【子供は皆】Yokomine式ヨコミネ式【天才】

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210名無しの心子知らず
溺愛とはいったいどういうことをさすのでしょうか?
ヨコミネ式の基準は過保護と過干渉を区別できない間違いです。
保護と干渉は誰もがやっていることですが、どちらもドがすぎると過保護や過干渉
になります。育児において過保護は大丈夫なのです。
保護とは子どもが「してもらいたい」ことを大人が「してあげる」ことで、子どもは
満足感を得る事ができます。その満足感によって自主性や主体性がはぐくまれ、自信が
つきます。人を信じることで自分も信じられる。人を信じる力が生きる力です。
これはしっかりと愛されること、過保護(たっぷり保護されること)によって生まれてきます。
駄目なのは「過干渉」です。
それは子どもが「したくないこと」を大人が「させる」ことや子どもが自分でやりたい時に
大人がしてあげることです。
干渉が度が過ぎて過干渉になると、子供は物事に興味を無くし自主性や主体性の芽を摘む事になります。
人間には生まれながらに育つ力があり、親は育てる力を持っています。
生まれたばかりの赤ちゃんは育つ力が少ないので、親の育てる力がたくさん必要になります。
このバランスが偏らないことが大切です。
子どもが中学生にもなって育つ力が充分あるのに親があれこれと世話を焼き育てる力が強く
なりすぎるとバランスが崩れます。
それをさして「溺愛」と捉えることがありますが、大事なのはバランスです。
幼児の時に充分抱いて過保護にしていないでおきながら、小学中学になって親が
子どもの勉強や私生活に手を貸し干渉していることがよくあります。
本当は逆で、3歳はまだまだ幼児なので過保護に、抱きついてきたら
抱きつかせてあげればいいし、添い寝もすればいいし、そうやって一緒に過ごしていないと駄目です。
ヨコミネ式のやってることは過干渉です。子どもがやりたいのかどうかではなく
大人がやらせたいことをやらせ、大人が結果をみて喜んでいる。
子どもが抱きつきたい添い寝したいという気持ちは無視する。
3歳児神話や専業主婦で添い寝しないのはアメリカの育児です。昭和初期の日本は
母親も農業や家業の仕事をしながら、家は狭いので家族で川の字で大きくなるまで添い寝です。
211名無しの心子知らず:2010/04/14(水) 01:30:06 ID:nPc1pcKH
たとえば、粉ミルクを抱っこもしないで時計を見ながら定時に飲ませ、オムツを代えるのも
3時間置きに変え、抱き癖が付かないように泣いても抱かず、一歳で三日三晩泣かせて卒乳。
離乳食やお菓子は好きなだけ与え、家事は一切手伝いさせずに勉強をさせる。
服は風呂場に脱ぎ捨てておけば母親が綺麗に洗濯して畳んで用意し、欲しいものは
なんでも買い与える。
こんな育児は溺愛でしょうか?放任でしょうか?
欲しい物を買い与える、家事をさせないという部分で「溺愛」だと判断されるでしょうが、
これは溺愛ではありません。
欲しい物を買い与えるのは、その方が親が楽だかでしかありません。
赤ちゃんの頃から親のペースで子育てをしているパターンです。
赤ちゃんが泣いたからミルクやオムツ替えをするのではなく、大人の決めた時間に
定期的に替えることは、溺愛でも放任でも過保護でもありません。
家事をさせずに勉強させるのは親が「わが子の学歴自慢」をしたいだけで、全てにおいて
親は自分のことしか考えていません。子どもの要求、して欲しい事を無視しているのです。
それは「愛」でもなんでもありません。
溺愛でもなんでもないものを「溺愛」と呼んで「溺愛はだめ」と言ってるのがヨコミネ式
です。
過干渉や親中心育児が駄目なのです。溺愛が駄目と言われると「3歳すぎて抱っこ」や
「添い寝」は溺愛だから駄目なのかとわけが解からなくなってしまいますが、保護か干渉
かを区別できれば答えはおのずと出てきます。
212名無しの心子知らず:2010/04/14(水) 01:44:29 ID:nPc1pcKH
>>208
転んだ時、子どもをしっかりと見るのです。
子どもはかなり激しく転んでも、遊びに夢中でサッサと立ち上がってまた走っていく時と、たいした
ことなさそうなのに「えーーーん」と泣いて立てないで甘えるときがあります。
親の判断で激しく転んだからと言って「大丈夫!?」と駆け寄って怪我がないかヒツコク確認して
みたり、たいしたことないからと言って「そのくらいで泣くんじゃないわよ」とほったらかしにしたり
してたら子どもは人を信用できなくなります。
転び方が激しいかどうかではなく、転んだとき子どもが「このくらい平気」と思ったか、ママになぐ
さめて抱き上げて欲しいと思ったかを見なくては駄目です。
そして転んでも自分で立ち上がる時は抱き上げることは無いですが、転んで抱っこして欲しいと思って
るときは見た目に痛そうではなくても抱っこしてあげる方がいいのです。
「転んでも自分で立たせればいい」という簡単な話ではなく「子どもがどうして欲しがってるか」
して欲しいことをしてあげることが子どもを保護することです。
際限なく要求を受け入れることは、赤ちゃんの要求はオムツ替えや抱っこ、ミルクですから、当然
際限なく要求を受け入れた方がいいです。大変だからできないよってことはありますが、出来るんなら
やれるだけやったらいいのです。一人で抱えなければかなり赤ちゃんの要求は受け入れてあげられる
はずです。
そしてバランスをとり、アレかってこれ買ってと言い出したら、その要求は受け入れなければいいし。
添い寝や抱っこにお金はかからないのですから、そういう要求は際限なく受け入れるべきです。
自分の体力の許す限り。
まだまだ抱っこも添い寝もできる余力が親にあるのに「溺愛になるってヨコミネ先生が言うから」
なんて根拠のない理由で躊躇っては勿体無いです。
ヨコミネ式は間違った事(叩くとかの虐待)を推奨し、正しい事(過保護)をやるなと言う、全く
逆さまの育児論です。