可愛がって みたりしたが内心あまり楽しいとは思っていなかった。 そのうちに「あんまり人形を粗末にすると祟られる」みたいな話をどこからか聞いて ほったらかしにしてた人形が怒ってるかもと怖くなり、しばらくは義務のように着せかえたり ごっこ遊びをしてご機嫌を必死でとったりしていた。 ほったらかし→必死のご機嫌とり→ほったらかし→ご機嫌取り というループをしてたわけだが ご機嫌を取っている時は内心「ほっといてごめんなさい、祟らないで!悪かったよ!」と謝り倒していた。 周りから見たら只のお人形好きの女の子だったかもしれない。 しかし「ヤベ!最近お人形さんと遊んでない!怒ってるかも」と気付いた時の心の底が冷えるような恐怖感は 覚えている。
>>766 の冒険で思い出した。
3〜4歳のころ。
炬燵でお味噌汁を飲んでて、
「お茶碗を持ったまま体を反らしたらどうなるのだろう」と思って、
座椅子の背もたれに沿って体を伸ばしたら、ぬるくなったお味噌汁が体と床にこぼれた。
結論
・お味噌汁が入ったお茶碗を持ったまま動くと零れる。
・布に零れたお味噌汁は臭い。
・この実験は面白くなかった。
オチはないけど、変な実験して学ぶこともあるということでw
一番古い記憶は2歳なりたての頃。 足を全開に座っている時に写真を撮られ、その時母に「パンツ丸見えで恥ずかしいから足閉じなさい」と必死に言われた記憶。 だけどパンツ丸見えの何がいけないのか理解できなくてシカトしてた。その写真が残ってる。 他にも覚えてるのは3歳の七五三の時。 どうしても足袋を履きたくなくてごねまくって婆ちゃんに散々怒られたけど結局履かなかった。 自分には足袋が最高にダサく思えて、あんなの履くくらいなら怒られてる方がマシと思ってた。幼いながらにポリシーがあったらしい。 あと未だに引きずってるのは幼稚園の頃。 大きくなったら何になりたいか先生に言って作品をまとめたやつの表紙に書いてもらうんだけど、特になりたい職業がなくて前に並んだ子と全く同じ回答をしたら先生に怒られたこと。 そんな急に言われても選べないし、長く働くならどれがいいかとか考える時間をもっと頂戴って思ってた。 なんか変に現実的な子供だったなぁ…
778 :
名無しの心子知らず :2012/02/18(土) 19:57:00.38 ID:8gV+iCJN
たぶん3歳ぐらいの頃 長机を2つか3つ並べて両脇に座布団を並べてずらっと人が座る×2列の 宴会の席でいろんな人に構ってもらったんだけど そのテーブルが無限に長かったような感じに記憶している。 向こうの端は遠すぎて闇に吸われて見えません、みたいな。 だからってそれが怖いともテーブルが長くてすごいとも思わなかったんだよな。 端が見えないほど長いという事実がそこにあるだけで。 宴会自体は、なんか人が笑ってたり歌うように騒いでたりでやたら楽しかったような気分と 数秒のカットをいくつか憶えているだけ。 今はもういないばーちゃんが楽しそうに喋って金歯が見えてたーとか。
>>778 似たような経験がある
親戚が旅館を経営していて、建物の廊下が無限に続いていると錯覚していた
自分は怖くて、一人では廊下の奥の部屋に行けなかったな
おばあちゃんちが建て替えする前だから3歳くらいだと思うけど おばあちゃんちに泊まると必ず幻覚みたいなものが見えてた。 お母さん達は居間で話してて私だけ客間で寝てる感じなんだけど 天井がゆがんだり降りてきたり、飾り物が大きくなったり小さくなったり、 手をかざすとずーーーっと伸びたり。 アリス症候群みたいな感じ。 小さいおじさんが歩くのも見えた。 でもおばあちゃんちのあの部屋でだけなんだよね。 だからおばあちゃんちに泊まるのが怖かったです。
幼稚園へ入る前、カーチャンと一緒に 神社に行けばぎんなんを拾って持ち帰り 河川敷へ行けばつくしを引っこ抜き 線路脇の枠の内側に昼間から堂々と侵入しては ノビルを引っこ抜いてた カーチャンはそれを夜の食卓に乗せて得意げに言うんだよ 「こうやって調理するとおいしく食べられるんだよ」 って 食材が買えないほど貧乏な家ではなかったので 戦前生まれのカーチャン流の食育だったんだろうけど 昭和60年代の東京のベッドタウンでは激しく浮きまくりで 線路の柵の外を談笑しながら通る親子を見ては あんなふうにまともになりたいなー、とうらやましく 思いながら、土まみれでノビルに目を輝かせて私を呼ぶ 母につきあったのを憶えている 教訓:食育は家庭菜園で。
はっきりは分からないけど玩具のラッパが吹けなかったから1歳なってないと思う 息を吹いたら音が鳴ると理解はしてたし吹きたいんだけど吹けないって感じ 親がお手本してくれるのをイライラしてた 吹けるようになってからはラッパが大好きになった でも親が「あー唾がたまってる…汚いなぁ」と洗ってるのを見て 汚いと言われたのがショックでそれからラッパで遊んだ記憶がない
784 :
名無しの心子知らず :2012/02/19(日) 19:35:43.48 ID:LdtUFGS/
>>776 を見て思い出した。
小学生の頃の話だからスレチかもしれないけど。
給食のポタージュスープをすすっているとき、ふと
息を吸うんじゃなくて吐いたらどうなるだろうと思って
実験してみたら、ポタージュはぶふぅと飛び散って
向かいの席の子の机にまで飛んでいった。
何が面白いのかわからないけど、今ここで思い出しても
妙に面白くて笑いがこみ上げてくる出来事。
ageてしまった ごめん
>>763 私は歌ってもらった方が良かったよ。
母の声が大好きで、聞きながら眠りにつきたかったな。
厳密には歌じゃなくても良かったけど、母が聞き役になっちゃうと声が聞けないから
「お母さん喋ってー」と催促した…
実際には「お父さんと話をすると、うにゃうにゃ文句言ってた」そうです。
自分では幼稚園ぐらいな気がしてたけど、親が言うにはもっと幼かったらしい。
>>742 >>745 イヤイヤ期の2歳児にひどいことしてたかも、自分。
不信感をぬぐえるよう頑張る。
>>786 私も賑やかじゃないと眠れなかった。歌でもお話でもテレビでもいいから聞きながら寝たかった。
うちの母は若ママwの走りで遊びたい盛りの10代で私を産んだから、父が当直で夜いない日を狙って子供を残してよく出歩いてた。
寂しいと泣いたらお話のレコードをかけて「時間がきたら勝手に切れるからそのまま寝てね」って出て行ってたわ。
なぜか聞いてる内に眠くなるんだよね。今は音があると眠れない、正反対の体質になりました。
うちは幼稚園くらいまで寝る前の読み聞かせタイムのあと、電気を消して母自作のお話を聞くのが習慣だった。 たぶんドリトル先生やエンデのぱくりみたいな話だったと思うけど、お菓子の国や海底や森で冒険したりいろんなキャラと出会ったりしてすごく楽しかった。 二年くらい続いた大長編だった。 母が先に眠くなっちゃうと大根だの人参だのの話にいつの間にかすりかわっちゃうんだけどww 今子供に同じことしてあげようと思ったら、頭まっしろw 母はなんであんなに滔々とそらで物語を語れたのか… 童話作家にでもなったらよかったのに。 今さら母の才能に驚いた。 息子にもやってあげたかったな。
>>789 きっと読書家の母上で、いろんな引出しがあったのでしょうね。
私も母が「名前の無い竜」というお話をしてくれて、
すごく気に入ってまた話してとせがんだら
「そんな話したっけ?」と本人が忘れててしょんぼりした記憶が…orz
いいことをしたら神様から名前がもらえて、空にのぼれる…
みたいな話だったんですが。
>>790 わぁー凄い素敵な話。そんな絵本あったら絶対買うのに
792 :
763 :2012/02/20(月) 19:33:12.81 ID:6KPllh/Z
>>786 やはり声を聞きたいものなんですね
母としては、下手に声を聞かせるとヒャッハー!しそうなので
黙って寝かしつけたいところですがw
余裕があるときや寂しがらせてしまった日だけでも歌ってみます
とても参考になりました ありがとうございました
>>789 うちは子が生まれてから替え歌が爆発してる
あわてんぼうのサンタクロースがトナカイと馬を間違えてソリが空を飛ばなかったり
帽子を忘れてつるっぱげの頭を晒したりしてるよ
生まれるまでは替え歌なんて作ったことがなかったのに、不思議
このスレ参考になる。最近子供が私が起こる度すぐにごめんなさいをよく言うようになってなんとなく危機感を感じてたけど、もっと真剣に向き合わないとって思った… 私の記憶。 母が化粧するのがすごく嫌だった。 普段は化粧っ気のない母がする化粧は全然顔に似合ってなかったし、何よりそういう時はだいたい私のピアノの発表会とか入園式とか人がたくさんいる場所に行くときだったから。 母は人付き合いが苦手だというのは当時小さかった私には分かってなかったけど、化粧をするときの母からはいつもとは違う怖い緊張したような雰囲気が漂ってた。 いま考えると母はそういう場が苦手だったんだなって思った。 化粧だってそんなに頑張らなくても周りより若かったし父親似の私とは違ってかなりかわいい顔立ちだったんだから気にしなくてもよかっただろうに、がんばってくれたんだなって思う。 化粧にいい思い出がないから私は化粧全然しません。 化粧をするとブサイク(表情が硬く)になるってイメージがどうしても拭えないから。
794 :
名無しの心子知らず :2012/02/23(木) 22:14:36.76 ID:kSBK2XYD
保育園前だからたぶん2〜3歳の記憶。 家の中で座位を保って見上げている私。場所は和室。 喧嘩している両親。顔は黒く曇っていて見えない。 母親が父親をなじる。『だから、あなたは○○○なのよー!』 ○の中が記憶から飛んでいるがたぶん汚い言葉なんだろうな。 立って言い争っている両親の間に座って見上げているけど巨人に思えた。 今は、どちらも私の方が背が大きいけど。 結局は離婚して母親に引き取られたけど気分屋でヒステリー。 父親はなぜ母親を選んだのか理解ができない。 今でもどちらともしこりがあります。
皆さんよりも役立たないレスですが… 私が思い出せるのは4歳が限界 その頃流行っていたアニメのおもちゃを買ってもらえてすっごく幸せだった記憶 いつも姉のお下がりとか貰い物ばかりで自分が欲しい物をなかなか買って貰えなかったから嬉しかった あと服装がみんなはかわいい服なのに自分だけダサいから惨めだった 今思い出しても泣けるくらい その反動(?)で独身時代は姪っこに貢いだ 今は自分の子供に惨めな思いをさせないように気を付けている
>793 そういえば私も母が化粧するの嫌だったわ 「必要以上に化粧したり髪をきれいに整えたりするのはDQNビッチの所業」って思ってて いつ見ても同じ青いアイシャドウに雑な白塗りメイク。(どんな服かどういう場に行くかのTPOは関係なし) 綺麗になりたいとか可愛くなりたいって思うことが悪いことなのかと思ってしまい 私はかなりのモサブサに育ってしまったので、矯正するのが大変だった。 今は「お化粧ごっこする!」って言う二歳の娘の頬を、何もついてない栗鼠毛のブラシでコチョコチョくすぐるのが幸せ。
ここすごくためになります。 スレチですが、なかなか寝ない2才娘に対して寝ろ寝ろ鬼っていうキャラを作り、 電気を消しても遊んでいる娘に声色を変えて「寝ろ寝ろ〜」と言ってるんですが、 娘のトラウマになってもかわいそうでたまにしかできません。 参考までに、なまはげ とかの行事で子供の頃鬼や怖いものに追われた経験のある人の 記憶が聞いてみたいです。
私も母の化粧苦手だったな。顔云々じゃなくて化粧品の匂いがダメだった。酔いそうっていうか。 あと幼児期からだいぶ経ってるけど思春期に洒落っ気出すと冷笑する母だったから同級生がトイレであれこれやってても自分は人前で鏡見るのすら抵抗があった。 今は女の子はある程度ならお洒落した方がいいと個人的には思うので、自分の娘には普通のお洒落なら暖かく見守ってやりたい。
ポワトリン ちゅうかなぱいぱい クリーミーマミ 忍者タートルズ しゅしゅとりあん 日曜日の朝が大好きだったなー ポンキッキってずっとポンキッキだよね?
>>799 ひらけ!ポンキッキからポンキッキーズになったよ
ポンキッキってどういう意味だったんだろ
2〜3歳ぐらいの頃、服はいつも兄のお下がりだったので見知らぬ大人達から「僕いくつ?」と、男の子扱いされて嫌だった。 女の子らしい服を着たお友達が羨ましかったけど、でもそういう服を着たいと親にねだる事はなんとなくしなかった。 自分が大人になってから、フリフリの服を着せてもらえなかったよね!と母にちょっぴりクレーム入れたら、 だってアンタ全然似合わないんだもの〜と笑いながら言われたorz 確かに写真見たら、唯一の一張羅ワンピースよりも男児服のほうが断然似合ってる。 女児の母となった現在、子供には可愛い服もボーイッシュなのもいろいろ着せたいと思ってる。 でも、フリフリなのは母譲りでやっぱり似合わないだろうなw
子供を産んでから外へ出なくなった母は化粧もしなくなったので 私が2歳ぐらいの頃には鏡台は埃まみれで しまってある化粧品はすべて、悪戯する気も起きないほど汚く見えて 触らなかった。 そのせいか、化粧品に抵抗があって、スーツでも着ない限り すっぴんで出歩く大人になった。 口紅を唇に塗るとか気持ち悪くて無理。 チョコレートを塗った方がマシ。 お化粧に心ときめかせてみたかった〜。
ぽらけ!ヒンキッキもいいよ。 メロンパンのうたにハマったわー。
小さい頃、押入れの中やコタツの中、ちゃぶ台の下とかに兄弟で潜って遊ぶことが好きだった 大人たち(特に母)は「そんなところ入らないで!」「(布団とかが)ぐちゃぐちゃになる!」とかそういう注意の仕方で 子どもたちからすれば「大人はこんな楽しいのがなんで分からないんだろう」って思考回路だった でも、祖母がそんな私たちに、入り口(押入れの戸やコタツの布団)を開けて「お化けが出るぞ」とぼそっと注意したのが一番効いた しかも、言い終わるやいなや入り口閉めちゃうから、途端にそこが怖い感じがしてきて 何度かやられているうちにそういうところ入るのはやめました 想像力の芽生えてくる子どものいたずらにぜひご活用ください
>>800 ありがとう!
なんかそういえば途中で変わったような。。思い出せなくてモヤモヤしていたw
大江千里の夏休みの歌が当時私にヒットしていたんだよなぁ。
産院で、周りは真っ白に見えた まだ目が利かなかったからだと思う 時々カーチャンの顔がぼんやりと見えて、もしかしたら 顔より匂いや声で判別してたのかもしれないけど とにかく、カーチャンに気づいた途端 「あ、カーチャンだ」って、頭の中に電気が点って 世界始まった! みたいな気分になる カーチャンがいないときは騒々しい海の中で 無限の時間を漂ってる感じだった(母子異室) 入浴のお湯はなんかぬるぬるしてた たぶん石鹸の記憶だと思う
このスレいい加減書籍にして欲しいレベル 2chどころかネットに興味無い友人にも一読して欲しいくらい 贈り物に2chてのもアレではあるが
書籍化希望 ノ
>>804 こたつに頭まで潜って丸くなって寝るのが大好きだったなぁ。
点いてるときのこたつも好きだったけど、点いていないときのこたつはすごく安らいだ。
うちのこたつ布団は赤くてさ、潜ると微妙に赤い光が抜けてきて
赤黒くて暗くて静かで、でも生活音が遠くに聞こえて、そして落ち着く狭さだったんだよ。
時間の流れも曖昧になって、ひたすらにそこで安らいでいる感じ。
今考えると「それどこの子宮?」って思うw
布団をめくって外の光が差し込むと、現実に戻されるような感じがして残念な気分になったなぁ。
まずまとめブログにしないと。>書籍化
また印税でもめるぞw
印税もらっていいなら本にしてあげるょ
書籍化とか言い出すとネタ職人ががんばってしまうから、やめて
うん、職人はりきってるスレもあるもんね 雑誌の1コーナーとかなら「へーそうなんだー参考になるー」って読むけど、 単行本買うまではしないなあ。まるごと一冊このテーマでの本になると 変にスピリチュアル方向っぽいし。 ここで雑談っぽくぽつぽつ語ってるくらいがいいんだと思う 読ませたい人がいるなら印刷していけばいいじゃない
814 :
808 :2012/02/28(火) 16:29:12.48 ID:qM+ckm0f
あーごめん 荒れる元になっちゃったみたいだな、軽率な発言スマソ 友達にはこのスレのままお薦めするとしよう。 これだけでは何なので、記憶の話。 夏は布団を敷かず、畳の上へ直に寝る家だったんだけど 三歳ぐらいから、それが嫌で仕方なかった。 正確には、目覚めたときに畳の上にいるのが嫌だった。 人間は布団で寝るものなのに、寝るべきではないところで 当たり前のように一晩寝かされていたと感じて惨めだった。 眠るときは、寝場所について考える余裕もないぐらい眠くなって そのへんに転がって寝てたから、気にならなかったんだけどね。 子供には薄い敷きパッドみたいなものを敷いて、寝床を用意してあげたいと思う。
815 :
名無しの心子知らず :2012/02/28(火) 23:25:53.08 ID:BuJiKKtd
滑るから転ばないように注意しなさい 滑るから〜転ばないように〜 ずっと繰り返して、ほらっ!ほらっ危ない! みたいなことばかり言うから本当に転んだ。 母がごちゃごちゃ言うから暗示にかかったんだ、集中できなかったよ みたいなことを考えていた。 当時の話をしても母は覚えていない。 でも、旅先の出来事で、たぶん私が2歳なりたての頃だと思う。 だから私は、息子のことをなるべく黙って見守るようにしてる。
上の方にスレあったから思い出したけど、 男児をまだ小さいからって女湯入れるのもアレみたいだよね。 小さくても結構エロい感覚があるらしい。
小さい頃の記憶は生後半年くらいからある 座れるようになって祖父母宅に見せにつれて行かれた時のこと、初めて立った時のグラグラした景色 はじめてオマルに座った時に手をたたいて喜んでくれた母 幼稚園の頃のことは中学や高校と変わらないくらい覚えてる でも、子供と性格が違いすぎてあまり役に立ってないorz
>>817 離乳食って美味しかったか覚えていますか?
>>815 似てるような似てないような話だけど、
何か怒られるときに、あんたは総てがダメ!何やってもダメ!!ってのが
一番嫌だった。
転勤族で頼れる実家も遠く、父は仕事人間で色々イライラしてたんだろうけどね。
叱る内容はその時した悪い事のみで、他の事も持ち出したり、上記のような全否定とか
まるっきり関係ないことを持ち出さないようにしてる。相当トラウマったから。
携帯から失礼します。 私は第一子の長女で、あれは弟が生まれる前なので、おそらく2〜3歳くらいの記憶です。 豆電球の明かりの下で、いつものように母に添い寝で子守唄を歌ってもらっていました。しかしその日は 「私は、いつかずっと後になって、この時のことをすごくすごく懐かしく思うんだ。 その時になったら、いくら戻りたいと思っても、この瞬間には絶対に戻って来れないんだ。」 と、突然思い、寂しくて悲しくて泣いてしまいました。 当然母は、いつも通りに寝かしつけていただけなのに急に泣き出した私に驚いて、 「どうしたの?」と優しく頭を撫でながら聞くばかりでした。 私はそんなことを上手く説明できるわけがないし、ただただ優しい母に余計に寂しい気持ちが膨らんでしばらく泣き続けました、 という感じです。 割とはっきりと思い出せる記憶で、なんとなくずっと、死ぬ直前に走馬灯を見るみたいな話と重ねて、そのときの自分の意識が流れこんだんじゃ…!などとオカルトなことを考えていましたが、 このスレで、どんな小さな子供にもしっかりとした意識があるんだと知って、 今は、時間の流れをぼんやり理解した瞬間だったのかなと思っています。
>>818 覚えてますよ、嬉しそうに笑う母の顔とセットです
ピーマンはいくら笑顔で食べさせてもらっても苦くておいしくありません
母乳の味はあまり覚えてないけれど、兄弟が生まれた時飲んでみたら全然違う味で驚きました
あ、今はピーマン食べますよ
>>821 えっ兄弟によって母乳の味が違ってるってこと?
それともお母さんの食事によって毎回違うのを感じてたのかな
すごいなぁ
>>822 どうなんでしょうね?
もしかしたら一人一人子供に合わせてあるのかもしれませんね
食事によって味変わるみたいですよ
これは2才くらいまで飲んでた私の子供が言ってました
4歳〜5歳?くらいの記憶だと思うんだけど、 自分にしか見えない友達(仲間?)がいました。 5人くらいいて、それぞれが5本指の精霊のような感じで、 たまに親指さんと中指さんだけしか見えなかったり。 寝るときとかトイレのときとか、 周りに誰もいないときにいてくれて、 困った時はその人たちに相談しながら物事を決めていました。 いつのまにか見えなくなっていなくなってしまったけど。 今考えると、別に霊が見えていたとかではなく、 よくマンガとかで心の中の天使と悪魔が争っていたり するじゃないですか?あれに近い感じで、 心の中の別の自分に相談していたんだと思いました。 でも自分にはその友達の姿が見えていました。 もしお子さんが見えない友達の話をしたら、嘘ではなく 本当に見えるんだと思うので否定しないであげてほしいです。
母の教育方針で入園前から刃物扱うことを許されてました 子供用の包丁で料理を手伝ったりカッターで工作したりしました 私が親になってもとても持たせられるとは思えないけれど そうやって「大丈夫大丈夫」と何でもやらせてもらえたことはいい思い出
幼稚園の頃かな?入る前かな?曖昧だけどその頃の記憶。 夕方、遊びから帰ったら家の中にいるはずの母と妹がいない。 玄関に靴はあるのに。すごく不思議で家中探す。 夕方なので薄暗い家の中がだんだん怖くなって来て泣き叫んだと思う。 そしたら母が妹を抱えて笑いながら押し入れからヌッと出てきた。 ホッとしたと同時に「なんで隠れるの?」と疑問符。軽蔑さえした。 母は私を観察して楽しんでいたのだと思う。 私は、そのときの、孤独と恐怖、寂しさ・・・なんて言っていいのかな、 今でも思い出すと悲しくなる。 そして子供ができたら絶対に隠れたりしない、いつも安心させてあげられるように 声をかけたりストレートな愛情表現をしよう!と心に決めていた。 今、1歳の男の子の母です。 家の中で、カーテンの中に隠れて息子が私を探す姿を観察するのがやめられません。 必死に探してる姿、だんだんと不安そうになる表情がすっごく可愛いのです。 ギリギリまで待って飛び出て喜ぶ顔を見て抱きしめる。 こんな遊びをしてしまいます・・・。 もう完璧ダメ母。 そろそろヤメないと私と同じトラウマを植え付けることになる。 もうしません。
>>827 大丈夫。
もうトラウマは植わってるよ。
そういうイタズラはされたことないけど、そういう夢は頻繁に見てたなぁ… 起きて両側にお母さんとお父さんがいて、安心して泣きながら二人の手をにぎってた
>>826 に似てるけど、初めて包丁を使った日のことを思い出した。
大人の包丁でしかも人参w
ストン、おろしたら指切った。
感触を覚えてるけど痛かった記憶はない。
母に聞くと3才だったらしい。
自分の子には子ども用を使おうと思う
子供用って切れづらくて逆に危ないって聞いてたけど、今のは違うのかな
>>819 と似たような話だけど、
家で何か失敗したときに、
「どうせあんたは外(幼稚園)でもそうなんでしょ!!」と怒られるの嫌だったな。
あ、同じく 大人になって鬱になったが、事あるごとに母親のそういう罵声が 蘇って寝られなかったりした
母と歳の離れた姉にかわかわれるのがすごい嫌だった。 本当にくだらないことなんだけど、 たとえばちょっといじわるを言ってみたり、小ばかにしてみたり、 それで私がムキになるのを楽しんでいたみたい。 子供が困る顔をみて「かわいい〜」と楽しむ人多いみたいだけど、 言葉もろくにしゃべれない、反論も反抗もろくにできない、 そんな子供にとってそれは意地悪どころか心への暴力でしかない。 30年以上たった今も、私は母や姉を「私を馬鹿にする人」と認識している。 どうか、子供を怒らせたり悲しませることを、楽しまないでほしい。 それは、一生剥がれないよ。
>>834 私も同じだったよ。可愛い〜、っていう意味もあったかもだけど、なんか小馬鹿にされてるのをひしひし感じた。
ちゃんと喋れないのは当たり前だし、喋れなくても言ってる事は全部解ってるのにね。
>>834 すごく共感した
私がよく言われてたのは「なに言ってるのかわからない」「言ってる意味がわからない」
私は言葉を話すのが下手なんだ…説明をするのが下手なんだ…って刷り込まれて、思ってることをあまり口にしなくなった
学校に入ってからはちゃんと話を聞いてくれる人ができたから今はもう平気だけど、
それまでは本当に話そうという気持ちがわかなかったのを覚えてる
どうせ必死で説明しても伝わらないんだからって…
今も母と姉に何か大事なこと話すのは苦手
仲は悪くない方だと思うけど相談事なんて絶対しようと思わない
今、喃語を笑いながらオウム返ししてるんだけど そういうのって赤ちゃんからしたらどう思うんだろう? バカにされてるとかって思うのかなぁ
>>837 語りかけ育児の本に、喃語をおうむ返しすることが推奨されてたよ。
笑いながら、というのが、あざ笑うような感じでなければ何も問題ないと思うよ。
私が三歳になったばかりの頃。 ある日、かなり年上の姉が鞄に小さな四角いポケットティッシュみたいなやつをを入れていた。 姉に聞くとやっぱりポケットティッシュだと教えてくれた。 これは私がいつも持って行くやつより小さくてオシャレだ。 保育園でも持っている人を見たことがない。 私も保育園に持って行こうと服のポケットに詰めてたら、パンパンのポケットが母に見つかり全部取り上げられた。 そして代わりにいつものポケットティッシュを入れられる。 私はこの小さくてオシャレなヤツがいいの!!と怒ったら母が爆笑。 これはお姉ちゃんのオムツみたいなものよ、だって。 オシャレなティッシュはナプキンでした。 私はティッシュと勘違いしたことに赤面して泣いた。 今思うと思春期の姉は私になんて説明したらいいのかわからなかったんだろう。 でもはっきり教えて欲しかった。 母も笑わずに教えて欲しかった。 馬鹿にされたみたいでその時の恥ずかしい気持ちは今でも覚えてる。 子供の勘違いは可愛くて笑えるけど、笑わないで真面目に教えようと思った。
>>834 私は母と祖母だった。
ムキになって怒ると
「やぁねぇ、そんなの笑って済ませることでしょ?大人げない」
と、本当に言われた。
だから絶対に子どもはからかってない。
>>839 説明しづらいわなwでも気持ちはわかる。
子どもにも子どものプライドがあるんだよね。
母は私をくすぐるのが大好きだった 時々つかまえられては、 こちょこちょコチョオオオオ とやられる 私も楽しいと思う気持ちもなくはなかったが 本当につらくて本当にやめて!って時が かなりあり苦痛のイメージが大きい 辛いけど笑っちゃうもんだから 母もエスカレートし。。 でも大人だから、というか大人は完璧のはずだから ギリギリの所で加減をしてやってくれてるんだと思ってた 注意しないと可哀想だと思う
↑というか呼吸困難とか 起こり得るから危険だと思う
>>841 これは私もあった、と思ったので
おばや母は指の力がとても強かったように思う
くすぐってくることが度々あったが、
くすぐることに興奮すると次第に力が入っていく
それと、くすぐられ続けるのも結構疲れるもので「もうやめて」と
涙ながら頼んだりするほどだった
その涙も笑いすぎて出たものだろうと
真剣に受けてもらえず、段々苦痛で不快なのにやめてもらえず
興奮気味に伝えれば伝えるほど「楽しんでいる!」と
誤解され、最後は大泣きしていた
父がベッドで遊んでくれていたときも
布団で押さえつけられてマジで死ぬかと思った
「大声を出しても楽しんでいると誤解される。
ならば、全く動かずじっとしたほうが苦しさが伝わるかも」
と気付きぴたっと動きを止めた途端、父が布団から出してくれた
遊ぶ大人は、なんでもほどほどに
子どもから続けて欲しいとリクエストをされる程度が理想の加減かも
>>843 うんうん。ほんとそうだよね
もう一回、とか言われてないなら注意した方がいいかも
動きをピタっと止めればよかったのか~
なるほどw
もう一つ
町内へのお知らせが外から流れると、
母は聞こえやすいように窓を開け、
身を乗り出し聞き耳をたてていた
それが凄くかっこよくみえて、
私も放送が聞こえると窓を開けて
真似してた
内容は何も理解してないのに
フムフムみたいな表情も真似していたw
たしか5歳の頃、交通事故に遭った 母の自転車の後ろに乗っていたはずなのに、いつの間にか見たことのない狭いところにワープしていた 母の他にも人がいて、母は横を向いてその人と喋っている 自分は寝かされていて、どうも移動中らしい 何度か乗った寝台列車に似てるけどちょっと違う ええと……どうしよう。 とりあえず、泣いてみるか。 冷静にそう考えて、ぎゃーっと泣いてみた 母と喋っていた人がこちらに気づいて、名前や年齢を私に尋ねた 私は取り乱していたわけではなく、ただ泣いてみただけなので、すっと泣き止んで質問にすらすらと答えたら 尋ねた人は私に興味がなくなった様子で、私はつまらない気分になった 母の自転車の後ろに乗っていて、母が車と接触し、私は自転車から落ちて気絶。 救急車で搬送される途中の出来事でした。(私に質問したのは救急隊員)
交通事故、といえば 弟が車に轢かれそうだったとき、私たち兄弟は それを止められなかったことを思い出した 母と五人乗りの車で移動し 母は道路わきに車を寄せて停め道路を横断しある店内に入っていった 私たち兄弟は車で待たされたが飛び出しを懸念した母が内側から 開けられないようにロックしていった(運転席のみ出入りできる) 車の後部座席ではドア側を私たち上の兄弟が座り 真ん中の狭いところに当時3歳だったか、弟が座っていた 母が車から出て戻るまでの間、弟が這って運転席へ行きドアを開けて出てしまった すぐに追おうとしたが、狭くて運転席まですぐに回れず そのとき戻ってきた母が弟を助けた (ただし、弟は母の姿を見つけて駆け寄ったのでやはり危険だった) 母は兄弟の年齢差から、 「上の子が見てくれる」「任せられる」と判断しただろうが 思わぬこともあるので注意して欲しい
>>841 私もこちょこちょ苦手。
大人になってしばらくやられることも無くなってたけど
なんと旦那がこちょこちょ魔だった。
真剣にやめてって言ってるのにやめてくれず、
泣きながら罵声浴びせたことさえある。
こちょこちょ禁止でいいと思う。
特にしつこく長くやるのは拷問だわ。
自分が3歳くらいのころの写真の記憶。頭にリボンの付いたネコのぬいぐるみを抱っこしながら、そのリボンをしゃぶっている。おいしくはないけど味のするものを刺激として楽しむという感じだった。 漠然と体に悪いんじゃないかなという気もあったがやめられなかった。ツンとするシンナーみたいな味だった。 指しゃぶりも長いことしてたみたいで口唇期ってやつだったのかもしれない。
こちょこちょを楽しんでるか嫌だけど笑っちゃうかの判別方法 いつも笑うツボを見つけたら、不快で泣きそうなときや眠いときに試してみる いつ試しても同じように笑ったり身をよじるなら、楽しくて笑ってるわけではないので即刻やめましょう 楽しい気分でないときはうんともすんとも反応しないなら 楽しんで笑ってる可能性がわりと高いのではないかと思う うちの赤は、太腿をにぎにぎするのは前者で肩を軽くつかむのは後者だった 記憶じゃないけど、育児に役立て!ってことで投下
自分もこちょこちょとか 高く担ぎ上げられたりするの嫌だったなぁ。 嫌なのに笑っちゃうから止めてくれないんだよね… 子供に対してはそうしないよう、と思っていたのに うちの子はこちょこちょ好きだった。 こちょこちょする部位を指定してくるよ… あ、後父親にふざけて海に放り投げられた。 水にぶくぶく沈む感覚は未だに覚えてる。 怖かったというより、水面に上がった時 見知らぬ女性にぶつかった罪悪感と 一部始終を見て笑っていた 父親に対する不信感みたいなのが残ってる。
どう読んでも毒親にしか思えない行動オンパレード
担ぎ上げられるの嫌なのか! 私は女だけど、近所のおっちゃんに高い高いされてぶんぶん振り回されるのが 好きだったから、子供にもやろうと思ってたorz 担ぎ上げる腕の安定感の問題かなぁ 件のおっちゃんは肉体労働やってたから腕力に余裕ありまくりだったからなー
850です。 担ぎ上げられるっていうのは、 普通の高い高いならいいんだけど、 親の背中の方に頭を持っていかれるというか… 頭に血がのぼる感じです。 こう書くとうちの父親問題有りだなw もう故人だけど。 もう一つ。幼稚園位まで母の胸を触りながら寝てました。 おっぱいってそこにあるだけで安心するので、 そこそこ大きくなっても受け入れてあげて欲しいなー。 後それを自分の前で他の人に話すのやめてw なんとなく恥ずかしいってわかってるし、 そのうち卒業しますんで。
>>854 > 担ぎ上げられるっていうのは、
> 普通の高い高いならいいんだけど、
> 親の背中の方に頭を持っていかれるというか…
> 頭に血がのぼる感じです。
うちの2歳後半息子、それ好きだ。自ら肩を乗り越える。
かすかな記憶だけど、私も男の人にしっかり持ってもらって逆さまになったりするの、楽しかったな。
ちなみにうちの子、くすぐりも好きらしい。
私は他の方のレスと同様、くすぐられるの大っっ嫌いだったので、
くすぐって遊ぶつもりはなかったんだけどね。
くすぐると本当に楽しそうにして、機嫌が良くなる。
スキンシップになる場合と、嫌がらせになる場合と、ホント子どもによって違うんだなあ。
安価ミスすまん…
852です。850さんわざわざありがとう。 自分も頭に血が上るのは嫌だなぁ うちの子も、先日抱き直すときにゲップをさせるような姿勢で肩に乗せたら 明らかに嫌がっていたので、普通の高い高いにとどめておきます そういえば件のおっちゃんに遊んでもらって何が嬉しかったかって 高い高いそれ自体よりも、おっちゃんの表情に、私を楽しませようとしているのが現れてて それがすごく嬉しかったような気がする 今思い返しても、楽しかったより嬉しかったという印象が強いなぁ
弟が産まれる前だから、たぶん3歳くらいの記憶。 父の実家に遊びに行ったとき、何故か叔母に近所の葬式に連れて行かれた。 叔母一家は父の実家の隣の家に住んでいる。 叔母、叔母の息子(=私の従兄)、私の3人で行った。 葬式というものを知らなかった私は、その異様な雰囲気が不思議で叔母に 「なんでみんな黒い服着てるの?なんで?なんで?」と 空気読まずに質問しまくった。 叔母は「しーっ!」「静かにしなさい」としか言ってくれず、空気読めない子だった私は 疑問が解決しないのでずっと「なんで?なんで?」と言っていた。 「後で教えてあげるから」とか「お葬式だからよ」とか適当でもいいから何か答えがあれば 納得して黙っただろうに(それはそれで新たな疑問を生んだのかもしれないけど)。 結局うるさい私を持て余した叔母は葬式の途中で退席。 同い年の従兄は葬式を理解しており、静かにできていて得意顔だった。 ということを今日、スーパーで女の子の質問をガン無視していた母親を見て思い出した。 子供って納得いかないといつまででも質問を繰り返すよね。
子どもの頃、寝て起きて違う場所に説明なくいることでパニックになりがちだった 寝ていてもなんとなく抱き上げられて車に乗せられて、自宅のベッドに戻ったことはわかっているのに 誰もそれを説明してくれないことで、ベッドに入った瞬間に泣いた こういうことは度々あって、怖いとかいうのではなく「びっくりした」だけなんだけど 子どもでも歯医者とか博物館とか上にあるようにお葬式とか そこで何が起きて、どうしていなければいけないのか、私は子どもに説明しようと思う
859 :
名無しの心子知らず :2012/03/28(水) 06:35:23.37 ID:W09Z/z/g
3歳の時ぼっとん便所に落ちた。 気の蓋がしてあったんだけどその上で飛び跳ねてそのまましたにドボン。 当時黄色のセーターを着て、ハサミでセーターを切られながら外の水道で洗われたのは鮮明に覚えてる。
おんぶが圧迫感あってずり落ち感あって嫌だった なのになんで おんぶ、おんぶいうかなぁ 赤それぞれか?
私もおんぶより抱っこが好きだった。 3歳くらいの時、父に「抱っこー」と言うと 「重いから無理」と言われて 自分の意思と関係なく成長するって悲しい、と感じた。 あと母に「チューして」と言って「やだよー汚い」と 言われたのも寂しかったな。 傷つきやすい子供だったのかもしれないけど、 それから母に否定される事に敏感になった気がする。
「怒られる」と「褒められる」の間が無いときがあるのが納得いかなかった。 例えば、食べ終わった食器を片付けると褒められる。 でも片づけないと怒られる。みたいなの。 怒られることをしなかっただけで褒められる、又はその逆みたいのがすごく変だと思ってた。 怒られるからやっただけなのに褒められても嬉しくなかったし、褒められることしなかっただけなのに怒られるのも不満だった。 その中間がないのが物凄く窮屈に感じてた。 「褒められも怒られもしない」ことを目指してたような気がする。 変な子…
>>862 なんかわかる気がする。
コントロールされるのが嫌なんだよね。
私は褒められるのはそれをさせようとする意図が見えてすごく嫌だった。
片付けできてすごいねー!→普段から自分でやれよ!みたいな。
たぶん、親との信頼関係がきちんとできてなかった。それができてれば、素直に褒め言葉を受け取れたのかなぁと思う。
お手伝いできた時には、偉いねー凄いねーって褒めるよりもありがとう助かったわと感謝するほうが良い
って以前何かで読んだことある。
ふーんとしか思ってなかったけど、
>>862-863 見て今はじめて腑に落ちた。
>>862 わかるわかるw
寒暖の差が激しいと疲れるんだよねw
昔、ちまちました小物を広げて遊んでいるときに、
遊びに来てた叔父が「綺麗に散らかすねー。君はグチャグチャにしないんだね」と言ってくれたことがある。
褒められても叱られても嫌味でもないんだけど、それがなんだか嬉しかったなー。
きちんと自分を観察して言ってくれてるのも良かったし、何の意図もない発言なのも嬉しかった。
保育園に通ってた頃。 両親から「お前は拾ってきた子なんだよー」って云われてた。 多分親はムキになって否定する私が面白かったんだろう。 何度も云われてたんで、いつか本当の両親が迎えに来ると保育園児の間は信じてたな。
>>866 私は拾った話を高校生くらいまで信じてたなw
母と異父弟が瓜二つで私は全く似てなかったから、「拾ったなんて嘘だよw」と言われても信じられなかった
二十歳過ぎたあたりで段々似てきて、「あ、もしかして実の親なのか……?」と新たな疑惑
まあ、「他人」に養って頂いて生活させて貰ってると思い込んでたから、金のかからない行儀の良い子供だったみたいだよ
子どものとき流行ったアニメキャラクターの踊りがあって 小さいころそれをまねたら大人たちに受けた でもそのアニメの自分の中のブームが去ってその踊りも恥ずかしくなった頃 「○○ちゃんあれやってよ」「前は楽しそうにしていたじゃない。忘れちゃった?」 とか言われてリクエストされるのが苦痛だった 覚えているけどもう恥ずかしいからやりたくないこと むしろやっていたことが恥ずかしくてなかったことにして欲しいことなどを うまく伝えられず、その話題にならないようその大人を避けてしまったりした →子どもはあっという間に成長するのであんまり昔のことをいじらないであげて
>>868 むしろそのアニメキャラの踊りが気になるw
ちょっと大人になった子供が心から恥じ入るキャラ…キタキタおやじかなw
クックロビン音頭に違いない!
>>871 私もそう思った
1歳児に踊ったら泣かれた
自分は自由で何してもみんなが喜んでくれたり 自分は何でも許されると思ってた記憶
ものすごーーく保育園に行きたくない日があって ドアや塀やらしがみ付きながら どうしても今日は家でゴロゴロしたい!と思いながら必死に力の限り命をかけて号泣しながら抵抗するも 無理やり登園させられた 理由?特になし。気分。 後は普通に友達と遊んだ
>>874 それいいな。
うちの子もそう思っててくれないかな。
他板からコピペ > 幼稚園〜小学校低学年の頃に初めて裁縫をさせられて「針の持ち方がおかしい」 > 他にも「歯ブラシのすすぎ方が変」「茶碗の持ち方がなってない」等々しょっちゅうなじられて > 幼心に「お前が教えてねーのにどこで覚えてくるんだよ」って感じのことを思ってた > > でも親は「なんでそんなことも出来ない、知らないなんておかしい」っていう態度で怒鳴るから何も聞けなかった > 小学校に入った時、やっぱり知らないことは親や先生が教えるんだ、って親が変だと思い始めた > > 間違える=詰られると思って、教科書を熱心に読んでたら「勉強が好きなんて気持ち悪い子」と言われたから > (あー、おかあさんバカはなんだな)(だから教えてないことは知らないってわからないんだな)と思って以降はスルーしてた
>>877 どこの板なのか気になる。良ければ教えて下さい
3才後半頃の記憶。 庭で自分の手を眺めながら、「えらく弱っちいのになっちゃったな」と 小さなふにゃふにゃしたの自分の手に失望してた。 以前は肉食恐竜で立派な爪、強くて頑丈な手だったのに(と当時確信していた)、 一番弱い生き物になってしまった絶望感が半端なかった。 そのせいか幼稚園時代は全てにやる気がなかった気がする。写真見ても全部無表情w
>>879 いやぁ。ホントに前世恐竜だったかもしれないよね。
面白いw
3〜4歳のころ。 すごい田舎に住んでて、若者が身近にいなかった。 20歳前後の「お姉さん」といえば、テレビの歌番組に出てくるアイドル歌手だけしか知らなかった。 なので漠然と、人は皆 子供→小学生→アイドル→お母さん(おばさん)→お年寄り という道をたどるものだと思っていた。 地味な顔立ちで歌も下手なほうなのに、 「大きくなったら何になる?」とう定番の質問に「歌手」と当たり前のように答えてた。 "明菜ちゃん"の雰囲気が苦手だったので「"聖子ちゃん"みたいになる」とまで断言していた。 周りが笑ってたかもしれないけど、アイドルは歓声をあびてるものだからなのか 何とも思わなかった。 もし親が真に受けて夢を応援してくれてたらと思うとぞっとする。 モノを知らない子供には、あんまりしても意味のない質問も多いよね。
>>882 その頃なら聖子ちゃんみたいになる〜とか夢はピンクレディとか普通だから親的には微笑ましかっただろうけど、その人生パターンしか思いつかないのは面白いね。
>>882 >周りが笑ってたかもしれないけど、アイドルは歓声をあびてるものだからなのか
>何とも思わなかった。
ポジティブwww
子供の頃ってまわりの笑いの意味が理解できてないこと多そうだよね
あとになってふと気づいてうわあああってなる
わたしは逆に、笑われるとすぐ「馬鹿にされてるんだ」と思いがちな子で、 知ってる小母さんに「かわいいねー」的なことを言われるのもイヤだったなあ。 なんか値踏みされてるみたいで、ほっといてくれと思ってた。 こういう子も居るってことで。
>>885 ああ、わかる。
「あなたは○が好きなんだよね」とか心の聖域に入られた気分(今にして思えば)で嫌だった。
絵を描くのが大好きでした。 幼稚園支給の落書き帳に絵を描いていると、先生やお友達が『うまいねーかわいいねー、誰を描いてるの?この子の名前はー?』なんてよく聞いてきたけど 『誰を描いてるわけでもないし、こんなキャラクターデザインの段階で名前なんか決まっているわけもないじゃん。』って思ってた。 キャラクターデザインなんて言葉は知らなかったけど… あと、『上手だねー、先生の絵を描いてみてー』とか死ぬほど困った。 今も昔も実物モデル有りの絵を描くのは苦手。 絵を描くのが好きだからって、既存のものを描ける・描いているとは限らない。 なぜそれがわからないのか!って苛立ってた。 嫌なガキだ。
>>882 >すごい田舎に住んでて、若者が身近にいなかった。
まさか、田舎 と いなかった を…
いやなんでもない。
>>888 ____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \ ないない
| (__人__) |
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | |
ヘ lノ `'ソ | |
/´ / |. |
\. ィ | |
890 :
名無しの心子知らず :2012/05/12(土) 16:17:55.58 ID:eYFRrNfg
保守
891 :
名無しの心子知らず :2012/05/12(土) 17:05:23.42 ID:BEijbHs8
4〜5歳。 親、祖母とおでかけするとき、よくどこでもウロウロする子供だった。 落ち着きない!!とよく叱られたが、祖母と手をつないで歩くと 父が一人で歩いてて 寂しそう、 父と手をつないで歩いていると 祖母が 寂しく思ってないかと思い、ウロウロしまくった。 幼稚園でも 舞台で先生が皆に質問するとき、誰も答えなかったら 先生が悲しいだろうなと思い、 質問に先走り 答えを大声で言ったりして よく叱られた。叱られる度、涙が出そうになったけど、 今となれば空気読めない自分だったなと思う。 人が大好きで 毎日が楽しくて仕方なかった。 昨日、幼稚園の参観日で 私と似たような行動をする息子を見て ヒヤヒヤしたけど昔の自分のこと思いだしたW
>>882 そうだね。大きくなったらイチゴケーキになりたいって園児いたよ
子どもが悲しそうな顔で自作鯉のぼりを見てるのを見て記憶が蘇ったので 自分語りっぽいカキコ。 私は病弱で保育園を割と休むほうだった。 で、風邪が治って数日ぶりに保育園に行った。 するとニコニコしながら先生が「この間やった」お絵かきあそびをやりましょうと言った。 はーい!と叫ぶ他の子の中で「なんだ?それ?知らんぞ?」と疑問が湧いたが、 そんなものに構わずみんなはサクサクと作業していく。 まごまごしてみんなのやることを見てたら「なんでできないの?やらないの?」 と、追い打ちをかけられた。休んだ劣等感と置いてけぼり感で悲しかった。 また自分の作品が上手くできずにむかついて家に帰って破いてまた叱られて・・・。 それを思い出したので、たった1日休んだせいで、やり方がわからず ほとんど何もできていない鯉のぼりを二人で書き直した。 本人は出来上がった鯉のぼりを本当に嬉しそうに抱きしめて 私は嫌な記憶が書き換えられて、とてもいい体験になった。
三歳くらい。 夜、家族と歩いてて見上げた空には満月が。あまり夜出歩くことなんてなかったので、歩いても歩いても消えない月に恐怖を覚えた。 「いやっ‼お母さん‼あれついてくる!」と、ずーっと月に付きまとわれていると勘違いした。親は「そうだねー、お月様ついてくるねー」と、確か笑ってたと思う。
おっぱい飲んでたときの記憶がある 口の中に湧いてくる唾を飲んでるって感じだった その時にはもう出てなかったのかな
幼稚園のとき、トイレを男子にのぞかれた。 (男女共用だった。幼稚園はそれが普通なのかな?) 今思えば上からのぞかれたので見えてたとしてもお尻くらいだったんだろうけど、 当時は大事なところも全部見られた! と思い込んで絶望。 ほんとにショックだったよ… その日は教室のピアノの後ろにずっと隠れてた。 その後は幼稚園のトイレに行けなくなった。 だからほぼ毎日お漏らし。 濡れたパンツを持ち帰る。 親は何故お漏らしするのか不思議がってた。 恥ずかしすぎて親にも先生にも言えなかった。 今でものぞかれたときにニヤニヤしてた男子の表情は忘れられない。 それから20年以上経ったころようやく親に話せたはず。
こっちの幼稚園のトイレは女子と男子で左右に別れてるけど仕切りが無くて個室はカーテンひくだけのものだった だから女子から男子の方が丸見え(逆も) 自己防止の為なんだろうけど嫌だわ
901 :
名無しの心子知らず :2012/05/17(木) 02:00:15.02 ID:3nmu7gGm
うちの母ちゃんは極端な暑がりで 夏なんかは、手をつなごうとすると振り払われた。 「あつい!」って・・・ 子供心にショックだったなあ。 あと、牛乳こぼしたりすると超こわかった。 自分の子には、わざとじゃない時には叱らないようにするよ。
4歳の頃、引っ越しをすることになった。 TVの下のオーディオラックが空になっていて、ふと、「ここに入ることができるかも」と思った。 母は不在。きょうだいはお昼寝中。 身体を丸めてもぐり込んだら、想像通りジャストフィットで、ガラスの扉も閉めることができた。 満足して出ようと思ったら、扉が開かなくなってしまった。 ガラスだから強く押したら割れるだろうし、きょうだいも起きてくれない。 パニックになっていたら母が帰ってきた。 「お母さん…」 と呼びかけたら、驚いてキョロキョロしていた。 私はすごくいたたまれない気持ちだった。 やがて発見され、爆笑した母によって無事に救出された。 思うんだけど、もしかしたら行方不明になっている子供のうち何人かは、 連れ去られたんじゃなくて、自分で隠れちゃって出られなくなった子がいるんじゃないだろうか。 大人になった今振り返れば「なんでそんなことをしたんだ」って感じなんだけど、 子供って結果を予測せず(できず)に行動しちゃうからね。 目を離さないのはすごく大変だけど、判断力が育つまでは気を付けないといけないと思う。
>>902 捨ててある冷蔵庫に入って出れなくなったとか話聞くよね
904 :
名無しの心子知らず :2012/05/17(木) 21:18:30.63 ID:BFErpvjB
4歳になるまえに引っ越したから、引っ越す以前の記憶は3歳頃かな。 当時は父の社宅に住んでた。 風邪薬がホントに苦手で毎回粉薬やシロップをイヤイヤしてた。 今思えば、3歳の幼児を相手に大人気ない。 晩ご飯の後に父に家を閉め出され玄関のドアを泣いてイ゙レテ〜ドンドンしてた。 お向かいの幼なじみが、ドアからチラッとのぞいて話しかけるんだけど、泣いててそれどころじゃなかったww もう一つ、下の階のおばちゃんが、うるさいって怒鳴り込みにきたりして、それが面白くてわざと転がりまくってたw 子どもがいない夫婦が住んでたらしい。 おばちゃんごめんね 25年もたったら時効かなw 今は、夫の社宅に住んでる。娘が生まれたし4年後には戸建てに引っ越したいw
>>905 私も3〜4歳頃よく出されてたな。
「だれか私をもらって下さ〜い!!」と大声で叫んだので、反省はしていなかったようだ。
泣き叫んでるとたまに近所のおじさん(子無し)が「こんな小さい子を可哀想に…」と言いにくるので、ますます反省してなかった気がする。
へえ。その頃から言いに来る人いたんだ。 今なら即刻通報されちゃうらしいね。>追い出し
そりゃ言いに来るでしょ五月蝿いもの。
>>906 あー私も親にわざわざ恥をかかせたような
「○○△子(親のフルネーム)がいじめるー!」とか
「○○△子がごはんのことでおこってますー!」とか
しかし近所の人がきてくれたことはないw
たぶん3歳にもなってない頃だとは思うんだけど。 自宅でとある集まりがあって、大勢の人がいた。 私は落書きでもしてたのか、床に向かって屈んでるような姿勢。(床に落書き帳をおいて描いてる感じ) そのときにお尻を直に触られた。 当時は嫌悪感とかはなかったし、邪魔だなーという感想だったけど、 今はなんていうか気持ち悪いようなもやもやした感じで、触ったのは誰だったんだろうと考えてる。 爪が長い気がしたから母親だったのかもしれないし、その理由もオムツの確認だったのかもしれない。 でもなんだか気持悪い感じが拭えない。 よく「子供のすべすべのおしりがかわいくてよく触る」みたいな書き込みをみるけど、 ほほえましい反面、背中が粟立つような気持ち悪さも感じてしまう。
2〜3歳からしばらく、妊娠している人が匂いで分かった。 ある日、母が生卵みたいな匂いがするから、変だな臭いって思って近づかなかったら 「ママのお腹に赤ちゃんがいるから気を使ってるの?」と誰かに言われた。 それを近所の友達に話したら分かってくれて、皆で妊娠してる人を当てたりした。 小学校上がって3年生くらいまで、かぎ分けてたと思う。(生卵に近い臭いと判明したのも小学校上がってから) けれど、いつの間にか分からなくなってしまった。 だから私は子供が妊娠に敏感なのもあまり驚かない、役に立たない記憶だわw
912 :
名無しの心子知らず :2012/05/20(日) 16:00:54.13 ID:8YXLR0gi
赤ちゃんの時じゃなくて申し訳ないけど… 保育園の時にパンツ一丁でプールに入ること、終わったらそれを人前で脱ぐことが恥ずかしくて嫌だった。 後、自分が寝ぼけて泣いたときに母が大丈夫だよと背中を撫でてくれて安心したことを覚えてる。 だから子供が夜中に寝ぼけて泣いてもウザがらずになでなでしてあげようと思ってる。
913 :
名無しの心子知らず :2012/05/20(日) 16:07:46.88 ID:8YXLR0gi
連投すまない。 いきなりシャワーをかけられる恐怖があった。 子供には宣言してからかけるようにしてる。 後、母に急に赤ちゃん言葉で話しかけられなくなって何で大人みたいな話し方するの?と思った記憶がある。
2〜3歳くらいの頃は、自分の意思を言動でうまく表せなかった。だから親がアラアラウフフこの子はまだ分からないのね〜みたいに笑ってると、分かるけど面倒くさいしここは子供っぽく分からないフリしとこう、としょっちゅう思ってた。 たまにまだ五ヶ月の娘がハァ、みたいな大人びた顔をしてるとそれを思い出す。
3才頃、迷子になった記憶。鮮明に覚えてるので長文で失礼します。 ショッピングセンターの本屋で兄(5才)と、母の買い物が終わるまで待っていた。夢中で絵本を立ち読みしていて、ふと気がつくと横にいた兄がいなかった(本屋の奥に移動しただけ)。 母と兄に置いてきぼりにされた!と一瞬で思い込んだ私は、追いかけようと駐車場まで行った。 自分の家の車があるか確認しようとしたんだが、見当たらなかった。多分場所を間違えていたんだと思う。 やっぱり、母と兄は先に帰ったんだと思い込んだ私は、とにかく家に帰ろうと思って駐車場を出て歩き出した。日が暮れていて、冬だから寒くて泣きながら歩いた。 横断歩道を渡ろうとしたら赤信号だった。止まって待ってたら向かいの通りから見知らぬおばさんが「わたっちゃダメよ!!」と車道を横切って駆け寄ってきた。 結果そのおばさんが車に轢かれそうになってものすごくびっくりした。 「赤信号だから渡らないの分かってるのに…」と思ったが、おばさんが自分を助けようとしてくれたことは分かって嬉しかった。 その人は近くの駄菓子屋さんで、チロルチョコをくれて交番まで連れて行ってくれた。 交番には石油ストーブがありヤカンが湯気をあげていた。テレビでは相撲をやっていて、つまらないなと思っているうちに母が兄を連れてあらわれた。 3才でも、自分なりに考えて行動するから目を離しちゃいけないなと思う。 駐車場に行ったり一人で車道沿いを帰ろうとしたり、事故にあってもおかしくなかった。母となった今は本当に恐ろしい。 自分の子は絶対に本屋に託児したりしないぞ。
>>911 へええー
生卵の匂いってのもいまいちピンと来ないけど
トリもヒトも似たようなもんなのか
>>915 本屋に託児というより、まだ幼児である上の子に託児するのが問題だよね
私は長女だから毎回託児される側だったんだけど、「お姉ちゃんでしょ!」と強要され、自由がないのが本当に辛かった
幼児に子守なんて無理な話だよ
>>917 近所の子(7歳)に、その件についてたまに愚痴られるわ。
「ママひどいんだもん。弟(3歳)見てなさい一緒に行きなさいって、そんなの私聴かなくたっていいじゃん。
小さい子のお世話しなさいって怒るけど、私がやることじゃないじゃん。
○○ちゃん(私の娘、3歳)ママ、おうちにいるときはずっと○○ちゃんと一緒でしょ?
(○○の世話をするのは私であって彼女ではない、弟の世話をするのは母であって彼女ではない
といいたかったようだ)」
とぼやいてる。
彼女のお母さんにいった方がいいのか悩んでる。
よそのおうちの教育方針に介入するのもなあ、ってところもあるし。
本人もよく喧嘩みたいに訴えてるから、家族の話かなあとも思うし。
4つ離れた私の姉は全然私の面倒見ない人だったんで、
一般的な兄弟の関わりがよくわからない…。
>>898 読んで思い出した
幼稚園の頃先生(♀)にトイレを覗かれた
覗かれたというよりはひとりでできているかな、という気持ちで
様子を見に来てくれていただけだと今は分かっているけど
二歳には自分でトイレに行く子どもだったので(母談)
プライドを傷つけられたというか恥ずかしかったというか
可能なら「大丈夫かな〜」と声かけくらいして欲しかった
和式トイレで先生に後ろから声をかけられて振り返ると先生の顔が見えたのでぎょっとした
姪をトイレに連れて行くときもあんまり覗き込まないようにしている
便乗で思い出したー 幼稚園で雨上がりの園庭で遊んでたが、 滑り台の下の水溜まりに尻から突っ込んだ(4歳) 先生が着替えなさいと促すが、人前でぱんつ脱ぐのに抵抗があり拒否 必死になって嫌がる私の周囲になんだなんだと集まる園児、 人が増えてますます脱ぐわけに行かなくなり泣きながら断固着替え拒否。 先生が「じゃあそのままで居なさい!」とまで言った 人目の少ない別の部屋とか物陰で着替えさせて欲しかっただけなんだ… でもその後どうしたのかの記憶がない 諦めて脱いだのか家までそのままだったのか…
もういっちょ 親同士で水疱瘡の跡の話題になり、一番大きく残ってる跡(脚の付け根)を 「ほら、ここにあるんだけどー」とパンツ丸出し状態まで、がばー!と スカート捲られてお隣の家の玄関先で太もも掴まれて披露された 慌ててスカート掴んで引き下げたら「あらあら恥ずかしいの?www」と 笑われたのがまた恥ずかしかった (草生やされたわけでなく微笑ましく見守られたんだろうが笑い事じゃない!と思ってた) 子供は人形じゃないぞ!羞恥心だってあるぞ!
凄く内容が濃いスレだなぁ 読むの人より早い方なんだけど かなり時間かかった 泣いたり笑ったり感心したり もの申したくなる人もいたけど 超ロングパスになるので控えた 色々と参考になったよ 自分にはまったく幼児期の記憶ないからなぁ あるとしても台所のネギで遊んだこと、イスがアスレチックみたいに思えてたこと …役にたたんw
>>911 もしかしたら羊水のニオイなのかも。生臭いと聞くし。
>>911 そういえば妊娠5カ月頃、自分がすごくミルク臭かったのを思い出した。
肌からほわ〜んと牛乳くさいような、甘ったるいような体臭がした。
体内でせっせと母乳準備中なのかなと思ってた。
匂ったのはその時期だけだった。
夫は別に匂わないって言ってたけど、嗅覚のいいお子さんには分かるのかも。
自分も甘ったるい匂いしてたわ。 ベビーパウダーみたいな匂いだった。 うちは旦那もなんか甘ったるい匂いするって言ってた。
友人夫が、友人が妊娠すると検査薬使える時期には匂いで気付くらしい そういうこともあるのだから匂いが出ているってことはありそうだよね
すごいね! 最近は、ガンの臭いをかぎわける犬も訓練されていることだし 妊娠している人の匂いもわかる、妊娠探知犬がそのうち… しかし需要があるのかわからないw
そういえば妊娠中、自分のおりものが臭ってたよ なんか魚っぽい匂いだなーと思ってたけど いま思えば生卵の匂いにも近かったかも
>>919 亀だけど、うちのトレーニング中の二歳はトイレに一人にしてやらないと出せないみたい。同じように思ってるのかも。
小1〜2くらいだったかな。 それまでは世界は私のために回っていると思っていたが、そうではないことに気がついた。 みんなそれぞれ心や人生があって、それぞれが自分の人生の主役なんだと。 気がついたキッカケは覚えていないけど、気がついた衝撃?はハッキリ覚えてる。
>927 実際飼ってる犬、私の妊娠わかったよ 妊娠週数が経つにつれ、だんだん私に近寄らなくなっていった もともと怖がりで臆病な犬なんだけど、おいでって言っても少し距離おいた所までしか来ず、 撫でることすらさせてくれなくなって 寝る時冬は布団にもぐりこんで来てたのに、布団に誘いこんでもすぐ出てしまうようになって 六ヶ月位のときに最近様子おかしいけどもしかしたらって思って 旦那とか半信半疑だったけど 臨月の頃には確信した で出産後、子と対面した時は吠えたりもせずはじめまして感ゼロ 犬はだんだん私に以前のように近寄るようになり、 今は普通にすり寄ってくる
>>930 私もそう思ってたw
お母さん含めまわりの人たちみんな、
脇役をやってくれてんだと思ってた
良く疑問に思うんだけど・・・ 赤がかわいすぎて「○○いい匂い〜!」「大好き〜!」って顔スリスリしたりおでこくっつけたりするんだが、赤が「母ちゃん、口くっせーなおい。」とか思ってるんじゃないかと不安。特に寝起きw 記憶ある人いないかな? マイ記憶。 ハイハイしてる頃。数メートル離れたところに祖母がいて笑っている。 向こうに行こうとハイハイするんだが、床にビニールの風呂敷?みたいなのがあって、滑ってうまく進めなかった。 「くっそ、これが邪魔で進めねーじゃねぇか!」とフンフンしてた記憶がある。 母親に話したら全く信じてくれなかったよ・・・
親にされて〜スレと迷ったんだけど幼児期の記憶ということでこちらに 基本移動がハイハイだった頃、親戚のうちで食事をするため何人も親族が集まっていた 和室で木製のテーブルの下に潜ったり、持ち歩いていたぬいぐるみで遊んだりして過ごしていたんだけど いとこ(♀)がそのぬいぐるみを取り上げてきた いとことは20歳くらい離れている いとこが上にぬいぐるみを振り上げたので、目でそれを追う その隙に他の叔父や叔母に渡して、それをあたふた探す様子で遊んでいたよう いとこの性格からして「遊んであげた」つもりなんだろうが、最初から全然楽しくなくて数分もすると苛立ちで泣き出した私 優しい叔母がそれを返してくれたが、その日から今でもそのいとこは苦手 なんていうか、遊び方は考えてください
赤ちゃん時代の親的爆笑エピソードや、幼児期の行動などを いくつになっても、親戚間や知り合いの前で父親たちがネタにするのが心底嫌 特に赤ちゃん時代の●ネタ、幼児にだってプライドがあるし恥ずかしくて 赤ちゃんの時の不可抗力な話をいつまでも笑いの種にして、親はズルいと思った 小学生のときのエピソードは、いまだに話してくる 一年生の時、校庭で体育の授業中に空気の読めないアホ父が弟(赤ちゃん)と犬を連れて 校庭に勝手に入って来てしまい、遠くから大きく手を降り名前をよんできた(まだおおらかな時代) もう恥ずかしくて涙目で、その場から消えて欲しくて「シッシッ」てジェスチャーで必死に訴えた それが生意気に見えてツボったのか、その話は二十年以上しつこくネタにしてる 私が本気で嫌な顔してるのがわかってないから、もう諦めてる。 愛を込めているつもりでも、バカにしたような話し方は絶対しちゃいけない 自分は子どもに対してデリカシーをもちたい、親だからって失礼の無いようにしたい。
>>933 このスレか前スレかわからないけど、
母親の口臭は嫌だったけどワキガは母親の匂いって感じで
好きだったというレスがあったような
>>914 そういうの聞くと怖いw
息子2歳、わかんないだろうなと思いつつもなるべく説明するようにしてるけど
本心ではわかってないと思ってるので無意識にデリカシーないことや恥ずかしいことしてるかもしれない
子供がそれ見て覚えてたり嫌だなって思ってたりするかもしれないんだね
>>936 そのお母さん、口臭&ワキガの二重苦なのか…
>>937 今思い出したけど、面倒だから分からないフリ〜もあったけど、今なら許されるから子どもっぽく知らないフリしよう、と誤魔化すこともあったw
多分保育園上がる前だったと思うんだけど、母が噛み砕いたピーナッツ食べるのが好きだった・・・ 今考えるとアリエナイ気持ち悪さ
幼稚園頃の記憶。 お母さんが「いとこの○○くん(私の三歳下ぐらい)がお兄ちゃんになったんだって!だから会いに行こうね」 と言い、いとこの家に行くことに。 お兄ちゃんになった…というのは単に 妹が生まれたってことなのに 私にとってお兄ちゃんとは、背が高くて自分より全然大人の大きい人…という認識で、 「へ~あの小さかった○○くんがお兄ちゃんになったんだ!それは凄い!どんなに大きくなったんだろう!」とワクワクしていたのだが 実際会いに行くと前とほとんど変わらない チビっ子で なんだ~と思ったのを覚えてる。
>>941 かわいいw
お兄ちゃんになった、より赤ちゃん産まれたんだって!と言ってくれた方が普通にわかるねw
孫が2ヶ月のとき娘が買い物に行ってるあいだに添い寝しながら 「えへ〜今ママはお買い物に行ってますよ〜それはそうとばぁばは世界一○○くんのことが好きなんだよ〜 このことは大きくなっても覚えていてね〜えへ〜」とかアホづらしながら言ってた… 早くここに辿りついていれば…願わくば忘れてほしい(´・ω・`)
ばぁばて
二ヶ月じゃさすがに憶えてないつか言葉理解してないよw
保育園の頃の記憶。 バス通園の帰り、バスから降りて母は他のお母さん達と話してた。 私はその辺りをうろちょろしてて、母の足にしがみついた…と思ったら違うお母さんで、周りは大笑い。 私は大人に囲まれて笑われたことが恥ずかしくて、プライドが傷付いたような 気持ちになったのをよく覚えてる。 今子供が幼稚園児で、親の立場になってみると、当時のお母さん方の気持ちもよくわかる。 大人から見たら「あらあら間違えちゃったね、かわいいわね」くらいの 微笑ましいものだったと思うんだけど、からかう気持ちがなくても、笑うのは良くないね。 当たり前か、でもなかなか難しい場合もあるけどね。
>>942 大人からしたらそんなこと思ってるなんて
思いもしないよねw
>>947 わかるわかる、
覚えてるわ~その感覚。
小さな頃って、今よりももっと
恥ずかしいっていう感覚が鋭かった気がする
大人すら人違いした時恥ずかしいもんね
私も、スーパーで買い物中にお母さんだと思った人の持ってるカゴに
自分の欲しいお菓子を放り込んだら
あ!違う人だった!ってことがある
あら…ってその人笑ってたけど。
一週間ぐらい恥ずかしさひきずったw
子供の頃に笑われて恥ずかしく思ったりすることは必要な気がするなぁ。 辛い記憶を残させたくない、いい思い出だけで育てたいという気持ちは分かるけど、 小さいうちにある程度は経験して自分で感情に対処する練習をしていないと 大きくなってから本人が苦労するんじゃないかな。
まあちょっと笑われたくらいなら人間不信になるようなほどのことではないし 実際大人になったら大したことではなかったとわかるからねw ただ嘘をつかれたり信じてもらえなかったりというのは残るだろうから気をつけなきゃね。 他人に対して失礼になる言動は子供相手でもしちゃいけないって聞いてなるほどと思った。 まだ子供だから、どうせわからないからとつい思ってしまいがちだけど 心を持った一人の人間として扱わなきゃいけないって。 だから「相手が子供じゃなく大人だったらどうか」って考えてみたらその対応がふさわしいかどうかの指標になると思う
>>949 あー、何かこのスレ見ててモヤッとする訳がわかったよ。
多少は痛い目や嫌な思いもしないと勉強できないこともあるよね。
気をつけたところで全てから保護してやることはできないだろうから大丈夫なんだろうけど。
952 :
947 :2012/06/01(金) 21:47:13.27 ID:yz0FULgq
>>949-951 なるほど、感情への対処ですか。確かに、これから先、親のいないところで
いろんな人にいろんなことを言われていくのだし、自分で自分の気持ちに向き合う力を
付けないといけないですもんね。
笑われて恥ずかしかった子供の立場でだけ考えてた。
相手が大人だったら、という視点も、取り入れていきたいと思います。
勉強になりました。
>>948 さんもありがとう。
test
最近になって母から自分が知能遅滞?いまでいう多動?だったという話を聞いて衝撃を受けたので、 そういう子供の記憶として参考になれば。 自分は物心ついたころ(多分3歳かそれ以下)から、じっとしておくことが苦手だった。 何もしないことが、苦痛で絶えず、何かをしていた。 落ち着きがないというように言われるが、自分にはそうするしかなかった。 例えるなら、普通の人が30分何もせずにいたら退屈するとしたら、自分の場合は1分も立たずに退屈するような感じ。 なので、落ち着きがない子供には、子供の中ではそれなりの理由があるのかも。
955 :
954 :2012/06/02(土) 10:55:45.19 ID:W0HnXxAF
ちなみに知能遅滞は大学病院で脳?を調べてもらった結果らしい。 脳に傷がある?とか。 そういえば小さいころからよく病院に通って先生とおしゃべりをしていたのだが、後から知ったがその病院は精神科の病院だった。 学校は普通に通い、現在は結婚して子供もおり普通に仕事もしている。
>>955 気に障ったらごめんね、その1分でそわそわ落ち着かない、というのは大人になったら治まってきたのかな?
957 :
954 :2012/06/02(土) 11:06:30.33 ID:W0HnXxAF
>>956 いえ、全然気に障ってないですよ。
1分というのは例えなので多分本当に1分でというわけではないです。
大人になってもそのなごりはあります。
運転時に信号待ちで何もしないのが苦手でちょっとフリーペーパーを見たりとか、
ネットしながらiPhoneで違うものを見たりとか。
959 :
954 :2012/06/02(土) 17:39:28.74 ID:W0HnXxAF
>>958 はい、免許は普通に1回で取りました。
というか本人は気づかずに学校生活を送って就職して普通の人生を送っているつもりだったのでw
でも言われてみれば片付けが苦手だったり感情の起伏が激しかったり少しKYだったりとそれっぽいところもあるかなという感じです。
>>959 いや、普通に一回で取れたとかじゃなくてさ…
自分で気づいてなかったとしたら、よく親が止めなかったね
自動車学校に入るときに病歴がわかるようになってたらよかったのにね
昔、交通事故にあったんだけど加害者がちょうど脳に傷のある?人だったので
すごく気になっちゃって
スレ違いごめんなさい、ROMに戻ります
961 :
956 :2012/06/02(土) 21:35:00.68 ID:zkR0samT
>>957 ありがとう、名残りは多少あっても生活にさほど支障はない、て感じなのかな。免許もおかしな所あったら教員に言われるだろうしね。
ただ信号待ちでももらい事故あるから他のことはしないよう注意した方がいいかも…とっさの判断ができるように。
でしゃばってスマソ、レスありがとう。
962 :
名無しの心子知らず :2012/06/02(土) 21:44:00.09 ID:wPFeFfEk
自分の年齢がどれくらいだったか分からないけど…4歳以下くらいかな… 母親が、裏声で自分の名前じゃない全く関係ない呼び方を連呼しながら 身体をまさぐってくる記憶。 …と言うとなんだか怖いが 以下の台詞を裏声で読んで見て欲しい。 「はぁーい☆ぴぴちゃーん!ぴぴちゃーん!むむちゃーん!私のむーむちゃーん! ちっ・ちゃ・い・お・し・り☆可愛いー!可愛いおちりでちゅねぇー☆」 子供を持った今になって分かる、あれは母のお花畑タイムだったんだな… ちなみに私の名前はごく普通の○○子だ。
幼稚園バスの窓から見る雲が何の形に見えるか毎日話していたら 卒園式で「大人になると雲にしか見えなくなるのよ」と言われ 「雲が雲以外に見えなくなるなんて絶対ない」 と泣いて叫んだのをはっきり憶えてる しばらく脳内大混乱だった 早熟パニック気質の子どもに説明するのは難しい 現在どう見てもただの雲です本当にありがry
964 :
954 :2012/06/02(土) 22:56:35.80 ID:W0HnXxAF
>>961 わざわざ心配していただいてありがとうございます。
そうですね、気を付けますね。
生活には全く支障ないです。
なので、人それぞれだとは思いますが小さい頃にそういう診断をされても普通に育って普通の人と同じ人生を送っている人もいるということで。
965 :
954 :2012/06/02(土) 23:04:09.47 ID:W0HnXxAF
>>960 すみません、私の書き込みで嫌なことを思い出させてしまいました。
脳に傷があると診断されたのは1,2歳の頃なので成長して今も傷があるかはわからないし、
学生の頃の成績も悪くなく職業もプログラマーなので知能などには特に問題ないと思います。
全レスはよくないと思いましたが、気になったので。
>>962 腹痛くなるくらいワロタw
あなたのご母堂と自分が丸かぶりなんだけど、お花畑タイム中どう感じたか教えていただけると有難い。
キモかったなら子が物心つく前にやめるよw
967 :
名無しの心子知らず :2012/06/03(日) 02:58:06.71 ID:6TIPWaXG
>>966 ぴぴちゃんとかむむちゃんとかは、なりきりごっこの延長みたいな感じで
「私、今ぴぴちゃんなんだ!可愛い名前!」と感じていて
他の名前で呼ばれると「ぴぴちゃんじゃないの?ぴぴちゃんがいい」と
思っていた…うまく伝えられたかは覚えてない。
可愛いおちり☆に関しては、自分にとってはそのサイズは普通だし
なぜ可愛いと言われるのか分からずに(褒められる対象としてお尻はおかしい、という感じ)
もやっとした疑問になったのがここまで記憶に残った理由なんだと思う。
ただし妙なテンションで遊んで?貰えるのは楽しかった、キモいとかは思ってなかったよー
うちは母が亡くなっているので、実際私の反応がどうだったかの答え合わせが出来ないのが悔やまれる…
>>962 同じくワロタw
似たような事を現在進行形でしてるわw
子供はケタケタ笑ってるからトラウマにはならないと信じたい。
ベビーベッドの記憶があります。 ベビーベッドの中で立つか座るかしています。柵があり、柵の外には親のベッドがあり、照明器具が置かれぼんやり明るい。 赤ん坊ではなく2、3歳頃の記憶です。
970 :
966 :2012/06/03(日) 23:35:45.69 ID:RhiKi004
>>967 お答えいただいて有難う!有難う!
答え合わせできないのですね…知らずとはいえ気軽に聞いて申し訳なかったです。
でも、お花畑なお母さんの事が楽しかった記憶で残っていることに安心wしたと同時に何だか嬉しくて泣けてしまいました…
私もお花畑のうちはテンション高く可愛がろうw
本当に有難うございました!
保育園に入る前の記憶で、曽祖母とピクニックごっこをした。 ド田舎すぎて近所に公園なんてなく、家の前の田んぼの土手でw 祖母が作ってくれたと思われるお弁当が、ふたをかぶせるだけのアルミの お弁当箱(今もあるのかな?)だったこと、土手の草が青々としていたこと、 とてものどかな空気だったことを覚えている。 ピクニックごっこは一時期頻繁にあって、当時小食な子どもだったらしいから、 少しでも気分を変えて食べさせる工夫をしてくれたのかも。 保育園に入ってからの記憶で、祖父がお子様ランチもどきを作ってくれた。 たしか保育園を風邪で早退したときのこと。 おかずは普通の地味な惣菜だっただろうけど、大きな皿にちまちま盛られて、 そのなかの魚肉ソーセージの斜め切りがものすごく鋭く切られていたことを覚えている。 母は産後1ヶ月半で職場復帰したらしいので、幼児期までの記憶にはほぼ登場しない。 こう書くと、それでも優しいジジババに囲まれて幸せそうな記憶だけど、 曽祖母は嫁いびりがひどくて本家(祖父の長兄宅)を追い出されるような人、 祖父はどうしようもないアル中で私も成長してからは実害を被った。 世間的には毒に分類されそうな身内でも、身近で世話をしてもらえば 幼い子どもはそれなりに懐くし、実の母との間にはないほのぼのした思い出も 残るんだと改めて気付いた。
>>972 わかる…
うちの祖父もすごいクソなじいさんだったみたいだけど
私は嫌いだと思ったことがない。
かわいがってもらった良い思い出は一生残るよね。
たぶん3歳くらいの頃 たぶん都内のバス停 バスを待っててバスが来たから乗り込んだ ステップを上り終え、ふと振り向いたら家族がビックリした顔で「これには乗らないよ、降りて!」と慌てていた… いや、まず乗る前に止めてくれ、と今なら思う そのままドア閉まっちゃってたらどうしてたんだろう?
逆バージョンだと、それまでじいさんのこと嫌いじゃなかったのに、 ある日母から 「あんたと○○君(私の従兄弟)がケンカしたとき、じいさんはあんただけキツく叩いてねー・・」 なんて話を聞いて突如嫌いになった。
977 :
972 :2012/06/05(火) 13:57:34.62 ID:6Pu7IOMd
ありがとう。
ただ、私は小学生になってからは祖父のことが嫌いだった。
アル中だってわかってきて実害を被るようになると、学校から
家に帰るのが憂鬱だったし、お母さんが昼間家にいてくれたら
守ってもらえるのにと母を求めたりもしていた。
正直、「早く氏ね。氏んだら祭りだワッショイ」という気持ちで、
今もまだその気持ちは残ってるんだけど、もしこの先本当に祖父が
他界するときが来たら、お通夜やお葬式で思い出すのは
>>972 で書いた記憶なんだろうなと思う。
幼少期にかわいがられた記憶って強いんだな、
根底に残りつづけるんだなとつくづく思うよ。
そろそろ第二子が欲しいなあと思い始めて思い出した事 ・私幼稚園妹が1歳〜話し始めるまでのこと 妹があれしたいんだってコレ食べたいんだってと母に言うと、それをやってくれて 「ホントだ―!さすがお姉ちゃんだね!妹ちゃんの言ってる事がよくわかるんだね!」と褒めてくれた 鼻高々ですごくうれしかったのを覚えてる 今思えば、母は私よりももっと妹の言いたいことがわかってただろうし、間違っていた事もあっただろうけど絶対に私を立ててくれたw そんなわけで母を取られて悲しい思いをしたって記憶がない あたちって頼れるおねえちゃんなのよ♪って思ってて妹がかわいくて仕方なかった 妹のお昼寝の時間、ハイローチェア?スイングベッドみたいのを揺らして寝かしつけるのが好きだった。 あんまりにも気持ちよさそうなんで「妹が使ってない時使わせて」とお願いした。 あれは赤ちゃんの!妹ちゃんのだからって何回も断られてたんだけどおやつなしでいいから!ちょっとでいいから! と懇願しまくって貸してもらった。 せまいしギシギシうるさいし、全然気持ちよくなかった。 私的にはどんな感じなのか試してみたかっただけなんだけど、母は赤ちゃん返りした!妹ちゃんに焼き餅やいてる!と思ったらしい。
>>977 ちょっと羨ましい。
私は祖母にたいそう可愛がられてたけど、
従姉を罵倒する姿(その子のお母さんと嫁姑問題が酷かった)を見て
醜悪な存在としか感じられなくなったし、
いい記憶だったはずのイベントも気を遣った記憶としてしか残ってない。
まあ、もともと可愛がられてたものの好きではなかったんだろう。
980 :
名無しの心子知らず :2012/06/08(金) 01:28:22.32 ID:D5cIpKLA
母が私が4歳のときに再婚したんだけど、 実の父の記憶がない・・・私が2歳のときに別れたらしい?んだけど。 今でも、実の父に会いたい気持ちがあるんだけど、言えない。
多分2歳くらいの記憶。 祖父が「ぶー見に行こうか」って言ったので、ぶー=お魚だと思った私は 水族館だやっほーい!とうきうきして一緒に行ったら、すぐ近くの歩道橋の上で 「ほら、ぶーがいっぱいだね〜」と言われ、なんだ、ぶーじゃなくてぶっぶか、 と頭の中で舌打ちしたのを覚えている。
3歳離れた妹が産まれる前なので2歳ごろの話し 当時両親共働きで日中近所の祖母の妹宅に預けられてた。 朝 起きると自宅には誰もいなくて リビングに着替えが置いてあり、服を抱えてパジャマのまま「おばちゃーん」と祖母妹宅へ行っていた。 今考えると自宅には鍵かかってないし 出てくとき鍵しめた覚えもない 今二歳四ヶ月の息子にはそんなの考えられないわ 30年前のことだけど 実家が田舎なのか時代なのか
日中は保育園終わったら自宅の祖父の仕事場で絵を描いて 夜寝る時も離れの祖父の部屋で寝てた 妹が生まれた二歳ぐらいからそういう生活 あるとき祖父と実母が喧嘩してて祖父が子供の前だから! と言ったあとも母が何か怒鳴っててそれ見てたぶんお母さんが悪いと思った記憶がある 後から思えばその時以外にも喧嘩してた 祖父は母のことを悪く言わなかったけど母は悪く言ってた 私に子どもが生まれて、自分が嫌いな人に子どもが懐いたら確かに面白くないかもと 母の気持ちもわかる気がするから私は絶対に子どもを母に預けないつもり
2〜3歳児のころかな?はっきりとした時期がわからないが 歳の離れたいとこに大きいキューピー人形持って追いかけられた。 どうもいとこは楽しませてくれようとしたらしいが、本当に怖くて大泣き。 そのせいか20歳過ぎてもキューピーは苦手で、最近ようやくマシになった気がする。 大きいキューピーと思っていたが、あとで親から話を聞くと30cmもなかったらしい…。
>>985 子供には充分大きいよ…キューピーなんとなく怖いのわかる。
主人が一歳の子供にいないいないばぁや、中指と人差し指を使ってアリさんが〜♪やってきて〜♪をやっているのを見て、思い出した。 私もすごくワクワクした! 言葉が話せない時の記憶。 子供も期待で目を輝かせている。
子供の頃、母は世界一美人だと思ってた。 3歳くらいの頃にそんな母がパーマかけて帰って来て物凄くショックだった。 何か嫌な臭いするし、おばあちゃんみたいに髪がくるくるしてるし、あんなのお母さんじゃない!と思って物陰に隠れて様子見てた。 母はお母さんよーって笑ってたけどね。 小さい子って髪が長ければ美人だと思い込む傾向ないかな。 うちの子も私が髪ショートにした時ショック受けてた。
>>988 あー、なんかうっすらとした似たような記憶思い出したw
990 :
名無しの心子知らず :2012/06/09(土) 19:41:10.50 ID:yQKjvJgD
三才あたりの記憶だと思うけど、桃色吐息?という歌が流行ってて、わたしは車の窓開けてこっそり歌ってた それを家族に聞かれて、かなりいじられた うまいとかおとなびてるとか、悪い内容じゃないんだけど、子供心にやらしい感じの歌だと思ってたから、妙に恥ずかしくてやだった 子供がやってることってかわいさから、しつこくいじったり、おちょくったりしがちだけど、我が子にはやめようと思う 小さくても自尊心はりっぱにあるんだよね
四歳の頃、カタカナが読めた。 家族でドライブ中、給油をしなくてはいけなくなったのでスタンドに寄った。 そこに書いてあった看板のカタカナが分かったので、大きな声で自慢して言った。 私「 ガ リ リ ン !」 社内は大爆笑。 「ソ」を知らなかった恥かしい記憶。 でも同じような形のくせに違う読み方って納得いかなかったよ。
あー同じような記憶が… 地元にニュー三久(サンキュー)ってスーパーがあるんだが、ニューミスって呼んでてからかわれた。 何で三がミなの?久がスなの?と笑いながら聞かれ、何故分からないのかとムッとしてたわ。 漢字があるって分からなかったんだな。 多分4歳か5歳。
>>988 あーあるある
幼稚園の先生もロングヘアの先生が好きだったし、ピンクレディーも同じ理由でケイちゃん派だった。
980いないかな?次スレチャレンジしてみる
ゴメン規制された、どなたかお願いします ギリなので立つまでできれば書き込みご遠慮下さい
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1001 :
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